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令和庚子(2020) 2年 6月の記録 (新しい日付けの順)

令和 2年 6月30日(火) 夏越しの祓

 まるでちょっとした台風のように強い風が吹き続けた。家が揺れるほどだった。雨雲は午後には通り過ぎたにも関わらず山間部だからだろうか終日雨風が強かった。(写真1写真2

  最低気温 20.5℃ (但し18:00時点)、最高気温 24.2℃ (03:45)
  最低気圧 994.1 hPa (15:14)
  最大瞬間風速 17.4 m/s (09:12)
  本日の雨量  54.9 mm (18:00現在)

 今日のような大荒れの日には絶対に徒歩通学の子はいないと思うけど、一応、いつもの場所に行ってみる、だからついでに今日は学校まで送ってやるぞ、と言ったのに太郎のやつ、いい、歩く、と言う。お前が歩くのならお父さん、お前が通過するまで待たんといかんから、早く出ろよと言って、いつもの場所に行ったが、これまたいつものように太郎、ゆっくり家を出たので通過するまでタップリ待たされた、通過後も一応安全圏まで行くまで見ていた、風が強くて傘が差せないので途中から傘をたたんで走っていった。

 定点撮影 (傘の写り込みは意識してである、傘を差さないとカメラがずぶぬれになるほどの降りだった)
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5) 

 今日は一年の折り返し点、夏越の祓だ、いつもだと阿蘇神社で茅の輪くぐりをして半年の邪気を祓うところだが、今年は阿蘇神社のいろいろな宗教行事が武漢肺炎のために中止になっている、ただ参拝客が加わっての行事は別として、神事としては当然行われただろう、そのなかで茅の輪くぐりはどうだったろうか、神社のホームページを覗いてもやるともやらないとも書いていない、結局今日も一日強い雨風だったこともあり、行くのはやめた。昨年の大祓
 
 実際に茅の輪はくぐらなくても、氏子として前もって家族の名前年齢を書いた人形(ひとがた)を納めてあるので、神社のほうでお祓いはしてくれる、それに、我が家でも、この日に食べる和菓子「水無月」を食べて気持ち邪気を祓っておいた。「水無月」は昨日山を下りた際に贖っておいた。(写真1写真2

 阿蘇市にはドリームカードという自治体ポイント制度があった、もう過去形である、4月末で事業組合が解散して無くなった。阿蘇市と言っても町村合併前の一の宮町にあった制度でそのまま一の宮町地区の商店で続けられていたものだが、商店街の過疎化シャッター通り化の影響を受けて加盟店も減少していた。買い物をして確か100円ごとに1ポイントをもらって、(1ポイントが1円分なのかそうでないか知らないが)カードが満点になると、500円分の買い物の代金に充てることができた、小生は行ったことは無いが、満点カードで年に一回抽選会もあった。
 
 少し前に豆腐屋で制度廃止のポスターを見て、尋ねたところ、満点カードは6月いっぱい使うことが出来るが、満点に満たない使いかけのカードは返金されることなく失効したそうである。
 
 小生は三枚の満点カードを持っていたので、そのことを思い出してこの前の日曜日に「たのや」でケーキを1,500円分買ってきて家族で食べた、6月末を前にギリギリセーフだった。満点になっていないカードが三枚出てきた、もう少しで満点になるカードもあったが、もう失効だ。一の宮町独自で続いてきたこの制度、平成の大合併(2005)に合わせて阿蘇市全域にサービスエリアが広がることもなく、とうとう今年で無くなった、旧町時代のある種文化がまたひとつ消えていった。

 晩飯、餃子。


令和 2年 6月29日(月)

 曇りのち強くは無いが、雨が降り始めている、今日はもう少し遅くなってから雨になるだろうと思っていたら、昼過ぎには雨が降り始めた、雨雲レーダーをみると、実に不思議な雨雲の流れだった、それでも天気図の前線に添ってはいたが。今夜から明日にかけてまた強い雨が降るという予報が出ている。
   最低気温 18.1℃ (05:35)、最高気温 26.3℃ (11:35)

 今年はウメが不作だという、暖冬が影響しているのだそうだ、我が家もそのせいだろうか、今年は全く梅の実が目に入らない、いつもだとたわわに実った梅の実が、早く漬けろとばかりにプレッシャーをかけてくるのだが、ニュースで見て初めてそういえば梅の実が目につかないことに気が付いた。

 登校時霧が出ていた、暑い季節になってマスクをしたままの当校は大変だろうと、途中、マスクをしなくていいと言われたのだろうか、マスクを外した子もいた、マスクを取って入学以来初めてしみじみ顔を見る子もいた。小生、別に暑くならなくても、登校時はマスクを外して構わないだろうと太郎に言ったことがあるが、太郎の年頃、親よりも先生の言葉のほうが絶対である、言うことを聞かなかった。
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 ちょっと山を下りる用が出来た、いつもは二重峠越えで行くのだがたまには長陽大橋経由で行ってみようと出かけた。途中まで行って、そうだ、この近くに野木さんのお宅があったはずだと、アポも取らずにちょっと寄ってみた。野木さんのブログ(*)にあったように、ウッドデッキの制作中だった。野木さんは小生の6/4の日記に載せたが、面識は殆ど無いが、小生はいつもブログを読んでいるので旧知のつもりで伺ったら、ちょっと怪訝そうな顔で迎えられた、それで事情を話したら、ああ、と言ってすぐ分かっていただいた。
*最近はやたらとセキュリティーがうるさくなって、ダイレクトで開かない場合は、Shiftクリックで新しいwindowを開かなければならない場合がある)
 
 今日は視界がよくなかったが、確かにお宅の庭から熊本市はおろか、有明海、その向こうの長崎まで見える素晴らしいロケーションだった。谷越しに京都大学火山研究所がすぐだ。冷たいものを頂戴して、仕事の邪魔をしてはいけないとすぐにお暇をした。
写真1写真2写真3写真4
 
 阿蘇大橋を飲み込んだ大崩れの復旧工事は終わったようだが、新しい阿蘇大橋の工事をはじめ、周辺は大きな工事だらけだった、立野のダムも工事中だった、立野駅前の「ニコニコ饅頭」を買いに寄ったが、立野駅が全く無くなっていて驚いた、饅頭屋さんで訊いたら、こんどJRと南阿蘇鉄道と一体になった駅舎が出来るそうである。70年近く前、まだ子供のころ今のここに住んでいた祖母を訪ねて福岡から家族で何度か来たことがあるが、立野でこの饅頭を買って食べたのが懐かしい。

 また熊本で武漢肺炎の感染者が出たそうだが、昨日小生がニュースを知った朝の時点では載っていなかったが、その後、阿蘇保健所管内だったことが分かった。阿蘇保健所管内と言うと、阿蘇市を含めた阿蘇郡市になり、阿蘇市の周辺の町村も含めた広い範囲になる。自治体によってはどこそこの市のどこそこの町と言う風に場所を特定して発表しているところもある、そちらのほうが多いだろう、ところがどうしたわけか、阿蘇保健所は漠としか発表しない。
 
 それでいて、今までは市の広報で、わざわざ今回の感染は阿蘇市ではありませんと放送していた。ところが今回の阿蘇保健所管内の感染者に関しては、今のところその放送が無い、今まで放送していたのにどうしてしないのだ、ということは今回は阿蘇市ということなんだろうと思う、「語るに落ちる」、いや、師のたまわく「語らずに落ちる」ということだ。
 
 さんざん今までの事例、阿蘇市ではありませんと放送していながら、もし、今回の感染者が阿蘇市の人間だったら、今回は阿蘇市ですと放送しないとフェアじゃないだろう、利己主義だと言われても仕方がないだろう。
 
 そう思っていたところ、どうも阿蘇市の人間ではないようだ、風呂と床屋は地元のうわさが集まるところで、味噌もクソも一緒だが今日その風呂屋で聞いたのだが、しかも結構はっきりした情報のようだったが、阿蘇市では無く、〇〇だということだ、せっかく行政が言わないようにしているのだから、小生も言わないことにする。
 
 でも、それでは市の放送が黙っているのはオカシイ、わざわざ市町村名を明らかにしないで発表しているのにあえて自分のところでは無いというのは利己主義だろうと批判でもあって宗旨替えでもしたのだろうか、それならそういわなければ、住民は今までと同じ基準で理解してしまうぞ。

 今回は、阿蘇で感染したのではなくて、感染してから帰ってきたので熊本での感染としては扱わないそうだが、地域住民に疑心暗鬼、無用の不安を煽らないように個人のプライバシーに配慮しつつも出来るだけ正確な情報を出すべきだと常々思っている、今のやり方、本末転倒だろうと思うが、誰もそう思わないらしい。
 
 今日アゼリアに行ったところ、入館に際してはマスク着用のことという新たなお触れが出ていたので、マスクをして風呂に入るのかと冗談半分に訊いたら、受付の岩下嬢、いえいえ、短い距離ですが脱衣場までの行き帰りだけです、と生真面目な彼女、恐縮そうに答えていた。今回の武漢肺炎の感染が阿蘇市だろう思っていたのでお触れはそれを受けてかと思ったがどうもそうでもないようである。お触れは教育委員会名だった、温泉は教育委員会の管轄なのだろうか、と思ったら、プールやアスレチックのほうがそうなんだろう、風呂はオマケか。

 晩飯。ひき肉と玉ねぎのオムレツなどなど



令和 2年 6月28日(日)

 昨日の雨雲の動きから今日は予報を見るまでもなく晴れるだろうと思っていた、久しぶりの青空だった
     最低気温 18.6℃ (02:48)、最高気温 27.8℃ (14:17)
 
 太郎はテニス、夏子は英検の試験だそうで三人で朝早く出かけて行って、午後早いうちに帰ってきた。

 こういうヤツがいるから困るのだ、検査結果が出るまでどうして待てないんだ、どこの保健所管内なんだ。
でもほかの記事によると、「実家に着き「検査を受けた」と告げると、家族は家には立ち入らせず、敷地内にテントを張って過ごさせた」そうだ、これもまたすごいなあ。

 ハチウト内検  一号基  二号基  だいぶん巣が大きくなってきたので今までの床にカメラを置いて撮るのでは収まりきれなくなってきた、今度から床板を外してその下から撮らないとだめだろう。

 今年はボンにたくさんのダニた付いている、血を吸って小豆大になって皮膚に食らいついている、マダニは人について、恐ろしいウイルスに感染すると命取りになると聞く。気が付くと取ってやるが追いつかないので、今日薬をかけてやった、効果があるだろうか。


令和 2年 6月27日(土)

 昨日から雨だというとずっと朝から長崎佐賀方面でひどく降っていた、その雨雲群、九州の北に登ったり南に下がったりして、九州に居座っているが、ここは激しい雨の地域の間に位置していて思ったほどの降りでは少なくとも夕方までは無かった、それでも終日雨が降っていた。
    最低気温 22.3℃ (16:06)、最高気温 24.6℃ (13:12)
    本日の雨量34.5 mm(18:00現在)
    連続雨量60.5 mm(この三日間)
    最も強い雨 87.6 mm/hr (15:32、但し18:00時点)

 産業遺産動態保存博物館館長としては電報の「頼信紙」が懐かしくて、ネットで探したが無い(これは似ているがちょっと違う)、歴史資料として戦前のものが画像としていろいろ載っているが、別にアンティークとして探しているのではないので、小生が学生のころ、郵便局で書いて電報を依頼していた様式のものが残っているかもと思ったが全くない、現在はもう使われることも無いので、無くて当たり前だが、当時のもの、どこかに無いものだろうか、言ってみればメモ用紙のようなものだから、もうどこにも残っていないのかもしれない。
 
 頼信紙と書いて、どのくらいの年齢まで知っているだろうか、十歳も下るともう知らないかもしれない。電話がまだどこの家庭にもあるというほど普及していなかった時代に通信手段として普通に使われていた電報、現在は慶弔電報くらいしか残っておらず、それも、今では文章をテキストでなくて画像として送るのだろう。

 小生が学生時代(60年近く前)東京に下宿していて、家族は九州にいて、帰省するときなど、我が家には電話が無かったので、電報が連絡手段だった。その頃の電報を郵便局の窓口で申しむ際に、例えば「一五ヒキリシマニテタツ」、これで送ってくださいと書いて提出する用紙、それを「頼信紙」と言った。「15日に(急行)霧島で発つ」という意味である、当時、汽車は東京から九州までは日を跨いで走っていたので、「着く」か「発つ」を入れなければ、「カエル」だけだと一日ずれることになる(時間は時刻表で確認できる)、そんな時代だった。

 電報代は一文字幾らで計算した(何文字以内は定額、だったような気もするが、ちょっと記憶にない・・・あとから資料が見つかった)、濁点(゛)や半濁点(゜)も一文字だ、今でも銀行なんかに提出する申請書のフリガナという欄にカナを振る際に、濁点や半濁点のあるカナは一枡空けて書くことがあるが、それだ。つまり、たとえば「ガ」と言う文字を送る場合は「カ」と「゛」とになる、これは、文字コードに「ガ」というコード(符号)が無いので、「カ」と「゛」を分けて書いて送って、受信したほうで二つを合わせて「ガ」という文字にするのである、だから二文字分の代金になる。和文モールで言うと、「トツートト」と「トト」で「ガ」となる。宛先名住所は文字数には入らずに、確か本文だけが課金の対象だったと思う。
 
 小生が子供のころ親戚が熊本市内で郵便局をやっていたが、今で言う、特定郵便局で、住居と郵便局が一体になっていた、警察で言う駐在所のようなものだ。だから「家内工業」で(義)伯父が郵便局長で、伯母(小生の母の姉)が受けた電報依頼を電話を通じて本局に送っていた。立て板に水のごとく速い速度で電文を送る伯母の甲高い声を今でも鮮明に覚えている、手でグルグル回す電話だった。
 
 実際に電信で電報を送るのは本局(このへんがあいまいだが、郵政省だったのか電電公社だたのか)の仕事で、そこまでは電話を使って音声でその文面を送らなければならず、間違ってはいけないので、通話表というものを使って独特の送り方をしていた、「ア」は朝日のア、「イ」はイロハのイ、「ウ」は上野のウといった風である、「熊本」だったら、倶楽部のク、マッチのマ、モミジのモ、東京のト、となる。

 アマチュア無線でもこれを使うので今では自分の生活のなかに溶け込んでいるが、当時はそれがなんなのかも分からずに、ただ郵便局というところはこの声がよく聞こえていたものだという記憶がある。

 当時、アルファベットの内国電報はあったのだろうか、電話がロクに無い時代だから英文の電報も必要だったろうが。因みに欧文の場合は「A」はアルファ、「B」はブラボー、「C」はチャーリー・・・・・などである。

 (もう)昔、東西ベルリンの境界に置かれていた検問所をチェックポイント・チャーリーと言ったが、このチャーリーも人の名前でなくてC検問所を間違わないようにそう言ったことが始まりだろう(と確認したわけではないが)思っている。潜水艦のキロ級だとかロメオ級なんてのもそうなんじゃないだろうか。

 昔は無線機なんか簡単に手に入らないから自分で作るところから始めた(小生は晩成でその経験は無い)、アマチュアが、遠隔地との通信、今と違って電波を受けたり発信したりするということはそれほど大変なことだったのだ。それが、今では、金さえ出せば高機能高出力の無線機がいくらでも手に入る、しかもスイッチさえ入れたら、技量が無くても無免許でも(出そうと思えば)電波が出せる、そして技術が進んでいろいろな種類の通信ができる、でもそれは機械がやっているのであって、人がやっているのではないだろう。最近ではモールス通信ですら送受信ともコンピューター任せでやるらしい、海外のどこそこの珍しい局と交信できた、と言ってもそれは機械がやっているのだろう、そんなことやって、それで面白のだろうか、と小生は思うのである。それらはもうコンピューターやインターネットの世界だろう。アマチュア無線人口がどんどん減っている、若い人が入ってこない、それはそうだろう、無線機を買って「お話」をするだけなら、スマホのLINEなどのSNSのほうがよほど面白いし便利だ。「離れたところにいる知らない人と交信をしよう」、昔とは違うのだ、JARLを始めとして今の「業界」のアマチュア無線に対する興味の持たせ方が根本的に違っていると思う。

 電波法の規制が厳しくなって簡単に自作で電波を出すのも難しくなってきている、遠隔地とのコミュニケーションもインターネットの時代になっている、じゃあ残されたアマチュア無線の面白さ、これはもう自らが愚直にキーを叩いてするモールス通信だろう、でもこれは練習しないとできないぞ、簡単にはできないぞ、無免許ではできないぞ(やってやれないことはないが、そこまでできる人なら無免許ではやらないだろう)、だからこそマスターしたら面白いのだ、他人ができないことが出来るって気分がいいぞ。無線の原点はモールス通信だ、縦振り電鍵でQRP(弱い電波で通信)が小生の目指すところである。ついでに言わせてもらえば和文モールスだろう、へ へ へ (ト・ト・ト)。(写真1写真2

 午前中、こどもたち、母親に連れられて日本脳炎のワクチン接種に行った。姉のほうもまだだったのだろうか、何回かやるのだろうか、ある期間、副作用がどうのこうので摂取させない期間があったのだろうか。そもそも小生なんかのジジイたち年代は摂取したのだろうか、まったく分からない。カミさんそのあとで水前寺のほうにある病院に、年に一回くらい受けているのだろうか、定期検診にでかけて行った。



令和 2年 6月26日(金)

 雨のち晴れ。ここのところちょうど子供たちの登校時間帯に激しい雨になって、そのあとケロッと上がる日が続いている。
    最低気温 23.9℃ (06:06)、最高気温 27.0℃ (15:56)

 ちょうど通学時間帯、まだら状に途切れ途切れに強い風と雨が降ってきて、遠くから見ていていると田んぼ道を歩いてきた子供たちが立ち往生気味になっているところに、こどもを送る別の保護者の車が通りかかって、その子たちを収容して登校していった。
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 晩飯、アジのフライ、ポテトサラダ、ジャガイモのプレーンガレット。ご近所から菜園のジャガイモをたくさん頂戴したのでイモ尽くしになってしまった。


令和 2年 6月25日(木)

 また梅雨空が戻ってきた、朝の雲の様子を見たところ、熊本の北部、長崎佐賀方面が大雨が降っている、ああ、これからこの雨、下のほうに降りてくるのだろうと思っていたら、梅雨前線は北のほうに上がっていって、日中は雨が上がって時々太陽も出ていた、しかし夕方に向けてまた梅雨前線が南下し始めていて明日にはまた大雨になりそうである。
    最低気温 20.7℃ (02:44)、最高気温 27.0℃ (15:00)

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8)今日は徒歩通学児は極めて少なかった。

 今朝ほど千葉県を中心にかなり広範囲にわたって地震があった。規模そのものはそれほど大きな地震ではなかったが、ここのところ主に関東を中心に群発的に地震が起きている。来るぞ来るぞと言われている地震の前触れなんだろうが、それでも皆、まだ大丈夫だろうと心の隅では思っている、この思いは実際に来るまでは変わらないだろう。
 
 今の建築物は耐震耐火性があって、関東大震災の時のような倒壊大火災になるような被害はどうなんだろう、無いのではという感じがする、それでもあちらこちらで建物の倒壊、鉄道の破壊なんかが起きてまず交通・通信が途絶する、これで人の移動ができなくなり物資の補給などができなくなる、あとは津波だな、これが一番コワイ。それでいていまだに東京の人口は増加しているというのだから分からない。

 武漢肺炎、緊急事態宣言が解除されて人の動きが戻ってきて、東京なんかではまた感染が増えてきているようにも見える、これ、どこだったろうか、学校ではこんなことまでやっているようだが、ここまでしなければならなくなってきているのだろうか。でもこういったこと本当に効果があるのだろうか。

 午前中、横澤さんご入来、阿蘇と東京の二拠点居住で寒くなるまで阿蘇滞在中だ。普段は日本画を描いておいでだ、だから、横澤画伯になるのだろう、朝から晩まで絵を描いておいでのようだが、人と話す機会が少ないようで、話好きの彼女として誰かいないものかと、小生に話し相手になれと訪ねておいでになった。共通の話題がたくさんあるので、話題には困らない。
 
 ずっと私設の気象観測装置の風速計が故障していたが、今日、部品が届いたので早速とりつけて順調に動いている。どこか故障したのか、だいたいあたりを付けていたが、故障していたのはやはり風速計のユニットで、本体の基板のほうではなかった。
 
 壊れた風速計、よくみると、マグネットが二つあって、回転するたびにマグネットが交差して、電磁誘導でパルスが発生してICでそれを拾うのだろう、だから、その部分を分解すれば、たぶんマグネットにつながっている線のどちらかが断線しているのだろうと思うのだが、どうしても分解ができない、そとから見ると結構錆びているのでたぶん断線しているのだろうと思う。
 
 ユニットを止めてある六角ボルトのネジ穴は、0.05”(1.27mm)だが、ボルトの目が詰まっていてどうしても六角レンチが穴に入らない。仕方がないのでユニットを取り寄せようと思って調べたら、だいたいどこでも30,000円以上する、30,000円以上もするのか、これではちょっとなあ、と思っていたところにAmazonで20,841円で売っているのを発見、これくらいなら、まあ許容範囲かと思って注文してあったものが今日アメリカから届いたので早速、取り付けた。うん、これで風速が観測できる。

 晩飯、水餃子


令和 2年 6月25日(木)

 また梅雨空が戻ってきた、朝の雲の様子を見たところ、熊本の北部、長崎佐賀方面が大雨が降っている、ああ、これからこの雨雲、下のほうに降りてくるのだろうと思っていたら、梅雨前線は北のほうに上がっていって、日中は雨が上がって時々太陽も出ていた、しかし夕方に向けて梅雨前線が南下し始めていて明日にはまた大雨になりそうである。
    最低気温 20.7℃ (02:44)、最高気温 27.0℃ (15:00)

 定点撮影
 登校風景(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)今日は徒歩通学児は極めて少なかった。

 今朝ほど千葉県を中心にかなり広範囲にわたって地震があった。規模そのものはそれほど大きな地震ではなかったが、ここのところ主に関東を中心に群発的に地震が起きている。来るぞ来るぞと言われている地震の前触れなんだろうが、それでも皆、まだ大丈夫だろうと心の隅では思っている、この思いは実際に来るまでは変わらないだろう。
 
 今の建築物は耐震耐火性が進んでいて、関東大震災の時のような倒壊大火災になるような被害はどうなんだろう、無いのではという感じがする、それでもあちらこちらで建物の倒壊、鉄道の破壊なんかが起きてまず交通・通信が途絶する、これで人の移動ができなくなり物資の補給などができなくなる、あとは津波だな、これが一番コワイ。それでいていまだに東京の人口は増加しているというのだから分からない。

 武漢肺炎、緊急事態宣言が解除されて人の動きが戻ってきて、東京なんかではまた感染が増えてきているようにも見える、これ、どこだったろうか、学校ではこんなことまでやっているようだが、ここまでしなければならなくなってきているのだろうか。でもこういったこと本当に効果があるのだろうか。

 午前中、横澤さんご入来、東京と阿蘇の二拠点居住で寒くなるまで阿蘇滞在中だ。普段は日本画を描いておいでだ、だから、横澤画伯になるのだろう、朝から晩まで絵を描いておいでのようだが、人と話す機会が少ないようで、話好きの彼女として誰かいないものかと、小生に話し相手になれと訪ねておいでになった。共通の話題がたくさんあるので、話題には困らない。
 
 ずっと私設の気象観測装置の風速計が故障していたが、今日、部品が届いたので早速とりつけて順調に動いている。どこか故障したのか、だいたいあたりを付けていたが、故障していたのはやはり風速計のユニットで、本体の基板のほうではなかった。
 
 壊れた風速計、よくみると、マグネットが二つあって、回転するたびにマグネットが交差して、電磁誘導でパルスが発生してICでそれを拾うのだろう、だから、その部分を分解すれば、たぶんマグネットにつながっている線のどちらかが断線しているのだろうと思うのだが、どうしても分解ができない、そとから見ると結構錆びているのでたぶん断線しているのだろうと思う。
 
 ユニットを止めてある六角ボルトのネジ穴は、0.05”(1.27mm)だが、ボルトの目が詰まっていてどうしても六角レンチが穴に入らない。仕方がないのでユニットを取り寄せようと思って調べたら、だいたいどこでも30,000円以上する、30,000円以上もするのか、これではちょっとなあ、と思っていたところにAmazonで20,881円で売っているのを発見、これくらいなら、まあ許容範囲かと思って注文してあったものが今日アメリカから届いたので早速、取り付けた。うん、これで風速が観測できる。

 晩飯、水餃子



令和 2年 6月24日(水)

 晴れ、今日も真夏日だったようだが、空気が冷たいので木陰や室内にいる限りは全く暑さを感じなかった、今はまだ梅雨の真っ最中だったことを忘れるほどの天気が続いたが、明日からまたしばらく梅雨空に戻るようだ。
    最低気温 17.9℃ (05:40)、最高気温 30.0℃ (14:53)

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10)    

 外で何か汗をかくことをしないと、怠惰な生活を送っているのではと自分で勝手に思い込んでいる部分があるが、何も無意味に一日を過ごすのでなけれが、家で本を読んで過ごそうが、PC作業をして過ごそうが道楽をして過ごそうが全く問題は無いわけで、そういった生活ができることをありがたいと思っていればいいのだ。それでもそうしている間に敷地内はどんどん草に覆われていっているのは間違いのないところで、まあ、それは、それでなんとかなるだろう。

 スマホのアップデート、いろいろデリケートな問題を含んでいて、一気にできない面があって、少しずつ頭のなかを整理しつつ進めている。

 太郎、水泳教室
 
 水泳教室のある水曜日はカレーの日である


令和 2年 6月23日(火)

 晴れ。真夏日になったようだが、空気が冷たいので全く実感は無かった。
     最低気温 17.1℃ (05:16)、最高気温 30.8℃ (15:06)

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 本の返却と借り出し。
 
 いろいろやったが日記に書くほどのことはなかった、とにかく時間が三倍くらいの速さで過ぎていく・・・・

 晩飯、豚肉のムニエル


令和 2年 6月22日(月)

 晴れ。気持ちのいい爽やかな一日だった。気温も結構上がったようだが、湿度が低く風も吹いていたので涼しかった。
     最低気温 14.5℃ (04:55)、最高気温 28.7℃ (15:17)

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 また草が勢いを増して、そのうえ、孟宗とは違う竹の季節で、その竹がワッと生えてきて今なら刈払機や枝切り鋏で切れるからと思いつつそのうちに手遅れになりそうだ。

 外作業をする意欲がわかず、本を読んだり、PC作業をしたり。

 晩飯、ひき肉と玉ねぎのオムレツ。


令和 2年 6月21日(日夏至、部分日食

日の出の時刻: 5:06
日  没の時刻:19:24(外輪に沈むので10分ほど早い)
最低気温 14.7℃ (03:32)、最高気温 20.8℃ (16:35)

 太郎、テニスクール、自粛が解けて、母子して、途中光の森に寄って帰ってきた。

 今日もミツバチたちは花粉運びに余念が無かった。イメージ的には戦闘機が翼の両脇に燃料やミサイルを抱えて飛ぶ姿だが、実際は両方の後脚に花粉を付けて帰って来る。

 今日は夏至だったのだなあ。今年は武漢肺炎で四季の移ろいをしみじみ感じる余裕も無かった。今日太陽があまりみられなかったが日没のころには北回帰線に向かって沈んでいく(という表現はオカシイか、まあ、文学的に言うと、だ)太陽をとらえることができた

 それに今日は部分日食だった、太陽が西に傾き始める午後5時前ころが一番欠けている状態で、家のみんなが畑に出て、見えるよと叫んでいたので、小生も出てみた。子供たちが昔の遮光ガラスを見つけ出してきて覗いていた、うまい具合に太陽が出ていて下のほうが欠けている太陽を見ることができた。遮光ガラスを借りてカメラの前に翳して写真を撮ることができた。
 
 日食と言えば夏子が小学校の何年生の時だったろう、太郎はまだ生まれていなかったなあ、と思いながら日記を調べてみたところ、平成24(2012)年5月21日(月)の日記にあった、夏子が(多分)四年生で、太郎はもう生まれていてその前の月に保育園の一歳児に進級していた。オマケにこの日は小生の誕生日、しかも「古稀」だったのだ、校庭で日食を奇跡的に見ることができたこと以外全く記憶に残っていなかった。人の記憶なんて、自然に消えていけば良いのだと、最近はそう思うようになってきているが、それでもこうやって、過去の出来事を思い出すことができるので日記もいいものだと思っている。
 
 さらにその前の日食、皆既日食に近かった、平成21(2009)年7月22日(水)夏子一年生、この日の日記も懐かしい、今日こどもたちが持っていた遮光ガラスはこの時にもらったものだ。この時の日食のほうが印象深い。この日、圓通寺の静之老師が入寂された。 

 小生が使っているスマホはDocomo仕様のXperia Z3というカミさんのお下がり、Android 5.0.2だ、それでも今までは小生が使うアプリではどれもこれも全部動いていたので全く不便はなかった、ところが、こんど武漢肺炎の接触確認アプリが出て、これが Android 6以上でないと動かないという。無ければ無くてもいいのだが、これは今後の二波三波の感染があるようだったら、やはりあったほうがいい、それに、動かないとなると、どうしても動かしたくなる。
 
 そこで調べてみた。このスマホはAndroid 6のモデルもある、と言うのは、Docomoでアップデートサービスをしたからである、ところがそのサービスの期限が一年ほど前に終わってしまっていて、もうアップデートは出来なくなっている。
 
 ネット検索で調べても大方の記事がそのようである、そのなかで一つだけ、アップデートサービスは終わったけど、Android 6にする方法があるという記事が見つかった https://rabbitprogram.com/archives/1690 、非常に懇切丁寧に説明があるが、それでも、この手の作業の経験がほとんどないので非常にハードルが高そうであるが、挑戦することにして少しずつ作業を開始した。
 
 開始早々早速障害にぶち当たって、質問を投稿したところすぐにご返事をいただいた。その部分はクリアできたが、何よりも、我が家のネット回線はADSLのために、回線が遅くて、大きなファイルのダウンロードに何時間もかかる、それにファイルの数も一つや二つではない、まあ、うまくいくかどうか、である、以前スマホのroot化には挑戦したことがあるが、OSをそっくり焼き直すことはやったことが無い。
 
 スマホのシステムに入り込んでもし失敗したら、ニッチもサッチもいかなくかる、こうした状態を「文鎮化」という、書類の重し以外にしか使い道が無くなるという意味である、もっとも、その場合でも回復方法はあるそうだが、できればそうならないようにしなければなるまい。昔なら、それだけでビビッてしまうところだが、何度もPCの回復作業をしてきたので、スマホと言っても元はLinuxだ、物理的に壊れたのでなければ最近はそんなに恐れることもあまり無くなった。


令和 2年 6月20日(土)

 晴れ。湿度が高くカラリという天気ではなかった。それでも空気は澄んでいたから、外輪を登っていく列車がよく見えた。
 (写真1写真2
 
     最低気温 14.6℃ (04:54)、最高気温 23.9℃ (15:55)

 今日は土曜授業の日で登校日だった。
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 昨日の雨で増水していた黒川はもういつもの流れに戻っていた。流れと言っても普段は殆ど水無し川で、ちょっと降ると、一気に流れが増えて、やむとすぐに減る、黒川ももう少し下流に行くとそうでも無いが、このあたりではそんな川だ、この黒川は外輪が切れるあたりで南阿蘇から来た白川と合流して、白川として熊本市を経て有明海に注いでいる。(写真1写真2
 
 二ホンミツバチ、今日は二つのウトとも、七割方のハチが花粉を運んでいた。(写真1写真2


令和 2年 6月19日(金)

 最低気温 18.9℃ (但し18:36現在)、最高気温 23.7℃ (00:08)
 本日の雨量 114.0 mm
 連続雨量(昨日から)161.8 mm
 一番強い雨 55.6 mm/hr (04:38)
 最低気圧 994.1 hPa (02:59)

 雨雲 午前4時過ぎ
 雨雲 午前6時前
 雨雲 午前10時過ぎ

 梅雨前線上に発生した低気圧(なんてものがあるのだ)のために、昨夜の予報通りに大雨になった。気圧計も994.1 hPaまで下がっていた。昨夜時点の雲の様子ではもう降らないと思っていたが、さすがに気象庁の予報技術は的確だったようだ。それにしても、低気圧が通過中なのに風が無かった(風速計故障中)、これがまた不思議だ。

 大雨警報と洪水警報がJアラートまで使って放送があったので、今日は太郎は歩かせるのはやめて学校まで送っていった(写真1写真2)。途中の川の水はかなり増水して濁流となって流れていた。(写真1写真2
 
 その雨も午前中には上がって、雨雲の塊は南下してしった、ただ、曇ら晴れることはなく終日ぐずついた天気だった。。

 武漢肺炎接触確認アプリがリリースされた、アプリ名はCOCOAと言うらしい。個人情報などは分からない仕組みになっているという、万一の場合、電話番号も特定しなくてどうして、接触者に連絡をとるのだろうか、MACアドレスを追いかけるのだろうか。調べたらどこかにその理屈が載っていると思うが面倒くさい、ワサモンとしては早速アプリをインストールしようかと思ったら対応しているのはandoroid 6 以上だと、小生のバージョンは 5だ、小生の場合、家族以外に長時間接触する機会は無いので無くても別に構わないが、できるだけ幅広い利用を目指しているのだろう、もっとそのあたりを考えろよ、なんとなく面白くねえ。

 晩飯、酢豚


令和 2年 6月18日(木)

 雨。朝からずっと夕方まで、雨雲は九州北部から東に延びていて、ここには殆ど雲はかからなかったが、それでも雨と風が強かった。このまま雨雲はかからないのではと思っていたら、防災無線で明未明に大雨が降るから気を付けるようにという放送があったが、本当に降るのだろうか。
     最低気温  17.8℃ (05:42)、最高気温 24.8℃ (14:24)
     本日の雨量 40.1 mm (19:00現在)

 定点撮影
 今日は予報でも降るぞ降るぞと言っていて事実風雨がちょっとあったので、徒歩通学は太郎だけだった、橋のところまで乗っていくかと訊いたところ、歩くからいいと言って歩いて登校していった。
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5

 晩飯、麻婆豆腐、エビチリ、オカラサラダ、中華スープ、スイカ


令和 2年 6月17日(水)

 晴れ。この天気もどうやら今日までで明日からまた雨が戻ってきそうである。
     最低気温 18.0℃ (04:07)、最高気温 26.6℃ (13:30)

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 ハチウトの内検をする。 一号基  二号基  どちらがどちらだったか分からなくなってきた。
 
 内牧の図書館にシリーズ物の返却とその続きの借り出しに行ってきた。近くの図書館と会員カードは共通だからどちらに行ってもいいのだが、たまたま内牧の図書館で借りた本の借り出しと返却が続いている。返す場合は借りた図書館でなくてもどちらでもいいし、借りる場合もこちらの図書館にない場合は取り寄せてくれるのだが、行ったほうが早いから今回は直接行っている。

 気象観測装置の風向・風速計のユニットを外してきた。このユニットの中には回転数をカウントする部品は内蔵されていないと思う。たぶん、カップが回転するたびに、電流をオンオフする接点があって、それによって断続する電流(か電圧)がモジュラーコードを経て観測装置の本体に届いて、回転数をカウントするようになっているだろう。だから、ひとつはこの風向風速計のユニットを分解して接点部分を診る、あと一つは本体の基盤を開いて(この作業自体が大仕事だが)、回転数をカウントする半導体だろうをチェックする、この二つの方になるのだろう。ユニットのほうを分解するのは、失敗したとしてもユニットだけの損傷で済むが、、本体の基盤を下手に触ると、ほかの観測データを司る部分まで壊す可能性がある。
 とりあえずはユニットの分解だろうか。こういった電気製品の故障は、半導体やICの故障よりも、メカ、機械分の故障のほうの確立のほうが高いと思う。スイッチのオン・オフや休むことなく回転し続ける機械的に負荷のかかる部分がどうしても劣化するのだろうと思う。
 この観測装置は新品を買うと200k以上もする高価なものだ、小生は、これを確か昔オークションで中古だが、驚くほどの安値で入手したのだったと思う、だから、風向風速計が壊れていたとしてこのユニットだけを買うとしても数万円もするのだ、とてもではないが買えない、まずは分解するところから始めようか。。

 食堂の片隅の空いたところに適当に置いてあったラジオを棚を作って載せた

 水曜日は太郎の水泳教室、この日はカレーの日。週一のカレーも飽きる気もするが、作ると皆美味しいと言って食べている。それに、地物のトマトが美味しい季節になってきた、トマトが赤くなると医者が青くなる、と子供たちによく言って聞かせている。


令和 2年 6月16日(火)

 今日も梅雨前線は南のほうに下がって熊本は晴れで暑かった。
     最低気温 17.3℃ (04:50)、最高気温 28.1℃ (16:22)

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10)     

 また炊事場の排水管が詰まって、シンクの継ぎ目から流れきれなかった排水が漏れ出してきたので、排水管の清掃をした。脂分が固まて出口付近が詰まる。ちょうど血管にコレステロールが溜まるのと同じようなものだろう。炊事場の排水パイプが排水の本管につながる場所が狭くてなかなかブラシを入れることができず、いつも苦労させられる。

 風速計が故障しているので、とりあえず、風速風向計のユニットを取り外して、線の接続不良かもしれないと、数メートルあるモジュラーコードの途中、何か所かちょっと怪しいところもあり、もともとそんなに長いコードを必要てしていないので、かなり短くしてモジュラージャックを付けて接続しなおしたが改善しない、風向計は生きているようなので風速計の回転を数値に変える部分の部品が壊れたのだろうか、防水仕様で開くのが大変で開いたところで小生に分かるかどうか分からないので、どうしたものか。無ければ無くてもいいものなのだろうが、下手に今まであったので、無いとなるとなんとなく心細くなる。
 
飯、豚肉のみそ漬け、冷ややっこ、だし巻き卵、コールスロー、トマト、ナスと玉ねぎ味噌汁



令和 2年 6月15日(月)

 梅雨の中休み、今日は晴れだった。
    最低気温 19.7℃ (19:51時点)、最高気温 23.5℃ (10:57)
    本時の雨量    12.7 mm
    連続雨量    200.4 mm(この5日間)

 熊本市の高野病院に、大腸癌手術後の定期検診に行く、今日は内視鏡による胃と全腸検査を受けた。確か2年位前に一度やっている。
 今日は午前7時前には病院に着いて、受付番号が1番だった。受付でオデコにかざす体温計で検温をして、アルコールで手の消毒をした、マスクはあるかと訊かれたので、無い、と答えたら、そではこれをどうぞと言って一枚くれた。
 
 胃の場合は数時間飲み食いしなければ空っぽになるが、腸はちょうはいかない。結局強制的に上から下まで腸の中に溜まっている便や便になる前の消化物を排出する。そのために、2リットルもの下剤とほぼ同量の水をコップに分けて、5分ごとに交互に飲んでいると、そのうちに腹の中がグルグル言ってきて、何度もトイレに通って、それを排せつする、そのうちに、排せつ物は透明に近い液体になる、そうなって初めて内視鏡検査が始まる。のである。
 
 ところが同じようにやっていても、この腹の中が空っぽになるのに個人差があって、割合すぐに準備完了になる人もいれば、なかなかならない者もいる、そのなかなかならない者が小生で、標準では2リットルの下剤のうち0.5リットルは予備のためにとっておいて、だいたい1.5リットルで済むところ、小生は全部飲んでもまだ足りず、下剤のお代わりくださいと言ったら、これは飲んでいい量が決まっていてもうこれ以上は飲めませんとのこと、結局まあ、いいでしょうというレベルまで到達するのに他の人の倍くらいかかってしまった、小生の場合何時まで経っても排泄物に繊維状のカスが残っているである、これは一日二日程度消化に良いものを食べただけでは駄目のようで、看護婦さんから、今度検査を受ける場合は、数日間は柔らかいものを食べるようしたほうがいいですね、と言われた。
 しかし、今日は結果的には検査に支障がでるような残留物は無かったようである(写真を見ると所々に便が残っていた)。
 
 内視鏡センターには驚くほど大勢の人がやってきていて皆さん同じように下剤をのんではトイレの往復を繰り返していた。ほとんどの人は、大腸だけの検査で、胃と腸を全部一度にやるのは小生くらいだったろうか。
 
 前回も胃と腸の検査を一度にやったが、前回は鎮静剤で全く記憶が残っていなかったが、今回は同じ薬ですということだったが、先にやった胃の検査の記憶で静脈に睡眠薬を入れるところまでは記憶に残っていたが検査中の記憶は全くなかった、次に胃の検査が終わって、引き続き腸の検査に移ったころで睡眠薬(鎮静剤)の効力が切れて、内視鏡を肛門から入れて腸のなかを移動していることが分かって、しかもモニターが近くにあったのでずっと見ていた。

 検査の結果はもちろんどこにも全く問題は無かった。

 午後2時過ぎにようやく解放されて、帰る途中、浜勝で朝昼兼帯のトンカツを食べて帰ってきた。結構くたびれた一日だった。



令和 2年 6月14日(日)

 雨の一日、と言っても雨量は大したことない、ただ、風がとにかく強かった。午後から強い雨の予報が出ていたが、そんなことは無かった、九州には雨雲はかかっていない
     最低気温 25.4℃ (12:18)、最高気温 23.5℃ (04:34)昨日から気温の変化がほとんど無い。
     本日雨量 22.9 mm (18:00現在)
     連続雨量 175.3 mm (この4日間累計)
     風速計が故障中

 太郎、テニススクール、先週同様にとんぼ返りで行ってきた。
 
 午後二時を過ぎたころ、停電があった、それも短時間、点いては消えての繰り返しが数度、それで終わったかと思ったら2時間くらいしてま停電、風が強かったから、木の枝でも電線に触れてのだろうか、それでも台風ほどでははないのだからちゃんと管理をしろ、何度システムの起ち上げを繰り返したことか

 明日は二年ぶりくらいだろうか、消化器の胃から始まって上から下まで全腸の内視鏡検査を受けることになっていて、今日の昼食から消化に良い検査食と呼ばれるレトルト食品を食べている。明日は大量の下剤を飲んで腸内を空っぽにしてから検査を受けるのだ、全く問題は無いと思っているが。



令和 2年 6月13日(土)

 梅雨前線は少し北のほうに上がっていて、ここはレーダーを見る限りそんなでもないのに、良く降った。
     (写真1写真2
     最低気温 23.5℃ (11:21)、最高気温 24.5℃ (00:43)
     本日の雨量 52.8 mm(19:30現在 なお降り続いている)
     風向・風速計 故障中

 夏子は朝から夕方までみっちりと模擬試験があり登校した。

 午後3時過ぎになって、阿蘇市に大雨警報が出された、今まで警報が出されると自動的に自主避難所が開設されていたと思ったが、今日はその放送が無かった、どうも「必ず」ということでもないようだ。
 
 と思っていたら、少し間をおいて、今年から新設された、生活防災課 政策防災課という名前で自主避難所開設の放送があった、ただ、今までと違うのは、武漢ウイルスの感染防止のために、可能な限り、親戚など自分で避難場所を確保するようにと言う注意も併せて放送された。今年は自然災害からの避難と同時に避難所では「しゅうきんぺい」防止に注意をしなければならないので、市の防災担当部署も大変だろう。
 
 当市には各地区各村内に向けた屋外の塔に設置してある大きなスピーカーからの放送、各戸に設置してある従来からの防災無線、それから光回線につながったお知らせ端末からそれぞれ放送があるので、警報が出させると一気に賑やかになる。それに今日は「エリアメール」まで入った。このエリアメールのファ・ド・ファ・ラ・ドという警報音は最近近場で大きな地震もないし、ずいぶんと久しぶりに聞くような気がする、熊本地震以来ではないだろうか。それからスマホのいろいろニュースアプリに付属の天気情報なんかからも続々とメールが入って来る。明るい時間帯でよかった、これが深夜にでも鳴ったら叩き起こされるところだった。気象庁が警報を出すと、市としては避難所を開設しなければならず、今日の大雨警報、ちょっと大袈裟な気もするが。



令和 2年 6月12日(金)

 昨日の大荒れが嘘のように、とまではいかないが、梅雨に入ったとたんに中休みか、というくらい日中は雨の心配は全くなかった、空も明るかったが、それも5時ころになって、また雨が降り始めた。今朝、太郎に今日は傘は要らないぞと言っあったが、太郎が学校が終わってまっすぐ帰ってくればセーフだったのに、寄り道はしないがゆっくり道草をしながら帰ってきたのでちょっと降られたと言っていた。
     最低気温 21.6℃ (01:46)、最高気温 25.4℃ (14:19)
     風速計は故障中

 太郎の下校時間と言えば、先日風雨が強くて学校からのメールで、児童の下校時間についての連絡があった際、太郎が予定時間よりも一時間ほど遅く帰ってきたので、どうしたんだと尋ねたら、別に普通に帰ってきたよ、と言う。だって1年から3年までは3時半ころの終わりだったろう?と言うと、お父さん、ボク4年生バイ。えっ?オマエ4年生か?3年生とばかり思っていたぞ。ということがあった、理詰めで追っていったら確かに4年生だということがわかるかもしれないが、頭のおなかではてっきり3年生とばかり思っていた、今回ようやく4年生だということがハッキリした、そうか4年生なんだ。混乱の原因の一つに武漢ウイルス騒動でロクに学校も無く、進級に関するメリハリが無かったせいもあるのだろう。
 
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 
 歯の治療に行く、急にどうという症状ではないのだが、加齢によって歯のかみ合わせが少しずつ狂ってくるようで、このままの状態だと歯に負担がかかりすぎるからと、上の前歯付近を少し削ってもらった、本人は全くその自覚は無いのだが、どうもそうらしい。それから、下の右のほうの歯の付け根付近、歯茎との境界部分が少し削れているので、そこも埋めてもらった。
 
 小生は歯科医院では、従来、治療中は、目をつむって見ないようにしてきたが、皆が皆そうなんだろうか、特に、何もしていないのに様子が分からずにずっと口を開けたままでいることがあり、なかには口を閉じていいですよとその度に声をかけてくれる歯科衛生士さんもいるが、そういうこと言わない衛生士さんもいるので、そうか別に治療中、目を閉じていなければならないこともないんだろうなと、最近になって気が付いて目を開けたままでいる。
 
 そうすると、若い歯科衛生士さんが小生に覆いかぶさるようにしてわずか数センチほどの至近距離で顔と顔が逆方向で向かい合う形になる、なんとも胸が時めくではないか、明るいなかで若い男女が(いや男のほうは若くなかった)このように顔と顔を近づけるといったシチュエーションは歯科医院でしか起こりえないだろうなと思うが、さすがに相手の目を見る勇気までは無い。
 
 で、今日の歯の欠けた部分を埋める治療、見ていたらグルーガンで使う接着剤のようなもので埋めて、そのあとを紫外線をあてて固まらせていた、最近youtubeの動画の中のCMでそういった接着剤があるのを知ったが、歯の治療でそれをやっているのだと初めて知った。これも目を開けていたからわかったことだ。

 ネットショップで国旗を注文しておいた。歴戦の証として連隊旗や応援団旗で焼けたり破れたりで半分くらいになっているものを見ることがあるが、日々掲揚する国旗としてはやはりちゃんとしたものでなければならないだろう、大体二年くらいで買い換えているだろうか、小生としては旭日旗も揚げたいところなんだが。

 「サーバ増やすとかじゃなくて時代はクラウドなんですよ!」・・・お空に何か浮かんでいるのだろうか、これには思わず笑ってしまう。人呼んで、クラウドレンポーと言うらしい。

 晩飯、昨日のカレーで、カツカレーにした。カツカレーにするときは、トッピングするトンカツはいつも揚げるが、今日は冷凍食品で、チンするだけでいいというトンカツが売っていたので、試しにそれを使ってみた。
 台所を預かっていることで気が付いたことがある。最近は冷凍技術が進んで実にバラエティーに富んだ調理済みの食品が並んでいる、フライものなんかいろいろな種類のものがあって、味も決して悪くない、ところがフライものは種類が多いが、天ぷらの冷凍食品と言うのは殆どない、これはどうしてなんだろうか、似たようなものだと思うが天ぷらは冷凍加工がしにくいのだろうか。


令和 2年 6月11日(木)

 九州北部も関東地方なんかと一緒に今日梅雨入りをした。朝から結構強い雨と風だった、 日中もずっと降っていた、夕方近くになって、前線は一旦南に下がったようだが、この付近だけ雨雲が残っている
     最低気温  21.9℃ (05:15)、最高気温 23.4℃ (07:58)
     本日の雨量 58.7 mm (18:11現在)
     ム!風速計が壊れているなあ、まったく計測していない。
 風が強かった、太郎がプランターで育てていたミニトマトの支柱が倒れたと言ってた。国旗を降ろすのを忘れていて、強風で旗が半分に千切れていた

 西からゆっくり移動してきた雨雲が朝になって阿蘇にかかり始めて子供たちが登校する時間帯には結構横殴りの雨が降っていた。本日の徒歩通学は太郎だけかなと思っていたら、坂梨からの合流点までやってきた車から降りた二人が歩いてやってきた。こんな雨の中、誰も来ないのに太郎君のお父さんが立っているから、ここから歩いてあげなさいとお母さんに言われてのサービスだったのだろうか、それとも、あとは歩いて行ってもこの先、小生が立っているので安全は確保できると思ってお母さんがそこで降ろしたのだろうか、と小生は勝手に解釈しているのであるが、H乃ちゃん、U太くんの姉弟だった。
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3

 寺さんのZoomのテストの相手をする、今日は、バーチャル背景と言って、背景に任意の画像を置いて、あたかもそこいるかのように演出することができるというものである。実際には室内にいたのだが、庭にいるように見えた、背景と人物の境界が合成しているのが分からないほど自然である、ウーンなるほど。

 晩飯、カレー。いつもだとプール教室がある水曜日の昨日がカレーの日だったが、昨日はカミさんが早く帰ってきたので、小生、賄い方はしなかった、昨日の予定が今日になった。


令和 2年 6月10日(水)

 中国・近畿・東海地方が梅雨入りした、去年もそうだったが、また九州北部はスルーだ。天気とは分からないものだ、朝の内には九州の真ん中付近を梅雨前線が横たわっていたにもかかわらずに、まるで梅雨明けのような気持ち良く爽やかに空は晴れあがっていた。空気もヒンヤリと気持ちがよかった、ここも記録によると気温が高かったが、空気が乾燥しているせいか家にいると吹き込む風が肌寒く感じるほどだった。ここの梅雨入りは明日あたりだろうか。
   最低気温 19.1℃ (03:56)、最高気温 28.6℃ (14:46)

 今日の風景 (写真1写真2
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 緊急時のこどもの引き取り訓練が小中学校で行われた、地震や水害や噴火などを想定して急遽こどもたちを下校させる事態になった時に保護者が車で引き取りに行く訓練である、一度に迎えが集中しないように、交通渋滞を起こさないように、地区ごとに学校にどう迎えに行ってどう退出するかの訓練である、一年に一回くらい実施している、カミさんが午後から休みを取って訓練に参加した。つまりこどもたちは普段は歩いて下校するのだが、今日は迎えに来た保護者の車に乗って帰ったということである。 

 今回の武漢ウイルスで政府が全国の各世帯に配ったマスクが今日我が家にも届いた、なかなか立派なマスクではないか、大事に使わせてもらおう。(写真1写真2

 カミさん、昨日、仕事から帰ってきて、カライモの苗を植えていた。日本列島は南北に長いので、今の時期、このあたりでは午後7半くらいまで明るい。そろそろ明日(今日)あたりから梅雨に入りそうなので、今日(昨日)が農作業の最後のチャンスになるだろうと夕食前に畝を立ててマルチをかぶせて、芋の苗を植えていた。植えるだけ植えて、後は野となれ、がいつものパターンだが。

 小生の作業小屋、古い下屋に増築する形で軒を出して面積を増やしたのだが、以前からあった部分の屋根が劣化でヒビだらけで、雨が降ると室内にかなり漏っていた、いよいよ梅雨到来を前に、まだ降ってからではないので、泥縄の一歩手前だが、今日、有り合わせの波板二三枚集めて補修をしておいた

 太郎、水泳教室


令和 2年 6月 9日(火)

 晴れ。ラジオでは、今日も熊本は暑いですね、という会話が交わされていたが、ここは風が冷たくて半袖半ズボン姿で窓を開けておくとちょっと肌寒く感じて窓を閉めたほどだった。先日、阿蘇も熊本市とほとんど変わらないほど暑かったが、今日は熊本市の最高気温は32.4℃だったのに対して、ここ豆札は25.9℃だった、温度差実に6℃以上もあった、ここは熊本市よりはいつも3~4℃違うが、これほどの温度差も珍しい。この快適さが阿蘇である、今日は全国各地でも暑い日だったようだ。
大分雲が出てき始めている、今夜遅くになって雨が降り始めて、明日には梅雨入りをするのではないだろうか。
     最低気温 18.1℃ (00:48)、最高気温 25.9℃ (15:21)

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10
 
 昨日ハチウト内検をして書き忘れていた。一号基 二号基
 二号基、巣蓋が二三個落ちていた・・なんだろう、雄バチか?分蜂の準備か?巣はまだそれほど大きくもなくそれは無いと思うが。

 表の道路わきの草を刈っておいた、ここは県道で本来は我が家の守備範囲ではないが、まあサービスだ。
 草を刈っていると、所どころ小さな島のようにクローバーが生えている、これは全く邪魔では無いし、できれば、これで覆われてくれるといいと思っているので、クローバーは刈らないようにしている。
 
 草を刈っていると、近くにいつものキジがいた、体が重いからパッとは飛び立てないのだろう、とっとことっとく歩いて少し距離を作って逃げようとしない、ここがこのキジの縄張りで、山から飛んできてここで餌でも探しているのだろうか。

 ナフコにボンの餌を買いに行って、入り口のところにマスクをしていないやつは入るなと書いてあった、今までもあったのだろうかと思ったが、上のほうに北九州で感染拡大がみられるからと書いてあったので、たぶん新しく書かれたのだろう、小生、入らずに、すぐ入り口のところにある、レジに向かって、入っちゃいけん?と訊いたら、絶対ダメということはありませんが、マスクをお持ちでしたらしてください、という返事、持ってないのでいい?と言ったら雰囲気的にはあまり歓迎はされていないようだったが構わないという、、別の店に行ってもよかったのだが、すぐ終わるからと言ってパッと入ってパッとレジを済ませて出てきた。
 今日は急いでいたのでここで済ませたがこんどからほかの店にいくことにする。
 そのあとで内牧の図書館に行ったが、出るときに見ると玄関のところに、ここにもマスクを着用のこととあった。特に何も言われなかったが、これは前からそうだったのだろう、今ころになってだんだん外出がしにくくなってきた感じだ。

 晩飯、豚大根、だし巻き卵、豆腐とネギ味噌汁、コールスロー(二三日分作り置きして冷蔵庫に保存してある)


令和 2年 6月 8日(月)

 晴れ。今日も気温が上がる、福岡県や佐賀県では35℃以上の猛暑日のところもあったそうだ。
     最低気温 15.8℃ (05:07)、最高気温 30.0℃ (14:04)

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 カミさんが買ってきたのか貰ってきたのか、カライモの苗を植えたいからどこか耕してくれと言っていたが、自分で耕して植えなきゃ意味が無いだろうと放っておいたが、結局下準備をしてやらなければならなくなって、ずいぶん久しぶりにトラクターを動かして軽く一畝分くらい耕しておいた。どうせ植えるだけ植えて、あとは知らんぷり、雑草に埋まるのは分かっている、いつものことだ。
 (写真1写真2
 今日耕したところは、レンゲソウを植えた場所で、種が熟すまで放ってあるが、この後をどうするか、このまま鋤き込むと茎が長くなっていてローラーに巻き込むそうで、順序としては刈払機で刈り取って、それをムシロの上などで叩いて種を取るそうだが、そこまでやるのは面倒なので、刈払機で刈ってそのまま放置しておくと茎なんかは腐ってそのうちに種だけが土に埋もれて来年までそのままの状態で眠ってくれるのではと思うがどうだろうか。普通はレンゲは脇役だが、我が家では主役なので、他の野菜などを植えることもないので、たぶんそれでいいと思うのだが。 

 晩飯。味のフライ、冷ややっこ、オカラサラダ、サトイモと大根の味噌汁。今やアジは高級魚だ。
 
 
 〇
令和 2年 6月 7日(日)

 晴れ
  最低気温 17.7℃ (05:09)、最高気温 31.2℃ (15:32)

 太郎、母親と、武漢ウイルス騒動で、ずっと休みになっていた、テニススクールに久しぶりに出かけた。いつもだと帰りには、あちらにフラフラこちらにフラフラ寄り道をして帰って来るが、今の時期、真っすぐ行って昼前に何処にもよらず真っすぐ帰ってきた。

 山下OMが通りすがりに立ち寄られて、別に「しゅうきんぺい」防止ということではないが、外のほうが気持ちがいいので、玄関先に椅子を置いてしばらく歓談する、相変わらずお元気だ、小生よりちょうど10年の先輩になられる。

 All's right with the world!


令和 2年 6月 6日(土)

 今日も鹿児島宮崎付近では雨が降っていたようだが、ここは降らなかった、ただ、終日曇っていて太陽を見ることが無かった。昨日に比べたらかなり気温が下がったが、下がったと言っても、真冬の気温差ほどの体感は無かった。
    最低気温 20.3℃ (02:24)、最高気温 25.1℃ (13:27)

 ずいぶん久しぶりにスズメが煙突を通ってストーブの中に落ちてきた、今の時期、巣作りの季節なのか、世間知らずの小雀が飛び回る季節なのか、うっかり者のスズメが落ちてくるのだ、以前(数年前)は頻繁に落ちてきていたが、最近はスズメの数が減ったのか、落ちてくる来ることが少なくなっていた。スズメはそこが奈落の底だとは知らないで穴があるからちょっとのつもりで入ったのだろうが真っ逆さまに(かどうかは分からないが)ストーブまで落ちてくる。
 
 これを捕まえて外に出してやるのだが、ここに住み始めたころは、スズメの習性がわからずに、外に出すのが大ごとだった。ストーブの扉を開けてみていると、スズメは一直線に上のほうに向かって飛んで行って、二階の何か所かある窓ガラスの一つにぶつかってはまた別の窓に移動する、それを追い回して、ようやく窓際で立ち往生しているスズメを撮っ捕まえて外に放してやっていた。時間はかかるし糞を散らかすしで大変だった。
 
 今は、一階も二階もカーテンを閉めて薄暗くして、ストーブの近くの窓だけ開けておくと、ストーブを飛び出したスズメはまっすぐにその明るい窓を目指してあっという間に外に飛んで行ってくれる。

 最近は特別に料金を払って好きな自動車のナンバーが取れるようになっているが、その人気のあるナンバーについての記事が目に留まった。そのなかに「599」があるというのでちょっと驚いた、小生は特にそういった趣味ははいないが、もしつけるとすれば、599でもつけるかなと思っていたのだが、記事を読んでみると、小生の思っていた599と人気があるその599は別の理由だった。人気のある599は東京ローカルでの人気だった、ここで言うならは、阿蘇高岳の標高の1592なんかがそうだろう、この数字は肥後の国とも読めるのだ。
 
 因みに小生が考えていた599は無線電信のRSTコードである、電信音の了解度や強さや音調の一番いい状態をを示す数字だ、ローカルのOM局も無線に関連する「73・88」を付けておいでだ。小生が考えているもうひとつのナンバーは「2718」(鮒一鉢)である。

 今日も本を読んで過ごした。我が家の連中もずっと家にいた、外に出る習慣が無くなったようだ。

 拉致問題が一向に解決向かわない原因のひとつに日本の国論が一本にまとまらないことにあると思う。モリやカケやマージャンであれほど騒ぐ野党やマスコミが拉致問題には殆ど関心を示してこなかった、尖閣諸島も竹島も、チベットもウイグルも、根っこのところでは全部つながっている、敵はそのことをちゃんと知っている。 


令和 2年 6月 5日(金)

 晴れ(逆さ涅槃像?)
梅雨前線が上がってこない、今日が九州北部の梅雨入りの平年日だったらしいが、どうも来週の木曜日あたりだろう、ということだった。今日の阿蘇地方の気温、6月の観測史上最高だったそうだ、いつもは数度は違う熊本市とほぼ同じ気温だった。それにしては暑いという実感は無かった。昨今の日本人、すぐに熱中症で倒れて大騒動になる、そこでここ高地の阿蘇地方でも今年から小中学校に冷房装置が導入された、そして早速今日エアコンのスイッチが入ったそうで、太郎たちの教室、ワーッという歓声が上がったそうだ。
    最低気温 16.5℃ (05:16)、最高気温 32.2℃ (14:52)

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 昨日の朝、小生が毎朝立っている通学路の旗振りの場を太郎が通過しなかった。実際には通過したのだが、何かの拍子で小生は気が付かなかったらしい。必ず全員の通過を見ているつもりだったがどうも見落としたらしい(写真にも写っていなかった)。というのも、太郎はいつも一番遅くやってくることが多いので、昨日もそれが念頭にあって、最終グループが通過するころから気にかけていたのだがやってこなかった。おかしいなと思って家に帰って確認したところ、今日はいつもより早く出たわよ、とのこと、そうか、小生が見落としたのか、しかし、通ったらわかるはずだがと気になって仕方がなかった。もし、無届けで学校に来ていないということであれば、必ず学校から問い合わせがあると思うのだが、事故というものはいろいろな偶然が重なって起きるもので、なにかの都合で先生が電話をしなかった、できなかった、ということもその偶然の中にはありうることだ。それで、夕方になって帰宅する時間になっても帰ってこなかったことではじめて学校に行っていなかったことがわかる。つまり、家を出てから学校が退ける間の数時間が空白になり、その間にどこかで何か事故でもあっても家では分からないということだ。

 太郎が歩く途中、通学路の縁から二三メートル落ち込んで田んぼがあって、よそ見などをして踏み外して側溝に落ちたりすると、そこは歩くなり車で通ってもそのつもりで覗き込まない限り全く見えない場所で、田植えも終わっていて、田のほうから道路の石垣の下のほうを見る人も居ないところで、万一そこに落ちて動けなくなっていても誰も気が付かない場所になる。
 
 それが気になって、とうとう、昼頃、その付近まで行って、道路下を確認したが、もちろん異常は無かった。結局小生の「取り越し苦労」だったわけだが、夜、太郎にお父さんの前を通過するときには必ず「行ってきます!」と声をかけるようにと言っておいた。
 
 蛇足、「取り越し苦労」という言葉は浄土真宗の末寺や信徒が、親鸞命日に本山で行われる報恩講と重ならないように、一月繰り上げて行う報恩講の「御取越」が語源だそうだ。

 今週は中華料理の三連荘(八宝菜、酢豚)、そして今晩、チンジャオロース、春雨サラダ、コールスロー、中華スープ。

 横田めぐみさんの父上の横田滋さんが亡くなったというニュースが入ってきた、さぞかしご無念であったろう。

令和 2年 6月 4日(木)

 晴れ時々曇り。梅雨前線が熊本までは上ってこないので今日も晴れた、気温も上がった。
      最低気温 18.7℃ (00:38)、最高気温 28.4℃ (15:09)

 午前7時13分から14分の間に、外輪を登る一両編成の下り列車がトンネルを出てまたすぐ次のトンネルへ入っていく。
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 午前中、1タンク分、草刈りをした。

 裏の畑にキジがいた、時々やってきては、けたたましい鳴き声を響かせる、どいう意図だろう、見つからないようにそっと動くのではないのは、縄張りを主張しているのだろうか。

 なんとなんと南阿蘇のご自宅から、”熊本城や海が見える!”これには驚いた、その昔、健磐龍命が外輪を蹴破ってできた立野の「火口瀬」が唯一カルデラが切れた場所だが、その方向が見える場所にご自宅がある。

 このお住いの主殿は、熊本地震でご夫婦で営んでおられたペンションが壊滅的な被害を受けて、数年を経てようやく、まさに不死鳥のごとく、この度ご自宅を再建された野木さんとおっしゃる。

 小生、いかにもよく識っている風に書いているが、以前、偶然に余生馬牧場「オープンセサミ」でボランティアで草刈りにおいでになった際に一度だけお会いしたことがあるだけであるが、その後、偶然氏のブログを見つけてそれからブログのファンになっている。

 最初に書いたが、そして何度でも書きたいが、外輪の上からならわかるが、ちょっと高台ではあるが、カルデラ内の自宅から熊本城や有明海が直接見えるというのは、最高のロケーションだと羨ましくて仕方がない、無線の電波もこちら方向にはよく飛ぶだろう、今日のブログを読んで、思わず幣日記に書いてしまった。https://plaza.rakuten.co.jp/asodiary/

 それで、ついでに、南阿蘇のインターネット回線について調べてみた、ここも阿蘇のテレワークセンターのサービスエリアなんだろうと思っていたら、なんとなんと、(あまりに意外な場合は小生はよくこのフレーズを使うのだが)、なんとなんと、南阿蘇村はNTTのフレッツ光のサービスエリアになっているではないか。

 言っては悪いが、昔は南郷谷は人も通わぬ南郷谷だった、阿蘇と言えば阿蘇谷が阿蘇だった、ところが今や阿蘇は南郷谷(南阿蘇)が阿蘇になってしまっている、観光でやって来る人も、南阿蘇が阿蘇だと思っている人が多い、今や南阿蘇は阿蘇の表玄関だ。南郷谷が栄えるのは大いに結構だが、こちら側は一体何しているのか、ますますネットインフラが重要になってきている時代、ここにはNTTの光回線も無いままなのか。と思いながら同じ南郷谷でも高森町はどうなんだろうと思って調べてみたら、実はここにもフレッツ光は入っていない、ここも町独自の光の会社を運営しているようだが、それでも当市よりは自由度がありそうだ。結局、阿蘇谷、南郷谷という区別でなくて、熊本市から近いかどうかで、フレッツ光が来ているか来ていないかの差なんだろう。おい!NTT!電話加入権、どうなっているんだ、我が家は二回線分の加入権持ってるぞ、加入権は一口8万円くらいしたと思ったがウヤムヤにするなよ。

 豊肥線の代替バスを運行しなかったり、フレッツ光が来ていなかったり、阿蘇市は「市」なんだろう、それだけの人口を抱えているのだろう、全国の市制を敷いている自治体でフレッツ光が来ていないところなんて他にあるのか?舐められているな、何故だろう。

 晩飯、酢豚、コールスロー、ホウレンソウ味噌汁。 


令和 2年 6月 3日(水)

 少し降った記録があるがいつ降ったろう、今日は曇り時々晴れだったようだが。梅雨入りしている鹿児島や宮崎はかなり降ったようだが、ここまでは雨雲は上ってこなかった。
    最低気温 16.0℃ (01:21)、最高気温 23.4℃ (12:15)

 阿蘇中岳、朝のうち、久しぶりに小噴火をしていたようだ

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 今日もヒマ人からのリクエストでZoomのテストに付き合った。今日は画面共有ということで、先方が起ち上げたエクセルの画面を共有して、こちらからも操作して、セルに数字を入れたり計算をさせたりすることができることを知った。見るだけでなくて、こちらからでも操作できるというのは、これはすごいなあ、今や何でもできるんだなあ。
 
 屋根裏に上がって、少し不要物の整理をした。

 武漢ウイルスで長い間休みだった太郎の水泳教室、今日からまた再開した。
 
 晩飯、キーマカレー。はやりカレーは本来のカレーのほうがいい。


令和 2年 6月 2日(火)

 晴れ。
    最低気温 16.1℃ (04:59)最高気温 24.9℃ (16:10)

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 ハチウト内検、第一号基  第二号基 ともに元気である、一号基には雄バチの姿が無くなった。結構短いサイクルでたくさんのハチは世代交代を繰り返しているが、一体死んでいくハチはどこでその生を終えるのだろうか、巣を出た遠くで死んでいくのだろうか、死骸を巣の周りでみることは殆どない。
 
 毎朝点検しているがまだスムシの姿は見ない。時々内検の時にちょっとちょっかいを出したくなって、箱をたたくと、ワッと出てくる。ネットを被っているのでしばらく顔の周りをぶんぶん飛ばせて羽音を楽しんでいる。

 朝のうちに、前庭の草を刈った、以前はそういうことは無かったのだが、高齢化でボンのやつ、所かまわず糞をするようになった、だから、刈払機をまわすときに、神経を使う、刈払機の歯は左回転で運転者の方向に向かって刈った細かな草の破片などがが飛んでくる、特にナイロンコードの場合はそれが顕著だ、だから糞も飛んでくる、危なくて仕方がない。

 内牧のほうにある阿蘇図書館に返却と借り出しのために行ったついでに、松野動物病院に寄って、ボンのフィラリアの予防薬をもらってきた。6月から10月までの5か月分もらってきた、ひと月分の薬、1,000円也。ボンの余命とフィラリア感染の潜伏期間などを考えると、もうやらなくてもいいと思ったが、やはり最後までちゃんと飲ませることにした。
 
 阿蘇図書館の前の広場、武漢ウイルスで集団活動を我慢していたジイさまバアさまたちが待ちかねたようにワッと芝生に出て久しぶりにグランドゴルフに興じていた

 暑い季節にならないうちに屋根裏に上がって不用品を少し整理をしようと思っているのだが、CDディスクなんかが、昔のPC関係の雑誌の付録なんかで付いてきて、それ以外にも、もう要らないやつが山ほどある、アダルトは・・・・・無い・・・と思う・・・
 そのCDディスクなんか、分別する場合、どれになるのだろうと思うのだが、プラスチック類でいいのではと思って念のために調べたら、小金属の袋で出せとある、じゃあ、ビデオテープなんかどうなんだろうと思って調べたら、当市では同じく小金属になるらしい。
 なんで小金属なんだろう、プラスチックだろうに、と思うのだが、よくよく考えてたら、ディスクはアルミ蒸着被膜だからなのだろうか、そこまで細かく分けるか?

 今回の武漢ウイルス騒動で、S保ジャパンが1.5万人超のテレワークを、だとか、M井S友海上は2万人が在宅勤務をしたとか載っていたが、もともとこれらは銀行なんかと同じでモノを作っている会社ではないから、会社にいなくても仕事ができるのだろう、ということは、これからも、会社に出なくて仕事ができるということで、今回の騒動が終わっても、今後、在宅勤務が増えて、その分、会社もコストダウンができるということになるのだろう、事実、自動車保険なんかは、ネットで契約すると、代理店で契約するよりも、どのくらいだったろう、半額まではいかなかったか、はっきり覚えていないけど同じ補償内容でありながら、とにかく驚くほど安いのに驚いたものだ。もっとも、皆が皆ネットで保険を契約するようになったら、代理店の仕事が無くなることになり、それはそれで気の毒ではあるが、人口減少で将来働き手が足りなくなると心配されているのでまだまだ労働者の補充は大丈夫だ。

 そうかと思うと、定額特定給付金の申請でオンライン手続きをやめた自治体がたくさんあるという、これもまた、悪いけど、笑ってしまう。いまだに受付をしていないところもあるようだが、当方はもうとっくに使ってしまったぞ。

 晩飯、八宝菜、春雨サラダ、大根とキャベツ味噌汁。

 〇
令和 2年 6月 1日(月)

 曇り。ここはまだ梅雨入りしていないが、あたかも梅雨空のようだった。
     最低気温 17.5℃ (02:15)、最高気温 23.1℃ (15:05)

 今日から、姉も弟も学校活動が平常に戻った。ずっと休みが続いていたので体がなかなかついていけないだろう。小生、実に久しぶりに独りの静かな生活を堪能した。
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 晩飯、ポトフ

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