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(2021)令和辛丑 3年 3月の記録 (新しい日付けの順)

令和 3年 3月31(水)

 晴れ。気温が上がる。やうやくこの度の黄沙が終わりつつある
    最低気温 4.4℃ (05:41)、最高気温 22.9℃ (14:03)

 官公庁を始め、民間企業でも今日が年度末のところがほとんどだ、忙しくて少し緊張する一日だつたろうが、小生は完全に過去のものだ。

 タケノコが大分生え始めた。一ニ本では遠隔地の親類縁者にわざわざ送るわけにはいかないが、今日あたりになつてやうやく数が揃えて生えてきたので、箱詰めして、まず一軒に発送した。

 昨日組み上げた薪置場の屋根に持ち合わせのビニールシートをかけた。これで真上から落ちる雨には濡れなくて済むが、横から降り込む雨には無防備だ、欲が出てくる、だいたい雨が降り込む方向は決まつてゐるので二方向にだけ、工夫して壁をつくろうか。

 太郎が早速出来た日陰で横になつてゐた。

 太郎、虎舞の練習日 18:00~19:00 (於)坂梨体育館 小生が送迎。

 晩飯、ハヤシライスを教えた、ハヤシライスは教えるほどのものではない、絶対に間違いなく短時間でできる、寮生活では役に立つだろう。


令和 3年 3月30(火)

 今日も天気が良いのに黄沙で視界が悪かつた。
   最低気温 9.6℃ (00:00)、最高気温 19.6℃ (16:57)

 せつかく作つた薪が野ざらしで一年放置すると腐るので薪置き場を作つた。
 孟宗を数本切り倒して用地を確保した、ニ三本、タケノコが顔を出してゐたのに気がつゐてご近所に届けた。

 4m×4m、高さ2mの単管パイプを組んだ。パイプも本数が少ないとあまり費用はかからないが、直方体となるとちよつと想像する以上に本数が要り、今回はジョイントも含めて全部で40Kもした。それでも今回は薪が雨に濡れないやうにする目的で、堅牢である必要がないのでこれで最低の骨組みである。このくらいパイプが長いとちゃんとした構造物を作るのであれば、もつと間にパイプを入れなければならない。小生に根性があれば、竹がたくさんあるので、それを使ってDIYで薪置場くらいタダで出来るものを。

 最近はジョイントは足場などを組む時に使う、無骨な直交クランプでなくて、かう云つた構造物を作るためのスマートなジョイントが売られてゐて、直交クランプに比べると少し割高だが、直交クランプに比べて個数が少なくてすむので、しかも、形が決めやすくて随分楽である。ただ、構造的に、足場には使つてはならないと書いてある。

 地面が水平でないので、組み終わっても少し歪んでゐる、後日修正するか、このままでいいか。

 あとは屋根部分をブルーシートで張れば完成である。小生、単管パイプを扱う作業する際には、必ずルメットをかぶる、なんとなれば、なにかの拍子でパイプが倒れたりして頭にあたると非常に危険だからである、パイプを繋ぐ作業では結構このアクシデントは起きる、小生もなんどか痛い目に遇つてゐる、打ちどころが悪ければ大変なことになる、そのくらいパイプは重い。
 
 今回の材料集めは全部コメリでした。小生としては利用しなれたホームワイドで買いたかつたのだが、結構本数が要るので、各店ではどのくらいの価格差があるのだろうと普段やらない事前調査をしたところ、2mもののパイプは同じ値段だつたが、4mのパイプは、ホームワイドが@1,936でコメリが@1,680、結構な価格差である。4mのパイプを9本も使うので、コメリで買うことにした。ところが、調べてみるとコメリでは一切電子マネーは使えない、今どき珍しい、現金を用意して出かけた。
 
 2mのパイプは@968で両店同じだつたが、別々に買うのも面倒なのでコメリで買つて、あとでこれも普段はしないのだが、レシートをチエツクしたところ、@998となつてゐたので、このことを店に確認したところ、実際は@998なのに、値札が@968になつてゐたやうで、値札のとおりにしますと云ふことで過払分を返金してくれた。つまり、2mパイプはホームワイドのほうが安いといふことになる。どこでも同じやうだと思つてゐたが、店に因つて結構値段が違うのだなあと今回改めて思つた。
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10写真11

 夏子は、先日までクラスメートだつた友人と朝から鉄道を使つて光の森にショッピングに出かけた。帰るころ位置情報を見たら、まもなく宮地駅と表示されてゐたので、駅まで迎えにいつてやつた(徃きはカミさんが出勤の時に駅まで送つた)。駅から歩くと一時間くらいかかるだろう、都会では考えられないことだろう。

 晩飯、ジンギスカン。


令和 3年 3月29日(月)

 晴れ。
    最低気温 8.4℃ (03:21)、最高気温 18.5℃ (16:10)

 今日はコヤツのせいで、山が霞んでゐた。黄沙ばかりでなくPM 2.5まで流れてきてゐる。

 定点撮影。いつも登校見守りの時に撮つてゐる。だから学校が休みのときには撮らない、ところが春休中みなのに、と云ふところだが、今日は小中学校の先生方の退任式があつて在校生も先日卒業したばかりの元6年生も、いつもよりも1時間遲れで登校して行つた(写真1写真2)。夏子の高校は、武漢ウイルスの関係で、早々と中止になつてゐた。このやうな退任式という催しはいつの頃から始まつたのだらうか、昔は無かった。

 夏子は、中学校時代の吹部の先生が転任されることになつたので、当時の仲間達と一緒に中学校の退任式が終わるのを見計らつてお別れに行つて、そのまま、仲間と昼食を食べて帰へつてきた。

 小生、今日はなにかしたかなあ、なにもしなかつたなあ。さうさう、竹林を覗いてみたら、一本だけ太い孟宗が出ていたので、一本ではどうしやうもないので、我が家で食べることにして、急遽、今晩はタケノコご飯にすべく、献立を予定を変更した。

 いつもなら一斉にタケノコが出てくるのだが、今年は今の所ポツリポツリだ。

  太郎、虎舞の練習日 18:00~19:00 (於)坂梨体育館、小生が送迎する。

 夏子が寮生活でタケノコを調理することは無いだろうから、小生が、タケノコご飯と土佐煮と若竹汁を作つて、夏子がきんぴらゴボウ、ナスの味噌炒め、だし巻き玉子を作つた。それから刺し身を買つてきた。


令和 3年 3月28日(日)

 ほとんど終日雨、夕方なつてやうやく回復方向に向つてゐる。
     最低気温 11.4℃ (但し18:58時点)、最高気温 15.6℃ (12:54)

 太郎は(母親は)朝寝坊して、テニススクールを休んだ。
 
 村の薬師堂が老朽化して、なおかつ、急坂の上にあるので、天神社の横に新しく持仏堂を作つた、薬師如来像の他、別の場所に弘法大師像、地蔵尊が安置してあつて、それらは野ざらしなので、この際、薬師像と一緒にしやうと云ふことになつて、今日その引越と薬師堂の取り壊し作業が村の区役で予定されてゐたが天候不良のために後日延期になつた。

 午後から、夏子は母親と新生活に必要な物の買い出しに熊本方面に出かけた。


令和 3年 3月27日(土)

 晴れ、風があつたが気持ちのいい一日だつた、この天気、今夜には崩れるらしい。少し前から越冬したカエルが鳴き始めてゐる
     最低気温 2.6℃ (06:34)、最高気温 21.7℃ (14:13)

 今日は空気が乾燥してをり、風も強かつたので、林野火災が一日で11件も発生して阿蘇広域消防はてんやわんやだったやうだ、全部野焼きの飛び火だろう、なんでこんな日に野焼きをするのだと消防は腹を立ててゐることだろう。

 夏子がピアノ教室で10年近くお世話になつたみゆき先生がお子さんと一緒においでになつた。結婚されて、出産されて、どの段階でだつたか小生は知らないが、レッスンを辞められて、夏子は最近一年ほどは個人レツスンで別の先生について習つてゐた。

 夏子は先生を非常に慕つてゐて担当教室が地元の教室から県北の方にある教室に移られたあとも、夏子は県北のその教室まで通つてゐた、小生は地元宮地のピアノ教室時代の夏子の送迎で何度かお目にかかつたことがあるが何年ぶりだろう。

 今日は、武漢ウイルス感染予防の意味もあるが、何より気候がいいので、庭に席を作つて、(小生は加わらなかつたが)午後いつぱいそこで歓談してゐた。

 お子さんも、非常に人見知りだそうだが、太郎には非常に懐ゐて、夕方帰る段になつても帰るのが嫌だとお母さんを困らせてゐたやうだ。ちゃうど、また、タケノコが二三本顔を出してゐたので、掘つて、持つて帰つていただいた。
 (写真1写真2写真3写真4写真5

 春は、普段よりも自動車教習所が賑わう、高校を卒業すると就職するにも進学するにも、一斉に免許を取りに行く同じからだ。夏子のクラスの子も何人か行つてゐるといふ。夏子は受験スケジュールの関係もあつて教習所に行く時間がなくて、彼女自身もすぐに欲しいと思つてゐないやうで、いずれ、といふことなのだろう。かう云つた夏子と会話のなかで、「しゃこう」といふ言葉を耳にして、それが「車校」、すなわち自動車教習所を指す言葉だといふことを知つた。今は車校といふのかと思つてネットで調べたら、自動車教習所のことを指す言葉は地方地方でいろいろあるやうで、「車校」が全国区の言葉では無いといふことも知った。「教習」「自校」「車学」「自車学」などなど、救急絆創膏の呼び名が地方によつていろいろあるのと同じだ。小生はバンドエイドと云つてゐたが、熊本では「リバテープ」と云ふ。熊本の人は「リバテープ」を疑うこと無く共通語だと思つてゐる。

 飛田愛斗、すごいなあ、彼は夏子と保育園、小学校、中学校とずつと同じだつた。騎手になつたとは聞いてゐたが、素晴らしい活躍ぶりだ


令和 3年 3月26日(金)

 晴れ。陽射しが暑い、もうTシャツだ。
    最低気温 0.3℃ (06:19)、最高気温 23.8℃ (15:32)

 午前中まだ空気が冷たいうちにチェンソー1タンク分だけ薪作りをしたので体が楽だつた。木を動かすと、下の方からカブトムシのあれは、サナギなのか、たくさん出てきた。すぐにヒタキが目ざとく寄ってきた、自力で土の中に潜るか餌になるか、でも、ちょっと大きすぎて手に余るだろうと思うが、どうなったろう。
 
 せつかく作った薪、なるべく雨が当たらないように、薪小屋とまではいかなくても、小屋組みをしてブルーシートをかけるべく材料の検討を始めた、基本は単管パイプだ。

 ハチウトの一号基、いよい雄蜂が生まれたやうだ、その痕跡が落ちてゐた。もうまもなく分蜂が始まるだろう。

 昼飯、三人で久しぶりに「阿蘇の風」に蕎麦を食いに行つた。今日は平日なのでそんなことは無かつたが、週末ともなると、トンネル開通や57号線現道部の復旧で捌ききれないほどのお客さんが来て、嬉しいを通り越して困つてゐると云ふ事だつた。

 晩飯、豆ごはん、さんま塩焼、豚汁・・・・夏子に伝授。小さなサンマなのに一匹150円見当した、不漁なのだ。


令和 3年 3月25日(木)

 ああ、今日は本当に気持ちのいい一日だつた
    最低気温 9.1℃ (06:12)、最高気温 20.8℃ (14:03)

 太郎、今日から春休み、今日も昼から友だちの家に遊びに行つたが、なにか腹に据えかねることがあつたらしくて、怒つて帰つてきて、もうあいつら(小生の表現だが)とは遊ばんと云つてゐた。

 午前と午後とそれぞれチェンソー1タンク分の燃料で薪作りをする。ほだ木用のクヌギを切る。去年から野ざらしなので、このまま放置は出来ないので、状態がいいうちに薪にして雨が当たらない小屋に入れる予定、まだ、残つてゐる。気温が上がつてきてそろそろ薪作りが苦行になりつつある。寒いときであれば一日中チェンソーを振るつてゐても平気なのだが、もう長時間は出来ない。

 薪作りのあと、今日もノンビリと自然入居待ちのハチウトのハチの出入りを眺めて過ごす、入るとしてもまだまだ先のことだろうとは思ふがいろいろ想像して見てゐて全く飽きない。

 太郎、虎舞の練習日 18:30~20:00 (於)坂梨体育館、送りはカミさん、カミさんはなにかのサークルで迎えは小生。

 晩飯、夏子がオムライスを作る、もう完璧だ。


令和 3年 3月24日(水)

 晴れ、今日はいい天気で暖かくて気持ちの良い一日だつた。
    最低気温 -0.2℃ (05:20)、最高気温 16.3℃ (15:37)
 
 定点撮影
 太郎は今日で四年生、三学期終了、通信簿(今は別の云い方があるやうだが小生は知らない)をもらつて昼で帰つてきた。小生は、姉の時もさうだつたが、通信簿は一切見ない、見たことがない。よほど悪ければ気になるが悪くはないやうだから、それ以上はどうでも良いと思つてゐる。毎朝の小生の旗振りも暫く休みになる。

 太郎は昼からまた友だちの家に遊びに行つた、帰つてきて聞いたところ、その友だちの家からまた別の友達の家に行つたさうで、今日は全部で10キロ歩いてヘトヘトだと云つて、帰つてくるなり疲れ果てて寢てしまつた。昔の人はどこに行くにもかうやつて歩いたのだろう、ここでは、公共交通機関がロクに無いので、車が無いと昔の人のやうである。

 内訳は我が家から最初の友だちの家までが2キロ、そこから別の友だちの家までまた2キロ、そこから我が家までが2キロ、ちょうど、坂梨から宮地をぐるりと一周したことになる、それで6キロになるが、通学の往復の4キロを入れると合計10キロ強と云ふことになる。正確にはどのくらいの距離になるのだろうと、GoogleMapで測つたところ、13キロ以上あつた。
 

 午前中でハチウトの残りの二基の仕上げをして、これで、全部完成した、あとはどこに設置するかだ。昼から、自然入居待ちのハチウトのそばで、様子を見ながら、春の草花のなか、ウグイスの鳴き声を聞きながらコーヒーなんぞ飲みながらノンビリ、ウトウトしながら過ごした、春である。

 そろそろタケノコが出ているかなと思つて、毎年、一番最初に出る、浄化槽の脇を見たが、まだ出ていなかつた、それから、裏の竹林の日当たりの良いところを見たところ、小さなタケノコが顔を出してゐた(二本)ので、浄化槽のところに戻つてよく見たら、ここでも小さな奴(一本)が顔を出してした(合わせて三本)。せつかくだから掘つて茹でたが、これだけだとタケノコご飯はむりだな。そしばらくすると、もうしばらくするとタケノコラッシュになるだろう。

 昼飯は夏子が三人分の焼きそばを作つてくれた、夜は、カレーだつた。


令和 3年 3月23日(火)

 晴れ。放射冷却で久しぶりに氷点下。日中、気温は決して高く無かつたが、陽射しがあったので数字以上に暖かかった。
    最低気温 -1.9℃ (04:20)、最高気温 13.4℃ (15:54)

 定点撮影。今日は在校生は休み、6年生だけが卒業式で登校日、多分、いつもの時間ではないだろうとは思つたが、一応、いつもの時間に見守りに出動、思つたとおり空振りだつた。

 太郎は昼から友だちの家に遠出で遊びに行つて夕方帰つてきた。
 夏子は、高校生の間、市のある財団からもらってゐた奨学金の卒業式があり、母親と一緒に出かけて、同じく夕方に帰つてきた。

 従兄の哲兄と八重子夫人が御入来。4月に入るとすぐ、二人で近見から八重子さんの出身地の埼玉の方に生活の拠点を移すそうで、しばらく会えなくなるのでと顔を見せてくれた。

 小生、今日は、ハチウトの制作の続きをした。ハチウトの中に蜜蝋を塗って、重箱を重ねて動かないやうに接続した、あと二基残して今日の作業は終わる。
 
 夜、夏子の合格祝いだかなんだか、久しぶりに焼き肉を食べに行こうと云ふ打ち合わせが三人で出来ていたやうで、小生も「よかよか亭」に連れて行かれた。


令和 3年 3月22日(月)

 寒の戻り?今日は朝からストーブに火が入つてゐた、日中も気温が上がらずにずつとストーブが燃えてゐた。明朝は氷点下だそうだ。
    最低気温 3.0℃ (05:50)、最高気温 8.6℃ (15:02)

 定点撮影
 全学年揃つての登校は今日が最後である。明日は卒業児童だけの卒業式で在校生は休み、明後日は在校生の修了式である。
 通りかかるこどもたちに、みんなで登校するのは今日が最後だよ、しっかり思い出を刻んで登校して行きなさいと声をかけたがあまりピンときていゐないやうだつた。以前は一人ひとりの写真を撮つて成長の記録として残してゐたが、今はそんなご時世ではないので、こどもたちの表情を捉える写真は撮るのをやめてしまつた、なんとも窮屈な時代になつたものである。
 (写真1写真2写真3

 精米に行く(4/9 前回2/7)

 ニホンミツバチが分蜂の時に一時的に群が一時的に集合する場所、「蜂球板」を整備した、去年(5/7)はここに止まらずに、柿の木の上の方に蜂球を作つて、取り込みの際にエライ目に会つたので、少し改良を加えた。やはり屋根があつたはうが良さそうだ(日陰)、それから屋根の下側に直接ぶら下がる形で蜂球を作る場合もある、オマケとしてその下にも蜂球をつくる場所を作つておいた。

 一号基のハチの動きが活発で、時間的には「時騒ぎ」だとは分つてゐたが、時期が時期だけにちょつとドキドキしながら様子を見てゐた、やはり時騒ぎでまもなく落ち着ゐた。二号基のほうがどうもハッキリしない、今日は風が強くて気温も低かつたので、数匹のハチの出入りは確認できたが、このハチがどういう状況のハチだかどうもよく分からない、先遣隊と云ふことはあるのだろうか。

 夏子、今晩は豚肉のムニエルを作つてくれた。


令和 3年 3月21日(日)

 午後には雨雲群は抜けて東に移動して行つたにもかかわらず、山間部、終日細かな冷たい雨が降つてゐた。気温も低めで、ストーブがあると暖かいだろうなとは思ひながら、面倒で火を焼べることもせず、最後には一旦脱いだなんと云つたか洋式股引をまた穿いたりした。そして、結局、夜に入つてストーブに火が入った。
   最低気温 6.8℃ (但し19:14時点、なお降下中)、最高気温 16.2℃ (03:42)

 太郎、母親と熊本のテニススクールにでかけた。
 
 今日は何もしなかつた、ずっと本を読んでゐた。


令和 3年 3月20日(土) 春分の日 お彼岸(春季皇霊祭) 

 細かな雨が降ったりやんだりの一日、雨雲が九州の北端と南の方を東に移動して、熊本は夕方までは比較的雲がかかることが少なかつた。
     最低気温 12.7℃ (04:41)、最高気温 16.7℃ (14:15)

 お彼岸である、お仏壇に屋敷内の草花(菜の花、ハナダイコン、スイセン)を摘んで、ソメイヨシノも手折つて、ついでに「おはぎ」もお供えて供養した。 当地は、お盆のときには盛大に?墓参りをするが、お彼岸の時にはあまり墓参りをする風景は見られない。

 夏子は母親と大学生活に必要なものを買い出しに熊本方面に出かけていつた。

 二号基のニホンミツバチの群が消滅したのを発見したのは3月10日だつた。消滅原因を小生なりに推理したが、おそらく女王蜂が何らかの原因で死んで、それまでに産んだ卵が孵つて、大きくなつて、成虫になつて一二月の寿命を全うして、その後が続かずに徐々に自然にその群が消滅したのだろうと結論づけた。外的な理由で巣のハチが逃亡するころがあるが、その場合は、取るものもとりあえずで、幼虫も卵も全部残して居なくなるだろうから、今回の残された巣の状況からは巣がとても綺麗だつたのでそうでないだろうということが想像できる。女王蜂の寿命は三四年だと聞いている、この群は昨年逃亡してきたハチが我が家の巣に入つたので、女王蜂がそれまでどのくらい生きて来たのか分からない、おそらく、今回寿命が尽きたのではと想像する。
 
 この消滅したハチウト、どうしようかと考えた、少し重いのでまだ蜜はたつぷり残つていさうだ。巣を潰して蜜蝋を採ろうかとも思つたが、優先順位で、その前に、作りかけのハチウトを完成させなければと、しばらく元通りにして落ち着いてから、巣を取り出そうと思つてゐた。
 
 ところが数日前に、偶然、ミツバチが一匹巣門のところを出入りしてゐるのを見た。その時に、もしかしたら、この空き家に別の分蜂してきたハチの群が入居することはないのだろうか思つた。
 
 このあたりの蜂の習性は小生は知らない、別の群が作つた巣に、たとえ空つぽでも入ることはあるのだろうか、別の群の匂いが残つてゐる巣に入ることはあるのだろうか。でも考えてみると、蜂を誘引する際に、蜜蝋を巣箱に塗る、この蜜蝋も別の群の巣から採つたものだ、だから匂いは関係ないだろう。あとは、巣の形状だ、これも、ハニカムはみな同じだろう。と云ふことは、別の蜂の群が入らない理由は無いではないか、「居抜き」の巣に入る、入居するハチにとつて、これほど恵まれた条件は無いだろう。
 
 数日前に一匹だけ見かけて以来、折に触れては巣箱のところに行つてみるがその後全く蜂の姿を見ない、あれは本当にたまたまだったのだろうか、そんなこんなのとき、今日、時々小雨が降るなか、巣箱周辺に十数匹のニホンミツバチが飛んでゐて、中に入つたり、巣の周りを丁寧に点検してゐる(やうに小生には見えた)。これ、探索蜂だろうか、あるいは、他の群の蜂が、巣箱の中に残つてゐる蜜に気がついて、単に蜜集めに飛んできてゐるだけだろうか、さてさて、非常に期待と不安で気を揉ませる一日である。

 晩飯。夏子が家族全員のオムライスを作った。小生、なんだか毎日オムライスを食つてゐる感じだ。


令和 3年 3月19日(金)

 晴れ。
  最低気温 11.0℃ (04:04)、最高気温 19.7℃ (14:14)

 定点撮影  その他登校風景(写真1写真2

 昨日に引き続き、駄原川上流に薪材の積み込み行く。今回はクレーンを使つて積み込む材が多くて、その分体もたくさん使うので、パワートレーニングで、午前午後で三往復、ヘトヘトになつた。この現場はこれにて終了。
 写真1写真2写真3写真4

 夏子、昼飯、オムライスに再挑戦、合格!
 晩飯はポトフを作らせた、これも合格!オムライスにしてもポトフにしても一人分を作るのは簡単で作りやすいだろう。


令和 3年 3月18日(木)

 晴れ。今日も気温が上がった。
     最低気温 5.4℃ (06:15)、最高気温 21.8℃ (14:19)

 定点撮影 その他登校風景

 午前中早い時間に、薪材をもらいに行つた、今日も現場は、駄原橋際を川沿いに登つたうんと奥の方で軽トラックがようやく通れるほどのところ、今日は場所の確認が主で行ったついでに少しだけ積んできた、明日以降、残りの木を積み込みに行く予定にしてゐる。

 そろそろタケノコのシーズンである、竹林の中が荒れたままになつてゐるので、今日は少し整理をした。気温が上がっての焚き火はもう炎熱地獄である。それから、ここにハチウトを置く場所を確保することにした。今日一日働いてヘトヘトになつた。

 太郎、虎舞の練習日 18:30~20:00 (於)坂梨体育館、小生が送迎する。

 カレー 今日は小生完全にノータッチ、夏子、ハンバーグに続いて、小生流秘伝のカレーも免許皆伝。
 
 昼飯、オムライス。これはふんわりオムレツをフライパン操作でチキンライスを上手く包める、これがコツがあって、手を出さずに口でアドバイスをしながら二人分を作らせたが、初めてだつたので二個ともうまく行かなかつた、最初、小生が一人分で手本を示しても良かつたのだが、さうすると、彼女はあともう一回しか実技が出来ないので、失敗承知でいきなり二回挑戦させた。明日もまた昼飯はオムライスに挑戦するさうだ、明日は小生が手本を示さう。


令和 3年 3月17日(水)

 晴れ。暑い暑い、20℃を越えた、体が馴れてゐないのと服装がほとんど冬に近いので、げんなりした、気分的にはもう真夏の感じだ、急に屋外作業が苦痛になつてきた。
    最低気温 10.8℃ (06:14)、最高気温 20.2℃ (16:12)

 定点撮影

 今日の暖かさで桜の開花が一気に進んだ。夕方、まだだとは思つたがとりあえず、風呂帰りに車を停めて眺めてみたところ、桜が一輪綻んでゐた、一輪ではなあと思つてよく見たら、四輪も五輪も開いていた、ここに風師庵測候所、令和三年の豆札村のソメイヨシノの開花宣言をする。(去年は3月25日だつた)
 (写真1写真2写真3写真4写真5

 今年の春のお彼岸は20日だ、今日昼から、八千場の分家の墓掃除に行つてきた。冬場を越してきたので草はほとんど生えておらず、(縁者が最近おいでになつたのだろう)もう花が供えてあつたので、調和を壊す草だけちよつと刈るだけにしておいた。墓石の背面の草は菜の花できれいだつたので、そのままにしておいた、お盆の時には刈らなければならないだろう。

 午前中、児玉さんと家入さんの三人で阿蘇文化調査研究会の役員会を我が家で持つた。今年一年の武漢ウイルスによる活動休止の締めくくりと新年度に向けてのおおまかな展望を話し合つた。

晩飯、野菜たっぷり牛肉の甘酢あんかけを伝授する


令和 3年 3月16日(火)

 曇りのち、弱い雨。 昼ころから細かな雨が降り始めた。風が強かつた、予報では天草地方と阿蘇地方と限定してゐたが、どう云ふ「風の吹き回し」なんだろう。
    最低気温 5.7℃ (00:00)、最高気温 16.9℃ (10:43)

 我が家の入り口のところにあるソメイヨシノ、開花までまだもう少しある

 今年も食堂脇の木に大きな白い花が咲いた、コブシか白モクレンかだと思うのだが、毎年どちらだろうと思ひつつも調べないできた。今年こそはと思つて調べてみたところ、二つの花の大きな特徴は白モクレンは花弁が9枚で、コブシは6枚とある、これが正しければ、食堂脇の花はコブシだと云ふことになる。
 
 敷地内にはもう一本同じやうな木があるが、今のところ木の上のほうにしか咲いておらず、花弁の確認ができない、この木は藤の蔓ががんじがらめに締め上げて幹の表面が凸凹になるほど変形して息も絶え絶えになつてゐたのを昨年藤の蔓を取り除いたので樹勢弱くてあまり花を付けてゐない、食堂脇のコブシとこの木は幹の形状が全然違うやうな気がするが、どちらだろうか。

 定点撮影

 ハチウトの最後の仕上げ段階、重箱の一番上に天井を貼って、カバーを付けた、天気が心配だつたので、午前中で材料を全部切りそろえて、雨になった午後から秘密基地で組み立てた。これで、一応、いつ入つてくれても困らない形が出来た、これだけ並んでいるのだから、設置前でも入居してくれる群があつても良いのだが、さうさう都合よくは入らないだろう。

 夏子、4月に入るとすぐに出ていくので、今まで使つた教科書類全部捨てていけと云ふのだが、名残惜しいとみえて、なかなか整理が進まない。そんなものなのだろうか、小生の時はどうだつたか全く記憶がない。

 晩飯。麻婆豆腐、モヤシの中華風サラダ、中華風スープなどなど。基本的に全部夏子が作つた。まるでナントカ中華飯店のやうだ。


令和 3年 3月15日 (月)

 晴れ。朝の最低気温、アメダスポイントでは阿蘇乙姫が九州で一番低くかつたさうだ。
     最低気温 -1.0℃ (07:06)、最高気温 14.9℃ (14:12)

 定点撮影  この季節になると、子どもたちの登校時には太陽はもうこんなに高く昇つてゐる

 熊本の髙野病院に大腸がん術後の定期経過観察に行く、CTは異常なし、血液検査も一項目だけ誤差の範囲で基準を越えてゐたが、パーフェクト。もうあれから4年半経つたので、今後は今の三月に一度の検査から半年に一度の検査にしませうといふことになつた、次回は9月になる。朝抜きで行つたので昼飯は浜勝のトンカツを食べて帰つてきた。往復とも57号線の現道部を走った、新阿蘇大橋を渡るために長蛇の車列ができてゐた、ご苦労サマ。
 
 昨日の野焼き、飛び火するやうなコンディションでは無かつたからだろうか火災は起きなかつたが、今日、燃え残しでも燃やしてゐたのだろうか、夕方近くになつて、牧野で原野火災が発生、消防団出動せよの防災無線が流れてゐた。様子を見てゐたが、住宅地と違つてどうせ原野なんか放つておいてもそのうち消えるだろうと云ふ意識が働いたのかどうか、全く根拠はないが、出動状況が緩かつたやうに見受けられた、まあ、気のせいだろう。

 DIさんに高菜の新漬けをたくさん届けていただいた。

 晩飯、豚大根を伝授した。昼は夏子一人だつたので、チャーハンの復習をしたさうだ。


令和 3年 3月14日 (日)  円周率の日なんださうだ。

 曇り、短時間だが、時々霧のやうな雨も降つてゐた、日も射さずちよつと肌寒かつた。
    最低気温 -0.6℃ (06:43)、最高気温 12.0℃ (16:01)
    
 太郎、週例のテニススクールに出かける。

 天候不順で延期されてゐた阿蘇山麓及び北外輪山一帯の野焼きが実施された、ただ、朝から霧やモヤに包まれゐたので、その後、そのせいかあるいは煙によるものなのかよくよく分らず、視界が悪くて山肌を這う炎も煙も見えずに一日が終わつた、それに今日は雨のすぐあとだつたのでコンディションはあまり良くなかつたのではと思う。夜に入つて、我が家かから正面の高岳、中岳のふもと付近でまだ燃えてゐる火が見えた。

 午前中、熊本で震度4の地震があつたらしい、ここは震度3か2程度だろうが、全く知らなかつた、その時間小生どこに居たろう、もう薪取りに出かけてゐただろうか。

 今日は片隅(集落名)で木を切るといふことだつたのでもらいに行つてきた、もう、我が家の在庫は十分すぎるので必要はないのだが、こちらの都合だけで断るのは相身互いの精神に反するので、有り難く頂戴してきた。
 (写真1写真2写真3写真4

 今日も太郎は運動公園に遊びに行つた、ここのところ学校の友だちとわざわざ遠くまで出かけて一緒に遊んでゐ。お互いに近所同士ではないので、みんな運動公園に集まるやうである。
 
 夏子は、母親と美容院に行つて生まれて初めて、軽く(寝ぐせくらいの)パーマをかけてもらつてひとりエツにいつてゐた。

 晩飯。豚肉のムニエルを教えた。フライパンが一度に豚肉四枚は焼けないで、彼女は寮で一人前つくればいいので、大小のフライパンで、三枚と一枚と焼き分けて、自分の食べる量の味加減を教えておいた。



令和 3年 3月13日(土)

 くもりのち晴れ。
    最低気温 7.7℃ (07:17)、最高気温 13.0℃ (16:44)

 夏子が、もう高校の制服を着ることは無いので、最後に家族写真を撮りたいと云ふので、久しぶりで全員集合の写真を撮った、サクランボの花が満開である、ソメイヨシノはまだ蕾が固い。
 (写真1写真2写真3

 夏子は4月から始まる寮生活に必要な物資の買い出し?に母親と熊本市方面にでかけて行つた。

 太郎は、運動公園で友だちと遊ぶ約束をしてをり、昼から出かけて行つた。お父さん送つて、と云われたが、歩け!と云つて歩かせた。我が家から歩いて30~40分かかる、一人行になるが、もうまもなく5年生になるのだから大丈夫だ、少し前に運動公園に今どき珍しくなつた公衆電話ボックスがあることが分かつてゐたので、着いたら電話をしろ、帰る時に電話をしろと云つて送り出した、迷うこと無く電話をしてきて無事に帰つてきた。


令和 3年 3月12日(金)

 雷が鳴つたり、もつと荒れるかと思つてゐたが、時々静かに雨が降る一日だつた、夜に向けて上がりつつある。
   最低気温 10.8℃ (06:51)、最高気温 14.1℃ (14:19)

 定点撮影

 今日は特に何もしなかつた。

 夏子は高校に書類提出ででかけて、すぐに帰る予定が、仲間たちと、ファミレスなどで卒業と進学が決まつた開放感で夕方まで遊んで帰つて来た。

 晩飯、今日は和モノを教えた。炊き込みご飯、アサリの味噌汁、ブリの照り焼き、だし巻き卵、きんぴらゴボウ
菜箸で玉子をひつくり返すのをやりたいと云つて手本に続いて自分でやつたのでいつもの倍の卵焼きができた。



令和 3年 3月11日(木) 3・11

 晴れ。ますます暖かくなつてきた。
    最低気温 0.8℃ (07:08)、最高気温 17.8℃ (14:04)

 定点撮影

 ハチウトの土台部分、離着艦用の甲板部分を作つた。甲板部分はサイディングの切れ端を切って作った。このサイディングは専用のノコがあるが、まどろっこしくて能率が悪いので、ハンドグラインダーに取り付ける刃を買つてきて切つたが、能率に天と地ほどの違いがある、あつと云ふ間に切れてしまつた。
 
 これで、後は天井貼りだけを遺すだけになつた、ウトの内側に、誘引のために蜜蝋を塗つて完了である(雨よけに屋根を作つたほうがいい)。

 太郎、虎舞の練習、18:30~20:00

 晩飯、先日のと云ふより、一昨日だつた、引き続いて煮込みハンバーグ、一昨日は小生が手を貸したが、今日は小生は外にゐたので完全に夏子ひとりで作つた、もう免許皆伝である。昼はチャーハンを教えた。

 東日本大震災、今日で丸十年、もう十年、まだ十年。あの日、映像は望遠なので音は無い、そして人の姿も見えずただ押し寄せる大きな波に不気味さを感じたことだけが記憶に残つてゐる、映像には映ら無かつたが、その影で大勢の犠牲者が出てゐた。あの頃は今と違つてまだテレビを見てゐたが、それでも、そんなに長い時間は見なかつた、見る気が起きなかつた、その後も、おそらく探せばいくらでも映像は残つてゐたのだろうが、全く見てゐない。あれから十年、まだ十年、もう十年。

 小生は今日地震発生時間、外で大工仕事をしてゐたが、流れるラジオの合図に合わせて作業を中断して黙祷をした、学校から帰つてきた太郎が云ふには、小学校でも地震発生時間に合わせて全校で黙祷をしたさうだ、学校の国旗も半旗にしてあつたと云ふことだつた。小生はうつかりして我が家の国旗、半旗にしなかつた、市役所の放送はなんにも云つてゐなかつた。


令和 3年 3月10日(水)

 今日は3月10日だつたのだ。
 晴れ、今日は非常に暖かい一日だつた。
   最低気温 2.1℃ (07:28)、最高気温 17.1℃ (15:39)

 定点撮影

 朝一番で松岡床屋に行つてきた、あけましておめでとうと年頭の挨拶をしてきた、今年初めてである、床屋は三月に一度になる。

 ミツバチの一群が忽然と消えた・・・暖かくなつて1号基のハチは盛んに出入りをしてゐるが、2号基のハチの出入りが見えないなあと思つて、ウトをひつくり返して見たところ、全くハチの姿が見えない、「もぬけのから」になつてゐた。
 
 改めて考えてみると、最近1号基に比べたらたしかに2号基のハチの姿が少なかつた、だから、忽然とではなくて徐々に減ってゐたのだろうか、どうしてなんだろう、厳冬期、砂糖水をちゃんと飲んでゐた、砂糖水が要らなくなってもちゃんと出入りをしてゐた、スズメバチの襲われる季節でもない、さっぱり原因がわからない。このウトの女王バチは母親バチである、だから、もう何年か分蜂を重ねてきたハチだ、我が家に逃亡してきてからだから、それまで何年生きてきたのか分からない、もしかして女王蜂の寿命が尽きて、巣が自然消滅したのだろうか、ざっと見る限り、幼虫などが残つておらず、孵るだけ孵つて、その後が続かずに消滅したのかもしれない。さういつた場合、後継者を残してから死ぬことは無いのだろうか、じっちゃい、この日記読んでいるだろうか、とにかく、我が家の大事な「虎の子」が一群消失してしまつた、しばし呆然である。
 
 一匹もゐなくなつたハチウト、「居抜き」で自然入居はしないものだろうか、入る方も楽だと思ふが、入らないだろうな。この巣は取り崩さなければならないが、蜜は少しは残つてゐるだろうか、抱えてみると少し重たい気もするが。

 今日はそんなこと知らずに、今日も一生懸命、ハチウトを作つてゐた、そろそろ最後の仕上げ段階に来てゐる、こうなつたら早いとこ仕上げて、あちらこちらに置いて、自然入居を誘わなければならない、当初の目論見、一枚が二枚、ニ枚が四枚、四枚が八枚・・と云ふわけに行かなくなつた、自然相手は本当に難しい。
 
 分蜂マップ  < https://www.swarm-map.com/?mc_cid=36652d5d95&mc_eid=2029441167 >と云ふサイトがある、九州の南の方から分蜂が始まつてゐる、今年は春が早い、山間部のここもまもなくである。


 昼食、焼きそば、昨日の材料がまだ残つてゐたので、小生は一切口を出さず、夏子だけで作つた。
 夕食、水曜日はカレーの日。夏子に小生流の秘伝のカレーの作り方を伝授する。


令和 3年 3月 9日(火)

 少し雲があつたやうな気もするが一応晴れ。今日ウグイスの初音を聞いた。
     最低気温 1.7℃ (03:55)、最高気温 13.5℃ (15:33)

今朝は(と云ふ表現が正しいかどうか分からないが)一時頃には目が覚めてしまつたのでジタバタしないでそのまま起きてしまつた。

 定点撮影

「 風の便り」の起動遅延、わけもわからずに弄つてゐるうちに、なんとなく直つたやうな気がするが、ブラウザの一部に、フレームの切り方が変になつて、正常に表示されないやうである。当方での確認ではGoogle ChromeやMidrosoft Edgeではさう云ふことは無いやうだが、IEでは見出し部分だけになつて、ページ部分がほんの少ししか表示されない。基本的に小生、ホームページの仕組みが分つてゐない、最初に作る時に「見やう見まね」でなんとか作つてその後は全く忘れてしまたので、修正方法が今の所分からない、スマホのブラウザではどうなんだろう。などと思ってゐたところ、夜になつて確認したところ、IEでも正常に表示されてゐた、よくわからない。

 ハチウトの巣の脱落防止用の格子にする編み棒が届いたので、取り付けた

 夏子の自炊生活に備えて、料理の、イヤ、炊事の特訓を始めた、昼は焼きそばを作らせた、お湯を入れて湯切りをして・・・・と云ふインスタント焼きそばでなくて、ちゃんとキャベツ、ニンジン、ピーマン、モヤシ、豚肉を入れた焼きそばである。こんなものわざわざ習うほどのものでもないが、包丁を持つて野菜を切つて肉を切つて、それから炒めて、とお湯を入れて作るやつよりは面倒である。どうだ自分で作つたやつはウマイだろう、材料がもう一回分あるので、明日は完全に自分でやらせることにする。それにしても包丁遣い、危なつかしくて見てゐられない。夕食は、煮込みハンバーグの作り方を教えた。今日一日で、焼きそばと煮込みハンバーグをマスターしたことになる(できたかな?)


令和 3年 3月 8日(月)

[ホレ] -・-・- ・- -・  -・-・- ・- -・
 -・-・- ・・・- ・・・ ・-・・ ・・  -・-・- ・- -・ [ラタ]


 晴れ。いい天気になつた、なんだか久しぶりのやうな気がする。
   最低気温 5.2℃ (05:55)、最高気温 16.0℃ (15:58)

 定点撮影

 ハチウトの重箱、ニ個だけ、格子を取り付けた、ニホンミツバチの巣はセイヨウミツバチと違つて柔らかくて、ここではそんなこと無いが夏の暑い気温やちよつとした衝撃で巣が落ちることがあるので、重箱の中に格子を付けて、剥落防止をする。今日は手元に竹の棒が4本しか無かつたので、二組だけ、取り付けた。この竹の棒は竹を割つて作ればいいのだが、編み物に使う編み棒が、ちょうど良いので、わざわざ作らなくても買ったほうが早い、4本で110円である、以前は百均にあつたが、今は別のタイプの編み棒しか無いので、ネットで探して注文をしておいた、百均と同じ値段だつた。自作の楽しみで竹ヒゴを作るのもいいが、今は急いでゐるので買うことにした。

 久しぶりに緊張した、夏子の第一志望の公立大の合格発表、10時頃結果がわかる、もしダメならそのまま、後期試験に向けて勉強がある、と云つて学校に行つた、進路指導室で先生と一緒に発表を見るのださうだ、すぐに連絡を寄こせよと云つてあつたのに、11時半近くになつても、連絡が無い、もしかしたら、と思つてゐるところにLINEで「サクラサク」と入つた、どつと脱力した、good job! congrats.。

 今日の発表は小生としては最初から「余裕」だと思つてゐた、共通テストでかなり良い成績だつたさうだから、二次試験ではそんなに取りこぼしは無いだろう、大学によつては、今回の武漢ウイルスの影響で二次試験をやめて共通テストの成績だけで判定をするとこともあつたくらいだから、ウエイトはそんなに高くないだろうと思つてゐたが、時々二次試験の準備で明け方近くまで課題をやつてゐるのを見てゐるとだんだん不安に感じるやうになつてゐた。それもこれも終わつてしまえばいい思い出になる。塾にも行かずそれほど熱心に勉強してゐた風でも無い、まあ上出来である、上出来と云ふより小生よりはるかに優秀である(小生は理数がダメだつたので五教科でなくて三教科で済む私立の文系を選んだ)。結果論になるが、もうちよつと欲を出せば、と云ふ気がしないでもない。

 合格したので後期試験に備えて今朝4時近くまでかかつて準備してゐた午後からの課題が無くなつて昼で終わつて帰つてくると云ふので、じゃあ、外で食べるかと云ふことになつて、久しぶりに「しんちゃんうどん」に行つた

 夕食は?昔は「ハレ」の時の食事は普段食べられない御馳走を食べたものだが、この飽食の時代、敢えてハレの時に食べる食事なんて思い浮かばないから今晩は太郎のリクエストにもあつた餃子で済ませることにした、カミさんがお祝いのケーキを買つて来た。

 もう受験勉強をしなくてよくなつた代わりに、彼女にとつては受験勉強以上に難しい勉強が待つてゐる、それも、早急にだ。それは大学に入ると幸いに寮があり生活費が助かるのだが、寮は「自炊」で「賄い」では無いので二食(昼は学食があるらしい)は自分で作らなければならなくなる、四年間もである。
 
 今まで、飯作りは父親がかりで、全く何もしてこなかつた報いである。入学までの間に短期速成で自分で食べられるようにしなければならない。ご飯くらいは炊けるだろう、包丁の持ち方からして教えなければなるまい、特訓しなければならない。

 今晩から、早速餃子の焼き方を早く帰つてきた母親に習つてゐた、今晩は師匠の出番は無しだ。


令和 3年 3月 7日(日)

 曇り、と云ふよりは、霧雨が降つてゐる時間の方が長かつた。
     最低気温 4.7℃ (06:54)、最高気温 8.1℃ (14:24)

 今年は屋敷内の梅の花が非常に目立つ、例年あまり気にならなかつたが。

 阿蘇山麓及び北外輪山一斉の焼き、天気が悪いので来週に延期になつた。毎年順当に実施されたことはほとんど無い。延期、延期でいつももう草原に若芽がでてくるのではと心配するころに実施される、今年はどうなるだろう。

 太郎、週例のテニススクールに出かける。

 今日は熊本地震で崩落した阿蘇大橋に代わる新阿蘇大橋が竣工して今日から開通した(はずだが、ニュースを見てゐないで分からない)、今朝の新聞の両面を使って大きく報じられてゐた。小生、特に南阿蘇に用事があるわけでないので、この新しい橋を渡るのはいつになるだろう、わざわざ橋を渡るために走ることはしない。人によつて熱心になることが違つて、かう云つた新しく開通するものに、何日も前から泊まり込んで順番待ちをする人がゐるがよく分からない。
 
 今日は昨日の工作の残りをちょっとした程度で特に何もしなかつた。

 長靴を買つた、今回は従来履いている特価品のゴム長でなくて、安全靴タイプの立派なやつで、小生にしては大奮発、今までのやつの三倍くらいする。たくさん薪用の太い樹木が入つてきたので、転がしたりする時の万が一の用心のためである。
 

令和 3年 3月 6日(土)

 くもり
    最低気温 8.4℃ (但し19:09時点、降下中)、最高気温 13.3℃ (12:10)

 我が家の三人組は太郎の耳鼻科通院を兼ねて熊本まで買い物に行つた。

 小生は、夕方近く、1時間足らずの間に、ウトの重箱を二つ作った、丁番は後日。(写真1写真2

少し前、チャイナウイルスのせいでパルスオキシメータの需要が逼迫してして最近、日本で手に入りにくくなつてゐるとどこかに載つてゐた。パルスオキシメータとは洗濯バサミ様のバネの付いた計測器を人差し指の先にはめて血中の酸素濃度を測るもので、入院すると、定時の検温時に必ず併せて調べられる。小生は、昔、ばあさまが家で医療用酸素を吸つていた時代、自家用にこのオキシメーターが欲しくてネットで調べたことがあるが、当時調べた時には非常に高価なものであつた、小生も入院した時には毎日これで人差し指の先を挟まれたものである。

 このパルスオキシメータが最近チャイナで数百円で手に入ることが分かつて、Aliで手に入れた、忘れた頃に届くので値段は忘れたが、500円くらいだつたと思ふ。このパルスオキシメーターはスマートウォッチにも付いてゐて、時計を腕にはめた状態で測ることが出来る。だからわざわざ買うことも無かつたのだが、昔、高価だつたものが、今では安価に入手できることが分かつて、高価な時代に憧れた機器だつたのでちよつと手に入れたかつたから買つてしまつた。スマートウオッチとこの指先にはめるタイプと、計測データは完全に同じではない、元々誤差はあるのだろう。
 
 電子部品の普及で昔なら考えられないことがいとも簡単に出来る時代で、こういつたものにはなぜだか非常に惹かれるのであるがスマートウオッチの血圧計や酸素濃度計や心拍数計や体温計などといつた計測も、今回のパルスオキシメーターにしても考えてみれば健康体には無用のものである。



令和 3年 3月 5日(金)

 昨夜来の雨、朝にはほぼ上がりかけてゐたが、子どもたちが学校に行く時間帯はまだ少し殘つてゐた。日中もあまりはつきりしない天気で時々雨で煙つてゐた。
    最低気温 10.6℃ (00:48)、最高気温 15.0℃ (12:41)

 今日の雨なんか「催花雨」と云ふのだろう、玄関先のサクランボの花が咲いてゐた、我が家の入り口のソメイヨシノはまだ固い蕾のままだ。水仙はもう何日か前から咲いてゐる。

 定点撮影 今日は徒歩登校児童は太郎他一名だつた(写真1写真2)。

 少しの時間だがハチウトの重箱作りをした、最下段の作業用の扉の丁番、いままでのやつはいい加減な付け方をしてゐたが、今回は正式に丁寧に丁番を隠すやうに取り付けた。別にこれでハチが喜ぶわけでもないが。そして、内側も焼いておいた。
 
 最近慣れて来て短時間でできるので、残りの材料でもう二個重箱を組んで、さらに一気に燒くところまでやつておいた。もう少し作ろうか、それに、まだ基台と天井も作らなければ。
 
 晩飯、カレー。


令和 3年 3月 4日(木)

 曇り、夕方あたりから弱い雨になる。
    最低気温 -1.3℃ (02:19)、最高気温 13.3℃ (13:52)

 定点撮影

 夏子はもう卒業したにもかかわらず、試験の結果がわかるまで、万一の場合を考えて後期試験に向けての対策のために今でも学校に行つてゐる、三四名仲間が居るさうである。。

 小生のホームページへのアクセスに時間がかかる件、胴元でも分からないらしくて暫く時間をくれと云ふことだつた。

 小生、昔、イーバンク銀行と云ふネット銀行には入つてゐたことがある、もつぱらネットなどでの支払い専用だつたが、いつの間にか使わなくなつて、もう10年以上になる、少しだが残高があると思つて、調べてみたところ、このイーバンク銀行は今は楽天銀行になつてゐることが分かつた。
 
 キャッスレス決済でかういつたネット銀行は必要なので、復活することにした。ところが、当時のログインIDもパスワードも忘れてしまつてログインができないので銀行残高が調べられない。
 
 で、結局、IDとパスワードの再発行手続きをして、面倒な手順を踏んでやうやく、自分の口座にたどり着く事ができた。

 製作中のハチウトの巣門の開閉に丁番を使うのだが、今までは開閉できればいいと云ふスタンスで、めちやくちやな取り付けをしてゐたが、今回は美しく作ろうと、丁番を取り付ける部分の彫込みをした。
 
 焚き火にあたりながら工作をしたが、いつも思ふのだが、焚き火の煙と云ふのは、どこにゐても必ず人のゐる方向に流れてくる、これは本当に不思議である。

 昼過ぎに作業を終わる時に、非常に風が強かつたので、最近の関東地方(だつたと思ふが)の山火事のこともあるので、どうせ夕方から雨だろうとは思つたが為に、水をかけて消しておいた

 晩飯、半製品のカキフライを買つてきて揚げたが、やはり全部自分で作るほうがウマイ。


令和 3年 3月 3日(水) 上巳

 晴れ。気持ちのいい一日だつた。(写真1写真2写真3写真4
    最低気温 -1.2℃ (07:18)、最高気温 10.9℃ (16:06)

 定点撮影 
 久しぶりに気持ちのいい(微妙な表現だが)朝立ちだつた。放射冷却で少し冷え込んで風もなく太陽が滝室の峠を越えて子どもたちの通学路を明るく照らしてゐた。今はもう7時20分前には太陽が峠の上に顔を出す。
(写真1写真2

 昼から、ハチウトの重箱の一番下の巣門の工作をした、扉を付けて開閉ができるやうにして中を掃除したりいろいろやるための作業用の扉になる。今日のところは切つて、組んだだけで、このあと、丁番などを取り付ける。

 最近、小生のホームページ「風の便り」にアクセスするとつながるのに非常に時間がかかる、十数秒くらいかかる。これは小生のネット環境が悪いからかなと思つてゐたところ、宅外の知り合いからも、同じようなレポートが届いた、小生の家からだけかと思つてゐたので、小生のサイトを置いてゐるレンタルサーバーの会社にメールをだしたところ、小生のホームページに埋め込んであるアクセスカウンターのせいではないかと回答があったので、そのスプリクトをコメントアウトして、アクセスカウンターが機能しないやうにしてみたところ、それでも、症状は同じで、アクセスカウンターのせいでは無いと思ふ。改めてまた相談してみやう。小生のホームページをご覧頂いてゐる皆さんは如何だろうか。

 水曜日はカレーの日。だつたが、これは、毎週水曜日は太郎の水泳教室があり、夕食時と被る時間帯なので準備が簡単なカレーと云ふことにしてゐたのだが、その水泳教室が突然終了してしまつて、何も水曜日をカレーの日にする必要が無くなつた、それでも、定期的なメニューは決めてをいたはうが都合が良いので、この先も、水曜日はカレーの日にすることにした。
 
 と決めた途端に今日は桃の節句なので、特別にちらし寿司にした


令和 3年 3月 2日(火)

 雨のち曇り
   最低気温 2.7℃ (但し20:24時点、降下中)、最高気温 15.1℃ (00:00)

 定点撮影 今朝の徒歩登校は太郎の他に三名(写真1写真2

 玄関先と裏の貯木場方面を撮してゐるライブカメラがどうしても入れ替えた無線ルーターで管理できない、「IEEE 802.11」の新旧規格がネックになつてゐるのだろうか、とりあえず、無線ルーターをブリッジモードで運用するのであれば、複数台ルーターを付けても構わないのだから、一旦外した無線ルーターもまた復帰させて、古い方の無線ルーターでこの敷地内のライブカメラを動かすことにした。外部公開と云ふよりは、自分用に、家に居て外の様子がわらないと不便だからである。それと外作業時、WiFiの電波が届きにくいので、電波が届きにくい方向に窓際に置いておくとWiFiのサービスエリアが広がるからいい。

 RDなんとかと云ふ録音音声の世論調査の電話がかかつてきた、よくこんな電話が本物なのか、なりすましの偽物なのかみんなよく分かるなあ、小生はそれが分からないから、それに、世論調査なんて云ふやつは、ロクなものでは無いから、どんな調査かも聞かずにすぐに電話を切つた。

 晩飯、餃子など


令和 3年 3月 1日(月)

 雲が少しあつたが晴れ。異常に気温が高かつた、基本的に冬の服装だから、暖かかったと云ふより暑かつた。
    最低気温 10.2℃ (00:00)、最高気温 18.2℃ (13:49)

 定点撮影
 
 今日は夏子の高校の卒業式だつた、武漢ウイルスのせいで在校生は参列せず、の三年生とその保護者だけの式だつたやうだ、我が家は母親が参列した。
 
 小生は宇治歯科に三月に一度の歯のメンテナンスに行った。

 同じく武漢ウイルスでほぼ一年間、休止してゐた虎舞の練習が今日から再開された、午後6時から1時間、坂梨体育館で行われて、小生が送り迎えをした。

 深夜2時ころ、目が覚めて、もう一眠り出来るかなと思つたが、無線ルーターがほぼ故障状態なので、朝になるまでに新しい無線ルーターの設定をすることにした。新しいと云つても、もう、疾つくに生産終了してゐる製品で、何年か前に誰かが持つて来て置いていつたやつだ(BUFFALOのWZR-450HP)。それでも小生が使つてゐた、MN8100WGよりはかなり高機能なルーターである。

 昔はセキュリティはそれほど厳重で無かつたが、近年はセキュリティ設定が非常に難しくなつて、古い子機を使つてゐる小生の環境では親機が先進的でもバランスがとれなくて面倒なんだろうなと思つて、随分前からやろうと思つては、先送りしてきた。今まで使つてゐたMN8100WAGはケースが割れて、バラバラになつた状態で、なんとか基板だけで運転してきたが、流石に息切れがしてきたやうで、WiFiが時々エラーを起こすやうになつてゐた。

 朝まで掛かつて、なんとかWiFi環境を整備して、スマホなどは新しい環境で動き始めたが、敷地内を撮つてゐるライブカメラが繋がらない。親機を替えてしまつたので、無線接続でおこなうカメラ内にある設定項目が変更できない、無線式のカメラでも最初はLAN接続でいろいろな設定をしなければならない、一番の変更部分はSSIDなのでこれが違うと絶対につながらないのだ。屋外に置いてあるカメラを持つてきてLANケーブルで触らないといけないのだが、さうしないでも出来るかもしれない、ひとつアイデアがある、明朝またやってみやう。

 晩飯、八宝菜