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(2022)令和壬寅 4年 5月の記録 (新しい日付けの順)
令和 4年 5月31日 (火)
今日は下界は暑かつた、阿蘇谷に歸つてきたらヒンヤリしてゐた。
最低気温 17.4℃ (05:13)、最高気温 24.6℃ (15:20)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
光の森で「トップガン・マーベリック」を觀てきた。いやいや最高の映画だつた。
「トップガン・マーヴェリック」は今からもう30年以上も前に公開された「トップガン」の続編にあたるから、筋や登場人物が繋がつてゐるから前作を觀てから続編を觀た方がより良い。小生は偶々わりと最近AmazonPrimeで觀てゐたのですぐに過去から繋がつてゐる筋に入つていけた。
基本、ジェット戦闘機のスペクタクル、アクション映画だろうと思うと、とんでもなかつた。もちろんそれがメインだがそれだけでなく感動のあまり何度か涙がでるほどだつた。そしてそこはやはりハリウッド映画だ、期待通りの見せ場がたくさん、そして最後は・・・ネタバレになるから・・・
令和 4年 5月30日 (月)
雨のち曇り。弱い雨が降ったり止んだり、夕方近くになって漸く上がる。
最低気温 15.4℃ (03:42)、最高気温 21.2℃ (15:56)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6
特記事項なし
晩飯 かき揚げ丼を作る、ついでにジャガイモの天ぷらも、太郎はジャガイモの天ぷらが一番好きだと云ふ。
令和 4年 5月29日 (日)
晴れ、雲が多かつたやうな。
最低気温 14.7℃ (04:50)、最高気温 26.1℃ (13:23)
jtq@yokohamaの四十雀、2号巣箱は6匹(まだ羽毛が生えてゐないので6羽とは云い難し)、一個は孵化しなかつたようだ、それから1号巣箱の二回目の入居者・・今朝見たら卵が7個生まれてゐた。
太郎、久しぶりにテニススクールに行つた。
去年まで西日本新聞の阿蘇支局のおいでだつた佐藤倫之氏が素晴らしい本を出された。佐藤氏は阿蘇支局の在任期間は二年くらいだつたらうか、今は島原支局においでだ。その短い在任中に、阿蘇火山研究の第一人者渡辺一徳氏からの聞き書き「阿蘇踏査の歩み」を上梓された。これは去年「西日本新聞」(熊本日日新聞ではない)に連載されたものをまとめられたもので、主に阿蘇山について非常に分かり易い、興味深い内容がたくさん詰まつてゐる。(写真1・写真2)
この聞き書き連載中に渡辺一徳氏は病を得られて、正に命が尽きやうとしてゐるギリギリのなかで時間との競争でまとめ上げられた。残念ながらこの本の出版に間に合うこと無く渡辺一徳氏は亡くなられてゐる、そういふ意味でも供養の出版になつた。
小生は佐藤倫之氏とは、はて、どんな繋がりだろう、阿蘇文化調査研究会での接触、あつたやうな無かつたやうな、確かにそのあたりからの繋がりなのだが、一番は、アゼリアのお風呂仲間・・・だつたことだろうか。
その程度のつながりしかなかつた小生に、家入桂子さん経由でこの「阿蘇踏査の歩み」が届いた、氏は非常に短い在任中に本当にいい仕事をされて、阿蘇を去つて行かれた。大きな出版社ならもつと多くの人の目にふれるだらうに、阿蘇山(だけでは無い、火山について、そのほかのことについても)を識るにはとても読み応えのある本だ、是非お獎めの本である、多分家入書店で扱うと思ふので入手できるかもしれない。
先日、炊事をしてゐて、シンクの足元がビショビショになつてゐた、また排水パイプが詰まつたかと思つたがそうでもない、よく見ると、シンク脇に水を張つて豆腐を入れておいたボウルから水が漏れてゐるやうだ、ボウルを空にしてみてみると、小さな穴が空いてゐる。別に穴が開くやうな乱暴な使い方はしてないのに、どうしてだろうか。(写真1・写真2)
ボウルなど買い直しても大した金額でも無いのだが、修理してみやうかと云ふ気になつて、溶接で穴埋めをすることにした。
ボウルの材質はステンである。ステン用の溶接棒はある。薄い板を溶接するのは非常に難しい、すぐに穴が開く。だから敢えて100V用の低出力の家庭用溶接機でやることにした。ピンホールだから、スポット溶接的に一瞬アークを飛ばせば良いかなと思つたが、それが全く駄目で、穴がどんどん大きくなつてとうとう失敗に終わつた。なにもしないのに穴が空くほどの薄い板、やはり溶接は無理だつた。ロウ付けだつたら出來たかもしれない。
(写真1・写真2)
令和 4年 5月28日 (土)
薄曇りぎみの晴れ。
最低気温 14.7℃ (03:12)、最高気温 25.3℃ (14:01)
太郎、今日は久しぶりの土曜授業ださうで、それでは小生も登校見守りにでかけやうかとしたところ、今日の土曜授業はオンランだよ。え?土曜授業もオンラインでやるのか?全学年か?そうなのかあ、知らなければ一人で立つところだつた。オンライン授業中の太郎の様子を覗いたら、オンラインでリコーダを吹いて音楽の授業を受けてゐた。1年生もオンライン授業なんだらうけど、入学してまだ2ヶ月足らず、もうタブレットの操作ができるのだろうか、今どきの子供はすごいな、保護者が傍に付くのだらうか、仕事を持つ保護者の家では一人だろうしなあ。
USBの修理品依頼をレターパックで発送してきた、宛先は、偶然ながら、小生が今から60年近く前に下宿をしてゐた吉祥寺だつた。懐かしくて、GoogleMapのストリートビューで探してみたところ、昔の下宿先のお屋敷は影も形も無くなつてをりビルになつてゐた。
豆札川の橋梁カルバート設置工事、今日通りかかつたところ、カルバート内の擁壁工事のコンクリート打ちが行われれゐた、ますます、これではカルバートなんか置かずに直接擁壁工事をして上に橋をかけた方が良かつたらうにと思ふ、小さな川だから橋梁といつても大工事でもなからうに。
写真1・写真2・写真3
太郎、昼の部の塾に行く。カミさん、太郎の塾送迎が終わつてから、午後3時半ころから夏子のところへ出かけた、太郎も一緒に行く?留守番する!小生が行くわけがない、だからカミさん一人で行つた。様子見となにか届けるものでもあつたのだらう。夕方7時前には向こうに着いてゐるので、一緒に食事でもして、歸つてきてもそんなに遅くはならないだらう。
太郎とステーキを焼いて食べる。
令和 4年 5月27日 (金) 海軍記念日(日本海海戦の日) [ホレ]
久しぶりに明るい朝を迎えて、差し込む朝日に眩さを覚えてゐるときに、ラジオで××××で避難指示が出されたと伝えてゐた。なんだろう、地震かなと思つてラジオに耳を傾けると、静岡方面で非常に激しい雨が降つてゐると云ふ。へえ、ここはこんなにいい天気なのにと、ネットで雨雲レーダーのカバー範囲を広げてみたら、東日本に濃い雨雲が。沖縄方面が梅雨の時期で、そのなかで九州が晴れてゐてまさか東の方で大雨だとは思つても見なかつた。
最低気温 14.6℃ (06:13)、最高気温 23.4℃ (15:10)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7
今日からまた全学年、対面授業が始まつた。
元蕎麦屋亭主上野さん御入来(最近「阿蘇の風」は暖簾を下ろした)。USBメモリの差込口の金具が取れさうになつてデータの読み書きができない、上野家のデータが全部入つてゐて、中身が取り出せないと困る、業者に頼むと數萬かかるらしい、どうにかできないかと云ふのである。USBメモリとPCは4本の線で繋がつてゐるだけだから、他の部品が飛んでなくて、パターンが剥離でもしてゐなければなんとかなるかもしれないと預かつた。ところがこのUSBメモリはUSB3.0規格で、分解してみると以前は4本のpin數だつたのが9本になつてゐる、見たところ金具はグラグラするだけでまだ基板に付いてをり、全部切れてゐるが9本のピンも複雑な切れ方はしてゐない、でも、小生の視力と太いハンダゴテでもし失敗するやうなことにでもなると大事なデータをお釈迦にしかねない、これは躊躇する。地元の業者の見積もりがあまりに高すぎるので、ネットで調べたらもつと安価でサルベージができさうなので、乗りかかつた船、そちらに頼んだほうが安全だろうと小生が預かつて修理に出すことにした。(写真1・写真2)
令和 4年 5月26日 (木)
夜が明けてから雨模様、昼前から雨、そんなに強い雨では無かつたが、降つたり止んだり。
最低気温 16.7℃ (05:12)、最高気温 20.4℃ (10:27)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7
太郎、昨日と同じパターンの、オンライン授業。明日から通常に戻る予定。
阿蘇文化調査研究会の例会開催。
それほど多くの雨が降つた訳では無いが、豆札川の橋梁カルバート内、迂回路を越えてi溢流してゐた、これも計算の内だらう。
写真1・写真2
晩飯
令和 4年 5月25日 (水)
晴れ、少し雲があったか。
最低気温 16.0℃(05:54)、最高気温 26.7℃ (15:06)
カブトエビがゐる田を知つてゐてサギが集まつてカブトエビを啄んでゐる。写真1・写真2
jtq@yokohamaの四十雀、2号巣、朝見たところ、まだ二個が孵ってゐなかったが・・・、1号巣の第二回目営巣、卵が二個みえた。
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7
今日は1年生と3~5年生が登校した(対面授業)、太郎たちはオンライン授業だ。太郎、神妙にタブレットに向かつて朝から昼食を挟んで午後まで授業を受けてゐた。夕方からの塾もオンラインで、学校の方のアプリはMicrosoftのTeamsで、塾のアプリはZoomだ、小生は両方ともよくわからないが、太郎なんかもう慣れたものだ、器用に使い分けてゐる。
軽自動車二台分の税金と、固定資産税を納めてきた、固定資産税は全期分一括納付だ、どうだ。どうせ払わなければならないもの、総額でも都市部に比べたら安いものだ、預金残高があるうちに払い込んでしまつた。軽自動車の税金は本当に安くて助かる、軽トラで6,000円軽乗用車で12,900円である。これで特別徴収分を除けば今年の納付分は終わりだ、定期的にやつてくる納付期限を氣にしなくて濟む。
その市税、納付書(の封筒も含めて)のデザインが今年から替わった。旧来のデザイン 新しいデザイン写真1・写真2。
晩飯 カレー。
令和 4年 5月24日 (火)
晴れ。今朝濃霧注意報が出されてゐた、これは雲海とは違ふやうで、雲海の場合は阿蘇谷の限られた高度範囲に霧が発生する場合で、今日のやうな濃霧注意報は、もつと広い範囲に霧が出る場合をさすのだらうか、登校見守りのときもいつもよりは視界が良くなかつた。日中の気温がかなり上がつたが実感としてはそれほど感じなかつた。
最低気温 13.3℃ (05:07)、最高気温 27.4℃ (14:41)
jtq@yokohamaの四十雀、二個目の巣、今日孵化した、夕方見た時点では7個中5個が孵つてゐたやうだ。最初の巣の二回目営巣、卵が二個確認できた。
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
カエルは盛んに鳴いてゐるがまだオタマジャクシにはお目にかからない、それよりひと足早く、2億年前から変わらない生きた化石、カブトエビが泳ぎ始めた。一年近く土の中で眠つてゐた卵が田に水が入つてから約20日で孵つてからひと月くらい生きるだろうか、死ぬ前に卵を生んで、また翌年の田植えの時期まで土の中で眠る。田んぼがすぐ近くに在るのでさえ珍しい現在、更にカブトエビなんか知らない人が多いだらう。小生も知つたのは割りと近年である。(写真1・写真2)
すべての田んぼにゐる訳では無い、カブトエビの卵が土中に無い田には当然カブトエビは誕生しない。たまたま卵が混じつた土や肥料や、トラクターなどに付いてカブトエビがゐない田に入ると、その田でカブトエビが繁殖する。小生がここに来た当初は、周囲の田にはカブトエビがゐなかつた。農家の人でも知らない人がゐた。それが或る田でカブトエビがゐることがわかつて、その後、徐々に周囲の田でもカブトエビをみるやうになつたのだ。
合鴨農法、鯉農法などのやうに農薬に頼らない自然の米作りをする農法があるが、カブトエビ農法と云ふのも同じださうだ。これらは、みんな、田の水をかき回して濁すことで、太陽光を遮つて草が生えるのを防ぐ効果があるから田の草取りや除草剤を使わなくて濟むと云ふ。それに、それらの糞が肥料になるとも云ふ。
カブトエビは英語ではオタマジャクシエビと云ふさうだ、タッドポールシュリンプ、オタマジャクシは英語でtadpoleと云ふのか、はい、お勉強。
太郎の学年、午後から歸つてきてオンライン授業になつた。一向に収束の気配が見えない、木曜日まで学年閉鎖になつた。
最近、太郎の塾の日は、どうせ晩御飯が遅くなるので、みんなの分は作らずに小生だけで済ます、母親が一緒なので、出先で食べるか歸つてきてなにか作るか小生は関与しないことにした。ただ、塾が休みの時は、仕方がないから小生が家族の分も一緒に作る、学校が休校になると自動的に塾も休みかオンライン授業になる、と云ふことは、小生の炊事当番が増えると云ふことになる。
と云ふことで、今晩は酢豚を作つた。
令和 4年 5月23日 (月)
カラリと云ふほどではなかつたが晴れ、湿度が高かつた分暑さを感じた。田植えが終わつてここのところ窓を開けてゐるとカエルの声が非常に沢山聞こえてくる、夜空に谺するくらいだ。
最低気温 13.5℃ (05:39)、最高気温 25.1℃ (15:02)
jtq@yokohamaの四十雀、現在別の巣で抱卵中だが、最初の巣は、もう雛が産まれて無事に成長し巣立つて行き、空き家になつてゐたところ、またその後に別の(だろう)ツガイが営巣を始めてゐた。今朝、卵を一個生んでゐるのが見えた、日中見たら、巣の材料に白つぽい綿毛様のものを使つてゐて卵はつきりしない、多分、下の方に隠れてゐてわからないのだらう。
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
太郎の小学校(保護者の都合を考えて中学校も同時に)、水害や台風などで、緊急に下校することを想定した、保護者による引き渡し訓練があつた。一度に集中すると混乱するので、校区別に時間を指定して、手順に從つて迎えに行く。指定時間の午後三時、カミさんが仕事を休んで引き取りに行つた。
孟宗から2ヶ月くらい遅れて、これはなんと云ふ竹の種類だろうか、真竹だろうか、竹にはどのくらいの種類があるのだらうか、あまり太くはならないがこれから沢山生えてくる、放つておけば物干し竿くらいの太さになる。早く切らないと後からだと大変なので、今日、このあたりが沢山生えてゐるので切つた。まだ柔らかいので太枝切りバサミで楽に切れる、一部、太枝切りバサミではもう掴めないほどの太さになつてゐるやつもある、それはノコで切つた。不思議なもので、竹の種類間で縄張りがあるやうで、生える場所が違ふ。孟宗のあとには、これは淡竹だろう、生えてゐる。淡竹も美味いらしいが、孟宗でタケノコを十分に堪能した後なので、もう食べない。
ミツバチの巣箱の重箱の一番下の部分、一つが腐つて使え無くなつたので、今日、一個作つた。これがないと一組のセットが成立しない。そとで作業をしてゐると、今まではまだゐなかった藪蚊が急に活動を開始しはじめた。写真1・写真2
しばらく前から我が家の入り口の街路灯が消えてゐたので、区長に修理依頼をしてあつた、この街路灯は最近、従来の蛍光管からLED照明に変更したので、球の寿命が飛躍的に伸びたはずで、今回の停電は別のところだろうと思つてゐたら、センサーが故障してゐたらしい、ここ二三日修理するまで点灯しつぱなしにしてあつたが、今日修理業者が来て、直して行つた。
小生のやうな貧乏人でも、頼みもしないのに、自然といつの間にか何枚もクレジットカードがある。小生、専ら使つてゐるカードはYAHOOのカードである、そのYAHOOのカードがいつの間にかワイジェイカードと云ふ名前に変更されて、それがまた今度PayPayカードに変更されたと云つて今日新しいカードが送られてきた、今度のカードには一切番号が振つてない、ネット通販では直接カードは使わないが、店などで支払いをする時にエンボス加工した番号が打つてなくて支払いができるのだらうか、殆どの場合は磁気情報を読み取るのだろうが、田舎などではインプリンターでカード情報を複写読み取るところがまだある、その場合はどうするのだらうか。
晩飯、カツオたたき、冷や奴、だし巻き卵、豆腐とニラの味噌汁。
令和 4年 5月22日 (日)
今朝少し霧が出た。穏やかに晴れる。実感は無かつたが夏日だつた。
最低気温 10.4℃ (05:12)、最高気温 25.6℃ (15:37)
胡蝶蘭の12個目が開いた、この花を以つて最後の花になる、もう先に咲いた花の殆どは落ちた。花が終わつた胡蝶蘭、今度は来年に向けて植替をすることになる、土は使わずに苔だけで育てるらしい、近いうちに、材料を揃えやう。
太郎は朝起きられなくてテニススクールをサボる。午後から塾の学力テストに出かけた。
終わりかけのエゴノキの花を見上げるとたくさんのミツバチが集まつてゐるのが見える。格好の蜜源なのだろう、それなのに、下の方に置いてある空の巣箱には全く見向きもしない。ハチにも役割分担があつて、蜜を集めるハチは分蜂用の空き巣箱を探す任務は全く無いのだろう。これらのハチはどこからやってきてゐるのだろう、見てゐると、下の2号基のハチたちは巣を出ると一直線に遠くを目指して飛んで行くやうに見える、あまり近くの蜜源には寄らないのだろうか、あるいは、一旦一直線に飛び出したあとUターンでもするのだろうか。
その2号基と竹林の5号基の巣箱に、「スムシつ子」といふ幼齢期のスムシを退治する薬剤を染み込ませたカードを置いた。BT剤とふ成分が入つてゐて、スムシにはダメージを与えるがミツバチには無害なのださうだ。以前には無かつたがここ一二年の間にできた商品なのだろう。
蜜蝋作りの作業をした。何段階か蜜蝋のなかのゴミを取り除く作業がある。
令和 4年 5月21日 (土)
曇りのち晴れ。
最低気温 13.7℃ (02:18)、最高気温 21.9℃ (16:13)
jtq@yokohamaのシジュウカラ、最初の巣立ち終わつて、今、もうひとつの巣箱の抱卵の様子を観察中だが、今日、最初の空つぽになつた巣箱にまた別のツガイが入つて営巣活動を開始したさうである。確かに新しく巣の材料が運び込まれて巣の作り替えが始まつてゐる。忙しくなつて來た。
http://polluelo.f5.si/CgiStart?page=Single&Language=1
エゴノキの花がどんどん散り始めてゐる、分蜂の季節ももうオシマイなんだろう。
予てから予定してあつた従兄たちとのバーバキューをした。
曇りがちで時々細かな雨が降るなか、バーバキューの火は熾火くらいの火がいいので、かなり前から薪をたくさん燃やして熾火を作つて待つてゐるのに、昼を過ぎてもやつてこない。従兄とは哲兄と滉兄の二人である。福岡からやつてくる滉兄の車が近見に寄つて哲兄を拾つて来ると云つてゐたので、途中事故でもと心配になつて二人の携帯に電話をしたのだがいくらかけても二人とも全然出ない。従「兄」だから当然小生より年長、87歳と85歳である。二人同時に今日の約束を忘れると云ふことは無いだろうとは思つたが、それでもふたりとも高齢で忘れることが無いとは言えない、まあ、それならそれでいいやと思つて居たところ、二人の来るのが間に合わないので取り急ぎ昼飯を食べた太郎が塾に出かけてしばらくしたところに、太郎から電話、今、二人の車とすれ違つたと云ふので、ああ、こちらに向つてゐるのは間違いないのだなとわかつた。
せっかく火を燃やしたので、待ち時間を利用して、先日の蜜蝋作りの続きをした。写真1・写真2
哲兄たち、到着してからどうして電話に出なかつたのかと訊くと、哲兄は今日は電話を家に置いてきた、滉兄は?持つてるよ、と携帯を取り出して見せてくれたが、着信音量がレベルがゼロになつてゐる、尋ねてみると、携帯は持つてるけど今まで使つたことが無いと云ふ、ただ持つてゐるだけのやうだ。これでは二人に電話が通じないわけだ。もう怒らないことにした、とにかくみんなもう高齢者だから。
久しぶりの、と云ふより、このメンツでのバーバキューなんて初めて、しかも、このメンツで写真を一緒に撮ることも、もしかしたらこれが最初で最後になるかもしれない。本当に懐かしい昔話に大いに花を咲かせて今日はしみじみ良い集まりだつた。
そんな年寄りの集まりのなか、今日は小生の滿79歳の誕生日、数えで云ふ「傘寿」である、如何にも軽い傘寿だ、昔はもつと重みのあるものだと思つてゐた。それにしてもここ一二年、時間の進み具合が非常に遅く感じるやうになつてゐる、以前はもう古希かもう喜寿かと時間の進み具合が早いのに驚いたものだが、なんだかそろそろもうゴールが近いのかもしれない。1943(昭和18)年5月21日(金)に生まれて今日まで28,855日生きてきた計算になる、なんだ、たつたそんなものか。
朝、お赤飯と鯛の尾頭付きが出たが、昼、肉を沢山食べるので夜はもう何もしなくていいぞと云つてあつたので、それでもセレモニーでケーキを、と云ふのを、それももういいよと云ってあつたら、夏子が向こうからLINEで参加するから何かケーキを用意しろと云ふのでとりあえず、デコレーションケーキでは無いがケーキが用意してあつた。どういふ仕組みなのかわからないが、家族四人の写真が撮れてゐた。
令和 4年 5月20日 (金) 今日は「世界ミツバチの日」ださうだ。
登校時間帯にちよつとパラついた、薄曇りの一日、ちょっと気温が低めだつた。
最低気温 13.9℃ (01:04)、最高気温 20.0℃ (12:46)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
今日は前庭の草を刈つた、先日刈つたばかりだがもう伸びてきた。
太郎の塾、今日はカミさんが仕事が終わらずに送れないと云ふので、JRで行かせた。ちやうど、この時間帯に九州横断特急と云ふ列車が走つてゐる。以前利用したときは「特急あそぼーい」だつたが、今日は同じ時刻で同じ特急でも「あそぼーい」でなくて九州横断特急といふのださうだ。「あそぼーい」の時は全席座席指定で、特急券と座席指定券が必要だが今日のは自由席券で良いと云ふ、いつが「あそぼーい」でいつが九州横断特急なのかよくわからない、それぞれ運行日があるのだらう。所要時間、宮地駅から肥後大津まで約50分。
写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6
令和 4年 5月19日 (木)
穏やかに晴れる。
最低気温 9.7℃ (04:22)、最高気温 24.9℃ (13:55)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7
昨日の写真あたりから、隅のほうに何かシミか虫のやうなものが写つてゐる、無い写真もあるから、どうしてだらうと思つて見たらレンズカバーに虫の死骸が貼り付いてゐた。
玄関先を撮つてゐるカメラ、防水ハウジングの劣化で光を乱反射して近年非常に見えにくくなつてゐた、ちやうど白内障の症状と同じだ。
そこでカメラの交換と一緒に、設置場所も替えて、ついでにソーラーパネルでオフグリット化しやうと思つてゐるのだかなかなかエンジンがかからない、ここのところ、ますます見えにくくなつたので、今日カメラだけ交換して、今までと同じ場所に、架台も間に合わせのやつつけ仕事でとりあえず完了、今までが今までなので驚くほどの解像度になつた。外部からでも見えるはずだが。
今までカメラを置いてゐた三脚、だいぶん前にカミさんが車でバックする時に踏み倒して曲がつてしまつたので、今日、分解してみた。ひん曲がつたアルミの角パイプ、どうやつて元のやうに戻すか。パイプを潰さないで曲げる方法に、砂を詰めて、加熱して曲げる方法があつたな、あの方法で戻すことができるか?ある程度はできるかもしれないが、元通りにはなるまい。バーナーで炙つて柔らかくして、パイプの中に鉄棒を突つ込んで中側から圧延する方法はどうだろうか、なんとなく出來さうな気もする。少し寸法が短くなっても、曲がつた部分を切断して、溶接で付ける。これは無理だろう、アルミの溶接、特に、手棒でやるのは、至難の技だろう。
切断して曲がつた部分を取り去つてロウ付け、このロウ付けがまたアルミは融点が低いので難しいらしい。
切断して中間を木材か竹で繋いで接着剤か、まさにキセルである、これが簡単さうだ。でも考えたら、元通りに復元しなくても、最初から何か別の木材なり竹なりパイプで他の二脚と同じ長さのものを持つてきて、三点支持すれば良いのだ、その程度のものだ。
豆札川の新県道の橋のカルバート工事、設置工事はもうだいぶん前に終わり、あとは埋め戻すだけかと思つてゐたら、そうではないさうで、今までの川と同じやうに幅とカーブをつけなければならないさうで、カルバートの内側に擁壁の工事が始まった。
素人考えでは、このトンネル部分は今までの川幅よりかなり広いので水が流れやすくて良いだろうと思つてゐたが違ふやうだ。広ければ良いと云ふものでも無いのだらうか、川の流れが不規則になつて、下流域に悪い影響でも与えるのだらうか。
これをみると、わざわざ大きなカルバートを設置しても、そのまま使うのでなければ、ますます、カルバート工法でなくて、最初から、川幅に合わせてコンクリートを打てば良かろうにと思うのだが。写真1・写真2・写真3
令和 4年 5月18日 (水)
今日も一日、良い天気だった。
直射日光下で椅子に座つてダラ~としてゐても、湿度が低くて空気が冷たかつたからだらうか夏日にかかわらず暑さは感じなかつた。
最低気温 7.9℃ (05:53)、最高気温 25.7℃ (15:52)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
朝、小一時間、約一タンク分、屋敷に面した公道(県道)などの草刈りをした。
草刈りが終わつて玄関先の椅子に腰掛けてコーヒー片手に一息入れてゐるところに、先日ミツバチのことで十和子さんと一緒においでになつたY本さんが、今日はご主人と一緒にお見えになつた。先日お見えになつたすぐ後に、自然入居でハチが入つたさうで、ご主人は嬉しくて仕方がなくて、重箱の数が少なかつたので箱を一つ追加したところ逃亡してしまつたさうで、どうしてだろうかとのこと、これは群がまだ巣に定着して居ないのに重箱を追加して、結果的にハチを驚かしてしまつたから逃亡したのに違いないと思ふ。定着したあとであれば巣箱を傾けるなど、かなり乱暴に扱つても逃げることはないが、入つたばかりのころは警戒心が強いので逃げ出したのだろう、小生も入つたばかりの頃、ストロボを焚いて写真を撮つて逃げられたことがある、とにかく二三日はそつとしてをくに限るのだ。
まあ、次から次に事件事故が起きるものだ、愛知県豊田市の取水施設「明治用水頭首工」が水漏れで工業用水の汲み取りができなくなったさうだ、まず、この「明治用水頭首工」の読み方がわからない、これ日本語か?どうも「明治用水」と「頭首工」の間に区切りがあるやうだ。「頭首工」、始めて聞く言葉だがネットで調べると全国にいくつもあるもので一般名詞だ。取水堰ならすぐに分かるが、頭首工・・・ねえ。ラジオのニュースでも、頭首工と云ふ言葉は全く出てこなかつた、ラジオでは「明治用水といふ取水設備」と云つてゐた。
太郎の塾行き、宮地駅前のバス停まで送る。
令和 4年 5月17日 (火)
穏やかに晴れる。
最低気温 11.0℃ (05:17)、最高気温 23.6℃ (14:23)
花菖蒲は今年は非常によく咲いてゐる、この花はもう十数年前になるが、工芸滝室の玄関先を舗装するときに、余分な株をもらつてきて、水辺が良いのだろうと、庭の水栓の脇に植えたものだ、毎年花が咲いてゐるが今年ほど沢山揃つて咲いたことは無かつた。
jtq@yokohamaのシジュウカラが昨日巣立つたのでもう一箇所、2Fベランダに置いてある巣箱のカメラに切り替えた、この巣では現在抱卵中、まもなく孵るとみられる、卵の数・・・7個かな。
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
裏の畑の刈り残つゐたところを刈つた。約二時間約二タンク分の作業、暑いと云ふほどではなかつたが少し汗ばむくらいだつた。孟宗が終わつて今度は、これは真竹だろうか、このあたりに一斉に生え始める、軟らかなうちに切らないと本数が多いから処理が大変だ。
郵便局ポストに年金の現況届を投函しに行つた時に、坂梨公民館の前を通りかかつたら、昔の農協坂梨支所の建物が解体されて更地になりつつあつた。老朽化で危険だから解体したのだろうが、この跡地の計画はあるのだろうか、国道57号と265号の交差点、都会なら一等地だが・・・
(写真1・写真2)
令和 4年 5月16日 (月)
高いところに雲があつたが、いい天気になつた、空気が冷たいので、直射日光下で椅子に座つてぐで~としてゐると気持ちが良い暖かさだつた。
最低気温 10.3℃ (00:40)、最高気温 18.6℃ (12:46)
胡蝶蘭の11個目が開いた、茎の先の方なので花と花の間隔が詰まつてゐてよく分らなくなつてゐる、もう一つ蕾がある、先に咲いた花は流石にもう次々に萎み始めてゐる、花の終わりに近づいたゐる。
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6
太郎、今朝起きて聞いたところ、昨夕熱が37度2分でたさうで、そりやあ大変じやないかと思つたが今朝には35度台に下がつてゐたさうだ、ただ、喘息症状が少しあつたこともあつて、それに万一のことがあるといけないので学校に連絡を入れて休むことにして、古閑医院でPCR検査をしてもらおうと電話をしたところ、古閑医院では抗原検査しかしてゐないさうで、PCR検査は医療センターになるとのことで、カミさんが朝のうちに予約をして午後から検査に行つた。カミさんも下手すると濃厚接触者になるので用心のため、先日の休日出勤の代休を取つて今日は仕事を休んだ。
後から聞いた所によると、医療センターの発熱外来は病屋の外にドライブスルー的に囲いがしてある区画があつてそこに医師たちが詰めてゐてそこで診察をしてくれるらしい。PCR検査にするか抗原検査にするかは症状で医師が判断するやうで、太郎の場合は、もう熱も無かつたので抗原検査になつたやうで結果はやはり陰性だつた。ただ少しまだ風邪の症状が残つてゐるので、風邪薬をもらつて歸つてきた。
最近は阿蘇は感染者が増加傾向にあつて、それも10代が結構多いので心配したが「シロ」判定でホッとした。
午後から哲兄と八重子さんがドライブのついでに寄つてくれた。太郎の結果判定の少し前だつたので、用心のために、庭に椅子を置いて応接した。
jtq@yokohamaのシジュウカラ、今朝見た時に、そろそろだなあと思つてゐたところ、夕方、JTQから巣立つたよといふLINEが入つた、生まれてからあつた云ふ間に巣立つて行つた気がする、巣立つた後の空つぽの巣箱をみるのはなんとも寂しいものがある。
令和 4年 5月15日 (日)
この時期としては気温が低かつた。視界は良かつたが、天気はあまり良くなかつた、昼から晴れる予報だつたが、時々霧のやうな雨が降つた。妙に肌寒くて、日中、とうとうトーブを焚いたほどだつた。
最低気温 8.6℃ (03:48)、最高気温 15.9℃ (14:52)
太郎、洟水を垂らしてゐたので、用心のためテニススクールは休んだ。熱は無い、学校からもらつてあつた抗原検査キットでチェックしたが、陰性だつた。
群が消滅してスムシだらけの一号基の蜂の巣の残骸から蜜蝋を採つた、今日は最初の大滓取りの段階だが、蜜蝋採れてもほんの僅かだろう。
(写真1・写真2・写真3)
令和 4年 5月14日 (土)
低気圧は東に移動して穏やかに晴れる。
最低気温 15.4℃ (07:10)、最高気温 22.7℃ (15:41)
太郎、昼間部の塾に行く。
蜂の巣箱制作、少しずつ進めてゐる。今日は巣箱の木肌を焼いた。一般的に、巣箱の内部を焦がすことによつてハチが入りやすくするためだと云ふが、小生はこれはどうかと思つてゐる。自然界の木の洞などにハチは巣を作るが、このウロは木が半ば腐りかけて出來たもので、ハチはそれを好んで選ぶから、なるべく古い箱の方が良いと云ふが、新しい木の幹にはウロは出來ないから、好むと好まざるとにかかわらず自ずと古い木のウロに巣を作つてゐるだけで、新しいウロが仮にあったとしたら、そちらを選ぶかもしれないのだ。それが証拠に、木の香漂う新築の家の天井裏だとか縁の下に巣をつくることがある。從つて小生はハチはあまり木肌の新旧の選り好みはしないのではと思つてゐる。
それより、外側の焦がしは必要だと思ふ、これも、ハチが古めかしい木のウロに巣を作るからと云ふことでなくて、防腐の意味である。木の肌を焦がすことで表面が炭化して腐りにくくなる。
最近、キャンプ場で、燃え残りの薪を始末しないで帰るキャンパーが多いので、地べたで焚き火を禁止するところが多いと聞く。木は生木を放置するといずれ腐つて土に還るが、焚き火をした燃え残りの木は、炭化してゐるために、いつまでもそのままで地面に残る、つまり、腐らないのだ。縄文弥生時代の遺跡から木製品が出てくるのも、表面を焼いて炭化させてゐる場合が多い。
今日は、巣箱の内部は焼く必要がないとは思つたが、今まで通り内部も焼いてをいた。
それより、そろそろ分蜂の季節も終わりに近づいてゐる、我が家のミツバチ、今年は一回一群だけが分蜂しただけで終わるのだらうか。
去年は今の時期、木全体が真つ赤になるほどサクランボが生つたのに、今年はほとんど実をつけてゐない、裏作なんだろうか。
令和 4年 5月13日 (金)
ほとんど終日雨。予報では警報級の雨が降るぞ降るぞと云つてゐるが、ここはそれから少しずれてゐるのだらうか、雨も細かな雨が降り続いてゐたが雨量はそれほどでもない。天気図を見ると日本列島の南岸に低気圧があるので、当地は大雨が降らずに濟んでゐるのかもしれない。
最低気温 17.7℃ (05:41)、最高気温 19.9℃ (13:13)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6
今日も特に何もしなかつた。
令和 4年 5月12日 (木)
まだ梅雨入宣言はされてゐないがもう完全に梅雨空である、終日厚い雲が垂れ込んで時々細かな雨が降つてゐた。
最低気温 16.9℃ (01:10)、最高気温 19.9℃ (14:01)
エゴノキの花が盛りである。写真1・写真2
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6
実は今日は太郎の修学旅行の日だつた。過去形である。
昨夕、学校から、低学年で陽性者が出たから、低学年(1.3年生)は休校になるといふメールが入つたので、高学年でなくて良かつたねえ、明日は無事に出発できさうだね、とホッとしてゐたところ、しばらくして、低学年での発生だが6年生の修学旅行も延期いたしますという追加メールが入つた。夜8時ころのことである。ギリギリのところで延期になつてしまつた。
修学旅行に関係する旅行業者や旅館などの観光業者、前日になつてのキャンセル、泣くに泣けないだろう。それに、延期になつたための学校の授業の組み換えなど先生たちにとつて大変だろう。
仮に、計画通り実施されたとしても、大雨が予想されてゐたので、当初の見学先の一つ、吉野ケ里遺跡が、佐賀県立宇宙科学館に変更になつたところ、今度はその科学館がウヰルスで休館になつたさうで、更にまた別の目的地へ変更になつたこともあつたので、子どもたちにとつては今回の延期処置はかえつて良かつたのかもしれない。
日が替わつて今日、登校児童は2年生と4,5年生の三学年のみ、修学旅行が延期になつて宙ぶらりんの6年生は自宅待機で居たところ、11時からオンライン授業をすると云ふ連絡が入り学校に置いてあつたタブレット端末を担任の先生が各児童の家を回つて届けてくださつた。学校の先生方も武漢ウヰルスの最大の被害者である。六年生は心配されてゐた濃厚接触者が陰性だつたさうで、明日は平常通りの授業が行われることになつた。
昨日の轢死したタヌキ(アナグマか?)、昨日中に道路脇に移されてゐた。すぐ近くに建設会社の現場事務所があるので、おそらく、そこの人が片付けてくれたのだろう、今朝、役所の業務開始時間を待つて、多分管轄違いだらうとは思つたが、とりあえず市役所に電話をして確認したところ、やはり県道なので、県の管轄になると云ふことで、阿蘇地域振興局(県の出先機関)に電話をして回収を依頼しところ30分ほどで車がやつてきて回収してくれた。
もしかしたら、このタヌキ、先日、家の裏のほうの草刈りをしてゐたカミさんが、タヌキの巣(らしきもの)があると云つてゐたが、そのタヌキだつたのかもしれない、どうか成仏してくれるやうに。
令和 4年 5月11日 (水)
なんとなくもう梅雨に入つたのではと云ふやうな天気だつた(奄美地方が今日梅雨入りしたやうだ)。
最低気温 15.9℃ (00:00)、最高気温 19.4℃ (14:55)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4
浄化槽法11条による法定検査があつた、係員が浄化槽からサンプル水を汲み上げて、持つて歸つて検査をして、後日検査結果の報告があるさうである。
工作室で、昨日の作業の続きを少しした。
夕方、太郎をバス停に送つて、歸つてきたところ、家の入り口の道路でタヌキが轢かれて虫の息になつてゐた。このタヌキ、、茂みから出てきたところ、丁度太郎を送るために出ようとした小生の車と鉢合わせ、驚いて道路の反対側の茂みに逃げ込んだタヌキだ、小生が行つたあと、また出てきた所に運悪く別の車にはねられたのだろう、小生のように生活道路では決してスピードを出さない車ばかりじゃないのだ。二三日前にも、すぐ近くでネコがはねれてゐた。ここのところ工事などの車で以前より通行量が多いやうな気もする。
タヌキがはねられたことについては、もう十数年前になるが、我が家の前で同じやうにタヌキがはねられた事があつた。そのままにしておくと、スルメ状態になるので、道路脇に運んで、市役所、(あの当時はまだ役場だつたか)に電話をして引き取つてもらつたことがある。そのことを日記に書いたところ、全く知らない人から、おマエは薄情だ、穴を掘つて埋葬して、お経のひとつでもあげてやつたらどうなんだ、と非難の投稿があつた。思つても見なかつた投稿だつたので驚いた。おマケに、これだから〇〇大学の卒業生は駄目なのだと、(どこで調べたたのか)全く見当違いの大学名をあげてまで非難された。当方としては、放つてをかずに役場に電話をしたからそれで十分だろうと思つてゐたので、世のなかいろいろな人がゐるものだと呆れたものである。
お経の一つでもと云われてもそのタヌキが仏教徒かどうかもわからんだろう、と後から思つたものである。尤、タヌキと云へば、茂林寺や証城寺などお寺に縁があるのか。
今日のタヌキ、ユンボでも持つてゐれば埋葬してやつても良いのだが、手堀りでは無理である。もう市役所も終わつてゐるので、明日になつてもそのままななら薄情と云はれること覚悟で市役所に電話をしやうかね。
晩飯、ここのところ作らなかつたが、久しぶりにカレーにした。と云ふのは、朝、太郎がわざわざ二階に上がつてきて、お父さんのカレーが食べたいと云ふ。だろう?お父さんのカレーはそのあたりのカレーとは違うだろう?と気を良くしてカレーにした。
令和 4年 5月10日 (火)
曇り。
最低気温 12.5℃ (05:54)、最高気温 21.2℃ (11:31)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7
朝一番で松岡床屋に行く。小生としては前回の散髪から短い期間の散髪である。
年度が替わると、新年度の税金の納付書が送られてくる、以前はいろいろあつたが、近年は特別徴収になつて年金から天引きされるので、直接納めるのは、固定資産税と、自動車税くらいだけになつた。
jtq@yokohamaのシジュウカラ、現在カメラで観察中の巣の他に、2Fのベランダにも、もう一つ巣を置いてあるさうで、こちらもカラーカメラなのださうだが、発色が悪くてモノクロに写つてゐるが、この巣にも入居して現在卵を産んでゐるさうである。
http://polluelo.f5.si:50001/CgiStart?page=Single&Language=1
ニホンミツバチの巣箱の制作の続きをする。春になる前の計算では、今年は全部で10群くらいになるつもりでゐたのに2群が消滅して、それらから各二度は分蜂するだらうと思つてゐたので、都合6群がパーになつて、それで今年はギリギリ2群での出発になつてしまつた、もしかしたら3群になるかもしれないが、そのために巣箱づくりのモチベーションが一気に下がつて、嫌々やつてゐるものだから、作業ペースが遅い上に注意力が疎かになつて、本日も寸法の測り間違いで、やり直し作業をやつた。写真1・写真2
注意力欠如は事故の元、人的事故ではないが、丸鋸のコードを自らの丸鋸で切断してしまつた、昔一度やつたことがあり、それ以來注意をしてゐたつもりだつたが、またやつてしまつた。幸いに二台あるので、とりあえずは閒に合つたが、また繋がなければならない、本当にアホである。
令和 4年 5月 9日 (月)
曇り、降らなかつたと思ふが、いつ降りだしてもおかしくないやうな空模様の一日だつた。
最低気温 15.1℃ (19:07)、最高気温 20.7℃ (12:31)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7
jtq@yokohamaのシジュウカラの雛、ずいぶん大きくなつた、でもまだまだ嘴が黄色いのう、全部で8羽・・・・かな。
胡蝶蘭の10個目が開いた。うんと先の方にある蕾がひしめき合つた場所のやつだ、もう最初のころ咲いた花は一部は萎れて、そのあとの花も大分萎れかかつてきてゐる。元気なうちは緑色をしてゐる花軸が茶色に変色してまもなく散ることになる。蕾がまだあと2つくらいはあるので、これらも花の大きさは最初の頃の花とくらべたらずいぶん小さくなつてゐるが、それでも最後まで開くのだらうか。
今日は特に何もしなかつた。
令和 4年 5月 8日 (日)
穏やかに晴れる。
最低気温 13.9℃ (04:25)、最高気温 23.6℃ (15:11)
太郎、午前中、テニススクール。
このトマトハウスでトマトを作つたのはどのくらい前になるだろう、ずいぶん久しぶりにカミさんがトマトを植えると云ふので、支柱だけは立ててをいた。苗を植えるのはカミさんの仕事だ。しばらくしてビニールを張らなければならないが、それは小生の仕事になるだろう、昔使つたビニールがどこかにあつたはずだ。
少し離れたところに作つた畝に、夕方になつて、カミさんがホームセンターから買つてきたいろいろな苗を植えてゐた、植えるのは簡単だが、管理が大変なんだぞ。
我が家に隣接する田の田植えが終わつて、今日は静かな一日だつた。阿蘇谷は今、田植えシーズンが始まり、高みから見ると、広い範囲で水が入つた田が白く光つてゐる。
令和 4年 5月 7日 (土)
雲が少しあつたがいい天気だつた。予報はところにより雨が降るなど雷が鳴るなど曖昧なことばかり云つてゐる。
最低気温 13.9℃ (05:33)、最高気温 23.6℃ (15:04)
太郎、昼間部の塾に行く。
隣接する田の田植えが行われた、今日一日で我が家の三方の田植えが終わつた。昔は実際に苗を植え付ける作業が一番人手が要つて大変な作業だつたが、今では、コメ作りで一番楽な仕事だと云へさうだ。(写真1・写真2・写真3)
整備済の巣箱をここにとりあえず置いた。番号をつけるなら6号になるのだらうが、まだ、未定である。ベランダに置くよりは良いだろう、と云ふ程度だ。
和尚がキンリョウヘンを一枝(「枝」じゃないな、なんと云ふのだろう、一挿し、かな、こんな言葉あるだろうか)持つてきてくれた。三号基のそばに置いた。その横には廃棄した一号基に入つてゐた、巣の滓や蜜などが入つた缶が置いてあり、沢山のハチが集まつてゐるが、そのなかの一部がキンリョウヘンにも興味を示して、花に止まつてゐる。全部のハチが興味を示す訳では無い、しばらく様子見である。
自然養蜂の渡辺名人が様子を見に寄つた、氏は山に簡単な箱を置いて、秋にはそこに入つたミツバチの巣を取り出してハチはそのまま放置するそうである、別の箱に収容すれば良いだらうにと思ふのだが、そんな面倒なことはしない、また春になれば箱を置けば良いのだからと云ふ、実際、多分、北坂梨の外輪だと思ふが、もう四群入つたさうである、うーむ、居るところには居るのだなあ。
カミさんが二三日前に小生がトラクターで耕したところに畝を作つてマルチを張つてゐた、何を植えるのだろう。それからもう数年作つてゐないビニールハウスがあるがトマトを植えると云つてここにもマルチを張つてゐた。トマトの苗を植えた後に小生がビニールを張ることになるのだろう、周辺のトマトハウスはとつくに定植が終わつてゐる、まだトマトの苗は売つてるのだろうか。小生はもう畑仕事はしない、畑仕事は片手間にできるものではない、結構大変な仕事なのだ、あれもこれも気が多い小生には無理である。
令和 4年 5月 6日 (金)
予報では悪くなかつたはずだが、今日一日、細かな雨が降つてゐる時間の方が長かつた気がする。
最低気温 15.7℃ (07:33)、最高気温 18.5℃ (13:12)
隣接する田に水が入つて、我が家がモンサンミシェル化した。今日も一日トラクターが動いてゐたので、田植えは明日かな?
大型連休の今日は間の平日、ずつと休みの人も多いのだろうが、我が家ではカミさんも太郎も「平日」だつた。
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
巣箱制作の細かな部分をやつた。
晩飯 ロールキャベツ ご近所から菜園のキャベツをたくさんもらったから、沢山消費するには?といふことで、近年は下ごしらえ済みの物を買ってくることが多いが、今日はそのキャベツを使って、中の詰め物(なんと云ふのだ・・餡かなあ)も全部作つた。キャベツの葉が大きいので、それに合わせて普段の二個分くらいの大きさのロールキャベツになつた。アスパラ農家から頂戴したアスパラもおいしい。
大型連休中休みだつた太郎の塾、今日からまた始まつた。
令和 4年 5月 5日 (木) こどもの日(端午)
晴れ。ただ日中、風が猛烈に強くて屋外で作業をしてゐて、薄着のせいもあるが少し寒いほどだつた。
最低気温 10.1℃ (05:24)、最高気温 21.6℃ (13:40)
今日も蜂の巣箱の製作の続きをした。カミさんは裏の方で草刈りをしてゐた。
毎年、菖蒲湯の菖蒲は箱石峠を越えて山向の高森まで買いに行く。こちら側には毎年探すのだが、売つてゐないやうなのである。
久しぶりに箱石峠を超えて南郷谷まで行つてきた。野焼き後の阿蘇五岳、全山緑色に変わつてゐた。(写真1・写真2)
連休だけあつて265号線いつもよりは車がが多かつたが、それでも普段はほとんど走つてゐない道路だから多いと云つてもパラパラ程度だ、対して首都圏のUターンラッシュ、いやいや大変そうだ。
帰り道に「オープンセサミ」に寄つてみた。あの頑強な牧場主どの、腰痛で腰にコルセットを卷いておいでだつた。それから以前、一緒にボロ拾いなどをした、小生より一歳くらい年長の後藤さん、二年ほど前に急に亡くなられたさうで、別の人に替わつてゐた。小生もう2年以上行つてゐないことになる。余生馬牧場なので高齢馬や身障馬が多くて、この間に馬も大分出入りがあつたやうである。(写真1・写真2・写真3)
恒例のこどもの日の菖蒲湯定点撮影、太郎は今年は6年生で、去年辺りからなんとなくイヤさうだつたので、今年を最後にすることにした。中学校に入つてまでこどもの日の定点撮影でもないだらうから。
菖蒲のハチマキ、勢いよく上にピンと跳ねるやうに巻かなければいけなかつたのに、まるで助六の紫のハチマキのやうに下向きになつてしまつた。
令和 4年 5月 4日 (水) みどりの日
今日は「みどりの日」と云ふのか、みんなこの時期は一括りで「連休」として捉えてゐて、あまりその中身までは考えてゐないだろう。今日は祭日ではないのだろう、祝・祭日の祝日の方にあたるのだろうな、だから旗日では無いのではなかろうか。日記の国旗掲揚はすまい。
今日も爽やかな五月晴れだつた。でも、沖縄地方、今日梅雨入りしたさうだ、もうそんな季節なんだなあ。
最低気温 5.9℃ (05:35)、最高気温 22.9℃ (14:13)
太郎とカミさん、佐賀の方に出かけていつた。やはり世間並みに「連休遠出」をしたかつたのだろう。どうせならどこか温泉にでも泊まつてくればと云つたのだが、予約なしでは絶対に無理、それに明日畑仕事をしたいからと、夕方には歸つてきた。佐賀県の武雄市に「佐賀県立宇宙科学館」と云ふ施設があり、太郎が行きたがつてゐたさうだ。朝7時ころ、家を出て、向こうには開館前に着いたと云つてゐたので、我が家から2時間くらいで行ける場所のやうだ、部分的には渋滞してゐるところもあつたやうだが、基本的にスムースに移動できたらしい。
小生は、蜂の巣箱の制作作業をして、畑の草を燃やして、カミさんが畑仕事をすると云つてゐたので、一畝分だけ耕してをいた、トラクターも久しぶりである。
五号基、今日も分蜂無し。中を見たいがデリケートな時期なので遠慮する。二号基を覗いてみた、一号基と隣接して同じやうに消滅した基なので、二号基ももしかしたらと心配だつたが、こちらの方は順調に巣が運営されてゐるやうである。
令和 4年 5月 3日 (火) 憲法記念日(カレンダーで確認、「こどもの日」などは見ないでも分かるが・・)
晴れ。実に爽やかで気持ちのいい一日だつた。田植えの準備のトラクターが眠くなるやうな長閑なエンジン音を響かせて田泥をかき回してゐた。朝の阿蘇五岳、こんな涅槃像もいい。
最低気温 6.8℃ (06:22)、最高気温 22.0℃ (15:31)
コイン精米機で玄米30キロ精米してきた(3/8)。(前回は3/23 夏子が帰省時に持って行つたので、今回は少し早かつた)
コイン精米機は国道に面してゐるが、大型連休のせいで上下線ともここでは珍しい車の列だつた、家にゐると、全く世間の連休の様子は分からないが、皆さん、遠出、大変だなあ(写真1・写真2)
一号基の最下段の扉がある部分、相当腐つて、割れ目に沢山のスムシが巣食つてゐた、ちよつとした隙間があると張り込む、もう、使用に耐えないほど傷んでゐるので廃棄処分にすることにして、金具などを外した、上部の重箱で使える部分は他の重箱と合わせて新しく巣箱を作ることにした。
今まで一号基があつた場所に、三号基を中を綺麗にしてから設置した、自然入居するかしないか、多分しないだろう。
五号基の第二回目の分蜂を待つてゐるがその気配ずつと無し、今年は一回限りか?
今日のjtq@yokohamaのシジュウカラ、元気だ元気だ。
新手のphishing詐欺メール、今度はETCだ、よくもまあ次々に新しい手を考えつくものだ。
何年か前にピロリ菌の除菌をした、さうすると胃酸の分泌が増えるとある、そのせいか、最近、時々ものすごく酸つぱい胃酸が喉元に逆流してくる、最近内視鏡検査をしたばかりなので、食い過ぎも原因だが逆流生食道炎くらいしか考えられない、胃酸でも飲むしかないだろう。
令和 4年 5月 2日 (月)
晴れたが、今日も気温が低めで風があつて少し肌寒い一日だつた、夜に入つてストーブを焚いてしまつた。
最低気温 5.3℃ (05:24)、最高気温 18.2℃ (14:21)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7
いよいよ田植えシーズンが始まつた。普段、水がない用水路にも勢いよく水が落ちてゐる、我が家に隣接する田にも水が入り始めて田の色が変わつてゐる。もう田植えの準備ができている田もある、やがて其処此処で田植えが始まる。兼業農家では5月の連休の時に田植えをするところが多い。
葉と果実、保護色なので見る気で見ないとわからない、梅の実がたくさんついてゐる、「撓」である。
えびすぱーなに買い出しに行つたところ、渋滞はしてゐなかつたものの国道はずつと車の列がつながつてゐた。今日は連休の合間だが、「連休」の人が多いのだろう。久しぶりに行動規制の無い大型連休、待ちわびた人たちが観光地へ、観光地へと繰り出してゐるのだろう。
ところが、先日噴火警戒レベルが1に下がつたばかりの阿蘇山、また少し怪しい状態らしい。今年は大丈夫だろうと思つてゐたから思わず笑つてしまふ、いや、笑つてはいけないのだが、だいたい、大型連休になると、いつも決まつて様子がおかしくなる。
---- 人いまだ生れず神と鬼とのみ住みけむ世よりもゆる山かも ----神か鬼かが、お見通しなのだ、まるで、阿蘇には阿蘇山しか無く、阿蘇火口見物だけが阿蘇観光のやうに観光業者や自治体が宣伝してきたから、今日のやうに一旦かうやつて噴火警戒情報が出ると、急に観光客の出足が鈍ることになる。観光業者や自治体が自ら招いた結果だ、そろそろ阿蘇観光を「阿蘇火口」偏重を改める時期だ。現在、阿蘇と云ふと、熊本方面からやつてきて立野の火口瀬を通つてカルデラに入り、草千里を眺め阿蘇中岳を目指す、これがほとんどだ、これでは阿蘇の雄大さはわからない。
大分空港や福岡方面から由布岳や「くじゅう連山」を眺め、阿蘇の大草原のなかを続くやまなみ道路を走つて、行き着いた先に、突然、眼下に大地が陥没した阿蘇の大カルデラの雄大な風景に驚きをもつて接し、その中心に阿蘇五岳を見る、これぞ阿蘇観光だぞ。
、
今日は裏の畑の草刈りを1タンク分だけやつた。
ばんめし、から揚げ。
令和 4年 5月 1日 (日)
くもり、あまり太陽が出る時間が無かつた。今日も少し気温が低めだつた。
最低気温 11.7℃ (03:31)、最高気温 17.4℃ (14:22)
太郎、午前中、熊本までテニススクールに行つて、午後から友達の家に遊びに行つた。カミさんは昼から仕事に行つた。
今日は前の畑と隣接する田の畦切をした。そろそろ田植えが始まる季節になつたので我が家の雑草が迷惑にならないやうにである。前の畑にところどころ、れんげ草が咲いてゐるので、刈り取るのが忍びず、それらを残して刈つたのでところどころ草が残つてゐる。
突然、十和子さん御入来。どなたかとご一緒だ。何事かと思つたら、阿蘇山麓にお住まいのご友人でY本さんと仰る方。話を伺つてみると、ご主人がニホンミツバチを飼つておいでで、いや、以前、飼つたことがあるが、逃げられてその後はずつと入居せず、今年も探索蜂を一度見かけたが、その後、飛んでくる気配がない、世間では今、ハチの活動状況はどうなのかと、十和子さんを通じて小生がハチを飼つてゐるのをお聞きなつて、見学においでになつたのださうだ。
どうしてハチが来ないのかしらとお尋ねなので、それは小生にもわかりません、ハチにお訊きにならないと、と答えてみんなで爆笑。ハチを通じてまた新しいお付き合いが始まりさうである。
無王群の巣箱に空箱を重ねてあつたが、いつまでもそのままには出來なので、上に置いた空の巣に移動はしてゐないだろうことはわかつてゐたが、外してみた。驚いた、驚いた、上に置いた空の巣箱に、スムシがものすごい数が巣食つてゐた。ハチは上に移動はせずに、スムシが移動したやうだ。スムシも、上の方へ、上の方へ移動する習性があることがわかつた。それにしても数が多い、数十匹以上、おそらく100,200のオーダかもしれない。一体どこから入つたのだろうか、スムシは親の蛾(ハチノスツヅリガ)が産みつけた卵が小さな幼虫(ウジ)になつて下の方から巣の中に入り込んで、それが蜜を食べて大きくなる、大きくなつたスムシは渓流釣りのブドウ虫系の餌にもなる。
大量の数のスムシが巣の中に居るといふことは、その数だけ下の方から入り込んだことになるが、スムシは、ウジの状態で、巣の中で何倍にも増殖するのだろうか、まるで細胞分裂だかそんなことは無いと思ふが、そのあたりの生態が全く知らないが、とにかく、その多さに驚いた。
もうグズグズになつた巣の箱は上に向けたまま放置してをいて、ハチの無王群は近くに置いた空の巣箱に入るか、青天井の今までの巣に居続けるか、それは自由だ、観察することにした。
カミさんと太郎が、晩飯は庭でバーベキューをする、といふので、小生がその準備をさせられた。べつに外で食べなくても、家で食べたら良いだろうにと思つたが、連休の雰囲気を味わいたいのだろう。ところが、カミさん、仕事が終わらないやうで、暗くなつても歸つてこない、今日はヤメだ、別の日にしやうと云つたところに歸つてきて予定通り挙行。やればやつたで楽しいのだが。
丁度、夏子が電話をしてきてその話をしたら悔しがつてゐた、向こうで撮つたライブカメラの写真を送つてきた。
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