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(2024)令和甲辰 6年 8月の記録 (旧い日付けの順)

令和 6年 8月31日 (土)

 爽やかに晴れる、気温は高い数字を残してゐるが、空気がヒンヤリとして気持ちの良い台風一過だつた。、
  最低気温 22.9℃ (05:56)、最高気温 31.2℃ (14:51)
  雨量

 阿蘇五岳1
 阿蘇五岳2
 阿蘇五岳3

 今回の台風10号、まだこんな處に居る、当初は斯う眞つすぐ進む予定だつたのだらう、随分と遠回りをしたものである。
 当初の見立て

 今日は日本列島、九州だけが晴れてゐたやうだ、それにしても、東の方ではあちらこちらで大雨が降り続いてゐるやうだ、空にはこんなに沢山の水があるのか、暴風の心配はしないで濟むとは云へなんとも不思議な台風だつた、いや、「だつた」ではなくてまだ台風である


令和 6年 8月30日 (金)

 弱いながら雨がずつと降つてゐた、ただ、各地の大雨のやうな降り方では無かつた。
  最低気温 23.1℃ (02:21)、最高気温 25.1℃ (12:52)

 雨量 19:00時点
 気圧変化
 風 (09:01)

 台風10号、いくら遅い台風でも流石にもう通過したゞらうと思つて朝起きて見たらまだ日田付近をウロウロしてゐる、この台風は一体何なのだ、とにかく広範囲に大雨が降つてゐるが、定義ではまだ確かに台風なのだらうが本当に風は吹いてゐるのか、当地ではほぼ無風だつたが、そして漸く11時頃、台風10号、九州を離れて四国方面に去つていつた。非常に弱くなつたもののこの先も台風はまだ生きてゐるがもう小生は「知らない!」である。午後7時現在、台風はもう瀬戸内海を東に進んでゐるが、九州の殆どの地域はまだ強風域にあるといふが、風は全く吹いてない。

 何故だか朝、大雨警報が出されたので、雨にならないうちにボンを散歩に連れて行つた、昨日は雨が止むことがなかつたので散歩はしなかつた。田んぼには少し傾いてはゐたが倒伏すること無く実つた稲穂が一面重く頭を垂れてゐた、稲刈りは全く問題は無いだらう ここではもう終わったが、台風10号は日本各地に広く大雨を降らせてゐて、遠く東京都内でも大雨警報が出されてゐた


令和 6年 8月29日 (木)

 台風10号が午前8時ごろ鹿児島県薩摩川内市付近に上陸、その後、海岸線を海に出たり陸地を進んだり、陸地を進むことで気圧は急速に衰えて、午前10時ころ、阿蘇市でも暴風域に入つたやうだが、この時点ではまだ大した吹きではなかつた。

速度は遅く、17時頃になつて北に進んできた台風10号は島原半島雲仙普賢岳付近で漸く進路を東方向に変えて、距離的には直撃では無いが今までより阿蘇に近づいて国東半島方面に抜ける予報である。当初あれだけ騒いでゐた気圧の低さ、どんどん勢力が衰えてきて阿蘇の北を通過する頃は990くらいになつてゐるのではないかと想像する。

 まだ分からないが、今回の台風は一体なんだつたのだ、気象庁だかNHKだか知らないが、過去最強クラスだとか伊勢湾台風並だとかいろいろ騒ぐものだから、「君子危うきから逃げる」で、今夜は避難所に入るつもりでゐたが入らずに濟みさうである。H16.9.7 台風18号を経験してゐなければこれほど臆病にならないのだが、とにかく台風には普通以上に恐怖心を持つてゐるのだ。

 そもそも台風進路図の赤丸の暴風域、あれは正しいのか、いままでずつと見てきたが、あれ誇張し過ぎではないのか。NHKは一つのニュース原稿の中で一体何回「猛烈な」といふ言葉を使えば気が済むのだ、小川ローザか(ちょっと、いやものすごく古るかつたかな)。NHKや気象庁は台風の発表や報道に関して組織としてちゃんと「総括」はするのか、それを聞きたい。

 今回の台風、風よりもどこでも雨が多かつたやうで、あちらこちらで線状降水帯が発生、浸水被害、遠く離れてゐるにもかかわらず土砂崩れで犠牲者が出たり、その中では比較的に雨が少なかつた阿蘇でも、国道57滝室坂や国道265箱石峠が連続雨量の規定数に達したからと云つて交通止めになつた(これも惰性でやつてゐるやうなものだと思ふ、阿蘇を抜けるトラックは困るだらう)。観測装置が故障したかと思ふほど風が吹かない、普段よりも風が吹かない、微風、これ何なんだ。
 今日17:53時点の雨量108.2mm、昨日からの連続雨量152.6mm、このあとまだまだ降る。
 風速 最大風速 11.2 m/s(3:17)これ午前3時にといふことだ、だからそれ以降はそれ以上の風は吹いてゐないといふこと。
 気圧
 最低気温 22.7℃ (01:47)、最高気温 24.0℃(10:50)

 九州脊梁山脈が多分衝立になるのだらう、東からの雨は九州山塊のところで大分側で線状降水帯を発生させるほどたくさん降つたが、こちら熊本側にはあまり降つてこなかつた。
 写真1写真2写真3

 そんな朝のうちに、やり残してあつた台風対策を気持ちだけやつて安心した
 ニホンミツバチの巣箱にはダブルで重しを置いた。トラクターなどを格納してあるビニールハウス倉庫の抑えの黒いテープがところどころ切れてゐたので繋いで補強してをいた、そのほか、ちょこちょこ、それでも結構びしょ濡れになつた。ボンはどうしやうか、どこかに避難させるか、ネコは勝手に逃げればいいが、犬は放すわけにいかないしなあ。まだその必要は無いが安全のためにヘルメットを被つて作業をした(結局犬小屋が吹き飛ばされるほどの風は吹かないだらうといふことでお構いなしにした)。 

 先日、屋根の漏水工事をして、雨が降らなければその効果が分からないでゐたが、この台風の大雨のなか、パーフクトに雨漏りはしなくなつた、大したものである、これ小生に云つてゐるのだ、熊本地震の時、我が家の水道管が地中で破裂した際、避難騒ぎのなか10日ほどかけて配管図も無い場所を掘り返してその断水を殆ど自力で復旧したりしたこともあつた、イッパシの工事屋である。

 熊本地震で我が家の自力水道復旧工事の記録はH28/4/19あたりから4/28ころまでの日記にあるが、この2016年4月といふ月は地震発生から避難所暮らし、災害復旧工事などの記録が載つてゐて、書いた本人が云ふのも変だが貴重な記録である、読み物としても非常に面白い(と思ふ)。娘に、オマエが生まれる前からの我が家の斯うした記録、我が家の歴史は、あと数年くらいだらう、お父さんが死んだら、サーバーを管理する者も居なくなつて、そのまま誰に看取られることなく消え去る記録だからよく読んでおけよと云つてあるから最近時々読んで居るやうである。小生なんかから見ると、ほんの少し前からの記録でしか無いが、20數年は結構長い、娘たちにとつては自分たちの歴史そのものなんだからなあ。


令和 6年 8月28日 (水)

 弱い雨。
  最低気温 22.4℃ (08:20)、最高気温 24.2℃ (00:49)

 定点撮影
 今日から小中学校の第二学期の始まり、久しぶりに見守り位置についたが、休みの間にもういつでも稲刈りができるほど黄金色の穗が頭を垂れてゐた。折角の始業式の日なのに雨のスタートになつた、今日は見守り隊の健雄隊員だけが一人で歩いてきた、みんな保護者の車で登校していった。

 下校時、車を停めて子どもたちが帰つてくるのを待つてゐたときに、早くも車が搖すられるくらいの風が時々吹いてゐた。
 事前に連絡があつた下校時間を過ぎても誰も歩いてこない、学校でいろいろと注意があつたのだらう。随分經つて子どもたちの姿が見え始めたが、途中で迎えに来た保護者の車に収容されて、下校時にも見守り隊としては空振りに終わつた、安全第一だからそれでいいのだ。

 小中学校とも、台風10号で明日と明後日二日間、臨時休校になつた。

 台風10号、時間ごとに少しずつコースが変わつてくる、台風が左側を通るのが一番イヤだが、どうもそうなりつつある。
 ここを通過するのは、明日、いや速度が遅いので明後日になるのか、いや明日の夜か、鹿児島から熊本に海上を低い気圧でやつて来て熊本に上陸する時点で急激に衰えるて当地を通過する頃には970hPaくらいになつてゐると思ふので、このくらいなら何とかと云ふ気もするが、とにかく我が家のほぼ真上を通つて行くからなあ、また避難するかなあ。別にこの台風が命に関わることは無いが、家に居ても、台風で屋根が飛ばされるとか、窓ガラスが割れて雨が吹き込むとかあつた場合、恐れおののくだけで何もできない、つまり家に居ようと居まいと結果が同じなら、その間、ハラハラ・ドキドキしないで避難所に入ったほうが精神衛生上なんぼかいいだらうといふことである。

 本格的に風が吹き始めるのは明日だと思ふから、飛ぶものを片付けたり、倒れさうなものを補強するのは明日でも良いかなと思つたが、雨の中で作業も大変なので、昼から少し片付けをした。結構な労働でヘトヘトになつた。台風の遠く離れた場所でも大雨が降つてゐるやうだが、当地は午後作業をしてゐる時も九州山塊が衝立になつて東から来る雨雲なのであまり雨は降つてゐなかつた

 docomoのアンテナの関係で午後から盛んに周辺自治体の分も含めて、高齢者避難や警戒レベル4全員避難などのエリアメールの着信音が鳴つてゐた。

 我が家の前に去年からあつた滝室坂トンネルの数次下請けの現場事務所が仕事が終わつて撤収していつた。過疎で人の姿が少ないところに一時的とは云へ、人の出入りがあつたのは賑やかで良かつた、話によると、トンネル工事自体はまだ続くのでこのあとまた別の業者がやつてくるかもしれないとのことだつた。
 
 裏の畑の道路際に植えてあるイチジクの木、今朝ボンの散歩の時に実が赤く熟してゐるのが見えたので、台風で吹き飛ばされる前に採つてきた。このイチジクの木は何年か前にホームセンターで苗を買つてきたもので、全く手入れもしてゐない完全自然栽培、要は、放つたらかし栽培で、整枝も摘果も施肥も何もしてゐない、それでも少しは生る


令和 6年 8月27日 (火)

 曇り(だつたかな)、夕方少しだけ通り雨。今日は暑いなと思つたことは全くなかつた。
  最低気温 23.6℃ (04:01)、最高気温 30.1℃ (13:40)

 もう台風10号でジタバタしても仕樣がないと思ふが、まだ実感が湧かず台風に備えての養生の支度にも全く取り掛かつてゐない、尻に火が点いてからからかな。
 台風本体にばかり目が行つてゐたが、遠く離れた関東や東北地方で大雨が降つてゐる、これ余波なんだらう、わからないものである。


 今日ミヤハラに買い物に行つた時にコメの棚に目をやると、完全には空つぽでは無かつたが、コメの袋が少しだけしか無かつた、数量制限がしてあつた、阿蘇ではそんなこと無いだらうと思つてゐたが、やはりマスゴミに煽られて心配で買いだめをする家があるやうだ、周囲の田んぼにはもういつでも稲刈りができるほど沢山のコメが稔つてゐるといふのに。

 我が家は年間食べる分は前以て確保してあるから大丈夫だが、それでも今年は確保した量がギリギリだつたので、新米まで間に合うかどうか微妙なところだ、これがもし去年だつたら、今の時点でまだ数袋(一袋30キロ)残つてゐたので「転売」で一儲けできたのに、である。

 材料などを準備して台所の流しの排水パイプの直結工事をした。今までは排水パイプにシンクからのホースを差し込んで、防臭キャップがしてあるだけだつたが(大体さういふところが多いやうだが)、排水パイプが詰まらずに流した分だけ排水溝に出ていくのであればそれで良かったのだが、動脈硬化のやうにパイプが脂分などの詰まりで細くなつて流した分が素直に全部出ていかないとパイプを逆流して、この継ぎ目から溢れて床を濡らしてゐた。

 今回は、その継ぎ目をシールド部品で完全に繋いで、ここから水が溢れないやうにしたので今後万一流れ切れないと、シンクまで排水が戻つてくるのでそれで流れてゐないことがわかる。

 以前、台所の混合水栓のハンドルが壊れて、プラリペアを使つて補修したが、どうしても力がかかる場所なのでまた壊れたので、再度、補修した。この型番はもう廃番で社外品を探すと精々数百円程度のものがバカ高い値段がするので、面倒だけどまた補修したのである。このプラリペアと同等のものが100均で売つてゐる、今回は前回の残りがあつたがもし今後また必要になつたら100均で買わう。
 なんでんかんでん自分で直せるもの全部直すのだ。

 古閑医院で一月に一度の薬もらいに行つてきた。ついでに最近目がシパシパして少し目ヤニも出るので、目薬をもらってきた。外で作業する時に目にゴミが入ったり、汗が入ったり、それを汚い軍手をしたまま拭つたりするので、結膜炎にでもなつたのかもしれない。かかりつけ医はちょとしたことならオールマイティーで対応してもらえるのでありがたい。



令和 6年 8月26日 (月)

 今日も各地、暑かったやうだ、熊本も各地で猛暑日だつたが、当地は風もあつて凌ぎやすかつた。
  最低気温 21.1℃ (03:52)、最高気温 30.9℃ (16:20)

 阿蘇五岳1
 阿蘇五岳2

 台風10号、とうとう九州上陸になつてしまつたでは無いか、それも我が家の真上を通る。聞いてゐると、寒冷渦がどうたら偏西風がかうたらと後から理屈を付ける、こちらは後になつての解説を聞きたのではない、それらを織り込んでちゃんとコースの予想をしろと云つてゐるのだ。気象庁はいいよなあ、責任を取らなくていいから。小生は地震よりも台風がイヤだ。

 台風が来るので最優先でやることは、雨漏りの修理である。天窓の枠部分にコーキングを塗つた。
 とにかく屋根に登るのが大仕事、体がもう昔ほど楽に持ち上がらない、ダマシダマシ登つて作業をした、チェンソーや刈払機などの作業は身軽さ俊敏性は必要がない、どつしりと構えて動けばいいので老化はあまり影響がないが、ハシゴで屋根まで登つて、ヒョイと場所を移動するのがもう全く駄目である、ナマケモノがゆつくりと移動するやうな速度で屋根の上を動く。一日分のエネルギーを使い果たした。
写真1写真2写真3写真4写真5

 天窓の枠の上部には苔や落ち葉が山をなしてゐた、ここの部分を刮げ落としたが、でも、この箇所は雨仕舞いがしつかりできてゐて、そこから雨が滲み込むことは考えられない。問題は枠の左右の側面である、この部分がなんとなく隙間ができてゐるやうで、ここから雨が侵入したのではと想像してゐる。

 だからの天窓の枠の両側面にコーキングを塗り込んだ。ただ、場所が悪くて外側からは足場がなくて滑るので自由に作業ができないので、室内から狭い空間から体を出して極めて窮屈な姿勢で一応は塗り込んだが、果たして、である。そもそも、ここだと云ふ証拠は無いので、雨が来てからの結果待ちである。
 
 屋根に上るところにある自作タワーに21のフルサイズの3エレ八木が使わずに括り付けてあつたのを作業の邪魔になるのでこれを取り外すことから始めた。伸縮ができるアンテナでエレメントの先端部は押し込んであるが、それでもやはり大きい。もう、八木を使うことも無いので、近々分解することにした、それと、自作タワー自体ももう終活でこれも倒すつもりでゐる、別にDXをやるつもりもないので、ダイポールでQRPでノンビリ和文をやるのを無線人生の最後の仕上げとするつもりである。

 夜、馬場地区の社会福祉協議会主催のやまびこネットワークの集まりに出た。小生は豆札と馬場集落の民生委員なので、普段、馬場地区の高齢者の皆さんとなかなか接触の機会が少ないので、努めて参加することにしてゐる。



令和 6年 8月25日 (日)

 晴れ、曇りがちの一日だつた、気温も昨日までほどは上がらなかつた。
  最低気温 22.2℃ (01:52)、最高気温 31.5℃ (12:30)

 阿蘇五岳1
 阿蘇五岳2
 阿蘇五岳3
 阿蘇五岳4

 ほらほら云はんこっちゃない、台風10号、どんどんこつちに来てるぞ。いい加減な予報を出されると本当に腹が立つ。
(海外のことは知らないが)日本では、天気予報は気象庁が発表すること以外は云つては駄目なやうで、気象予報士も気象庁の発表と違うことは云へないやうだ、まあ、大事な天気の予報がバラバラだと混乱を來すからだらうと思ふが、それにしても折角の気象予報士と云ふ資格が泣かうと云ふものである。だから小生がやてゐる気象観測も厳密に云ふと違法なのである、これは個人がやつてるお遊びの観測だと断ることで、お目こぼしをしてもらつてゐるやうなものである。戦時中は天気予報は重要な軍事機密だつた。だからこそ気象庁はちゃんと予報しろと云いたくもなる、しれーつと、コースが西寄りになりましたなんて云ふな、後付で解説なんかするな。

 8/22予想
 8/23予想
 8/24予想
 8/25(18:00)予想

 でも台風は自分の處には来るな、と云ふことは、他人の處へ行けと云ふことだから、人間と云ふものは、いや、小生はだな、つくづく利己的な人間なんだなあとも思ふのである。それほど、過去に死ぬほど怖かつた台風に遇つたトラウマを今だに引きずつてゐるといふことなのだらう、ここに住み始めた頃に来た台風、村の人も、今だに台風は怖いと云ふ、家屋が倒壊して、天神社が吹き飛んで、家に居て大げさでなく部屋の畳が浮き上がつた強風を今だに皆さん忘れないでゐるのだ。(H16.9.7 台風18号)

 今日また5時ころだつたか夕立があつた、小さな雲のかたまりだからすぐに上がるだらうと思つていたところ、一時間以上降つてゐた、今日は雷は無かつた。結構なお湿りだつたが、面倒なことが起こつた。

 我が家で雨漏りが始まつた。最初は一階のキッチンの天井の數カ所からポタポタ雨漏りが始まつたので、二階に上がつてみると、天窓の脇から雨漏りがしてをりそれが壁を伝わつて下に向かってゐる。屋根の天窓の端部分である、斜めに切つて窓枠をはめ込んであるあたりから雨が入るやうになつたのだらう。
 写真1写真2写真3
 家を建てから20年以上も經つと先日も書いたがアチラコチラにガタが来始めてゐる、さてどうしやうか、大々的に修理するカネは無いぞ、自力で調べるしか無いな。雨漏りは大本を特定するのが大変だが、こんかいは割と場所が限られてゐるので見つけやすいとは思ふが、コーキングかなあ、屋根が急勾配で、足場を確保してそこに取り付くのが大変である、落ちるとヤバイ高所作業である。



令和 6年 8月24日 (土)

 雲が多かつた、午後、雨雲レーダーを覗いてみると今日は日本国中雷と雨が・・・そして、当地も夕方近くしばらく天地を揺るがすやうな雷鳴、そして適度な雨
  最低気温 23.1℃ (05:21)、最高気温 32.4℃ (14:34)

 阿蘇五岳

 台風10号、微妙に予想コースを変えてゐる。


令和 6年 8月23日 (金)

 晴れ。ここのところ外で活動をする意欲が失せてゐて今日も家で過ごす、だからあまり暑さは実感しなかつた。
  最低気温 23.2℃ (04:36)、最高気温 31.7℃ (15:23)

 阿蘇五岳

 台風10号、各国の予報機関も大体同じやうなコースを予想してゐるが、北西に進んでゐた台風が「おもかーじ、よーそろー」とカジを切る時点がそれぞれ少し違ふ。

 気象庁なんかは午前中見たときはかなり九州に接近してから北東方向に向きを変える予想をしてゐたが、夕方近くの予報では方向転換位置が大分東寄りに変わつてきてゐる、小生は心からこれらの予想は信用してゐない、はるか南方洋上にあつてどうして、今からそこまで分かるのか、何年か前に全く九州には来ない予想が途中から九州直撃コースが変わつことがあつた。まあ、最終的には九州に来ないとは思ふが(來ないでくれと思ふが)、このくらいの予想の違いでも結構気になるから、紀伊半島や東海方面の人たち、或いはもつと東の人たちは気が気で無いだらう、何日も前から台風が来ることが分かるのみ良いやうな悪いやうな。

 カミさんは帯状疱疹のワクチンを打つので間違いなく副反応がでるだらうからと今日は仕事を休んだ。最近はよく帯状疱疹のことを耳にする。高齢者が罹患する話をよく聞く。小生は中学生の頃、罹つたことがあるので、免疫があると思つてゐたら、そんな昔に罹つたものは疾つくに免疫は切れてゐるらしい。小生は当時北九州に住んでゐた、福岡の方では、帯状疱疹のことを「タズ」と云つてゐた、医師にああこれはタズですね、と云われたことを今でも覚えてゐる。,


 国も最近、高齢者の帯状疱疹を深刻に捉えるやうになつてきてをり、現在はワクチン接種は任意接種のため自治体独自で半額近く補助はしてくれるがそれでも高額のため、国が公費負担で定期接種をしてくれるやうになれば個人負担金がもつと少額にで濟むやうになるのだらうか。それまで待つか。総裁選のあと近々解散総選挙があるだらうから、点数稼ぎで早く決めたほうがいいぞ。


令和 6年 8月22日 (木)

 昨日の夕立、短時間で上がるかと思つてゐたら、その後もシトシト降り続いて、今朝記録を見ると昨夜は13mm近く降つてゐた、ずつと雨が降らなかつたので良いお湿りになつた。そのうえに昨夜は雷が夜中の11頃まで至近でゴロゴロドッカンと鳴り響いで、そのたびに眠りを破られて目が覺めて、その分、朝5時ころまで寝てしまつた。

 今日は湿度が髙かつたので朝からムッとするやな暑さだつた。
  最低気温 23.3℃ (06:13)、最高気温 32.8℃(16:05)

 阿蘇五岳 

 台風10号、当初の予想以上にかなり大きな勢力の台風に成長しさうだ、心配である。



令和 6年 8月21日 (水)

 今日も暑かつた。全国高温ベスト10は今日も北部九州だつた、熊本県も各地35℃以上の猛暑日だらけ。逆に北海道ではストーブが要る気温だつた。当地、夕方近く夕立の気配があつたが今日も空振りかなと思つてゐたら、少しだけ降つた、そのくせ雷だけは凄かつた。
 最低気温 22.0℃ (05:04)、最高気温 33.7℃ (12:50)

 台風10号が発生しさうだ、これまた九州地方には向かわないやうに見える(予報円はまだ大きいが)。今年の台風はなかなか頑張つてゐる(九州にとつてだぞ)。この台風10号もあまり勢力は大きくならない感じだ。
 
 今日は村の宗教行事、お大師さん、お薬師さん、お地蔵さんの三仏の縁日である。以前はこの日は村の中に分散安置してある諸仏を、順番にお参りをしてゐたが、数年前に天神社の横に持仏堂作つて、まとめて安置をして、そこでお参りをするふうに変つた。

 この日は、なぜだか、昔から村の女性達だけの縁日で村の女性だけが妙法寺の庵主さんのお経でお参りをする。
 以前はその後で、村の集会場でお斎を頂戴してゐたのだが、このときは老若男女村人全員が三々五々集まつて、女性の皆さんが作つてくれた、お煮しめなどの料理を頂戴した。そのなかに小豆の握り飯がありこれが美味くて子どもたちは楽しみにしてゐたが、このお斎も今はなくなつて、お経の後で、庵主さんを囲んで女性たちの茶菓だけでの歓談なつたやうである、だから、この日は我々男どもはお呼びでない。
 
 男が出ないと云つても、別に「秘儀」でもないだらう、遠くから写真だけでもと思つて行つたところ区長が混じつてゐたので別に女性だけの行事でも無いのかもしれない。

 カミさんはさう云ふわけで今日は仕事を休んだので、ついでに台所の排水の復旧作業を手伝わせた。
 シンク下の鍋釜を全部出して、覆いの板を外してと、準備作業が大変なので、億劫でなかなかエンジンがかからなかつたのだ。

 今までと同じやうに、シンク下の排水パイプの口を塞いで、そこからエアコンプレッサーで圧縮空気を送つて、パイプ内の圧力を高めていくと固化した油の塊で詰まつた配管を丁度空気銃のやうな原理でボンと押し出してパイプの詰まりを除去する。小生が考え出した独自の方法である。

 数日前に少しやつたので、今日はあまり抵抗なく、簡単にボンと塊を外に押し出すことが出來て、排水の通りが復活した。
 
 我が家のシンク下の仕組みは、シンクからの下に伸びる蛇腹のホースを一回り太い排水パイプに差し込んで簡単な臭気防止のゴムのキャプがかぶせてあるだけなので、詰まりがなければ流した分だけ滞留することなく流れ出て問題は無いのだが、排水溝の出口が詰まつて、流した排水が流れ出きれずに逆流してきた時に、この継ぎ目から水が溢れて、床を濡らすことになる。
 だからシンクの蛇腹のホースと異径の排水パイプを完全に繋いでシールドして、万一、今後逆流してきた場合でも、ここで水が漏れ出さずに、シンクのところまで排水が戻るやうな接続用の部品を今日アマゾンで注文した。

 午後七時から坂梨公民館で、令和6年度の坂梨公民館、青少年育成協議会、坂梨みどりの基金の三団体の合同営委員会が開かれ、民生員として案内が来てゐたので出席してきた。


令和 6年 8月20日 (火)

 今日も全国的に暑かつた、云ふまいと思へどである。今日は特に九州の福岡熊本あたりが全国の高温ベスト10に名を連ねてゐた。
 今日も当地は雨が降らなかった、雨雲レーダーを見ると九州周辺は雨雲だらけだつた。
  最低気温 22.2℃ (03:41)、最高気温 33.3℃ (14:59)

 台風9号、いつの間にか東支那海を北上して済州島近くにゐる、全然関心がないから気が付かなかつた。日本の埒外なので雨雲レーダーにも写らない、そこまで日本の気象庁はサービスをしないのだらう。。

 今日は夏子の誕生日である、今日は我が家に居ないから晩餐は無しである。何歳になつたのか、確か21歳か22歳だと思ふが訊くわけに行かないので、昨年の日記を見たところ、今年22歳になつたことを確認した、早いものである。

 また台所の排水管が詰まつたやうで、排水が逆流して床をかなり濡らしてゐたので、排水の出口付近を浚つたが、あまり奧までゴリゴリやるワイヤーが入つていかない、本格的になると結構大仕事になるので、とりあえずは応急処置で済ませてをいた。

 排水の油が固化して化石のやうに固くなつてパイプを塞いでゐるので、それを除去するのに、パイプ洗浄剤などでは効果が無いので従来はエアコンプレッサーでシンク側から高圧のエアを何度も吹き込んで固化した油類を排水口に押し出す方法を採つてゐたが、逆に排水口側から高圧コンプレッセーにエアガンで水と一緒に吹き出す高圧洗浄ノズルを付けてパイプの中を掃除しやうかとも考えてゐる。家を建てて20年以上經つと、あちらこちらかなりガタが来てゐる、人間の身体と同じである。


令和 6年 8月19日 (月)

 薄曇り、当地は天気図の高気圧の縁にあたる関係で雲が多いとは云つてゐた。
 今日も全国的に暑くて、熊本県も各地は気温が高かったが、当地は、完全な夏スタイルでいると、うー寒いなあと感じるほどで、窓を締めて過ごすほどだつた。
 最低気温 23.6℃ (02:08)、最高気温 27.3℃ (13:36)

 阿蘇五岳

えっ?また台風が発生したの?台風9号、まあ方向としてはいいけど・・・それに勢力もまあギリギリ台風といふレベルだけど、今年は立て続けに台風が出來てるなあ。

 今日もまた暑さが続くのかと思つて朝雨雲レーダを覗いたら広範囲に雨雲が・・・・これで田畑が潤うなと思ったところ、結局これ以上雲はかからずに、今日も雨がなかつた。

 今日は完全休養日にした。

 この詐欺メール、完全に騙されさうだ、小生は年金生活者なので確定申告の必要が無いが、それでも計算してみると納付税額が発生するの、その関係かと一瞬慌てたがe-Taxの利用者にはこのやうな形でのメールは来ない。



令和 6年 8月18日 (日)

 晴れ。今日は蒸し暑かつた、湿度が髙かつたのだらうか、涼風はあまり吹き抜け無かつた。今日も夕立雲が通り過ぎたが、ここには降らなかつた、ほんの僅かな差で降らないで過ぎて行く。
 最低気温 21.7℃ (05:34)、最高気温 33.4℃ (14:41)

 阿蘇五岳

 夏子、二回目の帰省を終えて、午前中、母親の車で帰つていつた、向こうでいろいろ予定があるやうで、それが終わつて9月に入つてからまた來るのださうだ、やれやれ。

 二泊三日の熊大春田教授坂梨調査隊の活動は今日が最終日で、豆札班の諸君、午前中に訪ねてきて聞き漏らしたことなどの確認で昼近くまで我が家の入り口で立つたままで質疑応答、こんなに時間が掛かるのだつたら、庭先に入つてもらつて椅子に座つてやれば良かった。
 半分レジャーを兼ねての調査旅行かと思つてゐたら、宿に帰つてからも夜遅く調査資料の検討などであまり寝る時間もなかつたさうだ、結構ハードな調査旅行だつたやうだ。連日暑い中での屋外作業、大変だつたらう、實のある調査研究の成果があるといい。

 夕方から村の妙見祭があつた、武漢ウイルスでずつと中止が続いてゐたが、久しぶりに今年は予定通り行われた。
 写真1写真2写真3写真4


令和 6年 8月17日 (土)

 晴れ。暑さは相変わらず。本日も夕立が掠める、今日は少し降つた。
  最低気温 22.6℃ (05:12)、最高気温 33.9℃ (14:02)

 関東地方の台風七号、大山鳴動だつた。

 午前中、熊大春田教授坂梨調査隊豆札班(小生の勝手命名)の諸君を我が家の墓所に案内した、今回の調査目的の一つに江戸期以前の墓石の調査が入つてゐるやうで、周辺の墓所は無縁化したり墓仕舞いなどで残つてゐてそれと分かる墓所が少なくて、我が家の墓くらいしか見当たらないので、案内したのである。
 
 我が家の一つ上のお宅の墓所にもいくつか発見できた、大体が明治期に入つてからの墓が多い。

 我が家の墓には五郎次の墓など数基が見られる。その中で、前から気になつてその系譜が分からない墓標があつたのだが、今回の調査依頼を機に、調べてみたところ、その人物が判明した。

 その墓標名は園田宗全である。写真1写真2
この宗全は小生の直系の先祖にはその名が無い。
 熊本大学の「町在」解析目録といふ、データベースがあり、そこで園田宗全を検索してみたところヒットした
 長男ではなかつたやうで、誰が親かまだそこまで調べてゐないが、「医師」であつたやうだ、こんなところで幕末の「医師」といふ職業にぶつかるとは思はなかつた。それにしても、昔は実に事細かに公的な記録がされてゐてそれが今に残つてゐるのは驚きである。
 1 坂梨手永山支配役の弟園田宗全、 療治方出精にて郡医師並に仰付け
 2 坂梨手永苗字御免惣庄屋直触医師園田宗全、 療治方多年出精にて賞美
 3 坂梨手永郡医師並高宮貞固他1人、 療治方多年出精にて賞美
 4 坂梨手永坂梨町郡代直触医師園田宗全、 療治方多年出精にて賞美
 5 坂梨手永坂梨町郡医師並園田宗全病死、 2男園田俊民跡目相続

 例えば斯のやうな原本は申請すれば見ることができ複写サービスもあるやうだが、事実関係さえわかればいいのでまた機会があれば県立図書館にでも行つてみやうと思ふ。

 今晩は太郎、泊りがけの部活の合宿で、世話役の母親も一緒に市内のどこかに泊まつてゐる、本来なら泊まる必要のない地元での合宿だが、一緒に同じ釜の飯を食つてチームの結束を固めやうといふ趣旨なのだらう、だから今夜は夏子と二人だけの夕飯になるので、久しぶりに天ぷらを揚げた。


令和 6年 8月16日 (金)

 晴れ。夕立が掠める
  最低気温 21.5℃ (05:30)、最高気温 33.6℃ (14:20)

 阿蘇五岳

 ボンに今月分のフィラリアなどの予防薬を飮ませた、ボンはこの薬、あまり好きで無さゝうで、なかなか食べやうとしない。

 我家の猫ども

 普段あまり広範囲に見ることが無い雨雲レーダー、台風が気になつたので今朝見てみたところ、台風がこの位置の時、台風全体をレーダーはカバーしてゐない。太平洋岸は気象レーダーはカバーしてゐないのだらうか、大陸側は分かるとしても太平洋側を意図的に消す必要も無いと思ふのだが。

 台風7号、最悪の直撃は避けられさうで、少しずつ日本列島を逸れつつあるやうだ。

 NHKラジオを聞いてゐると全国放送なのに、朝から夜まで台風のことばかり、どうでも良いやうなこまかな注意点など至れり尽くせり、台風が九州にやつてくるときとは大違いである、関東各地域の自主避難場所の説明など地方には全く必要はないことだ、そんなもの関東ローカルの放送でやってくれと云いたくもなる。

 ネットのNHKラジオに「らじるらじる」がある、ここでは全国のいくつかの放送局を拠点にして東京からの放送とは別にローカル番組を流す仕組みになつてゐる。九州では福岡がそのキー局で時々九州ローカルの放送を流す、今日はどうだらうかと思つて聴いたら、なんのことはない、東京のNHKの台風の放送をそのまま流してゐる、オイNHK受信料を返せ!である。何事にも優先して放送する高校野球は、さすがに今日はFM放送の方で中継をしてゐたやうだ。

 熊本大学の学生儲君が数十人、いくつかの班に分かれて坂梨の調査をしてゐる。我が豆札にも調査協力依頼があり、本日、豆札の公民館で村の人たちに豆札の歴史文化について聴き取り調査があつた。小生あたりの年代になると若い人たちから十分に長老に見えるかもしれないが、基本的には昔のことはもう分からない、もう一代二代の先人が生きてをればかなり詳しく昔のことが分かつたであろうに、いつも小生自身がそのことを残念に思つてゐる。それでも村の皆さん昔の経験を思い出して学生のリクエストに応えてゐた。
 明日は裏山に登つて古い墓の調査に付き合う予定である。
 写真1写真2写真3

 日が落ちてから送り火を焚いてご先祖様を浄土にお送りした。この送り火は15日の夕方焚くところと16日に焚くところがあるやうで、明確には決まつてゐない。どうせなら少しでも長い滞在のほうがよいだらうと、我が家では16日にしてゐる。 


令和 6年 8月15日 (木) 大東亜戦争が終わつた日

 晴れ。今日も数字ほどは暑くなく割合と過ごしやすかつた、夕方、ちよつと夕立があった
  最低気温 20.4℃ (05:06)、最高気温 33.6℃ (13:25)

 台風7号、こんなに心穏やかに居られることは滅多に無い、いつもは九州方面にやつてくる台風に30分おきくらいに進路が少しでも逸れてくれと祈つて台風情報を見て落ち着かない時間を過ごすのだが、今年は今までのところ完全に他人ごとである。他人ごとながら、これは大きい、被害がでないことを祈る。

 阿蘇五岳

 南海トラフ巨大地震への注意を呼びかける臨時情報の発表から1週間たち、呼びかけの期間が終わつた。地面の中なんか誰もわからないからな。


 昭和20年の今日、正午にラジオ放送を通じて昭和天皇の「大東亜戦争終結に関する詔書」つまり玉音放送があつた。小生は二歳で疎開先のこの地でこの日を迎えた、もちろん記憶はない。今まで雑音だらけの放送を断片的には何度か聽いたことがあるがこの歳まで詳細については全く知らないできた、よく耳にするフレーズは「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」くらいだ。

 ネットで調べると最近の音響技術でノイズを除去して雑音なしのクリアな昭和天皇の朗読を聞くことが出來る、それに合わせて初めて詔書の画像を見てみた。

 この公布原本には切り貼りしたり、行と行の間に加筆したし痕がある。本来は閣議で了承されてから浄書して、それに御名御璽が付されるものだが、当時は、降伏反対の一部軍部などの放送阻止の計画などがあり、通常の手順で詔書を作る時間がなく原本に加筆修正がされてゐて当時の緊迫した様子が伝わつてくる。改めて詔書を読んでみた。

朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負イ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ

御名御璽

 意味を解釈し何度も読んで、最初は難渋したが、今ではスラスラと読めるやうになつた、小生はもともとこのやうな文書が好きなのである。
 更にもうひとつ小生の道楽絡みで考えてゐることがあるが、録音するソフトが無くてこれは後日である。


令和 6年 8月14日 (水)

 晴れ。今日も暑いには暑かつたが、それでも、数字ほどではなかつた。夏子が向うに居ると外の空気を吸うだけで暑くて倒れ然うになるけど、ここは暑いには暑いけど普通にして居られるから良いと云つてゐた、朝など、もう20℃近くまで下がつてきてをり、少し肌寒いくらいだ。
  最低気温 20.1℃ (05:09)、最高気温 32.3℃ (13:32)

 午後、にわか雨が來さうでここは掠つて行つた。このまま雨雲が来るのかと思つてゐたら、今日は東から西の方へ雲が流れてゐて雨は降らなかつった、遠く台風の影響で雲の動きが普通と違つて東から西に動いてゐるのだらうか。
 
 その台風7号、非常に強さうだが、少しずつ東に逸れつつあるやうに見える。

 阿蘇五岳

 近年日本各地で何度となく起きてゐる地震で墓が倒れて、その復旧に費用がかかり、墓を手放す人が結構居ると云ふ。

 当地でも時々数年前の熊本地震で倒れた墓石が未だにそのままになつてゐるのを目にすることもある。

 小生からすると、墓の復旧がそんなに大変なことだとは思はないからどうして復旧させないのだらうと不思議にすら思ふのである。

 小生は熊本地震で倒壊した墓の復旧の実体験者である、それも、独力で復旧した、それほど大した工事でも費用でもない、作業も一人でやらうと思へば出來る、小生の場合はまだ保育園児だつた太郎の手を少し借りたが。

 そのあたりの記録は以下のとおりである。
 熊本地震があつたのは、本震2016(H28)4月16日
 墓の被災確認に山に登つたのは随分經つて、同8月1日、被害記録写真
 復旧作業開始 同11月17日 三脚にする単管パイプの運び上げ。
 その後、大腸がんの手術などあり、しばらく休止
 実際の作業開始は、2017(H29)3月15日より
               3月16日
               3月17日
               3月18日太郎作業参加
               3月19日引き起こし作業完了
               3月22日機材片付け
               3月23日作業手順備忘録
 復旧作業で一番大変だつたのは、墓の場所が山の中だつたので機材の運び上げだつた、折角運び上げた機材だから、ついでにお節介にも、お隣さんの墓石も元に戻してをいた。

 今日はお盆休み中でどこに行くこともなく何をするでもなく静かに過ごした、何も無い分、時間があるだらうからといつもよりは手のかかるメシを作らされた。


令和 6年 8月13日 (火)盂蘭盆会

 相変わらず数字は高い気温を示して居たが、屋内にいる限りは湿度が低いせいか空気がヒンヤリして全く暑くなかつた。
  最低気温 20.0℃ (05:01)、最高気温 32.8℃ (14:05)

 阿蘇五岳

 台風7号が正式に発生した、これは少し強さうだ。でも今年は、気味が悪いほど台風は九州にはやつてこない。なんだなんだ8号まで生まれてゐる。

 今年も柿が豊作である、ただ今年はカキノヘタムシにやられて熟す前にどんどん落ちてゐる、ほとんど食べないから、それでも良いのだが。

 村の故渡邉カヲルさんの初盆参りにお線香をあげに行つてきた、去年までは市役所から、毎年、この時期になると初盆を迎える家のリストが配られてゐたが、宗教の公平性を保つためだらうが、今年からその配布が無くなつた。それで良いような不便なやうなである。小生に関連する初盆のお宅はこちらだけだと思つたが・・・

 八千場の分家の墓に花を供えに行つた。すぐ近くに俵屋(藤井家)のご当主登和子さんも見えていた。

 午後、円通寺さんにお経を上げていただいた。カミさんは仕事なので太郎と二人でお経を上げていたゞいた。午後一番だと思つてゐたら、相当にお忙しいやうで、何時だつたらう、かなり過ぎてからの御入来だつた、この日が本当の「師走」である。毎年、この日は奥方が運転手でお二人で仲良く檀家周りをされてゐる。
 
 阿蘇ではお盆に仏壇にお供えする花を今のやうに花など売つてゐない時代には野原に摘みに行つて飾つた。それを盆花と云ひヒゴタイなどが主な花だつた。いろいろな花が売られてゐる現代も、昔ながらに盆花も摘んできて仏壇に供える家もある。

 その盆花が玄関先の水に漬けてあるのに気がついた、どなただらう、思い当たる人がゐるが、その人だらうか、お礼を云はなくてはと思つてゐたら、玄関ドアにメッセージが残してあつてそれで贈り主が分かつた、小生が当初考えてゐた人では無かつたので失礼をしなくて濟んだ、早速仏壇の花瓶に活けた

 以前は毎年、この日は小生が太郎を連れたりして墓に登つてご先祖様をお迎えしてゐたが、数年前からその日が雨で山に登れなかたり、小生の高齢化もあつて、いつの間にか玄関先で御迎え火を焚いてお迎えする方法に変更した。

 ただ、阿蘇ではお迎え火の風習は無いとみえて、苧殻を手に入れるのが大変である、小生は毎年、山を下りて買いに行く、どこにでも売つてゐる訳では無い、小生が知つてゐるのは一軒だけである。と云ふことは、阿蘇だけでなくて熊本にその風習は無いのかもしれない。

 カミさんは二回目の帰省で帰つてくる夏子を迎えに行つたので、帰るのを待つとうんと遅くなるので、今日は太郎とお迎え火を焚いた

 今まではカミさんが田川まで迎えに行つてゐたが、最近、日田までの鉄道が復旧したので、今回初めて日田で出迎えてそこから一緒に帰つてきた。DMVでは無いからバスそのものだが、景色が良くて快適だつたと夏子は云つてゐた。写真1写真2
 
 この鉄道路線は、一部区間(添田駅~夜明駅)が平成29年7月の九州北部豪雨(九州北部豪雨は紛らわしいが、近年2回あつた、阿蘇地方に大きな被害があつたのはH24年の豪雨災害である)で甚大な被害を受けて長期間運休が続いてゐたが、全線鉄道による復旧は断念して、一部区間を専用道路などを使つてバスでつなぐBRT(Bus Rapid Transit)といふ方式の「ひこぼしライン」として復旧した。https://www.jrkyushu.co.jp/train/hikoboshiline/

 小生は「鉄ちゃん」では無いので、とにかく、公共交通機関で繋いでくれるのであれば少し遅くてもそれで良いと思つてゐる、山間僻地に住んでゐると、とにかくなんでも良いから公共交通機関が欲しいのである。だからせつかく日田まで来ても、そこからこちら、阿蘇までの公共交通期間が無いので、結局は、途中まで車で迎えにいかなければならない。

 この地域の自治体は、表玄関の交通機関ばかりに目を配るのでなくて、そうでないところにも目を配つて欲しいのである。日田から阿蘇までのバスをなんとかして動かして欲しいのである。阿蘇が本当に観光で生きる気があるのなら、日田地方から阿蘇へのアクセスルートも整備して欲しいと思ふのである、日田から小国郡を経てやまなみ道路沿いに楯につながる路線が大切なのである。

 公共交通機関と云ふインフラ、ライフライン、電気はどんな山奥でも同じ料金で通つてゐる、公共交通機関も電気と同じである、今は「情報格差」を無くすために国が力を入れて相当な田舎までブロードバンド化が進められてインターネット環境が整えられてきてゐる、当阿蘇市も、NTTが見放して「ひかり」が来ないので、国の補助で光回線化できた、公共交通機関とて同じである、情報は光回線で運べても、人間は運べないのだ、公共交通機関はその路線だけの収支だけで考えるべきでない。車でさつと来て火口だけ見てさつと帰る客よりも、乗り物を乗り継いででもやつてくる人を大事にしないとね。


令和 6年 8月12日 (月) 振替休日

 晴れ。
  最低気温 21.5℃ (04:20)、最高気温 33.8℃ (15:20)

 台風5号、いきなり東北地方に上陸する台風など非常に珍しいのではないだらうか、気圧からみると暴風自体は大したことが無ささうだが、雨が結構降つてゐるやうである。引き続いて6号、そして7号も・・・今年の台風は、今までの所、不思議と九州方面にはやつてこない、いずれ帳尻合わせがあるのだらうが。

 阿蘇五岳

 ボンと最近やつてきた子猫

 オリンピックが終わつたやうだ、興味がないので全く視聴しなかつたが、それでも日本がメダルを取ると嬉しいものである、特に近くのどうでもいいことですぐにイチャモン付けて絡んでくる国が「ウザイ」ので、それを黙らせただけでも良かつた。


令和 6年 8月11日 (日) 山の日なのか、夏休み中でもあり一番ピンとこない祝日だ

 晴れ。
  最低気温 20.3℃ (05:08)、最高気温 33.1℃ (16:02)

 阿蘇五岳

 当地には全く無縁なので注意を払つてゐないが、台風5号が東北地方に向かつてゐる、でもこの台風あまり強くないのだらう。

 外に出ないので(出ても田舎だからあまり)人の動きは分からないが、もう世間は実質お盆休みに入つてゐるのだらうか。

 お寺さんに、お盆のお経のお願いに行つてきた。



令和 6年 8月10日 (土)

 晴れ。今日も当然暑かつた、でも数字ほどでは無かつた、家にいる限りは特に苦になるほどではなかつた、なんとなく秋の気配を感じるやうな・・・・
  最低気温 21.5℃ (05:20)、最高気温 35.0℃ (16:06)

 阿蘇五岳

 軽トラックのエアコンのコンプレッサー用のオイルを充填した


令和 6年 8月 9日 (金)

 晴れ、夕方、通り雨。
  最低気温 22.4℃ (05:34)、最高気温 32.4℃ (13:35)

 現在台風5号が発生してゐるが、まだ気象庁などでは発表してゐないが、ECMWFによると台風6号が発生しさうで、16日ころ関東方面に向かうやうである。

 南海トラフ地震臨時発表をどう受け止めればいいのだらう、表に出せない情報は無いのだらうか。
 昨日の地震は偶々日向灘で起きただけなのだが、なんとなく南海トラフ本震がここで起きるやうな錯覚を起こす、南海トラフは日本列島をずつと東海地方まで続いてゐて、本番はどこで起きるのかわからないのだ、たまたま南海トラフの一番西の端つこで起きただけで、今後何時どこでどのくらいの規模の地震が起きるなど実際には誰にも分からないのだ、起きてから初めてわかることだ。昨日のあの程度の発表だけでもう早速食料品の買い占めが始まつてゐるらしいが、当地はどうだらう、今日は買い物に行つてゐない、みんなが少しずつ買うのなら払底はしないだらう、どうして必要以上に買いだめをするのだ、淺ましい限りである。

 涼しい朝のうちに、前庭と前の畑の草を刈った、2タンク分、刈ったが少し刈り残した。

 午前11時2分、市の防災無線のサイレンを合図に長崎に向かつて謹んで原爆犠牲者に黙祷をした。


 夕方から龍真君のお通夜に行つてきた。会葬者が多くて駐車場に入れないほど車で溢れてゐたが、ご焼香だけで帰る人も多いので、順繰りに車を停めることができた。沢山の学校仲間や多くの坂梨の顔見知りの姿があつた。
 普段、小生は棺の中は見ないのだが、今日はお焼香が終わつて棺の中の龍真君を見たが、穩やかでまるで眠つてゐるやうだつた、普段は高齢者の葬儀が多いのだが、あまりの若い姿に思わず抑えきれずに嗚咽を漏らしてしまつた、十五年を精一杯生きて逝つてしまつた。
 座る席がないほどの人だつたので、小生はお焼香だけで失礼してきた、明日の葬儀も、つらい式になるので、遠慮することにした。

 お通夜の少し前ころから夕立があり、打ち水効果で一気に数度気温が下がつた。



令和 6年 8月 8日 (木)

 今日も暑かつた、もう毎日のことなので、この暑さを修飾する文言も浮かばない。
  最低気温 21.5℃ (05:47)、最高気温 34.1℃ (13:12)

 阿蘇五岳

 お盆が近いので、朝の涼しい内に八千場霊園の先祖の墓掃除に行つてきた。形としては分家の墓となつてゐるが、一族には違いないので、勝手に墓の掃除をしてゐる、春のお彼岸の時に草を刈つただけなので、夏なので草茫々だと思つて行つたら、ご縁者が最近掃除をされたのだらふ、ほとんど草は生えてゐなかつたので、少し整えて帰つてきた

 偶々今日は南阿蘇の和尚の命日だつたので、すぐ近くにあるお墓に手を合わせてきた。

 一汗かいたあとのノンアルコールビールが美味い。ただ、プルトップを引いて小さな穴から飲むのは好きでないのでと思つてゐたら最近、缶の上をそつくり切り取る缶切りがあることを知つて、取り寄せた。透明グラスには及ばなくても、液面が全部見えるので飲んでゐても気分は良い。ただ、日本のビールやジュース類の缶の規格と海外のそれらとは違うので、日本の缶に合う缶切りでなければ切ることが出來ないから買う時に注意が必要である。

 APRS用のトラッカー、やはり、動かない、接触不良だけではなささうだ、全部車から降ろした。不良箇所を探す気力がもう無い、新しいモービル機を設置するのも結構下準備が要る、この暑い時期には無理である。そのうち・・・・


 隣の北坂梨(鬼塚集落)の岩下龍真君が亡くなつた、太郎の二級上の高校一年生だつた。昨日白川で遊泳中の高校生が溺れたとニュースで伝えてゐたがまさか、まさに、まさかそれが龍真君だつたとは・・・・

 龍真君は少子化でどんどん子供がいなくなる当地区としては最後の登校班として数年前まで毎朝太郎と二人で小学校に通つてゐた。夏休みのラジオ体操では、二人だけで毎朝ラジオ体操をしてしてゐた。

 まさか、何度でも、まさかである、その龍真君が・・・・我々のやうに年老いてある程度順番で送るのは、まあ、仕方がない。しかし大きく順番が狂うこのやうな送別は、これはつらい、ご家族の悲しみ無念さは想像に難くない。

 夕方5時前、スマホなどから一斉に緊急地震速報が流れた、構えてゐると結構な揺れが始まつた(当地は震度4だつた)。速報から実際に揺れが来るまでしばらく時間があつたことと、横揺れだつたから、ここより遠い場所での結構大きな地震だらうと思つて、ネット情報を見ると、宮崎南部の日向灘が震源のだつたやうで、津波警報も出された。本格的南海トラフ地震につながるのだらうか。写真

 実際に緊急地震速報が流れても、火を焚いてでもゐなければ実際に何もすることもないし、何もすることが出來ない。腰を浮かして次に来る揺れを待つだけである。熊本地震でもつと強い地震を経験済みなので、簡単に家なんか潰れないことが分かつてゐるから家から飛び出やうなどとは思はない。それにしても毎回思ふけど緊急地震速報はよく出來たシステムだなあと思ふ、少なくとも、おっ来るな、といふことを事前に知ることができるからである。
(マグニチュード 7.1) E=10^(4.8+1.5*7.1)

 南海トラフ地震臨時情報


令和 6年 8月 7日 (水)

 晴れ。今日も暑かつたなあ。
  最低気温 23.7℃ (02:59)、最高気温 36.2℃ (15:56)

 阿蘇五岳

 民児協の全体定例会が内牧の農村環境改善センターで行われた。

 夏子が夕方、母親に送つてもらつて一旦帰つていつた、一旦である、また数日後に來るのださうだ。


令和 6年 8月 6日 (火)

 今日は雲が多かつた、それでも暑かつた。夕方、にわか雨の雲が微妙に掠つて通過していつた、雨は降らなかつた。
  最低気温 24.5℃ (04:44)、最高気温 32.7℃ (14:16)

 阿蘇五岳

 広島の原爆投下の日、午前8時15分、市の防災無線からのサイレンに合わせて黙祷をした。カミさんは仕事に行ったので、子どもたち二人も一緒に黙祷をした。どのくらいの人がサイレンに合わせて黙祷しただらうか。

 毎年この時期、黙祷が終わつて思ふのだが、市は長崎原爆投下の日にも黙祷を呼びかけるが、多くの戦争犠牲者が出たその他の日、ガダルカナル、サイパン、硫黄島などでの玉砕、沖縄戦、東京大空襲や各地の空襲などなどの人たちに対する黙祷の呼びかけはあるだらうか、終戰の日に市は防災無線で黙祷の呼びかけはしてゐるだらうか、してゐない。
 今の人たちは8月15日がなんの日か、もう殆どの人たちといつても過言ではない、日本が戦争をしたことすら知らない世代が増えてゐる。だから、小生は、個別に黙祷をするのではなくて、戦争が終わつた8月15日に市民将兵すべての戦争犠牲者の冥福を祈る黙祷をすれば良いと思ふのだが、他所もやつてゐるから自分のところも、という惰性感は否めない。

 午後、スーパーに行くときに運転をしてゐて、軽トラック搭載のAPRSが動いてゐないことに気がついた、正常だと、位置情報を更新するたびに、ハンディ機に繋いであるリニアアンプの送受信のリレーが切り替わるカチッといふ音と、トラッカーのLEDがピカリと点滅するのが見えるのだが、然う云へば最近聞こえてなかったなあと改めて気がついた。
 ダッシュボードの上にGPSアンテナとトラッカーを年中置きっぱなしにしてあって、夏などは太陽の直射光で焼けるやうに高温になるし、運転席脇に置きっぱなしのハンディ機も、液晶が消えて周波数をロクに読むことが出來ない、もう結構長い間、動いてゐなかつたのかもしれない。

 最近はAPRSもスマホの位置情報アプリの普及であまり必要性も無くなつてをり、利用者も以前に比べると、ハム人口の減少に合わせて激減してゐる、自宅開局のI-Gate局も最近は停波状態である、これを機会に、車のAPRSも店仕舞しやうかと運転席から取り外してコネクターなどをいじくり回してゐたら、赤いLEDがピカリと光、アンプのリレーがカチリと鳴つた。APRSのサイトを見ると、小生の移動局のアイコンが四国宇和島で拾つてくれたらしくて表示されてゐた、壊れてゐなかつた、どこか接触が悪かつただけのやうだ、もしこのトラッカーが回復不能であれば、最近もらつたモービル機にはAPRS機能が内蔵されてゐて、パワーも有るから(アンプも必要がないので)、入れ替えやうかとも思つてゐたが、しばらく今の構成で延命である。


令和 6年 8月 5日 (月)

 晴れ。今日も暑かつたがそれでも昨日ほどでも無かつた、ああ、エアコンがほしいとは思わなかつたから。
  最低気温 23.7℃ (05:24)、最高気温 33.2℃ (12:23)

 阿蘇五岳

 田んぼの志賀さんが、あちこちにイノシシの足跡があると云つてこられたので、一緒に田を見回つたところ、畔と稻の境目のところを歩いた足跡が隋所にみられた。ただ、周辺には電柵が有るのでどういふ経路で入つてきたのか特定できない。

 いずれにしても活動時期に入つたことは確かで、裏の畑の脇に置いた箱罠の餌も大分減つてゐるので、今日、またコメ糠を撒いてをいた。侵入ルートがわかればくくり罠も設置できるのだが。

 日中、外でちよつとでも作業すると、暑くてたまらん、やはり家の中でゴロゴロしてゐるに限る。今日も夕方近く、夕立雲がすぐ近くまで来て、ポツリポツリと雨粒が落ちてきたので、いよいよ来るなと思つてゐたら、直前で雲の流れが南に変わつて、当地には雨はほとんど降らずに終わつた。

 カークーラーのメンテナンスに冷媒ガスの補充だけでなく、長い年月使つてゐると、潤滑剤オイルの補充も必要になるさうだ。確かにエアコンプレッサーにも潤滑剤オイルを使う(オイルレスもあるが)。軽乗用車のエアコンの効きがあまり良くないので、オイルを補充してみた。方法は冷媒と同じで、簡単にできる。確かに冷房の効きが良くなつた、外に出ると眼鏡が曇るほど冷えるやうになつた。軽トラ用にも買つたので、後日補充をしやうと思つてゐる。

 夏子がマイナンバーカードの更新に市役所に行つた、小生も固定資産税を納付する用があつたので付き合つた。彼女は住所をこちらに置いてあるので、更新もこちらで、そのために、事前に更新手続きをとつてあつたが、交付日が丁度今回の帰省に合つたので無駄足を踏まずに濟んだ。今回更新したマイナンバーカードの有効期間は10年なのださうだ、未成年の場合は5年なのださうだ、だから、今回の更新では成人になつてからの更新になるので10年といふことになる。小生のやうな高齢者が持つてゐるマイナンバーカードも10年なのだらうか、最初の発行から既に数年經ってゐるのでまるまる10年ではないが、次回の更新と寿命が尽きるまでの年数とどちらが長いかである。


令和 6年 8月 4日 (日)

 今日も日本列島暑かった熊本県もことのほか暑かつたが午後から予報通りの通り雨で、ひとしきり雷と雨が乾ききつた大地を潤して行つた、打ち水効果で気温も一気に数度下がつた。
  最低気温 24.4℃ (05:35)、最高気温 34.1℃ (12:40)

 夕立の雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山にひぐらしの声 式子内親王

 夏子が帰省してきた、昨夕、母親が迎えに行つたので、母親は向こうで一泊して、日が替わつて今日一緒に戻つてくるのかと思つてゐたら、昨夜のうちに夏子が運転をして戻つてきたさうで、今朝起きるともう家で寝てゐた。バイトの関係で数日で一旦向こうに帰つて、また改めて来る予定なんださうだ。

 午後から、ちよつと買い物に出やうとした母娘、家を出たあたりにイノシシが居つたとLINEで知らせてきた、写真でいふとこのあたりだ。二頭のウリ坊を従えた母親だらう、三匹が道路に出てゐたさうである。時々車の往来が有る道路、しかも昼日中の出没である、これからウリ坊の成長に合わせてイノシシの活動が活発になり田んぼを荒らし始める季節だ。


令和 6年 8月 3日 (土)

 連日暑さを更新してゐるかのやうに日本列島暑い日が続いてゐる。今日は特に九州地方が暑かつたやうだ。
 熊本も猛暑だらけ、我が家の周辺は阿蘇のアメダスポイントよりも遥かに高い気温を記録してゐた、何かの間違いではと思つたが、南阿蘇が我が家付近と同じだつたので、ホンのちよつとした原因で気温が違ふのだらう。
 ただ、その割には、今日は昨日ほどの暑さは感じなかつた、エアコンが欲しいなと云ふほどの暑さを感じなかつた、湿度のせいだらうか。。
  最低気温 23.0℃ (04:00)、最高気温 36.4℃ (15:21)

 阿蘇五岳1
 阿蘇五岳2

令和 6年 8月 2日 (金)

 東北地方の北部が今日梅雨明けしたさうだが、わざわざ一日遅らせることもあるまいにと思ふのだが。これで、全地域の梅雨が明けた。それにしても連日の晴天続き、各地猛暑、流石に我が家も暑い、家屋全体、特に三角屋根裏の広い空間が屋根からの直射熱で暖められて大きな蓄熱層が出來て、そこから来る熱で屋内に居ると暑く感じる、逆に外の木陰に居るほうが涼しくて気持ちがいい。
 大気が熱くなりすぎると積乱雲が発生して雷や夕立が降ると云ふがここのところそれすらも無いのか。
  最低気温 24.1℃ (00:38)、最高気温 32.8℃ (16:03)

 阿蘇五岳

 小生は先祖、それも非常に近い先祖のことを知らないことが多すぎる。小生の曽祖父・園田太邑の妻のこと。そして、祖父・杵島の妻のこと、つまり祖母だが。彼女のことは幼い時に一緒に暮らしたこともあり、よく記憶に残ってゐるが、祖母が祖父の(あたりまえのことだが)配偶者だつたことはほとんど意識したことがない。祖父は早く死に、小生には祖母の存在しか知らなかつたこともある。
 我が国では古来より男系継承なので、曽祖父、祖父、父と云ふ系譜で先祖を認識してゐても、その配偶者についてはあまりよく知らない。流石に、父の配偶者、つまり、母については当然よく識つてゐるが、その一代前、祖母・エンについては、系譜的にはあまりよく識つてゐない。それでも、こちらに住むやうになつて調べて凡そのことは分かったが、祖母の一族のことは、もう全く知らない(祖母の兄のことは少し分かつたが)。親が存命中にもつと訊いておくべきだつた。
 先日、曽祖父・太邑のことで坂梨御茶屋のご縁者が訪ねて来られたが、その時に、太邑の妻が、御茶屋の娘さんだつたことを話したら先方はご存じなかったやうだつた。

 小生も曽祖父の事績についてはある程度識つてゐるが、姻族については漠然としか知らなかつたので、今日、先日、墓掃除に山に登つた時に撮つてきた墓石に彫られてゐた文字を元に、その他の資料などと付き合わせて、調べてみたところ。
 墓石にはこのやうに彫られてゐた。
 園田蘇門翁室市原惟勝翁第四女明治十有九季丙戌十一月二日歿享年三四
 
 そして、この墓石は息子の杵島、つまり祖父が建立したとあつた。
 したがつて、律子と云ふ人が小生の曾祖母だといふことを資料を元に今回初めて確認した。

 曽祖父の年譜と曾祖母の墓石から逆算した年齢から、満年齢、数え年齢などの誤差があるが、祖父・杵島は、凡そ、曾祖母が21歳で曽祖父太邑が18歳の時に誕生した計算になる。姉さん女房だつたのだらうか。それから曾祖母の墓石に彫られた杵島建立から計算すると、祖父・杵島が13歳の時に建立した計算になる。当時、曾祖母の夫・太邑は健在だつたが、何故息子が建立したことにしたのだらう。今日はそのやうなことを調べて外には全く出なかつたが、ざつと計算したので、いろいろと計算違いが出てくるかもしれないが、なんだか先祖が非常に近く感じられた一日だつた。


令和 6年 8月 1日 (木)

 メリハリが無いのでなんとなく8月に入つたといふ気分である。

 今日も暑かつた、You might think but today's hot fish.
 googleの翻訳にかけてみた「と思われるかもしれませんが、本日のホットフィッシュ」だと。
  最低気温 22.9℃ (05:04)、最高気温 32.6℃ (15:03)

 東北地方で梅雨が開けた、ようやく全部梅雨明けかと思ったら、東北北部がまだだつた、東北も南北に分かれてゐるのか。

 阿蘇五岳 1
 阿蘇五岳 2

 今日も朝のうち2時間ほど草刈りをした、気持ちの良い汗をかく。

 軽トラックのエアコンのガスチャージをした。昨夏、エアコンが効かないからガスチャージをしやうかと、冷媒を買つたが、結局我慢して使わなかつた。

 今年は去年より暑さうだし、山を下りた時にタマらんだらうと思つて、チャージをした。この冷媒、通販で買つたのだが、不思議なことにホームセンターなどには売つてない。送料を払つて通販で取り寄せなければならないが、これ、何か特別の販売の免許でも要るのだらうか。
 いやあ~ヒンヤリして気持ちがいい。



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