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令和己亥(2019) 元年10月の記録 (新しい日付けの順)

令和元年10月31日(木)

 晴れ。朝、定位置に立つと吹きっさらしの野っ原なので指先が冷たくて車の中から軍手を探し出してはめたくらいだ。
    最低気温 6.4℃ (06:43)、最高気温 19.7℃ (14:01)

 阿蘇中岳、今日は大人しかったなあと思っていたところ、風呂の帰りに振り返ると、残照の中、噴煙が上がっていた

 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 深夜、首里城が燃えた。小生は、20年ほど前に行ったことがある、想像していたよりも小さな建物だった印象がある、首里城跡は世界遺産になっていて、確かに石垣城壁は素晴らしいものがある、ただ今回焼けた首里城は復元したもので昔の首里城は確か沖縄戦で焼失したのだったと思う。だから建物そのものの文化財的な価値はそれほどないのだろうが、沖縄の人にとっては大きなショックだろう、歴史的財物も燃えたのだろうか、あんなにもあっけなく全焼するものなのだろうか。

 午前中、親戚二軒にコメを送った、晩生の「姫ごのみ」という品種だ、あまり知られていないかもしれないがこのコメは美味い。

 写真だけではわからないので、ハチウトをひっくり返して直接覗いてみた。強力ライトを準備し忘れて、あまり良くわからなかったが、引っかき棒でこすってみたが、キノコではなくて、水滴だったようだ、もうほとんど乾いていたが、どこから入ったのかわからない、一応箱の上部にビニールを敷いておいたがどうもよくわからない。少し巣板が見えた、順調に増えているようである
 
 ストーブの扉などにガスケットを貼った。我が家ではそれほどデリケートな炎管理はしないので、要らないと思ったが、まあ、とりあえず、やっておいた。ガスケットなどのシールがしっかりしているストーブは、空気の入口を閉じることで、消火をすることもできるらしいが。

 レンゲの種を播くべく畑を均しておいた、今日播いてしまおうかと思ったが、播いた後、軽く覆土をしようと思っいるので、明日には今日均した土が乾いて白っぽくなるので、それから播いた後に表面をホウキなり代掻きで土を均すと、下の黒い土が現れて、覆土したかどうか分かるのではと思って、明日播くことにした。


令和元年10月30日(水)

 晴れ。朝のうち霧が出る、もしかしたら雲海が出来たかもしれない。
   最低気温 8.4℃ (06:52)、最高気温 17.3℃(14:30)


 阿蘇中岳、相変わらず噴煙が上がっているが昨日ほどでは無かった。夜に入って火映現象が激しい。(写真1写真2写真3
 
 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 午前中、小学校の持久走大会があった。例年はもっと寒くなってからの時期だったと思うが今年は早かった、なにか理由でもあるのだろうか、インフルが流行る前にということだろうか。沢山の写真を撮ったが、このような場合、別に全員が見るわけでも無のだが(というより、見るほうが圧倒的に少ないのであるが)、どの写真を載せて、どの写真はカットしてなどということが難しい、ということで特に期待されているということも無ければ頼まれたというわけでもないができれば全員のこどもたちの走る姿を載せたいとおもうから、撮った「しこ」、全部載せた、それでも撮り落としていて、全員というわけには行かなかった。(「しこ」とは「だけ」のこの地方の言葉である)

 太郎にはニンジンをぶら下げて上位入賞を狙わせたが、学年で9位だったそうだ。それでも小生に比べたら上出来だ、小生は長距離は全くだめだった。

 持久走大会 連続写真 ( 1/14)
 持久走大会 連続写真 ( 2/14)
 持久走大会 連続写真 ( 3/14)
 持久走大会 連続写真 ( 4/14)
 持久走大会 連続写真 ( 5/14)
 
 持久走大会 連続写真 ( 6/14)
 持久走大会 連続写真 ( 7/14)
 持久走大会 連続写真 ( 8/14)
 持久走大会 連続写真 ( 9/14)
 持久走大会 連続写真 (10/14)
 
 持久走大会 連続写真 (11/14)
 持久走大会 連続写真 (12/14)
 持久走大会 連続写真 (13/14)
 持久走大会 連続写真 (14/14)
 
 
 慎雄さんの田んぼに置いてある薪材、先日、大きすぎて積み残してあったやつだが、今日、チェンソーを持っていって切り分けておいた、積込みはまた改めてということで。今シーズン初めてのチェンソーだ。これからまた春になるまでチェンソー作業が続く。中華製のチェンソー買おうかどうしようか。

令和元年10月29日(火)

 夢うつつに雨が屋根を打つ音が聞こえていたような気がする、しばらくは天気が続くとばかり思っていたが、降ったのだ。朝には上がってそのまま晴れた。
      最低気温 12.2℃ (04:35)、最高気温 18.7℃ (13:23)

 今日は白煙ながら阿蘇中岳の噴煙が非常に活発に上がっていた。 (写真1写真2写真3写真4)

 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 今日は何もしなかったわけではない、いろいろと動き回っていたが、日記に書くとなるとさて何をしたのだろう、記録をするほどのことはやらなかったということか。
 
 図書館に読んだ本を返してまた数冊借りてきた。
 
 晩メシ、キジ焼き丼。


令和元年10月28日(月)

 放射冷却だろう、朝の気温が6℃を割った、予報では3℃だったが、そこまでは下がらなかった、全く寒くはなかった。
    最低気温 5.9℃ (07:12)、最高気温 19.4℃ (12:28)

 阿蘇中岳は、日中は噴煙が上がっておらず、今日は静かだなと思っていたら、夕方近く、かなり高くまで噴煙が上がっていた。昼間は分からないが、暗い時間帯は火映現象がいつも見られ盛んに活動している様子がわかる、最近、火山活動がかなり活発になっているということだった。(写真1写真2

 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 午前中宇治歯科に行く。いつもは三月に一度の歯のクリーニングで行っているが、少し前から奥歯の深いところが痛い症状が続いていた。歯の定期クリーニングでは表面の歯石などをとるくらいしかせず、歯茎の奥(下)の方はその対象になっていないそうなので、ついでにその場所だけでなく、もっと全般的に専門的に保険診療で「治療」という形で診てもらうことになった。今回の治療(歯茎の奥の歯石取り)では歯茎の深いところは痛いので軽い麻酔をかけてやるのだそうだが、今日の治療箇所は、その一歩手前の、歯茎に薬剤を塗って軽く麻痺させてする程度の歯石とりだった、次回やる部位は歯茎に麻酔注射をしてやるそうである。

 今朝は気温がかなり下ったが、まだ、室内でストーブを焚くほどではなかったが、それでももう間もなくその日がやってくるだろうから、先日、煙突掃除だけ済ませてあったので、今日はストーブ本体の掃除をした、普段燃える場所のもう一段上にある二次燃焼室に山ほど灰が溜まっていた。これで最低限の準備はできた、あとはガスケットを貼るかどうかだが、まあ、貼らなくても、あまりデリケートな温度管理はしないし、冬の間は24時間焚きっぱなしにするので、しないでもいいと思うが、時間があったらやることにする。短時間で終わると思っていたが、昼から夕方近くまでかかった。
 
 少し前に、ベランダに置いてあったハチウトのなかにスズメバチが巣を作ったようなので、とりあえず、出入り口を塞いでおいて、かなり日数が過ぎて今日箱の中をカメラを突っ込んで撮影した所、やはり、巣が出来ていて数匹のスズメバチが死んでいた。巣が出来たばかりのときだったようで、このまま放っておいたら、箱一杯に巣ができるところだった、今回、なんとなく出来ていそうな気がしたので、封鎖したが、もし、直接覗いていたら、攻撃を受けたかもしれない。可愛そうだが仕方がない。
 
 晩メシ。ロールキャベツ、大根サラダ


令和元年10月27日(日)

 雲が多かったが、概ね晴れだった。
     最低気温 11.2℃ (07:11)、最高気温 18.5℃ (14:16)

 太郎と母親、テニスレッスンで熊本へ、夕方帰ってくる。夏子は終日机に向かっていた。小生は、今日は読書に没頭、文庫本二冊を読み上げた。
 
 慎雄さんから忠也さんところで木を切っているけど要るか?と電話をもらったので、要る要ると言って、現場を見に行って、日を改めて貰いに行くことにした。
 
 午後6時からラグビーW杯の準決勝の二試合目、ウエールズと南アフリカ戦があった、南アフリカが勝った、シーソーゲームの熱戦で面白かった、力が拮抗しているとラグビーもあまり点が入らないものだ。ラグビーW杯もあと三位決定戦と決勝戦の二試合を残すのみになった、だんだんと寂しくなる
JTQシルクロードだより 
新疆の現状 投稿者:JF1JTQ 投稿日:2019年10月27日(日)17時04分35秒
 新疆はNHKののんびりしたシルクロードのイメージとは真逆で、監視、宗教弾圧の場となっています。
少数民族のイスラム教を信仰するウイグル人は、中共ではなくイスラム教に忠誠を誓っているように見えるのでしょう。イスラム教の宗教活動は非常に厳しく制限され、多くのモスクが閉鎖されていましす。新疆ウィグル自治区に滞在中礼拝の時刻を知らせるアザーンを一度も聞く事は有りませんでした。街にはいたるところに中国共産党のスローガンがあり、街のウィグル人の商店はどこも赤い中国国旗を掲げています。中共に恭順するが如く。
街のいたる所に警察官が立っています。監視カメラはそこいら中、主な交差点には公安、武装警察、特殊警察の車両が待機し要員が監視しています。検問所も沢山あります。セキュリティチェックも厳しくウルムチに入った初日は10回も有りました。ホテル入り口はもちろん、博物館、観光地では写真撮影も有ります。
 インターネットはホテルのwifiではLINE、海外のwebには繋がりません。中国のdata通信網を利用してメールは出来ます。風さんのホームページには一度だけ繋がりました。ウィグルの人たちは海外とのメールのやり取りは出来ないようです。
10年前とは全く違いました。ウィグルの人たちはひっそりと暮らしているように見えました。
中国共産党のスローガンである『平等』『公平』『公正』に『不』を付ければ正しい認識だと思います。

(風)  おかえりなさい。
 中国は、ウイグル民族浄化をやろうとしています、チベットでもそうですね、日本のマスコミは知っていながら報道しませんね。
 旅行の最初のメールで、JTQが捕まるといけないと思って伏せ字にしましたが、もう原文に戻しておきます、お疲れさまでした。


令和元年10月26日(土)

 曇り、時々晴れ間。
     最低気温 14.6℃ (06:26)、最高気温 20.0℃ (12:23)

 曇りの上に、風向きの関係で、こちらからはあまり分からなかったが、今日も阿蘇中岳の噴煙、かなり上がっていた

 太郎と母親は朝早くテニスのレッスンで熊本へ、昼には帰ってきた。
 
 従兄の滉兄が今日は大津の所用のあと、立ち寄ってくれた。一年以上ぶりだろうか、82歳だったと思うが、今でも週4日、自転車で通ってフルタイムで仕事をしているそうで、ちゃんと手術もやっっているよ、とのことであった。

 今日は夕方からラグビーW杯の準決勝、イングランド対ニュージーランド戦があるというので、我が家の連中は開始時間に間に合うように、買い物に行ったり、風呂にはいったりしてその時間を作っていた。今日はニュージランドらしさが見られなかった、というかイングランドのほうが勝っていたというのか思った程の息詰まる接戦ではなかった、それにしてもラグビーはやると痛いスポーツだが、見ていても、やたらと力が入って疲れるスポーツである、これほど見ていて力の入るスポーツはほかに無いだろう。明日、準決勝がもう一試合あるなあ。


令和元年10月25日(金)

 曇り、時々雨。予報ではもう少しいい天気になるはずだったと思ったが。(写真1写真2
      最低気温 15.7℃ (04:11)、最高気温 20.5℃ (13:09)

 台風21号進路。今日は千葉県あ豪雨であちらこちらでまた冠水している。台風は日本列島からかなりはなれているが、その影響だろうか。

 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 ハチウトの様子を再度下の方からカメラを突っ込んで撮ってみた。前回はピントがあまり合っていなかったが、今日は少しはマシに撮れた、キノコだと思ったのは、どうも水滴にようで表面張力で丸くなっているようにも見える。やはり一度ひっくり返して肉眼で見たようが良さそうだ(完全にひっくり返すわけではない、かなり傾けてということである)。
 
 今日は、これと言った作業はしなかった、本を読んだり、道楽の資料、道具をいじくり回したりしているとあっという間に一日が経ってしまった。
 
 夕方、学校が退けるのを待ち構えていて太郎を宇治歯科に連れて行った、どうも虫歯ができているようで、仕事が終わってやってきた母親にバトンタッチして帰ってきた。
 
 晩メシ、メンチカツを揚げた。半製品を冷凍して売っているやつがあったので、それを買ってきて揚げたが、あまり旨くない、小生が作ったやつのほうが美味い。



令和元年10月24日(木)

 一日中、細かな雨が降ったりやんだり
     最低気温 15.3℃ (01:57)、最高気温 18.4℃ (13:37)

 台風21号

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 天気が悪いので今日は何もしないでノンビリ、と思っていたが、ジーパンの繕いをした、三本補修した、もういい加減に廃棄しようと思いながらついついやってしまう。
 
 晩メシ、酢豚とアサリの味噌汁


令和元年10月23日(水)   電信電話記念日
   (1869年10月23日(旧暦明治2年9月19日)に、東京~横浜間の電信線架設工事に着手したことにちなむ記念日)

 曇り、夕方近くから雨。 
   最低気温 12.7℃ (02:31)、最高気温 19.4℃ (13:11)

 台風21号の進路

 気象庁の火山監視カメラはレンズが明るいので、晴れてさえいれば夜間でもはっきりと火口の様子がわかる、昨夜など、ずっと火口の火映現象が見えていた。観光用のカメラではないのだろうが、夜でも楽しめる阿蘇山である。

 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10写真11写真12

 今日はなんとなく何をしようという気も起こらず、なんとなく過ごした、と書くつもりでいたところ、少し前に食堂脇の竹を切って置きっぱなしになっているのが見苦しいので、近いうちに燃やすことにして、とりあえず、運ぶだけはしておこうと思って運んだが、今日は午後あたりから雨になるという予報が、レーダーをみると、どうも少し遅れそうなので、ついでに燃やしてしまった

 ハチウトの内部の写真を撮った。入ったばかりの時に撮った写真と比べたら、確実に数は増えていると思う、ただ巣板が全く見えない。それに、なんだか天井板の隅の方に変なものが見える、まるで、ナメコのようなものだ、これキノコだろうか、写真だけではピンぼけでわからない、ハチもその部分を避けている、なんだろうか、いちど直接見てみる必要があるなあ。キノコ類ならば掻き落とさなければなるまい、その作業でまた脱走されると困るなあ。
 
 夕方近くになって、明日のコメが無いのに気がついて慌てて近所の農家に分けて貰いに行ってそのままコイン精米機まで運んで精米してきた。今年最初の新米である、この時期のコメは阿蘇コシヒカリである。行くときはまだ降っていなかったが、終わって帰る時(5時すぎ)に、ぽつりぽつり降り始めたので、荷台に積んで帰るわけにイカず、軽トラックの助手席に載せて帰ってきた。
 
 太郎、水泳教室。
 
 晩メシ、カレー。


令和元年10月22日(火)   即位礼正殿の儀

 この5月に即位した天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿の儀」が皇居・宮殿で行われた、弥栄弥栄。

 カレンダーの数字が赤くなっていなかったので直前まで今日が祝日だということに気が付かなかった。我が家にはあちらこちらに数種類のカレンダーが掛かっているが、どれも22日は下の方に「即位礼の日」とちゃんと印刷されているので、印刷が間に合わなかったわけでも無さそうだ、祝日になるかどうか決まっていなかったのだろうか。

 今日は風もなく穏やかな一日だった、阿蘇中岳も噴煙も終日、まっすぐ上に昇っていた。まっすぐ上がっていたのは風がなかったからで、活動はまた活発化していると気象庁では発表している。(写真1写真2写真3) 夜に入って、これ噴火だろうか
   最低気温 11.3℃ (05:58)、最高気温 23.0℃ (13:54)

 台風21号、今回はあまり騒いでいない台風だ。

 午前中、屋根に登って煙突掃除をした。喜寿ともなるともう屋根の登り下り、この程度でも結構段取りがあるのでへとへとになる。今日は祝日で太郎が家にいたので煙突に登っているところを写真を撮ってもらった。今日のところは煙突部分の掃除だけで、ストーブ本体の方の掃除は後日また改めてということに。これは何時でもできるから。昨シーズンの煙突内のスス(というほどパウダー状ではない、サラサラ、あるいはバリパリの板状になって煙突内に貼り付いている)。以前はシーズン中に詰まって煙が逆流して掃除をしなければならない事もあったが、最近はシーズン前に掃除をしておけば、シーズンが終わるまで大丈夫だ。
 
 太郎撮影 (写真1写真2写真3写真4写真5
 
 煙突の上から撮影 (写真1写真2写真3写真4写真5

 午後は椅子を出して風もなく穏やかな日差しのもとでハチの観察をして過ごした。今日のような日は春先ほど花はなくても、活動しやすいのだろう、沢山のハチが途切れること無く離発艦を繰り返していた。少し前、我が家と前後してじっちゃいのところにもハチが入ったということだったが、ハチの動きからもしかしたら女王蜂がいない群れかもしれない(ということは早晩絶滅する運命にある)と心配だったようだが、どうやら、大丈夫そうだとブログに書いてあった、なんとかそうであって欲しいものである。
jtqシルクロードだより
 10/21 5:40 小生から
  シルクロードの旅、楽しんでいますね、今回の旅程はどうなんでしょう、何日くらいの旅なんでしょうか。
  昨日(10/20)、ラグビーW杯、準々決勝で日本は残念ながら南アメリカに力負けしました、こういったニュースはそちらには流れるのでしょうか、海外のニュースなんか届くシステムがあるのでしょうか。
  頂戴したメールと写真は小生の日記にそのたびに転載させてもらっています、どうぞこの先の旅もご安全に。


10/22 01:37
 はい、お世話になります。ラグビーはこちらのテレビで見ました。残念でしたが、良くやってくれたと思います。帰国は24日です。明日ウルムチに飛んで少し観光し一泊、翌日広州に飛んで一泊、そして羽田に帰ります。新疆のホテルのwifiは繋がってもLINE 、ヤフーにも中々繋がりません。風さんのホームページにカミさんのスマホテザリングで一度繋がりました。メールはOK です。兎に角、ウイグル民族に対する締め付けは相当なものです。メールは全てテザリングで送信しました。

10月21日 カシュガル連泊
 昨日は枕ゼニを置いといたが受け取らずにサイドテールに置いてあった。今日はウイルグル語で[有難う、私は日本人です]と書いたメモを添えておいた。今日はパミール高原のカラクリ湖まで一日ドライブ。国道314号、この道はウルムチからクンジュラム峠を経てパキスタンへと続く。カラクリ湖迄は約200km、湖の標高は3600m、高速道路では無いので結構時間が掛かる。
 国境に近くになった標高2300mの検問所、今までで一番厳しかったと思う。1人ずつぱすを持って写真撮影、ゲートはは1人しか通れない。結局ここを通過するのに50分停車。カラクリ湖からの帰路も全く同様の検査。
 ホテルに戻ったのは22:10、さすがに疲れた。
 枕ゼニは結局受け取って貰えなかった。でもメモ用紙に笑顔マークとウィグル語で色々と書いてあった。明日ガイドに訳して貰うつもり。
 明日はウルムチへのフライト、一泊後広州へ、そこで一拍、そして帰朝。24日横浜
 (写真1写真2写真3写真4写真5


令和元年10月21日(月)

 曇り、昨日よりは陽がさしていた。昨夜から午前中、風向きはこちら方向のようだったが、車には灰を落ちていなかった。夕方、小噴火だろう、風がないのでまっすぐ噴煙が上がっていた。
      最低気温 14.2℃ (04:00)、最高気温 21.3℃ (15:35)

 明日は休みなんだなあ、知らなかった。

 台風20号は温帯低気圧に変わった、台風21号の予想進路

 定点撮影
 登校風景 小生のカメラでは弱い光を集めきれないので、遠景を引っ張るとピントが合いにくく撮りにくくなってきた。
     (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10写真11写真12写真13

 午前中、前の畑をトラクターで耕した、レンゲの種を蒔く準備だ。種はもう用意してあるがまだ蒔かない、畑が荒れているのでもう一回くらい耕してから蒔こうと思っている。蒔き方に、蒔いた後うすく土をかぶせて軽く転圧しろとあったように思うが、レンゲなんて、もともと広い場所に蒔くものだろう、田んぼなんかに蒔く場合、いちいちそんなことやるのか?バーっと蒔いて、それでオシマイでいいと思うのだが。

 それからもうひとつやった作業。煙突掃除のために屋根登攀用のロープを設置した。家が出来て最初の頃は、スレート(コロニアルという)がザラザラして摩擦抵抗が大きかったので、ゴム底の運動靴で腰をかがめて慎重に登ると滑ることなく登ることができたが、年が経つにつれてスレートのザラザラがなくなって、どうやっても自力では滑って登ることができなくなった、それで、近年は掴まって登るためのロープを事前に設置するようになった。明日にでも煙突掃除をしようかと思っている。
 
 摩擦抵抗といえば、夏子たちが昨日参加した発表大会の記事が読売新聞に載っていたそうで、その記事によると、研究発表のテーマが小生には解らないが摩擦抵抗に関するものだったようだ。昨日の日記に追加で、記事のコピーを貼っておいた。

 太郎を学童に迎えに行って、そのまま抜き打ちで古閑医院に二回目のインフルのワクチン接種に連れて行った。アイツは臆病者だから注射一つとっても大騒ぎするから予告しないほうがいいのだ。太郎の年齢だと二回接種になる。
 
 晩メシ、「鍋」、今日はまだそれほどでもないが、もうそんな季節に入っているのだ。先日、牡蠣も店頭に並んでいたので、今晩は違うがそろそろ牡蠣料理の季節だ。夏場よりも冬場のほうが料理のレパートリーが広がって賄い方としては助かる。

 「-・-・- ・・・- ・・・ ・・-・ -・--・」 BRAVE BROSSOMS のワールドカップは終わった。ところで、いつもラグビーを見ていて思うのだが、ラグビーは選手とレフェリーの間のコミュニケーションが他のスポーツよりも非常に重要である。それにルールが複雑で、反則など、テレビで見ていて特にブレークダウンのときなど団子状態の時は見えなくてよくわからないことがある、選手自身がわからない場合すらあるそうだ。最近はレフェリーはマイクをつけて、選手間とのコミュニケーションなどは聞こえるようになっているが、それでも、国際試合の場合はレフェリーの言っていることが、なんとなくは分かっても細かなことがよくわからない、ラグビーなどスポーツ以外の日本語以外のこういった場合は必ず通訳がつくが、テレビなどで放送するときは、レフェリーと選手間のやりとりを同時通訳をするシステムを入れるともっとラグビーに対する親しみが出てくるのではと思うが、政治や野球の世界にはあっても、ラグビーの時通訳者という職種はまだないのだろうか。ラグビーは紳士的なスポーツである、だから、レフェリーは選手とコミュニケーションをとる時に、最後によくサンキューという言葉を使う、選手もレフェリーの判定には黙って従う、お互いを尊重し敬意を払いながら行うスポーツである。

 それにしてもラグビーは面白い、やると痛いスポーツだ(ろう)が、見ているとこれほど面白いスポーツは他には無いような気がする、ラグビーは球技だがそのなかには走る競技、相撲レスリングのような格闘技の要素、階級性が無いのでいろいろな体躯の選手がそれぞれの特性を生かした形でゲームに参加できる。ルールはちょっとわかりにくいが、とにかく相手陣地にひたすら愚直にボールを運んでトライする、その攻守が一瞬にして入れ替わる、息をつく暇もない。ただ力だけで押しまくれば勝つゲームではない、頭を使ってどこにボールを運ぶか、そして攻めるか、そして守るか、単純でありながら実に複雑なゲームである。それに正々堂々のぶつかり合いがこれがまたなんともいい、昔の、東西に陣を敷いてぶつかり合う、例えば、関ケ原の合戦の時代を彷彿とさせる戦(いくさ)を見るようなスポーツである。大げさに痛がったり、一人だけをヒーロー視したりすることなく、フィフティーン全体で行うやせ我慢のスポーツ、これがまたいいのだ。
 
 昔、もう今から半世紀も前になるだろうか、小生の父親がラグビーが大好きで、と言ってもテレビで見るだけだが、当時は頻繁にテレビで中継をやっていた、大学ラグビーが多かった記憶がある、当時はそれだけ人気があるスポーツだった、今回のワールドカップを機に日本でも一過性の現象で終わること無く、ラグビーを「する人口」、「観る人口」がまた増えるといいと思う。
jtqシルクロードだより 10/20 23:02
ホータン~メルケト~カシュガル
 前回は高速道路が無く、今回はETC が使える高速道路で時間は随分短縮短縮された。車の数は極めて少なく最高速度100km/h最低速度は60km/hで快適である。空気が乾燥しているので少し喉が痛む。タリム盆地の年間降雨量は50mmだから仕方がないのかも。
 メルケトでは民家を訪問してドラムカムと言う民俗芸能を鑑賞。踊っていた長老、80歳位に見えたが、実際は65歳だと言う。道理で動きの激しい踊りが出来るのだと納得。
 カシュガルは人口500万人だと言うから大都市だ。前漢時代は疏勒国であった。カシュガルではエィティガル寺院、職人街、老街を歩いて廻ったが。10年前とはまるで違い、まるでテーマパークの様であった。お祭り騒ぎ!
 歴史ある街は破壊すると後で後悔すると思う。
写真1写真2写真3写真4写真5写真6)



令和元年10月20日(日)

 くもり  (写真1写真2)
     最低気温 10.3℃ (05:46)、最高気温 19.8℃ (11:43)
 

 台風20号が発生したと思ったら追いかけるように21号まで発生して、日本に向かって進んでいる・・・・・

 太郎は、テニスンレッスン日で、母親と一緒に朝早くでかけた、今日はそれに夏子も一緒だった。夏子は、高校のクラブ活動で科学部とういう所に属していて、今日は、熊本県の(どのくらいに範囲かは知らないが)高校の発表大会が崇城大学であるそうで、それに出場するために途中駅まで一緒に乗っていったのだ。

 最近ラジオを聞いていると、我が家の庭のキンモクセイが、だとか、路地を歩いているとどこからかキンモクセイの匂いが、とかいった投稿が読まれる、そう言えば我が家にもキンモクセイがあったなあ、ちっとも目につかないなあと思って植わっているところに行ってみると、キンモクセイの上を他の樹木の葉が覆いかぶさるようにして、キンモクセイを完全に隠していた。この木は藤の木で、花はなかなか上品な花なのだが、暴力的に増えて、地下を伸びてどこからでも生え出て周りの木に絡みついて葉を繁らせる本当に手に負えない木である。せっかくだからキンモクセイの木の周りだけでもキレイにしてやろうかと思って、剪定を始めたが、剪定バサミの刃がボロボロで柄までが折れてしまっているので、ホームセンターで新しいやつを買ってきて、剪定を始めた。30分もあれば終わるだろうと思っていたところ、これがなかなか大変な作業で、結局午前中いっぱいかかってなんとか格好がつく程度にできた
 
 ここではまだ今の所、小さな花がようやく付き始めた程度で、まだ花の数は少ない、あるいは藤の木の葉に覆いかぶされて、陽が当たらず成長が悪いのだろうか。
 
 今日はラグビーW杯の準々決勝の放送が二試合あった。4時からのウエールズ対フランス、1点差の好ゲーム(20:19)だった。そのあと7時過ぎから日本対南アメリカ。前の試合が終わって日本の試合までの一時間の間に風呂に行って、うちの奴らは帰ってこないのでサッサと一人で飯を食って、テレビの前に座った。
 
 試合は敗けた(3:26)、今日の日本、なんとなく一本調子のように見えた。小生はベスト8まで行けたことだけで満足していたので、もし勝てれば儲けもんくらいに思って見ていたので全くハラハラ・ドキドキもしなかった、敗けたけどよく戦った。これで日本のワールドカップは終わったけど満足だ、そして脱力した、このあとは準決勝、決勝をゆっくり楽しむことにしよう。
 
 うちの連中は試合の途中で帰ってきた、車のテレビで観ながら帰ってきたそうだ。夏子の発表大会は4位だったそうだが、審査員講評で発表の仕方(質疑応答)は一番良かったと褒められたそうだ、ナントカ賞をもらったと言っていた。(新聞記事)


令和元年10月19日(土)

 雨は上がっているのかまだ残っているのか、暗い朝だった。オマケに、昨夜は風向きがこちら方向だったようで、車に少し灰が降っていた。そして終日晴れること無く厚い雲が垂れ込めていた。
      最低気温 16.9℃ (06:16)、最高気温 19.9℃ (12:48)

  19号でオシマイだろうと思っていたら台風20号が発生したなあ・・・・秋台風だろう。

 カミさんの仕事がらみだろう、農業体験で太郎と二人、波野方面に出かけていった。夏子は部活で終日学校に行った。小生はノンビリ読書。

 今日はニュージーランド対アイルランドの試合がテレビで7時ころからある、さっさと日記を終えよう。
jtqのシルクロードだより
10月17日 クチャーホータン
ホータンに向かう今日は約450kmの砂漠横断(第2砂漠公路) 、前回は第1砂漠公路で距離は750km、道路も良くなって時間も短縮された。クチャを出てしばらく走ると砂漠(むしろゴビ坦)の胡楊の木がだんだんと少なくなる。第1検問所で15分停車。初めてのサービスエリアで香梨、干しぶどうを購入する。香梨は水分豊富でとても美味しかった。2回目のサービスエリアの食堂は休業中、3回目のサービスエリアでやっとラグ麺にありつけた。決して美味しいとは言えない。

公路から外れてラクワ仏教寺院、マリクワト遺跡を見学したが、後者は5世紀頃の遺跡らしいが、元より遺跡保護は無く損傷激しく原形をとどめていない。見るべきモノ無し。

駐車場から遺跡までは徒歩で10分、ウィグル人の母子が電動3輪車乗車を片道5元で頻りに薦めてきたが、ガイドに決して乗るなと言われていたので、申し訳無いが乗車はせず5元支払った。母親は笑顔で喜んでくれた。子供たちはとても人なっこく愛くるしい。

結局今日は450km走るのに3回の検問所が有った。
(写真1写真2写真3


令和元年10月18日(金)

 今日はかなりの雨と雷の予報が出されていたが、レーダーをみると、終日、九州を挟むように雨雲があって、殆ど変わらずに北東方向方向に流れていたので時々弱い雨が降る程度だった。夜に入って、少し雨雲がかかりはじめて、雷も近づきそうな気配はある。
  最低気温 15.4℃ (00:54)、最高気温 20.1℃ (14:17)

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7)  

 今日は小雨が降っていて日が射さないせいもあって、数字よりも気温が低めに感じた。日中の外気温は18℃台で、室温が約24℃、このくらいの気温は普通どうなんだろう、この時期の服装はどうなんだろうか。真夏には真夏の、真冬には真冬の服装がある、これははっきりしていて分かるが、この時期の服装がどうあるべきなのか、急に秋に入ってどうも掴めないでいる。夏から秋に入ってきてそれまでの半袖Tシャツ姿ではさすがに肌寒いので、ここのところ長袖のスポーツシャツ(というのか)を着るようになっていて、それでもまだ落ち着かないのでそれにキャンバス地のベストを重ね着をしているが、今日のような気温ではもうそれでもじっとしていると寒いというのではないが、その気温に体が無意識下にずっと反応していて落ち着かない、つまりは寒いと感じているのだろう。そこで、股引を引っ張り出して穿いてみた、これで落ち着いたが、今のこの気温でちょっと早すぎないか?どうも適した服装が掴めないでいる。早くストーブの準備をしなければ。というのが山間部の今の気候である、下界ではどうなんだろうか。

 太郎は今日は、学校から社会見学と言うのか、何と言うのだろう、バスで山を下りて、味噌・醤油工場の見学と、ショッピングセンターでの買い物実習に出かけた。一人300円見当の買い物を各自するようにという課題が与えられていて、家の人と相談して決めるようにと言われていたようで、昨夜母親と相談していた。ただし、菓子類はだめだということのようであったと思う、家庭用品なんかが対象なんだろう、やれラップだとか醤油だとか階下で話しているのが耳に入っていたが。

 帰ってきてから訊いたらお店は大津にあるイオンだとか言っていたが、3年生一学年全員、数十人の子らが一人300円見当のものを持ってレジに並ぶ姿を想像したが、事前に了解はとってあるのだろうが、お店にとってはエライ迷惑だろうと可笑しくなった。お店ではレジニ台を子どもたち専用にしてくれたそうだ、そうでなきゃ他の買い物客に迷惑になるからなあ。
 (追記) 味噌工場見学は、菊陽にある「山内本店」という味噌醤油を作っている会社で、お土産に味噌を貰ってきた、数十人の子どもたちに配るのだからその量も相当なものだ、小生はこの味噌は初めて知ったがネットで調べると非常に歴史のある会社のようである。


 晩メシ、ビーフシチュー



令和元年10月17日(木)

 曇のち雨模様。
 日中、なんだか寒くて仕方がなかったがそれでも17℃くらいはあった、朝のほうが8℃くらいまで下って寒いはずだが、昼間のほうが寒さく感じた。早くストーブの掃除をせんとなあ。
     最低気温 8.1℃ (04:36)、最高気温 17.8℃ (11:50)

 阿蘇中岳 噴煙の向き、日によって或いは時間によって東方向だったり西方向だったり、南方向だったり、頻繁に変わるが、幸いに最近はこちら方向には流れてこない。(写真1写真2写真3
 
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 ワンタンク分の草刈りをした。今日は一箇所だけ残っていた前の畑の生け垣(茶の木)の根元付近の草を刈って、余った燃料で裏の竹を少し切った。今日切った竹はなんという竹だろう、竹にも色々種類があって、孟宗は分かる(それでも色々種類はあるのだろうが)、真竹、もなんとなくわかる、細い竹は何というのだろうか、篠竹だろうか、今日切った竹はそういった細い竹が生えている場所である。ここのところ少しずつ切っている間にジャングル化していた我が家の敷地も大分きれいになってきた。後は数日経ってから刈った草を燃やして、畑を鋤いて、レンゲの種を蒔こう。

 10時半近く、作業が終わってハチウトの前に座ってコーヒーを飲んでいると早くもポツリポツリ雨が落ち始めた。こんな天気だからハチの姿が少なくて、ちょっと心配になって箱を叩いたら怒って出てきた。役割当番があるのか、ほとんどハチは無関心なのだが、中に一匹、二匹必ず攻撃的にうるさく体の周りをまとわりついてくるのがいて、刺されるといやなので、帽子などで追い払うが、それでも向かってくる。
 
 一旦降りだした雨もそのまま雨になるかと思っていたらすぐに止んだがその後も何時降り出してもいいような空模様が続いていつの間にか弱い雨が降っていた。

 来年の東京オリンピックのマラソンを「札幌で」、という話が出始めている、来年、とはあっても来年の何時とはいくつか見る記事どれにも載っていない、周知だからだろうか、小生は知らないから、面倒だが検索して調べてみた、暑い時だということは知っていたが、なに7月24日だって?アホかこんな一番暑い時に、それを今頃何を言ってやがる、そんなこと最初から分かっていたことだろう、お粗末極まりない。小生はもともと日本でなんかオリンピックやる必要がないと思っている、それで金儲けを目論む会社があるのだろう、やりたいという人間がたくさんいるのだろう、ただでさえ、自然災害が多い国、そして多くの人がひしめき合って暮らしている東京でどうしてやる必要があるのだ。前回の復興期の日本で、とういうのは分かる、でも今どうして日本で、しかも東京でやらんといかんのか。

 晩メシ 炊き込みご飯、それから節子さんから菜園で作った掘りたての里芋を袋いっぱいもらったので、イカと里芋とダイコンとニンジンの煮物を作った。
jtqのシルクロードだより
Iphoneから送信
 ラインは繋がりませんでした。10/26 22:33
 昨日(15日)は今回のシルクロード主役のひとつであるキジル千仏洞に行きました。世界文化遺産に登録されたので10年前に比べ色々整備されたが少し無粋になった様。以前は自由に歩けた所に柵が出来て不自由になってしまった。午前中にはグズルガハ千仏洞、烽火台も見聞しましたが、木道が出来て自由には歩けません。まあ、観光客が増えたので仕方がないのかも。
写真1写真2


令和元年10月16日(水)

 快晴。天気がいいのもどうやら今日までのようだ。
     最低気温 9.7℃ (06:52)、最高気温 23.2℃ (14:18)

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10) 

 毎年のことだが、庭に生っているカボスを採って親戚に送った
 
 天気が下り坂で明日あたり雨になりそうなので前の畑裏の畑の二箇所に集めてあった草類を燃やした。夜になってもくすぶっていたので、いつもなら燃やしっぱなしにしても周りに燃えるものがなのでどうということは無いのだが、今晩はちょっと風が強かったので水をかけて消しておいた。
 
 太郎は今日は水泳教室日で認定試験があったようだが、進級しなかったそうだ。
 
 晩メシ、カレー。昨日剥いて残っていた柿を使って、膾(なます)を作った。

 日本に「観光庁」という名前の役所があったこと今日はじめて知った。



令和元年10月15日(火)

 晴れ。今日はちょっと風が強かった。
   最低気温 9.6℃ (06:13)、最高気温 20.4℃ (12:54)

 阿蘇中岳 今日は風が北寄りの風でしかも強かったので、阿蘇谷からは噴煙はあまり見えなかった、出ていたのか、それほどでも無かったのか。(写真1写真2
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 午前中、一タンク分だけ、裏の畑の草刈りをした。先日から刈った草を燃やそうかと思ったが今日は風が強かったのでやめた。ここのところ屋外作業が続いていて、またちょっとヒザが痛くなってきた。それに昨日の薪取り、筋肉痛で腰が痛い、腰が痛い(これは治る方の痛さだ)。
 
 晩メシ 豚肉の味噌漬け、厚揚げと小松菜の煮びたしなど。家の柿を穫ってきて剥いた。食べると美味いのはわかっているが面倒であまり食べないが、今日は沢山穫ってきた。
 JTQがシルクロードに行っている、前回と逆コースだそうだ。(「その他」に前回のシルクロード旅行記がある)

 LINEで受信
 (10/12)新疆ウィグル自治区トルファンに入りましたが、セキュリティチェックが厳しいです。今日1日で9回ありました。高速道路でのパスポート提示、博物館入館時の顔写真撮影等が有り以前とは全く違います。小さな街の商店や農村部の各家では中国の赤い旗を掲げ中共に恭順を示している様です。ホテルのwifi ではLINE や海外のWEBサイトには繋がりません。この地では外部の情報を得ることは困難です。またホテル出発前に服務員チェックと言うのが有りバスタオル等の数量をチェックされます。また街部には 監視カメラが沢山有ります。益々嫌な国になりまし。台風は関東直撃ですかね?心配です。このメールはカミさんのスマホテザリングで送信です。届く事を期待しています。

 10/14 iPhoneメールにて
 「わたしのスマホは海外ではデータ通信が出来ない格安のsimです。wifi しか使えません。wifiに繋がってもLINE、ヤフーなどにはつながらない様です。そこでカミさんのスマホテザリングでやりました。通信会社がどの様なフィルターを掛けているのかサッパリ不明です。メールは届いていますか?」(JTQが向こうに着いての第一報が奥方のスマホでデザリングをしてLINEで送ってきたので、理由がわからないと返信したことに対して)
 
 シルクロード 投稿者:jf1jtq 投稿日:2019年10月14日(月)10時19分33秒
「おはようございます。ウィグル自治区コルラに滞在しています。毎日晴天で朝晩は少し冷えますが、日中は22℃程度で乾燥しているので快適です。これよりクチャ、ホータンに向かいます。」写真

 10月14日22:08
 「こんばんは、今夜はホームページ開けませんでした。」と以下メールで、
 「クチャに入りました。ここまでバスて4時間かかりました。高速道路では監視所が有ってパスポートのチェックが有ります。事務所に全員のパスポートを持って行かれました。およそ10分でOK。ここは昔の亀茲王国だった所です。10年前に来た時はロバ車が沢山走ってるいましたが今はロバは電動バイクに変わりました。」写真1写真2



令和元年10月14日(月)  体育の日

 快晴。本当にいい天気がつづく、ここのところ安心して天気予報も見ない日が続いている。
    最低気温 9.8℃ (06:15)、最高気温 23.7℃ (14:14)

 阿蘇中岳、まだ太陽が昇る前の火口付近が赤くなっていた、火映現象なんだろうか。

 体育の日?どうも10月10日がしみついている。1964年の東京オリンピック開会式の日を記念して定められた。この日が晴れの特異日だということで決めれたと記憶している、そして確かにその日は「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和」になった。今年も、10月10日は晴天だった、ただ、もう台風19号が発生していたが。このように祝祭日がその年の暦の都合でころころ変わるのはどうも馴染めなくていけない。ところで来年の東京オリンピックはいつだったか、確かものすごく暑い時期だと思ったが、この時期は暑いばかりでなくて、台風の心配もしなくてはならないな、小生は全く興味がないが。 

 断片的に台風19号の被害状況をみているが、被害の状況がどんどん拡大している、日本では治水対策が進んでいると思っていたが、北の方ではあちらこちらで有名無名のたくさんの河川が氾濫していることを知った、関東地方を通過するまでは気になって注意をしていたが、その後のほうが被害が大きくて、今現在でもその被害が拡大している。まだまだ被害が拡大しているようだ。今回の台風はその規模に比べて風の被害があまり無かったように思ったが、雨の被害がこんなに広範囲に広がっているを知って驚くばかりだ。日本はつくづく災害列島なんだなあ、平穏な時が殆どない、いつもどこかで自然災害が起きている。

 ワールドカップラグビー、日本対スコットランド戦、昨日の勝利の瞬間はその余裕すら無かったが今朝改めて昨夜の映像を見ていて思わず涙が出てきた。さあ次は準々決勝だ。

 福原集落のこちらのSさん家に大きな柿の木があって、いつも時期になると沢山の大きな柿の実が道路に落ちていた、渋柿だったのだろうか、その柿の木が最近伐採されて、すぐ近くの田圃に置いてあった、ここは慎雄さんの田んぼだから、慎雄さんが切ったのだろうと思って電話をして貰っていいかと訊いたらいいよ、とのことだったので、今日太郎を連れて積み込みに行ってきた。

 ヒザに負担がかからないように慎重に重機を使って積んで帰ってきた、二台分運んで、もう一台分あるが非常に太くて長いので、これは日を改めてチェンソーで切る必要がある。久しぶりに肉体労働をしてヘトヘトになった。
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 本日のハチの様子、異常なし


令和元年10月13日(日)

 快晴
   最低気温 10.3℃ (06:32)、最高気温 21.5℃ (13:20)

 早朝、ハチウトの底板清掃の際に蜂の姿が一匹も見えない、そのころの気温は10℃くらいで、まだ活動を開始していないとは分かっていたが、もしかしたら全部逃亡してしまったのだろうかとちょっと不安になった。日が昇ってハチの活動が活発になって安心した、まだ、逃亡するのではと不安である。ハチの観察がルーチンになった、今日あたりは、直射日光下に椅子を出して座っていても、湿度が低くて空気が冷たいので、もう全く暑さは感じず、気持ちのいい状態でハチを眺めていた。ただ単に離着陸を眺めているだけだが全く飽きない、スズメバチが蜜蜂を捕らえようとしていたので、捕獲してホイホイの上に置いておいた。(写真1写真2

 午前中、小一時間、草刈りをした。

 カミさんは職場の同僚の結婚式の披露宴にでるのだと言って熊本に出かけていった、夏子は勉強(の格好)、太郎は今ルール違反で母親にゲーム機を取り上げられていて退屈退屈と言いながらも外で、一人球技をしたり、古いブロックオモチャを引っ張り出して遊んでいた、夕方近くに図書館に連れて行ってやった。

 一夜去って台風19号の被害が拡大している。昨夜もその後も大雨特別警報が出され続けていた。事前のしつこいくらいの注意喚起が行き渡っていたからか大惨事になるほどの人的被害は無くて済みそうだ、数百人だとか数千人の被害などという話もあったくらいだ。避難活動が遅れていたらもっと大きな被害がでていただろう。

 昔に比べたら治水対策が進んでおり、今回も相模川などかなりの河川で決壊氾濫の心配があったが、持ちこたえたが、千曲川などが駄目だった、水は高きより低きに流れる、決壊箇所はわずか数十メートルだそうだが、一旦切れると、そこから、際限なく水が低きに向かって面になって流れ続けてその被害が拡大する。今回の台風の映像を見るにつけ、日本という国は良しにつけ悪しきにつけ「水の国」なんだなあと思った。

 夏子が千曲川の決壊のニュースをみていたので、千曲川は太平洋に流れるのか、日本海側に流れるのか?千曲川はそのまま海に出るのか、下流で名前が変わるのを知ってるか?日本で一番長い川はどこだ、千曲川というと「千曲川旅情の歌」という詩があるが、誰の詩だ?どういう詩だ?と関連問題を出してやったら受験勉強中の夏子、一生懸命頭を捻っていた。こういったニュース一つをとってもただ見ているだけでなく興味の持ち方でいろいろなことを知ることができる。
 
 たとえば、ラグビーにしてもイングランド、スコットランド、ウエールズ、アイルランド。アイルランドは別にしてもどうしてイギリスはいくつもチームがあるのか、そもそも我々が普段言っているイギリスという国名はなんなんだ、イングランドにどうしてスコットランドヤードがあるのか、ブリテン島のどの部分がイングランドでどこがスコットランド、ウエールズなのか、アイルランドと北アイルランドはどういう関係があるのかなどなど、ワールドカップをきっかけにいろいろなことを知ることができる。

 そのラグビーワールドカップ、いよいよ今夜は一次リーグ、プールAの天下分け目の大決戦、日本対スコットランドの試合がある、台風で開催が危ぶまれたが、無事に開催されることになった、試合開始は夜8時少し前だ、試合が終わってから日記をつける時間がないので、さっさと日記を書いてからラグビー観戦をする、さあ、鬼が出るか蛇が出るか。


勝ったあ!痺れたあ!素晴らしい試合だった。



令和元年10月12日(土)

  最低気温---、最高気温---(観測装置は午前10時前に復旧したが、復旧後に最高気温を記録したのか、復旧前に最高気温を記録したのかわからないので、本日も観測記録は無し。

 当地は今回に限っては全く台風の影響はなかった、ただ、終日曇りで、時々雨を含んだ風が吹いていた。 

 今日は日中、まだ台風は上陸していないのに大雨が降り続いていて、首都圏の7都県に大雨特別警報が出された。また相模川の上流の城山ダムの緊急放流で相模川の水位が上がりそうで、茅ヶ崎の小生が住んでいたエリア、特に寺さんの家の近くの堤防が溢れるかもしれない。一旦は放流をすると言っていたが当初の時間より遅れて午後10時から放流するということだ。放流したから必ず氾濫するとは限らないだろが、緊張の時間が続くのだろう。

 台風が大きい上に雨が激しく、これから夜に向けて台風本番を迎えようとしていて時間的に非常にまずいタイミングで台風がやってくる。
 
 今夜は小生もなるべく起きて台風情報に注意をむけておこうと思っているが、首都圏の緊迫状態、いままでに無かったことだろう。新聞の番組表、NHKは完全に一日中台風情報で埋まっていた。インターネットでも終日テレビの台風情報を流していた(随分久しぶりにテレビを見たが、アナウンサーは全員知らない顔ばかりだった)。
 
 明け方目を覚ますともう結構風が吹いているのがわかる、でも風速計が壊れていてわからない、午前4時前から、修理を始めた。修理と言っても、モジュラーケーブルの切断箇所を見つけてつなぐだけだ、しかし、これが結構厄介で、ようやく一箇所の線が切れているのがわかって、それをつないで、念の為にテスターであたったところ、確かOKだったはずが、自己融着テープなどを巻いて完成させて、つないでみたけど、動かない。また最初からやり直して、修理した箇所以外でも接触不良の場所があったのだろう、どうもよくわからない、で、結局、不良部分を3mほど廓清して、つなぎ直した。小生の大腸のようにちょっと短くなったけど、足りなくなるほどではなく無事につながった。そして午前10時前にようやく復旧した。無くてもどうということは無いのだろうが、いつもこの数字を見て生活をしているので無いとなるとどうも落ち着かなくて仕方がなかった。それにアメダスがある阿蘇乙姫の気象データとこことは平野部と山付きの違いでかなり差が出ることが多い、やはり自宅周辺のデータが分かるほうがありがたい。

 今日は薪材の集積場所の草を一時間ほど刈った、上村さんが足が痛いだろうと薪材を運んでくれた、勝手知ったる草むらと違って足元が不案内な人には危ないので車で入りやすいように刈っておいた。
 
 我が家の三人組は、テニスのレッスンや、ピアノのレッスン、それに耳鼻科受診で熊本方面にニ往復していた。

 台風騒動のなか、福岡で開催されたラグビーをみた。(プールA)アイルランド対サモア



令和元年10月11日(金)

 曇り。台風19号の遠い影響だろうか、今日は雲が多い一日だった。
  最低気温 -----、 最高気温 -----(観測装置故障のため測定できず)

 台風19号  天気図  台風進路に当たるところは刻一刻胸苦しい時間を過ごしているのだろう、来るのが分かっていても身一つならいざ知らず、家は逃げられないからなあ。でもさすが首都圏だ、全国放送で延々と台風対策、首都ローカルの交通機関のことをやっている。

 阿蘇中岳は今日は静かなようだった(頂上付近が雲に覆われていたせいもある)
 定点観測
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10
    一年生はジャージーを着ていたので何かあるの?と尋ねたら、今日は遠足!ということだった。

 宇治歯科に行く。左奥歯の下の方で長い間痛みがあったので、根本的に診てみましょうということになっていたが、ここのところ、集中的に歯ブラシを当てて磨いているうちに、その痛みが無くなっていた、でも、一度徹底的にチェックしましょうということになって治療をしばらく継続することになった。

 ハチウト、朝、スムシのチェックをしたが、今の時期、スムシ(ハチノスツヅリガ)は産卵するのだろうか、もうその時期は過ぎているのではないだろうか、どうなんだろう師匠。
 
 ところで、聞くところによるとこのスムシはポリエチレンを食べて分解するそうである、スムシの主食は蜜蝋で、この蜜蝋を分解する能力がプラスチックの分解につながるそうである、タデ食う虫も好き好きと言うが。

 台風がやって来ようというのに、気象観測装置が故障している、尤もここは台風の影響は直接無いと思うが。
 屋外の装置で取るデータが送られてこない、室内で測るデータは生きているので、屋外の装置そのものの故障か、あるいは、そこから屋内に引き込むケーブルの断線か。
 多分後者だろうと思って、2~30メートルあるモジュラーケーブルを装置から外して、モジュラープラグ部分をズルズル引っ張って室内に持ち込んだ。もう一方は壁に開けたパイプの中をとおって室内に入っている。その双方の先端を室内でテスターであたってみようというのである。4芯の内3本は導通するが残りの一本が導通していないようだ。ということは長いケーブルのどこかで断線しているということになる、どこだ?考えられるのは、外部装置に差し込むモジュラープラグ部分、あとは、今まで何度も刈払機で切断して、その都度つないだ部分、それ以外は無いだろう。で、持ち込んだモジュラープラグを根本から少し離れた場所で切断して、モジュラープラグのコンタクトブレード(と言ったか、接触面)と切断したケーブルとをテスターであたったが異常なし、ということは、過去何度かつないだ場所の半田でもとれたか。明日この面倒な作業をやってみるか。それからライブカメラ用のカメラも探さんといかんなあ。
 
 晩メシ。昨日作りすぎた我が家風さつま汁を今晩も。


令和元年10月10日(木)

 快晴、非常に天気が安定している、今朝も昨日と同じような朝の気温だった。
    最低気温 7.7℃ (05:44)、最高気温 19.6℃ (10:05)で止まっている、今日草を刈った時に、観測装置に触れてエラーが起きたようでその後の観測がストップしている。

 台風19号

 阿蘇中岳 割と大人しかった。(写真1写真2写真3
 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 今朝まだ気温が上がらないうちにハチウトの中をカメラで撮ってみた。どうもハチはウトの中に入ったばかりだったようだ、一日くらい前だろうか、数としてはまあまとまっているし、なによりも女王蜂がいるのは間違いない、いなければこんなにまとまらないと思う、それに活発に出入りを繰り返しているので、蜜を集める行動をとっているのだろう、花粉も持って帰ってきている。出入りが激しいわりに、巣の周りで不規則に飛び回っておらず整然と離発着を続けているので、ここに落ち着いたのは間違いないだろう、それに入ったばかりということはまだスムシも入っていないだろう、それが何よりだ、これから毎日スムシの点検を心がけよう。 
 ただ、入ったばかりの段階でカメラを突っ込んでフラッシュをパッパ、パッパと焚いたので、それがちょっと気がかりだ、どうか逃げ出さないでくれ。
 
 ライブカメラを再開しようと思って、カメラを繋いでみたが電源が入らない、電気はカメラのところまでは来ているので、カメラ内部での故障だろう、まだ屋根裏に動くやつがあると思うが探すのが面倒だなあ。
 
 スズメバチが時々飛んでくるので捕獲しようとして、もう七八回失敗している、なかなか網で捕まえられない、失敗しても絶対に攻撃はしてこない、あくまで、スズメバチにとってはアウェイになるので、ただ逃げるだけだ、そして10分ほどするとまた戻ってくる、どうも上手く捕まえられなかった、捕まえたらホイホイに載っけようと思っているのだが。

 小生のルーチン(観察)がひとつ増えてしまった

 床屋に行った。
 
 晩メシ。我が家風さつま汁など。


令和元年10月 9日(水)

 快晴、今朝は今の時期としては思いっきり冷え込んだ。そろそろストーブの準備をしなければならない、でも、煙突掃除もまだだ。
      最低気温 7.9℃ (06:22)、最高気温 22.3℃ (14:44)
 
 台風19号

 いつもは夜中に目が覚めるのは2時とか3時ころで、下手をすると1時ころにはもう目が覚めてしまう、一旦目が覚めると、もう寝られないし、計算すると4時間くらいは寝ているので、もし昼間眠くなったらその時に寝ればいいとそのまま起きてしまうことが多い。ところが今朝は、眼が覚めて、尿意を催さないのでまだ1時ころかなと思って時計を見ると4時半を過ぎていた、今日は睡眠時間が十分過ぎるくらいだった、こういうこともあるんだ。

 本日のトップニュース・・・・・・・・・・ニホンミツバチが帰ってきたぞ~ (後述)

 阿蘇中岳 ちょっとだけだったが。
 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 家族が全員出かけてから、気温も高くなく、お日柄もおよろしいようで、ということで草を刈ることにした。家の入口付近の草を刈ってから前の畑の周囲の草刈りに移った(中心部はあるていど鋤いてある)、この場所にレンゲの種を蒔きたいと思っているので、その前に畑をもう少しきれいにしておこうと思ったのだ。薪材の集積場所の草刈りも急がれるが、とにかく畑の周りの草刈りが最初だなと取り掛かった。
 
 そしてハチウトを覆い隠すように生えている草のあたりを刈っていくと、なにやら、こまかなハエのようなものがウトを出入りしている、まさかと思って近寄ってみると、なんとなんとニホンミツバチだ、今の時期はもうあまり黄色くないので最初はハチだとは思わなかった。(写真1写真2
 
 とうとう入ってくれた、帰ってきてくれた(文学的表現だ)、何年ぶりだろう(あとで調べたら丸二年ぶりだった)、このハチウトが置いてある場所は、数年前に我が家に初めてハチが自然に入ってくれた場所だ、いくつか代は変わって今は別のハチウトだが、今回も、また自然にこの場所に入ってくれた(他にもニ三箇所置いてある)。ここは我が家のニホンミツバチの聖地だな。あまりの嬉しさに冗談でなく思わず両手でハチたちに手を差し伸べそうになった、アブナイアブナイ。
 
 いつ入ったのだろうか、そんなに前ではないが、なにかのついでに覗いた時には居なかった、だから割と最近入ったのだろう、今の時期だから、おそらくスズメバチに追われて逃げ出してきたのだろう、オイオイもう間もなく冬だぞ、越冬できるのかと心配になってきた、一生懸命越冬用の蜜を貯めろ、また砂糖水をやることになるだろう、見ていると結構の数のハチが元気に出入りしている、今の時期はもうあまり花もない、セイタカアワダチソウくらいか、どのくらいの巣が出来ているのか中の様子を覗いてみたいが、小生自身今の所ちょっと興奮気味で落ち着いて見られない、それに、せっかく密かに営巣していたのに、バレてしまったかとハチ共も警戒するといけないので、今日のところはそっとしておこう、人間様は気がつかなかったが、スズメバチはどうだったのだろう、多分、気がついていないだろう、近くに熟した柿がたくさんあるからそちらのほうに目が行っているのかもしれない、今日を以てスズメバチとのDMZは解消となる、ウトに近づく以上は許さない。それから、スムシはどうだろうか、急にいろいろ心配になってきた、とりあえずのところ、今日はスズメバチ防御バリケードをつけていおいた。これも、以前小生が作ったやつがあったのだが、あまりに急で、探しても見つからない、一つ見つけたが、これは仕事が丁寧だから、じっちゃいが作ったやつだろう、これを取り付けておいた。ああ、嬉しい、こんな時に悪いけど、台風がこちらにこなくてよかった。今日の草刈りはもう中止!
 
 太郎が帰ってきてからウトのところにいってみると早速スズメバチがやってきていた、開放的になってよく見えるようになったからだろう、網で捕らえてホイホイに載せようと思って網を取りに行っている間に、太郎が言うには、蜜蜂を一匹捕らえて飛んでいったと言っていた、ラグビーが始まるので、明日ホイホイを仕掛けることにした。早速ライブカメラを付けよう。 
 
 https://www.sankei.com/premium/news/191009/prm1910090001-n2.html 当麻寺の仁王像の顔にニホンミツバチが巣を作ったそうだ、いい場所をみつけたものだ。

 今朝、テレビ欄をみたらスコットランド対ロシアの試合が4時15分からある、太郎の学童迎えが今日は水泳教室なのでいつもよりも少し早く4時半ころになる、間に合わない、太郎!オマエ学童無しで直帰で歩いて帰ってこい!ウン、そうする。ということで、今日は学童ナシで太郎は直帰になった、なんという親だ。
 
 太郎、水泳教室。

 晩メシ、カレー。ラグビーが始まる前にすべて準備を終えておいた。

 うーん、スコットランドは強い!控えの選手ばかりであの力、選手層が厚いんだなあ、日本は敵わないかもしれないなあ。


令和元年10月 8日(火)

 台風19号

 朝外に出ると路面が濡れていた、明け方少し降ったようだ。少し風があって曇っていて、記録を見る限りそんなに気温が低かったわけではないが半袖のシャツだけだとちょっと肌寒かった。家に戻って手を洗う時に水道の水が温かく感じた、水道は年間を通じて大体一定だから相対的にそう感じるのだろう。
   最低気温 13.7℃ (但し19:59時点、夜になって下ってきている)、最高気温 20.6℃ (14:56)

 夜が明けるのが大分遅くなってきたせいもあるのか、天気が悪いせいなのか、57号線滝室坂の街路灯のオレンジ色の灯りが夜が明けきらずに消灯すること無く鮮やかに輝いていた、通学時間がだんだんそんな時間になりつつある。

 阿蘇中岳 今日は日中いなかったので分からないが、多分あまり噴煙は出ていなかったのではなかろうか。
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10
 
 (番外編 )子どもたちの一人がランドセルを振り回してたのだろう、ランドセルに付いていた防犯ブザーが草むらに落ちたけど、足元が深いところで取れないから取ってくれと小生を呼びに来て相当歩かされてその場所に行ってみると確かに草深い場所だった、小生が降りようとしたら、ボクが降りるというので、小生より身軽そうだから安全を確認して、水も流れていないし、危険性はないだろうと思って、男の子にまかせた、毎日立っているといろいろなことがある。
写真1写真2写真3写真4写真5写真6 )

 今日は映画を観に行ってきた、『ジョン・ウィック:パラベラム』、シリーズモノで徹底した娯楽作品で気分爽快というやつだ、面白かった。

 晩メシを作る時間が無くなったので、餃子を焼いてやった


令和元年10月 7日(月)

 今日は雲が多かった。低気圧が対馬海峡付近に発生している、そのせいだろう。
     最低気温 15.7℃ (06:11)、最高気温 24.7℃ (12:08)
 
  台風19号、なんとか九州を避けてくれそうだ、大方の予想はそうなっているようだ、今の天気図では分からないが、この天気図がもう少し先になると、大陸の高気圧が東に移動して、その高気圧の縁沿って右方向に曲がってくるのだろうか、いずれにしてもとにかくホッとした。こちらに来なければどこかで代わりに大きな被害を受けるところが出てくるわけだが、とてもそこまで思い遣る気持の余裕など無い、今はただ、ひたすらこちらに来ないでくれと思うだけだ。できればもっと右方向に曲がってくれると日本列島をかすめることができるが。今回の台風は、いや、「も」、か、猛烈な台風らしい。地球温暖化で年々台風が凶暴化している、多分今年はこれで終わりだろうが、これからも毎年毎年戦々恐々としないといけないのか。

 阿蘇中岳
 
 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9) 

 今年最後の草刈り(というほど頻繁にはやっていないが)をしようと思って、体慣らしのために小一時間ほど草を刈った。肉体的な慣らしでなくて、気持ちの上の慣らしだ。なかなかやる気が起きないので、ちょっとやり始めるとそれで気持ちのエンジンがかかるのではと思ってのことだ。
 
 今、玄関先の柿が鈴生りだ、年によって裏作と言ってあまり生らない年もある、またヘタムシにやられてほとんど落ちてしまうこともあるが今年はどういうわけだか沢山生っている。しかし甘柿だが誰も食べないから下に停めてあるトラックの荷台に熟したやつが毎日ボトボト落ちる、その柿を食べにスズメバチがたくさんやってくる、べつに巣のそばではないので攻撃はしてこない、適当に距離を置いて付き合っている、今日、ボンの水入れにスズメバチが落ちて半死状態だったので、今年もニホンミツバチが居ないので敵対関係にないから救ってやった。

 今日はカミさん、定期健康診断があったようで、休みをとって昼過ぎには帰ってきた。話を聞くと、要治療まではいかないが、要観察項目が結構多いようで、なんだオマエ、俺より早く死ぬぞと脅してやった。

 太郎、虎舞の練習日。カミさんがいるので、メシの支度も、送迎も小生はしなくて済んだ。


令和元年10月 6日(日)

 快晴
   最低気温 16.4℃ (02:59)、最高気温 23.7℃ (13:10)

 阿蘇中岳、午前中は静かだったようだったが、午後になってまたたくさんの噴煙が上がっていた、無尽蔵である。
 (写真1写真2写真3写真4

 台風19号、まだこの先の方向が出てこない、果たしてこのまままっすぐ進むのか、そろそろ右に曲がるコースをとるのか、これは猛烈に大きい。

 天気が良いので、稲刈りのあと始末、ロール作りが盛んである。(写真1写真2

 太郎とカミさんは週例のテニススクール、そして、今日は夏子は英検の試験があるからと、一緒にでかけていった、その後で映画、確か「蜜蜂と遠雷」だったと思うが、観て帰ると言っていたので日記を書いている時点ではまだ熊本にいるだろう。今日はラグビーWカップの試合が熊本でもある、道路が渋滞しているのではないだろうか。
 
 小生はのんびり、午後からラグビーのテレビ観戦、ニュージーランド対ナミビア。ワールドカップに出てくる国の選手は皆それほど体格に差があるわけでもないのに、ラグビーというスポーツは非常に複雑で頭とテクニックが要るものなんだなあとしみじみ感じる、あのニュージーランドの力は一体どこから出てくるのだろうか。

 そろそろ草を刈なねばと思いながらも、まだ屋外作業は暑いので、そして、もうそろそろ草々の成長も止まりかけていてこれ以上は伸びないだろうからと、もう少し涼しくなるまで屋外作業は「見合わせる」ことにした。



令和元年10月 5日(土)

 快晴
    最低気温 12.0℃ (06:41)、最高気温 26.1℃ (14:08)
    
 子どもたちの見守りに出た時には12℃くらいだった、ヒンヤリして身が引き締まるようだったが風がなかったので寒さは無かった。みるみるうちに霧が出て、その霧もすぐに晴れた、そして阿蘇中岳は今朝も勢いよく黒い噴煙を吐きだしていた。

 阿蘇中岳(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10) 

 定点撮影
 
 今日は、えっ?これでオシマイ?というくらい子供の数が少なかった、今日は、土曜授業の日だ、車で送ってもらう子、それと、確か高学年は宿泊授業で交流の家にいっている子や校外学習の子らもいるはずだ、それにしても、子供の数が少なかった、太郎とあと数名。写真撮って!というので、集合写真を撮ってやった、太郎は嫌がって写真に入らずに一人で先に行ってしまった。
 
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 余勢を駆って、昨日に続いて今日は夏子をインフルエンザのワクチン接種に連れて行った、今日は土曜で学校が休みで、古閑医院は午前中やっているのでちょうど良かった。夏子の年齢になると一回の接種で良いそうである。カミさんも出かけたついでにしてきたそうだ、彼女はいつもどこだろう、松見内科かな。これで今年は早々と家族全員の予防接種が終わった。
 
 ついでに、もしインフルに掛かったら、薬はなんになりますか、去年、ゾフルーザが出て非常に使い勝手が良かったですが、マスコミでいろいろと問題視されていましたが、だから、今年はもう使えませんか?と尋ねたところ、いや普通通り使えますよ、新薬が出ると必ず異常行動などが報告されます、タミフルの時もありました、ゾフルーザだからということではないので、今年も出しますよ、とのことであった。去年太郎はゾフルーザを使った、一回服用(それも医院で水をもらってその場で服用)するだけでいいので、非常に便利だった。夏子は他の医療機関でタミフルをだしてもらっていた。ということは子どもたちは二人ともインフルに罹ったのだったか。調べてみたら、夏子が先に罹って、遅れて太郎が罹ったのだった、それも昨年でなくて今年に入ってからだった、後から罹った太郎のゾフルーザを知って、夏子が羨ましがっていた。小生は記憶にある限りインフルエンザにはまだ罹ったことがないのでその苦しみはわからない。

 うーん、どうとでも取れるな、この先を早く知りたい。以前は秋台風は九州には来ないことになっていたが、最近は温暖化で10月に入っても来るからなあ。JTWCはこうなっているが、これだってまだ全くわからない。

ラグビー中継、今日は夜の日本対サモアだけかと思っていたら、4時からもあった、ただ時間の読み違いで、前の試合を見てから風呂に行ってという目論見が外れて、イングランド対アルゼンチンが終わらないうちに風呂に行かなければならないかなと思っていたら、太郎が、お父さん家の風呂に入ればいいじゃん、なるほど、そうだった、ならば、別に風呂に入ることもないなと、今日は風呂をやめた。

 ああ、痺れた、前半は細かミスが多くて、リードしていてもあまり気分は良くなかったが、最後はやってくれた。3連勝してもまだ決勝トーナメント進出は決まらない、他チームの成績如何だ。


令和元年10月 4日(金)

 晴れ。
  最低気温 18.9℃ (05:13)、最高気温 26.3℃ (14:41)

 阿蘇中岳(写真1写真2
 
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 そのうちそのうちで毎年最後はあわててインフルエンザのワクチンを打ちに行くことになるが、新聞によると今年は流行期に入るのが早いそうで、聞くところによると山の下ではもう学級閉鎖になったところもあるそうである、というわけで、今日思い立って古閑医院でインフルのワクチンを打ってきた、市の補助金があるので1,200円也だった。
 
 ワクチンを打つついでに一ヶ月間測った血圧の記録を持っていって診てもらった、できればもう少し低いほうが良いですが、まあ、良いでしょうとのことで、特に治療の必要な無いそうである。

 小生が打ったついでに、太郎も学童が終わった足で、今日連れて行った。アイツは臆病者なので事前に行くことを教えておくと結構緊張するので、今日抜き打ちで連れて行った。先生が注射をしようとすると必死で逃げようとする、本当に見ていていやになる、三年生にもなって、どうしてこうなんだろう、オイ、太郎の年齢だともう一回あるんだぞ。

 夏子も、学校の時間をみてなるべく早く連れて行こうと思うが、結構毎日遅くまでやっているのでタイミングを合わせるのが難しそうだ。予め予約をする医療機関もあるようだが、今年は在庫は心配ないので予約無しでいつでも結構ですとのことであった。
 
 時々、「坂梨村是」のことを書いている、そのなかに「親書、葉書」の記録はあるが、電話や電報の記録はないので調べてみた。
 そして、「阿蘇郡誌」という大正時代に編された言わば阿蘇一帯のことを記述した歴史書のような書籍があり、そのなかに、郵便局の項があって、そこにデータが見つかった。

 「坂梨村是」の頃(明治35年頃だが)、坂梨には郵便局はなかった、宮地に本局があった。坂梨の人はそこまで行ったのだろう、なんの、今の坂梨の子らが通学するくらいの距離だ。

 宮地では郵便は明治7年に始まっている。そして電話は大正12年だ(だから坂梨村是のころにはまだ無い)、そして小生が一番興味がある、電報、つまり電信であるが、電話よりやるか前、明治28年に業務が開始されている。嬉しいことに電信は「欧文」と「和文」とちゃんと分けて書いてある、つまり欧文モールスと和文モールスである。坂梨村是には既に電信が始まっていても記録がないということは坂梨の人が電報を打つ用件が無かったのだろう。電報を打つにはそれを受ける人が居て初めてなりたつので電報を打たなければならない人が遠地にいなかったということなのだろうか。明治十年の役の時には軍用の電信はすでにあったが、民生用に敷かれたのはさらに20年くらい後だということだ。

 ついでに、坂梨にあった大山寺のことが阿蘇郡誌にもある、大山寺は調べてみると青竜寺と同じように、阿蘇神社の神護寺だったそうで寺領を有していたために檀家がいなかったそうで、従って廃寺後、地元の記憶が薄いのではと小生は思っているのだが、往時には西巌殿寺と比するくらい威容を誇っていたようで、場所が正確には特定出来ていないが、七ケ寺をまとめて大山寺にしたとある、どの辺だろう、馬場村の上の方、高城があった鬼塚に抜ける谷あい、あるいは八反田あたりの斜面にあったのだろうか・・・・・・

 郷土史をやりはじめるとこれはもう際限がなくなる、小生は、たまたまついでにやっているだけだから、これにのめり込むわけにいかない。 

 晩メシ、クリご飯、厚揚げ豆腐と小松菜の煮浸し、出汁巻き卵などなど。クリを剥くのがとにかく大変で、もうやるまいと思っていたが、今年はこれが最後ということでもう一回炊いた。

 明日は日本が出るラグビーがある、テレビはやるだろう。小生は悲観論者だから、そうそう上手くはいかんだろう、と思っている、そう思って観たほうがいいと思っている。

 昨日の行方不明者報、今朝の新聞に載っていた、数日前に黒川で身元不明の遺体があがったが、その人だったようだ、何があったのだろうか。


令和元年10月 3日(木)

 曇のち午後から雨模様、これは台風18号の余波になるのか、今日は結構風が強かった、オマケに風向きが南西の風で阿蘇谷の坂梨方面に噴煙が流れていた、特に山麓にはここからみていても黄色くなるほどの噴煙が覆っていた(写真1写真2)、噴煙が高く上がる時は風にのって我が家方向まで飛んでくるが、噴煙があまり上がらず特に山肌を這うように下ってくる場合は麓付近は大変である。幸いに日記を書いている時点では我が家は少し車のウインドウが汚れる程度でヨナの被害は無かった。
    最低気温 20.8℃ (18:32)、最高気温 25.1℃ (12:25)

 阿蘇中岳(写真1写真2写真3
 定点撮影
 登校風景 噴煙がこちら側に流れていて空が黄色く濁っていた、かと思うと、登校時間帯に虹が出ていた
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10写真11

 台風18号は今日温帯低気圧に変わった。以前は熱帯地方で生まれた低気圧が成長して台風になって、やがてその勢力が弱まって温帯地域で格下げされて温帯低気圧になると思っていた。ところが調べてみると、温帯地域で勢力が弱くなるから温帯低気圧というのではなく温帯低気圧は熱低、台風と構造が全く違うそうである。だから、温帯地方で台風が弱くなっても熱帯低気圧のままの場合もあるそうである。では、何が違うかと言うと、熱帯低気圧は周知のように「渦」であり、それに対して温帯低気圧は、温暖前線と寒冷前線とがぶつかり合って出来るものだそうである。今回は台風18号が温帯低気圧に変わったと言うので天気図を見ると、確かに温暖前線と寒冷前線がぶつかり合っているのが分かる。

 もう一月以上になるのか、市内の82歳のご婦人が行方不明になってから、警察・消防団を始めとして大勢の人でずいぶん探したが見つからなかった、そして今日、防災無線で発見されたという放送が流れた、発見報には、「無事に」という言葉が頭に付く場合と付かない場合の二通りがあるが、今回は無事では無かったのだろう、あれほど探して見つからなかった、どこで発見されたのだろうか。

 ボンにフィラリア予防薬をやった、これで今年は最後になる(5/5)。

 晩メシ、野菜たっぷり牛肉の甘酢あんかけ


令和元年10月 2日(水)

 曇り、夕方近く弱い雨が降ったが、その雨も降ったりやんだりだった。恐らく台風18号の遠い影響だろう、その台風18号は知らない間に弱くなって朝鮮半島に向かっているようだ。
    最低気温 21.9℃ (02:09)、最高気温 26.4℃ (11:16)

 阿蘇中岳
 
 定点撮影 
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7) 

 午後1時半から3時ころまで、国道57号線滝室坂トンネル坂梨口の工事現場見学会があった。おそらく今までも、またこの先も何回かこのような企画はあるのだろうが、今日は声がかかったので出かけてきた。小人数の見学会かと思っていたら、周辺の各集落からもたくさんの参加者があった、皆さん知った顔ぶればかりだった。

 現場区域に入ると、外からではわからないようないろいろな設備が作られていてまるで大きな工場のようであった、さすが国の事業だ。最初に工事の概要や工法について細かな説明があり、そのあと実際にトンネルに入って掘削現場を見学した。片道一車線往復二車線のトンネルにしては非常に広いトンネルで、普通は幅7mくらいのところを中央分離帯などを作る関係もあった12mとってあるとのことで、この本坑とは別に隣に避難用トンネルも平行に作られて、火災の時の避難路になったり、緊急車両が通ったりするそうである。

 普通は掘った土砂はその場でトラックに積んで運搬するが、地元住民に配慮して(それだけ民家が近くにある)、どんどん掘り進んで行きながら、土砂は全部ベルトコンベアで土砂の堆積建物まで運んで、そこから工事専用道路を使って運搬するということだが、その工事専用道路の完成まもう少し先になるということであった。またハッパで岩盤を掘る作業があるので、騒音が外にもれないように普段はトンネルの入口は厚い防音扉で塞いであるそうである。

 阿蘇山は火山で地質が複雑なので、難しい工事だそうで、普通の地盤のところは掘った後にコンクリートを吹き付けて、さらに数メートルの長いロッドを山地に放射状に打ち込むそうであるが、山地が悪いところは、更に1m間隔でアーチ型のH鋼で抑えてロッドを打ち込むそうである、もっと悪い場所は床面にも補強材を埋め込んで、言わば円筒の補強構造にするということで、阿蘇は長い年月でいろいろな堆積層からなっているので、土と相談しながら慎重に工事を進めているということであった。上手く行って一日に4mくらい掘り進めることが出来るそうだが、完成はいつなんだろう、小生は生きていてももう運転はいていないのではないだろうか、そんなに先ではないだろうか。なかなか貴重な見学会だった。

 国道57号線 滝室坂トンネル 坂梨口 現場見学会  連続写真(1/3)
 国道57号線 滝室坂トンネル 坂梨口 現場見学会  連続写真(2/3)
 
国道57号線 滝室坂トンネル 坂梨口 現場見学会  連続写真(3/3) 
 
 太郎、水泳教室
 
 夏子、部活終了時に太郎のプール迎えの時間に合わせてカエルコールがあったので小生が高校によって車で拾って帰ってくる、特に遠回りをする必要は無い位置関係だ。
 
 晩メシ、カレー
 
 
令和元年10月 1日(火)

 くもり
   最低気温 18.9℃ (06:23)、最高気温 23.8℃ (14:59)

 台風18号、どんどん勢力が弱くなっているようで、ここはもう大丈夫だろう。  
 
 定点撮影 
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10)  

 年度末ほどの大変さは無いが、昨日は上半期末だったのか、もう無縁になって長い年月が経っているので今日まで全く気が付かなかった。

 今日は更衣でもある、朝、太郎に冬用の通学服にするか?と訊いたら、まだ暑いけんいい、と言って昨日までと同じ服装で登校していった。と言っても夏服冬服の違い、それほど顕著な変化があるわけではない。

 みやはらに買い出しに行った、毎月一日は全品二割引きの安売り日だが、思ったより人出が少ない、レジの人にそのことを言ったら、そうですね、かえって昨日のほうが普段よりお客さんが多かったですよ、食料品ばかりの店だから、軽減税率で変わらないのになんとなく心理的に買い急ぎをしたみたいですね、それに先日、二割引きとは別に安売りイベントをやったばかりですしね、とのことだった。

 太郎の小学校、先日、天候不良で、運動会が午前中で終わった、当初のプログラムにあった全校リレー大会がこのために中止になったので、今日改めて、授業時間中に行われた。メールで保護者に案内があったので、応援に行ってきた。
 
 二時間目が終わった九時半ころから始まってちょうど一時間で終わった。全校リレーだと聞いていたので、一年生から六年生までが各団に分かれて競うのかと思ったら、学年別だった。全員でやれば面白いだろうにと思った。だだっ広い運動場で子どもたちの姿を捉えるのは本当に難しい。しかも、一周のグランウドを何箇所かに分けてリレーポイントを作るので、どこで待ち構えていればいいのかさっぱり分からず、アッと言う間に知った顔が走り抜けてほとんどシャッターを押しそこなった。スポーツ中継などでカメラマンが構えている大口径の大砲のようなズームレンズカメラがあれば良いが小生のカメラ程度では全く歯が立たない。

 適当に撮りまくった枚数が50枚ほどあった、坂梨小学校時代と違ってほとんど顔を知らない子ばかりだ、どれを載せてどれを削ってと考えるのが難しいので、全部載せた。
 一の宮小学校 全員リレー大会 連続写真 (1/5)
 一の宮小学校 全員リレー大会 連続写真 (2/5)
 一の宮小学校 全員リレー大会 連続写真 (3/5)
 一の宮小学校 全員リレー大会 連続写真 (4/5)
 一の宮小学校 全員リレー大会 連続写真 (5/5)


 晩メシ、夏子のリクエストで柳川もどきなど。



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