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(2022)令和壬寅 4年 4月の記録 (新しい日付けの順)

令和 4年 4月30日 (土)

 午前中はいい天気だつた、朝気温が下がつて少し肌寒かつた、阿蘇山麓も外輪の野焼きのあとも緑が鮮やかになつて來た。午後から雲が出て太陽が見えなかつた。
 最低気温 7.5℃ (03:55)、最高気温 19.0℃ (13:22)

 大型連休と云ふと抜け道として我が家の前を時々ツーリングのオートバイが十数台気持良ささうに通過して行くのが常だがまだ連休が始まつたばかり、おそらく後半の連休で阿蘇訪問客も増えるのだろう。今日は外には一歩も出なかつたので、国道の混雑具合もわからない。カミさんは仕事が溜まつてゐると今日も出勤して行つた。

 裏の竹の処理をした。薪小屋の中にも生えてゐてテントを突き破りさうだつた。そのほかに、竹林の中の竹も何本か切つたが、最近膝を庇つて運動しないので、太くなつた竹をノコで数回引くだけで息が切れる。二時間くらいかかつた。
 before   after
 before   after

 熊本県も武漢ウイルスの感染者数は日々減つてきてゐるやうだが、それでゐて毎日新たなクラスターが発生してゐる、また、阿蘇保健所管内の医療機関、91名も発生してゐながら機関名は非公表のまま、ずつとクラスターの解除がされてゐない、どうしてなんだ、一体どこなんだ?どういふ基準で公表・非公表を決めるのだろうか。阿蘇市自体の感染者数は昨日はゼロ、今日は一名だけだつた。


令和 4年 4月29日 (金) 昭和の日

 今日からゴールデンウイークか、ああ今はあまり然うゐふ云い方はしないのか、「大型連休」か、小生には全く無縁のもので、全然ピンとこない、普段学校や仕事のある人たちにとつては嬉しいだろう、我が家の連中は何か計画はあるのだろうか、多分無いだろう。しかも今日は朝から天気が悪くて昼前には暴風雨だつた。昔、独り身の頃は、連休の狭間の平日にも休暇を入れて長期の休みを取つて日本全国走り回つたものだ、今はもう全くそんな気も起きない、我が家が一番だ。

 jtq@yokohamaのシジュウカラの巣、今日、もう孵つてゐた、抱卵開始から10日あまりだ、自然界は危険が多いので短期決戦で命を繋がなけれならないのだろう。

 低気圧でちょっとした台風並みの嵐だった、午前10時ころが一番強かった。その後雨は通過したが、今日一日全く太陽は出なかった。昨日、二組の巣を重ねて置いたが、風が強いことを予想して重たい石を置いてをいたので、倒れてゐなかった。
  最低気温 10.3℃但し18:44時点、なお降下中)、最高気温 21.1℃ (09:41)
  最大瞬間風速 18.3 m/s(09:47)
  本日の雨量  30.2 mm
  最低気圧 998hPa (09:44)
令和 4年 4月28日 (木)

 晴れ。気温が上がる、夏日で一応今季最高だつたらしい、体感的にはさうでも無かつた。
  最低気温 13.7℃ (05:36)、最高気温 26.1℃ (14:46)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 みんな体操服姿で歩いてきた、訊くと、今日は遠足なんださうだ、太郎はそんなこと云つて無かつた。新入生歓迎遠足なんださうだ、昔は遠足ともなると楽しみな学校行事だつたが、最近は遠足と云ふほどの遠足ではなくて、近場で済ませるやうだ。
 登校班の第一班のRちゃんと弟くん、転校ではないが転居で坂梨校区から今日限りでゐなくなるさうだ、記念写真撮ろうか?と訊いたら、いい、とのことだつたので、撮るのはやめにした。

 登校見守りから歸つて、暑くならないうちに、ここを中心に草刈りをした。2タンク約2時間、大分綺麗になつた、未だ太陽が上に来る前なので、暑くなかつた。

 コチョウランの花が一つ枯れ始めた、最初に咲いた花から萎むのかと思つたら、三番目に咲いた花が萎んだ。全部真つ白な花なので、コントラストが難しくて、写真がうまく撮れなかつた。

 一号基、蓋を開けてみたら、巣落ちをして、みると(閲覧注意)大きくなつたスムシがたくさん蠢いてゐる、巣も黒く変色してゐる、これでは駄目だなと巣をひつくり返してみたところ、相当ひどく損傷してスムシだらけになつてゐた、昨秋の採蜜のときはキレイなものだつたが、その後、スムシが入つて冬の間に蜜を食べて成長したのだろう、だから、巣の維持ができなくなつて、ハチの群は消滅したのだろう、冬でなければ群ごと脱走するところだが、冬季だから動けなかつたのかもしれない。今、巣の中に数十匹残つてゐるが、これは無王群で、いずれ消滅する。このまま巣を放置することは出來ない、早く綺麗にしなければならないので、移るかどうかわからないけど、一号基を逆さまにして、その上に空箱を乘せて、下から上に残つた群を移動させやうとしたが、女王蜂がゐないので、別に上の箱に移動する必要も無いのだろう、夜になつてハチが巣に戻つた頃を見計らつて覗いてみたが上の箱には移動してゐなかつた、とりあえず一晩このままにしておこう。
 逆さまにして重ねた重箱に隙間ができてゐて、その間が丁度4mmだつた、少し窮屈さうではあつたが、ハチは出入りしてゐた、確かに4mmが働きバチが通ることができるギリギリの隙間で、この隙間では女王蜂は通ることが出來ないだろう。


令和 4年 4月27日 (水)

 曇り、雨雲は東に去ったにも拘らず、終日ほとんど太陽を見ることは無かつた。
  最低気温 18.7℃ (08:11)、最高気温 23.5℃ (17:13)
  昨日今日の2日間で79mmの雨が降つたことになる。

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 登校時間帯、霧のやうな雨が降つてをり、傘を差す子がゐたり、差さない子がゐたり、その程度の雨だつた。

 今朝、胡蝶蘭がまた開花してゐた、9個目だ。1/13に最初の一個が開いて、その後、次々に花が開いて、2/26に8個目が開いた、そしてその時、9個目の小さな花芽があつたが、さすがにこれは咲かないだろうと思つてゐたところ、今朝になつてその蕾が開いてゐた、あんなに小さな花芽が開くとは思つても見なかつた、これで9個目だ。そして驚いたことにまた花芽が少なくても3個も出來てゐる。実に息の長い花である。

 jtq@yokohamaのシジュウカラの巣、もう抱卵が始まつてゐるが、今日、たまたま親鳥が巣を離れてゐて卵が確認できた、こちらも9個だな


 聡雄どのから借りた筍掘りの鍬、柄がすぐに取れるので、了解を得ないまま、ボルトを通す加工をした。我が家のボール盤は小型で、最大の送りがそんなに長くなく、またビットも長くないので、鍬に一直線にワンアクションで穴を開けることが出來ないので、かなりトリッキーな方法でなんとかボルトを貫通させることが出來た
 
 夕方、そろそろ家に入ろうかとして、あれ?スマホが無い!ここで「二台持ち」はもう一台の携帯から見当たらないスマホに電話をかけると大抵の場合、見当たらないスマホの着信音でどこにあるか分かるのだが、今日は、それが聞こえない、外に落としたかなとハチの巣箱の方に行つてみたり、あちらこちら探して回つたが着信音が聞こえない。家の中かなと思つて着信音が聞こえないかと探したが聞こえない。少々焦ってきたが、そうだ、最後にやったところだと思つて行つてみた。
 
 実は昨日雨の中、輕四輪を運転して歸つてきてから普段の停め方とは違う停め方をして、雨のせいでスタックして出られなくなつたのを、今日の夕方、軽トラックで牽引して引つ張り出したのだが、その際、牽引のワイヤーを車に取り付けるために、地面に這いつくばつて作業をした、その際に、ポケットから落ちたのではと思つたのだ。
 
 ドキッとした、牽引の際に、落としたスマホを車で轢いて潰したのでは、それで着信音が聞こえなかったのだろうか。しかし、どこかで小さく着信音が聞こえてきた。軽乗用車の後部の草むらのなかに落ちてゐた、前部だった間違いなく潰してゐた、いやーホッとした。とにかくここのところ急に草が伸びてきた、明日にでも早速草刈りをせねば。


令和 4年 4月26日 (火)

 久しぶりにまとまつた雨が降つた、風も強かつた、南よりの風で気温は高かつた。
 午前中は九州の北端三県を中心に激しい雨が降つてゐて、当地までは雨雲はかからなかつたが、午後に入つてから雨雲が南下してきて、太郎が塾に行くころが一番雨が強かつた。いつもは歩かせるのだが太郎をバス停まで送つた。
 当地では警報は出るほどの雨ではなかつたが、熊本の南部では夜になつて大雨警報などが出されてゐる
  最低気温 15.9℃ (01:44)、最高気温 24.9℃ (11:06)
  本日の雨量 45.2 mm(午後8時現在)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 登校班(5班)のRちゃんが明日を限りに転校することになつた、明朝の天気がわからないので、今朝記念写真を撮つた(プライバシー配慮のため、集合写真の画像を小さくしてある。拡大版に関しては個別対応)

 阿蘇文化調査研究会の役員会を我が家で行つた。今年度の計画を立てた、兒玉会長、家入事務局長と小生の三人である、予定時間をオーバーするほど話が弾んだ。

 来月にはもう太郎の修学旅行があるさうで、カミさんが保護者説明会に出席した。考えてみたら太郎はもう6年生だもんな。今年は武漢肺炎に煩わされること無く無事に行くことができるだらうか。



令和 4年 4月25日 (月)

 見事な釈迦涅槃像が見られた。今日は暑かつた、体感的には夏の気温だった。
  最低気温 14.1℃ (00:40)、最高気温 25.3℃ (13:17)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 朝、霧が出た、結構深くて、子どもたちがすぐ近くまでやつてこないと見えないくらいだつた。

 全国のいくつかの自治体でウクライナ避難民の受け入れをしてゐる、当市はどうなんだろう、簡単なことではないのだろうが、さのやうな声は聞こえてこない。市として受け入れるべきかどうか、小生によくわからないが、当市には空き家がたくさんある、農業国ウクライナと同じやうな農業の地でもある、避難期間がどのくらい長引くのかわからないが、農村地帯は手が足りないと聞く、マッチングがうまくいきさうな気もするが、なにもこれは当市に限つたことではない、今や日本全国殆どの場所が過疎地だから。

 ほとんど一日中、ハチの観察をしてゐた、今日は、と思つたが、今日も空振りだつた。

 今回の知床半島観光船の沈没事故に限らず、「救助」、とは「すくう」「たすける」と云ふ意味だろう。
 「10名が救助されました」そのあとかなり時間が経つて、「全員の死亡が確認されました。」
 「子供一人が救助されました」、しばらくしての続報で、「死亡が確認されました。」
 第一報を見たら、誰でも生きて助かつたと思うだろう、助かつたんだ、良かつたなあ、と思ふだらう、どうしてこのやうな曖昧な表現を使うのだ、医学的に法的にその段階では死亡が確認されてゐないと云ふのは理屈だ、それに、家族の心情を慮つての表現なのだろうが、あんなに冷たい海で長時間波に翻弄されて助かるわけがない、それがわかつてゐてどうして「救助」などと云ふ歯の浮くやうな表現を使うのか、せめて、「収容されました」くらいにしておけばいいだろう。普通の感覚の持ち主ならそれで分かるのだ。当地でも徘徊などで高齢者が行方不明になつた場合、防災無線で捜索依頼の放送が流れるが、結果、生きて見つかつた場合は「無事発見されました」と放送で云ふ、残念ながら死亡してゐた場合は、単に「発見されました」と云ふ、別にさのやうな区別があると知らされてゐる訳では無いが、聞く方ではちやんとさのやうに解釈するのだ。阿吽の呼吸と云ふやつだ。

 似たやうなことで、最近は「心肺停止状態」のオンパレードだ、ほとんどの場合死んでゐるだろう、どうしてかのやうな曖昧な表現を使うのか。生死不明状態で見つかりましただろう。

 寺さんから、スマートウオッチのベルトが切れてこれに合う交換ベルトが手に入らないから、新しいスマートウオッチを買つた。ついては、そちらでベルトを探してあつたら使つたらと送つてきた。この切れたと云ふベルトは、以前こちらから送つたベルトである。じつにややこしいが、そもそも、このスマートウオッチ、最初に寺さんが買つたところ、ベルトを付ける部分が缺けてゐて、クレームで新しい時計を送つてもらつて、返品不要の餘つたその缺けた時計を小生がもらつたのだが、部品が缺けてゐても部品は残つてゐたので、小生が接着剤でくつつけて、ちやんとした形で使つてゐた。ところが、その時計、使つてゐるうちに今度は接着剤でつけた方とは反対側のベルトの付け根部分が壊れて、これは直しやうがないので、お蔵入りにしてゐたところ。そこに今度は寺さんが使つゐた時計のベルトが切れたと云ふので、お蔵入りしてゐた小生の時計のベルト部分を送つてやつたところ、今回またそのベルト切れたと云ふのである。

 小生、ネットで、この時計に合うベルトを探して、無事リニューアルした。のだが、最近は、スマートウオッチでなくて、機械式の昔ながらの腕時計を使つてゐてそれに慣れて仕舞つてゐる。もう仕事をヤメて長くなるので、時計を必要とする生活ではないので、必要なら携帯の時計を見れば濟むからもう腕時計はずつとしてゐなかつたが、スマートウオッチの機能に興味があつて、使つてゐるうちにいつのまにかまた腕時計が離せなくなつてゐる。スマートウオッチの色々な機能は実に面白い、だが、考えてみたら、常時その時計で体調の管理をすることもない。せっかくもらったのだからTPOで使い分けやう。

 最近500円硬貨が新しくなつたらしい、山奥に住んでゐて、しかもキャシュレスで支払う機会も増えたので、新500円硬貨にお目にかかることはまだ無い。都市部では、自動販売機やバス運賃やコインランドリーで台数が多いので設備改修費が高額になるために、新500円硬貨に対応してゐないところが結構あるやうである。
 
 バスの料金箱に新500円は使えませんと、貼り紙がしてある映像があつたが、新500円硬貨しか持ち合わせてゐない場合、乗ることができない、或いは降りることができなくなる。これなんか、やる気さえあれば、運転手が沢山の古い方の500円硬貨を用意してをいて、もし、そのやうなシーンにぶつかつたら、さつと交換してあげれば、簡単に解決がつくことだろう、次々に新500円硬貨の乗客が現れるわけでは無いので、手間なんかどうと云ふことないだろう、要はバス会社のやる気の問題だけだ。

 沢山のコインランドリーの機械が並んだ店のシーンが流れてゐたが、これなんかも、現500円硬貨と新500円硬貨の両替機を一台置いてをけば濟む問題だろう。今でも500円硬貨を100円硬貨に両替してくれる小さな両替機が店内にある、これと同じくらいの小さな機械を一台置けば良いのだ、全部の機械を改修しなくても濟むだろう。さうすれば当面の不便さは解消される。ところで、現500円硬貨と新500円硬貨の両替機などと云ふものは存在するのだろうか、ネットでちよつと調べたが無かつた。「使えません」でなくて、このくらいの両替機作れよ。

 それより腹がたつのは、最近金融機関で、硬貨の預け入れに手数料を取るやうになつたことである。銀行がそれをやつちゃオシマイだろう。いままで散々儲けやがつて、と思ふのは小生だけか。報道やバカテレビ、よく黙つてゐるものだ、ネットでも一向に騒がない、これなんか世の中、反対の声を上げればおそらく銀行はこれ引つ込めたのではと思つてゐる、銀行の本質に関わる問題だから。

 それに銀行、有人カウンターの面積が広すぎてATMの数が少ない、ますます「まちなか銀行」は無用の存在になつた。小生、運用するほどの大金は持つてゐないし、幸いに、借金も無い、だから、銀行なんかつぶれてしまえといつも内心思つてゐる。

 晩飯 豚肉のムニエル



令和 4年 4月24日 (日)

 昨夜、結構雨音が聞こえてゐたが、朝には上がった。雨雲レーダーを見ると7時ころには雨雲は、当地を通過した。その後すっきり晴れるかと思つたが、雨は降らなかつたが、ほとんど晴れることは無かつた。
 最低気温 13.9℃ (01:35)、最高気温 18.3℃ (17:45)
 本日の雨量       32.8 mm
 昨日の降り始めから 39.6 mm

 太郎たち、熊本までテニスレッスンに出かける。

 手遅れにならないうちに、行き来する近場の孟宗を切つた。もうかなり手遅れ気味で、苦労した。地面から上を残して切る分にはまだ軟らかのでノコも簡単に引けて簡単なのだが、そうすると、後から蹴躓くので、地面から切り株を残さないやうに切るのが大変だつた。(写真1写真2写真3
 
 竹の根本はいつたどうなつてゐるのだろう、ほとんどの人は知らないと思ふので、写真を撮つた。竹は縦方向に細かな繊維が走つてゐるが、その繊維一本ごとが根につながつてゐるのではと思われるくらい細かな根がびつしりと生えて地面に伸びてゐる

 今日は竹林の端つこの方だけ主に切つたが、それでも、タケノコの成れの果てが山ほどになつた。 

 午前中は雨で五号基、ハチの動きは全くなかつたが、雨が上がつて昼過ぎには結構な時騒ぎがあつた、それも収まつて、3時半近くになつて、また巣の前が賑やかになつて、上空を結構な数のハチが飛び回り始めたので、分蜂2回めが始まつたか?と思つて見てゐたら、尻すぼみで結局今日は無かった。

 知床半島の観光船沈没事故、こんなに大きくなるとは思つてゐなかつた。大洋の真ん中で沈んだわけでもなし、浸水したといふ無線連絡が入つたので、すぐに救助されるとばかり思つてゐた、陸地に近いと云つても、すぐには救助には行けない遠いところだ。それに自衛隊への救助要請が出されたのがずいぶんと遅かつたやうだ、これは初動ミスになるのだらう。

 知床半島と云へば、もう60年ほど昔になる、学生時代に「カニ族」の貧乏旅行で仲間と北海道を旅行した時に、知床でも泊まつた、丁度あのころ森繁久彌の「知床旅情」が生まれたばかりの頃で、ユースホステルでみんなで歌つて覚えたのだつた。


令和 4年 4月23日 (土)

 曇り、時々、結構の時間、細かな雨が降り、薄暗くて肌寒い一日だつた。
  最適気温 11.7℃ (05:01)、最高気温 16.9℃ (11:10)

 コブシにも裏作などと云ふものがあるのだらうか。我が家の食堂脇のコブシが3月末に数輪花をつけたきり、それで終わつてしまつた。裏の畑のコブシには全く花が咲かなかつた。坂梨さんお宅の前の大きなコブシにもほとんど花が咲かなかつた。

 太郎、昼間の部の塾に行く。

 今日は何もしなかった、こんな日はハチもおヤスミである。
 ああ、さうださうだ、朝、雨が降り始める前に、少し草を刈つたのだつた。今の時期、可憐な野草が沢山生えてゐるのでなるべく刈りたくは無いのだが、そろそろそれらに混じつて強靭で背丈がある草が生えだすので、野草を犠牲にすることになつた。

 朝、通つてみると、豆札川のカルバート工事、川床に生コンを打つてゐた。コンクリートポンプ車でどんどん流し込んでゐたので、多分夕方には打ち終わつたのではないだろうか、これを見ても、カルバートを遠くから運び込まなくても、現場で打つたはうが、早くて安くできると思ふのだがなあ。
(写真1写真2写真3
 
令和 4年 4月22日 (金)

 快晴。本当にいい天気だつた。山が笑つてゐる
  最低気温 12.2℃ (05:52)、最高気温 21.4℃ (14:47)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 今日は三四年生の自転車点検日だつた。

 カミさんが休暇をとつたので、今日は休日だと勘違いをしてゐた、今日は太郎の家庭訪問があつた。家庭訪問と云ふと、先生がこどもの家を訪ねてくるものだが、昨今は、武漢肺炎のこともあるし、迎える側の準備が大変だと云ふこともあるのだろうか、教育相談と云ふ名目で保護者が学校を訪ねて先生と面談する方法も採られてゐる。勿論従来方式の家庭訪問もある、希望により選択である。我が家は今年は、カミさんが学校を訪ねて先生と面談してきた。

 お寺の二回目の分蜂があつた、一昨日に最初の分蜂があつたばかりなのにいやいや早い、驚いた。同じ日に分蜂があつた我が家は今日は音無しだつた。最初の取り込みで失敗したので、隙間があった巣箱の天井を塞いで、二段の箱もしつかりと連結してあつた。今日は長い網に落とし込んで、袋の上の方から巣箱に導く方法を採つたが非常にスムースだった。小生も以前からこの方法は良いと思つてゐたが、箱を置く架台と長い網などの道具立てがちょつと必要なので、機会があつたら今度試してみたい。前回逃げられたので、今日は取り込んだ後も逃げ出さないやうに細心の注意で経過観察ちゅうだと云ふことだつた。

 追加の木材を買つてきて、巣箱の制作の続きをやつた。写真1写真2

 もうどのくらい前になるだろうか、厚労省が余つたマスクを希望者に無償配布をする事になつた。武漢ウイルスの蔓延で、世界的にマスクが不足するなかで、なりふり構わずかき集めたマスクが結果的に大量に餘つた。事前に計算なんかできないものだから、これはやむを得ないことだらう。最終的に焼却処分と云ふ話もあつたが、希望者に無償で配布することになつた。これに対して、送料が何億円もかかるなどとR4など一部国会議員がケチをつけた。小生、貰い手がないと国も困るだろうと云ふ義侠心もあつて、申し込んだところ、全国で在庫マスクの量を遥かに上回る希望者が出たと云ふ。

 そのマスクが今日届いた、100枚入りの箱が届いた、CHINA製だ。申し込んだのが100枚だつたかどうだつたか忘れたが、タダだからと云つて欲張らずに沢山申し込まずに、確か最小単位が100枚だつたと思ふがもう忘れた。

 物を送れば送料が発生するのは当たり前だ。その送料はちやんと運送業者の手にわたり、金は天下のまわりもの、それが世の中に還元されていくのだ。今日届けてくれた、山内さん(我が家にいつもやつてくる運送屋さんなのだが)の収入になるのだ、別に特定の個人が着服するわけではない。反対のための反対で空転する国会審議(国会の一日あたりの費用は3億円だぞ)やR4のやうな〇〇な国会議員に払う歳費などよりよほど意義のあるコストだ。(立体マスクを申し込んだが不織布のほうが良かったかな。)


令和 4年 4月21日 (木)

 予報ではもう少し遅くなつてからだと云つてゐたと思ふが、登校見守りが終わる頃からぽつりぽつりと降り始めた、ハチも第一回目の分蜂が終わうたことだし、天候を気にする必要もないので、気分穏やかで居られた。その雨も、三時半ころには上がつた。
 少し肌寒かつたからストーブを焚いた。これは冬の服装なら火は要らないのだが、もう薄着になつてゐるので、ストーブがあるとホッとするのである。
 最高気温 14.9℃ (08:23)、最低気温 9.3℃ (01:31)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4

 昨夜の寄り合いが終わつて帰る時にTさんが、孟宗が欲しい、とのことだつたので、どうぞ好きなだけお持ちくださいと話したところ、今朝、早速雨にならないうちにと掘りに見えた。小生、ここのところ分蜂の方に気を取られてゐて、伸び切つたタケノコ、早く切らないとそろそろ手に負えなくなる段階に来てをり、まだどんどん生えてきてゐるので、掘りにきてもらえると本当に助かる。
 知り合いにも好きな人がゐて分けて上げたいからと数本掘つて行かれた。まだまだ出てくるのでいつでもおいでくださいと云つてをいた。

 そのハチの分蜂だが、全くの個人的な印象だが、分蜂のタイプにも二通りあるやうな気がする。今回のお寺の分蜂、それから我が家の5号基の分蜂、それぞれ第一回目の分蜂だが、ハチは分蜂をするにあたつて、事前に十分に分蜂先の調査をして、そこを新しい巣にすることに決めてゐる、そんな状態で、分蜂群を強制的に取り込むとどうしても逃げられる確率が高くなるのではと思ふ。
 
 昨日、5号基の分蜂群が空き家になつた2号基に自然入居するにあたつては相当前から先遣隊を出して事前準備をしてゐたことがわかった。
 一つの巣から続けて二度三度と分蜂することがよくあるが、二度目三度目ともなると、結構その間隔が短いので、あまり十分な事前調査がされてをらず、從つて、移動先にそれほどの執着心は無いので比較的に強制収容に応ずるのではと想像する。
 
 時々、信号機だとか電信柱だとかとんでもない場所に蜂球ができて、ずいぶん長時間移動しない状態が続くことがあるが、これなど、おそらく移住先が決まらないうちに分蜂してしまつたのではと想像する、だから、このやうな群を収容すると、これは比較的スムースに巣に落ち着いてくれるのでは無いだろうか。
 いずれにしても、分蜂群を収容する場合は、逃走防止のバリケード設置はやつたはうが良いと思ふ。昔、そのやうにして、繰り返し逃亡をくりかえすので、そのたび、捕まえて巣に戻したが、最後には、バリケードを作つたところ、女王蜂がそのバリケードを通り抜けられず、途中で動けなくなつて瀕死状態になつてゐるところを偶然見つけて、巣の中に戻してやつたことがある、このときは、幸いに女王蜂は回復して、そのまま巣に住み続けてくれることになつた。あれは何年ほど前だつたろう。

 雨の当たらない玄関先のデッキでミツバチの巣の重箱作りの続きをした。巣箱の一番下の部分で、扉を付けて、巣の中を覗くやうになつてゐる部分である。とりあえず開閉できるやうに、見てくれ関係なく簡単に丁番を取り付ける方法もあるが、時には丁寧に、本来の取り付け方で作ることもある、二組作つた。手持ちの木材が無いので、また買い足して、もう少し作る予定である。(写真1写真2

 豆札川のカルバート設置工事、メイン工事が終わつて大型クレーンなども撤収して、しばらく静かなやうだつたが、今日通つてみたところ、カルバートの川床部分にコンクリートを打つ準備がされてゐた、この部分を現場で打つのなら、最初から全部現場打ちのはうが、コストが安くて濟みさうなものだが、実際はそうでないのだろう。(写真1写真2

 Facebookといふ会社、いい加減な会社である。ここ二三日、かのやうな記事が載つてゐた、へえ、東急東横店閉店するのかと思つて調べたら、同じ3月でももう2年前の3月に閉店してゐた、小生、そんなことも知らなかつたのだが、その閉店セールで売れ残つた腕時計を超安値で売ると云ふ。二年も経つてはゐるが此処までは別に不思議ではない。ところが、商品のページに行つてみると、これがまた常識ハズレの超安値、ここで普通の頭ならこれは詐欺だなと気がつくはずだが、世の中、こんな馬鹿な話に飛びつく強欲がゐると見える。こんな人間は自業自得、どんどん騙されるがいい、救済してやる必要なんか全く無いのだが、それでも、人はこの記事の掲載会社を信用して騙される部分が大いにある、以前にも別の商品であつた、このFacebokといふ会社はそんなこともチェックしないのか、もともとロクでもない会社だとは思つてゐるが。


令和 4年 4月20日 (水)

 快晴
  最低気温 3.8℃ (05:55)、最高気温 23.3℃ (15:47)

 もうレンゲソウの種は撒いてゐないが、ところどころ、昔の種が残つてゐるやうで、可憐な花が咲いてゐる

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 今日は五六年生の自転車点検日で、自転車に乗る子は自転車を押して登校して行つた。学校で安全点検や運転技量を判定してもらって、自転車に乗る許可が降りる。学年によつて自転車での行動半径が決められてゐる。

 蜂の巣箱の重箱の製作の続きをした(写真1写真2)。工作をしながら、四方に目を配り、ハチの動きに変化はないかと気をつけた。5号基、今日は普段より静かだなあ、もしかしたら、知らないうちに分蜂したのかと心配になるほどだった。
 
 ところがところが・・・昼前に、飯にする前に、一応巣箱のところに行つてみたところ、今まさに巣箱から湧くやうにぞろぞろハチが出てき始めてゐた、始まったのだ。そして小生が設置した蜂球板に蜂球を作つた。
 
 小生、昔、ハチを飼い始めたころ、分蜂のときは最高に興奮緊張したものだが、近年、優しく取り込む方法を知つてからは全く緊張することもなく、平常心で取り込みをするやうになつた。一般的に、蜂球の下にごみ袋様のものをあてがつて、一気に蜂球を袋の中に落として、袋の口を塞ぎ、空の巣箱を逆さまにして置いて、袋の中のハチの群を一気にドサッと落とし込んで、すぐに蓋をする。これは結構、ハチにストレスを与える。小生のやり方は蜂球を下から掬うやうにして両手で受けてそつと巣箱の下の入口の所に置く。そうすると、ハチは箱の暗い上の方へ大部分がゴソゴソと這い上がっていく。一部はワンワン周囲を飛び回るが、女王蜂が掬つて移した塊の中に居れば、外を飛び回つてゐるハチも自然に潮が引くやうにどんどんと巣箱尾中に入つていく、今日は二掬いほどで大部分のハチの収容が終わつた。今日はカメラマンがゐなかつたので、取り込みの写真は撮れなかつた。
写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7
 
 簡単なものである。しかし、人間から見ると、上手く入つてくれたと一安心だが、ハチの立場からすると、それは違うのである。せつかく新天地に向かつて翔び立つ準備で蜂球を作つたのに、強制的に、巣箱の中に移動させられただけで、たまたまそこが気に入ればそれで収まるのだが、さうでなければ、当初の計画通り、また飛んで行くことが結構あるのである。だから逃げ出さないやうに、巣箱の出入り口を働き蜂が通過できるくらいギリギリ狭くして、働きバチより一回り大きな女王蜂が通過できないようにしてやる。ミツバチ世界は女王蜂がゐないと成立しないので、女王蜂が出られなければ移動を諦めて、強制的に移された巣箱を、住まいとして生活をするやうになる。普通、巣門の高さは6mmくらいだが、4mmだと働き蜂はギリギリ通ることができるが女王バチは通れないので一時的にこの高さの関所をつくってやると良い。

 それを知つてゐるから、取り込んだと云つて安心はできないので、何度も様子を見に行つた。そして、その不安が的中したのだ。

 そのことを書く前に、和尚のところの蜂のことを書く。小生の分蜂取り込み作業が一段落して、巣箱の制作をしてゐる所に、和尚から、電話で、外出から戻つたら、お寺の蜂が蜂球を作つてゐると云ふ。お寺も今日分蜂したのだ。

 どうするつもりか訊いたところ、隣に空き巣箱が置いてあるので自然入居をすると思つて見てゐる、と云ふ。おそらくすぐ近く巣箱には自然入居しないと思う、そのままにしてゐたら、どこか、分蜂先に飛んで行つてしまふと思ふ、小生が取り込みませうか?と訊いたら、頼む、と云ふことになつたので、出かけて取り込み作業を開始した
 
 ところが、和尚の巣箱は、小生方式の巣箱と違つて、天井部分に隙間があつて、そこから蜂が自由に出入りできるやうになつてゐる。取り込んだ時には、ぞろぞろ、箱の下の方から上の方へ這い上がつて行くのだが、天井の隙間からどんどん外に飛び出して行く。
 
 結局、全部外に出てワンワンと乱舞してゐる、そのうちに、またどこかに集まつて蜂球を作るだろうと思つて見てゐると、その乱舞群はどんどん裏山の方へ移動して行く。和尚が蜂球を発見したときは、蜂球ができて大分時間が経過して、もう、飛び去る寸前だつたのかもしれない。当初の移動先のを目指して、一旦蜂球を作ることもせずに、一斉に新しい移動先目指して飛び去つたやうである。

 天然自然流の巣箱の構造を踏襲するか、飼育用の巣箱の構造にするか、どちらからにしなければならない。
 
 お寺のハチの取り込み失敗から家に戻つて、我が家の取り込んだ巣箱をのところに行つてみたところ、午後三時半頃だつたらうか、昼間取り込んだ巣箱から沢山の蜂が出てきて乱舞を始めてゐた。なんだ我が家のハチもか、と思つて、どこかに蜂球を作るだろう、そうしたら、また、強制捕獲だと思つて見てゐたら、こちらも、お寺のハチと同じで、乱舞しながら少しずつ移動してゐる。

 どこへ行くのだろうと、後を追うと、なんとなんと、2号基のところに集まり始めた。此処のところ、一旦消滅した2号基にハチが姿を現して、このはちが、残存兵なのか、他所から來た探索蜂なのか、今ひとつ分からなかったが、結局、5号基からの探索バチだったやうで、分蜂でハチが巣からゾロゾロ出てくるシーンは何度も見てゐるが、自然入居で外からやつてきて巣箱にわんさかと集まるシーンを見るのは今回が初めてである。
 
 なんだ、なんだ、どこか外からやってきた探索蜂かと思つたら我が家のハチだつたのか。それでもお寺のハチのやうにどこか遠くに飛んで行くのでなく、屋敷内の巣箱に入つてくれたから良しとするか。なんだか、得をしたのか損をしたのかよくわからない。
写真1写真2写真3
 
 今日、2号基のハチが探索バチだつたと云ふことは、今同時に1号基で騷いでゐるハチたちも、これも探索蜂といふことだろう、まだ騒いでゐるから同じ群の探索蜂では無い、これは外からやつてくるのだろうと期待したい。
 
 
 夜、豆札の集会場で国交省のトンネル掘削土砂の豆札採石場跡地への運搬について日程などの説明があつた。そもそも、今回のトンネル掘削から出る土は箱石方面の採石場跡地に運ぶことになつてゐて、そのために、馬場集落の道路を通らないで濟むやう、わざわざ田んぼの中に工事用の道路まで作つたのに、いまごろどうしてうちの村の狭い道路を通つて当初の計画に無かつた別の場所に運ぶことになつたのだろうか、それに、ダンプの往来に関して坂梨公民館前の某家の注文が工期に遅れが出るほど異常に厳しくて、またそばで見てゐて、そこまで手厚くすてやるのと云ふくらい、気を使つてゐるのに、我が村を通ることに関しては、そのやうな気遣いは全く見られないのはどうしてだ。集会で質問しやうかとも思つたが、まあ、みなさんが不思議に思わないのなら別にいいやと敢えて質問をすることはしなかつた。



令和 4年 4月19日 (火) 
 
 快晴
  最低気温 5.0℃ (06:04)、最高気温 21.4℃ (14:35)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 1、2号基、確実に蜂の数が増えてゐる、どうも分からない、残存兵なのか探索バチのチームなのか。残存兵ならヒエラルキーはまだ存在してゐるのか、女王はゐるのか。
 
 それとは別にベランダの未整備の箱に昨日くらいまでは一匹だつたが盛んに出入りをして、箱の回りを飛び回ってゐた、探索蜂である、それが今日になつて、数匹に増えてゐる、移動先の有力候補に昇格したらしい。この箱、いずれ整備しやうと、ただ、空き箱を重ねてあるだけで固定もしてゐない、採蜜した後の巣の欠片がこびりついてゐる重箱や、巣落ち防止の棧が折れたままになつてゐる重箱が積んであるのだ。巣の欠片がこびりついてゐると云ふことは蜜蝋を塗つった状態と同じだから、蜂が入り込んで巣として適してゐるかどうか検分をしてゐるのかもしれない。
 
 もし、都合よく自然入居してくれたら、しばらく様子をみて、適当な場所に箱を移動させることになるが、なんとか入つてくれることを願つてゐる。
 
 今年は巣の消滅などもあつて、どうも気合が入らずに、新しく重箱を作る気も失くしてゐたが、ここにきて急に騒々しくなつてきて、もしかしたら、いい方向に予想が外れでもしてくれたら、巣箱が足りなくなることもありうる。といふことで、急遽「縄綯い」を始めて、重箱の材料の木材を切り分けた、急いで組み立てないと・・・

 肝心の5号基、今日も動かず。

 今日もまた何度もスズメバチがやつてきた、そのたびに捕らずに追つ払うのだが、面倒になつたので、トラップを一個だけ作つてぶら下げた。別に強制捕獲をするわけでもなし、一旦入つても、別に出口を塞いでゐるわけでもなし、それで出られなくなるのは、これは自己責任だから、とすることにした。ミツバチの総数とスズメバチが捕食する数、比べたら全く問題のないほどの数だから基本、放つてをいて良いのだが、今、数が少ない1、2号基だと困るのだ、どうせなら5号基に行つてくれたら良いものを。

 「夢更」などと云ふ言葉があるなんて全く知らなかつた。ユメサラ・・和文のヒアリングで、このやうに取れるので、取り間違えかと思つて調べたら、こんな言葉があつた、今どきの流行り言葉かと思つたら広辞苑に載つてゐた、もつとも最近は広辞苑も今の世の中に迎合して、流行り言葉まで収録するやうになつたので、念のために我が家の第一版の広辞苑で調べてみたところ、ちゃんと載つてゐた由緒正しき日本語だつた。知らないことが多すぎる。

令和 4年 4月18日 (月)

 曇り、穏やかな一日。
  最低気温 4.9℃ (05:37)、最高気温 19.3℃ (13:28)
 
 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 今日からまた太郎たち6年生、平常授業に戻つた。
 
 jtq@yokohamaのシジュウカラ、卵、8個か9個くらいか。

 午前中、パソコン二三台、抱えて、山下OM御入来。一台は少し動きがオカシイから診てくれ、他の二台はノートで動くかどうかチェックを頼むと云ふことだつた。OMは真空管の達人でラジオも無線機も真空管に精通しておいでだ。ついでに、パソコンもクラッシックで、デスクトップがXPでノートPC二台はVistaだつた。ご家族は新しいOSのパソコンをお使いのやうだが、ご家族の買い替えで古いPCが回つてくるらしい。氏は基本的にPCはあまり使うこともなく、インターネットはやらないのでOSが古くても普段は特に困らないらしいが、時々、Xさん(無線用語で奥さんのことをXYLと云ふが、それを縮めて、ウチのXなどといふ云い方をする、エックスと読むのだが、人によつてはウチのバッテンがと云ふ)の大正琴の音源のコピーを頼まれてコピーするくらいだ。Xさんは大正琴のおつ師匠さんで、楽器が楽器なだけに、いまだにフロッピーを媒体に使うらしい)。XPのデスクトップPCが起動がスムースにいかないので、BIOSまで戻つて、チェックして、多分、これだろうと思ふところを直して、復旧した。ノート二台は異常なしだつた。

 今日、2号基をみるとハチが数匹出入りをしてゐる、空き家を見つけた探索蜂だろうか、驚いた事に数メートル離れたところにある1号基にも数匹が飛び回つてゐる。もう2週間くらい全く姿が無かつた所に突然の出現したのだ。
 
 どう考えても今までの残存兵では無いと思ふ、動きが全然違ふ、消滅判定をするまでのハチの動きは、目的を失くしてただ漫然と生きてゐる風だつたが、今日のハチたちは動きも早く、巣の内外を懸命にチェックしてゐる風にみえる。

 もし、残存兵だとしたら、いくらでも暖かい日があつたのに二週間近く全く姿を見せなかつたのは何故だ、もし、この間に卵が孵つて大きくなつたと云ふのなら、その間の世話はどのハチがしたのだ。群の存続でそのくらいの少数で次代を繋ぐことは出來ないだろう。

 知識も知見も無いが、これは居抜きの巣に外から移動してこようと云ふ群の先遣隊ではないだろうかと思ふのである、それも同じ頃消滅した巣に、同じ日に同じ現象が起きてゐる、一つの探索蜂チームが2つの巣を行ったり来たりしてゐるのかと思つてよく見たが、別々のチームである。
 では、一つの群からやってきた2チームの探索バチなのか、あるいは、それぞれ別の群の探索蜂なのか・・・それからベランダに、まだ中が汚いまま置いてある未整備の箱に探索蜂が出入りをしてゐる、北坂梨方面に置いてある自然養蜂の渡辺名人の箱にも自然入居で入つたさうだ、分蜂の最盛期をむかえつつある。我が5号基は今日も動きが無かつた。

 もう、スズメバチが出てきた。数匹のミツバチが出入りしてゐる2号基で狙つてゐたので、網が無かつたので帽子で叩き落さうかとしたら危険を察知して逃げていつた。逃げてくれて内心ホッとした。今のスズメバチは女王蜂で厳しい冬をようやく越して活動を開始したばかりなのに、ここで手に掛けてしまふは如何にも忍びない、どこか見えないところでやつてくれと思つた。


令和 4年 4月17日 (日)

 今日も朝の気温が低く、反転、日中は湿度も低く爽やかな気持ちのいい一日だつた。
  最低気温 2.4℃ (06:23)、最高気温 21.4℃ (14:28)

 前の畑の和シャクが見頃になつてきた(写真1写真2
 裏の畑の洋シャクも見頃になつてきた(写真1写真2

 太郎、午前中、熊本までテニスレッスンに行く。

 午後から母の十三回忌の法要をした。法要と云つても、家族だけでお経をあげてもらつただけだが、次の回忌は三十三忌になるやうで、だいたいこのときが最後の年忌法要「弔い上げ」になるらしいが、20年先、小生、生きてゐるわけがなく、小生自身が何回目かの年忌法要を受ける立場かもしれないので、実質、今日の十三回忌を以つて母の弔い上げとした。
 
 本当の命日は14日だつたが、お経だけと云つても、小生だけでは少し寂しいので、家族が休みの今日に繰り下げたのである。

 円通寺の智道和尚は小生のハチ仲間でもある、いつ分蜂が始まつてもおかしく無い時期に来てゐるので、もしお経の途中に分蜂が始まつたら、小生、法事おつぽり投げて出ますからと事前に断つてをいた、和尚も、拙僧も読経やめてハチの所に行きます、とは云わなかつたが、了解!とのことであつた。

 いつもお盆のときなどはお経だけだが、今日は「焼香」があつたのだが、太郎のやつ、全く初めてのことで、キョトンとして、母親の手ほどきで焼香をしてゐた。(写真1写真2写真3

 母の命日、我が家では「とんかつ忌」と云つてゐる。母はとんかつが好きで、生前、私が死んだらとんかつを供えてくれといつも冗談交じりに云つてゐたので、命日の日には小生が、とんかつを揚げてポテトサラダを作るのである。 
 
 結局今日の分蜂は無かつた、明日かな。朝、数匹の雄蜂が死んでゐた、同時に巣蓋もたくさん落ちてゐた

 夕方近くE鴨氏がボール盤を使わせてくれとやつてきて、軽トラの幌の金具のボルトに小さな穴を開けて歸つていつた。今トマトの定植の最盛期らしい、忙し然うだつた。

 今日のネットの記事にも、ウクライナ戦争と日本海海戦の話が載つてゐた。
この中に、「東郷平八郎が発した「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」は、旗艦「三笠」から大本営あてにその火花式無線機で送信した電文なのである。」と云ふ下りがあるが、これは間違いである。
 三笠から大本営に直接無線電信は送つてゐない、このことは過去の日記に何度か書いてゐる。筆者宛にメールで間違いを指摘しやうかとも思つたが、この記事のコメント欄を見るとこのことには直接触れてゐないが結構ツッコミの投稿があつたので、小生もここに投稿しやうかとも思つたが、そこまですることもないだろうと思つてやめた。
 昨日の別の記事にもさうだが、今回のウクライナ戦争で、続けて日本海海戦がでてくるとは思つてもみなかつた。


令和 4年 4月16日 (土)

 快晴
  最低気温 4.6℃ (05:13)、最高気温 18.8℃ (14:54)

 午前10時、防災無線のサイレンに合わせて熊本地震犠牲者追悼の黙祷をした。
 毎年、10年前(2012.7)の九州北部豪雨災害の追悼黙祷は、土砂災害で組内でも犠牲者が出た裏山に向かつて黙祷をする、今日、熊本地震の時の黙祷は、ハテ、どちらに向かつて黙祷をすれば良いのだろう、毎年どうしてゐただろう、覚えてゐないから西方に向かつて黙祷した、阿蘇山が在り、地震の被害が大きかつた立野や西原村も西方向だ、ウクライナも西の方角だ、今年は西に向かつて黙祷をした。

 そのウクライナ戦争、ロシア黒海艦隊旗艦の巡洋艦「モスクワ」が撃沈されたらしい。旗艦と云へば空母か戦艦だろうが、ロシアには空母は無いだろう、現代は戦艦の時代では無い、だから、旗艦となるのは巡洋艦なんだろう。でもそんなに簡単にやられるのか。

 日本海海戦のバルチック艦隊の旗艦は確か「スワロフ」だつたな。[ホレ]
 
 日本の→乃木さんが→凱旋す→すずめ→めじろ→ロシヤ→野蛮国→ク(省略)→キ(諸略)→ま(省略)→ぼ(省略)→シベリア鉄道長けれど→土瓶の口から吐き出せば→バルチク艦隊全滅す→すずめ→めじろ→ロシヤ→野蛮国・・・と云ふしりとり歌が昔あつた。[ホレ]

 jtq@yokohamのシジュウカラ、まだ抱卵に入つてゐないので巣に居る時が少なくてなかなかお目にかかれない、逃げたのではと心配してゐたがしばらくぶりに姿を見てホッとした。それに今年は巣の材料に藁類だけでなく、なんだろう、羽毛類だろうか白つぽいものを沢山使つてゐるので卵が判別できない、何個生んでゐるのだろうか。

 今日は結局、ほとんどハチの監視で終わつた。5号基はもういつでもOKなのだが、今日は分蜂には少し気温が低めだつたと言へないことは無いが、こうなると、あとはタイミングの問題だろう。今朝結構気温が低かつたからか、巣の出入り口のところで数匹ハチが死んでゐた、みたところオスばかりだつたやうだ、オスは大体においてだらしがない。

 小生、今日は、5号基よりも、群が消滅した1・2号基の前に椅子をおいて、自然入居の探索蜂が現れないかと日向ぼつこをしながら過ごした。一朶の雲も無い青空だつたが、空気が少し冷たくて、セーターの上に作業着を来て座つてゐても全く暑くなかつた。
 
 1号基、時々、ほんの時々、ハチが出入りをしてゐる、探索蜂なのか、消滅した群の最後の生き残りが細々と余命をつないでゐるのかわからない。一匹だけなのか、複数匹なのか、同時に現れないので、これも分からない。今日は天気が良いのに、周囲、ハチの姿をほとんど見ない、まだ、これからなのだろうか。

 太郎の塾は学校が再開されるまで休みになるので今日も休みだつた。

 阿蘇保健所管内でクラスター発生の医療機関で名前が非公表のところがある、公的機関、しかも医療機関なのにどうして名前が非公表なのか、それで濟むのかよくわからないが、もう2週間ほど、新規発生がないにもかかわらずずつとクラスター収束にならないできてゐたところ、今日また新たに3名の感染者が出たとある、一体どういふ感染対策をしてゐるのだろうか、90名も、医療機関なんだろうに。


令和 4年 4月15日 (金)

 曇り、ちよつと気温が低めだつた、雨後の筍とはよく云つたものだ、一目20本だな、よりによって今年は豊作だと云ふのに・・・・観光タケノコ園やればよかつた。
 最低気温 11.1℃ (但し18:43時点、降下中)、最高気温 17.5℃ (12:10)

 阿蘇山(中岳)の噴火警戒レベルが1になつた。基本的には火口の縁に立つて火口の中を覗くことができるのだが、長い間の噴火活動で火山灰などが積もつてゐて歩ける状態では無いらしくて、当分は近くまでは行けないやうである。
 この噴火警戒レベル1と云ふのはお役所言葉で「活火山であることに留意」ださうで、これは現在は何も起きてゐないけど、とにかく活火山なんだからいつなんどき噴火するかわからないよ、気をつけたはうがいいよ、といふことである。

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 6年生は今日はオンライン授業で、太郎も朝から午後3時ころまでタブレットに向つて授業を受けてゐた。

 今の文化庁長官が都倉俊一氏と云ふことを初めて知つた。ラジオから聞いたので、同姓同名の別人だろうと思つてネットで確認して、やはりあの作曲家の都倉俊一氏だつた、いつなつたのだらう、どのくらいの人が知つてゐるだらうか、小生が知つてゐる文化庁長官は三浦朱門くらいだ、調べたら今の長官で23代目なんださうだ。


令和 4年 4月14日 (木)

 今日四月十四日は母の命日である、実は今年が十三回忌なのだが、小生はてつきり来年がさうだと思い込んでゐた。去年の日記にもさう書いてゐる。太郎の誕生年と母の命日と同じ年だから、太郎の年齢をもとに勘定すれば良いことになる。と云いながらあまり自信が無いが太郎は現在滿11歳だから回忌で云ふと12回忌だから13回忌は来年のハズだなあと思つてゐたのだが、太郎の誕生月は7月で母の命日は4月なので計算するのであれば、太郎が誕生日を迎えた年齢で計算すべきだつたのに、母の命日の4月時点の太郎の満年齢で計算してゐたので、一年間違つてゐたことにやうやく数日前に気がついた。来年でなくて今年が13回忌だつた。

 十三回忌だからといつても、特に世間で行われる「法事」はしないが、お寺さんにお経をあげていただくことにして、カミさんや太郎が休みの今度の日曜日に回向をすることにして、円通寺の智道和尚にその旨お願いをしてをいた。そして、その日に「とんかつ」を揚げて、お仏壇に供えるつもりでゐる。母の命日を「とんかつ忌」と云つてゐる。母はとんかつが好物で、私が死んだら命日にはとんかつを供えてくれといつも冗談で云つてゐた、だから毎年、この日には小生がとんかつを揚げることにしてゐる。

 昨夜(と云つても、記録では日付が替つてからだが)降つた雨、朝には上がつて、日中も降らなかつたやうな記憶である、九州北部の長崎、佐賀、福岡三県には結構強い雨が降り続いてゐたやうだが、ここ九州中部(だぞ、気象庁)には雨雲はあまりかからなかつた。
  最低気温 14.7℃ (05:37)、最高気温 17.6℃ (13:09)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 登校途中の一年坊主に初めての給食なんだつた?と訊いたら「カレー!」と云ふ答えが返つてきた。昨日のネットニュースに新学期の最初の給食はカレーが多いとあつたから、訊いてみたのだ、やはり当市も然うだつた、(当市と書いたのは、市の給食センターで作るので、全市の小中学校の児童生徒たちは毎日同じメニューの給食を食べるのだ)、カレーはまさに国民食だ、誰でもが好きな食べ物なんだろう。ただ、小生の大昔の、小学生の頃だつたろう、家庭科の時間でカレーを作つたことがあつたが、その時に一人の女の子が、カレーは嫌いだと云つて作る段階から泣いてゐたことを今でも強烈な記憶として残つてゐる、まさか世の中、カレーの嫌いな子がゐるなんて、と先生も困つたことだろう。このカレーに使う肉、おおまかに、関東と関西では違うやうで、関東は豚肉、関西は牛肉が多いさうだ、肉ジャガなども然うらしい、小生は昔から牛肉で育つたので、豚肉で、と言ふのは違和感がある。

 太郎、午後から急遽、休校になり歸つてきた、明日はオンライン授業ださうだ、最近はオンライン授業が普及してきて、学校に行かなくても最低限の授業ができるので便利な世の中になつた。

 学校が休校になると塾も連動して休校になるやうだ、だから本日と明日の塾は休みである。 

 裏の畑の洋シャクナゲと表の畑の和シャクナゲが咲き始めた。家の向かい側の山桜は終わりかけである
 豆札川のカルバートの設置工事は終わつたやうで大型クレーンなど撤収が終わつてゐた、この次は何をするのだろうか、埋戻しだろうか。

 昨日水曜日、カレーにしかなつたので、本日の我が家の夕食もカレー。


令和 4年 4月13日 (水)

 今日は天気が下り坂、夜には雨になると云ふ、朝から雲が多くて何時降り始めても不思議では無い空模様、人間は雨雲レーダーを見ると、ああ、まだ大丈夫だなと分かるがハチはどうなんだろう、そのあたりの機微、人間よりは優れてゐるかもしれないが、今日は分蜂に適してゐるかどうか、どう判断したのだろう、まあ、今日は無いだろうと思つてゐたがそれでも気になつて何度か巣箱の方へ行つてまいた。
 最低気温 12.4℃ (05:14)、最高気温 22.9℃ (14:14)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 太郎の塾、水曜日はいつもより下校が早いので、宮地駅のバス停まで歩いてバスで行つた。

 パナソニックのネットワークカメラの、ACアダプターのプラグの型は大体「EIAJ4」といふ規格が多い。センターピンがあるやつだ。
 それから、ソーラーパネル経由で給電するとなると、ACアダプターは要らないからEIAJ4のプラグにケーブルを付けたやつを作らなければならない。このケーブルも大体ACアダプターに使われるものは、調べるとUL2468 AWG18と云ふ規格のケーブルが多いらしい。ケーブルはまあそれでなくても適当に見繕えば濟むがプラグは適当ではだめなので、これを別途入手しなければならい。通販で買うから三四日かかる、ちよつとしたことでも結構時間がかかる。

 今日は何もしなかったなあ。


令和 4年 4月12日 (火)

 晴れ。今日は暑いくらいの天気だつた。
  最低気温 12.7℃ (05:58)、最高気温 23.3℃ (15:38)

 今日から全学年揃つての登校班だ、新一年生も坂梨校区は三人だと思ふが上級生に守られるやうにして元気に登校して行つた。
 一方で、先日まで登校班で歩いてゐた新一年の中学坊主、嬢やたち、真新しい制服に身を包み、普段は乗り慣れてゐる自転車も通学で乗るのはまた別なのだろうか、初々しくも「たどたどしく」ペダルを踏んで通過して行つた。小学生が歩くくらいの距離なのに、中学生になつたら自転車と云ふのも考えてみたら妙と云えば妙である。
 
 定点撮影  登校見守り連続写真12枚

 一気に春が進んで、梅の木も小さな実をつけてゐる、グミの花も満開だ、エゴの木が一気に緑を增してきた、足元には沢山の野草が咲いてゐる、まだ刈払機で刈るには少し可哀想だ。タケノコもどんどん伸びてゐる、まだ食べらる間は誰かが来るかもしれないので、そのままだ、近々手に負えなくなる前に切り倒さなければなるまい。(写真1写真2

 ハチの分蜂、もういつでもOKの様子、しばらくは目を離せない、見てゐると、すぐにでも分蜂しさうな雰囲気で、出入り口の左半分は残留組がせつせと蜜や花粉を運ぶために出入りをしてゐる、右半分はいつでも出発できるやう甲板で発艦の合図を待つてゐるかのやうにも見える。今日のやうに、雨上がりの風のない、モヤッとして草いきれや花いきれの時、絶好のチャンスだと思ふが今日は分蜂は無かつた、また雨が来るぞ。(写真1写真2

 豆札川野カルバート設置工事、今朝通りがかりに見たところ、昨日で全部設置済みのやうだつた。ところが、家に歸って二階から見ると、またトレーラーがブロックを運んで来てゐる、あれ、終わつたのではと思つて夕方、通つてみたところ、一番向こう側にもう一組残ってゐたやうだ、これで、終わりだろう。


令和 4年 4月11日 (月)

 今日、北や東の方は天気が良くて暑かつたやうだが、当地は午前中から曇つてをり、昼ころから雨になつた、数字上はそれほどの気温でも無いのに春の雨と云ふには少し肌寒かつた。我が家のソメイヨシノは終わつたが道を挟んである山桜は今が満開のやうだ
  最低気温 7.2℃ (05:03)、最高気温 18.8℃ (10:43)
 jtq@yokohamaのシジュウカラの巣、卵を3個産んでゐた。

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 本日、小(中)学校の入学式、二年生から五年生は休み、新一年生は式典開始時間が遅いので6年生だけの定時登校、6年生だけだと今日の登校見守りは手持ち無沙汰だな、と思つてゐたら、坂梨校区の今年の6年生の人数、結構ゐた、確かにそうだな。明日の朝から全員登校になる。

 太郎、給食無しで昼過ぎには歸つてきた。登校した六年生は入学式は教室でオンライン参加だつたさうだ、今年の一の宮小学校、一年生は総勢で60余名ださうだ、年々減つてゐるのだろう、阿蘇市、2005年の平成大合併で誕生、当時30,000人居た人口も今は確か25,000人を割つてゐる。


令和 4年 4月10日 (日)

 とうとう夏日。
  最低気温 5.6℃ (07:04)、最高気温 25.2℃ (14:57)

 台風1,2号発生

 太郎、熊本までテニススクールに行く。

 今朝、GMO iClusta またもや不通 http ftpもだ、先日と云ひ、今日と云ひ、いったい何をやつてゐるのだ。しばらくして復旧したが、一言のコトワリも無い。

 北隣村鬼塚の岩下貢さんが亡くなられ一の宮斎場で葬儀が執り行われた。故人とはもう十年以上の昔になるが母がデイケアに行つてゐるころ、同じ送迎バスでずつとご一緒だつたことがある。

 岩下家とはおばあちゃん(貢夫人)を始めとして三代に亘つてこどもたちの保育園時代からずつとお付き合いがある。子どもたちが長ずるにつれて普段顔を見る機会も少なくなつて、久しぶりにお孫さんたちの成長ぶりを見ることが出來た。貢さんが(おばあちゃんもだが)あつて、扇状に広がつた今の大勢の元気な子供孫たちが居るのだ、といふ極めて当たり前のことに改めて感心しながら歸つてきた。今は、武漢ウイルスのせいで、告別式の一般参列はなく、祭壇に焼香をしてご遺族にご挨拶だけして歸つてきた、享年89。

 ここにきて急にタケノコが出てきだした。一時はイノシシが入つて深く掘り返して地下のタケノコを食い荒らしてゐたが、ここのところ入つて来てゐないやうだ、想像するに、タケノコの最盛期を迎え、あちらこちらでタケノコが生えだしたので猪ども、わざわざ我が家まで遠征する必要が無くなつたのだろう。
  今年は小生、膝が痛くて、一本二本なら大丈夫だが、沢山掘ることが出來ないので、知り合いにセルフサービスでお掘り頂いてゐる


令和 4年 4月 9日 (土)

 晴れ、どんどん気温が上がる、窓は開けつ放しで、シャツ一枚だ。それでも朝は気温が低いので少しだけストーブを焚く。
  最低気温 2.9℃ (05:43)、最高気温 23.3℃ (15:21)

 本日は太郎の二回目のワクチン接種日だつたが、一回目の時に手足にかなり大きな湿疹ができて数日間痒くて治らなかつたので、母親と一緒に古閑医院に行つて二回目は打たないと斷りを入れてきた。
 
 太郎、カミさんと昼の部の塾に行つた。

 NECのレーザープリンター MultiWriter5750C、今度は我が家のやつがエラーが起きた。エラーコード 116-324 これはファームウェアのアップデートで直ることが少し前に豆腐屋の同じ機種でエラーが起きた時に知つてゐたので本日さつさとアップデートして復旧させた。

 ただ、豆腐屋の時はエラーコードが違うので、復旧の方法も無く、まあ同じやうなものだろうと、ファームウェアをアップしたが、やはり直らなかつたのに、それがいつの間にか直つてゐた。その間に豆腐屋は新しいプリンターを入れたので、このプリンターはそのまま我が家に逗留してをり、ここで寿命を全うすることになつた。

 ソーラーパネル、切れた端子部分をパネルを削つて掘り起こして、切れた部分と残つた部分との間の足りない区間を何か線でつなごうかと思つたが、なんとかできさうなので、ハンダを盛つて少しずつ長くして繋ぐことが出來た、その上から接着剤で固めて而今切れないやうにしてをいた

 エポキシ系の接着剤だとガッチリ固まるのだが、最近はエポキシ系だとすぐ分かる二液混合タイプのものがあまりないのだろうか、、一液タイプだとエポキシ系がどうかよくわからない、今日買つたやつ、しっかり固まつてくれるだろうか。

 今回、ネットの光回線化にともない、新規購入した無線ルーター、謳い文句では三階まで電波が届くといふことだつたが全然飛ばない。これでは屋外の30m先のカメラまでは絶対に飛ばないだろうと、メルカリで中古の中継機を買つた。最近の無線ルーターはセキュリティレベルが高くなつて設定が面倒で難しくてよく分からないので、同じメーカー同士だつたら少しは繋ぎやすいかと思つて、同じAtermの中継機を買つた。小生の設定が良くないのか、これでもあまり飛ばないなあ。
 
 ここのところ、ずつとなんだかんだでトラブルシュートばかりやつてゐて、春が過ぎていくのも気がつかないでゐる、ぐみの木に小さな白い花が沢山咲き始めてゐる、エゴの蕾も大分膨らんできた、我が家のソメイヨシノはいつの間にかほとんど散つてしまつたやうだ。それなのに、今年は五号基のハチは別にして、ハチの姿をまだほとんど見ない、飛んでこない、最盛期になると樹の下で椅子に座つてゐるとハチの羽音で眠たくなるほどなのだが、これからだろうか。

 野焼きの跡の山肌、少し緑が見え始めてゐる。
 
 豆札川のカルバート設置工事、大分進んでゐて、あともう少しだな。
 写真1写真2写真3


令和 4年 4月 8日 (金)

 晴れ。気温が上がる、風が少しあったので、斯う云ふときは分蜂しない(と思うてゐる)。
  最低気温 3.7℃ (06:11)、最高気温 21.8℃ (14:54)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 今日から地元小中学校の新学期が始まつた。小生の登校見守りも始まつた。
 太郎はいよいよ最終学年の6年生になつた。クラス替えがあり、1組になつたさうだ。太郎、今までずつと2組か3組で1組になつたのは今回が初めてださうだ。太郎たちの学年は現在二組である。今日のクラス替えで、全員といふことでは無いやうだが坂梨校区の子たちの多くが1組に集まつたらしい。
 
 入学式は来週だから、登校班での全学年登校はもう少し先になる、小生が(勝手に)担当してゐる場所は坂梨校区の子だけが通る道だが、新一年生・・・・確か3人だつたかな。

 太郎、今日も普段より早く歸ってきたので、バスで塾に行つた

 ソーラーチャージャーコントローラーを買つた、1,280円也、ネットで評価を見ると値段にしては非常に高機能だ、ただ、日本語のマニュアルが付いておらず、ボタンが少ないのに設定項目が非常に多いうえに、基本的に充電関係の知識が無いので、ちょっと勉強しないとさっぱり分からない。https://www.youtube.com/watch?v=ZxVbZRhPYHM
  チャージャーコントローラー取り扱い説明連続写真
 
 E鴨氏に持つてきたもらつたソーラーパネルの接触が悪いので、調べたら、パネルから出ている電源端子が腐食してをり切れてしまつた。パネルらか外に出ている部分が少しでも残つてをればハンダで付けられると思ふのだが、パネルの表面から完全に折れてゐるので、パネルと削って金属部分を掘り出さなけれがならない。



令和 4年 4月 7日 (木)

 晴れ。風が少し強かつた。
  最低気温 2.2℃ (06:07)、最高気温 19.0℃ (14:02)

 今年もまた台風の季節が始まつたやうだ。

 朝、facebook と twitterが突然ブロックされてゐた。とりあえず入つてゐただけで、使えなくなつても別に困らないから、それならそれでいいやと思つてゐたら、その後、回復してゐた、なんなんだろう。斯ういつたSNS、人それぞれだが、小生に云わせたら実にくだらないものだと思つてゐる。特にtwitter、そもそもtwitterとはtweetが語源じゃないのか。言わずもがな、つぶやくのは人に聞こえないやうにするもので、一人で腹のなかで云つておれば良いものを、思いつたまま衝動的に、世界中にばらまいて、舌禍で「炎上」してゐる。沢山の人に聞いてもらいたければ、しつかり考えて、しつかり文章を練つて、それから発言をすれば良いものを(オマエ、誰に向かつて云つてゐるのだ、鏡に向かつてか)。それから親指を立てるマーク、あれ、いいね、と云ふやつか、あれにいつも腹が立つ。
 
 もう一つの障害。ADSL解約と同時に電話が通じないことで夕方近くNTT(の協力会社)が来て調べてくれた、まずはNTTの守備範囲部分の接続状態を調べて異状が無いことを確認して、宅内の壁面のモジュラージャックのところで、持つてきた電話機を繋いでチェック、異常無し、それで我が家の電話機でチェック、これも異常なし、結局なんだつたのだらう。宅内で異常があり修理になると有償だと聞いてゐたが、故障箇所が無いので無料といふことでお引取り頂いた。一体何だつたのだろう、不思議である。
 
 OCNとのプロバイダー契約を終了するに当たり、メールだけは活かす契約に変更した。小生のメールアドレスのドメイン名がdrem.comで、一般的なOCNのメールアドレスとは違う。これは昔、ドリームネットといふ会社があつて、その会社で取つたメールアドレスが、その後、その会社がOCNに吸収されて、OCN独自のメールアドレスをもらつたのだが、エイリアスでdrem.comを使い続けてゐるものである。だからママ子扱いで、本来ならオンラインでリアルタイムで変更手続きができるものを、わざわざ郵便で変更届などを送らなければならない。当然郵便の徃き来でタイムラグが生じて、月末近くになると契約月に影響が出る。
 今回の変更にあたて書類の郵送とは別に、メールのやりとりで、メールだけ継続する変更に併せて、使つてゐないカミさんのメールを廃止する旨の連絡をしてあつたのに、4月に入つてからも、カミさんのメールが生きてゐる、当然4月分のメール使用料が発生する。これはオカシイだろうと電話でやり取りして、最終的に3月に遡つてカミさんのアドレスは削除することで収まった。
 追加メールアドレスの料金は月額250円である、金額の問題では無いのだ、筋を通したかつたのだ。
 
 このプロバイダー契約の終了と云ひ、ADSL回線の終了と云ひ、なんだか非常にいい加減な気がして腹が立つ仕方がない。
 すつたもんだの挙げ句、ADSLの終了と、OCNのプロバイダー契約は、正式に3月いつぱいで終了した。
 これ以降は阿蘇光回線である。 
 
 そのほかにも、ここのところ、自宅サーバーの設定で躓いたり、ハチの群が消滅したり、なんとなくすつきりしない日々が続いてゐる。


令和 4年 4月 6日 (水)

 今日もいい天気だつた、日中はシャツ一枚だつた、朝の気温も低くなかつたのでストーブは不要だつた。(写真1・写真2)
  最低気温 7.3℃ (06:09)、最高気温 19.7℃ (15:11)

 昨日NTTにADSL回線の切断確認の電話をした段階ではまだモデムは接続状態だつたが今朝見ると漸く切断されてゐた。手続き上(料金発生)は3月いつぱいで解約は濟んでゐるとのことだつたので、切り替え操作を忘れてゐたのだろうか、なんともアナログの世界であることよ。

 契約終了したADSLモデムは初期化して返却をするやうにと着払いのゆうパックの袋が送られてきてゐるが、たとえば契約が終了したり変更したりした場合のMVNOのSIMは返却するやうになつてゐるが、返却しなくても別になんとも云つてこない、今全国でADSLがどんどん終了してゐる、それに伴う返却品を全部チェックするシステムと人員は揃つてゐるのだろうか、当方とて、もう使い途も無いので取つておく必要もないのだが、しばらく送らないで様子をみることにしやう(おそらくなんとも云つてこないだろう)。

 レンタル品にはスプリッターも含まれるので、これも取り外して、モジュラーケーブル一本にして、確認のために固定電話を耳に当てたが、ツー音が聞こえない、あれ?ケーブルのつなぎ方が悪かったかな、電話機が壊れたかなといろいろ調べてみたが繋がらない、もしかして、局の方で、ADSLも固定電話回線も切つたかなと思つて故障係で調べてもらつたところ、局線から宅内までの何処かで障害があると思われるとのことで、明日故障係が来ることになつた。カミさんはADSLだけでなく、この際、固定電話もヤメてIP電話にしたら?と云ふ。最近然う云つた家庭が多いことは知つてゐるが、固定電話番号で多くの所に届けてあるし、固定電話はある種「信用の証」的な存在でもあるので、それはどうだろうと思つてゐる。固定電話と云へば、電話加入権はどうなつたのだ、昔、高額の加入権を買つたはいいが、今や、タダ同然(でもないか) と聞くが。

 ここまで書いて、今朝、ADSLランプが消えてゐたのも、もしかしたら、ADSL回線だけ切断したのではなくて、電話回線そのものが障害で信号が途絶えてゐたのかも知れない。

 まだもう少し先だと云ふことは分かつてゐるが、どうもハチの様子が気になつて日になんども巣箱の方に行ってみる。もし、猪が出てきて巣箱のあたりを掘り返すやうなことにでもなると、困るので、猪の裏の裏をかくことにした。
 
 猪は非常に用心深くて、罠などすぐに見破るそうだから、罠を仕掛けるときは、猪に分からないように仕掛けるさうである。それでもその裏をかいて、畑などに侵入するらしい。そこでの用心深さを逆手にとつて、もしかしたら罠かもしれないといふ雰囲気を作つておけば近寄らないのではと思つて、適当に「らしき」ものを置いてをいた

 豆札川の橋のカルバート工事。どう組み立てるのか昨日見損なつたが、今日わかつた。一つのブロックが3つに分かれてゐて、両側の壁部分を立てて、その上に、横の天井部分を乗せるのだ。一つのブロックの幅はどのくらいあるのだろうか、見てゐるとそのブロックを毎日二組設置してゐるやうである、最終的にどのくらいのブロックをつなげるのだろうか20個くらいだろうか。

 安全対策もしつかりされてゐて、見てゐてなかなか気持ちがいい、ブロックを一組設置するたびに、安全索を張り替えてゐる、そしてそれにフックを引つ掛けて移動してゐる。作業を見てゐて気が付いた、最近の作業員の安全ベルトは安衛法が変わつて胴ベルトからハーネスタイプになつたのだろうか、全員がハーネスタイプだ。確かに、胴ベルトだと万一の場合、腰に衝撃が来て決して安全ベルトとは言えないだろうから、ハーネス型にすると落下時の衝撃が和らげられる、小生もハーネスタイプの安全ベルト買うかなあ。 

 豆札川架橋カルバート設置工事 連続写真

 晩飯 水曜日はカレーの日。


令和 4年 4月 5日 (火) 淸明

 今日も気持ちの良い一日だつた。今日は20℃を超えた、ちょつと動くと暑いのでシャツ一枚になつた。
  最低気温 -2.6℃ (06:23)、最高気温 20.1℃ (13:46)

 少子化で、年々坂梨で鯉のぼりが見られなくなつてゐるなか、三森さんのところで鯉のぼりが揚がつた。 

 太郎の塾、今日から休みである、金曜日が始業式だと思ふからそれまでゲーム三昧だ、アイツはゲーム依存症になるだろう。 

 昔UPSに使つてゐたバッテリーを捨てないでとつてあつたので、UPSには無理でも、ソーラーパネルに繋いで、カメラを動かすくらいはできるだろうと今日充電をしてゐる、どうだろうか、復活するだらうか。
 
 豆札川に架かる新しい県道の橋の工事、いよいよメインエベントが始まつた、朝からカルバートの分割部材が大きなトラックで次々に運び込まれてゐた。午前中に第一段階の分が運び終わつたやうだつたので、設置は明日かなと思つてゐたところ、夕方近く、買い物ついでに通つたら、今日運び込んだ分はもう川床に設置してあつた、設置するところ、見損なつた。明日の部にはしつかり見学しやう。
 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 自宅サーバーのCGIプログラム、しばらく「おヤスミ」だ、少し頭の中を整理しやう。ADSL回線解約の方、3月末で契約終了のハズがいまだにモデムが生きてゐるランプが付いてゐるので、今日また電話をして確認したところ、まちがいなく、契約は3月末で終了してゐると云ふ、なんで生きてゐるかどうもはっきりしないが、先方が間違い無いと云ふので、間違いがないのだろう。斯う云つた契約は書類でやり取りしないのかと訊いたら、しないさうである、ふ~んいい加減なものだ。当方としては回線が切れてゐるのを確認してからモデムの返却をしやうと思つてゐるが、しばらく放つておかう。

 晩飯 牛肉の野菜たっぷり甘酢あんかけ。



令和 4年 4月 4日 (月)

 晴れ。今日も素晴らしい天気だつた。春爛漫であるが、この春も疫病禍で浮かれ気分なれない、世のなか静まりかえつてゐる。
  最低気温 -1.0℃ (06:16)、最高気温 19.4℃ (16:01)

 竹林の5号基、オスの巣蓋が落ちてゐた、分蜂間近である。
 今日も、ハチの空き巣箱をひとつ掃除をした。少し前までの予定では新しい巣箱を沢山つくるつもりでゐたが、今年はその必要も無くなつたので、空いてゐる巣箱の整備ていどで終わりさうだ。

 E鴨氏が、ソーラパネルを持つてきてくれた。畑の向こうに置く予定のwebカメラの電源を30mほど引つ張らずに、ソーラーパネルで給電しやうかと思つてゐてそのことを話したら、餘つてゐるやつがあるからと持つて来てくれたのだ。それと動きが怪しいパソコンも一緒に持つてきて診てくれと云ふ。

 そこで、皆さんは豆腐を作つて売つたり、米やトマトを作つて生計を立てておいでだ、小生も今はPCのメンテナンスなどを仕事にしてゐるつもりだけどみんな道楽と思つてゐる、小生自身もずつとボランティアでやつてきた、でも今度から相応の対価をもらうことにしてゐる、と云つたところ、じゃあバーターでと云ふことで商談成立、冗談8割だつたのだがソーラーパネルがやつてきたのである。、それで十分である。

 このソーラーパネル、メーカーも何も書いてゐない。テスターであたつたところ開放電圧が20V近くある、ワット数は直接測れないが、P=IEで計算すればわかるのだろうが、結構大きなパネルである、カメラの消費電力は大したことないので、バッテリーと併用で、夜間電力をこれで賄えるだろうか、とあえず安いコントローラを注文してをいた。
 
 太郎、今日は、塾のテストださうで、昼ころバスででかけて、7時ころJRで歸つてきた。

 新しい県道に架かる橋の工事、カルバート工法で橋ができるさうだが、今日、今まで見たこともない大きなクレーン車が入つてゐたので所長に訊いたら明日からカルバートの設置工事が始まるさうである。小生、現場打ちかと思つてゐたら、プレキャストだそうで、大きなカルバートなので、分割してこちらに持つてきて組み立てるといふことだ。なかなか見る機会が無いので見学をしに行こう。
 (写真1写真2

 MicrosoftのOneDriveといふサービスが有る。クラウド上のサーバーにデータを保管するサービスだと理解してゐる、詳しく知らなかつたのは今までの我が家のネット環境がADSLで回線速度が極めて遅いのでPCのファイルのバックアップに非常に時間がかかるから使わないで來た。
 それが、今回光回線に変更したことでガラリと環境が変わつた。PC上の必要なファイルの同期設定をしておけば、わざわざ個人でバックアップをとらなくても、勝手に同期してOneDrive上にバックアップをとってくれるやうである。基本的にまだこのOneDriveの使い方を分つてゐないのだが、ネットの高速回線とは素晴らしいものである、世の中、この高速回線がアタリマエなのだろうが、過疎地域に住んでゐるのでそのことを知らなかつた。でも万一、ネット環境やクラウドのサーバが壊れたら一体どうなるのだろう、考えただけで恐ろしくなる。


令和 4年 4月 3日 (日)

 穩やかで気持ちの良い一日だつた。(写真1写真2
  最低気温 0.5℃ (06:08)、最高気温 16.4℃ (15:11)

 太郎、熊本までテニスレッスンに行く。

 やはり、ニホンミツバチ1号基、2号基、消滅に間違いない、良い気候になつたのに、両基とも時々数匹が目的意識を無くした風に巣の周辺を飛び回るだけである。冬中、群の数が少なかつたのは越冬隊として少数で生きてゐたのかと思つたが、その頃から、既に無王群になつてゐたのだろう、女王蜂が寒さに勝てなくて死んだのかもしれない、無王群だと知らずに一生懸命給餌してゐたことになるのだろうか。まあ、それでも、残つてゐるハチにはその生を全うさせなければならないので、それはそれで良いのだが。

 この後は、空き家になつた巣に、また居抜きで他の群が入つてくれるのを待つしかない、自然相手の道楽、なかなか難しい。

 それはさうとして、竹林の5号基、こちらは元気で明日にでも分蜂しそうな勢いである。近いうちに分蜂の準備をしやうかと思つたが、考えてみたら、今日はもう3日だ、母の一周忌の時(H23.4.14)に、分蜂があつて大騒ぎをしたのを思い出した、と云ふことはそのうちではなくて、もうすぐ分蜂があつても不思議ではないのだ、これから毎日張り付かなければならないぞ。
 
 午後から慌てゝ、分蜂板を5号基の近くまで運んで、空いてゐる箱を掃除して、分蜂に即応できる態勢を整えてをいた。まさにこの一基が虎の子の一基になつてしまつた。
 
 相変わらず竹林の中はイノ公たちが堀りくり返してゐる、かなり深くまで掘つてゐる、熊と違つてハチミツには興味が無いと見えて巣箱を荒らすことは無いやうである。(写真1写真2

 ことしは、膝が痛いうえに、イノ公たちが食い荒らすので、タケノコの収穫は期待出來ないだらうと、親戚筋には今年は送れないよと、断りの連絡を入れてをいたが、ご近所の皆さん、日記を読んでくださつてゐれば、さう云ふことですから、もし、イノ公に見つからず生えて来ても、セルフサービスで掘つていただくことになる。

 ところが、今日、巣箱を運ぶ途中、竹林から少し外れたところで、タケノコが生えてゐるを発見した。イノ公、見逃したやうだ。それで周辺を回つてみたが、今日のところ、この一本だけだつた、早速、膝の痛いのを我慢して掘り起こして、今晩のタケノコご飯にした。今日たまたまハチの巣箱を運ぶ気になつて、それも一輪車で運んでゐたので、地べたをじつくり見てゐたからタケノコに気がついたのだ、偶然の産物だ。

 晩飯 初物のタケノコご飯、土佐煮、若竹汁、漸く木の芽が吹き始めたばかりだ。夏子は向こうに帰るのが一日遅ければ食べられたのに。 


令和 4年 4月 2日 (土)

 晴れ
  最低気温 1.5℃ (06:19)、最高気温 13.7℃ (13:52)

 夏子が午後3時すぎにカミさんの車で歸つて行つた。太郎は今回はついていかなかった、太郎は午前中の塾に行つて昼過ぎに歸つてきた。(写真1写真2写真3
 
 夏子が、お父さんお米45合持つて歸つていい?と云ふので、勿論四人分の一年分のコメは確保してあるからかまわないのだが、どうして45合なんだと訊いたところ、ジップの袋に、計量カップ15杯で一杯になつたから、三袋だから45合!なるほど納得。と云ふことは4.5升になるのか。それと昨日作つたポテトサラダとトンカツもごっそり持つて歸つた。苦学生だからな。

 今自宅サーバーで復旧しやうとしてゐるCGIプログラムは「掲示板」ソフトなのだが、ある記事には仮想ディレクトリを作れとある。その記事には、CGIプログラムのシェバンのインタープリター起動パスを修正しろとは書いてないので、フルパスで起動パスを書けば逆に仮想ディレクトリを作らなくても良いと云ふことで同じ事だと思ふのだが、IISでは特別の意味があるのだらうか。昨日のtest.cgiのシェバンも #!/usr/bin/perl で、ディレクトリも違つてゐたが、フルパスで打ち込んで動いたのだつた。

 ADSL回線もプロバイダーもまだ生きてるなあ。


令和 4年 4月 1日 (金)

 天気は良かったが、気温が低めだつた、明朝は氷点下の予報も出てゐる。
   最低気温 5.7℃ (但し20:00時点)、最高気温 13.7℃ (16:15)

 今日から多くの組織制度で新年度である。月々に、月は改まるが、正月と4月はやはり特別の月である。
 
 夏子も太郎も、学校はまだ始まつてゐないが、法的には今日進級したのだろう、太郎なんかもう6年生になるのだから、早いものである。
 
 その太郎、今日は朝から夕方まで塾の春期講習にJRででかけた。あいつはどうして塾に通つてゐるか小生は分からない、別に進学校に進むわけでもなく、地元の中学に行くのだから。
 
 それから今年の4月は特別である。民法改正で、今日4月1日時点で滿18歳は成人になる。夏子は現在滿19歳、この夏には20歳になる。それでゐて、法的には今日から成人である、18歳の人と同列である。それで成人式はいつやるのだと云ふことになるが、従来どおり20歳でやるところが多いやうである。この18歳成人はあくまで民法上のことで、刑法上は今まで通り20歳が成人で、アルコール類も20歳になつてからだと云ふから考えてみたらダブルスタンダードである、日本と云ふ国は実に曖昧な国である。

NTTフレッツADSL回線契約が昨日で終了した。その代わりに高速回線の光が入つたのだが、長い間使つてきたので一抹の寂しさを覚える。
OCNとのプロバイダー契約も昨日で終了した。プロバイダー契約が終了すると、メールアドレスも無くなる。もう20年以上使つてゐる小生の公式メールアドレスで、色々なところに登録してゐるのでそれが無くなると非常に困るのである。

 ところが、近年は、プロバイダー契約を解約しても、今までのメールアドレスが使えるサービスがあることを知つて、それで、今回の光回線導入に踏み切つたのである。
 
 大体どこでも(多分大手のプロバイダーならどこでも、阿蘇光はおそらく無いだろう)、1メールアドレスが月額250円程度で継続使用ができる。実際にはそれに迷惑メールチェックサービスやウイルスチェックサービスを付加するなら月額1000円近くなるが、まあ、これは仕方がない、メールアドレスは長く使い続けるものだから、阿蘇光でもメールアドレスは作つてあるが、将来の保証がないから、メインでは使えない( オイ、将来と云つても、おマエ、あと何年だ?なんだけどな)。
 
 ところが、昨夜深夜零時を以つて、回線が切られたと思つてゐたら、今朝になつてもモデム(ADSL回線)もプロバイダーも生きてゐる、電話で申し込んで3月いつぱいで契約終了、書類上の手続きは後日といふことになつてゐたと思ふがどうしてだろうか、つながるからと云つて下手につないでまた追加料金が発生すると面白くないので繋がないようにしてはゐるが。

 自宅サーバー、残つた課題、perlでCGIプログラムを動かそうとしてゐる、動かない。

 現在のIISでサーバーを運用する前はAN HTTPDと云ふフリーのサーバーソフトを使つてゐた、その時に動いてゐたCGIプログラムがIIS下では動かなくなつた。セキュリティレベルが上がつたからだと思ふ。いろいろ調べて、CGIプログラムを一部修正してゐる。プログラムと云つてもスプリクトだから、修正箇所さえ分かればなんとかなる。基本的に、シェバンのインタープリター起動パスを修正しなければならないことがわかつた。試しにtest.cgiと云ふファイルを作つて試した見たところら、動いた。
 おう、動くじゃんと思つて、本来のCGIプログラムのシェバンを同じやうに修正してみたが、これが動かない、今はさう云ふ段階である。

 晩飯 トンカツとポテトサラダ。明日、夏子が福岡に帰るそうだから、ポテトサラダをもつて帰りたいと云ふので、日持ちを考えて前日の今日作ることにした。トンカツも余分に揚げた、冷凍して向こうでカツ丼でも作るのだらう。



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