風師庵日記目次へ
令和庚子(2020) 2年 1月の記録 (新しい日付けの順)
令和 2年 1月31日(金)
例年だと特にどうということはない気温だが、今冬は暖かたったので、今日は久しぶりに寒いと感じる一日になった。(写真1・写真2)
最低気温 0.3℃ (02:59)、最高気温 8.1℃ (13:43)
阿蘇中岳噴煙・・・無尽蔵である。
定点撮影
登校風景 ( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10 )
午前中、西仲の藤井さんが散歩の途中に寄られて、話題の中でミツバチの話が出たので、久しぶりにウトの中をチェックした。少数精鋭の越冬隊は元気だった、砂糖水が無くなっていたので補充しておいた。もう少しの辛抱だ、もうすぐそこに春はやってきている。(写真1・写真2)
午後から小嵐山の麓の黒川のほとりにある川沿いの公園の整備を請けている登士男さんから、ちょっと手を貸してくれと依頼があって、チェンソーを持って手伝いに行ってきた。地面を這うように植わっている非常に根性の悪いひねくれた木が、何箇所かあって、長年月でジャングルのように枝葉を伸ばして、処置なしの状態なので全部切ることになったそうだが、これが枝葉が邪魔をして足場も悪いこともあって大変な作業で、夕方までかかってとりあえず、大まかに切り落としたが、時間が無くなったので、今日は中途半端ながら失礼してきた、また明日続きをすることにした。(写真1・写真2・写真3)
晩飯。週末なので、ちょっと腕を振るおうかと思っていたが、助っ人仕事で時間が無くなったので、餃子にした。
太郎が、ニュースなどを聴いていて、「お父さん、新型コロナウイルスは子供には罹らんと?」と訊いてきた、言われてみればそうだなあ、本家は情報を出さないから分からないが、確かに日本を含めてそれ以外の国で、いままで子供が感染したニュースは流れていない気がする。
令和 2年 1月30日(木)
曇り。
最低気温 3.6℃ (05:24)、最高気温 9.4℃ (14:18)
今日も大量の噴煙が上がっていた、風が北寄りでよかった、山の向こう側は大変だろう。
定点撮影
登校風景 ( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
今日は、豆腐屋の古い方のパソコンのちょっとのつもりでメンテに寄って、未登録のメールアドレスをついでに登録しておいてやろうと思って、始めたががどうしても設定できないので、プロバイダーに電話をして訊いたが、どうも要領を得ないので、デスクトップPC本体を持っていって先方で設定してもらうことにした。ところが、故障して動かなかったやつを昨日ようやく直して動いていたのに、今日持っていって向こうでセッティングしたところまた動かなくなって、結局何もせずに持ち帰って全くの無駄足になった。
そんなこんなで、今日は他のことは何も出来なかった。ただ、何度も何度も何度も、分解しては組み立ててもどうしてもかからなかった、これは2サイクルのガソリンエンジンの農機具なのだが、キャブもマフラーも全部外して、キャブクリナーをシリンダー内に吹き込んでリコイルを引いたところ、ようやく、かかった、これは今まで何度もやったのにかからなかったのに、今日はかかった、その後、何度か試したが、ちゃんと数回はエンジンが動く(燃料、キャブが無いので当然だが、それでも数回はバリバリ動く、一吹きで一回でなくて数回爆発するから面白い)、今まで動かなかったのにどうして動いたのだろう、これからキャブレターを付けたりして、組み立て直してちゃんと動くかどうかだな。
新型コロナウイルス騒動で、武漢からチャーター機で29日に帰国した邦人のうち、2人が感染の有無を調べる検査を拒否したそうだが、どうもよくわからん、どうして拒否するのだろう、普通は検査受けるだろう。検査を受けると他のなにか都合の悪い薬物反応がでる心当たりがあったのか、そうでなければ”リベラルな”「人権意識」が強い人なんだろう、そもそも行っていた国が国だから、政治的になにか繋がりがあるのかもしれない、「細胞」かもしれない、とついつい勘ぐってしまう。
。
晩飯。柳川もどきなど
令和 2年 1月29日(水)
朝のうち、雲の間から久しぶりに青空が覗いたが、その後また雲に覆われて、午後からは細かな雨が降っていた。( 写真1・写真2・写真3・写真4
最低気温 4.4℃ (08:14)、最高気温 9.9℃ (13:52)
今日も雲に隠れて山がほとんど見えなかったがが、そんななかで、時々、姿を表すと、相変わらず真っ黒な噴煙が噴き出していた。
阿蘇谷平野部は気温が高めの日が続いているが、今日、雲の切れ間で姿を見せた高岳頂上付近には白い雪が見えた。
定点撮影
登校風景 ( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
朝一番で、久しぶりの、今年始めてになるが、床屋に行ってきた、1月も終わろうという頃になって「あけましておめでとう」を言ってきた。
床屋が終わって、その足で目と鼻の先にある豆腐屋のPC買い替えのサポートをしてきた。
今まで使っていたPCがWindows7だった、調子が良ければそれをWindows10にアップするのだが、最近、時々止まって、そのたびに、小生が直しに行っていたが、Windows7のサポートも終わったので、この際、新しいPCに買い換えようということになった。
ところがオンラインで注文しようと思っていたところに、とうとう今まで使っていたPCが完全に動かなくなった。
已む無く、小生の手持ちのPCを持っていってそれでオンライン注文をしよとしたが、考えてみたら、注文のやりとりをするのにメールアドレスが必要で、小生のPCには豆腐屋のメールアドレスでは送受できない。
とりあえず、小生が豆腐屋になりすまして、豆腐屋のメール環境を作って送受信をするようにしたが、それにしても、どうして、ネットでPCを注文するのは面倒なんだろう、とにかく選択肢が多すぎて、説明がわかりにくい、それに、いろいろな割引方法があって、なんとかクーポン、なんとかクーポン、など一つの商品に複数の割引が設定してある。うっかりすると見落とすことになる、小生は何度か経験しているので、なんとか大丈夫だったが、もっと簡単にやればいいのに、結局、約半分の値段まで値引きしてDELLのデスクトップを注文した。とにかくインターネットが出来て、Wordが使えればいいというので、一番安価な機種を注文した。
太郎、水泳教室
晩飯、カレー。こどもたちはカレーを喜ぶなあ。
令和 2年 1月28日(火)
曇り、時々小雨が降っていた。
最低気温 6.1℃ (05:16)、最高気温 10.3℃ (13:57)
定点撮影
登校風景 ( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
朝起きて、e-Taxで確定申告書を作成して、8時過ぎには送信して、手続きは完了した、今年は実にスムースに行った、制度が始まった頃よりはかなり使いやすくなったが、それでも結構まだ面倒である。今年も、130K以上が還付される、「お小遣い」になればいいが、全部生活費に消えるのだ。
連日新型コロナウイルスで騒がしいが、細菌などと違ってウイルスにはアルコール消毒は効かないと思っていた、ノロウイルスなんかそう言われていたが、コロナウイルスはアルコール消毒は有効なんだそうだ、へえ、そうなのか。ノロだって強力ではないが効果が無いわけではないそうである。
ジャンクいじり、固着している部品を分解するのに、どうしても必要なので小型だがバイスを買った。はやりスパナなどの組み合わせでやるのと違って力が入る。バイス無しでやっていると、部品に傷を付けてしまう。
お母さんは今晩はお仕事関係で外で食事をするそうだから夕食はカキフライにするぞお。子どもたち「イェ~イ」。
カミさんは牡蠣アナフラキシーだから普段なかなか牡蠣フライを食べる機会がない、去年は結構その機会があったが今年は少ない、今シーズン初めてのカキフライだろう。
令和 2年 1月27日(月)
低気圧通過で少し風が強かった、「少し」である。直近を通るのでもっと強いかなと思っていたが、ここでは大したことはなかった。終日、細かな雨が降っていた。
最低気温 5.2℃ (00:00)、最高気温 11.6℃ (12:57)
本日雨量 16.5 mm(20:19現在)
連続雨量 40.6 mm(1/25~)
最低気圧 998.3 hPa (16:59)
最大瞬間風速 8.9 m/s (6:33) (ここから30キロ離れてる益城町で約28m、南小国で約18m、熊本市で約21mの風が吹いている、高地でいつも風が強い、ここであまり吹かなかったことは珍しい)
定点撮影
登校風景 さすがに今日は歩く子はいなかった、太郎が歩いてくるのを待っていたが、いくら待っても来ないので、現場引き上げで家に戻ってきたら、ちょうど家を出るところだったので、今日はそのまま学校まで送っていった、歩くには雨と風が強かった。
新型コロナウイルスが世界中に広がりつつある、この新型コロナウイルスって名前だけが先行してマスコミで騒いでいて、小生もそれに引きずられている口だが、本当はどんなものなんだろう、未知の「新型」ということで騒いでいるけど、人によっては、新型には違いないが単なるインフルのようなもので、ある種の「カゼ」だ、放っておけば自然に治る、と言っている。もしかしたらそうなのかもしれない、新しい「流行り風邪」の一種なのかもしれないがウイルスが以前人類を破滅に追いやる「バイオハザード」という映画があって(もともとはテレビゲームのようだけど)、Amazon primeで見たことがあるが、ついあれなんかを想像してしまうのだ、マスコミもそのあたりをちゃんと調べて伝えて欲しいものである。
昨日地元で坂梨新春駅伝が行われていたころ、熊本市で「37回熊日郡市対抗女子駅伝」が行われた。今朝の新聞に阿蘇郡市は数年ぶりに5位入賞を果たしたとあった。その駅伝で坂梨の坂本香雪ちゃんも出場して活躍をした(区間三位)そうで写真が載っていた。保育園のころから識っていて、太郎の級友の泰増のお姉ちゃんでもある。おめでとう。
オマケ、時々、ネットで見るニュースの欄外に、どこかの広告が載っていて、その広告の写真が自分でも似ているなあと思っていたが、今日、ご近所の方から、これオマエだろうと訊ねられた、そう言われて改めて見てみたが身なりといい確かに似ているけど、違うのだが、それにしても似ているなあ。
まもなく確定申告が始まるが、小生は還付を受けることがわかっているので、確定申告が始まる前にさっさと申告を済ませて、早いとこ還付を受けたいので今日はちょっと事前に環境チェックしてみた、というのも、いつもe-Taxで申告をするのだが、手続きのいろいろな場面でちょこちょこ引っかかって結構無駄な時間がかかってしまうからである。申告のブラウザは相変わらずIE(とEdge)だけのようだ、これで以前無駄な時間を掛けたことがある、それからマイナンバーのカードリーダーでも、トラブったことがある、そんなこんなを今日チェックして、問題ないことがわかったので、明日にでも早速申告手続きを取ろうと思っている。
晩飯、キジ焼き丼。
令和 2年 1月26日(日)
曇り、午後に入って雨になる、九州の南に低気圧が発生して、今晩から明日、一荒れ来そうだ。
最低気温 5.6℃ (00:11)、最高気温 7.7℃ (12:19)
昨日の様子では間違いなく中止だろうと思っていた2020年(R2年)坂梨新春駅伝大会が予定通り開催された。朝起きてみると、てっきり雨だとばかり思っていたら、路面が濡れたあとはあったが全く降っていなかった、レーダーをみると九州地方には全く雲はかかっていなかった。
今年の我が第四分団のエントリーは全員小中学生、太郎も、大人区間の10区を走ることになった。近年の過疎化で、住民分布にアンバランスが生じており、第四分団では大人の走者がいなかった。まあ、これじゃあ、仕方がないな、勝ち負けでなくて参加することに意義あり、だな、と思っていたら、オープン参加の全区間一人で走った別格の選手と、もう一チーム、地元の企業からの参加を除くと、なんと、太郎たちの四分団が一位で優勝してしまった、これは下手な大人より元気な子供のほうが早いということか。
小生、太郎がタスキもらう中継地点まで送って行って、太郎の希望で、太郎が次の選手にタスキを渡すその先の中継地点で写真に撮ってくれと言われて、先に行って待っていたところ、勘違いして、二つ先の中継地点まで行ってしまって、肝心のタスキ渡しはおろか、太郎が走るシーンも見ることが出来なかった。太郎が言うには、一人抜いて、二人に追い越されたと言っていたが、それでも、結果、一位優勝だったので万々歳だった。
夏子は今日は確か英検だったと思うが試験が熊本の中心部であり、母親が送っていって、太郎の走るのを見るために、一旦もどってきて、また迎えに行ったが、カミさんもあっという間に走り抜けて太郎の写真を撮るヒマが無かったということで、今年の太郎の走る記録は無し、ということになった。
坂梨新春駅伝大会 (1/8)
坂梨新春駅伝大会 (2/8)
坂梨新春駅伝大会 (3/8)
坂梨新春駅伝大会 (4/8)
坂梨新春駅伝大会 (5/8)
坂梨新春駅伝大会 (6/8)
坂梨新春駅伝大会 (7/8)
坂梨新春駅伝大会 (8/8)
昨日の日記に新型コロナウイルス蔓延について書いたが、今日の新聞で、中国政府がようやく海外団体旅行の中止を決めたようだが、その旅行客が一番たくさんやってくる日本の政府は一体何をしているのだ、イレブンチンピン来日を控えてただあちら様の顔色を伺っているのか、何を遠慮しているのか、もっと毅然たる態度を示したらどうなんだ、武漢に大勢いる日本人は一体どうするつもりなんだ。ただ、一方、それほど騒ぐほどのものでもないという見方もある、しかしウイルスは突然変異する、そのメカニズムは分かっていない、だからその時になって慌てても遅すぎる。あの国はもともと情報を隠すから本当のところはわからないがその本家ですら今やかなりの危機感を持ってきているのだから、受け入れ側の当方はもっと神経質になったほうがいいと思うのだが。
と書いたところで、報道がアメリカに続いてロシア、中国、韓国、フランスも…自国民を武漢から退避させる動きと報じていることを知った、さらに、それを見てからかどうか分からないが、ようやく日本でもチャーター便で希望者を帰国させるそうである。そんなことはもっと早くやれ。
ついでに、海外からの旅行者、個人が、あるいは小グループが三々五々やってくるのはどうということはないが、あのクルーズ船とかいうやつで一度に何千人が徒党を組んでやってくるはどうも好かん、まるで元寇のようなイメージがある、各人がそれぞれ静かにやってきて静かに観光して静かに帰ってほしい。
令和 2年 1月25日(土)
終日、細か雨が降っていた、気温も昨日までほどの暖かさはなかった。明日も雨のようだ、新春坂梨駅伝は多分中止になるだろう。
最低気温 6.1℃ (但し18:02時点)、最高気温 9.4℃ (00:00)
太郎とカミさんは朝早くテニスのレッスンに出かけて、昼前に一旦帰ってきて、今度は夏子のピアノでまた三人で出かけていった。小生は、本を読んだり、道楽をしたりして過ごした。
China発の新型コロナウイルス、日本にやってくる旅行者が続けて発症している、春節で大勢の中国人がやってくる、これは放っておいていいものなのか、気持ちの中では落ち着くまでは入国禁止にすべきだと思っているが、普通、不要不急の旅なんだからやって来る側で自粛するものだろう。口蹄疫や豚コレラとちがって、伝染るのは人間なんだぞ。国会はこのこと議論無しか?いつまで経ってもサクラサクラか?
チェンソーの一台のガイドバーがかなり傷んでいてちょっと太めの木を切る時に切りにくいのでネットショップで買うことにした。ハスクバーナ純正、China製、などあるが、純正は非常に高い(5,000円強)、チャイナ製は信頼性に欠ける、ところがマキタでもチェンソーを作っていてそこのガイドバーが非常に安い(1,730円)、実際に作っているのはChainaかもしれないが、なんたってマキタの看板を背負っているのだから、信頼性は問題ない、しかもChina製より安い、チェーンタイプとドライブリンク数が同じでガイドバーの穴の位置、切込みも同じだから問題ないだろうと思って、マキタのガイドバーを買った。そして思ったとおり全く問題がなかった、が、あえて違いを言えば、ハスクのガイドバーの形状はちょっと「ずんぐり」していて、マキタはちょっと細身だった、だからコマ数が同じなのでマキタの方が少しだけガイドバーが長くなる。それから、ゲージ幅は同じだが、ガイドバー本体の厚みが、ハスクのほうが厚くてしっかりしている、マキタはちょっと華奢である。かくして、小生のチェンソーの一台は「ハスクマキタ」になった。
令和 2年 1月24日(金)
くもり。
最低気温 10.2℃ (但し19:10時点)、最高気温 12.7℃ (13:18)
定点撮影
登校風景 ( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
朝一番で、宇治歯科に行く、これで今回の治療は一応終わりである、あと一月後に通常のメンテナンスに行く予定である。
歯医者が終わって帰る時に気がついた、先日軽トラックのパンクを修理したばかりなのに、またパンクしていた、しかも二本もである。おそらく小生が大工仕事をしたときに、管理不良で落とした釘が原因だろう。最近は車を薪小屋前の非舗装部分に停めているが釘が落ちているのだろう。悪いことに、釘の一本はタイヤの側面付近に刺さっていたが、サイトウさんは、パンクがタイヤの横側の場合は修理が効きませんという。仕方がないのでタイヤ交換をしてもらうことにした。実は去年だったか、車検の時に、前輪が車検に通りそうも無いくらいにひび割れをしていると言われて、とりあえず前二本だけ新しいやつにして、後二本は古いままにしてあった、今回パンクしたタイヤは左側の前輪と二本目は同じ側の後輪タイヤだったので、新旧入り交じると色々と面倒だろうということで、この際、四本全部新しいタイヤにしてもらった、四本のタイヤと古いタイヤの処分費で合計16,600円だった、軽トラックのタイヤだ、安いといえば安いものである。
それはそうと、こうも頻繁にパンクするのなら、自分で出来ないかと思って、ネットで検索したところ、割と簡単に修理ができることがわかった。人の体だって開かなくても内視鏡や腹腔鏡でやるくらいだから、タイヤのパンクももっと簡単な方法は無いのかと思ったのだ、普通、タイヤ修理工場ではタイヤをホイールから外してタイヤの裏から修理をするから、まずタイヤを外す工具が必要だろう、それから外したタイヤを嵌めるのがこれまた大変だと思っていたが、特別な場合を除いて、簡単に言うとホイールから外さなくても表から釘を抜いて抜いた後に修理剤を挿入するだけでいいようだ、それ専用の工具も安価で売っている、これだと、頻繁にパンクしても、懐にはあまり響かないということになる。なにより自分でやるというのが楽しくていい。
晩飯。豚肉の味噌漬け、出汁巻き卵など。
令和 2年 1月23日(木)
昨夜は夢うつつに雨音を聞いていた、朝になって、ちょうど子どもたちが登校する時間帯に雨が上がっていった、その後は、青空が広がって、しかもバカ陽気になって、車の窓を開けて走っていても心地がよいくらいの気温になった。
最低気温 7.2℃ (00:29)、最高気温 16.5℃ (15:07)
車に積もっていたヨナは昨日からの雨がすっかり洗い流してくれていた。夕方見ると、噴煙は西から東に向かって流れていて風が弱いので麓付近に集中して漂っていた、こちら方向には全く来なかった。
定点撮影
登校風景 今朝の坂梨地区の徒歩通学児童は太郎を含めて7名だった。
( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
阿蘇文化調査研究会の例会があった。市の生涯学習講座に登録されている関係で、年一回、人権講話を受講する義務があり、今日は一部時間を使ってその講話があった。
晩飯。マーボー豆腐、エビチリ。
令和 2年 1月22日(水)
曇り、のち、午後に入って細かな雨がふりはじめ、夜には霧も出て、風呂に行く時にハイビームで走るとかえって乱反射で見にくかった。最低気温 -0.4℃ (01:54)、最高気温 6.7℃ (14:25)
今日はオマケに、ほとんど一日中噴煙がもろにこちら方向に流れ続けて、このあたりでも真っ黒になっていた。
( 写真1・写真2・写真3・写真4)
定点撮影
登校風景 降灰で、宿場通りからくる子どもたちは傘を差してやってきた。
( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
今日は完全休養日、本を読んだりして過ごした。
今日は「カレーの日」なんだそうだ。
昭和57年(1982年)に社団法人 全国学校栄養士協議会が1月22日の給食のメニューをカレーにすることを決め、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出されたことにちなんで定めらたとのこと。
太郎に訊いたら、給食はやはりカレーだったそうだ。
だからと言うわけではないが前から決めていたので我が家も今晩はカレーだった、太郎は一年中カレーでもいいと言っていた。
太郎、水泳教室
○
令和 2年 1月21日(火)
朝のうちは曇っていたが、その後どんどん晴れて、日が昇るまでは寒かったが一気に暖かくなった。、
最低気温 -0.4℃ (07:59)、最高気温 11.7℃ (15:48)
天気が良くなくてずっと山が見えなかったので、噴煙の具合が分からなかったが、今日は久しぶりに晴れて、山がよく見えた、そして、相変わらず噴煙上がっていた。
定点撮影
登校風景 天気がいいと、ひと頃より朝が早くなったなあということがよく分かる。
( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
皆が出かけた後、今日はまず最初に、軽トラックのブレーキランプの交換をした。昨夕、風呂に行く時に、外でテニスのラケットを振っていた太郎が球切れに気がついて教えてくれたので、途中ナフコに寄ってランプを買ってきておいたのだ。先日、前照灯を交換したばかりだったが、続いてブレーキランプの球切れだ。後ろのカバーは前よりは簡単で、ビスを4本外すだけだ。独りでやるときは、見えないので苦労する。ブレーキペダルの上に重しを置いてチェックした。カバーを外して初めて知った。尾灯とブレーキランプは別々の球かと思っていたが、前照灯と同じ様に、球の中に二種類のフィラメントが入っている。球を交換して、カバーをしないで、ぶらぶらした状態で試したところ、ブレーキ灯だったか尾灯だったか、どちらか一つしか点かない(多分ブレーキ灯だろう)、あれ?と思ってよく見ると、球をセットするソケットを決められた場所にしっかり挿入することで、そのソケットが入るケースに配線がしてあって、そこを通してもう一方のフィラメントが点灯するようになっているようだった。
今晩辺りから天気が崩れるようなことを言っていたので、昨日の作りかけの薪作りの続きをした。結局、食事の支度や太郎の迎えの時間が迫る4時ころまでかかってようやく作り終えた(二箇所)。今回はとにかく重くて体力を使う作業だった。多分、全部で1トン近くの木材を引きずって転がして切って積んで下ろしてをやったことだろう。ヘトヘトになったが、連日なので体が慣れてきたのか、夜に入っても疲れはあまり残っていない。
( 写真1・写真2・写真3)
ただ晩飯を作る時分にはもうくたびれ果てて、別の献立を考えていたが、作る気になれず、時間もなくなったので、餃子にした。それから、オカラのサラダが好評で、今日も作れというので、オカラだけタダで貰ってきて、作った。それとイチゴが安かった、粒が小さかったので、酸っぱいなら、砂糖とミルクを入れようかと思っていたら、甘かったので、そのまま食べた。
令和 2年 1月20日(月)
今日は大寒だそうだ、それほどの寒さではなかったが、風があって冷たかった。
今朝も朝から低く雲が垂れ込めていて、普段よりも薄暗くて、登校風景の撮影、小生のボロカメラでは弱い光を集めるのが大変だった。
最低気温 3.2℃ (00:44)、最高気温 7.2℃ (15:01)
定点撮影
登校風景 ( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
二三日後には天気が崩れるという、そういう日が断続すると困るので、今日も薪作りをした。今日の薪材はケヤキだ、重くて固くて太くておお仕事だった。小生、ここのところずっと筋トレをやっているようなものだ。新しいチェンソーのお陰で、太い木でもあまり苦にならないが、それでも、チェンソーのガイドバーくらい太い木になると、簡単に行かない場合がでてくる。チェンソーのガイドバーは真っ直ぐだが、ソーチェン(連続した刃)の目立てがいい加減だと、いくらガイドバーがまっすぐでも、切り口が真っ直ぐにならずに湾曲してくる。そうなると狭い隙間をガイドバーがまっすぐなため動かなくなるので、能率がガクンと落ちる。太い幹を玉切する時にはよほど上手く目立てをしないと切れなくなる、小生の技量では、普段はあまり影響がないが、今日のような太い幹を切る時には、下手さがすぐに現れる、何年やっていても「目立て」は本当に難しい。なんとか今日の予定分は玉切りが終わった。(
写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
小生が薪を作るときは、なるべく、ライブカメラで見える場所でやる、ひとつにはパフォーマンスという意味もあるが、結構危険な部分もあるので、誰も見ていない場所で万一チェンソー事故や木の下敷き事故でも起きたら、誰も気が付かないから、カメラが映しているところだったら、もしかしたら誰かが見ているかもしれないという確率からである。
晩飯。ギリギリまで薪作りをしていて、時間が無くなったので、大急ぎで作ったが、いつもより30分遅くなった。
肉じゃが、オカラの煮物、オカラのサラダ、味噌汁。オカラは豆腐屋で只でもらえる。
8時過ぎに仕事から帰ってきたカミさんが、ハチウトのところに狐がいたわよ、ピョンピョン跳ねてたけど大丈夫?と言う。別にクマじゃないんだからわざわざハチウトなんか、ひっくり返さないだろうと言っておいたが。
令和 2年 1月19日(日)
如何にも冬だなあというどんより曇った陰鬱な一日だった。それに寒かった。
最低気温 -1.0℃ (03:19)、最高気温 7.9℃ (14:08)
太郎とカミさん、二日連続のテニススクール、先週潰れた分の振替か。夏子は終日、机に向かっていた、もう三年ゼロ学期だそうだ。
小生は、環境整備と、エンジンいじり。動くエンジンはとにかくボロで、冬場は冷却水を抜かなれば凍結するが、コックをひねっても水が落ちない、水栓を取ってみたところ、積年のゴミやサビで完全に穴が塞がっていた、キレイに掃除しておいた。一方、動かない方のエンジン、動かないなあ。(写真1・写真2・写真3)
和 2年 1月18日(土)
センター試験の日は、昔から必ず雪になるというが、今日は、ここは寒かったものの何事もなかった、関東方面では雪模様のところもあったようだ。
最低気温 -1.1℃ (04:20)、最高気温 7.7℃ (12:38)
太郎と母親はテニスレッスンで朝早く出かけて、7時前に帰ってきた、夏子は、今日は「模試」だったそうで、8時間みっちり試験があったと言って、これも7時ころ帰ってきた。
小生は独りを堪能した。午前中いっぱいかけて、たづ子さんのところに薪材をもらいに行ってきた、大間のマグロ級の薪材ばかりで、前回一回もらいに行って、今回が二回目だが、あともう二回乃至三回は行かなければならない。(
写真1・写真2・写真3・写真4)
午後から、久しぶりにエンジンをイジった。どうしても動かない原因がわからないので、同じタイプのもので、とにかく動くというエンジンを入手した。昔から、先進技術を学ぶ時に、一台手に入れて、それをバラバラにして仕組みを学ぶという方法があるが、それである。尤もバラバラにしても、また組み立てて、いずれ転売するつもりであるが。
そうとうに汚れてくたびれて、これで動くのかと、半信半疑でずっと動かそうとしたが、なかなか掛からない、そして、もう店じまいをしようとした時に、ようやく掛かった(動画 4MB)。
クランクハンドルを回しながら、やはり実際に動くエンジンと小生が挑戦中のジャンク品から伝わってくる反応は確かに違う、動画なんかを見ていると、クランクハンドルを回すときにデコンプを手で操作しながら回す、とあるが、実際に掛かるエンジンは、そうしないと、クランクが回らない、それだけ空気の抵抗があるからである。小生のエンジンは、デコンプで空気を抜かなくても回るから、そもそも、そこでもう、オカシイのである、これは実際に動くエンジンで比較したから、わかることである。どこか抜けてはいけない部分に空気が抜ける箇所があるのだろう。
それにしても、ディーゼルエンジンは不思議なエンジンだ。点火プラグも無いのに、デコンプ操作で空気を抜きながらクランクハンドル数回まわして、デコンプを戻すだけでエンジンがかかるのだから、燃料だって軽油でいいのだから、これほど経済的なエンジンは無いと思う。実に不思議だ。
ご近所から米を分けてもらって精米してきた。これで今シーズン、何袋めだろう。
令和 2年 1月17日(金)
天気予報、大ハズレ、雨さえ降らなかった、低気圧が予想より南を通ったのだろうか、こどもたちは大雪に大いに期待していたのにがっかりしていた。あまり日は射さなかったが穏やかで暖かい一日だった。
最低気温 1.8℃ (07:01)、最高気温 10.8℃ (15:32)
定点撮影
登校風景 ( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
昨日言うことを聞かなかったチェンソー、今朝、寒い中、一発でかかった、どういうこっちゃ、昨日だってべつにプラグがかぶっていたわけでもないのに。とうことで、日和もいいことだし、化粧原集落に、薪材の積み込みに行ってきた、これで、ここの積み込みは終わりである。 (
写真1・写真2・写真3)
あとは・・・・たづ子さんの所に行かなければ・・・
昼から、台車を二台作った。ジャンクエンジンを載せるやつだ、とにかく重くて動かすのが大変なのである。
今日は朝から何度も阪神淡路大震災のニュースが流れている、もう25年経ったのだ。小生は当時、茅ヶ崎に住んでいて、遠距離通勤者でもう5時には起きて6時過ぎには家を出ていたので、地震発生時は出勤前の慌ただしい頃だった。確かあの時間はまだ定時放送が始まる前だったような記憶がある、臨時でニュースが入って、まだ映像がないので神戸に住むNHKの職員の電話レポートが流れていた、その時にその職員の家の周辺の被害は大したことなかたのだろう、そのようにレポートをしていた。そして、小生はそのまま出勤して、会社で皆がテレビを見ていて、高速道路が倒れて、黒煙が空を焦がしている中継を見て、初めて地震の大きさを知ったのだった。
その後、長い期間、6時の定時放送開始前のNHKテレビは、神戸の交通情報送が流れ、小生の頭に今でも残っているのは、「もんどやくじん」という駅名である、毎日、毎日、「もんどやくじん」駅まで、だったか、駅からだったか、それが何の路線だったかも覚えていないが、とにかく、阪神淡路地震というと、「もんどやくじん」とう駅名が浮かぶのである。
書こうと思っていて忘れた、記録としては残しておいたほうがいいのだろう、Windows7のサポートが二三日前に終了した、以降に見つかった脆弱性や欠陥はサポートしないということだが、常々思うのだが、これは本当にオカシイと思う、いわば欠陥商品だろう、欠陥商品を出しておいて平気な顔をしていられるのは、Microsoftだけだろう。
晩飯。チキンカツを揚げた。
令和 2年 1月16日(木)
晴れ。カラリという晴れではなかったが。
最低気温 -0.7℃ (03:59)、最高気温 6.9℃ (15:19)
阿蘇中岳、今日は活発に噴煙が上がっていた( 写真1・写真2)
定点撮影
登校風景 ( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10 )
薪を作った、なかなか小生のエンジンが掛からず、作業開始は11時ころになった、それでも、新兵器のチェンソーが絶好調で、あっという間に太い木を捌いて、細いやつは午後からに回した、ところがあれほど快調だったチェンソー、午後からエンジンがかからない、太いやつは終わっていたからいいようなものの、故障だろうか、気まぐれだろうか、明日にはまた掛かってくれるだろうか。
ということで、これだけの木材から、
これだけの薪を作って
トラックに積んでこのくらいの量で、
薪小屋にぶっ込んで、今までの備蓄を入れて、そうだなあ、10日、いや一週間くらいは大丈夫そうだ。
夕方になって知ったが明朝は大雪になるかもしれないと言っている、今日薪を作ったのは大正解だったようだ。
晩飯、カレー(昨日の鍋の残り汁をカレーのベースに使った)。
令和 2年 1月15日(水)
晴れたことは晴れたが、朝は雲ひとつ無い空だったが、放射冷却特有のようには昼間はそれほど気温が上がらなかった。(写真1・写真2・写真3)
最低気温 -2.1℃ (08:02)、最高気温 4.8℃ (15:47)
定点撮影
登校風景 ( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
朝、久しぶりに、砂糖水のチェックも兼ねてハチウトの中を覗いてみた、活動期のハチは大人しいが、冬季の餌の無い時期は気が立っているのか、非常に攻撃的になる、今日は予め、防護服に身を固めてカメラを突っ込んだところ、全くいる気配がなかったのに、突然結構な数のハチがワッと飛び出してきてブンブン周りを飛び交い始めた。内検が終わって離れてもしつこく顔の周りを飛び回っていた。で、中の様子は、というと、やはり数がかなり減っていたが、少数精鋭の越冬隊員たちがしっかりと巣を守っていた。
朝のうちは、そして、ここは外輪東端にあるので、太陽が差し始めるのが遅くて、朝すぐには活動開始ができない、今日も、薪を積込み行くにはコンディションが今ひとつだし、凍っていて薪を切る状況でもなし、かと言って何もしないのは罪悪感を覚えるしで、なにかしよう、そうだ、昨日の環境整備の続きでもやるかと、下生えの雑草の整理を始めた。夏場は木のような太くて背の高い草が生えて、それがテントの支柱のような役割をしてそれに蔓性の草が這い上がって他の植栽に覆いかぶさってしまい、そのまま枯れてしまう。放っておくと日光を遮って春になってもその下の植栽が育たない、そんな状況があたり一面に広がっている。それを取り除いたり、また、繁殖力の強い藤の蔓がまるでジャングルのように、周囲の木に絡みついて木の成長を妨げるので、それらを取り除いたりで、今日も結局一日その作業にかかってしまった。なかには、去年玉切してそのまま忘れた薪が草の中から姿を現したりした。このエリアを少しキレイにして気持ちのいい環境にしたいと思っている
( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10 ・写真11・写真12)
小生が本当にやりたい環境整備は、西側の竹林を徹底的に間引いて、竹林を通して道路から家が見えるようにしたいのだが、今はもう完全にジャングルのようになっていて、すり抜けることすらできなくなっている。これを冬の間になんとかしたいのだ。
梅の蕾がもう沢山膨らみ始めている。
晩飯。昨日の鍋が残っていたので、今日も鍋の残りを食べようと思って、足りない具を追加していったら、結局昨日と同じ鍋のフルバージョンになってしまった、家族は鍋が好きだから大歓迎、毎日でもいいよと言っているが、この分だと明日も鍋だな。
令和 2年 1月14日(火)
放射冷却でなくても朝は気温が低かったそして、昼前頃から夕方にかけて雪が舞う、降るというほどの降りではなかったが、それでも畑は薄っすらと白くなった、今シーズン初めてだ。
最低気温 -2.4℃ (04:26)、最高気温 2.0℃ (18:44)
今日のある時点(09:00)での阿蘇中岳
定点撮影
登校風景 ( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6 )
休み中、軽トラックがパンクをしていて、一日経つと空気がかなり抜けては、空気を入れて走っていたが、今日斎藤タイヤで修理をした。昔と違って、いっぺんに空気が抜けないからそんな事ができる。
村のR一さんが脊椎間狭窄症の手術をしたそうで初寄りの日に知って、今日、大津の病院までお見舞いに行ってきた、小生の大腸がんの時に来ていただいたので、その答礼の意味もある。手術は別の病院で無事に終わって、回復期、つまりリハビリのために今の病院に転院したそうである。今では毎日何キロも散歩をしているそうで、用心のためにもう暫く入院をするということであったが退屈していた。
せっかく山を降りるのだからついでに映画でも観てこようかなと思ったが、特に観たい映画もなかったので、まっすぐ帰ってきた。山の下は雨だったが、峠越えで走っていると、途中から雨が雪に変わるのがよくわかった、正確に言うと、途中から雪に切り替わるわけではなくて、同じように降ってくる雪が山の下の方では融けて地上に到達するころには雨になって、山を登っていくと融けていないだけの話なのだが、まるで切り替わるように感じる。阿蘇に戻ってくると、往くときも少しチラついていたが、標高500mの阿蘇谷、真っ白になっていた。
今日は終日寒くて天気が良くなくてそれ以外はずっと家に籠もっていた。
こんな寒いときは「鍋」である。晩飯は「鍋」。
○
令和 2年 1月13日(月) 成人の日(・・・だったんだなあ)
最近はこの日に式を行わずにその前に行うところが多いように思われる、当市も昨日あったようだ。成人の日にしても敬老の日にしても、もまたそれ以外にもいろいろあるが、その年の暦によってころころ日付が変わるからせっかくの祝日が心に残らない。
晴れ。
最低気温 1.9℃ (03:55)、最高気温 6.3℃ (13:36)
今日も全員外出することもなく家にいた。
小生、午前中、道楽の機械いじりをしようかと思ったが、余りにも風が冷たくて寒かったので、一旦別のことをしようと思って、「環境整備作業」を始めた。何かと言うと。竹切りである。二三日前に太郎が、一人でテニスのボールを打っていて、それが草むらに飛んでいくら探しても見つからないという。探し方が悪いんだろうと、小生も一緒になって探すもみつからない、夏子も探したらしいがやはり見つからない。とういうわけで、竹を切って少し探しやすくてやろうと始めたのが、これが大仕事になって結局日が沈む頃までかかってしまった、おかげで、東側の木が生い茂っているエリアにあった、竹を一本残らずに全部切った。あとは、少し下生えを刈ればキレイになるだろう。太郎も昼から手伝ってくれて切った竹を整理してくれた。それでも子供だから長続きはせずに、小生の一人仕事になったが、終わり近くになって太郎が出てきて、草むらに入ってボールを探し始めたところ、あった!と言って失くしたボールを探し当てた、やはり竹を切り払ったおかげである、何度も探したところなのに、どうして、目につかなかったのだろう。いやいや今日もヘトヘトになった。
( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
令和 2年 1月12日(日)
曇り、雨がホンの少し降っていた時もあった。
最低気温 3.6℃ (但し18:25時点)、最高気温 5.9℃ (11:11)
村の初寄りがあった、初寄りは年頭に行われる村の総会のようなもので、このあたりでは前後して各地域で行われる。ここで役員を決めたり、村の行事計画を決める。その後は懇親会をする。この村では、現区長の再選でもう一期お願いすることになった。今年、天神祭とお大師さんは我が家が座元だそうだ。(写真1・写真2・写真3)
今年は「どんどや」は無いようだ、去年もやらなかった(更にその前の年もやらなかったかな)。都市部ではもうとっくに廃れた正月行事だが、田舎でもだんだんやらなくなってきている。場所や材料には事欠かないが、肝心の人が居なくなっているからだろう。
「どんどや」は一般的には「どんど焼き」と言うが、この地方では「どんどや」と言っている。この「どんどや」は場所によっては「鬼火焚き」と言ったり「左義長」と言ったりするがみんな同じである。「鬼火焚き」はなんとなくわかるような気がするが「左義長」って一体なんだろうと思って以前調べたことがある。
左義長は「三毬杖」が本来の文字で、それが左義長に転訛したようである。毬杖と書いて「ぎっちょう」と読み、これは中世にあった「振々毬杖(ぶりぶりぎっちょう)」という遊びの一つだったようである。どんな遊びかと言うと、アイスホッケーのパックのようなものを、木の槌のようなもので打って飛ばして的なんかに当てる遊びだそうだ。今のゲートボールのようなイメージだろうか。たまたまアマゾンPrimeで観た映画「本能寺ホテル」で、そのシーンがあった。映画ではスティックは使っておらず正確な再現かどうかはわからないが、そうか昔こんな遊びがあったのかと初めて知った。https://www.youtube.com/watch?v=xWE8XFrNoCs
「左ぎっちょ」という左利きを指す言葉があるが、「ぎっちょ」はこの毬杖のことで、左利きの人は左で打ったからこの言葉が生まれたということで、これで腑に落ちた。
で、三毬杖の「三」は何だ、ということになるが、それより、それが火を焚く行事とどんな関係があるのかということになるが、この毬杖がいつのころからか皇室の正月行事になって、毬杖に代えて青竹などを三つ組して焼いたところから三毬杖と言われるようになったとあるが諸説あるようだ。
夏子は友達と県劇に熊工の吹奏楽の演奏会に行った。太郎は両親が初寄りで出ている間、一人で家で、のうのうとゲームをしていたようである。
なんだ三連休か、明日も休みか・・・・・
令和 2年 1月11日(土)
晴れ。少し雲があったような。天気は下り坂のようだ。(写真1・写真2)
最低気温 0.4℃ (01:26)、最高気温 11.3℃ (14:29)
珍しく家族全員外出することもなく家にいた。
小生は、また天気が崩れそうなので午前中薪を作った。修理から戻ってきたチェンソー、非常に快調である。扱う木が重いのでそれを運んで切って、車に載せて、また降ろして、で、今日もヘトヘトにくたびれた、最近は本当に体力が落ちたと自覚するようになった。でも一晩寝ると疲れは全く残らない、要はスタミナなんだろう。
昼からは、大学ラグビーの決勝戦を観た。試合が始まる2時までに、薪つくり作業の一切合切を片付けてテレビの前に座った。ラグビーというスポーツ、実にメンタルなスポーツなんだなあと改めて思った、対抗戦で明治が圧倒的に強かったのに、今日はまるで逆だった、新しく出来た国立競技場で大観衆が見守るなかで行われた試合、早稲田が勝った。15人対15人が一つの塊・生き物のようになって競うスポーツ、本当にデリケートなスポーツである。
今日は一般的に鏡開きである、夕食後、デザートにお汁粉がでた。
令和 2年 1月10日(金)
晴れ、穏やかないい天気だった、夕方、太郎を学童に迎えに行って帰る時に、あれは5時半前ころだったろうか、外輪を満月がちょうど昇ってくるところだった。
最低気温 0.2℃ (07:10)、最高気温 11.6℃ (14:53)
定点撮影
登校風景 ( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
そろそろ薪を作ろうかと思って、積んである木を地面に展開しはじめたが、これが結構たくさんあって、今日の木は欅で重たい木だったので危険も伴うので、午前中いっぱいかかってヘトヘトになって、今日はもうやめた。
軽トラックの修理が終わって戻ってきたが、見事にクラッチ板がツルツルになっていた。結構大出費の修理になってしまった。
修理といえば年末に出してあった、中華製のチェンソーが戻ってきた。なんでもキャブレターが詰まっていたのでキャブレター交換しましたとのこと、キャブレターが詰まる?どういうこっちゃ、詰まれば掃除すればいいし、交換するほどのものでも無いだろうと思ったが、細かく正すのも面倒なので、そういうことにしておいた、当然保証期間なので、キャブレターの清掃でなくて交換、結構。
軽トラックの修理が終わったので、二重峠越えで西濃運輸に「局留め」になっていたジャンクを受け取りに行ってきた。ジャンク漁りは今回で打ち止めにしよう。
そんなこんなで今日は結構忙しかった。
晩飯、豚肉の味噌漬けなど。
令和 2年 1月 9日(木)
一応は晴れだったと思うが、雲が多かった。( 写真1・写真2・写真3)
最低気温 3.7℃ (00:00)、最高気温 9.3℃ (14:36)
小中学校は昨日から三学期が始まったが昨日は春の嵐で坂梨地区では徒歩通学の子はいなかったので、登校風景としては今日が実質的な三学期初日になった。
( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
夏子は今日が三学期の始まりだった。昨夜遅くまで宿題だろうか机に向かっていた。
久しぶりに家族のみんな出かけて静かな一日だった、心ゆくまでノンビリ一人を堪能した、堪能のあまり何もせずに、本を読んだりしていた。
その代わり、今日からまたおさんどんが始まった、晩飯は餃子、子どもたちのリクエストである、楽である。
○
令和 2年 1月 8日(水)
春の嵐。
最低気温 5.1℃ (但し19:55時点)、最高気温 16.4℃ (01:59)
最大瞬間風速 14.8 m/s (00:16)
最低気圧 1002.4 hPa (01:59)
昨夜、寝床で聞いていたが、台風のような風が吹いていた。と思っていたら、寝床で聞いていた音ほどはひどくなかった。ベランダなんかに置いてあったモノも特に片付けなかったが動いていなかった。
定点撮影
ちょうど日付が変わったころがピークだったようで、朝起きた時にはもうかなり収まっていた、それでも雨風が強くて、今日は太郎は始業式だったが、さすがに誰も歩く子はおらず、小生も見守りを早々に切り上げて、一旦家に戻ってちょうど出ようとする太郎を学校まで送っていった。
低気圧は足早に通過していくのかと思っていたが、今日一日風があって、雨も降ったりで回復はすになりそうである。今日は九州地方が激しかったが明日は東日本に動くのだろうか、それとももう日本を抜けるのだろうか。気温も真夜中が一番高くて低気圧の移動に伴って気温が下がってきて朝と夜の気温の変化がいつもと逆になっている。
今日はPCの環境整備をして過ごした。
図書館で池井戸潤の「ノーサイド・ゲーム」を借りてきた。正月に過去にやったテレビドラマの「ノーサイド・ゲーム」を確か二日続きの一挙放映をやっていて、ちょっと見たが、とてもではないがこんな長いドラマを見るわけにはいかないと思って、すぐにやめたのだった。借りてきた本は、そんなに長いドラマになるほどの厚さはなく、多分テレビドラマはいろいろと原作には無いシーンを付け加えたのでは、と思う。ちょっとドラマを見たために、登場人物のイメージが本を読んでいて、じゃまになって仕方がない。基本的には原作を読むのが一番だと思っているから。
どうして本のほうがいいか、人が百人いれば百人とも、頭の中に浮かぶ小説のシーン、特に、登場人物像は全部違うのだ、読む人が自由にイメージをふくらませることが出来る。それに対して、ドラマや特に劇画なんかになると、イメージが一つに決まってしまうだろう、これは実につまらんと思うのだ。
太郎、水泳教室。
晩飯。豚肉のムニエル。
令和 2年 1月 7日(火) 人日(七草)
曇り。今日も噴煙がこちら方向に流れていたが、下から見上げるほどにはこのあたりの降灰は殆どなかった。
最低気温 7.1℃ (00:57)、最高気温 15.7℃ (15:14)
昨日から今日にかけて天気が崩れると思っていたら、勘違いだったのだろうか、今晩から明日の朝にかけてひと荒れしそうである、明日の予想天気図を見るとまるで台風のようだ。
午前中、阿蘇神社裏の化粧原(けしょうばる)集落に、薪の積み込みに行ってきた。軽トラックが借り物でクレーンが無いので、今日は人力で載せられる分だけ一台分運んできた。
午後2時から全国高校ラグビーの決勝戦をテレビ観戦をした。なかなか溌剌としていて気持ちのいい好ゲームだった。神奈川桐蔭が奈良の御所実業に勝った。高校は30分ハーフだが、40分ハーフと比べるとあっという間に終わってしまう。野球なら地方予選から定時番組を潰してまで中継をするのに、ラグビーはNHKではやらず、民放の中継だった。それにしても決勝戦だというのに観客席はガラガラだった、まだラグビー人気は本物では無いのだろうか。
学童を少し早めに終わって宇治歯科に連れて行った。昨日よく話しておいたので今日は念を入れて磨いたようで、前の方は綺麗だったが歯の裏側がまだ不完全だそうで、今日しっかり覚えたことを一月後にもう一度チェックします、ということだったので、母親が見たいと言っていたので後日電話で連絡をして日時をきめることにした。
晩飯、七草粥にちなんで、野菜を沢山(七種類以上)入れて、餅おじやを作った。
令和 2年 1月 6日(月) 二十四節気 小寒
天気が下り坂で、朝から曇っていた、阿蘇中岳の噴煙が、仙酔峡側の山肌を少し下っていた、幸いに我が家のあるあたりまでは灰は降ってこなかった。
最低気温 -0.6℃ (03:04)、最高気温 12.2℃ (14:04)
会社などは今日から仕事が始まるところが多い、カミさんも今日が仕事始めだ、もっとも、ちょっとやっておくことがあるといって、昨夕二時間ほど仕事に行ったが。太郎も今日から学童に行った、昨日あたりから軽い喘息が起きているが大丈夫そうだ。
軽トラック、最近、ギアチェンジの際や加速でアクセルを踏み込むと必要以上吹き上がるようになっていた、ああ、クラッチが滑り始めたなと思っていたので、だましだまし乗っていたところ、急激に滑りが大きくなってきた、朝一番で石田孝臣さんに電話をして代わりの軽トラを借りることになったが、修理のために乗って行った小生の軽トラック、修理工場にギリギリたどりつけるくらいまで減っていた、クラッチ板は減りだすと徐々にではなくて一気に減るようである。因みに石田オートの仕事は明日からだそうだ。
10時から宇治歯科に歯の治療に行った、今日の治療で今回の治療は一応終ったが、今回の治療の結果を見るためにもう一度行くことになった。
ちょうど宇治歯科に出かけようとするところに、そこからすぐのところにある阿蘇神社裏の化粧原(けしょうばる・・集落名)で桜を切るからという連絡を貰ったので、歯科の帰りについでに積んでこようと思って借りた軽トラで寄ってみると、まだ作業を始める準備中で、もうしばらくかかるから、いつでも小生の都合のいいときでいいから取りに来るようにということだったので、今日は一旦帰ってきた。
歯科から帰って、雨にならないうちに、昨日切った薪を小屋まで運び込んだが、雨は夕方になって少しだけ落ち始めている、しかし今回の雨は本格的に降るのは明日のようで、今日は山岳特有の雨だろう、雨雲レーダーにはまだ全く雲はかかっていない。
今日は小生が朝、夕方からは太郎が宇治歯科に行った、学童の帰りに連れて行ったが小生は今日二度も歯医者に行ったことになる。太郎、歯の磨き方が悪いので明日もう一度行って歯磨き指導を受けることになった。
太郎の歯科行きの引率がちょうど食事の準備時間にかかるので、今日は早めにカレーを作っておいた。
令和 2年 1月 5日(日)
今日も気持ちよく晴れた。
今日は久しぶりに噴煙が多かったようだ、今まで風向きの関係だったのだろうか、それとも阿蘇山の正月休みもそろそろ終わりなのだろうか。
最低気温 -2.4℃ (07:08)、最高気温 11.3℃ (13:54)
朝早いうちに、windows10にアップグレードした自宅サーバーのネットワーク不通障害がなんとかクリアできた、ホッとした。
今日は一日中薪を作って過ごした(写真1・写真2)。さすがに疲れた、少しだけ薪小屋に運んだが、明日も天気はもつだろう、明日運ぶことにする。太郎は冬休み散々遊んで、そろそろ学校が始まろうかというころになって軽い喘息を起こして家に籠もっていたが、小生が竹を燃やしながら薪を作っていたので、焚火のそばで遊んでいた。
自宅サーバーWindows10にアップグレード備忘録(とにかく忘れないように思いついたまま、推敲せずに残しおくことにする)。
WindowsにはDOS起動用のFDを作るメニューがあったけど、Windows10では無くなった。だからフリーソフトで作るか、一つ前のOSで作るか。もっとも今回のBIOSをDOS起動ディスクでつくるにはFDの容量が足りないので、フリーソフトでUSBにDOS起動用の(ディスク)を作らなければならない。フリーソフトの例 Rufus James' Format Tool.exe RMPrepUSBなど。
但し、Rufusは使い勝手がいいけど、Windows10下ではMS-DOSの起動ディスクは作ることが出来ず、Free-DOSしか出来ない、このFree-DOSはMS-DOSと互換性があるそうだから、BIOSのアップグレードでも問題無いと思ったが、小生の場合はうまくいかなかったような気がするので、windows7下でRufusを使ってUSBメモリを作った(MS-DOSはWindowsのどのバージョンでもかまわない)。
MS-DOSのUSBをメモリを作った後に、BIOSファイル(SP64420.exe)を別のところで実行して、そこでできた、FlatFilesというホルダー内のファイルをすべて、作ったUSBメモリを移すことで、アップデート用のBIOSファイルが出来る、あとは、PCのBOOTドライブをUSBにして起動さてやれば、自動的にBIOSのアップデートは完了する。となっているが、そんなにスンナリと行かない。二つのファイルをマージする時に、双方にautoexec.batがあり、中身が違うので、それをどうするか、一つの方に寄せ集めるか・・・など、そのあたりの説明がネットには無い、結局いろいろやっているうちに、そのたびに、まあ、エラーと言うか、致命的エラーではないがプログラムが止まってしまってC:\プロントに戻ってしまう。ところがあるサイトでもそのようになって、それでも、アップデートが終わったという記事があったので、小生も確認したところ、たしかにBIOSのバージョンは041のままなのに日付だけが2011/7/29から2013/10/01へアップしており最終的にはNICが使えるようになったけど、どうした使えるようなったかわからないうちに使えるようになった。(もしかしたら、少しのバグフィックスだけでバージョン番号は変わらないのだろうか、BIOSで入れ替えないで一部変更することは出来るのだろうか)、ただ完璧かと言うとそうでもない、これもどこかに報告があったが、例えば自宅サーバー宛にpingを打っても認識しない、そのくせに、外からはちゃんとアクセスしてくる、さっぱりわからん。
BIOSファイルこれは小生のMicroServer N40L用でなくてHP ProLiant MicroServer G7 N54L用であるが、同じものだと判断してこれを使った。(SP64420.exe)2013.10.01 (A) (15 Nov 2013)
令和 2年 1月 4日(土)
今朝も霜で真っ白になっていた、夏子は近々、学校で全員参加のマラソンがあるので、少し練習をせんと、と太郎に付き合わせて霜で真っ白ななかを一走りしてきた、もちろん太郎のほうが元気が良かった。
最低気温 -3.5℃ (07:36)、最高気温 9.3℃ (13:36)
今朝、用を足しながら、目の前にぶら下がっている新しいカレンダーを改めて見てみた、この年末年始の休みは概ね9連休だったのだ、みんなたっぷり休めてよかたなあ、と思った反面、ということは仕事始めは月曜日になるのか、ということは休み明けはたっぷり一週間あるということか、週の途中から仕事が始まると、すぐにまた土日がやってくるので体を慣らすににいいが、一週間フルに働くのは大変だなあ、と仕事に関係の無い人間は思うのであった。
三時ころにはもう目が覚めていたので、そうだ、まもなく(確か今月中だったはずだ)Windows7のサポートが終わるはずだ、Windows10に無償アップグレードを出来るPCはだいたいやったが、まだ肝心のPCが終わっていなかった、自宅サーバー用のPCだ、これはもし失敗したら、自宅サーバーが運用できなくなるのでとずっと躊躇していた、そうしているうちにとうとう更新期限が迫ってきたので、今日、早く起きたついでに更新作業を始めた。アップグレード用のファイルのダウンロードを4時半ころから始めた。
アップグレード自体は問題なく終わった(と言っても回線速度が遅いので、5時間くらいかかった)、ところがエラーもなく終わったのに、肝心のネットワークがつながらない。余分なボードを抜いたり、いろいろ調べてみたところ、このPCはBIOSのアップデートをしないと動かないということがわかった、ところがHP社ドライバーでもなんでも有料でそのうえシリアルナンバーも住所氏名も届けなければ駄目なんだそうだ、ところがとにかく説明がわかりにくくて登録の仕方がわからない。本来、こんなものメーカーの責任で無償でやるものだろう、もうHP社のものは絶対に買わない、腹が立ってどこかに落ちていないかとネット中を色々がしてようやく見つけることが出来たが、こんどはMS-DOSで起動するディスクを作らなければならない、最近FDなんか使わないし、もしドライブがあってもフィアル容量が数MBあってフロッピーに入らない、ということでUSBメモリーでDOSの起動ドライブを作って、そのなかにBIOSをマージしてやらなければならない、などなど難問山積みで夕方までかかって格闘したが色々問題が出てきて、今日はとうとう、Windows10へのアップグレードが完了しなかった。(写真1・写真2・写真3・写真4)
今日はひとつ薪でも作ろうかと思っていたが一歩も外に出ること無く一日中PCの前にかじりついていた。
令和 2年 1月 3日(金)
今日も穏やかな一日だったが、少し雲が多かったような気がする。
最低気温 1.0℃ (06:31)、最高気温 8.6℃ (15:12)
今日もテレビで大学箱根駅伝の復路を観て過ごした。茅ヶ崎に住んでいた時には毎年海岸まで行って応援をしたものである、寺さんは昨日今日応援にいったそうで、今日の復路の写真を送ってきた。
夕方近く、家族で阿蘇神社に初詣に行った。今日はもう三日でしかも夕方近いので参拝客もまばらだろうと思っていたら、結構な人出だった、熊本地震で被災したあとのほうが、震災前より人が多いような気がした。楼門は国の重要文化財だったので、国費で解体復旧工事中だった、外からは分からないように補強をするための鋼材だけが立っていて、完全復旧にはまだ何年かかかるそうである。神殿はほとんど無傷だったが拝殿は倒壊したので、楼門と拝殿が再建される。楼門はできるだけ今までの部材を使うそうである。夏子は昨年の正月、巫女のアルバイトをしたので、去年一緒だった巫女仲間と旧交を温めていた。巫女のアルバイトとわざと書いたが、正しくは巫女奉仕という、また商売ではないのでお守りを買うとか売るとかいう言葉も使ってはならない、授かる、授けるという言葉使うそうである。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
令和 2年 1月 2日(木)
穏やかな正月休みが続く、今日はまだ二日かと言ったら、夏子もカミさんも、もう二日よ、と言っていた、立場の相違だ。
最低気温 -3.9℃ (07:11)、最高気温 9.1℃ (15:29)
去年の日記を見て、あ、そうだったと、朝9時ころだったろうか、我が家の入り口の田の畦を見てみた、ここは外輪の東端で太陽が顔を出すのは阿蘇谷では遅くて、まだ融けずにいる真っ白な霜でのなかに今年もちゃんともうフキノトウが出ていた。ということは、去年のうちに出ていたのだ。年が明けたらいよいよ春の準備でフキノトウなんかが芽をだすと思いがちだが、自然は「カレンダー」とは関係がない、カレンダーは人間が適当に区切ったものだ。草花は秋になってその年の活動を終えて枯れて散っていったらすぐに次の芽吹きに向かって活動を開始しているのだ。(写真1・写真2・写真3)
夏子は昼から友達とカラオケに行った、太郎はゲームしたり、一人テニスをしたりしていた、カミさんは・・・何をしていたか知らない。
去年からQSOパーティーには十二支を達成したので参戦しないから、無線の方に気を取られこともなくじっくりと箱根駅伝をテレビ観戦をすることが出来た。ただ今日は大学ラグビーの準決勝二試合(早稲田vs天理、明治vs東海)が昼からテレビ中継があったので、箱根駅伝の第5区、山登りのころになると、二つ見るのは集中できないのでラグビーの方に切り替えて、二試合たっぷりと堪能した。そして早稲田と明治の決勝戦が11日に新しい国立競技場で行われることになった、明治vs東海の試合、面白かったなあ。
ところで大学箱根駅伝はテレビだけでなく、ネットでも生中継をしていた、テレビを持っていない者、テレビにかじりつくことが出来ないけど見たいという者にっては非常にありがたい。別に見たいわけではないが、NHKは紅白をネット配信なんかしない(だろう)、「国営」のNHKのようにケチして見せないか、民放のようにできるだけ多くの人に見てもらいたかの基本的なスタンスの違いだろう。なんでもNHK職員の平均年収は1,000万円以上なんだそうだ、(ちょっと論理が飛躍しているが説明は省く)NHKはスクランブル方式にして見たい人間とだけ契約しろ(ペイ・パー・ビュー)。
令和 2年 1月1日(水) 元日
元旦らしい素晴らしい夜明けだった、放射冷却でしっかりと冷え込んだ。(抽選結果を見ろ、という胴元からのメールが届いていたので)ネットで年末ジャンボのお決まりのハズレを確認してまた新しい年が始まった。今年の目標・・・なんだろう、まだ決まっていないが「和文モールス」を実用レベルまで持っていきたい。(写真1・写真2)
連中、昨夜は、大晦日は、10時過ぎに帰ってきたようで、小生が打った年越し蕎麦をちゃんと食べたそうだ、夏子は、風呂に入ったりしていたので食べている途中で「年越してしまった蕎麦」になったそうだ、当然小生は全く知らずに寝ていた。
そして、新しい年が始まって、夏子は帰省で帰ってきている友人と熊本に行くのだそうで、元旦の祝い膳を囲むまもなく、母親に大津まで送らせて出かけていった。というわけで、大晦日から元旦にかけて実にバタバタの年越しになった。
昨日、つまり令和元年大晦日の日記に書こうと思って忘れてしまったことがある、「除夜の鐘」のことである。最近、ネットなんかを見ていると除夜の鐘がうるさいという苦情がでて鐘を撞かない寺院が増えているとあったが、こんな田舎の阿蘇でもそういうお寺があるようである。いつも買い物をするスーパーに、近くのお寺からお知らせが出ていて、タイトルに、夜ならぬ「除昼の鐘」を撞きませんか、と参加者を募っていた。
もともと我が家の近くには鐘がある寺が無いので除夜の鐘を聴くことが出来ずいつも残念だと思っているが、年に一晩だけだ、煩悩を祓う百八つの鐘の音すら聴くこともできない世の中になったのか、なんとも風情が無くなったものである。
昼から、エンジンをちょっといじった。どうしても噴射ポンプが動かないので、その一つ前段階の、クランクハンドルカバーを外してみた。クランクルームとは別区画だが、こちら側にもオイルが回ってくるので、先日入れたオイルを抜いてカバーを外してみた。この部分での原因ではないとは思っていたが、開けてみて安心した。それにしても歯車は美しい、車輪と歯車、人間の素晴らしい発明品の一つだと思う。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
明日は箱根駅伝と確か昼から大学ラグビーがあるな、久しぶりにテレビ漬けになろうか。
このページ先頭へ 風師庵日記目次へ