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令和己亥(2019) 元年 8月の記録 (新しい日付けの順)
令和元年 8月31日(土)
線状降水帯とまではいかなくても弱い雨雲の帯が熊本にかかり終日弱い雨が降ったりやんだりしていた。それに今日までまだ8月だというのにまるで秋のような長雨と低めの気温でなんとも心細くなるような気持ちになる。もうずっとまともに太陽が出ずにコメも必要とする最後の仕上げの日照が不足するのではと心配になる。
最低気温 18.2℃ (18:07)、最高気温 21.9℃ (13:04)
雨が降って山が見えない時には噴煙が出ているのかどうか分からないが、今日あたりも、しっかりと噴煙が出続けていて今日は真西から真東に流れていたので、こちら方面は問題なかった。
お父さん、スズメバチがまた来とるばい、と娘が言うので見るとたしかに閉塞に使っているプラスチック板のところから中を窺うように飛び回っている。うーん、これ逃げ出したやつじゃないだろう、助けにきたのだろうか。
スズメバチを捕まえてホイホイに載せておくと、どういうわけだか飛んできたスズメバチが、次々にホイホイにくっついていくのだ。これは一体どうしてなんだろうと思いながらも調べたことはない。縄張り争いで襲ってくるのか、仲間の難儀を救おうとして飛んでくるのか。スズメバチの羽音が立てる独特の周波数があってそれで仲間とコミュニケーションをとるのだろうか、今回はどうなんだろう、いつまでも窓の周辺で飛び回らせるわけにいかないので捕獲してホイホイの上に置いておいたが今日は雨も降っていて新たには飛んでこなかった。
朝一番で太郎と母親が、振替のテニスレッスンに出かけて、一旦昼前に帰ってきて、こんどは夏子も乗ってまた三人で熊本方面に出かけていった。夏子の月イチのピアノのレッスンがあり、太郎の副鼻腔炎の薬を貰うためだ。そして夕方には帰ってきた。
○
令和元年 8月30日(金)
曇り。時々思い出したようにパラッと降っていた。
最低気温 20.7℃ (但し20:00現在、なお降下中))、最高気温 25.4℃ (12:07)
定点撮影
登校風景 今日は太郎ともう一班だけだったなあ。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)。
二三日前から近くの町内で行方不明になっている高齢者の捜索でパトカーや消防団の消防車が赤灯を点滅させながら一日中用水路や川沿いを回っていた。だいたいは、無事であったかそうでなかったかは別にして、すぐに見つかることがほとんどなのに今回のケースは珍しいことである。(写真1・写真2)
従姪孫の駿は阿蘇での畜産業の実習の後、長崎や祖父方の親戚がある佐賀方面を旅行して、昨夜遅く無事に家に帰ってきたと電話があった。長崎、佐賀では今回の大雨に遭ったようで、これも貴重な経験だろう、一回り成長して帰ってきたことだろう。
昨夜ハチウトに閉じ込めたスズメバチの様子をみてみた。透明のプラスチック板を通して二匹は確認した。少なくとも女王蜂だけでは無いということが分かった、箱の中の方はどうなっているのだろうか、もう小さな巣が出来て蜂の子がいるのだろうか、今日見た二匹は共に働き蜂だろうか、たった二匹だけなのだろうか。兵糧攻めをしているわけだが、エサが全くなければそんなに長くは生きていられないだろうが、巣が出来ていたら巣を食べて、また蜂の子を食べてかなり長い期間生きているのだろう、うっかり中を覗くことは出来ない。
今月の始めころ行われた住民健診の結果が郵便で送られてきた。封印された要再検査の医療機関向けの書状が二通も入っていた。
健康で当たり前と思っているので二通も要検査紹介状が入っているとヒザが痛かったりとちょっと体にガタが来ている小生にとっては一大事、非常に気になる。
今回の健康診断での血圧測定がめちゃくちゃ高かった。一定値以上の血圧が出たので住民健診で自動的に眼底検査を受けさせられたが、眼底検査の結果、なにか重要異常があったのだろうか。
さっそく、内牧の小野医院に行って診てもらった。再検査の理由に黄斑部異常と書いてあったが、視力検査から始まって、視野角度の検査、眼底の再検査まで丁寧にやってくれて、結果は、まあ、左眼に白内障の症状が年相応に若干あるが(右眼は数年前に手術済み)日常生活に不便がなければ今は別に何もしなくていい、緑内障検査もOK、眼鏡の度数も今のままでいい、と無罪放免だった。
眼底検査は体の血管の状態を切開しなくても直接見られる窓口のようなものだと聞いていたので、やっぱり血圧が高かったことと関係があったのかと思ったが、今回の要再検査はどうも血圧が高いということとは関係がなかったようだ。
検査のために瞳孔拡散目薬をしたので眩い(まばゆい)中をちょうどサングラスが車のなかにあったので、運転して帰ってこられた。
そして夕方から古閑医院にもう一通の紹介状を持っていった。何事が書いてあるのかと思ったら、要は血圧が高いというだこのことだった。ここのところ、確かに血圧が高いようだ、原因の一つに、後期高齢者になるとメタボ健診はやらないということで、それまで続けてきた体重維持の緊張感がなくなってかなり自堕落に食生活を送ってきた、体重が昨年よりも数キロ増えている、おそらくこれだろうと思うが、血圧は何も食べ物だけでなくていろいろな要因で上がるらしい、ストレスも原因するらしい。健診結果で血圧が高いからと言ってすぐに降下剤というようなことは無いそうで、しばらく、朝晩の血圧の記録をとって、且つ、食生活に注意をするということで今日は帰ってきた。
晩飯。豚肉のムニエル、揚げ出し豆腐などなど。
令和元年 8月30日(金)
曇り。時々思い出したようにパラッと降っていた。
最低気温 20.7℃ (但し20:00現在、なお降下中))、最高気温 25.4℃ (12:07)
登校風景 今日は太郎ともう一班だけだったなあ。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)。
二三日前から近くの町内で行方不明になっている高齢者の捜索でパトカーや消防団の消防車が赤灯を点滅させながら一日中用水路や川沿いを回っていた。だいたいは、無事であったかそうでなかったかは別にして、すぐに見つかることがほとんどなのに今回のケースは珍しいことである。
従姪孫の駿は阿蘇での畜産業の実習の後、長崎や祖父方の親戚がある佐賀方面を旅行して、昨夜遅く無事に家に帰ってきたと電話があった。長崎、佐賀では今回の大雨に遭ったようで、これも貴重な経験だろう、一回り成長して帰ってきたことだろう。
今月の始めころ行われた住民健診の結果が郵便で送られてきた。封印された要再検査の医療機関向けの書状が二通も入っていた。
健康で当たり前と思っているので二通も要検査紹介状が入っているとヒザが痛かったりとちょっと体にガタが来ている小生にとっては一大事、非常に気になる。
今回の健康診断での血圧測定がめちゃくちゃ高かった。一定値以上の血圧が出たので住民健診で自動的に眼底検査を受けさせられたが、眼底検査の結果、なにか重要異常があったのだろうか。
さっそく、内牧の小野医院に行って診てもらった。再検査の理由に黄斑部異常と書いてあったが、視力検査から始まって、視野角度の検査、眼底の再検査まで丁寧にやってくれて、結果は、まあ、左眼に白内障の症状が年相応に若干あるが(右眼は数年前に手術済み)日常生活に不便がなければ今は別に何もしなくていい、緑内障検査もOK、眼鏡の度数も今のままでいい、と無罪放免だった。
眼底検査は体の血管の状態を切開しなくても直接見られる窓口のようなものだと聞いていたので、やっぱり血圧が高かったことと関係があったのかと思ったが、今回の要再検査はどうも血圧が高いということとは関係がなかったようだ。
検査のために瞳孔拡散目薬をしたので眩い(まばゆい)中をちょうどサングラスが車のなかにあったので、運転して帰ってこられた。
そして夕方から古閑医院にもう一通の紹介状を持っていった。何事が書いてあるのかと思ったら、要は血圧が高いというだこのことだった。ここのところ、確かに血圧が高いようだ、原因の一つに、後期高齢者になるとメタボ健診はやらないということで、それまで続けてきた体重維持の緊張感がなくなってかなり自堕落に食生活を送ってきた、体重が昨年よりも数キロ増えている、おそらくこれだろうと思うが、血圧は何も食べ物だけでなくていろいろな要因で上がるらしい、ストレスも原因するらしい。健診結果で血圧が高いからと言ってすぐに降下剤というようなことは無いそうで、しばらく、朝晩の血圧の記録をとって、且つ、食生活に注意をするということで今日は帰ってきた。
晩飯。豚肉のムニエル、揚げ出し豆腐などなど。
令和元年 8月29日(木)
九州北部に降り続いていた大雨、ようやく終息に向かって、今日は降ってはいたが昨日のような雨ではなくなっていた、ここも、ちょっとは降ったが久しぶりに太陽も覗いていた。それでも今晩はまた北に上がった前線が南下して大雨になるという予報が出ている。
夕方見ると、阿蘇中岳の噴煙が相変わらず仙酔峡側に流れ下っているのが見えた。
最低気温 22.7℃ (05:09)、最高気温 25.4℃ (12:01)
定点観測
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)。
夏子は今日から二学期が始まった。
しばらく前から、時々ベランダの隅に置いてあるハチウトにスズメバチが出入りしている。ここのところに来てその出入りが以前より増えている。ニホンミツバチ用に置いてあるハチウトにスズメバチが巣を作っているのだ。そのうちにやっつけようと思いながらついつい忘れていた、中がどうなっているのかミツバチなら覗けるがスズメバチではな。
スズメバチはアウェイの場合は別に怖くないが、今回の場合はホームになる、うっかり確かめられない。いずれ箱いっぱいにスズメバチが育つのだろうが、生態を知らないから、今がどういう状況なのかわからない、女王蜂が今の所小さな巣を作りながら卵を生んで、それが孵って働き蜂になってそれらが巣をどんどん大きくしていくのだろうか、手遅れにならないうちに今夜暗くなって作戦を決行することにした。
スズメバチにとって、しっかりした箱でミツバチはいないので下の方は広く開けてある、雨があたらず巣をつくるには最高の環境だろう、ただ、出入り口はたったの一箇所というのが、致命的な欠陥だ、出入り口を抑えてしまえば完全な旅順港だ。
それでも、万一、裏の方に出入り口でもあって、無防備な状態で閉塞作戦を行って逆襲されるかもしれないので、第一撃だけは避けられるように最低限の防備をしてから出入り口を抑えておいた。透明のプラスチック板で抑えてあるので、明日、明るくなってから状況を確認することにした。
昨夕はカミさんがカレーを作ったが、ちょと作り過ぎで、朝昼と食べてもまだ余っている。またカレーというのも勘弁してくれだが、食べないとなくならないから、トンカツを揚げてカツカレーにした。
二三日前に作ったコンポート、子どもたちがもう無いのかというので、またリンゴを買ってきて作ってやった。
最近、ハムなどを売っているコーナーでサラダチキンという食べ物を売っている、だからあるのは知っていたが、チキンとサラダとが結びつかず、手にとって見たこともなかった。それをどう気が向いたのか、一つ買ってきてどんなものなのか食べてみた。要は鶏の胸肉を薄味で味付けしたもので、いろいろなものに使えるよ、サラダなんかと混ぜてもいいよ、ということで名前がついたのだろう、結構美味い、からクチで食べてもおやつ代わりになる。せいぜい使うことにしよう。
○
令和元年 8月28日(水)
朝起きると、北部九州が大雨特別警報で大騒動になっていた、昨日からずっと降り続いている。ここは線状降水帯からすこし外れているので、猛烈な雨ではないがずっと降っていたが昼をすぎるくらいからようやく雨も上がる方向に変わっていった。
台風でも無し、梅雨末期でもなし、秋雨前線でこんなに大雨が降るなんて。
それでもここでは本日午前0時から20時までの雨量は19.8 mm
降り始めての連続雨量、ちょうど一週間になるのだろう、172.5 mm程度だった。
線状降水帯のほんの少しのズレで助かった。
一時風が強かった、10m以上の風が吹いていた。
最低気温 21.4℃ (02:23)、最高気温 24.6℃ (13:00)
定点撮影
子どもたちの通学時間帯、流石に今日は誰も歩いてこなかった。太郎を小生がいつも立っている橋のたもとまで軽トラックに乗せていって誰か歩いてきたらそこから一緒に歩かせるつもりだったが、誰もこないし、横殴りの雨なので、特別の温情を以て、学校まで送っていった。
カミさんは定期通院なんだろう、仕事を休んで熊本市内の病院まで行って、早く終わった帰ってきたので、小生の賄い方は無し。
太郎は水泳教室。プールも夏の間は一般客での稼ぎ時で教室も休みだったが、今日からまた再開された。
和文モールス、符号を覚えるときよりも今頃になって苦労している。瞬発力が衰えているので、分かっていても頭の中でなかなか変換ができない。20wpmでも(と言っても実戦では遅いほうだろうが)分かるのだが、瞬間変換ができないので、すぐに取りこぼす、だからwordとwordの間隔を開けてやるとなんとか大丈夫だ、モールスはwordの速度よりスペースなんだな。
令和元年 8月27日(火)
今日もよく降った、特に、九州の北部、長崎から佐賀、福岡にかけて一日中強い雨雲がかかっていた(朝の雨雲 夕方の雨雲)、この地はそれらの雨雲の端のほうがかかって、強く降ったりすることもあったが、大雨が降り続くということはなかった。
最低気温 20.7℃ (01:53)、最高気温 22.7℃ (16:16)
日が落ちてもう写真は撮れないころになって、雨が上がった山を見ると、噴煙が山肌を這うように麓の方に広がっているのが見えた、今は風向きがこちら方向なのだ。明日の朝辺り車がまた汚れていることだろう。
「大阿蘇のヨナ降る谷に親の親も その子の孫も住みつぐらしき」佐佐木信綱
定点撮影 レンズフィルターに付いた雨粒にピントが合ったしまった・・・・・その代わり
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)。
昨日、今日と夏子が脇目もふらずに机に向かっていた、いよいよ心を入れ替えたか?と訊くと、宿題!だそうだ、どうもおかしいと思った。確か夏休みは明日いっぱいだったはずだ。
晩飯。麻婆豆腐、それから、小アジが目についたので、南蛮漬けを作った、また、りんごの小さなやつが袋に入って売っていたのでついでにコンポートも作った。
令和元年 8月26日(月)
ここのところ毎日良く降るなあというくらい降る、梅雨時よりも降っている感じがする、娘が梅雨入りは宣言はするのに(同じように前線の停滞なのに)秋雨入り宣言せんと?と言っていたが確かにそうだなあ。
最低気温 16.9℃ (05:43)、最高気温 23.3℃ (17:30)
定点撮影
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
寒冷地の阿蘇、下界と比べて一足早く小中学校は今日から学校が始まった(高校はもう少し後のようだが)、小生の朝の登校見守りもまた始まった。ずいぶん久しぶりなので朝起きて飯を食って服装を整えて・・・・指定場所にいって、時計を取り付けて・・・などの一連の手順を忘れてしまって少し慌てた。いつもの場所に着くとまずその日の阿蘇山の定点撮影をするのだが、それを忘れて、大分経ってから思い出してシャッターを切った。子どもたちもだいたいいつも決まった登校班の順番でなくてバラバラだった。「宿題終わったかな、さあ今日からまた楽しい学校が始まるねえ」と、本当は子どもたちの気持ちを知っていながら声をかけると、複雑な笑いを浮かべて通過する子、「地獄が始まりまあす」と言いながら通り過ぎるこどもたち・・・などなど、小生の大昔を思い出す。
今日の下界に比べての少し早めの二学期の始まり、阿蘇が寒冷地だからと思っていたが、午後のニュースで、今年の5月の大型連休が10連休になったので、決められた教科が消化できなかったから(と放送で言っていたような気がするが)下界の暑い熊本市でも今日から授業が開始したということだった。休みが増えた分、全体的な授業時間数が減ったのかと思っていたら、「朝三暮四」だったのか。それとは別に、英語などの授業が増えたりで全国的に夏休みが短くなる傾向があるようだ。
夏休みでしばらく子どもたちの登校風景をみない間に田んぼはすっかり黄色く色づいていた。季節が確実に移っている。スーパーでは産地を変えていつも同じような形のトマトが並んでいるが、地元の野菜を売る「四季彩いちのみや」に並ぶトマトは(きれいなものは市場に行くのだろうが)確実にピークが過ぎているのがよくわかる、形が小さくなって不揃いのものが増えている。
ネットの記事を読んでいて、思わず、ウソだろうと思った、「かな」の代わりにアルファベット入りのナンバープレートが最近ではあるんだ、もうだいぶん前からのようだ、小生はこのニュースは知らなかったし、まだ見たことがないから、にわかには信じられなかった。外交官ナンバーだとか「進駐軍」ナンバーなんかでアルファベットを使ったものがあったような気がするが。海外ではあるようだが、コールサインをナンバーに出来たらいいねと、昔、無線を始めた頃は思ったこともあったが、そんなことが別に不思議でも無い時代がくるかもしれない。最近では軽自動車でも白ナンバーが増えている。
今晩は太郎の虎舞の練習日だった、送っていくだけ小生が担当して、迎えはカミさんの予定だったが、カミさんが早く帰ってきたので両方ともカミさんに任せた。
虎舞の時はいつもより早めに夕食を食べさせなければならないが、どうも飯を作る気力が湧かないから、今晩は「焼きそば」を作ってごまかした。子どもたちはB級グルメのほうを喜ぶが。
令和元年 8月25日(日)
朝起きたとき、思わず、寒っぶ~という気温の低さ、なんとなく心細くなる。
今日も雨が残り、降ったり止んだりの一日だった。
最低気温 15.0℃ (02:51)、最高気温 22.3℃ (15:02)
おいおい又かよ、気象庁!全然停止してないぞ。(写真1・写真2)
先年の豪雨災害で流失倒壊した坂梨浄土寺の、その時一緒に流されて泥に埋まって掘り出されたご本尊の観音像が、新たに建立された観音堂に安置されて、今日一日だけ公開された。この観音像は60年に一度開帳される仏像で、次回の御開帳は2035年だそうだ、その間隙を縫っての今日の特別御開帳、次まで小生はとても生きてはいないだろうから拝観してきた。お堂は昔小生と馬場八幡の総代で一緒だった、そして今は福岡区の区長をされている市原憲治棟梁が建てられたそうだ。(流出前に浄土寺があった場所は写真5の砂防ダムの向こう側の赤い矢印付近)(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
H14.11.17の日記に、流出する前の浄土寺の訪問記があるが、たくさん写真を撮ったと思ったが、わずかしか載っていない、載せたのがこれだけで、どこかに「ネガ」があると思うのだが、これだけでは浄土寺(お堂)の全体の姿が全くわからない。それに、浄土寺を訪れた記憶はあるが、この日の催しのことは全く記憶にない、ここに来てすぐの頃だが、どんな昔でもだいたい覚えているものだが、まったく覚えていない。
今日は更にもう一件、阿蘇谷の中通地区に古墳群がある、そのなかにある九州で大きさで一ニを争う前方後円墳、「長目塚古墳」からの出土品の特別展示が阿蘇神社斎館であった。別に今回新たに発見されたわけではなくて、今回は発掘70周年を記念しての特別展である(写真1・写真2)。歴史好き、考古学好きの大勢の皆さんで賑わっていた。今回展示の副葬品などは「前方」の方墳部からのもので、ここからは人骨も出ており、この方墳よりも高貴な人が葬られれているだろうという円墳部分は未盗掘で、もし発掘調査が行われるならばもっと貴重なものが隠されているだろうということであるが、土中に埋まったままだと腐食するから早く掘ったほうがいいという考えと、下手に掘って空気や人の手に触れることによって腐食が進むので、埋もれたままのほうがいいという考えがあって、今の所発掘調査の計画は無いそうである。(写真1・写真2)
今日は阿蘇の歴史の一日だった、もうひとつ、坂梨にあった醫王山大山寺のことが大体わかってきた、あとはあった場所だ、「よかよか亭」あたりだということは分かっているがもう少しピンポイントで特定したいと思うが、これがなかなか難しそうだ。寺の土地が売買されたのはおそらく大正に入ってからだということは推定できるから、この時代にはもう登記制度は整備されているだろうから個人の戸籍とは違って、商業登記や不動産登記は人に知らしめるためにあるものだろうから、ゼンリン住宅地図のように一般公開してある公図のようなものがあって、それを見てこの辺り、と指してその土地の権利状態や移転の記録が見られないものかと思って司法書士どのに相談したが、地番が分かれば証明書を請求できるが、法務局のシステムでは地図からだいたいこんな場所というような逆の方法では探すことは出来ないそうだ。時が経てばどんどんわからなくなるので、今のうちに記録をなんとか残しておきたいと思うのだが。
令和元年 8月24日(土)
雨、ほとんど終日雨。
最低気温 19.4℃ (18:31)、最高気温 23.3℃ (10:15)
太郎たち年代は面白い、小学生の時は、いや、保育園時代からか、相手が学年が上でもナニナニ君と呼ぶ。一年坊主が六年生をナントカ君と呼ぶのである。呼ぶ方も呼ばれる方もそれで別に問題がない、ところが中学に進んだとたん一年でも上の生徒には、ナントカ先輩という呼び方に変わり敬語を使うようになる。同様に小生あたりに対する言葉遣いもタメ口から敬語に変わる、ずっと成長を見ているので面白い。というわけで、今の所は太郎からみると「駿君」である。
太郎はその駿くんが実習が終わって昨夜ようやく家に来てくれたので、遊んでもらうのを楽しみにしていた。絵を描いてもらう、ポケモン交換(だったか)をしてもらおう、などなど。しかし、その時間はわずか、昨夜は食事会からの帰りが遅かったし、今朝も、駿くんがちょっと寝坊したのでなかなか遊んでもらえない。
今日は夏子は予てから夏休みで帰ってきている友達と大分の別府にある遊園地(城島遊園地 http://www.kijimakogen-park.jp/ )に出かける、そして足が無いから当然母親の車でいく、そして、太郎も一緒に行くことになっていたが、駿くんと遊べないからと行って留守番をするといって家に残って駿くんに遊んでもらっていた。
ところが駿はこのあと九州旅行を計画していていつまでも我が家にいるわけにかない、昼過ぎのやまびこ号で発っていく事になった。だから太郎が駿くんと遊べるのは午前中だけということになった。
そこにカミさんから電話が入って、今娘たちと大分の遊園地にいるけど、今日は乗り放題状態だから、太郎がもし行きたいならこれから迎えに帰ると言う。おいおい、ここから大分までニ時間くらいかかるだろう、でも、そのくらいの距離はカミさんにとっては屁でもないらしい、じゃあ、ちょうど駿が帰るの頃になるのでそういうことにした。小生は今やそんな距離を簡単に往復するのはとても出来ない。
ということで、駿が出発する少し前にカミさんは帰ってきて、太郎とサヨウナラをして、小生が駿をバス停まで送っていった。その前に腹ごしらえをすることにして、最近、居酒屋「山頭火」の跡に出来たラーメン屋さんに寄って二人でちゃんぽんを食べた。実は駿がやってきたときもここで食べたのだが、非常に美味かったのでまた食べに寄ったのだ。ボリュームたっぷりで、リンガーハットのチャンポンよりも美味い、ところが店がで出来てまだ日が浅いので認知度が低くて、昼飯時なのに、誰もお客さんがいない。知られたら人気が出る店になるだろう。
8日間の畜産農家での実習を無事に終えて、駿は宮地駅前から午後1時5分の「やまびこ号」で次の目的地に向け去っていった。よほど居心地が良かったのだろう、未だ阿蘇に未練があるようだった、あと一月くらい居たかったと言っていた。この先、長崎方面を旅行してから横浜に帰ると言っていたがまだ具体的には決まっていないようだ、わずか一週間余りだったが大分逞しくなった気がする、いろいろな経験をするといい、これからの旅が無事であらんことを。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
今回は三野の井敬蔵さんご一家にはほんとうにお世話になった、家族同様にしていただいたそうだ、大学の方針では今回の実習の8日間のうち、一日は休養日にあてるようになっていたようだが、毎日が充実していてその必要は全く無かったそうだ、小生も間に入って良かったと思っている。
夏子たちは朝7時半ころ家を出て、夜7時頃になって帰途についたようだが、途中由布院温泉あたりで軌跡が止まっている、風呂にでも入って飯でも食っているのだろう、帰ってくるのは9時すぎだろう、小生はもうその時間は夢の中だ。
令和元年 8月23日(金)
終日雨、全国的に今日は雨だったようだ。
最低気温 22.3℃ (19:39)、最高気温 25.9℃ (13:47)
夏休み中のラジオ体操は明日から土・日と続くために休みで、月曜日からは寒冷地の阿蘇ではもう学校が始まる、ということで、本当なら今日が最後のラジオ体操の日だったが、あいにくの雨で中止となり、結局夏休みのラジオ体操は昨日で終わったことになる。
体操がなかったので、いつもの時間には駿の様子を見に行かず、太郎を学童に送ってから、その足で畜舎に行ってみたが、すでに一働きして朝食のために引き揚げたあとだった。今日が駿の実習の最終日なので、我が家での受け入れの都合があるので電話で今日の予定を尋ねたら、こんばんは井さんの家族の皆さんでお別れ食事会をしてくれるので、それが終わってから行くとのこと、何から何までお世話になってしまってと申し訳なく思い、じゃあ送り返す作業着などの荷物一式を取りに行こうかと言うと。食事会に行く途中に我が家に落としていくとのこと。
そんなわけで、日が落ちてから駿が荷物を積んだ車でやってきたので、井さんに今晩はどちらで?とお訊きしたら、奥さんや息子さん娘さんたちと下で落ち合うことになっていて、これから大津までいきますとのこと、小生はてっきり近くのお店でやるのかなと思っていたので、えっ大津までですかと言うと、なかなか家族が一緒に揃うこともないのでそれも兼ねて、とのことだったが、なんとお礼を申し上げたらいいやらで、出かけていく車を見送った。小生が起きている時間には戻ってこないだろうが、楽しい思い出を作っているだろう。
午前中、ちょっと出かけている間に、青竜寺の田中さんが青竜寺と大山寺に関する資料をポストに投函してくださっていた。昔坂梨にあった大山寺に関しては長い間不明だったことが一度に氷解するような有り難い資料だった。これは今度の小生の当番で是非発表させてただくことにしようと思う。
晩飯。キジ焼き丼
令和元年 8月22日(木)
晴れ。今日も噴煙が盛んで降灰も結構あった。朝起きると前日同様車に灰が積もっていたが昨日ほどではなかった、午前中は我が家方向に煙が流れていたが、灰の量は少なかった、夕方には風向きが真東ほうこうに変わり坂梨よりもっと南方向にずれておそらく波野あたりに灰が降ったのではないだろうか、ここはまだいい、いずれにしても山麓付近の別荘地域は今日の降灰からは全く逃れられなかったろう。無尽蔵に降灰が続いている、どのくらい吐き出せば気が済むのだろうか。(写真1・写真2・写真3・写真4)
最低気温 21.4℃ (04:15)、最高気温 27.7℃ (15:47)
ラジオ体操
今日も体操のあと、駿の様子を見に行ってきた。
駿は昨日は、熊本県家畜市場に見学に行ったそうだ、牧場主どのが所用で行けなかったので、同じ地区の畜産農家の人に連れて行ってもらったそうで、非常に勉強になったと言っていた。実習期間は残すところ今日と明日の二日になってしまった。さあ、あと二日頑張れば終わるぞ、ということでなくて、ああ、あと残り二日しか無くなってしまった、という心境のようだ。(写真1・写真2)
熊本県文化財保護協会という組織あって、今日は就業改善センターで阿蘇市文化財保護員に向けての研修会があった、それに阿蘇文化調査研究会も参加させてもらった。今日の研修の内容は「阿蘇神社の復旧について」というテーマで。熊本地震による阿蘇神社の楼門の倒壊、神殿の損傷に関して、実際に復旧工事をしている設計監理事務所長による工事の進捗状況や修復内容についての講演があった。非常に詳細な図面や破損箇所、修復方法などがたくさんのスライドにより説明があり、二時間ほどの講演だったが、興味深い内容であっという間の時間だった。
夏子とカミさん、夕方から熊本県立劇場に出かけた、演物はなんだろう、どこかの吹奏楽団かもしれない、聞いたような気もするが覚えていない、だから、今晩は太郎と二人飯。太郎の好物のとろろ汁を作った。あおり運転で捕まったあのバカモノ二人、隠れている間、コンビニで弁当を買っていたそうだが、自分で食事を作るという発想は無かったのか、小生には信じられん、作ったほうがなんぼか美味かろうに。
令和元年 8月21日(水)
晴れ、南西の風で昨夜からこのあたりもヨナが降った、朝起きると車がヨナで真っ黒になっていた、カミさんはホースの水で洗い流して出勤していった、日中はそれほどでもなかったが、夕方風呂に行ったとき、アゼリアは阿蘇山の麓なので車を停めて居る時間はそれほどでも無かったが結構灰がかかっていた、目がチリチリ痛かった、これが灰が目に入った時の痛さなのかと初めて知った。写真1・写真2・写真3
今日は予報通りの風向きだったが、明日も今日と同じような風向きのようだ、今の時期はずっとこうなのだろうか。
最低気温 23.0℃ (06:03)、最高気温 29.2℃ (14:03)
台風11号が発生した、予想通りにこのままこちらに曲がらないでくれるといいのだが。
ラジオ体操
ラジオ体操が終わって太郎と駿の様子を見に行った。今日は、阿蘇くまもと空港脇にある熊本県家畜市場で行われるセリに連れて行ってもうらうと言っていた。同じようにこの夏休みに全国の農場で実習をしている仲間たちがいると思うが、自分くらい短期間で密度の濃い実習をさせてもらうのは他にいないかもしれない、ほんとうに有り難いと言っていた。冗談交じりに大学辞めようかなあと言うくらい充実した毎日を送らせてもらっているようだ。(写真1・写真2)
昼前に病院に行ってヒザの湿布薬をもらってきた、この湿布薬は効くのだろう、まだ深部に痛みが残っているが、以前は階段の昇り降りが痛くて大変だったが今はもうあまり意識しなくて良くなってきており、かなり回復していると思う。
村の行事、「お大師さん、薬師さん、お地蔵さん」があった、妙法寺の庵主さんと村の女性達が村の野辺にある仏像を巡ってお経を上げる。大師像だけは公民館に一日だけ安置して、お参りをする、どういう謂れかは知らない。そして、当番のご婦人方が作ってくださった食事を老若男女問わず村の人たち全員が各自都合のいい時間に集まってお参りをしてからいただく、そういった行事である。我が家では、子どもたちが学校、学堂からそしてカミさんが仕事から帰ってきて6時前に食べに行った。
完全に精進だが、煮物がとても美味しい。ついでに今晩は小生の賄い当番をしなくて済む。
幼児、小学生のころの子どもたちがいつの間にか大きくなってしまって。夏子も小さな頃は一緒になって遊び回っていたのに、昔の仲間がいるのに、口を利かない、向こうも話しかけてこない。帰ってからそれを言うと、普段全く会わないから何を話せばいいかわからないと言う。そうなんだ、年寄ばかりが集まって飲み食いする会はあっても普段村の若者達が一同に会する機会が無い。村の過疎化、若者が村をでていく、こういったところにも原因があるのかもしれない、我々年寄りたちはこのことを考えなくてはならない。 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
○
令和元年 8月20日(火)
朝のうち少し降ったがたくさん降るという予報が外れて殆ど降らなかった、雨雲レーダーをみると西の方の天草あたりに北に伸びる強い雨雲が続いていた、ここはその雨雲のラインから少し外れていたために大雨にならずに済んだようだ。またぞろ台風が生まれかけている、11号になるのだろう。
最低気温 22.9℃ (00:00)、最高気温 27.5℃ (16:08)
また噴煙を出しはじめた阿蘇中岳、こちら方面にも煙が流れきていつのまにか灰が降って車が黒くなっていた。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5 )
ラジオ体操、今日は明らかに雨なので、自宅でやっても良かったのだが、いつものとおり公民館でやった、そういう天気だったので今朝も太郎だけだった。今朝は放送設備は持っていかずに、軽トラのラジオ放送でやった。普段でもこれでいいのだが、景気づけで大音量で流している。
ラジオ体操が終わって小雨降るなか、太郎と駿の様子を見に行ってきた。(写真1・写真2)
牛は朝と晩のニ回エサやりをするそうだ。昼間は、田んぼの仕事を手伝っていろいろなことを習っているとのこと、稲刈りにはまだちょっと早いから、畦切りなどの手伝いをしているのだろうと思って、刈払機はやらせてもらっているのかと訊くと、慣れないと危ないからまだやらせてもらっていないそうだ。牧場主どのは、理屈がわからないとアブナイから、もう少したらやらせてみますとのことだった。確かに、刈払機は下手をすると命取りになるような危険性はあるから気をつけなければならない。
昨夜は品評会の反省会の飲み会が古城地区であって、その集まりにも連れて行ってもらって畜産をやっている地域人と交流をさせてもらったそうだ、なかに大学で畜産を学んだ人も何人かいて付き合いを深めたとのことだった。今日は知り合いの畜産農家に牛の毛刈りの見学か実習に行くとのことだった。
駿が今実習でお世話になっている三野という場所は古城地区にあって、小生が住んで居る豆札というところは坂梨になる、そういった区域の中に沢山の集落、字、がある。外輪を時計に見立てて縦半分に切って、6時から3時までを坂梨地区とするならば、3時から0時までの間の山付が古城地区になる。ここ豆札は今は坂梨地区であるが、昔は古城地区の時代もあったそうだ。ちょうど3時位の場所に位置しているのだろう。
昼までに一時間ほどになった頃、突然思い立って図書館に出かけた。今回はいつものように読書用の本を探すのではなくて、資料を閲覧するためである。
来月、阿蘇文化調査研究会でまた小生の当番で坂梨を案内しなければならず、日頃の不勉強が祟って一生懸命にネタ探しをしている。そのネタの一つに関連する資料が図書館にあるのが分かったが、貸出不可の資料なので見に行ったのだ。(そしてその資料の実物をもとにネットで古書検索をかけて取り寄せることにした。この古書の代金が非常に価格差があって、一番高いものは12,000円もする、それを頭に様々な価格が付いたものがあるが、一番安い3,000円のものを注文した、みな同じものである)。
図書館で資料を閲覧して帰る途中に、もう昼だが、また急に思い立って、阿蘇神社の近くにある青龍寺を訪ねた。九州西国霊場十二番札所 金剛山 青龍寺である。昔は阿蘇神社の九電跡地にあったそうだが、今は、門前町の北の端を出たところにあるがお寺としては機能しておらず、民家の二階にご本尊の十一面観音像が安置してあって参拝者の求めに応じて玄関を開けてくれる。訪ねた時も鍵がかかっていて不在だったので電話をして離れた場所にお住まいのご当主に来ていただいて開けていただいた。ご開帳は一月の何日だったか、年に一日だけだそうだ。
それでどうして小生が急に青龍寺を訪ねたかと言うと、この青龍寺に縁のある或ることを調べるためである、このことについては整理して改めて書くつもりだが、とにかく非常に収穫があった。
今日は夏子の誕生日だった、全く忘れていた。カミさんはもちろん覚えていてケーキを注文してあった、小生は、彼女の好物の煮込みハンバーグを作ってやった。確か17歳になったのだろう、親の生年月日はよく覚えているが子どもたちの生年月日が全く覚えられない。最近夏子の顔が写った写真が殆どないが、ある人からなにか事情でもあるのかと尋ねられたことがある、いや年頃になると世間に晒されるのがイヤなんだそうで、そういうわけでなるべく顔を写さないようにしている、まあ、そうだろうな。ケーキのロウソク消しも太郎が代理である。と、そのつもりで撮ったら今日の主役もちゃんと写っていた。(写真1・写真2)
令和元年 8月19日(月)
曇り、午後辺りから雷雨の予報が出ていたが、結局少し降っただけだった、と日記を書いている20:00ころ、突然ん屋根を打つ強い雨が降りはじめた、それもすぐに止んだがその後もまだらに雨雲が続いている、雷も近づいているようだ。
最低気温 22.7℃ (04:48)、最高気温 26.5℃ (15:00)
ずっと大量の火山灰を降らせていた阿蘇中岳の噴煙が先日見えなくなった、それを受けて、気象庁は「停止した」と発表した(8/16)、それで皆んな安心した、ところが発表した途端、その舌の根も乾かないうちにまた昨日小規模噴火を起こした。小生は当初、停止発表のときに本当か?と疑問に思った、何を根拠に停止したと言えるのか、地中のことがわかるのかと思っていた。以前にもこういうことがあった、そして今日のこの噴火、雲に紛れて見えにくかったが結構大きな噴火だった。(写真1・写真2・写真3・写真4)
なにもことさら停止したと発表することもないのだ、噴火が停止しているのなんかわざわざ言われなくても誰がみてもわかるのだ、下手に発表なんかするからそれ見たことかとい言われるのだぞ、さあどうしてくれる。
ラジオ体操。細か雨が降っていたので、りゅうまくんは家で体操。太郎は公民館で放送機材が雨に濡れないように、軒下に置いて体操をした。
(写真1・写真2)
体操のあとで、駿の様子を見に行ってきた。牛を乗せるトラックが置いてあったので、尋ねたら、今日は品評会の予選があるからそのためだとのこと、駿も一緒に連れて行ってもらったろうか。(写真1・写真2)
駿は昨夜は、内牧で毎年行われている「大阿蘇火の山まつり」に連れて行ってもらったそうだ。会場から夏子に電話があって、来ないのかと訊かれたそうだが、この祭りには夏子たちは今まで毎年行っていたが、昨年の祭りの時に大量のバッタが飛んできて大変だったそうで、夏子も太郎も虫にめっぽう弱く、もうコリゴリだと言って今年は行かなかった。
コメ10キロ精米する、30キロの袋は重くて膝に来るので今回は10キロずつに分けて精米した。コイン精米機は10キロ100円である、これで三回に分けて精米をした最後である。。
軽トラックの屋根につけてあるAPRS用の2mのアンテナがいつの間にか無くなっていた。このあたりは家々の植栽が剪定をしていないために塀を越えて道路側に張り出しているところが多くその下を車で通るとアンテナがよく引っかかる、気をつけてはいるがどこで折れたかわからない、エレメントだけだから、長さを測って適当な太さのロッドを付ければ直るだろう。
晩飯。酢豚。
○
令和元年 8月18日(日)
今日は終日雲が多くてあまり日が射さず気温も上がらなかった、ここだけではなくて九州一円がそのようであった。
最低気温 21.3℃ (03:50)、最高気温 26.6℃ (16:31)
流石に出疲れたとみえて我が家の三人組は一日家で静かにしていた。
朝、7時前、駿の朝食前の一仕事の様子を太郎と一緒に見に行った。行った時にちょうど牛のエサの藁を掃き集めていた。尋ねたところ前日の餌の藁が残っていても毎日新しい餌をやるのだそうで、前日の残った藁は敷き藁に使うそうだ、それだけ厳しく餌の管理をしているのだろう。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
午後三時から、村の行事、妙見祭があった。最近は酒を飲む人がほんとうに少なくなって、卓上の酒類の消費も少なくなってしまった、したがって会自体も短時間で終わってしまう。小生がここに来た頃に比べて昔日の面影なしである。(写真1・写真2)
令和元年 8月17日(土)
晴れ。夏空が広がる、日本各地は今日も暑かったのだろうが、ここは30℃行かなかった、風が気持ちが良かった。今朝などはもう、ちょっとひんやりするくらいだった、お盆をすぎると阿蘇は急に秋に向かう。
最低気温 21.5℃ (05:43)、最高気温 29.3℃ (14:59)
9時ころ、駿は元気にやっているかなと思って太郎と一緒に様子を見に行ったところ、畜舎には誰もいなかったので、しばらく待っていると軽トラックがやってきて牧場主どのと駿が降りてきたのでこれからですかと尋ねると、いや、6時半ころから牛に餌をやって一段落したから今朝飯を食べてきたところだということだった。農家は一日の活動開始時間は早いのだ。駿も元気にやっているようだった。(写真1・写真2)
阿蘇を拠点に九州一円だけでなく全国各地で演奏活動している「ビエント」という名前のオカリナとシンセサイザーをメインに演奏するデュオがいる。非常に美しいメロディーを奏でる。そのビエントの演奏会が熊本の県劇で行われて、切符をもらったからと言ってカミさんと太郎と二人して昼前に出かけていった。
http://www.viento-office.com/
夏子は終日机に向かって居眠りをこいていた。
令和元年 8月16日(金)
今日は娑婆、下界の気温はどうだったのだろうか、ここは涼しい一日だったが。朝のうちは風があり雲も多かったが、その後、久しぶりに青空が広がった。ようやく台風一過の晴天になった。夕方ニュースを聞いていたらまだ台風10号が北海道あたりに居るようなことを言っていた、実に息の長い台風だ。
最低気温 22.7℃ (05:47)、最高気温 27.4℃ (14:09)
お盆休みも終わって今日からまたラジオ体操が始まった(と言っても、明日から土・日とまた休みだが)。今日は太郎一人なので、我が家の庭先でラジオ体操をした、風があってすこし寒かった。
ラジオ体操が終わって、その場で、送り火を焚いてご先祖様をお送りした。風が強くて火がすぐに消えた。
朝一番に歯の定期メンテに行く、最近左の奥歯のうんと下のほうが時々鈍い痛みがあるが、定期メンテでは歯の表面は綺麗にするが、歯茎の奥の方はメンテではわからないので、こんど保険診療で歯茎のチェックをしてもらうことにした。
従姪孫の横浜の駿がやってきた。駿は獣医系の大学生で、畜産農家で実習をする課題があって三野の井さんに泊まり込みで一週間余り、実習をお願いすることになった。昼過ぎに空港からバスにのってやってきたので、昼飯を一緒に摂ってから我が家に寄って前もって宅配便で送ってあった作業服などの装備品を積んでから送っていった。
完全に他人の家での生活が始まるが、彼は社交性があるし、井家のみなさんも安心しておまかせできるお宅なのでうまくやるだろう、都会育ちのヤワな体を鍛え直してもらうといい。
晩飯。精進揚げを揚げた。
令和元年 8月15日(木)
終戦記念日だ、なぜだか敗戦記念日とは言わない。小生はこの日を疎開地の今のこの場所で迎えた、二歳だった、もちろん覚えていない。夏子に今日は何の日か知ってるか?と尋ねたところ、終戦記念日!とすぐに返ってきた、今日ラジオで今の若い人は今日が終戦記念日だということを知らない人が何割だったか、多いと言っていたので訊いてみたのだ。
最低気温 23.8℃ (05:09)、最高気温 25.3℃ (10:14)
最低気圧 977.0 hPa (at 04:14)
最大風速 12.5 m/s 18:25(但し、19:00時点)
この二日間の雨量 78.7 mm(19:14現在)
夕方になってから風雨が強くなってきたので、送り火が焚けず、ご先祖様にはもう一晩ご滞在願って明朝お送りすることにした。
我が家の三人組、昨日割と早い時間(9時過ぎだったか)に無事に帰ってきたが、今日はさすがに疲れたのか三人とも何もしないで終日ゴロゴロ虚脱状態だった。
よく九州は台風銀座と言うが、仮に年に5個(も来ない、3個くらいか)やってくるとしても、台風は通過するのは精々一日あれば足りるので、ということは、3/365日ということで、362/365日はなにも無いということだ。べつに騒ぐこともないわけだ。
その台風10号、台風報道、いつものことだが前宣伝があまりにも大きすぎて、まだ日記を書いている時点では中国地方ではまだ暴れているのだろうが、ここは既に過去のものになってしまっている。やってくるまでは一生懸命コースを読んでハラハラ・ドキドキしていたのに、自分の所を通過してしまうと、その後の台風進路については急に関心が薄れる、現金なものである。結果、最後は拍子抜け、肩透かしの場合が多い、ガックリと脱力する。これでいいのかもしれないが本当にいいのだろうかと思ってしまう。
今朝5時ころ目が覚めて観測装置のモニターを見ると、風速計が動いていない、また故障かと思ってカーテンを開けて外を見たところ、風が全く吹いていない、雨も降っているかどうかわからない程度だ。もう暴風域にかかっているはずだが、台風というものは実際に来てみなければわからないなと思った。その時間はまだ宮崎沖に台風の中心はあり、このあとで、更に北上して豊後水道を四国をかすめて西日本を縦断する事になっていて、阿蘇地方に最接近することになるのだが、 台風の暴風域は「目」から同心円に出来るのではなく、東側のほうが広くなり、西側はそれより狭くなるようだ。だから台風が宮崎沖にある場合、同心円であればとっくにここも暴風域は入っているはずなのに、ギリギリかかる程度である。いずれにしても強風域にはとっくに入っているのに思ったほどの風が吹いていない。6時過ぎで、ソヨリとも吹いていない、まるで無風だ、暴風域がさらに東に寄っていた。
小生はよく外輪山が盾になって風雨を防いでくれると表現することが多いが、実際は外輪山は山ではないのだ、カルデラ内から外輪を望むと眼前に立ちはだかって「山」であるが、反対の側からみると単に平原でその先が谷としてどんと落ち込んでいるだけである。それなのに、台風が東側を通る時には、西側を通る時に比べて勢いはうんと弱くなる、実に不思議である。もっとも平原と言っても、海岸近くの平野部から見ると、それでも高地には違いないのだが。
結局そのまま大した風も吹かず雨も降らず、四国をかすめて中国地方に進んでいった、この程度の台風なら宮崎のじっちゃいの所も大丈夫だったろう。台風は数字だけでは測れないものがある。
それまでは東寄りの風雨だったが、午後に入ってからは風向きが西寄りに変わって、夕方になってきて、少し強く吹いている、台風本体が最接近したときよりも中国地方に上陸した夜のはじめころになっての吹き返しの方が強い風だ。
非常に大きな台風で、ものすごい雨が降るという予報だったが、各地の被害はどうだったのだろうか、雨は降るところには降っているが、ここは日記を書いている時点までは大したことは無かった(写真1・写真2)。各地からはそれほどの被害のニュースは入っていないように見える、そんななかで、大分県の渓谷に台風が来ているのを承知で赤ん坊まで連れてバーバキューにやってきていた20名近いグループが雨で孤立して消防に救援を求めたそうだ、はっきり言ってバカ者である。台風8号で一階寝室に滲みこんだ雨、ログ壁に慌てて塗装をしたがどうだったろうと思っていたが、昨夜は雨は入っていなかった、もっともそれほどの風雨でもなかったからかもしれない。
なんだか疲れてしまった、今年はこの先、あと何個やってくるのだろうか。
令和元年 8月14日(水)
台風10号、速度が遅いのでウンザリする。夕方時点では風も雨も大したこと無く、稲田も穏やかで山の麓の方も見えていた。相変わらず気圧が下がり続けている。台風がここにやってくるのは明け方辺りだろうか。一時「超大型」に成長したと言っていたが現時点では「大型」になって明日の朝あたりでは「無印」の台風になるようだ、そのあたりをあまり放送しないので、「超大型」のままの緊張が続く、ちゃんと言え!
最低気温 24.5℃ (14:29)、最高気温 26.5℃ (12:14)
最大風速 9.8 m/s(at14:29)但し19:20時点
本日の雨量 7.6 mm 但し、19:20時点
19:20現在の雨雲レーダー
あさのうちに、秘密基地の東側の妻の取り付けがいい加減で、今回は直接風雨を受ける場所なので、しっかり取り付けをし直しておいた。
夏子が午前中、我が家の高齢者の孤独死を按じて安否確認の電話をしてきた際に、今日は劇団四季のライオンキングを見てから帰ると言っていたので思い出した、そうだった、これも今回の旅行のスケジュールに入っていたのだ。旅行前に、お父さん、劇団四季ってどこにあるの?うーん、知らん、日生劇場や帝劇なんかがある日比谷あたりじゃないのか?と適当に答えておいたが、今回のミュージカルをやる劇団四季の劇場は大井町にあるようだ。午後から観劇して、そのまま羽田に回って、一便早いフライトに変更できたから16:05の便で帰ると小生が風呂から帰る途中に連絡が入った。飛ぶ時はいいとして下りる時は風が強いから大変だろうと思っていたが、日記を書いていた時に19:52に無事に着陸したというLINEが入った、思ったより揺れなかったそうだが、太郎がビビっていたと夏子が送ってきた。。
今日は日本山妙法寺の庵主さんがお経をあげに来てくださった、毎年、一日がかりで豆札の各家を回って我が家は最後に近い時間でおいでなるが、今日はいつもより遅いので、台風が来ているからナシかなと思っているところに御入来、午後4時半くらいだったろうか、いつもより出だしが遅かったからその分遅くなりましたということだった。
ボッチ飯は昨日の余り物で簡単に済ませた。
令和元年 8月13日(火)
曇り。空は雲が多かったが、まだ台風の気配は全く無い。
最低気温 23.4℃ (03:45)、最高気温 28.9℃ (13:13)
台風10号、とにかく速度が遅い、明日いっぱいかかってようやく九州にやってくる感じだ、その分、どんどんエネルギーを溜め込んでいるのだろう。今晩でも台風がやってくるのが信じられないほど静かな夜だ。それでも確実に気圧が下がってきている、しかし気圧というのは不思議なもので結構低くなっているが周囲との相対的なものなのだろう、天気は悪くなくて風も無い。
台風の進路予想、ほんの気休め程度東に少しだけ離れて進むように変わってきているが、暴風域が大きくて非常に強い台風なのでその程度では全く影響は変わらないだろう。
今日からお盆である。毎年山の墓にご先祖様をお迎えに登るが、今年は膝が痛いので自宅でお迎え火を焚くことにして朝山には登らなかった。
毎年、お盆には円通寺様にお経をあげていただく、今年も例年通り昼過ぎの時間でお願いをしてあったが、時間になってもお見えにならない。午後2時を過ぎたくらいに、玄関の伝言板に、初盆参りなどで出かけるので、もしお見えになって、差支えがなければお一人でお経をあげてくださいと書いて初盆参りに出かけた。
今年は五家くらい回らなければならなかったが、結局二家でご勘弁願った。初盆参りが終わって、スーパーで食材を買って帰ってくると、お寺さんがお見えになった気配がない。ああ、忘れたかな、まあ、いいや、こちらは準備してあったのでもし仏罰が当たるとすれば小生でなくてお寺さんのほうだと、急遽ペンキ塗りをすることにした。
今度の台風でかなりの雨が降るだろう、だいぶん前に作った秘密基地の壁はコンパネで塗装もしないできたので、近頃大分怪しくなりつつある、先日家の塗装をした時に、なんだ、やれば簡単だと思ったので、今日はこの秘密基地の塗装を済ませてしまおうということになった。
そうなるまで、実は今日何度も機会を窺っていたが、どうも少し空模様が怪しい、塗っている途中に雨が来ると困る、そういうようなことで夕方までどっちつかずだったが、夕方近くなって、空が明るくなって雨は大丈夫だろうと思ったので、よしやってしまおうとなったのである。
ところが4時半ころだったろうか、塗装をしている時に智道和尚が奥方の運転で御入来、今日はお見えないならないのかと思っていましたよ、と言ったところ、ちょうど小生が出かけるのと入れ違いでおいでになって伝言板をご覧になったそうで、太郎くんでもいればお邪魔したのですが、さすがに無人のお宅に一人で入るわけにはいかないので出直してきましたとのこと。
ということで、小生、ペンキだらけの作業服(自撮り)のままで、お経をあげていただいた。一般的にはご先祖がおいでになる田舎に帰省するが、我が家では逆になって、今年は小生一人のお盆になった。
お経という中断があったが、5時半ころだったろうか、とりあえず無事に秘密基地の壁面の雨に当たる面だけは塗装完了した。(写真1・写真2)
そして風呂から帰ってきて、玄関先でお迎え火を焚いてご先祖様をお迎えした。とここまで書くと毎度疑問に思うことがある、お迎え火、送り火は何日のいつ頃焚くのか、である。調べてみると大体13日の夕方お迎え火を焚いて、15日の夕方にお送りするのが一般的のようだ、ということは二泊三日のご滞在ということになるのか、三日と言っても初日は夕方だから短いなあと思うのである。フルに三日ご滞在いただくとなると12日夕方お迎えして16日の朝お送りすることになるなあ、などとどうでもいいようなことをこの日にはいつも考えるのである。
お迎え火を焚いて、ご先祖様のご到着に合わせて、夕食の支度にかかる、(ちょっと待てよ、夕方ご到着なら、そのまえのお寺さんの読経、あれはなんだ?そんなことはどうでもいい)。今日は精進揚げを揚げた。今晩は仏様が主である、小生はご相伴に与るのである。ジャガイモ、ナス、タマネギの我が家の定番、それからシイタケ、エリンギ、シシトウ、オクラも揚げた、精進ではないがエビも揚げた。
千葉に行っている我が家の三人、昨日の行動でもう十分に満足だったのだろう、今日は近場をウロウロしてあまり動いていなかったようだ。
令和元年 8月12日(月) 振替休日
曇り。なんとなく空が落ち着かない様子である。下界は今日も暑かったようだがここはそうでもなかった。
最低気温 23.6℃ (02:46)、最高気温 29.4℃ (13:48)
台風10号、こうなったら「まな板のコイ」だな。まだ遠くにあるのにすでに気圧も少しずつ下がりつつある。
勘違いをしていてお盆までもう一日あるな、明日になったら準備をしようかと思っていたら、一日間違っていた、午後から慌てて仏壇の掃除や生花やお供え物を買ってきて準備をした、分家の墓にも花を供えてきた。
太郎たち、報告が無くても、スマホの位置情報でどこにいるかわかる。時々見ていると、午前中は船橋だったかの「ららぽーと」にいた。今回太郎の一番のお目当てのポケモンなんとかという施設があるところだ。昼過ぎに見たところ、新宿あたりにいた、夏子がお父さん、東京はどんなところが面白の?と行く前に訊いていたが、小生には東京には面白いところなんて無いし、もう随分と行っていないし、二人の年齢が大きく違うので、どこが面白いかわからないと答えてあったが、新宿に行ったのだろうか、そして夕方見ると、ロッテのマリンスタジアムに居る。ああ、ナイターをみにいったんだなと分かった、ここはおじいちゃんの家のすぐ近くだ、歩いても行ける距離にある。
そのうちに夏子から、LINEで写真を送ってきた。なんでも、ファウルボールがおじいちゃんにあたってそれを太郎がもらったとか。昔はファールボールは返さなければいけなかったと思うが今はもらえるのか。おじいちゃんは過去に二度か三度頭に大きな怪我をしている、救急搬送を受けたり、ある時など頭を開ける手術をしたこともあるそうで、ヘンな言い方だが頭の怪我には本当に縁がある、だから今晩も頭にボールがあたったのかと思って心配したら足だったそうだ。今晩はロッテと西武の試合だと思う。今日はどういう面子で出かけたのだろうか。
行きの飛行機の中 (写真1・写真2)
今日の行動 (写真1・写真2・写真3・写真4)
小生の今晩のボッチ飯。寺さんの話に出たステーキ。いつもは輸入ものの安くて大きなやつがあるが今日は無かったので、肥後のあか牛を奮発した、200グラム程度の大きさ、小生はこの大きさで十分だ、「いきなり」は300グラムらしいが、小生にはちょっと大変そうだ。
○
令和元年 8月11日(日) 山の日(夏休みのこどもたちにとっても、隠居じいさんにとってもいちばん覚えにくい休日だ、祝日というものでもなし、かと言って祭日でもなし)
雲が多かった。阿蘇山も頂上付近は雲がかかることが多くあまり噴煙の様子がわからなかったが、今日は噴煙はあまり出ていないようだった。気温も高くなかった。夕方ほんの少しパラついた。
最低気温 22.2℃ (03:36)、最高気温 28.4℃ (16:26)
台風10号、大体こんなコースで落ち着くのか、JTWCもほぼ同じだ。大きな台風だが、東側を通るので外輪が防波堤になってくれるのを期待するしかないか。
先日の台風・・・8号の時、強い雨風に吹き付けられて東側に面した一階の寝室のログの隙間から雨が滲み出した。ログハウスは山小屋なんかはただ積みあげて建てる場合もあるが住宅用に建てる場合はログ材は断面で見ると一本一本上下に凹凸の溝が掘ってあって、それに嵌めるようにして積み上げてあるが特にシールはしていない。それでも重みでガッチリ組んであるので普通の雨風では大丈夫だがその程度の組み方では台風の時のような強い風雨には防ぎきらないのだろうか、過去に来た非常に大きな台風のときにもログ材の重ね部分から浸水をしたが、それ以外の台風ではそんなことがなかった。おそらく経年変化でログ材相互間にビミョウに隙間ができたのかもしれない。ログ材は重ねて壁面を作るが、いくら事前に乾燥させても必ず縮む、仮に一本のログ材が一年で1ミリ縮むとすると、壁全体では(とここまで書いて、何本積んであるか数えに行く)約20本積んである、ということは一年で2センチ上下の高さが低くなるということである。毎年沈み続けるワケでなく、建ててから数年間は縮むらしい。だから、ログハウスを建てる時に気をつけなければならないのは、ドアや窓などの建具を取り付けるときに従来建築のようにきっちり取り付けると、壁全体が沈んできてドアや窓が開けられなくばかりでなく壊れてしまうことになる。ログハウスの経験のない大工さんが初めて建てる場合にこの失敗をするらしい。つまり、ログハウスを建てる場合には、予め縮むのを計算して、窓枠などの上の部分に隙間を作っておいて、それを隠す板を貼っておくのである。
それに我が家の雨漏りは、家を建ててからかれこれ20年になるが、雨があたりやすい場所で腐りかけた場所は以前、足場を組んで自分で塗装したが、件の壁面はずっと手つかずで来た、さすがになんとかせにゃならんなとは思っていたが、今日、急に思い立って塗装をした。はじめはログの境目にガムテープでも貼っておこうかと思ったが、結構の量つかうし、どうせなら塗ってしまえと急遽作業を開始した。
我が家で使う塗料はコンゾランと言って水溶性の塗料で、水溶性ながら乾くと油性ペンキで塗ったのと同じ様になる、有機溶剤で中毒を起こすこともなく取り扱いが非常に便利である。もう10年くらい前になるだろうか、買ったままで物置に放り込んであったやつを引っ張り出して開けてみたら全くなんともなっていかったので、すぐに塗装を開始した。本来ならマスキングテープで養生しなければならないがそんな面倒なことはシナイ!ポタポタ下に落としながら午前中に寝室の壁に当たる部分だけさっと塗っておいた。
台風10号も東側から強い雨風を受けることになるのだろうが、塗装の際に確認したが積み上がっている各ログの隙間はピッタリしていて特に隙間があるということは無かった、だから、今日の塗装が効果があるのかどうかわからない。
近くで見るとムラだらけだから遠くから写真を撮っておいた、遠くからだと塗りが汚いのがわからないだろう、それでいいのだ。
さあ、小生のお盆休みが始まったぞ。我が家の三人組は予定では明日から千葉に行くようになっていたらしいが、台風がくるので帰りを一日早めるために、出発も一日早くしたようだ。太郎は今日もテニスのレッスンがあったようで、朝早く出かけて昼過ぎに帰ってきて、4時ころにはあたふたと三人で空港に向かった。ラジオで首都圏を中心に帰省ラッシュのことを伝えているが、ここでは全く無縁の話だ。
晩飯は一人だから簡単に、とうわけにはいかない。ボッチ飯を楽しまなければ。二三日前に豆腐屋のPCのメンテに行った時に豆腐などをもらった、最後の一丁、小生一人ではとても食べ切れない。今晩は揚出し豆腐と冷や奴、豆腐とワカメの味噌汁と豆腐づくしになってしまった。
令和元年 8月10日(土)
晴れ。今日も風が吹き込んでしのぎやすかった、今年は風が入ることが多いので暑くてたまらんということが無い。
最高気温 22.1℃ (04:55)、最高気温 30.0℃ (15:25)
台風10号、みろ!小生の見立ての通り少しずつ九州に近づいてきているではないか。
今日も阿蘇中岳、遠慮会釈無く噴煙を吐き続けていた、南東からの風向きがずっと一定なので同じ場所に灰が降り続けていた。さすがに普段と違うようで新聞にも取り上げられていた。
太郎と母親は朝早くから夕方までテニスのレッスンで出かけた。
こども論語教室の主宰者、横澤さん御入来。昨日で二回目の論語塾があったが、初日は集まったものの二回目は参加人員がグンと減ってしまった、どうしたものかと、相談とグチ?の相手に小生を訪ねてこられた。
どうしたものかと二人で考えたが、小生なんかにそんなうまい知恵が浮かぶべくもなく、来年も続けるとのことだったので坂梨で人が集まる色々な機会を見つけて息長くPRをすることなのかなということに落ち着いた。「素読」とはもともと意味もわからずに大きな声で読むということだから、最初は意味はわからなくてもとにかく大きな声を出して師について読むことだが、江戸時代の子どもたちは、武家の子弟にしても庶民の子どもたちにしても、日々の生活の中で大人たちから自然に儒教的な考えに基いた育てられ方をしていたので、素読を始めるにもそれほどの抵抗は無かったのだろうが、今の子供達は、その親にしても全く論語の世界とは無縁で、そういった子達に如何に論語に馴染ませるのか、これは至難の技だと思う。横澤さんの今回の試みは、西日本新聞に取り上げられたそうである。
令和元年 8月 9日(金)
今朝はちょっと肌寒かった、あまり低い数字ではないのにこの程度で肌寒さを覚えるのだなあ。
最低気温 22.2℃ (02:30)、最高気温 30.1℃ (14:48)
阿蘇中岳の噴煙、毎日尽きること無く噴いている、今日などは日中ずっと、ここから西に寄った、宮地よりもっと阿蘇町方向だろうか、真っ黒な噴煙が下って、まるで北京かソウルのように視界が悪く霞んでいた、おそらく降灰で大変だったろう、これも風向き次第、運としか言いようがない。夕方近くになって白い煙になって、ようやく落ち着いてきたかなと思っているとまた真っ黒な噴煙が高く昇っていた、地下の中は一体どうなっているのだろうか、気象庁も後出しジャンケン的にしか説明できないように、だれも地球の中なんかわからないのだ。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10・写真11)
台風9号の動きがサッパリわからない、でも、台風は高気圧に阻まれて、高気圧の縁を周るのだろう、じゃあ、こちらに来るのだろうが、そうじゃないのか、なにも悩むことないだろう、最初の予報から相当西方向に曲がってきてるではないか。うちの連中はお盆休みに千葉に行く予定だが、行きはともかく、帰りの便がどうなるか、ヤキモキしている、小生には全く関係がないが。
ラジオ体操 今日で夏休み前半部の終わりである、と言うのは、明日の土日、続く祝日、お盆休みと続いて、15日までラジオ体操は休みになるのだ。
(写真1・写真2)
昨日は南阿蘇圓林寺の和尚の命日だったのだ(2015)、じっちゃいのブログで知った、完全に忘れていた、PCのスケジュール管理で登録してあったはずだが、いつのまにか消えてしまっていた、去る者日々に・・・か。今日、和尚が眠る八千場霊園の我が家の分家の墓掃除に行った時に、謹んでお参りをしてきた。
この「眠る」、「永眠」という言葉は本来は仏教の言葉ではないらしい、この考えはキリスト教だったろうか、仏教の場合はなんと言ったろうか。最近、葬儀に出ると、お孫さんがおじいちゃんにお別れの言葉を述べるシーンなどがよくあるが、天国のおじいちゃん、安らかにお眠りください、などと呼びかけているが、天国も本来仏教では使わないはずだ、お別れを述べているすぐ後ろには僧侶が座っているが、どういう気持で聞いているのだろうかと余計なことながらいつも考えてしまう。日本では昔から仏教が民間には根付いているはずだが、いつのまにかキリスト教の言葉が使われるようになっている、仏教関係者は忸怩たる思いはないのだろうか。
分家のお墓、前回のお彼岸の時に天気が悪かったか何かで掃除をしなかったので、今日行ってみると見事に雑草に埋もれていた。早速刈払機で丁寧に草を刈って綺麗にしておいた。この分家のそもそもの分かれ方やその後のことが全くわからない。
太郎は、今晩は「かんぽの宿」で二回目の虎舞公演がある、早めの夕食を摂らせて、集合場所の坂梨公民館に送っていった、前回は台風が来ていたので多分泊り客は少なかったのではと想像するが、今晩は夏休み真っ只中で大勢の宿泊客で賑わっているのではと想像するが、帰ってきてから聞いてみよう。
晩飯。シチュー。
令和元年 8月 8日(木)
今日も日本列島は茹だるような一日だったようだ、山の下の熊本市も37℃だったらしい、ここも30℃を越えたようだが、風があったので気持ちのいい風が部屋の中に吹き込んで暑さの実感は無かった、よくぞ阿蘇に暮らしけり、だ。
そんな猛暑のなか、今日は立秋だそうだ、ピンとこないが、それでも言われてみると暑い中にもう秋の気配を感じさせる何かしらがある、田んぼが黄色みを帯びてきた、トンボが盛んに飛んでいる、夜にはもう虫の声が盛んに聞こえる、などなど。
最低気温 23.5℃ (00:44)、最高気温 31.4℃ (15:31)
最大風速 8.0 m/s (14:30)
台風9号は非常に大きな台風のようだ、こちらに来なくて良かった、こればかりは運だ、それから10号はまだ進路がはっきりしない、停滞すればするほどその間に成長するのだろう、この先、どちらにも曲がる可能性はありそうだ。
ラジオ体操 (写真1・写真2・写真3)
昨日家周りの草刈りをして膝の方が大丈夫だったので、今日は午前中、思い切って墓掃除に登った、もし途中で痛くなったら戻ってくればいいという軽い気持ちだった。ゆっくり登っていったが、心配するほどのことはなかった。
ところが、墓に着いてみて驚いた、墓地に入るところで木が手前の方に向かって倒れていて墓が見通せない。なんとかかき分けて行ってみると木が裂けてちょうど山道沿いに倒れていた。多分、先日の、というほど前ではない、一昨日の台風で倒れたのだろう、慌てて墓石を見渡したところ、ギリギリセーフで墓石にあたらずに倒れていた、もし直撃していたら墓石はまた倒れていたかもしれない。いやいやホッとした、もし倒れていたらまた復旧が大変なところだった、仏様の御加護だな。
今日の作業でこの倒木の整理が加わったが、チェンソーが無いので今日は無理だ、また取りに下りるには膝が持たない。幸いに、鎌は持って上がったので、枝先だけを切り落として、なんとか見通せるようにした。今までは、刈払機は二台持って上がっていたが、なるべく膝に負担をかけないように、今日はナイロンコード用だけ持っていったので、もしナイロンコードで手に負えないものは鎌で切ろうと思って持っていったのが幸いした。
枝を払って見通せるようにしてから、ザッと草を刈っておいた、今日は刈った草の整理までは勘弁してもらって、基壇部分の枯れ葉類を取り除いたくらいで終わらせた。去年の燃え残りのローソクが転がっていたので、灯して般若心経を唱えてから下ってきた。
今年のお盆は我が家でお迎え火を焚くことで済ませる予定なので、とりあえずは今日の作業で墓に来る仕事はお終いである。秋口になって折を見て倒木の処理でまた登ってこようか。この山にある幾軒かの墓は今は我が家だけしか使っていない、新しいご先祖様の墓は皆さん下におろして、残っているのは古いご先祖様の墓で、もう皆さんは登ってくることもないから、倒木の整理も、我が家の都合だけで考えればいいのだ。
作業が終わって山を下りてきたら少し膝が痛いが時間が経ってこの痛みは消えるとは思うのだが。そうだもう一箇所あった、八千場霊園の分家の墓掃除が残っていた、明日にでも行ってこよう。
(写真1・写真2・写真3・写真4)
晩飯。麻婆豆腐と餃子・・・最近あまり料理をする気力が無くなっているなあ。
どことは敢えて言わないが、本当にバカな国だ、バカな大統領だ。
令和元年 8月 7日(水)
晴れ、まだ雲の動きが早かったが気持ちのいい一日だった。
最低気温 22.7℃ (03:47)、最高気温 29.0℃ (14:04)
台風が過ぎてまだ雲が多くて噴煙だか雲だかわかりにくいが今日も中岳の噴煙は相変わらず活発だった。(写真1・写真2・写真3・写真4)
台風8号の次の台風9号のコースもまだはっきりしないところに持って来て、台風10号が発生、これがまたどう進むのか全くわかっていない。去年も同様にこのあたりで発生して、こちらには絶対に来ないだろうと思っていたやつが、九州にやってきた台風が確かあった、今回も判らんなあ。
ラジオ体操 (写真1・写真2)
家の前や入り口が草がぼうぼうになって見苦しい、お盆も近いので、やっておこうかと、午前中二時間あまり、2.5タンクを使って草を刈っておいた。膝の方、大丈夫だろうかと思っていたが、心配するほどのこともなかった、これだったら、山の墓掃除もできるかもしれないなあ、まだ日がある。
before (写真1・写真2・写真3)
after (写真1・写真2・写真3・写真4)
晩飯。カツオのタタキなどなど。
令和元年 8月 6日(火)
台風8号、通過。
台風通過中のため、広島原爆被爆者慰霊の黙祷は8時15分にサイレン無しで行う旨の放送があったが、気が回らずに失念した。
8時半ころになると、ある種の凪状態で雨風がほとんど止んだ、おそらく台風の中心であれば目の中に入って状態だったのだろうが、少しずれてるはずなので、青空も見えなかったのだろうか、それを機に風向きが変わった。それまで東からの風が強くて、家族三人が寝ている寝室の壁が外部からの吹き付ける強い雨で、壁伝いに雨が入り込んでいた、(写真1・写真2・写真3)
真上の二階部分の小生が寝ている部屋の壁は大丈夫だった。一階部分は完全なログ材だけで組んであるので、普段はそんなこと無いが、台風のような強烈な吹付けの場合はログ材の隙間から雨が入り込んだろのだろう、二階部分はログ工法でなくて従来工法の壁板なので雨は入らなかったのだろう、この部分のログハウスの塗装をしなければならない時期を十年以上も放置してあるからだ。この東側の壁面は、足場が組みにくくて、どうしようかと思っている間にもう長年月が経ってしまった。
ここに住み始めたすぐの頃の死ぬほど怖い目にあった大きな台風(H16.9.7台風18号参)の際には、南西側の壁や窓のサッシから噴水のように雨が噴き出すほど大きな雨の被害があったが、今回の東側の雨漏りはそれ以来である。
8時半ころが一番台風の最接近のころだと思うが、そのあとはだんだん北に遠ざかっていくことになるが、今度は風向きが変わって南西側(阿蘇山側)からの吹付けが激しくなる。
朝のうちは南西側、つまり玄関側は全く雨が降り込んでいなかったが、それでも、新聞配達人は雨や風で新聞が飛ばないように、玄関先に置いてあったものを重し代わりにして、新聞の上に乗せてくれていた、以前、雨風で飛んでしまったことがあったので、新聞屋さんも気を使ってくれたようだ。
9時ころ、台風の様子を知ろうと気象庁の進路図を見たところ、午前5時ころに宮崎市に上陸してしばらくはしっかりと暴風域があったのに、いつの間にか暴風域が無くなっている、あっという間に、勢力が弱まったようだ、ちょっと肩透かしを食らったような気分になった。ところが、その同じ時間、NHKラジオを聞いていると、只今阿蘇地方など暴風域に入っていて云々と言っている、オイ!ちゃんとリアルタイムに報道しろ!と腹がたった。
あとから記録を見ると、 8時推定ではまだ暴風域があったが、その後の気象庁の8時の実況では既に暴風域はなくなっていた、ちょうど阿蘇を通過している時のようだ、急に雨風が弱くなったころと合う。
その後はみるみるうちに、雨風も止んで、静かになって行った。本当は家の中に居たのでそう感じたのであって、そのあと外に出てみたところ風はまだ結構強く吹いていた、それでも稲を倒すほどの台風ではなかったようで、裏のイチジクの木がかなり傾いていたが折れては居なかったのでそのうちに回復するだろう。先日家に接近している孟宗などを切っておいて良かった。
5時ころにはもうほぼ無風状態になっていた、今回は雨も、九州脊梁の東側(大分宮崎方面)は相当降っていたようだが阿蘇地方にはあまり降らなかった。
台風のため、学童は午前中は閉園で午後からから開くが、こんな時だからなるべく自宅で・・・というメールが入っていたので、太郎としては家にいると退屈なので行きたがっていたが、親が家にいるのだからと、今日は一日家に居させた。
カミさんは、台風大丈夫かしら、車ひっくり返らないかしらと言いながら強風の中、朝普どおり仕事に出かけていった。夏子は今日は休みだった。
なんだか、途中から急に静かになってなんとも拍子抜けのような台風だった、まあ、こんな程度で済んで良かった。
最低気温 20.8℃ (03:08)、最高気温 27.2℃ (15:53)
最大風速 12.1 m/s(06:48)
最低気圧 989.7 hPa (07:44)
この二日間の雨量 70.6 mm
やはり緊張していたのだろう、今日一日でくたびれた。晩飯は親子丼を作って食べさせた。
まだこのあとも台風が発生しているが、さてさて・・・・
令和元年 8月 5日(月)
台風が来るとは思えない様な夏空が広がっていた、今日も阿蘇中岳は盛んに噴煙を上げていた、いったい火口の孔の中はどうなっているのだろうか。(写真1・写真2・写真3)
最低気温 20.5℃ (05:37)、最高気温 31.3℃ (15:24)
ラジオ体操 (写真1・写真2・写真3)
今日から坂梨公民館で、寺子屋教室、論語の素読会が始まった、太郎たちのラジオ体操が終わって、太郎は学童があるので家に帰ったが、小生はそのまま様子を見に行った、登校班で顔なじみの五六人の子どもたちが集まって、横澤先生について声を出して素読をしていた。さてさてこの後、どうなるやら気になるところである。(写真1・写真2・写真3・写真4)
台風8号、ほぼマッポスだ、我が家も暴風圏内ではあるがこの程度の気圧ならなんとか大丈夫だろう。我が家は自分の家だけ心配すればいいが、農家は稲やトマトハウスのことが心配で大変だろう、それでも最近のハウスはちょっとした台風くらいには耐えられるようになっていると聞いたがそうであって欲しいところだ。
今日は、薪小屋がただ地面に置いてあるだけの小屋なので、それでも相当重たいので、少しくらいの風ではビクともしないが、台風ともなるとどうなるかわからない、しかも西側が開口部で、風をもろに受けたら煽られてひっくり返るかもしれない、逆方向にひっくり返るのは構わないが、東側方向にひっくり返ると隣の田に落ちてしまう、そうなると稲に損害を与えることになるので、今日は、小屋の西側に二本杭を打ち込んでおいた。これで大丈夫だろうと思って上を見やると、屋根部分がどうも怪しい、よくみると屋根の四隅だけ垂木クランプに留めてあったが、他のところは全く留めていなかった、作った時に、そのうちに留めようと思って忘れていたのだろう。これで大きな風を受けると多分剥がれるだろう。急いで、全部のビス止めをしておいた。
その他飛んでは困るものをざっと片付けておいた、また、屋根裏に入る戸から雨が降り込んだ事があったので、ガムテープで目張りをしたりしておいた。台風がやってくるのは明朝で、明るくなる時なのでそれだけでも不安を少し軽くすることが出来る。
坂梨子ども会の虎舞は今日はかんぽの宿で夜公演があった、最近はあちらこちらから声がかかるようだ。夏休みでかんぽの宿もお客さんでいっぱいだったろうか、台風が来るのでそうでもなかったろうか、拝借した写真
晩飯。今晩は夏子と二人だけなので、簡単に済まそうか、ということで餃子を焼いて食べた。
令和元年 8月 4日(日)
今日もここは真夏日だったが、風があったので屋内にいると全く暑さを感じなかったが、娑婆はどうだったのだろうか。
最低気温 19.1℃ (05:12)、最高気温 31.4℃ (13:34)
台風8号、あまりコースに変化がないなあ、それでも今回の台風も震え上がるほどの大きさではないのでなんとかなるだろう。それよりも、台風9号が発生している、JTWCや気象庁などはこの先のコースの予想をまだ出していないがECMWFの予報によると(動画は省略して、)静止画で切り取ると、九州のこのあたりに来るようになているが、その先、どうなるのだろうか。
阿蘇中岳、相変わらず噴煙を吐いている。(写真1・写真2)
我が家の三人組は今日は別府方面に出かけた、どこに行ったのだろうか、夕方には帰ってきた。
○
令和元年 8月 3日(土)
今日も日本列島はうだるような暑さだったようで、下界ではこの周辺でも37℃だとか38℃だとか言っていた、ここは真夏日ではあったが風があってしのぎやすい一日だった。今日も雷も夕立も全く無かった。
最低気温 20.8℃ (04:10)、最高気温 31.1℃ (14:02)
太郎と母親は、先週の振替?のテニスレッスンで、その後で映画を観るというので夏子も一緒に出かけていった。今日はその他なにごとも無く静かな一日だった、我が日本も、芸術とプロパガンダの区別もできないうつけ者が愛知のほうで騒動を起こしていたくらいで、平穏な一日だったと思う。
ボンにフィラリアの予防薬を飲ませた(3/5)
○
令和元年 8月 2日(金)
晴れ。今日も全国的に猛暑だたようだ、ここも暑かったぞ(というほどでもなかったが)。今日は不思議と雷雲も夕立も全くその気配もなかった。
最低気温 22.0℃ (05:33)、最高気温 32.0℃ (15:10)
ラジオ体操 (写真1・写真2・写真3)
台風8号が発生、有り難いことに今の段階でマッポスだ。ということはこのまま予想通りには絶対に来ないということだ、現在の予報技術とはその程度のものだ、だから、今マッポスということは今後右か左に必ず曲がるということだ(と期待を込めて)。
坂梨体育館に巡回住民健診に行ってきた。二度測ったが二度とも血圧が高かった。だから、眼底検査なるものを受けさせられた、いままでそのブースがあるのは知っていていつも素通りだったが今回初めて受けた。それから後期高齢者になってから、年寄の健康はもうどうでもいい、ということだろう(後期高齢者の管轄は県に移り、住民健診は市の国保の管轄だから医療財政会計が別なのだ)、去年からメタボ検査も無くなったので、それまではメタボと診断されたくなかったので意識的に体重を絞っていたが、今年はもうそれもやめたので、かなり体重が多かった。他の検査項目は、定期的に高野病院でやっているのでパスして、受けたのは尿検査と採血と血圧測定、体重身長・・・(国保時代で特定健診と言っていたやつで、後期高齢者になると名称まで変わって、後期高齢者健診と言ったか。)だけだった。(写真1・写真2)
はっきり言って今日はいい気分だ、極めて当たり前のことを当たり前に決めるのに直前になってまた「日和る」のではとちょっと心配だったが、これでいいのだ。ケンカはいけないぞ、「君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」、「如水」でいけばいいのだ。戦後、我が日本が毅然たる態度で外国に臨んだのはおそらく今回が初めてだろう。
N国が参議院で議席を獲得した、それだけ支持があったということだ、小生もNHKのスクランブル化は大賛成だ、だからといってそれだけで支持はしないが。NHKはスクランブル化は一見、合理的にみえるが、公共放送の理念と矛盾すると言っているようだが、どう矛盾するんじゃい、NHKのどこが公共放送だというのだ。今でも災害などのニュースの場合インターネットでテレビと同時放映しているから、それでいいだろう。見ていないからと言って解約しようにもなんだかんだと言いがかりをつけてほとんどそれが出来ないようで、我が家では見ていないのに、衛星放送の受信料まで払っている、見ているだろう、見ていないぞとゴチャゴチャするより、改めてスクランブル化することで契約を洗い直せばいいのだ。
公共放送だと言うのなら緊急放送のときにはスクランブルを解除すればいいだけだから別に難しくなんか無いだろう。今まで通り見たい人は今まで通り受信料を払ってスクランブルを解除すればいいし、見たくない人、受信料を払わない人にはスクランブルを掛けてタタでは見られないようにするだけだ、はっきりしていいだろう。
NHKはスクランブル化するとおそらく受信契約数が激減するのを恐れているだろう、それだけ税金化しているということだ、バカ番組、無駄遣い、高賃金、改めて言う、どこにNHKに公共性があるというのか、公共性とは皆んな揃ってバカになれということか。
晩飯。トンカツを揚げてポテトサラダを作った。
令和元年 8月 1日(木)
今日も日本列島は猛暑だったようだ、そしてここも軽く30℃を越えた、しかし、高地なので炎天下でない限りは暑くはない。
最低気温 21.6℃ (03:19)、最高気温 31.9℃ (15:37)
今朝も車がヨナで黒くなっていた、カミさんは出勤前に慌ててホースの水で洗い流して出かけていった。夜中の風向きがちょうどこちら方向になっているのだろう、朝のうちも盛大に噴煙を上げていた。
ラジオ体操 (写真1・写真2)
夏子は今日からしばらく課外授業も休みで、完全な夏休みだ。
今日も、夕方近く、阿蘇谷をぐるりと積乱雲が湧いて、ネトを見ると雷や雨が周辺では降っていたようだが、このあたりには全く雨もなかった。昔から思うのだが、どうも積乱雲とは自分のところから遠く離れた空に沸き立つようだ(自分のところに湧くときはまさに雨や雷の真っ最中で見えないということか)(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)。
晩飯。 ひき肉とタマネギのオムレツなどなど。
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