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(2024)令和甲辰 6年11月の記録 (旧い日付けの順)

令和 6年11月30日(土)

漸く青空が戻つてきた。明朝は氷点下2℃の予報が出てゐる。
  最低気温 3.9℃ (01:06)、最高気温 10.9℃ (12:37)

 阿蘇五岳 1
 阿蘇五岳 2
 阿蘇五岳 3

 いつもの「勝手横断歩道」、今朝は柵が立てられてゐなかつたので堂々と歩いて、写真右手の方に迂回するやうに新しく出來る道を通つて向こう側の道路(豆札から福原、国道に通じる道)に渡ることが出來た。新しく出來る国道と馬場集落から宮地方面に抜ける地元の大事な道路が、平面交差するには高低差が大きく、立体交差にするには高低差が小さいため、この道路はここで(写真の◯印)ぶつた切つて、大きく迂回する形で新しく道路が付けられることになつてゐる。
 写真1写真2

 隣村の柿の木(集落)の斉藤はじめ君(漢字はどうだつたかな)が軽トラックに立派な薪材を積んでやつてきた。彼はトマト農家の若き後継者だ、彼で三代目になるのかな、今でも初代二代三代みなさん一緒に手広くトマトをやつておいでで、併せてトマトの新規就農者の育成にも力を注いでおいでだ、周辺に斉藤学校(小生がそう呼んでゐるだけだが)卒業の若いトマト農家のハウスがたくさんある。

 彼は小学校の頃までは子ども会などでよく知つてゐたが、その後、成長するにつれて接触が無くなつて、最近時々車ですれ違う程度だつた。御親戚で木を切つたさうで要るかと訪ねてくれたのだ。大きな玉切した木で我が家としては大変ありがたい到来ものである。

 軽トラックのすり減つたクラッチペダルのゴムを交換した。最近雨の時など長靴で踏むとズルつと滑つて踏み外してヒヤッとしたことが何度かあつた。クラッチを踏む際の動作だから、滑つてもいきなり大事故にはなりにくいが、交換することにしてネットで取り寄せた。ブレーキペダルのゴムもだいぶん減つてゐるが、クラッチペダルのやうな踏み方をしないので横方向に靴が滑ることもないがついでに交換することにして今日また追加注文してをいた。
 写真1写真2写真3

 イノシシ用の電気止め刺しの槍を自作しやうと色々考え中である、100Vの電気でイノシシに引導を渡す道具である。狩猟免許を取つて一年くらいかかつて漸く初めて一頭捕獲して実績を作ることができた。ただ小生は我が自衛隊と同じで基本「専守防衛」を旨とする。我が領土に入つてくるイノシシは捕らえるけど、わざわざ敵地(道路の向こう側)までに出掛けて獲るつもりは無い、でも我が国にも敵基地攻撃能力を行使する場合もあるやうに、イノシシの跳梁跋扈が周辺の農家で目に余るやうであれば小生も時によつては敵地に出張るかもしれない。


令和 6年11月29日(金)

 今日も「時雨」の一日、「時雨」と云ふ言葉は今では年中使われるが本来は晩秋の今の頃の降つたり止んだりの雨を指す言葉である、どうしてこのやうな等圧線で雨が降るのだ。非常に寒い日ではないが、日照のないこんな寒々とした日は、終日ストーブが燃えてゐる。
 最低気温 4.4℃ (05:19)、最高気温 7.1℃ (12:02)

 阿蘇五岳1
 阿蘇五岳2

 山に積もつた雪、降つた場所と雨だつた場所とが一直線で分かれてゐる、高岳の標高が1592m(ヒゴノクニ)だが、標高どのあたりだらう、もつと気温が下がつて雪が降るとこの線が下の方に降りてくる。

 今の時期、阿蘇谷も東側のこの周辺、手野の辺りに一番最初に外輪を越えた陽の光が差し込む、国造神社があるあたりだ。

 登校時 定点撮影・その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9
 下校時 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6
 寒くなると朝歩いて登校する子どもの数がめつきり減る、下校時は今日は授業参観があつたので、終わつて保護者の車で帰る子が多く、引き続き懇談会などがあり保護者と一緒に帰れない子がわずかに歩いて帰つて行つた。

 ベランダに適当に空き箱を置いてをくと、猫ども寒さを避けてそのなかに潜り込んでゐる、ボンには全くその心配は要らない。
  写真1写真2


令和 6年11月28日(木)

 曇り、時々雨、時々薄日、「時雨」の一日。北の方の天気が悪いのは想像できるが、どうしてこの天気図でここの天気が悪いのかよく分からない。
  最低気温 4.4℃ (05:36)、最高気温 8.7℃ (13:24)

 本日、阿蘇山、初冠雪
  写真1写真2写真3

 阿蘇五岳 1
 阿蘇五岳2

 錦秋

 ネットで注文してあつた店頭では扱いが無かつた刈払機のリコイルスターターのヒモ(Φ3mm)が届いたので受取に行つてきた。ネット通販だと更に本体価格より大きな送料がかかるが、今回はホームセンターのオンラインショップで注文をして店舗受取で買つたので、送料はかからなかつた、同じものでも買い方で随分違ふものである。ボンの餌も一緒に買つてきた。

 高学年の下校時に合わせるやうに雨が降り始めた。事前にレーダーを見てゐたので、やつてきた子らに、強い雨が来るから走つて帰れと声がけをして急がせた。少し遅れてそのあとからやつてきた子らの時には雨風が強くなり、しかも傘を持つてゐない、小生の傘一本しか無く、それも風が強くて差してゐられないほどだつたので、早く走つて帰れとこれも声がけをした。小生は軽トラなので二人を乗せるわけにいかず(尤、この程度ではたとえ乘せられても乘せないが)、昔人間としては子どもが濡れて帰るのは別に構わないだらうと、それでも不測の事態に備えて彼らが田んぼの長い直線道路を歩き終わつて住宅地方面に折れて姿が見えなくなるまで見守つてから帰つてきた。明日も多分、今日のやうな天気だつたと思つたから、明日はちゃんと傘持つてこいよと云つてをいた、ヤレヤレである。
 学校は下校時に雨雲レーダーでリアルタイムの天候状態を確認して、こどもたちにもそれを教えて、必要なら注意を払うやう指導してゐるのだらうか、今の学校では大きな電子黒板を使つてゐるのだから天気が不安定な時には下校の時に電子黒板に雨雲レーダーを映して子どもたちに注意をすれば良い、坂梨方面は周囲に遮るものが無い田んぼ地帯なので特にそのあたりの配慮は必要だと考える(もともとこんなこと小生がやることではない、子どもの登下校の安全の確保は基本的には保護者と学校の責任だ)。
 登校時 定点撮影・その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9
 下校時 写真1写真2写真3


令和 6年11月27日(水)

 昨日、夕方、雨が東に去つて、これで天気が回復したと思つてゐたら、それも朝のうちだけで、今日も終日グズグズした天気で終始した。
  最低気温 5.2℃ (ただし20:19時点)、最高気温 9.6℃ (13:12)

 阿蘇五岳

 登校時 定点撮影・その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2写真3

 シート屋根の薪小屋の屋根、昨日の雨の後の結果は全く水が溜まつてゐなかつた、とりあえず、これにて一件落着である。
 (写真1写真2

 月一の薬もらいが主目的の定期通院で古閑医院を訪ねた。この歳になるまで薬なんかとは無縁の生活を送つてきたのに今回心臓をやつてから薬との付き合いが始まつてしまつた。一度に4種類の薬を、それでも朝だけで良いのだが飲まなくてならなくなつた。ありがたいのは、その4種類の薬を医院のほうで一日分ずつ一つの袋に入れてくれるから助かる。この薬は絶対飲まなければ命に関わるほどの薬でも無いと思ふのだが、今のところ小生は律儀に毎日欠かさず飲んでゐる。

 午後から一の宮支部民生委員の懇親グラウンドゴルフ大会が催され、引き続き夕方から、懇親会、忘年会が手野の魚天で行われた。
 小生はグラウンド・ゴルフはやらないので、その後の懇親会に出席した。さすがに今日は雨でグラウンドゴルフ大会は中止だつたらうと思つてゐたら、グラウンドゴルフは出來なかつたけど室内競技のモルックをやつたと皆さん満足気に話しておいでだつた。モルックは小生も以前、社会福祉協議会の集まりで知つて一度だけやつたことがあるが、高齢者にも向いた室内競技で最近だんだん盛んになりつつあるやうである。
 魚天は一の宮温泉センターの近くの田圃の中にポツンと一軒ある店で、昔からその存在は知つてゐたが、入るのは今日が初めてである。昔は一般の食堂、料理屋として普通に営業してゐたさうだが、今は、団体の予約の利用のときだけ開くやうで、普段はやつて無いやうである。
 一の宮支部の集まりなので、皆さん、もうよく識つた仲なので和気あいあいと楽しい時間を過ごした。


令和 6年11月26日(火

 ほぼ終日雨、雨量は大した事ないが。夕方、暗くなる頃になつて漸く雨が東に移動して行きつつある
  最低気温 8.4℃ (01:19)、最高気温 14.6℃ (10:45)

 阿蘇五岳1 
 阿蘇五岳2 

 朝の登校時間帯、雨はほとんど降つてゐなかつたが、風が強くて、車の中で待機してゐると、軽トラがグラグラ揺れるほどだつた。そんな風だからか、今日は一人も歩いて登校する子はゐなかつた。下校時もまばらだつた(それに6年生は今日は休養日だ)。
 登校時 定点撮影・その他写真1写真2
 下校時 写真1写真2写真3写真4 

 昨日の漏電遮断器のシャットダウン、N06ブレーカーにつながる屋外コンセントに挿してあるコードの一本を抜いて調べた。
 このコンセントは三ツ口であるが、差込口が近接してゐて、大きめなプラグは干渉して三個同時に挿せないので真ん中の差込みには小さなプラグのコードを繋いで使つてゐた。
 
 昨日、このコードから電動チェンソーを動かす電工ドラムの電源を取つたので、多分、このコードを引き回す際に切れたかして何処かに接触してショートしたのだらうと思つて、まずこのコードに当たつたのである。他の二本は秘密基地用の電源の取り出し口であるがこのラインは問題がないと最初から思つてゐた。
 
 ビンゴ!でこのコードをチェックしたところ、被覆が破れて芯線がむき出しになつてゐた、刈払機で削つた跡がある、でも昨日は刈払機を使わなかつたので、以前草刈りの時にでも削つたのだらう。ただこの裸の線、隣の線に触れてゐないのでこれだけでは問題は無いのだが、昨日作業が終わつてコンセントに繋いだままのコードを収納した際に、なにかの拍子に小屋の柱に使つてある単管パイプにでも触れて過電流が流れたのだらう(こちら側がhotだつたのか)、とりあえず、このコードを撤去してブレーカーを上げたら、漏電遮断器が落ちること無く、この系統の電気も回復した。宅内で停電をした時に、その原因を掴むのは結構面倒だが、幸いに今回は一発で原因箇所を特定することが出來た。



令和 6年11月25日(月)

 晴れ。古閑の滝、少し凍り始めてゐるかな、まだかな
  最低気温 0.1℃ (05:19)、最高気温 13.9℃ (13:19)

 阿蘇五岳1 カルデラの平野も霜で真っ白になつてゐた。
 阿蘇五岳2 昼間
 阿蘇五岳3 夕方

 登校時 定点撮影・その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2写真3
 今日の登下校の子どもの数が少ないなと思ってゐたら、今日は6年生は修学旅行だつた。

 細かな薪材がアチラコチラに手つかずで放置してある。今日はその薪材を切って回った。エンジンチェンソーだとエンジンを掛けたり切ったりが面倒の上、オーバーパワーなので、今日は電動チェンソーを使った。この電動チェンソーももう20年くらい使ってをり、少し切れ味が悪くなってゐたので、目立ても面倒だから、買い置きが確かあったはずだと思って探し出して交換した、結構使ってゐるつもりでもエンジン式に比べたら使用頻度が低いのだらう、20年くらい刃のメンテモ無しに使ってきたのだから。
 
 薪材が置いてある場所は、電源から離れてゐるところもあるので、延長コードと30m電工ドラムを繋いで、今日のところは閒に合ったが、次回、更に遠くになるとコードが届かなくなるので、別の長い延長コードを持ってこなければならない。

 そろそろ辺りが薄暗くなり始めた夕方4時半を過ぎた頃、突然、停電した。台風でも無いのになんだと思ってしばらく様子見をしてゐたが回復しないので、外に出てみたところ、道路向うを工事事務所の電気は点いてゐる、なんだ、それじや我が家だけかと分電盤を見たところメインの漏電遮断器が落ちてゐる、そこで各部屋ごとのブレーカーを全部落として漏電遮断器を復旧して、各ブレーカーを一つずつ繋いでいったところ、一箇所だけ漏電遮断器が落ちるので、そのブレーカーだけOFFにして残り全部を復旧させた。

 この落ちたブレーカーはN0.6のブレーカーである。我が家の分電盤の各ブレーカーが何処をカバーしてゐるか、家を建てた時に、明細をもらい忘れてゐて、それじゃあ困ると思つて、数年前に、小生がブレーカーごとに何処の配線かを調べたことがあり、その時の記録がとつてあつたので、今日は落ちたブレーカーが何処の系統のやつか直ぐに分かつたのでホツとした。

 このブレーカーは殆ど今夜の生活には影響の無い部分で、そのうちの一箇所は小生の秘密基地に電気を取つてゐる外部コンセントであることが分かつた、多分、このあたりに漏電の原因があるのだらう、明日明るくなつてから調べることにする。


令和 6年11月24日(日)

 晴れ。昼間は時々曇ってゐた。明朝は氷点下2℃ださうだ、そこまで下がるかなあ。今朝は氷点下にはならなかつたのに、風呂の給湯装置が凍結防止のスイッチが入つてないと明け方にアナウンスしたやうだ、今朝になつて気がついた、この程度では凍結しないだらうに。
  最低気温 1.3℃ (07:02)、最高気温 13.8℃ (15:16)

阿蘇五岳1 明け方
阿蘇五岳2 昼間
阿蘇五岳3 夕方

 今日は特にやることも無いので、のんびり焚き火をしたり、道具類の手入れをしたりして過ごした、かなり太い木でもスパッと切れる枝切りバサミ、最近切れが悪いので分解して刃を研いだが、分解の手順を覚えてゐなかつたので、組み立てで少し苦労したが元のやうに切れるやうになつた。


令和 6年11月23日(土)  勤労感謝の日(新嘗祭)

 晴れ時々くもり
  最低気温 2.2℃ (05:33)、最高気温 12.7℃ (13:37)

 阿蘇五岳1
 阿蘇五岳2

 ここ数日、「風の便り」の日記の表示がオカシクて文章の自動改行機能が働かずに、物理的な改行があるまで延々と一行が續いゐてゐた。特にどこか触つたつもりは無いのだが、どうしてもそれが直らなかった。仕方が無いから、その影響を受けないであらうという箇所で改めて不具合期間の日記を書き直したところ、理由はわからないが、元通りに自動改行されるやうになつた。html構文スキルがないから原因は分からない。

 坂梨宿場会が年に二度やつてゐる滝室坂の参勤交代路の草刈り作業に数年ぶり(十数年ぶりかもしれない) に参加した。小生、会はずつと休部してゐるが久しぶりに参加をした。
 今の時期はあまり草も生えてをらずに、作業も短時間で終了した。そして昼には忘年会を兼ねたBBQが事務局邸庭で行われて、久しぶりに夕方まで皆さんと歓談した。みなさんとは普段、個別に顔を合わせることはあるが一同に会するのは本当に久しぶりで楽しかつた。
 滝室坂参勤交代路草刈り作業とBBQ大会 連続写真


令和 6年11月22日(金)

 今朝も1℃台まで下がつたので、当然車のウインドウはガチガチかと思つて早めに暖房を入れてをこうと車のところへ行つたところ、全く凍つてをらず、結露状態だつたのでワイパー一発できれいに拭き取れた。今日は霧が出てゐたので、そのやうな場合は気温がある程度低くても凍結しないやうだ、一方で、田んぼは真つ白に霜が降りたゐたので、気象現象とはなかなかわからないものである。
  最低気温 1.3℃ (06:39)、最高気温 14.7℃ (14:15)

阿蘇五岳 1
阿蘇五岳 2
阿蘇五岳 3

 登校時 定点撮影・その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2写真3写真4写真5

明日ちよつと出掛けて草刈り作業をする予定のなので、二台刈払機の整備をしたところ、一台の方、先日チェンソーのリコイルのスターターのヒモが切れて交換したばかりなのに、今日また刈払機のヒモが切れた、こんなことは続くものである。

 先日買つたけどサイズが合わなかつたヒモがあるからと分解したところ、この刈払機のヒモの径も3mmで手持ちの4mmでは太すぎる、とりあえず、切れ残つたヒモで間に合わせで修理したが、ヒモが短くなつた分、スプリングを一周巻くことが出來ず、中途半端にヒモが余つた状態になつたが、それでもエンジンは掛かるので、しばらくこのまま使ふ。今度山を降りた時にでもハンズマンで3mmのヒモを探して來やう。

 
 午後から組内の鉄男さんのお宅でプリンターのセットアップの手伝いをする。今まで使つてゐたプリンターの黒がいくらクリーニングをしても直らないから新しいプリンターを買つたからと云ふことである。ぶつつけ本番でロクに説明書も見ないでなんとかセットアプをしてきた。今まで使つてゐたプリンターは廃棄処分をすると云ふので、よせばいいのにまた悪い病気が出て、捨てるなら小生が弄くつてみるから呉れと云つて貰つてきた、プリンターヘッドを取り外して洗浄して直らないだらうか。

 一の宮小学校の校長ブログに「除雪出発式」といふ耳慣れない言葉がでてきた、北国のイベンドだらうか、どう関わりがあるのだらうかと思つて調べたところ、阿蘇市での催しだつた、へえ、阿蘇のやうにあまり降雪のない地域でもこのやうなイベントがあるのかと驚いた。
 https://ichinomiya-es.blogspot.com/
 
 https://www.google.com/search?q=%E9%99%A4%E9%9B%AA%E5%87%BA%E7%99%BA&oq=%E9%99%A4%E9%9B%AA%E5%87%BA%E7%99%BA&gs_lcrp=EgZjaHJvbWUyBggAEEUYOdIBCTE0OTc1ajBqN6gCCLACAQ&sourceid=chrome&ie=UTF-8#fpstate=ive&vld=cid:013d7969,vid:TGTeshY2kvE,st:0

 年の瀬が近づくと、ハラハラと年賀欠礼のハガキが届き出す、今年もまた・・・
 会社時代に直接の上司ではなかつたが親しくしていただいた大野さんが亡くなつた(享年89)、欅グループの親しき先輩小瀬さんが亡くなつた(享年82)。小生は淡々と書いてゐる、と云ふのは小生ももう直ぐで、小生より少し早く逝くべくして逝つたのである。そうだみんな逝つてしまふのだ、最近は実感としてそれが分かつて来たので、そうなんだなあ、みんなそうなんだと思ふやうになつた。

 去年、同じ欅グループの少し先輩の古田島さんが亡くなつて(享年84)、奥様から同じやうに訃報が届いてゐた、じつはこのハガキは今でも小生の眼の前の壁に留めてある、お晦みをお晦みをと思ひながらとうとう一年経つてしまつた。

 その人の死生観、宗教観にもよるが人が死ぬと周囲の人は悲しむ、そして、家族に見守られて幸せさうに死んでいつたとか、一人で寂しさうに死んでいつたとか、いろいろ人の死について想ふ、しかし、それらはそう本人が思つてゐるのではない、あくまで本人とは別の第三者が思ひ云つゐるだけで、本人には全く関係がないのである、人は一人で生まれて一人で死ぬ、その人の人生は、その人が亡くなることでその人がずつと生きてきたその間の諸々のことは總て「無」になる、この無は「ゼロ」の意味の無ではない。ゼロにはその前後にプラスもマイナスもつながつてゐるが、この「無」絶対的な「無」で、後に残つた人が、その人に対してどうだつた、こうだつたと云ふだけで本人には全然関係がないことなのである。だから小生自身も最近は突然やつてくるだらうその日は全然とまでは云はないが怖くない、不安でもなくなつて来てゐる、とにかく本人にはその瞬間は自覚のしやうが無いからである、分かり易く云へば、全身麻酔である。小生は全身麻酔を二度経験してゐる、小生は全身麻酔が全然怖くない。覚醒して初めて生きてゐることがわかるが、もし覚醒しなければ、本人は全く知らないことなのだから、これはある種「悟り」のやうなものである。

 宇宙の果てはどうなつてるのか、宇宙はこの瞬間にもどんどん膨張してゐると云ふ、でも、小生なんかその膨張してゐる向う側に無の何かがあつて、膨張する宇宙の境界がある、だから宇宙の境界の向うは何なんだといつも思つてゐるのだが、ビッグバンで無のところに突然宇宙が生まれて・・・でなくて絶対的に説明がつかないが無のところに宇宙が生まれて、無のところとはどこだ、一体小生は何を云つてゐるのやらである。半導体メモリで云ふならば、人の人生はSRAMでなくてDRAMのやうなものである、これはわかるな。

 そして、まもなく、とは分かつてゐながら、本人はまだ全然そのつもりでない、決して多分何歳になつてもだらう、組内で葬式が出る、必ず次があるはずであるが、誰も次は自分だとは思つてゐない、何歳になつてもだ、これが人間だ。


令和 6年11月21日(木)

 曇り、今日はそのせいで、気温は低くならなかつた。
  最低気温 7.8℃ (00:39)、最高気温 15.4℃ (15:29)

 阿蘇五岳

 登校時 定点撮影・その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2

 くくり罠はバネの力でイノシシの肢をワイヤーで拘束する仕組みになつてゐるが、そのバネが非常に強力で、バネを圧縮して筒に納めるのが大仕事である、青壮年だとそれが出來るのだらうが、小生のような年寄には膂力が足りなくて、どうしても筒にバネを圧縮して納めることが出來ない。だから年寄(だけではないが)はもう一つのバネを折り曲げて使う方法でワナを作る。
 小生はバネを筒に納める方法をやりたいので、あまり力を使わずにバネを納める方法が無いものかと考えて、ハンドウインチの力を借りてやることをだいぶん前から試行してゐる。

 軽トラの荷台などに一時的に固定したりしてやつてゐたが、携帯式を作ろうと、廃物利用で、色々なものを使つて、なんとか、それらしきものを作つた。とりあえずはこの道具でバネをセットすることが出來るやうになつたが、使い勝手、スマートさに欠けるのでこれからも少しずつ手直しをして行きたい、今日は一日これをやつてゐた。

 神石の巧さんが、我が家と同じやうに畑や庭にイノシシがくるので困つてゐると、今日、小生の罠猟の塩梅を見学にやつてきたので免許取得を勧めてをいた。


令和 6年11月20日(水)

 晴れ。今朝は車のウインドウはガチガチに凍つてゐた、田にも霜が降りてゐた
  最低気温 1.2℃ (06:46)、最高気温 16.4℃ (12:26)

 阿蘇市のアメダスポイントの阿蘇乙姫では氷点下まで下がつたさうだ(-0.5℃)、阿蘇乙姫はカルデラ内の平野部にあり、我が家は外輪際にあるので、放射冷却の時は平野部のほうが山付きよりも気温が低くなる。
 今日は全国的に気温が下がつたのだらう、熊本県も殆のところで「今季最低」だつたやうだ

 我が家は昨日ほどの寒さは感じなかつたので、ストーブは焚かなかつたが、特に寒いと云ふ声は無かつた、それに日が昇ると一気に暖かくなるので、本当に寒くなるのはも少し先になるのだらう。

 阿蘇五岳 1
 阿蘇五岳 2
 阿蘇五岳 3
 阿蘇五岳 4
 阿蘇五岳 5
 
 登校時 定点撮影・その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2写真3

 「お知らせ端末」の更新があつた、お知らせ端末とは昔で云ふ有線放送のやうなもので、阿蘇市の全世帯に光回線の端末として無料で設置してある。
市からの広報などはこの端末を通じて行われる、その他にテレビ電話機能があり、カラー映像で相手を見ながら通話ができる、この端末を利用する阿蘇市民は域内のテレビ電話は無料(域外には掛けられない)である。

 ところが、少なくとも我が家では(恐らく掛かつてこないとことろをみると他のお宅もだと思ふが)、不思議と市内の知り合いなどに電話をする場合、このお知らせ端末を使うことは無い、設置された当初から、お知らせ端末のテレビ電話は子供専用で、子どもばかりが使つてゐた。

 ドッグイヤーと云はれるやうにコンピューター機器の進歩は早いが(逆を云ふと陳腐化が早い)、当市ではお知らせ端末を設置して以來何年になるのだらう、通信回線は光なのに端末が古いので反応が非常に遅かつたが、漸く新しい機種が入ることになり、今日その設置があつた。新しい機種はスマホのやうに指先で画面のスクロールが出來るが、説明書を読んでゐないので詳しいことは分からない、新しくなつても、市からの広報専用で、それ以外の使い道は無い。。

 くくり罠の整備などをした。


令和 6年11月19日(火)

 いつものやうに3時ころ目が覺めて、寒暖計を観たら外気温は6℃くらいあつた、部屋のなかもまだ冷えてゐなかつたからストーブはいいなと思つてゐたら、4時を過ぎた頃には、予報通り外気温が4℃台まで下がつてきて、座つてゐても少しヒヤヒヤしてきた。それでも面倒だからストーブは焚かなかつたのだが、そのうちに、いずれストーブは焚くことになるのだからと、試運転的に火を焚いた、今日が今シーズンのストーブの焚き始めになつた、やはり焚くと暖かい、毎年焚いてゐても最初のうちは、鉄が焼ける匂いがする。
 
 先月だつたか、割れた前面の扉のガラスを保存してあつた古いガラスと交換したり、ガスケットを貼り替えたりしてからまだ試運転をしてなかつたのだが、今朝火を点けて扉の合わせ目に隙間があることが炎の明かりで気がついた、ヒンジの調整がうまく行つてなかったやうだ、昼間、火が落ちたあとで調整した。

 我が家には暖房器具と云へば、この薪ストーブ一台しかない、これから春先まで、我が家の暖房の命綱になる。外に居るボンは寒くても平気だが猫どもにとつてはこれから苦難のシーズンが始まる。

  最低気温 2.7℃ (06:48)、最高気温 12.5℃ (13:44) 結局今朝は2.7℃まで下がつた、明朝は0℃まで下がる予報だ。

 登校見守りで家を出やうとしたところ、車のウインドウがもう凍つてゐた。まだ指先でこそげ落とせるくらいだつたが、不思議と車はフロントが真つ先に凍る、いつも慌てるので、霜取りを探し出して用意した。このくらいでもワイパーでは落とせない。

 阿蘇五岳 1
 阿蘇五岳 2
 阿蘇五岳 3
 阿蘇五岳 4
 阿蘇五岳 5
  今日は夕方觀ると珍しく盛大に噴煙が上がつてゐた
 
 登校時 定点撮影、その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2写真3写真4写真5

 今日もいつものやうに、ふと思い立つて、表の方の薪小屋の整備をした。夏の間、薪が少ないのを良いことにして、物置小屋のやうに色々なものが放り込んであつたが、薪を納めなければならくなつたので整理をした。小屋のスペースを二分割して、薪を入れる場所、そのほかの道具類を入れる場所に分けた。なんだかんだで一日仕事になつた。

 この人は、基本的に何か欠けてゐる、挨拶する時は立つてするのが礼儀だらう、しかも外交の舞台で相手国のトップとの握手だ、今回座つたまま握手したのはたまたまかと思つたら小生が見た映像では二人に対してだつた、集合写真には遅れるわ、それに以前に見た映像、ご飯の食べ方が非常に汚い、端的に言つて下品である、人相が悪いのに加えてこんなやうでは長くはないぞ。

 紅白歌合戦の出場歌手が発表された、小生はもともと観ないのだが、今回出場者を觀ると殆ど知らない歌手ばかりだ、やたらと横文字で個人なのかグループなのかさえ分からない、イメージすら浮かばない、小生が知つてゐる歌手、女性では演歌歌手が少し残つて居るやうだが、男性歌手の演歌歌手はゼロなんじゃないかなあ、今の若い人はテレビを観ないだらうし、高齢者は演歌歌手が出ないと観ないのではと思つたが、小生が思い浮かべる高齢者は小生くらいから上の年齢の層を想像するが、今や高齢者とは小生よりずつと若い人も入るのだらうから、さうなると、高齢者もこれらの人選は受け入れられるのかな。


令和 6年11月18日(月)

 晴れ時々曇り、曇り時々晴れ。
 今日は昨日までと比べて全国的に気温が低かつたやうだ、当地も云はれてみれば昨日までとは違つてゐたやうだが、実感としてはあまり感じない、明日は更に冷え込むらしい、そろそろストーブの出番かもしれない。
  最低気温 8.1℃ (18:08時点、今夜もつと下がるだらう)、最高気温 15.3℃ (10:09)

 阿蘇五岳 1
 阿蘇五岳 2
 阿蘇五岳 3
 阿蘇五岳 4
 阿蘇五岳 5
 阿蘇五岳 6
 阿蘇五岳 7
 こんなに沢山写真を載せることもないのだが、取捨選択が面倒で、どれもそれぞれ捨て難いものがあるので全部載せた。

 登校時 定点撮影、その他写真1写真2写真3写真4写真5
 下校時 写真1写真2写真3写真4写真5

 午前中、市役所の会議室で、区長、民生委員、福祉協力員などが集まつて、社会福祉協議会の「阿蘇市やまびこネットワーク福祉の地域づくり研修会」があつた。坂梨地区だけだつたらうか(他の地区も居たな、でも一の宮地区全部ではなかつたやうだつたが)、各行政区からの参加者がランダムに班分けされて、大昔に会社時代にやつたKJ法で意見を出し合って、ワークショップを行いテーマをまとめて発表した。随分久しぶりのことで結構楽しかつた。

 なんじゃあこれは、兵庫県知事選の結果に驚いた、あれだけメディアに叩かれ続けた斎藤前知事が圧勝で再選された、他県のことなので小生は色々なメディアの見出ししか観てこなかつたから、斎藤前知事がずつと「けしからん奴」だとばかり思つてゐた、ところが兵庫県民は然うは思はなかつたやうだ、小生はいつもマスゴミと云つてゐるが、まさにマスメディアはゴミである。対立候補の稲村ナントカさんの政治や思想背景や応援団についても知らなかつたが、兵庫県民はそれを知つてゐたのだらう。ヘッドラインだけ眺めてゐたのでは真相はわからないもものである、これから先、全会一致で斎藤知事を不信任した兵庫県議会や稲村ナントカさんを推した兵庫県の"有志市長"たちはどうするのだらう。

 石破総理、ペルーのAPEC首脳会議の閉幕集合写真の撮影に間に合わなかつたらしい、次から次に間の悪い人だ、次から次の具体事例は思いつかないがなんとなくそんな印象を与える総理だ、これもメディアがする「切り抜き報道」によるものなのか。



令和 6年11月17日(日)

 曇のち、時々細かな雨が降つてゐたやうなゐなかつたやうな・・・・なんとなく肌寒い一日だつた。今日は晴れときどき曇りの予報だつたが少し違つてゐた。
  最低気温 14.2℃ (02:36)、最高気温 18.3℃ (10:48)

 阿蘇五岳
 
 阿蘇五岳のライブカメラを覗いたら、人が映り込んでゐて、長い棒状のものを高く掲げてゐた、アンテナのやうにも見えるし、自撮り棒のようにも見える。このライブカメラはリアルライブでは無く、かなり時間遅れの映像なので、細かなことはわからなかつた。

 今日は特に何もしなかつた、イノシシ捕獲後に行ふ自作道具の制作材料を少し買つてきた。

 予定日を一日過ぎたが、ボンのフィラリアなどの予防薬を飲ませた、ダニや回虫などの予防薬も含んでゐるのでフィラリアの蚊の季節は終わつたけど毎月飮ませることにした。
  写真1写真2


令和 6年11月16日(土)

 薄曇り
  最低気温 14.8℃ (06:51)、最高気温 19.2℃ (11:59)

 阿蘇五岳 1
 阿蘇五岳 2
 阿蘇五岳 3 

 今日は薪小屋の番線縛り竹の焼却やくくり罠の整備や特にやらなければならないものでもなかつたが、少しずつそんなことをしてのんびり過ごした。


令和 6年11月15日(金)

 今日一日降るかな降るかなと思つてゐたがなんとか降らずに濟んだ。天気があまり良くないせいもあるのだらうが、朝6時、カメラを見ると真つ暗で故障してゐるのかと思つたらまだ外は真つ暗だつた、こんなに夜明けが遅くなつてゐたのか。
 モミジ、今ピークかな、これで日が当たるともつと鮮やかなのだが。
  最低気温 13.9℃ (01:44)、最高気温 21.6℃ (13:29)

 阿蘇五岳

 登校時 天気(雲はかかつてゐたが降らなかつた)
 定点撮影、その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2写真3

 軽トラックのクレーンのブームの突端にあるワイヤーが通るローラーが回らないまま長期間使つてゐてあので、ローラーばかりでなくローラーの軸まで半分も削れてしまつたので、ローラー代わりに戸車をひつくり返してブームの突端につけることにした。

 台座ごと戸車を溶接で付けようとしたが、戸車の台座の半分が邪魔になるので、車輪部分だけ台座から取り外して、ブームのローラーが付いてゐた場所に取り付けて、修理が完了した、ちよつと軸が細いかな。

 我が家の上空を西から東へオスプレイが飛んでいつた、今日はかなり上空を一機だけだつたが、先日は三機、割と低く飛んで行つた。何処から何処向けだらうか、爆音がヘリコプターでも無く、プロペラ機でも無く、独特の爆音である、いつもはカメラを取りに行く時間が無くて撮り損なふが、今日はたまたますぐ近くにカメラがあつた、むしゃんよか!

 またご近所から里芋を頂戴した、前回別のお宅から頂戴した時もイカが無かつたので、その時は里芋の煮つころがしを作つたが、これはこれで非常に美味いのだが、どうしても今回はイカも一緒に煮たかつたので、スーパーに行つたけど、最近はイカが不漁らしくて売つてゐない、そこで、阿蘇にある鮮魚の専門店に行つた、ここにはイカがあつた。ただ、ここのイカは刺身用でまだ生きてゐる、レジを頼んだあとなので、煮物用が欲しかつたのだけどとは云へず、バカ高かつたけど買つてきた、アオリイカの立派なやつだ。刺し身にしやうかなと思つたが、今回はあくまで里芋と一緒に煮ることに決めてゐたので、穫れ穫れの里芋と獲れ獲れのイカで大根と人参も入れて煮物を作つたぞ。


令和 6年11月14日(木)

 晴れ、時々曇り。
  最低気温 10.2℃ (00:24)、最高気温 22.2℃ (12:37)
 まだ本格的に寒くないのだから、何も土台から寒さ対策をする必要はなく、脱着が簡単に一番上の防寒着で調整すれば良いことに遅まきながら気がついて、今日は見守りから帰つてからも昨日以上の暑さに苦しむことも無かつた、最初から然うすれば良かつたものを、アホである。

 阿蘇五岳 1
 阿蘇五岳 2

 登校時 定点撮影、その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 有害鳥獣(イノシシなど)を捕獲した際に、市に捕獲報告をしなければならないが、その時に添付する証拠写真に捕獲の内容も表示する必要がある。その表示方法、手作りのボードでも、多分カレンダーの裏紙でも構わない(と思ふ)が、一般的に工事の記録写真を撮る際に使う「黒板」が使われる。先日、小生の初捕獲の際には一切準備をしてゐなかつたので、岩永さんにお借りしたが、毎回借りるわけにはいかないので、ホームセンターで買つてきた

 薪小屋の細々とした手入れで、竹を横桟に使ふために支柱のパイプに取り付けるとき、シノといふ道具を使つて番線で縛る方法を過去何度もやつてゐるが、それでも然う然う日常的にやるものでもなく、技が身に付いてゐないのですぐに忘れてしまつて、ネットを観て思ひ出しながら縛つた、ロープワークだとかその他にも色々あるが、斯う云つた職人技と云ふものは惚れ惚れするほど素晴らしいものである。



令和 6年11月13日(水)

 晴れ。朝のうちヒートテックの下着を着てそのまま外で作業などすると、暑い暑い。分かつてゐるから見守りなどの朝の仕事が終わつたら直ぐに脱げばいいのに、面倒で、暑い暑いと云つて着たまま一日過ごしてゐる。
  最低気温 8.2℃ (04:49)、最高気温 19.7℃ (14:48)

 阿蘇五岳 1
 阿蘇五岳 2
 阿蘇五岳 3
 阿蘇五岳 4

 登校時 定点撮影、その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2

 チェンソーのリコイルスターターのヒモが切れたので、ホームセンターで買つてきたが、少し太い。3mmが欲しかつたのだが4mmしか無かつたのでそれで足りるかと思つてゐたらやはり太すぎて穴を通らない。駅前にチェンソーなどのブランドメーカーの代理店があるので、そこにあるかなと思つて行つてみたところ、そこにはあつたが、値段がホームセンターのものに比べたら3倍くらいする、でも無ければ困るので、それを買つてきて修理をした。
 
 修理が終わつて、試運転、岩のやうな大きな木のブロックを細分した

 続いて、小さな方のチェンソーも平ヤスリで目立てをしてみたが、これも結果は良い、細めの薪材を少し切つて薪を作つたがやはり疲労が溜まつてゐて疲れるので今日は少しだけでやめた。
 
 先日、薪小屋のシート屋根を貼り替えて、張替えの効果は雨が降らないと判らないから降つてから評価をしやうと思つてゐて忘れてゐた、今日思い出して屋根を見てみたところ、やはり雨が溜まつてゐた、でも、今日改めて手直しをしたから多分次回は大丈夫だらうと思ふ。
 
 昨日だつたか、イノシシの肉の貰い手がどうしても見つからない場合、最終的にクマの餌になんかどうかと思つて日記にも書いたが、ネットでちよつと調べてみるとクマは雑食性の動物だが基本は餌は木の実なんかが主のやうな感じがする、肉も食べるやうだがライオンのやうな肉食性の動物ではないのでそれほど沢山は食べないやうな気がする。太郎の学校仲間のお父さんが確か熊牧場にお勤めだつたと思ふから、そのうちに聞いてみやうと思ふ。


令和 6年11月12日(火)

 晴れ。ヒートテックの下着を着てゐると暑い。
  最低気温 9.8℃ (06:08)、最高気温 19.4℃ (14:33)

 台風が22.23.24.25号一度に四個もか、どれも日本には来ないのだらうが、なんとも忙しい。

 阿蘇五岳 1
 阿蘇五岳 2
 阿蘇五岳 3

 登校時 定点撮影、その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9
 下校時 写真1写真2写真3写真4写真5

 大きな方のチェンソーの目立てをして、試し切りをしたところ思ひのほか切れ味が良かったので、今日は薪作りをしないつもりだつたが、勢いで杉材ばかりが積んであった場所、全部玉切した。

 チェンソーの目立ては普通は丸いヤスリを使うが、プロなんか平ヤスリを使うらしい、で、小生も平ヤスリで目立てをしてみたが、丸ヤスリだと上刃の研ぎが難しいが、平ヤスリだと非常にシャープに研げることが分かつた。

 それはいいが、チェンソーのリコイルのロープが先日補修したばかりなのに又切れた、ローブ全体が老朽化したのだらう、明日にでも取替へやう。


 二拠点生活、阿蘇のアトリエで大作に挑み、そして阿蘇をエンジョイしてゐた横澤さん、冬を避けると同時に向うでの仕事の都合で近々來春まで東京に移動ださうである、最後のダベリングに御入来。

 夜、太郎が無事に修学旅行から帰つてきた。


令和 6年11月11日(月)

 今日は晴れた。今日は暑いくらいに気温が上がつた(暑いと感じるのは冬の服装だからである)。
  最低気温 13.9℃ (03:59)、最高気温 22.1℃ (14:19)

阿蘇五岳

 登校時 定点撮影、その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2写真3

 
 今日改めてイノシシから取り外した罠を見てみたが、グシャグシャにひん曲がり、ワイヤーも切れかかつてゐて危ないところだつた、それから罠の踏み板も割れてバラバラになつてゐた。また何個か買わなければ。
 
 市の農政課に捕獲報告書を提出してきた。おんぶにだっこで岩永さんが報告用のボードや証拠写真や証拠品として切取つた尻尾入れの袋まで用意してくれた。農政課では今後はこの袋に尻尾を入れて出してくださいとジップロックを一箱くれた
 この報告で、後日、確か幾ばくかの報奨金が出るはずだが詳しくは知らない。

 イノシシの肉の行き先、こころあたり数件に電話してみたが、一軒だけ喜んでくれた人が居たが、ほかはみんな遠慮するといふお宅ばかりだつた、田舎の人も昔と違つて現代はあまり「ジビエ」は食べないみたいで、料理方法が分からないと云ふところが多かつた。

 小生は単純にフライパンで焼いて塩とコショーで食べてみたが、イノシシは脂身が命で、分厚い脂肪分はこれは非常にウマイが脂身ばかり食べるわけには行かないからなあ。
 
 道路の向かいにある建築会社の現場事務所に人の出入りがあるから、押しかけて行つて、食べてみろと置いてきた。まだだいぶん残ってゐるが、とりあえず数ブロックに分けて冷凍庫に入れてをいた。

 この先、またこのやうな状況になつたらどうしやう、引き受け手を探さなければならない、小国にはジビエ専門の店もあると云ふ、阿蘇市には無いのか、観光阿蘇を謳うのなら「あか牛丼」ばかりでなく、誰かジビエの専門店を作つてくれ~ https://stap.oguni.info/?p=535 「時さん自然恵(ジビエ)」

 いよいよとなつたら、「熊牧場」かなあ。

 ボンに少し切つてやつたところ、ボンのやつ、生だと食べないので、少し焼いてからやると、分厚い皮まで食べやがつた、隊長の家の猟犬数匹は生でもバクバク食べてゐたけど、「育ち」の違いかなあ。


令和 6年11月10日(日)

 曇のち雨
  最低気温 12.9℃ (04:43)、最高気温 18.5℃ (11:32)

 阿蘇五岳

 朝、ボンの散歩に出でやうと我が家の入り口のところまで来たところ、なんと、イノシシがワナに掛かつてゐた、我が家では庭でイノシシも捕れるのです。

 それがまた途轍も無く大きいやつで(と云ふほどまでは無いかもしれないが)、とにかく小生が去年狩猟免許を取つて以來初めての獲物である。皆さんが云ふには90キロは超えてゐるだらうとのことだつた、まるまると肥えた雌のイノシシだつた。

 急遽散歩は中止にして(夕方に回して)近くの狩猟仲間(先輩)の渡辺さんと岩永さんに来てもらつた。
 小生はワナを掛けるところまではしたが、掛かつた後の獲物の処理については全く準備をしてゐなかつた。本来なら、自分で「止め刺し」をしなければならないのだが、その道具も無い。
 
 「止め刺し」とはイノシシに引導を渡すことで、鉄砲で一発で仕留める方法があるが、これは、(勿論資格は要るが)住宅地では出來ない(刑法罰で非常に厳しく罰せられる)、後は、棍棒で殴り殺す、長い刃物を使つて心臓を一刺しするなどである。一番楽な方法は電気ショックである。

 電気ショックはインバータを経て小型バッテリーから100Vに昇圧した電流を作つてイノシシに電極を突き刺して絶命させる方法である。今日のイノシシくらいの巨体ともなるとなかなか強靭で刃物で一刺しでも電気ショックでもなかなか絶命しなくて時間がかかつた。

 止め刺しは、小さな個体の場合はさうでもないが、大きな獲物になると、命がけの仕事になる。箱罠に入つたイノシシだと、トドメを差す側も檻で保護されるので安全だが、くくり罠になると、肢一本にかかつたワナだけでとりあえず動きが止められてゐるだけで、ワイヤーの長さだけイノシシの動きは自由である、それに肢首への罠のかかり具合でしつかりとかかつて居ればよいが、蹄先部分に中途半端にかかつた状態だと、突進してくるとワナが外れる、また、ものすごい突進力があるので、自分の肢首を引きちぎつてまでしてワイヤーから逃れるイノシシも居る。
 
 今日のワナはしつかりと肢首にかかつて抜ける心配は無かつたが、止め刺しをしてからワナを外すときにみたところ、ワイヤーが切れかかつてもう少し放つておくと、ワイヤーを引きちぎられて居たかもしれなかつた。

 イノシシは「猛獣」である、ワナに使うワイヤーは一般的にΦ4mmの撚り線を使うが、イノシシは逃げるために木の幹に絡みつけたり暴れまわるので結構切れることがある。イノシシは人から離る方向に逃げやうとせず、人に向かつて吠えながら突進してくる、これは怖い。
 
 渡辺さんと岩永さんに止め刺しをお願いして、引導を渡したあと、その後の指示を仰いだところ、これから隊長のところに運んでそこで解体するからと云はれたので軽トラックに乗せて運んだ。

 小生の仕事は運び込むまでと思つたら、解体処理まで全部やるから手伝うことになつた。
 
 イノシシの処理の方法はネットなどで見ると色々な方法があるやうだが、ここでの処理方法は、イノシシの体に熱湯(と云っても、聞いたところ75℃ださうだが)を掛けたあと硬いものでこすると、毛はどんどん抜けて、抜けたあとは真つ白な皮膚が出てくる、肉処理工場でフックにぶら下がった処理された豚肉と同じやうな真っ白な肌である。

 熱湯を掛けて毛を抜いて驚くほど白くなつたイノシシの肌、これで解体準備完了かと思つたら、更にヒゲを剃るカミソリで丁寧に肌をあたつてゐる、少しでも毛が残つてゐると貰つた人が、料理する時に嫌な気持ちになるだらう、だから、きれいにするのだと云ふ、人によつては毛が残つた状態で人にやつたりするらしいが、皮までは食べないにしてもここまで細やかな心遣いをするのには見てゐて驚いた。

 そのあとは、上から下まで包丁でまっすぐに内蔵を傷めないやうに刃物を入れて解体していくのだが、これから先は、グロテスクになるかもしれないので「省略」である。
 
 解体時の写真を含む 人によつては見ないほうがいいかもしれません
 イノシシ捕獲初体験 連続写真 1/2
 イノシシ捕獲初体験 連続写真 2/2

 先週だつたか、我が家に居付いてゐたノラネコが死んだ時には情が移つてゐてその死に心が痛んだのにイノシシを捕獲して平気で処理をする心理、これはなんなのだらう。

 肉屋のショーケースに沢山並んだ肉を見て、普通、誰が心を痛めるだらう、これと同じなのだらうか。イノシシを捕獲した時点で人の気持は肉屋に並ぶ肉と同じ心境でイノシシに向かい合つてゐるのだ、考えてみると人間とはいかにも身勝手な生き物ではある。

 今日は小生が捕つたイノシシの他にもう一頭オスが運ばれてきてをり、結局夕方までかかつて二頭の処理を手伝つた、小生は大した手伝いはしなかつたのだが、それでも終わつた時はもう疲労困憊した。

 自分一人でやつても勿論いいが(やる人も居るが)、結構大変な作業なので、処理に慣れた隊員が何人かが一緒になつて解体処理する。イノシシを捕獲すると例えば痩せすぎてゐるとか小さすぎるとかいろいろな理由で食べない場合は埋設処理をするが、食べる場合はジビエの専門業者が居れば引き取つてくれるかもしれないが、阿蘇市にはその業者が居ない(小国には居るやうだ)、だから自分たちで解体処理することになる。

 処理したイノシシは、捕獲と解体処理にあたつた人員で等分して持ち帰る、これがルールらしい。小生も相当量の肉を貰つたが、我が家ではとても食べ切れない、ご近所に配りたいのだが、イノシシの肉は豚肉系だとは云へ結構クセもあり、食べてもらえる人の情報もないので、どうしたものか、とりあえず、いくつかのブロックにして冷凍保存することにした。この先、またなんどもこのやうな機会があるだらう、肉の貰い手の情報も集めなければならない。
 
 小生の日記を読んで、食べるぞと云ふ人があれば名乗り出てほしいところである。


 小生はyoutubeは觀るばかりで自分から映像をUPしたことは無い、別にyoutuberになるつもりもないしUPすることなど今まで考えたこともなかつた、だからその方法も知らない。でも小生の日記から自分で撮つた映像をリンクしたら、管理が楽かなあなどと思つたりもしてゐるが、難しいのかなあ、費用がかかるのかなあ、昔は何にでも飛びついてゐたがやはりトシなんだなあ、ひとつUPの方法を調べてみるか。

 中学二年坊主の太郎が今日から二泊三日で修学旅行にでかけた、沖縄ださうだ、今の中学生、豪勢だなあ。小生の頃は、国鉄の今でいふ在来線の夜行列車でその後にできた修学旅行専用列車などまだ無くて座席だけでは狭いので座席下や通路に新聞紙を敷いて寢た思い出がある(ン?これ高校だつたらうか)、ずつと後年になつて新幹線で修学旅行と云ふニュースを見て、へえ、新幹線かと世のなかの進み具合に驚いたものである、それが今では飛行機である、飛行機が初めての子も結構居るのだらう、それだけでも素晴らしい経験だ、楽しい旅になるといいが天気がちよつと心配だ。


令和 6年11月 9日 (土)

 晴れのち曇り、雨に向かいつつあるか。モミジがだいぶん色づいてきた
  最低気温 10.7℃ (01:11)、最高気温 20.3℃ (12:55)

 阿蘇五岳

 ボンを繋いでゐるワイヤーの撚りがほつれてきたので新しく作つて交換した。ボンのやつは放たれるとどこに行くか分からないので早めの手当である。昔はC國製のでステンではないので錆びて直ぐに切れる専用ワイヤーを買つてゐたが、近年は自作する、何十分の一かの値段である(Φ2mmのステンの撚り線)

 次に薪にする木の山がある一角の、草や蔓蔦や竹を切つたりして作業環境を整えて午前中は終わり、午後から、チェンソーで切ろうかと思つてゐたが、アブラムシ(雪虫)が飛び始めたことや連日の作業で疲労が溜まつてゐたりで今日はもう作業はしないつもりだつたが、午後になつてまたいつの間にか作業をしてゐた。

 それにアブラムシが思つたほど多くなく、それもいつの間にか居なくなつた。思ふに、今年は、先日、台風21号くずれの温帯低気圧で、かなりのまとまつた雨が降つたので、その時に、普通なら大量発生するはずだつたのに雨で羽化したアブラムシが大量に流されて、その後、発生数が少なくなつたのではと素人判断をしてゐる、もう、アブラムシ発生のピークは過ぎてゐると思ふのである。

 今日は、一山を薪にして、その後、半分埋もれた状態にある、杉の幹を数本掘り出して、切りやすいやうに移動させた。杉材は、できれば遠慮したいのだが、然う然う勝手なことを云へる立場ではないので、頂戴できるものは難有く頂戴することにして、それが、もう一年ほど放置状態にあるので、とにかくこれを薪にしやうと切ることにしたのである。

 杉材は乾燥するまで非常に時間がかかる、雑木はそんなに乾燥してゐなくても燃えるのだが、杉材は乾燥してゐないとなかなか燃えない上に、乾燥した杉材はあつと云ふ間に燃えて火持ちが良くないのである。



令和 6年11月 8日(金)

 爽やかに晴れる。日中もあまり気温が上がらなかつたやうだが、日差しがあつて体を動かしてゐたので気持ちが良かつた。
  最低気温 7.7℃ (06:07)、最高気温 16.2℃ (13:35)

 阿蘇五岳 1
 阿蘇五岳 2
 阿蘇五岳 3

 登校時 定点撮影、その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9
 下校時 写真1写真2写真3写真4写真5

 いやあ、切つた切つた、一日中薪を作つてゐた、ヘトヘトになつたが、気持ちの良い疲れ方だつた、もうしばらく続く。


令和 6年11月 7日(木)立冬

 今朝は予報通りに4℃まで下がつた、暦通りだ、ただ、まだ室内は昨日までの保温状態が続いてゐたので全く寒くなかつたので昨日薪を準備したストーブの出番は無かつた。
 登校見守り時には迷わずヒートテックの下着を着ていつた、もう無理はしないことにした。
  最低気温 4.0℃ (05:33)、最高気温 16.4℃ (14:20)

 阿蘇五岳 1
 阿蘇五岳 2
 阿蘇五岳 3

 登校時 定点撮影、その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 ボンの散歩コースは国道・県道工事が始まつて、道路が寸断されたので途中で折り返してゐたが、最近は工事も進んでなんとか工事中の道路を突つ切つて渡ることが出來るやうになつたので昔通り工事が始まる前まで歩いてゐた一周コースを歩くことが出來るやうになつた、勿論「勝手踏切」「勝手橋」のやうなもので「勝手横断歩道」である。工事が始まる時間前もあつてか特に咎められたり制止されることもない。

 今日も薪を切つた、結構疲れる。

 浄化槽は普段は隔月で機能チェックがあるが、その他に年に一度の浄化槽の汲み取りがある。今日その浄化槽の汲み取りがあつた。浄化槽は普段は汚水汚物などを曝気して「無害化」して透明になつた上澄み部分を下水溝に排出するが、これは下水道設備のがある都市部と理屈は同じである、下水道が完備してゐるところは一箇所に集めてそこで同じやうなことをやつて、きれいになつた下水を川に流してゐる。浄化槽で分解できなくて浄化槽の底に沈殿した汚泥を、年に一度バキュームカーで吸い上げて、下水処理場に持つていつて、それはどう処理されるのだらう、一部は有効利用されて、肥料になつて一般販売されるが、大部分はどうなるのだらう。

 トランプがアメリカの大統領に決まつたやうだ。日本にとつてどちらが良かつたのかは小生如きにはわからないが、キャラクター的には小生はトランプのほうが好きである。それに小生は、quotes(” ”)付きの"民主党"は好きじゃないしquotes(” ”)付きの"リベラル"も好きじゃないのだ。


令和 6年11月 6日(水)

 晴れ、時々曇り、気温が下がつてきた、明日の朝は更に下がつて、4℃だとか、もう下界では冬の気温だ、明朝慌てなくて良いやうにストーブに薪を入れてをいた、薪はまだストーブの近くに毎日用には用意してゐない。
  最低気温 8.4℃ (06:08)、最高気温 17.8℃ (15:05)


 阿蘇五岳 1
 阿蘇五岳 2
 阿蘇五岳 3

 登校時 定点撮影、その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2写真3写真4写真5

 大きな方のチェンソーの目立ての準備をしたが、大丈夫さうだつたので、試しに、太い木を引いてみたところ、問題がなかったので、今日は太い木ばかりを玉切した。
 
 途中で、チェンソーのリコイル用のヒモが切れたので、修理がてら、エアコンプレッサーで掃除をした。 

 二台目の車検が終わつた。今回は二台とも大きな整備は無かつたので、心配して居たが、車検費用は大丈夫だつた。


令和 6年11月 5日(火) 電報の日
 何か小生が好きな歴史的因縁でもあるのかと思つたら、ただ単に電報の申込み番号の115から来ただけらしい、つまらねえ。

 薄曇り。
  最低気温 10.5℃ (07:12)、最高気温 19.8℃ (12:32)

 阿蘇五岳 1 漸くライブカメラ復旧したやうだ
 阿蘇五岳 2
 阿蘇五岳 3

 登校時 定点撮影、その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9
 下校時 写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 薪作りの準備をしなければ
 今日は小さな方のチェンソーを一台目立てをした
 目立てをしたついでに、薪を少し作つた。我が家は太い木のままストーブに入るので、あまり割る必要がなく、大体玉切りだけで濟むから一般の薪割りに比べたら楽である。ただ、今日はまだ体が慣れてゐないので、少し切つただけでバテてしまつた。

 輕四輪を車検に出した。


令和 6年11月 4日 (月) 振替休日

 晴れ。少し朝の気温が低かつたが、日中は逆に暑いくらいだつた。
  最低気温 7.2℃ (07:15)、最高気温 22.2℃ (14:10)

 昼前に夏子が遊学先に帰つていつた。今回の帰省の目的は、車を取りに来たのである。来春にはもう卒業なので、大都市と違つて車は必需品なので、少し早めに購入した、その車が少し前に納車されてゐたのだ。購入の経緯は小生は全く関知してゐないので知らない。
 以前、帰省した時に母親とディーラー巡りをしてゐたので、その時に決めたのだらう。

 すごいなあ、最近は軽自動車でもハイブリット車で、バック用のカメラなんかも付いてゐたり、よく知らないが車線をズレたりすると警告音がなつたりするらしい。お父さん一緒に乗つてと言われたが、小生はハイブリット車なんか一度も乗つたことがないし、完全に未知の世界だから、謹んで辞退した。

 今日、帰るにあたつて、一人で運転して長距離を帰らなければならないので、母親が少し遅れて追跡して、ハテ、どこまで、行くのか知らないが、出発していつた。疾つくに初心者期間は卒業してゐるにもかかわらず、若葉マークを貼つて帰つていつた。


 午後3時48分、何度か延期されたH3ロケット4号機が種子島から打ち上げられた。当然見えると思つて、登校見守りの場所で待つてゐたが、航跡は見えなかつた、どうしてだらうか、視界は悪くなかつたので一号機と同じ条件であれば見えたはずだが見えなかつた。解説を読むと、難しくてよくわからなかつたが、もしかしたら打ち上げの方向が前回と少し違つたのかもしれない、残念だつた。

 焚き火をしながら、とりあえず、薪小屋のシート屋根を張り終えた、雨が降つてから検証するまで結果はわからないから、今日のところは仮組みである。
 さあ、冬の準備の一つ片付いた、あとは時間を見ては薪を少しずつ作つていく、小生は冬が好きである。


令和 6年11月 3日 (日) 文化の日(明治節)

 嵐一過、清々しい晴れの一日だつた。朝の空気も、まだ寒くは無いが昨日までが暖かかつたのでピリッとしてゐた。
  最低気温 12.2℃ (07:25)、最高気温 20.4℃ (14:26)

 昨夜遅く太郎が練習試合かなにかの後の打ち上げが終わつて帰つてきたときに、母子で我が家前の道路脇で猫が死んでゐるのを見たと云ふので、今朝、小生が行つてみたところ、それはオヤジだつた、ここ二三日姿を見せてゐなかつた、見た處、車にハネられた風でもない、ただ、カラスか何かに突かれた痕があつた。

 持ち帰つて埋葬してやらうと一輪車を持つて行つて袋に入れたが、近年は人間も散骨、樹木葬など弔いの方法も多様化してゐるから、と考えを変えて、そのまま少し山に持つて上がつて樹間に置いてきた、もともとノラネコだから、らしく、自然に還してやらうかと云ふ気が起きたのだ、鳥葬になるか獣葬になるか、自然の循環で葬つてやることにして帰つてきた。もちろん小生の「池堀り」の労力も考えてのことだが。

 一切関わりがなければノラネコが死んでもどうと云ふことはないのだが、少しでも、つながりが出來ると二三日姿を見ないと心配になるし、ノラであれ何であれ死を悼む気持には変わりは無いものである。

 狗子仏性 猫子仏性

 この猫は、もともとは我が家の前にあつた工事現場事務所の床下で生まれたノラネコ二匹の父猫で、現場事務所が撤収する時に行きがかり上母猫とこどもたち二匹を我が家で引き取つたが父猫のほうは、時々餌の時間になるとやつてきて、食べるとまた何処かに行つてしまつてゐた、これがなかなか獰猛な猫で、うつかり手を出すと思い切り引つ掻かれて何度も掻き傷を負わされた。

 家族はそれぞれの猫に名前をつけてゐるが、小生のセンスに合わないので、小生は名前で呼んだことはなく、今でも全猫に向かつて、オイ、オイと呼びかけてゐる、父猫を小生は名前の代わりに「オヤジ」と呼んでゐた、家族はどうも「トラ」と名付けてゐたみたいだ。

 元々小生を除く家族の責任で飼い始めた猫たち、小生は関係が無かつたのだが、どうしてもエサ遣りは小生が一番関わる関係でそのオヤジも最近はだいぶん慣れてきて、頭を撫でさせるやうになつて来てゐたが、しばらく前からかなり痩せてきてゐた、病気かなと思つてゐたが、それでも最近はだいぶん元気になつたゐたところだつた、これで我が家には母ネコとその子猫(といつても今はもう母親より大きいが)が二匹と最近カミさんが捨てられてゐたと云つて連れてきた子猫の四匹になつた。
 
 昨年6月、避妊手術のため"猛獣"捕獲時の 写真1写真2

 豆札に在るお寺が誕生寺となる「日本山妙法寺」の開祖の日達聖人の第四十回忌法要が営まれた、ご案内を戴いたので法要参列は失礼したが受付に「御仏前」だけ届けてきた。
 写真1写真2

 パイプ製の薪小屋の修理の続き、今日は家屋の棟木に相当するテッペンの部分のパイプが、シートに溜まつた水の重さで、こんなパイプが曲がるの?と云ふくらい見事に曲がつてしまつたので、そのパイプを半回轉させて、頂上部が一番高くなるやうに取り付け直した。

 それから、軒部分のパイプを水平でなく、意識的に片側(前部)を高く、反対側(後部)を低くした、この状態でシートを張ると、雨水が片側だけでなく後方にも流れて、シートに水が溜まらなくなるのではと思ふのだがさてどうだらうか。
 一応この状態で、明日にでもシートを張ることにした。数日間は天気も良ささうなので結果は先になるが。



令和 6年11月 2日 (土)

 台風21号が温帯低気圧になつて、各地に雨を降らせた。風は当地では然ほどでは無かつた。写真

 予報通り、九州北部は相当量の雨が降つた、線上降水帯が発生したところもあつた、長崎、佐賀、福岡各県には沢山雨が降つた、熊本県も気象庁の括りでは九州北部に入れられてゐて、かなり緊張してゐたが、大したことなかつた(10時ころ少しまとまつて降つた)、ここは九州中部だぞ、いつも九州北部として一緒くたんにするな、そもそも雨は県境で区切つて降るものではない、県別に予報するからオカシなことになるのだ、県別表示をやめて、九州北部、九州中部、九州南部で分ければ、住んでゐる人が、ああ、ここは九州の中部だな、ああ、ここは九州南部にあたるなと判断すれば良いのだ。

 朝、雨の止み間を縫つてボンの散歩に行つた。そして、雨も昼前には通り過ぎて行つた。この雨は東に移動して、西日本、東日本方面に雨を降らせるのだらう、ここは一足先に雨は終わつた。南からの風で今日は暖かかつた、低気圧通過後、気温が下がり始めてゐる。
  最低気温 16.7℃ (17:55時点 気温が下がり始めてゐる)、最高気温 25.1℃ (08:53)
  雨量


令和 6年11月 1日 (金)

 今日から愈々11月である、「いよいよ」に特に意味は無いのだが、それにしても今年は暖かいなあ。
 去年の日記を見てみると、11月に入るともう完全に冬気温である、ちよつと見た限りストーブのことは書いてないのでもう10月から入つてゐたのだらう、毎日薪作りの記録が残つてゐる、今年はまだ全然薪作りをしてゐない、泥縄では無いが、寒くならないと薪作りが始まらない、本当は事前に用意をしてをくものなのだが。
  最低気温 14.9℃ (08:57)、最高気温 20.0℃ (16:40)

 台風21号は明朝には東支那海で温帯低気圧になるやうで、そんな空模様なのでほとんど雨の一日だつた、予報では九州北部は大雨になるさうだが日が暮れる頃までは大したこと無かつた、それは今夜からだらうか。

 登校時 定点撮影、その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 下校時 写真1写真2
  登校途中に雨が降り始めたが、持つてゐるにもかかわらず傘を差さないで歩く子が居たので差すやうに云つたら、途中でイモリを捕まえたからと両掌で大事さうに包んで傘がさせず、濡れてもイイと云つて歩いていつた、ずぶぬれの子、学校では困つただらうな。
 下校の時には雨が上がつてゐたが直前まで降つてゐたので殆の子が「お迎え」だつたやうだ。

 齢を取ると本当に動かなくなる、肉体の運動機能は勿論だが、行動半径が狭くなる、近年の日記ネタは敷地内のことばかりである、ここに住み始めた頃は頻繁に出掛けてはそれを日記ネタにしてゐたが、一つには最初の頃はまだ旅行者の延長だつたのが、今では地元民になりきつて、阿蘇の風景も特に珍しくなくなり、色々な地域の伝統行事も当たり前になつたのでわざわざ出かけることもなくなつたからだ。

 それでも自らは動かなくとも阿蘇の情報は無いか、阿蘇に住む人たちはどんな暮らしをしてゐるのか、何に興味を持つてゐるのか、などなど個人の情報は無いかと、時々ネットで、「阿蘇」をキーワードでブログなんかを検索するが殆ど無い、あつても華々しくブログを始めたのは良いがすぐにその更新が途切れたものばかりである。もともと阿蘇に住んでゐた人、小生のやうに外からやつてきて阿蘇に住み始めた人、どんな暮らしをしてゐるのだらう、近くにそんな人は居ないだらうかと思つてネットを探すのだが、殆ど無い。

 内容は別にして、とにかく毎日、毎日でなくても休まず更新をしてゐるブログなんかほぼ皆無である、小生のサイトと豊後街道坂梨宿くらいなものだ、お~い、みんな生きてるか~

 最近はブログやホームページと云つた手段でなくて、SNSで多分阿蘇の人たちの情報は往き来してゐるのだらうが、ホームページやブログはもう今の人にとつては古い情報伝達手段なのか、小生がホームページを始めた頃には、ブログと云ふ手段もなく、基本的には自分でホームページを設計して運用しなければならなかつた、その後でブログと云ふ手法が生まれたが、小生は自前でホームページを立ち上げたので、ブログのことは今でもあまり良くわからない(それに、小生はFacebookや「X」なんかは好きじゃないからなあ)。
 日本では野生動物の捕獲に関しては結構細かくて厳しい法律がある(鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律)。
熊本県では、イノシシとニホンジカに関しては今日が狩猟解禁日である(3月15日まで)、その他の狩猟鳥獣は11月15日(2月15日まで)である。イノシシとニホンジカは有害鳥獣なので別の法令でそれ以前でも捕獲できるので改めて今日が特別の日だと云ふことはないが、ハンターたちが楽しみにしてゐる「狩り」は、だから11月15日まで待たなければならない。小生は「狩り」は趣味ではないので、淡々と粛々と有害鳥獣に対峙するだけである。

 夕方、軽トラックの車検が終わつて引き取りに行つてきた、今回は大きな部品の交換などが無かつたので、安く上がつてホッとした。週明けにはもう一台車検に出す。

 夏子が夜、帰省してきた(はずである、小生はもう寝てゐるから)。
 
 国民民主の玉木代表は紙の健康保険証廃止は「予定通りやるべき」、マイナ保険証に一本化する政府方針に賛成、とのこと、見識である。一方、立憲共産党の代表は紙の保険証を残すなどとホザイてゐる、こんな政党に政治は任せられるか? 


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