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(2023)令和癸卯 5年 4月の記録 (新しい日付けの順)
令和 5年 4月30日 (日)
昨日一日で40mm近くの雨が降つた。今朝には雨は上がつて、昼過ぎにはいい天気になつた。
最低気温 10.9℃ (03:51)、最高気温 19.0℃ (16:28)
我が家の周囲、田植えの準備が進んでゐる。我が家が水に浮く季節がやつて來た、ボンの散歩の時に第一發目、写真を撮つた。
写真1・写真2
先日分蜂したハチ、盛んに花粉を運んでゐる、完全に居付いた、もう大丈夫だ。元の巣箱のハチ、あと一息で二回目分蜂しさうな雰囲気である、午前中はまだ天気がはつきりせず、午後からいい天気になつたのでちよつとタイミングを外したか。明日はベストコンディションだと思ふが、小生、明日は一日用事がある、後ろ髪を引かれる思ひだが仕方がない、(後ろ髪の無い)和尚にお願いをして時々見回つていただくやうにした。気安くお願いをしてゐるが、畏れ多くも和尚はもうだいぶん前から「部屋住み」の身分から「ご住職」になられてゐたのを知らなかつた、何も云はないものだから、喝!
武漢コロナ熊本県感染状況 4/30
令和 5年 4月29日 (土) 昭和の日
今日から大型連休が始まつた、せつかくの連休が雨で始まつた。雨でも晴れでも小生には関係がないことだが、どうせなら連休は休みの人が多いから晴れたほうが良い。
今日の天気予報を觀てゐなかつた、昨日までと同じやうに、今日も天気がいいと思つてゐたが、今朝起きて雨が降つてゐるのに驚いた、そんな天気予報だつたのか。今日は広範囲に雨雲が広がり、西の方を觀てもずっと続いている、夜に入っても雨が降り続いている。
気温も低めでだった。変な天気だ、夕方になつて気温が上昇中だ。
最低気温 13.3℃ (02:53)、最高気温 19.7℃ (但だし17:20時点)
朝起きて外を見ると、田んぼが水浸しになつてゐる、夜中にそんなに降つたのかと思つたら、もう田に水が入り始めてゐたのだ、夕方までに代かきが大分進んでゐた。
太郎のヤツ、中学に入つて、クラブ活動、何をやるのかと思つてゐたら、バスケ部に入つたさうだ。テニスは軟式だけで硬式部は無いさうだ、サッカーは廃部になつたとか。人気スポーツのサッカーがどうして廃部なのかと思つたら、近年サッカーは学外のクラブチームでやるのが主流になつて学内の部活動が無くなつたやうなことを云つてゐた。サッカーに限らず、従来の学校内で行うクラブ活動は学校とは切り離して地域でする活動にどんどん変わつてきてゐるやうだ、先生方の負担が大きいことがあるのかもしれない。
それで太郎は、今日は、対外試合があるさうで、未だレギュラーには程遠いが、応援団として褌担ぎも一緒に試合に参加するのださうで、どこだらう、南阿蘇方面だつたか母親の車で出かけて行つた。
今日は雨で、外では何も出來かなった、ボンの散歩も出來なかつた。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/29
令和 5年 4月28日 (金)
晴れ。直射日光下でじつとしてゐると焼けるやうな暑さだつた。
最低気温 5.9℃ (06:10)、最高気温 21.8℃ (14:13)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5
遠くから見てゐると、こどもたち、みんな体操帽を被つてゐる、やつてきて、小生のところを通過する時に訊いたら、今日は新入生歓迎の遠足だといふことだつた、小生はもう保護者ではないが、登校見守りのために小学校の行事予定表をもらつてをりながら、チェックしてゐなかつた。
玄米30キロ精米する。小生の認識としては今回から漸く新米になると思つてゐたが、供給元の主いわく、正月に一袋出して、今日で二袋で、その結果、あと5袋が残ることになると云ふ。どこかに記録をしてその写真を保存してゐたつもりだが、探したけど分からない。從つて、トータルで7袋で、今日精米した結果あと5袋残つてゐるということからスタートをすることにした。
午前中、阿蘇文化調査研究会の役員会が事務局の金子さんのお宅であり、新年度の計画などを話し合つたが、今日は天気が良かつたので、ハチのことが気になつて、終わつて飛んで歸つたが、分からないが、分蜂があつた形跡はなく、巣箱のところは昨日同様賑わつてゐたので、多分今日は分峰は無かつたと思ふ、ホッとした。
ハチの監視をしてゐたら、久しぶりにE鴨氏が訪ねてきた、なんだトマトハウス農家が忙しい時期にサボつてないでちやんと仕事をしろと云つたら。定植も濟んで今ちよつと一息の時期だとのことだつた。
また武漢コロナワクチンの接種案内が來た。えっ?なんで今頃?と思つたら、もう5類に格下げされるのだが予防接種は続けるのやうだ。早速予約をした。今回は阿蘇市にはオミクロン株対応のモデルナしか配給が無いがそれで良いかと訊いてきた。今までの5回全部ファイザーだつたので、モデルナは副反応が強いことも聽いてゐて少し気になるが選択肢が無ければ仕方がない、それで予約した、接種日は5月19日の予定だ。
晩飯 麻婆豆腐とエビチリ
武漢コロナ熊本県感染状況 4/28
令和 5年 4月27日 (木)
晴れ。放射冷却でウンと冷え込んで、車のフロントが少し凍つてゐた。その分、日中は素晴らしい天気になつた。不思議なもので、今朝は指先は凍えなかつた、昨日と違つて太陽が出てゐたからだらう。
最低気温 2.4℃ (05:42)、最高気温 21.2℃ (13:41)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
今日は3年4年生の自転車安全点検日ださうで、自転車に乗る子は自転車を押して登校して行った。小学校では自転車に乗って良い範囲が学年によつて決められてゐる。外で乗ることができるのは3年生以上なのだらう、自轉屋さんによる車両点検とちよつとした走行チェックを受けて自転車に乗る許可が降りる。
中学生になつた太郎の通学姿、いつも、小生の登校見守りと時間がずれて、觀たことがなく、今日初めて觀た。おマケに、下校時間も丁度家に帰り着いたところを見ることが出來た。
昨日のニホンミツバチ分蜂後の巣箱の様子をチェックして過ごした。結構朝早い時間から、たくさんの蜂が外に出て、巣箱の周りをぐるぐる回つてゐた。それと、分蜂板のところにも10匹20匹が今日になつても未練がましくかどうか知らないがまとわりついてゐた、これに数がどんどん増えて止まるやうなら、集団脱走を企ててゐることになるが、それ以上は増えず、外を飛び回る巣箱のハチもそれ以上は増えること無く巣箱の周りと一日中回つてゐた。
よく観察してゐると、巣箱の外をしばらくワンワン飛び回つた後には巣箱の中に戻つて行つて、また別の蜂が何匹か出てきて飛び回り始める。想像するに、これは新しい巣箱に入つたうえ、巣箱の場所も少し変わつたので、新しい環境に慣れるため、現状確認のための飛行だと思ふ。だから次々に交代して飛び回つてゐるやうに見える。巣の中には数千匹ゐるので、一通りそれが終わつてから通常の行動に移るのではと思ふ。なかには、花粉を抱えて戻つてくる蜂が時々見受けられたので、現状確認が終わつて外に飛んで行つた蜂が通常行動を取り始めたのではと思ふのである。
どうやら新しい巣箱を気に入つてくれたやうで、居付いてくれさうである。
元の巣箱のハチたちも、今日も活動は活発で、昨日の分蜂が無ければ、また分蜂するのではと思わせるやうに盛んに飛び回つてゐた。流石に昨日の今日と云ふことは無かつたが、近々また二回目の分蜂が期待できさうである。
晩飯 カレー
武漢コロナ熊本県感染状況 4/27
令和 5年 4月26日 (水)
朝には雨雲は東に移動して行つた、雨雲レーダーを觀てゐると天気の移り変わりがよくわかる。午後からは急速に天気が回復した。
最低気温 11.0℃ (08:38)、最高気温 16.0℃ (00:45)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
いやあ、漸く分蜂した。
雨上がりの後、急に天気が回復したが、気温が少し低めで、その上、風が少し強かつたので、今日も駄目だらうなと思ひながらも、10時ころから巣の前に張り付いて監視をしてゐた、やはりコンディションが良くないのでハチの動きももあまり活発ではなかった。
ところが午後2時少し前に、巣箱の周辺が少し賑やかになつてきた。これも先日のことがあるので、「時騒ぎ」だらうと思つて期待もせずに觀たゐたら、少し様子が違ふ。
用意した蜂球板のところに何匹か集まつてゐる、そのうちに、空にも沢山ハチが飛び交い始めた。漸く今年最初の分蜂が始まつたのだ。
そのうちに、どんどん蜂球板に蜂が群れてぶら下がり始めた。用意した蜂球板が小さすぎるのか、その背後にある樹木にも蜂球を作り始めて二箇所の蜂球ができた。
蜂球板については小生不思議と自信を持つてゐて、必ずそこに蜂球を作ると思つてゐる、いままでほぼ間違つたことがない。もし、蜂球板でなくて、別の、例えば木の上の方に蜂球を作ると、それを取り込むのが大変なのである。数年前に木の上に作つた蜂球をハシゴをかけて取り込もうとして、ハシゴの上に置いた空の巣箱が、その時に下に居た小生の頭を直撃して、MRI検査を受けたこともある。
ハチも好き好んで高い木の上に蜂球を作りたいわけではない、手近なところに蜂球を作りやすい場所があれば、ハチも楽をしたい、だから、蜂球板を蜂球を作りやすいところに置いてやると、必ずそこに蜂球を作るのである。
和尚と最近「お友達」になつた分蜂を觀たいと云つてゐた優さんに電話をしたが、和尚は南阿蘇に行つてゐて間に合わない(終わつたころやつてきた)。優さんは仕事でこれも連絡がつかない。まあ、平日の昼日中、こんなことをしてゐるのは小生のやうな隠居くらいのものだらう。
と云ふわけで、やおら、一人で分蜂群の取り込みを始めた。取り込みと云つても小生のやりかたは実に簡単である。
普通よく行われる方法は、ゴミ袋を蜂球の下にあてがつて、一気にハチの塊を袋の中にブラシなどを使つて落とし込み、それを新しい巣箱を逆さまにして、一気に袋の中のハチの群れを落とし込むのである、これは乱暴なので、小生も以前はこの方法を採つてゐたが、今は別の方法で取り込みをする。
今日は写真班がゐなかつたので記録は殘つてゐないが、蜂球の下から両の掌でそつと掬つて、側に置いてある空き巣箱の入り口にそつと置くだけである。
素手でやつても分蜂のときのハチは穩やかで刺さない、夢中で気が付かず、以前一度やつたことがあるが、万一のことがあるとコワイので今日はゴム手袋をして掬つた。
さうすると、ハチたちはゾロゾロと箱の暗い方、そして上の方に這い上がつて行くのである。ただ、それは掬つたハチの塊のなかに女王蜂が居ればの話である、掬つた中に女王蜂が居なければ収拾がつかずワンワンと飛び交う。一度で駄目なら、二度三度と蜂球板に固まつて止まつてゐるハチを掬つて巣箱の中にそつと落としてやれば、掬い漏れたハチたちは、女王蜂の放つフェロモンに引き寄せられて、放つて置いても自然に巣の中に入つていく。
大した時間もかからずに、無事に分蜂したハチを新しい巣箱に取り込むことができた。ただ、それで完了といふわけでは無い。
こちらから側から觀ると、新しい巣箱に移してやつた、これでハチも安心してそこを新たな巣として落ち着くだらうと思ふが、ハチの立場では、分蜂のために蜂球を作つて、さあ、これから新しい営巣地に向かつて飛び立とうかといふとこに、突然、強制的に、望まない箱に放り込まれるのである。要するに蜂球を作る場所が変わつただけである。
一般的に、分蜂するにあたつて、事前に「探索」と云ふ役割を持つた探索バチがあちたこちら探し回って移住先を決めてゐる。だからいきなり強制的に箱に放り込まれてハチとしては実に不本意なのである。ただ、たまたま強制的に放り込まれた場所が、気に入ればそこを新たな営巣地にするが、もし気に入らなければ、隙きを觀て逃亡を企てるのである。
取り込みが上手く行つて、翌朝みるともぬけの殼になつたこと今まで何度もある、落ち着くまでは気が抜けないのである。
今日、日没まで注意をしてゐたが、どうやら、集団脱走はしないやうである。用心のために、入り口を封鎖する手もあるが、なんとなく大丈夫さうだから、出入り口を開けたままで一晩様子を見ることにした。
今日分蜂をした元巣箱はまだ沢山の蜂が出入りをしてゐる、上手くすれば暫くして二度目の分蜂があるかもしれない。
晩飯 甘酢あんかけ野菜炒め。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/26
令和 5年 4月25日 (火)
「朝立ち」の時、素手では寒くて、ポケットに入れてあつた軍手をして旗を持つたくらいだつた。今日も細かな雨が降り続いてゐた、今夜から明日の朝にかけてかなりまとまった雨になると云つてゐる、今日もストーブを焚いた、薪は腐るほどある、実際に腐る。
最低気温 7.5℃ (00:00)、最高気温 15.0℃ (16:49)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
午後2時を過ぎたばかりの頃、突然警戒音と共にスマホに緊急速報メールが入つた、何事かと画面を見ると「高齢者避難」の発令だつた、理由は土砂災害警戒のためとある、しかし、発令地区が阿蘇市全域となつてゐながら避難場所は舊阿蘇町の一部だけである、そのうえ、雲の動きを觀ても、今の段階で避難命令が出るわけがない、誤報だらうと思つてゐたら、予想した通り、しばらくして、誤報だと云ふ放送が入つた。発信元は阿蘇市かと思つてゐたら、夜のニュースで、熊本県の出先機関の阿蘇地域振興局だと云つてゐた、情報源は県と市と二通り在るのことを知つた。
毎年4月には県に対して道路占用料なる賦金を納めてゐる、これは何かと云ふと、我が家の浄化済みの下水の配管が道路脇の側溝に流すやうになつてをり、その配管がうちの土地から20センチくらい飛び出てゐるから、これに対して課金をするといふのである。この道路及び側溝は県道なので納付先が県と云ふことになる。じゃあ、この飛び出た塩ビのパイプを土地の境界ギリギリで切るとどうなるのか、多分課金されないと思ふが、年に100円だから面倒だから、そのままにしてゐる。100円は確か1m未満の長さの排水パイプの金額だと思ふ。この100円の金額の徴収のためにどのくらいのコストがかかってゐるのだらうか。
この納付書は以前は、銀行の窓口に行かなかければならなかつたが、その後、ネットのPayEasyで納付できるやうになつたので、わざわざ100円を納付するために銀行まで行かなくても濟むやうになつたが、それでも、ネットを通じて銀行口座にログインする手間が結構面倒だつた、それが、さらに、最近はスマホでPayPayで納付できるやうになつた、これはバーコードをスキャンすれば一発で納付できた非常に便利で簡単である。スマホ決済ではPayPayが圧倒的に他社を引き離してゐるらしい。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/25
令和 5年 4月24日 (月)
いつ頃からだらう、昼過ぎてからだつたらうか、非常に細かな雨が降るやうな降らないやうな状態が続き、夕方にはすつかり路面が濡れてゐた、そして夜に入つても降り続いてゐる。今日は気温も低めで、今の季節、もう厚着をしてゐないので、手つ取り早くストーブを焚いた、冬物を探し出して着込むより、こちらのはうが簡単である。
最低気温 7.8℃ (但し17:09時点)、最高気温 11.8℃ (09:54)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
以前、役犬原で猿田彦の石碑を探したときには目につかなかつた碑、最近新たにひとつ在ることを知つて、今日たまたま近くを通つたので写真に収めて、阿蘇地域猿田彦石碑の地図にマークをした(ポイント23)
https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?mid=1KHGxBacvzVMWLb-zMbvd6kgHdOg0DqY&ll=32.95269954962359%2C131.0939222819651&z=15
今日太郎の中学校の家庭訪問があつた、カミさんと少生とでは基本的に教育に対する考え方が違ふので、母親まかせで小生はタッチしないことにしてゐるので、先生が見える時間帯には考えがバッティングをしないやう小生は外出をした。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/24
令和 5年 4月23日 (日)
晴れ。もう最近は股引きは穿いてゐないので今朝の気温は少し肌寒かつた。今日も時々強い風が吹いてゐた。
最低気温 5.2℃ (06:19)、最高気温 18.6℃ (15:12)
前庭と入口付近の草を刈つた。畑の方にはいろいろな野草が沢山の可憐な花をつけてゐる、これは刈り取るのはまだ惜しい、それに、数年前のレンゲソウが残つてゐて所々に咲いてゐて、それも少しずつ増えてゐるやうな気もする、だから花が終わつて、実が生つて、種が自然に地面に落ちるまでは刈り取るのはやめてをくことにする。
隣接する田では田起こしが行われてゐて、これが最後の田起こしかな、今年ももうまもなく田に水が入るのだらう。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/23
令和 5年 4月22日 (土)
晴れ。風が強かつた。
最低気温 9.8℃ (06:44)、最高気温 18.8℃ (14:17)
表の畑のシャクナゲが綺麗に咲いてゐる、裏の畑の八重咲きの洋シャクナゲと違つて、こちらは和シャクナゲで一重である、小生は「和」のほうが控えめで好きである。
写真1・写真2
渡辺さんがチームの岩永さんと一緒にアナグマの回収にきた。やつてきた軽トラックには、我が家に来る前に捕まえたばかりのイノシシが積んだあつた。阿蘇の外輪の縁に住んで居るのだから、野生動物が沢山居て、それが当たり前なのだらうが、それにしても我が家の周囲は野生動物だらけである。
我が家のワナにかかつたアナグマは電気ショックで仕留めた、結構大きかつた。電圧は100Vださうだ。可哀想だが仕方がない。捕獲の記録を撮つて尻尾だけ切り取つて市に持つていくさうで、幾ばくかの補助金が出るさうである。
我が家にはネコがたくさん居るので間違つてワナにかかるといけないので、今回のワナ仕掛けはこれで一旦中止することにした。
この季節、九州では午後7時半にならうとしてゐるのにまだ明るい、夏至までまだかなりあるからもつと日没は遅くなる。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/22
令和 5年 4月21日 (金)
晴れ。午前中は雲が多かつた。昨日と同じやうな気温だつたが、今日は太陽直下に居ると昨日までと違つて、こりやあ暑いなあと感じた。
写真1・.写真2
最低気温 13.4℃ (03:05)、最高気温 22.9℃ (14:25)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7
コチョウラン、今年は7つ蕾を付けてゐたが、今日全部開き終わつた、花持ちが良い花だからこのまましばらく美しく咲き続ける。
今朝、屋敷内の竹林に仕掛けたイノシシ捕獲用のワナのところに行つてみたところ、なにやら黑つぽいものが動いてゐる、イノシシにしては小さい、それにおとなしい。近寄つてみるとアナグマだつた。
アナグマと云ふが熊ではなくてタヌキの仲間だ(訂正 イタチの仲間ださうだ)、、これも有害鳥獣なのだらう、駆除対象なのだらう、どうするか分からないので、捕獲免許保持者の渡辺さんに任せやう、今日は連絡が取れなかつたから明日までワイヤに繋いだままだ。
アナグマと云へば昔の日記、H26.2.22に、あの日は雪が積もつてゐた、田んぼに迷い込んだアナグマ相手に娘が興味深さうに遊んでから山に帰してやつたことがある。
今日も分蜂、空振りだ、もう分蜂しないのかとさえ思つてしまふ。分蜂監視をしながら、ふと、蕗でも摘んで佃煮でも作らうかと思つたが、もう少し大きくなつてからのはうが良いだらう。
昨日の民児協定例会、休んだので、市役所に昨日の資料をもらいに行つてきた。
晩飯 天ぷらを揚げた。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/21
令和 5年 4月20日 (木)
カラリでは無かつたが晴れ。予報が外れたやうで今日は天気が良かつた、気温も上がり、部屋の窓を開放して過ごした。
最低気温 11.6℃ (05:28)、最高気温 22.7℃ (12:22)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
毎朝、小生のところを通過する子どもたちが、今何時?とよく訊いてくる、だから、以前、掛け時計を車のところにぶら下げてゐたが、故障して、もうずいぶん時計無しでやってきた、訊かれるたびに、腕をまくつて腕時計を觀ながら教えてゐたが、やはり面倒なので、修理してまた掲げるやうにした、今日は一番目立つところに置いてみた。
ボンの散歩、今朝初めて、三叉路のところで動かなくなること無く全コースを歩き通した。成長したのか、今日たまたまだつたのか明日になればわかる。
昨日しかけたイノシシのワナ、エサに撒いてをいた米糠、かなり食べた跡があつたが、ワナの穴に足を入れなかつたやうだ。
今日も、終日、分蜂待機で終わる。今日も空振りだつた。
今日は民児協の定例会だつた、今日は総会が予定されてゐたが、直前になつて欠席の届けをした、家業優先のためである。
家業?ニホンミツバチの分蜂である、小生はニホンミツバチの養蜂家なのだ、立派に家業なのだ。
足元に沢山の野草が咲いてをり、またいろいろな木々が植わつてゐるが、名前を知らないものがたくさんある、それらの名前を知るために、ネットで、例えば、春の野草、小さい、紫色の花、などなどと、色々と曖昧検索などして遠回りしながらその名前を探り当てることがあるが、googleの「レンズ」と云ふ機能を使えば、実に簡単にその名前を見つけることができることを初めて知つた。これは便利だ、以前はもつと迂遠な方法でしか知ることができなかつたと思ふが、このアプリは実に素晴らしいアプリである。
先日、この方法を知らずに時間をかけて、「ムラサキサギゴケ」だと思つた野草、今日、そのレンズで探したら、両者非常に似てゐて、「カキドオシ」だといふことがわかつて過去の日記を訂正した。
驚くのは草花だけに限らず、なんでもその姿をスマホのカメラで撮ると、瞬く間にそれが何かわかるのである。例えば足元の履いてゐるサンダルの写真を撮ると、同じやうな商品がすぐに表示される。なんだかすごい世の中になつてゐる。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/20
令和 5年 4月19日 (水)
今日は予報では天気になつて、気温が上がるやうなことを云ってゐた。事実各地で気温が上がつたやうだが、ここは、太陽も殆んど見えず、気温も云ふほどは上がらなかつた。
最低気温 15.1℃ (02:54)、最高気温 21.9℃ (14:21)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
分蜂、昨日のやうなことがあつたばかりなので、今日もあまり期待をしてゐなかつた。それに予報ほどの天気でもないし、朝からあまりハチの動きは活発ではなかつた、それでも、もしかしたらと云ふ気がしたので、午前中のうちに買い出しは済ませてをこうと、スーパーに行つたところ、和尚から電話があり、今、渡辺さんと様子を見に来たところだと云ふ。ちやうど帰るところだつたので、すぐに戻つてみると、二人は裏の竹やぶにゐて、そこから出てきて、「ワナを仕掛けたぞ」と云ふ。
薪小屋の後ろあたりの竹林にイノシシの新しい活動場所がみつかつたから、ここに仕掛けたと云ふ。くくり罠と云ふ、足で踏むとワナが足にかかる仕組みのものである。少し穴を掘つて、そこに罠を仕掛け、枯れ草などでワナを隠して、エサを漁りにきたイノシシが足を踏み入れてバネで輪が締まる仕組みである。埋めるところは觀なかつたが、多分、このタイプだらう。
みたところどこに仕掛けてあるかわからないくらいだ、我が家の連中に近寄るなと注意をしてをかなければなるまい。
野生動物でも闇雲に獲っては行けないらしく、渡辺さんはちやんと免許を持つている。昔は鉄砲で害獣を捕まえてゐたが、鉄砲は引退して現在はワナださうだ。渡辺さんはニホンミツバチ仲間でもある。
写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6
で、結局、今日も巣箱の周辺は結構ザワザワしてゐたが昨日ほどのことはなく、ハチの分蜂は無かつた。明日はまた昼ころから天気が崩れるぞ。
晩飯 カミさんが、特に確たるアテも無く買つてあつた鶏の胸肉があつたので、放つておくとそのうちチキン南蛮になると思つたので、小生が勝手に今晩チキンカツにした。小生、チキン南蛮も好きだが、チキンカツのほうがより好きである。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/19 また上昇に転じてきてゐるな。
令和 5年 4月18日 (火)
晴れ、とても暖かかつた。
最低気温 4.8℃ (05:08)、最高気温 23.5℃ (11:38)
昨日からだつたらうか、今朝になつてだつたらうか、阿蘇山を撮ってゐるライブカメラがブルースクリーン状態である。ケーブルのどこかの接触不良だと思ふが、チェックしやうと云ふ気が起きない、もともと色も良くないからカメラごと交換しやうかと思はないでも無いが、エンジンが掛らない。もう一つのカメラが阿蘇山を撮つてゐるから、急ぐこともないかと云ふ気持ちがあるからである。
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
今日は運転免許の高齢者講習の日である。高齢者が多いので、講習の枠を押さえるのが大変で、下手に予約日を逃すと、先ず、近くでは講習が受けられず、とんでもない遠県の教習所でなければ受講できない、下手すると受講できずに免許更新ができなくなる場合もある。だから、どんなことがあつても今日の講習をパスすることができないのだ。
どうして斯う云ふことを書いてゐるかと、今日は絶好の分蜂日和だからである。しかも、一番可能性が高い、12時から3時半の高齢者講習の時間割りだからである。
11時半には家を出なければならないので、やきもきして觀てゐると、10時半過ぎた頃、巣箱からワラワラと蜂が出てき始めた。
おう、これなら、11時半の出発までに分蜂群の取り込み作業が完了するな、然う思つて、和尚にも連絡をして見に来てもらつた。
(写真1・写真2)
ところがところが、その外に出てきたハチの群れ、それ以上増えることもなく、空が真つ黒になるほど乱舞をすることもなく、そのうちに、どんどん中に入つてしまつて元の静かな状態に戻つてしまつた。
あの騒ぎは何だつたのか、どうして、あそこまで行つて分蜂を中止したのか、さつぱり分からない。分からないうちに、出かける時間が来たので、和尚に、申し訳ないけど、時々様子を見に来て下さいとお願いして高齢者講習に出掛けた。
講習会場は阿蘇自動車学校で、三年前にも一度受講してゐる、つまり、後期高齢者になつてから二度目の免許更新になる。
この講習では、まず、認知症テストがあり、これに受からないと講習受講ができないのである。
この認知症テストの内容は殆んど前回と同じ内容だつたが、少し、違つてゐた。前回は講師が云ふ時間を針の無い時計の絵柄に時針と分針を書き入れるものだったが、それがなくなってゐた。それに変わって、講義が始まった時間が何時何分でした、今、それから5分経過しているが、今は何時何分かを数字で書かせるものになつてゐた。
それから一番頭を使う問題が、「手がかり再生」と云ふ問題で、16種類のイラストを見せて、覚えさせて、そのあとで、一旦その記憶を忘れさせるための簡単な数字をチェクする作業をさせてから、改めてその16種類のイラストの名前を書かせるものである。
ところで、この16種類のイラストには4パターンあつて、その4パタンーのうちの一つが問題として出されるのだが、どのパターンが出されるかは分つてゐない。
しかし、このイラストは警察庁のホームページに載つてをり、事前に調べて覚えることができる。ただ、16種のイラストのパターンが4種類あるので、全部覚えるとなると、16×4で64種類のイラストを、パターン別に覚えなければならず、膨大なエネルギーを要することになる。
それでも採点される以上は、スケベ心を出して、100点を取ろうとする。そして、覚え始めたが、バカバカしくなつて覚えるのをやめた。一定のレベルがあれば合格できるし、講師も不正は無しで色々とヒントを出してくれて、都会と違い田舎で車は必需品、なんとか合格できるやうに気を配つてくれて、認知症でも無い限りは大丈夫な試験だらうと思ふ。
そもそも警察庁で事前にイラストを載せてあるのも、事前に覚えたとしても、覚える力があれば認知症ではないだらうといふことなのだらう。だから講師のヒントでも、それで思い出すことができるのなら認知症では無い証拠になるからだらう、本当に駄目な人は、ちやんと分かるやうである、然のやうな人は改めて医師の判断を仰ぐことになるのだらう。
さすがに、今回は前回出題のパターンとは別のパターンだらうと思つてゐたら、なんと前回と同じパターンが出題された。前回のパターンは大体記憶にあつた上、ざつとだがパターンを見てをいたので、小生は全問正解できた。これも覚えてゐるといふことは認知症では無いといふことだから、同じ問題でも構わないのだらう。
ただ、後からわかつたことだが、採点方法が変更になつて、点数では発表しなくなつたさうで、合格点以上か以下だけの発表になつたさうである。なんとなく肩透かしを食らつたやうな気がする。
認知症テストが終わつてから静止視力、動体視力、夜間視力の検査を機械を使つて行われたが、夜間視力で小生には試験官が説明するパターンが見えずに、時間終了になつた、試験官は、いいです、いいです、あまり夜に運転をしなければ、といふ程度で終わつた、一体このテストは何だつたのだ。
それらの試験が終わつてから実際に運転技量のテストと云ふかチェックが行われて、教習所内のコースを講師を横に、しばらく走らせられた、前回無かつた、チェック項目に、「段差乗り上げ」テストがあつた。これは最近、高齢者がアクセルとブレーキを踏み間違えて、大きな事故を起こす事故が多いので、緊急時にどれだけ早くブレーキが踏めるかのチェックである。
所内のある場所に10センチくらいの段差が設けてあり、その段差に接触するくらい車を寄せて、アクセルを踏んでその段差を乗り上げさせて、すぐにブレーキを踏んで、その段差が在る1m幅の間に止まりきれるかどうかのテストである。踏むのが遅いと、乗り上げた後段差を乗り越えてしまふ、これはアウトである。結構瞬発力が要求される。
今回はS字やクランク、車庫入れなどは無かつたが一時停止、信号無視、信号の変わり目、右左折など事故につながることが多いのでそのあたりを走行しながら講師の話を聞いた。小生は自分のこととして真剣に聽いてゐる。前回の高齢者講習から、小生は、どんな田舎道でも、たとえ誰が居なくても、一時停止線ではしつかりと止まるやう習慣づけてゐる。昔は面倒だなあと思つてゐたが、慣れると全然苦にならず、やはり一時停止はちゃんと守った方が良いと思ふやうになつた、これも習慣である。
正午から午後三時半近くまでたつぷり時間をかけて、無事に高齢者講習を終了して、修了証をもらつてきた(写真1・写真2)、誕生日前一ヶ月、誕生日後一ヶ月以内にこの修了証を持つて試験所に行き、更新手続きをすると、写真撮影と視力検査だけで免許証がすぐに発行される運びになる。本日の受講料は〆て7500円也。
高齢者講習が終わつて、飛ぶやうに家に帰つてきて、蜂の巣箱のところに行つたところ、そして、和尚に電話で様子を訊いたところ、今日は風もあつたからか、今朝のあの騒ぎ以降はハチの動きはなかつたさうで、今日こそはと期待してゐたが、結局今日も分蜂は無かつた。それじゃあ、明日か?
武漢コロナ熊本県感染状況 4/18
令和 5年 4月17日 (月)
晴れ。
最低気温 4.1℃ (05:58)、 最高気温 17.8℃ (15:07)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
今日は絶対に分蜂があるだらうと朝10時ころから夕方4時ころまで、たつぷり6時間あまり巣箱の近くにへばり付いてゐた、昼飯も、カツプ麺を巣箱の近くで食べたくらいだ、分蜂してから飛び立つまで寸刻を争うものでも無いのだが、小生としては分蜂開始の巣箱からワラワラ、陸続と蜂が沸いて出て来るところを見たかつたからだ。
で、結局、今日も空振りだった。和尚のところでももしかしたらと巣箱の近くで草むしりなどをして監視したけどだめだつたと小生のところまで様子を見にやつてきて云つてゐた。さうか、小生なんか何もしないで一日中監視をしてゐたが、草取りなんかをしてをれば良かつたのだ、明日から草刈りでもしながら監視をすることにした。あつ、駄目だ、明日の日中、大事な予定がある、監視できない!!!!、
「豊後街道坂梨宿」のサイトに「今日の坂梨宿」といふページがあり、その4月12日の欄に坂梨郵便局そばの藤棚の写真が載つてをり、そこが猿田彦とあつた。長年、藤棚としては識つてゐたが、その棚の下に猿田彦の碑があるとは全く知らなかつた、燈台下暗しであつた。
(写真1・写真2)
早速分蜂監視の合間を縫つて現地確認をして阿蘇地域の猿田彦の地図に加えてをいた(新しいタブで開 point22 。
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晩飯 野菜炒め
武漢コロナ熊本県感染状況 4/17
令和 5年 4月16日 (日)
今日は晴れるかなと思つたら、はつきりしない天気だつた、とにかく風が強かつた、12.5 m/s (15:52)。午後三時ころには局所的に雷雲が発生して、にわか雨とゴロゴロ鳴つた。
最低気温 9.4℃ (06:14)、最高気温 16.0℃ (13:03)
今日も、先ず分蜂は無い、とは思つたが万一と云ふこともある。何度も巣箱の近くに張り付いた。風が強くて今日はハチたちも分蜂どころではなかつたらう。
ボンの散歩、今日も三叉路の先で動かなくなる、今日は橋の袂まで行かずにかなり手前で降ろしたところ、そこから普通に歩き始めたので極めて短い区間になにかあるのかも知れない。
そのボン、いつも体を足で掻いてゐる、ハーネスが体に合わないのかもしれないと思つて、最初のころ、少し着けて、ちよつと大きすぎるので外した首輪を、穴を一つあけて、首周りがブカブカにならないやうに締めて、ハーネスから首輪に替えてやつた。それから、それだけではなく、もしかしたらノミがゐるのかもしれないので、首筋に垂らす駆除剤を買つてきて付けてやつた。
この薬はサプリメントや健康食品系の気休め藥ではなく、薬に近いやうで、アレルギーチェックのために、最初二三滴垂らして、パッチテストをしろとあつたので、「薬」なのだらう(医薬部外品ではあるが)、一ヶ月效果があるさうである。
我が家に最近自転車が急に増えた、太郎が遊びに乗つてゐた自転車(これは通学用には不適なのださうだ)、それに通学用の自転車が増えた、中学に入ると自転車通学ができる、それから夏子の友達が寮を出る時に不要になつた自転車をカミさんが乗るからと貰つててきた自転車、その他にも夏子が中高時代に乗つてゐたまだ使える自転車など、雨に濡れない置き場としてベランダを使つてゐるがそれでは収まりきれないので、小生の作業場脇の本来自転車置場として作つたスペースに太郎の自転車を一台入れてやらうと、整理をした。
本来の自転車置き場に何が置いてあるかと云ふと、発動機(ディーゼル)である、二台も置いてある、それらを詰めてやつた。
発動機、以前熱中して遊んだのは何年前だらう・・・もう4年くらい前になる。今日自転車置き場を整理しながら、エンジンを掛けてみた。
ディーゼルエンジンの一番原始的は形をしたものである、発動機と云ふ時代のものである、デコンプを引いて、お重たいはずみ車にハンドルを付けて力任せに何度か回して、デコンプを離すと徐ろにドツドツドツとエンジンが掛かり、回り始める。、
ディーゼルエンジンは頑丈でシンプルで、長い間放りつぱなしでも、バッテリーなんか無いし、ちゃんとエンジンがかかる、大したものである。しばらく発動機のエンジン音を楽しんだ、ついでに少し整備した。
今はなんでも電子制御の時代だから原点にを大事にしたいのだ、無線の原点がモールスであるやうに、電卓の原点が計算尺であるやうに、溶接は手棒であるやうに。この発動機に何かつないで動かしたいと前から思つてゐるが今はもう動かすものとエンジンが一体化してゐるものばかりだから、なかなか無い。
今日、神石集落の市原さんとおつしやる方が親子三代で軽トラックに薪材を積んで持つてきてくださつた。我が家が薪材を欲しがつてゐると云ふことが近郷近在に知れ渡つてゐて、時々斯うして薪材が入つてくる、有り難いことである。
今日見えた市原さんの二代目にあたる方、ものすごく顔を知つてゐるのにどこで知つたのか分からない、後からカミさんが、夏子と保育園時代、小学校時代にご一緒だつた・・・ほら保護者会長もされた・・・など聞いてやうやく思い出した。今日の三代目の若者はS太郎君だつたのか、全く気が付かなかつた。
後から気がついて、皆さんがおいでの時は判らずモヤモヤした気持ちだつたので、夜になつてご自宅に電話をして、その話をして漸く落ち着いた。あの地域は市原性が多いので小生が知つてゐる何人かの市原さんの名前を出して、反応を見ながら搦手(からめて)から思い出さうとしたが思ひ出せなかつたので、小生ボケなのかなあ。
昨日、日記をアップし忘れて、小生の日記はある種「生存アリバイ」だから、今朝、どうした?と寺さんからチェックが入つた。新聞が取り込んでないとか、いつもと違ふ様子に対して何かあつたなといふ信号になることがあるが、小生の場合は「日記更新」である。そんなだから、小生は知人のブログなど、毎日更新してゐる人がしてゐないと御節介にも何かあつたかと安否を確認する癖がある。
ついでながら。近年は高齢の独居老人が増えてゐる、ところが、それだけの数の老人が居て、その老人が、一人で病死することは結構あるが、そのなかで、火を扱つてゐて突然倒れると云ふやうな事故はあまり起こらないのだらうか、それで火事になつたと云ふニュースはあまり聞かない。小生も特に日中は独居老人なので、炊事場で火を扱う場合は、IH調理器などで湯を沸かしたり煮込みなどをする場合は、努めて、タイマーをかけて、その時間になつたらスイッチが切れるやうにしてゐる。もしその間に小生が突然死を起こしても、一定時間経てば火が消えるやうにしてゐるのである。
今日も瞬く間に一日が終わつた。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/16
令和 5年 4月15日 (土)
一晩中、降つてゐた、朝には漸く上がつたが、それでも、晴れることは無く、終日どんより、時々霧のやうな雨が落ちてゐた。数字的には気温は低くなかつたやうだが、全く実感できなかつた。
最低気温 12.5℃ (00:00)、最高気温 18.7℃ (12:46)
こんな天気でも万一のことがあるので、日中はずっと蜂の巣箱の近くに椅子をおいて監視をしてゐたが、雨が落ちてくると、中に入つて、止むとまた外に出て、の繰り返し。結局今日は何事も起きなかつた。
ボン、今日も三叉路の先で少しの区間、動かなくなつた、どうしてだらうか。歩き始めると、前を向いてまつすぐ歩くやうになつたので、あの小ささで、結構足が早ので、そのスピードについて小生が歩くと息が切れさうなくらいだ。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/15
令和 5年 4月14日 (金)
曇のち、時々弱い雨。九州中部地域には今日一日それどの雨雲はかかつてゐなかった。写真1・写真2
最低気温 5.8℃ (05:56)、最高気温 13.9℃ (12:32)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
コチョウランがいつの間にか6輪になつてゐた、今年は開花の間隔が短いやうだ。
母の命日である、「とんかつ忌」である。あえて回忌で云へば、14回忌であるが、小生勘違いをして、今年が節目の13回忌だと思ひ込んでゐて昨年危うく13回忌の法要を逃すところだつた、昨年、直前になつて気がついてお寺さんにお経をあげていたゞいたのだつた。
太郎が生まれた年に母は亡くなつたので、太郎の年齢と回忌を結びつけて覚えるやうにしてゐたが、太郎の誕生日より前に命日が来るのものだから、昨年の命日の時点で、太郎は今、11歳だから、12回忌だ、だから来年(今年)が13回忌だと思ひ込んでゐたのである(三月後の母の命日はもう12歳になつてゐたのだつたから13回忌だつたのだ)。
本来はこの先も節目節目の回忌があるのだが、次はもう小生もこの世に居ないだらうからと、我が家ではこの13回忌を以て「弔い上げ」にした、今年は特にお寺さんもお呼びせずに、いつものように、小生がトンカツを揚げて供養した。母はトンカツが好きで、私が死んだら毎年トンカツを供えてくれと冗談に云つてゐたから小生が毎年トンカツを揚げてゐる、だから母の命日を「とんかつ忌」と云つてゐる。小生的にはもう追慕の段階は過ぎて完全に懐かしい人になつてゐる。父親にも当然命日はあるのだが、冷遇されてゐるなあ、と思つて計算してみたら今年で丁度没後50年になる。
H27.4.14の日記に「とんかつ忌」命名のいきさつが残つてゐる、当時、ネットにあつた福田和也のとんかつ忌にまつわる記事、今回改めてネット検索したけど見附からなつたなあ。
以前の命日の時は、桜の花がまだ残つてゐて、枝を折つて仏壇に供えたこともあつたと記憶してゐるが、今年は特に季節の進み具合が早いのか、ソメイヨシノはおろか山桜ももう葉桜になつてゐる、今年も我が家の敷地内に咲いてゐる花を採つてきて供えた。
シャクナゲ、ヤブツバキ、菜の花、花大根、スイセン(がまだ残ってゐた)、その他名前を知らな花・・・
ボン、昨日同様三叉路のところで動かなくなつたので、今日も豆札橋のたもとまで抱いていつてそこからまた散歩を再開した、少しずつ、まつすぐ前に向かつて歩くやうになつてきた。ボンくらいのまだ子犬の場合は片足を上げてマーキングはしないのだらうか、自我が芽生え始めてマーキングをし始めるのはもう少し先になるのだらうか。
予報では午後に入つて雨になるやうなことを云つてゐたと思ふが9時ころにはポツリポツリ雨が落ち始めた、曇りがちのほうが分蜂しやすいと聞いたことがあり、経験上も然うなので、午後から雨が降り始める前に分蜂かと期待してゐたがこれでは、今日の分蜂は無いのだらう。と思いながら何度も雨が落ちてゐるなか巣箱までチェックに行つた。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/14
令和 5年 4月13日 (木)
放射冷却で快晴、今朝は車のフロンドだけでなくサイドのガラスもガチガチに凍つてゐた、日中の気温が上がつたが暑さは感じなかつた、まだそんな気温では無いのだらう、今日は黄砂、気がつかなかつた、朝は無かつた、もし飛来しても昨日ほどではなかつたのかもしれない。。
最低気温 0.8℃ (05:16)、最高気温 23.1℃ (14:45)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9
今日から一年生も登校班の一員になつて登校して行つた。中学生になつたばかりのついこの前まで小学生だつた子らが中学の制服に身を包み颯爽と自転車で登校して行つた。
下校時、小生がハチの分蜂を見張ってゐる場所から、遠くながら、子どもたちが下校してくる姿が見える、イザと云ふ時に役に立たないが遠隔見守りである。
ボン、朝起きて声がけをした時には居たのだが、30分ほどして家の中から見てみるとどうもゐない感じがする、小屋の奥の方にでもゐるのだらうかと思って見に行くと、空つぽである。逃げたのだ!逃げたと云ふが、「逃亡」するつもりで居なくなったのではないだろう、要は鎖から放たれて自由に歩き回つてゐたのだらう。
犬を繋いでゐたワイヤーのリードのパイプに止める中間金具が外れたようで、長いリードを引つ張つたままどこかに行つてしまつたやうで、敷地内を探し回つたけど姿が見えない、昨日の様子からはそんなに遠くには行かないとは思つたが、呼んだり手を叩いたりしてゐるうちに表の道路の方からリードを引つ張つて戻つてきた、リードとパイプを結ぶ中継用のリードはどこかに外れて置いてきたやうだ、探したが見つからなかつた。無くなった部分は昔先代のボンが使ってゐた太めのやつがあつたからそれを使うことにした。
いやいやボンが見つかつてホッとした、よく行方不明になる話があるが、哲兄に叱られるところだつた。
登校見守りから歸つて、昨日出來なかつた散歩に連れ出した、ところが最初は調子良く、歩いてゐたが三叉路のところまで来たら、それ以上歩かうとしない、自分が来たことがある場所までは臭いで覚えてゐるのだらうか、景色で覚えてゐるのだらうか、仕方がないので、抱いてしばらく歩いて新しくなつた「豆札大橋」を渡つて、川沿いの道に入つたところでボンを降ろしたらところ、そこからはまた歩きだして、無事、昔、先代のボンと散歩をしたルートを一周して歸ってきた。
散歩の川沿いの道には近年沢山のトマトハウスが出來てゐて、今朝、そこに自転車に乗つた外国の技能実習生が十名以上やつてきた、引率のSさんに、尋ねたら、普段はそれぞれのトマトハウスで働いてもらつてゐる実習生、同じグループのトマトハウスが定植をする時はみんなで集まつて手傳ふのださうである、いよいよトマトの季節が始まつてゐるのだ。
今、外国の実習生のことが問題になってゐる、地方によっては酷い扱いをしてゐるところもあるやうだが、ここ周辺の実習生はそんなことないと思ふ、みんな穩やかで仲良くやつているやうに見える、数年前までE鴨氏の家でも外国の技能実習生を受けゐれてゐて、まるで家族同様に暮らして居た、それじやあ持ち出しでせうと云ふくらいに丁寧に接してゐた。それはそれとして、今の技能実習制度はやはり問題があると思ふ。
歸つてから万歩計で見ると3794歩で、出発する前が1536歩だつたから散歩一周の歩数2258歩といふことにある。
歳を取ると歩くことは健康維持に大切だといふので、最近は毎日歩いた歩数を計つてゐる。もうスマートウォッチは使わないし、わざわざ万歩計を買つてまではなあ、と思つてゐたら、スマホのアプリで万歩計があるのを知つて、インストールして、ここのところ毎日記録を見てゐる、人間一日どのくらい歩くのだらうと考えたこともなかつたが、家で本ばかり読んでゐると一日1000歩くらいしか歩かない、最近陽気が良くなつたこともあつて外で少しずつ作業をするやうになつて、かなり歩数も増えてきた、今日から始めた散歩で、ある程度の距離を歩くことになる、それでもまだ適正歩数には足りないのだらう。
それでも、今、分蜂の季節で、今か今かと何度も巣箱まで往復しては様子を見てゐる、敷地が結構広いので、外に出なくてもこれだけでもかなりの歩数になる。いつもは大したことがないのに、今日は1万歩以上歩いてゐる。
今日あたりはもしかしたら分蜂するのではと期待してゐたが、夕方まで粘つたが駄目だつた、明日あたりかな。今日は和尚もやってきて、分蜂取り込み失敗したと残念がつてゐた、和尚も今日あたり分蜂するだらうと睨んでゐたが、ちょっと小一時間ほど、用務で巣箱を離れ歸つてきたら、ハチの群れが一斉に空の彼方に飛び去るところだつたさうだ、群れは蜂球を作らずにいきなりバラバラで飛び去ることは無いと思ふので、今日の蜂球は作つてから飛び立つまでの時間が極めて短かかつたと云ふことだらう、然う云ふこともあるのだとびっくりした。普通は一時間位はじっとしてゐて下手すると数日間蜂球を作つた状態で居ることもあると聞いたことがある。要は移住先が決まつてゐるか、決まつてゐないかの違いだらう、今日はもう移住先が決まつてゐたのでさつさと飛んで行つたのだらう。
今年はイノシシのために、タケノコが掘りくり返されてロクに穫れない、それでも時々出てくるやつを掘つては心当たりに届けてゐるが、今日はイノシシが見のがしたやつ見つかつて、かなり大きくなりすぎて、これはもう食べられないだらうと思つたが、掘つてすぐなら大丈夫かなと、試しに茹でてみた。大きすぎて鍋に入らないのでいくつかに裁断して茹でてみたが、歯ごたえは確かにあるが、十分に食べらる、他人様に差し上げる事はできないので、早速、タケノコご飯と土佐煮を作つた。今日はアサリがあつたのでアサリの味噌汁。それに、またカツオのたたきを作つた。
シーズン始めの頃は木の芽が間に合わなかつたが、もう立派に成長してタケノコ料理に色と香りを添えてゐる。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/13
令和 5年 4月12日 (水)
雨、午前中に上がり、いい天気になる。ところが晴れてゐるのに山が見えない、空気中の水蒸気のせいかと思つたら、どうやら黄砂らしい、また迷惑なものが飛来してきた。
最低気温 12.9℃ (00:07)、最高気温 18.9℃ (15:07)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
小学校、入学式も終わつて今日が全学年揃つての最初の登校日だつたが、生憎の雨で殆どが保護者送りだつた。通過した登校班には一年生はゐなかつた。そして、午後3時過ぎ、晩飯の材料買い出しにでたところ、丁度下校時間だつたらしくて、はるか向こうから集団で子どもたちが帰つてくるが見えたから、急遽、見守り隊になつて、子どもたちの下校を見守つた、今日は、一年生も初登校、そし初めての下校なので学校の先生が一緒について下校して行つた。
学校と保護者との連絡アプリ、「すぐーる」に太郎の中学校の登録をした、小生の「すぐーる」には小学校の連絡システムもまだ残つてゐる、子どもたちの登校見守りで臨時休校だとか、登校時間変更などの情報が必要なので、太郎はもう卒業したが残してもらつた。
イノシシに食い荒らさされながらもポツポツとタケノコが顔を出してゐる、筍掘りは小生はスコップが慣れてゐるので、友人が筍掘り鍬をかしてくれたが、どうも上手く掘れない、タケノコの根に近い方をどうしてもかなり削つて仕舞ふのだ。掘つてはご近所の思いつくところにランダムに届けてゐる。
雨で夜が明けた、当代のボンはちゃんと先代のボンの小屋に大人しく入つて雨の夜を明かしたやうだ、やはり犬は和犬だな、凛々しくていい。
数年ぶりに犬の散歩を復活させるべく、リードをつないで出掛けやうとするが、自分の小屋の前あたりから座り込んでガンとして動かうとしない、喜んで外に出かけると思つていたが、アテが外れた。先代ボンが死んだのは2020年7月16日だつたのだ、もつと昔かと思つてゐた。その時以来の小生の犬の散歩になる、小生の万歩計の歩数もこれを機会に増えることになると思つてゐたのに。
少し大きめの首輪なので、前に進むのには問題が無いが、尻込みをして嫌がる犬のリードを無理に進もとうして引つ張ると、首輪が拔けさうになる、仕方が無いから、抱いた状態で、家を出た三叉路付近まで行つてみたが、そこからも先に進まうとしない、最後には側溝に落ちてしまつた。
結局今日の散歩は中止にして、そこから家方向に進路を変えたら、歩き始めて、なんとか歸つてきた。これはまだ子犬だからなのか、他に理由があるのか分からない、しばらくは少しずつでも慣らして行くしか無いだらう。
家にあつた首輪はちよつと大きめで一番きつく締めても下手するとすつぽ拔けさうなので、哲兄が持つてきてくれた、ハーネスといふのか、首周りと胴回りにつける装具を着けてやつた、これだとすつぽ抜けることも無いだらう。
夕方になつて、試しにもう一度、外に連れて行こうとしたら、今度は割りとスムースに歩き始めた、ただ、前方扇状に動き回りそのうちに小生の足元に纏わりつきながら前に進むので小さな犬なので、小生の瞬発力の無くなつた歩き方だと下手をする踏み潰しかねない、結構神経を使う、それでも家を出てすぐの三叉路までは歩いて行つた。そしてそこでウンチをした、昨日から気になつてゐたのだが、犬小屋のリードの範囲内に全く糞をした形跡が無かつた、昨日からずつとしてゐなかったのだらう、道端に出てやうやくする気になつたのかもしれない、結構たつぷりしたが、生憎小生、処理用のシャベルを持つていかなかつたので、一旦歸つてから犬をつないで、シャベルを持つて始末ををしてきた。
ボンにとつては今朝の散歩、初めての外界だつたから、外に出るのが怖かつたのだらう、今朝、一度連れ出してそれで安心したのかもしれない、どうやら明日から散歩に行けさうである。
晩飯 八宝菜。いろいろ品数をつくるのが面倒なので中華料理が一番簡単でデリケートで無くていい。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/12
令和 5年 4月11日 (火)
いい天気だつた、気温が上がつた。
最低気温 5.7℃ (04:09)、最高気温 20.3℃ (15:39)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4
今日は小中学校の入学式があつた、なかには小学校と中学校と同時に入学する子を持つ家庭もあるかもしれない、平日開催なので多分保護者の負担を軽くするためだらう、だから午前と午後とに分けて入学式を同日開催したのではと想像するが、小学校は午前中、中学校は昼から入学式が行われた。
今日の登校見守り、小学校はまだ武漢コロナ警戒が続いてをり、6年生のみの式典参列で、他の学年は休みである(中学も多分さうだらう)。從つて今日は6年生だけの登校だつた(新入学児童は後刻保護者同伴で参列)。
流行前には小中学校の卒業式・入学式には民生委員が来賓として招待があつたが、武漢コロナ対策で今年もその招待は中止された、小生的には招待がない方が有り難い、学校にしても子どもたちにしても多分本音はさうだらう、無駄な時間短縮になるのだ。
太郎も、今日、中学校の入学式だつた。母親が参列した。出かける前に玄関先で記念写真を撮つたが、制服がブカブカで、いかにもピカピカの一年生だ。小生の中一のころの写真を探したが、あの頃の写真、無いなあ、中学生になつたばかりの時のやつが一枚あつた、少し大人になつた気分で撮つた写真であの時のことよく覚えてゐる。
入学式が終わつて歸つてきて、どうだつた?と感想を訊いたところ、可愛げもなく「ふつう」と云ふ、今の子は何かにつけてこの言葉を使う、もつと云ひ方があるだらうに、何事に対しても、「ふつう」と云ふ。
何年かぶりに我が家に犬が来る話があつたので、昔ボンが使つてゐた小屋を引つ張り出して、掃除をするなど受け入れ準備をしたが、残念ながらこの話、幻に終わつてしまつた。又なるチャンスに備えて雨に打たれない場所に犬小屋を片付けねば。
近見の従兄の哲兄が最近犬を飼い始めたところ急に埼玉の方に移転することになつて、色々事情があつて犬を置いて行くことになつた、ついては小生に飼えと云つてくれたので、これは願つてもない話だつたので、早速受け入れの準備をしたところ、昨日、情が移つて置いて行けない、話は無かつたことにしてくれということだつた。小生もその気持は良くわかるので残念ながら諦めた次第である。
小生はその日の日記は、時間がある時に少しずつ書く場合がある。以上が午前中に書いた部分である。
ところが今日昼過ぎに電話があり、今、近くまで来てゐる、犬を持つてきたと云ふ。え?その話は無しになつたのではと云ふと、心が揺れ動いてねえ、やつぱり置いていくことにしたと云ふ。へえ、それは嬉しいけど、一旦こちらに来た以上、もうまた心が揺れ動いても、返さないぞと云つたところ、それはもう大丈夫だと云つて、届けてくれたのである。半日遅ければ、小屋はまた片付けるところだつた。
斯うして我が家にやつてきた犬は由緒正しき雄の豆柴である、柴犬ほどは大きくはならないやうだが、まだ生後二ヶ月くらいだから、もつと大きくなる、早速我が家のネコどもが遠巻きにして、間合いを測つて、牽制してゐる。猫が数匹も居ると小さな犬だから、虐められかと心配であるが流石小さくても犬である、吠えて近づけさせない。犬が居るとイノシシよけになるだらうか。これから毎日小生の散歩の仕事が増えることになる、ヒザ、大丈夫かな。
今までの名前は聞いてゐないが、我が家では新たに命名する、小生はボンと呼びたい、「二代目ボン」である。太郎の入学の日に來たから、ボン太郎にするか。いずれにしても小生よりは長生きする、小生亡きあとは誰が面倒を見るのだ。
ニホンミツバチ、もういつ分蜂が始まつても良い雰囲気だ、いつのまにか雄バチがたくさん生まれてゐる、今年は気を抜いてゐたので雄蜂が生まれたときの黒い巣蓋にも気が付かなかつた。今日は少し風があつたので多分無いだろうと思つたが、それでも、巣の周りがザワザワしてゐた。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/11
令和 5年 4月10日 (月)
晴れ。今朝も気温が低くて氷点下ではなかつたものの車のフロントが凍つてをりヒーターで溶かしてから登校見守りに出た。
最低気温 2.1℃ (04:55)、最高気温 17.6℃ (14:30)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
今日から新学期、新年度の登校見守りが始まつた、進級した2年生から6年生が登校して行つた。明日が入学式なのでまだ一年生はゐない。小生、もう小学生の保護者ではないが、今年も登校見守りを続ける。
ここのところ、タケノコが連日イノシシにやられてゐる、顔を出すと片つ端からやられる、少し出てゐたので、明日にでも掘るかと思つてゐたら、夜中のうちに全部やられる。一昨日、数本、顔を出してゐたので、如何にもワナらしく構造物を置いてをいて今朝みてみたところ、無事だつた、尤、これはイノシシのいつものコースから少し離れてゐたからかもしれない、早速掘つて、知り合いに届けた。
もう分蜂の季節だ、も少し先だとは思ふがいつ分蜂が始まるか分からないので、一日に何度か、巣のところに行つてみたが今日あたりは風があり少し冷たかつたので動きは無かつた。こんな天気だつたので、探索バチの姿も無かつた。
晩飯 カツオのたたき。目には青葉、山ホトトギス初鰹、の季節だ、今年初めてでは無いが、カツオが美味しい季節だ、うちの連中はたたきが好きだなあ。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/10
令和 5年 4月 9日 (日)
晴れ、この時期、珍しく、朝、氷点下まで下がつた、今朝は車を動かす予定は無かつたのでウインドウの凍結までは確認しなかつたが、部屋から見た窓外の景色、草地、田んぼが霜で真つ白になつてゐた。
日中もあまり気温は高くなかつたやうだけど、それでも信じられないくらい暖かかつた、太陽の下でずつと作業をしてゐたからかも知れない。
最低気温 -1.1℃ (06:21)、最高気温 15.8℃ (14:15)
最近、阿蘇山を撮つているライブカメラの調子が悪い、時々、ブルースクリーンになる。ビデオケーブルコネクターを触ると復旧するので、コネクター周りの劣化なのだらう、交換すれば濟む話だが、最近億劫でなかなかヤル気が起きない。それにカメラ自体がかなり劣化して色が悪い、架台も劣化してゐてグラついてゐる、総取つ替えが一番なのだが、なかなかエンジンが掛らない、並行してもう一台の阿蘇山ライブカメラが動いてゐるので、それがあるからといふせいもある。
ミツバチの巣箱の整備をした、今日は六基整備して、三基は外に置いて、三基はベランダに置いてをいた。
今、阿蘇にもアカリンダニが入つてきてゐるので、これが入ると巣が全滅する。対策としてメンソールを巣に入れると良いと云はれてゐる、固形のメントールは気化すると空気より重いので下に降りる。だから、巣の一番上にメントールを置かなければならない。
巣の天井として板が貼つてあつて、その天井板にハチは巣を作つて鍾乳石のやうに垂れ下がるので、もし対策を取らないでダニが入ると、一度巣が出來た天井板を剥がさなければならなくなるので、面倒だから、予め、天井板にスリットを入れてをいて、ダニが入つた時には、天板の上にメントールを置いて、スリットから気化したメントールを下に流すようにすれば良い。
今日、六基とも天井板に、適当にだが、丸ノコでスリットを入れて、その上からカバーになる屋根をかぶせた。
今のところ一基だけは分蜂で取り込むがそれ以外はアテは無い、自然入居で入つてくれるのを待つだけだが、これがなかなか入つてくれないのだ。
今日はくたびれた、ずつと前傾姿勢で作業をしたので腰が痛い。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/9
令和 5年 4月 8日 (土)
今日は何かの日だつたなあと思つてゐたら、花まつり(灌仏会)、お釈迦様の誕生日だ、キリストの誕生日は知つゐても、お釈迦様の誕生日、日本人のほとんどは知らないだらう。
久しぶりに晴れの空が広がつた、この三日間で結構降つた(写真1・写真2)。ただ、雨が降つた後なので朝のうちは阿蘇五岳は空気中の水蒸気で少し靄つてゐる、真つ黒だつた野焼きの後、いつのまにか緑色に変わつてきてゐる、どんどん季節が動いてゐる。
日中も気温はあまり上がらなかつたが、日差しがあつたので暖かく感じた、気温は数字だけでは分からない。
最低気温 5.9℃ (06:35)、最高気温 13.7℃ (15:26)
ニホンミツバチの分蜂に備えて、分蜂板を準備しやうと竹林に入つたところ、穴ぼこだらけでイノシシにタケノコが全部食べられてゐた、先日、親戚筋に送るために掘つたあと、イノシシに気が付かれたのかほとんど全滅状態になつてゐた、親戚に送ることが出來たことがせめてもの救いだが、今年はもうご近所や地元の友人知人に届けることが出來ない、このあとまだ少しは出てくるだらうか。
不思議とハチの巣箱の周辺は掘りくり返してゐない、想像するに、構造部を觀て罠だと思つて近づかないのかもしれない、イノシシは頭が良いからよほど上手く隠さないと罠を見破るさうだから、これを逆手に取つて、如何にも罠のやうに構造物をアチラコチラに置いてをくのも手かもしれない。写真1・写真2・写真3
蜜蝋を塗つて分蜂板を巣の近くに設置した。別に分蜂板は無くてもハチは分蜂するが、木の高いところなどにハチが分蜂のための蜂球を作ると、手が届かずに取り込むことが出來ない。だから、なるべく取り込みやすいところに蜂球を作りやすい仕掛けを置いてやると、そこに蜂球を作る確率が高い、いままでほとんどそれで成功してゐる。
最近、季節が移つて冬の間薪作りで活動してゐた裏の畑に行かなくなつたので全く気が付かなかった、洋シャクナゲがもう満開に近く咲き乱れてゐる、表の和シャクナゲはまだ蕾状態である、和洋、かなり開花時期が違ふ。
日替わりのやうに野草が咲いてゐる、これは「カキドウシ」といふらしい。これはどうも「ヘビイチゴ」の花のやうだ(写真)。
巣箱を綺麗にするためにその準備をした。とりあへずは虫干しだ。このあとバーナーで焼いて消毒して蜜蝋を塗る。
久しぶりに「もちとこ」でランチを食べて、これも久しぶりに「阿蘇オーチャード・ハウス」で珈琲を飲んだ。店主殿の親しいお客様に出すデザートを隣に座る小生もご相伴に与つた。
なんでもアップル クリスプ Apple Crispといふお菓子ださうで、メモして歸つてから調べたところ、りんごの上にバターや小麦粉などで作ったクランブルを乗せてオーブンで焼くお菓子。クランブルとは英語で「ぽろぽろと崩れる」という意味を持ち、小麦粉、砂糖、バターなどを混ぜ合わせ、そぼろ状にしたイギリス発祥の生地のことをいふ、とあつた、いろいろ勉強になるな。
カミさんが、今日の太郎の塾の後、前から約束してゐたので「ラウンドワンスタジアム」に寄つて帰ると云つて出かけて行つた。
それが何かは知らずに、生返事で、聞いてゐたが、後から、それは何でどこにあるのか調べたところ、小生はそんな施設があることなど全く知らなかつた。ネットで見たけど、あまり良くは理解出來てゐない、ゲームセンターのやうなものなのか、もう春休みも終わりで、新たな学校生活が始まるので、その前の英気養いといふことか。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/8
令和 5年 4月 7日 (金)
ずつと一晩中雨が降つてゐたやうだ、夜が明けて漸く雨雲が東に移動して行つた。それでも今日は一日はつきりしない天気だつた。昨日より気温が低かったが、不思議なもので、ストーブを焚かうかといふほどの寒さは感じなかった。
熊本市内ではハチの分蜂が始まつたさうだ、それを聞くと、準備不足だ、少し焦つてきた。
最低気温 10.9℃ (但だし18:41時点)、最高気温 14.5℃ (00:30)
新年度を機に「らじるラボ」といふNHK平日午前中の放送が改編されて「ふんわり」といふ番組になつた。日替わりのパーソナリティーは従来どおりだが、担当のアナウンサーの吾妻謙が替つた。別に集中して聽いてゐたわけではなく流してゐる程度だが、今までの番組作りは、ラジオだからと云ふことで「音」に拘りすぎた印象が強く、また担当アナも小生には少し理屈つぽかつた印象がある。
交代理由は分からないがこの番組どう変わつて行くのだらう。昼からの武内陶子「ごごカフェ」は今まで通りだ、彼女の放送は安心して聽いてゐられる、番組が始まつた頃は硬派の報道番組出身なので、大丈夫かいなと思つてゐたが、事実、始めの頃はギコチ無かつたが今では、今では慣れて余裕しゃくしゃくで番組を仕切つてゐる。週五日の「ごごカフェ」のうち一日だけ、吾妻謙アナが担当してゐるらしい。
晩飯の材料を仕入れにスーパーに行つたところ、小アジを賣つてゐたので急遽予定変更、唐揚げにして、量が多かつたので半分は南蛮漬けに半分は甘酢あんからめにした。小アジと云ふには少し大きくてゼイゴを取るのに包丁が切れなかつたので、調理する前に砥石で研いでから調理にかかつた。今日は天気が悪くて外作業が出來ないので、このやうな悠長なことをやつてゐられるのだ。
晩飯 南蛮漬けなど
太郎は最近毎日日中友達の家に遊びに行く、5時のチャイムがなると今まで通り律儀に歸つてくるので、もう小学生じゃないのだから5時門限を守る必要無いんじゃないかと云ふと、え?さうなの?と云つてゐた。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/7
令和 5年 4月 6日 (木)
強くは無いが終日降つたりやんだりしてゐた、数字的にはそんなに低く無いのだが、服装がもう合服になつてゐるので、たうとう夕方ストーブを焚いた。
最低気温 14.3℃ (01:24)、最高気温 17.4℃ (15:18)
今日の日記は長くなつた。
小生には愛知県に妹がゐる。「妹」といふ響きから、幼い女の子をイメージするかもしれないが小生の妹だ、もう、相当のばあさまである。小生より二歳下で八十近い、戦時中(戦とは大東亞戦争だ)に、いや正確には戦争が終わつたばかりの時にこの地、つまり阿蘇の坂梨で疎開中に生まれた、だから、坂梨の地で誕生、梨生(りお)と父親が命名した。今では普通の名前だが、当時としては非常に珍しい名前だつた。
その妹の梨生からLINEで、一年ほど前に、まあ、小生や妹からすると、御互ひ高齢化が進み、この先いつまで生きられるか分からない、それに、次の、更にその次の代が育つてきて、その数が相当数に増えてゐるが、親の代くらいまでは相互に顔を識つてをり行きゝもあるが、若い世代になるともう自分のホンの周囲の親戚しかわからない、だから我々が消え去る前に、一族郎党一堂に會し相互理解を深めやうではないかといふことを親戚の有志で話して小生の耳にも入れてあつたと云ふがどうも小生、聞いてゐないのか忘れたのか、先日そのことを具体化したいと云つて來た。
ルーツは小生にもカミさんの方にも妹の亭主のほうにも幾筋もあるが、言い出しつぺが妹だから、妹のルーツであり、我が家の発祥の地でもある阿蘇に集まらうか、ついては阿蘇で宿を取りたいと云ふ。時期は8月の中旬くらいだと云ふ。
さてさて、数名なら宿を取れるが大雑把に觀て20人くらいの宿が取れるかどうかである。一時は武漢コロナで閑古鳥だつた宿泊施設も、コロナも一段落気味で、ここにきて旅行需要が増加して、大人数での宿泊予約はなかなか難しい。
阿蘇で大人数での宿泊と云ふと、国立青少年交流の家といふ施設があり合宿などに広く使われてゐる。ただ、そこは、単なる宿泊施設ではないので、ただ單にホテル代わりでは利用できない。そこを起点に阿蘇の野草の採集をするとか、何かしらの研究をするために宿泊する施設である。企業の合宿なんかにも使われてゐるので、さう云った方面では利用できるのだらう。
だから、今回は阿蘇の地のわが先祖のルーツを辿るための一族の会議だとか、我が祖先の阿蘇での事蹟研究だとか、坂梨の歴史的探訪なんかと云つた目的なら借りられるかもしれないと思つて、予約状況をみたら、もう8月もほとんど予約で一杯になりつつある。
流石に20名くらいともなるともう団体だ、さうさう簡単に宿は取れさうもない。
となると、キャンプか、それならできるかもしれないが、地ベタに寝るのは年寄には酷だ、さうか、寺があるな、寺の本堂を借りて寝たら20人くらいはなんとかなるかな、でも貸布団屋なんかあるのだらうか、それよりも何よりも、一段落気味の武漢コロナがその集まりでまた復活して一大クラスターともなるとこれは全国的にニュースになって大変なことになる。
困つたなと思ひながら昨日風呂に入つてゐてふと閃いた。
親類縁者が一堂にしかも日時を限つて會すると云つてもなかなか大変だし、會つたとして短時間ではすぐに相互の関係はわからないと思ふ。
そこで、昔と違つて今は便利なネット環境がある、例へばLINEで親戚一族グループを作つて、そこに、園田、金子、宮越、森本、伊藤、後藤、臼田、古川、浅山、田辺などなど思いつき次第、次々に関わりのある親戚、どんどん登録していつてそこで少しずつその環を広げて繋いでいく。
LINEの他に、ZOOMなどのオンライン会議システムを使えば、會つたこともない親戚、なかなか會う機会の無い親戚などともリアルタイムで顔を觀せ合あつて話ができる。
それから、PCで系図ソフトを使つて、先祖親戚の分かるところに名前を埋めて行つて誰でもみることができ誰でも書き込めるやうにする、なんてこともできる。各家族の夫婦の枝を広げていくと膨大なデータができるね。
家系図のソフトで、どこからでも、誰からでもスタート地点を決めて枝葉を広げて、そして繋いでいくことができるソフトあるだらうか。
さうやつて、ある程度の地ならしをしてから改めて一堂に會する機会を作るといふ手もあるやうな気がする。どうだろうこのアイデア、と妹に送つたら、もう、早速LINEで一族のグループを作つてどんんどんメンバーの追加を始めてゐる。少しルールを決める必要もあると思ふが、もうスタートしてゐる。
さうなると、こんどはこれをまとめるのが大変だ、数十人、それも三桁に近い人数になるかもしれない、親戚と一口に云つても、いろいろとプライバシーの問題も出てくるかもしれない、家族関係をあまり詳らかにしたくないと云ふ親戚もあるかもしれない、それほど、親戚の輪を広げていくのは大変なことなのだらう、これ一体誰がまとめるのか、小生はもう歳でそれだけのエネルギーは無いぞ。
親戚関係、自分の直系の先祖関係なんかあつけないほど短期間で希薄になつてくる。小生の父母のその前がもうほとんど分からない、小生は自分の先祖のことをもつと知りたいがほとんど分からない、記録は本当に大事である。然う云ふ意味で、親戚一族の系図らしきものをまとめるのは大きな意味があると思ふのである。。
一族郎党の話はここまでだが、日記はまだまだ続く
もともと日本語には書き言葉と話し言葉とがあつて、それぞれは別ものだつた。いや最初は同じだつたものが、時がたつに連れて発音が変わつてきた、それでも、日本が千年以上も昔の記録を読めるのは、ずつと書き言葉が続いてゐたからである。
それをある時を境にして(つまり敗戦を境に)、文部省が書き言葉は発音通りに書かうといふ風に変更した、今の国語がさうである。ところがこの現代国語は文法的(活用形)で説明が難しく非常に無理があり、そのなかで現代人は日本語を書いてゐる。
また、たとえば、「私は学校へ行って勉強をする、という」といふ文章があるとする。
この文の、私は、の「は」、学校へ、の「へ」、勉強を、の「を」、いうの「い」の部分、これらを発音どおりに書くとすれば、私「わ」、学校「え」行つて、勉強「お」する、と「ゆ」う、になるはずである。どうしてさう書かないのだらう。これこそ昔の仮名遣いではないか、今でもちやんと残つてゐるのである。
日本の文字文化、それはすなわち歴史であるが、このことを境にして大きく断絶してしまつた、だから今の人は昔の人が書いた文章が読めなくなつた。
それを極端にやつた国が我が国の近くにある、自分の国の歴史を捨ててしまつたのである、その国が「歴史を忘れた民族に未来は無い」と我が国に向かつて云つてゐる、どの口で云つてゐるのだ。
断絶する前の仮名遣いを「歴史的仮名遣い」と云ふ(舊(旧)仮名遣いともいふ)。小生は、近年、この歴史的仮名遣いを大事にしたいと思ふやうになつて、日記なども歴史的仮名遣いで書かうとしてゐる、しかし、現代仮名遣いで育つた小生には難しくて、ところどころかなり怪しい歴史的仮名遣いになつてしまふ。今でこそ文法などと云ふルールがあるが、もともとこの歴史的仮名遣いも、「これ」といふものは無かつたやうで、今で云ふ文法などは無かつた、明治期の文豪と云はれる人もかなり間違つた使い方をしてゐたさうだ、だから、おなじ仮名遣いでも少し違うところがあるのを江戸時代中期の契沖仮名遣が標準になつたといふ。
それから小生が、歴史的仮名遣いに拘りを持つやうになつた理由がも一つある、こちらが先かもしれない。
それは「和文モールス」である。
和文モールス符号には、現代仮名遣いでは使われない、「ヰゐ」、「ヱゑ」、がある、(尤、今はほとんどの和文erは使わないやうだが)、それから促音(小さなツ)、拗音(キャ・キュ・キョの小さな文字部分)が無い、無ければ完全な文章が送れないではないかと思つて調べたら、昔の文章には小さな文字は使われてゐなかつた。だからイロハ四八文字で文章は作れたのである。
といふやうなことを知つて、よし、歴史的仮名遣いを極めやうではないかと思つた次第である。
和文モールス習得は本当に難しい、歳を取ると本当に時間がかかる。小生の最終目標は、冗長に流れることなく、歴史的仮名遣いを用いて文語体で格調高く和文を打つことである。
若い人から觀ると、小生くらいのジジイは歴史的仮名遣いで文章を書くのかと誤解されるかもしれない、あくまで個人的なものである、今のジジイ、ババアも今の若い人たちと同じ現代仮名遣いである。ラタ
晩飯 カレー 太郎は週に3日大津の学習塾に行つてゐる、中学コースになつてから、夜の7時半から10時までである、それに間に合うやう晩飯を食わせて母親が送つていく、小生はメシ係である。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/6
令和 5年 4月 5日 (水)
午後辺りから雨が降り始めた、夕方までのところ強い降りではないが今夜は本格的な雨になるのだらう。今日は気温が気になるほど少し低めだつた。
最低気温 13.2℃ (05:26)、最高気温 16.3℃ (11:42)
そろそろ来週辺りから、小中学校とも新学期が始まる、ところが、太郎が卒業したので、小学校の授業日程がわからないから朝の見守りに支障が出てくる。
然う云ふ訳で、小学校に出掛けて、教頭先生と太郎の担任だつた先生にお会いして情報提供のお願いをしてきた。
今までは、学校と保護者との間の連絡アプリ「すぐーる」で、たとえば台風の時の急な臨時休校や登校時間の変更などは分かつたが、そのアプリも太郎の卒業によつてアクセス不能となる(今日までのところはまだ生きてゐるが)。それから毎月、児童には月間の行事予定表が配布される。
この二つの継続利用をお願いして、学校からも是非継続をと了解をいたゞいてきた。
youtubeの楽しみ方はたくさんあると思ふ、芸能ネタやお笑い系などたくさんあるだらう、どれだけたくさんあるか全く分からないが、小生は、最近、保守系論客が主宰するyoutube動画を好んで觀てゐる、「COLABO」問題などyoutubeで初めて知つた、左傾新聞やテレビでは何が都合が悪いのかなぜだか全く報道しなかつた。それをyoutubeが掘り起こして問題化して、漸く新聞やテレビも嫌々ながら伝え始めた、既存の新聞やテレビがダメになるわけである。
(順不同)
百田尚樹チャンネル https://www.youtube.com/@user-jp6qc1oy4h
闇のクマさん世界のネットニュースch https://www.youtube.com/@yamikuma
ニュースあさ8時! https://www.youtube.com/@asa8news
有本香チャンネル https://www.youtube.com/@arimoto-kaori
上念司チャンネル https://www.youtube.com/@TsukasaJonen
みやわきチャンネル https://www.youtube.com/@AtsushiMiyawaki
デイリーWILL https://www.youtube.com/@Daily_WiLL
髙橋洋一チャンネル https://www.youtube.com/@takahashi_yoichi
文化人放送局 https://www.youtube.com/@bunkajintv1
朝香豊の日本再興チャンネル https://www.youtube.com/@Yutaka-Asaka
(まだまだたくさんあるがとてもフォローできない。)
晩飯 豆ご飯
武漢コロナ熊本県感染状況 4/5
令和 5年 4月 4日 (火)
晴れ、少し下り坂。
最低気温 6.5℃ (03:47)、最高気温 19.8℃ (15:51)
ニホンミツバチの分蜂に備えて、昨秋山から下ろした巣からハチを移動させやうとして失敗した三基の巣箱を綺麗に掃除しやうと集めてきた。今日は集めただけ。
二基は最初から失敗だつたが、残る一基は小さな群れながらなんとか居付いて、巣を作り始めたが、寒さにやられて全部死んでしまつた。今日中を見たところ、小さな巣板の間に固まるやうにして死んでゐた。女王バチらしきハチも死んでゐた(写真1・写真2)、寒さ対策にムシロで包んでやつたが、それでも足りなかったやうだ。前回の失敗が良い経験になって、次回は絶対に成功させるつもりでゐる。
春になつて庭や畑がどんどん草に覆われてきてゐるが、夏の草のやうに猛々しくなくて野草が沢山咲き乱れてゐて刈り取るのは不憫なので、車を停めるスペース部分と、前庭の一部だけ刈払い機で刈つた。太い草と可憐な野草が混じつてゐるので、太い草の部分だけ刈ろうとして虎刈りになつてゐる。
タンポポ、ホトケノザ(写真1・写真2 春の七草のそれとは名前は同じだが別種)、ケマン(写真1・写真2)、ナズナ、ヒメオドリコソウ、オオイヌノフグリなどなど、どうしてオオイヌノフグリなどと云ふ名前がついたのかと以前から不思議に思つてゐたが、今日調べて初めて判つた、なるほど確かにフグリだ。何年か前に植えたレンゲが少し残ってゐて咲いてゐた(写真1・写真2)。野草も関わると奥が深さうだがとてもそこまで手が出ない。
晩飯 しらたきとひき肉の煎り煮、ジャーマンポテト
武漢コロナ熊本県感染状況 4/4
令和 5年 4月 3日 (月)
今日も晴れ、どんどん日中の気温も上がつていく。
最低気温 8.1℃ (02:56)、最高気温 21.4℃ (14:54)
ここのところずつと部屋に籠もつて本を讀んだりしてゐて、もう外は春爛漫だ、草も生えてきて、ミツバチの分蜂の準備をせんといかんなあと思つて、やうやく夏子が歸つて時間が出來たので、久しぶりに作業服に着替えて外に出て竹林の方に行つてみたところ、何ケ處もタケノコが顔を出してゐる、先日、ハシリでタケノコが出て、毎年のことだがそのあとはかなり後にならければタケノコは出ないと思つてゐたので、びつくりした。
急遽予定変更、目についたタケノコを掘つて、とりあえず、遠方の親戚二軒に発送した。遠くに送る場合は、一本二本では効率が悪いので、一度に沢山出たときに送つたほうが良いのだ。この先、またボチボチ生えて来るのに従つてご近所に配つてまわることにする、去年はヒザが痛くてタケノコを掘るのが無理だつたが、今年は大丈夫なやうだ。それに、一時、イノシシがあちらこちら掘りくりえしてゐたが、今のところ、被害が出てゐない。少し前に大きなイノシシが罠にかかつたといふ話を聞いたので、竹林を掘りくり返してゐたイノシシは其奴だつたのかもしれない、しかし、まだ、夜遅くなるとイノシシがウロウロしてゐるから、そのイノシシたち、たまたま竹林のタケノコに気がついてゐないだけかもしれない。
音楽家の坂本龍一さんが亡くなつたさうだが、小生は元々の「YMO」は活字でだけで知つてるだけで、中身は全く知らない、小生の時代では無い(と思ふ)。小生が知つてゐるのは「戰場のメリークリスマス」といふ映画の音楽を作曲した人だといふくらいだ。
でも映画は見てゐない、音楽は過去にラジオなどから聞こえてきて全部は知らないが最初の部分は知つてゐる。
そして、この映画は確かアジアのどこかでの日本軍が舞台のものだと思つたけど、小生が聽く限り、あれは日本の音楽の旋律では無いのではと昔から思つてゐた、今回の訃報を受けて改めてネットで検索してみたが、誰もそのことには触れてゐない、でも、あれ、支那の旋律だと思うけどなあ。
そこでさらに検索をした、どう検索していいかわからないので、メロディーで検索をした。と云つてもどう検索をしていいか分からないので、よく支那の映像のバックで流れるメロディーを文字化して検索をした。中国が誕生する前の時代だから、支那と書いてゐるのだが、「ちゃららら らんらん らんらんらん」で検索して、いろいろな記事にぶつかつたが、漸くオリエンタルリフ(Oriental riff)といふことばを見つけた、つまり、「東洋風メロディ」「アジア風メロディ」「支那風メロディ」である。
ハリウッドなど向こうの映画で日本のシーンが出てくるときにもバツクでよくこのやうなメロディーが使われる、欧米から見たら、オリエンタル・リフには日本も入るのだらうが、小生に云はせたら、やはり、違う。だから、昔から、これは日本を描く映画の音楽には相応しくないとずつと思つてゐた、あの人は世界的にスゴイ音楽家らしいがそれならなおのこと日本人が日本の映画の音楽を作るのなら欧米に迎合するやうな音楽なんか作るなと思つてゐた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Oriental_riff
晩飯 野菜炒め 小生の献立はどうも野菜類が足りないから。
臺灣のパイナップルは、従来食べてゐたパイナップルと違つて、確かに芯が小さい、芯ごと食べられるといふくらいだ。缶詰のパイナップルは芯を除いた浮き輪のやうに真ん中に大きな穴があるが、臺灣のやつは芯をくり抜く手間が要らないくら小さい。品種にもいろいろとあるものである。安価なのでしばらくは機会があるたびに買おう、それに臺灣の応援にもなるしな。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/3
令和 5年 4月 2日 (日)
晴天が続く
最低気温 6.8℃ (06:14)、最高気温 19.7℃ (13:21)
昨晩、ノンアルと間違つてビールを飲んだ、たつた350ml缶だつたが、一時結構苦しくなつて眼の前が暗くなつた。ほぼ正常値だが朝晩血圧を測つてゐるが、飲んだ後で苦しいから血圧が結構高いだらうと思つて落ち着いてから測つたところ、逆にかなり下がつてゐた。酒飲みは高血圧になるといふが、長期的に觀るとさうなるのだらうが、飲んだすぐには血圧が下がるのだ。
それで思ひ出した、今から60年近く昔、渋谷で飮んでそのころは久我山に住んでゐて、井の頭線で帰る途中、あの線は渋谷から吉祥寺の端から端まで精々20分くらの短い路線(だと思つたがそんなに短くも無いかも)で駅間距離も短くて次の駅が見えてゐるくらいだつたのだが、混み合つた電車に立つて乗つてゐて、気持ちが悪くなつて、あれは明大前だつたか、慌てゝ降りたところ、目の前がスーッと暗くなつてヤバいなと思つて、ホームの柱に寄りかかつて、恥も外聞もなくそのままズルズルとホームに座り込んでしまつた、あれは貧血だつたのだ。間もなくして正気に戻つたことを思い出してゐる、文字通り冷や汗をたくさんかいてゐた。
アセトアルデヒロの分解能力の弱い人はすぐに酔つ払うらしい、小生はその口だ。アルコールに強い人が羨ましいと思ふ一面、弱くて良かつたとも思つてゐる。酒で正気を失う時間が勿體無いと思ふ、一生の間にどのくらいの時間になるのだらうか。
昼ころまでには出ると云つてゐた夏子、午後1時半ころやうやくカミさんの車で歸つていつた、ヤレヤレ、くたびれたあ。
太郎は塾の春期講習にJRで往復した、我が家から宮地駅までは「チャリ」である、4月に入つたので、入学式は未だだが、法律的にはもう中学生だらう、帰りは暗くなつてもライトを点けて歸つて來いと云つてをいた。バスも鉄道ももう4月から大人料金だ。
それでも初めての夜道だから、田んぼまで車で行つて、田の中の道に自転車が入つてきたところで後ろからライトで照らしながら歸ってきた、親心だ。でもサービスは最初だけ、明日からは夜道を一人で歸ってこなければならないが、アイツは臆病だから、田の中の街灯が全くない真つ暗な夜道は自転車のライトの照射範囲が狭いので怖いと云ふ、それに我が家の前にはイノシシが出るからださうだ。でも日が落ちてもまだ遅い時間でなければイノシシは出ないのだ。
受注品のACコントローラー制作。
今日また別の店で臺灣パイナップルが賣つてゐた、昨日のものとは違ふブランドだ、いろいろな産地のものが入つてきてゐるやうだ。昨日のパイナップル、酸味が少なくて甘かつた。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/2
令和 5年 4月 1日 (土)
今日は年度始めである、昨日は年度末だつた、分かりきつてゐることだがどうしても書いてしまふ、けふは然のやうな節目の日である。いろいろなことがスタートする日である。
晴れ。気温が20℃まで上がった。
最低気温 8.4℃ (02:09)、最高気温 20.0℃ (13:10)
えっ?高校野球、昨日が優勝戦じやなかつたのか、ことほど然様に中身は知らなかつた訳だが昼のニュースでこのあと優勝決定戦を中継するといふ放送を聞いてなんだ然うだつたのかと知つた、昨日でやうやく終わつと思つてゐたのに。
今日も特に日記ネタは無い。
小生のちゃんとした食事作り、どうやら今日までで終わりさうだ、明日からは徹底的に手抜きで行くことができさうだ。
今日はトンカツとポテトサラダ。トンカツはちゃんと肉を買つてきて最初から作る。冷凍の半製品より厚さが違ふ、ボリュームが違ふ。ポテトサラダは、明日夏子が向こうに持つて帰るやうに山ほど作つた。
そのジャガイモ、もう新ジャガイモの季節で、だから、イモの粒がどこも小さい、ポテトサラダにするのに茹でて皮を剥くのが小さいとそれだけ作業が大変なので、なるべく大玉を探して四軒ほど探し回つてやうやく見つかつた。
夏子が歸つてきた時など、ちよつと改まつた食事のときに、二人でノンアルコールビールを飲むが、今日は最後の晩だから飲もうかねえ、と二人でそれぞれノンアルコール缶を開けた。小生は晩飯を作るなどひと働きをしたあとだつたので、しみじみ美味いなあと思つて飲んでゐたらなんだか体が温かくなつてきたので、もしや、と思つて空き缶を見たら、アサヒスーパードライ350mlの本物のビールだつた、道理で美味かつたわけだ。冷蔵庫にビールとノンアルと混ざつて入つてゐるのは知つてゐて間違わないやうにしてゐたのだが、閒違つてしまつた。小生は350mlでも十分に酔うので心臓がバクバクした、用心のため今日はもう風呂にはいるのはやめた。
C国が意地悪をして輸入禁止をした臺灣パイナップル、一時日本が引き受けてニュースになつたが、その時はここには回つてこなかた、今日スーパーに並んでゐたので買つてきた。フィリピンのパイナップルより美味しいと聞くが今日はまだ食べてゐない。
武漢コロナ熊本県感染状況 4/1
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