風師庵日記目次へ
令和己亥(2019) 元年11月の記録 (新しい日付けの順)
令和元年11月30日(土)
青空が広がった、放射冷却で朝方は冷え込んで日中は暖かくなった。
最低気温 -0.5℃ (02:21)、最高気温 12.3℃ (14:59)
朝新聞を取りに行ってビックリした、全面真っ赤な新聞が入っていた。そして真っ赤な紙面の次に普通の新聞が現れた。
今日からハンドボールのワールドカップが熊本で開催されるそうで、多分、この新聞社はこの大会に大きく肩入れをしているのだろう。地元でもハンドボールの世界大会が開かれることあまり詳しく知られていないのではないだろうか。そもそもハンドボールというスポーツはどういう歴史があるのだろう、どうして生まれたのだろう、改めて考えてみると実に不思議なスポーツだ。よく見ると女子ハンドボールとあるからには男子のハンドボールもあるのだろうか、今回の熊本で開催されるワールドカップは女子だけなのだろうか。
阿蘇中岳、噴煙、朝のうちは南に向かって流れていたがその後、風向きが微妙に変わり、少しずつ阿蘇谷に向かって流れ始めた、一時、ちょっとこちら方面にも火山灰が流れてきたようで、午後になって車に少し火山灰がかかっていた。(写真1・写真2・写真3)
太郎は今日は土曜授業で、授業参観があった、母親が参観に行った。
定点撮影
登校風景(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7) 珍しく、太郎が一番で登校していった。
太郎、午前中で授業が終わって、午後から母親に連れられて宇治歯科に虫歯の治療に行った。夏子は夕方からピアノのレッスンがあるんだそうで、近く教室の発表会があるため、リハーサルなどで遅くなるからということで、太郎は留守番をすることになって、母親と二人ででかけていった、太郎は家でゲームなどをして過ごしていた。
小生は、発動機のリペアの続きをしたが、今日は更に少し組み立てが進んだ。ただ、時々、あれ?これなんだったけ、ここはどうなっていたっけと迷っては撮った記録写真をひっくり返して確認したりしたが、今回は、あまリ複雑な仕組みではなさそうなのでいい加減に写真を撮っていたので肝心なところが撮れていない、だいたいそんなものである。
昨日乗ったタクシー、アゼリアから我が家まで1,500円以上かかった、あの程度の距離でタクシー代というはそんなにもするものなのか。今朝の車の引き取り、ヒザが痛くなければ歩くところだが、子どもたちの見守りが終わった後、已む無くカミさんに話して、アゼリアまで軽トラックで送ってもらった。昨日の充電状況で今朝の寒さでまたバッテリーがあがっているといけないので、ブースターケーブルを常備している軽トラックにした。アゼリアの駐車場には小生の車一台だけが残されていた、ガチガチに凍っていたがイッパツでエンジンがかかったので、カミさんにはトットと帰ってもらって、小生はウインドウの氷が解けるのを待って帰ってきた、1,500円で男を枉げてしまった。
夜は太郎と二人でステーキを焼いて食った、お父さん、二人だけの食事、久しぶりだねと言っていた、そういえばそうかな。
令和元年11月29日(金)
ギリギリではあるが、氷点下になった、昨日の雨は山では雪だったようだ。朝から抜けるような青空が広がった。(写真1・写真2)
最低気温 -0.2℃ (06:51)、最高気温 12.2℃ (13:34)
阿蘇中岳、ここのところ北風で噴煙は南阿蘇方向に流れいて、ここからはあまり見えなかった。
定点撮影
登校風景(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
ディーゼル発動機のリペアの続き。酸洗いして水洗いをした部品、今日は油で磨いてから組み立てに取り掛かった。一番緊張するバルブスプリングの取り付け、どこかの注意にあったようにニ三度コッタを飛ばして、ヒヤリとした、この小さな部品一つでも欠けるともうそこでオシマイになるからである。取り外すときにはバルブスプリングコンプレッサーを使ったが、嵌めるときには手でやったほうが楽だった。手のひらでスプリングを押さえると、分解のときには下がらなかったが、洗ったりしたからだろうか、スプリングが下がって隙間ができたので、コッタをなんとか無事に入れることができた、バルブもキレイに収まった。小生にとってはここが一番の山だった。多分、これからもニ三度やれば慣れる作業だと思う。この作業、もっとやるなら、バルブの摺合せなんかもあるようだが、今回は、そこまではやらない。
今日はシリンダーヘッド部分の組み立てが終わった、そして本体にはめてみた、うん、絵で言うとマチエールか、この油で鈍く光った鋼鉄の塊、見ていて惚れ惚れとする。
一日の最後になってドジを踏んでしまった。風呂から帰る段になって車のキーが無い!このシーンより少し時間を戻す。かなり長い間、軽乗用車に乗っていなかったので、バッテリーがあがるといけないのでたまにエンジンをかけようかとキーを回してみたが、ウンともスンとも言わない、寒い時期でもあるし、とっくにバッテリーが上がってしまっていたのだ。ということで軽トラとブースターケーブルで繋いでいエンジンを始動して、しばらくエンジンを回しておいた。それでも充電量が足りないと思ったので、太郎の学童の迎えも軽乗用車で行った、そして風呂も軽乗用車で行った。その車のキーがアゼリアから帰ろうとしてポケットをまさぐったが無いのだ。
普段と車が違うので、キーの抜き忘れをしないように、指さし確認をするくらい慎重に、車を止めてキーを抜いて、ドアの鍵をかけて、キーはジーンズの右前のポケットに入れた。そのキーが帰るときに無いのだ、ということは、車を駐めてキーをポケットに入れて、アゼリア館内に入る途中で駐車場で落としたか、脱衣場でズボンを脱ぐときに脱衣かごの中に落ちて気が付かずに出てきたか、これ以外絶対に無くなる理由は無い。脱衣カゴは別の客がもう衣服を入れているのでかき回すことはできない、駐車場でも携帯を懐中電灯代わりにして、暗い中探し回ったけど、無い。仕方がないので車を置いて、アゼリアでタクシーを呼んでもらって、それに乗って帰ってきた。
小生の人生にタクシーに乗るという文化は無い、タクシーは昔から「贅沢品」だと思っていたので、今までタクシーに乗ったのは数えるくらいしかない。多分10年くらい乗っていないのではと思う。いやそんなことはないか、車が動かなかったか何かで太郎を保育園にタクシーに乗せて連れて行ったことがあった。あまり珍しいので日記に書いた記憶がある、太郎はまだ10歳になっていないので10年ぶりという表現は当たらい。
その小生にとっては珍しいタクシーで帰ってきて、軽乗用車に置いてあるものが必要なのでスペアキーを持って軽トラックで再度出かけて、必要なものを取り出して、また車を置いて帰ってきた。明日にでも取りに行かなければならないが、車は二台あるから一人で行くわけには行かない、カミさんには絶対に頼みたくない(カミさんは小生の日記は読んでいないのでこのことは知らないだろう))、明日誰かに乗せていってもらうか、と思いながら帰ってきて、ジーンズの右前のポケットをまさぐったところ、キーがあった、何度も何度もまさぐったのに無かったのが、あったのだ、どういうこっちゃ、「世にも不思議な物語」だ。アゼリアに電話で恥ずかしながらありましたと連絡して、一件落着。これ落着というのか、まったく締まりのない一日の終りだった。
晩飯、ポトフ。
令和元年11月28日(木)
確か今日は「晴れ」だったと思っていたが、朝目が覚めると雨が降っている、それもずっと降り続いていた雰囲気だ、小生の予報の見間違いだったのか。この雨は午前中には上がったが、今日は日照がほとんど無く、強い北風がずっと吹いていたので、寒かった。
最低気温 6.3℃ (但し19:01時点、明日朝の氷点下に向けて降下中)、最高気温 9.8℃ (11:46)
定点撮影
こんな雨の日は子どもたちは一人も歩いては来ないだろうと思ったので、特別の恩情をもって、太郎を小生がいつも立つ橋の袂まで乗せていって、誰も来ないようだったらそこから歩けと言ってしばらく車の中で待機させていたところ、ひとつのグループだけが歩いて登校してきたので、その子たちに合流させて学校に行かせた。今朝は雨が降り続いていたわりには視界が悪くなくて阿蘇山もよく見えていた。
登校風景(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
10時から12時まで、阿蘇文化調査研究会の例会が社協センターであった。今月は岩下平助さんの七鼻八石について発表があった。(写真1・写真2)
午後からは、発動機の整備の続き、部品の酸洗いを終えて一つずつ水洗いをしようと思ったが、風が強くて寒かったので、水槽に入れて水を一晩流しっぱなしにすることにした。
我が家の裏手にも柿の木があって、採ったことは殆どないが、あまり実がつかない木だと思っていたところ、今日まで全く気が付かなかったが、今年は驚くほどの実が生っている、表の方の柿の実は熟して自然落下でもう殆ど無くなっているが、今日気がついた柿はまだ沢山実がついている、これ、甘だったか渋だったか、どっちだったろう、最近は竹が生えすぎて、そこまでなかなか行き着けない、この冬はこの辺りの竹を皆切って裏側からも我が家が確認できるようにしようという心づもりは一応あるのだが・・・・・
晩飯。餅入り味噌おじや。
○
令和元年11月27日(水)
曇り、後、ずっと小雨が降ったりやんだり。気温差の小さな日だった。皆が出かけた後、なんとなくあったほうがいいという気温だったので昼間ストーブを焚いたが、それなのに小生は、ずっと作業場にいた。夜になって部屋が暖まっているので、それはそれで良かった。
最低気温 9.1℃ (00:00)、最高気温 12.3℃ (14:02)
阿蘇中岳、今日は終日雲の向こうで噴煙の様子は分からなかったが、朝のうち、かすかに見えた時は、南東方向に流れていたように見えた、今朝、車のウインドウが少し汚れていたが、その後、こちらには風は吹かなかったようだ。
定点撮影
登校風景(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
午前中、チェンソーの燃料パイプの修理をして、ようやく完了した。今回はかなりいろいろ分解したこともあって、試運転では用心のために外でエンジンを掛けた、自分の技量をそれだけ信用していないということだ。(写真1・写真2)
小生はディーゼルエンジンのことは全く知らないので、今回の整備でいろいろネットで知識を得ているが、ディーゼルエンジンの場合、燃料を燃焼室に送る際にエア抜きが絶対に必要なのだそうだ。なるほどなあ、勉強になるなあ。
太郎、水泳教室。
晩飯、カレー。その時々でいろいろなルーを使っているが、ハウスジャワカレーが一番美味いように思う、太郎は最近、「甘口」を卒業して「中辛」を食べられるようになったが、ルーによって同じ「中辛」でも辛さの度合いが随分違うが、このルーの辛さは他のルーに比べても辛いほうだ、それでも太郎は食べている。
令和元年11月26日(火)
曇り。
最低気温 9.2℃ (07:23)、最高気温 12.2℃ (12:54)
阿蘇中岳、雲が多くて区別がつきにくかったが、今日は阿蘇谷の主に東半分、つまり、宮地や坂梨方向に噴煙が流れていたようだ。昼間、ちょっと外出して、帰ってきた時には何もなかったが、30分ほどして家から出たところ、車のウインドーに灰がかなり積もっていた。その時はもう降っていなかったので、極めて短時間の間に降ったのだろう、つまり、噴煙の流れが短時間で上空を通り過ぎたのだろう、夕方、ミヤハラに行く途中、下校途中の子どもたちが全員マスクをして、中には傘をさしている子もいた、その頃ちょうど小学校の帰り道が降灰にぶつかったのだろう。道路が薄っすらと灰色に覆われていた。我が家の降灰はホウキで掃くと、ちょうど粉雪が積もったような物で、簡単に払い落とすことができる、これが雨まじりの時はドロドロになるのだろう。
定点撮影
登校風景(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
昨日クエン酸に浸けた発動機の部品、浮き出たサビで茶色く濁っていたので、もう一日浸けることにして、液を交換した。
発動機の燃料タンクの燃料コックのレバーが欠損していて、これをなんとかしなければならない。その意味もあって、燃料タンクを取り外してみた。
タンクの底にびっしり、単なるゴミなのか何かの虫の巣だったのか、たとえばトックリバチのような穴が空いた沢山の塊が積もていた。冬に入っていてよかった、仮に虫の巣だったのなら一騒動になるところだった。(写真1・写真2・写真3・写真4
それはともかく、タンクの中は赤錆だらけだ、この中のサビ取りをしなければならない。それに訳のわからないシロモノがタンクの中から出てきた、これ、オイルストレーナーだろうか、どこにどうやって付いていたのだろうか。それよりも、タンクから燃料が出てくるパイプはタンクの一番上に付いている、ということは、底の方で吸い上げた燃料が一番上の穴から噴射ポンプの方に送るわけだが、負圧を利用するのだろうか・・・・タンクの上部に二箇所、パイプがエンジンの方に伸びている、一つは燃料を送るパイプだが、もうひとつはなんだろう、ベントだろうか・・・・
発動機いじり、時間のあるときに、少しずつ、というつもりだったが、ここのところ、一日中こればかりやっているなあ、ちょっとセーブせんとなあ。
チェンソーの燃料パイプの補修、交換チューブが無くなって、Chinaから安価なものの取り寄せでしばらく中断していたが、虚仮の一念、ようやく通すことができた。
作業をしていて時間を忘れる、ときどき携帯を取り出して時間を確認しようとすると手が汚れている、ということで、毎朝、子どもたちを送るときに車にぶら下げている時計を作業場に設置した、朝だけ取り外して持って出ればいいのだから。
晩メシ。柳川もどき。
令和元年11月25日(月)
時々晴れ間はあったが基本的に曇りの一日だった、気温が高めで、朝、持ち場に立った時も心地の良い風が吹いていた。今日は一日ストーブが要らなかった、夜に入っても要らなかった。
最低気温 13.2℃ (06:51)、最高気温 17.7℃ (12:42)
阿蘇中岳、雲が多くて区別がつきにくかったが、概ね、こんな状態だった。
定点撮影
登校風景(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
朝一番で宇治歯科に歯周ポケットの深いところの歯石取りに行った、左右上下の奥歯付近都合四箇所が治療対象で、今日4回目で最終日だった。今日はちょっと深いところだったので麻酔注射を打って痛くないようにして取ってもらった。
帰ってから、昼までにちょっと時間が合ったので、セメントが残っていたことと、打ち残しもあったのでセメント打ちをした。
アマゾンに注文してあったバルブスプリングコンプレッサーが届いたので、昼から、バルブ外しに挑戦した。バルブを外すときにコッタという非常に小さな部品があって、これを飛ばすと一巻の終わりになると聞いていたので、工具をあててバネを抑えていくときに非常に緊張した、あまりの緊張に途中で中止して呼吸を整えて再度挑戦した。
ようやく、バネが沈んで、コッタが顔を出した、飛ばさずに取り出すことができた、あれ、このスプリングにはリテーナというバネ受けが無いなあ、そいうタイプなのだろうかと思って、よく見ると、リテーナがバネを押させるアタッチメントに食い込んで、全く取れなくなってしまった、バネの直径が23mmでアタッチメントの径も23mmだったのだろう、隙間なくガッチリ嵌ってしまってどうしても取れない(圧入と言ったか、そんな風だ)、いよいよとなれば、リテーナの方が大事なので、アタッチメントの方を壊してでも取り出そうかとも思ったが、そこが工夫だ、長いボルトを反対側から差し込んで、ハンマーでガチンとやったら無事に取れた。
二本めのバルブは25mmのアタッチメントを使ったので無事に外すことができた。これで、無事にシリンダーヘッドからバルブを抜く事ができた。
排気バルブの方は穴の中がススが石のように硬く全面にこびりついていた。
シリンダーヘッド部分にもうひとつ分解できそうな部分があったので、最後にこれも分解して、あまり精密そうな部品は別にして、クエン酸液に浸けて今日の作業は終わった。
晩メシ、豚肉の味噌漬け。夏子が白和えを食べたいというので、ほうれん草と人参とこんにゃくを使って白和えを作ってやった。
○
令和元年11月24日(日)
曇りのち雨、夕方近くには上がる。九州南部が雨が強かったようで、雨にあわせて雷がすごかった、雷は当地にも結構やってきたが、近くに落雷は無かったようだ。
阿蘇中岳、朝から雲の合間から噴煙が盛大に上がっていた、風向きが真上だったり西に流れたり、東に変わったりしていた。夕焼けが美しかった。(写真1・写真2・写真3・写真4)
太郎と母親、今日もテニスレッスンに出かけた、確か先週休んだ分も含めて二日連続だったのだろうか。
今月の29日が満期の軽トラックの任意保険を更新した、小生はネット保険に入っているが、普通の保険契約より驚くほど安くあがる。この一年で、10,000キロくらいしか乗っていない。
ディーゼル発動機の整備を続けた、ディーゼル・エンジンでいいのだろうが、このくらいだとまだ「発動機」という言葉が相応しいような気がする。
あまり重要な部品ではないが、スロットルレバーが余りにも錆びているので、クエン酸液にでも浸けて錆落としをしようと思って、取り外そうとしたが、ネジの一本はなんとか取れたがもう一本がどうしても緩まない、ネジ山が減ってつるつるになったので、新たにねじ山を作って、ようやく緩めることができた、この作業で今日は何時間もかかってしまった。
今日は噴射ポンプの分解、簡易清掃と同じく噴射ノズルの分解簡易清掃をした、細かな部品が詰まっていて無くすと大変だ、ディーゼルエンジンの一番重要な部分だろう。
今日は図書館はやっていた、葉室麟の小説があった、「星と龍」、楠木正成を描いた作品だ。実はこの作品は未完に終わっている、執筆中に亡くなった、まさに絶筆である。
令和元年11月23日(土) 勤労感謝の日(新嘗祭)
天皇皇后両陛下は今日は神宮に行幸されたはずだが、祭祀は帰京後にされたのだろうか。
夏子が明日勤労感謝の日だったら、月曜日が振替休日で休みになったのに、と言っていたので、土曜日だって休みだから、月曜日に繰り越されるのではないのかと言うと、土曜日は国の休みではないから繰り越されない、ということだった、なるほど。今日市立図書館は休館日だった、どうして休みなんだ、日本で一番休館日の多い図書館だ。
晴れ。今日は暖かかった、ストーブは朝のうちちょっと焚いたが、それっきりだった。
夕方、阿蘇中岳の噴煙が流れる上の方に金星と木星が上下に並んで光っていた、残念ながらカメラでは捉えきれなかった、と思っていたら、別のショットに二つの星が写っていた・・・・
最低気温 10.7℃ (04:08)、最高気温 18.8℃ (15:12)
太郎と母親はテニスレッスンで出かけて夕方帰ってきた、夏子は勉強をしていた(と思う)。
小生が今弄っている発動機はヤンマーのNT70Kであるが、これは石油発動機でなくてディーゼルエンジンなんだろう、石油発動機の場合は「マグネトー」などと言われる点火系の部品が必要になると思うが、小生の発動機には無い、点火プラグも無い、対してディーゼルエンジンの場合は高圧縮した空気に燃料を噴射して爆発を起こすのが原理なので、基本的には点火装置は不要である(と思う)。ということは、初動にガソリンは要らないのかもしれない、まだそこまでの段階ではないが。
今日はバルブを分解してシリンダーヘッド一式洗いたかったが、ちょっと計算が狂った、どこかの動画に手でスプリングを抑え込んで、座金を外すシーンがあったと思うが、手で抑えてスプリングが沈むほどスプリングは弱くない。バルブスプリングコンプレッサーという工具が必要なようだ。自作する動画もあるが、アマゾンでちょうど在庫処分セールで62%引き、送料無料で1.493円で売っていたので、それを買うことにした、色々な工具があるものである。
とりあえず、今日はその他の部分を分解して中を確認しながら、理解を進めていった。大分色々な部品が本体から離れて凹凸が無くなってきている、あまり複雑な部品構成ではないので、再組み立ての際に迷うことは無いとは思うのだが。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
午後2時からは大学ラグビー早慶戦を観た、テレビ放送は久しぶりではないだろうか、昔はチケットを取るのが難しかったほどの人気スポーツだったが、いつの頃からかずっと低迷が続いていた、そして、今日はW杯の影響だろうか、秩父宮もお客さんでいっぱいだった、最近は世界の猛者ばかりを見ていたので、大学生が華奢で童顔に見えたがW杯以来の久しぶりのラグビー、やはりラグビーはいい、非常に面白かった、特に後半ロスタイムの攻防、久しぶりに興奮した、早稲田が17:10で勝った。
令和元年11月22日(金)
曇り、のち時々雨量計にも記録の残らない細かな雨
最低気温 5.5℃ (00:00)、最高気温 12.3℃ (12:25)
古閑の滝はまだ全然凍っていない。
阿蘇中岳(写真1・写真2)
定点撮影
登校風景(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
今日は朝から今にも降りそうで、雨雲レーダーを見ると、九州の太平洋側、鹿児島や宮崎に雨雲がかかっていて、それが東に移動している、その雨雲の北の端っこが、阿蘇地方に掛かりそうで掛からない、そんな塩梅だった。予報を見てもこれ以上は雨雲は上がってこないだろうと踏んで薪作りをした。今日もHAIGEチェンソーは快調だった。数日分の薪を作ったところでちょうど昼になったのでやめた、そのころには少し雨がパラついていた。
バーが長いチェンソーのおかげで、象のような大きな木も、あまり苦にすることなく切ることができるようになった。今でも暖かくなると、ハチは盛んに飛び立っていいるが、見渡すともうほとんど花が咲いていない、かろうじてセイタカアワダチソウがまだ少し咲いている、だから、伐採しようと思ったが、切らないでおいてある。またご近所の庭には、何の花かここからだと分からないがまだ咲いている、これらの少ない花を求めて飛び回っているのだろう。
午後から、石油発動機のリペアに取り掛かった。昨日から苦労していたシリンダーヘッドの分解のためのボルト・ナット外しで半日かかってしまった、エンジンの爆発で一番圧力が掛かる場所だからとにかく太い。手持ちの工具ではどうしても外れなので、スパナを一本買ってきた。そして夕方、そろそろ店じまいの時間になってようやく4本とも緩めることができた。後はこのボルトを取れば、シリンダーヘッド部分が外れるはずだが、果たして中がどうなっているかドキドキして、明日に回そうか、と思ったが、やっぱり、ここまで来たからには見てみたいという気持ちが勝って、外してみた。黒く汚れて入るが、シリンダーヘッド部分は錆びてはいない、シリンダーも見たところ、大丈夫そうだ。ピストンは、頭部分が真っ黒だ、これはキレイにしてやりたい、ピストン自体は外すのはまた全く別の方角からやらなければならないし、大変なので、今回はパスすることにした。このまま再組み立てをしてもいいのではと思うが、せっかく分解したのだから、シリンダーヘッドユニットはキレイにして組み立てることにした。石油発動機はとにかく頑丈にできているので、少々乱暴に扱っても大丈夫そうだ、それにガスケットなんかも特に使っていないようだ。錆落としはどうしよう、クエン酸液に一晩つけると真っ赤に錆びた鉄もキレイになる。バルブもそれほどデリケートな作りでもないので、大丈夫だろう、あす早速やってみよう。
(写真だと)バルブの上の方が排気用で下のほうが吸気用だ(実際は90°右回転位置)。排気用はマフラーにつながるところがススで真っ黒に盛り上がっている。吸気パイプとは別にもうひとつ燃料噴射装置から燃料を噴射するための非常に小さな穴が二つ付いている、ここから燃料を噴射するのだろうか。このユニットに冷却水の排水コックが付いている、どうしてこんなところにあるのだろうと思ったら、シリンダーとシリンダーヘッド部分の周囲にレンコンのような穴が空いていて、ここを冷却水が流れてエンジンを冷やすからだろう、水を抜く場合はタンクの一番末端で抜かなければならないから、必然この位置(実際は一番下)にあるのだろう、分解してみると外からだけではわからない色々なことがわかる。
晩メシ、昨日の鍋の続き。
韓国大統領府は期限ギリギリになって「GSOMIA協定終了の通告を停止」、またWTOへの提訴の手続きを停止すると発表した。「停止」がどういう意味を持つのか知らんけど、理屈と膏薬はどこへでも付くという、どんな理由を持ってくるのか分からないが実にみっともない話だ、こんな国と隣り合わせでこれからも付き合っていかなければならないのかと思うとウンザリする。君子の交わりは淡きこと水の如しで行くのがいい。
令和元年11月21日(木)
晴れ。
最低気温 0.1℃ (05:34)、最高気温 13.6℃ (13:43)
最近、阿蘇くまもと空港では噴煙の流れる方向で、火山灰をエンジンが吸い込むと危険なので頻繁に欠航になるという記事が載っていた。今日の噴煙の流れる方向は正しくこの方向だろう。終日東から西に向かって噴煙が流れていた。そして時々景気よく上空に噴煙が上がっていた。 (写真1・写真2・写真3・写真4)
定点撮影
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
今朝は一台のチェンソーの整備をしたが、ついでに、昨日掛からなかった中華製のチェンソーを引っ張ってみたら、イッパツでかかった、一体何だったのだ、じゃあ今日は昼から薪を作ることができるなと思ったが、まてまて、またご機嫌が悪くなるといけないので、気が変わらないうちにこのままやってしまおうと、作業の順番をちょっと変えて、午前中に木を切っておいた。
午後からは石油発動機の分解の続きをした。構造的にはっきり理解できているわけではないが、ガソリンエンジンに比べて点火系が無いので、あまり複雑な構造では無さそうだ、それにデリケートな部品もあまり無いようなので、慎重に位置関係を確認しならバラしているが、感じとして、外側ほどのサビはなくて、内部はそれほど汚れたり錆びたりしていない、細いパイプもちゃんとしている。
(写真1・写真2・写真3・写真4)
備え付けのハンドルを付けてフライホイルを回してみると、ちゃんと、スムースにドッドッドッという(当然爆発音ではないが)音がしている、なんとなくではあるが、燃料を入れたらこのままかかってしまうのではとさえ思っている。ただいくら探しても始動のときに使うガソリンのタンクが無い、ガソリンタンクが無いかわりに、吸気のフィルターの根本付近に小さな蓋がついているところがあって、その穴からインテークパイプの中にある小さな穴に通じている、始動用のガソリンはほんの僅かでいいということなので、この穴からガソリンを少し注ぎ込んで、始動したら石油に切り替えるのではと思っているが、まだ正解はわからない。
ピストンやシリンダーやバルブの状態を見てみたいので、4本のごっついボルトをはずそうとしているが、これがなかなかで、ようやく1本ゆるんだが、あと三本が今の所ビクともしない。
先日(12日)、村の葬儀の際の「お斎」の料理の再現で、オカラの煮物の作り方が分からなくて、棚上げにしてあったが、たまたま今日、別件でナベのおばあちゃんが来られたので、ついでに作り方を訊ねてみた。その件については孫からでは無いけど、聞いて知っていたとのことだった、恐らく小生の日記を読んだ村のどなたかが伝えたのだろう。それで早速作って今晩の夕食メニューに加えた。日本の料理は、須らく、出汁と醤油と砂糖と塩と酒と味醂、これで成り立っているんだなあと改めて感じた。学童から帰ってきた太郎に味見をさせたところ、「めっちゃうめえ」と言っていた。
というわけで、晩メシは、再び「鍋」とこのオカラの煮物である。鍋には牡蠣を入れたいが、我が家には一人だけアナフィラキシーを起こすのがいるので、別の鍋で牡蠣だけ火を通した。
令和元年11月20日(水)
晴れ。
最低気温 -0.2℃ (06:01)、最高気温 13.0℃ (13:23)
阿蘇山に初冠雪。(写真1・写真2・写真3) 樹氷かなと思っていたらやはり雪だったようだ。
定点撮影
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6 ・写真7・写真8・写真9)
今日は太い木を切ろうとしたところ、またチェンソーがウンともスンとも言わなかったので、小さなチェンソーで焚き木を作った。 それから、道楽のジャンクいじり、分解すべく錆びついたネジを時間をかけて一つひとつ騙し騙し緩めるなど、急ぐ旅で無し、ノンビリ構えて時間があるときにやっている。
太郎、水泳教室。
晩メシ、カレー
○
令和元年11月19日(火)
曇っていて朝は寒くはなかったが、日中も日が射さずどんよりとした寒々とした一日だった。夜に入って気温が下がり始めている、明日の朝は冷え込むそうだ。
最低気温 5.0℃ (ただし20:12時点更に降下中)、最高気温 10.2℃ (13:36)
定点撮影
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
ヤフーのオークションで2Kで落とした道楽のジャンクを熊本市内まで取りに行った。西濃運輸は法人には配達するが個人の場合は「局留め」になるので取りに行かなければならない。パレットに載ったまま渡してくれた、べらぼうに重たい、地金にして売っても元が取れそうだ。持ち帰って秘密基地に入れるのが一騒動、パレットに車を付けて運搬車を作ったが、屋内に移動するのが大変で軽トラックのクレーンとチェンブロック使ってなんとか運び込むことができた、今日はこれだけで一日掛かってしまった。
夕方、そろそろ店じまいをするころになって、昨日動かなかった中華製のチェンソーを引っ張ったところ、今日は動いた、ちょっとクセがあるようだ。
晩メシ、昨日のナベが残っていたので、更に具を加えて、今日もナベ、夏子は鍋は美味しいねえ、明日も鍋にして、と言っていたが、そうそう連日はなあ。
定期設備点検が終わって八日ぶりにアゼリアが営業再開した。昨年はこの期間は古城温泉に行ったが、今年は時間がなくて時々家の風呂でガマンしていた、小生はカラスの行水だがそれでもやはり大浴場の方が気持ちがいい、今日は体が要求して5分もじっくり浸かっていた(いつもは長くて1分くらいだ)。久しぶりで気持ちが良かった。
都道府県別の幸福度ランキングというのが載っていた。そこに住んでいる住民の意識調査だと思うが、宮崎と熊本が1,2を占めていた、どんな意味があるのかちょっと分からないが、自分が住んでいてそう感じるかどうかだろうか、そういう意味では小生的には合っていると思う、小生は熊本に住んでいて幸福である。
令和元年11月18日(月)
曇のち、雨、ただ量的には少なくて夕方にはもう上がりつつあった、ホンのお湿り程度の雨だった。気温も高めで、朝、いつもの場所に立った頃は頬に当たる風が春のように柔らかく感じるほどだった。
最低気温 7.2℃ (03:10)、最高気温 16.9℃ (13:13)
阿蘇中岳、今日は終日雲で山が見えなかったが、朝のうち、宮地方面に噴煙が流れ入るのが見えた、小中学校もその煙の下のようにみえた。(写真1・写真2)
定点撮影
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
夏子は文化祭の振替で今日は休みだった、終日机に向かっていたようだ。
小生、今日は太い木を玉切しようと先日買った中華製のチェンソーを使おうと思ったが、どうしてもエンジンがかからなかった、やっぱりか・・・
だから今日は先に玉切りしておいた木を半割してストーブに入るようにした。ここに来た頃は、太い木を薪材としてもらってきた時は、これは薪にするのはもったいない、庭において椅子なんかにしようと、せっせと切っては庭に置いていたが、いつの間にか、そんなことは気にならなくなり片っ端から薪にするようになった。今日割ったやつなんか昔なら椅子になっていたものだ、これなんか、「黒柿」だ、銘木だ。以前にも中が黒くなった柿の木を沢山見てきたが当時は腐っているとばかり思ったものだった、黒柿は外からは分からず、割ってみて初めて分かるものだそうだが、貴重な木工の素材になるらしい。10時半ころには雨がポツリポツリ落ち始めたので作業を止めた。
晩メシ、ナベ。
令和元年11月17日(日)
晴れ。
最低気温 0.7℃ (04:00)、最高気温 18.4℃ (13:20)
阿蘇中岳、今日は今朝からかなり景気よく上がっているなあ、でも、こちらではないなあ、と余所事のように眺めていたら、そのうちに、風向きがこちら方向に変わってきて、さらに扇風機が首を振るが如く阿蘇谷(北側)を180℃旋回して、日没の頃には朝とは正反対の西の方角に流れていた。ここは火口から8キロあるので、車に少し灰を被った程度で済んだ。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
太郎は一晩寝て、回復したが、喘息の気が少し残っていたので、終日家の中で過ごしていた、太郎は感染戦腸炎ではなかったようだが、今度は今日になって小生が腹を下してしまった、嘔吐も無いし、まあ単なる下痢だとは思うが、昨夜変なものを食べたか或いは食べさせせられたか・・・・・・
夏子は高校の文化祭「湧水祭」の二日目で、今日はバザーや模擬店がメインの日だったようで、夏子もクラスで店を出し、母親も保護者会で店を出したそうだ、太郎を連れて食べに行くつもりでいたが、太郎は行く気分ではないというので、二人共今日は家にいた。
小生はコンクリートを打ち終わった作業場で片付けをやったり道楽をやったりして過ごした。
令和元年11月16日(土)
放射冷却で晴れ渡る。気温が昨日よりも更に下がったが、昨日経験済みなので今朝の寒さは特に驚かなかった。この辺りで氷点下になると、風があると古閑の滝も凍るのだが、風がないので凍らない。
最低気温 -1.4℃ (06:48)、最高気温 18.4℃ (14:05)
今日は土曜授業の日、太郎が病欠で登校の準備をしていなかったので危うく見守り出動を忘れるところだった。太郎は感染性腸炎では無かったようで、朝にはほぼ平常に復していたが、用心のために予定通り今日は学校を休すませた、本人は行きたかったようだが、学習発表会の役回りをクラスの誰かに頼んだ以上、行っても混乱するだろうからということもあった。夏子は今日明日、高校の文化祭「湧水祭」があり、通常通りに登校していった。
定点撮影
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
今日は作業場のセメント打ちの残りをやった。午前中、セメント三袋追加購入して、それでもまだ足りないので、午後からもう二袋買ってきて、どうにか全面を打ち終わった。一袋20キロのセメントを8袋使ったことになる。一袋で100cm*100cm*(厚さ)1cmを打つことができるとあるので、0.01立米ということか、ということは8袋でたった0.08立米ということか、計算合ってるのだろうか。ということは生コン1立米というと大したこと無いと思ったがこれからするとものすごい量になるということか。こんなにふうふう言いながら手作業で捏ねるくらいなら、生コンを頼んだ方がいいのではとも考えたがとんでもない考え違いだった、以前ニ三度ミキサー車を頼んだことがあるが、その時はもっと広い場所を打ったということだったのだ。仮にタワーを建てるとなると、クランクアプタワーくらいになると5立米くらい使うなあ、別に建てようと言うのではない、単に試算をしただけであるがものすごい量になる。
午後も大分過ぎて、そろそろコンクリート打ちをやめようとしているところに上村さんから、(あそこは下町になるか)昔、美容室をやっていた古木さんの家の木を切っているから取りおいでと電話があったので、good
timing!作業着姿だったのですぐに貰いに行ってきた。どんどん薪材が集まっている、ありがたいことである。(写真1・写真2)
ああ、今日も一日よく働いた。
卯の鼻(馬場から豆札に伸びている「鼻」)の上空を、ハンググライダーが三機、気持ちよさそうに遊弋していた。最初、鷲かなにかかな、いやに大きいなあと思った。昔(小生が移り住むずっと前だが)はこの付近はハングライダーのメッカだったらしいが、その後、ここでの飛行は無くなったが、今日はどこから飛び立ったのだろうか、どこか滑空に適した場所があるのだろうか、昔やっていた場所なんだろうか、どうして今になって、という気がする、復活したのだろうか、着陸はどこに降りたのだろう。(写真1・写真2)
令和元年11月15日(金)
予報では氷点下3℃くらいになるということだったが、そこまでは下がらなかったようだ。それでも、今日は寒かった。周囲の風景は霜で真っ白だった(写真1・写真2)、車のウインドウもガチガチに凍っていた。水たまりは薄氷が張っていた。冬になったらどういった服装をすればいいのか、寒くなる前には一応考えるが事前に想像していた服装では間に合わないことが実際に寒くなってわかった、そうだった、去年はそうだったなあと言う具合にである。厚手のセーターを着ていったのは正解だったが、今朝は耳がちょっと痛かった、そうだ、耳を覆う帽子を被るんだった・・・まだ冬を迎える態勢が整っていない。
最低気温 -0.9℃ (06:17)、最高気温 15.8℃ (14:10)
阿蘇中岳、おそらくここのところ南方向に流れていてわからないのだろうが、今日は昼ころだったか、真っ直ぐに噴煙が昇っていた。
定点撮影
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
いつも行き当りばったり、思いつきでその日の仕事が決まる(実にいい身分である)。小生の作業場、秘密基地であるが、せっかく自分の遊び場を確保したのに、いつの間にかどんどん狭くなっている。整理能力があるかどうか、これに尽きる。次々に物を置いてしまって結局物置になってしまっている。そこで今日は座っている周囲を少し片付けようかと、物を動かし始めたところ、セメントの袋が結構場所を取っている、去年、秘密基地を作るときに一部分だけセメントを打ってそのままになっていた残りである、邪魔だなあ、どうしようか・・・これはまだ打っていない場所にセメントを打ってしまえば、床も綺麗になるしセメントの整理もできる、よし、今日は余ったセメントを打ってしまおうと、場所を空けて準備をした。ところが、去年の余ったセメントは、一応、水分が入らないようにはしてあったが、空気中の水分などを吸収して、半分くらい硬くなりかけていた。これでは中途半端にしか打てない、結局ホームセンターで新しいセメントを三袋買ってきて、今日はセメント打ちを仕事にすることにした。最初の残ったやつはバケツでこねたが、これだけ量があると、ちゃんとやろうと、セメントをこねる箱やこねる道具を持ってきて、服装も作業服に着替えて本腰を入れてやった。今日は去年の残りの10キロと20キロ入りを三袋使ってたが、結構腰に来た。まだかなり打ち残しがあるが、今日はもう疲れたので、明日以降に回すことにした。
午後も大分経って、カミさんから、太郎が学校で発熱して、今日は学校は昼までで今学童で寝ているという連絡が入った。ちょうど作業が終わったところだったので、迎えに行って、古閑医院に連れて行った。待ち時間が結構あったので、車のなかで待っていたら、気持ちが悪い!吐きそう、というので慌てて、バケツを借りに行こうとしたところ間に合わずに駐車場で戻してしまった。太郎に訊いてみると、今朝も下痢をしたそうで、朝から調子がよくなったようだ、体温は37℃ちょっとくらいで高くはないのだが、先生は、これは一応感染性腸炎の症状ではありますねとのこと。ウイルス性疾患には薬は無いので、様子を見ることで整腸剤と吐き気止めの薬をもらって帰ってきた。一度吐いたあとはもう気持ちが悪く無いということだったが、寝ていろと言って休ませた。
実は明日は、土曜授業で、学習発表会があり、太郎の出番が二つほどあるが、太郎はあまり調子がよく無さそうで、明日になってからでは迷惑をかけけるので、学校と連絡をとって明日は休ませることにして、太郎のクラスの演劇の出番(ナレーター)の代役を学校にお願いした、また、学習発表会では坂梨こども虎舞の演舞も予定にあるが、今晩の練習も明日の本番も休む旨、連絡をとった。
令和元年11月14日(木)
雨は昨夜のうちに上がったようで、今日は曇りがちだったが、概ね晴れだった(と思う)。日が昇ってもハチの姿が全く見えないので、逃げたかなと思って、心配になってウトを棒で叩いたら何事かとばかりに数匹でてきたので、安心した。午後は「とき騒ぎ」で結構飛び回っていた。もう蓮華の芽が出ている。これから寒くなるのに、大丈夫なのだろうか、今の高菜もちょうど成長を始めたばかりの頃だが、厳冬期を耐えて春先に立派に育つ。蓮華も小さな草だが同じように厳冬期を耐えて育つのだろう。
最低気温 4.2℃ (19:54時点、夜に入って下がり始めた)、最高気温 13.7℃ (14:09)
明日の朝は氷点下3℃だそうだ、今シーズン今までは朝だけ一度焚くだけだったが、明日の朝の部屋の温度を保つために、今晩はストーブを焚いている。おかげで部屋の中はシャツ一枚だ。北海道や東北ではもう雪のニュースが流れている。
定点撮影 (写真1・写真2)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)西の空に有明の月が残っていた。
今日も、チェンソーの燃料ホースを通す作業をした、この方法で、やってようやく通ったと思ったら、昨日からいろいろな方法でやって、失敗してはちょっと切っていたので、せっかく通したホースの長さが足りなくなってしまった、これだって簡単に通ったわけではない、やはり道糸もいっぱい引っ張ると接着点が弱くて取れる、取れた段階で少しだけタンク内に頭を出した状態で、給油口からラジオペンチで見えない中、探りながらようやく引っ張り出したというのに、アホである。もう一本予備があったので再挑戦しているが、これがまたなかなか通らない。気長にやることにしよう、そのうちにシーズンが終わるかもしれない。
どうして入らないかと言うと、ホースが通る穴はグロメットが無い、それほど細い穴である、その細い穴をグロメットが無い分、ホースがギリギリに入ってグロメットの代わりもするからだろう。
DIさんのところから運んできたタワーに付いていたローテーター一式を外した。本体に塗装をしているのでちょっと見た目が悪いが完動品である。
晩メシ、炊き込みご飯。
令和元年11月13日(水)
晴れのち曇り、そして、予報どおり雨に向かっている、夕方には少し降り始めた。朝、短時間ながらちょうど子どもたちの登校時間帯に今日も霧が出た。
最低気温 4.1℃ (06:12)、最高気温 17.8℃ (14:14)
阿蘇中岳、今日は比較的に風向きがこちら方向だったような気がする、朝のうち、車が薄っすらとヨナで汚れていた。
定点撮影
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
午前中、歯の治療に行く、歯周ポケットの歯石取りである、今日の箇所は深い場所ではなかったので麻酔をかけなかった、あともう一回で終わるのではと思っている。
午後からチェンソーの燃料ホースの取替をしたが、どうしても上手く行かなくて諦めた、別の方法を考えよう。ネット動画では、このようにホースを斜めに削いで入れることをやっていたが、これがなかなかである。
年に一度の浄化槽の汲み取りがあった。これは昨年も書いたと思うが、一年の区切りには例えば正月だとか、クリスマスだとか、誕生日だとかいろいろあるが、小生にとってこの汲み取りが一年の時の流れを一番早く感じるのである、実に不思議である、もう一年か、である。
午後、山下OTが御入来、ちょうどチェンソー整備中で秘密基地でしばらく話をして、お上がりいただけなくて申し訳なかった。
水曜日は太郎の水泳の日だが、アゼリアが設備点検で一週間休みなので、レッスンも休みである。
令和元年11月12日(火)
晴れ。朝のうちちょっと霧が出た。
最低気温 4.1℃ (07:00)、最高気温 19.1℃ (15:15)
阿蘇中岳、風向きの関係で、こちらの方には流れてこないのであまり注意を惹かなかったが、相変わらず噴出していたのだろう、朝晩の凪の時は、噴煙が真っ直ぐに昇っていた。(写真1・写真2)
定点撮影
登校風景 朝日が外輪を超えて昇ってきた時刻、7時23分、だんだん日が昇るのが遅くなってくる。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
午前中、なかなかエンジンがかからない、このエンジンは自分のエンジンである。朝も大分経ってから図書館に本を返しに行って、昨日のチェンソーの調整をして、ようやく一丁上がりとした。
午後からはもう一台のハスクバーナ136の調整をしていたが、燃料ホースがタンクからキャブレターに送る根本で劣化して切れてしまった。また取り寄せに時間がかかるなあと思ったら、手持ちのなかにホースがあった。必要なのは6センチくらいの長さだから、切って、付け替えようと思ったが、待てよ、考えたら、タンクから直にホースがでているのではなくて、タンクの中で更に長くホースが伸びていてその先にフィルターが付いていて、その燃料フィルターから燃料を吸い込んでキャブレターに送るのだった。
ということはタンクの中のホースも引っ張り出してそっくり入れ替えなければならないのだ。見たところ燃料フィルターは新しいから、これは確か先シーズンに替えたのだった。ということで、タンクの小さな穴にむりやりホースを挿し込んで交換作業をしなければならない、今日は時間が無いので、明日以降の仕事になる。
チェンソーを何台か持っていて、それぞれにダイヤフラムなどの交換をしたりすると、その時は覚えていても時間が経つと、どのチェンソーに何をしたか全く忘れてしまう。一台一台のカルテを作っておいて、修理記録をつけなければごちゃごちゃになってしまう。
もらった大根の今日の活用法
地域の葬儀の際に、葬式組で「お斎」を作って会葬者に供する風習が昔から長らく続いている、この「お斎」に確か大根を使ったなあ、ところが、最近は葬式組で作る「お斎」に代わって業者が作る「お弁当」を出す葬儀がだんだん増えてきており、ここのところ食べた記憶がない、最後に食べたのはいつだったろう、というくらいもうかなりの間、手作りの「お斎」を食べていない。小生はこの「お斎」が大好きだから、そこで今日は「お斎」を再現することにした。
メインは、油揚げと大根と切り昆布を煮たものだが、確か大根だったよなあ、大根は輪切りにする場合と縦長に切る場合とでは繊維の関係で歯ごたえが全く違ってくる、この料理には確か短冊形に切った大根を使ったよなあ。
この料理が美味しいのだ。それに、味噌汁とタクアン。これで一式だなと思っていたが、後からオカラ煮があったのを思い出した、これがまた美味しのだ、ところが、今日はそれを作るのを忘れてしまった、それに、そもそもその作り方を知らない、今日は間に合わないから、出汁巻き卵にしたが、今度、村のご婦人方に改めて教えてもらわなければならない。
そうだ、「ナベ」はこの日記読んでるだろうか、お祖母ちゃんにレシピを教えてもらって、夏子に学校で渡してくれるとありがたいのだが。普段家庭で料理は他人に教えるためになんか作っていないので、調味料の分量や割合なんて、だいたい長年の経験で、エイ、ヤアで作っている、小生だっていちいち調味料の分量なんて計らないので改めて作り方を聞かれてもわからない、だから、調味料は何と何を使って、手順はどうだというくらいでいい、オカラは下処理はするのだろうか、そのあたり、「ナベ」ひとつ頼む(ナベは同じ村の夏子と同じクラスのオノコである)。
令和元年11月11日(月)
夜中に雨が降っている音が聞こえていた、夜が明けて少しその雨が残っていたが、徐々に天気が回復して午後は青空が広がった。
最低気温 7.9℃ (00:00)、最高気温 16.0℃ (14:18)
太郎の小学校は、今週末に土曜授業があるので、その振替で今日は休みだった。平日なので、この日を利用して、太郎の病院のハシゴで一日が終わった。午前中は、菊陽にある耳鼻咽喉科に副鼻腔炎の薬もらい、午後三時半から、宇治歯科で虫歯の治療。昼飯は耳鼻科の帰りに、リクエストで大津の回転寿司屋に寄った、太郎は普段少食なのであまり食わないだろうと思っていたら、これが大誤算、10皿も食った上にデザートまで食いやがった、大散財だった。夏子も今週末が文化祭だとかで、太郎と同じように先取りの振替休日、彼女は家で終日勉強をしていた(はずだ)。
アゼリアは毎年この時期だが、設備点検で一週間ほど休館になり風呂に入れない、家の風呂も億劫だだ、今日はやめよう、明日以降どうするか。
晩メシ 煮込みハンバーグ。
令和元年11月10日(日)
晴れ。少し雲が出てきたか。
最低気温 2.8C℃ (06:49)、最高気温 17.4℃ (12:43)
今日は天皇皇后両陛下の「祝賀御列の儀」が行われた、小生はミーハーではないので、こういったパレードは全く見なかったが、今日の儀式で今回の即位の儀式は全部、無事に終わったのだろう、それが何よりだ、とかく最近はバカな奴が多いので、何かあってはとそれが心配だったが、何事もなくて本当に良かった。
小生が住む、豆札という集落は15戸くらいの小さな集落だ。そのなかに「日本山妙法寺」という日蓮宗の流れを汲むお寺がある。日本国内はもとより海外にも沢山の仏舎利塔があるが、そのお寺の総本山的なお寺が、ここ日本山妙法寺である。今日はそのお寺の開祖とも言うべき日達上人の第35回追孝報恩会が営まれた。ご案内を頂いたが、法要には参列しないで、ご挨拶だけしてきた。
ニホンミツバチ、順調に数を増やしているようだ。
太郎と母親はいつものテニスレッスン、それに夏子も一緒に出かけていった。というのは、最近ドクターヘリを扱った若者向けのドラマがあって、うちの子達はドクターヘリにあこがれている、今日はそのドクターヘリの見学会があるというので、母子三人で出かけていった。なんでも抽選なんだそうで、事前に申し込んで5000人の応募があって500人が当選したそうで、入場券を大事そうに持ってウキウキとして出かけていった。この催しだろう、こんなもののどこが面白のだ。今日はその前に、もうひとつ、「発見!広がる未来 第79回科学展」熊本市環境総合センターというのがあってそこにも行ったそうだ。盛りだくさんのスケジュールの割には、夕食の時間には帰ってきた。(写真1・写真2)
今日はチェンソーの整備で明け暮れた。小型のチェンソー(共立グリーンGC31)を使おうと思って見つけ出したところ、分解した状態で出てきた。先シーズン、どういう状況で、こうなったったのか思い出すのにちょっと時間がかかった。ダイヤフラム(写真1・写真2)を交換しようと思って、このタイプのものがすぐに入手できなかったので、通販で取り寄せることにして、分解したままにしてあったのだ、そして、ダイヤフラムなどが届いた時にはそろそろシーズンも終わりに近づいているので、来シーズン(つまり今シーズンだが)に入る前にやろうと思ってそのままにして忘れてしまったようだ。時間が経って、当時は覚えていたのだろうが、小型のチェンソーは狭いところにキャブレターを無理に押し込んであって、チューブやロッドがあちらこちらから飛び出ていてそれをつないで、長ネジで止める、これが至難の技で随分と時間がかかってしまった、ところがこれで大丈夫だろうと思っても、エンジンかからない、プラグを抜いてみると、もう20年近く経っているのだろう、これ、交換だなと思って、買い替えたけど、それでもかからない、分解して、フライホイルとイグニッションコイルの隙間が、これがもう殆どくっついている。そこで、隙間調整をしてかけたところ、無事にエンジンが掛かった、ただ、スロー調整なんかが狂っているので、これは改めてやることにして、このチェンソーは復活した。
更にもう一台、これも昨シーズン、途中までやって放ってあったやつだ、これは点火コイルを交換したが、どうしてもかからなかった、隙間調整もちゃんとやったのに、ウンともスンとも言わない、これは小生がアホだった、思い込みというのは怖いもので、スライドスイッチのオン、オフを逆に考えていて、全く表示を見ないで、オフの方にスライドして一生懸命エンジンをかけようとしていたようだ、これ、去年からずっとそう思っていたので、かからなかったのだろうか、これも勢いよく掛かったが、やはりスロー調整などが全然出来ていないので、これも改めてやらなければならない。
○
令和元年11月 9日(土)
秋晴れ。
最低気温 4.3℃ (05:58)、最高気温 18.6℃ (15:15)
JA6DIotがとうとうアンテナとタワーを撤去された。前々から「終活」でいろいろなものを整理していて、タワーも倒さんとなあといつもおっしゃっておいでだった。DI局は小生よりちょうど10年先輩だ、自分よりかなり前方を「元気に歩いている人」を見ると目標になり、生きていく張り合いになる、自分の後のことは後の人間がちゃんとやってくれるから何も心配することは無いですよ、と折あるごとに言っているが、どうしても下ろすという以上仕方が無い、そしてようやく今日その作業が行われた。
同じ無線仲間のJA6AJYがタワーに登った。小生も登って手伝いたかったがどうも膝の調子が良くないので、今日は、野次馬と写真班で参加した。それからAJYのオートジャイロ仲間の野尻のSさんに、いつもオートジャイロの運搬に使うユニック車を持って手伝いに来ていただいた。AJYも考えたら小生より二年ほど先輩だ、オートジャイロで墜落して死にかけたけど今は元気でスイスイとタワーに登る、大したものである。
朝の7時から作業を開始して、ちょうどお昼ころに無事に撤去が完了した。八木アンテナ(14、21、28トライバンダー)を下ろす作業で、塔上作業は実働一人のために、タワーの上での腕力が足りず思いの外時間がかかり、試行錯誤の結果、ようやく下ろすことが出来た。アンテナを下ろしてしまえば後は簡単で、ユニットごとに分割解体せずに、コンクリートに埋まった基礎部分のユニットだけを残して、タワーの一段下部のボルトを外して、タワー全体をユニックで一気に吊り上げて、そのまま道路に下ろして寝かせた。当初の予定では倒したタワーを更に二つくらいに解体してから、運ぶつもりだったが、面倒なので、分割せずに一本のまま、トラックに積んで我が家の畑に運んで下ろしてもらった。小生はクランクアップタワーも建てておらず、そこにもってきて、今回のタワーまではとても利用できないので、とりあえずは、小生が預かっておいて、そのうちに行き先を決めることにして、もし行き先が決まらなければ小生が鉄くずとして処分することにする。一番下の部分は基礎に埋め込んであるので、その上の再利用可能のタワーの高さは10m弱というところか。
JA6DI局 アンテナとタワー撤去作業 連続写真 (1/4)
JA6DI局 アンテナとタワー撤去作業 連続写真 (2/4)
JA6DI局 アンテナとタワー撤去作業 連続写真 (3/4)
坂梨虎舞、阿蘇市子供芸術祭で演舞した、小生は行かなかったけど。続いて明日は学習発表会だと思っていたら、それは来週だそうだ、そこでも演舞をする予定だ。
令和元年11月 8日(金) 二十四節気の立冬だそうだ
晴れ。暖かい一日だった。北国では「雪虫」という、アブラムシが沢山空気中を飛び交っていた。この季節になると毎年飛び交う、今年は今の所あまり大したことはないが、年によっては目を開けていられないほど異常繁殖をする、今年は北海道のどこかの都市で異常繁殖をしたとニュースで言っていた。
最低気温 3.6℃ (06:31)、最高気温 19.6℃ (13:28)
今日の新聞に阿蘇中岳のことが載っていた、で、結局どうだと言うの?だ。
定点撮影
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
今日は道楽をすることもなく、薪作りをした。新兵器で太い桜の木を三枚に下ろした、さすがにこのくらい太くなると、イッパツというわけには行かない。作業終了後、しばらくは丁寧に扱おうと、分解して、キレイにしておいた。
明日は阿蘇市の子供芸術祭があるので、夕方から阿蘇市体育館でリハーサルがあり、カミさんが送迎した。
晩メシ。豚大根。これで大分もらった大根を使うことが出来た。
令和元年11月 7日(木)
雲が少し多かったような気がする。
最低気温 4.1℃ (03:20)、最高気温 17.1℃ (13:52)
今日は長い間、阿蘇中岳の噴煙が、根子岳方向に流れていた、「ヨナ」、坂梨宿場通りはどうだったろう、仙酔峡山麓一体はかなり降ったのではないだろうか。(写真1・写真2)
定点撮影
登校風景(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
Amazonからチェンソーが届いた。HAIGE チェンソー HG-K5200¥17,235(送料無料)、 20インチ(50cm) 排気量:52cc 2サイクル 3馬力 Walbroキャブ搭載 OREGONソーチェン 。
早速組み立てて試し切りをしてみた。小生はチェンソーを普段使い慣れているので、全く説明書も読まずに組み立てたが、初めての人はやはりちょっと戸惑うだろ、しかし、中華製だが、立派な日本語の説明書が付いている。
初めて始動する時にエンジンがちょっと掛かりにくかったのでやはり粗悪品なのかと思ったが杞憂だった、一旦かかると、後は楽に始動することが出来た。いやいやバーの長さが50cmもある、これはスゴイ、今まで苦労していた太さの木が一発である。(写真1・写真2)
全体的に造りは「チャッチイ」と思う、メーカー品に比べると正直質感は良くない、でも、メーカー品と比べたら、このくらいのサイズになると1/10くらいの価格だろう、それからすると、「御の字」である。ソーチェン(刃)はオレゴン製だし、キャブレターもワルボロだから、これでもう十分である、あとは耐久性だが、これは使ってみなければわからない、とにかくいい買い物をしたと思っている。
今日もどなたかが、玄関先に大根を置いてくださった、多分節子さんだろう、ここのところ大根の到来物が多い、今が最盛期なんだろう。せっかくちょうだいした大根を無駄にしないように、いろいろ大根の調理法を考えている。ということで、今日は大根をたくさん入れてオデンをつくった。
太郎は虎舞の練習、送りは小生、迎えは帰宅が間に合ったのでカミさん。
1965年制作の「68の車輪」という記録映画が面白い < http://www.kagakueizo.org/movie/industrial/83/
>、小生がちょうど社会に出たころだ、当時の懐かしい風景や車や鉄道や人たちが鮮やかに蘇る、あの時代に小生も生きていたのだ。そして、そのなかに計算尺の映像もあった、なんだか嬉しくなった。
令和元年11月 6日(水)
今朝はとうとう氷点下になった、車のウインドウはしっかり凍っていた、ボンの飲水は凍っていなかった、周囲の風景も霜で真っ白になっていた。対して日中は暖かかった。
最低気温 -0.3℃ (07:05)、最高気温 20.2℃ (13:10)
阿蘇乙姫のアメダスポイントでは 最低気温が-2.3℃だった、一口に阿蘇市と言っても場所によってかなり違う、あくまで阿蘇乙姫では、ということだ。阿蘇乙姫は平野部なので放射冷却の時は我々のように山付きに住んでいるところの気温よりは低い傾向にある。
定点撮影
登校風景(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
夜日記に載せる写真を整理していて、撮った時には気が付かなかったが、数百メートル先の子どもたちの吐く息が白く写っていた(上記写真1)。
昨日もらってきた発動機、軽トラックに載せたままだ、晴天続きなので、積みっぱなしでもいいのだが、いずれそのうちに雨になるだろう、せっかくもらったものを、雨で駄目にするわけにはいかないので、下ろしたいが、下ろした後どうするか、台車が必要だろう、ということで、廃材を使ってさしより台車を作った。軽トラックからクレーンを使って作った台車に載せた。どうやって吊り下げようかと思っていたら、こういったものは必ず重機で上げ下げするのがわかりきっているので、ちゃんとフックを掛ける場所が作ってあった、それに、ここ一点でちゃんとバランスが取れるような場所になっている。ひとまずこれで安心だ、と思ったが、秘密基地に中に運び込むのが、敷居というのか框というのかが障害になって簡単に移動できず、結構苦労した。(「さしより」とは、「差し当たって」というこの地方のことば)
あとはヒマをみつけてじっくり、分解清掃して・・・・というところだが、どうもこの発動機の仕組がまだよくわからない。これはディーゼルエンジンになるのだろう、燃料は石油発動機と言うが、灯油でいいのだろう、軽油がいいのか、点火プラグは無いので、高圧縮で自然爆発させるのだろう、ということは噴射ノズルがどこかにあるのだろう、そのあたりを先ず清掃しなければならないのだろう、まだしみじみ見ていないのでさっぱりわからん。そのまえに薪を少しまとめて作っておかないとなあ、いつまでも天気が続くとは限らないからなあ。
今日、そろそろ買い出しに出ようかと思っているところに北坂梨の坂梨増実さんから電話で、家の木を切ったから、というので、先に木を貰いに行って、積んだままミヤハラに寄って買い出しをしてきた、大根がオマケについた。薪材というと、今日はもう一件、柿の木の斎藤末光さんが、家の庭の木を切って、置いてあるからいつでもいいから取りにおいでと声をかけてくださった。皆さん気にかけていただいていてありがたいことである。
夜、太郎、虎舞の練習、母親が送迎する。
令和元年11月 5日(火)
放射冷却で冷え込んだ、霜が降りた、車のウインドウも凍っていた、これは凍ったと言うより霜なんだろうか。寒いだろうと着込んで朝の持ち場に向かったが、風がなく太陽が出るとこんな朝は全く寒くない。そして日中は暖かかった。
おお、明日の朝は1℃の予報が出ているぞ、いよいよ冬到来だ。
最低気温 3.4℃ (06:50)、最高気温 18.7℃ (14:47)
阿蘇中岳、今日も活発に噴煙を上げていた、これが日常になりつつある、なんと言っても活火山だからな (写真1・写真2・写真3・写真4)
定点撮影
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
子どもたちがやってくるのを待っている時、イタチが現れた、小生が静止状態だったので敵も気がつかなかったようで、そのうちに気がついて慌てて草むらに逃げ込んだ。
ここニ三日、ハチウトの前に座ってミツバチを観察していてもスズメバチの姿が無い、もうスズメバチの季節も終わりなのかもしれない、今朝なんかとうとう朝の気温が3℃台まで下ったので、巣門の前に付けていたスズメバチ除けの網を外した、これでミツバチも出入りが楽になることだろう。
10時にJアラートでシェイクアウト訓練の放送が流れた、日本には独自の防災訓練がある、何もアメリカの真似をする必要はない(と小生は毎年言っている)、小生は無視、やっているところは、「時間コスト」と無縁のお役所ばかりなのではと思うが。
だいぶん前から、隣の(と言っても200m以上離れていると思うが)博臣さんのところに置いてあった古い発動機に目をつけて、ある時、不要ならくださいと言ったところ、だめだと言われて、その後、前を通るたびに時々車の中から眺めていたところ、数日前にあげるよと言ってくださって、今日ありがたく頂戴してきた。その前に一度伺って担ごうとしたがものすごく重くて一人ではとても持ち上げられなかったので、今日が仕事が休みの息子さんの君博さんの力を借りて、軽トランクに積んできた。(写真1・写真2)
外見は結構錆びているが表面のサビだけのようで、整備すれば動くのではないかと密かに期待している、なんたって昔の道具は鉄のかたまり、頑丈にできている。
youtubeなんかでみると、もっとグサグサに錆びて傷んでいるやつを油で洗って磨いて、ちゃんと動かすようにしているので、多分大丈夫だろう。その前に、ガソリンエンジンでない「発動機」のメカを学ばなければならない。よく見ると NT70K型と読める、大昔の機械かと思ったら小生が高校生の頃の機械だ、でももう60年ほど前になるのか、だからやはり昔か。
これだな、
https://www.youtube.com/watch?v=yc15_tb1BOc
断捨離ではないが、己の死後の心配というより、生きている間に全く不要なものを少しは整理しなければと屋根裏に上がって、みたところ、ほとんど全部が、PC関係のジャンク品で、秋葉原で店が開けるほどある、少し前のPC時代ならいろいろ転用したり使い回しができるが、今のPCの世界ではもう全くの不用品になっている。最近そういったジャンクPCやボードなどを「都市鉱山」として、レアメタルを取るために宅配便で無料で回収してくれる公的システムがあるので、それを利用しようと思って、少し整理を始めた。今日のところは思いつきで始めてほんの一部だけ整理したが、その空き箱類を燃やした。まだまだ腐るほどある。
先日キンモクセイの木に覆いかぶさっている藤のツルを大分切ったが、今日ふと見ると杉の木にものすごく太いツルが巻き付いているのに気がついて、一苦労して切り取った、まるで大蛇のように幹に巻き付いて窒息させるほど締め付けていて、杉の木の成長を妨げていた。(写真1・写真2・写真3)
太郎、今週末、市の子供芸術祭と学校の学習発表会の二日にわたって虎舞の演舞をするのだそうで、今日から毎日練習がある。母親が間に合ったので、送迎は任せた。
令和元年11月 4日(月) 振替休日
晴れ。穏やかな日が続いている、そのうちに日本海側特有のどんよりジメジメの冬の天気が続くようになるのだろうが、今の天気を見ている限りあまり想像できない。
最低気温 7.9℃ (04:47)、最高気温 19.3℃ (13:46)
阿蘇中岳、今日も噴煙が上がり続けていた。(写真1・写真2)
夏子のピアノレッスンで、三人で昼前に菊陽方面に出かけていって、今日は特に寄り道しなかったようで夕方には帰ってきた。
小生、午後から何をしようかと思いながら外に出て、ふと竹をちょっと切っているうちに、没頭して二時間くらいかかって乱雑に生えまくっている竹をかなりの本数切ってまわった。
令和元年11月 3日(日) 文化の日(明治節)
今日はずっと曇っていた。
最低気温 7.9℃ (05:29)、最高気温 18.1℃ (11:44)
「日本ジオパーク全国大会」が大分県で開催されていて、夏子は今日は豊後大野の会場でクラスメート三人でなにかの発表をするのだと言って出かけていった。太郎とカミさんはテニスのレッスンに行って、終わってから大分に回って、発表会を見てから三人で帰ってきた。発表テーマ
小生は短時間だったが、薪作りをした、まだ肩慣らし段階で、細い木を主に少しだけ作った。大口径の丸太がたくさんあって、今までのチェンソーではどうしても径が届かないので、ようやくチェンソーを買うことにした。
今Amazonでタイムセールをやっていて、チェンソーも通常価格よりかなり安く出ていたので、注文してしまった。
HAIGE チェンソー HG-K5200、20インチ(50cm) 排気量:52cc 2サイクル 3馬力 Walbroキャブ搭載 OREGONソーチェン
¥17,235(送料無料)。通常価格だと21kくらいしたと思うので、ダメ元だ、でも最近はChina製も大分品質がよくなっている。
○
令和元年11月 2日(土)
なんだ、今日から三連休か、一年中連休ばかりだな。
穏やかに晴れる。いつもは朝起きるとバタバタしていて寒さなんか感じないうちにみんな出ていくのでここのところの低めの気温でもストーブを焚くこともなかったが、今日は休みで、みんな家にいるようなので、今シーズンのストーブの焚き初めをした。今日は強いて焚くほど気温は低くなかったが、それでもやはりストーブに火が入ると家中が暖かくなる、ただ、すぐに外気温が上がるので、薪が燃え尽きた段階で今日のストーブ運転は終わりにした。今日は家族全員がゆっくりかと思っていたら、夏子は模試だとかでいつもの時間に登校していった。
最低気温 7.2℃ (03:22)、最高気温 21.3℃ (14:28)
午前中、先日案内を頂いた忠也さんのところに薪材を貰いに行ってきた(写真1・写真2)。家を空けていた時間は精々一時間くらいだったと思うが帰ってきたところ、家に停めてあった車に火山灰がかなり降っていた、帰ってきた時にはもう降っていなかったので薪材を貰いに行ったいる間の短時間に降ったのだろう、かと言って、小生が作業をしていた家からすぐのところでは灰は降ってこなかったので、極めて狭い範囲、あるいは、我が家から西方面にかけて降ったのかもしれない。ここに灰が降るのも久しぶりである。
その阿蘇中岳、夜間はいつも火映現象が見られるが、日中は一時ほどのことは無いようである、それでも時々、噴煙が上がっていた。(写真1・写真2)
阿蘇市の体育館で阿蘇市文化祭が開催中で、 いままで行ったことがないが、横澤画伯も日本画を出展しているとご案内を頂いたので、鑑賞に行ってきた(太郎たちと別行動で夕方近くなって行ったが太郎たちまだ会場にいた)、大作が壁面を飾っていた。こうやって、展覧会などに行くと絵を描きたくなる。
小生は、東京で、というより日本でオリンピックを開催することにはもともと反対なのだが、どうして今になってマラソンを札幌で、となったのだろうか。夏の東京が酷暑なんて始めから分かっていたことだろう、IOCもそれが分かっていて東京に決めたのではないのか、マラソンはサバイバルゲームだ、寒い時期のマラソンもあれば暑い時期のマラソンもある、その時々の環境で命をかけて走るものなんだろう、今回の東京マラソンに出場する選手はそれを承知で、そういった気候に合うように調整をしているのだろう、だから、酷暑のなかで行われるマラソンでもし脱落者がでてもそれも勝負なんだから、やるなら最初の計画通りやるべきだろう、なにより今回の決定に出場選手側の意見は聞かれているのだろうか、土壇場でこのような決定をしたIOC会長の責任はないのか、バッハ会長なんぼのもんや、サメの脳みそ男の責任はどうなんだ、都知事も、こんなオリンピックなんてやってられないと辞職すれば誉めてやるのに。IOCの権威主義に対して選手団がボイコットしてしまうのがいちばんいいぞ。
2019ラグビーワールドカップの決勝戦、イングランド対南アフリカ、決勝戦に相応しい息詰まる熱戦、これほど80分が短く感じられたことはなかった。32対12で南アフリカが優勝した。世界のトップチームの試合がたくさん見られて楽しかったが、とうとう終わってしまった、一抹の寂しさを覚える。
( 昨日の三位決定戦はBSで中継されたが、我が家のテレビ、どこが悪いのか分からないがBSが映らない。ハシゴをかけてアンテナ直下まで登ってブースターの電気が供給されているのは確認したのだが、原因がわからない)。
令和元年11月 1日(金)
家中のカレンダーをめくって回ったが、もうあと二枚になってしまった、
晴れ。今朝はこの秋一番の冷え込みで、子どもたち見守りに出る時に、合い物の上っ張りを着て出たが、それでは足りないほど寒かった、もう冬物を着んといかんなあ、あと二ヶ月でお正月だ。
最低気温 4.6℃ (06:24)、最高気温 23.1℃ (14:28)
阿蘇中岳、今日は概ね大人しかった。(写真1・写真2)
定点撮影
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
午前中、宇治歯科に行った。少し前に歯周ポケットの深さを測る「プローブ」(と言うらしい)で調べたら、加齢で、歯周ポケットという隙間が出来ていて、その深さが大きくなるとそのなかに歯歯石などが溜まって歯周病を起こすらしい。そのせいだろう、最近左の下の奥歯が痛むので診てもらって治療をしてもらうことになった。今日はその二回目で、歯周ポケットが一番深い場所で、麻酔をかけてやらないと痛いからということで歯茎に麻酔注射を打ってもらってやってもらった。
前の畑にレンゲの種を播いた。数年前に一度播いたことがあるがどんな種だったか全く覚えていない。今日は1キロ入りの袋を二袋播いて代掻きで軽くなぞって覆土をしておいた。種はこんな形状だったのだ。
高冷地だからもう少し早く播いたほうがよかったかもしれない。来年の春が楽しみである。でも、ミツバチは面白い習性を持っていて、ウトのすぐ近くに花が咲いていてもまったく見向きもせずに一直線に遠くを目指して飛んでいく、目の前の花の蜜を集めたら楽だろうにといつも思っている。
慎雄さんの田んぼに積み残してあった薪材を運んできた。
○
このページ先頭へ 風師庵日記目次へ