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(2023)令和癸卯 5年 7月の記録 (新しい日付けの順)

令和 5年 7月31日 (月)

 晴れたり降つたりの変な天気だつた、だから、今日一日気温は高くはならなかつた、それに対して日本各地は今日も暑かつたのだらう。
  最低気温 22.3℃ (03:29)、最高気温 28.6℃ (11:44)
 阿蘇五岳1 ・ 阿蘇五岳2

 それよりも、台風6号、大陸方面にまつすぐ進むと思つてゐた、予報もさうだつた(いや、予報が然うだつたから、然う思つていたのだが)、それがここに来て、急にこの先急旋回して九州に向かう予想の変わつた、なんだ話が違ふじやないかといふ気分だ。 画像1 画像2

 太郎とカミさん、昨日、疲れて帰つてきてカミさんなんかちよつと寝るといつて、太郎と一緒に寢たが、結局そのまま起きること無く今朝まで寝続けたさうだ。

 朝8時過ぎから約2時間、2タンク分、裏の畑地の草刈りをした。もはや「畑」でなくて「畑地」である、2/3くらい刈つたかな。今日の作業も暑くなかつた。


令和 5年 7月30日 (日)

 午前中雨、午後から上がる。今日も全国的に猛暑だつたらしいが、当地は雨もあつて30℃に行かなかつた、過ごしやすかつた。
  最低気温 22.7℃ (08:20)、最高気温 29.1℃ (14:08)

 朝起きて、散歩にでも行くかと思つてゐたら、なんとなく雲行きが怪しい、レーダーを見ると九州の太平洋岸にかなりの雨雲が・・・大分方面では大雨警報が出されてゐる、通常は雲は西から東に流れるところ、今日は東から西に動いてゐる。九州山塊が屏風になつて、熊本方面には大雨にはならなかつたが、午前中、弱い雨が降つてゐた、今日はそんな予報出ていたのだらうか、今日も草刈りしやうと思つてゐたが出來なかつた。

 太郎の中学校のバスケ部の天草遠征、全部で十数校集まつたやうで、昨日、太郎たちの属したグループのリーグ戦で一位となり、今日はその一位グループ同士で決勝トーナメントがあつたとか、優勝は逃したやうだ。太郎たち一年生だけでも試合をさせてもらつたさうだが、夕方6時ころ疲れ果てて帰つてきて、そのまま布団に潜り込んで寝てしまつたので詳しくは聞けなかつた。

 今日は土用丑の日、カミさんが天草からウナギの蒲焼を買つてきたので、予定外の「うな丼」を食べた、腹に収まつてから写真撮り忘れたのに気がついた。天草ではウナギは捕れないだらうと思つたら、鹿児島産を天草で買つてきたものだつた。国産ウナギ、高いのに驚いた。

 小生は天草には行つたことはない、熊本県の東端と西端、それに天草は道路が渋滞すると聞いてゐるのでなかなか行く機会が無い。


令和 5年 7月29日 (土)

 晴れ。阿蘇は湿度が低く風も適度に吹いてゐたので過ごしやすい一日だった、夕立にわか雨の心配も無さうだつた。
  最低気温 20.8℃ (05:44)、最高気温 31.1℃ (13:58)

 太郎は、天草で熊本の中学校の各校のバスケット部と親善交流の試合があるさうで、一泊二日の予定で保護者の引率で朝早く車で出かけた。

 小生、前の畑の草刈りをした、7時半くらいから10時半まで約三時間、燃料、2タンクと少し使つた。今日も全国的に暑かつたやうだが、直射日光を背に受けて草を刈つたが、風が気持ちよく吹いてゐてほとんど暑さは感じなかつた、作業が終わつたころ29℃くらいだつたので、まだ気温はそれほでもなかつた。

 我が家に隣接する田の主殿が電柵を張つてゐたので訊いたら、なんとなくまたイノシシが入り始めたやうなので、張ることにしたとのことだつたが、明らかにイノシシだとはまだ断言できない、もし、またイノシシが出てき始めたのなら、丁度「マタギ」のナベさんが来てゐたのでワナをかけると云つてゐた。、

 阿蘇神社は楼門、神殿などと平行に横参道が走つてをり、その北の端の鳥居わきに猿田彦の石碑があつた。この石碑はめずらしく「ひらがな」で彫つてある。猿田彦のmapに追加をしてをいた(ポイント26)(「風の便り」の目次に猿田彦MAPのボタンあり)。

 今夜はNHKテレビで、ラグビー日本代表とトンガとのテストマッチがあつた、NHK+でもやったので、PCのモニターで見てゐる(終わるまで待てないので、見てゐると書く、半分終わったところだが、今日は勝てさうな気がする)。


令和 5年 7月28日 (金)

  晴れ。 全国的に今日も昨日以上に暑かつたやうだ、阿蘇市は昨日を超えてこの夏最高の気温を更新した。
  最低気温 20.8℃ (05:24)、最高気温 32.9℃ (14:00)

 朝、カミさんに駅まで送つてもらつて、熊本の出田眼科病院に、白内障手術後の診察へ。瞳孔を開く目薬を注すから車で来るなと云ふ、前回はそれでも車で行つたが、今回は大人しくJRで行つた

 早朝、駅員は居ない(居てもカーテンを閉めて窓口サービスはしない)、宮地駅から熊本駅までは1,130円、自動販売機で切符を買おうとするも何度紙幣を入れても戻つてくる。何度目かに別の紙幣を入れて漸く発券。切符を買つてから改めて見たら、5,000円10,000円は受け付けないとある、つまりこの自動販売機は1,000円札しか使えないと云ふことだらう、たわけ!である。JRがダメなわけである(尤も、切符無しで乗つても問題無いのだが。ワンマンだから車掌は居ない。帰りに宮地駅に着いたら、昼日中なのに居るべき駅員が居らず、切符を入れる箱だけが置いてあつた、無賃乗車をしやうと思へばできるシステムだ)。

 豊肥線、駅に「世界唯一のカルデラ横断鉄道」と謳つてあつた、なるほど然う云ふ言い方もあるのか、然う思つて、車窓から眺めてゐたら、確かに阿蘇カルデラの雄大な景色、これはもつと「カルデラ横断鉄道」を宣伝すると良いと思つた、車で走るのに比べてまた違つたアングルで阿蘇山の裾野を味わうことができる。赤字だ赤字だ減便だ廃線だと云ふ前にもつと頭を絞る余地はまだまだあるぞJR。

 今日も途中の駅駅で高校生が乗つてきたが、なんだかこの前より少ないなあと思つたら、そうだ、今は、夏休みだつた。
 それでも大津で乗り換えた電車はほぼ席が埋まつてゐたが優先席が空いてゐたので、小生、有資格者だよなあと思つて座つた、それでもなんとなく落ち着かず、もし、お年寄りが乗つてきたら小生より若い年寄りでも小生多分替わるだらうなと思ひながら、座つてゐた、小生年寄りの自覚がないのだ。

 手術後の経過、順調です、とのこと、ものの小一時間ほどで診察終了。暫くは目薬を続けて、次回はひと月後にまた行くことになつてゐる。

 病院が終わつて、哲兄のとろに寄つてみやうかと思つて電話をしたら、これから年金事務所に行くところだと云ふので、まつすぐ帰ることにして、急ぐ旅でもないので、少し歩いて市電で熊本駅まで戻つた。朝は時間がないのでタクシーだつたが、歸つてからから調べたら、熊本駅から出田眼科病院まで約1.5キロくらいの距離だつた。タクシー、初乗り運賃より少し高い程度で、当然歩ける距離だ。

 阿蘇に帰る列車待ちの時間、駅ビルでブランチ、モスバーガーの朝なんとかといふハンバーガーとコーヒーのセットを食べる、小生のハンバーガー歴は、生涯で五指に余る、いや、五指で余る、五指に満たない、が正しいか。とにかく以前食べた時の味を覚えてゐないので、初めて食べるのと変わりがない、美味かつた、新鮮な感動、ハンバーガーとは美味しい食いものだ、認識を新たにした。

 夏休みなんだな、リュックを担いだ家族連れ、それとまた戻つてきたインバウンドで駅構内、国際色豊かに結構賑わつてゐた。熊本駅から宮地駅まで帰つてきて、さて駅からどうやつて帰るかと思つたが、いつも、太郎たちには歩けと云つてゐるので、この暑い時期歩くのはどんなものだらうと思つて、実体験することにして、途中コンビニで昼飯用のサンドイッチを買つたり、ナフコでボンの餌を買つたりしながら、ちょうど昼を過ぎたころ、32℃の炎天下を歩いて帰つてきたが、どうといふことなかつた、たかだか3キロ弱の距離、嫌々歩くか、ポジティブに歩くかの違いだ。つまりは今の人間、歩かなすぎるのだ、家庭で学校で、社会で國で過保護が極まつてゐるのだ、どんどん軟弱な日本人が育つゐる、「熱中症」、笑わせるなである。
 
 本日の万歩計 13,461歩。いつもは3,000歩程度だ、今日はよく歩いた。



令和 5年 7月27日 (木)

 晴れ。 全国的に猛暑の一日だつたやうだ。高地の当地も今年一番の暑さだつた、ただ、外作業をしたわけではないので、夕方に記録を見て驚いた、我が家にはエアコンは無いが周囲が田んぼのせいかその必要性を感じない、扇風機を回せば冷たい空気が動くのでエアコンは全く必要としないのだ。今日あたりの暑さだと二階に居ると屋根の照り返しで暑くてたまらないはずだが今日はそんなことなかつたなあ、歳を取ると暑さがわからなくなると云ふがそれかなあ。
 今日も九州の上空、所々に雲が湧いて居たが昨日までほどでは無かつた。
  最低気温 21.9℃ (05:11)、最高気温 32.7℃ (14:39)

 午前中、阿蘇文化調査研究会の定例会が就業改善センターであつた。

 太郎、今日は部活のみで塾は休みだつた、カミさんは定期健診だとかで午前中、熊本まで出かけた。


令和 5年 7月26日 (水)

 晴れ。今日は気温が当地としてはかなり上がつた、しかし、空気が冷たいので、体感的に「暑い!」と云ふほどでも無かつた。
  最低気温 20.6℃ (05:32)、最高気温 31.5℃ (14:57)

 9時ころから小一時間、竹林の巣箱周囲と浄化槽周りと前庭の草を刈つた、直鎖日光を背中に受けながらの作業だつたが、この時間、まだ暑さは特に感じなかつた。汗が手術をした目に入つて來たが、それで思い出した、汗も目に入らないやうにと看護婦さんが云つてゐた。でももういいだらう。、

 太郎の塾、夏休みモードで、夕方近く、宮地までチャリで行き、そこからバスで大津まで行つてゐる、帰りはカミさんが大津まで迎に行つてゐる。クラブ活動も夏休み中は朝から昼まで。朝起きぬけで食欲が無い上、あまり食べると、ランニングで気持ちが悪くなるからとじつにあっさりしたものを少しだけ食べて出ていく、夕方の塾に出かける時間が夕食には少し早いのでバスの中で食べられるやうに握り飯だとかサンドイッチをもたせるので、クラブ活動から歸ってきた昼飯時にしっかり栄養のあるものを食べさせなければならい、小生は終戦直後の貧しい時代に育つてきたので、母親が何かと云ふと、すぐに栄養失調になるからとこどもの栄養状態にいつも気を配つてゐた記憶が染み付いてをり、今でも小生も何かと云ふとすぐ栄養失調といふ言葉が口に出るが今どきはもう栄養失調などと云ふ言葉を使うことは無いのだらう。

 今日の昼食は、サイコロステーキを焼いて、余つた肉汁で、ガーリックライスを作つてやつた。

 連日の午後のにわか雨、今日もなんとなくその気配があつたが、ギリギリかすめて通過していつた。太郎は無事にチャリで宮地駅のバス停まで乘つて行つた。昨日は雨の上がりかけで結局小生がバス停まで送つた。

 太郎がバスの中で食べる早めの夕食、今日はコンビニの握り飯に、小生が卵焼きなどの副菜を別に作つて持たせた。

 これ、小生の晩飯



令和 5年 7月25日 (火)

 晴れ。今日、最後まで残つてゐた九州北部の梅雨が明けた。それでも午後から昨日のやうにどんどん南の方から雨雲が流れてきて雨と雷が鳴つてゐた、本当の九州北部では大雨警報まで出た、熊本県も竜巻注意報が出された。夕方には雨が上がつた。

 午前中、先日買つた大きめのケージに入れてボンの狂犬病予防注射に行つてきた。通常は春と秋に市の巡回予防接種があるが、ボンの場合は、春の巡回接種時にはまだ来てゐなかつたので、今回動物病院で打つてもらつた。これで鑑札と狂犬病予防注射接種済票のセットが揃つた。
 ついでにフィラリア予防薬ももらつてきた。ボンの体重は6.8キロになつてゐた、豆柴は大体このくらいまでだらうとのことだつた。
いやいやお犬様にはカネがかかる。 

 漸く今日から洗顔洗髪が可能になつた。普段でも顔はロクに洗わない方だが、頭をこれだけ長く洗わなかつたのは初めてである、初めて?でも右目の時はどうだつただらう、忘れた。大腸がんで腹を切つたときはどうだつただらう、これも忘れた。今回不思議と頭が痒くなることはなかつた。昔の髷を結つてゐた時代は、然う然う頻繁に髪を洗うことなど無かつたらう、世界を見回しても日本人ほど毎日風呂に入る人種は無いだらう、風呂なんかそんなに毎日入る必要は無いのかもしれない。
 そんわけで久しぶりに風呂に入つて頭を洗つた、やはり生き返つた気がする。

 昨日取り付けたシーリングライト、取り外した前の蛍光灯のシェードが立派なので、今回のライトのシェードとして、使えないかとやつてみた。

 途中、引掛けシーリングが欠けてしまつたので、買つてきて付け直した。白と黒の線、白が接地側なのだが、これがいつも迷う、感覚的には接地側は黒といふイメージなのだが、この工事、電気工事士の資格が必要だったか?
 
 最後の最後になつて、大きなシェードを止めるネジが飛び出てゐてそれが邪魔で引つ掛けシーリングに照明具を取り付けられないことがわかつた。この出つ張りを無くしてシェードを取り付ける方法を工夫しなければならない、今日のところはまた元に戻した。

 最近、「生成AI」だとか「ChatGPT」といふ言葉が盛んに耳に入つてくる、目からは入つてこない。ラジオを聽いてゐると度々それは耳に入つてくる、ネットでも活字媒体でもその文字は目にするがこちらのほうは意識的にといふか興味がないからその先を読もうとはしない、スルーである。
 なにやらなにかについて文章を書きたい時に自動的に文章を作つてくれるらしい。小生は内容は稚拙でも文章は自分で書くから然のやうな道具は必要としてゐないから突つ込んで調べる気がしないのである。もし、小生が現役なら、多分、使つてゐたゞらうが、隠居の身には全く必要がない道具だからだ。だからいまだに、もし、使うならどうすれば良いのかも知らない、どこかのサイトに行けばそれをやつてくれるのだらうか、アプリケーションでもインストールするのだらうか、「わさもん」としては不思議と手が出ない、少し前に、もう言葉が出てこない・・・・「何かを訊くとスピーカーが答えてくれる」で検索して、「Alexa」といふ言葉で思い出した、このAlexaも一時は注目を浴びたが、あれ、いまどうなつてゐるのだらう、これも、「生成AI」だとか「ChatGPT」だとかの仲間なのだらうか。
 小生は色々な最近のテクノロジーにはどうも興味がわかない、やはり原点はモールスだ。

 Twitterのロゴが青い鳥から「X」に変わつた、変わると聞いてからすぐに変わつた、小生はもともと twitterは好きじゃなくて、必要に迫れて最低限入ってゐる程度で普段全く使つてゐない。よく考えもしないで、衝動的に思つたことを発言して、しょっちゅう炎上しては謝罪してゐる、そもそもつぶやきなんか人に聞かせるものではない、密に人に聞こえないやうにするものだ。

 それでも最近追加された「コミュニティーノート」といふ機能、これは面白い。世の左翼政治家、左傾のマスコミ、活動家、評論家、「芸能人」などのタメにする発言が次々に餌食になつてゐる。如何にあいつらの発言がいい加減なのかがよくわかり痛快である。


令和 5年 7月24日 (月)

 晴れ。午後に入つて、3日続けて同じやうないくつもに分かれた雲の塊が次々に連なつて、夕方近くまで陽性の雨を降らせてゐた、雨とともに気温が一気に下がつた。梅雨が明けた南の方から雲が流れてきたので、これは梅雨の雨では無い、天気図を見てもわからない、どんな雨なのだ。
  最低気温 21.1℃ (04:06)、最高気温 29.6℃ (11:50)

 午前中、泌尿器科を探して山を降りて菊陽方面まで足を伸ばした。阿蘇谷の一番端つこに泌尿器科もあるといふ医療機関にネット情報で出かけたが、今はその科はやってないということで、急遽山を降りることになった。
 
 イチモツに少し気になる症状があつたので、出かけたのだが、阿蘇谷には泌尿器科が無い。近隣にも泌尿器科は少なくて、ようやく探し当てて飛び込んだ。昼過ぎまで待つて、ようやく順番がきて診てもらつて、ものの5分もかからずに、終わつた。その程度のことだつた。大事な場所なので(もうさうでも無いか)少し心配だつた、いくら歳をとつてもイチモツを出して診てもらうのはやはり恥ずかしいが、医師もその点は心得てゐて冗談交じりで対応してくれた、看護婦さんは診察室に居なかつた、多分気を利かしたのかもしれない。

 アマゾンから、先日壊れた小生が寝てゐる部屋の天井灯の新しいやつが届いたので取り付けた。最近はLEDなので全体的にコンパクトである、一時より値段もかなり下がつたやうで、さらにその中でも一番安いやつにした。新しいシーリングライト、計算上は小生が死ぬまで、いや死んでも切れないはずである。

 晩飯 鰹たたきを作つた



令和 5年 7月23日 (日)

  晴れ。 今日九州南部の梅雨明けが発表された、これで殘るは九州北部だけだ、天気図をみてもどう違ふのか分からない。ここは気象庁的には九州北部に属する。夕方5時ころから2時間くらい、夕立と云ふには少し長めの雨と雷に見舞われた。雨は天然の打ち水だ、一気に気温が下がる。
  最低気温 21.9℃ (02:01)、最高気温 29.3℃ (15:29)

 若い頃は一日でも頭を洗わなければ痒くなつたが、歳をとるとかもしれないが、手術前夜の18日の夜に頭を洗つて以來、洗つてゐないが不思議と痒くならない、痒くならないが頭皮の脂質が層を爲してゐることだらう、あと2日か、小生は律儀に医者の言いつけをよく守る。
 目薬だつて、一日4回、三種類の目薬を5分間隔で注してゐる、適当に流してゐる人も居るのだらうが、小生は律儀なのである。

 この本、「極楽征夷大将軍」、足利尊氏のことである、昨日だつたか、直木賞を受賞した作品だ、小生はそれとは関係なしに然うとは知らずに、少し前に図書館に予約をしてゐたので、すぐに借りられた。おそらく発表と同時に予約が殺到するだらうが、それより前に「ゲット」できた。なるべく早く次に回すべく読みかけの本を措いて先にこちらを読もう。

 小生、日本の歴史小説、特に、平安末期から鎌倉室町時代の貴族政治が武家政治に取つて代わるころの歴史が好きである、平家物語、太平記の時代である。飛鳥天平時代も好きである、戦国時代も徳川時代も好きである、明治から昭和にかけても好きだ、なんだ日本の歴史は全部好きなのだ。

 今日借りたもう一冊は昭和だ、佐々木譲「時を追う者」、これは満州事変だ、SF小説になるのか、それでも当時の時代がよく分かりさうな作品である、佐々木譲の作品だからハズレは無いだらう。


令和 5年 7月22日 (土)

 曇り、湿度も気温も高く蒸し暑い一日だつた。関東甲信地方・東北地方の梅雨明けを発表した、当地もはつきりした晴天ではないが、発表が無いだけで基本的にはもう梅雨は明けてゐると思つてゐる。と思ひながら、夕方雨雲レーダーを覗いたら、我が家周辺に雨雲の塊が点在してゐて、ひとしきり強い雨を降らせ、雷鳴を響かせて通過して行つたが、これは梅雨の雨でなくて夕立である。
  最低気温 23.0℃ (04:49)、最高気温 31.1℃ (14:47)

 今朝またスズメが煙突からストーブの中に落ちてきた、今年、これで二度目だ。毎年今の時期、今ころは営巣の季節なのだらうか、巣を作ろと煙突に入り込んだスズメが時々そのまま奈落の底に落ちてくる。

 最初の頃、ストーブのドアを開けてスズメが飛び出すのを待つてゐたところ、飛び出したスズメが家の中、あちらこちら二階まで飛び回りそれを捕まえるのが大変だつた。そのうちに要領が掴めて、家中のカーテンを引いて暗くして、一箇所だけ開けておくと、飛び出したスズメ、一目散にその明るい窓を目指して外に飛び出していく、これで、スズメが落ちてきてもすぐに解放できるやうになつた。
 始めの頃、煙突の周りにネットでも張らうかと考えたこともあつたが、簡単に解放する方法がわかつたので、ネット張り計画は沙汰止みになつた。

 今日はオーチャードハウスのミーティングがあつたが、小生、白内障手術後一週間、洗顔洗髪厳禁、人前に出られる風貌ではないので、今回はパスさせてもらった。

 今日テレビで日本代表のラグビーの試合中継があつた、たまたま気がついた、ラグビーのシーズンは秋から冬のものだと思つてゐた、調べたらこれから先もあと何試合かテレビで放送がある、まもなく開幕のワールドカップの前哨戦的位置づけの試合だ、これは嬉しい。

 本日の試合 日本代表 対 サモア 敗けたけど面白かつた、リーチマイケルがレッドカードで退場してほとんど14人で戦つたけど、それはそれで駒落ちでどれだけ戦えるかを見る良い機会でもある、プラス思考である。

 ラグビーの審判、サッカーに比べて公平であると思ふ、ホームタウンデシジョンは無いやうな気がする、今日のリーチマイケルのハイタックルも厳しく取つてゐた、同時に観客もマナーが良い、サッカーのやうに騒がない。サッカーのやうにフーリガンがゐない(最近は少しゐるみたいだけど)。

 ほぼ同じ時間帯に、女子サッカーのワールドカップの「なでしこジャパン」の試合があつたこと後からニュースで知つた。番組表を確認したらNHKBSで中継をしたやうだが、興味がないので全く気が付かなつた、尤も我が家のテレビはBSに加入してゐながらもう十数年アンテナの向きが狂つてるのか映らない。

 小生的には、やはりラグビーの方がサッカーよりも面白い、厚み深みがある。サッカーは若者向けの「ポップカルチャー」で、ラグビーは違う、と小生なんか思つてゐる。ポップカルチャーの対語はハイカルチャーと云ふらしいが、小生、そこまでは云はない。
 
 夜8時頃、突然ドカンといふ大きな音がしたので、雷かと思つたら、そのあとドカンドカンが続いたので、花火だとわかった、いつもやる遊水地でなくて、我が家から阿蘇神社と小学校の間くらいの方向で上がってゐた、煙で肝心の花火がよく見えなかつた、どこの主催で何処だつたのだらう。
 ボンが怯えて走り回つてゐたのでそばに居てやつた。

 6月にあつたジャンボ宝くじ、今販売中のサマージャンボをネット購入するついでに今朝確認したところ、10,000円と3,000円当たつてゐた、30枚買つたので、最低当り額の900円を加えて、13,900円の当選金。小生、10,000円などと云ふ"高額当選"は初めてだ。高額当選と云つてもクオーツ""付きだが。確か昔5,000円は当つたやうな記憶がある。
さあ、今度はイチ、ジュウ、ヒャク、セン、マン・・・・・700,000,000円か・・・「師」のたまわく、宝くじは買わなければ絶対に当たらない、買つても絶対に当たらない。

 夜9時15分頃、珍しくまだ起きてゐた、ユラユラと小さな横揺れがした、何処だらうと思ってゐたら速報が流れた、大分と四国の間、豊後水道あたりだらうか(日向灘だつた)。ここは震度3と出てゐたが、それほどは揺れなかつた


令和 5年 7月21日 (金)

 曇り。梅雨前線は九州の南岸から本州の太平洋岸を列島を囲むやうに伸びてゐる
 台風5号が発生した、これはこちらには来ない、だらうな。
  最低気温 21.5℃ (05:10)、最高気温 29.7℃ (13:41)

 今日から小中学校は夏休みだ(高校はどうなのだらう)、小生の見守り稼業も暫くは休みだ。

 昨日から始まつたNHKの夏休みラジオ体操会、今朝もラジオから元気に聞こえてきた。
 子どもたちが大勢いる地域の知り合いに訊いてみたところ、少し前から夏休みのラジオ体操が無くなつたやうだ、武漢コロナがやめるのに丁度良い理由になつたのかもしれないが、毎年夏休みに入ると学校からもらつてきたラジオ体操カードが太郎の小学校が終わるころから持つて帰らなくなつた、学校自体がカードの配布をやめたらしい、学校自体がラジオ体操の奨励をやめたらしい。

 ご近所からのラジオ体操の音がウルサイといふ苦情や保護者が子供に付き合つて早起きするのが負担だと云ふ声などがラジオ体操会をしなくなつた理由のやうである。なんとも住みにくい世の中になつたものだ。
 
 地域のラジオ体操会、子供の参加に加えて大人・年寄りも参加することに意義があると思つてゐた、特に年寄りの参加、毎朝決まつて参加することで生活のメリハリが出來て、併せて安否確認もできる、コミュニケーションを図ることができる。仙酔峡下の「大和ハウス」の一部地域では通年、毎朝ご近所が集まつてラジオ体操をしてゐると聞いた、これなんか良い習慣だと思つてゐる、過疎が進んで地域の人が減り、普段あまり顔を合わせる機会がなくなつてきてゐるのでせめてラジオ体操でもやつてみんな出てくれば良いと思ふのだが。

 最近では、蛙の声がウルサイと田んぼの持ち主に文句を云ふ人がいるらしい、保育園が近所にできるとウルサイから反対だと云ふ人、電車内で赤ん坊の泣き声がウルサイと文句を云ふ人、そのうちに夏の風物詩セミの鳴き声もウルサイ、駆除しろと云ふ人間が現れさうだ、小生に云はせると、そういつた人間どものはうがウルサイ、さう云つた一つ一つがひ弱な人間を育て、簡単に熱中症だとかで倒れる軟弱な人間を作ることになる、そしてまた日本の文化がひとつ消えて行く。
 昔ね、夏休みになると、毎朝広場に集まつて、みんなでラジオ体操をしたんだよ。へえ~そうなの・・・・

 白内障の手術後はしばらく激しい運動はするなと注意にある、だからと云ふわけでもないが、今日は一日家で静かにしてゐた。一日一日に4回、三種類の目薬を5分間隔でさしてゐる。

 一週間、洗顔洗髪が厳禁なので汚らしいので人前に出るのは遠慮だ。

 小生が寝てゐる部屋の天井灯が点かなくなつた、それほど複雑な回路ではないが、よくわからない。ヒューズは飛んでゐない、いじくり回すのはやめて一番安価なシーリングライトを注文した、いまではもう全てLEDライトになつてゐる。


令和 5年 7月20日 (木)

 曇り 昨日今日阿蘇不在だつたので天気の様子が分からない。中国・近畿・東海地方が梅雨明けしたさうだ。
  最低気温 23.1℃ (04:36)、最高気温 28.1℃ (14:46)

 今日が小中学校の終業式、明日から夏休みだ。昨日と今日、小生が立てないのでカミさんに登校見守りを代行して貰つた。別に個人の自由営業だから休んでも構わないのだが、カミさんに頼んだ。

 朝、4時ころにはもう目が覚めた。ラジオを聽いてゐたら、ラジオ体操、今日からスタジオを出て全国巡回ラジオ体操始まつた、いよいよ一ヶ月各地からラジオ体操があるのだ、去年はどうだつたらう、武漢コロナで巡回ラジオ体操無かったのではなかつたらうか。昨年はあつたが一昨年がなかつたのか、近年、我が集落には子供がいなくなつたので夏休みのラジオ体操が無かつた。いや、昨年は太郎はまだ小学生だつたが、学校自体が子どもたちのラジオ体操をやらなくなつたのだつた。今年はどうなのだらう。

 病院の朝食、さすがに6時では早いかな7時くらいかなと思つてゐたら7時45分ころ朝食出た。朝食はほとんど禅寺の朝食のやうで、動物性たんぱく質は無し。海苔や納豆もつかない、牛乳は付いたが、これではカロリー不足になる

 考えたのだが、朝食はどうしてどこもこんなにあつさりなのだらう、朝食がこれから一日の活動の始まりの食事なのだからしつかり食べるべきなのに、朝からしつかりと肉を食いたかつたなあ。

 歳を取つたら肉などのあまり高カロリーのものを食わないはうが良いと云ふ、でも草木ばかり食べてゐると体力が無くなり骨が脆くなるからもつと肉を沢山食べろと云ふ考えもある。小生は後者の説を採る。

 人間は基本、食べたいなと思ふものを食べるのが一番だ。体が必要な栄養素を自動的に選ぶのだ。肉が食べたければ肉を食えば良い。食べたいと思つてももう食べられない人、食べたいと思はない人、それはもう体が肉を要求してゐないからだ。「太る」のも体力が必要で、体力のない人は太ることも出來ない、高齢者でも肉を食べたい人はどんどん食べる方が良い、無理して「節制」「摂生」するのは逆効果だ。人間の寿命はそんなものにはあまり影響を受けない、人間を形作る体の「部品」は機械ではないので、万人それぞれ違う、たまたま持つたその部品の耐用年数に從つて生きてゐるに過ぎない。長生きする人は長生きする、短命で終わる人は短命で終わる、ただそれだけのことだ。「健康食品」小生はクソ喰らえと思つてゐる。

 8時半ころから三階の入院病棟にある診察室で診察を受ける、この時、初めて、ガーゼを取つて景色を見る。見事に濁りは消えて鮮明な風景がみえた。
 
 瞳孔を開く目薬をさしてしばらくして再度診察、結果異常無し、退院オーケー。
 会計を済ませて退院。一週間後経過観察受診予定。
 
 入院費用 後期高齢者医療保険2割負担 保険診療外を含めて 55,050円なり
 保険診療分は35,870円 2割負担だから元の金額は179,350円也、小生が納めてきた保険料と比べたら、決して迷惑はかけてゐないだらう。日本はアメリカなんかと比べたら本当に医療費は安い。

 術後一週間は洗顔、洗髪厳禁ださうだ、首から下は風呂に入つっても良いと云ふが、顔を濡らさずに入浴は無理だらう、必ず汗をかいて目に入るだらう。

 あれほど来るなと云つてあったのにカミさんが迎えに来る。小生としては久しぶりの一人旅、途中寄り道をしてゆつたり鉄道旅で帰りたかつたのにと思つたが、仕方がない。帰る途中、二人で浜勝でトンカツを食べて歸つてきた

 ボンの散歩、昨日はカミさんは(アイツは暴れるので)、餌だけやつたさうで、病院から歸つてから散歩に連れて行く、我が家に来てから昨日初めて散歩をしなかつた。

 たつた一晩家を空けただけなのに、何日も留守にしてゐたやうな気がする。


令和 5年 7月19日 (水)

 阿蘇の天気、居なかつたから分からない。降ってゐたやうな気もするが。
  最低気温 23.1℃ (02:40)、最高気温 27.6℃ (13:58)

 熊本の出田眼科病院に白内障の手術のために入院した。一泊二日の日程である。十数年前(2007(H19)3月16日~3月19日)に右目の手術をしたときは三泊四日の入院だつた。

 6:39発宮地発肥後大津行の豊肥線で行つた。駅までタクシーを呼ぼうとしたら、営業開始は7時からだと云ふ、昔は24時間営業だつたと思ふが、今は、田舎はさうでは無いやうだ、仕方がないので歩こうかとも思つたが不本意ながらカミさんに駅まで送つてもらつた。
 
 カミさん、病院まで付き添つて手術にも立ち会うと云つたがヤメテクレと断つた。たかが、白内障の手術、付き添いなんか要らない。手術後、夜、病院に来ると云ふのも、頼むからヤメテクレと断つた、たつた一泊だ、上げ膳据え膳で一人でのうのうとしたいのだ。

 小生は久しぶりの鉄道旅、ワクワクした気持ちだつた。宮地發の列車、小生しか乗客は居ない、貸切か?と思ったら、発車間際に乗客が少し乗つてきた、少ないなあと思つてゐたら、途中でどんどん乗つてくる、その殆どが高校生だ、考えたら今日は平日だ、通学生徒が乗つてきてありまえなのだ。終着大津駅に着く時にはほぼいっぱい。

 大津駅からは熊本駅行に乗り換えるのだが、確か昔、沢山の乗客が熊本行に乗り換えるのだから、対面乗り換えだつたと思ふが、今日の乗り換えは線路を跨いだ隣のホームへ移動する。へえ、と思つて対面乗り換えのところに停まつてゐる列車があるので目をやると、高森行のプレートがかかつてゐる。ああ、これ、先日7年前の熊本地震で長らく停まってゐて先日全線復旧した高森線へ乗り入れの南阿蘇鉄道の車両だつたのだ。

 大津から熊本までは「電車」である、確かにディーゼルより力があり静かで速い。でも、首都圏の電車(しかしらないが)に比べて揺れが非常に大きい、横揺れもさることながら縦揺れが大きい、線路が水平になつてゐないのだらう、昔の電車のやうに体が上がつたり下がつたりして、つり革を掴まなければ立つて居られなかった。
 乗客風景、ほとんどの人がスマホを睨んでゐた。昔乗つたときは、この地方ではまだそんなこと無かつた記憶がある。それから何人かがハンディー扇風機を持つてゐた、これ今の流行りなのだらうか。 

 熊本駅に着いた時点でまだ時間に余裕があつたので、駅ビルのスタバでコーヒーを喫してからタクシーで病院まで。熊本駅から病院までは初めてなので、タクシーであつと云ふまだつたので、その近さに驚いた。

 9時半から診療開始、簡単な診察の後、すぐに、これから手術だと云ふ。小生、一旦病室に落ち着いてから着替えてから手術かと思つてゐたので、その素早さに驚く。

 手術室の前には何人もの人が手術の順番待ちをしてゐる。複数の医師が複数の手術室で並行して執刀をするらしい。
 小生の手術は10時過ぎ頃だつたと思ふ。小生の番になつて、認識票を付けてもらって、控室で手術着に着替え、待機中に手術の段取り、心構えを看護婦さんに聞く。そして手術室へ。十数年前に手術を受けた時の記憶がすつぽり欠落してゐて、手術が終わつてでてきたところをカミさんに写真を撮つてもらったことだけ覚えている(その時の記録がある)。

 白内障の手術、濁つて世の中の景色がすりガラスを通して見るやうになつた水晶体を砕いて吸い出して、代わりに人工のレンズを入れる。もし失敗したら、失明するのかもしれないが、べつに難しい手術でもないやうだ、今はもう枯れた技術であつと云ふまに終わる、部分麻酔でやる、痛くも痒くもない。術後も全く痛くない、手術で一番痛くない手術ではないかと思ふ(と十数年前に右目を手術をしたときに日記に書いてゐる)。

 今回の手術室、床屋さん、より、もう少し大きいか。歯医者さんの椅子のようなものに座つて、その椅子を水平近く倒して頭の位置を調整してそのままの姿勢で手術を受ける。昔はもつと物々しい手術台だつたやうな気もしたが、全く覚えてゐない。

 目に何回か目薬をして、目のところだけ穴の開いた布状のシートを被せられていざ執刀。
 多分目薬のなかに麻酔薬でも入つてゐるのだらう、改めて麻酔注射をすることもなくどんどん進行。

 歯医者の椅子のやうに両肘部分の片方は血圧を測る帯を巻いた手を置き、もう一方の腕には点滴針が插してある。別に点滴をしないのだが、万一の場合に備えての静脈路の確保のためである。両腕とも拘束はしていないから自由に動かせる、体だつて起き上がらうと思へば起きられる、こんな不安定な状態で目ん玉に穴を開けて大丈夫なのかとこちらの方が心配になるくらいだ。

 瞼を閉じないように機械的に開けられたところに強いライトがあたる。痛くも痒くもない状態で、多分何かを挿してゐるのだらう、ただ、なにか明るい極彩色の球形のやうなものが目の前に浮かんで見えるだけで非常に幻想的ながらなにかは全く分からない、いつ水晶体を破砕したのかもわからない、事前説明では20分くらいの手術だと聞いてゐた、それにしては非常に時間がかかる、麻酔がかかつてゐるわけではないので、医師の、少し上の方を見ろだとか下の方を見ろだとかの指示はよく聞こえる。どこを見ているのかわからない上に焦点を結んでゐるわけでもないので、どう動かして良いのかわからないままに適当に動かす。

 とにかく時間が掛かりすぎる、そのうちに二人の医師がコソコソ話し合つてゐるのは聞こえる、トラブルシュートの話し合いか?装置類が発するアラート的な音が聞こえる、これ、もしかして、手術上手く行つてないのかと心配になる。
 もし失敗なら、改めて別の日に人工レンズ入れ直すのかなあ、失明はしないだらうなと思つてゐるうちに、ハイ終わりました、と云ふ医師の声。
 
 終わつたのだ、医師が去つたあと手術看護婦さんにいやに長かつたですねえ、なにか問題ありましたかと訊ねたところ、、順調な手術で手術時間は20分でしたよ。え?そうですかあ、一時間くらいかかつたかと思ひましたと云ふと、皆さん長く感じるみたいですね、と笑つてゐた。11時前には終わつてゐた。
写真1写真2
 
 そこで提案。目の部分だけの麻酔なので医師の声も指示も普通通り聞こえるのだから、手術中に手元が狂うといけないからこちらから尋ねることは出來ないので、医者の方で、いま全工程の半分くらいですよ、とか、今水晶体を破砕したところです、大雑把で良いからポイントポイントで状況説明をしてくれると非常にありがたい。小生は二度目で恐怖心は無いが、それでも、手術中は進行具合が気になるのだ、このくらいのサービスはしてもらつても良いと思ふ。多分医師は患者の立場になつたことがないので、患者の手術中の気持ちはわからないのだらう、このことを教えて上げたほうが良いのではと思ふのだが。それで患者が安心をするのなら安いものだらう。もしトラブル発生ならその時は黙つてやれば良いのだから。 
 
 手術室には歩いた入つたが、出るときは車椅子、手術前に脱いだ衣服、バッグ類を膝において病室へ。

 じゃーん、個室。当初は大部屋を頼んだが、大腸がんの時にいびきが大きすぎぎて手術直後なのに部屋を追い出されて処置室で寢たことを思い出した、今はもうそんなイビキはかゝないと思ふが、万一のことがある、どうせ今回は一泊だからと奮発して個室に替えてもらつた(ホテルだと一泊料金だが、病院の場合は2日分の部屋代を取られる)。個室は、ホテルのシングルと同じやうな作り、ただ、トイレはあるが風呂はない、どっちみち手術当日は入浴できないから構わない。
写真1写真2写真3

 
 部屋に着くとすぐに昼食。大部屋の入院患者は食堂で食事だが、個室患者はルームサービスで運んでくれる。

 ホテルの食事はどこでもさうだが、塩分が薄い、でも、ここの食事はなかなかのメニューだつた。
 
 あとはもう何もすることはない、白内障の手術なんてそんなものである、ただ、翌日まで、無聊をかこつだけ。病院によつては日帰り手術のところもいくらでもあるくらいだ。

 片目だけだとこんなに不自由だと思はなかつた。前のときはそんなでも無かつたと思ふけど。本を持つて行つたけど読める状態ではない、テレビはあるけどもともと見る気は無い。 「片目」はダメだけど「隻眼」は放送禁止用語では無いやうだ、どこが違うのだ。

 ひたすら和文モールスの受信練習をした、これなら、耳だけ使えば良いのだから。

 昼食
 夕食


令和 5年 7月18日 (火)

 晴れ 写真1写真2

 東日本では38℃だ39℃だと猛暑が襲つた、当地も、今日も30℃超えをした、でも全然暑くなかつた、風があつたからだらうか。そしていつの間にかまた、雨雲の帯が日本海側を包むように発生してきてゐる
  最低気温 22.3℃ (04:40)、最高気温 30.6℃ (12:57)

  定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 ボンの散歩コース、たうとう深い溝が出來て渡ることができなくなつた、右に折れて少し遠回りの道を歩いてた來た。
 
 ボンの散歩から歸つて、家に上がらずにすぐに草刈りをした。裏の竹、また伸びてるので切つてから、表の畑を刈つた。全体の數分の一くらいだけ刈つて今日はやめた。この時間帯の外気温は24℃くらいだつたので特に暑くはなかつたけど、少しだけでやめた。


令和 5年 7月17日 (月) 海の日 世間は三連休だつたのか

 晴れ。写真1写真2

 全国100数十箇所で猛暑日、更に「37℃だ38℃だ、命に関わる危険な暑さだ」とまたNHKが騒いでゐる、ここでも32℃まで上がつたが、ここでこのくらいまで気温が上がるのは珍しい。家の中にゐたので体感は全く無かつた、或いは歳を取つて鈍感になつたか、カミさんなんかニュースを聞いて大変だ大変だと騒いてゐたが、ニュースであまり騒ぎすぎるから気分的に暑さに負けるのだ、夏は暑いのはアタリマエ、暑けりやどんどん汗をかけば良いのだ(高冷地に居て云ふのも説得力に缺けるか)。夕方、夕立があつた、これで気温が一気に下がつた。
  最低気温 21.9℃ (04:54)、最高気温 32.0℃ (13:49)

 これなんかうつかりすると騙されさうだ、使うPCで警告画面が出たからフィシング詐欺メールだと確認できたけど、スマホからこのサイトにアクセスすると、警告画面が出なくて、情報を盜られる画面に誘導されさうになつた、最近はC国発の「騙し」の文章も大分練れてきてゐる、騙される人も結構ゐるのだらう、アブナイアブナイ。


令和 5年 7月16日 (日)

 晴れ。ひえ~今日は真夏日だつたのか。東北地方の雨、依然と降り続いてゐるやうだが夕方になつて少し雨雲の量が減つて来てゐるやうだ。
  最低気温 21.2℃ (04:10)、最高気温 30.7℃ (15:14)

 今日は図書館に行つたくらいで、何もしなかつた。我が家、みんな珍しくどこにも出かけなかつた。
 
 カミさんが日が落ちてから草刈りを始めた。
 高齢者はこんな日は草刈りをしない。NHKがするなと云つてゐるので。

 ところで、ニュースで連日のやうにどこそこで熱中症で何人倒れた、などと報じてゐるが、全人口1億人のうちの何人なのだ。放送を聞いてゐると、日本中にとんでもない危険が迫つてゐるかのやうに報道する。今も昔も暑い時期には倒れる人は居る、昔は日射病と云つてゐた、熱中症と日射病は別物かもしれないが、いちいちそんなこと報道しなかつた。暑い中、農家の人たちは50℃くらいになるトマトハウスのなかで、工事現場の人たちも体中汗をかきながらもみんな別に倒れることもなく頑張つてゐる。倒れるほうがレアケースだと小生は思ふ、高齢者が夜、寝てゐて熱中症で死んだなど、昔でも居たはずだ、そんなものニュースにならなかつただけだ、やれ適当に冷房を使えだとか、水を飲め、だとか全くのお節介だ、騒ぎ過ぎである。これ若い人が云つてるのではないぞ、歴とした高齢者が云つてゐるのだ。


令和 5年 7月15日 (土)

 今日も、東北地方に大雨が降り続いてゐたが、遠く離れた九州でも、あちこちに不規則な雨雲が発生して、ここにも時々短時間だが強い雨を降らせてゐた。気温も夜記録を見るまで知らなかったが結構髙かつたやうだ、体感は無かつた。
 最低気温 23.3℃ (03:05)、最高気温 28.8℃ (14:13)
 本日雨量 3.8 mm(19:00現在)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 今日は土曜授業があつた。

 熊本地震で壊滅的損害を受け不通状態が続いてゐた南阿蘇鉄道、徐々に復旧が進み、本日、全線開通、更にJR肥後大津までの乗り入れまで漕ぎ着けた。JRの線まで乗り入れは熊本地震前でも行われてゐなかつたものだ。南郷谷(南阿蘇)の人たちの喜びは大きいだらう。小生が住む阿蘇谷(阿蘇五岳の北側)の住民にはあまり関係がないが。

 この南阿蘇鉄道は、大昔、国鉄時代には国鉄高森線だつた、宮崎まで延伸するために、トンネルが掘られたが、工事途中に大出水で工事は中止、そして国鉄が無くなつて、立野と高森とを結ぶ、南阿蘇鉄道として残つた。

 小生的には、JRへの乗り入れよりも、独自路線で生き残る方に拘りを持つのだ、このことは昔から夢物語のやうに云つてゐる。トロッコ列車や漫画のラッピング列車では如何にもインパクトが小さい。カルデラは外部世界と隔絶された場所なので、カルデラ全体をテーマパークとして捉え、そのなかで独自の世界を展開するのだ。
 
 南阿蘇鉄道にSLを走らせる。SLと云つても、昔の大きなSLを走らせるのではなくて、ミニSLである。観光と日常の地元民の足として、ミニSLを走らせるのである。 遊園地ではない、実際に営業路線として走らせるのだ、これは注目を浴びるぞ。

 例えばイギリスには保存鉄道としてたくさんの会社がありミニSLが営業運転をしてゐる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A0%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%B9%26%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%A0%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%81%E9%89%84%E9%81%93

 https://homipage.cocolog-nifty.com/map/2022/07/post-1e0343.html
 
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E5%AD%98%E9%89%84%E9%81%93

 高速である必要はない、大量輸送をする必要もない、車に乗れない子どもたちが通学に、じいちゃんばあちゃんが病院に行くためにのんびり走れば良いのだ、半分観光、半分実用だ。客車も屋根がなければ困るが、大きなものでなくて良い、バスくらいの室内で良いのだ。青壮年たち元気な者は今まで通り車を使えば良いのだ
JRなんかと手を組まなくていいのだ。

 鉄道を引く際の一番のネックは線路を敷設するた用地取得だらう、その点は今実際に走つてゐるのだからこの心配が要らないのだ
 その次は、蒸気機関車だ、日本にはもう昔の軽便なんか残つてゐないから新規調達が必要だ、今どき小さな蒸気機関車なんか作つてゐる会社なんかあるのか、それがあるのだ、福島県にある協三工業、日本唯一のSLメーカーだ。https://youtu.be/VMhYzuS0txU

 SLを走らせただけで、投下資本の回収はできない、採算は取れない。バラバラで統制の取れてゐない観光施設や温泉施設のそこだけでのイベントの実施でなくて、阿蘇カルデラ全体をディズニーランドのように一つの塊として有機的に使うのだ、素通り型の観光地でなくて、滞在型の観光地にするのだ、ディズニーランドのやうな遊戯施設(アトラクション)は無くても天下一品の素材の「阿蘇山」があり、そして温泉があるではないか、アイデア、知恵の出しどころだがお役所では無理だらう。、

 南阿蘇鉄道の社長は高森町の町長でもある、この町長は傍から見ゐ限りだが非常に意欲的て革新的な人物だ、このアイデア、どうかなあ。阿蘇谷では無理だが、高森町と南阿蘇村がある南郷谷ではいろいろな条件で実現可能だと思ふ。
 モチロン、沿線では地元の人が自家用に馬を乗り回すのだが(この下りは過去の経緯を知らない人には???かな・・)


令和 5年 7月14日 (金)

 梅雨の大雨が北陸から東北方面に移つて行つてゐる、あまり晴れ間は出なかつたが、当地はこのままもう梅雨明けだらう。
  最低気温 21.2℃ (05:10)、最高気温 26.2℃ (13:41)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 今日はいつちよ畑の草刈りでもやるかと散歩中に思つたが、帰つてきてその意欲が失せた、これは刈払機のエンジンでなくて心の方のエンジンの問題で、エンジンがかかれば毎日でもやるのだが、そのエンジンが掛からなつた。

 今日は夏の天神祭、村の天神社で阿蘇神社の神職を招いて神事を行う。この後は本来であれば、集会所で直会をするところだが、今年までは武漢ウイルス感染防止のため神事だけに留めることになつて、直会は中止になつた。写真1写真2写真3
 
 天神祭の際の草刈りなどの準備作業、村を二つの班に分けて、毎年交代で行う。今年は小生が属する班は当番ではないから、特に何もすることは無かつた。秋にも天神祭があるが、このときはもともと神事のみで直会は行われない。

 今日は直会は行わないと云ひながら、奥さん連中は夕方から集会所より感染リスクがより高い外で女子会をするのだと云つて出かけて行つた。ちよつと平仄の合わない気もするが、普段の村の酒席ではいつも裏方を務める奥さん連中、たまにはこんなことがあつても良いだらう。
 
 太郎と小生は、夕食の時、二人でステーキを焼いて食べた



令和 5年 7月13日 (木)

梅雨前線は相変わらず日本海に停滞してをり、九州の次は、中国地方、北陸地方に大雨を降らせてゐる、九州は基本的には雲はかかつてゐなかつたが、それでも4時過ぎ、浮浪雲がやつてきてひとしきり雨を降らせて去つて行つた
  最低気温 23.6℃ (04:49)、 最高気温 27.3℃ (13:09)

 梅雨前線が上に上がつてくると、半島にも雨が降る。数年前、もともとは防空壕として作られた半地下に住む人達が集中豪雨で流れ込んだ雨水で死者が出たり大きな事故になつたことがあつた。K国の様子はどうなのだらうと我が気象庁の雨雲レーダーを見たが、非K三原則により、だかどうだか知らないが、レーダーには雲の様子が載つてない。そこで別の雨雲レーダーを探してみたところ、半島にも広範囲に雨雲が出てゐる・・・・

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 こどもたちが通過する時に、時々写真を撮つてくれと云ふことがある、今日もリクエストがあつたから撮つてやつたが、プライバシーがどうのこうのと最近は何かと面倒なので、解像度を落として載せた(保護者から希望があれば高解像度の写真を送ることは出來る。)

 阿蘇市役所の会議室で民児協の一の宮支部の更にそのなかの小生が所属する部会の研修会があつた。普通は月に一回全体の定例会があるだけだが、ここのところ二ヶ月続いて、月に全体と支部の二回の集まりがあつた。

 晩飯 ゴーヤーチャンプルと麻婆豆腐。なんだか似たやうな献立になつた気もするが、冷蔵庫にあつた肉や豆腐の賞味期限の関係で二種類作つてしまつた。


令和 5年 7月12日 (水)

 梅雨前線日本海側に停滞、相変わらず大気が不安定で、先日大雨を降らせた久留米地方、今日また大雨警報が出されてゐた、今日は当地にも雨雲群が押し寄せ、午後1時ころ、猛烈な雨と雷で、小中学校とも、普段より早い下校時間を繰り下げて学校で待機させて、雷雨が収まつてから下校させた。一方、関東地方では連日の猛暑、38℃台の地域が続出した。
   最低気温 20.5℃ (13:55)、最高気温 25.6℃ (10:34)
   本日雨量 38,4mm (主に昼間の短時間に集中して降つた量である)
 
  定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 平成24年(2012年)7月12日、阿蘇地域を中心に起きた九州北部豪雨災害から11年、朝9時、市の防災無線のサイレンを合図に追悼の黙祷をした。あの時、外輪各所で土砂災害が起きて、村の山も崩れ死者がでて家屋も数棟倒壊した。毎年今の時期、日本の各地で豪雨災害が起きてゐる、二三日前も九州北部で大きな水害があつた。

 今朝、小生が見守りで立つて居たところに、民放のカメラマンだと云ふ人が近づいてきて、当時、外輪のどのあたりが崖崩れがあつたのかと訊いてきた、坂梨地域で起きた崖崩れを何ケ處か指さして教えたが、もう殆んど緑に覆われて、当時の事情を知らなければわからないほど災害の爪痕は残つてゐなかつた。それでもその人物は車を止めて、カメラを構えて写真を撮つてゐたが、あまり意味は無いやうに見受けられるほどだつた。このカメラマンはここに来る前に事前にアーカイブスで当時の災害の勉強をしてきたのだらうか、11年前だとなるとこのカメラマンは当時何歳だたのだらう。

 防災無線のサイレンに合わせた黙祷の後、小生はTapsを吹奏した(Taps程度なら、まあまあ、ちやんと吹ける)。

 家の前の土手に今、ヤブカンゾウが盛りである、この花は八重だが、一重のノカゾウは希少植物で自生してゐるところは少ない、小生はまだ見たことがない。
 写真1写真2

 道路工事のために封鎖されてゐる箇所、ボンの散歩道で、ここが通れないと遠回りになるので、いまのところは、端つこが通れるので、通行禁止の札を無視して通つてゐる。この道路の真ん中を太いパイプが走つてゐる、このパイプの中は何が通つてゐるのか見当がつかない。ここは水道が通るコースではない、そもそも水道のパイプはこんなに太くない、こんなところ、農業用水でもない、道路の端でなくて真ん中を何が通つてゐるのだらう。

 狩猟者免許試験出願手続きをしてきた。一筆書きのやうに無駄無く数カ所を回つて最後に県の出先機関、阿蘇地域振興局で申請を済ませた。

 先ず、返信用封筒に貼る切手を坂梨郵便局で購入、次に、古閑医院に寄つて診断書の作成をしてもらう。次にホームワイドの「証明写真自動販売機」で証明書用の写真を撮つて、最後に振興局へ。

 10時頃家を出て、30分程度で全部終わるかなと思つてゐたら、古閑医院で少し時間がかかつた、消防署員の健康診断で数名の署員が来院中だつた。証明書用写真の處では初体験なので手順が分からず、ボックスの中でボタン操作に結構時間が掛かつた。そして、最後の振興局の免許申請受付窓口で、収入証紙を買う部署を聞いて、行つてみると、今日は担当者不在のために、別の売捌所で買えと掲示が出てゐる。

 その部屋には何人も職員が居るのに、この職種は代行を許さないのか、誰も代わりにやろうとしない。実に、馬鹿げてゐる、お役所仕事の典型である。近くの収入証紙を使うところを訊くと、警察署か家畜保健所だと云ふ。家畜保健所が近いからそこで収入証紙5,200yen分を求めて、改めて、振興局の免許申請窓口に向かう。

 この窓口は親切だつた。ここの机を借りて申請書を作成したが、写真を切り取つてくれたり、親切に手を貸してくれた。収入証紙購入で手間取らなけれが余裕で正午に閒に合つたが、遠回りをしたので全部終わつたのが12時2分前だつた、危うくセーフでしたねと云ふと、12時過ぎても別に構いませんよとのこと、今のお役所はお昼休み窓口閉鎖は無いやうだ。

 これで出願手続きは全部終わつた、後日受験票が送られてくる、試験は来月である。

 太郎が塾に行くので早めの夕食を食べさせて送り出した。吉野家の牛丼
 小生はここに移住する準備でやつてきた20年以上昔、来る途中何度か57号線沿いの吉野家で牛丼を食べたことがあるが、考えてみたらそれ以降全く無い、最近たまには食べてみたい気がしてゐたが、かと云つてわざわざ吉野家に寄つてまでといふ気も無いので、レトルトの吉野家の牛丼を取り寄せた、今日はそれを食べさせた。小生も食べた、久しぶりに美味かつた、常備するかなあ。
 
 
令和 5年 7月11日 (火)

 久しぶりに青空が戻り、阿蘇五岳は緑色に輝いてゐた。
 しかしながら、梅雨前線は昨日までとあまり位置は変わつてをらず、九州の南北に雨雲が廣がつてゐた。
  最低気温 23.5℃ (02:52)、最高気温 28.9℃ (14:17)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 ボン用の檻を買つた。「オリ」ではなくて「ケージ」と云ふのか。ここにやつてきた時にボンが入つてゐたケージは、ボンが大きくなつて、入らないことはないが、身動きでないくらいに狭くなつたので、もうこれ以上は大きくならないと思ふが、(こらからも何度もあるだらう)動物病院に連れて行くためにケージをネットで購入した。
 
 今度のやつは少し大きすぎたかもしれないが(前のケージと比べて体積4倍近い)、即納で、何より一番安価(4880yen)だつたのでこれにした。運ぶときは車に載せるし、折りたたみで軽いので少々大きくても大丈夫だらう。それに、台風などの時に外に置いてをくのが心配な時に、玄関にでも入れてやるときに、このくらい大きい方が良いかもしれないと思つて。
 写真1写真2写真3

 オレは「猟師」になるぞ! 我が家の敷地内に侵入するイノシシを合法的に捕まえるために、狩猟免許をとることにした、県が行う狩猟免許の試験の前に、県の猟友会主催の講習会がある、この講習会を受けると、本試験に有利なやうだから、受付開始の今日、電話で申し込みをした。狩猟免許には鉄砲で撃つものなど色々あるが、小生がとるのは、「わな猟」の免許である。くくり罠、箱罠、囲い罠の免許である、講習会は来月である。


令和 5年 7月10日 (月)

  最低気温 21.9℃ (11:33)、最高気温 26.4℃ (09:44)
   東日本は暑かつたやうだなあ。
  本日雨量  40.1 mm(20:00現在)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 今日も朝から九州北部地方は激しい雨が降り続いて、あちらこちらで河川の「いっすい」「えっすい」「はんらん」が起きて大きな被害が出てゐる、夏子の遊学先は彦山川が近くを流れてゐて一時氾濫危険水位近くまで増水した、住まいはマンションで浸水の恐れは全くないが、少しは緊張したかもしれない。

 最近はやたらと耳慣れない言葉を耳にする、昔はこんな複雑は言い方はしなかつた、「いっすい」「えっすい」「はんらん」どう違うのか、そんなに分ける意味はあるのか。

 全くの余談だが、亡くなつた母は新潟長岡の出身で、生まれ育つたその地では「い」と「え」が区別が出來ない所だつたらしい、「江戸」を「いど」と発音したかと思へば、「井戸」を「えど」と発音してみんなにからかわれてゐた、「いっすい」「えっすい」を聞いてふとそのことを思ひ出した。余談ついでに、阿蘇のネイティブは「牡蠣」と「柿」の区別が全くできない。これなんかよく不便を感じないものだと感心する。

 閑話休題言帰正伝、今回、日田の北にある東峰村、ここは数年前に九州北部豪雨災害で大きな被害が出て、JR日田彦山線などは線路が流されて不通になり、鉄道の復旧を諦めて、代替交通システムにすることになつたと思ふが、今回の大雨でも「今まで経験したことがないほどの大雨」「数十年に一度の大雨」などと気象庁は云つてゐるが、前回の災害からまだ数年しか經つてゐないのではないのか。次々に新しい言葉ばかり生まれて、ある種「虚しさ」を覚える。

 ここのところの雨雲の動き、紙一重で当地にはかからず、なかば他人事のやうに眺めてゐたが、昼近く、雨雲レーダーを見ると、雨雲群が少しずつ南下してきてゐるではないか、少し不安な気持ちで雲の動きに注意をしてゐたら、とうとう、ここにも激しい雨が降り始めた、しかし、それまでの雲の塊具合と違つて雲の層が薄くバラけ始めてをり、激しい雨も短時間で通り過ぎた

 ここ二三日梅雨前線の位置は殆んど変化がないのに、天気が変わる、雨の降り方がガラリと変わる、これは何なのだらう、多分周囲の高気圧の配置で違つて来るのだらう、不思議である。
 
 夕方には九州には、中国地方にもだが、あれだけ雨を降らせてゐた雲が全く無くなつてゐる。昼頃、衛星の雲の写真が東シナ海よりさらに西の方に続いてをり、まだまだ雨雲がやつてくると気象庁は云つていたが、どうもピンとこない説明である。この先の予報を見ても太陽のマークが続いてゐる、そろそろ梅雨明けも近いのではないのか。

 夕方には阿蘇谷にも日差しが戻つて來た

 ボンのエサがそろそろ無くなりかけてゐたので買つてきた。

 晩飯 餃子

令和 5年 7月 9日 (日)

 最低気温 24.6℃ (02:43)、最高気温 27.2℃ (13:18)

 気象庁の括りでは、ここは九州北部になる。しかし、今回の大雨、降るところでは相当量降つてゐるが連なる雨雲、ここには掛かつてこない。だいたい気象状況で九州北部と云ふ時は長崎県・佐賀県・福岡県だ、熊本県の気象はそれらの地方とは地勢的に別のことが多い、台風の時も然うである。小生はいつも云つてゐる、ここは九州北部とは云はずに九州中部と云へと、九州を北部、中部、南部に分けろと。小中学校、週末で良かった、気象庁の予報に従うので、登校時間の変更などに振り回されずに濟んだ。

 そんなわけで、今日一日も当地は雨はほとんど降らなかつた、ギリギリの所で雨雲を躱してゐる、明日はどうなるのだ、そろそろ、終わりかけだらうか。
 (本日の雨量 9.9mm 18:00時点)

 雨雲レーダー(朝)雨雲レーダー(午前)雨雲レーダー(昼)雨雲レーダー(夕)

 ボンの散歩、今朝、工事中の箇所を覗いてみたところ、以前は道路を掘つて深い溝になつてゐたところ、端の方に少し通られる道が出來てゐたので、バリケードを突破して、いつものコースで歩いてきた。早朝で工事もやつてゐないし、別に構わないだらう。


令和 5年 7月 8日 (土)

 最低気温 24.5℃ (03:43)、最高気温 26.6℃ (12:01)

 今年の梅雨、当地では微妙に雨域から外れてをり、幸いにここ一日二日の梅雨前線からも少しだけだが、外れてゐて、雨はあまり降ってゐない。梅雨前線が対馬海峡から日本海に居座つて、九州北部や山口県ではずつと雨が降りつづゐてゐるやうだが、今日なども当地はんど降つてゐない。本日の雨量4.8 mm(19:00現在)  雨雲レーダー(08:00) ・ 雨雲レーダー(13:00) ・ 雨雲レーダー(16:00)

 今の梅雨前線は明日も居続けるさうだが、明日はこの付近の雨はどうなるだらうか、降る降らないは紙一重、そしてその差は大きい。概ね、梅雨の終わりかけで、この梅雨前線がなくなると梅雨が明けるのだと思ふが。

 少し前に貫通した国道57号線滝室坂トンネル工事の現場見学会があり、カミさんが参加した、当初予定では先週だつたが、大雨警報で順延されて今日になつた。太郎は部活、小生は掘削中ならいざ知らず、もう貫通したトンネルなど見学しても意味がないので不参加。
 共用開始は未定だが、どうも二三年先になるらしい。なんでそんなに先になるのか分からないが、同じ阿蘇カルデラを東西に貫通するトンネルでも熊本側の二重峠の北側復旧道路のトンネルは着工から供用開始まで非常に短かつた。これは熊本地震からの復興事業といふ名分があり、超特急で行われた工事で、対して、こちらの滝室坂トンネルは、九州横断の中期道路計画のなかの工事で、熊本地震とは直接関係がないから、もともとの計画に沿つた工事だから時間がかかるのだらう、といふのが、確認した訳では無いが、小生の推測である。

 先日何ヶ月もかかつて咲き終わつたコチョウラン、最後の花をつけるのを待つてゐたかのやうに力尽きて次々に緑色だつた花の茎が茶色に枯れて散り始めてゐる。ところが花が全部散つたからと云つて、鉢の本体が枯れて仕舞ふわけではなく、来年また茎が伸びてきて新たに花が咲くのだから、これも生命の神秘である。


令和 5年 7月 7日 (金) 七夕(五節句のひとつ、「しちせき」である)

 雨が降るぞ降るぞと連日聞こえてくるが、今日も、当地は、少し降つた程度で雨域は東に動いて行つた、さて明日はどうなるのか。
  最低気温 23.1℃ (00:35)、最高気温 26.9℃ (13:19)
  本日雨量 11.7 mm(18:30現在)

 朝5時少し前、大分空が明るくなつてゐたが、今年初めてのヒグラシの声が聞こえた。これ一度きりで夕方は聞こえなかつた。
 東日本では暑い暑いといふニュースが流れてゐたが、ここは半袖で寝つ転がつてゐるとちよつと肌寒いくらいだつた。

 今日は降るのは分かつてゐたが、朝の散歩のときにはその気配がなかつたので、雨具、雨傘は持たずに出たが、残り200mくらいまで帰つてきたころ大きな雨粒が落ち始めたので、急いで帰り、なんとか滑り込みセーフだつた。

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6


令和 5年 7月 6日 (木)

 朝のうち、霧が出た。日中は昨日までの天気がウソのやうに晴れた。気温もグンと上がつた、真夏日だつた、それでもまた明日は雨になるらしい、梅雨明けはまだ先だ。
 雨雲レーダー  天気図
  最低気温 18.8℃ (05:17)、最高気温 30.6℃ (13:19)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 ボンの散歩が終わつて、裏の竹を切つた、これで何度目だらう、最初から切らずに放つてをいたら、裏の畑はあつと云ふまに竹林に戻るところだ、今のところに移住した来たときは裏の畑部分は全面深い竹林だつた。

 竹切りが終わつてホッと一息ついてゐるところに、「マタギ」のナベさんが顔を出した。イノシシの罠を仕掛けて帰る途中だと云つてゐた、我が家周辺には少し前に一頭仕留めて以來イノシシは来ないやうだが、近くではまだ出るらしい。
 
 ここのところ三度ほど草刈りが終わつてホッとしてゐる時を狙うやうにして人がやつてきてゐる、来方としては実にタイミングが良い来方だ、小生も一休みしながら、応接が出來るから。

 太郎の学校の集団宿泊行事は無事に終わつて、午後三時前に中学校に戻つてきたので買い出しついでに迎えに行つた。

 太郎は今日が誕生日だつた、満13歳になつた。夜は塾があり、なにかと忙しいのでお祝いはこんどの休みの日にするとカミさんが云つてゐたが、塾に出かける前に、すき焼きを作つて食べさせて送り出した。

 カミさんは研修かなにかで福岡まででかけた、朝行つて夕方には帰つてくるくらいの距離であるが、今日は帰つてきてから太郎を塾に送るには時間が間に合わないので、太郎は往路はJRで行つた。

 千早ぶる 神代もきかず 龍田川 バスクリン緑に水くくるとは。と誰か云ふかと思つたが誰も云はなかつた。


令和 5年 7月 5日 (水)

 どこをどうすればこんな予報が出るのかといふほど見事に大ハズレの天気予報。確かに降りはしたが、全然予報とは違つた、昼を過ぎた時点で雨雲レーダーを見ても東支那海方面には雨雲は無いのに、まだ降る降るとラジオで云つてゐた
 最低気温 23.1℃ (01:07)、最高気温 25.8℃ (09:09)
 本日雨量 14.0 mm(19:00現在)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5
 太郎たち中学1年生は、集団宿泊と云ふ学校行事があり、今晩は青少年交流の家泊まりだ、小学校の5年生も、こちらは、今日から水俣方面の海辺の施設に出かける、確か二泊ほどの予定だつたと思ふ。6年生の時にある修学旅行が一泊で、5年生の時の集団宿泊が二泊だといふのも面白い。晴天の下とはいかないが、大雨に降られずに良かつた。

 午後から、民児協の全体定例会が内牧であつた。会場と同じ敷地内に阿蘇図書館があるので、帰りに寄つて、本を借りてきた。


令和 5年 7月 4日 (火)

 今日の阿蘇五岳 写真1写真2
  最低気温 20.8℃ (02:31)、最高気温 28.8℃ (12:42)

 登校時間帯、霧が出て、田んぼの向こう側を歩く子どもたちの姿が見えなかつた。昨日の濁流、今日はその痕跡を残して流れは落ち着いてゐた、ここの中洲に沢山の野鳥が巣を作つてゐたのだらう、全部流されてしまつた、自然の厳しさである。

  定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6
        写真1写真2写真3

 今日はずつと雲はあつたが晴れて暑い一日だつた。そして、午前中には鹿児島あたりにあつた雨雲少しずつ北上してきて夕方には九州全部を覆つてゐた。ここも夕方にはいつの間にか路面が濡れてゐた、まだ本格的な雲はかかつてゐない。

 この梅雨前線が北上して、明日は熊本県も大雨になるらしい。夕方5時には、明朝の明け方からの大雨の予想で、早々と自主避難所が開設された

 今朝、暑くならないうちにと、ボンの散歩が終わつてすぐに前庭の草を刈つた。ついでに、ハチの巣箱の底板をザッと掃除をした、最近は巣箱の管理、あまり、熱心でないから、かなりスムシが這つた跡があつた、上の方に移動して天井あたりに巣喰つてゐるかもしれない。
 
 草刈りが終わつて、ホッと一息ついているところに、珍しく福原の昭光さんが御入来。何事かと訊くと、今度の土曜日に滝室坂の坂の上の西南戦争の戦跡、砲台跡周辺をボランティアで草を刈ることになつたから都合がつけなら出てこいと云ふ。申し訳ない、小生、ここ二三年、最低限うちの草は刈つているけど膝が悪くて村の区役の草刈りも勘弁してもらつてると丁重に断りを入れた。気持ちよく、ああいいよ、大事にしなつせ、もし時間があつたら遊びに上がつて来なつせといふ言葉を残して歸つていつた。
 
 しばらくして、こんどは、北坂梨の増実さん御入来。先日、絶滅危惧種の希少野生植物、「ツクシマツモト」の話が出て、もし機会があつたら見せてくださいと賴んであつたのだが、見つけたからと連れて行つてもらつた。

 「ツクシマツモト」、ツクシは想像がつくが、マツモトとはなんだらうと興味があつた、阿蘇には色々と希少植物があるが、この名前は初めてである。
 
 箱石峠の某所、二箇所だけ花が咲いているところが見つかつた。今年はまだ時期が早いのか、絶滅危惧種、希少植物で数が減つてゐるからだからか、以前は沢山咲いてゐたさうだが、今日のところはこの二箇所しか見当たらなかつた。
 
 少し離れた斜面だが、間に沢があり、草が高くて、足元が不安定なので近くまで行くことはやめて、30mほどの距離、カメラのズームを効かせて写真を撮つた、間近に見ることが出來ずに残念だつた。ツクシマツモト
 
 阿蘇には色々な希少植物や昆虫がゐる、興味のある人にはたまらない場所だらう。

 梅シロップをペットボトルに移した、ピッタリ一本分だつた、これ2甁だつたらうか、いけない、いけない、今は2Lと書くのだつたか。
(後から量つたら、あれは1.5L甁で、あふれるほど入れたので、1.7Lあつた)

 晩飯、トンテキ、それから到来モノのジャガイモがあつたから、ポテトサラダを作つた、それと、同じく到来モノのアスパラとトマト。


令和 5年 7月 3日 (月)

 昨夜から強い雨が降つてゐたやうだ。昨夜日付が変わつてから、今日昼ころまで半日で170mm近く降つてゐる。
  最低気温 18.7℃ (10:29)、最高気温 24.4℃ (16:38)

  定点撮影 その他写真1
 小中学校とも保護者の判断にまかせつつも、平常通りの登校だつた、太郎のやつは、ここのところ喘息が出てゐて、今日は学校を休んだ。

 小生は、こんな日は絶対に徒歩通学者はゐないとは分かつてゐたが、いつも通り出動して、しばらく車の中から様子をみてから帰つてきた。

 帰り道、少し遠回りをして、坂梨交差点経由で帰つてきたが、坂梨交差点直進の国道57号線滝室坂は制限雨量に達したので、通行止めになつてゐた、坂梨交差点を右折すると、国道265号線が始まるが、その先、高森町方面に抜ける山越えの箱石峠も制限雨量に達して通行止めになつた。カルデラを抜けるには、唯一残つてゐる古城から登る「やまなみ道路」だが、ここも昼過ぎに通行止めになつた(いずれも夕方には交通止めは解除になつた)。

 こうしてみると、滝室坂トンネルの早い完成が待たれるところだが、トンネル自体は先日掘削工事が貫通したと云ふことだが、トンネルの内装や道路工事などが残つてゐて、共用開始は「未定」とされてをり、もつとかなり先になるのだらう。一年先なのか二年先なのか、或いはもつとずつと先なのか、どうして「未定」なのかどこをみても説明がない。

 ラジオを聽いてゐると、ニュースで、熊本県で線状降水帯が発生したと伝えてゐた。それを聞いた遠隔地の親戚が大丈夫かと電話をしてきた。地元以外でニュースを聞くと多くの人が然う思つてしまひがちである、熊本県には違いないが、伝えるのなら「熊本県の一部地域」だらうに。
 
 ここは線状降水帯から少し離れた北側に位置してゐたが、それでも朝のうちの雨は激しかつた。周囲の川は濁流が激しく流れてゐた。それに外輪の各所から普段は見られない滝が幾筋も落ちてゐた。
 写真1写真2写真3写真4
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 激しかつた雨、午後には上がつた、梅雨前線が少し南に下がつたやうだ、鹿児島あたりでは激しく降り続いてゐる。この先、どうなるのだらう、また梅雨前線は上がつてくるのか。前線が南の方へ下がつて梅雨が明けることはなく、前線が北の方に上がつて梅雨が終わるのがパターンだと思ふので、また梅雨前線は上がつて来るのだらう。

 何れにせよ、いくら雨が降つても、先年のやうな豪雨土砂災害は起きることは無いのだ、そんな大きな災害が起きずに数百年続いてきて、それが千年に一度と云はれる豪雨で、山が崩れたのだから、ちよつと雨が降つたくらいであまり騒がなくても大丈夫なのだ。それに災害後、相当大掛かりに防災工事がなされてゐるのだから。

 太郎の喘息症状、もう数日続いてゐて、軽い症状で、酷くなることは無いと思ふが、万一の時に薬が無いと不安なので、カミさんが古閑医院に連れて行つてくれと云ふので、午後から連れて行つて、ネブライザー用の薬剤と気管支の拡張効果がある呑み薬を二種類貰つてきた。中学生になつてもまだ医療費はタダだつた。

 晩飯 アナゴが賣つてゐたので、アナゴちらし寿司を作つた


令和 5年 7月 2日 (日)

 最低気温 21.5℃ (05:00)、最高気温 28.4℃ (15:04)

 午前中、オーチャードハウスに打ち合わせに行く。
 
 昼から、外でたかだか板切れ二枚、切つて釘で打ち付けるだけで、暑さに敗けて作業をやめる、今日は晴れて気温が上がりオマケに湿度が高くて室内でじっとしてゐる分には問題は無かったが外で動くには大変だつた。
 梅雨前線は九州にどつかり居座つていゐるのに、雨はほとんど無い、気象は難しい。

 夕方、我が村のなかを署名のお願いに回つた。遠方ばかりお願いに回つて肝心の一番近くが後回しになつてしまつた。地域によつては区長回覧で署名のお願いをしてゐるところもあるやうだが、我が村は区長の手を煩わせるほどの世帯数でもないので、小生が一軒一軒回つて署名を頂戴してきた。

夜に入って少し降つてゐる、いつの間にかまた雨雲が近づいてきてゐる。


令和 5年 7月 1日 (土)

 昨夜、日付が変わつて朝までの間、九州北部では雨が降り続いてゐたが、ここはあまり降らなかつたやうで、6時頃、数ミリの雨量を記録してゐた、レーダーをみても、阿蘇地域は雲がかかつちてゐなかつた、阿蘇より北は強い雨雲が覆つてゐた。どうせこのあと、雨が降るのだらうと思つたので、雨の止み間を利用して、ボンの散歩に出たが、途中で雨が降り始めたので、第三コーナーあたりから昨日同様引き返えしてきた。帰り着くころには土砂降りになつてゐた。
  最低気温 21.6℃ (07:02)、最高気温 24.5℃ (00:00)
  本日雨量、連続雨量(6/28~7/1 18:30)

 昼過ぎの一瞬の雨のやみ間を捉えて阿蘇神社で茅の輪くぐりをしてきた。やはり半年の穢を年末までは持つて行きたくないのでこれでスッキリした。 
 熊本地震で倒壊した国重要文化財の楼門の再建工事、少し前から工事屋用の覆いの撤去が済み、再建なつた楼門が姿を現してゐるが、まだ周辺は工事用の機材などが残つてゐて塀が巡らされてゐて全体の姿をじつくりと眺めることが出來ない。
 
 胴葺きの屋根、眞新しくてキラキラしてゐるかと思つたが、もう自然に周囲の風景に溶け込んでをり、知らなければ昔から在つたかの如く聳えて居た。倒壊してから再建までもう七年が經つてゐるのか。

 で結局、今日の天気は、午後に入つて強い雨雲は九州の北部を除いて掛からない状態になつてゐる、大雨警報も夕方には解除されたが、梅雨前線は依然として九州にかかつてゐるが、この後どうなるのだらうか、また降るのか?

 太郎の塾通い、またスケジュールに変更があつたらい、今日土曜日そして今後は平日も週に何回か夜の部に通うことになつたやうで、クラブ活動もやるやうなので、両立が出來るのか?中身については小生はノータッチなので、出る前に晩飯を食べさせることはやらんといかんだらうな。



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