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令和己亥(2019) 元年 6月の記録 (新しい日付けの順)
令和 元年 6月30日 (日)
今朝は2時前には目が覚めてしまった、別に風雨の音で目が覚めたわけではないが何となく目が覚めてしまった。雨雲レーダーを見ると真っ赤な雲の表示で大雨が降っていることを示していた、そのころになってJ-ALERTが大雨警報を出して、6時半ころには土砂災害警戒情報が出された。その後もずっと同じように東西に雲が居座って、いわゆる線状降水帯を作っていた。昨日の予報では大した事なさそうだと思ってたが、天気予報はちゃんとあたっていた。数年前の豪雨災害が記憶にあるのであまり気持ちの良いものではないが、あの時は1000年に一度くらいの大雨であまりにも異常だったのであって、そうそう雨で大きな被害につながるとは思っていない。
雨量は日付が変わってから130mm以上降っている。風もあった、気圧もかなり下がっていた。日中は一旦雨も上がって、ようやく峠を越えたかなと思っていたら、予報ではまた今夜大雨になると言っている。
最低気温 21.5℃ (18:53)、最高気温 25.3℃ (00:20)
本日の雨量 134.1 mm(19:00現在)
最大瞬間風速 12.5 m/s (00:02)、
今日の雨で連続雨量の基準140mmを越えたので滝室坂が一時通行止めになったが、そのあとで解除された、調べたら、その後3時間降らない時間があれば、通行止めが解除されるそうだ、たった三時間で解除されてまた通行止めになるのは前回と同じ140mmなのだろうか、降り続いた雨で土中にはたっぷり雨水を含んでいると思うのだが。
今日は夏越の大祓(なごしのおおはらえ)の日で、日中一旦上がった雨が夕方5時から始まる祭事のころにはま降りはじめた。
阿蘇神社の夏越の大祓の「茅の輪」くぐりに家族ででかけた、いつもは平日のことが多いが今日は日曜日だったので家族全員で出かけたのはもしかしたら初めてかもしれない。
この日には京都などで水無月という和菓子を食べる風習があるが、去年は地元で手に入れる事ができず、今年はカミさんが忘れずに昨日熊本に行った時に買ってきてあった。今日は大雨でテニスレッスンを休んだので、今日だと入手できなかったが、昨日のうちに手配をしていてよかった。
震災の復興工事中でしかも雨とあって、今日の参拝者は去年よりも少なかった気がする、参拝者の中に家入さんと横澤さんの姿があった。
大祓について去年の日記に詳しく書いてあるので、今年は省略することにした。
阿蘇神社 夏越の大祓 「茅の輪くぐり」
令和 元年 6月29日 (土)
弱い雨が降ったり止んだりの一日、予報では今日明日で北部九州は400mmだったかの大雨になると盛んに注意喚起の放送していたが、夕方までは完全に肩透かしの感、これから降るのだろうか、九州にはあまり雲はかかっていないが。
最低気温 20.7℃ (05:00)、最高気温 24.9℃ (15:45)
本日の雨量 18:39時点 13.7mm
太郎、今日は土曜授業、夏子は模試で二人とも朝から出かける、太郎は午前中で終わり母親の定期通院で一緒に山を下りていった、夏子は模試の後、吹奏楽部のゲスト参加の練習があった。
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
小生はいつものように馬の世話に行った。昼ころから雨になるだろうということだったが、馬の世話が終わって山越えで帰ってくるときにはすでに細かな雨が降っていたが、山を下りてきたらまだ下は降っていなかった。
G20 Osaka Summit無事に事故もなく閉幕したようだ、中身はどうだったのだろうか。昨日の折りたたみ机のこと、今日、あちらこちらで結構話題になっていて笑ってしまった。これほど大きな国際会議、裏方がさぞかし大変だったろうとついそちらの方の苦労が偲ばれる。
令和 元年 6月28日 (金)
今日は降りそうで降らない、かと思っていると、また少し降る、というようなそんな天気だった、青空も覗いてた。
梅雨前線の南側だからだろうか蒸し暑かった。
最低気温 21.6℃ (01:15)、最高気温 26.2℃ (14:07)
登校風景 今日も天気が悪かったので、二つの班と太郎だけの徒歩通学だった。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
G20大阪サミットが始まって、どの場面なのか知らないが一同に並んで写っている写真があるが、まるで役場の折りたたみ机とパイプ椅子に肩をくっつけるように座ってるけど、なんとなく貧乏くさいなあ、こんなもんなのか?でも今現在世界を動かしている政治家がこんなに近くに寄り集まっているということはある意味スゴイなあ(議長国の首相に対してまたゴチャゴチャいう連中がいるだろうが、カネコマサルとかヤマグチジロウだとか)。後から見た写真では、最初の写真の両側にずらりと各国首脳が座っている、こりゃまたスゴイ。
晩飯。炊き込みご飯。ご飯の味を殺さないようにアッサリしたものを揃えたら、こどもたちが旅館の料理のようだねえ、と言ってた。
令和 元年 6月27日 (木)
天気図を見ると梅雨前線がここよりもずいぶんと北のほうが上がっていたが、思っていたほど雨は降らなかった、午後には一時青空も見えたほどだった。熱帯低気圧がようやく台風に昇格したようだが、もう台風とも言えないほどの弱い勢力なんだろう、こちらに来るかなと思っていたら四国沖を関東方面に向かっている。
最低気温 21.5℃ (05:10)、最高気温 25.6℃ (11:31)
またここのところ雨量計が計量していないので、調べたら、転倒マスがギッコンバッタンしていない、よくみると蜘蛛が糸を張って、動かないようにしていた。蜘蛛の糸を取ってようやく雨量を記録しはじめた。
登校風景 今日は一つの班とそれに太郎が加わって登校していったのみ。そのまえに、F姉妹をお母さんがクルマに乗せてきて小生が立っているところで降ろして、そこから二人で歩いて登校していった。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
午前中、横澤さん御入来、先日お貸しした「椿説弓張月」を返しに来られた。男女七歳不同席、還暦古希喜寿亦同でお上がりいただかないほうがいいだろうと思って、ほぼ屋外に等しい秘密基地で接待をする。二人とも歴史が好きなこともあって昼すぎるまで話が弾んだ。
浄化槽法による浄化槽の点検があった。
晩飯、餃子など。
衝動買い?いやいやこれは良い買い物だった。タブレット買ったぞお。 (写真1・写真2)
FujitsuのARROWS Tab Q506/ME (FAQR06012Z)
Windows10pro 税別9,980円税(送料込みで総額10.620円也)。但し、中古、と言ってもほとんど新品のようにきれい。文教モデルというものらしいが数百台くらい大量に放出されたようで、たまたまネットで見ていてその記事があったので、検索してみた所、どの記事も非常に評判がいい。ということで思わず買ってしまった。小生は小さなノート何台も持っているがタブレットは持ったことがなかったので、大いに満足している。防塵に防水(と謳ってあるが、まあ防滴くらいだろう)、堅牢にできていて少々落としたくらいでは壊れないそうだ。 https://journal.jp.fujitsu.com/2016/01/05/01/
令和 元年 6月26日 (水)
予報通り、ようやく熊本など九州北部、四国、中国、近畿が梅雨入りしたとみられると発表した、1951年に統計開始後一番遅い梅雨入りだそうだ。午前11時過ぎには細かな雨が降りはじめた。相も変わらず地元の気象台は自分の縄張りしか発表しない。
最低気温 19.9℃ (03:00)、最高気温 24.2℃ (15:12)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
ついでにもう台風も来ているなあ。
台風が来ると、家スレスレに生えているタケノコの成れの果ての大きく育った竹が風に煽られて建物にぶつかってくるので、こんなに早い時期に台風が来るなんて思ってもいなかったので取り急ぎ切り倒しておいた。孟宗の一本がワイヤーアンテナに掛かりそうなので、一旦ワイヤーアンテナを下ろしてから孟宗を切り倒した。昼からの強い雨の中で作業をしてずぶ濡れになったが、作業が終わった途端に雨が止んだ、なんとまあチグハグな。
(写真1・写真2・写真3・写真4(after))
あれ~?雨量の記録が出ていないなあ、また漏斗詰まったのかなあ。
今日は朝から怪しげな空模様だったが、午前中は大丈夫だろう、昨日の続きのマルチ剥ぎをやってしまおうと、9時前から作業を始めた。今日は日も射ささず風もあったので暑くなくて作業がしやすかった。そんなわけで一列は楽に剥ぐことができたので、このままもう一列やってしまおうと、剥ぎ始めたところ、三列目が右二列に比べて短い、深く埋もれてしまったのかと思ったが、思い出した、普通の農家の逆で、なるべく少なく植えて、なるべく収穫量を減らして、なるべく後始末が楽なようにと、去年は三列弱の畝しか作らなかったのだ。ということで、10時過ぎには昨日と今日とで目論見どおり楽に全部剥ぎ終わることができた、これでトラクターでゴリゴリすることができる、梅雨明けになるだろう。
参院選日程について「7月4日公示、21日投開票」と閣議決定したというニュースが流れた途端、村のいつもの場所にポスター掲示板立てが行われていた、決まるのをまだかまだかと待っていたのだろう。
太郎、水泳教室
晩飯。ハヤシライス。
令和 元年 6月25日 (火)
今朝は風もなく、子どもたちの見守りで立っているときから暑いなあと感じた。各地で30℃を越えたそうだ。いよいよ梅雨前線が北上してきた。ようやく明日あたりから梅雨に入りそうだ。
最低気温 14.7℃ (05:16)、最高気温 28.3℃ (15:10)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
今裏の畑の整理を少しずつしているが、去年のマルチがそのままになっていたので、剥ぐことにした。収穫が終わってすぐに剥げばどうということは無いのに、毎年のことで一年経ってから剥ごうとすると、土に埋まってしまっているので、掘り起こさなければならない。分かりきっているのに毎年毎年この繰り返しだ、全く学習ができていない。今日は暑かったので一列剥いだところでギブアップ。確か全部で4列あったと思うが、明日からの天気次第でまた梅雨明けまでペンディングか?
今年はうっかりして青紫蘇(大葉)を植えそこなった、5月に入ってすぐだったろうか、気がついてホームセンターに行ったらもう終わりましたとのことだった、ご近所の菜園に大葉があるのを知っていたので、貰いに行った所、雑草のように増えて困るから抜いているくらいだからどうぞどうぞ、ということだった、それで、安心して、その後貰いに行くのを忘れてしまった。今更行って移植も面倒くさいなあと思っていたら、チューブ入りの紫蘇が売っているのを知った。生姜やワサビ、ニンニク、カラシはあるけど、紫蘇のチューブがあるのは知らなかった。これがあると一安心だ、夏場は冷やヤッコや素麺には欠かせないからな。
晩飯。オムライス。
太郎、定例の虎舞練習日、夜、送迎す。迎えに行ったときには練習は終わってこどもたちは遊んでいたが、お母さんたちが笛の練習をしていた。少子化でお母さん方も戦力になるべく練習をしていたのだろうか。
○
令和 元年 6月24日 (月)
朝からまるで梅雨が開けたような爽やかな青空が広がっていた、空気も乾燥していてひんやりと気持ちがいい、それもどうやら水曜日あたりからようやく梅雨入りしそうな気配だが、季節が混乱してくる。日が落ちてから気がついたが阿蘇中岳の噴煙が結構上がっているなあ。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
最低気温 13.8℃ (05:42)、最高気温 28.1℃ (15:39)
今晩7時半ころだったろうか、伊豆半島あたりでちょっと大きな地震があった、今朝も何処だったろう、千葉だったか、同じような地震があった、なんとなく、いやな雰囲気になってきている。それでも、実際にその時になるまで誰もがまだ大丈夫だろうと思っている。そして小生自身は、もうここには大地震は来ないと思っている。
今朝の地震のときにはラジオを聞いていなかったので発生した時は知らなかったが、夜はラジオを聞いていたときに緊急地震速報が流れた、緊急地震速報が聞こえる場合は直近の地震ではないので落ち着いて聞くことが出来る、直近の地震の場合は緊急地震速報が流れる前にグラグラ来る、いや、流れる前にというより直近の場合は経験的には流れなかったような気がする。
登校風景 今日は5年生の姿が見えない、さっちゃんに、お兄ちゃんは?と尋ねると、お泊り学習(と言ったかな)です、とのこと。そう言えば、毎年五年生は今の時期、海辺の町に宿泊学習にでかける、6年生の修学旅行より宿泊日数は長い。確か八代水俣方面だったと思う。娘の頃は、海辺の町の小学校と山の坂梨小学校とで相互訪問の形で両校の児童が数日間行動をともにした記憶があるが、今はこちらから出かけるだけで、相互訪問は無いようだ。
今の時期、ユスリカ(ここでは頭虫と言う)が大発生していて、こどもたちは頭の上の虫を払い払いしながら登校していった。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
午前中、坂本棟梁から大黒屋さんの梅の木を切ったけど要るか?と電話をもらったので、要る要る!とすぐに貰いに行ってきた。切ったばかりで重機ですぐに積んでくれたので、膝に負担を掛けること無く持ち帰えることができた。(写真1・写真2)
晩飯。先日もらったジャガイモで今日は天ぷらを揚げた、世間では芋の天ぷらというと、サツマイモだが、我が家では、いや、小生は、ジャガイモで揚げる。子どもたちもそれに慣れているのでジャガイモの方を好む。サツマイモは終戦直後に米の代わりにずいぶんと食べたせいかどうだかわからないがあまり好きではない(大学イモとスイートポテトは別だが)。我が家の天ぷらの定番、ジャガイモとナス、タマネギ、それにエビだ。
アゼリは月一の全館休業日、面倒なので、家の風呂にも入らなかった。
(和文モールス、6/14と昨日のつづき)
無線電信のことを一般的にCWと言うが、このCWはContinuous Wave「連続波」の略である。つまり連続波である搬送波を断続することでモールス通信をする、ところが電信が始まったころはまだこの連続波を作ることはできなかった。この連続波を作ることが出来るようになれば、電波に音を乗せて送ることが出来るが、連続波が作れない時代、つまり、火花送信機と言ってバチバチで高周波もどきを作っていた時代の電波は、減衰波と言って、一定の安定した周波数を発信し続ける技術が無かった。しかも、いろいろな周波数成分が含まれていて、言ってみれば雑音のかたまりのような電波だったので、これに音を乗せることも、受けた電波から音を作る事もできなかった。
しかし、たとえこの汚い電波であっても、それを飛ばして、遠くでアンテナで受信することが出来ることは、既に前に書いた。だからそれから出来ることと言えば、その電波を使って有線電信の時と同じように紙テープにその電波の断続を記していく方法になる。
ところが、これも書いたが、電流をON OFFすることで印字機が筆を上げ下げして紙テープに記すための電磁石は直流電源でなければならず、これに対して、飛んできた電波は、これは交流電流になるので、この受信電波の断続で電磁石を動かすことはできない。
そこで登場するのが「コヒーラ検波器」というシロモノである。この原理は、アルミニュームという金属があるが、これは基本的には導体であるが、非常に酸化しやすくて、空気中に置くとすぐに表面にアルミ酸化皮膜という薄い膜ができてしまってそれが電気を通しにくくなる性質がある。(この自然に出来る酸化被膜は非常に薄いので、これを工業的に作ったものを「アルマイト」と言って、小生なんかの子供の頃は弁当箱にごく普通に使われていたが、今はどうなんだろう)。
ところが、不思議なことに、この電気を通しにくくなるこの酸化皮膜に覆われたアルミが、高周波、つまり、無線電波を受けると電気が通りやすくなることがわかった、この性質を利用して考えられたのが、「コヒーラ検波器」と言われるものである。
このコヒーラ検波器を一種のリレー、スイッチとして働いて、無線電波を受けたときにだけ、別電源の直流電流が流れて電磁石をONにする、そして、無線電波が途切れたときに、直流電流も切れて電磁石もOFFになって印字機の筆先が紙テープから離れる、という仕組みを考えた(もう少し詳しく書くと、一旦高周波を受けて電気が流れ出すとコヒーラ検波器の電気は流れ続けるので、これを断続させる装置がもうひとつ必要になるのだが)。これで、遠隔地間で無線で電信を送受信する事ができるようになった。
日露戦争日本海海戦で活躍をした無線電信機を三六式無線電信機と言ってまさにこの仕組を利用して作られた大日本帝国海軍明治三十六年制式の火花電信機なのである、横須賀にある保存艦「三笠」の艦上にその復元機が置いてある(小生は今度三笠に行ったときに、当時とは方式が異なるが、艦上に置いてある実際に擬似音が出る電鍵を使って、「・・・・本日天気晴朗ナレドモ・・」の電文を打ってみたいと思っているのだ)。
このコヒーラ検波器の実験はアルミホイールを使って子どもの自由研究にできるほど簡単なものなので、そのうちに太郎にやらせようと思っているが、youtubeなんかで「コヒーラ検波器」を検索すると容易に見つけることが出来る。
今はアマチュア無線界でもどんどんデジタルが進んでいるが、小生は和文モールを始めたのを機に、反対にこの初期の頃の無線機に非常に興味があって、火花式無線電信機の自作実験をしたいと思っているくらいである。[ラタ]
令和 元年 6月23日 (日)
晴れ。まだ梅雨前線は南にあるのだが、あまり日がさすこともなく、空には雲が不規則にたくさん浮いていた。今日は空気が冷たくて気持ちのいい一日だった。
最低気温 16.3℃ (05:40)、最高気温 26.1℃ (13:22)
昨日の夏至の日没は撮れなかったが、今日は沈む太陽を撮ることができた、ほとんど位置は変わっていないだろう、冬至の頃は米塚付近の矢印のあたりに沈んでいた。
今の時期、アジサイが美しい、雨が無いのがちょっと風情に欠けるが。昔は西洋アジサイが好きだったが今はガクアジサイのほうが好きである。
太郎と母親、テニスのレッスンに行った。そして昼ころには帰ってきて、カミさんは仕事にでかけた、今月は忙しいそうだ。夏子は今週は定期試験があるそうで、机に向かっていた。小生は自儘に過ごした。
(和文モールス通信について)
一体無線電信の何が良いのか。それは、無線電信は、単に搬送波だけで交信できるからである。この下りを書きながら、そう言えば、有線電信から無線電信に移っていった過程を書くつもりで、まだ書いていなかった、まあ、だれも読んでいないだろうから、それはまた気が向いたら書くとして。
音は周波数である、人が話す音声の周波数は概ね0.2~4kHzの範囲にある。この範囲で音色強弱によってその周波数は変化する、つまり「話し声」として相手に意味を持って伝わるのだ。だから、無線電波で音声を運ぶには、この話す周波数の波形を崩すこと無く搬送波に乗せて送ってやって、受信する側で、その音声周波数を戻して音として聞くことができなければ正しく送信できたことにはならない。この波形が崩れてしまうと、元の音声では無くなるし、音声として届かなくもなる。
そのためには、音声波形が崩れて(雑音になって)しまわないように必要な出力(電力)が求められる、いわゆるパワーである。このパワーが弱いと(電波が弱いと)、遠くまで届かないのである。これに対して無線電信ではどうかというと、無線電信ではただ単に、何も加工していない(変調をしていない)搬送波を送ってそれを断続しているだけである。よく勘違されるが、普通、無線電信(A1)では実際にはト・ツーという音響は飛ばしていないのである。しかし搬送波だけでは音として認識できないので、受信する方で、その断続する搬送波に合わせてト・ツーという音を作って聞いているのである。だから無線電信では搬送波の断続さえ認識できれば、音声を送るよりはるかに弱い電波でも遠くまで飛ばして情報を届けることが出来るのである。
(振幅変調方式では)無線機で音声信号で搬送波を変調して電波として飛ばして、受けた方でその変調波から復調して音声信号を取り出して音として聞くという作業をするかわりに、無線電信ではそういった回路を経ずに、断続した搬送波だけを送って、人間がそれを耳で聞いて、頭の中で瞬時に文字に変換するわけだが、人間の頭はじつに高性能のデコーダーということになる。昔はそんなことは考えもしなかったろうが、これはまさに今のデジタル通信そのものである。
これが無線電信が他の音声などによる無線に比べて優れたところである。
もっと更に子どもたちに分かりやすく説明するには、こんな例なんかどうだろう。オートバイはあまり沢山のモノを運ぶことはできないが、細い道で、小さなエンジンで移動することができる、これに対して、自動車は沢山のモノを積める代わりに広い道が必要な上にエンジンも大きくなければならない。
和文モールスを覚えながら「言葉」というものについて改めて考えてみた。人は言葉によって、自分の感情や考えを表現するし、更に他と意思の疎通を図るわけだが、考えてみたら、日本語の場合は、カナにすれば50字前後でそれを総てしていることになる。わずか50文字の組み合わせを使って、無限とも思われる表現が出来るのである。表現したい文字がたとえ漢字であろうとカナ読みができる、アルファベットであってもエー、ビーというカナで表すことが出来る、数字にしてもイチ・ニ・サンという具合にである。欧米人はアイウエオの50音の半分くらいでそれをやっているのだが、しかし、我々日本語を母国語とする者にとっては、英語では日本語を使うようには繊細には使うことができない、だからアルファベットの倍くらいのアイウエを覚えなければならないが、たとえそれでも日本語のモールスのほうが、日本語同士であれば交換できる情報量は英文で行うよりははるかに多くなる。日本語モールスを覚え始めのころは、その符号の多さにウンザリするほどであったが、覚えてしまうと(実際にはまだこの言葉を使うほどの域には達していないが、それでも、そう思うのだが)、ナンダたったこれだけか、覚えなければいけないのは、というふうになってくるのである。
カナ50文字と弱い搬送波だけ、これで、和文モールス通信が出来るのである、これは実に素晴らしいことではないか。それに人が簡単にやれないことが出来る・・・・これは正直気分がいいのだ。
令和 元年 6月22日 (土)
そうか、今日は夏至だったのだ、一年で一番昼が長い日、太陽が一番北に寄る日、沈む太陽を撮ろうと思っていたが、今日は朝から靄がかかったように一日中視界が悪かった、オマケに、夕方、土砂降りの雨、ちょうど風呂から上がってアゼリアから出ようとしていた時だった、雨が止むまでしばらくロビーで本を読んでから帰ってってきた。完全に夏の夕立だった。ここのところ最低気温がイヤに高い、夏でもここは明け方布団を被るくらいなのに。
最低気温 19.4℃ (00:09)、最高気温 26.6℃ (12:51)
土曜週例の馬の世話に行く。子どもたち二人とも今日は予定があったので小生一人で行ってきた。夏子は月一のピアノのレッスン日だった。太郎はそれにくっついて三人で山を下りていった。
令和 元年 6月21日 (金)
晴れ。明け方にこんなに気温が高いのも珍しい。
最低気温 18.7℃ (04:41)、最高気温 27.2℃ (15:27)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
滝室坂トンネルの坂梨口の工事、最初の頃はトンネルのアーチ状の穴が見えていたが、最近ではそれを塞いで外からは完全に隔離した状態になっている。ある程度掘ったら、騒音が外に漏れないように出入り口を塞いで、中で粛々と掘り続けて、掘った土砂をコンベアーで外に出して、それをトラックで離れた場所にある外輪の麓の土砂の廃棄場所まで運ぶという計画である。掘削が軌道に乗りだすと一日に大型トラックで延べ100台だったか200台だったかの土砂を運ぶそうで、その土砂の運搬用の道路まで一般の通行の障害にならなように田んぼの中を横切って専用道路を造成中である。さすが国策事業はやることが違う。
今日は裏の畑の草刈りをした。かなり竹が伸びてきており(写真1・写真2・写真3)、まだ柔らかいので刈払機で楽に切り倒す事ができるが、このまま放置すると後が大変になる。ついでに周辺の草も刈っておいた。残るは家の北側だが、もう、ちょっと踏み込めないほどに竹などが繁茂していてちょっと大変な作業になる。この部分を開通させると、家の周りをぐるりと馬が走られるような周回コースが出来るのだが、ただ、そう思うだけである。
ふと思い出して、空也十番勝負を図書館で検索してみたら、貸出可能になっていたので、最新作三冊借りてきた。まあ、惰性のようなものだが、その前のシリーズから延々と読み続けているのでそれなりに愛着のある小説である。
晩飯。昨日もらったジャガイモ、早速今日ポテトサラダを作った、となると、トンカツかチキンカツになる。今日はトンカツを揚げた。
令和 元年 6月20日 (木)
晴れ。気温が上がる。このあたりの梅雨入りは来週の半ばくらいだとラジオで言っていた。梅雨に入ると早く明けてくれと願うが、入らないと逆に心配になって早く入ってくれと願うようになる、勝手なものである。
最低気温 15.4℃ (05:17)、最高気温 28.6℃ (14:46)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
梅雨入りがずいぶんと遅れていて、水不足の心配が新聞に載っていた、梅雨に入るとしばらく畑を耕すことができなくなる、自然越年した二年越しのジャガイモが出来るかどうか様子見で刈り残してあった畑の一部、生っているかどうか掘ってみたら、やはり、素揚げにするほどの大きさにも育っていなかった、それはそうだろう、肥料も全くやっていなかったのだから。北朝鮮など世界には飢餓に瀕している地域が沢山あり、そのようなところでは貴重な食料になるのだろうが、幸いに、ここ日本では収穫するエネルギーを考えたら無駄になると判断して、拾わずに鋤き込んだ。
ちょうどトラクターに乗っているときに、菜園大好きのご近所の節子さんが一輪車を押して、また何か野菜を届けてくれたようだ、離れたところからお礼を言って、作業が終わって玄関のところに行ってみるとなんとジャガイモ!無理して小さなイモを拾わなくてよかった。発育不良のジャガイモの後始末をしているところに丸々肥ったジャガイモの到来、なんというめぐり合わせか。今年はとうとうジャガイモまで作るのをやめたので大変嬉しい。
「空母いぶき」という映画が最近公開された、尖閣をめぐり実際に起こりうる戦争で、原作ではちゃんと侵略国が中国になっていたのに、映画では架空の国に変更されていたそうだ、一番大事な部分でこんな腰の引けた設定をする映画などそれだけで最初から観る価値は無いと思っていた。が、近々、公開される、「アルキメデスの大戦」< https://archimedes-movie.jp/ > これは是非観たいと思っている。これも漫画が原作というのがちょっと気に入らないが、計算尺なんか小道具で出てくるだろうか。
晩飯。餃子を蒸してみた。野菜サラダと味噌汁代わりに、野菜をたくさん使ったスープを作った。
令和 元年 6月19日 (水)
晴れ。梅雨前線が大分北上して九州に掛かり始めている、それでもここはまだ晴天域だった。(写真1・写真2・写真3)
最低気温 15.8℃ (03:32)、最高気温 25.7℃ (16:22)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10・写真11)
太郎、水泳教室。このスケジュールを知らせるアラーム音が鳴るまで今日はてっきり火曜日だとばかり思っていた。
この日は、迎えに行ったりで晩飯を作る時間が無くなるのでいつもカレーのようなものを作っているが、今日は火曜日だとばかり思っていたので普通に夕食の準備にかかっていて、びっくりした。幸いに、時間に間に合って普通の献立で夕食を食べることができた。
晩飯。牛肉と野菜たっぷりの甘酢あんかけ、などなど。
令和 元年 6月18日 (火)
曇り。天気図を見ると高気圧圏内にありながら、青空はあまり見えず、昼間には少し雨さえ降ったほどだった。いよいよ梅雨間近だという雰囲気である。
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10・写真11)
今日は御婦人お二人の来訪があった。お一人は、そもそも、どういうきっかけだったかいくつか接点があるので忘れたが、毎朝登校を見守っている小学生の姉弟のおばあちゃんで、藤井さん。もう御一方は、坂梨に関しては小生と同じような共通点がある横澤さん。つまり二人ともここで生まれ育ったわけではないが、定年を機に関東から父祖の地にもどってきて坂梨が大好きだという共通点である。
横澤さんは日本画家で、冬季を除く期間を坂梨に滞在して、創作活動に励まれる、そのような暮らしを昨年からだったか一昨年からだったかされている。藤井さんとはお隣同士で、藤井さんは坂梨おける横澤さんの指南、介添え役的に時々ご一緒されているそうである。
横澤さんは元々学校の先生だった人で、絵の傍ら、安岡定子さんが主宰する「こども論語塾」http://www.sadakorongo.com/ や湯島聖堂で論語の勉強をされていて、坂梨のこどもたちに、夏休みのラジオ体操の後の時間を利用して坂梨公民館で安岡さんのような論語教室を是非開きたいという計画をお持ちである。また、ご先祖様のルーツ調査もあって坂梨を始めとした郷土の歴史にも非常に深い関心をお持ちで、その辺も合わせて、ひとつオマエの意見を聞かせろということで、お二人でおいでになった次第である。小生、横澤さんとは去年から面識があり、非常にバイタリティ旺盛性な方で、今日も、二時間ほどあっという間に時間が経ってしまうほど、論語塾の話、阿蘇の歴史など話題には事欠かなかった。
果たして、過疎化、少子化で坂梨でどれだけの子が集まるか、興味を示すかが非常に問題があるところだが、一人でもやりたいという熱意をお持ちで、そのうちに小生のホームページでも詳細をご紹介するということになった。
実は我が家でも、その昔、というほどもう大分経ってしまったが、安岡定子著「こども論語塾」という本を夏子がまだ小学生の頃、書見台と一緒に買ってやって事がある(2011H23.1.4日記)、しばらく素読をしたが、いつのまにかしなくなった。小生なんかは論語大好きだが、今の子供たちに「論語」という言葉自体がどう伝わるのだろうかとちょっと心配である。
晩飯。ジンギスカン。
○
令和 元年 6月17日 (月)
晴れ。今朝も気温が低かった。爽やかな一日だったが、そろそろ梅雨の気配が無いでもない。
最低気温 13.0℃ (05:45)、最高気温 25.4℃ (14:54)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
ん?昨日は「父の日」だったかあ?あいつら何にも言わなかったなあ。
ここ二日ばかり、シジュウカラ@横浜のカメラが映らないので胴元のJTQに尋ねたら、14日に無事巣立っていったから停波したそうだ、そうだったのか、あっという間だったなあ。
晩飯。鶏もものムニエル、ほうれん草などのホワイトソース和えなどなど。いつもはブタ肉で作るが、鶏肉もやわらかくて旨いなあこれからブタでなくて鶏でいくか。
令和 元年 6月16日 (日)
曇り。
最低気温 16.3℃ (00:27)、最高気温 22.0℃ (14:33)
太郎と母親はテニスレッスンで熊本へ。レッスンは午前中で終わり、引き続き、大観峰で行われた募金活動に二人で行ったそうだ、なんでもカミさんの仕事絡みのボランティア活動だそうで、夕方前には帰ってきた。
夏子は一日中、机に向かっていた。
小生は今日は自己啓発以外の特記事項はナシ。
こんな日の日記は楽ちん楽ちん。
令和 元年 6月15日 (土)
雨のち、午後から回復方向。天気図はこうなった、夕方には青空が覗いていた。気温の上がり下がりもほとんど無くフラットな気温変化だった。
最低気温 17.1℃ (09:57)、最高気温 18.5℃ (00:43)
今日の馬の世話。太郎は雨が降っていたので休んだ、夏子は英語の検定試験があるとかで学校に出かけたので小生一人だった。今日の英語検定はGTECとか言っていた、検定試験には英検やTOEICだとかいろいろとあるもんだ。夏子の大学受験の年からセンター試験が無くなって新しいシステムで試験をやるそうだが、小生にはそのあたりのことは全くわからない。
朝、南阿蘇に出かける時はまだ弱い雨が降っており煙ってはいたが山は見えた。帰りの山越えは霧の中、道路だけが見えている中を帰ってきた。
(写真1・写真2・写真3)
地面が乾いているときにはエサは地面に撒いてやってもいいが、雨でドロドロの時は、小屋の中に撒いてやる。ただ、馬糞がたくさん落ちているので、先ず、それらを片付けてからエサをやるのでいつもよりは少し時間がかかった。
今年も市主催の住民健診の案内が来た。昨年後期高齢者になった途端、市の医療財政の埒外になったので早い話が扱いが雑になって、メタボ検診などもやらなくなった、もうご自由に生きてくださいということだと思う。まあ、高齢者になってあまりメタボもいなくなるのだろうが、小生はこのメタボ検診を体調管理の一つの目安にしていたので、もうどうでもいいのかと、あまりウェイトコントロールにも熱心でなくなった。
今日は坂梨保育園の夏祭りで、坂梨子ども虎舞も出演依頼があったので、夕方になって太郎と母親は出かけていった。夏子は、友達と「よかよか亭」で焼肉パーティーをやるというので小生が送っていった。(写真拝借)
となると、晩飯は小生一人だ。ということで、豪華ボッチめし~
ところが食事が終わるか終わらないうちに太郎と母親が帰ってきた。いままでは焼きそばなどの屋台が出て、そこで夕食を済ませてくるのだが、今年は坂梨体育館でやったので、そういった屋台が出せないそうで、虎舞演舞の後、ほとんど食べること無く帰ってきて、二人であたふたと夕食の準備をしていた。ああ早く済ませておいてよかった、取られるところだった。
9時前に夏子を迎えに行って帰ってきた三人が手許のモニターで見ていると玄関のところでウロウロしていて一向に家に入ってこない。ずいぶん経ってからようやく入ってきたのでどうしたのかと訊くと、家の壁にホタルが、それに家の周りに何匹か飛んでいたから・・・という。数年前の豪雨災害で殆ど見なくなって以来ずいぶん長い間ホタルを見なかったが、玄関先にまで飛んでくるほどに回復してきたのだ、これは嬉しい限りだ。小生のカメラで撮ると壁に取り付いているのは撮れるが、光っているのは撮れない、夏子のスマホでなんとか撮れた。
(和文モールス通信ネタ)
和文モールスを勉強していると、「ヰ(ゐ)」や「ヱ(ゑ)」も符号の中に入っていて、今はもう使うことはないが一応セットで入っているので覚えざるを得ない。
和文モールを覚えるのに、イロハ順が良いか、アイウエオ順が良いか、いろいろ意見がある、昔、日本語のモールスを決めるときに、ただ機械的にABCのアルファベットに順にイロハを充てていって(完全に順番通りではないが)、アルファベットの文字数のほうが少ないから、アルファベットが終わった後に残りの日本語に適当に符号を割り振っていったので、覚えるときにアルファベット順に割り振ってあるという頭で覚えるから、あまり感心しない、だからアイウエオ順が良いという意見があって、そんなことはあまり関係がないかなとは思ったが、小生はアイウエオ順で覚えた、覚えてしまえばどちらでも良いのだが。
このイロハは「色は匂へど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず」で誰でも知っている「いろは歌」である。このなかにも、もともとは「ヰ(ゐ)」や「ヱ(ゑ)」はあるが、今は使われなくなって、イとエに置き換わっている。
このいろは歌は弘法大師が作ったと言われるほど昔からあるが(実際はそうではないようだが)、明治時代に新聞の懸賞で作られた、名文がある、あまり知られてはいないが、「いろは歌」に対して、「とりな歌(あるいは鳥啼き歌)」と呼ばれている。
これなんかも送信練習に使える。
トリナクコヱスユメサマセ
ミヨアケワタルヒンカシヲ
ソライロハエテオキツヘニ
ホフネムレヰヌモヤノウチ
鳥啼く声す夢醒ませ
見よ明け渡る東を
空色映えて沖つ辺に
帆船群れゐぬ靄のうち
こんなことを書いていてフト疑問に思った、いろは歌などがまだない時代には「かな文字」は当然存在していたのだろうが、一体どういう風に順序立てて整理されていたのだろうか。
英語では昔からあるタイプライターの練習文、今は、PCのキーボードの練習に使われているが、
The quick brown fox jumps over the lazy dog. なんかは有名だが、アルファベットは文字数が少ないから完全に一回づつというパングラムは難しいようだ。
令和 元年 6月14日 (金)
いつから雨が振り始めたろうか、完全に忘れている、朝は降っていなかったが午後買い物に出る時は降っていたなあ。あまり大した雨では無かったが。
最低気温 17.8℃ (00:41)、最高気温 19.7℃ (09:32)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
和文モールスを覚えるにあたって、先ず不安だったのは、欧文ですら完璧とは程遠い状態で和文なんか覚えたら頭の中がゴチャゴチャになるのではないかということだった、この不安は非常に大きかった。そして、和文の練習を始めたところ、思っていたとおり、ゴチャゴチャになった。でも、人間とは実に器用なもので、今のところはまだ意識する必要はあるが、欧文の時は欧文、和文の時は和文と同じ符号であっても聞き分ける事ができるものである。例えて言うなら。マニュアル車とオートマ車をなんの問題もなく、乗り分けているのと同じようなものなのかもしれない。軽トラックはマニュアル車である、乗用車のほうはオートマ車である。最初の頃はかなり意識する必要があり、オートマ車でクラッチがないのに思わずクラッチを踏むつもりで床を強く踏んだりしたこともあったり、マニュアル車で低速になってそのままでいてエンストを起こしたこともあったが、慣れてしまうと全くそのようなことはなく、一日に何度も乗り換えてもミスを起こさなくなる。カミさんですら問題無く乗りこなしているから、繰り返すが人間とは実に器用な動物である。
和文を練習するときにはモールス音をリラックスして聞くのとある程度の緊張感を持って聞くのとどちらがいいか。
聴いて覚える場合、寝っ転がって聞くか、起き上がって聞くか、音源に正対して聞くか、後ろ側から聞くか、いろいろある。まあ、結局は集中度の問題なのだろうが短時間でも、正対して集中して聞いたほうが頭によく入る。そのような姿勢を取れない時は仕方が無いが、これは何も電信に限ったことでは無いのだろうが。
それにしても相変わらず、毎日覚えては忘れ、忘れては覚えるの繰り返しだ。
「千万人と雖も吾往かん」という言葉があるが、この伝でいけば、「千万分の一」と雖も吾往かんである。
自反而縮 雖千萬人 吾往矣
【読み】みずからをかえりみてなおくんば、せんまんにんといえども、われゆかん。
この「千万」という意味、一千万の千万という意味ではない、千人・万人といえども、という意味である、と小生は思っているがちょっと調べたところでは載っていない、見つけられなかった、どれにも千万人で済ませてある。
ウイーン在住の薫ちゃんとAlgyが仲間とコンサートを開くそうだ、もちろん行くことなんて出来ないし、この日記を読んで行く人も皆無である。でも記念と記録、ポスターを残しておこう。
晩飯。トンカツを揚げて、ポテトサラダを山ほど作った。
(以下は日記ではない・・モールス通信ネタ)
「無線の原理」(6/4の続き)・・・電波に全く縁のない人や子供向け(かなりいい加減な説明になる、間違っていたらご指摘を)
今でこそ、「電波」は「当然にある」から出発する。だから、ラジオ・テレビ・携帯などなどでどうして情報が届くのだろうかなんて誰も思わない、届いて当たり前とみんな思っている、まあ、空気のようなものだ。
電線を電気が通る、これも理屈を考えると面倒なので、通って当たり前、から話を続けると、じゃあ、電線のないところに電気を通すにはどうするか、ということになる。
電線の無い空間を通る電気が「電波」ということになる。電線のない空間を電気が通るのか。通るのである。早い話、雷の稲妻、あれがそうだ、空からピカピカと光って地上に落ちる雷、あれは空中を電気が通っているのである、電気は空間を通るのである。乾燥した冬にドアノブなんか触ると、触ろうとする瞬間、バチバチと静電気が走る、あれもほんの短い隙間を電気が通っているのである、放電とでも言うか。
ただ、このピカピカ、バチバチはまだ電波とは言えないが、そして、これから実際にヒントを得たのかどうか知らないが、誰だったか、この理屈を利用することに気がついた。そこで、人工的にこのピカピカ、バチバチを作ることにした。
電線の近くで磁石を動かすと電線の中を電気が起きて通る、ファラデーの電磁誘導の法則、いや違ったか、フレミングの右手の法則だったか、まあそのあたりだろう。
この仕組を利用して、コイルの近くで磁石の行ったり来たりを高速で繰り返すと、電気が発生する、つまり発電機の仕組みである。ただこれだけではバチバチが起きないので、この発生した電気の電圧を上げる。これは巻き数の違うコイルを隣り合わせに置くと、電気的につながっていなくても、隣のコイルに電流が発生する、そして発生する電圧はコイルのエナメル線の巻数に比例するので、後から置いたコイルの巻き数を多くすると、多くするほど高い電圧を得ることができる、つまり、これ、変圧器であるが。こうして出来た高い電圧を、小さな隙間を空けた二本の鉄棒に流して一方の鉄棒を地面に挿しておくと、これが雷さんと言うわけである。バチバチと光って火花が鉄棒間を飛んで地面に落ちる。
そしてもう一方の鉄棒に工夫をしてやれば、それは電波となってお空に向かって飛んでいくのである、その工夫というのがアンテナということになる。
テレビなど日常生活では電波を受けることが主だが、同じ理屈でアンテナは電波を受けもすれば送ることもする。携帯の電波はその両方をしているのをみれば分かる。
このアンテナの理屈を述べだすとキリがないので、アンテナというものは長いの短いのといろいろ長さがある(丸いのもあればいろいろある)が、これは好みで適当に決めるものではない、なんとなく長いほうがいいような気もするが、それも違う。
その電波(の周波数)によって、適した長さのアンテナというものが決まってくる。その電波(の周波数に)に適したた長さのアンテナを使うことで、効率よく電流を電波として放出したり、逆に受信したりできるのである。それが証拠に、実際に飛んできた電波を受けて元の電気に戻してランプを点灯したりすることもできるのである。宇宙空間で太陽光で発電してそれを電波として地球まで飛ばして電気に戻す研究なども実際に行われている。
上に述べた人工的に作り出した電気は、これは交流と言う。コイルの近くに置いた磁石の往復を早くすればするほどコイルの中を流れる電気の行き来する回数は多くなる、「行き来」とはプラスとマイナスの流れが反転する事を言うが、これも理屈を説明するのが大変なので、省く。(こうやってプラスとマイナスとが反転する電気を交流と言って、反対に、乾電池などから流れる変化しない電気は直流という。)
上に書いたこのバチバチの実際は、卑近な例としてはクルマのエンジンのスパークプラグがある、エンジンを掛けるとボロいクルマなんかラジオに雑音がはいることがあるが、あの雑音がスパークした火花が意図せず電波となってラジオに入ってきたものなのだ。
だから、仮にクルマのスパークブラグにアンテナを繋いでやると、もっと遠くまでその雑音は電波となって飛んでいくのである(はずである)。
こうやって電波を作ってアンテナから飛ばしてやることが出来たら、こんどはそれを遠くでアンテナで拾ってやればいいということになる。これの理屈は電波を送る、の逆だからどうということはない、そしてアンテナで受けた電波を電気に戻すこともできることはもう書いた。
こうやって、電波の送受信ができるようになったので、それで次は、電波から電流に戻った電気で電磁石を動かせば有線電信と同じように電線が無くても遠隔地と情報の送受信ができる理屈である。
ところが、電波(から戻した電気)は交流で、電磁石は直流でないと動かないから、そのままでは電磁石としてカチカチと働かないので、ここにもうひと工夫がいることになる。今でこそ、電波で音の情報や映像などが運ばれてくるが、このようやくなんとか電波を作り出した時代には、まだ音や絵を電波で送る技術は無かった。とにかく電波らしきものを作って飛ばして、それを受けることしか出来なかったのである。だから、この電波で電磁石のカチカチを使った電信機を動かさなければならない。(つづく)
○
令和 元年 6月13日 (木)
晴れ。朝から無風状態、噴煙がまっすぐ上がっていた。北の高気圧圏内にあるため、湿度が低くて空気がひんやりして気持ちがいい。
(写真1・写真2・写真3)
最低気温 13.6℃ (05:07)、最高気温 26.6℃ (14:30)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
今の時期、スケジュール表を見なければならないことが全く無いので安心してのんびり出来る、自己啓発で暮れる。
晩飯。柳川もどき、ほうれん草のホワイトソース和え、冷や奴、味噌汁など
今日は臨時の虎舞練習日だということを忘れていて危うく遅刻するところだった。
令和 元年 6月12日 (水)
爽やかな天気が続く。大陸の高気圧のせいなのだろうか、朝なんか寒いくらいだった。
最低気温 12.6℃ (05:27)、最高気温 25.2℃ (13:54)
今日の阿蘇山 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
午前中、表の県道にあたる路肩部分の草刈りをした、少し前に刈ったのでそれほど伸びていなかったが、最近、何故だかこまめに草刈りをする、ついでにお向かいの道路側の草も刈っておいた。最近は家庭菜園を全くしないので、その分の労力が余っているのは確かだが。
MQYが阿蘇での滞在を終えて関東に帰っていった(はずだ、今日はつながらなかったが昨日確かそう言っていた)。
太郎、水泳教室。
晩飯 カレー。
-雑俳-
「長音符号に惑わされ、「ム」を「ムー」、「ヨ」を「ヨー」と延ばす吾なり」 -風師庵-
現在では合調法は駄目だという意見がほとんどなので、その昔欧文の時もそうだったが、今回も合調法は全く使わず、音感法で和文モールスを覚えたが、それでも知らず知らずに自己流で無意識に合調法らしきものを頭の中で作っていたりする、この「ム」(-)と「ヨ」(--)は合調法ではどうなっているだろうかと思って調べたら、同じように「ムー」「ヨーヨー」で覚えるようになっていた、誰でも考えることは同じだ。
合調法とは、語呂合わせで覚えるやり方である。(合調法一例)
それに対して、音感法は文字符号を一つのカタマリとして「音」というか「リズム」として捉えて覚えるやりかたである。今はこの音感法が主流なようである。
令和 元年 6月11日 (火)
晴れ。九州北部はしばらくは梅雨入りがなさそうだ。
最低気温 13.3℃ (05:31)、最高気温 23.7℃ (15:47)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
シジュウカラ@横浜・・・ちょっと見ない間にこんなに大きくなって・・・・
googleの日本語入力(IME)にあまり知られていないが和文モールスバージョンがある。これだとキーボードの文字を打たなくても、マウスのボタンをキー代わりにト・ツー形式でクリックすると、日本語変換されて、モニターに文字が表示される。まあ、お遊びのようなものだが、このページだけでなくてこれを正式に入力方式の一つとして採用してもらえると面白いと思うのだが。https://www.google.co.jp/ime/-.-.html
また、電離層スキップなどでつながらない、仲間と、キーをつないで、LINEやネット回線で電信ができると面白いと思っていたが、ちょっと調べたら、ネット回線で電信ができる海外製のフリーソフト CWcom があるようだ。でもこれは特定の相手方とではなくて、オープンの場所でやるネット空間をお空に見立ててやる仕組みのようだ。http://a1club.net/CWC/CWC.htm
晩飯。豚ダイコンなどなど
太郎、虎舞の練習日、母親が早く帰ってきたので連れて行った。
○
令和 元年 6月10日 (月)
晴れ。今日の夕方の阿蘇中岳
最低気温 16.2℃ (04:54)、最高気温 25.4℃ (15:14)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
葬祭用語に「逮夜」という言葉がある。初七日という言葉は一般的だが、この「逮夜」という言葉は、地域によってまったく知られていない言葉だが、「逮夜」と書いて「たいや」と読む。正式には初七日前日を指すらしいが初七日と同じ意味で使われているようでもある。二(ふた)七日の前日を二逮夜(ふたたいや)、三逮夜・・と続いて、七逮夜まで、葬儀のあったお宅では毎週その行事が続くらしい、特に浄土真宗で行われているのだろうか、この近辺は浄土真宗の門徒が多い。もう20年近く昔になるが、ここに来たての頃、組内で葬儀があって、後日、電話で「逮夜をしますのでお参りください」と案内を頂いたことがあるが、そんな言葉など全く知らなかったので、逮夜を「大安」と取り違えて電話でチンプンカンプンのやりとりをした記憶がある。
今日は先日亡くなられた藤井係さんのその逮夜だった、もう一週間経ったのだ、村の人達が誘い合ってお参りをするということを教えていただいたので、小生は我が家でも婆様のときにはしなかったので、迷った結果今日はご無礼しようと一旦は思ったが、改めて婆様の時はどうだったろうと日記を遡ってみたところ、初七日の日に村の人たちが何名かお参りにおいでいただいたことが書いてあった、もう全く忘れてしまっていた。ということで、午後からお参りに行く仲間に入れていただいてお参りをしてきた。軽くお参りをして帰るつもりでいたが丁寧な御斎までご用意していただいていた。(写真1・写真2・写真3・写真4)
今回のことで婆様の葬儀のころの日記(2010/4)を読み返したが、葬儀の時、親戚連中がどうやって集まってくれて、どうやって帰っていったか全く覚えていなかったので、今日、改めて読んで、そうだったんだなあと懐かしく思い出した。やはり日記というものはつけておくものだ、特に写真の記録は貴重である。
夕方近く、JA6MQYが中学校の同窓会があったのでと、約一年ぶりに阿蘇にやってきた、またすぐに帰るそうである。
晩飯。カツオのたたきなどなど。
非常通信のテスト交信、今朝JST09:00から4630kHzをワッチしてみたが、誰も出ていなかった。20:00にもワッチしたが聞こえなかった、スキップしていたのかもしれない。あるいは毎日必ずやっているものでも無いのかもしれない。これから暫くの間毎日ワッチしてみようと思っていたところ、20:20頃になって電信音が聞こえ始めて、昨夜と同じJA6QK局の電信が聞こえてきたが相手局が殆ど聞こえなかった。ランダムで聞き取り練習をするときにはわかったつもりでいても実際の交信を聞くと、どうしても英文で聴こうとして駄目である、よし、ますます闘志が掻き立てられる。
令和 元年 6月 9日 (日)
今日は九州には雲は全くかかっていなかったが、この付近では夕方雨が降るかもしれないという予報だった。山間部特有の天気なんだろうと思っていたが、確かに午前中は晴れていたが、午後に入って、噴煙なのか雲なのか分からなかったが阿蘇山上空はずっとどんよりと雲がかかっていた。そして夕方風呂に行ったときにはポツリポツリと雨粒が落ちていた。
最低気温 15.9℃ (04:06)、最高気温 24.0℃ (14:10)
太郎とカミさん、テニススクールへ。午後2時過ぎには帰ってきた。
小生は午前中三時間かけて草刈りをした。昨日鋤いた畑の周囲を綺麗にした、刈払機を3タンク分動かした。今の時期はまだ全く暑くない。こんなに綺麗に刈るなんて年に一度あるかないかの貴重な風景だからこれ見よがし写真を三枚も載せておく。(写真1・写真2・写真3)
ところで和文モールス人口ってどのくらいなんだろう、見当がつかない、欧文(アルファベット)は世界中数えたらたくさんいるだろうが、和文となるとどうだろうか、昔、試験のために一応覚えた人は結構いるかも知れないが、実際に打つ人は1万人くらいいるだろうか(おそらく、そんなに居ないだろう。世界人口が70億か?まあ、日本語に限るから、世界人口まで持ってくる必要はないか、日本の人口は今、1億1千万人くらいか、計算しやすいように1億人として、それで、仮に、和文モールス人口を1万人とすると、10,000/100,000,000だから、0.0001だ、ということは1万人に1人くらいということになる(計算合ってるかな)。
4630kHzという無線の周波数がある、この周波数は非常通信連絡設定周波数として警察庁、海上保安庁、気象庁、海岸局などとアマチュア無線局が同じ周波数を使って大きな災害の時に非常通信を行うための周波数である、小生の免許状にもこの周波数は載っている、この周波数ではモールスのしかも和文で通信をするようになっているそうで、いままであまり関心がなかったが、和文を習得するようになって急にこの周波数に興味が出てきた。毎日9:00と20:00に 電波伝播調査、混信調査やリグ、アンテナなどの機器点検、調整を実施しているそうである。
今晩早速、20:00から4630kHzをワッチしてみた。このバンドの季節的、時間的な電波伝播状況は知らないが、正確に20:00になると電信が聞こえ始めた。おそらく順番でキー局を務めるようになっているのだろう、今晩はJA6QK局がキー局となって、各局と交信をしていた。このキー局は調べてみると超古老の無線局だ、バグキーを使っておいでのようだった(もしかしたら縦振れかもしれない)。スピードやノイズのせいもあって正直小生には取れなかった。今にみておれ、である。
(参考映像) https://www.youtube.com/watch?v=D2TnuhZumIw
令和 元年 6月 8日 (土)
朝のうち時々霧のような雨、その後回復に向かい、夕方になってようやく阿蘇谷に西日が射し込んでいた。今日のような天気図だったら、関東甲信方面が梅雨入りしたのに九州北部などがまだだというのは分かるな。阿蘇中岳、ここのところ静かになったかなと思っていると、時々思い出したように噴煙が高く上がっている。NHKのライブカメラ、いつもだと火山博物館からと同じような映像だが、今日は南阿蘇からのカメラで撮っていた、ガソリンスタンドから判断すると、久木野のあたりにカメラがあるようだ。
最低気温 16.6℃ (03:28)、最高気温 21.6℃ (15:32)
登校風景 今日は土曜授業の日で、通常通りの登校だった。オープンスクールと言ったか、それにカミさんが参観した。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
小生は夏子と南阿蘇に馬の世話に行った。細かな雨が降っていたので、写真を撮る余裕がなかった、あくまで馬の世話が主で写真は従だからである。
(写真1・写真2・写真3)
南阿蘇からの帰り道、ラジオで落語をやっていて、ようやく「落ち」のところまで来た時に突然放送を中断して、ニュースが入った。サニブラウンが・・・と言ったので、何か大きな事故でもあったのかと思って聞き耳を立てていたら、アメリカの大会の100m走で9秒台の日本新記録を出したと言う。そんなことわざわざ臨時ニュースのように放送を中断してまで流すほどのことなのか、たったそれだけの短いニュースを伝えて放送に戻ったら、落語が終わってお囃子が流れていた。別に落語が聞けなかったことに腹を立てているのではない、そんなもの、放送の合間合間の時間にやればいいじゃないか、本当にバカNHKだ、バカプロデューサーだ。小生にはその価値がわからないがそんなに大ニュースなのか。
昼から、畑をトラクターで鋤いた。こうやってこまめに鋤いておくと、草茫々にならないで済む。
令和 元年 6月 7日 (金)
最低気温 18.6℃ (19:20)、最高気温 24.5℃ (05:55)
本日の雨量 41.9 mm
最大瞬間風速 19.2 m/s (06:55)
最低気圧 998.6 hPa (06:44) まだ下がったままだ。
朝鮮海峡にある低気圧が東に移動してまるで台風のような暴風雨になった。ちょうど子どもたちが通学するころが一番ひどくて、学校からのメールでも雨風が落ち着いてから登校するようにというほどであった。こんな日は当然、徒歩通学の子供はいないので、我が家でも太郎を小生が学校まで送っていった。校舎からかなり離れたところでクルマを降りるので雨風にびしょ濡れになりながら子どもたちが校舎に向かっていた。雨風が強くて今日は写真を取る事ができなかった。
この天気のせいかどうかわからないが、東海関東甲信北陸方面までが梅雨入りしたそうだ、ところが南にあるここ九州北部などはまだ梅雨入りではないそうだ。・・・・・・・ この天気図でそれを判断するのだからプロのやることはわからない。南からだんだんと梅雨入りをしそうなものだが、そう言えば昨年の梅雨明けも、ここは他の地方よりも遅くなった。
今日の大荒れの天気も午前9時を過ぎたあたりから雲も通過して、雨も上がったが結局終日晴れることはなかった。
夕方太郎の学童の迎えに行った際には、風があったので保護者の皆さんちょと寒いですねえと言っていた、昨日までの気温との差が大きくて体がそう反応したのだろう。
晩飯。チキンカツを揚げて、ポテトサラダを作った。
○
令和 元年 6月 6日 (木)
朝のうち曇り、後、晴れ。ほとんど真夏日近くまで気温が上がる、それでも数字ほどの暑さは感じなかった、風があったので気持ちが良かった。
最低気温 19.7℃ (00:29)、最高気温 29.4℃ (14:03)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
組内の藤井係さんの葬儀がJA一の宮斎場で執り行われた。我々より若い年代の人達は親しみをこめて「かかりオッサン」と呼んでいた。村の人みなさんとお手伝いに行った。いわゆる葬式組というものである。今回は遺族のご意向で会葬者にお出しするお斎は無かったので、女性軍の出番は昨夜お通夜の時の接待だけだった。式終了後、公民館で葬式組でお斎をいただいた。小生がここに来てから村の人、もう何人送ったろうか、高齢者が少しずつ亡くなっていって、若い人はどんどん村を出ていくので村の人口は減る一方である。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10・写真11)
少し前に耕した前の畑、そろそろまた緑で覆われ始めた、あまり草が伸びないうちにトラクターで鋤いておくと楽なのだが、あまり延びるとトラクターのロータリーが草に力負けして鋤けなくなって結局また刈払機刈らなければならなくなる、だから今年こそはこまめにトラクターで鋤こうと思っていたのに、明日は大雨でそろそろ梅雨入りになりそうな気配だ、なんとか晴れ間を縫ってトラクターを動かさなくてはならない。
UPSのバッテリーが届いたので交換した。古いバッテリーからコネクター類を外して新しいバッテリーに付けるだけ終わりと思っていたら、バッテリーのターミナルの間隔が新旧で微妙に違うことがわかった、バッテリーの大きさや、ターミナルの形状、基本的な位置は間違いないのだが、そういいながらもターミナルの位置がかなりずれていていい加減なのである。これは想定外だった。バッテリーをシリーズに繋ぐ際に留める金具の穴とかなりずれている。この金具、単なる金具と思っていたら、どうも、ヒューズのようだ、32V100Aと彫ってある、中を見ると、多分銅製の接続金具の中央あたりが細くくびれている、単にこれだけのようだ。こんなところのヒューズは敢えて要らないだろうから、直につないでしまおうかと思ったが、まあ、待て待て、全く意味がないものでもないだろうと、穴を少し広げてなんとかつないで、交換した。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
アゼリアの会員年度更新をした。もう軽く十二支を一巡していてQSOパーティなら完成している。このくらい連続して更新していれば一年くらい無料更新してくれても良さそうだが、そんなサービスは無い。年会費24,000円也。これで温泉も50m温水プールもアスレチックも使い放題。プールなんて時間帯にもよるがほとんど貸切状態だ。仮に風呂だけ300日入ったとしたら、1回あたり約77円、これにプールにアスレチック、もう殆どタダのような値段になる。自分の家に風呂がありながら温泉通いをしている人ばかりだ。
令和 元年 6月 5日 (水)
梅雨の晴れ間、と言う感じだったが、ここはまだ梅雨入りしていなかった。湿度が高くてちょっと蒸すなあと思っていたら、今日はかなり気温が上がっていた。(写真1・写真2)
今日も阿蘇中岳は活発に噴煙を上げていた。
最低気温 16.7℃ (05:20)、最高気温 28.8℃ (15:04)
組内の藤井係さんが昨夜身罷られた。89歳だったそうで、もうだいぶん前から体を悪くされていた。小生は朝が早い、というか夜中に目が覚めるので、今日も早く目が覚めて窓の外を見たときにお宅の電灯がずっと点いていたので何かあったなとは思っていたが、今朝区長からその旨連絡があった。夜が明けるとともに村の人と誘いあってお悔やみに伺って、葬式組による葬儀の段取りをした。
午後6時から一の宮のJA葬祭場で通夜式。村の人達で受付や会葬者の接待をする。大勢の会葬者で会場が埋まった。 (写真1・写真2・写真3)
登校風景 朝の弔問で少し遅くなったので、小生がいつもの場所に行ったときにはこどもたちは何組かは通過した後だった。
(写真1・写真2)
先日来、我が風師庵測候所の雨量計がオカシイ、少ない雨ではあるが全く記録しない。今日、覗いてみた所、雨量計の漏斗の穴が詰まっていて雨が下に落ちずに火口湖のように溜まっていた。詰まりを除去して正常に戻った。点検する時にうっかり転倒マスを一回動かしたので今日は降っていないのに雨量を記録してしまった、まあいままでのツケを払ったことにする、一回カタリと動くと0.5mmのようだ。
先日の牟田口の薪材もらい、今日も電話を頂戴して出かけて二往復した。贅沢を言わせてもらえるならもうちょっと太いほうがいい。
通販で注文したUPSのバッテリー、もっと安価なやつがあるよと広告メールが入った、いつものパターンだ、買うときには結構いろいろ調べって、これだなと思って、注文すると、必ずそのあとから別の広告メールが入る、同じAmazonから来るのだったらもっと早く教えろよ、だ。今回来た同じ製品の広告メールは込み込みで8,000円、アタマに来るぞ(でもこれ、コネクター部分がちょっと違うかな)。
太郎、水泳教室。通夜の会場を少し早く抜けさせてもらって太郎を迎えに行って、帰って子どもたちに食べさせた。
晩飯。ハヤシライス
令和 元年 6月 4日 (火)
今日も時々降っているのかいないのか分からないような雨が降っていた。予報でも言っていたが日記を書いている時点(20時前)で遠雷が聞こえる、これがやってくるかどうかだ。
最低気温 18.8℃ (但し19:12時点)、最高気温 21.3℃ (10:12)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
UPSのバッテリーを注文した、ちょっと型が古いし、バッテリーもいろいろな形状があって間違って注文すると困るので、実際にケースから引き出して実物を確認して注文した。純正になると、コネクター類もつけてあって、そっくり入れ替えれば済むようになっているが値段が38,500円する、これに対してコネクター類は今のやつを外して付け替える必要があるが、バッテリー本体だけ売っているところが見つかったので、台湾製だが、10,893円で済んだ、この差は大きい。
武内陶子の「ごごラジ」、最近のNHKの民放化には腹が立っていたので、ちょっと今風にと迎合して無理をしているようにみえるが、声が落ち着いていてやわらかくて聞いていてなかなか結構である(熱心に聴いているわけではないけど)、ネットでちょっと調べたら面白くなくなったという声も結構ある、まあ、どちらかだろうが、小生がいいと言うから「いいね」というほうは多分少数派だろう。
晩飯。昨日太郎に何が食べたいか訊いたら、最近チンジャオロース食べていないね、と言ったので、今日はチンジャオロースなどなど。今日もカミさんが定時で帰ってきたが、それでも結局時間的に小生が作ることになる。
(以下は日記ではない・・モールス通信ネタ)
今や先進のデジタル技術でアマチュア無線界もどんどん新しい方式の無線交信がされている。そういう中にあって逆方向の無線の先祖帰りに関心を持っている人達もいる。最近一部OTたちが7MHzのAM送信機を作ってAM通信を楽しんでいる。小生は今、さらにもっと原点、無線電信の「火花送信機」に非常に興味を持っている。
その前に、どうして無線はモールス信号から始まったのか。いや無線より以前にどうして遠隔地と情報を交換する手段としてモールス信号が使われるようになったのか。先ずはここから始めなければならない。
今では子供でも知っている「電磁石」がそのモールス通信の原理である。
電磁石・・・・鉄の棒にエナメル線を巻いて乾電池をつなぐと鉄棒が磁石になって鉄片をくっ付ける、そして電池を外すと磁石でなくなって鉄片は落ちる、あれである。
この原理を利用して、電磁石で上下する鉄片の先にペンを付けておいて、その電磁石の下のほうに一定速度で動く紙テープを置いておいて、磁石に鉄片がくっついてペンが下がった時に紙テープに線を引いて、電気が切れた時に、鉄片が戻ってペン先が紙から離れる。
その原理を利用すると、線が引かれた時と引かれない時で、二通りの情報が伝わる、この紙テープに線が引かれている、線が引かれていない、即ち ONとOFFであるが、これ、まさにデジタル通信そのものなのである。
ところが、単に線が引かれている、いない、の二通りだけでは表現が限られるので、点と線とを幾通りも組み合わせることによってモールス信号が生まれた。だから電信のはじまりは、音で聞くト・ツーではなかったのだ。
そして、この電気が通る線を長くしさえすれば、遠くからでもこの信号を送ることができることがわかった、これが即ち電信である。原則、人が運ばなければ伝わらなかった情報が電気を使って瞬時に伝わる、これはもう当時としては画期的な発明だったことだろう。西南戦争時の情報戦、人が手紙を運ぶしか方法のなかった西郷軍が政府軍に勝てるわけがなかったろう。電気の利用ということでは電信は電灯よりも早く実用化された。だから当時、地上に立っていたのは電信のための柱であって電灯のための柱では無かった。故にいまでも電灯柱とは言わなで電信柱と言うのである。
日本初参加のパリ万博(1867慶応3年)に出かけた日本から使節団、現地で資金の工面がつかず、送金依頼をパリから日本に向けて電報を打った、パリからはすぐに海底ケーブルで大西洋を越えてアメリカ大陸まで電信で行ったが、その先、アメリカから日本までは当時船便で一月かかったそうだ、「カネオクレタノム」の国際電報第一号だそうだ。
電線さえ引ければ海の向こうからでも情報は来る。だから海底にもケーブルを引いた。「テンキセイロウナレドモ・・・」も既に敷設してあった海底ケーブルで大陸から東京に届いた。こうやって地球をぐるりと海底ケーブルが張り巡らされたのはそんなに新しい時代ではないのだ。
福沢諭吉がこれを指して、「蜘蛛の巣のように」と表現したという。この蜘蛛の巣を英語で言えばwebで、まさに今のインターネットだ、この時代にすでに蜘蛛の巣の如しと言っているのだから、やはりスゴイ。
この電信網、直流電源だから増幅が無理なので、同一電源で全路線の電源を賄うことはできなかったろうから、国内でも、中継、中継で情報を伝え合ったのだろうと思う。ところで、電気の行きと帰り、往復二本の電線は必要だったのだろうか、一本は地中に深く打ち込めば電柱に引くのは行きの一本だけ良かったような気もするが、ちょっと調べたが、分からなかった。
それでは、動く船の中からはどうするか、動く船から海底ケーブルを下ろすことは出来ない、また、ケーブルが引けない場所との通信はどうするか、電線を引かなくても、情報の送受をしたい、そこで、真空管も何もないこの時代に「無線電信」という仕組みが考えられることになる。(つづく)
令和 元年 6月 3日 (月)
朝のうち、ちょっと降っていたかもしれないが、その後、降りそうで結局降ることはなかった。
最低気温 16.6℃ (04:19)、最高気温 22.3℃ (16:45)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
気象庁のホームページに質問集というコーナーがあるが、記述にちょっと疑問点があったので質問状を送っておいた、果たして回答はアルやナシや。
内牧の松の動物病院でボンのフィラリア予防薬を出してもらった、毎年6月から10月の5ヶ月間呑ませている。チュアブルタイプの薬、5錠で5,000円也、5ヶ月だけだからガマンガマン。同じ道を帰るのを避けてぐるりと反時計回りに大きく回って帰ってきた。
玄米30キロを精米した、今年は消費量が多くて、注文してあった年間のコメ、今回で在庫がなくなった、何処かで手当しなければならない、あと2袋要りそうだ。
UPSのバッテリーを交換しなければならないし、中のバッテリーの型番などを確認する必要があるから、普段設置してある奥の方から取り出した、とにかく狭いところに置いてあって、その前に色々とたくさんの障害物があるので、しかも25キロくらいあるから一騒動、ようやく取り出して、表に出して再度チェク中。
晩飯。ナスの豚バラ巻き、ポン酢仕立てと甘辛く煮たもの二種類を作った。
令和 元年 6月 2日 (日)
今日は降ったよなあ、と思って、雨量計を見ても記録がない、その程度の霧吹きで吹いた程度のまあ雨と言うんだろうな、と思っていたが、夕方風呂に行くときには非常に細かな雨だがワイパーを動かさなければならなかった、ということは少しは雨量計に反応するはずだ、雨量計、壊れたのかなあ。
最低気温 17.3℃ (05:32)、最高気温 19.7℃ (10:21)
太郎とカミさん、テニススクールで朝早く出かけて、三時ころには帰ってきた。
和文モールスのヒアリングに明け暮れる、相変わらず見事なほど覚えては忘れ忘れては覚える繰り返しだ。マスターしたと言っても、程度というものがある、実際にはマスターとは程遠いが、苦痛な段階は通り過ぎて今や楽しく五十音は大体全部、取れるようになっている、ただ、年を取ると、記憶力と反射神経が衰えていて、特に反射神経がダメになる。記憶力はまあまあだから、五十音と符号は、瞬間というわけには行かないが、結び付けられる。ただ脳内で文字に置き換える時間が遅いのでもう次の符号に移っていってどんどん置いていかれる、だから、語と語の間のスペースを標準の3短点でなくて倍の6短点くらいあけると、速度は今17wpmくらいだがランダムで聞いているが大体OKだ、3短点と6短点の差、あまり無いように見えて結構この時間は貴重である。時々詰まると、横においてあるプリントした符号表にさっと目を向けて確認する、この符号と文字とが瞬時に置き換わるようになればいい。というより、脳内で置き換える作業をしているあいだは駄目で、もうなんとなく感じでわかるが、そのうちにその符号を聞いた瞬間に置き換え作業無しに文字として認識するようになるのだろう、欧文だってそうだものな。欧文は定形語は別にして、小生クラスでは、聞いてからその単語をつなげてワードにしてから更に日本語に翻訳しなければならないが、和文は「マンマ」だから、欧文だとたとえばflowerというワード、一字一字 f-l-o-w-e-r と聞いて、それをflowerと頭の中で綴って、更に、ああ、花だ、となるが、和文だと何も考えなくていい「ハナ」でいいのだ、これは実に素晴らしいことだ、はやくスラスラ受けられるようになりたいものだ。
令和 元年 6月 1日 (土)
曇り。ようやく沖縄付近にある梅雨前線が「らしく」なってきた。
最低気温 14.8℃ (05:45)、最高気温 25.1℃ (15:49)
特にニュースにはならなかったと思うが、阿蘇中岳、今日も小噴火をしたような黒い噴煙が空高く上がっていた(写真1・写真2)。
四十雀@横浜、今年の巣箱はJTQが工夫をしたそうで明り採りが作られていたが、もう大丈夫だろうと少し窓を開けてやったそうだが、そのおかげで光がよく入って中の様子がカメラでよく確認できるようになった、日に日に成長している、黄色いクチバシを目一杯開けてエサを貰っている様子がよく分かる。
週例の南阿蘇オープンセサミ行き、今日は夏子も太郎も一緒に行った。太郎のやつは相も変わらずの及び腰だ。
( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10・写真11・写真12・写真13・写真14・写真15・写真16・写真17・写真18・写真19・写真20・写真21・写真22・写真23・写真24・写真25 )
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