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令和庚子(2020) 2年 2月の記録 (新しい日付けの順)

令和 2年 2月29日(土)

 今年は閏年だ、4年に一度の29日だ、オリンピクとアメリカ大統領選挙がある年である、もっともその東京オリンピックの開催が怪しくなりつつあるが。

 朝の雨雲レーダーをみると、なんとなく雨雲が通り過ぎて天気が回復しそうな気配があったが、その後次々と雨雲が流れ込み、結局終日間断なく、強い雨ではなかったものの降り続いていた。
    最低気温 4.7℃ (00:00)、最高気温 11.0℃ (15:30)

 昨夜(小生にとっては)遅くなって、学童保育から電話があり、学校は新型コロナウルスの感染予防のために臨時休校に入るが、学童保育はその性格上開所します、しかし、できればご家庭で保育ができるお宅はご協力をいただきたいということを一軒一軒電話で確認をしているということであった。我が家は、学童保育の必要性という点では恵まれているほうなので、太郎ももう小生が他出しても自分で過ごせる年齢になっており、また、今回の突然の休校で今まで学童保育を利用していなかった家庭で、こどもを預けざるを得ないところもでてくるはずだから、その子らのために席を明けてあげなければならないだろうと思ったので、了解です、我が家で面倒見ますと返答をしておいた。それに我が家では姉も休校で家にいるはずだからその点でも心配はいらないということである。
 
 心配があるとすれば、休み中、ダラダラ過ごさないよう、ゲームにばかり熱中しないよう、締めて掛からなければならないということかな。それに、夕食だけでなく昼飯までこども二人の面倒を見なければならなくなった。

 今回の一斉臨時休校をまるで天下の大事のように騒いでいる連中がいるが、近年起きた大きな地震津波台風災害などで受けた大きな被害を乗り越えて来たのだから、それに比べたら今回のこと些細なことだ、ただ、全国規模だということだけだ、何も騒ぐことはないのだ。パンデミックが起きて収拾がつかなくならないようにちょっとしたガマンだ。

 今日昼からピアノの調律があった、夏子は明日の卒業式のリハーサルがあるというので、普通の時間に登校していった、夏子は二年生だが、「仰げば尊し」「校歌」のピアノ伴奏があるために、送辞を述べる2年生の生徒、それから吹奏楽部の生徒と一緒にリハーサルに出たそうである。ただ、「蛍の光」も練習していたが、この曲は送る側が歌うもので、その在校生が式に参加しないことになったので伴奏が無くなったと言っていた。

 余談というか、「仰げば尊し」、日本の名曲だとばかり思っていたが、もともとアメリカの曲だったということを数年前に知った、内容も同じく卒業の歌なんだそうだが、日本の歌詞はそれとは同じではないだろうがこれほど曲と歌詞とが見事に合わさった歌は無いな。
 
 ピアノの調律は、結構こまかく分解するようで、時間をかけて作業が行われて、いつもより早めに夏子が帰ってたときも作業が続いていた、夏子は早速調律が終わったピアノを弾いてみて、びっくりするほど響きが良くなっていたと感想を述べていた、小生には全くわからないことだが、車の整備やオイル交換をした後の調子の良さに通じるものがあるのだろう。


令和 2年 2月28日(金)

 晴れ、夕方近くから弱い雨が降り始めている。天気が下り坂なので、噴煙がこちら方向に流れていた、風が無いのでここまでは来ていない。
     最低気温 -1.4℃ (01:10)、最高気温 9.8℃ (13:32)

 定点撮影 
 登校風景 小中高は武漢肺炎の影響で今日が実質的に三学期の終了となった、従って小学校の登校班による集団登校も今日が最後となる、そして卒業する六年生は今日が小学校生活最後の通学ということだ。記念に六年生全員の写真を撮ろうかと思っていたが、特にニュースが流れた昨日の今日、登校の足並みが揃わず、全員の写真を撮ることができなくなった。4月からは、新しく中学生になった六年生が小学生の登校の列の脇を颯爽と自転車で追い越していくことだろう。
  ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7)

 と朝のうちは理解していたが、当地では小学校も高校も(多分中学校も)、とりあえず15日までの2週間ということになって、その後のことはまたその時になってということになったらしい。

 ところで今回の休校措置、小中高とあるが、幼稚園は含まれていない、保育園が入っていないのはわかるが、同じ文科省管轄の幼稚園はどうして入っていなのだろうか、今日風呂に入っていて知り合いに言われて初めて気がついた。

 少し前に、熊本市の人で武漢肺炎に発症した人が「阿蘇市」の工事現場でも働いていたというニュースが流れて、その作業現場が具体的に内牧のKというホテル建設現場だということが当地では噂として広範囲に流れている。
 それについて、今朝の新聞や阿蘇市の広報で訂正発表があった。熊本市の誤った発表によるものだった、何だ今頃、訂正が遅いだろう。

 これは熊本市のホームページに載っている文章である。間違った人権解釈がこのような誤報騒ぎを引き起こすのだ、振り回される側の人権はどうなるんだ、下手に隠すだけが人権擁護ではない、この期に及んでまだ「阿蘇市以外の阿蘇地域?」なんだそれ、阿蘇は広いぞ、どうしてもっと絞った情報が流せないのだ、それと人権とは関係がないだろう、ここの市長「も」大したこと無いな、以前には立て続けに庁舎の同じところでボヤを出したりしているし。

 今回の一斉休校の件、国家総動員法以後に生まれて平和民主主義の名のもと、ワガママ放題で育ってきた今の人間にとってガマンというものに慣れていない。早速なんでも政局にしたがるサヨクリベラルの連中から不平不満や反対意見が流れている(おそらくテレビの〇〇コメンテイターたちもそうだろう)。たとえば、エビデンスが無い?最近やたらといろいろな場面でこの言葉を聞く、嫌な言葉の一つだ、昔はこんな言葉ば使わなかったぞ、今回のこと、誰も本当のことは分からない、この先のこともわからない、そんなもの待っていたら手遅れになるのだ、パンデミックを引き起こすか、なんとか今の段階で踏みとどまるか、今はもうそういった局面なんだろう、切所なんだろう、「拙速は巧遅に勝る」だ。それとも何かもっと有効な手段でもあるのか、あって言っているのか。そもそもどうしてこうなったかは今は問うまい、今はとにかくどう収束させるかなのだから。
 
 ガマン、ガマン、みんな暫くの間不便を凌ぐのだ。尤も、今回の決定に、こどもたちは、やったあ!と喜んで学校に行っていたが後からちゃんと休んだツケは回ってくるのだぞ。


令和 2年 2月27日(木)

 曇り、後、ハテどうだったかなあ。
     最低気温 2.0℃ (04:40)、最高気温 10.0℃ (12:24)

 仙酔峡の麓で、これ、野焼きだろう、阿蘇谷で一斉に野焼きをする日程は決まっているが、牧野によっては独自にするところもある、ここは小堀牧野だったろうか、中岳噴煙と麓の野焼きの煙の二重奏だった
 
 定点撮影
 登校風景 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7 ) 

 午前中、家入さんのところに伺って来年度の阿蘇文化調査研究会の活動計画書を作った、なんせ新米の会長なのでまったく分からずに名書紀におんぶにだっこである。

 今日夕方、首相が「3月2日から全国すべての小学校・中学校、それに高校などについて、春休みに入るまで臨時休校とするよう要請する考えを示した」というニュースが飛び込んできて、我が家のこどもたちがざわついている、仲間同士でLINEが飛び交っている、考えてみたら、明日が週末で、学校も大慌てで対応を検討しているとの情報が入ってきた。学校にとっても寝耳み水のことなのだろう。小生は全く住んでいるところから離れることもないので、自分が罹患するかもしれない、あるいは自らがマスクをするなどということなど考えたこともないが、人口密集地に住む人達は落ち着かない毎日を送っているのだろうな。
 
 後からは何とでも言えるが、とにかく国としても初めてのことで、右往左往というのが正直なところだろう、今回のことで、政府もも国民も武漢肺炎以外でも将来起こりうる国家レベルの非常事態に対する勉強になるなあ。

 晩飯。炊き込みご飯、豚肉の味噌漬け、出汁巻き卵、オカラの煎り煮、オカラのサラダ、豆腐とニラの味噌汁。


令和 2年 2月26日(水)

 春二番ということばがあるかどうか知らないが、昨夜は一晩中、風雨が強かった、その雨も明け方には上がって、子どもたちが学校に行く頃には傘はもう必要がないほど回復していた。
     最低気温 7.9℃ (但し19:22時点)、最高気温 15.3℃ (00:00)

 定点撮影
 登校風景 遠くから見ていると一つの班の数名がひとかたまりになったり、ほぐれたりしながらやってくる、なにかトラブルでもあったかと思って、やってきたので訊いたたところ、「いろおに!」という、なんだそれ?「色鬼」と書くらしい、鬼ごっこの一種だそうだ、そんな遊びがあるんだ。
 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8)
  カメラの具合が悪い、本体とレンズと筒をつなぐ部分がガタガタしているのでピントを合わせたつもりでもピンぼけをしている。本物の一眼レフだと交換レズを回して外すようになっているが、小生のカメラ、いわゆるコンデジというモドキものだから、レンズは外れない、はめ殺しだ、多分ネジが緩んでいるのだろうが、中側からでないとネジを締めることができないので全分解になる、精密機械、とてもそんな勇気はない。

 今日は終日本を読んでいた。

 今月初め頃だったか、小嵐山の麓の公園の草刈りの応援に二日参加したギャラを貰った、破格のギャラだった。

 アマチュア無線の電波利用料をペイジーで納付した。昔はそんなもの無かったが、いつの頃からか、納付するようになった、お上も財政難なのだろう。一免許、年300円也、免許期間は5年間だから、1,500円になる、初年度分は昨年300円を払い込んで、以降は希望によって前納できるので、残りの4年間分1,200円を今回払い込んだ。もう一つ免許があるから、また更新の際に別に払う必要がある。

 COVID-19という名前が付いたのにほとんど誰も使わない、その新型コロナウイルスの感染防止のために次々にイベントが中止されているが、今日も今週末に予定されている、太郎の小学校の授業参観、PTA総会が中になった、それから阿蘇の子どもたちの学校以外で行っているクラブ活動も当面中止になった。また夏子の高校の卒業式、在校生の参列は中止になって、ピアノ伴奏の夏子と送辞を述べる生徒だけが参列することになったそうだ。

 今、全国で散発的に発生している新型コロナウイルスについて、全国一斉にできるだけみんなが動かないようにして暫く様子をみると、少なくとも今、発生している分だけで抑えられそうな気もするがどうなんだろう。とにかくできるだけ動かずに人混みに出かけず、集まらずだ、二週間みんなで死んだふりだ。

 太郎、水泳教室
 晩飯 カレー。


令和 2年 2月25日(火)

 晴れ、のち、曇り、夕方から雨、風が少し強い。
     最低気温 1.4℃ (06:03)、最高気温 16.9℃ (13:27)

 天気が崩れるときには噴煙は大体こちら方向に流れる、ただここまではやって来なかった。

 定点撮影
 登校風景( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7)

 玄関先の水仙が開いた、水仙もいろいろな種類があって、それぞれ開花時期が少し違う、この手の水仙が一番最初に開いた。それから、入り口のところにある沈丁花も開いた、ホトケノザはもう一面に咲いている、ホトケノザは冬中、咲いているものもある。

 午前中、太い木を切る。この木一本、ものの五分ほどで切った、一時間足らずでこの群れ、全部切ってしまった、今までは一体何だったのだろう、昨日替えた新しい刃、昨日と今日とで、流石に少し切れ味が鈍ってきた、研いでまた切れ味が戻るかどうかだが、中途半端で切れにくい刃を使い続けるよりは、将来研ぐために塩漬けならぬ油漬けにしておいて、新しい刃に交換するのも手である、その程度の値段で手に入るのだから、タイムイズマネーである。
 
 作業場の雨の降り込み対策でちょっと大工仕事をした、今晩雨になるので、さっそく結果が出る。
 
 ご近所から米を分けていただいて精米をしてきた、精米機があるコインランドリーの裏手で家の取り壊しをやっっている、何が出来るのか訊いてみたら、なんでもソーラーパネルがどうのこうのと言っていた、ソーラー発電、まだ商売になるのだろうか。
 
 晩飯。煮込みハンバーグ。小生は煮込みせずに只の塩コショーで食べた、子どもたちも前回塩コショーの旨味がわかったと見えて、リクエストでデミグラ仕立てと塩コショーの二本立てで食べていた。



令和 2年 2月24日(月) 振替休日

 穏やかに晴れる、暖かい一日だった、外で作業をしていると暑くなって、セーターを脱いでシャツ一枚で作業をしたほどだ。
     最低気温 -2.8℃ (06:01)、最高気温 16.3℃ (14:00)

 新型コロナウイルス騒動、いろいろなイベントが中止になっている、中には便乗して中止をするものもあるようだ、一方でそれまで中止するの?と思うようなものもあるが、小生のように隠遁組にはどれもこれも関係がないものばかりだ、あえて見つけるなら、確か3/8開催だったと思うが「第19回西日本ハムフェア」が中止になったそうだ。最近はアマチュア無線人口が減っており、やっているのはジイさんばかりだ、高齢者が感染すると重篤になりやすいそうだから、中止で良かったのだろう。

 昼前だったか、屋外で作業をしていると、遠くで黒い煙が上がっている、もうどこかで野焼きでも始まったかなと思っていると、一ヶ所からだけ煙がまっすぐ上がっており、だんだん黒い煙になっていった、火事だろうなと思ったが、放送がないなと思っていたら、後から知ったことだが、旧阿蘇町で消防団の縄張りが違うので、非常呼集のサイレンは鳴らなかったのだ、もっとずっと近い一の宮地区だと思っていた。屋内のお知らせ端末では黒川(阿蘇駅の近く)あたりだと言っていたそうだ。夜になってわかったが、二軒の家が全焼して一人が遺体で見つかったとニュースで言っていた。

 国道57号線の滝室坂がトンネルに取って代わるための工事が進められている、そのトンネルから出た新しい道路が、この近くでT字路で左に折れて今の国道に戻るのだが、右に折れる道路が、今の県道213号線に代わって新しい県道になる。写真の左側の矢印が今の県道で我が家が面している、右側の矢印が新しい県道になるところで我が家の裏を通ることになる、もっと何年も先の話だと思っていたら、もう工事が始まっているようで、大きなパワーシャベルが動いていた。

 今日も太い木を切った。丁寧に刃を研いでいるので、まあまあの切れ方だが、それでもなんとく満足が行かない、試しに先日買った格安のソーチェーンの切れ具合をみてみようかと思って、今使っている刃は後日改めて使うことにして保管しておいて、取り替えてみた。
 
 正直、今まで何度も刃を替える経験をしていながら、新しい刃がこれほどよく切れるとは今まで思ったことがなかった、特に、大きいチェンソーが、その自重だけでどんどん切れていくなど信じられないほどの切れ具合だ、今まで研いで、切れる様になったと思っていたのは一体何だったのだ、効率で比べると数十倍の差がある、こんなに今まで感動したことは無かった、あと数日はかかるだろうと思っていた太い木の群れ、新しい刃に代えてから午後からの短い時間で一気に全部切ってしまった、それでも足りなくて後日に予定した別の群れの木も、燃料が余っていたので、少し切ってしまった。
 
 チェンソーはしみじみ刃(ソーチェーン)次第だなあと、改めて思ったものである、格安のソーチェーン(刃)は一組1,400円あまり、使い捨てでも良いくらいだ。ホームセンターなんかどこでも、刃というとオレゴン製しか売っていないので、他のメーカーのじゃ駄目なのかと思っていたが、ホームセンターは勉強不足だということだ。
 
 今日は家族全員家にいた。が夏子が友達と前から約束をしていたそうで、夕方、焼き肉を食べに出かけた。


令和 2年 2月23日(日)天皇誕生日

 穏やかに晴れる。
    最低気温 1.1℃ (07:23)、最高気温 10.6℃ (14:55)

 阿蘇中岳、ようやく落ち着いたかなと思っていたら、今日もそれほどではないが、噴煙が上がっていた。(写真1写真2

 太郎とカミさん、テニススクールへ。基本的には日曜日だが、何かで予定が潰れるとその埋め合わせで土曜日が充てられるようだ、先週テニスを休んだので昨日と今日の二日連日のレッスンになったそうである。そんなに連続して熊本まででかけると感染するぞ

 夏子は一日机に「向かっていた」。

 小生は、これと言ったことはやらなかったが、チェンソーは今日は機嫌が良かった、それに、刃も丁寧に研いだので、太い木も、まあまあまっすぐに切ることができた、いつもこうだと良いのだが。


令和 2年 2月22日(土)

 雨のち午前中に上がる。昨夜から今朝にかけて北部九州は春一番が吹いたそうで、雨と強い風が吹いていた。
     最低気温 5.9℃ (但し19:30時点)、最高気温 12.6℃ (05:49)

 阿蘇中岳、あまり視界は良くなかったがそれでも、落ち着いた状態が続いているようである。
 
 定点撮影
 登校風景 今日は土曜授業で普通の時間で登校していったが、風雨がちょっと強かったので、徒歩通学児童は四名だった。 (写真1写真2写真3

 先日福岡で新型コロナウイルスの感染者が出て、ああ、九州にも入ってきたかと思っていたら、とうとう熊本でも三名の感染者が見つかった。個人名はともかくも、漠然と熊本県だとかいうのでなく、ある程度場所が絞れる発表だった、わかれば大丈夫だと言うわけでもないが、それを聞いて自分のいる場所との距離がつかめるので、無用の心配をしなくて済む、それにしても、姿が見えない敵だけに不安である、ここより発症者が多い東京だとか神奈川だとか、よくみんな平気でいられるなあ。
 
 このニュースを聞いて、今日は夏子のピアノ練習と太郎とカミさんのテニススクールがある日だったが、ピアノは大津だからともかくとして、テニスは熊本の中心部だから、最初のうちは、今日は休もうと言っていたが、土曜授業が終わって結局三人とも出かけて、夜8時過ぎになって帰ってきた。
 
 あれだけ苦労してかかなかったチェンソー、今日はかかった。特にどういう原因というものはない、要は虫の居所の問題だ、でも、なんとなく、感触でかけ方がわかってきたような気もする、太い木を少しだけ切っておいた。
 
 それから、古いノート、DynaBook Satellite 1870、Celeron 1.60GHz、メモリー 最大1GB、HD 30GB。Windows XPが入っていた。とてもではないがアップグレードはできないので、Linuxを入れることにした。LinuxのPeppermint10というディストリビューションが古いPCでも入り、なかなか軽快だそうで、おまけにGoogle Chromeが使えるし(32bit機ではオープンソース型のChromium)、、Microsoft Office Onlineも無料で使えるという。
 
 ただこのPCはCDドライブはあってもDVDは使えない、しかもUSBポートはあるがBIOSでブートドライブとして選択もできない、対してLinuxディストリビューションのファイルサイズは1.5GBほどある。
 
 調べた結果、そういった古いPC用にUSBポートをブートドライブに見立てるフリーソフト(Plop Boot Manager)があることを知った。そこで、USBにPeppermint10のisoファイルを落として、そのPlop Boot Managerを使ってUSBからインストールをしようとしたが、できない、三日も四日も色々何度やってもできなかった、結局できないほど古いPCなのかと思っていたが、ふと、isoファイルだけでは駄目なんだろう、と思い至って、USBから起動するためのおまじないを入れる必要があるということを思い出した。つまり、ハード的に、USBを起動ドライブにする道路を作るソフト、そしてUSBからisoファイルを動かすためのソフトである(Rufus )。

 ようやくのことで、古いPCにLinuxをいれて、クライアントPCとして使えるようになった。Peppermintに10という数字が付いているのはWindows10を意識してのことだろう、使い勝手がWindows10に非常に似ていて違和感がない。個人がインターネとをやって、メールをやって、ちょっとした仕事に使う、これで十分だろう、Linuxも本当に使いやすくなった(と能書きを垂れるほどわかっていないが)。 


令和 2年 2月21日(金)

 穏やかに晴れる。阿蘇中岳の噴煙も落ち着いた状態が続いている。古閑の滝、せっかく凍ったと思ったらもうほとんど崩れ落ちている( 写真1写真2写真3写真4
     最低気温 -1.9℃ (06:01)、最高気温 14.4℃ (14:29)

 定点撮影
 登校風景 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8 )

 チェンソーのエンジンが掛からない、色々いじくり回している

 作業小屋の一部にが雨漏りをする、雨漏りと言うと上からだが、小雨漏りは下から入ってくる。余ったセメントがあったから隙間を埋めておいた。一つには欲張って室内を広くしようとしたために軒先が殆どない構造になっていて、雨がもろに吹きこんで、隙間から雨が入るのだ。
 
 晩飯、豆ごはん、昨日豆を買ってあったが、夏子が、豆ごはんの味を消すので、あまり邪魔ないならない和風のオカズがいいね、というものだから、今日に延ばして、ブリの塩焼き、揚げ出し豆腐、油揚げと小松菜の煮物、豆腐とニラの味噌汁、それから、まあ、箸休めとでも言おうか、豆ごはんに使ったグリーンピースが残ったので甘く煮て出した。シーズン終わり頃になってようやく安いイチゴが出てき始めた、今年はイチゴがずっと高かったような気がする。
子どもち曰く、「わー旅館のようだ!」あたぼうよ。

 新型コロナウイルス、とうとう九州に入ってきたようだ、昨日、福岡で発症したそうだ。



令和 2年 2月20日(木)

 薄曇り。日中は非常に暖かかった。
   最低気温 0.3℃ (04:43)、最高気温 13.2℃ (14:28)

 今日の阿蘇中岳、朝のうち、やはり噴煙が多いかなと思っていたら、そのうち収まって、白い噴煙が立ち上っていた、このくらいの白い蒸気くらいいいだろう、そうじゃないと火山と言えないぞという程度の噴煙だった。

 定点撮影
 登校風景
 毎日バラバラに歩いてくる各登校班が今日はたまたま途中で合流したのだろう、一つの群れでやってきた、こんなこと、小生の記憶にある限りでは初めてのことではないかと思う、「ONE TEAM」だった、壮観だった。ただ一人例外がいた、コイツだ、もっとも太郎はちょっとだけみんなと登校ルートが少し違うが(それでも最後は追いついて群れに吸収された)。全員がひとかたまりで通過してくれたお陰で小生はさっさと撤収することができた。
 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9)

 そろそろ薪が心細くなりつつあるので、午前中、小ぶりな木を切って薪を作った。午後から大物をやろうとしたが、肝心のチェンソーが動かない、いくらやっても今日はエンジンがかからなかった、やむなく、対象を中ぶりの木に変更して、小さなチェンソーで少しだけ切っておいた。(写真1写真2

 晩飯、麻婆豆腐、エビチリなど


令和 2年 2月19日(水)

 放射冷却で冷え込んだ(予報ほどでは無かったが)。こういった朝は、風もなく寒さも無く非常に気持ちがいい(写真1写真2)。
    最低気温 -5.1℃ (05:59)、最高気温 10.6℃ (15:04)

 阿蘇中岳、風が全く無かったのだろう、噴煙が朝も そして 夕方も、終日、まっすぐ上に穏やかに昇っていた、量も多くなかった、煙の色も白っぽく、そろそろ活動も落ち着く時期に来ているのだろうか(と思わせておいてまた・・・・か)

 定点撮影
 登校風景 気温が低かったので路面の水たまりに厚い氷が張って、子どもたちは足で割ったり掴んだりして楽しんでいた。ようやく太陽が峠越えで通学路を照らし始めて子どもたちは朝日を浴びて登校していった。
  ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10 )

 今読んでいる本が面白くて今日も本を読んで過ごした、そろそろまた薪を作らなければならないのだが、残雪で木が乾かなくて・・

 太郎、水泳教室
 晩飯、カレー。水泳教室がある水曜日はカレーの日である、でも一週間に一度カレーというのもそろそろ飽きてきた。


令和 2年 2月18日(火)

 やっぱり「期待」に反してオオカミはやって来なかった。昨夜、早々と二重峠越の57号線迂回路が通行止めになったので、やはり山の上ではもうかなり降っているんだなあと思っていたが、これは想像だが、そうじゃなくて、「少年」の叫び声に踊らされて早々と先手を打って閉鎖しただけだったのだろう、かなり早朝、ライブカメラを見たら車は通っていたから。
 
 近年はあまり雪も降らず、降ったとしても都市部と違って交通が混乱するわけでもないので、久しぶりの大雪、子どもたちも大いに期待していたが、一夜明けて、外を見ると、昨夜に少し積もっていた時と殆ど変わらない風景が広がっていた。ということは夜中には全く降らなかったということだ、わざわざモノサシで測るほどのこともなかった。明朝の予報は氷点下7℃だそうだ、予報どおりだとこの冬一番の冷え込みになるだろう。
    最低気温 -3.3℃ (05:07)、最高気温 2.1℃ (16:47)

 雪景色 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10写真11) .
)
 古閑の滝 ( 写真1写真2写真3写真4

 定点撮影
 登校風景 道路がツルツルに凍っていて歩きにくかった、子どもたちは雪道を歩くのは好きだと思うが、危ないので、保護者が送っていった家が多かったようだ。
  ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8)

 晩飯、昨日の鍋のアレンジ、それから豆腐屋から豆腐と油揚げとオカラをもらったので、豆腐屋づくしの献立になった。


令和 2年 2月17日(月)

 夜が明けて日が暮れるまでは、細かな雪が時々横なぐりに降っていた。二三日前から、大雪が降るぞ降るぞとラジオなんかで騒いていたが、結局今日一日、田畑が薄っすらと白くなる程度で終わった。また、気象庁オオカミ少年だった。( 写真1写真2写真3

 と思っていたら、夜に入って、大雪警報が出された、防災無線でさかんに注意喚起をしている、もしかしたら、ほんとうにオオカミが来るのかもしれない。

    最低気温 -2.1℃ (但し19:57時点)、最高気温 1.6℃ (00:00)
    今日は風が強くて、体感温度が非常に低くて寒かった
    最大瞬間風速 10.7 m/s (14:05)
    最低体感温度 -6.1℃ (13:03)

 定点撮影
 登校風景 登校方向の真正面から雪混じりの強くて冷たい風が吹き付けて、こどもたちは後ろ向きになったり傘で風を防いだりして歩いていた。
 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9)

 小生は雪になる前にと、午前中に今日の買い出しなどの用件を全て済ませて、本を読んで過ごした。あ、そうだ、豆腐屋から今まで使っていたパソコンを貰ってきた。何台もあっても仕方がないので、アップグレードなど整備をして欲しい人があれば格安で・・・・

 晩飯。寒いときには「鍋」、今日は文句なしの鍋日和だった
 
 今、横浜にいる(と思うが)ダイヤモンドなんとかというクルーズ船、これ、運行会社はどこなんだ、確かアメリカと聞いたが、普通、ツアーに関して事件事故が起きると、旅行社が記者会見をして、報道なんかから集中攻撃的に取材を受けるが、今回は、そんなシーンはあったのだろうかテレビを見ないので分からないが、どこにツアーの責任があるのか全く伝わっていない、伝わってくるのは横浜あたりにいて、船内でまた感染者が見つかったという報道ばかりだ。今頃になってようやくアメリカなんか自国民をチャーター機を使って運び始めたが、そんなこともっと早くやれよ、日本はたまたま寄港地だっただけだろう、これなんかある種遭難だろう、どうして各国は自国民を救助にこないのだ、日本の対応が悪いと言っているようだが、こんなこと各国がやることだろう。何処に気兼ねをしているか知らないが日本政府はもっとちゃんとそういうことを言うべきだろう、そしてしっかりと費用を旅行社に請求すべきだ、外国の富豪相手の商業ツアーに国民の税金を使うな。


令和 2年 2月16日(日)

 終日弱い雨が降ったりやんだり、夜に向けて気温がどんどん下がっている、多分雪になるのだろう。よく分からんがなんだかすごそうな天気図だ
     最低気温 3.7℃ (但し18:22時点、なお降下中)、最高気温 16.1℃ (04:18)

 太郎とカミさん、朝早く週例のテニスレッスンにでかけて夕方には帰ってくる、夏子は終日机にむかっていた、そして、時々、卒業式で弾くピアノ伴奏の練習をしていた。
 
 小生は、本を読んだり、懲りもせず悪あがきでボロノートPCをいじくり回したり。それから、豆腐屋に昨日設定した新しいPCのアフターケア?に行ってきた。

 今日は載せる写真は無し。


令和 2年 2月15日(土)

 曇り・・だった・・かな?あまり外に出なかった上に外を眺める時間もなかったので、どうだったろう。気温は今日も高くて、朝のうちちょっとストーブを焚いたことは焚いたが。
    最低気温 5.9℃ (01:24)、最高気温 17.1℃ (13:54)
 
 今日は阿蘇中岳、比較的大人しかったような気がする

 夏子は今日も模試だそうで、早朝から夕方いっぱい学校に行っていた、カミさんは午後からちょっと仕事をしてくると言って職場にでかけた。太郎は一人で飽きもせず、紐がついていて、打つと戻ってきてそれをまた打つという仕組みの道具を使って一人でテニスの練習をしていた。

 北坂梨の坂梨増実さんから鬼塚で柿の木があるけどと電話を頂戴したのですぐにもらいに行ってきた、柿の木を切ったお宅ではシルバーに頼んだのだそうで、ほとんど丸ごとストーブに入るくらいの大きさにもう細かく玉切りがしてあった。増実さんは昨日満90歳の誕生日だったそうだ、とにかくお元気でこういった先輩がすぐ近くにおいでになると勇気づけられる。

 なかなか諦めきれず、なんとかボロノートに息を吹き込もうと悪戦苦闘している、今日もそれに使うあるisoファイルを落とそうとしたが、我が家の遅いネット回線では何時間もかかるので、豆腐屋は光なので豆腐屋のPCを借りてダウンロードしようと思ってでかけたところ、ああ、ちょどよかった、昨日、注文したDELLのパソコンが昨日届いたところだった、連絡をしようと思っていた、と早速設営を頼まれてしまった。小生はもう10年、いや、ここに住み始めてだからもう20年近くなる、いつの間にか豆腐屋のシステム担当になっていて、それも全くのボランティアである。普通外に頼めばかなりの費用がかかるのだろうが、こんな技術は豆腐作りと違って材料が要るわけでなく、豆腐屋なんかタダだと思っている。まあ、小生も、商売にするつもりは無いので、それでいいかと思っていのだが、こんなこと敵は小生の日記なんか全く読んでいないのを知っているから書いているのだが、もし読んでいれば嫌味になるところだ。

 それで、梱包を開封して、電源をつないだが、これが、動かない!電気が来ているのは分かるが、起動しないのだ。仕方がないのでDELLに電話をしたが、これがまたなかなかつながらない、いや、つながるのだが、担当に行くまでに相当時間がかかる。というのは、途中、ずっと電話の自動音声に合わせて、番号を打たなければならない、そのテンポが遅いこと、遅いこと、そのくせに、注文番号のような十数桁の番号を打ち込むときは、今度は短すぎてオーバータイムになって、その手順をなんどもやって、ようやく、担当に行き着いた。
 
 担当が言うには、多分、メモリーがちゃんと入っていないのかもしれない。それについては小生もお手の物だから、じゃあ、これからやるから、どうする?かけ直す?いや待ってますから、やってください、ということで、電話をつないだまま手慣れた手順でカバーを外してみたところ、メモリーはすぐに目につくところには無くて、ハードディスクユニットの下にあって、それを外さなければならない。ところがハードディスクはすぐに外れたが、ハードディスクを納めているケースが、これがなかなかはずれない。
 
 考えてみたら、さっさと分解してメモリーを抜き差しする一般ユーザーがどこにいるんだ。先方もそれに気がついて、じゃあ、修理人を月曜日に伺わせますから、ということになったが、こちらも都合があるので、一時間くらいしてそちらからかけ直してくれ、と一旦電話を切って、じっくり眺めて、ケースを外すことができて、想像通りメモリーの抜き差しでエラーは回復した。
 
 組み立てるのも面倒なので、分解した状態のままインストール作業を済ませたが、最近のPCはスイッチを入れたら、すぐにWindowsが立ち上がることをせず、延々とユーザー登録絡みの作業が続く、Microsoftはがんじがらめにユーザーを縛り付けたいのだろう。どうもあのMicrosoftアカウントというやつは気に食わない。

 全部が終わった頃、DELLから電話がかかってきて、無事解決した旨伝えたら、非常に恐縮していた。そもそも起動チェックもしないで出荷しているのかと言ったら、してるはずなんですが申しわかりありませんでしたと謝っていた。でもそんな悪い印象のやり取りではなかった。(写真1写真2
 
 今まで使っていたPCは小生が引き取ることになっている、豆腐屋も処分の手間が省けるし、小生もまたいじる楽しみがあるので、ちょうど木を切って処分する手間を省くのと薪としてもらうありがたみの相互利益のようなものである。

 相も変わらず、毎日毎日新型コロナウルスで騒いでいる。世の中の人が不安に感じる原因は、個人情報だとかプライバシーだとかで細かな情報を発表しないからだろう。だからよっぽど大変な怖いウイルスなんだろうとみんな疑心暗鬼になってしまうのだ。個人名は別にしてももう少し細かな情報を流せばいいと思うのに、どうして秘密主義なんだろう。実際は秘密にしなければならないほど怖いウイルスなのかもしれない。


令和 2年 2月14日(金)

 雨のち晴れ。こどもたちの登校時間帯ころまでは結構降っていたが、一時間後には雨も上がって急速に天気が回復してきた。一昨日の夜焚いたストーブの残り火が昨日の朝になって消えて以降、昨日一日、そして今日も全くストーブを焚いていない、それでも全寒くない、そんな気温が続いている。もう春のつもりでいるが、どっこい来週には強い寒波がやってくると言っている。
    最低気温 5.5℃ (00:01)、最高気温 18.5℃ (15:14)

 阿蘇中岳の様子、雨が上がった昼ころ、噴煙は南東方向に流れていたが、夕方には噴煙もあまり見えず、総じて穏やかだった。(写真1写真2

 定点撮影
 登校風景 今日の雨では子どもたちは誰も歩いてこないだろうと、太郎を小生が立つ場所まで乗せていって、そこから歩いて投稿させた。今日は父子で写真を撮りあった。(写真1写真2

 今日もオンボロノートPCを二台、いじくり回したが、結局Windows10へのアップグレードは無理なようである。

 最近買ったCHINA製の20インチのチェンソーのソーチェンはドライブリンク数が21でコマ数が78である、オレゴン製だと一組4,000円くらいする。しかしいくらいいものでも、研ぎ方が悪いと全く駄目である。バーが長くなるとまっすぐ切れるように刃を研ぐのが非常に難しい、まっすぐ研げていないと、バーが真っ直ぐなのに、切り口はカーブして切れていくので、太幹の中程で、バーはカーブしてくれないので動かなくなる。そのために効率が非常に悪くなる、そこで、オレゴン製では無い、格安のソーチェンを使い捨て感覚で使ってみることにした。

 今回買ったソーチェンは一組、1,416円也、オレゴン製と比べたら1/3くらいの値段である、それでも値段の差ほど悪くは無いと思っているが・・・・

 大沢在昌の代表作、「新宿鮫」シリーズが随分と派手な装丁で8年ぶりに帰ってきた。今回が11巻目になるようだが、ストーリーはずっと続いているはずなので、間に8年という歳月が流れいても、時代は8年前の設定で書かなければならないので、携帯などの情報機器や舞台が新宿だとすると街並みも大きく変わっていて、書き手も大変だろう。小生、この「新宿鮫」が大好きである。母子の好みも同じで婆様(母)も大好きだった、確か、納棺の際に、10巻目を入れてやったような、やらなかったような・・・時期的に10巻目だったか9巻目だったかちょうどその頃の時期である。
 
 晩飯、ポテトサラダを作ってトンカツを揚げた。やはりトンカツは美味しいねえと子どもたちも大喜びである。



令和 2年 2月13日(木)

 曇りのち晴れ。朝のうちはちょっと曇っていたが、その後一気に晴れて、雲ひとつ無い晴天になった、それに、今日はバカ陽気で着衣の調節に困るほどだった。、
   最高気温 14.9℃ (15:24)
   最低気温 9.7℃
(但し19:33現在、朝がバカ暖かったので夜になって最低気温を記録している)

 昼ころになって山が見えてきて、風向きの関係でこちら側の山麓一体が噴煙に包まれていた、ここは全く影響がなかったが麓一帯は大変だったろう。
 
 定点撮影
 登校風景 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10 )

 今日も体を動かす作業はしなかった、その代わりまた古いノートPCを引っ張り出してきて、いじくり回し始めた。

 晩飯、煮込みハンバーグ、小生は煮込まないただのハンバーグ、こどもたちが塩コショウだけのハンバーグもちょっと味をさせてくれと小生のやつを少し食べて、ああ、塩コショウも大好き、今度は一個は煮込みでもう一個は塩コショウにしてくれと勝手なことを言っていた。


令和 2年 2月12日(水)

 昼ころから雨という予報だったと思うが、いつものことだが山間部は早めに雨になる、子どもたちが登校するときには早くも細かな雨が降り始めていた。その後、強い雨では無かったが、ずっと降り続いており、夜に入って雨の勢いが少し増してきているようである。
     最低気温 5.0℃ (05:40)、最高気温 12.3℃ (14:28)

 定点撮影
 登校風景 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10 )

 今日は一日本を読んで過ごした、昨日の腰の疲れ、一晩では回復せず、何かの拍子にウッという事がある、用心用心。

 誰のせいだかわからんが、肝心の日本でマスクが何処にも売っていない。あの国はそんな情が通じる国か。そんなところに今日DIさんが、今ナフコに少しあったよ、とわざわざ電話で教えてくださったので急いで買いに行ってきた、まだワゴンの中に数箱残っていた。サイズがいろいろあったのかどうか分からなかったが一箱買ってきて見たら「小さめ」とあった。太郎は最近大人用を耳掛けのところをたすき掛けにして短くするなど工夫をして掛けているので、太郎用にちょうどいいだろう。

 太郎、水泳教室。
 晩飯、カレー。



令和 2年 2月11日(火)  建国記念の日(紀元節)
 建国記念日でなくて「の」が入るらしい、制定する時に左翼連中が騒いで「の」が入ったのだったと記憶している、どう違うのだ。

 晴れ。
  最低気温 -1.9℃ (06:35)、最高気温 12.2℃ (15:36)
   アメダスポイント阿蘇乙姫では最低気温 -5.2℃ (05:54)だったそうだが、そんなに下がっていないだろう、計測違いだろう。

 穏やかな日だったが、噴煙が相変わらず沢山出ていた、朝のうちは南郷谷方向で、すごい勢いだねえ、向こう側大変だねえ、と他人事のように言っていたら(写真1写真2)、そのうちに、こちら側に風向きが変わって、昼ころには山麓一体が噴煙に覆われて全く見えなくなるほどだった。その噴煙の余波、ここにも少しやってきて、車のウインドウがうっすらと白くなっていた、このまま続くのだろうかと思っていたら、夕方近くなって噴煙も薄くなって静かな山の佇まいに戻っていた。
 
 そして、暗くなって、(ライブカメラには映らないが)我が家のモニターを見ていたら、中岳の上で何やら変化が見えるので、気象庁の監視カメラを見たら、火映現象が見られた、しかも、風向きがまたこちら方向にも見えた。いやライブカメラにも写っていた。近いうちにまたドカンと来そうな感じがする。

 明日辺りからまた暫くぐずついた天気が続くようなので、今日は終日薪作りをした。超極太の木を切ったので、やはり疲れた。腰がバキバキ言っている。この腰痛、まだ一晩寝れば治る種類の疲労腰痛だが、あまり油断しないほうがいいのだろう、最近周囲で二人ほど椎間板なんとか、だったか、脊椎間なんとかで腰の手術をした人がいる。晩飯の心配をしなくていいので、心置きなく作業に没頭できた。
 
 太郎は母親と玄関先でテニスの練習をしていた、夏子は終日机に向かっていた。

 薪を切っていたら、村のいつもの三叉路で選挙の立候補者のポスターを貼る掲示板(正式には何と言っただろう)を建てる作業をやっていた。何の選挙だろうと一瞬思ったが、多分、県知事選あたりではなかったろうか、確か三月のある日だったと思うが、ほとんど関心がない。市会議員選挙は、まあ顔が見える選挙だし、国政選挙は大事な選択だから関心があるが、県会議員だとか県知事あたりになると急に興味がなくなるのはなぜだろうか。


令和 2年 2月10日(月)

 曇のち晴れ。朝のうちは気温は低くなかったが日が差さず、風も少しあったので寒かった。午後に向かって晴れて来て暖かくなった。古閑の滝
      最低気温 0.7℃ (02:03)、最高気温 8.1℃ (14:33)

 定点撮影
 登校風景 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10 )

 暖かくなったら薪でも作ろうかとおもっているうちに夕方になってしまった。
 
 太郎を宇治歯科につれていくためにいつもより少し早く学童に迎えに行った。太郎の虫歯の治療は前回で終わっているのだが、前回歯垢着色剤を塗ったところ、真っ赤っ赤(まっかっか)だったので、もう一回来てくださいと言われていたのだが、今日も前回よりは少し改善されてはいたが、それでもまだ真っ赤っ赤だった。歯と歯茎の境目がよく磨かれていないので、時々お母さが仕上げ磨きをしてやってくださいと言って、今回で一応終わりになった。最近は時々家庭用の着色剤を使ってやっているがきれいに仕上げるのはやはり難しいものがある。(写真1写真2

 晩飯。朝、寒かったので、今日も鍋だな、と思ったが、二三日まえにやったばかりだ、そこで今日は洋風鍋(と言うかどうか分からないが)、ポトフを作った。 

 寺さんが面白かったよ、と笹本稜平の「時の渚」を薦めてくれたので図書館で借りて読んだ。小生いつもは結構ダラダラと読む事が多いが、今回は一気に読み上げた。笹本稜平は結構守備範囲が広くていろいろな題材の小説を書いており、小生も好きな作家の一人だが、今回は、ミステリーというか、警察小説というか、そんな内容の作品だったが、良かった、最後にはうかつにも涙が出てきた。あとから読後感を寺さんに話したところ、氏も泣いたと言っていた。この作品はもう大昔(ふた昔)と言っていいほど前の作品だが、本の最後に、当時、サントリーミステリー大賞を取ったことが書いてあった、納得である。



令和 2年 2月 9日(日)

 曇り、時々雪らしきもがチラついていた、いかにも冬の天気だった、今日もあいも変わらず、噴煙が盛んに上がっていた。
     最低気温 -0.7℃ (07:01)、最高気温 5.6℃ (13:32)

 太郎とカミさんはテニススクールへでかけて、夕方早く帰ってきた。夏子は明日から期末試験だそうで、終日机に向かっていた。模試だとか、なんとか試験だとかで毎週何かしらの試験があるようだ、もうすぐ三年に進級するともっとそういうことが多くなるのだろう、受験生って大変だなあ、小生、もう、そいうい目に遭わなくて済むだけ幸せである。

 中川さんから下町でエノキを切るけん取りに来なっせ、という電話があったので、でかけたところ、伐採担当の和尚が周囲環境を検分して、ちょっと簡単に倒せそうな場所ではないので、後日改めて作業をすることになって今日は下見だけで帰ってきた。

 偵察衛星を載せたH2Aロケット41号機が今日午前10時34分種子島宇宙センターから無事打ち上げられた。H2Aの打ち上げ成功は35機連続。成功率は97.6%となった。もう技術が確立されていて失敗なんか無いのだろう。

 あ~あ、とうとうやっちまったぜ。
 
 メタリングレバーのバネが失くなった、あんなに気をつけていたのに、別に飛ばしたわけではないのに・・・
 
 昨日分解したまま、皿に入れておいたのに今朝見たら無い!必死で探したけど見つからない。絶対に何処かに落ちているはずだが、こういったものはとんでもないところに紛れ込んでいていくら探してもみつからないものだ、空薬莢一個でも自衛隊なら部隊全員で見つかるまで地べたを這いずり回って探すだろう、警察の鑑識課だって同じだろう、でも小生には無理である。残念だが仕方がない、ここでリペアは頓挫、断念だ。
 
 というわけにはいかない、カネと時間の浪費だとはわかっているがこれも勉強だ、バネを調達しよう。
 
 バネの専門会社はある、現代社会は分業社会だ、キャブレターのメーカーだって、独自規格でバネまでは作らないだろう、そう思ってバネ屋をネットで探した。ところが、どのくらいの大きさのバネを注文したらいいのか、肝心のバネが無いから寸法がわからない。。
 
 そこで武蔵は考えた。
 
 虫の知らせというのか、今回のリペアに際してメタリングレバーまでちゃんと並べて撮った写真があった。メタリングレバーの実物と写真のサイズを比較して縮尺率を計算して、計算尺を使って、多分これだろうというものが見つかった、ただし、一個売りはしてくれない、20個単位だ、まあ、仕方がない、ものは考えようだ、あと19回飛ばすことが出来る。
 
 縮尺率だって、小生はモノサシを当てて測ったが、プリンターについて詳しい人なら、わざわざ測ることをしなくてもプリントが実物の何倍で出てきたものだとわかるのだろう。
 
 教訓、これからは、飛ばしそうな部品は前もって写真だけでなくサイズも測っておくべきである。


令和 2年 2月 8日(土)

 晴れ。朝は深い霧が出ていたが、その後晴れて、山がキラキラ輝いていた。そして、夕方もキラキラ輝いていた。
     最低気温 -1.8℃ (08:00)、最高気温 6.8℃ (14:22)

 今日は珍しく全員家にいた。夏子は勉強をしていたが、太郎たちにどこにも出かけんとか?と訊ねたら、今日は何処にも行かん、それに人混みに出ると新型コロナウイルスに感染するといかんけん、と言っていた。たしかに何処で感染するかわからないからそのほうがいい、熊本にも阿蘇にも沢山の中国からのインバンウンドがやってくるからな、危うきに近寄らずだ。
 
 今日もクルーズ船の新型コロナウイルス関連のニュースばかりだったが、船の乗客は大変だろうなと思うけどそれほど心配や同情心が沸かないのは小生だけだろうか、なぜだろう。
 
 
 小生は、キャブレターの研究に没頭していた、簡単な清掃やダイヤフラムなんかはあまり深く考えずにやっているが、改めて細かく観察すると実に奥が深い。こういった仕組みを考えた人間はすごいと思う。(写真1写真2
 
 小生がやっていること、ジャンクPCをいじくり回したり、ジャンク発動機をいじくり回したり、ジャンク農機具をいじくりまわしたり、ジャンク専門だなあ。
 jtqのラオスだより

 昨日(2/7)ラオス北部のジャール平原に行って来ました。大きな石を臼の様にくり抜いた摩訶不思議な遺跡があります。何の目的で作ったのかはっきりしないそうです。ラオスと言えば思い起こすのはビエンチャン、インドシナ戦争ですが、私はここで辻政信を思い出しました。ノモンハン事変を主導した軍人ですが、敗戦直後戦犯追求を恐れて印度支那を逃避行しその後帰国し国会議員にもなりました。その後公用旅券でラオスに入国、僧侶に変装しジャール平原を最後に消息を絶ったのだったと思います。何のためのラオス入国なのか今でもはっきりとしたことは分かっていません。彼の生き様には共感出来ませんが、昔読んだ彼自身の著作は興味深く読みました。
 
 ラオスは見るべき歴史的遺産は余り有りません。しかし国情や風土を知ることが出来ました。ここでもChina の進出は目を見張るものがあります。国の借金で建設中の鉄道は建設資材、作業員全てChina からだそうです。又セメント工場や流通網も牛耳っているようです。それらには漢字でChina企業の名が有ります。ルアンパパールのレストランオーナー(日本人)の話では10年前はこんな事は無かったのにラオスの将来が心配だと話していました。
(写真1写真2写真3写真4
 ラオスは社会主義国だそうだが、仏教が盛んなようだ、托鉢僧の列などを見るとラオスの日常生活に根付いてるようで、宗教はアヘンという社会主義国では珍しいことだ、でも、仏教の究極は社会主義的は考えかもしれない。
 
 Chinaはアジアでもアフリカでも、インフラ事業にどんどん融資という形で貸し付けて、返済できなくなると担保として取り上げる高利貸しのようなことをやっている、China主導のAIIBがまさにそうである。


令和 2年 2月 7日 (金)

 小雪のち霙の一日。
    最低気温 0.9℃ (01:59)、最高気温 2.3℃ (15:17)

 今朝は東日本で冷え込んで東京の中心部でも氷点下2℃以下を記録したというようなことを伝えていたが、西日本、と言うより、九州、と言うより、当地では車のガラスも全く凍らないほどの高めの気温だった。ただ、夜中にヨナが降ったようで、車や階段などが久しぶりに黒くなっていた。しかし空気が乾燥しているので、スノーパウダーのようにサッと払うだけでキレイに落ちた。(写真1写真2
 
 午前9時過ぎに窓の外を眺めたら、細かな雪が降っていた、今日は午後辺りから雨か雪と言っていたが早々と降り始めた。今日は夏子の高校のマラソン大会で、十数キロ走らんといかん、と言って登校していったが、小雪の中、大会は予定通り実施されたそうだ。ゴールしてから保護者が作ってくれた豚汁が美味しかったと言っていた。
 
 午前中は、まあ、地面にはほとんど残らないほどの雪だったが、その後は霙に変わってほとんど一日中降っていた。気温がほとんど上がらずに寒い一日だった。朝、古閑の滝が大分凍っているのが見えた

 定点撮影
 登校風景 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10 )

 今日は終日、とりとめもなく過ごす。
 
 晩飯。昨日の鍋のアンコール、昨日作ったやつがたくさん残っていたので今晩もそれにした。今日こそ鍋に相応しい寒さだった。


令和 2年 2月 6日(木)

 晴れ、冷え込んだ、そして日中は穏やかに晴れた、今季一番の冷え込みだったろう、気持ちが良かった。
     最低気温 -5.7℃ (06:40)、最高気温 8.1℃ (16:12)
     アメダスポイント阿蘇乙姫 最低気温 -6.7℃ (06:23)

 朝のうちは、今日は山は穏やかだなと思ったが、やはり活発に噴煙を上げていた。夕方、「幻日」と言ったか、虹色の光も見えた。
 ( 写真1写真2写真3写真4

 定点撮影
 登校風景 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8)

 執念と言うか、意地と言うか、オンボロノートPCのWindows7のWindows10へのアップグレード挑戦、今日もやったぞ。そして虚仮の一念岩をも通す、とうとうやった。何回目の挑戦だろう、ただ、まだ完璧ではない。無線LANEモジュールは外してあるので、当然ワイヤレスでインターネットは出来ない、のみならず、有線LANでもネットが繋がらない、リソースの容量が足りないそうだ、このトラブルは結構、ネットに載っている、またトラブルシュートだ。それでもアップグレード出来たぞ!

 何度も何度も失敗してそのたびにダウンロードしていたので、時間がかかって仕方がなかったが、今回はインストールメディアを作って、それでやったところ、今までの時間の数分の一の短い時間で出来た、ワンクッション置いたのがうまくいった要因かもしれない、どこかにそういった記述があったような気がする。(写真1写真2写真3写真4

 午前中、たづ子さんのところに残してあった薪材の積み込みに行ってきた。今日全部運ぼうかと思ったが、重機を使っても、結構微妙なハンドリングが必要でそれに危険も伴い、人力もいるので、今日は一回だけにした、あともう二回くらい運ばなければならないだろう。

 昼過ぎのうららかに日差しのなか、写真ではよくわからないが、ハチたちが「時騒ぎ」でウトの前を飛び回っていた、こんな時期でも世代交代の飛行訓練はするのだろうか、真冬には花は無いと思っていたが、冬の間、咲いている花もけっこうある、そして梅も咲き始めた、もうすぐだ、春遠からじだ。

 冷え込んだので、朝の会話「こんな日は鍋だね」「賛成!」「賛成!」と満場一致だったが、日中は穏やかで、夕方になっても寒いという雰囲気ではなかったので、鍋、ちょっと気分ではないかなと思ったがみんなが喜ぶので予定通り鍋にした。

  もう、確定申告の還付金が戻ってきた、132,813円也、小遣いではない生活費になる。いくら貧乏でも目の前に金があるとついつい無駄なものに使ってしまうので、天引き貯金のつもりで年金の所得税を多く引いてもらっているのだ。

 今回問題になっている現在横浜港にあるクルーズ船は「ダイヤモンド・プリンセス」というらしいが、このほかにも、「ワールド・ドリーム」だとか「ウエステルダム」などというクルーズ船が新型コロナウイルスと一緒に名前が上がっている、こんなに、日本周辺にはクルーズ船とやらが動き回っているのか。クルーズ船というものは、昔は金持ちがノンビリ世界中を旅する手段だったが、今や、格安で団体客を大量に運ぶ船になった印象がある。何千人も乗ったクルーズ船という閉ざされた世界で事件や事故が起きて、ある種「漂流」を続ける、まるでサスペンス映画のようなことが今現実に起こっている。


令和 2年 2月 5日(水)

 ここのところ、西高東低の冬型が安定しているので朝の気温が結構下がっている。明朝は氷点下6℃という予報が出ている、となるとこの冬一番の寒さということになるが。
    最低気温 -3.5℃ (06:14)、最高気温 7.7℃ (14:22)

 定点撮影
 登校風景 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10 )

 午前中いっぱいかけて薪を作った。今回は細めの薪を作った。太い薪ばかりでなく細いやつも、必要な時がある。薪材の集積場所で作ると、車に積んで運ぶ手間がかかるので、今日は薪材の持ち運びが楽だから薪小屋前まで運んでそこで作って、切った端から小屋に放り込んだので楽だった。(写真1写真2)
 
  気温はそんなに低くなかったが風が強くて、その風をもろに受け続けて作業をしたので、寒かった。それでも今日、我が家の梅の花が数輪開いた。

 午後から、今日も道楽のキャブの調整を続けている。

 夏子は昼過ぎに帰ってきた、学校では先日の高校入試の選抜会議でもあるようで、生徒は学校に残ること相成らぬということで、早々と帰ってきたそうだ。

 太郎、水泳教室。
 
 晩飯、カレー。水泳教室がある日はカレーとだいたい決まっている。

jtqが少し前にご夫妻でシルクロードに行ったと思ったら、こんどはラオスに行ってるらしい。
 2/4夜
 こんばんは、ラオスのビエンチャンにいます。昨日迄バクセー、メコン川のシーバンドーン地方、フランス植民地時代のコン島などを回って来ました。ラオスの地方はとても貧しく電気は通じている村でも水道が来ているのは極めて希です。裸足の子どもたちも多くみられました。しかし人びとはとたも素朴で、言葉は通じませんが挨拶をすると笑顔で答えてくれます。日本のODAで供与された路線バスが京都府営とか漢字もそのままで走っています。
 
 ラオスは社会主義の国ですが貧富の差は著しく、地方の農民には行政の手は届いていない様です。治安はとても良いと思います。警察官の姿は殆ど見当たりません。
 
 新型コロナウィルスが蔓延する中、幸いにも今のところラオスには感染は無いようです。来週の月曜日には帰朝します。症状が無くても感染している事もあるようなので、帰国してからは暫くテニススクールや人ごみには行かないようにするつもりです。
 
 ps.中国の習近平が予定通り国賓として来日すべく政府は進めているようですが世の中どうなっているのでせう。
和文モールスマスターされたとの事、私は電信ここ何年もやっていません。受信能力も多分ひどく低下していると思います。たまにFT8で遊んでいます。今度週1度でもスケジュールを組んで交信してみましょうか?
(写真1写真2写真3

  2/4朝
 え~っ?今度はラオスですか、ラオスってどこにあると言われても正確に思い出さませんね、ASEAN諸国の中でも他の国に比べてなかなかイメージが繋がりません、ここも社会主義国ですか、ラオスと言えば迷わずにすぐにビエンチャンという言葉が浮かんできますがが、それだけ過去の記憶が強いということですが、なんだったのだろう、ベトナム戦争関連だったろうか。こうしてLINEが届くところをみるとインターネット環境は中心部だけだと思いますが整備されているようですね。地図で確認しました、ベトナムの隣で同じ様に南北に長い国なんですね。

 習近平なんか来なくていいのにどうして招くのでしょうね、実に不愉快ですね、特に、jtqは少し前にシルクロードに行って、ウイグルへの迫害を目の当たりにしているので特にそう感じるでしょう。
 
 jtqはDXCC Honer Rollでしたね、最近アクティビティが落ちているそうですが、ほぼ頂点を極めたので、飢餓感が無くなったのでしょうね。小生の和文はまだ実践レベルには達していません、いまだに瞬間的に欧文が頭に浮かぶので、毎日毎晩、延々とランダム和文符号を聴いています。小生はDXは興味がないので、和文のほうが思ったことをそのまま打てばいいので、いいと思っています、なんとか早く自在に和文を操られるようになりたいものです。
 
 毎日毎日コロナウイルスコロナウイルスとニュースで騒いでいます、用心のために帰国後はしばらく出歩かないほうがいいかもしれませんね。これだってCHINA(シナと言うと差別用語らしいので、英語表記で書いています、これだってシナなんですけどね )共産党独裁政治が隠蔽した結果でしょう、本当にロクでもない国です。
 
 ラオス旅行、十分に楽しんで、どうぞお気をつけてお帰りください。(Lineの文章、そっくり転載、マズイかな)
 2/4朝
おはようございます。日本と時差2時間、今朝食です。ラインの内容転載OKAY です、


 『新型肺炎で嵐山も金閣寺も「人がいない」 京都の観光地、激減』と、ある新聞の見出しにあった。 今までが異常だったのだ、インバウンドで歩けないほどだったという、今こそ静かな京都を味わうチャンスだ。 



令和 2年 2月 4日(火) 立春

 晴れ。ひさしぶりに青空がいっぱいに広がる。今朝の気温が結構低かった、予報でそんなこと言っていたかなあ。ヘタっているバッテリーなので旗振りに出かける時、エンジン始動でなかなかかからず危うく上がりそうになった。でも昼間は暖かった。明朝も今朝と同じような気温になるらしい。
    最低気温 -3.8℃ (06:46)、最高気温 10.3℃ (13:47)
    アメダスポイント阿蘇乙姫 最低気温 -5.2℃ (07:25)

 阿蘇中岳、今日も活発に噴いてた、噴煙が西から東に流れて、坂梨の町、少しヨナが降ったかもしれない。
  ( 写真1写真2写真3
 
 定点撮影
 登校風景 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6・写真7写真8写真9写真10 )

 今日も薪つくりをする気になれず、道楽で過ごした。キャブレターの調整がなかなか難しい、というより、インレットニードルバルブがスムースじゃない、変形しているのだろうか。
 
 今日もまた飽くなき挑戦、ノートのWindouws10へのアップグレード作業をやった。今日は無線LANモジュールのドライバーを削除してみたが、結果は昨日と同じ、48%の段階であえなくフリーズ。デスクトップじゃないので、そうそう取り外す周辺機器も無いしなあ、また別の方向から攻めてみよう。( 写真1写真2写真3写真4写真5 )
 
 晩飯。八宝菜など



令和 2年 2月 3日(月) 節分

 曇り
   最低気温 -1.3℃ (03:45)、最高気温 8.9℃ (13:16)

 定点撮影
 登校風景 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10 )

 今まで何度もやっては失敗している古い非力なWindows7のノート、なんとかWindows10にしたいと、性懲りもなくまた今日アップグレード作業に取り組んだ。
 
 失敗する原因が、ハードディスクの空き容量と周辺機器が問題だと思っている。そこで、徹底的にHDの掃除をして、32bit機で必要とされる16GBを捻り出して、周辺機器としては、無線LANモジュールだと見当をつけて、それを取り外して優先LANで作業を始めた。(写真1写真2

 例によって数時間かかって、いままで途中で失敗していた部分をクリアして、Windows10へのアップグレードが終わった。
 
 とばかり思っていたら、「窓」のロゴが表示されてWindows10の環境下に移って、「更新プログラムの構成をしています」という画面に移って、延々と、昔で言う「砂時計」が回って、更新作業が続いていたが、進行が48%まで行ったところで、フリーズしてしまった。
 
 結局今回もそこまでで、強制電断をして再起動をかけたところ、ここが変な誉め方だが、しっかりしたOSで、また自動でアップグレード開始前のWindows7に時間をかけて戻してくれた。無線LANモジュールは取り外したが、ドライバーはそのままだったのが原因だろうか、また、再挑戦だな。
 
 そういった長丁場の作業の間にPCに張り付いている必要がないので色々とやった。
 
 今日は久しぶりに薪でもつくるか、と用意をしたが、その先に進む手前で方向転換で、薪材を引っ張り出して整理した段階で道楽の方に向きを変えた。今調整中の農機具の2サイクルエンジン、いよいよキャブを取り付けたが、どうも燃料が行かない。再度分解してみたら、ニードルバルブをダイヤフラムの「呼吸」に合わせて、上げ下げして燃料を送るシーソーのような、何という名前か、その非常に小さな部品の動きがどうもスムースでない、この部分の調整が必要である。
 
 調べたところ、そのシーソーのような部品はメタリングレバーというものらしい、そのメタリングレバーの隙間が重要なようでわざわざそれを測るメタリングレバーゲージなるものまであるようである。

 夏子は今日は学校が休み。今日は県下一斉の公立高校の前期入試が実施されていて、そのために授業が行えないので休みなんだそうだ。しかし、休みの代わりに、今日は「模試」をしなければならないと終日机に向かっていた。自宅で模試?と訊いたら、今の時期、有名予備校が実施する模擬試験が全国的に行われていて、一昨日、熊本にクラスでバスを仕立てて出かけたのも、代ゼミだったかどこかの主催する模試を受けるためだったそうで、今日はそういった模試の一つ、(熊本では会場実施が無かったのかもしれないが)会場に行く代わりに自宅で各人が問題を解く模試なんだそうである、クラス全員でやることになっているようだ、自宅で監視無しでやるって当然インチキ無しだろう?もちろん!だそうだ、自分の実力判定でインチキをしても仕方がないからな。これから一年間、度々、模擬試験があるらしい、受験生は大変である。
 
 昼飯は、中通りにある「しんちゃんうどん」に連れて行った。ここの店は安くて美味しくて本当に人気のある店でいつも満員状態である。(写真1写真2

 今日は節分、午後5時から神事が始まる阿蘇神社の節分祭に太郎を連れて行った、夏子も行くか?と訊いたら、まだ問題が残っているから行かないということで、学童に太郎を迎えに行って阿蘇神社に行った。
 
 太郎、保育園の頃、何度か阿蘇神社の節分祭に連れてきてやったのに、完全に忘れていた(あとで調べたらH28年が最後だったかな)、今日も行く前に、どんなものか分からずに行き渋っていたが、終わって帰る時に、面白かったあ、また来年も来たいと言っていた、そうか、もう三年ほど前になるのか、保育園のちゆき先生が護摩木撒きに見えていた、懐かしかったなあ。

 阿蘇神社の節分祭は、豆撒きでなくて、豆の代わりに「護摩木」を撒く全国的にも珍しい節分祭である。直に神殿を望む場所で護摩木撒きは今年で最後で、来年はもう拝殿が建っているか建設中で、そういことでは今年は貴重な護摩木撒きということになる。
 
 阿蘇神社 節分祭 護摩木まき 連続写真 (1/2) 2020/02/03
 阿蘇神社 節分祭 護摩木まき 連続写真 (2/2) 2020/02/03

 我が家での「豆まき」、阿蘇神社の護摩木撒きばかりが頭にあって夕食が終わるまで完璧に忘れていた、例年だと事前に用意をするのに、それすらも今回はしていなかった。まあ、阿蘇神社の護摩木撒きに行ってきたから今年はそれで全てということにした。

 世の中、今日は恵方巻とやらの日だと思うが、我が家では、特に小生は絶対に恵方巻きなんか買わない、あんなもの買うものか。今日は久しぶりにジンギスカンを食べた。時々ネットショップで、半額セールをするので、その時を狙って買っている。どうしてこの地の人間は羊の肉を食べないのだろうか、羊を飼う環境には全く問題がないと思うのにどこの店にも羊の肉は皆無である、単なる食習慣だけのことだろうか。阿蘇の高原で牛や豚や鶏だけでなくジンギスカンをやれば絶対に儲かると思うのに誰もやろうとしない、こんなに美味しいものを、残念である。
 
 今日もいろいろと忙しい一日だった。


令和 2年 2月 2日(日) 今日は2並びの日だった。元号でも西暦でも。2020年02月02日

 穏やかに晴れる。
   最低気温 -2.6℃ (05:48)、最高気温 8.9℃ (14:55)

 夏子は模擬試験(どういう性質のものかは知らないが)で、クラス全員で(と言っても、十数名だと思うが)バスを仕立てて熊本まで出かけた。太郎はカミさんは、朝早くからかんぽの宿のテニスコートを借りて二時間ほど練習をしてきたそうである。
 
 太郎とカミさんが昨日参加した産山村での「兎追い」の記事が今朝の新聞に載っていた。太郎は写っていなかったがカミさんが写っていた。太郎が昨日、大きなウサギだったと言っていたが、写真を見ると確かにそうだ。昔は兎追いの後でみんなで食べていたが、今は動物愛護だそうで、また放すそうだ。そういえば、皇室のカモ猟もそうだった。
 
 ついでに同じく今朝の新聞に西南戦争慰霊碑復興の記事が載っていた。

 小生はノンビリ、道楽をして過ごす。整備中の農機具のキャブを徹底的に分解して掃除をした
 
 豆腐屋のPCの入れ替えで、今まで使っていたPCが入れ替えを前に故障していたが、どうもメモリーが壊れているような気がしたので、メモリーを取り寄せて、今日交換に行ってきた。思ったとおり、メモリーが壊れていた、今まで2GBのメモリーが一枚しか入っていなかったので2枚入れておいた。どうせ、入れ替え後は古いPCは小生のところに来ることになっているので、今のうちについでにメモリーを増設しておいた。このPCはWindows10にアップグレードできるだろう。
 
 今日、カミさんたちがマスクを買いに行ったところ、新型コロナウイルス騒動でこんな山奥でも売り切れで無かったそうだ、インフル予防で要るのにどうしてないの?と娘なんか怒っていた。ニュースなんかを見ていると、日本から中国向けにホイホイ大量のマスクを送っているようだが、一体どうするのだ?日本のインフルはどうでもいのか、どうも、政府も文化人もマスコミも中国に対して気を使っているが、どうもオカシイだろう、チベットを見ろ、ウイグル族を見ろ、尖閣諸島を見ろ、その他にもたくさんあるぞ。 



令和 2年 2月 1日(土)

 久しぶりに晴れた。
   最低気温 -1.6℃ (07:06)、最高気温 8.9℃ (14:44)

 義父が今日満八十歳になったそうだ、めでたい、小生の先達として元気ていてくれて有り難い。夜、太郎たちがおめでとうの電話をしていた。

 今日もチェンソーを整備して昨日の小嵐山麓の公園整備作業の手伝いに行く。基本はチェンソーでの助っ人だったのだが、結局、それ以外の刈り取った草などの焼却作業などもやって、4時半ころ、従兄の滉兄が見えたという連絡があったので、そこで仕事をやめて帰ってきた。
 
 滉兄は熊本市内まで墓参りに来たついでにわざわざ足を延ばして来てくれたそうだ。カミさんと太郎が出かけていて、夏子が小生が帰るまで相手をしてくれていたようだが、うちの子達はあまり社交性が無いので、小生が戻るまで結構緊張のしっぱなしだったろう。
 
 カミさんと太郎は、産山村で行われた「兎追い」に参加するために出かけて、そのあと、かんぽの宿かどこかでテニスコートを借りて二人でテニスの練習をしてきたようだ。(兎追いの写真は翌日の日記に掲載)

 もう一年も1/12が終わった、あっと言う間である。Windows7のサポートも終了して大分経った、たまたま月初めになっただけだが、今日、システム要件でWindes10にバージョンアップ出来ないノートPCに、Windows7でも機能する無料のセキュリティソフトを入れた。本家本元がサポートをやめたサポートを有料でもやってくれるところが殆ど無いのに、それをやってくれるだけで有り難い。たとえ有料でもやってくれるだけでも有り難い、それにつけても製造責任を放棄して何もしない本家本元のマイクロソフト社とはロクでもない会社である。

 こういった太っ腹な無料ソフトの発信元はすべて海外である。日本の情報通信関連企業はチマチマとカネを取る、基本的に、日本の場合は木戸銭で儲け、海外は入場後に演物によっていろいろな工夫をしてカネを払わせる。入場は無料、入ったあとで使う施設でカネを払う、この違いである。無料ソフトも更にカネを払うともっと高機能のソフトを使える。だから、それほどの機能を必要としないのであれば無料版を使えばいいのである。尤も、高い入場料を払わせて中でまた利用料を取る、ナントカランドといったテーマパークもあるが。
 そもそもタダで使おうという根性がケチなのかもしれないが、そういったソフトは追加料金を払ってでももっと機能を高めたいという気を起こさせるもので、また、無料で提供してくれる姿勢に「ありがたい」という気持ちが生じて、使用料を払いたいと言う気持ちにさせてくれるものである。それがモノの売り方である。テーマパークを例に取ったが、インターネットの世界がまさにそうである、日本と海外とのインターネットの利用方法である。
 例えば、最近になってようやく無料化が進んできているが、フリーWiFiがそうである、日本の場合、まず繋ぐところでカネを取ろうとする、海外からやって来た人がまずこれに不便を感じる、いわゆる「木戸銭」方式である、日本が遅れている証左である。
 
 更に、例えば、当地の行政がやっている光ネットがそうである。個人が自宅でインターネットをするのに、「有料」は、これはまあ分かるが、小生は、市内にある公民館では、インターネットの接続を開放したらどうかと、市のひかりネット開始時から思っている、市にかけあったこともある。市としてはなんとか「ひかり」の加入者を増やそうと、時々会場を作ってインターネット加入キャンペーンなどをやっているが、そんなことをして、新規加入をする人は少ないだろう。それよりも、公民館でインターネットを開放して地域の人が公民館の端末で、自由にインターネットが出来るようにしたほうが、インターネットの敷居が高いと思っている人を引きつける効果は遥かに大きいと思う。それでインターネットの面白さを覚えた人は、公民館に出かけなければインターネットをすることができないという不便さに、自分の家でも出来るようにしたいと思うようになるのである。そこが木戸銭で金を取るか、入場後にカネを取るかの違いである、この違い、分かるかなあ。インターネットに限らず「市」の考え方は、須らく木戸銭方式でしか考えていない、いろいろな施設をその施設だけの収支だけでどんどん廃止している考え方である。
 
 
 イギリスがEUから離脱した、小生は最終的に離脱しないだろうと思っていたが離脱した。これから先、どうなるのかは、小生には分からないが、それ以前に、「EU」という考え方、これはうまくいくのかと昔から思っている。民族や制度や文化や経済力などが違ういくつもの国が一つになってうまくいくのだろうかと思っている。それが、EU発足して何年になるのだろう、いろいろあっても、今まで一つの「圏」としてやってきているので、不思議だなあと思っていた。
 
 新型コロナウイルス、子供が罹ったニュースがないと昨日日記に書いたが、今日、どこかの国で3次感染で子どもに伝染したというニュースが出ていた。