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令和庚子(2020) 2年 7月の記録 (新しい日付けの順)


令和 2年 7月31日(金)

 晴れ。朝、門の町橋のたもとに立つともう暑さを感じるほどだった。
     最低気温 23.2℃ (05:00)、最高気温 30.6℃ (14:56)

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10)     

 夏子の高校は今日が終業式で、明日から夏休みだ、昼ころに帰ってきた。と言っても、休暇中は夏期補習があるようだが。一方の太郎は、まだまだ学校がある、確か来週いっぱい学校で、そのあと夏休みに入っても一週間くらいしか休みがないようだ。太郎はそれを別に恨むこともなく淡々と学校に行っている。

 歴史的仮名遣いにちょっと凝っている。太宰治も芥川龍之介も夏目漱石も皆、当時の作家は歴史的仮名遣いで小説を書いている、つまり「走れメロス」も、「羅生門」も、「草枕」もである。それを出版社は勝手に現代仮名遣いに直して出版していて、これじゃあ日本語の持つ美しさが全然伝わらない、歴史的仮名遣いを大事にするひとたちは怒っている。そうか、と思って我が家の書棚に残っている、黄ばんだその頃の著作を引っ張り出してみたところ、たしかにどれも歴史仮名遣いで書いてある。
 
 そんなときに書棚の中に歌人の佐佐木信綱(1872-1963)、八十八歳のときの「作歌八十ニ年」という自らをかえりみた著作をみつけた。
 信綱が阿蘇を詠んだ歌に「大阿蘇のヨナ降る谷に親の親も その子の孫も住み継ぐらしき」があるが、何歳の頃の作品だろうかと思っていたので開いてみた、この歌、昭和四年 五十八歳のときに熊本に旅した時の作品だということがわかった。この歌のほかにも数首収められている。小生、
 「人いまだ生まれず神と鬼とのみ住みけむ世よりもゆる山かも」
                              この歌が好きである。
 大阿蘇のヨナ降る・・・の歌は
「大あそのよな降る谷に親の親もその子の孫もすみつぐらしき」
                             が原文のようである。

 我が家の書棚、如何にも沢山の文献に溢れているかのようにみえるが、我が家の書棚など極めて小さなもので、向こうから来るときに手当り次第処分して、たまたま残っていた本の一冊である。
 
 晩飯、餃子・・・


令和 2年 7月30日(木)

 今日、熊本地方は梅雨明けした。今年は順序よく南から明けていっているようだ。

 九州の各地方気象台はみなどこでも、九州北部地方が梅雨明けしたと見られると発表しているが、実際には「九州北部と四国、それに中国地方が梅雨明けしたとみられる」が正しいのだ。このことは毎年小生は日記に書いているが、地方気象台というのはどうしてこうもセクショナリズムが強いのか。この記事しか読まなければ他の地域も一緒に梅雨明けしたとわからないだろう、この各地方気象台の発表は「事実」ではあっても「真実」ではない、毎年この時期は小生はこのことで腹を立てている。オマケに地元新聞までそうである、熊本藩の新聞は他藩のことには関心がないらしい。

 梅雨が明けていきなり真夏日になった。
   最低気温 21.6℃ (05:27)、最高気温 30.1℃ (13:57)、

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 共立のAT-22Gという古い刈払機のギアボックスのベベルギアが摩耗して、エンジンの回転が刈払機の刃に伝わらなくなって空回りをするようになったので、ギアボックの交換をした。新品だったら数千円するもので、もうかなりくたびれている刈払い機にそれだけの投資をする意味がないので、オークションで中古を見つけて取り寄せた。オークションではこの手のギアボックスは結構出品されているが、デリケートな部品でなかなか合うものが無い、ようやく見つけて今日交換した。もう一台、マルヤマBGM KC26Aという刈払い機のギアボックスも最近、かなり空回りを始めたので、これも交換かなと思って、サイズや規格を調べたら、今回取り寄せたギアボックスと数値的には同じである、他社製品だけど、これで合うかなと思って、試しに今回取り寄せた部品をはめてみたが、やはり微妙に違っていて、同じ部品を手に入れて転用しようかと思ったが無理なようだ。とりあえず一台修理できた
 
 もう一冊、「旧かなづひで書く日本語」を手に入れた。これも面白い本だが、なかなか歴史的仮名遣いというものは難しいものである。

 プラスチックごみ削減策と称して有料化されて以来、小生意地でもレジ袋は買わないようにしている、ところが今日スイカを買った際に、レジ袋いりませんと言ったら、スイカがベトベトするのですみませんがレジ袋に入れさせてくださいと先方から言ってきた、そうまで言われて断ることもないので、そのまま(無料で)貰ってきた、一番大きなレジ袋なので屑箱の中敷に使える。

 ところで、「レジ袋要りません」と言うと、どこの店も、「ありがとうございます」と言う、何に対して礼を言っていのだろうか、わからない。
 海洋プラスチックゴミでレジ袋が占める割合は0.4%くらいだぞ、進次郎くん。

 晩飯。梅雨が開けていきなり真夏日、今日は涼を求めて、涼しい夕食。かつおタタキ、冷奴などなど。


令和 2年 7月29日(水)

 昨日九州の南部は梅雨明けをした、ここ熊本も実質的には梅雨明けをしている、完全に夏空だ、しかし、九州を南北に分けた場合は熊本は九州北部に属する、その北部地方の雨雲レーダー、相変わらず長崎、佐賀、福岡に連なる地域を雨雲が覆っている。だから、たとえ熊本が晴れていても九州北部としては梅雨明けにはならないのだ。常々感じていることだが大きな九州を南北ニつにに分ける分け方には無理がある、正しく気象状況を反映していない、それより長崎、佐賀、福岡を九州北部、熊本、大分を九州中部、鹿児島、宮崎を九州南部と分けたほうが合理的だと思うのだが気象庁はそうは思わないのか?

 今日は気温は上がったが、凌ぎやすかった。
     最低気温 21.1℃ (05:23)、最高気温 29.6℃ (15:05)

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 晩飯、カレー。太郎の水泳教室がある水曜日はカレーの日にしているが、今年はまだ夏休みではないが、従来の夏休みのスケジュールに従って、この期間はプールの稼ぎ時なので教室は一月ほど休みになる、だから今日は水泳教室は無い、それでも今日はカレーの日だ。


令和 2年 7月28日(火)

 曇り、時々、ちょっと降る。日本列島、日替わりで川の氾濫が起きている、今日、九州南部が梅雨明けをした一方で、北陸・東北地方で大雨が降っている、梅雨前線が北に上がったためだが、九州北部にもまだ所々で強い雨の帯ができていた
      最低気温 21.8℃ (04:42)、最高気温 27.4℃ (12:59)

 武漢肺炎、今までは散発的だった熊本県も、いよいよ余所事ではなくなってきつつある。いずれそうなるだろうとは思ってたが、今日風呂で、阿蘇に持ってくる第一号は誰だろうねと皆が話していた、そういえば、阿蘇市ではまだ出ていなかったのだ。小生も、今まではスーパーなどでマスクをしなかったが、これは礼儀だと思って今日からマスクをして店に入るようにした、まあ、マスクなんてみんなそんなに正確にしているわけではないので気休めみたいなものなのだろうが、しているだけで安心するのだろう。

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 午前中、小一時間ほど、裏の草刈りの続きをした、小笹ばかりで難儀した。(写真1写真2写真3)

 最近、なにかの拍子に、「吾亦紅」(すぎもとまさと)という歌を知った。調べてみたら2007年の紅白で歌われたそうだが、モチロン紅白は見ないので知らなかった、2020-2007=13 もう10年以上も昔の歌だったのか、いい歌だなあ、小生は決して親不孝ではなかったつもりだが胸にジーンと来る歌だ。レパートリーに入れようと思って時々ネットで探して流している、レパートリーとはカラオケのレパートリーだ。と言っても小生はカラオケで歌う機会などもう皆無である。娘たちがよくお父さんも一緒に行こうよと言うが、家族で行って、自分の持ち歌を歌うなんざそなことはとても出来ないから遠慮している。我が家には数千曲入ったジャンク品の業務用の本格的なカラオケ装置があって、時々ヒトカラ(一人カラオケ)をするが、そのなかにはこの歌が入っていない、ということは、この歌ができたときにはもう、ジャンク化していた装置なのだ。それでもいわゆるカラオケで歌う昔の歌はほとんど入っているから不都合なことはないのだ。それにしても今までどうしてこの歌を知らなかったのだろう、こどもたちの流行り歌ならば子どもたちを通じて自然に耳に入ってくるが、この歌に限っては子どもたちを通じてなんか絶対にないからなあ。NHKラジオはよく聞いているからこの歌が流れてくる機会はあったのだろうが、不思議となかった。

 -和文モールス-
 和文モールスが生まれた時代は旧仮名遣いの時代だったので、現代仮名遣いになった今は「い」と「ゐ(ヰ)」、「え」と「ゑ(ヱ)」はそれぞれ統一されて「い」と「え」になっていて、和文モールスでも「ゐ(ヰ)」「ゑ(ヱ)」は除いて覚えるようになっているものが多いが、小生は「ゐ(ヰ)」も「ゑ(ヱ)」も覚えている、これは「こだわり」である。

 和文モールは欧文に比べてダラダラ長くなりすぎるとい言う人がいる、それは和文モールスの符号が欧文に比べて文字数が多いので、短点長点の組み合わせが多くなってその分長くなる嫌いはあるが、それよりも基本的には我々日本語を母国語とする人間にとっては欧文に比べて和文のほうが送ることができる情報量が圧倒的に多いからであって、だからその分「長ったらしく」なるのであって、決して符号が長いからではない。

 ただ、確かに馬鹿っ丁寧な日本語をモールスで送るから必要以上に長くなるのも確かだ。小生はそもそもモールスが生まれた背景から考えると、昔の電報のように文章は無駄を省いて要領よく送るのがいいと思っている。そうなってくると、更に欲が出て、和文モールスが活躍した時代の言葉、つまり旧仮名遣いで文語体で和文モールスの送受をしたほうが、カッコいいと思っている、どうせやるなら、そこまでこだわったほうがいいと思っているのである。
 
 そこで小生は旧仮名遣いで通信を行おうと思うのだが、旧仮名遣いの文を読むことはまあできるが、書くとなると、これが全くいい加減なのである。たとえば、上に挙げた「い」と「ゐ(ヰ)」、「え」と「ゑ(ヱ)」などの使い分けである。
 
 そこで、少し勉強をすることにして、参考書を買った。「旧かな入門」である。いわゆる「文法書」なので、これがなかなか難しい、ただ文法書と言っても、「俳句づくりに役立つ」という副題がついている。沢山の名句を元に解説をしてくれながら、旧かなの使い分けを教えてくれる。この中に出てくる俳句は昔ながらの正統派の俳句である、俳句は短詩形文学、短い言葉の一つひとつに深い意味がある、小生は俳句は分からないくせに、今時の若者俳句は好きでない、あくまで俳句というと、伝統的なスタイルの俳句のほうが、深みや情緒があっていいと思っている。
 
 この本はそういう意味でも読み物としても非常に面白い本である。
 
 以上、小生、如何にも、もう和文モールスをマスターしたかのような書き方をしているが、いまだに、習得中で、毎日、時間が許す限り和文モールスを聞いて練習をしている、それだけ、簡単にはものにできないものなのだ、特に反射神経が衰えた高齢者にとっては。だからこそ、やりがいがあるというものだ、これからやってみようと思っているご同輩諸君、今からでも遅くはないぞ。

 晩飯。キジ焼き丼・・・・・


令和 2年 7月27日(月)

 今日の天気、予報とちっと違ったのではないかなあ、九州にはあまり降らないことになっていたのではないかなあ。ここも一時強い雨が降っていた、夜になっても、長崎佐賀福岡と続くラインは強い雨雲の帯びが続いている。
    最低気温 22.3℃ (04:45)、最高気温 25.2℃ (15:13)

 阿蘇の北方、強い雨雲の帯がギリギリ掛かっていた、いや、ギリギリ外れていた、のほうが正しいか、だから、雨はほとんど降っておらず、風もなかったので徒歩通学は大丈夫だろうと思っていたが、やはりすぐ近くまで強い雨雲があったので安全を採って今日はほとんど徒歩の通学は無かった、小生が立っている場所から一番遠い、田んぼを対角線に結んだ坂梨から下ってくるポイントに時々立っている、安全指導員氏も誰もやってこないので早々に店仕舞をしていた。
 
 結局今朝は、H乃ちゃんU太の姉弟の二人がお母さんに送ってもらって途中で降りて(降ろされて?)、それと太郎が随分遅れてやってきたのとの都合三人だけだった。
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 我が家の裏に回る通路が雑草や笹に覆われて全く通れなくなっていたので、今日はその通路部分を刈り取って通れるようにしておいた、それほど今年は草刈りをサボっている。

 都市部での武漢肺炎の拡大でworkationという言葉を耳にし始めた、ジャパニーズ・イングリッシュかと思ったらちゃんとした英語だった、これにしてもしっかりしたネット回線が必須だぞ、おーい!誰に言っているか分かるか?

 晩飯、ひき肉、玉ネギみじんオムレツ・・・・・



令和 2年 7月26日(日)

 今日も基本的には九州には雨雲はかからず東日本の太平洋側にずっと雨の帯ができていてた。ただ梅雨前接は九州を横切っているのに雨が降らない、夕方近くには青空が広がり太陽が照っていた、梅雨前線と言っても単純ではない。天気図の太平洋高気圧がもっと西に張り出してくればそろそろ梅雨明けだな。
     最低気温 19.4℃ (02:05)、最高気温 26.3℃ (14:41)

 太郎、テニススクール、母親と朝早く出かけて、昼前にはもう戻っていた、そして、昼から、母親に送ってもらってアゼリアのプールに出かけていった。向こうではクラスメートと落ち合って泳いでまた母親が迎えに行って帰ってきた、もう保護者の同伴が要らない年齢なので、送り迎えはしなければならないが、付きっきりという親の負担がなくなった。

 お隣の、と言っても200mくらい離れている坂梨さんが「タキモン」は要らんか?と訊いてきた、そういえばだいぶん前に訊かれたことがあって、我が家のタキモンには細すぎるが、せっかくのお申し出、焚付につかえるので、頂きますよ、と言って、シーズンが終わっていた。今日、軽トラックで運び込んでくれて、薪小屋に放り込んでもらった。「タキモン」とは「焚きもの」、つまり薪のことである、「ワサモン」のモン、「くまモン」のモンと同じである。

 停止されていたFacebookのアカウントがどういうわけだか最近復活した、小生自身は積極的に使う予定は無いが、人とのつながりであったほうが都合がいい場合があるので復活してよかた。それでそのFacebookが面白のは、知り合いでは?と自動的に沢山の人のアカウントを一覧表示してくれる機能がある、これはLINEにもあるが、LINEの場合は電話番号が双方のスマホに登録してある場合に表示されるのだと思うが、このFacebookの場合はどうもそうでは無いようである。小生のスマホのFacebookに登録した電話番号は格安スマホの電話番号で日常的に使う携帯の番号ではない、だから知り合いでは?と表示される人たちは小生の電話番号ではリンクしないはずである、じゃあ、住所地かと言うと、そうでもない、小生は、Facebookの基本データに住所は登録していない、それでいて、沢山の知り合い(と言っても普段付き合いがないが地元で知っている人)が沢山載っている、かと思うと、どう考えても繋がりは無いと思う人も載っているのだ、どういう仕組で知り合いでは?という名前を引っ張ってくるだろう。しみじみ見てみると突然に昔知っていた人が出てきてああこの人かあ、と思わず懐かしくなることもある。また、知り合いでは?という人たちの情報をみると、その人達の友達リストまで見ることができるので、へえ、この人とこの人はつながりがあるのかなどと、見ていて結構おもしろい、でも考えてみたらこれは迷惑な仕組みだと思う、自分の交友関係が他人に知られてしまうということだから。
 
 小生、最初の基本データには住所地は入れていなかったので、試しに、住所地を入れてみた、そのせいかどうか、知らないが、また、知り合いでは?という名前リストが増えているような気がする。これは、おそらく阿蘇市というキーワードで自分の基本データに阿蘇という字を入れている人を自動的に引っ張ってきているだろう。SNSにはSkypeやLINEやFacebookやtwitterやInstagramなどたくさんあるが、とてもでは無いが使い切れるものではない。


令和 2年 7月25日(土)

 曇り。梅雨前線は東にかかっていて東日本方面が今日は雨の一日だったようだ。今日は気温が低めで寒いというほどでは無かったが、結構ひんやりしていた。
     最低気温 19.4℃ (05:15)、最高気温 22.7℃ (12:07)

 ハチウト内検 一号基  二号基

 古閑医院で太郎、日本脳炎のワクチン接種の2回目。夏子は、子宮頸がんワクチンの1回目接種。
 子宮頸がんワクチンについては一時、副作用が大きいなどと言った報告や報道で、厚生労働省が積極的に接種を勧めるのをやめてから7年ほどになる。最近になってワクチン接種の有効性が多く報告されて、接種を勧める雰囲気が増えてきているようで、夏子も今日の接種になったようだ。このあとまた数ヶ月おいてもう一度か二度接種しなければならないようだが、もともとこのワクチンについては公的補助があったようだが、躊躇している間に夏子の場合その接種年令を過ぎていたようで全額自費負担だそうだ、これが結構高額である。



令和 2年 7月24日(金) スポーツの日

 朝起きたときには雨雲レーダーが九州の東岸に沿って南から北に伸びて強い雨を降らせていたが、ここは幸いにその雲群から外れていてそれほどの大量の雨は降らなかった、雷も沢山落ちていたようだが、ここは雷も大したことなかった。そして、午後にはそれら雨雲も通過していった、今日のところはこれで一先ず終了か、明日また降るのか。もうそろそろ終わりに近づいているのだろう。
     最低気温 21.6℃ (13:59)、最高気温 24.0℃ (16:59)
     本日の雨量 90.4 mm (18:00現在)
     連続雨量  92.5 mm(昨日~ )

 武漢肺炎が蔓延していなければ、今日がオリンピックの開会式だったのか。だから、今日は「スポーツの日」になったのか、これはもともとは「体育の日」だったものが変更されて、今年だけ今日になったとある、来年はどうなるのだろうか、オリンピックがとりあえず一年延期されたときに、スポーツの日も一年延期はしなかったのは、年間スケジュールで動いている国や企業や学校や諸々の行事・予定・計画などに影響が出るからなんだろう、だから今年は4連休になったのか。もし、仮に、れば、たら、今日予定通り開会式を迎えていたら、「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい日和でございます」とはならなかったことになる。

 現在、和文モールスを習得中(未だに習得中)なのだが、最初の頃ずっと不思議に思っていたことがある。和文モールス符号には基本的に、イロハ48文字に加えて、濁点「 ゛」、半濁点「 ゜」はあるが、小さな「や、ゆ、よ」や小さな「つ」、これらは拗音・促音というが、それが無い。

 以下完全な私見だが、その理由の一つには、電信で一文字一文字受信していて、濁音なり半濁点のついた符号を受信したら、後からその文字の肩にその濁点「 ゛」、半濁点「 ゜」を書き加えればいいだけで、(もし送信文字数を数える必要があれば、その後を空白にすればいいので、これは問題がないが、拗音、促音になると、直接その符号がないので、一旦書き取った大きな文字を小さな文字に書き換えなければならなくなる。それは二度手間になるから、拗音促音は和文モールスには無いのだ。
 というのは、実は副次的な問題で、
 
 本当のところは、電信が使われ始めたころの、明治時代に国語体系にあるのだろう。この時代には、文語体には拗音や促音を使うことが無かったから、電信に拗音促音を送る必要も無かったということなのではないだろうか。
 
 「でしょう」は「デセウ」、「しょうしょう(少々)」は「セウセウ」、「ちょうちょう(蝶々)」は「テフテフ」、「はっかん(発艦)」は「ハツカン」などなど。であるならば、「小生」は今後電信で送る場合は「セウセイ」と書かねばなるまい。
 
 ところで、googleの日本語入力のこれはまあ、お遊びになるのかもしれないが、モールス信号を使って日本語変換をする機能がある。そこにはこの拗音促音も変換できる機能が考えられている。それは大きな「よ」や「や」や「ゆ」の符号に続けて半濁点を付すことで小さな「ょ」や「ゃ」や「ゅ」に変換してくれるようになっている、これは実際の和文モールス通信でも、書き換えの手間は増えるが(読み替えれば手間でもない)、使ってもいいと思うのだが、誰も使わないし、そういう動きも無いようだ。あくまでも昔のやり方をやり続けるということなのだろうか、結構、結構。

https://www.youtube.com/watch?v=9JRlUbVZl50
https://www.youtube.com/watch?v=u5AYb778pwA
https://wiebinichdochsoherzlichfroh.files.wordpress.com/2012/04/google-e697a5e69cace8aa9ee585a5e58a9b-e383a2e383bce383abe382b9e38390e383bce382b8e383a7e383b3.pdf
https://developers-jp.googleblog.com/2012/06/google.html

 上記はベータ版で開発は止まっているようだが、Gboardというスマホ向けの日本語入力アプリに正式にモールス機能が入ってリリースされてるが、残念ながら、今の所、欧文モールスのみの対応である、和文モールス対応が出ると良いのだが、需要が欧文モールスに比べたら圧倒的に少ないので望み薄だろう。
 
 このモールス信号という単純な符号で文字入力をする方法、ボタンが2つあれば足りるので、単なる「お遊び」でなくて、世の中で必要とする人もいるようだ。
 https://support.google.com/gboard/answer/9011881?co=GENIE.Platform%3DAndroid&hl=ja
 https://tyunsan.com/entry/2018/10/08/221924
 http://juggly.cn/archives/56849.html

「歴史的仮名遣い」
 歴史的仮名遣とは一般には、江戸時代中期の契沖による契沖仮名遣を修正・発展させ、明治から第二次世界大戦終結直後までの公文書や学校教育において用いられたものであり、平安時代初期までの実際の綴りを発掘したものを基としている。第二次世界大戦の後、国語国字改革の流れによって「現代かなづかい」が告示されるまで、公教育の場で正式な仮名遣として教えられていた。現在の公教育では古典文学作品における教育でのみ使用される。(Wikipediaから一部抜粋)

 太郎のクラスメートたちが遊びに来た、うちに来る前に太郎も一緒にアゼリアで泳いできたそうである。最近よくネットでつないでスイッチのゲームをやっている、どんな仕組みになっているのかセウセイには全くわからない。
 
 今日あたり、アゼリアに行ったところ、やはり4連休のせいだろうか、見慣れない顔が沢山いた、どこからやってきた人たちだろう、正直なんとなく気になる。


令和 2年 7月23日(木)  海の日

 去年までは無かった(と思う)、今年いきなり4連休、土日はわかるが、今日、明日の祝日、いったいなんの日?である。

 曇り、午後に入って、雨になるかなと思っていたら、夜に入るまで微妙に雲が避けて通過しており、降ってもパラパラ程度で推移している。
     最低気温 21.8℃ (03:07)、最高気温 27.6℃ (13:10)

 坂梨地区は自前の地下水源を持っていて、天然の地下水を水道として使っている。普段は湧いたままの水を各戸に配水しているが、多分、法律で定められているのだろう、全く自然のままというわけにはいかず、年に一度くらい、水源の清掃をする、その際に消毒もするのだろうか、今日がその清掃日で、半日ほど断水するという放送があったが、小生が住む集落はその簡易水道網の一番末端にあり、断水時間帯でもだいたい水は出る。また、消毒が終わっても、カルキなんだろうが全くその味はしない。
 
 坂梨地区以外でも、外輪沿いの地区で自前の水道(財産区)を持っているところはあると思うが、市の中心部の宮地地区は(旧阿蘇町のそうだろう)市営水道で、メーター制である、坂梨地区の水道使用量は定額料金である。市営水道も水道は、おそらく地下水源だと思うが、聞くところによると市営水道はカルキ臭いと言う、簡易水道と水道とは衛生管理基準が違うのだろうか。

 昨日の太郎の水泳教室、進級試験があったのだが、カミさんが迎えに行ったので知らなかった、8級になったそうだ。武漢肺炎で一月ほど教室が休みだったのであまり練習はしていないので、多分にサービス的な合格だったのだろう、ライバルのタイゾウとは相変わらず一馬身、一挺身、水泳では何と言うのか、一級離されているそうである、それでももう小生よりは上手くなっているのだろう。

 ハチウトの重箱を一段増やしてやることにした。その前に傾いている基礎を平らにしなければならず、まず、今置いてある場所から少し横に動かさなかければならない。
 
 その前に、中の様子をちょっと見て、蓋を閉めるときに、蓋で挟んでハチを潰さないように、刷毛で払うのだが、ちょっと邪険にやったので、ハチ共が怒ってワッと小生を取り囲んだ、防虫ネットをかぶっていたので気にしないで作業を続けていたら、膝のところをチクリと刺された。ズボンを穿いているので普通であれば刺されても生地と体との間に少し隙間があるので針は届かないと思うが、ちょうど膝を曲げて、生地と膝がピッチリ接しているところをやられたので針が皮膚まで届いた。ただ、生地の分の厚さがあるので、深くは刺さらず針も残っていなかったので少しだけ赤くなっただけで腫れることはなかった。改めて作業服の上から雨合羽を重ね着をしたが、ハチの怒り、なかなか収まらず、基礎の地ならしのために、ハチウトを少し横移動させて、地面を均し始めてからも、ずっと顔の周りを沢山のハチが飛び回っていた。

 地均しをしたところで、ハチウトを元に戻して、今日の作業は一旦中止しようかとも思ったが、また、仕切り直すのも面倒なので、しばらく時間をおいて、重箱を一段追加する作業を開始した。もう、その時には落ち着いていて、間に一段挿入するために、持ち上げても、特に怒ることはなかった。ハチウトの中を見ると、蜘蛛が住み着いていて、蜘蛛がいる側をハチは避けて巣を作っていたようで、片側がかなり空間ができていた、蜘蛛には退散願った。
 
 ということで、ハチウトの高さを一段高くした。その分安定性にかけるのでステーを張ったほうがいいだろう。
写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7


令和 2年 7月22日(水)

 晴れ。まだ梅雨前線はあり、明日以降も大雨が予報されていて梅雨明けはもっと先だが、今日なんかもうすっかり夏の景色だった。
      最低気温 23.3℃ (04:05)、最高気温 28.2℃ (14:47)

 緊急事態宣言後、外出制限が解除されてから、ただでさえまた武漢肺炎の感染者が増えているところに、明日から4連休、GoToトラベルが始まり、おそらく、爆発的に感染が全国レベルに広がることは間違いないだろう、観光業にとっては死活問題だし行くなとは言いにくいのだろう、本当に難しいところだ、それにしても、人は休みというとどうしても遠出したくなるものなんだなあと、そういう気持ちが全く無い小生のような人間からみると不思議で仕方がない。

 定点撮影  
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 ハチウトの一号基に重箱を一段増やすことにして、その準備を始めた。使っていない(入居のない)一基を分解してその一段を使うことにした。その前に一号基がピサの斜塔化していて、この上に更に重ねると、台風なんかの強風で倒れそうなので、基礎の修復をしなければならない、作業をしやすいように、草を刈って、ついでに、田の境界の雑草もタンクに残っていた少しの燃料分だけ刈っておいた。3分経って赤いランプが点滅を始めたので今日の作業はここまで。
 
 先日、ボンの墓を作る際に柔らかい土がほしいので、トラクターをちょと動かしたときに、畑を一周だけしたが、今日見るとそのトラクターが耕した柔らかい土の上に沢山の野生動物の足が続いている。ああ、これはタヌキの一家の足跡だろう、足跡が続いている先は、山に続いている、それも、一番最短距離で道路を横切るルートを取っている、これなら、人家を通らずに山と往復できるな、ということは、タヌキ一家、山から遊びに来ていたのだろうか。
 
 阿蘇神社前を通ったら、現在、国の重文で熊本地震で倒壊した楼門の再建が進められているが、その作業用の素屋根の外壁に倒壊前の楼門のパネルが貼られていた、素屋根の壁面とは別にその手前にあるようにみえるが、あくまで素屋根の壁面に描かれている、立体的に見えるその三次元的画法に驚くばかり、思わず見とれてしまった。 

 カミさん体調不良で、休みをとって熊本の病院まで出かけた。

 太郎、水泳教室。迎えはいつもは小生が風呂に入りがてら行くが、今日はカミさんがいたので夏子の迎えと一緒に行った。

 晩飯、カレー・・・


令和 2年 7月21日(火)

 曇り、夕方風呂に行く頃からしばらく強い雨が降る。雨雲レーダーをみるといつの間にか、強い雨雲が発生している、夕立なのか、梅雨の雨なのか。
    最低気温 23.4℃ (04:15)、最高気温 28.4℃ (14:10)

 いつもの年であれば、今日から夏休みのはずだった、姉と弟、同じではないがまだしばらく学校がある。
 朝、定位置に立とうと出かけたところ、ちょっとにわか雨が降って、そのせいで虹が出た。子どもたちがやってくる前だったので、「虹と子どもたち」というシャッターチャンスは無かった。(写真1写真2
 定点撮影  
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 最近、1号基、チェックのために下の蓋を開くと下の方までハチがぶら下がっている、巣板はまだそこまで来ていないが、重箱を一段追加してやらんといかんようだ。

 ネットで欧州の会議か何かで首脳同士が「肘鉄砲」をしている写真があった、まあ、これは喧嘩ではないことは想像できたが、武漢肺炎の「しゅうきんぺい」回避のためのソーシャルディスタンスの距離を測っているのかと思ったら、握手に代わる挨拶の仕方だったようだ、へえ、外国ではそうやっているのかと思ったら、日本のどこかの小学校でも挨拶代わりにやっているところがあった、太郎の学校は?と訊いたら、やっとらん!と言っていた。夏子の学校でもゼンゼン!とのこと。「肘タッチ」と言うそうだが、あとから検索したら、ワッとでてきた、今では当たり前の作法になっていたようだ、知らなかったのは小生だけだったようだ、ソンに住んでいるとそんな必要もないしな。

 晩飯。豚肉の味噌漬けなど・・・


令和 2年 7月20日(月)

 晴れ。時々パラッとくるような時もあったが、今日も暑かった。
    最低気温 23.5℃ (03:32)、最高気温 28.8℃ (13:35)

 定点撮影  
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10)    

 昨夜、8時過ぎだったろうか、カミさんが彗星を観に行こうと言う、小生全く今回はその情報を知らなかったが、ネオワイズ彗星というのが肉眼でも見えるという、我が家の敷地内から見ようとしたら裏の竹林が遮る方向になるらしくて、三人組は家から離れた場所に車で行くという。小生はもう布団に入っていて、少し曇りがちだから、無理だろうと、行かなかった。それでもちょっと気になたので小生は坂梨さんの家との中間の田の畦にでてみた、何も遠くまでいかなくてもロケーション的にはそこで十分だったのだが、星は結構見えていたが、方向的には北西らしいが、そのあたりは薄っすらと雲がかかっていて、結局は見えなかった、連中も途中、LINEで時々状況を送ってくれていたが結局は駄目だったらしくて虚しく帰ってきた。

 彗星といえばハレー彗星、子供の頃に巡回映画で見た記憶があるが、地球にハレー彗星が接近してきて、空気が全部吸い取られて人類滅亡するというので、水を張った洗面器に顔を浸けて息をとめる練習をしたり、金持ちが自転車のチューブを買い占めて空気を詰めて通過する間それを吸って生き延びようとする、貧乏人はそれを羨ましそうに眺めて、結局は何事も起こらずに、チューブを買い占めた金持ちが笑いものになるといったような映画だったと思う、妙に今でも覚えている。

 夏子は食堂の勉強部屋代わりに使っている、その食堂の窓の下を今日、先日のタヌキの親子が歩きまわっていた、昨日カミさんが刈払い機で盛大に草を刈っていたので逃げたかと思っていたら、カミさんがもしタヌキの巣があるならこっちの方でしょうと言っていたが、どうもそのようだった、家の庭をタヌキが日常的にいる、なんとなくホノボノとしていいが、タヌキは農作物を荒らすのだろうか、イノシシと違って米は荒らさないだろう、できたらこのままにしておきたいのだが、餌付けはだめだろうな。

 故障した刈払機を分解してみた。エンジン回転を刃がついている方へ伝えるドライブシャフト、その先端が傘歯車を経てエンジンの回転を直角に変える部分がある、いろいろ言い方があるようだが、ギアケースという、そのギアケースのなかの傘歯車が摩耗して空回りして回転が刃の方に伝わらないことがわかった。傘歯車の一方はすぐに外れるが、相方の方の歯車はベアリングと一体になっていて、このベアリングがケースに圧入ではめ込んであるので、傘歯車はおそらく規格品で探せばあるのだろうが、このベアリングを外すとなると至難の技である。
 
 したがって、ギアケース全体の交換になる。ところが、このギアケースだけで8,000円以上する。というのは、ギアケースの種類はいろいろあって、見たところ似たようなものだが、パイプの径、シャフトの種類、太さ、また歯型などと複雑に別れている。小生の共立グリーンのAT22Gというもう大昔の刈払い機はそのなかでパイプ径が24mmで、シャフトの太さが5.2mm、歯型がスクエアというタイプのようだ。いろいろなメーカーのいろいろな種類のギアケースも国内で重製品ではないが売っている、CHINA製なんか千円代で売っているものもある。ところが小生が必要とするギアケースはマイナーな規格で安くは売っていない。
 そこで、どうするかだ、8,000円を投じて部品を取り寄せるか。そこまでしても全体的にもうかなりヘタっている。それだけかけるのであれば、もう少し出して新調したほうがいいというのが、多分正しい選択だろう。
 そして、中古のギアケースを気長にオークションで探して、安く手に入ったら、修理する、これでいこうか。

 アゼリア、今日は設備修理のため臨時休館、今日の修理はどこをやるのだろうか、アゼリアは老朽化であちらこちらしょっちゅう故障している。最近は洗い場の蛇口が三箇所、壁の内側でパイプが壊れて熱水が溢れていたがおいそれとは壁を壊すことができずにかなりの期間使用禁止になっていた、10基程度ある蛇口の3箇所も故障ではこれは不便である、やむなく、断熱ボードを置いて熱を遮断する形で騙し騙し使っていたがそれでも漏れ出てくる熱水で火傷しそうになっていた。最近大改修したばかりのエアコンがすぐに故障して天井から水が大量に降ってきて脱衣場の床が水浸しになったり、流れるプールが流れなくなってもう何ヶ月にもなるし、もう大分経つが、浴場の天井の鉄の構造物は腐蝕して天井全体が落ちる事故があったりと、まあ、数え切れないほどである。この先、市はどうするつもりなんだろう、阿蘇駅前の夢の湯も確か天井が落ちて休業してもう二年ほど経つのではないだろうか。不採算事業はどんどん廃止して、出る(いずる)を制するばかりでは、この先何もなくなってしまうぞ。入るを図ること真剣に考えているのだろうか、ズバリ高速通信網の整備だ、これしかないぞ、それで何をやるのか?それはいろいろなアデアを持って他所から入ってくる人たちが考えることだ、起業意欲のある人が来やすい環境を作るのだ、無限の可能性がある、企業誘致、移住促進みんなそうだぞ、逆に高速通信網がなければ、何もかも無くなるぞ。

 晩飯。ひき肉玉ねぎオムレツ・・・・・



令和 2年 7月19日(日)

 まだまだ梅雨なのだが、なんとなく梅雨明けを思わるような晴れ間が広がった。そして、夕方には、いつの間にか所々に雨雲が湧いてまるで夏の夕立のような気配があった、雷も遠くで鳴っていた、ここにも降るかな、落ちるかなと思っていたら、なんとなくかすって通り過ぎていった。
    最低気温 20.9℃ (02:20)、最高気温 29.6℃ (14:51)

 太郎、テニス練習日、母親と早朝に熊本まででかけて、昼前には帰ってきた。

 夕方近くになってカミさんが裏の方の草刈りを始めた。最近、小生が動かないので、業を煮やしてか、時々やっている、それでいいのだ、年寄りは大事にしなければいけない、それに汗をかいてダイエットにはいいぞ。タヌキのねぐらを荒らすのか、と言ったら、こちら半分の方はいいと思うと言っていた。どうせやるなら土曜日やればいいのに、いつも、休みが終わるころになってやりだす、性分なのだろう。
 終わり頃、エンジンは動いているけど先のほうが回らなくなったと言ってきた。エンジンの回転がシャフトにつながるところで異音がしている、歯車でも割れたか外れたか、そろそろ寿命ではあるが、そのうちにいちど開いてみよう。(写真1写真2)

 昨日、夕食時、カミさんが仕事がらみで電報(弔電)を打たなければならないという話をそばで聞いていた夏子、電報ってナーニ?と訊く。今の子、電報という言葉そのものも全く知らないらしい。そこで小生の得意とするところ、延々と30分くらいかけて電信の起源から話してやったが、電話がまだ今ほど普及していないころ、一番早く連絡する方法に電報というものがあって、送りたい文章を電信機を使って遠くに送って、向こうではそのトン・ツーの組み合わせで送られてくる電信音を文章に書き直して、電報配達員という人が、その電報を相手先に届けたのだよ、お父さんも昔、電報をよく利用したよ、今の慶弔電報とは全く仕組みが違うんだよ(モチロン日本海海戦時の「ホンジツテンキセイロウナレドモ・・・」の電信の話もしてやったが????チンプンカンプンだった)。
 
 夏子、へ~そうなんだ、それでトトロのあれが電報だったんだね、ようやく意味が分かった、今までなんの事かと思ってた、と言っていた。確かに「となりのトトロ」では、そんなに遠くでもない療養所にいるお母さんの具合が悪いからという知らせを電報で受け取るシーンがあった。小生とほぼ同年代の"巨匠"宮崎監督、いまのこどもたちは電報の意味も分からないの知っていてこのアニメ作ったのだろうか。小生の解説を横で聞いていたカミさんも、一応電報を「打つ」という言葉は使っていても、今の慶弔電報とはシステムが全く違う昔の電報に関する知識、おそらく夏子と五十歩百歩だったろう、そんな顔をしていた。
 
 改めて考えてみると、ほぼ瞬時に情報を遠隔地に送る技術、まさに大革新的な技術だったのだ、そして、それが今のいろいろな情報通信技術の元になっているのだから。

 反対に、今の年寄りにはサッパリわからない言葉も氾濫している、たとえば、「ツーブロック禁止!」、小生は、今(まさに字句通りの)流行りの武漢肺炎に関して、行動範囲を規制する言葉かと思っていた。自分のエリアから外に出るな、といったような意味なのだろうと、勝手に思い込んでいた、違った、ヘアスタイルを指すらしい。
 
 因みに夏子に、「この言葉知ってるか?・・・知ってる!・・・オマエの高校は?・・・うちもダメ!・・・でも居ないだろう?・・・以前いたけど刈らされた!・・・ナオキは違うのか?・・・違う!」だそうだ、ふーん、そうなんだねえ、ツーブロックとワンブロック(ということばがあるかどか知らないが)そんなに違うものなのか、リーゼントくらいになると分かるがそんなに極端なものでもないだろう、どうもどう違うのよくかわからない、ヘアスタイルなんかどうでもいいようなことだと思うが、そう思うようになるのは、小生のようなジジイになってからだろう、年頃には確かに髪の毛一本でも乱れていてもこまめに直したものだ。尤もジジイになってもファッションなんか見ていて笑ってしまうほど気にする奴もいるが。


令和 2年 7月18日(土)

 ここは朝から天気が良かったので、よその土地の天気なんか全く気にしていなかったが、東日本で雨が降っているという、そんなこと考えてみなかった、現金なものである。
 今日は風もなく、湿度も高かったので動かなければいいが、ちょっと動くだけで汗がダラダラ出た。今年はヒグラシの声がほとんどしない。
   最低気温 19.7℃ (04:33)、最高気温 28.6℃ (14:50)

 ハチウト内検。一号基 二号基 ハチノスツヅリ蛾が時々入っている。
 先日の強風で枇杷の幹の一本が折れていた

 太郎、今日は土曜授業の日だった、授業参観もあったようで、母親が出席した、夏子も午前中、模試かなにかで登校した。

 定点撮影  
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10
 
 ボンの墓石を運んで設置した。軽トラックの重機を使える環境では無いので、結局ゴロゴロゆっくり回転させて運んだ。今はあまり花の咲く季節では無いので、ご近所の菜園の花を少しだけ断ってもらって供えておいた。これにて一件落着だ。
 (写真1写真2写真3写真4写真5

 小生が寝起きしている部屋の真下、浄化槽の上で子タヌキが4匹(3匹しか写っていないが)全く警戒心もなく戯れていた、最近、裏の方、完全に草に覆われて薪材なんか殆ど埋もれて草ぼうぼう、でも山から下りてきたのだろうか、一匹ならわかるが、道路を挟んでしかも村の住居が一番ある場所だ、ちょっとやって来られまい、もしかしたら、あまりに自然環境豊かな状態なので、母タヌキが単独でやってきて敷地内で産んだのかもしれない。ボンの吠え声が聞こえなくなった途端だ。敷地内にタヌキのお宿があるのならしばらく草刈りもできないなあ。

 二三年前に、何かの登録でFacebookが必須になっていて、その時にFacebookに登録したが、その時の用件が済んだのですぐに退会した、退会の方法にも、単なる退会とは別に完全退会の二種類があったと思うが、もうやるつもりは無かったので、完全退会をした。そして最近になって、小生自身は使う気は全く無いのだが、他人が書いたものを読む場合にログインしないと読めないものがあって、それで、再登録をしたところ、完全退会した人間は再登録は絶対に認めない方針のようで、再入会を一切認めてもらえなかった。それが、今日、また再登録申請したら、どういうことかすんなり登録できてしまった。一定期間の停止規定でもあったのだろうか、使えないと思うと意地でも使いたくなる、まあ、これで一応、オーケーになった、だからと言って自ら使うつもりは無いが。

 老人医療保健証(後期高齢者医療被保険者証)が送られてきた、有効期間は一年だ、国保の時も一年だったろうか、年寄りは一年ごとにチェックしないと生きているかどうかわからないからだろうか。小生は低所得者だから個人負担割合は一割だ、普通は三割だったろうか、医療費の一割と三割の差、これは大きい。せいぜい、迷惑が掛からないように健康に気を付けなければ。
 
 保険証に同封してあったプリントに、来年あたりからマイナンバーカードにこの保険証の機能を含めるそうだ、そうするとマイナンバーカード一枚で済むことになる、運転免許証もマイナンバーカードと一緒にするような話がある、どんどんまとめたほうがいい。書面によるともうマイナポータルで事前登録ができるように書いてあるが、定額給付金の処理でそれどころではないのだろう、まだ見つからなかった。

令和 2年 7月17日(金)

 今日は爽やかで気持ちのいい一日だった。
    最低気温 17.8℃ (02:39)、最高気温 27.3℃ (14:04)

 定点撮影  
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 ボン、2003年(H15.8.15)のお盆の時に我が家にやってきてボンと名付けたのだったが、新旧の違いはあるが、またお盆の時に還っていった。我が家に来た時には1歳くらになっていたのだろう、享年19というところだろうか。ドタバタが収まって来ると、悲しいというより非常に寂しい気持ちでいっぱいだ。ドアを開けるとボンが待ち受けてこちらを見ている気がして、あ、そうか、もういないのだったと気が付く、しばらく続くだろう。

 今朝、鑑札をもらっているので市役所にボンの死亡届をしておいた、人の場合と違って電話一本で済む。

 ボンの墓作り、昨日、土が足りなくなって中途半端に終わっていたが、今日トラクターで畑を起こしてそこから柔らかい土を一輪車で4回か5回運んで奇麗に埋めた。後は墓標だが、今日の体力の予定量終了で、明日以降にした。と言うのは、我が家は昔の屋敷や泉水築山などで使っていたコンクリート以前の時代の切り石が結構あって、あちらこちらに埋まっている、そのなかで適当なやつを墓標にしようと思って選んだが、これが、重くてちょっとやそっとでは運べない、それだけで一日分のエネルギーが必要になるから、この作業は明日以降ということにしたのだ。ボンを一時的に収容していた場所の整理をした

 晩飯、水曜日はカレーの日が、繰り下がり繰り下がりで、今日になった。



令和 2年 7月16日(木)

 曇り、時々薄日。久しぶりに外輪から朝日が差し込んだ、朝から山の頂が見えていた、ずいぶん久しぶりのような気がする。

ようやく梅雨明けが見えてきた感じがする、この先の天気予報ももうそんなに大きな雨の予報は無いようだ。
   最低気温 17.5℃ (03:44)、最高気温 24.8℃ (13:14)

 定点撮影  
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 朝、みんな出かけて一息入れているところに、まだ朝課外の時間、体調不良で保険室で寝ているから迎えに来られたし、旨の夏子の担任からの入電、いったん連れ帰って、古閑医院に連れて行く。今朝ほどから調子が悪かったようで、学校に行ってからまた具合が悪くなって保健室に行った由、普段であれば別に休むことも無いのだが、今の時期、武漢肺炎で何かと難しい時期なので念のために診てもらった。心配ないでしょうと薬をもらって、学校の養護の先生に電話をしてから再登校させた。

 今日、昼前、ボンが死んだ、天国へ、ではなくて、極楽浄土に旅立った。
 夏子を再登校で送って帰ってきて、今日は雨が降る心配がなさそうなので、ボンの虫干しをしてやろうと、外に出してやった。そして気持ちよさそうに風に吹かれていた、昼前に、日差しが少し強くなってきたので、暑いだろうから木陰に移してやろうかと思って部屋から見ると、いつもなら呼吸で腹が波打っているのが見えるのだが、動いていない、もしかして、と思って行ってみて体に触ってみたところ普段通りの温かさだたが、動きが止まっている、息を引き取ったばかりだったのだろう、心臓マッサージをしてみたが犬のマッサージの仕方は分からないし、形だけのものになった。小生が気が付いたのは息を引きとってすぐだったのだろう、とうとう逝ってしまった、少しの期間介護させて往生際は良かったというべきだろう。

 感傷に浸っている間は無い、この季節、すぐに、埋葬の準備をしなければならない、場所は前から決めてあったが、準備が全くまだだ。まず、草刈りから初めて、それから池堀りをしなければならない(この地方では、昔、土葬の習慣があった時代、埋葬用の穴をほるのを池堀りと言って、今でも村の葬儀で、葬式組の役割分担で、形だけだが、池堀りという役目が残っている)。
 雨が続いたおかげで、土は柔らかいが、柔らかすぎて、堀った穴の底のほうから水が湧いてくる、まあ、水葬という弔い方法もあるくらいだから、これは仕方がないだろう、池堀りということば案外このあたりから生まれたのかもしれない、もっと深く掘るべきだろうが、大体40~50センチくらいの深さに止めておいてあとは家族が帰ってきてから埋葬をすることにして、作業は中断した、4時ころまでかかった、へとへとになった。
 
 太郎は5時ころに帰ってきた、カミさんと夏子は7時過ぎに帰ってきて、曇っていて空もそんなに明るくないうえに日没まであまり時間が無いのでとにかく急いで埋葬だけ済ませた、土が水を吸って重くてへばりついてなかなか埋め戻すことが出来ず、かなり埋め残してしまった、シマの墓の隣だ、続きは明日だ。太郎たち、ボンが死んでようやく体をなでることが出来ると言って名残惜しそうに愛おしそうに撫でていた、ボンは小生だけに懐いてこどもたちは決してそうではないのだが、怖がってなかなか触れなかった。
  (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 ボンの、なのか、小生の、なのか、日ごろの行いのせいで、大雨の時でなくてよかった。

 日没時間を過ぎて辺りが薄暗くなってとりあえず、埋葬を終わって、風呂に行って帰ってきたのが9時前、急いで小生だけ飯を食って、忙しい一日が終わった、とにかく疲れた、心身ともにだな。

令和 2年 7月15日(水)

 今日は梅雨前線は南に下がって九州には基本的には雲はかかっていなかったが終日はっきりしない天気で時々霧のような雨が降っていた、気温も今の時期としては低めだった。
    最低気温 18.6℃ (06:25)、最高気温 20.8℃ (15:05)

 定点撮影  
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 太郎、水泳教室。
 晩飯、カミさんが昨日揚げた精進揚げがたくさん残っていたのでそれで済ます。

 本日そのほか特に日記に記すこと無し。


令和 2年 7月14日(火) 豆札集落天神祭

   最低気温 20.6℃ (09:23)、最高気温 24.9℃ (01:37)
   本日の雨量 59.9 mm
   連続雨量はリセットされて、本日雨量と同じ、7/3以来の降雨量は561.6 mm
   最大瞬間風速 13.0 m/s(3:43深夜に風が強かった)

 高校は校区が広く列車通学の生徒もいるので早めに始業時間の繰り下げが昨日のうちに決まっていたが、太郎の小学校は通常通りというメールが今朝入った。通常通りと言っても雨が激しい時は保護者が送るのであまり影響はない。絶対に徒歩通学者はいないことは分かっていたが、一応いつもの場所でしばらく様子を見て帰ってきた、太郎も今朝は、小生がほかに用件があったので母親が送っていった。定点撮影も雨が激しかったので車の中から撮った。
 午後には雨が上がってきて、どういう警報が出ていたのだったけ、とにかくその警報も解除された。

 今日は天神祭だが、神事に先立ってお社周辺の草刈り作業をした。いつもは8時ころから作業を開始するが、雨が強かったので一時間ほど開始時間を遅らせた。草刈りは村を二つの班に分けて行っているが、今年は小生が属する班の当番だった。草刈りの後、しめ縄を張り替えるのだが、しめ縄は左綯えと言う綯え方で綯うことになっているそうである。小生はそもそも縄など綯ったことが無い、オマエもやってみろと言われたが遠慮した、藁をそろえる道具に変わった道具があったので、尋ねたら、これはもともと藁をそろえるための道具ではなくて、昔、「海苔ミス」を作る時に使った道具であるという。海苔ミスとは、どろどろの海苔を簀の子を敷いた小さな枠のなかに流して天日干しをする台で、今はプラスチック製のストロー状のものに変わっているが、昔は外輪に生えている細くて短い竹を採ってきて、それで、この海苔ミスを作った、その時に、笹を掻き落とすために使った道具なんだそうだ。海で使う道具を山の中で作っていたのだ、当時は農家の副業で子供のころはよくやらされたと、大体小生と同年代の村の人は懐かしそうに話していた。
 神社の草刈りのついでに毎年区役で村の入り口の植栽の手入れも行っている。
写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9) 

 天神祭の神事は午後3時から阿蘇神社の矢田権禰宜さんがおいでになって斎行された。ただ、しゅうきんぺいを避けるためにそのあとの公民館での直会は中止された、今年は我が家が座元である。
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7
 
 今日の祭祀で阿蘇神社の矢田権禰宜さんと一緒においでなった方、阿蘇神社再建の技術者で併せて周辺の集落にある天神社などについても調査研究をしておいでとのことで、村の人たちと一緒に明治時代に再建された際の棟板に残されている先祖の名前などについて話が弾んだ。小生の先祖の名前も残っていた。
 (写真1写真2写真3写真4

 今回の降り続く雨で、大地もさすがに雨を吸い込みきれずに、普段は見ることが出来ない外輪の枯れ滝が幾筋も、滝の水を落としており、なかなか壮観である。
 (写真1写真2写真3写真4

 GOTOキャンペーンをしろ、いや、やめろ、という見出しが躍っているが、自分に関係が無いと思うと全く知ろうとしない、なんとなくワッと人の移動が起きるのだろうとは想像はできるが、基本的に全く知らないのと同じだ。



令和 2年 7月13日(月)

 晴れることは無かったが、今日は一日雨の心配はなかった。夕方、ヒグラシの声を聞いた、先日聞いたと思ったセミの声はもしかしたら、勘違いだったかもしれない、今夜からあすの朝にかけて北部九州は非常に強い雨が降る、特に熊本は激しい雨が降るとラジオで言っている、だから、今日はもう早々と夕方には警報が出るのを待たずに自主避難所開設の放送があった。夕方現在の雲の様子、九州にはかかっていないが、15時間先までの降水短時間予報によると、確かに明朝降ることにはなっている、でも熊本はどうかなあ。夏子の高校からは明日の始業時間を10:30に繰り下げる旨のメールが入った。
      最低気温 20.6℃ (02:07)、最高気温 26.4℃ (15:45)
      本日の雨量   0.0 mm (19:00現在)
      連続雨量   501.6 mm(降り始め7/3~)

 定点撮影  
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10
 
 ハチウト内検 いつもカメラを突っ込んで天井に向けて撮っていたが、今日は鏡を床面に突っ込んで、鏡に写った巣の様子を撮った
     1号基  2号基

 晩飯、八宝菜・・・・・


令和 2年 7月12日(日)

   最低気温 20.2℃ (08:25)、最高気温 24.5℃ (13:47)
   本日の雨量 31.5 mm (18:00現在)
   連続雨量 501.4 mm(降り始め7/3~)

 (2012)H24.7.12に阿蘇地方を襲ったあの豪雨災害からもう8年経ったのか、同じような豪雨災害が今はまたほかの地域で繰り返し起きている。今朝9時に市の防災無線塔からサイレンが鳴って当時の犠牲者を悼んで黙祷をした、あの時、この村でも裏山が崩れて、ひとりの命を失って、ほかにも重傷者や家屋の倒壊もあった。

 黙祷の後、当時の日記を写真と一緒にしみじみと読み返しているが、今はもう全くと言っていいほど当時の痕跡は残っていないが、あの時は本当に大変だったのだなあと、読みながら思い出している。地元の人々の記憶ももうかなり遠い世界のことになっていると思うが、こうやって記録を読んでみると当時のことが改めて昨日のように蘇ってくる。今日写真を見て知った、小生が毎朝子供たちを送る場所の門の町橋の袂も当時ざっくり抉られていたのだった。

 今日、午前中、線状降水帯と言えばそう言えるかもしれないが、弱い、雨雲の列が続いていた、別にそれで大騒ぎするほどのこともないほどのものだ、それほど間を置かずに弱くなった。海上でたくさんの水を得て雨になって降らせる雲も、内陸に到達するまでにほとんどが降ってしまって、このあたりに来るころにはかなり降る量も少なくなっている。それにしても、よくもまあ、空には雨の素が尽きることもなくあるものである。
 昼前に市の防災無線で、阿蘇市の土砂災害警戒情報が解除された旨の放送が流れているときに、警報音を鳴らしてエリアメールが入ってきた、解除の時にまでエリアメールは必要あるまいにと思って開いたら、山向こうの高森町で警戒レベル3の避難準備が発令されたという、狭い範囲で強い雨がふっているのかと思ってレーダーをみると全くそんな気配は無い???である。

 夕方近くには雲に覆われていながらも空も明るくなって、レーダーをみるとまだ雨雲群は対馬海峡辺りにあるが、もう雨の心配はなくなったようだ、この「小康状態」はこの先どのくらい続くのだろうか、またそのうちに雨空が戻ってくるのだろう。午後5時前になってようやく8日の夜に出された大雨警報が解除された、やれやれである。

 昨日の続き。マイナポイントの申し込みをしようと思って、問題ないだろうとは思ったが、一応スマホの対応機種の一覧で確認をしたら小生のXperia Z3は載っていない、なんちゅうこっちゃ国のやることは。ダメもとでやってみようかと思ったが時間の無駄だと気が付いて、PCでやることにした。

PCで申し込みをする場合は、ブラウザからすることになっていてい、これまた腹立つことで、今や圧倒的に利用者が多い、GoogleChromeではできない、じゃあMicrosoftのEdgeだといいかと思うとそれもだめ、出来るのは一つ前のインターネットエクスプローラ(IE)のV11のみだと言う。ところが、最近、Winows10のシステムのアップデートでそれまではEdgeから簡単にIEを起動できたのに、勝手にEdgeまでアップデートして「新しいEdge」とか言うブラウザに変わってからは、このブラウザからはIEが起動できない、起動するためには面倒な手順を踏まなければならないが読んでも分からない、結局、IEの11を改めて単独でインストールをし直して、手続きを進めた。

ところが、今度はICカードリーダーがエラーを起こす、e-Taxでは問題が無かったのにと思って調べたら、ドライバーのアップデートが必要だと出た。ふ~ん、怒っても仕方がないので、最新のドライバーをインストールして、作業を進めたらあっという間に「マイナポイント予約」まで、済んだ、この先は具体的にキャッレス決済業者を選定する段階に進むだのだろうと思って、今日はここでやめておいた。(写真1写真2写真3

 全く行政のやることは腹の立つことばかりだ。

 レジ袋の有料化についてのアンケートが載っていた、小生は(F)だな、結構いるな、別に3円だか5円だかが惜しいからではない、国のやりかたに腹が立つからである、普通は国がやろうとすることには左傾のマスコミや政党や文化人たちは挙って反対するところだが、今回に限っては「エコ」ということなのでレジ袋有料化には反対していないようだ、面白いね。「海洋汚染の原因、漂着プラごみの種類別割合では、重量比でレジ袋が全体の0・4%で漁網等が41・8%、容積比ではレジ袋0・3%に対して漁網等が26・2%」、レジ袋なんかほとんど影響が無いのに。
 
それはそうと、東京23区では指定ゴミ袋というは廃止されて今はもう無いそうで、(半)透明の袋ならレジ袋でもなんでもいいそうだ、いやいや知らなかった、ますますレジ袋有料化の必要がないということじゃないか。いまは多くの自治体のゴミ焼却炉、高温高熱で焼却するから何でも燃えるのだ、わざわざ分別して集めたゴミを裏に持って行って一緒に燃やしいるの知らないのか。

 太郎、テニススクールに早朝出かけて、昼前には戻ってきた。



令和 2年 7月11日(土)

   最低気温 23.0℃ (18:57現在)、最高気温 24.8℃ (00:00)
   本日の雨量 42.9 mm (19:00時点)
   連続雨量 434.1 mm (降り始め7/3~)

 今回の警報は過剰反応だ、結果論になるかもしれないが、大騒ぎし過ぎだ、今回の球磨川だとか大牟田だとかの大洪水は数十年に一度くらの大雨だったのであって、更にはここ阿蘇は数年前に1,000年に一度の大雨に見舞われた結果、大きな土砂災害や洪水が起きたのだ、気象庁がそう言っているのだから気象庁は自分の発言に責任を持ってほしい、そんなに毎度毎度大雨が降って洪水や土砂災害が起きるわけが無いだろう、雨は降る時には降る、まとまって降るものだ、今の警報の出し方、数十年に一度、1,000年に一度の雨をイメージした出し方だろう、その時と雲の量を比べてみても分かる、今はだれでも気象レーダーを見ることが出来るのだ、そうそう毎回毎回線状降水帯が発生するわけでもあるまいに、空振りで良かったね、で済まさないでほしい、ちゃんと検証をして結果を公表してくれ。本当にこれは危ないなと思ったときに警報を出せばいいのだ、それで十分に間に合う、住民は何度も経験しているから準備はできている。
  06:40 Jアラート 「こちらは防災阿蘇市です、当地に洪水警報が出されました」、間を置かずにエリアメールが入った、ところが、これは土砂災害警戒情報で、このエリアメールの発信元は産山村となっている、阿蘇市では無い、さっぱりワカラン。

 と思っているところに、06:55 Jアラートで「こちらは防災阿蘇市です、ただいま土砂災害情報が発表されました」ときた、。それ以外に、産山村の避難勧告メールだとか、高森町からの避難勧告メールだと入り乱れて、なにがなんだかわからなくなった、どうして警戒音を伴った他の自治体の緊急メールまで受信しなければならないのだ。
 昼前には阿蘇市の洪水警報は注意報に切り替わった。情報が錯綜していてさっぱりワカラン。

 マイナポイントのこと寺さんに訊いたりして調べたが、まだ本当に分かっていないが少しだけ分かってきた。

 マイナポイントはマインナンバーの普及キャンペーンの一つで、これだけで何かあるかと思うとそではないようで、ほかのキャッシュレス決済業者と連携することでポイントがもらえるらしい、で、キャッシュレス決済業者はいくつでもいいかというと、どうもそうではないようで、一社のみだということだ。

 小生はキャッシュレス決済サービスは、特に、ここでは利用することもなく、勉強のために、PayPayに入っている、それから、LinePayにも入った、ゆうちょPayにも入っていた。でもどれも、使うことが無い。それでは、マイナポイントは小生には意味のないものだと思っていたら、イオングループがやっているWAONだったら、地元のホームセンターのホームワイドや、時々山を下りた際にイオンモールで使うことがある。
 
 小生はAEON(WAON)はカードとしては持っていて、これにチャージした残高からレジで支払いをしているので、このモバイル版を使えば今までと同じで使えるなと思って、スマホアプリのモバイルWAONを入れた。
 
 ところが、インストールに際して「おサイフケータイ」がインストールされていないからまずそれをインストールせよ、と出た。

 おサイフケータイかあ、昔から名前は知っていて、JRを使う場合はSUICAなどがこれに対応していて、改札を通過するときにスマホをサッとかざして通過できるらしい、そういえば航空券も搭乗の際に、搭乗券を機械に通さずにさっとかざして通っていく人をみたことがある、これらはおサイフケータイの仕組みなんだろう。小生が向こうにいたころはようやくSUICAがプリペイドカードとして普及し始めたころで、確かおサイフケータイはまだだったと記憶している、もしかしたらもう始まっていたのかもしれないが、小生には縁が無かった。
 
 というわけで、今日、ようやくモバイルWAONをインストールした、まだチャージをしていないので、残高はゼロである、仮にチャージをして、いざ支払いの時にはどうやるんだろう、そのたびにアプリを起動して支払いをするのだろうか、あるいは、わざわざアプリを起動しなくてもスマホをレジにおいてある機械に翳すと勝手に支払いが出来るのだろうか。
 
 次なるステップはマイナポイントの登録手続きだが、
 
 この政府がやっているマイナポイントの登録手続きか実にバカバカしい限りである。国のIT化は一体何なのだ、どこまで遅れているのか、特定給付金のオンライン手続きでもIT化レベルの低さを露呈した。今回マイナポイントの登録をPCでやろうとすると、ゴールにたどりつくまで障害だらけだ、呆れ果ててしまう。Windows10以上でなければ駄目だ、今や圧倒的に利用者が多いGoogleChromeはダメで、Microsoftの最新ブラウザのEdgeでもダメ、一つ前のIEのしかも11でなければ駄目だと来た、何をかいわんや、である、そういえばe-TaxもIEでなければできなかった。(国のIT化実情
 
 ところがスマホで登録をすると、PCでやる場合に必要なICカードリーダーなんか要らないらしい、ただスマホがFelicaに対応していなければできないそうだ。このFelicaというシステム、非接触で通信ができる規格のようで、「おサイフケータイ」もこのFelica規格のようである。この非接触型のICカードリーダー規格はもっと広い規格でNFCと言うようだ(この説明いい加減かもしれない)
 
 小生のスマホ、古いが、Xperia Z3のDoCoMoモデルだからこの機能がある、スマホの見分け方、寺さん情報でスマホの後ろにこのマークがついていることでわかるそうで、それを確認した。逆にこれは日本ガラパゴスのようで、世界標準のグローバル版のスマホにはついていないようだ。
 
 これだけ理解するまでにくたびれたから今日はここまで、ここまで確認出来たからマイナポイントの登録はまた後日だ、いやいや新しい情報を得るというのはなかなか大変ことだ。(マイナポイント参考資料PDF)

 昼から我が家の三人組、山を下りて行った、用件の一つは耳鼻科行きである、太郎のほうはついでである、夏子のほうがここのところずっと鼻の上の額が痛いというので多分、前頭洞の副鼻腔炎だろう、二人とも以前は通院していたが武漢肺炎もあって中断していた、太郎は大丈夫だと思うが、夏子、痛いところまで行っていると薬では治らずに手術になるぞ、痛いぞおと脅かしておいた。夕方帰ってきて訊いたらそんなには悪くなかったようだ、そもそも小生が副鼻腔炎で痛い手術をしたことがある、もし遺伝なら、二人に申し訳ないところだ。




令和 2年 7月10日(金)

   最低気温 21.1℃ (03:10)、最高気温 24.3℃ (10:39)
   本日の雨量 27.2 mm (19:00現在)
   連続雨量 390.1 mm (降り始め7/3~)

 今日一日、熊本では時々雨が降ったりやんだり。激しい雨が降るぞ降るぞという予報に反して阿蘇地方では幸いに昨日からそれほど雨は降っていない、夜になっても強い雨はやってきていない、雲の動きを見ても今夜も大雨がやってこないで済みそうな気配であるが分からない、風が出てきている。 
   雨雲の推移(06:05) (0915) (09:55) (13:20) (15:25) (18:55)

 今日に関しては結果論かもしれないが、一昨日夜発令の今回の大雨警報、完全に狼が来たぞ、だろう、一旦振り上げたコブシを今更降ろすわけにいかず、ずっと大雨警報が続いている、大雨警報が出ると自動的に避難所が開設される仕組みなっているようで、そうなると、その運営維持に人手が沢山要ることになる。警報が出されると情報を持ちにくい高齢者は心配になって避難をすることになる、市の防災担当者も連日の出動泊まり込みでかなり消耗していた。先年の災害、1,000年に一度の豪雨で災害が起きたのだ、その後、かなりの治水工事がされているのだ、何時まで経っても同じ基準の警戒の仕方、ちょっとおかしいのではと誰も思わないのだろうか、もっとタイムリーな警報の出し方を考えなくては。今回の大雨警報、出すのであれば、今日出せばよかったのだ、一昨日の夜の発令はだれが見ても納得がいかない、これは決して結果論ではない。
 ダムと言えば「三峡ダム」、ここのところなんとなく危ないニュースが流れている、万一の場合、これはもう想像するだに恐ろしい。

 ボン、それなりに落ち着いてる。一時、横になったら頭を上げることできなかったが、これは体の向きで違うことが分かって、今の横たえ方(下半身を左方向に向かせて寝かせる)だと、なんとか前肢で支えて頭を自分で上げていることが出来る、不思議なものである。体は動かないが食欲はある、喰うことはしっかり喰って、立派な糞をする、下痢ではないから後始末が楽である。

 定点撮影  
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 最近、武漢肺炎禍もあってキャッシュレス決済が注目を浴びている、小生も使うことはあまりないが、使い方もあまりわからないが、一二のサービスに最近入った。そこにまた意味が全く分からない「マイナポイント」なるものが現れた、マイナンバーカードと関連があるようだが、ネットで調べて読んでもサッパリ分からない。ナントカPayなどのキャッシュレス決済サービスとリンクしているのだろうと思うが、仮に買い物をしてナントカPayで支払った場合、これがマイナポイントとどう関係するのだろうか。ポイントと言うから何かしらのポイントがもらえるのだろうが、そのポイントはどうやって使うのだろうか。今の若い人たちはコンビニや食事処で支払いの際にスマホをかざして何やらやっているが、あれが何なのか分からない、決済なのか、またそれによって何かポイントをもらっているのかサッパリわからないのだ。

 晩飯。豚肉のムニエルのソースをいつもと違って、ステーキ用のソースを使って調理した。


令和 2年 7月 9日(木)

 熊本のここでは、時々雨が降っていた。九州の北部・南部では強い雨が降っていた。
     最低気温 20.8℃ (04:37)、最高気温 24.9℃ (09:55)
     本日の雨量 19.6 mm(19:00現在)
     連続雨量 358.1 mm(降り始め7/3~)

 今朝起きて雨雲レーダーを見てみた。これは安全策以前の問題だろう、結果論でもない、やはり昨夜時点で大雨警報は必要なかったはずだ。と思う。昨夜Jアラートのあと、続いて、お知らせ端末や屋外の防災無線塔やケータイの安心安全メールなどから、同様の広報があった。屋上屋というか、昨日は大雨警報だけだったが、それに土砂災害なんとか、避難準備なんとか、などいろいろ重なって来るとそのうちに、一体今どんな警報が出ているのか分からなくなる。で、日記を書いている今現在、どういった警報が出ていたのだったっけ、そうか昨夜発表された大雨警報がそのまま生きているわけだ

 今日は一日中、雨雲が九州の北部と南部にかかり、不思議なことに熊本県にはその間にあって、強い雨が降ることは無かった、昼過ぎに西のほうから真っ赤な雲が近づいていたがそれも、ここに来た時には弱くなっていた。夜に入って日記を書いている時点でも、まだ熊本には雲がかかっていない、この状態、何時まで続いてくれるだろうか。(04:00) (12:55) (15:55) (18:50)

 この度の、過去形でなく現在進行形だが、九州南部北部や岐阜、長野など西日本と東日本の広い範囲で大きな被害が出ている今回の一連の豪雨について、気象庁は「令和2年7月豪雨」と名付けたそうだ、こうあちらこちらで大きな水害が発生してるので場所を特定して命名することが出来ないのだろう。

 それにしてもF-JR九州は言葉を知らない、今日ラジオを聞いていて、今回の水害で肥薩線の線路や橋梁が流されて物理的にしかも長期間運転できないのが分かっていて、相も変わらず「運転を見合わせる」という言い方をしている、熊本地震で阿蘇大橋が崩壊した際に豊肥線が崩壊した際も、いつまでたっても運転見合わせという言葉を使っていた。これはNHKがそう放送していたので、メールで不通だとか運休だとか言うべきで、「運転見合」はオカシイだろうと言ってやったところ、確かに、ということで、その後の放送で言い方を変えたことがあったが、その時の説明では、NHKではJRからくる運行状況レポートに添って放送しているとのことだった、JR九州は馬鹿である、無礼である

 定点撮影  
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 晩飯、麻婆豆腐、エビチリ・・・



令和 2年 7月 8日(水)

 今朝には嘘のように雨は去っていた、朝から日が差していた。
 夕方、セミの声を聞いた、何時から鳴き始めたのだろう、小生が気がついたのが今日だったのだろうか。
     最低気温 21.7℃ (05:19)、最高気温 26.2℃ (15:17)
     連続雨量 338.6 mm(降り始め7/3~)

 大雨が今日は東に移動して岐阜や長野県で豪雨災害が起きているようだ。テレビを見ないこともあって、ここから去った大雨を後追いしてまで見ることをしていないので、被害状況についてはよくわからない。明日にはまたここに雨が戻てくるという。ことしは梅雨明けが遅そうだ。
 
 定点撮影  
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9)

 昨日、夜中に、と言っても世間では、いや、我が家でもまだ「宵の口」で、まだ日付も替わっておらず、カミさんも娘も起きている時間帯だった。最近DoCoMo仕様のスマホを使っているので、枕元にい置いてあるスマホとガラケー二台がけたたましくエリアメールの着信音をひびかせるたので、びっくりして目が覚めた、エリアメールは、阿蘇市だけでなく、隣の産山村などの警報も入る、面倒なので中身も見ずに布団の下に敷いて着信音が聞こえないようにした、我が家は安全なのだ。風が強いのは分かったが、雨はそんなに降っているようでは無かった、それでも今朝になって知ったが、阿蘇市内(跡ケ瀬)で河川氾濫の危険性があるという緊急メールが入っていた。
 
 昨日は、57号線滝室坂の交通止めだけでなく、箱石峠も交通止め、また、夜になって、立野の阿蘇口(長陽大橋に通じる道路)も連続雨量が規定量に達したようで交通止めになったようだ、それほどの雨量では無かったと思うが、国が関与している道路だろう、雨量の規定量というのが低すぎるのだろう、「なます」を吹いているようだ。それにしてはカーブや傾斜が大きい57号線二重峠の迂回路については交通止めにはならなかったなあ(それら交通止めも今日には解除された)。

 ほぼ同時刻、屋外の防災無線塔からもサイレンが鳴って「避難勧告」が放送された、対象地域は阿蘇西と内牧だそうだ、あのあたりは土砂災害が起きる場所だろうか、避難には「避難準備」だとか「避難勧告」だとか「避難指示」だとかの種類があって、阿蘇市全域はそれまで避難準備段階にあったと思うので、この避難勧告は坂梨地区はまったく対象ではなかった、火災の際の消防団呼集の時はちゃんと分けて放送するのに、こういった防災情報の放送もエリアを決めて放送できるはずなのにどうしてこの地域まで放送したのだろう、注意喚起のためだろうか、真夜中のサイレンは徒に不安をかきたてて(小生のことではないが)高齢者の心臓に悪い。
 避難放送

 今回の球磨川の氾濫、「ダムによらない治水を目指してきたが、費用が多額でできなかった」の知事のコメント、当時川辺川ダム建設中止を決める時に、単に住民が反対だったからだけで決めたのだろうか、コストのことも含めて中止の判断をしたのではなかったのだろうか。ダムがあろうがなかろうが起きた、それほど大きな氾濫だったという見方があるが。
 
 久しぶりに晴れたので、ボンの場所の掃除をしてやった。おねしょシーツを敷いているが、どうしてもずれて、床面が汚れて臭くなっていたので、奇麗に水洗いをして、その間、ボンを木陰に移してボンの虫干しもした。

  仮に寝かせたパレットがちょうとベッドにいいので、隙間がちょっと広いので、桟の間隔を調整して、そこに寝かせることにした。 ビニールシートも小型のものを買ってきてデッキに敷いた。

  ここにきて、あれよあれよという間に体力が弱っており、以前は後肢が弱かったのに今では前肢ですら体を支えることが出来ずに、体を横たえて殆ど身動きが出来なくなっているが、今日、横たえる方向を逆にしてやったところ、前肢で支えて頭を上げることが出来ることが分かった、これができると自力で餌を食べたり水を飲むことが出来る、そうでないと、適当に時間を見計らって体を抱えてやって水などを飲ませなければならないから、不自然な姿勢でボンも食べにくい。

 だから前肢で自分を支えることが出来るのなら、餌をやる時だけ、方向を変えてやればいい。そんなことしないで、ずっと方向を変えて寝かせておけばいいようなものだが、今のボンは極限まで体力が弱っていて、短時間でも前肢で支えてて頭を上げるとそれだけで体力を使い果たして、ぐったりとしてしばらくは荒い息で、心臓麻痺でもおこしそな按配である、そのあたりのコントロールを自分ではできず、起きよう起きようとしてはバタッと倒れるので、餌の時だけ方向をかえてやったほうがいいような気がしている。
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 太郎、水泳教室。
 
 晩飯、水曜日、水泳教室の日はカレーの日
 
 20:45 Jアラートで、早々と大雨警報が出された、明日の朝では間に合わないのか。Jアラートと市の防災無線、エリアメールの役割分担が分からない、この段階ではまだエリアメールの出番ではないのは分かる気がするが、防災無線との関係はどうなんだろう。Jアラートのあと、防災無線が放送するのだろうか、それは無駄だな。


令和 2年 7月 7日(火) 七夕

    最低気温 21.5℃ (18:29時点)、最高気温 25.4℃ (02:54)
    本日の雨量 105.4 mm(19:00時点)
    最大瞬間風速 14.8 m/s (02:14)

 今日も長崎佐賀福岡のラインで雨が強く降っていた。早朝のメールで、高校は午前10時まで自宅待機、小中学校は臨時休校になった。雨雲レーダを見るとそんな雨雲の動きでもないと思ったのだが、球磨川氾濫を見て、安全第一としたのだろう。その後、高校も臨時休校になった。
 
 日中もそれほどでもなかった、夕方近くなって熊本を含めて広範囲に雨雲が広がっている、明日朝までに阿蘇も大雨になるという予報が出ている。

 阿蘇市には何と何の警報がでてたろうか、大雨警報、洪水警報、土砂災害警戒情報だったかな、先年の豪雨災害の時の雨は1,000年に一度の大雨だったという、それほど降ったから山崩れが起きたのであって、それから比べたら最近の雨で山が崩れることは無いと内心思っている、周辺の人もそう思っている、それにあの災害の後、相当治水工事がされているから、尚のことすぐに避難する必要は無いと地元では大体思っている。と思う。それが危ないのだ、とどこかからか声が聞こえてきそうではあるが。
 
 太郎と図書館に本を借りに行った。
 
 昼間の川の様子、この時はまがそれほど雨は強くなかった。
 
 夕方、連続雨量が一定量(140mm)になったために国道57号線滝室坂が通行止めになった。熊本~大分を結ぶ幹線道路である、長距離トラックが大変だろう。
 
晩飯、ひき肉玉ねぎみじんオムレツ


令和 2年 7月 6日(月) 太郎誕生日

 雨、強い雨、それに風が非常に強い。
     最低気温 22.0℃ (00:01)、最高気温 25.4℃ (12:12)
     最大瞬間風速 14.3 m/s (17:56)(21:00現在)
     
 定点撮影  
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 8時ころJアラートがなって大雨警報を伝えた、そのあとで、エリアメールも入った、その時点で、雨らしい雨は降っておらず、どうして大雨警報なんだろうと思った。

 レーダーを見ると朝のうち真っ赤な雲の塊が昨日より少し南の鹿児島にあって、少しずつ北上しているなと思った、それに合わせるようにこのあたりにも警報が出された、ところがその赤い雨雲かたまりが、いつのまにか、長崎佐賀方面に出来ていて、熊本北部のここはスルーしたようだったが、午後になってその線状降水帯はその後、徐々に南下してきて熊本北部にかかり始めた。

 夏子の高校は午後大雨になるという予報に従って午前中で授業が打ち切りになって、迎えに来てくれと言うので、迎えに行った。その時はまだ雨は殆ど降っていなかった。

 小学校は午後3時に全校一斉下校になるとメールが入っていて、ちょうどそのころ、線状降水帯がかかり始めていた。
 暴風雨の中、坂梨方面で歩くのは多分太郎だけで、ほかの子たちは保護者が迎えに来るだろう、田んぼの中を一人で帰ってくる様子をみて、場合によっては拾ってやろうかと学校近くまで行ったところ、坂梨地区の子が大勢徒歩で帰ってきている。朝は仕事に出る前に保護者が送ることが出来ても日中は簡単にそれができないのだろう。そうなると太郎一人だけ乗せて帰ってくるわけにはいかないので、いつも朝立っている場所に車を止めて、全員が通過して、もう安全だろうと思われるところに達するのを確認してから用足しに回った。家を出るときに雨雲レーダーで強い雨雲が接近しているのを見ていたので、大雨がすぐそこまで近づいてから急いで帰りなさいと声をかけたがどうだったろう、ぎりぎり間に合ったろうか、多分降られただろうな、まもなく強い雨が降り始めた。
 下校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 用を足して家に帰ったら、太郎のやつ、家に帰りつく少し前に転んで膝小僧をすりむいたそうだ、状況を訊いたら、風が強くて傘を差せないから、傘を持って走って帰っていたら、その傘を脚の間に引っ掛けて転んだという。どこで?カーブミラーのところ。そこは先日もしかして落ちているのではとお父さんが心配になって見に行ったところだろう?でも、今日はその反対側だったから。右側通行で、崖と反対側だった、向かう方向が逆だったら、もしかしたら、落ちていたかもしれない場所だった。安全確認に立ったその先で我が子が大けがをする、シャレにならない。
 
 夕方風呂に行こうと思って軽トラに乗ったところ、エンジンがかからない、シマッタ、先ほど出かけた時にライトを消し忘れて完全にバッテリーが上がっていた。予備のバッテリーを積んでいたので、すぐにかけることが出来たが、その時、雨が降っていなくてよかった、滝のような雨の中でブースターケーブルをつないでエンジンをかけるのは大変だったろう。
 
 18:30過ぎに洪水警報が出された。(この時点ではどうもピンと来ない、真っ暗な夜に備えて早めに出したのだろう、でもかなり河川治水工事がされていると思うのだが))

 我が家の「御曹司」が満十歳になった、早いものだ、もう10年か、アッという間だった、少し前なら1/2成人と言ったが、今はもうあと8年もすると成人する、太郎の成人した姿、ちょっと想像できない。これからの8年、これもアッという間に通り過ぎるだろうか、いやいや小生にとってはそうはいかないだろう、果たしてそのころまで小生生きているだろうか、普通に考えたら多分生きているとは思うがでも先のことは分からない。

 バースデーケーキ、ローソクが一本しか立っていない、どうしてだろうと思ったら、10の位(くらい)のローソクらしくて、、10歳だから1本なんだろう、こちらからのリクエストだったのかケーキ屋さんの考えなのか訊かなかったが、これはセンスの問題だろう、これじゃあご仏前だ、小生なら1の位の短いローソクを10本立てるが。
(写真1写真2

令和 2年 7月 5日(日)

 夕方になって少し空模様があやしくなってきたが、日中は雨の心配もなかった。今夜また南に下がった梅雨前線が上って来ると言っているが。
      最低気温 21.2℃ (05:30)、最高気温 25.2℃ (12:31)

 球磨川の氾濫、大災害になってしまった、広範囲に水に浸かったが堤防の決壊でなくて氾濫だったらそれほどでもないのではと思っていたがそれほど大量の雨が降ったのだ。こんな大惨事になると思っていなかった、今日になっても次々に新たな死亡が確認されている、国宝青井阿蘇神社にも濁流が流れ込んだという。神社が出来てから今までそんなことが無かったのだろうから今回の雨がそれほど大きかったということなんだろう、線状降水帯の境を分けて被害が大きく違った、ここは線状降水帯を少し外れていたから幸いに大雨にならずに済んだ。川辺川ダムの建設中止が今回の水害にからめてまたいろいろ問題になるだろう。
 
 太郎、テニススクールに行って、帰ってきてからクラスメートの家に母親に送ってもらってゲームをしに行った、友達数名が集まったそうだ、「しゅうきんぺい」になるが、普段クラスで顔を合わせている仲間だから単に場所が変わったというだけの違いなのかな。
 ボン、新しいすみかで落ち着いているようだ。ただ小生、ちょっと勘違いをしていて、糞はするたびにシャベルで掬って取ってやればいいと思っていたが、ションベンまでは全く気が付かず、垂れ流し状態だった、今までは散歩のときに糞の片づけだけすればションベンは適当にして地面に吸い取られので気にすることが無かったが、今度は体の下が板で、放尿したら土に吸い込むことをしなくて体を濡らす、それに、それが漏れて板の下のデッキまで汚して臭くなる。だから今日段ボールを敷いて吸収するようにしたが、カミさんが吸水シートを買ってきてくれたのでそれを敷いてやった。完全に老人介護になってしまった、それも老々介護だ。小生、老々介護はこれで二度目だ。

 二三日前だったか、そうだ、有料化が始まった時に書いたから7/1だったか、レジ袋有料化のばかばかしい政策のことについて書いたが、今日、ちょうどいい記事が載っていた。な、やっぱりそうだろう?
 ただこの記事、少し間違っている、有害物質のダイオキシンとあるが、一時バカマスコミが騒いだがダイオキシンは有害なんかではない、今までダイオキシンで死んだ者はいない。分かりやすく言うと、うなぎ屋のオヤジが焼き鳥やのオヤジが焼く煙でなんか死なない、それがわかって最近はダイオキシンダイオキシンと騒がなくなった。



令和 2年 7月 4日(土)

    最低気温  22.1℃ (06:07)、最高気温 24.8℃ (13:29)
    今日の雨量 23.4 mm (18:30時点・・・此処はこんなものだった)
 午前3時ころにはもう目が覚めて起きていた。雨雲レーダーをみると、ここより少し南の八代付近を東西に伸びた真っ赤な線状降水帯が伸びていた。今後の雲の動きの予想図を見ると、少しずつではあるが南に下がっていっるようで、北の方に(こちらの方に)は動いていないようで、天気が回復方向にあるのではと思っていたら、午前5時前にJアラートが鳴って、大雨警報が出たという、この判断、ちょっとずれてるなあと思った。素人目にももう雨は上がる方向だろうと思ったのに、どうして警報が出るのだろう、球磨・八代方面は警戒レベル5だが、ここはそれまでも大して降っておらず、せいぜい警戒レベル3だ、それでもJアラートに引き続いて自主避難場所が開設された、警報が出た以上市は動かなければならない、新設された生活防災課政策防災課は昼夜関係なくそのたびに出動しなければならないから大変である、数年前の大水害や地震の後、ずいぶんと治水工事が進んで、その分、災害が起きる危険性は下がっているはずなのに、相変わらずちょっと降っただけで周辺が被る大ごとさにお構いなく警報が出る、これはどうみてもおかしいだろうと思う。思っていた通り、昼前には警報は解除されて、自主避難所も閉鎖された。

今回、天草・芦北、球磨地方、宇城八代に数十年に一度のこれまで経験したことが無いような大雨で特別警報が出されたが、なんだか同じ場所で毎年、あるいは年に何回も出されているような気がするが。

今年初めてハチノスツヅリガを発見、スムシの親だ。

 ニュースを聞いているとまるで熊本県全体が危険な状況にあるように伝わるようで、十年くらいぶりに高校時代の友人、高田倖太郎が安否確認の電話をくれた。それから白州の武相荘も電話をしてきた、もうインターネットをやめたので、当方の暮らしぶりが分からないようだ。

 明け方三時ころ起きて外の様子を窺たところ、ボンがまた外に這い出て雨の中にうずくまっていた、もう雨になれたのか諦めたのか別に鳴いてもいなかったが、抱えるようにして小屋の中にいれてやった。今は雨ばかりで時期が悪い、移動させてやろう、デッキの下に移すか、玄関わきのデッキの上にしようか、考えて、世話がしやすいように、玄関わきのデッキの上に移してやった。移す前に泥だらけの体を水道のシャワーで洗ってやったが、ここのところ床ずれなのか尻のほうの毛がごっそり抜けて痛々しい姿になっている、もう鎖をつけなくてもどこにも行かないと思うが、とりあえず柵状のもので仕切っておいた。そろそろ「青山」の準備をせんといかんかなあ、シマ(コラ)の隣かな、草を刈っておかねば。
 
 カミさんが急に優しくなって缶詰なんかを買ってきて与えてたが、鶏のから揚げの太い骨をやったら、そちらのほうを喜んでバリバリ噛み砕いていてた、この太さの骨を噛み砕く力が残っているのならまだ大丈夫だろう、鶏の骨は割れると尖っているから犬にやってはいけないと何かで言っていたが、それはお犬様の場合だろう、我が家では昔から鶏の骨だろうが、タイの骨だろうが玉ねぎだろうが平気で喰わせている。チョコレートも犬には駄目らしいがボンはもともと甘いものが駄目なようで食べない。

 夏子、模擬試験で一日中高校に、太郎は二回目の日本脳炎のワクチン接種で古閑医院へ。ワクチンはなんどか打たなければならないようだ。
 
 「介錯人」・「黙(しじま)」辻堂魁。この作者のことは全く知らなかった。
「黙(しじま)」、図書館の新刊の棚にあって何の気なしに手に取った本、特に期待もしていなかった、それに表紙の絵(装画というようだが)があまり小生向きでは無かった(山本真澄という画家だそうだ)。既刊に「介錯人」という作品があり、評論家たちをうならせたというほど絶賛されてたそうだ(帯紙だが)、二冊借りてきてあっというまに読み終わた。

 介錯人・別所龍玄を主人公とする、こういったスタイル、短編集とでもいうのだろうか、いくつかの話が入っていて話自体はそれぞれ独立しているが全体でつながっている、その一話、一話の終わり方がどれも余韻があっていい。昔の江戸の町の風景、家屋敷などの佇まい、植栽や草木の描写、当時の空気や匂いまでが伝わってくるような文章だ、それに文章が美しい。首を打つ側、打たれる側にそれぞれ人生があってドラマがある、一見、殺伐、残虐に見える介錯、首打ちが美しく清々しくさえ感じるような作品、面白かった。本ばかり読んでいて他のことが出来ない。


令和 2年 7月 3日(金)

 朝の内から雨だった、時々強く降ったり、終日降っていた。夕方行った風呂が普段はもう暑いのでサッと入ってすぐに上がるが、今日は妙にお湯の温もりが気持ちがよかった。今夜から明日の朝にかけて梅雨前線がまた北上して大雨になるらしい。
    最低気温 18.0℃ (09:04)、最高気温 20.0℃ (04:13)

 今日は朝からもう雨になっていてこの先、大雨になるということだったので、子供たちの徒歩通学、潮目が悪いので今日はボウズだろうなと思っていつもの場所に立っていたが、活きのいいのが太郎を含めて四匹ヒットした。
 定点撮影  
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 ボンのやつは毛がバリバリに凍る阿蘇の真冬でも屋外で寝るくらいで、昨夜も外で寝ていてた、朝になって雨が降り始めてそれも結構強い雨で、さすがに外にいるわけにいかず、小屋に入ろうとするが、動けない、わずか1mくらいしか離れていないのにびしょ濡れになりながら盛んに助けを求めて鳴いていた、前足だけではもう動く力も無いようだ、激しい雨のなか、ずぶ濡れになったボンを抱えてボンの小屋の中に入れてやった。夕方には半身体を出したまま動けないでいたので、水が飲みたいのだろう、水桶を持って行ってやったが、前足で立って体を支えることがきず、伏せた状態では水桶が高くて水まで届かない、体を抱きかかえるようにして口を水があるところまでもっていったところ、ゴクゴクたくさん飲んでいた、ずっと水を飲んでいなかったようだ。小屋の前に高さ調整のウッドデッキを作って出入りをし易くして、雨が降ってもいいように屋根でもつけてやろうかねえ。
 
 ボンの小屋で思い出した、以下蛇足、犬小屋のことを、英語で kennel(犬寝る)、カラスのことを crow (黒)、ヤカンのことを kettle ( 毛ッ取る)と以前夏子に教えてやったことがある、まだ中学に上がったばかりのころだったろう、夏子はその語呂合わせに、へえ~と言って面白がっていた。その時に、じゃあ、これ知ってるか?「ハエトマルツルースベル」、これ蝿がとまるとつるっと滑る、つまり、禿頭(とくとう、こういう言い方は差別用語じゃやないだろう・・・参、昨日の日記)のことだよ、へえ~、これまたびっくりしていた、これはモチロン冗談で彼女もそんなこと当然分かっているだろうと思っていたが、本当にそうだと思っていたようで、最近になってなにかの時にその話が出たので、慌ててオイオイそれ冗談だよ、オマエそれ誰かの前で言ったことあるのか?いやそれは無いよ。そんなやりとりがあった、ああ良かった。

 今、国のほうで武漢肺炎対策もあって高速道路のETC専用化が検討されているという、現金払いが無くなって全部ETCにしようということだ。別に武漢肺炎でなくてもこれはこれでいいのではないだろうか、世の中キャッシュレス化が進んでいて、その流れで高速道路はETCだけにする、小生は殆ど、ほぼ100%今では使わないが(使うあてが無いが)、昔現金払いからETCに切り替えた時にその便利さに驚いたものだ。
 もしETC化するのでれば今付けていない車のETC車載器は無料にする、それでイヤだという人間は高速道路を使わなければいいのだ、それだけのことだ、その代わり浮いた人件費分などは安くしないとな。それにETC車載器の機能、スマホでも出来るのではないかなあ。新しく作る車にはどの車にもラジオがあるようにETC機能を標準で付けるようにしたらいい。

 今まで何度も何度も補修をしては穿いていたジーパン、全体に弱っていて、補修したと思ったら、すぐその隣が破ける、そしてまた補修の繰り返し、そうやって何本もあったジーパン、とうとう限界に達して全部お払い箱にした。そして6/20頃だったか AliExpressに注文したジーパンがやっと今日届いた、もう忘れていた。二本で送料を入れて2,655円也、急ぐときはダメだが、時間があれば特に衣料品なんかCHINA製に限る、どうせ今時衣料品なんかほとんど向こうで作っているのだろう。

 カミさんは娘の高校の保護者会だったか学級懇談会だったかで昼から休みを取って出席したので帰りも早くて今日の炊事当番は無かった。



令和 2年 7月 2日 (木)

 晴れ、グラフを見ると今日の温度差が結構大きかった、最低気温が低すぎたのか、でも寒いという気温では無かった。明日からまた梅雨空が戻ってきそうだ。
    最低気温 16.0℃ (05:19)、最高気温 27.1℃ (12:58)

 定点撮影  
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10
     太郎のやつ、あまり遅いので、向こうの辻で旗振りをしておいでの先生、待ちきれずに撤収してしまわれた、バカ者。
 子供たちを見送る場所でたくさんの燕が地を這うように飛び交っていた。虫がいたのだろう、我が家のハチウトのちかくでは燕を見ないが、そのうち、ハチがいることに気が付くとわんさかとやって来るだろう。でも燕が一日にどのくらいの虫を捕るかしらないが、ハチの数のほうが圧倒的に多いので、女王バチは外には出てこないので女王バチさえやられなければそれで自然界のバランスは取れているのだろう。
 
 ボンにフィラリア予防薬を飲ませた(2/5回)。ボン、ここにきてほとんど歩けなくなった、時々立ち上がって歩く時もあるが、後肢が全くダメで、前肢で躄るようにして進もうとするが殆ど進めない、立てない、今日は散歩はやめた、というよりできなかった。見ていて胸が痛むが仕方がない、もう少し先の己が姿なんだろう。

 ところで「躄る」は「ゐざる」と読む、「い」でなくて「ゐ」である、今は「い」で済ます、和文モールスも正式には区別するが今は普通は「い」で済ます。
 
 因みに、「ゐ」はカタカナでは「ヰ」と書くが、和文通話表では「ゐどのヰ」と言い「ト・ツー・ト・ト・ツー」、他方「イ」はイロハの「イ」で「ト・ツー」である、エヘン。
 
 「躄(いざり)」というと、これは差別になるようで放送禁止用語になっている、跛(ちんば)はダメだが跛行ならいい、片目はだめだが隻眼ならいい、要は国民を愚民視していて、難しく言えば分からないだろうからいいというのだろう、そういえば「女中」はだめだけど「お手伝い」はいいというのもあったな、これなんか逆で難しい言い方のほうが駄目なんだ、めんどうな世の中だ。
 
 晩飯の食材の買い出しに行って、「レジ袋要りますか?」「要りません!」と言って裸で抱えて帰ってきた。万一の場合を考えてエコバックなるものは一応ポケットに忍ばせてはあるが意地でも使うものか。
 
 そのあとで、豆腐屋に寄ったら、いつものとおりレジ袋に入れてくれた。
 「お宅はレジ袋廃止しなの?」「別にうちは・・・・」
 「で、お上のほうから何か言って来ない?」「今のところは・・・」
 とオヤジのんびり応えていた。
 
 進次郎クンは太郎クンに比べると軽い。「海洋汚染の原因、レジ袋をやり玉に挙げているが、漂着プラごみの種類別割合では、重量比でレジ袋が全体の0・4%で漁網等が41・8%、容積比ではレジ袋0・3%に対して漁網等が26・2%」というデータもある、知ってるのか?今の騒動、CO2と同じだ。

 晩飯。野菜たっぷり牛肉の甘酢あんかけ、オカラサラダ、冷ややっこなど。


令和 2年 7月 1日(水)

 昨夜から明け方まで強い風が吹いていた。空模様もはっきりしなかったので朝の内は長袖のシャツ着ていても肌寒かった。それも時間が経つにつれて天気も回復して晴れてきた。
     最低気温 18.2℃ (04:52)、最高気温 22.3℃ (16:51)

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10
 
 ハチウト内検 1号基  2号基

 一年の折り返し、昨日あ天気も悪かったこともあって阿蘇神社に夏越の大祓、茅の輪くぐりに行かなかったので、今日行ってくぐってきた。六日の菖蒲、十日の菊、そして「朔日の茅の輪」だ、今日は「朔日参り」の日でもある。

 午前中、銀行やら郵便局やら図書館やらスーパーやら精米所や阿蘇文化調査研究会の事務局長のところやら、いろいろなところを回った。メモに書きだして、忘れないようにして全部回った。本は返却だけのつもりで行っても新し本が並んでいるとついつい借りてきてしまう。ただでさえ読む本が山ほどある、本も読むと他のことをやる時間がどんどん無くなるので、加減をしようと思うのだが困ったものだ。(写真1写真2写真3

 生活費の出し入れ、いや、違った、ほとんどが「出し」ばかりだが、銀行の預金通帳がいっぱいになったので新しい通帳に繰り越してもらった。いまではATMの機械に入れたら、自動的に新しい通帳がでてくるようになっている、これは便利だ、ますます窓口の行員は要らなくなるなあ。

 今日からレジ袋が全国的に有料化された、一体誰がこんなくだらん法律を作ったのだ、これは大間違いだ、絶対に反対である、コンビニなんか嬉々としてやっているのだろう、そんなことをする前に、仕入れすぎ作りすぎの食品廃棄をまずやめろよ。

 レジ袋が日常生活でいかに役に立っていたかと言うことが禁止してすぐにわかるだろう、まず買い物をして持ち帰る、そのあと、家でちょっとした物入に使う、たとえば子供たちのシャツや運動靴などの汚れものを入れて運ぶ、そして最後にはゴミ袋になる、家庭で屑籠の内袋としてレジ袋は使わないのか、炊事で生ごみなんかそれに入れてからゴミ袋いいれないのか、など幾通りもの便利な使い道があるのだ、これを今後どうするのだ。もともとレジ袋は石油精製の過程で生まれた使い道のない廃棄物を使って作られたものだ、それがどうして有料になるのか、その有料のレジ袋の売上代金はどうなるのだ、誰かが儲かるのだろう、もし海洋汚染になるからというのであれば、袋は一切売るな、それとも、有料の袋だと海洋を汚染はしないとでもいうのか。レジ袋が環境破壊、海洋汚染をするというのなら、そういったものをイージーに捨てる奴を取っ捕まえて高い罰金を取ればいいのだ。ゴミを焼却するのは今は高温焼却炉を使うから有毒ガスなんか出ないのだぞ。どうせ欧米からの受け売りでやる政策だろう、もっと自分の頭で考えろ、主夫ジジイは心から怒っているのだ。
「漂着プラごみの種類別割合では、重量比でレジ袋が全体の0・4%で漁網等が41・8%、容積比ではレジ袋0・3%に対して漁網等が26・2%」というデータもある。
 
 カミさんが今日は休みを取って定期健診にいって早く帰ってきたので小生の炊事当番は無かった。カミさんはいろいろ定期健診に出かける、それぞれチェック箇所が違うので病院が別なんだそうだ。

 夜7時過ぎに、日記を書いていると、夏子が、今日、太郎、誰が迎えに行くの?と言っている。なんのことだと思ったら、今日は太郎の水泳教室の日だったことを忘れていた、いやに静かだなとは思ったが、多分、ゲームのし過ぎで母親に叱られるかして、ふて寝でもしているのかと思った(こういったことはママある)。いつも教室がある日は、太郎の迎えの時間に合わせて風呂に行くのだが、だから、今日はいつものもっと早い時間に風呂に行った。慌てて、アゼリアに電話をして、これから迎えに行くので待つように伝えてくださいと言って、急いで迎えに行ってきた。



   

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