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平成31己亥(2019)年 2月の記録 (新しい日付けの順)
平成31年 2月28日 (木)
朝早く雨あがる、そして晴れるはずの予報が終日曇り、ずっと曇りだった。五岳の上の方が雲に隠れて外輪状態になっていた、何かの拍子で五岳がなくなるとこういう風景になるのか。今日で2月もおしまいか。(写真1・写真2)
最低気温 5.9℃ (07:38)、最高気温 10.8℃ (12:37)
登校風景 太郎のやつ、ぶっちぎりの最後尾だった。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
米朝会談、どうやら物別れに終わったのだろうなよく分からないけど、事前の様子から見ると双方甘く見ていたのだろうか。アヤツは来る時と同じように大名行列を仕立てて60時間かけて帰るのか、来るときは良かったけど帰りはキツイだろうな、それに張作霖の例もあるからなあ、気を付けて帰った方がいいな。世界は今、インドとパキスタンの問題、中台関係、ベネズエラの政情不安、フランスもそうだ、それにブレグジットもある、そのほかにもたくさん揺れているなあ、日本もレーダ照射に端を発して、韓国は反日に突き進んでいるし、世界のどこかで何かの拍子に何かが起きるととんでもないことになるかもしれない、ああ、それなのに、日本の国会は、モリだカケだと騒いでいる、なに?いまは違う?ああ、毎月勤労統計問題か、そんなことばかりで毎日が過ぎている、職業野党に重箱隅突っつき野党には困ったものだ。
もりだかけだ、ではないが、蕎麦が食べたくなって昼飯は随分と久しぶりに「阿蘇の風」に行った。
今日も我が家は、と言うより小生は平和でノンビリの一日だった。
晩飯。炊き込みご飯、刺身、アサリのみそ汁など。
平成31年 2月27日 (水)
曇り、夜に入るまでほんの少しだけ雨が降ったが雨量計に記録が出ない程度だった、多分、夜中になってから降るのだろう。
最低気温 2.0℃ (02:43)、最高気温 11.0℃ (13:30)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
朝から青空は全く見えず、いつ降り始めてもおかしくない、特にこの地方は予報よりも早く降り始める。そう思って、とりあえず剥いであったシートを薪材に被せておいて、少しくらい薪を作っておこうかと別のところにある木を切り始めた途端、10時前には思った通り雨が落ちてきた。
慌てて切った分だけ軽トラックに積んで、薪小屋に持っていくのも面倒だから、すぐに燃やすように玄関わきに下ろしたところ、雨はすぐに上がった、ヒヤカシ程度のちょっとした雨だった。
レーダーをみると本格的な雨になるのは予報通り夕方以降だろうと思ったが、もう撤収したので、今日の作業はこれにて終了。以前ほどの寒さが無くなって切迫感がないので、まあ、ぼちぼちということにした、玄関わきに運んだ薪、厳冬期なら一日でなくなってしまうが、今はもうあまり燃やさなくてもよくなった、二日分くらいはあるだろう。
太郎、水泳教室、太郎を迎えに行ったついで、帰りに夏子を校門前で拾う。
晩飯。ハヤシライス。
〇
平成31年 2月26日 (火)
晴れ、今日も気温が上がり、夜になってもストーブは無しだ、まったく必要を感じない。
最低気温 0.9℃ (06:51)、最高気温 16.1℃ (15:17)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
先日来、太郎の前歯の上の乳歯が抜けそうで抜けなかったところ、今日学校で抜けたと言って帰ってきた。すぐ隣の歯ももうグラグラしているそうだ、今の時期、乳歯から永久歯に生え替わる時期であちらこちら歯の間が隙間だらけだ。
今日もノンビリして過ごす、今の時期何も差し迫った仕事もスケジュールも無くて、実にのどかな毎日が過ぎている、実にいい。
晩飯。エビチリ、麻婆豆腐、ポタージュスープ。
平成31年 2月25日 (月)
晴れ。今日も気温が高くて、着替えるのが面倒なので厳冬期のままの服装に加えてストーブの火が残っていて暑くて気分が悪くなるほどだった。
最低気温 0.7℃ (05:38)、最高気温 14.1℃ (13:24)
登校風景 今朝の登校時間帯、久しぶりに霜が降りて、少し霧がでたり幻日がでたり、これはもう噴火だろうというような煙が上がったり・・・(実際は違うのだろうが)、昨日の野焼きで、阿蘇山ろくは黒い山肌になっていた、これが間もなく柔らかい緑になる。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
最近軽トラックの前輪運転席側のタイヤがパンクしているらしくて数日間隔でかなり空気が抜けていた。チューブレスタイヤのいいところで、一瞬には抜けないので、折々空気を補充しては走っていたが、いつまでもそんなことをやっているわけにはいかないので、石田オートに持っていって診てもらったが、ムシが劣化していていそこからエアが漏れているのが分かって交換して一件落着。
今日も自儘に暮らす。
晩飯。酢豚、もやしの中華風サラダ、豆腐とニラのみそ汁。
〇
平成31年 2月24日 (日)
曇り、午後に入って晴れる。
最低気温 1.7℃ (07:19)、最高気温 13.3℃ (15:59)
今日は阿蘇谷の野焼きが行われた。阿蘇カルデラの南側の南郷谷(南阿蘇)の野焼きのスケジュールは知らないが(そもそも地形的に南郷谷は大掛かりな野焼きがあるのかも知らないが)、五岳の北側では、概ね二回に分けて行われる。阿蘇山ろく一帯と北外輪山一帯である。今日はその阿蘇山ろく一帯(通称南山と言っている)の野焼きが行われた(北外輪山一帯は3/3の予定である、が、大体いつも天候不順で延期されることが多いが)。
ここのところ天気が良かったり悪かったりが交互にあって、昨日今日はまあまあ晴れていたがそれでも、それまでの天気のせいだろう、家から見ていてもあまり威勢のいいい燃え方はしていなかった。それでも、我が家の庭先にも燃えカスが風に乗ってたくさん落ちてきていた。この時期は洗濯物を外に干すと燃えカスで黒くなるが、地域の人たちは十分に心得ている。
野焼き写真 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
夏子は今日は英検の二級の実技試験があるとかで、大津まで出かけて行った。いつもは母親が送るのだが、今日は不在につき、当初は小生が送ることになっていったが、いろいろの経緯を経て、最終的に一人でバスに乗って出かけて行った。スマホの位置情報で様子が掴めるから安心である。うまい具合に行きも帰りもあまり待つことなくバス会社が走らせている都市間バスの「やまびこ号」の便があったが、他人の褌相撲取りのf-JR九州の不誠実さには本当に腹が立つ。
「おい!f-JR九州、大津~阿蘇間の代替バスを走らせろ、公共交通機関としての自覚を持て、社会的な責任を果たせ!」
ところで夏子の英語の力で英検2級というのが、これが魔訶不思議でしょうがない、あんな程度で2級かと呆れてしまうのだ(あれで2級なら小生は特級だ)。もっとも通ったのは学科だけで、実際の今日の会話の試験は、これは武士の情けで帰ってきてから首尾を訊かなかったが、なんでも学科に通るとあと何回かは以降の学科試験が免除となるらしい。
阿蘇カルデラの東西で国道57号線のトンネル工事が行われていて、西側の二重峠のトンネル、昨日、大津側と阿蘇谷が貫通したそうだ、これからまだ「艤装」工事が残っているが、随分と早い工事だった。対する我が家の近くの東側の滝室坂トンネルもどんどん工事が進んでいる。
ここでもう一回 「おい!f-JR九州、大津~阿蘇間の代替バスを走らせろ、公共交通機関としての自覚を持て、社会的な責任を果たせ!」
平成31年 2月23日 (土)
昨夜は日付が変わった後も少し降ったようで降水の記録が残っていたが、今朝には上がっていた、終日うすぐもり。
最低気温 3.6℃ (07:11)、最高気温 12.7℃ (14:49)
本日土曜授業
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
軽トラックが最近、ギアチェンジをしたり、アクセルを吹かすときに今まで感じなかったほんの少しだがノッキングを起こす感じがしていたので、今日みてもらったところ、プラグが劣化していて点火が正常でなかったようで、プラグを交換したらウソのように症状が治った。
カミさんは仕事半分遊び半分だと思うが、泊りがけで(小国だったかに)出かけたので、今晩はカキフライにした。カキフライの季節もあとひと月か。
平成31年 2月22日 (金)
予報通り午後から雨になった。
最低気温 4.4℃ (07:05)、最高気温 7.4℃ (13:41)
昨夜の北海道の地震、相も変わらずNHKは大騒ぎをする、もっと落ち着いてやれよ。今どき震度5程度の地震は驚くにあたらないのだ。
登校風景 いつも坂梨地区でどん尻のことが多い太郎、ここのところ早くて、今朝もぶっちぎりの一番で登校していった。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
はやぶさ2、「すごいなあ!」の一言に尽きる。地球もリュウグウもはやぶさ2も皆動いているのに、はるか遠く飛んで行って狙い定めて非常に狭い場所にピンポンとで降りる、針の穴を通すくらい、いやもっと難しいのだろう、科学技術の進歩は素晴らしい、今回のことで科学するこどもたちが増えるだろう。それでいて、ちょっと畑は違うかもしれないが、片や爆発した原発の燃料棒を取り出すのに苦労しているというのだから不思議だ。
はやぶさ2、往きは三年かかったのに還りは一年くらいで戻ってくるようなことを先ほどラジオで言っていたが、こうなると月の裏に着陸がどうのなんていう話はどうでもよくなる。あ、「インターステラー」、時間が無くてまだ途中までしか観ていなかった。
今日も道楽で過ごす、小生の「死ぬまでもひとつプロジェクト」の進捗もはやぶさ2の降下速度のように極めてゆっくりだが、ピンポイントとで目的に向かているぞ。
晩飯。ポトフ。
平成31年 2月21日 (木)
雲が少しあったが穏やかな朝だった、子供たちを送る場所に立っていると、気の早いヒバリがピーチクパーチク(この表現言いえて妙である)天空でさえずっていた。ちょっと早すぎる気がしないでもない、もうヒバリが鳴く季節なんだろうか。
最低気温 2.8℃ (01:38)、最高気温 13.7℃ (15:05)
登校風景(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
急ぐ仕事も無いので、のんびりとチェンソーの整備をした。KIORITZ Green GC31、 ここにきて最初に買ったチェンソーだ(H13.11.19)、小型で片手で持てるくらいの軽量タイプだ、もう18年以上使っていることになる、最初のころはこのチェンソーで薪を作っていたのだ。いつだったかこのチェンソーの修理をしたのだが、あの時は、指でペコペコ押して最初に燃料を送る、プライマリーポンプが劣化して、部品を取り寄せて交換した、それから、確か燃料フィルターを交換した、その時にはキャブレターは触っていない、今日分解して、このような作業はやった記憶がないので、確かだ。このキャブレター分解作業は、ここのところやっているハスクの分解と大分違う。手順を忘れないように記録写真を撮りながら分解した。
エアフィルターを外すとこのチェンソーのチョークの開閉は、同じWalbroだが、ハスクなどについているバタフライとは全然違う。非常に狭いところに押し込んであるので、分解が結構大変だった。
メタリングダイヤフラムにどうしてこんなに細かな屑が入っているのだろうか、どこから入ったのだろうか。みたところそんなに劣化しているようにも見えない、反対側のポンプダイヤフラムも、思ったほどではない。でもせっかく分解したのだから、この際、交換しようかと思って、ネットで探したけど、メタリングはどれも同じようなものだけど、ポンプの方のダイヤフラムの形状がちょっとデリケートで違う、検索して探したがなかなか見つからない、この販売会社の「やまびこ」に照会メールをだしたらあります、とのこと、純正だからちょっと高いが、取り寄せることにしようか。
晩飯。豚肉のムニエル(献立に困ったときの定番メニュー)。
平成31年 2月20日 (水)
曇りのち晴れ、と言いながらも雲が結構あった、風も少し強かった。入口のところにある三四年前に植えた沈丁花が一輪二輪開き始めて、鼻を近づけるといい匂いがする、小生は花の中で沈丁花が一番好きである(と必ず毎年書いているような気がする)。
最低気温 5.2℃ (但し19:45現在)、最高気温 10.4℃ (00:00)
登校風景 (写真1・ 写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
今日は完全休養日である、道楽で過ごす。
通りかかったついでに(いつも通りかかるのだが、今日はたまたまカメラを積んでいた)滝室坂トンネルの坂梨口の工事現場を写真に収めておいた。(写真1・写真2)
太郎、水泳教室。
晩飯は、今週はカレーの順番である。
空自のF2戦闘機が山口県沖の日本海で訓練中に墜落をして、乗員の安否が心配されたが、防人たちよ、無事で本当に良かった。このF2は「平成のゼロ戦」とか「バイパーゼロ」と呼ばれている。日本海でレーダーから消えたと聞いた時は一瞬「撃墜」されたかと思った。
平成31年 2月19日 (火) 雨水
熊本県で春一番が吹いたそうだ、ずっと車の中だったので風が強いことにあまり気が付かなかった、そういえば車が風で少し煽られたような気もする。オマケに(は本来は、春一番の方につける言葉だな)今日は雨水(二十四節季)だそうだ、文字通り雨が降った、それも、結構まとまった雨で、夕方までずっと降りっぱなしのように降っていた。それに気温が高かった、南からの暖かい空気が流れ込んだのだろう。
最低気温 7.0C℃ (00:36)、最高気温 17.2℃ (12:57)
最大瞬間風速 10.7 m/s(12:58)
昨夜からの連続雨量 37.1 mm
登校風景 ずっと降っていた雨が登校時には今日も不思議と止んだ。だが、止むのが少し遅かったようで、歩いて登校する子がいなようだと思っていると田んぼのはるか向こうを二人歩いている姿がみえたので今日は徒歩通学は三人だけかと思っていたところ目を離しているうちにその二人の姿が消えた、何台か送迎の車が通ったので多分拾ってもらったのだろう。ということで坂梨地区の今日の徒歩通学は太郎一人だった。
写真1・写真2・写真3・写真4
今日は雨だということが分かっていたので、熊本までアマチュア無線の無線局の免許状をもらいに行ってきた。郵送料を払うと送ってくれるのだが、たまには熊本までいってみようと窓口交付で申し込んであった。五年ごとの再免許で、今回は移動局の免許状だ(写真1・写真2)。九州総合通信局は熊本駅前の総合庁舎のなかにあり、いつもはこの庁舎はまり人の出入りもなく駐車場も閑散としているが、今日は首都圏や観光地の駐車場入りのように延々と並んでいる。何事かと思って、入場してから訊いたところ、確定申告の人たちです、とのことだった。確か総合庁舎ビルがもう一棟隣にできて、そのなかに税務署が入ったらしい。そういえば大分前に熊本城内にあった税務署が移転したというニュースがあったが、ここに移転したのだろう。
今日は熊本まで出たついでにいろいろと寄ってみようと思っていたところがあったが、結局面倒で、ただ往復しただけだった。しかし、一か所だけ寄ったところがある、それはハードオフである、ちょっと欲しいものがあったので、あるかなと思って寄ったが、目指すものは無かった。昼飯もトンカツかチャンポンかのどちらかだが、今日はリンガーハットのチャンポンの1.5と餃子のセット、756円也ですませた。日記と言うものは、このように細かなところまで書いておくと、先になって、ああ、あのころは、こういう値段だったのだということが記録として残るのである。と郷土史などを勉強しているとちょっとした記録が大事な資料になるのである。ついでに小生はあまり外食ということに慣れていないので、新しい店や食べ物を開拓するといったことが苦手で、結局無難なところで以前行ったところ、ということで、トンカツかチャンポンということになるのである。
晩飯。昨日がコスモスの冷凍ハンバーグ、となるとどうしても翌日は小生が作らなければならなくなる。当然のことながら小生のハンバーグのほうがおいしいからである。豆ごはん、煮込みハンバーグ、ジャガイモ素揚げ、人参グラッセ、ブロッコリー、春雨サラダ、ポタージュスープ
この夏、東京で開催された「ぼくたち、わたしたちのニッポンの祭り2018」で坂梨の子供たちが虎舞を演舞したが、太郎の感想文が採用されたということで公益社団法人全日本郷土芸能協会のホームページに載った。
平成31年 2月18日 (月)
晴れ。
最低気温 -3.2℃ (05:21)、最高気温 12.7℃ (14:04)
庭の梅は数日前からもう満開だ。
登校風景 日が昇るのが早くなって、子供たちが通過する7時半ころには阿蘇谷に朝日が降り注ぐようになった。
(写真1・写真2・写真3・写真4)
今日は朝から夕方までみっちりと薪作りをした。天気が続かず、明日からまた数日ははっきりしない日が続く予報なので、ひたすら薪作りをした。薪を切って、積んで運んで、また下ろす、小生が作る薪は一単位が重いので、それを一日中やっていると体が悲鳴を上げるほどだ。いつもは外作業は大体午後3時頃には終わって夕食の支度などにかかるが、今日は太郎を学童に迎えに行く5時ころまで終わらずに、夕食の支度をする時間さえなかった。整備したチェンソーがよく働いてくれたので、能率が上がったが、小さなチェンソーの方の調子が悪くて、また、分解だな。
晩飯。コスモスの冷凍ハンバーグ(これは結構美味い)など。
平成31年 2月17日 (日)
午前中は雲が多かったが、昼からは晴れた。
最低気温 -0.6℃ (07:35)、最高気温 7.6℃ (13:51)
太郎と母親、昨日に続いてテニススクールに。今日は熊本城マラソンの日で、道路が渋滞するかもといつもよりずいぶん早く出かけたが、スクールはマラソンコースから離れているので、渋滞には巻き込まれなかったそうだ。帰りも寄り道はあまりしなかったようでいつもよりはずっと早かった。
熊本城マラソン、周囲でも知り合いが何人か出場したと思うが、成績はどうだったろう。よく田んぼの道をランニングする姿が見られたが。
天気は明日まで持ちそうなので、薪つくりは明日することにして、今日はその準備で木を動かしたり、チェンソーの整備をしたりして過ごした。
そのほか特段のこと無し。
平成31年 2月16日 (土)
曇り。
最低気温 3.3℃ (但し17:53時点、夜に向かって下がりつつある)、最高気温 5.9℃ (00:04)
太郎とカミさん、テニススクールへ。来週予定が他の行事で潰れるそうだから本日と明日と二日続きのレッスンだとか。
夏子は勉強をしていた(ようだ)。
小生は今日は「特段のことなし」、これが書きたかった、らくちんらくちん。
平成31年 2月15日 (金)
予報は確か夕方からだったと思うが、昼にはもう雨が降り始めた、夏子は期末試験期間で昼には終わるので、雨大丈夫かなと朝出がけに言いながら自転車で出かけて行ったが、昼過ぎに霧のような雨だったようだが、かなり濡れて帰ってきた。小生が大丈夫!大丈夫!と言った手前ちょっとまずかったかなと責任を感じた。そのあとでいったん上がったかに見えたが、夕方からまた降り始めて、日記を書いている8時半ころ、強くは無いが屋根を打つ雨音が聞こえている。
最低気温 -1.8℃ (03:52)、最高気温 7.2℃ (12:41)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
午前中、保健センターに市の健康推進員の研修会に行ってきた。今年度最後の研修会だが、小生、これをもって、卒業とさせてもらった、この健康推進員の制度は、市の国民健康保険の医療財政負担を軽くするために、病気になる前に、生活習慣病にかからないように日ごろの健康管理に気を付けようという趣旨のもとに設けられ、地域住民に対して啓もうをする役割を持っているが、小生はすでに後期高齢者になっていて、この後期高齢者の管轄は県になるので、だから、健康推進員をしてはいけないということではないのだが、どうせなら、国保の被保険者の方がベターだろうと勝手に解釈して、正月の初寄りで後任を決めてもらった。いつからこの委員をやったのだろうかと思って調べたら、平成25年4月に委嘱を受けたのが最初で、ニ年の任期、以降続けて、計三期六年間務めたことになる。
本来は、健康推進員が研修を受けて村に持ち帰って皆さんに広めるのが一番いいのだが、そこまでは大変だから、本人だけでも聞いて参考にしてもらえれば、健康推進員は市の行政区が100以上あるので、少なくともその人間とまあ、その家族に伝わるだけで、それでも十分だと言う考えのようだ、事実、小生はこの6年だ非常に勉強になった。
それで、最後の今日は、主に老化防止の話があり、加齢による老化のほかに、生活習慣病からくる転倒骨折や認知症の話があった。
最後に、実際に各人が筋力テストをしたが、これが面白かった、目を瞑って、普通に歩くように両手を振って足を揚げて同じ場所で100回足踏みをする。とどうなるか、数え終わって、目を開けると、人によっては右に回ったり、あるいは、左に回ったり、真後ろを向いたり、前のほうに歩いていたり、と様々。これは若い人ほどそのブレは少なくて、同じ場所で足踏みをするらしいが、我々高齢者は面白いように位置が変わる、皆自分のことは棚に上げて人の結果を見てお笑いだった。
また、今日の研修会で老年医学用語の「サルコペニア」と「フレイル」という言葉を知った。ネットなどを通じて世事にはそれほど遅れていないと思っていたが初めて聞く言葉だった。我が家には老年はいるが要介護や要支援の人間がいないので今まで関心が無かったのかもしれない。でもどうして、年寄りに関する医学用語で横文字がポンポン飛び出すのだ、年寄りにとってますます取っつきにくくなるではないか、もっと具合の良い日本語をだれか考えてくれ。幕末明治期の日本で新しい文化、文明、社会制度に合わせてどんどん新しい熟語が生まれて、今の中国語は、漢字は古代中国の生まれだが、その漢字を使った熟語の7割方だったか8割方だったかが日本産だという、ウリジナルならぬ、まさに「俺ジナル」だ、これら日本産が無ければ今の中国語は成り立たないとさえいいえるくらいだ、なんでもかんでも横文字を使うのではなく、そのくらいの発想力でこれらの横文字の言葉を日本語化したらどうなんだ。
我が家にはそのサルコペニアだとかフレイルだとかいう言葉は縁が無いと書いたが、実は昨日あたりから、左の膝の関節が痛い。まだ歩けないほどでは全くないが、少し痛い、でも今日は昨日程では無くなっている、これがいわゆる膝痛というやつか、一過性で終わればいいのだが。
いつでも行けると思っていつも素通りしていたが今日はふと気が向いて道路からほんの目と鼻の先にある滝室坂トンネルの坂梨口(正式名称は知らないが)の掘削現場に寄ってみた。馬場集落からトンネル口の真上を跨ぐようにして高城址を通って鬼塚の方に通じている昔からの道の途中からトンネル口の現場が見える。フェンスがあるので、全体を見ることが出来ないが、大体のところを見ることが出来る、実際にみると、現実感が湧いてくる。トンネル口の上には工事の安全を祈願してか、あるいあは山の神を鎮めるためか、鳥居風の飾りが置いてある。やはり近くで見ると、周りで動き回っている人間と比べても大きい。どうせなら、見学用の展望台くらい作ってくれたらよかろうにと思うのだが。以前説明会で聞いた話では、ある程度掘り進んだら発破や掘削の騒音が外に漏れないように入口を塞いで、トンネルのなかで工事を進めていくようなことを言っていた。
晩飯。豚肉の味噌漬け、シュウマイ、だし巻き玉子、春雨サラダ、アサリのみそ汁。
平成31年 2月14日 (木)
今日はいい天気のはずだったけど、一日中曇っていた。
最低気温 -0.7℃ (03:20)、最高気温 6.6℃ (14:27)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
朝の一通りのルーチンが終わって、さてっと、所定の場所にドカッと座ったところ、アラームが、みると今日は三月に一度の歯科の定期点検日だった。慌てて用意して宇治歯科に出かけた。
今日はそのほか、な~んにもしなかった(自己啓発は別だが)。
晩飯。豚大根。
平成31年 2月13日 (水)
朝起きると雪景色が広がっていた、外は暗くて分からなかったが明け方までレーダーをみると雨雲が覆っていたので、雪が降っていたのかもしれない。それもだいたいいつものことだが、通学時間帯のころには不思議と雨にしても雪にしても止むことが多い。
その雪もそれまでで、日が昇ると早々に消えて行った。僅かな雪でも重みで傾いた竹で入り口の道路を塞いでカミさんの車では問題ないが、車高の高い軽トラック、それも無線のアンテナが立っていて通りにくい、さっそく切り倒しておいた。
最低気温 0.6℃ (04:49)、最高気温 10.4℃ (15:18)
雪景色 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
登校風景 こどもたち、いつもと違って、雪景色の中の登校、遠く田んぼを越えてはるか彼方から子供たちの歓声が渡ってくる。途中で立ち止まって雪玉を作っているのだろう、またそれを投げ合っているのか、登校の流れが速くなったり遅くなったりまた戻ったり。もともと雪の少ない阿蘇地方、今年は特に少なくて、久しぶりの雪にみんな興奮気味だった。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10・写真11・写真12・写真13・写真14・写真15)
チェンソー、昨日ようやく直ってほっとして、木を切り始めて、最初のうちは調子が良かったのだが、しばらくして、また調子が悪くなった。吹かすと止まるのだ。おかしいなと思いながら、しばらくして動かすと動くがすぐに止まる。今日になって、再点検をしよとしたところ、非常に恥ずかしながら、ガス欠だった。ちょっと残っている燃料で少しの間動いたりまた止まったりしたのを機械の調子が悪いとばかり思っていた。燃料を入れてちゃんと復活した。ついでに昨日切り残した木を切って、丸ごとストーブに放り込むにはぎりぎり入らないので半割にしておいた、運ぶのも面倒だ、これは今晩のストーブに回した。
もう一台、こ奴が難物で、なかなか動いてくれない。これは点火コイルを交換したやつだ、チェックしたが火花はちゃんと出ている、キャブも取り換えたやつだ、キャブが良くないのかなあ・・・・
などと頭を抱えていると、午後3時ころだったろうか、空から飛行機の爆音が聞こえてきた、このあたりを普段飛ぶのはヘリコプターが多い、自衛隊のヘリ、ドクターヘリ、マスコミのヘリ、あとプロペラ機はほとんど飛ばない、うんと高いところはジェット旅客機が熊本空港に近いこともあって飛ぶが、音はほとんどしない。今日聞いた爆音はヘリにしては少し軽めの音だ、プロペラ機かなあと思って出たら、丁度真上を通過していった飛行機・・・オスプレーだった、非常に高くでもなく、かといって低空でもなく、でも結構低かったかもしれない。しまった、カメラ、カメラと思ったがあっという間に北からきて南の方角に飛び去った、どこから来て何処へ向かったのだろう、方角的には新田原方向だったが。
わかっていればカメラを用意しておいたのに、ヘリに比べたら、軽快な音で非常にスピードが速い、それに輸送力にしたって、ヘリよりはるかに多いだろう、小生はオスプレー導入大賛成である、反対している一部勢力は反米勢力で、その象徴として反対しているのだろうと思っている。今日はこの上を飛ぶ予定でもあったのだろうか、一機じゃなくて、もう一機くらい後から来るかもしれないと待ち構えていたけどとうとう来なかった。
太郎、水泳教室。
晩飯、ハヤシライス。
寝る前に日記を書こうとしていたら、明日の夏子の期末試験で、ちょうどインフルで休んだ時にやった科目で分からないところがあるから教えてくれと言う。そんなもの試験前日になって言うなよ、と言いながらも、試験で分からないと困るだろうから、一緒に考えているうちに、日記を書く時間が無くなってしまった、最低限の日記をアップして、改めて、書き直しだ。情報処理の転送時間の計算式で小生のどちらかと言うと専門分野、いや、専門ではない、好きな分野だと言えるので、いいよ、と安請け合いをしたが、これが分からない、最終的にはわかったけど、少々焦った。。
桜田義孝という男(サイバーセキュリティ担当、五輪担当相)、基本的にバカなんだろう、次々に舌禍事件を起こしている、言って良いこと悪いこと、言われないと分からないのか、担ぐ神輿は軽いほどいいとは言うけれどどうしてこんな人間が国会議員をやって、しかも大臣までやっているのだ、世の中腹の立つことはたくさんあってこれが一番と言うことでは無いが、日記を書いているときに丁度ヘッドラインニュースを読んで思わず書いてしまった。例によって「野党業」にしてもそうだ、今回のこと「今の政権の体質を典型的に表している」、何をピント外れな、関係ないだろう、それをこじ付けだという。でも、大臣待機組がたくさんいるとバカでも大臣に起用しなければならないから総理大臣も大変だ、まずその年功序列の悪弊をやめて、適材適所、実力本位で大臣を決めるようにしなければつまらんことで自滅することになる。
平成31年 2月12日 (火)
久しぶりに美しい夜明けだった。ここのところ寒い日が続いたので今日程度の気温でもとても暖かく感じられた。(写真1・写真2)
最低気温 -3.5℃ (07:01)、最高気温 9.9℃ (16:56)
登校風景 昨年の暮れ頃は8時を過ぎないと日が昇らなかったが、今日は7時40分ころ、外輪の向こうから太陽が昇ってきた、20分ほど朝が早くなった。
(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
夏子は今日から期末試験で、午前中で終わって帰ってきた、こんな日は弁当が無いので、家で昼食を食べる、と言うことは小生の仕事が増えるということである。これが今週いっぱい続く。
昨日整備が済んだチェンソーで薪作りをした、最初のうちは非常に調子が良かったが、そのうちにまた、調子が悪くなった、一体何だろう、また開腹手術か。
晩飯。チキンカツ。
平成31年 2月11日 (月) 建国記念の日(紀元節)
雨、夜のうちに降ったようで、午前中もはっきりせず、結局予報に反して終日ぐずついていた、寒い一日だった。
最低気温 2.6℃ (18:52)、最高気温 4.4℃ (06:33)
今日も我が家の三人組は終日家にいた。カミさんは仕事を持って帰って家で仕事をしていた、夏子は明日から期末試験があるので浅漬け勉強をしていた、太郎は、ゲームをしていた。
小生は、今日も、チェンソーの整備の続きをした。
スロットルを引くと(吹かすと)突然落ちる。ということは考えられることの一つは(そのほかは小生の力量ではちょっと思いつかないから)、燃料が行かないということだろう。昨日、とりあえず、燃料パイプとフィルターはチェックしたが、特に詰まっているようには見えなかった。となると燃料系統では、タンクベントが考えられる。そういえば大分前に、JLZからタンクベントはどこにあるか訊かれたことがあった。その時は外から見た限りではどこにもそんなものは無かった、蓋にもそういった穴はついていない、安物だからそのような機能は省略してあるのだろうと答えたが、どんな安物でも、何かしらの空気抜きの機能はあるはずだ。ネットで調べたけど、この手のモデルのベントの記事も映像もない。
外から見ても分からないのなら、じゃあ、中から見ようと、内視鏡検査をした。大分以前にミツバチの巣箱の中を、箱を倒さないで見る方法は無いかと、買ってはみたものの、使い勝手がわるくて、あまり出番が無くて、放ってあった内視鏡である。
燃料が入ったままの状態で、内視鏡を入れてみたが、どうもよく分からない。当然、液面より上の方にあるはずだが見つからないので内視鏡検査はやめた、大腸検査のようにはいかなかった。
そこでネットで部品の一覧表を探して、チェックしてみたところ、どうもこれだろうというものが見つかった。それはチェンソーの外側からは見えない場所にある。
チェンソーは、エンジンの振動が直接ハンドルに伝わらないように、エンジン部分の本体ユニットと、握ってチェンソーを操作するハンドルユニット部分に分かれていて、ダンパーと言うか、アイソレーターという部品で繋がっていて、タンクベントは本体ユニットを外さなければハンドルユニットについている場所を見ることが出来ない、このハンドルユニットの方に燃料タンクが一体化されているのである。
どうせなら、そこまで見ていみようと、小生にとっては未知の分野に今日は踏み込んだ。そして、これだろうという非常に小さな穴をみつけた、そこには何か被せてあって、ドライバーの先で擦ると、ウレタンか何か柔らかいものだろうと思っていたら、非常に硬い感触で返ってきた。何かの金属かセラミックの素焼きのもので、空気だけ通す細かな気泡構造になっているようだ、その下にさらに何かしらの部品が埋め込まれているのだろうが、みたところ非常に綺麗なので、そこから先の、外したりする作業はしなかったが、ああ、こんなところにあったのかと、新たな発見にちょっと嬉しい気分になった。
ついでにタンクから燃料パイプが出ている場所もわかった、そうか、パイプを交換する場合はここからやるんだ。
タンクベントの位置が分かったところで、再組立てをしたが、分解するときに、一個、ゴム製のこれが、どこかからポロッと落っこちた、どうしてもどこについていたのかが分からない。まあ、緩衝材だろうから、万一無くてもかまわないかなと思ったが、やはり気になって、また、部品の一覧表から、それらしきものを探して、本体と照らし合わせて、ハンドルのところに取り付けるものだということがわかった、そうでもしないと分からない場所だった。
結局、タンクベントの所在を確認しただけで終わったが、結構収穫のある体験をした。
ということで、次は、キャブレター分解である。結論からいうと、このキャブレターの汚れが原因だった。最初はどうしてもメタリングの方から点検するが、こちらの方のダイヤフラムはきれいなものだった、だが、Chaina製なので、この際、徹底的にやろというつもりだったので、ダイヤフラムを新しいものに交換した。そして次にポンプダイヤフラム側を開いた。
そこで、タンクから燃料が最初に入ってくる穴があるが、その穴が、まるで、コルクで栓をしたように、細かな鋸屑の粉で固まって塞がっている。最初は何だろうと驚くほどだった。その屑を削り取って、もしかしたらフィルターが無いのでは思ったが、インレットスクリーンと言ったと思うが、フィルターはちゃんと入っている、それでもこれだけの屑がたまるのだ(写真撮りそこなった)。
おかしいな、これ、walbroのキャブレターじゃないしなあ、交換してあまり経っていないはずだがなあ、メタリングのほうでなくてこちらを先に開けばよかったと思って、とにかくきれいにクリーニングをして、再組立てをして、エンジンを始動したが、一発でかかって実に静かに安定してアイドリングをしている、スロットルを吹かしても順調に吹き上がる、これが原因だったのだろう。
今日は寒くて限界、本日の作業はここまでとした、工作室(秘密基地)は暖房が無くて体の芯まで冷えた、我が家にインフル患者が居たら無理をしないが、今はもういないので、下手をしても鼻水を垂らすくらいだろう、不用意に火を焚いて火事にでもなったら大変だからガマンガマン。
平成31年 2月10日 (日)
穏やかに晴れる。
最低気温 -2.3℃ (07:29)、最高気温 9.3℃ (15:26)
阿蘇中岳の噴煙が今日も多かった、地下で何かが起こっているのだろう。(写真1・写真2)
そろそろ薪のストックが怪しくなってきたので、今日は一日かけて薪を作った。昨日整備したチェンソーで薪を切ることが出来たが、チェンソーの調子、どうも本当ではない、なんとかとりあえずの量は作ったがどうしようか。
エンジンがかかって、さあ、とスロットルを引くと(このチェンソーはスロットルレバーを握ると、チョークは自動的にoffになる)、エンジンがストンと止まる、まるでスイッチを切るが如くにである。燃料が行かないのかと思って、燃料フィルターをチェックしたがちゃんと流れている、このチェンソーはChia製のキャブレターに交換したやつだ、明日にでも分解してダイヤフラムだけでも交換してみようか。いよいよ新規発注・・・かな、そうじゃないと薪が作れない。
平成31年 2月 9日 (土)
どんよりとした一日で、ほんの少しだけだが雪がちらついていた。関東方面でも今日は雪だと騒いでいた、北海道は氷点下十数度、場所では氷点下30℃の寒気が来ているそうだ。
最低気温 0.5℃ (00:00)、最高気温 4.8℃ (12:06)
今日は我が家の三人組は遠出することなく、我が家の近くをウロウロしていたようだ。
小生、今日は昼から、チェンソーの整備をして、三台のうち二台は整備が済んだ、やはり普段からちゃんと整備をしておかないといざと言う時に動かなくなる。あと一台、これがなかなか言うことを聞いてくれない。
今日は日が射さず、風が冷たくて、いつもの玄関先で店を広げたが、寒くてとてもやってられなくて、秘密基地に移動した。なんのために作ったのか、まるで物置小屋になってしまっていたところを少し片づけて、作業スペースを作って、整備をした。気温自体は低くなかったので風さえ防げれば快適である。それでも、整備してエンジンをかけたりする時は必ず外に出て建物からかなり離れてやる、小生は自分の力量を知っているので、リコイルを引いて、うっかり火でも噴くようなことがあれば、火事になるからである。
宮崎のじっちゃい が小生と同じようにチェンソーの更新で迷っているようだ。氏は主にハチウトの製作に使う。ということは丸胴を作るために太い、主に杉の幹を切り出す必要があり、チェンソーのバーの長さが重要な選択肢になるようだ。ところがチェンソーと言うのはバーが長くなるほど等比級数的に値段が高くなる(バーが長くなるということはそれだけエンジンの排気量も大きくなるということだからだろう)。特にブランドものともなると目ん玉が飛び出すような高さだ。
そこにじっちゃいがこれなんかどうだろうという情報を寄せてくれた。HG-k5200というシロモノ、この5200というシリーズはオリジナルのキャブレターを使ったものはもっと安いが、WALBROのキャブレターにOREGONオレゴンのソーチェーンを使ったこのHG-k5200というモデル、なんとなんと送料込み21,980円也、しかも20インチのバーだ、ブランドものだったら十数万円する、泣きたくなるほど安いではないか、モチロンChaina製だが、レポート動画をみても、そんなに悪くない、補修用のパーツも全部手に入るようだ、時々使うのであればこれで十分すぎるような気がする、これは絶対ダメ元だ。本来、製造原価なんて有名ブランドものでも人件費は別にして大体こんなものかもしれない。
小生は・・・悩む、小生の場合は、一冬中薪作りに必要なので、時々だけど、長いバーがあれば良いとは思うが、長期間安定して動いてくれるほうが良い、耐久性の問題だ。でも小生が、清水の舞台から(今はバンジージャンプか)飛び降りようかどうしようか迷っているのはそれでもバーの長さが15インチクラスなのだから20インチには心が動く。今使っているチェンソーがまたなんとか動き始めたので、とりあえず、長尺もののHG-k5200を買ってみるかなあ、バーが長いのがなんとも惹かれるなあ。
こんなことで悩むのは、イナカに住む我々のようなわずかな人間だけなんだろう、都会の人には全く無縁な話だ。
平成31年 2月 8日 (金)
穏やかに晴れる。
最低気温 1.3℃ (但し20:18時点、なお降下中)、最高気温 7.3℃ (14:19)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
午後、買い出しの帰り道、田んぼの向こうからひと塊の集団、ちょうど下校時間で、登校班、いや下校班の子供たちだった、でもいつもと雰囲気がちょっと違う。大人たちが何人か混じっている・・・・今日は今春入学する子たちの体験入学があったそうで、その下校も、集団下校で引率のU村先生、保護者、それに多分、保育園の先生たちもおいでだったのだろうか、というのは最近保育園、かなりの先生方が入れ替わって、太郎時代の先生が少なくなったと聞いている、だから今日の塊のなかには保育園の先生方も混じっておいでだったのだろうと想像する、違うかもしれない。生憎とカメラを持っておらず、慌ててスマホで写真を撮ったが、小生スマホのカメラが扱えなくて、写っていなかった。新一年生になる子たち、4名いたが、小生は全部名前を憶えていて、声をかけたら皆一様に照れていた。まだ太郎が在籍していたころに下級にいた子供たちだ。
J子さんの葬儀が午前11時から宮地の清峰院で営まれた。阿蘇に来て、もうたくさんの葬儀に参列してきた。ほとんどが小生のお付き合いのカウンターパートの親祖父母世代にあたる人たちばかりだったが、今回はカウンターパート、それも小生よりもずっと若い人の葬儀だった。新聞の訃報欄に名前の公開をされなかったので、小生の日記にも、写真も具体的な名前も伏せたが、今日の葬儀、会場いっぱいの会葬者で埋まった、内心ほっとした。
出棺の前に会葬者が全員で花を一輪ずつ棺の中に埋めていく場面があるが、小生はこれに弱くて、今日もその前からスイッチが入っていて、このまま棺の前に進むと醜態を演じることになりそうなので、花を手向けることは遠慮した。
(もう一昨年になるだろうか)結婚されたお嬢さんのK子さんについ最近、多分半月くらい前だろう、赤ちゃんが誕生したばかりだった、おばあちゃんになったJ子さん、写真は見たけど初孫との対面はかなわなかったと聞く、「誕生」と「死」が一家に一度の訪れてしまった。我が家でも太郎の誕生は婆様の他界に三月ほど間に合わなかった、それでも男の子だよということは伝えてあった。新しい生命の誕生は今の悲しみを和らげてくれる力があるものだ。
晩飯。またまた煮込みハンバーグ。飽きるだろう?全然!また明日もして!でも美味しいものでも毎日食べると飽きるからやめておいた方だいいぞ、うん、そうだね。今日は豆ごはんを炊いて、煮込みハンバーグに、ジャガイモの素揚げ、人参のグラッセ、ブロッコリー、トマト、コールスローにみそ汁。わあ、レストランだ!ジョイフルより美味いだろう?うん何倍も美味しい!そうだろう。
子供たちに、限られたコンロの数で、調理時間の違うものを何種類も段取り良く作って、ちょうどいい時間にちょうどいい温度で出すのって大変なんだぞ、と言うと、そうだねえ、と感心していた。そうだ頭を使うのだ、バカじゃできないのだぞ。
ここのところ、昼に、コスモスの冷凍ピザを買ってきて食べることが多い。これが、めっぽう美味い。チンはだめで、オーブンで焼かなければいけないが、余熱から焼き上がりまで約30分、時間さえあれば他に何もしなくていいから重宝している、最近の冷凍食品は美味しいものが多いがこのピザは中でも別格だと思う。
平成31年 2月 7日 (木)
予報よりも早く昼前から雨になる。夜になってもずっと降り続いていた。
最低気温 5.1℃ (02:45)、最高気温 13.3℃ (13:06)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
薪を切る天気ではないので、チェンソーの整備をした。一台はエンジンの給油系統がダメなようで、ほとんどすぐに止まる、スロットルを引いてもすぐに止まる。キャブレターを開けてみたところ、ダイヤフラムがヨレヨレになっている、これ交換だろうと思って取り換えて組み立てようとしたところ、メタリングダイヤフラムを外側から抑えている金属製の蓋のビス穴が一か所バカになっていてネジを止めようにも空回りする。ネジ穴を何かで埋めなければならいだろうと思っているうちに去年純正では無いがChia製のキャブレターが買ってあったのを思い出して、そっくり交換した。これでかかるだろうと思ったが、かかからない。最初ちょっとだけかかったが後はいくらやってもウンともスンとも言わない。その他に、あちらが割れていたりこちらが溶けていたりで、もう満身創痍気味である。考えたらもう十年以上使っていることになるのだろう、それに、小生が切るのはとにかく太い木ばかりで、考えてみたら小生が一年に切る量は相当な量になる。そろそろ新しいチェンソーを買うかなあという気になっている、でも、今の短いガイドバーでなくてもう少し長い奴が欲しい。となると、チェンソーは急激に値段が上がる、非常に悩ましいところである。
夕方から、I さんのお通夜に伺った。ご自宅で近しい人たちだけに集まってもらってやりたいというご遺族の希望で、オープンにすることなく親しかった人たちだけ集まって圓通寺の坂本和尚導師のもとでお通夜が営まれた。本当にご親戚は別にして気心の知れた人たちばっかりの集まりだった。
つい最近、嘉悦先生の通夜の席で一緒だった人が今日は「遺影」という形で向かい合うことになろうとは思ってもみなかった、これを人の運命だというのだろうが、順番を飛び越えて先に逝ってしまわれた、なんとも心の整理がつかない、気休めに過ぎないかもしれないが、早くに亡くされたご主人のもとに旅立ったと思うしかない。先日、寺さんが後期高齢者になった時に、一寸先は闇だと書いたが、こんな形でそれが現れるとは。
晩飯。煮込みハンバーグ。たっての希望なので、時間が無かったが、一品だけになったが作っておいた。夏子と太郎、おいしいね、これだったら一週間続けてくれてもいい。いくらなんでもそうはいかないだろう。じゃあ明日の晩ももう一回作ってときた(母親のハンバーグには絶対にこういうことは言わない)
平成31年 2月 6日 (水)
昨夜来の雨、今朝起きた時も屋根を打つ雨音が聞こえていた、一晩中降っていたのだろう、それでも雨量は大したことなかった。ずっと降り続いていた雨も、うまくしたもので、子供たち通学するころには上がっていた。しかし、ぎりぎりまで降っていたからだろう、判断しかねて車での登校の子も多かったと見えて、子供たちの歩く姿はいつもより少なかった。
最低気温 7.2C℃ (07:05)、最高気温 13.5℃ (15:01)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
阿蘇山の地下で何事か起きているようだ、今朝のNHKラジオのニュースで言っていたので、webで確認した、こういったニュースはやはりあまり気持ちのいいものではない。
地元の親しい仲間が突然亡くなった、あまりにも急で想像を超えていていまだに信じることが出来ない、明日になったらもう少しはっきりしたことが分かるかもしれない。
晩飯。昨日の話では、今晩はまたハンバーグの予定だったが、考えてみたら、今日は太郎の水泳教室の日で、迎えに行ったりする仕事でゆっくり食事の支度などする時間が無かった。だから週のこの日はハヤシライスかカレーライスに決めていて、先週がハヤシだったので、今晩はカレーと言うことになった。甘口だと物足りないので中辛にすると太郎にはちょっと辛すぎるようなので牛乳を少し入れてみた、なんだか変な色になった。
じゃあ、明日ハンバーグ!とこどもたちは言っている。メニューが早々と決まれば烹炊員もその方が楽でいい,、でも明日も無理かもしれない・・・・・
平成31年 2月 5日 (火)
今日は夜になって雨になるという予報だったが、朝から曇っていて今にも降り出しそうな空模様だった。日中、パラパラと来て、早くも降り始めたかと思わせる場面が何度かあったが、結局夜になるまで降ることは無かった。8時頃外を見たら降り始めていた。
最低気温 -0.1℃ (02:36)、最高気温 10.8℃ (12:06)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
週間天気予報を見ると、この先、あまり天気が良くなさそうだ、となると、薪が気になる。降り出す前に少しでも薪を作っておこうと思ったが、チェンソーの具合が良くなくて、結局三台とも不調である。騙し騙し動かすのも効率が悪いので、薪作りをやめて調整をしたが、どうもうまくない。ここの所、興味の対象が他に移っているので、気持ちをチェンソーモードに持っていくのがしんどい。
そのうちの一台、チェンソーは振動が激しいので、ネジのゆるみも起きやすく、常に整備を怠らないようにしないといけないのに小生はいい加減だから、大事なネジが無くなっているのも気が付かなかった。マフラーをシリンダーの排気口と直結して留めてある長いボルト二本のうち一本が抜け落ちているのに気が付かず、使っていたので、廃棄熱が隙間から漏れて相当の高熱でプラスチックのボディの一部を溶かしてしまっていた、いやに熱いなと思いながらも、高速運転切り続けているからだとばかり思っていた。長ボルト一本、注文しておいた。
もう一台は、去年分解して組み立てる前にシーズンが終わって中途半端にして置いたやつ。思い出したら、イグニッションコイルを交換して、全部組み立てなおさないままにしてあった。さて、どうやって組み立てるか、だが、同じタイプの、つまり、前述したチェンソーをカバーを外して、比較しながら組み立てて、これは、最終的に無事に動いた。やっているときは覚えていても似たタイプのチェンソーを使っていると、ダイヤフラムを交換したのはどっちだったろうと分からなくなる、チェンソーごとにカルテを作っておく必要があるな。
先日来より不調のガラケー、メルカリで買った電池が届いて交換したが、どうも電池のせいではなさそうだ、突然電源が落ちる。そろそろ買い替え時かと思って、ガラケーのことを調べてみた。
小生が現在使っているガラケーは今のスマホなどの接続サービス形態と違ってiモードと言って、対するスマホはspモードと言うらしい、そしてガラケーはFomaカードと言うカードを使っていて、SIMフリーなどという今のSIMとは全く別の物のようだ、だから、機種変更をするにはこのFomaカードをそのまま買い替えたspモードの新しい端末では使えない。
今までと同じFomaカードが使える端末であれば、差し替えて使えるようだが、F-DoComoではすでにガラケーは売っておらず、どうしても使いたいなら中古市場で買ってきて差し替えるしかないようである。
それでもまだガラケータイプの携帯を使いたいという人がいると見えて、スマホなんかと同じspモードで使う、見た目従来のガラケーと同じ端末が売っていて、(オマケに今なら実質無料で乗り換えができる機種があるということが書いてあった)、F-DoComoではこれを称してスマホと区別して「ドコモケータイ」という名前を付けて売っている(おい、「携帯」のフリガナはケイタイであって、ケータイではないぞ)、小生は二台持ちなので、余計な機能は全く要らない、最低電話が出来ればiモードでもspモードでもどちらでもいいのだが、とにかく二つ折りの従来型の携帯が欲しいのだ。
ということで、特に費用が発生しないのならこの際、買い替えるかと思い始めているが地元の店は「丑寅」だから、山を下りたところの店にでも行こうかと思ったが、どうも面倒で、今日も行こうかと思ったが結局ヤメタ。
そして、今はオンラインショップというものがあるようで、これで申し込むことで現在下調べを始めた。
でもどうして今の若い人たちはスマホにあんなに命をかけるのだろうか、次から次に新しいモデルが出て、そのたびに買い替える人も多い。新しいスマホだと今までと違った世界が見られるというのだろうか、どうやったってスマホはスマホで得られる情報なんて皆同じだろうに。つまりはファッションなのだろうか。みなよくあんな小さなスマホの画面にしがみついていられると感心する。スマホでは最低の情報のやりとりだけして、もっと大きな画面のPCでやればいいだろうに。歩きながらだとか自転車に乗りながらとか電車にのりながらだとか食い入るようにのめりこんでいる、あの心境が全く理解できないのだ。
晩飯。今日のリクエストは煮込みハンバーグだったので、作るつもりでいたが、チェンソーの故障で時間が無くなって、結局コスモスの冷凍のハンバーグにした、このハンバーグも美味しい。だが、それだけと言うのも味気ないので、ひと手間加えた。
娘たち、今日だめだったから明日煮込みハンバーグにしてくれろと言う。だって今日もハンバーグだったろうと言うと、でも煮込みハンバーグが食べたいから二日続きでも構わないとと言う、やれやれである。
平成31年 2月 4日 (月) 立春
朝のうちは昨日の名残、まだ雲が多かったが、気持ちのいい天気になって、記録上は昨日よりは気温は高くなかったものの、風が無かったので、文字通り、今日は春のような暖かい一日になった、もう春がそこまで来ているような錯覚に陥りそうだ。庭の梅の花もほころび始めた。
最低気温 5.2℃ (但し19:10時点、ようやく気温が下がり始めた)、最高気温 13.2℃ (00:00)
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
毎日子供たちの登校を見ていると、時々いろいろなことが起きる。今朝も、途中、何か意にそぐわないことでもあったのだろうか、R君が反転して家に戻り始めた、皆で引き戻そうとしてなだめたが、それでも聞かず走り始めたので、登校班のみんなも後を追いかけたが、彼は持久走でも一番になる足の速い子で、皆追いつけなかった。取りあえず、お母さんに電話をして、と言うか、また小生は電場番号を知らなかったので、知っている保護者経由で家に向かっていますからと連絡を入れてもらった。
今日になって思い出した、昨日の節分、阿蘇神社では豆の代わりに護摩木を撒く。拾った人は家に持ち帰り燃やして家内安全を祈る。その護摩木撒きだが、昨日の悪天候のもとで行われたのだろうか、すっかり忘れていた。ネットで調べて映像があったので無事に行われたようだ、いつもは境内で撒くが、雨だったので、仮拝殿の中で行われたようだ。
JG1GMMの寺さんが本日めでたく後期高齢者になった、いやさかいやさか。今の高齢化時代、75歳なんてまだ駆け出しだが、それでも、ここまで来られない人間だってたくさんいるのだぞ。偉そうなことを言っている小生たちより若い人たちよ、悔しかったら75歳まで生きて見ろ、なあに大丈夫だと思っている人たちよ、その保証なんてどこにも無いのだぞ、一寸先は闇だぞ。
昨日のことだ、娘が定期試験の勉強で、英語のヒアリングのテープ(と今は言わないのだろうが、なんて言ったらいいのか、デジタル音源だが)を聴いていたので、「掘った芋いじるな」という話、知ってるかと訊くと、知らないというので教えてやった。
昔、進駐軍が農家の畑に入ってきたので、農家のじいさまが「掘った芋、いじるな!」とどなったら、その進駐軍さん、おもむろに腕時計をみて、今の時間を教えてくれたというような、冗談話だ。つまり、その進駐軍さんにはWhat time is it now?と聞こえたという話。教科書通りに話すより、こちらの方が生きた英会話だという話である。
娘とそんなことを二階で話していると、階下で、あ、本当だ!というカミさんの素っ頓狂な声、何が本当だ?と言うと、我々が二階で話しているのを聞いてカミさん、スマホに入っている翻訳ソフトだかクラウドベースの音声認識サービスか知らないが、に向かって「ほったいもいじるな」と話しかけたら、日本語で「今何時ですか」という返事が返ってきた、これ本当の話である、思わず皆で笑てしまった。あまりにも出来すぎているので、これはソフトの開発側で、こういった話がきたら、こう返せとあらかじめプログラミングしているのではと勘ぐってしまう。
晩飯。チキン南蛮。昨日のうちにリクエストを聞いていて悩まずに済んだ、いつも明日の希望を訊くのだが、だいたい食事が終わった頃に訊くので、お腹いっぱいの時に訊かれてもわからんと言って希望が返ってこないのだ。
平成31年 2月 3日 (日) 節分
朝鮮あたりで発生した低気圧が東に移動していて、ちょっとした台風並みの強い風が吹いて家が揺れるほどだった。夕方になっても収まらず、多分、今夜遅くまで強い風が残るのだろう。南から吹き込む風で気温が上がり、夕方になって最高気温を記録している。この低気圧は東に移動して北日本に猛吹雪を降らせるのだろう。
最低気温 -0.7℃ (00:13)、最高気温 16.5℃ (17:46)
最高瞬間風速 14.3 m/s (一応 17:04時点)
気圧の変化
風の変化(平均)
19時現在、そろそろピークは過ぎただろうか・・・・・
太郎とカミさん、テニススクールに出かける。オマケに終わってから映画を観てきたそうだ、夕方になって帰ってきた。
昨日、広げた薪、昨夜のうちに雨になるかと思っていたが、夜が明けてもまだ雨には余裕がありそうなので、急いで、シートの下に入れておいた。
本日も道楽で過ごす。
ここに住むようになって雨の豆まきは恐らく初めてだろう、雪が降っていたことはあった。今日は南からの風雨が強くて窓を開けられず、玄関のドアをちょっと開けて、記録としてサッと撮って邪気を追い払った。
晩飯は、恵方巻はやめろよと言ってあったのに、遊びすぎて時間が無くなって結局恵方巻をかってきた、切って出せと言って普通の太巻きにして食べた。
平成31年 2月 2日 (土)
穏やかに晴れる。
最低気温 -2.7℃ (04:45)、最高気温 8.4℃ (16:50)
太郎と母親は産山村で毎年行われている「うさぎ追い」に出かけて行った、カミさんの職場も少し関係しているのかもしれない。以前、野焼きの時に火に追われて時々飛び出してきたが、それでも昔と違って今はあまり野ウサギも出てこないようだ。今日の成果はどうだったかと帰ってきてから訊いたところ、一匹も出んかったと言っていた。太郎に、ウサギの数え方は、今は「匹」でも構わないようだが、一羽、二羽と数えるのだと教えてやったが、お姉ちゃんは知っていた。
昔は、捕ったウサギはウサギ汁にして食べていたそうで子供たちにとってはそれが楽しみだったそうだが、今は、キャッチ&リリースなんだそうだ、そして、そのあとで、買ってきた肉でバーベキューなんだろう、「動物愛護法」や「鳥獣保護法」もなんだかちょっとオカシイね。もっとも今では皇室伝統の鴨猟もキャッチ&リリースなんだそうだが。
今日もノンビリ道楽三昧。昼から、ちょっと薪の天日干しでひっくり返したりしておいたが、明日は雨だったなあ、まあ、いいか。
平成31年 2月 1日 (金)
薄曇り、気温はそれほど低くなかったが日中もあまり気温が上がらず風が強くて寒かった。
最低気温 0.1℃ (但し19:08時点)、最高気温 3.7℃ (00:00)
もう1/12年が過ぎた、あっという間だ。今日は熊本県下一斉か阿蘇だけなのか、高校の入試があり校舎が試験会場になるために夏子たちは学校は休みだった。
登校風景 (写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
今日も道楽で過ごす。実にいい身分の日が続く。
午後、村のT男さんがデスクトップを買ったからちょっとインターネットとプリンターをつないでくれと電話があったので行って設定をしてきた。
晩飯。我が家風のサツマ汁。
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