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令和庚子(2020) 2年12月の記録 (新しい日付けの順)
令和 2年12月31日(木) 大晦日 (写真1・写真2・写真3・写真4)
昨日の「大雪が降るぞ騒動」はなんだつたのか、思つたとおりこの地方はほとんど降らなかつた、ここだけでなく、降つたところも日本海側の一部だけだつたのだらう、朝起きると薄つすらと白くなる程度だつた。ただ、日中の気温は0℃を上回ることはなかつた。
最低気温 -5.3℃ (06:42)、最高気温 0.0℃ (14:57)
中共ウイルス、東京でとうとう一日あたり1,300人を越えたと云つて騷いでゐる、マスコミだけなのかもしれないが。これからは指数関数的に増えていくのだらう。鶏や牛なら全頭殺処分をしなければ収まらないやうなウイルス、だからと云つて人間の場合は然うはいかない、こんな時でも人は出歩く、もう抑えるのは無理だらう、ワクチンが摂取できるやうになるまで待つ以外はなささうだ。いなかの阿蘇地方は今日も頑張つてゐる、しかしどう云ふ経路で入つてくるかとにかく見えないのだから、ただ運に任せるほか無ささうだ。
夕方近く国道57号線を走つたが、大晦日、営業車はもう走つてをらず、帰省客の車もすでに帰り着いてゐるのか、あるいは帰るのを諦めたのか道路はガラガラだつた。
カミさんは一日大掃除をしてゐたが、小生は、神棚と仏壇の掃除と、蕎麦打ちだけをして一年の締めくくりをした。
夜は恒例のすき焼きパーティー、我が家の連中もテレビも紅白も積極的に見ない、ただ方向違いに置いてある小さなアナログテレビの画面から紅白が流れてゐて時々太郎が覗きに行つてゐた。
10時ころには皆んなで天ぷら蕎麦を食べて年越しの行事は終わつた、手打ち蕎麦はやっぱり美味しいねと云ふのが家族皆んなの感想だつた、我が家に関しては平穏な一年だつた、来年も斯くありたい、何より健康が第一だ。
小生は年が改まるまでは起きていられない、早々に沈没だ・・・・
令和 2年12月30日(水)
昨深夜には 12℃以上あつた気温、朝でも6℃近かつたが、その後、気温はどんどん下がつて、昼前には氷点下になり、粉雪が舞い始めた、風が強くて地吹雪のやうな降り方だが量は少ない、気象庁は今晩は九州も大雪になると大騒ぎをしてゐるが、多分、ここはそんなに降らないだらう。午後6時ころには、氷点下3℃以下に下がつてきてゐる。
最低気温 -3.4℃ (但し18:00時点、どんどん下がつてゐる)、最高気温 12.8℃ (02:29)
今日は何もしなかつた。カミさんは正月の準備で買い出しに出かけたり家の中の掃除をしてゐた、小生が神楽苑にそば粉を買いに行くと言つたらついでだからと云つて買つてきてくれたので、小生は今日は風呂以外はどこにも出かけなかつた。
松前漬けを作つた。今日作つてもう今晩には食べられる、早速食べた。
先日スーパーでギンナンを売つてゐたので特に料理目的ではなく、ただ炒つて食べたかつたゞけで、買つてきた。昔なら焙烙で炒つたのだらうが、今は飛び散らないやうに封筒に入れてレンチンですぐに食べられる。
銀杏は木から落ちた果実は猛烈に臭いし、イチヨウの木(公孫樹)そのものも、何やら、特別な霊力のやうなものを宿してゐる雰囲気がある樹である、だからギンナンにも何かあるのではと思つてネットで調べたら、銀杏中毒と云ふものがあつて、場合によつては重篤になるらしい。食べるなら5~6個とある、子供は食べないほうがいいともあつた。
チンするときには一度に封筒に入れる量は20個くらいが適当だとなにかに書いてあつたので先日も20個、チンして食べたが、大量にチン出来たらもつとたくさん食べたかも知れない、20個位では今のところ別にそれでなにか起きるといふこともないが、中毒があるということを知つた以上は今後なんだか食べるのを躊躇するやうになつた。
令和 2年12月29日(火)
晴れ、徐々に曇つてきてをり、天気が下り坂で雨になると云つてゐるが、夕方までは降らなかつた。
最低気温 -0.2℃ (08:04)、最高気温 15.5℃ (14:01)
熊本県下、武漢ウイルスの感染者が急増してゐる、阿蘇は大丈夫だ。
夏子は模試で登校した、世のなか昨日が仕事納めだつたのに今日まで学校かとボヤいて登校して行つた。
カミさんは今日から休みで、いろいろなゴミを軽トラックに乗せて太郎と一緒に未来館(阿蘇地域の焼却場)に出かけて行つた。
小生は今日も一日巨木と格闘した。チエンブロックを取り付けて、巨木を吊り上げて、移動させて、チェンソーでようやく面取りを済ませた。周囲が腐つてゐるので、30センチ幅の板を取るのはギリギリの感じである。それでもちゃんと中は生きているから大したものだ。今日は二本ある木材の内、小さな方の木だつたが、それでも20インチのチェンソーではちよつと手に余るくらいだつた、。もう一本の材木だと、間違いなく十分の幅の板が取れると思うがどう料理するかなあ。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10・写真11)
昨日、軽トラクレーンで引つ張らうとしたがびくともしなかつた原因が分かつた、幹の下側にヘソが出ていて、それがガッチリと大地に食い込んでゐたからだつた、普通なら動く重さなのになあとは思つてゐた。
今日一日外にいたので、松前漬けを漬けるのを忘れてゐた、塩抜きは済ませてあるので、早く漬けないと正月に間に合わなくなる、小生の仕事は、松前漬けを作ることと、仏壇、神棚の掃除、それから大晦日の蕎麦打ち、これだけだつたなあ。ハクサイを漬けようと思つてゐながら、間に合わなかつた。毎年我が家の三人組、暮に千葉のおじいちゃんおばあちゃんのところに行って、大晦日に慌ただしく帰つてくるが、今年は行かないので、ずつと家族全員が家に居る。
令和 2年12月28日(月)
昨日の雨は今朝には上がつてゐて、その後回復方向に向かう。今日は気温が高かつた。
最低気温 7.0℃ (07:28)、最高気温 13.7℃ (15:02)
今日は多くの所で仕事納めだったのだらう、カミさんも今日で終わりだつたさうだ。これでしばらく人々の動きが少なくなる、中共ウイルスの蔓延を抑える効果があるだらうか。
太い木を動かすのに、チェンブロックを使おうと思つて、午後から、三脚を立てた。単管パイプは結構重い、3メートルともなると一本でも大変だ、それを三本使つて、三脚にする、それも何もない平地であればいいが、周囲にいろいろな障害物がある場所で三脚を組むのは非常に大変である、ここのところ腕力仕事ばかりしてゐるので腕が痛くて上がらない、ようやく三脚を立てた、明日以降、これにチェンブロック本体をぶら下げる、これがまた重たいのだ。
太郎のやつ、テニスの練習で時々屋根のどこかにボールが引っかかったりすると、一人で屋根に上ることを覚えて、今日なんか、屋根にひっくり返ってノンビリしてゐた、だんだん、一人で冒険をし始める。
何日か前のニュースで、法律でマーキュロ(赤チン)の製造販売が出来なくなつたので、日本で一社だけ残つてゐたマーキュロの製造販売をしてゐる会社が本日で製造をやめると伝えててゐた。なんでも、製造過程で水銀を使うとか発生するからだとか云つてゐた。
我が家では、と云ふより、小生は昔から、赤チンの愛用者で、切り傷なんかにはどんな薬よりも赤チンが効くと思つてゐる、だから、今後赤チンが買えなくなると困るので、ネットで注文した。昔は2~300円で買えたものが、今回、1,380円で送料が200円だつた。
いよいよ無くなるとなると、需要と供給の関係で、高くなるのかなあと思って、今日また値段が変わっているだろうかと思つてネットでみると、販売価格は400円とあった、え~つ、と思つて見ると送料が800円となつてゐる、一体どういうこっちゃ。
小生は昔買つた赤チンを大事に今でも使つてゐる。ラベルを見ると、225円となつてゐる、テラダ薬局、どこだったらう、茅ヶ崎にあった薬局だつたやうな記憶がある、もう20年以上昔になる。そんなに頻繁に怪我をするわけでもなく、そんなにたくさん使うものでもないのでまだ瓶にかなり残つてゐる。最近は子供たちにも塗つてやつてゐるので、子供たちも赤チンのファンである。口内炎なんかの時、口の中にも塗る、他の薬よりもよっぽどよく効く、水銀がどうのと云つても赤チンに使う水銀の毒性なんかわずかなものだ、、なんでもかんでも禁止すればいいと云ふものでもなからう。今回買つた分で小生の余生分には十分だらう。
新しい国道が出来るために、福原に通じる用水路沿いの農道が長い間通れなかつたが、今日、通れるやうになつてゐたので走ってみた。まだ国道は出来ていないが、トンネル工事のための土砂運搬専用道路の下をくぐるやうに、立体的に将来出来る国道と交差するやうに作つてあつた。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
令和 2年12月27日(日)
晴れのち、午後に入って弱い雨。朝は気温が低かったが日中は上がつた。だから、雪でなくて雨になつた。
最低気温 -3.5℃ (04:34)、最高気温 12.0℃ (13:53)
日曜日はいつもだと太郎太たちテニススクールだが、熊本市でもここのところ中共ウイルスが蔓延してゐるので、用心のために先週に続いて休んだ、大丈夫だとは思ふが、行かないにこしたことは無い。
カミさんは玄関ベランダ周辺の片付けをしてゐた。
先日の宮地の分二区(わかれ二区)の薪集めが今年最後の仕事だらうと思ってゐたら、北坂梨の増実さんからクヌギがあるよと電話があったので午前中もらいに行ってきた。三往復した、実際は二往復だつたのだが、忘れ物をして一往復余計に掛かつた、小生はよく鳶口を忘れてくる。(写真1・写真2)
もう何年か前になるが、ある男が、自分の山で切つて、使いみちが無いと云つて太い杉の木を運びこんでそのまま置いていつた。当時の小生の小さなチェンソーでは切れないので、いつのまにか、あとから運び込んだ薪材の下に埋もれたままになつてゐた。非常に太い幹で、表面はもうグズズグに腐つてゐるが、杉は水に強くて長年月腐らない、だから表面は腐つても中の方はまだ大丈夫ではないかと思つて少しスライスしてみたら、思った通り、中心部全く腐つてゐなかつた、この幹の表面の腐つたところを削れば30センチ幅の板は余裕で取れそうなので、これをこの場でわくことにした。ところがところが、木は二本あつて小さな方の木でも軽トラクレーンで引つ張ろうとしたがビクともしない、引つ張ると、サイドブレーキを引いていても車のほうが動いて行く、車止めをしてみても、小生のクレーンではパワー不足で動かせない。ユニックでもあれば簡単なのだらうが、持てる戦力と智慧と工夫でself-relianceだ、あとはチエンブロックで吊る方法があるから、これを試してみやうと思つてゐるが午後3時ころから予報通り弱い雨が降り始めたので、今日の作業は終了した。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
令和 2年12月26日(土)
晴れ。表も裏も霜で真つ白だつた。今日は休みで外に出ることもなく家の中から眺めてゐた。(写真1・写真2)
最低気温 -5.2℃ (07:02)、最高気温 8.2℃ (14:01)
もう日にちが押してゐるので今日年賀状を作ろうと思つたが(最近では年賀状は「書く」ものでなくて、「作る」ものになつてしまつた。)、年賀はがき、郵便局が今日明日と土日で休みで買えない、仕方がない月曜日かと思つたが、とりあえずコンビニを覗いてみた。小生の記憶では昔、枚数が足りなくなつてコンビニに買いに行つたところ、独自のイラストを入れて付加価値を付けて少し高くしたものしか売つておらず、無地の年賀状は無かつた。今日行つてみたところ、郵便局と同じ、白紙、無地の年賀はがきも普通に公定価格で扱つてゐたので、月曜日を待たなくても済んだ。
ただ、コンビニでは、年賀はがき代の支払いにプレミアム付き商品券は使えないと云ふ、それに電子マネーも使えない、と云ふことだつたので現金で払つてきた、他の商品と違つて郵便局の委託部分だから、駄目なんだらうか。それでも、ちゃんと売つてゐたのでよかつた。
こちらに来る前の記憶では、郵便局の営業時間外でも、歩道に長机を出して、年賀はがきを売つてゐた、ここのやうな山奥の繁華街の無いところでは売つてゐないのだらう。
昨日までに住所録の整理とデザインは決めていたので、午前中にハガキを買つてきて、印刷をして、悪筆ながら全てに一筆を入れて、午後4時前にはポストに投函してきた、山間僻地でも元旦配達には間に合うだらう。
令和 2年12月25日(金)
今朝は気温が高く車のウインドウも凍らなかつたが、風が強くて、体感的には寒かった。
最低気温 -0.2℃ (但し19:52現在、明日の冷え込みに向つて降下中)、最高気温 5.6℃ (13:23)
定点撮影 今日で当市の小中学校は二学期が終わる、最後の見守りだ、明日から小生もしばらく冬休みだ。
ここに来て全国的に中共ウイルスの感染者数が急増してゐる。熊本県も例外ではない、ただ、当市は幸いなことに今の所落ち着いてゐる。
午前中、年賀状作りに取りかかる、デザインもまだだ、その前に、リスト作り、PCが壊れて、宛名住所のサルベージが大変だ、果たしていつ投函出来るやら。
午後から、大分寒さも和らいできたので、一昨日だつたか、ネジが無くなつて作業を中断にしたチエンソー製材の続きをした。目立てが上手くないので粉のやうなノコクズがでるが、それにしても、木をわくと云ふことはノコクズが大量にでるものである。だいたい原木をわく要領が分かつた、試験的にわいた板がだいたい思ふように出来た。あとは木材をどこから調達しなければならない、イザと云ふ時にはなかなか無い。(写真1・写真2・写真3)
阿蘇市でも需要喚起策のプレミアム付商品券を発売した。5,000円で7,000円分の商品券が買える、割引率としてはいい。一世帯で10,000円まで購入できる、つまり、14,000円分の商品券が購入できる、今日、商工会に行つて購入してきた。この商品券、市内のほとんどの店で使えるが、考えてみたら小生、最近電子マネーで支払うことが多いので、商品券で買い物をする店があまりない、小生の場合は「ミヤハラ」だけだな、来年3月までに使わなければならないが、毎日の食材だから問題なく使い切れるだらう。
最近はキャッシュレス流行り、プレミアム付商品券を電子マネーにチャージできるといいが、そうなると、市内で使うとは限らないから駄目なのか。
晩飯、炊き込みご飯、刺し身、昨日の残り物。
令和 2年12月24日(木)
弱い雨の一日だつた、予報では昼頃には上がるやうなことを云つてゐたが、結局、夜になるまで細かな雨が降つてゐた。気温が高かつたので一月ぶりの「降り」もホワイト・クリスマスにはならなかつた。
最低気温 1.6℃ (00:00)、最高気温 8.1℃ (17:07)
定点撮影
今日は特に何もしなかつた。
夏子は今日が終業式だつた、太郎は明日で二学期が終わる。
今晩はクリスマス・イブだ、子供たちがクリスマスディナーを楽しみしてゐたのでお父さんシェフとしては腕を奮つた。
つばめグリル風ハンバーグのリクエストがあつたが、オーブンが修理できたので、応えることができたが、あの故障の原因はなんだつたのだらう、たまたまヒューズが飛んだのであれば、そしてさういふ可能性があるのなら、もっとメンテしやすく作らなければ、ほとんどの人が、そして電気屋も、ああ、寿命ですね、で片付けられて買い替えになるところだつた、最近はさう云ふ電気製品が多いのだらう、メーカーもあまり長く使われると困るのだらう。
令和 2年12月23日(水)
晴れ。
最低気温 -4.3℃ (06:09)、最高気温 10.3℃ (14:34)
定点撮影 その他風景
今朝が取り立てて気温が低かつたわけではないが、朝、子供たちの見守りの定位置に立つて息を吸うと寒さで胸が痛くなるほどだつたので思わずマスクをした。
今日は急ぎの仕事があるわけではなかつたので、昼から、チェンソー製材のテストをした。あとから買つた器具は、木材をレールにしてそれに跨るように器具を置いて、木材に沿って切っていく方法で、もう一方の装置が水平に切って行くのに対して、これは、通常のチェンソーの動きを同じ要領で引いていく、こちらの方がチェンソーの理に適ってゐるが、ガイドの木材の幅が狭いと、チェンソーが船で云へばローリングして切り進む軸がブレるので、幅広い木材をレールにして引いたほうが良さそうである。今日は2×4材を使つたが2×6材がいいかも知れない。
(写真1・写真2)
先に買つたもう一台の製材装置で板をわこうとしたら、なんだかチェンソーが不自然に振動してゐる、見るとリコイルの紐が巻いてある側のカバーのネジが4本のうち、3本が無くなって、かろうじて1本で留まつており、それも外れそうになつてゐた、修理で戻つて来た時にどうだつたらう、使つてゐていつぺんに3本もなくなるはずないなあ、修理の時に留め忘れたのではないかと思ふが、まあ、たかがネジだ、騷いでもしかたがない、ホームセンターでボルトを買つてきて留めてをいた。
太郎の水泳教室の日だが、先週で年内の教室は終わつたさうだ、と云ふことは、先週進級テストがあつたはずだ、どうだつた?と訊いたら今回も駄目だつた、平泳ぎのキックが駄目だつたさうだ。
晩飯、水泳教室が無くても、本日はカレーの日だ・・・OPWCである。
出典はこれだ、ここは金曜日ださうだが、我が家は水曜日、だからOPFCでなくてOPWCになる。「和文」は楽しい、
諸兄諸氏 LeT’S 和文!
○
令和 2年12月22日(火)
晴れ。
最低気温 -4.1℃ (06:30)、最高気温 7.3℃ (15:16)
定点撮影 その他風景1・風景2・風景3
カミさんは健康診断で胃カメラを飲んださうで、そのまま今日は休暇をとつたので、夕飯の支度の心配はしなくて済んで、夕方まで薪作りをした。ちょうど日没近くになつて太陽が出ていたので、六日の菖蒲方式で、一日遅れの日没の写真を撮ろうとしたが、どうも雲が邪魔をしさうだつたので、雲に隠れる前に一枚撮つてをいた。やはり日没時は完全に雲に隠れて、太陽の位置すらわからないほどだつた。
朝一番で、昨日庭先に置いた立ち枯れの木を一気に捌いた(写真)。
その前に、寒いから焚き火をしながらと思つてゐたが、体を動かしてゐるうちにポカポカしてきて、シャツ一枚になつて薪作りをした、焚き火は要らないなと思つてゐたら、作業をやめるとやはり阿蘇は寒い、結局焚き火をすることにした。
ただ、最近焚き火はドラム缶製のバーベキューコンロで燃やしてゐるのだが、ドラム缶が腐食して穴だらけなので、以前使つてゐたバーベキュー用の鉄板を軽トラックの重量の力を借りて、鉄板にカーブをつけて、腐食した穴を塞いでおいた。
今日は昼飯も、焚き火のところで摂った。
ここのところ晴天続きだが、どうも24日は雨になるらしい、だから、今日明日でずつと切りつぱなしで置いてある薪を小屋に入れることにした。
二日がかりで、片付けようと思つて作業を開始したが、二台分の薪(写真1・写真2)、今日一日で、片付けてしまつた。
それから、そのなかにそのままストーブに入れるつもりで切つたケヤキがあったが、ちよつと大きすぎるので小屋に入れる前に半割にすることにした。ケヤキの木は硬くて、オノでは割れないので、チェンソーで切れ目を作つてそれに楔を打ち込んで割らなければならず、今日はそれもやつておいた。
今日は朝から夕方までみっちり薪作りに勤しんだ。不思議と疲れは全く無かつた、最近連日体を動かしてゐるからだらうか。
我が家の米が無くなつてきたので、今日、ご近所から分けてもらつて精米をしてきた(2/9袋)
○
令和 2年12月21日(月)冬至(一陽来復)
晴れ。
最低気温 -2.9℃ (07:19)、最高気温 6.3℃ (14:34)
定点撮影
毎年、この時期は天気が良くなくて、冬至の日没の写真を撮ることができないことが多いのだが、今年は晴天続きで、今日なんか絶好の日没撮影日和だつたにも係わらず、うつかりして写真を撮り損なつてしまつた、病院行きや薪材の積み込み、晩飯の支度などで、動きまわつて、それらが終わつて、さあ風呂にでも行くかと、家を出たところ、太陽が沈んだばかりだつた、シマツタ!冬至だつた、それでも残照でまだ日没の位置や雰囲気が残つてゐるから、と写真を撮ろうとしたところ、カメラは家に置いてきた、ではスマホのカメラで、と田んぼのなかに車を停めてスマホを取り出したところ、電池が無くなつてをり、結局今年の冬至の日没の写真を撮る事ができなかつた。
今日は日記は逆時系列で綴てゐる、今朝、子供たちの見守りの時、外輪上に昇る今年一番遅い日の出を撮ろうと待ち構えていたが、なかなか昇つて来ない、実は、今日は熊本の髙野病院に三ヶ月ごとの手術後の定期検診日で、9時に予約してある。子供たちを送つてから行くとギリギリになる、それが分つてゐながら、なんとかして日の出を撮ろうと待つてゐたが、結局時間切れで太陽を直接目にすることが出来なかつた、そして、病院の予約時間に5分遅れてしまつた、別にそれでキャンセルになつたわけではないが、然う云ふ朝の時間だつた。
病院の定期検診は、三月ごとに血液検査、CTスキャンを繰り返して、一年に一度くらいだらうか、全腸の内視鏡検査がある、今日は採血だけだから、一時間ちよつとですべて終わつた。もちろん何も異常は無かつたが、あと何回行けば無罪放免になるのだらうか、もういい加減良さそうなものだが、それでも診てもらつてゐる間は安心なのだが。
山を降りたついでに二三用事を済ませて、昼は、光の森で回転寿司屋に入つた。回転寿司屋は店によつてシステムが少しずつ違つてゐて、前回行つた店(スシロー)はシステムが良く分らずに食べること以外に神経を使いすぎて食べた気がしなかつたので、今回は前回の経験をもとに少し余裕を持つて同じ店に行つた。最近では店に入つて予約を取るところから機械化されてゐて、そのあと、席につくのにまた機械処理である、そして、席に着いたら着いだで、フリーで回つてくる寿司が少ないので、またモニター画面をタッチして注文をしなければならない、その注文した寿司皿が来るのが店によつて(模型の)新幹線に乗つてくるものも有れば、普通に回つてゐるベルトにフリーの皿と混ざつてやつて来る店もある。昔は目の前に回つてくる皿で食べたい皿を取れば済んだものを、最近は頭が悪いと回転寿司も食べられない時代になつた。自分が注文したのがなんだつたか、覚えておかねばならず、それが何色の皿に載つてやつてくるのかを目をこらしていなければならない。
そこまでは前回経験でだいたいそつ無くこなすことが出来たので、今回は結構食べすぎてしまつた、それで最後の会計だが、これは前回は上の空だつたので、今回もキヤツレス決済(PayPay)の手順をよく覚えておらず、機械の前でオタオタしてゐたら、小生の次に会計を待つてゐたご婦人が笑いながら親切に教えてくれた。いやいや昔のノンビリした回転寿司時代が懐かしい。
今日は平日で、まだ昼まで少し時間があつたので、空いてゐるだろうと思つて入つたら、、普通のお客さんでいつぱいで、順番待ちをしてゐた、一体この人たちはなんだんだらう、年寄ならわかるが、何をしてゐる人たちなのだらう、仕事はしてゐないのかと不思議でならなかつた、ほとんどの人がグループでまとまつて席が明くのを待たなければならないが、小生はひとりなので、一人が座るカウンター席は明いてゐて待ち無しで席につくことが出来たが。
家に帰つて来た時はまだ3時を過ぎたばかりだつたので、最後の薪材の積み込みに行つて来た、今日で今回の薪材集めは終わりになる。今日は立ち枯れの巨木の根本の方の部分で、立ち枯れと云つても太くて重いので、クレーンで積んできた、乾燥させる必要が無いので、すぐに薪にするために、庭先に降ろしておいた、捕鯨船がすぐに甲板で解体するやうなものである。クレーンで吊るときにChina製である、電気系統のケーブルの圧着端子のカシメが弱くて抜けたので、一旦家に帰らうかと思つたが、ブースターケーブルが積んであつたので、それで一時的に代用した。(写真1・写真2・写真3・写真4)
朝は時間がなかつたので二重峠トンネルを通つて行つたが、帰りは57号線現道部を走つて帰つてきた。(本日の軌跡)
晩飯、ロールキャベツ。冬至はカボチャがつきもののやうだが、小生が好きでないので思ひつきもしない。
今日はアゼリアの風呂に行つて、さらに、今晩は柚子湯だつたので定点撮影のためにまた太郎と一緒に入つた。
令和 2年12月20日(日)
晴れ。(写真1・写真2・写真3)
最低気温 -5.6℃ (03:20)、最高気温 5.5℃ (14:21)
ニュースによると熊本地方も中共ウイルスが猛威を振るつてゐるやうなので、太郎たち、用心のために、今日のテニススクールは休んだ、夏子の受験が近いこともあり、用心に越したことは無いと云ふことである。ただ、来週は分からない。
午後3時ころだつたらうか、福岡に住む従兄の滉兄が孫の悠君を連れてやつてきた、章さんの息子さんだ、近見の哲兄の所に寄つてから来たさうだが、我が家に来るのは初めてだつたかな、幼いころ来なかつたかなあと思つて訊いたがどうやら初めてのようだ、我が家だけでなく、阿蘇に来ること自体が初めてのようで、二重の峠越えでやつてきて、外輪上から見渡す阿蘇谷、阿蘇五岳は素晴らしかつたと云つてゐた、阿蘇のスケールを知るには直接阿蘇中岳に登るのではなく、まず外輪上から阿蘇を観るのが一番なので、だから、二重峠越えたやつてきたのかと、滉兄に訊ねたら、57号線の復旧前の頭で、迂回路のつもりで二重峠を越えてやつてきたとのこと、怪我の功名である、帰りはトンネルを通つて帰ると云ふので、トンネルなんかつまらないから、57号線現道部がいいと勧めたら、そうすると云ふことになつたが、それもまつすぐ帰ると云ふので、初めて阿蘇に来たのならせめて草千里にでも寄つたら?と勧めたら、悠君も草千里に是非行つてみたいと云ふので、じやあ寄つてから帰えらうかと、4時少し前だつたか、束の間の滞在だつたが発つて行つた、滉兄にしても我々阿蘇住人にしても草千里なんか珍しくも無いだらうが、初めての阿蘇なのだから、やはり寄るべきところだらう、ちゃんと寄っただらうか。
「孫」と云ふと太郎なんかの年齢をイメージするが、大学4年生で、もう卒業後の進路も決まつてゐて、それも日本を引つ張つていく仕事だ、世の中、優秀な子は自然に優秀なんだなと思ふ、なかなか謙虚な好もしい青年だ。
今日も薪材の積み込みに出かけた、二台分運んだ。今日の木は非常に太い木で、重すぎて横転しないやうにアウトリガーを出してクレーンで積んだ。ここに住み始めたころは、太い木をみると、これでイスやテーブルなどの家具が出来ると、切るのを躊躇したものだが、今では全くそんなこと思いもせずにどんどん薪にしてゐる、人間変われば変わるものである。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
今日は、そのほかに、太い木を玉切して薪を作つた、大きなチエンソーと新しいソーチエンだと太い木でも実に気持ちよく切れる。
令和 2年12月19日(土)
晴れ、朝の気温、緩む、ただ、ちよつと風があり、体感的には寒く感じた。
最低気温 -0.9℃ (00:00)、最高気温 8.1℃ (14:36)
今回の関越自動車道の雪による大渋滞、くわしく読んでゐないのでわからないが、太平洋の真つ只中で漂流してゐるわけではない、高速道路の下には、田畑ばかりのところもあるかもしれないが、狭い国土、近くには一般道路も走つてをれば、人家などもあるのだろうに、どうして人間は、何十時間も車の中でジツとしてゐるのだらうか、ちよつと歩けば、高速道路から下に降りる非常階段はあるだらう、どうして、車を置いて下に避難をしないのだらうか。この先、十時間、二十時間、開通の見込みはありませんと、ちゃんと情報を流してやればいいのだ、今回はそのやうなことはしなかつたのか、毎年毎年、災害が起きるたびに新たな危機管理問題が発生するものである。
高速道路の上には鉄道と違つて架線なんか無いのだからオスプレーが飛んで行って、物資や人を運べば良かろうに、但し、「リベラル」は乗せなくて良いぞ。
薪材積み込み出動、今日で何日目になるだらう。さすが名人、今日夕方までに下の方だけ残してあれだけ高く聳えてゐた木を全部切り終わつた。重機も使わず、チェンソーを両手で操作するためちよつとロープで体を支えることはしたが、基本的に命綱など無しである。
作業はすべて終わって、薪材だけ積んであるので、今日一台、明日二往復くらいあるだらうか。最後に上村さんを挟んで、今回の伐採の依頼主、墓地の所有者、森本さんと村上さんと記念撮影(もうひとり村上さんがおいでだが撮影時不在)。
宮地 分二区 樹木伐採連続写真 (1/2)
宮地 分二区 樹木伐採連続写真 (2/2)
令和 2年12月18日(金)
晴れ。外に出る時もそれなりの服装をしているせいか、全く寒さは感じなかつた、このやうな天気の時は風が全く無いのでそれも寒さを感じさせない理由になつてゐる、こんな朝は、寒くないうえに実に気持ちがいい。
最低気温 -6.6℃ (05:05)、最高気温 6.5℃ (13:50)
阿蘇乙姫 -7.8℃ (05:00)
定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4
昼から薪材の積み込みに行つてきた、今日から上村さん仕事に復帰したさうで、電話があつた。太い幹を倒す際にハシゴを直撃したそうでグンニャリと曲がつてゐた。小生でも居れば、一時的にハシゴを退避させることが出来たゞらうに、独り作業で上に登つた状態ではハシゴを動かすことが出来なかったからださうだ。
倒した太い幹は林内作業車で引っ張り出してもらつて、小生のクレーンで軽トラックに積み込んで、持ち帰ってきた。これより先、立ち枯れした木を運んで庭先に降ろして、今日の薪積み作業が終つたあと、すぐ燃やせる薪にしてしておいた。先日庭先で作つた薪を今日の午前中に全部使い切つたばかりだつたので、今日また新しい薪が補給できた。
明日、もう一本残つてゐる方を倒すさうである。明日も出動だ。
晩飯、ジンギスカン。
○
令和 2年12月17日(木)
晴れ、昨日から少ない量だが降つた雪が気温が低いので残つてゐて、今日も少し降つたのだらう、周囲の風景が白くなつてゐる。
写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
最低気温 -4.8℃ (03:55)、最高気温 4.4℃ (14:13) もうこのくらい気温が下がつても驚くほどのこともない。
定点撮影
この時期になると、あちらこちら、凍結しやすい場所に融雪剤「塩カリ」が置いてある。
先日修理に送つたチエンソー、修理なつて戻つてきた。小生はてつきり点火コイルだとばかり思つてゐたら、スイッチのところの配線が取れてゐたさうである、まさか、あんなところの配線が取れるとは、何年も使つたわけでもないのに、さすがCHINA製である。そんなことならわざわざ送ることも無かつた、往復の送料分損をした。
それでも直つて良かつた、排気量が50CC以上あつて、バーの長さが20インチもあるチエンソーが驚くほど安く手に入るのだから、少々のことには目をつぶるのだ。
早速、中断して放置してあつた製材場所で、製材にとりかかつた、故障で止まつてゐた表面の切り取りの続きである、、アタッチメントの幅がギリギリの幅でコツが要るが、なんとか一番上の丸い表面を切ることが出来た、これが終われば「ハシゴ」はもう要らない、以降は 新しく出来た平らな面を滑らせて板をわいていけばいいのだ。 (写真2・写真3)
チェンソーのバーの長さが20インチ(50cm)と云ふのはギリギリの長さで、もう10センチは欲しいところだが、そのくらいのクラスのチエンソーになると、ベラボーな値段がする、欲しいけど手が出せない。
ところが、今回製材用のアタツチメントを買ってから知つたのだが、もっと簡単に板をわくことができる道具が安価にあることを知つて、これも買つた、まだ試してゐないが、こちらのほうが合理的かもしれない。明日にでも試してみやう。
とにかく板一枚わくのも大変である、燃料をバカ食いする、一面切るだけで、タンクが空つぽになる、それに、よほど刃の状態が良くなければ切れていかない。今回は、何の木だらう、かなり硬い木だつたので、目的とする杉でやればもつと楽に板が取れるのではと思う。今日は階段を作るために、幅一尺(30cm)、厚さ3寸(9cm)、長さ7尺の板が欲しいのだが、試験的に切った木は短かつたので、幅と厚さだけは切ることができるこをと確認した。風師庵自家用製材所営業開始である。
最終的には階段を作るのにこのサイズの板を5枚わかなければならない、原木を持つてくるのは重くて大変だから、チェンソーを原木が置いてある山まで持つて行つて現地で板を作ればいいのだ、ただ、どこにあるだらうか、径40センチで長さが2mくらいで、その長さでは売り物にならない杉の木がどこかに寝てゐないだらうか。これから、探さなければならない。
最初のうちは、チェンソーの取り付け位置を逆にして、気がついて途中から、本来の位置にもどしたが、結果的にどちらでもいいやうだが、ただ逆に取り付けると切れ具合には変化は無いが全身に鋸屑を浴びることになる。
中共ウイルス、阿蘇市は落ち着いたかにみえたが、今日また新たに二人の感染者が出たやうだ。
夕食、鍋。
○
令和 2年12月16日(水)
今朝は昨日よりも冷え込んだ、阿蘇乙姫はカルデラの平野部なので山付きのここよりは冷え込みが強かつた。昨日桶に張った水、今朝出来た氷の厚さは一番薄いところで12mmくらいだつた。完全防備ででかけたので、子供たちの見守りも全く寒くなかつた。
最低気温 -4.3℃ (02:52)、最高気温 1.2℃ (12:58)
阿蘇乙姫 -5.9℃ (04:54)
定点撮影
古閑の滝の氷結、どんどん大きくなつてゐる。
今日は時折雪が降つてゐた、昨日よりたくさん降つてゐた。先日薪にした木、立ち枯れの木で乾燥させることなく燃やせるので、すぐに取り込めるやうに玄関先で薪にして、天気予報では当分雨が無いと云ふことだつたので、置きっぱなしてしておいて使つてゐたが、、10個くらい残つてゐたところ、今日、雪がかぶってしまつた、確かに雨は降らなかつたが雪が降ろうとは。
今日の薪材積み込み作業は疲れたので休み。と云いながら、スーパーに行く途中、通りすがりなので寄つて、切り出しておいた薪材をちよつと積んできた。もう積むだけだから、10分もあれば終わる作業だ、今日も元請けの姿は見えなかつた。一度で済むものを玉ねぎとジャガイモを買い忘れてもう一度スーパーに行つた、また寄つて薪材を積んできた。これを行きがけの駄賃と云ふ。
今年一個しか生らなかつた柿、小鳥のために採らずに残しておいた柿、今日、ヒヨドリが食べてゐた。
中共肺炎のやまなみ病院のクラスターが収束したと云ふ発表があつた、最近の阿蘇市役所での感染も本人と配偶者の二人だけだつたやうで、熊本県下は現在かなり感染者が出てゐてリスクレベル「レベル5厳戒警報」が発表されてゐるが阿蘇市は平穏な状態が続いてゐる(あ、そうか、温泉病院があつたな、その後、どうなのだらう)。
当市でもプレミアム付き商品券を売るそうである、引き換えハガキが届いた。10,000円で14,000円の買い物ができるそうである。GoToトラベルやGoToイートは小生にとっては実利は無いが、プレミアム付き商品券は賄方としては非常にありがたい。
太郎、水泳教室。
晩飯、カレー。昼飯はちゃんぽんを作つて食べた、麺は一人前だが、具をたくさん入れたので、ラーメンの器には入りきれず、大きな鉢に入れて食べた、野菜が多いので量は多くてもヘルシーなのである。
令和 2年12月15日(火)
いやあ、今朝は風も相まつて寒かつた、と云ふよりは冷たかつた、朝の見守りのとき、軍手だつたので指先がジンジンして、子供たちの通過の合間を縫つて車の中に避難して暖をとつた。そのくせに、朝起きた時、車のウインドウは全く凍つていなかつた、ここのところの乾燥続きで空気中には凍りつく水分もなかつたのだらうか。
最近水たまりが無いので昨夜わざわざ桶に水を張つて、今朝の予報が氷点下4℃だつたので、どのくらい凍るだらうと思つってゐたら、予報ほど気温は下がらなかつた、氷もそれほどの厚さではなかつた。
昨夜からの低温と吹きつける風で古閑の滝がこの冬やうやく凍り始めた。(写真1・写真2)
そして、午前中、薪材をとりに行こうとして家を出たら雪が舞つてゐた、初雪だ、積もることもなく降るはしから消えてゐった。
高岳もしっかり冠雪、薪取り現場から外輪の向こうにちよつと見えた九重も真つ白、いよいよ本格的な冬の到来である。明日の朝は氷点下5℃ださうだが、気象庁は大げさだからそんなには下がらないだらう。
最低気温 -2.7℃ (07:28)、最高気温 2.4℃ (14:01)
定点撮影
今日も、薪材の積み込みのつゞきをした。今日は元請けが姿を見せない、切り倒したままの木が縦横に横たわつてゐる、普通であれば、そのなかから枝葉を切り分けて薪に適した木を選んで切つてくれて、小生はそれを積んで帰つてくればいいだけだが、今日はだから、小生がその作業まで全部した、日中の外気温も低かつたやうだが、全身運動の連続で全く寒さを感じなかつた、結局今日は切り出しだけで、一台分だけやうやく積んで帰つてきたが、体力の限界、大袈裟でなく吐き気を催すほど疲れた、やはり後期高齢者なんだ。
(写真1・写真2・写真3・写真4)
上村さんが心配だから風呂に行く途中に寄つてみたところ、今日はちよつと体調不良でいかなかつたさうだ、電話をかけてもつながらないし、不測の事態を予想してゐたが、電話は置いておいた場所に切つた木が倒れかかってつぶれてしまつたそうだ。現場に道具類が置きつぱなしなので、もしかしたら、木の上でぶらさっがつて引っかかつてゐるのではないか、あるいは藪の中に落ちて動けなくなつてゐるのではないかと心配したが、軽トラックが見当たらないので、現場にはいないなといふことは分かつたが、それでも結構心配した。
それから、今日作業をしてゐて、墓地の持ち主のおひとり、森本さんと「根子岳山窓」の主どのと親戚関係にあるといふことを知つた、人のつながりの意外さ、と云ふのも変だが、なんだか嬉しくなつた、嬉しくなつたと云ふのも全く変な話だが。
晩飯、作る気力も無かったが、それでもそこは義務感、ご近所からちょうだいした大根がたくさんあつたので、豚大根を作つた。
令和 2年12月14日(月)
「各々方、本日は極月なかばの十四日でござる」
曇り、日中も気温が上がらなかつた、寒い一日だつた。
最低気温 -1.6℃ (但し19:37時点、明朝に向けて降下中)、最高気温 6.5℃ (02:12)
昨夜降つたのだらう、高岳頂上付近が雪で白くなつてゐた、日本海側はこの冬初めての大雪の予報が出てゐる、レーダーを見ると雪の筋雲が続いてゐる。当地は雪は降らないと思ふが、明朝はかなり冷え込む予報が出てゐる。夕方、風呂当番の太郎が、お父さん、風呂(の自動運転装置)が凍結防止がなんとかと言いよるばい、と云つてきた、いつもは早朝にその表示だかアナウンスだかが流れるが今夕時点でもう氷点下になつてゐるのだ。でも我が家は今年は薪は使い切れないほどあり、ボンボン燃やしてゐるので外の寒さは一向に感じないで済んでゐる。
午前中、ハチウト作りをやつた、今回はもう、ダボ繼ぎはせずに、ボンドとインパクトで一気に仕上げた。今回は胴体部分だけで、まだ基台部分の扉や、天井のフタなどの工作が残つてゐるが、来春までにやればいいのだ、もうワンセット作つておきたい。、
燻製器に使う一斗缶・・・どこで手に入れやうかと考へて、豆腐やを訪ねた。あまり沢山は使わないけど少しならあるよと云つて出してくれた、二缶もらつてきた、フタ式でないのがちよつと残念だが。まだ出たら連絡をくれるさうだ。
豆腐屋の次男坊の拓郎くんに男の子がうまれたさうだ、おめでとう、文彦さんとまりさんが爺さん婆さんになつた。
一斗缶を二段重ねにすると結構高くなるなあ。一斗缶でなくても、ペール缶でもいいなあ。新しい一斗缶をホームセンターで買うと600円以上する。
晩飯、到来物のウナギ。家族で舌鼓を打たせてもらつた。
令和 2年12月13日(日)
晴れ。
最低気温 -2.9℃ (06:48)、最高気温 12.5℃ (14:36)
天気予報でさかんに寒波がやってくると云つてゐるが、そうなのだらうか、明日の予報を見てもなんとなく外れてゐるやうな感じもするが、九州は関係が無いのか。ああ、でも、今朝は一応気温は低くかつたやうだ、休みだつたので気が付かなかつた。
明日は新聞休刊日だそうだ、なんだか最近、やたらと新聞休刊日がある、ちゃんとした理由があるのか、これなんか実質的な値上げだらう?まあ、新聞なんて無くても一向に構わないけど。
太郎たたちは朝早く、週例のテニススクールに行つて昼には帰つてきた、夏子は昨日に続き模擬試験で午前中学校へ、小生は今日はのんべんだらりと過ごす、漢字で書くと、弄笨怠浪哩とか。
燻製のこと、いきなり本格的な燻製器はやめやう。まずはそんなに大掛かりな道具立てはやめて、素人らしく初心者らしく一斗缶から始めることで検討しやう。一斗缶を一個でなくて、二段重ねで、ツーウェイで使えるやうに作ることにしやうか。
それから、燻煙には電気コンロ(など)が要るみたいだ、電気コンロではないが、昔、貰い物でもう引退させて、働くものを捨てるのは勿体無いと何でも取つておく小生、ホットプレートが物置にあつたので、それで、熏すことはできまいかと、試しに桜のチップを載せて熏したみた。
このホットプレートの温度設定のダイヤルが最高190℃までしか無い、ちよつとかつたるいかなあと、様子を見てゐたら、煙が出始めたが、「盛大に」というほどではない、そのうちに炭化に近い状態になつた、開放空間だつたので煙の量が分からないので、改めて実際に箱をかぶせて実験してみやうと思う。
だいぶん前に温泉玉子だつたか作ろうと思つて買つて、結果的にその時だけで今はもう使つてゐない温度設定ができる卓上式のIHコンロがあつた、これなんか熏すコンロとして使えるのではないだらうか。
○令和 2年12月12日(土)
晴れ。
最低気温 2.9℃ (00:09)、最高気温 12.3℃ (15:21)
薪材の積み込みのつゞき。今日から巨木の切り倒しに掛かつてゐるが、今日はその前哨戦、巨木の隣の木を倒したと連絡が入つた。この木も大きいが立ち枯れ状態だつたので、積み帰つて、そのまま玄関先の庭に乗り入れて直接薪にした、乾かす必要がないのでここに置いておいてここから直接ストーブに放り込むことにする、しばらく雨は大丈夫だらう。
今日は丸一日薪材集め、薪作りをしてゐた、くたびれたぞ。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
裏の畑を見ると、水にこそ浮かんでゐないが、今年はまるで木場のやうになつてゐる。
燻製器、どうするか、なんで作らうか。ドラム缶は板厚が薄くて、切ると変形しやすいやうだ、初心者にはちよつと大きすぎるか。ベニヤやダンボールと云ふ手もあるやうだけど、火を使うから避けた方が良ささうだ。ベランダなんかに置く、小さな物置あたりがいいのだが。普段粗大ごみなんかで、このやうな「箱」は結構捨ててあるのを目にするが、イザと云ふときには無い。リサイクルショップあたりを探してみるか。
令和 2年12月11日(金)
晴れ、午後から曇る。
最低気温 0.0℃ (06:55)、最高気温 12.2℃ (12:20)
定点撮影。 その他風景(写真1・写真)
午前中いっぱいかけて昨日の薪材の積み込みに行く、今日は太い木ばかりだつたので、クレーンを使つて積み込んだ。今回はこれで終わリといふところ、急遽、今回切り倒しの対象になつてゐなかつた隣の巨木も倒すことになつて、これは段取りなどを含めて数日掛かるので、そのうちに都合のいい時に取りにくるといい、倒して積めるやうにしておいてあげるから、と云ふことで、とりあえず、今日で一区切りになつた。(写真1・写真2)
晩飯、ポテトサラダを作つてトンカツを揚げた。春菊の胡麻和え、ほうれん草の味噌汁。
令和 2年12月10日(木)
晴れ。気温も上がつた。
最低気温 -1.4℃ (04:31)、最高気温 15.9℃ (15:26)
定点撮影。 その他風景(写真1・写真2・写真3)
太郎の小学校の持久走大会があつた。9時から3,4年生、1,2年生、5,6年生、と時間を開けて昼前までかかつて行われた。太郎は12着だつたそうで、タイムは練習の時に比べて一番良かったけど、皆んなも頑張つたので練習の時より順位は遅かつたそうである。 走るのが得意な子と、苦手な子とは見てゐてよく分かる、それでも早い遅いはあつても落伍すること無く全員が走り終えたのを見届けて帰てきた。小生は子供の頃からずつと長距離は全く駄目だつた(昨今はうつかり写真を撮ると盗撮だと騒がれるので、極力写真は撮らなかつた)。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
持久走大会の応援から帰つてプールに行って、その後で遅い昼食を摂つてゐると、上村さんから木を切つてるぞと電話があつたので急いで昼食を済ませて薪材の積み込みに出掛けた。場所は、古閑医院のすぐ隣の墓地である。今日だけでは時間が無くて積みきれないので、二台分だけ積んで残りは明日取りに行くことにした。
(写真1・写真2・写真3・写真4)
上村さんは小生より二歳若いだけである、それなのに身の軽さには驚く、木を倒すのに上の方が邪魔なので、上の方だけ切り落とすことになつて、ハシゴを使って上に登り、切り落とす木が当たるからハシゴをどかしてくれと上から声がかかったので、ハシゴを外して、上の方の切り落としをした後、ハシゴを掛けようかと訊くと、いやいらん。見てゐると、隣の竹に乗り移ってスルスルと降りてきた。これは褒められた話ではないが命綱は全く無しである。
(写真1・写真2・写真3・写真4)
後期高齢者の医療費窓口負担が2割になることになつた、22年度からのやうだから少し先のことだが。小生は現在3割負担になんとか引つ掛からずに1割負担で済んでゐるので新しい制度では文句なしに2割になる。我が国は高齢者が優遇されすぎてゐる、若者、働く者世代の負担が大きすぎることにならないやうにこれは已むを得ないことだらう、あとは病気にならないやうに自衛、即ち、病気にならないやうに健康に注意することだ。
あるところで好きな熊本弁と云ふアンケートがあつて、「あとぜき」と云ふ言葉が一番人気だつたさうだ、小生もこの」あとぜき」と云ふ言葉は好きである、これほど一言で表現できる標準語は無い。小生がこちらにきて初めてこの言葉を識つたのは、牧野に行つたときに放牧してある牛が逃げ出さないやうに、柵にこの札が貼つてあつた、また、こちらに来たてのころ、だから、もう、19年前になるのだが、古閑医院のトイレ区画へのドアにこの「あとぜき」という札がかかつてゐた。この二つが今でも印象深く記憶に残つてゐる。ドアを開けたら、閉めろとい意味である、これがこの短い言葉に含まれてゐるのである。
好きな熊本弁に「まうごつ」と云ふ言葉もある。「これマウゴツ旨かねえ」などのやうに使う。これは「踊りたくなるほど美味しいね」、「非常に美味しいね」、といふ意味である、キノコのマイタケも食べると舞うほど美味しいキノコというところから付いた名前だそうで、これは全国区だが、同じ意味合いだらう。
燻製を作る時に必要なものにスパイスがある、「オールスパイス」とは何ぞ哉、すべてのスパイスと云ふ意味かと思つてゐたら、オールスパイスと云ふ名のスパイスのやうだ、フムフム。
カミさんは先日の休日出勤の代休かなにかで、今日は仕事を休んで、太郎の持久走大会の応援に行つて、そのあと、用事があつて、福岡まで出掛けて、夕方には戻つてきた。
令和 2年12月 9日(水)
晴れ。
最低気温 0.3℃ (05:48)、最高気温 11.4℃ (16:02)
定点撮影
ここに住むやうになつて19年目にしてようやく燻製(スモーク)をやらうかと云ふ気になりつつある、いろいろなやり方があるやうで、どの方法がいいのかまだわからない、いずれにしても、道具立てが要りさうだ。燻製器もダンボールでやったり、ベニアの箱を使つたり、本格的な金属製のものがあつたりと、それは少しずつ研究するとして、燻製チップも必要になるなと、今日は差し当たつて、チップを作つてみた。チップにする木は桜が一般的なやうで、今のところ、我が家には山程桜の木はある、ただ、薪だからどんどん燃やすので、そのうちに全部燃やしてしまつて残つた木は別の種類になりかねないので、今のうちにとりあえず作つてみやうと云ふわけである。
確かミモザさんも云つてゐたと思うがチエンソーで引くと、「おがくず」にチエンソーオイルが混ざつて臭くなるから、その場合、チエンソーオイルにサラダ油を使う人もゐると云ふことだつた。
チエンソーで引くと、よほど刃(ソーチェーン)が新しくないと、おがくずが細かくなりすぎて、燻製チップには向かないのではと思ふ。そこで、考えた、太い電動ドリルで穴を開けるといいのではと。家に15mmの木工ドリルのビツトがあつたのでやってみたところ、多分、このおがくずの大きさが最適な感じがする、この方法だと楽にチップができる。もっとビットの径が太いと取れる量は増えると思うが、電動ドリルへの負荷が大きくなるので、パワーのあるドリルでないと駄目だと思ふ。今回も、バッテリー式のドリルではちよつと力不足だつたので、AC式のドリルで穴を開けた。でもどのくらいの量のチップを準備すればいいのだらうか。
(写真1・写真2・写真3)
もうだいぶん前から軽トラックのルームライトのカバーが劣化して割れて無くなつてゐた、たまたまモノタロウで扱つてゐるのを知つて取り寄せて交換した。
(写真1・写真2・写真3)
「ニイタカヤマノボレ」をキーイングした動画を撮つたが、スマホのマイクが壊れてゐるのか、設定が悪いのか肝心の音がほとんど聞き取れないほどだつた、夜になつて気がついて慌てゝ予備役のスマホを使つて撮りなおして昨日の日記に載せておいたが、あまり上手くないな。
昼、プールへ。@1,000m×1本。
太郎、水泳教室
晩飯、カレー。
○
令和 2年12月 8日(火)
今日は「ニイタカヤマノボレ」等を自ら打つてゐるところを動画で載せやうと思つてゐたが、時間が無くなつてしまつた。明日にでも撮つて載せておこう。
ストレートキー マニピュレーター
午前中は少し雲が多かつた。
最低気温 1.1℃ (04:18)、最高気温 10.1℃ (13:25)
定点撮影
点火コイルが故障したチェンソーをキリハラ商店から群馬県のメーカーに送った、購入後一年の保証があるが、先月その一年を過ぎてゐた、保証期間とは実にうまく設定してあるものである。しかし、購入時に、webサイトにレビューを載せてくれたら3ヶ月延長するとあつたので、今日のことを想定してゐたわけではないが、(最高評価で)投稿してあったので、今回も保証の対象になる、ただ、メーカーの但し書きに、往復の送料は自分で持てとあつた、まあ、値段が値段だからこれは仕方がないところか。会社は群馬県邑楽郡と云ふところにあるさうだが、この「邑楽」はなんと読むのだらうと思つて調べたところ、「おうら」と読むさうである。
昼久しぶりにプールへ行った。@1,000m×1本。
午後7時40分くらいだったらうか、ISSが北から飛んできて、我が家の文字通り真上を通つて南の方へ消えて云つた、今晩は山の端に隠れるまでずつとは見えず、我が家の上空を通過してまもなく光が弱くなつてすぐに見えなくなつた、太陽の光が届かなくなつたのだらうか。今晩のISSも非常に強い光を放つてゐた。
はやぶさ2号が採取した砂が入つたカプセルが相模原のJAXAに戻つてきた、ラジオを聴いてゐたら大勢の人が迎えに出てゐて、中には「おかえりなさい」と声をかけてゐた人もゐたが、理屈を云ふと、砂は今回初めて宇宙からやつてきたのであつて、往復したのはカプセルだけと云ふことになるのだな(つまらんことを云つてゐる)。
今度は阿蘇温泉病院関係者二人に武漢肺炎の感染が確認された、これは院内感染になるのだらうか。同じ熊本県でも熊本市だけは県発表とは別に行つてゐるので、二人のうちの一人は居住地が熊本市なので、阿蘇市の発表には載つてゐない、熊本県と熊本市は仲が悪いのだらう、住民にとつては非常にわかりにくい、誰のための発表か。
晩飯。ひき肉玉ねぎミジン入のオムレツ、山芋の千切り三杯酢、中華風モヤシサラダ、キャベツとジャガイモの味噌汁などなど。
令和 2年12月 7日(月)
晴れ。
最低気温 -0.5℃ (07:45)、最高気温 14.1℃ (13:14)
定点撮影 その他風景(写真1・写真2・写真3)
これと云つたことをしないで一日が終わつた、午後、少し薪を作つておいた。
晩飯、サンマ、ガメ煮(筑前煮)、きんぴらゴボウ、味噌汁。 先日修理したオーブン、正常に運転した。
○
令和 2年12月 6日(日)
晴れ。
最低気温 -0.7℃ (02:43)、最高気温 14.8℃ (15:47)
太郎たちテニスレッスンにでかけた、一時は武漢肺炎で自粛をしてゐたが、それもあまり気にしなくなつたやうだ、罹る時はどんなに注意してゐても罹るもので、かからないのは周辺に感染者が居ないだけだ、屋外スポーツで大丈夫たと判断してゐるのだらう。
はやぶさ2号は素晴らしい、6年もかかつて、宇宙の遙か遠くの小さな惑星にピンポイントで降りて砂を採取して、地球にピンポイントでカプセルを落として、そのまままた宇宙の果て目指して飛び去つて行つた。月で岩石を採取したなどと云ふレベルでは無いのだ。それにしてもこのような偉業ができるのに国産ジエツト機が駄目なのは何故なんだらう。
jtqからPCの不調の件で随分久しぶりにLINEが来た、元気さうだつた。
娘からモバイルバッテリーのスイッチが壊れたから直してくれと言つてきた。またスイッチの修理だ。なんとか開いて見たところ、小さなタクトスイッチがあつて、それを保持している金具が折れてゐた。あまり小さくて、しかも、横置きタイプのスイッチで直ぐには手に入らない、それに小さくてハンダ付けが大変さうだ、折れた部分が単に保持だけの金具でこれが回路の一部になつてゐないのであれば、先日手に入れた紫外線を使つた接着剤で付けたらいいかなと思つてゐるが、それより、開いたままで充電をかけてもなかなか満充電にならない、もう寿命なのかもしれないから様子を見ることにした。
タクトスイツチと云へば、少し前から、小生のメインPCのスイツチが壊れて、スイツチボックスをむき出し状態にして、ピンセツトでスイッチ部分を突つついてはダマシダマシ使つてゐたが、とうとうピンセツトでつついてもスイツチが入らなくなつた、拡大鏡でみたら、これもタクトスイツチだつた、この回路は主要な回路でなくて、リレー的にトリガーでスイッチを入れるのだらうと思つて線を切って二本の線をちよつと接触させたらそれで電源が入つたので、これはタクトスイッチを外付けで取り付けてやれば済むな(モメンタリーでいいのかな)。
製材に使おうと思つてゐるCHAINA製のチェンソーが昨日から全くエンジンがかからない、プラグがかぶりやすいのは分つてゐるがそれを頭に入れて引いてもかからないので、調べてみたら、火花が全く飛んでゐない、イグニッションコイルがイカれたか、これじやあいくら引いてもかからないわけだ、スターターを何度も引いて、エキスパンダーでトレイニングをやつたやうなものだ。
このチエンソー、一応まだ3ヶ月ほど保証期間が残つてゐるはずだ、また交渉が面倒だなあ。それとは別に、このチエンソーのバーが20インチ(50cm)で、製材のアタツチメントを付けるギリギリのサイズなので、もう少しバーの長いチェンソーが欲しいなと思つゐたところ、ヤフオクで、22インチ63センチのSTIHLのチェンソーが出てゐた。排気量も70CCだ、ただ、もう25年ほど昔のモデルだ、それでもちゃんと整備されてゐて、これは出物だなと思つて、入札をしたら、小生にとつてはこれ以上は出せないと云ふほどの高値を付けて、多分、これで落札できるだらうと思つてゐたのに、それより遥かに高額で持つて行かれた、いやいや逃した魚は大きい、欲しかつたなあ。
今日は肝心のチェンソーが使えないので、薪作りをした。今年はずっと天気がいい日が続ゐてゐるので、薪作りは自転車操業をしなくて済んでゐる、四輪操業までいかないかも知れないが、三輪操業くらいの余裕はある。
令和 2年12月 5日(土)
放射冷却でぐっと冷え込んで、雲海も出ていた、今日も気持ちのいい一日だつた。
最低気温 -2.6℃ (07:25)、最高気温 13.0℃ (14:26)
カミさんは、勤務先主催の観光イベントがあり、その手伝いで朝一番で出掛けていつて、夕飯の支度が終わつたころ、実にタイミングよく帰つてきた。
小生は、チェンソー製材のつゞきをした。とにかくチエンソーが切れないので新しいソーチエンと交換した(21-78)。
大体においてこのやうな作業は日も射さず冬の風が冷たい時期にやることが多くて、さつさと済ませてしまいたいものだが、今日は陽だまりが気持ちが良くて、急ぐ旅でもなし、ノンビリと交換作業をした。
ソーチエン交換が終わつて、さあやらうかとしたところ今度はエンジンがかからない、このチエンソーは非常に偏屈で、掛かる時は一発で掛かり、その後も問題なく掛かるのだが、一度ヘソを曲げるともうどうにもならない。
仕方がないので、他にもう一台、小さなチエンソーの整備をして、以前から気になつてゐた家に接するところに生えていた孟宗を二三本倒したり、ずつと置きつぱなしになつてゐて先日半分運んだ薪の残り全部を薪小屋に運んだりした。
結局今日も、製材作業の進捗は無し、で終わつた。
晩飯、餃子。
令和 2年12月 4日(金)
晴れ。朝、冷え込む。日中は風もなく陽だまりは暖かかつた。アメダスポイントのカルデラ平野部の阿蘇乙姫は山付きのここより最低気温が1℃以上低かつたそうだ、放射冷却の典型である。
最低気温 -2.4℃ (07:09)、最高気温 11.9℃ (13:41)
阿蘇乙姫 最低気温 -3.8℃ (07:14)
定点撮影
チェンソーで製材をするためのアタッチメントの補助具が出来たので、いよいよ試運転。
で、結論は・・・・・なかなか上手くは行かないなあ。
先ず、補助具(ハシゴ)をマルタの上に固定するのが大変である。いろいろと方法があるやうだが、差し当たつて幹に釘をうちこんんでハシゴを固定することにした、この釘が長すぎると、チェンソーの刃が当たる、短すぎるとハシゴの保持が弱くなる、その部分はL型の金具で固定することでなんとか解決。
どうしてこのハシゴのやうなものを使うかと云ふと、この装置はガイドバーが水平の面を動いてそこから一定間隔下の部分にあるチェンソーが同様に水平移動して幹をわいて行くことで板が切れる。だから一枚でも板を取ったあとは、幹に水平の部分ができるから、その面をスライドさせればいいからこのやうなハシゴは要らないが、一番最初の時は幹の丸い部分しかないので、この装置を水平動出来ないから、擬似的に水平な面を作つてやらなければならず、そのために、ハシゴを使うのである。木材の上をチェンソーが水平移動できるなら別にハシゴである必要も無いのである。
次。丸太が太すぎて(逆に云ふとチェンソーのバーが短いと云ふことだが)、チェンソーを動かしていくバーの金具が幹に当たるので、位置を再調整するなど位置決めが大変である。まあ、これは試行錯誤で、一度決めれば大丈夫だ。
最大の問題点、いよいよ、エンジン始動して、製材にかかつたが、チェンソーが前に進まない。チェンソーはもともと少し斜めに刃をあてて切つていくものだが、この製材の時は刃の全面を平らに幹に当てるので、抵抗が大きくて普通に切る時のやうスムースに進まない、それ以上に、刃の切れ具合が重要である、今日使つた刃(ソーチェン)はかなり使つて、購入以来まだ一度も目立てをしてゐなかった。やはり製材の時は普通以上に刃の目立てが重要になる。
一旦作業を中断して、刃の目立てをして、さあ、気持ちも新たに、とエンジンを掛けようとしたら、今度はリコイルスターターのロープがプツツンと切れて終つた、さすが、CHAINA製である、そんなものだろうと思つてゐたので別に腹も立たない、ロープを買つて来て交換すればいいのだ。この作業は過去に別のチェンソーで経験済みなので要領は分つてゐる(初めてだと、スプリングの仕組みが分かつてゐないので、焦るところだらう)。
晩飯のオカズを買いがてら、ロープを買つて来て、交換作業をした。ところで、目立てしたチェンソーの切れ具合はと思つて、製材アタッチメントに取り付ける前に、丸太を玉切りしてみたが、これがあまり目立ができてゐない、この目立てが一番難しい、もう二十年近くやってゐるのに未だに駄目である。
明日にでも、新しいソーチェーン(刃)に交換して、製材に再挑戦することにする。ああ、くたびれた。
晩飯、炊き込みご飯、刺し身、アサリの味噌汁、春雨サラダ。
令和 2年12月 3日(木)
今朝は凍る気温ではないなと思つてゐたので、子供たちの見守りに出る時、事前に車のウインドウの霜取りをしてゐなかつたのでガチガチに凍ってゐた、普段使わないので「霜取り」を探したが無い!今はご時世でアルコール消毒のスプレーは常備してあるのでそれでウィンドウの凍結を溶かして出掛けた。意外と知られてゐないが、霜取りにはこのアルコール噴霧が簡単でいい。
最低気温 -0.1℃ (04:29)、最高気温 12.2℃ (13:16)
定点撮影
いつもの橋の袂に行つたところ、予想してゐたより体感気温が低い、オカシイなと思つてスマホで気象観測装置を確認したら、観測が昨夜で止まつてゐた。今朝は氷点下だつたのだ、それで諸々のことが腑に落ちた。しかし氷点下と云つてもギリギリの氷点下でそれほどでも無かつたのに体感的にはもつと低いと感じたのは、最初に間違つた情報から気持ちがスタートしてゐたからだらうか。
武漢肺炎、阿蘇市は今までやまなみ病院のクラスターで一時緊張したが、今日は阿蘇市役所の職員に感染者がでたそうで、数日間市役所が閉鎖になった。どんなに気をつけていても感染をするのだから、感染は仕方のないことだ、今なんとも無い人間は、たまたまそうであるに過ぎないのだ。市役所には沢山の知り合いがゐる、どこでどうつながってゐるか分からない、少し緊張をせんといかんかな。
そして、この市民宛のメール、ちよつとオカシイのではないか。
職員に対して感染防止に徹底するように指示しても、そして職員は徹底しても感染するときは感染するものなのだ、武漢肺炎とはそのやうなものなのだ、医療のプロが集まる病院内でも次々に感染するのだ、それに対して市政を預かる責任者として責任を感じる?それなら責任をとればいいのだ。然ういふことを云ふから、感染者が犯罪人のやうに誹謗中傷いじめに遭うのだ、市政の責任者みずからがその種を蒔いているではないか。
職員一同感染防止に努めてまいりましたが残念がら感染者が発生してしまいました、・・・・感染した職員の回復を祈つております、しばらく窓口業務が混乱することになり市民の皆様にはご迷惑をおかけしますが・・・こんなふうに書けないのか。
チェンソーの製材アタッチメントの補助具を作つた。今日は北風が吹いてあまり日も射さず寒い一日だつた。たまたま今回切り分ける材料の寸法が、ハチウトの一枚の寸法と同じなので、2×8材を一枚買つてきて、一緒に切つておいた。
今回作るものは、見たところハシゴそのものである、小生としては丁寧に寸法を測つて、ビスもヒビが入らないやうにちゃんと下穴を開けて丁寧に作つた、時間切れで製材の試運転は出来なかつた。(写真1・写真2・写真3・写真4)
晩飯、カレー。昨日がカレーの日だつたが、一日遅れのカレーの日である。
エコキュートのタンクが空っぽになつてゐて、夜風呂に湯を入れやうとして気がついた、小生は家の風呂に入つてゐないので関係が無いが、我が家の三人組は夕食後、あたふたとアゼリアの風呂に行つた。どうして空つぽになつたのだろう、最近風呂の湯を張るのは太郎の仕事になつてゐるが、なにか閒違つた操作でもしたのだらうか。
(翌朝聞いたこところ、我が家の三人組、風呂に行つたとばかり思つてゐたら、めんどくさいと、行かなかつたそうで、ギリギリあつた湯でカミさんは入つそうで、子供たちは入らなかつたそうだ。)
令和 2年12月 2日(水) 「阿蘇移住記念日」
ずっと曇りだつた。不思議なもので、カラリと晴れた朝と曇った朝とでは寒さの感じ方が違う。今朝は昨日の朝よりも気温は高かつたのに、子供たちの見守り時、昨日より寒かつた。
最低気温 0.3℃ (04:39)、最高気温 12.3℃ (14:02)
定点撮影。
チェンソーで製材をするためのアタッチメントを組み立てた、パーツリストで内容物をチェクしたところ、さすがCHINA製である、主要部品は大丈夫だつたが、ボルトナット類がメチャクチャだつた、それでも、なんとか使えるので一応用は足りた、ワツシヤーなんか山程余つた、オマケに全くサイズが違うスパナまで入つてゐた。
組み立てに結構苦労した、と云ふのは、木材の左に体を置いて操作するか、右に置い操作するかで、チェンソーの位置が逆になるから、構造も逆になる、ろくな説明書が無いので、ネットで検索して参考にしたが、見る動画によって、立ち位置が違うので混乱した。それでも、組み立て無事に完了した、あとは実際の試運転だが、一番最初に切るときはある特別なことをしないと出来ない、それは、実際に切った時に書く。
これで風師庵製材所ができた、もし可能なら、玄関先の階段を板の切り出しから始めて、自作をしてみたいと思つてゐる。20年近く経つともう階段がグズグズに腐りかけてゐる、階段は非常に厚い板を使うので外注すると結構な値段になると思ふので、自分で板をわいてみたいと思つてゐるのである。。
太郎、水泳教室。
今日は西暦2020年令和2年12月2日、なんだか2が沢山並んでゐる。
2001年阿蘇の旅・・・2001年12月2日、この日に、神奈川県茅ヶ崎市からここ阿蘇へ移住してきた、21世紀が始まつた年だ、まる19年経つた。この日を我が家では「阿蘇移住記念日」としてゐる。母とかみさんと三人で移住してきて、母が去り子供が二人生まれて、今は四人の家族である。いつまで四人が続くのか誰にも分からない、長かつたやうで短かつたようで19年が経つた。(ああ然うだつた、コラもゐてシマもゐてボンもゐたのだつた)。
この日の晩飯、定番のすき焼きだつた、19年前もすき焼きだつた、すき焼きなど今の時代、珍しいこともないが、なにかあるとすき焼きである。
○和 2年12月 1日(火)
晴れ、昨日までの晴れと違つて朝から抜けるやうな青空が広がつた。
最低気温 -2.2℃ (06:05)、最高気温 11.6℃ (14:36)
古閑の滝は気温が下がつても風が無いと氷結しない、風で滝の水が飛沫となつて周辺に飛ぶ時に凍るのだ、気温は十分なのだが、ここのところ穏やかな天気が続いゐるので氷爆は出来てゐない。
定点撮影
いよいよ「師走」である風師庵走る、である。屋外は霜で真つ白、外作業は出来ないので、午前中は屋内作業、作業ズボンの裾直しをした、それから、電子レンジの修理のつゞきをした。
しっかりと最終組立をしてから電子レンジの外に引つ張つてきた線にヒューズボックを付けて15Aのヒューズを投入。
緊張の一瞬・・・・・ん!・・・・・・スイッチが入らない・・・・・・・前扉を開いてもう一度閉め直したところ、庫内灯が点いた(扉のスイッチも機能している)、早速、自動設定でカツプの水を温めてみた、動いてゐる、動いてゐる・・・熱いお湯が出来た。
レンジとしては動いた、次は、オーブンだ。オーブンとして使うときは、マグネトロンは使わないのだらうか、加熱装置は別の所にあるのだらうか、オーブンのときは、鉄製のトレーを入れるので、マグネトロンからはマイクロウェーブは放射されないだらうから。
昼食に冷凍ピザを買ってきて焼いてみた、このピザは電子レンジ用でなくて、オーブンで燒くやつだ、途中ヒューズが飛んで終つたら今使つてゐる電子レンジでは焼けないので、もう、ピザの完成品は出来ないことになる。
予熱開始で・・・15分くらいかけて・・・・・250℃にして、それから焼き上げる時間が13分、途中で切れるのではないかと気が気ではなかつたが、無事にピザが焼き上がつた。
と云ふことで、「修理完了!」と云ふことでいいのではないか?じゃあ、ヒューズが飛んだのはなんだつたのだらうか、どこかのブログに、同じやうな修理記があつたが、そのブログでは電源を入れて少し使つているうちにまた切れたとあつた、我が家のレンジは、とりあえず動いてゐる、しばらくこのまま使つてみることにする。
風師庵、萬承り候う、営業品目がひとつ増えた、「電子レンジも直します」なんちゃって。Off Gridではないけれど、selfrelianceである。
これを買つた。製材用のアタツチメントである、チェンソーに装着して丸太から板をわく、前から家で製材できるといいのだがなあと思つてゐたが、製材機を買うわけにはいかない、このアタツチメントだと、丸太から板を切り出すことができる、あるのは知つてゐたが、大掛かりで、高価なものだらうと思つてゐたが、要はチエンソーに取り付けて、木材との間に一定空間を保つチエンソーを運べばいいだけである、Amazonのブラツクフライデーと云ふ大安売りの催しで売つていたので買つた。早速組み立てようとしたが、なんだか面倒で直ぐには組み立てられさうも無い、とりあえず、今日のところは眺めるだけにしておいた。
この道具が使えるやうになればいままで杉などは要らないと棄権してゐたが、今度から杉の丸太をそのまま運んで来るわけには行かないので、現場でわいてから持ってくれば運ぶのも苦労は無くなる。
去年から土の上に転がしてある薪を小屋の中に入れた。表面は乾燥しても、地面と接する面が濡れてすぐに燃やせないので、もう一つある薪小屋に運び込んでおいた、表面は汚れてはいるがまだ全く腐ってはゐない、もう一年放置すると腐り始めるかもしれない。今日一度に全部はちょっと時間が無かったので半分くらい運んでおいた。
ご近所のみなさんがよく名前も告げずに野菜を置いていつてくださるが、今日は、薪が置いてあつた、誰だろう、見当がつかない。
晩飯、マーボー豆腐。
今日も一日忙しかった、あと一月でお正月だ。