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(2021)令和辛丑 3年 4月の記録 (新しい日付けの順)
令和 3年 4月30日(金)
今朝から西からの風が非常に強かつた、登校児童たちも風に煽られてゐた、小生も、気温は低くないのだが風のせいで体感温度が低くて、ウインドブレーカー代わりにカッパを来て立ったほどだ。
最低気温 9.2℃ (00:59)、最高気温 19.1℃ (14:39)
最大瞬間風速 17.4 m/s (11:33)
定点撮影
今日は一日、台風並みに強風が吹き荒れた。この天気図でどうして、こんなに強い風が吹くのだ。子どもたちが下校する一時半ころも、風が非常に強かつたので、食材買い出しの時間を調整して、橋のところに立って、みんなが、通過したのを見届けてから買い出しに行った。
今日は風が強かつたので、午前中はハチはほとんど姿を表さなかつたが、午後になって風が強い中でも太陽が照りだしたので、午前中の運動不足を取り返すかのやうに活発に活動をしてゐた、一号基のハチの出入りが尋常ではない、ものすごい数のハチが出入りをしてゐる、近々第四分蜂があるのは間違いないだろう。
大丈夫なのだが、どうも気になって、二号基に転倒防止のステーを張った、風が強くてポールが折れると困るので国旗を降ろした。
今日、図書館に本を返しに行つたところ、休館日だつた、休館日でも返却ポストがあるから、返すだけであれば困らないのだが、なんで今日が休みなのだ、見ると昨日の昭和の日も休館だつた、そして5月の連休も3日から6日までずつと「図書館大型連休」だ(6日つてなんだ)、実は以前にもこのことは書いた、全国一休みの多い図書館である、多分(全部を調べたわけではないが、周辺自治体の図書館、ランダムに検索した全国の図書館でもこんなに休むところはない)。そもそも、祝祭日や連休で仕事が休みの時こそ本でも読もうかと云ふのが休暇の過ごし方の一つだろう、特に今は武漢ウイルスで外出もままならないときなのだから。司書のみんさんはいつも親切で気持ちよく応対してくれる、このやうなことを書くと司書のみんさんに睨まれるかもしれないが、休館日は司書が決めるわけではない、市立だから、もつと上の方の市を経営している人がいるだろう、利用者が休みの時に一緒に休んでどうするのだ、つくづくこの人の経営センスを疑つてしまふ。アゼリアのプールだつていきあたりばつたりの経営でなんの計画性もなく突然実質閉鎖してしまつた。
武漢ウイルスが大都市中心に拡大してゐるやうだ、エクモが全国で何台あるかわからないが、このエクモの操作が大変らしい。その操作をする人間も相当人数必要で、台数よりも操作する医療従事者の数の方が足りないかも知れない。
肺に流れ込む血液を気管切開してこの装置に送り込んでまた体内に送り返すための手術が必要で、患者は苦痛を和らげる為に意識レベルを下げる、つまり、麻酔をかけるのだろう、人工透析の場合は肺は機能しており体内に血流は残つてゐるが、エクモの場合は、酸素を取り込む大本の肺と直結してゐるので、もし無意識に暴れて装置の管が抜けるとすぐ死に至るさうだ、大腸ガンで腹を切った時にからだに何本もの管を付けて、術後苦しかったがその比ではないのだろう、酸素マスクとはぜんぜん違うのだ。それで今日本に何台ほどあるのだろう。
スマホのバッテリーがすぐに減る、バッテリーがくたびれゐるは分かるが、それ以外にGmailの電力消費が非常に大きいことが使つてゐてわかつた、なんとかならんのか。
晩飯、今晩は太郎と二人なので手っ取り早くステーキにした、今は輸入肉は本当に安くなつた、この先、もっと安くなるのだろう。
令和 3年 4月29日(木) 昭和の日
全国的に雨の一日だつた、当地は午後に入つて雨雲が東に移動して上がりつつある。気温も低かつた、ハチも静かだつた。
最低気温 12.5℃ (12:41)、最高気温 15.1℃ (15:53)
本日、日記に留めるほどの出来事なし。
令和 3年 4月28日(水)
曇り、少しパラつく。今夜から明日にかけて一荒れしさうである。
最低気温 12.1℃ (05:37)、最高気温 19.1℃ (12:43)
玄関先のサクランボが今年は異常に沢山の実をつけてゐる、ただし、一切の施肥や摘果などの管理をしてゐないので、めちゃくちゃ小さい、それでも、少し熟れた実を二つ三つ採つて口に入れたところ結構甘くなつてゐる、どうせ、まもなく鳥のエサになるのだろう。(写真1・写真2・写真3)
定点撮影 今日は新入生歓迎遠足があるそうだ、こどもたち、リュックサックを担いで登校して行った。その遠足、天気があまりはっきりせず、目的地の芝生も濡れてゐたので中止にして、校内で遠足もどきをやったさうである。
午前中、今年初めて、スヾメが一羽ストーブの中に落ちた来た。バタバタ煙突の中で騷いでゐたので、ストーブの扉を開けて逃してやつた。ここに来た当初は、ストーブから飛び出したスヾメが二階の方へ、逃げていつて、あちらこちたの窓にぶつかっては逃げ回って捕まえるのに往生したものだが、その後、要領をつかんで、一階も二階窓のカーテンを全部閉じて、ストーブに一番近いところの窓だけ開けておいて、煙突を叩くと慌てふためいて一直線に開いた窓から逃げるやうになつた。これから何度かあるだろう。
横澤さん、東京から戻り、自主隔離期間が明けて御入来。小生、ここのところずつとミツバチの監視をしてゐるので、ハチウトの前で応接をした。5月に入ると阿蘇医療センターで個展を開かれるさうで、案内状を持つて来られたので小生のホームページに開催案内を載せておいた。
今日は曇つており、少し気温も低く目で風があつた。一号基、今日も「時さわぎ」に終わつた。
晩飯 カレー
令和 3年 4月27日(火)
曇り。天気が下り坂で気温も低めだつた、風もあつた。。
最高気温 2.8℃ (05:31)、最高気温 21.5℃ (12:37)
定点撮影 朝出ようとしたところ軽トラのバッテリーが上がつてゐたので、軽四輪で見守りに出たので、子どもたちがどうしたの?と云いながら登校して行つた。
朝一番で草刈りを少しした、その後で、ベランダに置いてあつたハチウトを初めての場所に置いてみた、頭の中で考えるだけでなくて、実際に置いてみないと雰囲気がわからないからである、この先に備えていくつか奥場所を確保しなければならない。
竹林に置いた第三分蜂群、ハチウトに5号の札を付けた、同時に警戒レベルを1に引き下げた、もう全く心配は要らなくなつたので、1にした、ゼロではない、ゼロと云ふのはハチが居ない状況で、ハチが居る限りは、今は平穏でも何かが起きるかも知れない、火山でいふと、そこに火山があることを「留意する」である。
二号基、ますます活動が活発化してゐる、中を覗きたくてウズウズしてゐる、底板だけ掃除したが、巣の白いクズが沢山落ちてゐた。
一号基のフタを開けて底の板を引つ張り出したところ、巣の欠片と一緒にスムシが沢山出てきた、もうスムシが活動する時期になつてゐたのだ、まだ底板の巣のクズの中で生息してゐる段階で、壁面を這い登つて天井に巣食うまでは行つて居ないと思ふ。このスムシは大きくなると何倍もの大きさになる、渓流釣りで使うエサのブドウ虫の親戚である。これから頻繁にチエツクをしなければならない、去年の採蜜のときには一匹も入つてゐなかつた。
そのチエツクの時に、首筋をチクリとやられた、用心の為にネットは被つてゐたが、胸のところでしつからり締めてゐなかつたので隙間から入つたやうで、ハチも別に刺すつもりはなかつたのだろうが、入つているとは知らなかつたので脱ぐ時に乱暴に脱いだ際に驚いて刺したのだろう。特にアナフィラキシーが起きることも無かつたが、夜になつて刺されたあとが痒いくらいだ。
一号基、もしかしたらと期待したが、「時騒ぎ」に終わつた。
今日もトラップにスズメバチが入つてゐた。二三日前、太郎が、お父さん、秘密基地にスズメバチが入つとるばい、と教えてくれたが、そのときは分らなかつたが今日姿を現したので捕獲した。単に入つただけなのか、巣を作るために入つてゐたのかわからないが、もし巣を作るためだつたとしたら面倒なので、早めに手を打つておいた。
晩飯、マーボー豆腐など
令和 3年 4月26日(月)
爽やかな晴れ。気温も高くなく、風も少し冷んやりしてゐたので、作業着で直射日光下に居ても丁度良かつた。
最低気温 6.1℃ (05:47)、最高気温 19.6℃ (14:59)
今朝?はもう2時過ぎには目が醒めたのでそのまま起きてしまつた、仕事持ちではないので、昼間眠たくなつたら寝れば良いと思つてゐるので全然気にしない(やうにしてゐる)、でもいつもほとんど昼間眠たくなることもない。
今日の地元紙、新聞全体が熊本城の広告で包まれて配達されて一瞬新聞ではないのではと思ったがその下に本紙が隠されてゐた、今日から熊本城のオープンだったので、そのPRだろうと思うが、皮肉なことに、武漢ウイルスで、非常事態宣言では無いが、それに似たやうな宣言で熊本城のオープンは中止になつたやうだ
熊本県でも武漢ウイルスの感染者がかなり増えて来てゐる、大体において鹿児島本線沿い(海岸線)であり、不思議と阿蘇はずっと感染者が出てゐない(それほど山奥と云ふことか)。https://kumamoto.stopcovid19.jp/
定点撮影
竹林に置いたハチウト、巣門の高さを4mmにしたので、出入りが全く出来ないと云ふことは無いが、結構窮屈さうで、この窮屈さがストレスになるといけないので、今朝から仕切り板を取つてやつた。警戒レベルを少し下げて今日は時々様子を見に行ったが、通常の営巣活動を開始したやうで、もう、脱走の心配はなくなつた、「三度目の正直」になつた。
最近時々スズメバチの姿を見かけるやうになつたので、トラップを作つて二箇所(写真1・写真2)にぶら下げたところ、夕方には早速大きなやつが一匹かかつてゐた。一昨日捕獲した竹林のハチ、まだ女王蜂の交尾飛行が済んでゐないと思うので、交尾飛行中にスズメバチにやられると一巻の終わり、一群全滅になるので、スズメバチの犠牲にならないことを祈るのみである。交尾飛行さえ済ませてしまえば、来年の分蜂まで外に出ることはないので安全である。働きバチが時々犠牲になるのは、これはもう、自然界のバランスで仕方が無いことである。
しばらくそれどころでは無かつたので草刈りをサボつてゐたが、今朝はハチの方につきっきりでなくてもいいので裏の草を少し刈った。
今日は午前中、桜町の渡辺さんがハチの様子を見に御入来、氏はもう引退したが元は鉄砲撃ちでイノシシを沢山獲つておいでだ。それにもう三十年ほどニホンミツバチをやっておいでださうで、氏のやり方は、近くの山に20個ほど、巣箱を置いておいて自然入居したら、秋口に蜜を採るだけで、一切の管理もしないのださうだ、また採蜜時も次に備えてハチを捕獲することなくそのまま逃がすさうである(これを事前に捕獲させてもらえばいいわけだ)。
昼からは和尚がやつてきて、ハチウトの前に椅子を置いて、ずつとハチ談義をして過ごした、今日はとくに注意をしなければならないことはなかつたのでのどかに過ごした。
和尚、いまキンリョウヘンを育ててゐてもうすぐ開花しそうなのだそうだ、境内に置いてある巣箱になかなかハチがやつてこないので、はやく開かないかと待つてゐるさうだ。キンリョウヘンは蘭の一種で、驚異的にニホンミツバチを誘引する力がある。
晩飯 ひき肉玉ねぎミジンのオムレツ、ほうれん草ホワイトソース和え、味噌汁。
令和 3年 4月25日(日) 二号基に不可解なことが・・・・
晴れ。
最低気温 7.8℃ (06:28)、最高気温 24.1℃ (13:56)
太郎たち、午前中熊本までテニスレッスンに。
朝早く、昨日捕獲して竹林に移動させたハチウトの万一を考えて逃走防止のために封鎖しておいたバリケードをあけてやつた。早速活動を開始し始めたが、巣門の高さを4mmにしたので、うまく出られるハチと引っかかってもがいてゐるハチとがゐた。巣門は右半分が少し4mmよりあるので、左側半分だけ開けて右半分は塞いでおいたのだが、出入りに苦労してゐたので右半分も開放してやつた、オスバチはそれでも窮屈さうにして出入りをしてゐた。オスバチが出入りできるのなら、女王蜂は楽に出入りができるだろうから、もう、高さ調整は意味が無いので今晩暗くなつてからはずしてやろつた。あまり多くはないが花粉も少し運び始めてをり、全体的に落ち着いてゐるので今回は三度目の正直になりさうな気もする、尤も前の二回も大丈夫だと思つてゐて逃げられたのだからなんとも云へないが。
一号基は今日も活溌で、すぐ近くの分蜂板に十数匹のハチが盛んに絡んで飛び回つてゐて、そのハチたちは一号基と蜂球板を行き来してゐる。まさか連日と云ふことは、しかも四度目はさうさう無いだろうとは思つたが、気になつて、竹林側のハチウト(まだ番号はつけてゐないが、多分5号になるだろう)と一号基とをとにかく最高警戒レベルなので15分ごとにチェックして一日を過ごした。
午後5時ころ漸く監視体制を解除した。
それより、ニ号基に不可解なことが起きてゐる。3月の初めころだつたか、多分女王バチが死んだのだろう、そこに入つてゐた群れが消滅した。ところが、その後、多分、小さな無王群が入つたらしくて、目的意識も持たないハチたちが、無気力に出入りしてゐた。趣味も道楽持たず、会社勤めしか知らないサラリーマンが定年後やることがなくて毎日を無気力に生きてゐるのと同じで、ミツバチは子を育てる為に蜜を集めて、また花粉を集めて、毎日一直線に出かけて、巣に向かつて一直線に戻つてくる。これは女王蜂が次代のハチを産むからである。働きバチは全部メスだが、基本、女王蜂の産んだ卵しか孵らない、だから女王蜂が死ぬと、後継ぎが続かずにその群れはいずれ滅亡する、滅亡するまで、残つてゐるハチは蜜集め、花粉集めの仕事がなくなるので、日がな一日巣の周りでウロウロしてゐるだけである。
とまあ、二号基ではここ一月ぐらいその状態が続いてゐたのだが、今朝、相変わらずブラブラしてゐるグループはゐるのだが、それらには見向きもしないで、パッと飛び立つてパッと帰つてくる蜂の姿が、現れたのだ。それも、結構頻繁に花粉も運んでくる。
無王群でも蜜集めや特に花粉集めをするのだろうか、経験の浅い小生にはわからない。もしかしたら女王蜂のゐる群れが自然入居したのだろうか、随分気をつけてゐたのでそれは無いと思ふのだが、そもそも異集団が同居することなどあるのだろうか、ネットで調べたら、洋バチと和バチが同居することはあるやうだが、ニホンミツバチ同士が同居するのだろうか。ヌカ喜びにならないやうに、今暫く狐につままれた状態で静観することにしやう。
令和 3年 4月24日(土) 三度目の正直なるか、はたまた、二度あることは三度ある、に終わるか
晴れ、いい天気が続く。
最低気温 13.6℃ (05:35)、最高気温 22.4℃ (16:51)
分蜂ミツバチに二度も立て続けに逃げられて、さすがに今日は外に出る気がしなくて、それでも朝のうち、ちよつと、様子を見に出た。当然、何事もなく、現在営巣活動中の一号基のハチだけが活発に出入りをしてゐるだけだつた、逃亡した三号基、四号基には、逃げ遲れたハチが数匹寂しさうに飛び回つてゐるだけだつた。女王蜂のゐない二号基のハグレ集団は朝からのんびりと飛び回ってゐた。
そうだ、円通寺に行つて、和尚のハチウト制作の様子でも覗いてこようかと出かけたところ、ちょうど鯉に餌をやるところだつた。和尚は趣味で錦鯉を飼つておいでだ。自作のプールにたくさんの大きな錦鯉が泳いでゐた。品評会に出すやうな鯉でなくて品評会には出ないやうな鯉を手に入れて可愛がつてゐるそうである。ハチウトもかなり制作が進んでゐた。設置済みのハチウトも見に行つたが、まだ、探索蜂の姿も見ないとのことであった。
帰つてからまたハチウトのところに行つてみたところ、一号基は相変わらずたくさんのハチが出入りしてゐる、この分だと、また近いうちに分蜂があるかもな、と思つてゐるところに、少しハチウトの前あたりがにぎやかになつて来た、そろそろ昼時だから時騒ぎかな、と思つて見ていると、外で飛び交うハチの数が増して、巣門のところにもたくさん湧くように出てき始めた。
分蜂だ!第三分蜂だ!こんなに立て続けになのか?と訝しく思つて見てゐたら、第二分蜂の時に蜂球を作つた、一号基のすぐ裏の木の幹(ぐみの木)に蜂球を作り始めた。また、こつちか、と思つてゐると、次第に、ハチの飛び交う中心が、動いてきて、小生が作つた、第一分蜂時に蜂球を作つた蜂球板の同じ桜の皮の部分に蜂球を作り始めた、グミの木のハチもそちらに移動した。
あとは、もう捕獲収容するだけである。ただ巣箱が無い、いや、無いことはないのだが、3号基も4号基にも数匹だがまだハチが残ってゐる、これらを排除するのは不憫である、だから、今回初めて2バイ8の板で作つた、重箱の一段の高さが今までのよりは高いハチウトを運んできて、それに収容した。両手で掬つて優しく収容した、今回も一匹も犠牲はださなかつたと思ふ、こんなに優しく扱つてゐるのに、どうして逃げるのだ。12時10分前作業開始、12時20分終了。
今回は水も漏らさぬ、アリの這い出る隙間もないほどのレベル5の警戒態勢を敷いて、ずつとそばで監視を続けた。そして、すぐに、巣門の高さを狭めた、5mmでも6mmでもまだ広すぎる、4mmにしてみた、それでも働き蜂はスムースに出入りしてゐる。とりあえずこの高さで様子を見ることにした。
タイマーをセツトして15分おきに行動チェック、風呂に行つてゐる間も、太郎にチェクを頼んだ。日が落ちて、全部のハチが巣に入つてから、巣門にフタをして、今回設置する所まで運んだ。捕獲場所から一番遠いところに作つた置き場である、一番遠くと云ふのが目的でなくて、1号基から4号基までが場所を占めてゐるので適当な場所が無いので、たまたま今回作つた環境が良ささうな場所が一番遠いところになつた、竹林の中の椿の木の陰である。一番遠い上に、一番重たい箱を途中で万一バラけることがないやうに、しつかり縛つて、真つ暗な中、懐中電灯を頼りに両腕で抱きかかえながら少しずつ運んだ。途中で息が切れて何度もやすんで、やうやく定位置に設置した、巣門は明朝、小生が行くまで閉鎖である、午後8時 mission complete。
まだまだ一号基、勢いがある、もしかしたら第四も・・・・
ニホンミツバチ 第三分蜂 連続写真 (1/2)
ニホンミツバチ 第三分蜂 連続写真 (2/2)
令和 3年 4月23日(金) うたかたのごとく
高曇り、風が強かつた。
最低気温 11.5℃ (00:00)、最高気温 22.2℃ (12:03)
定点撮影 その他写真
今日は中学年の自転車点検日だつた、高学年が5,6年生、中学年が3,4年生、低学年が1,2年生である。学年によつて自転車の行動範囲が決められてゐて、低学年は自宅外での自転車は禁止されてゐて、だから、低学年の自転車点検は無い。放課後、低中高学年の子らが混じって遊びに行くときは、低学年の子は自転車のあとを走つて追いかけてついて行つてゐる、何かと云ふと機械的平等、悪平等を叫ぶ連中からみると不公平だと騒ぐところだろうが、低学年の子たちはそれが当たり前だと思つてゐる。
虫が知らせたと云ふか(この場合の虫はなんだろう)どうも気になるので、朝一番で三号基を覗いてみた、空つぽになつてゐた、逃げ遅れたハチが数匹飛び回ってゐた、いつ逃亡したのだろう、昨日から少し行動が自然ではないなとは気になつてゐた、あれだけ監視してゐたのに一体いつ逃亡したのだろう、巣も少し出来てゐた、新しい材料で作つた巣箱が気に入らなかつたのだろうか、設置した場所が気に入らなつたのだろうか、あるいは少し干渉しすぎたか?
そして、昨夕確保した第二分蜂群・・・・一夜明けて今回は不要だろうと女王蜂逃亡防止のプレートを外して、4号と云ふネーム板をとりつけてやつた、この時点では、まだゐた、ところが、昼間、どうも出入りが少ない。しばらくは蜜集めも花粉集めもしなくても困ることはないので、大部分は巣の中にゐるのだろうと思つてゐたが、午後になつて気になるので、ここも中を覗いてみた。
ガーン、もぬけの殻、手品の篭抜けでもあるまいし、一体いつ居無くなつたのだ、今日もほとんどずつと近くにゐたのだ。考えらるのは、ここのところ朝の気温が高くて早朝から活動を開始してゐるので、少し前までなら朝早くから動き出すことはないのだが、子どもたちの登校見守りに出かけてゐる間しか考えられない。
一夜にして、分蜂の二群、うたかたのごとく消えてしまつた、小生のここのところの連日の奮闘は一体なんだつたのだ。あれだけ大騒ぎして、結局、+2-2=0になつてしまつた。残るは一号基のみになつてしまつた。
出来うれば、あと一回、分峰してくれるのを待つだけだ。今朝一号基のところにオスバチが生まれて証拠が落ちてゐたが、これはだから近々また分蜂があると云ふことではなくて、ここのところ、分蜂が続いてゐるので、前後してゐるだけだろう。
それから自然入居を待つだけだ、何年やつてもニホンミツバチは難しい。あと一つ2号基にいる得体の知れない女王蜂が居ないハグレ集団は、自ら入つた巣だ、今日も居心地良ささうにのんびりと暮らしてゐた。結局の所自然入居が一番いいのだ、強制捕獲はどうしてもハチに対して無理を強いてゐるのだろう。裏の竹林のなかに自然入居用にハチウトを設置しておいた。
今回のこと残念だが、悔しさはそれほどない、またやるさ、これがニホンミツバチとの付き合い方だ。
武漢ウイルス、また感染が拡大してきて非常事態宣言が出されるやうだ、何回目だ?それで人の動きを制限すれば確かに、感染の勢いは押さえられるだろうが、ウイルスがなくなるわけではない、また暫くすると、「ぶり返す」、この繰り返しだ。報道では毎日、何人感染したといふ数字ばかりを伝えてゐるが、感染した人はほとんどがその後治つてゐるはずである。感染して治つた人が増えれば増えるほど抗体を持った人が増えるわけだから、極論すれば早いとこ全員が感染してしまえばいいと云ふことになる、これは集団免疫と云ふのだろう。
このウイルス、インフルエンザと感染した場合、どのくらいのダメージなどで違いがあるのだろうか。インフルエンザの方が死者数が多いと聞く、今となつては、この際、何もしないという方法もあるのではと思つてしまふ。
そもそも当局がいくら声高に叫んでも国民自体がもうあまり耳を貸さなくなつてゐる、国民がもう倦んでゐる。問題は、重症者対策である。今の所は治療薬が無いのだから、薬では治らない(のだろう)、体力が回復するまで、エクモと云つたか、人工呼吸器に頼るしか無いのだろう、その人工呼吸器、流行当初からくらべて、増えたのだろうか、現在はどのくらいあるのだろう。流行が始まつてもう一年以上経つてゐる、当然、人工呼吸器の数も増えてゐるはずである(増えてゐなければ、それこそ政府の怠慢になる)。
人間の移動制限で起きる経済損失と人口呼吸器の増設費用との比較である、人工呼吸器を操作する医療従事者と収容施設、この際、ある程度の「開き直り」が必要なのではと最近思つてゐる。殆どの場合、治るのだから、医療崩壊だ、と叫ばれるほどの厳重な防疫対策はとらずに、無責任だが医療業務もある程度感染しながら重症者対策をとつていくと云ふ方法もあるのではと思うが、インフルとの比較があまり伝わらないのでよくわからない。
インフルは我々の認識では広い括りでは「風邪」といふいめーじだが、今回の新型コロナウイルス、どう云つた部類になるのだろう、いつまでも「新型コロナウイルス」でも無いだろう、この感染症に対するイメージが、ただ怖い気味が悪いだけで、わかないのだ。
非常事態宣言、重点的に酒を出す商売や会合に強い制限をかけるやうだが、酒にウイルスが入つてゐるのか、さうではなくて、酒を飲む人間に問題があるといふことだ、つまり、酒を飲むとどうしても大声になつたり騒いで唾を飛ばすからで、飲まない時にはさうではないのである、つまりは○○○○水だと云ふことだろ。酒を飲んでも静かに歓談するのならいいのだけれど酒が入ると人間、人が変わるのだ、いや酒が人を変えるのだ。だから〇〇〇〇水と云ふのだ。
太郎の小学校の家庭訪問があつた。今年もおんな先生である、あえておんな先生と書いたのは、子供の頃(70年くらい昔)「おらあ、三太だ!」と云ふラジオドラマがあつて、そこに登場する優しい花荻先生について、ナレーションでおんな先生とよく云つてゐた記憶があるから、非常に懐かしくて書いてみた。今日は面談はカミさんがして、小生は最初の挨拶だけにした(若くて美しい先生ださうだが残念ながらマスク姿だつたので確認できなかつた、この書き方でも今はセクハラになるのか?)。
熊本駅前に大型の商業施設(名前は覚えてゐない、いや最初から知らない)が本日開業したとニュースで云つてゐた、さう云へば、二三年前(まだそこまで昔ではないか)に開業したこれまた大型商業施設、桜町なんとかと云ふところにもまだ行つたことがない。小生はもうそのやうなところは全く興味も関心もないのだ。
昨日のモデム設定トラブル、なんとか復旧できた。
うつかりするとまた騙されさうなフィッシング詐欺メールが来た。
令和 3年 4月22日(木) 一号基、第二分蜂
晴れ、今日も気温が上がった。
最低気温 8.9℃ (03:34)、最高気温 26.2℃ (13:35)
定点撮影(撮り忘れた?) その他写真
昨日、花粉を運ぶハチの姿がほとんど見られなかつたので、今朝、再度、三号基を覗いてみた。蜂球の中に白いものが見える、巣を作り始めてゐた。ハチは自らの分泌物で巣を作るのだろう、花粉も今の段階では特に必要が無いのだろうか、よくわからない。
ただ、今回分峰して出来た三号基、少し群れが小さな気がする、そして一号基はまだハチの数が多い、多分もう一回分蜂があるのではないだろうか(期待をして)。この下りは朝のうちの時間がある時に、その後に起きることは分らずに、書いたもである。
夜が明けてその三号基の巣門にたくさんのハチが出てきた、そしてしばらくその場で動かない、ん?多分日向ぼっこをしてゐたのだろう、まもなくまた全部が中に入つて行つた、ただ、その後、三号基のハチの活動状況、どうも芳しくない、あまり蜜を集めに行くこともしなければ花粉も全く運んでこない、女王バチになにかアクシデントでもあつたのだろうか、非常に心配である。
まだ夜が明けきらない間に、問題の二号基も覗いてみた、群れが消滅して残された以前の巣板の間に結構なハチがゐることがわかつた、ただ、このハチがどのやうな素性のハチなのか未だによくわからない。この巣のハチの群れは一度完全に消滅したはずである。それがどうして今、こんなにゐるのだろうか、こんなにと云つても「群れ」と云ふほどの数でも無い、正常な営巣活動もしてゐないから女王蜂もゐないはずだ、どうしてこの集団がここに居るのだ、はぐれ集団が入つたのだろうか、謎である、一月もすれば結論が出るだろう。
一方、一号基は非常に活発に活動をしてゐて、先日分蜂した(今三号基にゐる)あとも、たくさんのハチが出入りしてゐる、夕方近くになつて風呂に行こうと思つてついでにハチウトの様子をみたところ、イヤにたくさんのハチが箱の周りにとりついてゐる、時騒ぎの時間にしてはちよつて遅いし、どうしたのだろう、と思つて見てゐたら、またぞろぞろ巣に戻り始めた、これで引つ込んで今日は活動終了だな、近々分蜂があるといいなと思つて巣の前を横切り風呂に向かおうとした時、一号基の後ろにちらつとほんの一瞬逆紡錘型の塊が目をかすめた、本当に一瞬のことで、このとき反対向を見てゐたら完全に見落とすところだつた、もう薄暗くなり始めてゐる木の又のところに蜂球が(写真1・写真2・写真3(かなり捕つたあと))・・・・今回は完全に裏をかかれた、まさかこんな時間に、また分蜂をするときには絶対にこの前の蜂球板に付くとばかり信じ込んでゐたのだ。すんでのところで、分蜂を逃すところだった。もう暗くなるし、このあとどのくらいぶら下がつてゐるかわからない、もう蜂球が出来あがって全部集まつてゐるのだろう、蜂球全体も静まりかえつてゐた。三号基の巣門のところにたくさんのハチが居たのだ、この分蜂群の通り道を明けるためだつたのだ、先日の分蜂でも経験したばかりではないか。
これから竹林に置いてあるハチウトを取りに行く時間の余裕はあるだろうか、わからない、急いですぐ近くのベランダに置いてあつた古いハチウトを持つて来て、手際よく蜂群を収容した。4時50分開始、5時20分終了、4月19日に分峰したばかり、まさかわずか三日後にまた分峰するなんて考えても見なかつた、孫分蜂と云ふのだろう、少し早すぎないか。(写真1・写真2・写真3)
暗くなつてからもう確認する必要はないのだが、念の為と思つて懐中電灯を持つて照らしたところ、ムカデが巣門に体半分突つ込んで動け無くなつてゐた、ムカデとミツバチの力関係はどうなんだろう。この巣門は昔、女王蜂が逃亡しないやうにギリギリ狭めてあつたやつで、今日取り込んだ群れの女王蜂は多分まだ交尾飛行は終わつてゐないのだろう、明日にでも広げてやらなければならない。
本当は夜のうちに、どこか適当な場所に移動させたほうがいいのだろうが、もう今晩は足元も悪くてアブナイので、明日移すことにして今晩は、一号基と二号基の後方に置いておいた。ここのところ一日になんどもハチウト間を移動するので、草むらの中に道ができてしまつた、下手なウオーキングより毎日歩いてゐる。
分蜂は年に何回ほどあるのだろう、まだあるだろうか。
晩飯 唐揚げ
うっかりして今日モデムの設定をリセットしてしまつた、普通のインターネットは問題がないのだが、ポートを開けたり、外部からの不法侵入を防いだりの設定が出来ない、自宅サーバーに外部からアクセスできなくなつてゐる、FTPも機能しなくなつてしまつた、「坂梨宿」のサイトのファイル更新ができ無くなつてしまつた、そのほか、自宅サーバーで管理してゐるライブカメラも多分一部が機能してゐないのではないだろうか、とにかく昔、わけも分らずに設定してその後全く触つてゐないので、当時どうやつたかさつぱり忘れてゐる。しばらく機能不全で行くことになるのだろうか。
令和 3年 4月21日(水)
晴れ。
最低気温 4.4℃ (06:13)、最高気温 25.9℃ (15:13)
当地も今日は「夏日」になつた、夏と云ふ字がついてゐても、真夏日なら分かるが、別に暑いと云ふ意味があるわけでもなかろう、湿度が低いせいもあつて、実に爽快だつた、紫外線は今の時期が一番強いと云ふ、今日風呂に行つて鏡をみて、体の生つ白さに比べて首から上が真つ黒に日焼けしてゐた、ここのところ連日、ほぼ終日屋外でミツバチの分蜂関連の作業をしてゐるからである。
定点撮影
今日は小学校の自転車点検日で、自宅付近で自転車に乗るにはこの安全点検を受けなければならない、登下校時には自転車は使えないので、今日、点検を受ける子は自転車を押して登校して行つた。太郎はあまり自転車に興味がないやうで、今日の点検には持つて行かなかつた。(写真1・写真2・写真3)
昨夕、設置場所を動かした三号基、今朝、まだ気温が低い時に寢込みを襲つて覗いた見たところ、まだ巣が無いのでしつかりと天井に蜂球を作つてゐた。
日が昇つてハチが活動を開始するのを観察したが、三号基は今日は全く諍いが見られず、のどかに出入りしてゐた、一方の二号基、三号基を動かして元在つた場所に戻したところ、昨日は全く姿がなかつたハチの姿が戻つてきた。この二号基のハチはどのハチだろうか、昨日三号基をまだ明るいうちに20mくらい離れた場所に移した時、巣から離れてゐたハチが結構數ゐたが、そのハチたちが移転先が分らずに近くにあつた二号基に入つて一夜を過ごして、今朝それらが出てきたのだろうか、さうなると、昨日、勢力争いをしてゐたもう一方のハチの群れは今日はどうしたのだろうか、今日は二号基にも全く争いは見られなかつた。と云ふことは、二号基に今日出入りしてゐたハチたちがそのもう一方のハチの群れなのかもしれない。もしさうであれば、やはり、自然入居をすべく他から来てゐるハチなのだろうか、今日一日見てゐてその数がかなり増えてゐるやうにも見える、ただ、「群」と云ふほどの数の多さではない、このあたりが、どうもさつぱりわからないのである。また、見てゐると、巣の中から時々細かな白い塊を出してゐる、中には抱えて遠くに運び出してもいるハチもゐる、巣門のところにも細かな白い塊が落ちている、硬質なもので、たとえば幼虫のやうな柔らかいものではない、なんだろうか、明朝、下の点検口を開けてみてみやう。
今回分峰した三号基のハチがまだ本当に落ち着いてゐないやうだ。まだ花粉を運んでゐない、午前中一回だけ目撃しただけだ、これが始まらないと定着したとは言へないだろう。午後7時になつてもまだ残照があり、薄明るい、そしてまだハチたちは出入り口のところでたくさん飛び回つてゐる、完全に暗くなるまで安心できない、土壇場で逃げ出すことがあるからである、7時半になつてやうやく完全に暗くなつたので今日の監視業務を終えた、気温が低くないのでこの時間でもまだ巣門のところでウロウロしてゐるが、もう、脱走はしないだろう。
ハチウトを動かしてたり戻したりしてゐるうちにハチの系譜がわからなくなるので、ナンバープレートを貼り付けた。
今日も、和尚が自作の作りかけのウトを持つてやつてきた。ネットなんかでみると、いろいろな人がいろいろな作り方をしてゐて、、和尚も結構丁寧で細かな細工をしてゐる。ただ、ハチは自然界でいい加減なウロなんかに巣を作り、人間が考えてやるほどの立派なところに巣をつくるわけではないので、そのあたりは大雑把でいいのではないだろうか、今は一つの箱を丁寧につくるより、箱をたくさん作つた方がいい、ハチは簡単には入らないので、とにかくたくさん箱を用意して自然入居の機会を多くしたほうがいい、極論したら箱だつたらなんでもいいのだからと感想を述べてをいた、お寺のハチウトにも早く入るといい。
晩飯 水曜日はカレーの日
令和 3年 4月20日(火)
氷点下ではなかつたが今朝も車のウインドーがガチガチに凍つてゐた。快晴。今日こんなに気温があがつたのか、湿度が低かつたせいもあつたのだろう実感が無かつた。
最低気温 1.6℃ (0 5:33)、最高気温 24.2℃ (16:30)
定点撮影 その他写真1・写真2
蜂球板に作った蜂球を強制的にハチウトに全部移し終わつて、これで無事に捕獲成功と思ひがちだが、ハチの方からすれば、蜂球を作つた場所をハチの意思に反して強制的に移動させられたに過ぎない。人間からすれば、綺麗で住心地の良ささうな巣箱だろうと思つてもハチからしたらさうとは全く限らない、だからハチウトのなかでとりあえず蜂球を作つてゐるだけで、あくまで当初計画した移動先に飛び立つ準備をしてゐるのかもしれない。その段階で、案外ここもいいな、最初予定して居た先に移動しなくて、ここを新しい巣にしてもいいなと判断したら、そこでやうやく、逃亡計画をとりやめて、新しい営巣活動を開始するのである、そのあたりの意思決定はどうやって誰が決めるのだろう。一見女王蜂がすべての権限を持つてゐるやうにみえるが、どうもそうでも無ささうである。女王蜂はあくまで産卵が仕事でそのための働き蜂の産卵のコントロールはするが、新しい女王蜂を育てたり、分蜂の時期をきめたりすのは働き蜂のほうなのかもしれない。強制的にハチウトに取り込まれたハチの群れ、逃げやうか、ここでいいかを決定する鳩首会談ならぬ蜂首会談は働き蜂がするのではないだろうか。
夜が明けた時点ではまだ気温が低くて巣から全く姿を見せないが、8時半ころになつて太陽が直接ハチウトを照らすやうになり気温も上がつて、ハチたちが少しずつ姿を現し始めて、やはりまだ一夜しか経つてゐないので、しばらウトの周囲を飛び回つてかた蜜集め一直線にに飛び出して行つた、早速花粉を抱えて戻つてくるハチもゐたので、ああ、これで大丈夫だと思つてゐたら、日が上がるにつれて、巣門のところで、何やらハチが小競り合いをしてをり、それが、あちらこちらで起きて、巣の周辺の動きも、ハチの日常とどうも少し違う。今日も円通寺の智道和尚がやつてきて、喧嘩をしてゐるやうだと云ふ、小生は戯れあつてるのでは、とあまり気にかけなかつたが、時間を追うごとに、戻つてくるハチは一切花粉を運んでこない。ハテどうしたのだろうかと気になつて夕方近くになつて、ネットで調べてみたところ、盗蜜と云つて、他の群れのハチが蜜を盜りに襲って来ることがあるらしい、この出入りです百匹が死ぬこともあるらしい、しかし、今回はまだ巣など全く出来てゐない段階なので、盗蜜では無い、一二匹死んだハチが転がってゐる程度である。それから、もうひとつ考えられるのは、ある群れのハチが入居するつもりでゐた空き家に他の群れが先に入つて、おい、そこは、俺達が入るつもりだったのだから、出ていけと喧嘩をすることがあるさうである。
都合よく解釈すれば、今回のことはこれに該当するのではないだろうか、今回、分蜂を取り込んで置いた三号基の場所、もともと二号基が置いてあった場所で、探索蜂なのか、前の群れの生き残りなのかよくわからないのが、十数匹くらいが時々出入りをしてゐた場所である。三号基を置くにあたつて昨日夕方、その二号基を2mほど後方に引つ込めた。昨日奥に引つ込めてから今日になつても全くハチの姿が見え無くなつてゐた。だから、今日のハチの喧嘩は、その探索蜂が場所を譲れと云つて爭つていたのかもしれない。
もしさうであれば、これほど好都合なことはない、うまくすればもう一群が自然入居してくれるかもしれないからだ。
本当であれば日没後、ハチが全部巣の中に入つてからの方がいいのだが、その前に本体がやつてきて小競り合いが過ぎて組織を上げての大抗争に発展すると三号基が全滅するかもしれない、、少しでも早い方がいいと、まだハチが活動してゐる明るい時間に、三号基を抱えて20mくらい離れたところに移動させて、そのあとに、二号基をもとあつた場所に戻しておいた。さて、明日になつて、吉とでるか凶とでるかである。
坂本棟梁の母上が先日亡くなられて、迂闊にもそのことを知らずにご葬儀に伺えなかつたので、今日、お宅に伺つてお参りをしてきた。97歳におなりだつたさうだ。
太郎の学校、家庭訪問週間ださうで、太郎は今週は午後も早い時間に下校してくる、我が家の家庭訪問も今週末くらいにあるやうだ。
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晩飯。豆ごはん、秋刀魚の塩焼き、揚出し豆腐、里芋と大根の味噌汁。3人家族だと食材を買うときに便利なときとさうで無い時とがある、パックが二人分なら四人家族の場合、二パック買えばいい。ところが三人だと二パック買つて一個余る。今日のサンマがさうだ、二匹入つたパックなので、二パック買つて一匹余つてしまつた。逆に4人家族の場合、一パックが3人前の場合、ニパック買うと二つも余つてしまふ、一匹ずつ売ってくれるのが一番いいのだが、売る方はそれでは効率が悪いのだろう、ひとり暮らしが多い今、都会では一人用として当たり前に売つてゐるのだろうが、田舎では無駄な買い物をしているひとり暮らしの人が多いのだろう。
令和 3年 4月19日(月) 分蜂
快晴、放射冷却で氷点下、霜で真っ白(写真1・写真2)、車のウインドウもガチガチ、風がなかったから寒さは感じなかつた。日が昇ると一気に暖かくなつた。
最低気温 -0.4℃ (05:12)、最高気温 18.5℃ (14:38)
定点撮影 その他写真
子どもたちの見守りが終わつて帰つてきてすぐに裏の畑の草刈りにとりかかつた。気温が上がらないうちに早いとこやっつけて、「今日こそ」の方に取り掛からなければならない。
今年は草に負けないやうに、薪材が草に埋もれないやうにと今のところは順調である、どうせ梅雨のころになると草に負けることになるのだろう。草を刈つてゐても、可憐な草花をみると、もうちょっと待つてやろうかと除けて草を刈る。今日は裏の畑の半分くらい刈れただろうか。
今、敷地内の棕櫚の木に黄色で大きな実と云ふのか種と云ふのかが生ってぶら下がってゐる。棕櫚は南方のイメージだが阿蘇には結構多い、我が家にも何本も自生してゐる、この実だか種だか利用法はあるのだろうか。(写真1・写真2)
さてさて、上に書いた「今日こそ」は、ニホンミツバチの分蜂である、こんな日に分蜂しなくて、いつするのだ、今日は絶対に分峰するだろうと、いつも分蜂のときには昼飯を食い逸れるので、11時ころには早めの昼食を済ませた、車二台も作業がしやすいやうに離れたところに移動させた、さあ、いつでも来い、と待ち受けた。
ところが昼ころになっても一向に分蜂しない、快晴より少しどんよりした晴れ間のほうがいいのかもな、と思ひながら、観察を続けて、丁度2時になるころ、「時騒ぎ」より少しブンブンが大きくなつて、かなりのハチが空を舞い始めた。
ヨシ来たあ~と円通寺の同好の士に電話をかけたところ、今日は葬儀ではないがお寺の行事がある、でも30分くらいなら時間がとれるとすぐに飛んできた。(今朝散歩のときに寄った十和子さんにも連絡すると云つておきながら忘れてしまつた、すまん)
ブンブン空を飛び回つてゐたハチが徐々に一箇所にあつまり始めた、そして小生が事前に用意しておいた蜂球板にドンピシャリ、蜂球を作り始めた。蜂球板は今回、三段構えで作つたが、どこに止まるだろうと思つて見てゐたら、一番下の桜の樹皮を貼り付けたところに蜂球をつくり始めた。去年は柿の木の上のほうに作つてハチの取り込みで危うく死にかけた(R2/5/7)。今年はだからじっくりと止まりやすいやうにハチの気持ちになつて作つたのだ。今回は一番取り込みやすい場所に蜂球を作つてくれた。
以前は分蜂のときは非常に緊張して慌てたものだが、今回は準備万端、全く慌てることもなく、淡々とハチを取り込んだ。先日来用意してあつたハチウトを蜂球板のところに持つて来て、ハチを手ですくつてハチウトの中へ移してやつた。
ハチの取り込みに際しては、ゴミ袋のやうな大きなビニール袋、蜂球状になつたハチの塊をドサッと落とこんで、その袋を逆さにしてハチの箱に落とし込む方法が一般的であるが、手ですくつて移してやるはうがはるかに優しいやりかただと思ふがあまりやらないやうだ。
達人ともなると素手でハチをすくつて移すが、小生、まだ、そこまでの度胸は無い、ただ、分蜂の時のハチはたらふく蜜を吸つてゐて穏やか精神状態だから刺ささないとは聞いてゐる、だから、手を蜂球のなかに突つ込んでも平気である、ただ、ハチをすくつて移すときに何かの拍子に出会い頭、と云ふことがあるので万一を考えて手袋をしてすくつた。写真撮影をしてくれた和尚は鼻のところをちくりとやられたさうである。
ただ、優しく手ですくつて、と云つても、蜂からすると、重力バランスがくずれるので、かなり乱舞する、それでも、今回も女王蜂を確認できなかつたが、すくつて移したなかに女王蜂がゐたのだろう、ある程度移したら、残りのハチもぞろぞろとハチウトのなかに入つていつて、無事にハチの移動は終了した。2時開始2時45分終了。
今回の新しいハチウトを3号基として、とりあえず居抜き待ちの2号基を少し後方に下げて、今まで2号基があつた場所に設置した。ただ、上手く取り込んだとしても、この3号基がハチが満足してゐるのかどうかは全くわからない、人間が良いと思つてもハチはさう思わないかもしれない、そうなると、ハチは逃げ出す、過去に二度も三度も逃げださうとしたところを危うく取り押さえたことがある。だから、日が落ちるまでずっと観察して、全部ハチが箱に入つたところを見計らつて念の為に出入り口を塞いでおいた。
目が離せないので、今日は風呂もやめたが、薄暗くなつてもう大丈夫だろうという時間、6時半ころだつたろうか、太郎が大丈夫だよと云ふので風呂に行つて来た。明日はまた朝から、もう大丈夫だろうと云ふ状況になるまで脱走監視をすることになる。
ニホンミツバチ分蜂連続写真(15枚)
令和 3年 4月18日 (日)
くもりのち晴れ。夕方には広く青空が廣がつてゐた、今日は風が冷たくて寒い一日だつた。
最低気温 4.6℃ (05:01)、最高気温 13.0℃ (15:34)
太郎と母親、午前中、熊本まで週例のテニススクールに行つた。
今日は気温が低めで風も強くて、ハチは全くと云つていいほど出入りがなかつた、こんな日は外の様子を気にせずに安心してゐられる。
全く予定してゐなかったのだが、阿蘇地方、そろそろ田植えの準備が始つてゐて、ふと、思い立つて、隣地の田んぼとの境界に植わってゐる茶の木の剪定をした。もう茶など摘まなくなつて、境界表示と云ふかアクセントと云ふか、あるだけであるが、伸びすぎて隣地の畦を侵犯気味になつてゐたので刈つたのだ、トリマーでざっとタイガーカットをした。タイミング良く剪定のあと田起こしのトラクターが動いてゐた。
昨日、カミさんが夏子の寮に届けたお祝いに頂戴したサボテンの写真が送られてきた、窓際の日当たりの良いところに置いてある、このやうな写真の掲載はOKなのださうだ。
宮崎県の新富町にサッカーJ3に今季から参入した「テゲバジャーロ宮崎」の本拠地となるサッカー専用スタジアムができたさうだ。テゲと云ふ言葉を聞いた途端、ああ、宮﨑だなとすぐに分かつた、Jリーグのチーム名、サッカーに疎い小生でも不思議とどの都市のチームなのかすぐに分かるスペイン語風造語のネーミングがいくつかあつて面白い。新富町と云へば、新田原基地だろう、これから結構話にされる場所になりさうだ。熊本にもロアッソ熊本といふサッカーチームがある、熱心なファンが多い、以前はJ2で、さあJ1だと云われながら、ズルズル後退して今はJ3、テゲとライバル関係になるわけだ。サッカー中継は地上波でも結構中継はあるが、シーズン中でもラグビーは全然無いなあ、有料チャンネルだけでしかやらないとまたファンが離れていくぞ。
令和 3年 4月17日 (土)
朝起きてみると今日は日本中雨雲に覆われゐた、その雨も昼ころにはあがり、実に気持ちのいい天気になつた、風が少しあつたが今日の風は吹かれてゐて気持ちのいい風だつた。ところが夕方6時ころになつて屋根を打つ・・・雨音?外をみたら雨が降つてゐる、レーダーをみたら、「我が家」の上だけに雨雲が・・・
最低気温 9.8℃ (06:25)、最高気温 17.8℃ (15:56)
今日も特に作業はしなかつた、ただ雨後のタケノコ、一区画だけで大小取り混ぜて30本くらい伸びてゐたので、手遅れにならないうちにノコで切り倒した、この段階では包丁で大根を切るくらいの抵抗感で切ることが出来る。
PCのデスクトップから台風関連サイトのアイコンがしばらく姿を消してゐたが、そろそろまたチェックする時期に入つてきたので復活させた。
先日台風が発生してフィリピン方向に向かうやうなことを云つてゐたので、日本には影響は無いと思つてゐたところ、その台風2号、北上する気配であまり安閑としてゐられないやうなので調べてみたところ、日本に近づいたあと、ECMWFの予想によると東側に逸れるやうになつてゐる、ただ、今の時点ではあまり精度は高くないのだろう。
カミさんが夏子のところに届け物を持つて出かけて行つた、一人暮らしが始まつて2週間ほどが経つて、足りないもの、持つて行き忘れたでもあつたのだろう。一人暮らしの慰めにとお祝いに知り合いからもらつた可愛いサボテン数鉢、机の上が片付いたからと云ふので一緒に届けた。ついでにハチミツといちごジャムとゆずジャムを持たせた。太郎は今日は留守番をすると行つて残つた。
友人の大阪の親戚に武漢ウイルス感染者がでたさうだ、小生の親類縁者友人知人のなかでは初めてである。ところで、内容は詳しく読んでゐない、ヘッドラインからだけの感想だが、武漢ウイルス関連で、小池東京都知事が「東京にこないで」と云つてゐるらしい。何を今更だ、東京一極集中はやめて広く分散して住もうと云ふ多くの声を無視して、(歴代の都知事)さんざん東京へ東京へと人を呼び寄せておきながら。
それは措くとして、今回の武漢ウイルスで東京から人が離れる傾向はあるが、喉元すぎればで、どうせこの騒ぎが収まつたらまたすぐに人口は東京に集中するのは絶対に間違いない。せつかくの奇貨なのに地方分散なんか絶対に起らない、ほとほと人間と云ふものは、である、この機会を逃したら、次にそれを悟るのは首都直下巨大地震により日本の政治経済が麻痺して、後悔先に立たず状態になつた時だろう(たとえさうなつても、廃墟の後にまた一極集中が始まるのだろうが)。
令和 3年 4月16日 (金)
時々小雨のぐずついた一日だつた。
最低気温 6.1℃ (02:03)、最高気温 15.2℃ (11:06)
子どもたちが登校する時間帯、少し雨が降り始めたが霧のやうな雨ですぐにやんだ、そのあとも、ゴミ出しの時に路面が濡れてゐたので予報よりも早い降り始めかなと思つてゐたら、雨がやんだ、レーダーをみると、まだらに雲があつて、その雲がかかるときと通り過ぎたときとの雨とヤミの繰り返しだつた。
定点撮影
子どもたちの登校の見守りを保護者が交代で行つてゐるが、その当番表が今年から地区委員の皆さんの尽力でLINEを使つて管理されるやうになり非常に便利になつた。本年度は坂梨校区の子どもたちは総勢で40名になる。
午前10時に市の防災無線から5年前の熊本地震の際の犠牲者に対する慰霊の黙祷の案内があつたので、サイレンに合わせて黙祷をした、今日は前震から一日置いて本震があつた日になる、改めて日記を読み返すと、大変な貴重な体験をしたのだがどんどん時が流れて小生の中ではもうかなり風化してゐる。
最近はフィシング詐欺メールもだんだんと手が込んできてうっかりすると騙されさうになる(写真1・写真2)、それでもブラウザーの方でも対策を取ってくれてゐて、分らずにアクセスると、ちゃんと警告を出してくれる場合があるので、助かる。、
小生のドコモの料金はカミさんの口座で一括して引き落とされてゐたが、かみさんがMVNOに変更するからと云つて小生の分の引き落とし口座の変更にドコモショップに行つてきた。閉店間際で事前に連絡をしてあつたので、スムースに手続きができた、普通、自動引落の手続きは申込用紙を書いて銀行届け出印を押して、と面倒だが、キャッシュカードを持つて行つて一切の記入手続き押印手続きなしであつと云ふまに終わつた。
晩飯、キジ焼き丼
令和 3年 4月15日 (木)
今朝、車のウインドウがガチガチに凍ってゐた(と云ふほどの低温でもなかつたのだが)、朝のうちだけだから、わざわざストーブを焚くほどのことは無かったが、朝、子どもたちの見守りで橋の袂に立たなければならないので、冬用の下着を引っ張り出して着た。
最低気温 1.1℃ (06:06)、最高気温 19.7℃ (15:18)
定点撮影 その他
ひとつのブロックの玉切りしたクヌギの最後の片付けをした。また次のブロックに取り掛からなければならない。
裏のシャクナゲが満開だ。
午前中、同好の士、円通寺の和尚がハチの様子を見に来た、しばらくハチ談義をした。時間が早かつたので、特に今朝は冷え込んだこともあり、まだハチの動きは活発でなかつたが、午後に入つて、もしかしたらと思うほどハチの乱舞が激しくなつたが、どうもいつもの「時騒ぎ」だつたやうでまもなく落ちつゐた。
晩飯 炊き込みご飯、刺し身、卵豆腐、シラスのおろし和え、味噌汁。
令和 3年 4月14日 (水)
晴れ。今朝、いつもの場所に立つた時、寒かつた、気温がそれほど低かつたわけではないが風があつたので、思わず手袋をしたほどだつた。
最低気温 7.0℃ (07:25)、最高気温 15.6℃ (14:38)
竹の子(もう掘らないからタケノコとは云はない)、がどんどん出てきてゐる、早いとこ切り取らないと後から往生することになる。
定点撮影 その他写真
新聞やラジオでさかんに熊本地震から丸5年といふやうなことを云つてゐる。
桃源郷のやうな阿蘇で近年前後して大きな災害がいくつも起きたので熊本地震のときはこうだつたと云ふハッキリとした記憶が他の災害と入り混じつて怪しくなつてゐる。熊本地震が今日なら、婆様の命日と重なり、なにかしら印象が残つてゐるかと思い出そうするがなかなか思い出せない。日記といふものは、最近になつて、無ければなくてもいいかと思ふやうになつて来てゐるが、やはり、このやうな時には記憶を辿る手段としては貴重である。
五年前の今日の地震はそのあと一日置いて起きた大地震の前震で我が家では大したことはなくてサラリと書き流してゐる、だから、地震と命日とが結びつかなかったのだ、しかもこの年の命日は七回忌にあたり、家族が全員揃う次の日曜日に「らしく」やろうと、この日は特に法要はしなかつたのだつた。改めて、あの時の前震(2016年 H28.4.14)からあとの日記を追つてみると、当時の混乱が改めて蘇つてきた。
小生は母のことをいつも婆様、婆様と書いてきた、知つてゐる人には分かるが、そうでない人には祖母だと思つてゐる人もゐる、だからこれからは「母」と書くやうにしやう。その母の命日の時にはいつも、もう何年経つたのだろうだろうと考えることがある。節目節目の回忌のときには形ばかりだが法要をする、七回忌まではやつた、次は十三回忌かなと思ひながら、はて、今年は何回忌になるのだろうと考えるが正確に計算できない、よくよく考えてみれば、母の死は太郎の誕生と同じなので、太郎の年齢からすぐにわかるのだが、なかなか結びつかないでゐる。太郎の年齢と同じだから、今日で丸十年、「回忌」で云ふと十一回忌と云ふことになるのだろう、と云ふことは十三回忌は再来年と云ふことだ、そのときには「法事」をするつもりだが、今日は普段汚れてゐる仏壇を綺麗にして花で飾るくらいか。
春が足早に進んで、桜は疾つくに葉桜になり春の花々も競うように次々に咲いては、花の命は短くてで、どんどん次の花にバトンタッチしてゐる、そんな中で庭にあるアイリスが今盛りだ、その他にも名前の知らない花が咲いてゐるので、摘んで花瓶に插して供えた(茎が水まで届かなかつた花もあつて朝活けた花が一部萎れてゐた)。先日、裏のシャクナゲが満開の時にまだ蕾だつたハチウトのそばのシャクナゲがやうやく咲き始めた、品種が違うやうだ。シャクナゲは挿し花としては、枝ぶりの関係で向いていないのでやめた。
それから、命日にはトンカツを供える。婆様は、イヤ、母はトンカツが好きで、私が死んだらトンカツを供えてくれといつも冗談交じりに云つてゐたので、いつの頃からか、(あるいは、一周忌以来毎年になるか、)命日にはトンカツを揚げて供えてゐる、ポテトサラダも作つた、だから我が家では母の命日を「トンカツ忌」と云つてゐる。
母の一周忌のときは初めてニホンミツバチの「分蜂」に遭遇して大騒ぎをして、七回忌のときは大きな地震に見舞われた、次の十三回忌にはまたなにか起きるかもしれない。
月に一度(だったか)、雑誌類の回収の日があり、今朝玄関先にたくさんの雑誌類が置いてあつたので今日がその日に当つてゐることがわかつた。普段こんなにたくさんの雑誌類は無い、みると夏子の受験雑誌類だ、向こうに行く前にちゃんと整理しておけよと云つてあつたので、それらだろう、しかしまだたくさん未整理のものが本棚やあちらこちらに残つてゐるぞ。
生ゴミはカミさんが基本的に出勤時に持つて出るが、かういつた重たいやつは小生かな、集積所に持つて行つた時に見たら、「螢雪時代」があつた、まだ今でもあつたのか、小生が受験生のころ、もう60年以上も昔には既にあつた、雑誌類の廃刊が多い昨今、まだこの雑誌は生きて残つてゐる、でも昔はこの雑誌、もつと分厚かつた記憶がある。
令和 3年 4月13日 (火)
昨日からぐずついてゐた天気、今日も昼ころには上がるだろうと思つてゐたが結局夕方までハッキリしないまま過ぎて行つた。
最低気温 13.5℃ (但し19:04時点)、最高気温 18.4℃ (11:39)
定点撮影
登校時間帯、ちょうど雨がやんでゐた、何組かが歩いて登校して行った、一年生もカッパを着て頑張って歩いてゐた、一年生にはちょつと大変な距離かもしれない。(写真1・写真2)
今年は武漢ウイルスの関係で所得税の確定申告の期限が一月延期されて4月15日になつてゐる。例年高額な還付金があるやうに申告をしてゐたので早めに還付金をもらうために手続を早くしてきたが、今年から、その手が使えなくなつて僅かだが納税しなければならくなつた。したがって納付する気になれずに伸ばし伸ばしできたが、それも明後日までになつたので、不承不承本日e-Taxを使つて申告して、即、ネットバンキングで納税した。
先日来の作りかけのイチゴジャム、今日完成させて瓶に詰めておいた。どうしてこんなに遅くなつたかと云ふと、いくらペクチンを入れても固まらない、このペクチンはもう10年くらい前からあるやつで、変質して役に立たなかつたのかもしれない、万一、食べて腹をこわすといけないのでしばらく様子を見てゐた、そしてペクチンはやめてレモン汁を入れたが、レモン2個使つてもよく固まらない、どうしてだかわからない、味に違いは無いのでとりあえず瓶に詰めて湯煎しておいた。
今日は雨なので分蜂は無いだろうと少し余裕があつたが、それでも気になつて時々チェックに行つた。
晩飯。麻婆豆腐、もやしサラダ、杏仁豆腐
令和 3年 4月12日 (月)
くもりのち昼ころから雨、と云つてもここは弱い雨、夕方までに2mm程度の雨量、気温が少し低めだった。
最低気温 9.1℃ (00:00)、最高気温 16.2℃ (14:46)
定点撮影
入学式も終わり、今日から全学年一斉の集団登校が始まつた、坂梨校区のピカピカの一年生は今日現認したところ三人だつた、緊張して歩いてゐた。初々しい姿を載せたいのだが、今はそれが憚れるので残念ながらやめた。写真1・写真2
つい最近まではみんなと一緒に歩いて登校してゐたこれもピカピカの中学一年生も何人か「チャリ」で登校してゐつた、制服が体に馴染んでいなくて、決して大きすぎると云ふことではないのがなんだか体に合つてゐない感じで見るからに新一年生だと云ふことがわかる。
夏子もいままでオリエンテーションなんかがあり、今日から講義が始まつたさうである、時々写真や出来事を報告してくるが日記に載せるなと云ふので、これも載せられない。
こどもたちを送つてから、すぐに、ハチが活動を開始する前にハチウトの周囲の草刈りをした。草の成長が早くてハチの出入りの邪魔になるからである。
そのあとで、薪置場に玉切りしたクヌギの運び込み二日目、今日は80個積んで運び入れた、あと少し残つてゐる、どうせなら一気にやってしまえば良いものを、今日はここまで。この作業、タケノコ掘りに比べたら楽なものである。屋根として小屋を覆つてゐるブルーシート、非常に薄い安物なのでちょっとしたたるみに雨水が溜まつて流れない、なにか工夫をしなければならない。
今日から全国的に高齢者に対して武漢ウイルスのワクチン接種が始まつたさうだが、それも供給量が少なくて限定的ださうだ、ここにはいつたいいつになつたら来るのだろう。
晩飯、水餃子
令和 3年 4月11日 (日)
今朝、寒かったなあ、僅かだが氷点下になつてゐた、太郎たちが出かけたあと、思わずストーブを焚いてしまつたほどだつた。
最低気温 -0.3℃ (06:07)、最高気温 19.7℃ (15:36)
太郎たち熊本のテニススクールへ
薪置場に先日来、玉切したクヌギを運び込んだ、切つても結構重たいので、20個くらいにしておこうかと軽トラックに積んだら、あつと云ふまに積み終わつたので、あまりにも少ないからと思つてどんどん積み始めたら、50個積んだところでほぼ一杯になつたので今日のところはこのくらいにして、と薪小屋の方に運び込んだ。切りっぱなしで乱雑に積み上げてゐたやつを整理して積んでいくと、思つた以上にコンパクトに収納できて、小屋を作つた時に、これでも少し狭いかなと思ったが嬉しい誤算と云ふやつでまだまだたくさん入りさうだ。これでいつぱいになつたら、板をもう一段嵩上げしたら、天井近くまで収納できさうだ、カネをかけた甲斐があつた。
今日も穏やかな陽射しのもと、ずっとハチウトの近くで過ごした、1号基、少し前にオスバチが生まれた兆候があつたがその後鳴りを潜めてゐたところ、今日はまたたくさんのオスバチのフタが落ちてゐた、それに、オスバチの姿が働き蜂に混じつて結構見られるやうになつた、もうまもなくだろう。
今年初めてスズメバチを見た、今の時期のスズメバチは女王蜂である、女王蜂だけが越冬して夏から秋にかけて巣を作つて子供を産む。今の一匹のスズメバチが秋には数千匹になる。網で捕まえようとした処、逃げられて二度と巣には近寄らなかつた。今、モンシロチョウがたくさんペアと飛び交つてゐる、クマンバチも一匹のときはホバリングのやうにゆつくり飛んでゐるが、縄張り争いなのか、あるいはランデブーなのか非常に早いスピードで交錯しながら飛び交つてゐる。そのほかにもいろいろな虫や草花が一斉に春を謳歌してゐる。そんな中でぼーっと椅子に座つて埋もれてゐると芯から心が洗わわれる。時々車も通るが、基本的には鳥の鳴き声と風の音だけである、それらの音も時々止んで無音になる、そして「無音」の音が聞こえるのである、「無音」にも音があるのである、わかんねえだろうなあ。
令和 3年 4月10日 (土)
快精、空気が少し冷たかった。
最低気温 3.8℃ (05:43)、最高気温 16.9℃ (13:36)
薪置場を完成させた、あとは薪を運んで入れるだけだが、かなり重労働になるので、なかなかエンジンがかからない。
令和 3年 4月 9日 (金)
晴天が続く、気持ちのいい天気が続く。
最低気温 2.9℃ (06:17)、最高気温 18.4℃ (13:11)
そろそろタケノコの成長も陰りを見せてきた。午前中、一箱分掘つて横浜の親戚筋に第二弾として送つた。もうそろそろタケノコ掘りも終わりにしたい、なるべく地面を見ないやうにしやう。タケノコ掘りで一日分のエネルギーを使い切つてしまふ。これが松茸ならちよつと摘めば採れるのだろうが、タケノコは大変である、松茸ならいくらでも出てきても大歓迎なのだが。
小中学校は今日は入学式だつた、小中学校、式典がかぶらないやうに午前と午後とに分けてやるらしい。在校生は今日は休みである、太郎は今日は一日ゴロゴロしてゐた。
小生は徹底的に今日は畑の草むらのなかで過ごした、今日も動きは無かつた。
令和 3年 4月 8日 (木)
晴れ。野焼きが終わったばかりだと思つてゐたら、もう山肌が薄つすらと若草で萌え始めてゐる。
最低気温 5.7℃ (03:53)、最高気温 17.9℃ (13:29)
定点撮影
太郎たち今日から新学期だ、太郎は5年生になつた、早いものである(多分中学校も今日からだろう、一貫教育でなくて小中連携教育と云つて始業終業日などは合わせてあると思う、例えば新学期に行われる家庭訪問などについても、兄弟で小中学校に行つてゐる家庭など、保護者が仕事を別々に休まないで済むやうに日程を合わせたりしてゐる。かと思へば運動会は春と秋とに別れてゐる)
小学校の入学式は明日である、だから、今日は2年生から6年生の集団登校で、新一年生は月曜日から加わることになる、坂梨校区は新入生は何人ゐるだろう、楽しみである。
写真1・写真2
小生が毎朝立つてゐる、黒川にかかる「門の町橋」の登校側のたもとがガードレールが無くて(写真1・写真2)、子どもたちが時々戯れながら通ることがあり、前々からちよつと危険だと思つてゐたので、二月ころだつたか、市の方に柵を設置してもらえると安心だと云ふメールをだしたゐた。それに応えて、設置しますと少し前に市から電話があつて数日前に工事が行われて柵が設置され新学期に間に合つた。厳しい市の財政下、こと子どもたちの安全にかかわること、優先してやつてくれたのだろう。
(写真1・写真2・写真3・写真4)
欲を言えばキリが無いが、ここは車は基本的に通らないので、人の落下を防ぐパイプで十分だと思ふ。そもそもガードレールは車を守るもので、人を守るためのものではない、その証拠に、ガードレールを取り付けてあるボルトなどは、歩行者側に突き出してゐる。
太郎は昼までで帰つてきて、坂梨の仲間たちのところに遊びに行つて夕方帰つてきた。以前付き合つてゐたグループとの付き合いはやめたのださうだ。
今日はいちごジャム作りで午前中、潰した。イチゴの量を量つた処、約2Kgあつた。砂糖の量が、これが人によつてバラバラである、味見をしながら800グラム入れた。ジャムを固めるペクチンの量がどうも分からないので少しずつ加えたがまだ足りないやうである、今日のところは途中までにして、明日、改めてペクチンを加えてみやう。
今日のハチの動き、今日はほとんど気配が無かつた。
晩飯。ひき肉と玉ねぎのミジンを入れたオムレツ。ほうれん草のホワイトソース和え。
令和 3年 4月 7日 (水)
晴れ。今日も放射冷却で朝方冷え込む
最低気温 1.5℃ (05:58)、最高気温 21.7℃ (14:56)
朝まだ気温が上がらないうちに今日もチェンソー1タンク分のクヌギの玉切りの続きをした。気温が上がつてからの、そしてこれからの暑くなる季節下での薪作りは作業としては不適である、薪作りはやはり秋から冬にかけての作業である、能率が全然違う。
玉切りが終わつて、初めて近くに植わつてゐるシャクナゲが満開になつてゐるのに気がついた、表の畑のハチウトの脇に植わつてゐるシャクナゲはまだかなり固い蕾のままなので、いつもそれを見てゐるのでもつと先のことだと思つてゐた。種類が違ふのだろうか。(写真1・写真2)
今、屋敷内にいろいろな花が咲いてゐる、からたちの花が咲いたよ、ハナズオウは枯れ木だと思つてもう切り倒そうかと思つてゐたら花が咲いた。枝でなくて樹皮からも直接花が咲いてゐる。これは木瓜だろう。これモクレンだよなあ、我が家にあつたのか、いままで雑草類に覆われゐて、今年、かなり雑草刈りをしたから咲いたのかなあ。白いスズランのような小さな花はなんだろう(調べたらスノーフレークと云ふらしい)、そのほかにもいろいろ小生の知らない名前の花がたくさんある。
それからこれも午前中の仕事、タケノコを掘り起こして、ご近所に配つて回つた。
薪作りとタケノコ掘り、これで一日分のエネルギーを使い果たして、日が昇つて気温が上がり始めると、あとは、ハチの様子を見ながらひねもすのたりのたり、である。今日あたり分蜂があるのではと期待をしてゐたが、今日は空振りに終わつた。
太陽の直射を避けるビーチパラソルの骨が折れてゐたので補修した。
福岡の従兄の滉兄とヒロ子夫妻、阿蘇方面ドライブがてらに寄つてくれた。今日のやうないい天気のもとで室内では勿体無いので、屋外で応接した。真夏になると暑くて大変だがこの時期、阿蘇の自然を愛でながらの歓談に本当にいい季節だ、ついでに、ハチの様子も観察出来る。
晩飯。今日は水曜日だ、カレーだ。
ニュースなどを聞いてゐると大阪などで武漢ウイルスの蔓延で大変なやうだ、行政側の悲鳴に近い危機感に対して世間一般の反応がどうも鈍い感じがする、世間では長引く自粛にもう麻痺してしまつてゐるのだろう。
知り合いからもらつたイチゴ、山ほどあつて、食べきれなかつたので、イチゴはすぐに鮮度が落ちるので、小生にとつてはもう寝る時間だが、久しぶりにジャムを作ることにして火を入れておいた、砂糖が無いので、あとは明日だ。
令和 3年 4月 7日 (水)
晴れ。今日も放射冷却で朝方冷え込む
最低気温 1.5℃ (05:58)、最高気温 21.7℃ (14:56)
朝まだ気温が上がらないうちに今日もチェンソー1タンク分のクヌギの玉切りの続きをした。気温が上がつてからの、そしてこれからの暑くなる季節下での薪作りは作業としては不適である、薪作りはやはり秋から冬にかけての作業である、能率が全然違う。
玉切りが終わつて、初めて近くに植わつてゐるシャクナゲが満開になつてゐるのに気がついた、表の畑のハチウトの脇に植わつてゐるシャクナゲはまだかなり固い蕾のままなので、いつもそれを見てゐるのでもつと先のことだと思つてゐた。種類が違ふのだろうか。
今、屋敷内にいろいろな花が咲いてゐる、ハナズオウは枯れ木だと思つてもう切り倒そうかと思つてゐたら花が咲いた。枝でなくて樹皮から直接花が咲いてゐる。これは木瓜だろう。白いスズランのような小さな花はなんだろう(調べたらスノーフレークと云ふらしい)、そのほかにもいろいろ小生の知らない名前の花がたくさんある。
それからこれも午前中の仕事、タケノコを掘り起こして、ご近所に配つて回つた。
薪作りとタケノコ掘り、これで一日分のエネルギーを使い果たして、日が昇つて気温が上がり始めると、あとは、ハチの様子を見ながらひねもすのたりのたり、である。今日あたり分蜂があるのではと期待をしてゐたが、今日は空振りに終わつた。
福岡の従兄の滉兄とヒロ子夫妻、阿蘇方面ドライブがてらに寄つてくれた。今日のやうないい天気のもとで室内では勿体無いので、屋外で応接した。真夏になると暑くて大変だがこの時期、阿蘇の自然を愛でながらの歓談に本当にいい季節だ、ついでに、ハチの様子も観察出来る。
太陽の直射を避けるビーチパラソルの骨が折れてゐたので補修した。
晩飯。今日は水曜日だ、カレーだ。
ニュースなどを聞いてゐると大阪などで武漢ウイルスの蔓延で大変なやうだ、行政側の悲鳴に近い危機感に対して世間一般の反応がどうも鈍い感じがする、世間では長引く自粛にもう麻痺してしまつてゐるのだろう。
知り合いからもらつたイチゴ、山ほどあつて、食べきれなかつたので、イチゴはすぐに鮮度が落ちるので、小生にとつてはもう寝る時間だが、火を入れておいた、砂糖が無いので、あとは明日。
令和 3年 4月 6日 (火)
冬のやうに朝の気温が下がつた。日が昇るとすぐに暖かくなつた、ストーブを焚く間も無かつた。
最低気温 2.9℃ (03:45)、最高気温 17.4℃ (15:19)
気温が上がらないうちに、チェンソー1タンク分、クヌギを玉切した。
今回作つたハチウトの手直しをして、そのあとはハチの動きを観察しながらウロウロしてゐた。
夏子はもう、「便りのないのは良い便り」、になつたやうだ。カミさんにも聞いたが、なにか大学に提出する書類で家族のデータで分からないところがあつたらしくてそれを訊いてきただけだつたさうだ。
晩飯。先日一人の時に揚げた天ぷらがうまかつたので、今日は天ぷらにした。我が家の定番のジャガイモ、ナス、玉ねぎ、それにアスパラが天ぷらにすると美味いので太郎が茹でて食べるのに食傷気味だつたので、どうだ、と云つたら、美味しい、美味しいと食べてゐた。それからタケノコの天ぷらも美味い、あとはエビ。
我が家の敷地内に不思議とタラの芽がたくさん生える、先日、これ天ぷらだなと思つてゐて、今日行つてみたらもう疾つくに天ぷらの段階は過ぎて葉が繁つてゐた。
令和 3年 4月 5日 (月)
今朝は少し冷え込んだ。晴れ、昼ころからやうやく暖かい日差しが降りそそいだ。
最低気温 6.9℃ (06:40)、最高気温 14.7℃ (15:12)
夏子の入学式が無事に終わつたという報告がLINEであつた。今日から晴れて看護学生だ。心配してゐた寮生活も穏やかな仲間ばかりで安心したさうだ。初めての一人生活、最初の夜、爆睡したと云つてゐた、案ずるより産むが易し、だ。
カミさんたちは、入学式には武漢ウイルスのせいで出席できないので、ZOOMを使つて式の様子を見ることができたさうで、式が終わつて夏子と会うこともなく帰つてきたさうである。
今日は太郎の虎舞のミニ発表会があつた、発表会といつても坂梨体育館で正式に衣装をつけての地元公演の演舞である、年度替わりでメンバーも入れ替わりがあり、そういふ意味合いがあるのだろう。
雨後のタケノコ、結構伸びてゐた。掘つてコンテナーに詰めて、軽トラに積んで思いつく処、数軒を回つてもらつてもらつた。丹精込めた農産物ではなく云はば「雑草」なので恐縮しながら配つて回つた。タケノコは保護色をしてをり、ちょっと見たくらいではなかなか目につかない時がある。配り終わつて陰になつてゐて気が付かなつた結構伸びたタケノコが目についた。ちょっと伸びすぎかなあ、これは我が家でたべやうかと、茹でてみたが、掘つて直ぐなので結構成長してゐたが、それでもまだ十分に柔らかかつた。
昼から、今までベランダに置いてあつたハチウトのいくつかを、適当な場所に設置した。一つは、近々あるはずの分蜂時に、群れを取り込む時に使うハチウトで、ベランダでなくて、近くが良いだろう、あわよくばその前に他から自然入居でもしてくれたらもつといいと思つて、一号基と二号基の間に置いておいた。
それから、あと二つは、ここ、と、ここ。人間が良いと思つても必ずしもハチが好むとは限らない、入るほうが珍しいのだ。不思議と玄関周辺にいつも数匹ハチが飛び回つてゐる、日当たりがいいからだろうか、どうもよく分からない。世の中にたえて分蜂のなかりせば・・・・・・だな。
晩飯、麻婆豆腐。これから三人分を作ればいいのだが、四人分に慣れてゐるのでしばらくは量が掴めないだろう。
令和 3年 4月 4日 (日)
雨、昼から上がるやうなことも云つてゐたが、結局終日、シトシト細かな雨が降つてゐた、気温も低めで、ストーブが欲しいなと思つたが、思つただけだつた。
最低気温 11.9℃ (但し19:59現在、降下中)、最高気温 17.2℃ (11:21)
今日は日記ネタは無い。
夕方近く、夏子がこれから入寮式があるとLINEしてきた、明日の入学式はダメだが、入寮式は保護者の出席が出来るのかどうか知らないが、いずれにしても今晩から未経験の一人で寝ることになる。カミさんと太郎は今夜一晩(どこでだろう、カミさんの位置情報はフォローしてゐないので知らない)泊まつて明日の夕方までには帰つて来ることになつてゐる。
最後のボッチ飯、豪勢に。
令和 3年 4月 3日 (土)
曇り、夜には雨になるさうだ。阿蘇谷も見るからに雨を呼ぶやうな風景が廣がつてゐた。
最低気温 13.9℃ (00:20)、最高気温 18.4℃ (10:59)
前の畑のレンゲソウがやうやく開花した、まだ、ナズナやホトケノザに埋もれてわずかしか咲いてゐないがこれから一面のレンげ畑になるだろう。(写真1・写真2)
夏子たち、確か昨夜は7時40分くらいに出発したと思つたが、現地に着いた旨のLINEが入ったのは当然小生はもう寝てゐたが10時14分と記録されてゐたので、ここから三時間足らずで行けるのだ、田舎道ばかりで高速なんか無いのでもつとかかると思つてゐた、このくらいならこれからも頻繁に往復することが出来る。夏子がこんなに近いのなら毎週末に帰ることが出来るとLINEで云ってきたので、そう頻繁に帰らなくてもいいよと返信しておいた。
今日、寮に荷物を運び込んださうだ、当初は寮は二人で一部屋を使うやうになつてゐてどんな人と相部屋になるのだろうか、気が合えばいいけどと行く前に少し心配してゐたが、今年はコロナの関係で、一人一部屋になつたさうである。不謹慎かもしれないが”ラッキー”と云ふところだろう。寮は一人部屋と二人部屋とがあつて、当然一人部屋の方が寮費は高いだろう、今回の場合はどうなるのだろう、大学側の都合だから、ホテル側の都合でシングルで申し込んでもツインルームをシングルユースとしてシングルの料金しか取らないのと同じで、二人部屋を一人でつかつても安い寮費になるのだろうか。
夏子がこれから大学生活を送る地は、福岡県のT市と云ふところだ、60年くらい昔、今は合併して北九州市になつてゐるが、小生は小倉市に住んでゐて、当時、田川は飯塚だとか直方だとかと一緒に炭鉱の町だつたと云ふ記憶がある、五木寛之の「青春の門」の舞台になつた町だ、云つてみればウンと山奥である。福岡市と北九州市を二等辺三角形の底辺として逆方向に描いた頂点付近にある、ここからだとほぼ真北に80キロくらいだ(もっと遠くかと思つてゐた)。だから、大都会の福岡市に出るにしても、北九州市に出るにしても二時間近くかかるらしい。さう云ふ意味では、ここから熊本市に出るやうな距離感だろうか。
組み立てた薪置場、多目的構造物として使へる。作業場としてもバーベキュー場としても雨や強い日照を気にせずに使える。縁側近くに設置すると夏などゴーヤなどを這わせてグリーンカーテンが出来る。
車庫にもなるので、車を入れてみた。去年の竹の切り株がたくさん残つてゐたのでまずそれらを切つて平にした。今回は一台あたりのスペースは2m×4mになるが、軽トラ、軽乗用車ではちよつと車庫入れには神経を使うが十分だろう、ただ、高さが2mなので、無線のアンテナ、ラジオのアンテナは畳まないとぶつかるな。でも都会の住宅の車庫なんてこんなもんだろう
(写真1・写真2)。
晩飯、カツカレー。昨日は夏子が作つたカレーだつたが、普通二日分くらいの量があるが、連中は昨日食べて出かけたので、余つてゐる、だから、今晩はカツカレーにした。今の時期、アスパラガスの旬なのだろうか、到来物がたくさんある、いつも茹でてマヨネーズを食べるかバター炒めにするが、今晩はカツを揚げるついでに、アスパラガスの天ぷらを揚げた、そのついでに、ジャガイモとナスも揚げた。つくずく小生はマメだと思ふ。
と書いて今日の日記を閉じるつもりでゐたら、夏子からLINEで「大事な書類を忘れた!レターパックで送って!」「でも、明日は日曜日で、送るのは月曜日になるよ。」「ローソンに行けばあるから。」「」じゃあ、明日でなくて、これから行つて送つてあげやうか?」と云ふことで、出かけてきた。今は郵便局が閉まつてゐても、コンビニでやつてくれるんだなあ。
オマケに、ローソンの店番は店主夫人で、お子さんが夏子と中学時代の仲間で、小生は付き合いな無かったうえにマスクをしてゐたのに、なっちゃんのお父さん?と顔を知られてゐた。どうしてわかりましたかと訊ねたら、昔よく写真を撮つてゐたのでわかりましたとのことだつた。小生も息子さんがバスケットの試合のときの保護者応援のときの迫力ある応援ぶりで覚えていましたよと笑いあった。さういふわけで、レターパックの手続きを手取り足取り教えてもらつて無事に発送手続きを終えた。自分でポストに投函しなければならないのかと思つてゐたら、発送までコンビニでやってくれるらしい、小生はコンビニはほとんど利用したことがないので全く知らなかつた。
令和 3年 4月 2日 (金)
晴れ。少し雲がかかり始めてゐる。
最低気温 12.8℃ (00:49)、最高気温 19.7℃ (12:00)
朝見るとタケノコが結構出てゐたので、コンテナーひと箱分掘つて親戚筋に送つた、これで毎年送つてゐる親戚筋への発送は一応終わつた。昼前に送ると今日の便で出るが、午後になると翌日昼まで営業所に留まり、その分、到着が遅れて鮮度が落ちるので、遠方に送る場合は午前中に勝負しなければならず、タケノコ専用林で育ったタケノコではなくて自然に出てくるタケノコなので、物によつてはなかなかスコップが入らずに、ひと箱分掘るのは結構重労働になる。
その後で、薪置き場の手直しをして、とりあえず完成した。箱状に組み立てたパイプの構造物の間にもう一本追加するというのは、これがまた結構大変で、苦労した。しつかり組んである箱はパイプにもう遊びが無いので、その間にパイプを追加するのは、せっかく組んだパイプを何箇所か緩めなければならないので、それを四方向で行つたので、太郎の手も借りて、組み直した。
今度は、竹を番線で締めて補強するについてもしつかり動かないやうに固定できた。このあと、コンパネを建て回して雨の降り込みを防ぐとともに、隙間なくうず高く薪を積むやうにする。
写真1・写真2・写真3・写真4
夏子がやうやく出発した。予定では6時半ころ出発すると云つてゐたが、なんだかんだで、結局8時近くなつて、カミさんの運転で太郎も一緒に新天地に向け出発した。こんなに大荷物が車に載るのかと心配したが、軽乗用車と違つて5ナンバーでも驚くほど物が入るものである。とにかく布団から鍋釜まで生活用品一式積んで出かけて行つた。出る時にお仏壇をちゃんと拝んで行つた。
(写真1・写真2)
入学式は5日だつたと思うが、今の御時世、保護者の出席はできないらしい、夏子は前日の4日には入寮しなければならないが、カミさんたちは旅行を兼ねて三泊するやうなことを云つてゐた。お父さんも一緒に行こうよとみんな云つてゐたが、また今度、夏休みにでもね、と云つて留守番をすることにした。それに、今はいつ分蜂するかわからないので、外泊などとんでもない時期なのだ、しばらく一人天下を楽しむことにする。
令和 3年 4月 1日 (木)
晴れ。今日もまだ黄沙が少し残つてゐたのだろう、あまりスッキリとは晴れなかつた。
最低気温 9.4℃ (05:52)、最高気温 20.6℃ (13:29)
今の季節、木々の葉、いろいろな緑色をしてゐる、夏になると濃い緑一色なるが、今は微妙にいろいろな緑が重なつてゐるので、山肌も非常に奥行きが感じられる(写真1・写真)
年度末が特に感慨が無かつたやうに、今日の年度始めも今の小生には全くピンと来ない。夏子は昨日まで全国的に高校生に配信されてゐた高校生専用の情報ネットが今日完全に遮断されて、昨日までは卒業しても高校生扱いだつたが今日からはもう完全に高校生では無くなつたと云つてゐた、太郎も法的には今日から5年生なのだろう。
夏子はいよいよ最後の自由時間、今日は中学校だけが共通だつた友だちと三人で光の森方面に鉄道を使つて遊びに出かけた。太郎のやつは、春休みの宿題がたくさんあるのに、あまり進んでおらず遊んでばかり。後からそのツケが回つて来るのだぞ、と云つても馬耳東風。
小生は、ハチウトの屋根を4枚作つて、その後、パイプで作つた薪置場の改造にとりかかつた。材料のパイプを節約した分、竹で補おうと思つて番線で締めたがパイプの間隔が広すぎて、竹が撓んでしまつてあまり意味をなさないので、中間に縦方向にパイプを追加することにして、2mのパイプとジョイントを追加購入した、これで支柱のパイプの間隔は2mになる、明日完成の予定。
晩飯。カツオのたたき、クジラの刺し身、だしまき玉子、冷奴、豆腐とニラの味噌汁。