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令和己亥(2019) 元年12月の記録 (新しい日付けの順)
令和元年12月31日(火)
予報が外れて気温が高めの朝だった、しかし、空は曇り、風が強くてとても寒い朝だった、こんな天気の時が一番寒く感じるのだが、時間が経つにつれて天気が回復して夕方には明日の晴天を約束するような青空が広がっていた。
夕方風呂に行こうとして、車で出たところ、ガラスが汚れていたので走りながらウインドウォッシャー液を掛けたら瞬間的にガラスが真っ白になって向こうが見えなくなった、田んぼの中で他に車が走っていなかったから良かったものの、下手をすると事故を起こすところだった。その時間にはもうそれほど気温が下がり始めていたのだ。明朝、つまり令和二年元旦は冷え込みそうである。
最低気温 -1.2℃ (但し19:49時点、なお降下中)、最高気温 9.6℃ (00:00)
うちの連中、昨夜横浜の中華街で食事をして、小生が勧めたように山下公園から赤レンガなどを歩いて桜木町から電車に乗ったようだが、9時半ころスマホの位置情報をみると、電車はまだ川崎付近を走っていた。東京に着いたのはわかったのだが、その後に本来は千葉方向に軌跡が動くはずが、また逆戻りして浜松町付近で軌跡が止まったままになった、ずっとそのままだったので、乗り間違えたかと思ったが昔の生活圏だから乗り間違えることはないだろう、ということはスマホを盗まれたか何かでとんでもない所にあるのかなと心配になって、音声電話をしたところ、順調に京葉線に乗り換えて千葉に向かっているとのこと、エラー表示はなんだったのだろう、そして11時をまわる頃ようやく千葉の家に帰り着いたようだがその頃は小生はとっくに寝ていた。
今日は午前中、仏壇と神棚の掃除、それから、神棚のすぐ横の壁がストーブと接している関係で、ストーブから漏れ出る灰などで層を成すほどゴミが積もっていたので、外からハシゴを運び込んで掃除をした、結局午前中いっぱいかかった。
午後から、そうだ、蕎麦を打つまえにポテトサラダでもつくっておくかと、料理を始めて、三時前には終わって、それから、蕎麦を打った、家族だけだから500グラムを二八で打った、そば打ち、最近は年に一回になってしまった、今回は方形に延ばせなかったなあ。(写真1・写真2・写真3・写真4)
ついでに、蕪が目についたので、千枚漬けもどきをつくっておいた。まるで完全におさんどんである。連中は5時くらいの便で帰るようで、夏子から今飛行機に乗ったとラインが入った、いい気なものである。
今回は行きも帰りも成田のようだ、LCCは成田が多いのだろう、ひとりならまだしも三人ともなると航空券代も馬鹿にならない、航空券代ほど適正価格の分からないものは無い。まあ、祖父母の家が千葉なので、成田でもそういう点ではそれほどの不便さは無いだろう。
連中は、7時半ころ熊本に着いたからそれからまた家に帰り着くのはいつになるかわからないので小生はさっさとひとり夕食を済ませた。毎年大晦日はすき焼きパーティーだが、今年は時間的に難しいので、すき焼きは「無し」にした。例年だと夕食のあと、まだ満腹状態のところを儀式的に半ば義務的に年が変わる前に年越しそばを食べているので、今年は今日打った蕎麦をメインにして、年越しそば定食を作ってじっくり味わった。蕎麦とポテトサラダと、蕪の千枚漬け、それから松前漬けと白菜の漬物、全部小生が作ったものだ。元旦にはカミさんが注文してあったお節の重箱が既に届いているので、今日作ったやつはプラスアルファー的なものである。
連中は帰る途中、位置情報を見ると光の森に大きく寄り道をしている、これだと10時を過ぎるだろう、そこまではとても付きあいきれないので日記を上げてしまう。令和元年大団円、今年もおかげで我が家は家族全員息災で過ごすことが出来た、メデタシメデタシ・・・・・
令和元年12月30日(月)
今日もほとんどずっと細かな雨が降っていた。
最低気温 7.9℃ (00:00)、最高気温 13.9℃ (13:37)
昨日の昼、蕎麦が食べたくなって蕎麦屋に行ったところ、休みだった、そうなると無性に食べたくなって今日また行ってみたが今日も休みだった、明日も当然休みだろう、というのは、例年のことだが注文品の年越しそばを大量に打つために店を開いている時間がないからだ。明日には小生自ら納めのそば打ちをするから何もわざわざ今日食べることも無かろうと思うのだが、結局、スーパーで半生の蕎麦を買ってきて茹でて食べた。ところがこれが不味くて不味くて、まるでニチャニチャしてうどんのような蕎麦だった。と書いて、これではうどんに対して失礼だと思った。うどんは、これまた蕎麦と並んで麺類の代表だ、蕎麦の不味い例えにうどんを持ち出すのは失礼と言うものだ。いつも本物の蕎麦を食べているから分からないが世間の人は普段こんな不味い蕎麦を蕎麦だと思って食べているのだろうか。
小生の年内の仕事の残りは、仏壇、神棚の掃除とそば打ちだけだ、後はなんにもしない!というわけで今日も一人ノンビリして過ごした。
午後から、波野の神楽苑まで蕎麦粉を仕入れに行ってきた、久しぶりに滝室坂を登ったが途中霧に沈んでいた。
小生はネットバンキングでは専ら「ゆうちょダイレクト」を利用している、相手方が同じくゆうちょだと一月に5回まで手数料が無料だからである。今日、そのゆうちょダイレクトで送金手続きをとったところ、最後にエラーがでた、よくみると、手順が変更になっており、phising対策で、今までもトークンを使ってランダムに発生させたワンタイムパスワードで決済をしていたが、それでも危ないと見えて更に面倒は手順が加わった。
昨日の亀戸天神の写真におじいちゃんが写っていなかったので夏子に訊いたら一緒に行かなかったそうである。じゃあ、移動手段は?と訊くと、電車!と言っていた。おじいちゃん、最近は運転免許証こそ返納していないが家庭内で運転がしずらい環境にあるらしくて、今回も、本来ならおじいちゃんが乗せて行ってくれるところだが、それが出来ないので、電車移動で、だからおじいちゃんは一緒に行かなかったらしい。
それで、今日、午後もかなり過ぎたころ、スマホで夏子の移動軌跡を見ると(カミさんの軌跡は小生のスマホには入れていない)、横浜の従姉の弘子姉の近くに居る、どうしてこんなところに居るのだろうと訝しく思ってしばらく見ていたら、軌跡がとうとう弘子姉の家に移動した。小生は付き合いが長くて何度もこの家には行ったことはあるが、カミさんはほとんど無い筈だ、初めてかもしれない、しばらくして軌跡が反転して帰り始めたので、夏子に電話をして、何だ?と訊くと、顔を見に寄ったといのこと、車もなくてそこまでどうやって行ったの?電車と歩き!ということだった、住所さえわかれば最近はスマホで道案内をしてくれるので、初めてのところでも迷うことなく辿り着ける、そんな時代になっているのだ。それに都会は公共交通機関が発達しているので、車なんか要らないのだ。
弘子姉はつい最近体調不良で入院をしたはずだが、居たか?と訊いたら、お会いできたよ、お元気だったよ、とのことであった、まさか連中が、横浜まで出かけるとは思っていなかったので本当に驚いた。あまり会う機会がなくて短い休みなのによく訪ねてくれた。思わず、婆様、連中、横浜に寄ってくれたみたいだよ、と声をかけようとして、ああ、婆様はもうとっくの大昔に居なくなっていたんだと、気がついた、それほど、弘子姉一家と婆様、我が家との付き合いは深かったのだ。
その後、中華街に出てメシを食っている、その後で、山下公園や赤レンガ、みなとみらい方向に歩いて桜木町から電車に乗ればいいと思うが、果たして時間があるか、日記を書いている時点ではわからない。(写真1・写真2)
晩飯。カレー。明日連中が帰ってくるがいつ帰るのか分からないから(あえて訊いていないからだが)、いつ帰って来てもいいようにカレーを作っておいた。
先日漬けた白菜、もう食べごろに漬かっている、ウマイ!
○
令和元年12月29日(日)
あまり日が差さなかった、夕方に入って少し雨が落ち始めている。
最低気温 -0.5℃ (03:36)、最高気温 9.8℃ (13:52)
午前中に、年賀状を刷り上げて、モトイ、書き上げて投函してきた。
郵便局に行こうと車に乗ったところ、ウインドウに薄っすらと火山灰がついていた。さっと払えばすぐ落ちる程度だったが、昨夜のうちに降ったのだろうか、ここでは天気が下り坂の時には阿蘇谷方面に風向きが変わって灰が降ることが多い。午後3時の天気図を見ると北に低気圧がある、ということは南から風が吹くということだ、ということは、阿蘇谷に噴煙が流れるということである。
千葉に行っている連中、今日は亀戸天神に行ったそうだ。今では別に不思議だとも思わずに、あたりまえに遠隔地とこのような情報の交換ができる、ちょっと昔までは考えられなかったことだ。
今日は昼から夕方までかかって屋内の環境整備をした。階下の子どもたちが寝ている部屋は北側にあって、トイレや風呂場と接している、北にあるというだけ冬は寒いのに、風呂場、トイレからの冷気が部屋に入る、居間の暖気が少しでも部屋に入るように扉を開けていてもそれら冷気負けてとにかく寒いらしい。
そこで、風呂場、トイレの冷気を遮断して、居間の暖気が入るように、天井から床面までのカーテン工事をした。床面から天井まで250cmある、先ず、天井を這うカーテンレールをネットで見つけて入手して取り付けたが、カーブさせて天井にカーテンレールを取り付けるのが、これがまた難工事で大変だった(一度経験すると、二度目は楽にできると思う、これがノウハウなんだなあ)。
それから丈が250cmという(リーズナブルな)カーテンが、これがなかなか無い、たかが冷気遮断のカーテンにそんな高価なものは買えない。探した結果、病院などで使う、ビニール製の安価なカーテンが250サイズであったので、これを買った。そのうちにもっとマシなものがあれば、その時に取り替えればいいので、今回はこれで我慢することにした。
これから更に寒さが厳しくなると、連中、階下で寝るのが寒いから、二階に移動してくる。今回の対策でそれをせずに済むかどうか、連中が帰ってきて感想を訊いてみよう。
昼間随分久しぶりに蕎麦屋に行ったら休みだった。
昨日作った松前漬けがもう食べられるようになった。早速食べ始めている、正月までもつか。
令和元年12月28日(土)
放射冷却でグンと冷え込んで気持ちよく晴れた。(写真1・写真2)
そして、夕方には穏やかに?噴煙が立ち上っていた。
最低気温 -4.0℃ (06:37)、最高気温 9.1℃ (14:30)
我が家の三人組は昼前の便で千葉のカミさんの実家に出かけた、正月も向こうで迎えろよ、と言ったのだが、大晦日に帰ってくるという。大晦日に帰ってこなければならない用は何も無いのだから、年が明けてからゆっくり帰ってくればいいだろうに、当方としては中途半端で全く落ち着かない。
昨夜、熟睡しているとカミさんが起こしに来て(ということは小生にとっては深夜だが、カミさんにとってはまだ宵の口だったのだろう)、またボンの鎖が切れたみたい、ベランダでゴトゴトさせている、というので、外に出てみると、確かに先日つないだばかりのワイヤーがまた切れたみたいだ。一箇所切れるということは他の場所も切れやすくなっていて、立て続けに切れるのである、一晩、散歩用のリードにつないでおいたが、長さが1.5mくらいの長さしかないので、連中が出かけた後すぐに修理をすることにした。
だいたい、犬は鎖が切れると、どこか遠くに行ってしまうことが多いが、我が家ではボンはここが一番居心地がいいということを知っているので逃亡しない、過去にも翌朝気がついたことがあったが、どこにも行かなかった。
以前は鎖を使っていたが、ここ数年は細いワイヤーの撚り線をビニールの被膜で包んだものを使っている。細くてしなやかでいいのだが、中華製で、ビニールの皮膜がすぐに劣化してヒビが入り、そこから水が入って鉄製の撚り線が錆びてしまって、そのうちに切れてしまうのである。そうやって切れては一時的につないで、また切れて、買い替えて、をもう数回繰り返して、ワイヤー以外の金具はゴロゴロしているので、そうだ、ワイヤーだけステンのものを買ってきて、それでしっかりしたものを作ってやればいいのだとようやく気がついて、今日はステンレスのワイヤーだけを買ってきた。今までのようなワイヤーの製品を買うと2,000円近くするが、ステンのワイヤーだけだと3Φを4m買っても1,000円しなかった、もっと早く気がつけばよかった。そのワイヤーに残っていた金具を付けて一丁上がり、ビニールの皮膜はないけど、ステンだから錆びることはない(写真1・写真2)、これで、ボンが元気なうちは絶対に大丈夫だ。それに、今までよりちょっと長くしたので、行動半径が少し広くなった。
年賀状の住所録のチェックをする。年賀状を出す人、出さない人、喪中の挨拶が来た人など整理に結構時間がかかる、我々の年代になると、もう年賀状を出すのも体力的に大変だから今後は辞退すると書いてくる人もいる。先方は大変なんだろうが小生はまだ大変でない、だから別に貰わなくても構わないから、一方的にこちらから「おめでとう」のつもりで送ると、もう出さないと言っただろうと怒って書いてくる人もいる、だから気をつけなければ、そんな人とのお付き合いは地上でも願い下げである。
で、印刷をしようと思ったら、カミさんが全部インクジェット用の年賀状を買ってきた、小生が使っているレーザープリンターはインクジェット用は不可である。どうするんだと言ったら、インクジェット用のプリンターがあるからそれで刷ってくれと言って出かけてしまた。改めて、ドライバー類を探してインストールして、WiFi環境を作ってようやくプリンターの用意ができたと思ったら肝心の絵柄がまだ全く決まっていなかった、今夜できたらやるが、出来なければ明日だ。
毎年正月用に作っている、松前漬けを作った。小生は飲まないくせに、こういったものが好きで、これさえあれば正月は何も要らないくらいである。それにしてもスルメが高くなったなあ。(写真1・写真2)
令和元年12月27日(金)
雨は降らなかったがあまりスッキリした天気ではなかった。明朝は氷点下4℃の予報が出ている。
最低気温 0.5℃ (但し19:06時点、なお降下中)、最高気温 8.6℃ (00:00)
今日で仕事が終わるところが多いのではないだろうか、アゼリでも普段見慣れない、おそらく帰省で戻ってきた孫たちの顔がちらほら湯船に浮かんでいた。カミさんも今日までだ。
今日も特にこれということはしなかった、ただ、数の子を買ってきて塩出しをしておいた、松前漬けの準備である。
晩飯。オムレツ、ほうれん草のホワイトソース和え。
○
令和元年12月26日(木)
途中やんだ時もあったが基本的にほとんど終日雨、二日続きの雨、明日晴れたとしても木が乾くのに時間がかかるから、一昨日雨になる前に薪を作っておいて正解だった。それでもこの冬はかなりストックには余裕がある。
朝の雨がやんだ時に阿蘇山が姿を見せて、噴煙が西から東に向かって流れていた、その後は山は全く見えなくなった。
最低気温 9.7℃ (07:14)、最高気温 14.2℃ (17:24)
正月には間に合うかどうかだが、今日、白菜を漬けた。ちょっとあればいいので、と思って、白菜五株買ってきて漬けた。ちょっとのつもりが結構な分量になった。本格的に漬けるには二度漬けをするようだが、それは面倒なのでやらない。白菜は一株120円くらいだった。(写真1・写真2)
晩飯、八宝菜。
令和元年12月25日(水)
朝からどんよりとした空、夕方から細かな雨が・・・・
最低気温 0.9℃ (05:49)、最高気温 12.0℃ (13:42)
今日から冬休み、朝の登校見守りはしばらく休みだ。太郎は学童、通勤のついでに母親が送っていった。夏子は「課外」授業か、いつもの時間に登校していった。
太郎は朝起きて寝ている間にぶら下がっていたクリスマスプレゼントを見つけて開いていた、ゲーム機のスイッチのソフトだったようだ、太郎はまだサンタさんの存在を信じているようだ、でも、友達から、サンタなんか居ないぞと教えてもらって、半信半疑なんだろうが、まあ、居ると信じている方が何かと都合がいいので、居ると言っているのかもしれない。
我が家にはお母サンタは居るがお父サンタは居ない。夏子は物欲がないのか、いつも何も欲しがらない、多分、どうしても必要なものがあればクリスマスに関係なく母親に買ってもらうのだろう。お父さんは年金生活者だからカネは無いぞ、貧乏だぞといつも言っているので(まあ事実だからなあ)、こどもたちも自然そう思い込んでいてくれているので小生には特に何も期待をしていないようだ。
新聞の一面と三面のトップに、仰々しく「阿蘇山ロープウェー再建断念」という記事が載っていた、わざわざトップに持ってくるほどのニュースでも無いだろうにと小生は思った。でも新聞はそう思ったのだろう、観光業者にはそれだけのニュースなんだろうが、地元住民はそれほどのニュースだとは思っていない(と思う)。小生なんか、仙酔峡ロープウェイの価値は認めるが、中岳ロープウェイは無用のものだとずっと昔から思っていた。どうして必要なんだ、車で火口縁まで行けるではないか、ロープウェイは車で行けないところ、歩いては簡単に行けないところに架けるものだ。そういった点では中岳ロープウェイはテーマパークにある遊戯施設なんかと変わらない。あれば乗るかもしれないけど、ロープウェイが無いからと言って火口に見物には行かないということはないだろう、火口が見たければロープウェイが無くたって見に行くのだ。
どうしてもロープウェイを架けたいのならもっと広い視野を持って、杵島岳にロープウェイを架けるほうがいい。「阿蘇」の中に居たのでは「阿蘇」の雄大さはわからない、外輪に立って阿蘇五岳を含めた「阿蘇」を眺めたら、その雄大さは実感する、それと同じで、火口という狭い部分だけを見ても阿蘇は実感できない、外輪から見るのと同じように火口からちょっと離れた杵島岳山頂から噴煙を俯瞰したほうが遥かに阿蘇の雄大さを感じることができる。こちらのほうがああこれが阿蘇なんだなあという圧倒的な価値感がある。それに噴火の被害も殆どない、噴火警戒レベル3になっても問題ない、杵島岳頂上から眼下に噴煙を眺める、これなんか最高だろう。阿蘇山の観光業者にはそういった発想は無いのだろうか。
午後には雨になるという予報だったので、午前中のうちに昨日作った薪を小屋に運んだ。
中華製のチェンソーの具合が悪くなった。スロットルをいくら吹かしても回転が上がらない、いや上がるけど、上がったと思ったら急に回転が落ちる、その繰り返しだ、そのうちに止まってしまう。アイドリングは問題ない、これは燃料が行っていないのだろう、追いつかないのだろう。フィルターが詰まるほど汚れていない。キャブレターか、ダイヤフラムか、中華製だがキャブレターはオプションでワルボロ製だ、保証期間中にうっかり開くと保証が効かなくなるといけないのでサービスセンターに電話をして相談した。丁寧な対応だった、電話をしながら、色々チェックをした、小生はそうじゃないと思ったが、HとLの調整を電話をつないだままやったりしたが改善しない。とうとう入院ということになって、宅配便で送った、運の悪いことに正月休みに入る、仕方がない、それを承知で買った安い機械だ。
晩飯。考えるのが面倒なので、今朝子どもたちに訊いたら、オムライス!と言ったのでそうした、昨日のケーキなどが残っていたので二日続きのクリスマスパーティのようになった。
令和元年12月24日(火)
晴れたが、少し雲があった。
最低気温 -0.2℃ (05:21)、最高気温 12.7℃ (15:26)
定点撮影
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
今日で二学期が終わった、子どもたちの見守りもしばらくは休みになる。
子どもたちを見送って、ボンの散歩から帰ってから、昨夜切れたボンのワイヤーをつないでおいた。
天気が続くならば薪作りはいつでもいいのだが、ここのところ飛び飛びに天気が崩れる、だから、タイミングを見て薪を作らないと困ったことになる。今日は晩飯に腕を振るわなければならないのに、薪つくり、今日を逃すとちょっとまずいことになりそうなので、午前中のうちに買い出しを済ませ、昼間の短時間の間に一気に薪を作っておいた。小屋に入れるのは明日でいいだろう、明日も昼ころまでは晴れることになっているから明日の午前中に片付けよう。
今日は世の中、クリスマスイブである、カミさんが仕事で間に合わないので、結局小生が作らなければならない。
今晩はつばめグリル風のハンバーグを作った。娘が言うにはお父さんが作ったハンバーグのほうがつばめグリルのハンバーグより美味しいと言っていた、それはそうだろう。
令和元年12月23日(月)
昨日は視界が悪くて雪が降っているのがかすかにしか分からなかったが、一夜明けて、抜けるような青空のもと、阿蘇五岳、中腹くらいまで真っ白に雪化粧をしていた、ようやく冬の阿蘇らしくなった。ただ、朝のうちは霧が出たりして山の姿が隠れた時もあった。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
最低気温 -2.1℃ (07:22)、最高気温 10.6℃ (14:19)、
定点撮影
登校風景 この冬に入ってもっと気温が低かった日もあったが、前日の雨で、水たまりに氷が張って、シーズンに入れば珍しくもないのだが、こどもたちも嬉しいとみえて盛んに張った氷を手にしていた。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
正月だからと改めて特にやることもないのだが、一応一年の締めくくりも少しくらいやらなければならず、そうそうノンビリもしていられないのだが今日もちょっとエンジンをイジった。どうしてうまく行かないのかサッパリわからなくなってきた。
以前は漬けていたが、白菜漬け、今年はひとつ漬けてみようかと思っている、もうそろそろ取りかからないと年末年始に間に合わなくなりそうだ。薪も少しまとめて作っておかなければなあ。
円通寺に年末のご挨拶に行ってきた。
夕方、風呂に出かけたが、今日は全館休館日だったことを思い出して、途中から引き返してきた。途中で気がつくだけまだマシだ。
晩飯。到来物のウナギ、太郎は自分の好物のベストテンを作っていて、小生の献立で、その時々で順番が入れ替わるが、不動の一位はウナギである。太郎に限らずみんな好きだけど、たしかにウマいなあ。
そろそろ日記を上げて、寝ようかとしているところに、こどもたちが階下から、お父さんベランダのところでなにかゴトゴト音がしよる、と言う。そうか、でもボンは吠えよらんぞ、と言ったところ、確か以前もそうだったけど、ボンの鎖が切れて、ベランダに上がって来たのかも、というので、外に出てみると、確かにボンの姿がない、以前ならすぐに飛んで来るのに、来ない。おーいボン!と何度か呼んでいるうちにどこからか姿を現した。失踪届を出さないといけないかと思ったがホッとした。一晩散歩用のリードをつないでおいて、明日、切れたワイヤーをつなごう。
令和元年12月22日(日) 冬至(一陽来復)
昨夜日付が変わってすぐのころが最高気温で、その後、夜が明けてからは気温が下がって今日は2~3℃台の一日だった。ずっと天気が悪くて山は殆ど見えなかったが、それでも少し、姿を現した時には、中腹まで雪で真っ白になっているのが見えた。夕方風呂に行く時に、アゼリアは阿蘇山の麓近くにあるので、山がよく見えて、昼間見たとおり真っ白になっていた、明日の朝は今までとはガラリと違った阿蘇山が見えることだろう。ここでも昼頃、少しみぞれが降ったようだった。
最低気温 2.8℃ (12:00)、最高気温 6.3℃ (01:11)
太郎と母親は週例のテニスレッスンに朝早くから出かけていった、夏子も友達と熊本に遊びに行くのだといって一緒に出かけていった、そして、暗くなってから帰ってきた。
今日は雨で外での作業ができないので、発動機の噴射ポンプのガスケットを作ったりした(写真1・写真2)。ディーゼルは高圧で爆発させるのだろうから、あちらこちらで「漏れ」があると力が発揮できないだろうと、基本に戻って少しずつトラブルシュートをすることにした。今日は最初から寒いことがわかっていたので十分に防寒具に身を包んでやったので全然寒さは感じなかった。
今日は冬至だ、「一陽来復」だ、非常にいい言葉だ、今日を境にして陰から陽に切り替わる、なんだか気持が明るくなる言葉だ、毎年小生はこう書いていると思う。そして柚子湯の日だ。ところが情緒の無い我が家の連中はそんなこと忘れて遊び呆けていて、柚子湯を立てることなんか忘れているだろう、と思って、小生はさっさと一人で風呂に行ってきた。今年は柚子湯は無しの無粋は冬至だったな、と思っていたところ、意外や意外、覚えていたようで、少し遅くなったがカボチャの煮物がついた夕食後に柚子湯を立てたので、小生は撮影用に風呂に二度入ることになった。
○
令和元年12月21日(土)
曇りのち、日が暮れてから細かな雨が落ちている。
最低気温 -0.8℃ (07:36)、最高気温 8.7℃ (13:17)
我が家の三人組、今日は遠出しなかったが、美容室なんかに出かけていた。
小生は、心置きなく道楽に没頭したが、動かんなあ、どうしてだろうなあ、また噴射ノズルから噴射しなくなったなあ。
夜になって今日の気温の記録を見て、8℃台までしか上がらなかったのか、極端に寒ければどうにかしただろうに、中途半端に気温が低いと、ちょっと寒いなあと感じながらも我慢して外で作業に熱中してたので、夕方には体が冷えて鼻水を垂らすほどだった。
今日は記録写真、一枚もないなあ。こんな日は楽でいい。
令和元年12月20日(金)
ここのところずっと暖かかったから今日はなんだかとても寒かった。明朝は氷点下3℃の予報が出ているが。
最低気温 1.6℃ (07:32)、最高気温 9.8℃ (13:27)
ここのところ、スーパーに行くと、数の子がずらりと並んでいて、しめ縄もたくさんぶら下がっている、なんと気の早いと思っていたが、そうじゃ無かったのだ、もうそういう時期になっていたのだ、小生が全くそういった意識がなかっただけだった、そう思って改めて考えてみると、もうすぐ、今年も終わるのか全然実感が無いなあ。
定点撮影
登校風景 毎朝小生が立っている橋のたもとに、塩カリの袋が置かれた。この時期になると、辻々に塩カリが置かれるようになる。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
朝一番で宇治歯科に行く、この治療のシリーズはあと二回ある。
坂本棟梁が庭の桜の木を切ったからとトラックで持ち込んでくれた、出前付きである(写真を撮り忘れた)。
軽トラックのオイル交換をした。過去、車に乗るようになって何十年だろう、自分でオイル交換をしたのは今日が初めてである。同じオイルでも燃料は無ければ走らないが、エンジンオイルは交換しなくても走るので、やらんといかんとは思っていながら、今までは車検のときだとか定期点検の時に先方任せで自分ではやったことはなかった、近年は定期点検がそうそう故障するものでもなく、罰則が無くなったこともあって受けなくなったので、実際にオイル交換は車検の時だけだった、車検のたんびに、もっと交換せんといかんよと言われ続けて、ずっとやったことはなかった、結局面倒だったからだ、車に悪いのはわかっている、わかっていて交換してこなかったか、最近はオイル交換をしないと車両火災が起きると盛んに言っている、それはマズイなあと思って、尚且、道楽でジャンクのエンジンのオイルの交換はするのだから、自分の車のオイル交換くらいしろ、という天の声を聞いて、ようやく今回初めてオイル交換をした。初めてだが全く迷うことはなく短時間で終わった。不思議なものでオイル交換しただけでエンジンの調子は確かに良くなる。
交換の目安は1年で10,000キロだとどこかに書いてあった。今回は車検をしてからちょうど一年経ったくらいで、距離も10,000キロくらいしか走っていないので、タイミングをとしては良かったことになる。次回はこれプラス10,000km見当か車検の時になる。
memo.ドレンボルトのパッキンは使い捨てが原則なので交換すること。
ディーゼル発動機のリペア、ようやく噴射ポンプが動き出した、クランキングするたびに、噴射ノズルから、ピッピッと燃料が飛び出すようになった、これで理屈から言うと、完全に整備が終わったということになる、これで動かない理由は一つも無い(はずだ)、後はエンジンを掛けるだけだと心のなかでは思っているのだが・・・・今日は天気は良かったが風が冷たくて外で作業をしていると風邪を引きそうなので、楽しみは後日ということで、今日の作業は終了。
晩飯、我が家風のさつま汁(里芋、大根、人参、ネギ、椎茸、舞茸、シメジ、こんにゃく、白菜、ゴボウ、牛肉)。
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令和元年12月19日(木)
雨こそ降らなかったものの、はっきりしない天気が続く、それにまだ今の季節の気温ではないのだろうが、昨日までよりは少し気温が低かったからちょっと寒く感じた。
最低気温 7.5℃ (00:45)、最高気温 10.5℃ (13:41)
定点撮影
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
午前中、発動機のリペアを続けた。噴射ポンプのどこが悪いのか色々チェックしていて、大体わかってきた。それと、ネットに発動機のリペア動画が結構あるが、そのなかで、いくら探しても全く取り上げられていない箇所が一箇所だけある、この部分である、まるでブラックボックスになっている、それが気になって気になって仕方が無かった、もし開くととんでもないことになるから誰も触らないのだろうかと思ってしまう。今日、思い切ってそこを開けてみた。クランクシャフトなどが入っている区画とは別区画になっている。開けてみて別に何かが飛び出してくることも無かったが、なるほどと納得できる仕組みもあった。クランクを回すことによってカムが付いていて、噴射ポンプが往復することもわかった、このポンプで燃料タンクから降りてきた燃料を、回転に応じて送り出すのだ。ただ、今まで噴射ポンプについてるスロットルを開閉をするバーが、開閉のためにだけにあるバーかと思っていたら、今回開いてみて、スロットルの開閉に合わせて、この中のある部分が開いたり閉じたりするようになっていることがわかった(写真1・写真2)、これ、なんだろう、何かのスイッチのオン、オフなんだろうか、別に電気を使うわけでもなし、全くわからない。でもいいなあ、黒光りした歯車、まさにクロガネだなあ。
晩飯。到来モノの豚肉を使って、久しぶりにポテトサラダを作って、トンカツを揚げた。
memo. アゼリア脱衣場の椅子について昨日要望、本日実施済
令和元年12月18日(水)
天気は良くなかったが、高めの気温が続いている。
最低気温 9.8℃(但し19:20時点)、最高気温 15.2℃ (00:00)
今日は阿蘇中岳の様子は全く分からなかった
定点撮影
登校風景 天候不良で、今日は二つの登校班と太郎だけの徒歩通学だった、その登校班も、インフルで学級閉鎖が広がっていて子どもの数が少なかった。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
宮崎のじっちゃいが随分久しぶりに寄ってくれた、思ってもいなかったので嬉しかった。最近は健康なんかになるものだから熊本の病院に来る機会が減ってついでに阿蘇に寄る機会も減ったというわけである。久しぶりの健診で、「異常なし」だったそうで本当に良かった。
図書館に借りた本を返却がてら別の本を借りてきた。
婆様健在の時は、たくさんセーターを編んでくれて、買ったことなど無かったが、近年はそれらも着古してほつれて修復もままならずいよいよ買わざるを得なくなった。ところがセーターなどのファッションモノは、どれをとっても値段が高くて小生なんかが見ると実にバカバカしいと思うのだ。そこで、中華製のセーターをネットで探して買い求めた。二着で6Kくらいだったろうか、ものはしっかりしている、そもそも日本で売っている衣料品なんかほとんど向こうで作っているのだろう、それが、日本で売ると高くなるのだ。Chinaのアリババという会社がやっているAliexpressというネット通販、時々、キャブレターなどの社外品を買ったりするが、今回はセーターを買ったが日本で買うより三分の一とか四分の一の値段で買える、しかも送料無料である、ただ難は時間がかかりすぎるということだ、届くのに買ってから一月くらいかかった、急ぎの時はダメだが、時間に余裕がある時にはこれに限る。まさに「時はカネなり」である。
太郎、水泳教室、今日は進級テストがあったそうだが、今回もダメだったそうだ、バタ足が弱いそうだ。
晩飯、八宝菜。
令和元年12月17日(火)
予報通り、今日は雨になった、朝のうちに一時上がって、これでもう終わりかと思っていたら、日中も降ったりやんだりで、終日そんな空模様が続いていた(写真1・写真2)。それに今日は馬鹿陽気だった、ストーブも火が消えかかっていても誰も何も言わない、このまま消えてしまってもいいだろう。
最低気温 9.2℃ (04:26)、最高気温 16.0℃ (10:31)
定点撮影
登校風景 雨のせいで、今日は一つの登校班と太郎だけの徒歩通学だった、八名だった・・・・かな。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
雨もあって、今日も特に何にもしなかったが、一日があっという間に過ぎてしまった、どうしてこの歳になると時間が早く過ぎるのだろうか。
運転免許の高齢者講習の案内が来た、高齢者になるとゴールドでも二年なんだなあ、今度は認知症検査もある、この高齢者講習、更新がまだ先だからと思って安心していると常に満員状態なので下手をする受講の枠が無くなってとんでもない遠隔地まで受講に行かなかければならなくなるのでとにかく早く申し込んでおいたほうがいいと思って早速電話予約をしておいた、今日通知が届いて、今日予約して、それでも来年の三月まですでにいっぱいだった。小生の更新は来年の5月だからいいようなものの。
晩飯、煮込みハンバーグ、小生はデミグラ系の味に少々食傷しているので、塩コショウだけのシンプルなハンバーグにした。
令和元年12月16日(月)
曇り、午後三時ころから二時間ほど、ひとしきり雨が降ったが、その後、その雨も東に去っていったようだ。雨量計は1.3mmしか示していないが、もっと降ったろう、もしかしたらヨナが雨量計の枡の目を詰まららせているかもしれない。
最低気温 0.2℃ (05:13)、最高気温 13.7℃ (13:11)
朝起きると昨日からの風向きで、車に薄っすらとヨナが降っていた、今日も、日中は曇ってあまり上空が見えなかったが、どちらかと言うと、阿蘇谷方向に噴煙が流れていたのではないだろうか。
定点撮影
登校風景 今の時期、もうだいぶん前からだが、子どもたちが通るころにはまだ太陽は昇っていない、やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる・・・春ではないがこんな風景が広がっている。
(写真1・写真2・写真3)
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
小生が毎朝立っているところにある黒川にかかる「門の町橋」の欄干の一部が欠損していて、これはもう随分前からだと思うが、気になり始めるともう気になって仕方がない、この部分はちょうど小学校の通学路にあたり、下校時にこどもたちが通る側にあたる、低学年の子が何かでちょっと覗くと簡単に川床に向かって落ちるくらいの空間である。朝は反対側を登校班で通るが、帰りは一年生だけの下校もあり、また、この一年生たちが、いろいろ道草を食いながら歩いているシーンを何度も見ているので、先日、担当は違うがよく知った仲の市役所勤務の聖人さんに、国交省管轄の河川に架る橋が国の管轄か市の管轄がわからないけど、関係部署に話をしておいてくださいと頼んでおいたところ、今朝、すぐには工事が出来ないからだろう、早速応急にロープが張ってあった、すぐやる「市」である。
ここのところ、ちょと体を動かし続けたので、今日は休養日に充てて何もしなかった、それでもちょっとだけ補修作業をした。
家を建てて、かれこれ20年(にはまだ二年ほどあったのだった)、我が家の入り口の階段がかなり怪しくなっている。階段の中桁にほぞ穴を開けて、そこに踏み板をはめ込んであるのだが、ほぞ穴は踏み板より幅が狭く、そこが長年の間に腐って、踏むとグラグラしている、いつ、落ちてもおかしくない状況にある、それでも、まだ大丈夫だろうと、ズルズル来ていた。言ってみればまもなくやってくるだろう、首都直下地震のようなものである。でも、地震が来る前にやるのが違うところで、今日、その手当をした。
本来ならば、作り直せばいいのだが、そして、作り直したいと前々から思っているのだが、この程度なら慎重にやれば小生でもなんとかできそうだと思っているのだが、この階段程度の板厚の木材の価格が一体どのくらいするのか見当がつかず、それもあって、「そのうちそのうち」が続いているのである。今日は、まあ、応急措置のようなものかもしれないが、中桁から踏み板方向に太くて長い金属を打ち込んでおいた。
長い金属、すなわち、「釘」であるが、ホームセンターにある一番長い釘は150mmしかない、それで、この釘を階段に横から打ち込むと、中桁の板厚が90mmくらいあるので、ということは踏み板には60mmくらいしか入らないくなる、これではちょっと不足ではないだろうかと考えて、250mmの打ち込みマルカンの頭を取って、打ち込んだ、これで、しばらくはぐらつくこともなく、落ちることもないだろう、しかしこれとて一時しのぎには違いないのだが。(写真1・写真2・写真3)
我が家の入り口のところにある木に、これ、咲いたというか生ったというか、花のような実のような植物はなんだろう、今まで、毎年この木はそうだったのだろうか、今年たまたま気がついたのだろうか、今まで邪魔だから何度か切ろうと思っていながら切り忘れていた木だ、ネットで調べると「マユミ」とある木のような気もするが違うような気もする。「この木なんの木気になる木」である、昔だったら、今は亡き阿蘇坊主がすぐに、書き込んでくれたものだった。(写真1・写真2・写真3)
午後、久しぶりに阿蘇に所用で登ってきたJLZ御入来。
晩飯、豚大根。
ネットで10億円の引換券を注文しておいた。
○
令和元年12月15日(日)
穏やかに晴れる。日没間近に噴煙が少し阿蘇谷に向かって流れていた、噴煙の量は多くないが、少し灰が降るだろうか(写真1・写真2)。
最低気温 2.6℃ (03:00)、最高気温 13.7℃ (14:45)
太郎と母親、朝早く週例のテニススクールに出かけて、夕方前には戻ってくる。
小生は、午前中にたづ子さんのところに薪材をもらいに行った。量を聞いていなかったので、軽トラ一台分くらいだろうと軽い気持ちで行ったところ、既に倒してあって、適当に玉切りした木材が大量に庭に転がっていた、これでは四台分位ありそうだ、今日のところは一台分だけ積んで帰ってきた。帰ってきて、小ぶりな木だけはそのまま薪小屋前で薪にして放り込んでおいたが、太めの木は、今日は時間がないので、集積場所に落としておいた。(写真1・写真2・写真3)
昼から、短時間ながら発動機のリペアの続きをした、どうも、噴射ポンプの具合がわからない、全部分解してクリーナーで清掃して再組み立てをしたのだが・・・・・・
直接関係は無いと思ったが、バルブヘッドの反対側を開いてみた、想像通りで、ピストンやクランクシャフトやカムシャフトなどがオイルの池に浮かんでいた。カーブしたパイプはオイルを機械に送るパイプだろう、それ以前の初期の発動機は、発動機の外にガラス製のカップ(オイラー)があってエンジンの回転ごとにそこから一滴ずつ落としていたのだとう思う。
今回は全く予備知識無しで少しずつ理解をしつつ進めているが、機械の中を覗いて、卵型のカムの回転がプッシュロッドを動かして、それがロッカーアームに伝わって吸気排気バルブが交互に開閉するのだが、そのカムが奥の方に白く光って見える、なんとも嬉しくなる風景である。(写真1・写真2・写真3)
令和元年12月14日(土)
今日は少し雲が多かったようだが、穏やかな一日だった、噴煙も、こちらから見ている限りは派手ではなかったような気がする。
最低気温 1.4℃ (01:07)、最高気温 12.4℃ (14:21)
今日は珍しく我が家の三人組は一歩も外出することもなく家にいた。特に夏子は、修学旅行が終わって放心状態だ。母親に早く気持ちを切り替えろとハッパを掛けられていたようだ。
今年の冬は雨が少ない気がする、毎年この時期には薪を作る時に、いつも空模様を気にしながら、天気の悪い間を縫って木材の乾き具合を気にしながら作っていたような気がするが今年はその心配が全く無い、いつでも薪を作る事ができる。雨が少ないのも問題だろうが、大いに助かる。
今日は昼から、上村さんのお宅の玄関先に積んであった薪材をもらってきた。中小取り混ぜて軽トラック一台分になった。いつもなら、薪材の集積場所に一旦下ろすのだが、今日はそのまま薪小屋の前で薪にした。普段は夕飯の支度や太郎の迎えなどで、あまり作業が出来ないが、今日は賄い方をしなくていいので、時計を気にすること無く、心置きなく薪作りに専念できた。いつも今日のように積んできたらすぐに薪きにしてしまえばいいのだが。ここのところ毎日肉体労働で、体の節々が痛い。
一二年前になるか、学校の廃品置き場にあったブロアーを断ってもらってきたが、それが大活躍をしている。荷台のノコクズなどはあっという間に吹き飛ばしてくれる。
令和元年12月13日(金)
放射冷却で冷え込んで、日中は暖かった。一応今季最低気温だったらしいが、それほどの体感は無かった。
最低気温 -3.9℃ (07:03)、最高気温 12.9℃ (13:33)
阿蘇中岳は、ここニ三日は噴煙が白っぽかったと思ってい見ていたが、今日は朝から真っ黒な噴煙が昇っていて、しかも風向きが、最初の頃はギリギリ山の南側に向かって流れていたようだったが、だんだん、西から東向けに変わってきて、昼から夕方にかけて山麓一帯にかなり降灰が見られた、坂梨の市街地はどうだったろう、ギリギリかすった程度だったろうか。(写真1・写真2・写真3・写真4)
定点撮影
登校風景(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
小生の朝の日課が終わって、旧碧水小学校前に薪材を貰いに行った。今日は10時半から宇治歯科に行くことになっていたのでその前に一台分運んで、歯の治療が終わって、昼からまた出かけることにした。
今回は太い木ばかりで、重機を使っての伐採だったので、もらう薪材もユンボで載せてくれたので小生は何もしなくてよかった。筈だったが、積む時は重機があっても、家に戻って、それを下ろす時にはユンボは無い、軽トラッククレーンでは手に負えそうもないので、結局鳶口を使って、自分で降ろした。基本的には丸太ん棒なので、上手く引っ掛けて力を込めて引けば、ゴロリと転がって下に落ちるので、それほど大変なことでもない。ただ、そうやって辺り構わず引っ張り落とすと地べたに散乱することになり見苦しいし、邪魔になるので、一箇所に集めるのが大変だった。単管をテコにしたりして、太い木材を動かしてようやく一箇所に集積することが出来たが、体中ミシミシ言っている。今日は三回運んだが、間違いなく過積載だろうと思ったので、裏道を通って帰ってきた。後日また出かけることになっている。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
修学旅行に行っていた夏子が夜8時ころ、無事に帰ってきた、階下の方で延々と三人で土産話をしていた。夕方夏子の軌跡をみたところ、福岡空港に居る、あれ?なにか事情が生じて福岡空港に降りたのだろうかと思っていたら、当初から帰りは福岡空港に決まっていたのだそうだ、小生が知らなかっただけだった。ここのところ首都圏で地震が頻繁に起きているようでそれがちょっと心配だったが、とにかく無事で帰ってきた。
晩飯、カレー。カミさんと娘が帰ってくる時間がはっきりしないので、いつ帰って来てもいいように、カレーを作っておいた。
令和元年12月12日(木)
今日も昨日と同じような天気でそれほど気温が下がることもなければ、また上がることもなかった、明朝は氷点下4℃という予報が出されている(山付きはそんなには下がらないだろうが)。
最低気温 2.2℃ (但し19:35時点、明朝に向けて降下中)、最高気温 10.7℃ (00:19)
定点撮影
登校風景下界ではインフルが結構流行っているようだが、阿蘇もそろそろ流行期に入っているようで、小学校でも何人かが休んでいるそうだ、坂梨地区の登校班でも発症しているということだった。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
今日も薪つくりをした、今日は、焚付用の細い木ばかりを切って小屋の奥に放り込んでおいた。
午後の短い時間、リペア中の電動工具をちょっとだけいじった、エンジンが掛からないので、シリンダーなどを分解したみた。ピストンもピストンリングもシリンダーも問題なさそうだ(写真1・写真2)。やっぱりキャブレターか。キャブといえば、小生、ちょっと勘違いをしていた、エアフィルターを外してもキャブレターが遮って奥まで見えないと思っていたが、シリンダーの中まで見通せるのだった。
晩飯。酢豚。
○
令和元年12月11日(水)
今朝は気温が昨日までと比べて少し緩んだ、そして日中も昨日に比べて雲が少し多かった。予報では所によって少し雨が降るかもしれないということだったが、ここは「所によらなかった」、この言葉は気象庁に取っては非常に便利だろう。
最低気温 0.4℃ (03:21)、最高気温 13.2℃ (15:37)、
阿蘇中岳、今日も、西から東方向の阿蘇谷寄りの風が吹いていた。ここも少し車が汚れていたが、坂梨方面から来る車は一様に黒くなっていた。登校時間帯も、坂梨市街地から途中までは火山灰が降るので傘をさしている子もいた。
定点撮影
登校風景(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
今日は朝から薪作りをすることにした、が、10時近くまでは霜が降りてたりで屋外作業には不向きなので、開始時間がどうしても遅れる、それに、先日、上村さんから碧水小学校の近くで木を切るからという連絡をもらっていて、忘れていたので、とりあえず、そちらの様子見で作業開始前に現地まで行ってみたところ、ようやく作業を開始したところで、まだ今日でなくていいよ、それに、じゃまになる場所じゃないから、いつでもいいよ、とのことだったので、今日は薪作りを優先することにして、場所だけ確認して帰ってきた。そういえばたづ子さんのところにも頂戴にあがらなければならない、(決して忘れているわけではないのだが)。
結局午前中は11時ころから開始して、夕方晩飯の準備をするころまで薪作りを続けた。もうヘトヘトである。(写真1・写真2)
晩飯は、お姉ちゃんがいないので、太郎の好物のトロロ汁をつくった。我が家ではお姉ちゃんはトロロが苦手で、母親は、牡蠣がアナフィラキシーでダメで、賄い方としてはなかなか気を使うところである。
そのお姉ちゃんは、修学旅行の二日目、今日はグループ行動だそうで、夏子のクラスの女子は五名なので、五名だけの班で何箇所か行動をしたようである。どうせ食事もグループで食べるのなら、つばめグリルに行って、名物のハンバーグ(ここではハンブルグと言うが)を食べて普段お父さんが作るつばめグリル風ハンバーグと比べて本場の味を楽しんできては、と言ってあったのだが、グループ内で相談して、今晩はそこで夕食を摂ったそうである。田舎の高校生が東京で改まった席でディナーとなると、気が重いだろうから、ハンバーグならちょうどよかったのではと思っている。様子をLINEで送ってこいと言ってあったので、写真を送ってきて美味しかったと書いてあったが、写真を載せるのはやめておこう。
太郎、水泳教室。
令和元年12月10日(火)
朝の放射冷却と霧、その後は青空、昨日と同じ様は天気だった。
最低気温 -2.4℃ (06:35)、最高気温 14.2℃ (13:41)
定点撮影
登校風景(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
夏子は今日から、三泊四日の旅程で修学旅行、行き先は東京だ。朝6時過ぎには集合場所の学校に母親に送ってもらって出かけていった。夏子は一年も前から「修学旅行」を楽しみにしていた。
昨日だったか、夕方、風呂に行こうと軽トラックを方向転換をしているときに外で遊んでいた太郎が「お父さんランプが一つ消えとるよ」、と教えてくれたので、風呂の行きがけに、ナフコに寄って交換用のランプを買っておいた。どうしても使用頻度の関係で、下向きのランプの方が切れるみたいだ。
今日、早速、タマを交換しようと、車の中に潜り込んだ。以前にも一度交換したことがあった(H29(2017)11/30)、その時は、運転席側でペダル類がゴチャゴチャしていて作業が面倒だったのを覚えているが、今回は助手席側で、障害物はなにもないので楽なものである。というつもりだったが、前回のことを殆ど忘れていて、コネクターがどうしても外れない、前回のときも、はずれなくて、石田オートに助けを求めに行ったことを覚えていて、その時は硬いだけだからしっかり引っ張れば抜けると教えてもらったと記憶しているが、その際に両側にあるツメをしっかり挟んで抜かなければ駄目だということを忘れてしまっていたようで、今回も、前回と全く同じように、石田オートまで走って孝臣さんの指南を仰いで、ようやくコネクタを外すことが出来て無事に交換することができた。電球を交換する時には素手で直接電球に触らないように、指の油がついて、電球がすぐに切れるからという注意は不思議とよく覚えていた。
今日は午後から宇治歯科に行ったが、奇しくも前回のヘッドランプの交換の時にも宇治歯科に行っている、妙な因縁である。
リペア中の電動工具のダイヤフラム一式が届いたので、さっそくキャブを清掃して取り付けたが、期待していたようにスンナリとエンジンはかからなかった、また、ちょっと苦労をしなければならないようだ。
よく間違う人がいるが(実は小生も以前間違っていたのだが)ダイヤフラムはメタリングダイヤフラムとポンプダイヤフラムと二種類があってそれぞれガスケットと対になっている。問題はキャブ本体とカバーとの間に、そのダイヤフラムとガスケットを挟むようにしてとりつけるが、メタリングとポンプと、ダイヤフラムとガスケットの取り付け順序が逆なのである。メタリングの場合は、本体、ガスケット、ダイヤフラム、カバーの順であるが、ポンプの場合は、本体、ダイヤフラム、ガスケット、カバーの順番である。
令和元年12月 9日(月)
今朝は昨日よりも更に冷え込んだ。ところが昨日は出来たのに、水道の水滴でツララも「石筍」も全くできなかった、蛇口の水量調整が合わなかったのだろう。その代わりというのもヘンだが、今朝は霧がでた。流石に今朝の気温、カメラを持つ素手がかじかむほどだった。(写真1・写真2)
最低気温 -4.2℃ (07:07)、最高気温 10.3℃ (13:55)
阿蘇中岳は朝は霧の中だったが、昼間は阿蘇にいなかったので分からないが、噴煙はずっと西から東に流れていたようだ、特に夕方には山麓一帯が噴煙に沈んでいたので、結構な降灰があったのではないだろうか。(写真1・写真2・写真3)
定点撮影
登校風景(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
今日は大腸がん手術後の三月ごとの検査日で熊本の高野病院に出かけた。今日の検査は採血だけだった。最近は血液だけで何でもわかる時代になっている、これはすごいことだ。そして血液検査結果は当然のことながら正常だった、これで異常でも見つかれば大変だ。次の三月後は造影剤を入れてCT検査、さらにその三月後は内視鏡検査で胃や全腸検査をする予定である、これだけ細かくアフターケアをしてくれているので安心である。
昼前に病院が終わって、朝を抜いたので、昼飯は例によって浜勝でトンカツを食って、ハンズマンに寄って地元では入手できない部品を仕入れて、「ヒカモ」に寄って晩飯の材料を買ってなどしているうちに、夕方近くになってしまったので今日はその他のことは何もしなかった。
ずっと車のアンテナが取れていたのを直して久しぶりにAPRSで往復の軌跡を取った、基地局のアンテナは壊れたままので、阿蘇に入って電波が届かずに軌跡がかなり不正確になっている。
晩飯。豚肉の味噌漬け、出し巻き卵など
令和元年12月 8日(日)
今日は「帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」の日だ、今どのくらいの人がこの日を覚えていることだろうか。もう今日の新聞にすら載っていなかった。小生は昔からずっとこの大本営発表の「真珠湾」がどうして東太平洋でなくて西太平洋なんだろうと思っていたものだ。
今日は放射冷却でうんと冷え込んで日中は日差しを受けて暖かく素晴らしい青空が広がった、この天気を待っていたのだ。(写真1・写真2)
最低気温 -2.7℃ (06:56)、最高気温 10.5℃ (15:01)
冬の間、氷点下が予想されるときには、屋外の水道の栓を少し開けて凍らないようにしている。昨夜もほんのポタリポタリ程度に開けておいたが、今朝の気温の低さを見て、昨夜もうちょっと出しておいたほうが良かったかなと思って、外に出てみたところ、水栓は凍結しておらず、その代わりにポタリポタリの間隔が長かったからだろうか下に落ちた水滴が凍って積み上がってまるで鍾乳洞の石筍のような柱になっていた、20数センチあった。この高さから推測すると、明け方ではなくて昨夜のもっと早い時間から凍り始めたのだろうかとグラフを見ると、氷点下になったのは日付が変わった頃のようだ。ということは絶妙なポタリポタリの間隔だったということだ。太郎に生きた教材として見せてやりたかったが、もうテニスにでかけた後で、帰ったときには既に影も形も無かった、明朝も気温が低そうだが再現ができるだろうか、水栓の締め加減が難しい。でも考えてみたら、どうして氷柱(つらら)にならなくて石筍様になったのだろう、不思議だ。
太郎は週例のテニススクール、6時半過ぎには母親と出かけていった、今日は夏子も一緒だった。夏子はピアノ教室の発表会があった。今年はベートーベンのピアノソナタの「月光」第一楽章だった。去年が確か第三楽章だったと思うが、その前の年が、同じく「悲愴」の第三楽章だったろうか。どうせやるなら、二曲とも全楽章覚えろよ、と言うのだが、それだけの時間が無いそうである。小生にしたらプロでなくても、それができたら素晴らしい財産になると思うのだが。小生は「月光」は第一楽章が好きであるが、夏子はそうじゃないそうだ、まあその辺りが大人と子供の差だな。
小生は、ディーゼル発動機の整備をした。やはりオイルを交換することにした、抜いたところ真っ黒になっていた。どのくらい入れたらいいのだろうかと、抜いた油量から推測して、0.5L入れたところ、多すぎるくらいだった。燃料タンクに軽油を入れて、冷却水を入れて、さあ、どうだ・・・やっぱり動かなかった。チェックして、原因が分かった、原因と言うよりはどこが悪いかがわかった。噴射ポンプが機能していない。燃料タンクから噴射ポンプまでは燃料は来ている。噴射ポンプのなかの、次工程の噴射ノズルに送る部品が働いていない、この部分には小さなスプリングやベアリングの玉のようなものが入っている「弁」のような部分だ、この部品を外すと燃料は出てくるがこの部品を嵌めると、ここから先に燃料が行かない。動画なんかをみると、クランクを回すごとに、ピュッピュッと燃料が飛ぶシーンがある、つまり、この部分がなにかあるのだろう、ということで、今日のところは、不首尾に終わった。
万一火災でも起こすといけないので(エンジンが掛からないのだから杞憂なのだが)、外に運び出して試運転をしたが、小屋の出入口に結構な高さの敷居があるので、この作業が大変なので、しばらく雨が当たらない場所にそのまま置いておくことにした。ただ、冷却水が凍結するので抜かなければならないのが面倒である、この冷却水が相当量入る、10Lくらい入るかもしれない。。
令和元年12月 7日(土)
曇り、雨は降らないけどずっと曇りだなあ。
最低気温 2.0℃ (03:15)、最高気温 8.6℃ (15:20)
我が家の三人組は遠出することなく、基本的には家にいた、基本的にはというのは昼間、夏子が来週、修学旅行だそうで、その準備の買い物にちょっと出てくると言って、結構夕方までふらついていたからだ。
燃料タンクにフィルターを入れて、燃料コックを取り付けて、とりあえず、ディーゼル発動機の分解再組み立ては終わった。フィルターは他のフィルターの転用で、燃料コックの取り付け径より太くて入らない、だから、給油口から入れて、内部から燃料コックの口の外に出して、そこに燃料コックとドッキング、この方法、最近どこかで見たシーンだな。
エアフィルターとマフラーはエンジンを掛ける分には差し当たって無くてもいい。冷却水を入れて、軽油を入れて、オイルは前のやつがレベル分だけは残っているので、とりあえず始動するにはいいだろう(やっぱり新しいエンジンオイルに交換するか)。でも、そんなに簡単に掛かるかなあ、小生は全くかかると思っていないのだが、明日にでもやってみようか、でもちょっと不安である。
数日前から取り掛かっているもう一つの電動工具のリペア。キャブレターを分解して、劣化していたダイヤフラムを取り出して新しいやつをネットで注文した、いままで見慣れたWalbroのキャブではないのであるかなあと思ってネットで検索したらあった。Nikkiは日本では老舗のようだ。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
小生が扱っているようなシンプルなエンジンは、シリンダーピストンに圧があって、燃料があって、火花が飛んで、マフラーが詰まっていなければ、必ずかかるのである。昨日までウンともスンとも言わなかった原因を一つづつ追ってみたが、ピストンに圧はある、火花も立派に飛んでいる、マフラーも全く詰まっていない。となると燃料がシリンダーに送られていないということだろう。エンジンが掛からにときに、エアフィルターを外して吸気のところにキャブクリーナーを吹込むと良くかかる、しかし、その場合でも、シリンダーとの間にはダイヤフラムがあって直接シリンダーに燃料が送られるわけではない、だから、ダイヤフラムが機能していなければキャブクリーナーを吹き込んでも、シリンダーには届かないことになり、爆発はしない(はずだ)。だから、キャブレターも全部取り外して直接ピストンが見える状態にして、キャブクリーナーを吹き込んで引いたところ、一二度、爆発した。ということで、ダイヤフラムを交換すればいいということになった。
令和元年12月 6日(金)
雨こそ降らないがずっとほとんど太陽を見ない日が続いている、とにかく昼間の気温が上がらない、日本海側の冬の天気のようなものだろう。(写真1・写真2・写真3)
最低気温 2.1℃ (01:29)、最高気温 6.1℃ (14:52)
阿蘇中岳、こちらに噴煙が来ないときにはあまり注意を払っていないが、南方向に流れ続けているのだろうか。
定点撮影
登校風景(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
今日は肉体労働はしなかった。ディーゼルエンジンの燃料タンクの中が赤錆なので、中のサビを落とすことにした。細かな砂利を入れて、シェーカーのようにしばらく振り続ける、ショットブラストの逆のようなものだ。このあと灯油を入れて洗い流した。
それから今日はもう一つ、これは我が家には無い電動道具で、前から欲しいと思っていた、「動かないよ」というジャンクを承知で手に入れて、なるほど全く動かない、一日二日いろいろやってみたけど、全くウンともスンとも言わなかった、そしてニッチもサッチも行かなかったところ、ようやくニッチくらい行けそうになってきたので期待が持てそうだ、優先度はディーゼルエンジンよりもこちらのほうが先なのだが・・・・。
アメリカの宇宙飛行計画のアポロ計画の前のジェミニ計画の最後の宇宙船、ジェミニ12号(1966)の操縦席の写真である。劇映画ではない、ホンモノである、オーッ!計算尺が写っている。
夕方、熊ちゃんが、オマエ骨董が好きなようだから、これ持ってきてやったぞと言って、懐中時計様のものを持ってきてくれた。みると電圧計のようである。調べてみた、J.T. The High Class Pocket Meter(携帯型電圧計)というのだそうで、1924年頃のものだそうだ、動くかどうかまだ分からないが、小生は初めて見るものだ。
晩飯、今日は肉体労働をしなかったので炊事をする気力があった、チキンカツを揚げて、ポテトサラダを作った。
令和元年12月 5日(木)
ここのところ、朝の気温が低くても、放射冷却による低温ではない、だからカラリとした晴天にはならずにどんよりとした陰鬱な日が続いている。どうもこんな天気で気温が低いというのはピンとこない。
最低気温 -1.1℃ (03:38)、最高気温 8.4℃ (13:33)
定点撮影
登校風景(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
寒くなってストーブの稼働がフルタイムになってきて薪の需要と供給のバランスが少し崩れてきているので、天気が崩れないうちにできるだけ薪を作っておこうと今日も一日薪作りをした。我が家で使う薪はとにかく太く作るので、その元になる薪材も太いので薪作りは体力を使う。作った薪は積んで運ばなければならず。作る前の太い木を切るなり割るなりして適当な大きさの薪にしても、運ぶ労力は同じである、小さくしたらそれだけ運ぶ回数が増えるからだ。木材の量を言うときには、重さでなくて、木材**立米というふうに体積で言うのだと思ったが、小生が一冬に作る薪の量はどのくらいになるのだろうか。とにかく一日やるとものすごい運動量になる。
晩飯、鍋。薪作りにくたびれて料理をする体力も気力も無くなって、そんなときには「鍋」である、簡単でみんな喜ぶし、冬にピッタリだからなあ。
○
令和元年12月 4日(水)
氷点下だった、ボンの飲水が凍って、ボンの力では割れないとみえて盛んに表面を舐めていたので割ってやった。
最低気温 -1.3℃ (06:00)、最高気温 9.3℃ (15:13)
定点撮影
登校風景 今日も太郎は小生より早く出たので、小生が持ち場に行ったときにはもうその先を走っていた。子どもたちの服装もいつの間にか完全冬武装になっている。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
今日は薪を作った。
太郎、水泳教室
夕食、カレーライス。
令和元年12月 3日(火)
曇り。予報ほどは最低気温は低くならなかったが、日中も気温が上がらず寒い一日だった、明朝は氷点下3℃だとか(そんなには下がらないだろう)。
最低気温 2.4℃ (06:39)、最高気温 6.3℃ (13:28)
阿蘇山 昨日の雨は山では雪だったようで山頂付近は白くなっていた。
定点撮影
登校風景 今日も太郎はダントツの一番だった。それに今シーズン初めてスパッツを穿いていった。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
日が射しているのに蜂の姿が全く無い、心配になって久しぶりにハチウトの下の口を開けてみたところ、こんな寒い時期なのに底板にスムシの親のハチノスツヅリガが一匹いやがった、動きが鈍かったが真冬でも生きているんだ、驚いた、この時期でも卵生むのか?それにハチが数匹死んでいた。寒さのせいだろうか、餌が失くなったのだろうか、心配になって中を覗いたところ、まだあまり数は減っているようにはみえなかった。ここのところ急に花の種類が少なくなって、その上に火山灰が降って、気温が低い日が続いているので、とりあえず砂糖水を入れて様子を見ることにした。一連の作業をしているとハチが数匹飛び出してきて小生の周囲は飛び回っていた、その後で日向ぼっこをしていた。
今日は作業場に入ることもなく、道楽も一休みだ。何をしたということでも無いのだが、あっという間に一日が過ぎてしまった。
晩飯、カミさんが(作りもしないのに買ってしまって、)腐るからなんとかしてくれというので、今日はその白身さかなを使って、南蛮漬けを作った、それから、オカラの煮物とほうれん草の白和え、今日は和食だ。
令和元年12月 2日(月) 阿蘇移住記念日
夜中に寝床の中で屋根を打つ雨の音を聞いていたので、昨夜日記を書いた後に降り始めた雨、一晩中降っていたのだろう。朝になってほぼ止んで日中は曇り、風が強く昼過ぎには10mくらいの強い風が吹いていた、夕方太郎を学童に迎えに行く頃、風が非常に冷たかった。夜に入って天気は回復しつつある。
最低気温 5.8℃ (但し19:08時点、なお降下中)、最高気温 15.2℃ (03:25)
今日は我が家の阿蘇移住記念日である。もうそろそろ阿蘇に移住して20年くらい経っただろうと思っていたが、2001年の今日だったから、まだ丸18年ということなのか、もう足掛け20年くらいだろうと思っていた。考えてみたら、娘が確か翌年に生まれて、まだ18歳にも達していないのだ。なんだかあっという間に時が過ぎたなあと思っていたが、ここに来てなかなか20年にならない気がしている。
定点撮影
今日はもうほとんで雨はやんでいたが、それまでずっと雨と風があったので、徒歩通学は太郎だけだろうと思っていたら、太郎のあ後から二人やってきて、今日の坂梨地区の徒歩通学は三名だった。
登校風景(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
今日も道楽は休み。のつもりだった。というのは、部品(の代替品)を取り寄せ中で、それがないと、先に進まないからである。ところが夕方近く宅配便がやってきたので、ちょっと作業をした。
燃料タンクの中に入っている、オイルストレーナーが、今の時代はもう売っていない、だからよく似た形状のものを取り寄せて、それをちょっと加工して間に合わせることにしたのである。現在整備中のものは、燃料コックにつながって突き刺すようにしてタンクの中にセットするようになっていて、現在はそういうタイプのものは見当たらず、大体がタンクの外に燃料コックとストレーナーユニットが一体となって独立してあるようで、そのユニットの中に今回取り寄せたフィルターを落とし込んで使うようである。だから今のタイプのストレーナーには、片方には幸いに同じ径の穴があるが、反対側に突き刺すべき穴が開いておらず、そのままでは使えない。
ということで反対側に穴を開けて、突き刺すように改造して従来型のストレーナーを作った。
阿蘇移住記念日はなぜだか、(多分最初の日がそうだったからだろう)、すき焼きに決まっている。黒毛和牛や阿蘇のあか牛などといった高級肉ではないが、ささやかに移住記念日を祝った。今日はついでに、オカラでサラダを作ってみた、初めてにしては完成の域に達している。
令和元年12月 1日(日)
今年もカレンダーがとうとう一枚になった、いよいよ師走、小生が走る月だ、「2001年阿蘇への旅」であの日はフェリーで洋上にいたのだった。
「晴れ」ながら阿蘇谷は終日太陽が噴煙に遮られて、しかも風があったので積もった噴煙が吹き上げられて灰色の世界が広がっていた。低気圧の移動で午後辺りから雨になる予報だったと思うが、天気の崩れが遅れているとみえて夜になってもまだ降っていない。
最低気温 1.4℃ (06:24)、最高気温 17.3℃ (14:21)
太郎と母親は朝早く週例のテニススクールにでかけた。夏子は、青少年交流の家で開かれた、「科学とものづくりの体験フェスティバル」というイベントに高校の科学部で展示ブースを開くそうで、小生が朝送っていった(開催時間中に様子を見に行こうと思っていながら薪作りなどで時間が無くて行かなかった、帰りは母親がテニスン帰りに寄って乗せて帰ってきた)。今日の阿蘇は南寄りの風で阿蘇谷方面は噴煙が大量に流れていた、我が家も朝、車に火山灰が沢山積もっていた、水道ホースで火山灰を洗い流してから送っていったが、火口に近い交流の家も灰が積もっていて灰色の世界になっていた、交流の家と隣接する小堀牧野の牛たちの背中にも灰が積もっていた。同じく交流の家に隣接する別荘地(永住組と別荘組が混じっているが)、知り合いが何人か居るので帰る途中、中を一周りしてみたが、ここも灰色の世界が広がっていた。我が家は時々灰が降る程度だが、火口近くの人たちは連日で大変だろう。今日も我が家では朝一回の洗車ですんだが。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
ご近所から米を分けてもらって、コイン精米所に行ってきた。
天気が悪くなりそうなので今日は薪き作りをした、道楽は休みだ。今日はテレビで大学ラグビーをやるので、昼飯を飛ばして薪作りを続けて、2時からの試合開始に合わせて薪作りを終わって昼飯を食って、テレビ観戦をした。
今日の関東大学ラグビーの対抗戦、全勝同士で明治と早稲田が対戦して、明治が優勝した、明治が圧倒的に強かった、明治には昔、北島忠治という名物のそして伝説的な監督がいた、彼のことば、「前へ」である、この言葉を思い出す。
関東大学ラグビーには色々な理由でこの対抗戦というグループとリーグ戦というグループがあってなかなか複雑である。小生が出た大学もこの対抗戦グループに属していて、対抗戦はAとB、つまり一部と二部に分かれているのだが、今年はAで戦ってきたが、他の大学と実力の差があまりにも大きすぎて、0対100なんていうような大量点差で敗けいている、過去にもBに落ちてはBで何度も優勝してAに戻っているが、AとBの差が大きすぎるだろうか、今年も入替戦になるのだろう。
最近ははやり老化には勝てない、薪作りをするとヘトヘトになる、その疲れた体で風呂に行くと、カラスの行水だが、それでも体の芯から温まって気持ちがいい、そして、朝起きて寝るまでの間、大地に対して基本的には垂直状態にある背骨を寝床に入って大地と平行にすると、ああ、伸び伸びだなあとしみじみ感じるのである。
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