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平成31己亥(2019)年 1月の記録 (新しい日付けの順)

平成31年 1月31日 (木)

 今日はずっと雨が降っていた。一日の雨量は26mmくらいだ。夜になってようやく雨雲が東の方に移動していったようだ。
     最低気温 3.7℃ (但し18:11現在)、最高気温 11.2℃ (12:45)

 登校風景 朝から細かな雨が降っていて、同じ登校班の友達は車で行くからという連絡が入り、姉も母親の車で登校していった。普通ならそれでも太郎は歩かせるのだが、今日は仏心が沸いて特別の恩情で小生が立つ場所まで乗せて行って、そこから他の登校班のこどもたちと一緒に登校していった。今朝は天気のせいで登校時はまだ暗くて、街路灯が灯っていた、小生のカメラのレンズは暗いので、ようやく撮れるくらいだった。
 (写真1写真2写真3写真4写真5)

 今日も、自己啓発。

 最近陰惨な事件が多い。小生が独自に判決を下す。自分の幼い娘をいじめ殺した父親、言語道断、問答無用で死刑、よくそんなことが出来るものだ。それから、葛飾区の女子大学生を殺したヤツ、死刑。また、最近よく、カッとして殺したという殺人も結構あるが、普通、どんなにかッとしても人は殺さない、そんな奴らにどうして情状酌量する必要があるのか、その時点ですでにアウトだ。小生は裁判員には決してなれないだろう、適性審査で落ちるだろう。
 
 晩飯。酢豚を作った、それから中華スープ、春雨サラダ。


平成31年 1月30日 (水)

 予報通り今日は雲が多かった、夜には雨になるだろうとのことだったが、日記をつけている時点(20:00)ではまだ降っていない、レーダーを見る限るまだ降る気配もない。
     最低気温 -3.4℃ (03:44)、最高気温 9.9℃ (12:25)
 
 登校風景  (写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 
 朝一番でコイン精米所に玄米30キロの精米に行く。精米料金は100円/10kgである。

 もう確定申告の還付金が払い込まれる旨のメールが来た、本格的な確定申告シーズン前だから処理が速かった。

 今日は昨日の続きの薪作りをした。シーズン始めは自転車操業だったが、ここのところ安定供給が出来ており、雨が降っても特に気にしないで済んでいる。いつのまにかストーブシーズンも半分は過ぎたことになるのかな。

 太郎、水泳教室。
 
 晩飯。ハヤシライス


平成31年 1月29日 (火)

 気持ちよく晴れる。(写真1写真2
     最低気温 -2.3℃ (07:39)、最高気温 11.2℃ (16:00)

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5

 携帯電話の電池切れ、昨日慌てたが、今日も電話中にまたあっという間に無くなった、開けてみると電池が膨らんでいるので、おそらく電池の寿命だと思う。そこで、ドコモショップに電話をしたら、窓口で並べという、しかも今2時間待ちとのこと、ところが順番待ちをして、電池を申し込んでも店頭には置いていないので取り寄せになるので、すぐには入手できませんとのこと。
 
 この応対のシステムは、おかしいだろう、2時間待って手に入るのなら仕方がない、待ちもしようではないか(それでも本来なら交換部品だけなら別の受付方法を採れよ)、ところが2時間待ってもそこで手に入らないのなら、最初から電話で受ければいいじゃないか、〇ソ!だな(〇のところには和文モールスで書くと「・・・-」が入る)

 昔の話だが、ドコモで、一定期間経過した携帯の電池は無料で交換してくれた、今はどうだか知らないが、たとえ今もそうであっても誰が頼むものか。ところがこの機種のバッテリーパック、ネットで調べたら新品は結構する、更に調べたら、中古で、大丈夫使えます、という品物が数百円で売っていた、どこかと思ったらメルカリとある、なんだか聞いた名前だなあと思ったら、最近流行りのリサイクル品(だけじゃないかもしれない)などの売り買いのサイトだ、そこでダメ元、購入することにした、もともと電話自体がもう相当くたびれているから)。今後、DoCoMoには頭にFをつけて、F-DoCoMoと呼ぶことにする。
 
 F-DoCoMoと言えばIT産業の最先端企業だろう、それがどうしてこんなことでいちいち窓口に行かなければならないのだ、確かに窓口でなければ用が足りないことも多いだろが、ネットでチャチャチャと済ませてしまうことが出来ないのか、どうしてこんなことで窓口にお伺いしなければならないのか、この企業は扱っている商品は最先端であっても企業体質は電電公社というお役所時代の古い体質のままだ。こんな所は二度と使ってやるものか、と思うのだが、他のキャリアーも好きではないし、選択肢が無い!
 
 今日は一日薪を作ろうとしていたのに、結局午前中、無駄になってしまった、少しだけ薪を作っておいた

 太郎の乳歯の生え替わり時期で、前歯の上の方が二本ばかり、その下から出てきつつある永久歯に押されて、反っ歯と言うか、確か「いやみ氏」と言ったなあ、赤塚不二夫の漫画にでてくる人物の歯のように前に出てきている。なんとなく不自然なので、今日、学校が終わって、宇治歯科で診てもらった。レントゲン写真を見ると確かに立派な永久歯が乳歯のすぐ後ろからしっかりと生えてきているのがわかる。先生は、このまま自然に任せたほうがいいので、あえて抜かない方がいいと思います、とのことで、様子見をすることになった。今朝、太郎に、バリバリとペンチで歯を抜くぞ、血だらけだぞ、痛いぞお、と脅かしてあったので、心底心配だったようだが、抜かずに済んでホッとしていた。先生に「歯、きれいに磨かれていますね」と誉められていた。芸能人でなくても歯は命だからな。

 晩飯。豚大根


平成31年 1月28日 (月)

 今朝はずっと一日どんよりとした曇り空だった・・・・・ところが真夜中にかなりの氷点下を記録している、明け方近くになって曇り始めたのかもしれない。
        最低気温 -4.0℃ (01:30)、最高気温 6.8℃ (11:00)

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 今朝、登校見守りの時、ある子の保護者に連絡をしなければならなくなって、携帯の電話帳を見たけど登録していない、太郎と同じ学年だがたまたま番号を登録するほどのお付き合いは無かった。そこで、電話帳に載っている名前の中で、多分この人は識っているだろうとあたりをつけて片っ端から電話するが、誰も知らない。考えてみたら、小生が登録している電話番号は、娘や一部倅の保育園時代の保護者ばかりで、今の子らとは世代が代わっている。娘や倅が上の学校に進むにつれてその下の年代の子たちの付き合いは母親に移っていて小生の電話帳には登録していなかった。ようやく一人を通じて連絡をしてもらったが、結構慌てた。オマケにこんな時に限って携帯が電池切れを起こしてこれまた困った。毎晩、必ず充電ホルダーに挿して寝るのだが、挿したつもりがちゃんと装着されておらず、充電されていないことがままある、今回はそれだったようだ。小生二台持ちでスマホも持っているが、そちらには電話番号はほとんど登録していない、宝の持ち腐れになった。

 今日も一人静かに、道楽に没頭することが出来た、調子が出てきたぞ、法華の太鼓だ。今の時期が一番時間に余裕ができる時期なのだろうか。

 今日はアゼリア全館休業日なので、風呂も休みだ。最近はそんな時は古城の温泉センターに行っているが今日は時間が取れなかったので休んだ。

 (我が家では、だが)インフルも去って気持ちに余裕が出てきた、今日は美味いものを作ろうという気になって、天ぷらを揚げた、もう鹿児島のグリーンピースが出ていたので、一緒に豆ごはんも炊いた


平成31年 1月27日 (日)

 晴れ、気持ちよく晴れる。(写真1写真2)
     最低気温 -3.5℃ (07:42)、最高気温 6.5℃ (14:23)

 太郎と母親、熊本までテニスのレッスンに行く。夏子は一日机に向かっていた(ようだ)。
 小生は、自己啓発と言うと聞こえはいいが、「死ぬまでモノに」の道楽に没頭した一日だった。

 インフル騒動で落ち着かなかなったこの一週間、ようやく明日から平常に戻ることになった。


平成31年 1月26日 (土)

 まあ、一応、雪、としておこうか。朝起きたら家の周りが薄っすらと白くなっていた、日本海側に降った雪の余りがちょっと積もったみたいだ。阿蘇ではあまり雪は降らない、降っても地形的にはこんなものだろう。(写真1写真2
      最低気温 -1.4℃ (08:56)、最高気温 2.9℃ (00:00)

 夏子は、英語だったと思うが、試験があると言って学校に行った。太郎は母親と、山を下って耳鼻科に定期通院で出かけた。太郎たちは昼までに帰ってくるはずだったが、病院が混んでいるから帰れないと連絡が入ったので、午後からの夏子の美容室行き、小生に送りが回ってきた(帰りは間に合ったそうだ)。

 午後二時過ぎに、また和水町で地震があった。そうだ。ここは、少なくとも我が家は全く揺れなかったので、スマホがアラームを鳴らしたときになんだろうと思ったくらいだ。和水町で震度5弱だったそうだが、NHKは一生懸命に地震被害を伝えようと騒いでいたが、どこにも被害はなかったようだ、それでもしつこく放送していた、この過剰反応なんとかならんもんかねえ、と揺れなかった場所では思った。前回のマグニチュードは5.1で今回は4.3・・・ということは地震エネルギーで言うと・・・約1/16くらい・・・かな。


平成31年 1月25日 (金)

 (写真1写真2写真3写真4

 22日から気象観測装置の表示が止まっていたのに気が付かなかった、今朝も3.8℃だったかを表示していたので、氷点下でもないのに車のガラスが氷るかなあ、霜も真っ白になるほど降りるのかなあとそれでも気が付かずに旗振りにでかけたところ、周りの景色からどうも、今の気温はこんなもんじゃないなあと、スマホで調べたところ氷点下もかなり下がっていたので、初めて計測が止まっていたのに気が付いた、室内がずっと暖かいので外の気温があまりピンとこなかったのだ、アホである。今朝はキリリと気持ちよく冷え込んでいた。旗振りが終わって、そのあとのボンの散歩をして帰ってきたときにはさすがに軍手の手袋では指先がかじかんで痛かった。
        最低気温 -3.7℃ (07:51)、最高気温 8.6℃ (14:23)

 登校風景 珍しく登校班全チームが一団となって通過していった、おかげで極めて短時間の見守りで済んだ。
     (写真1写真2写真3

 今朝の新聞にインフルの薬に関する記事が載っていた。どれも効能は同じだと思うが、太郎が処方されたゾフルーザが人気を集めているという。使いやすさにあるのだろうが、薬の違いで微妙に副作用なども違うようで、ゾフルーザは「耐性ウイルスが」できやすいとある、薬の違いで簡単に耐性ウイルスが出来るというのがよく分からないが。耐性ウイルスを持つ患者は回復に時間がかかるという、太郎の場合は、あっというまに回復したのでその心配は無いのだろう。 

 太郎のインフルのウイルスも大体出尽くして我が家の空気中を飛び回っていたウイルスもそうろそろ無くなることだろう、どうやら家内での警戒態勢は解除してもよさそうである、と言ってもそんなに特別な警戒をしていたわけではないが、まあ気分的な問題だ、我が家のインフル騒動、どうやら子供たち二人の罹患だけで済みそうだ、やれやれ。
 
 昼から久しぶりに薪作りをした

 晩飯。豚肉のムニエル


平成31年 1月24日 (木)

 薄曇り、穏やかな日だった
      最高気温 0.9℃ (00:59)、最高気温 7.0℃ (14:27) 22日のデータのまま観測停止のため取り消し

 登校風景。二年生が2クラスインフルエンザで学級閉鎖になったので、いつもより登校児童が少なかった、太郎を入れて、坂梨校区の出席停止の児童は、ざっと思い浮かぶだけで七人はいる。 (写真1写真2写真3写真4写真5

 午前中、元役犬原小学校で阿蘇文化調査研究会の例会開催。市が関係する生涯学習講座には必ず人権学習という時間が入るようで、講師を招いて30分ほどその時間が設けてあった、まあ、税金だと思って聞いていた。(写真1写真2
 二時間ほど留守にするので、太郎にスイッチでもやっていろと言って一人で留守番をさせて行ってきた、大喜びで留守番をしていた。
 
 平成30年分所得税確定申告をe-Taxで完了した。昨日送信発射ボタンを押さずに一旦保存しておいた保存ファイルを呼び出そうとしたが、システムが要求する拡張子の付いたファイルなんか無い、昨日保存にしたファイルには別の拡張子が付いている。いろいろと調べた結果、ネットで申告する方法がいくつもあって、同じweb申告でも今日開いた申告システムは小生が昨日使った方法と違うようだ。絶対あるはずだと思って、いろいろ探してようやく探し出して、昨日保存したファイルを使って申告を終えた。オマケに最後に申告データを印刷しようとしたら今度はアドビのPDFファイル印刷システムをインストールしろときた、小生は別のPDF編集ソフトを使っているのでいい迷惑である。昨日、最近のe-Tax申告ソフトは使いやすくなったと書いたが、取り消す、非常に使いにくいシステムだ。

 晩飯。オムライス


平成31年 1月23日 (水)

 まあ普通の晴れで、特にこうだと表現するような晴でもなかった(変な表現 ^^;)
    最低気温 0.9℃ (00:59)、最高気温 7.0℃ (14:27 ) 前日のデータのまま観測停止のため取り消し
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4) 

 太郎、なんだこいつは、一晩寝たら朝にはほとんど平熱近くまで下がっていた、夕方計ったらもう平熱だ。結局どこも痛くはならなかったようだ。これは一錠の薬がずっと効き続けているからなんだろうか。

 インフルエンザ、極めて軽く済む場合とそうでもない場合と、どこに原因があるのだろうか。薬の種類は、これは関係がないと思う、もしあれば、皆効く方を使うだろうから。

 接種の回数だろうか、太郎の年齢では二回打つ、姉の年齢ではもう一回接種だった。でもこの回数もあまり関係がないと思う、それほど顕著なら誰でも二回打った方がいいことになるだろうから。

 ということは体力だろうか、でも太郎は言うほど体力がある風にも見えない。ということで、結局何故だかわからない、個人によって、インフルとの相性のようなものがあるのだろうか。

 姉のほうは、太郎と入れ替わるようにして今日から出席停止が解けて登校していった。太郎、隣村の同じクラスの友達に届けてもらった休み中にやる宿題、さっそく即製の机に向かってやり始めたがあっと今に終わりそうだ。たいくつ、たいくつの連発、(九九や百人一首などの入った)学習用の端末を退屈しのぎで一生懸命叩いているが、面白くない、それはそうだろう、見るに見かねて、30分だけスイッチやっていいぞと言って許可した。まだ学級閉鎖第一日目だ、この先どうやって過ごさせればいいのだ。インフルの症状の軽重に個人差があるのならウイルスの体内滞留時間にもそれは無いのか、誰でも同じ期間体内に滞留するのか。

 そして、今日また太郎の隣のクラスが学級閉鎖になった、太郎の学年は3クラスだから、あと残るところ1クラスになってしまった。そこでつらつら考えたのだが、インフルエンザが治ったあとは、少なくともその冬は同じ型のインフルにはもう罹らないで済むとみていいと思うのだが、それを前提にして言うのだが、どうぞ罹らないようにとマスクをしたり手洗いをした隔離をしたりしてして戦々恐々とするよりも、さっさと全員でかかってしまった方が、その後はそんな心配がいらなくなるから、シーズン始めにさっさと全員で罹ってしまったほうが楽なような気がする、一週間一斉にインフルエンザ休業週間でも作って休んでしまったら、その後の授業計画や催事計画にも支障がでないだろう、今や、検査もすぐできるし、一錠のむだけで治療の必要が無いのだから、医療機関もそんなに混まないだろう、いっそのこと全国民がそうすれば、インフルエンザウイルスのやつ、行き場が無くなって慌てるだろうなあ。などと戦々恐々としながら考えているのである。

 そろそろ確定申告のシーズンだ、還付があるのが分かっている申告はもう受け付けてくれるだろう、どうせなら混まないうちにとe-Taxで申告手続きをした、昨年に比べたら事前準備の手間が増えたような気がするが、この制度が始まったころに比べたらずっとやり易くなった、相変わらずブラウザはIEでなければならないようだが、スイスイと終わった、あまり早く終わって、これで送信してから間違いに気が付いて慌てるといけないので、最後の送信ボタンは一旦留保しておいた。今年も140K戻ってくるぞ。尤も、わざと戻ってくるように扶養控除の申告をしているからなのだが(正確に言うと戻ってくるように申告書を提出しない、が正解なんだが)。と言うのも、無い金も無いなりに無駄に使ってしまうので天引き貯金のつもりで、毎年合法的にこの手を使っているのだ。でも、戻ってきて
 
 昼飯
 晩飯。昨日のシチューの残りと、焼き鳥(へんな取り合わせだが、スーパーで売っている焼き鳥は美味くないので、小生がタレをつくって焼き直している、こどもたちが好きなのである、とにかく、インフル騒動で、あまり家事に身が入らないのだ。ここのところ毎晩寝るころちょっと頭が痛い、ああ、いよいよかなと思いながら眠りに入って、朝起きるとああ大丈夫だったと安心する毎日だ)。


平成31年 1月22日 (火)

 ちょっと雲が多かったか。(写真1写真2)
     最低気温 0.9℃ (00:59)、最高気温 7.0℃ (14:27)

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5)。

 太郎のやつ、結論から先に書くと、インフルエンザA型だった。
 
 夕べも今朝もあまり熱は無く、昨夜は食べないで寝たせいもあって今朝は食欲も旺盛で、もしかしたら違うのかなと思って、10時頃、(症状が出て苦しそうならもっと早く行ったのだが)古閑医院に連れて行って診てもらった、じゃあ、検査しますかということで、鼻に綿棒?を突っ込んで採取した検体を検査キットにかけて、すぐに反応が現れた。
 
 検査キットは以前は反応が現れるまでもっと時間がかかったと思うが、今はすぐにわかる。すぐに反応が現れた、やはりA型だった(写真のCのラインはインフルC型ということでなくて、コントロールラインのCだそうで、この線が表れていることで、この検査キットが正常に機能しているということが分かるそうだ)。

 数年前に(と思って調べたらもう20年くらい昔になるようだ)、インフルの特効薬タミフルやリレンザが出てインフル治療に大きな効果が表れてそれ以降あまり怖い病気だとは思わなくなったが、医薬の進歩で更に新しい薬が出来ており、今回は、「ゾフルーザ」と言う新薬を投与してもらった。タミフルにしてもリレンザにしても、数日間は飲み続けなければならないが、このゾフルーザという薬は、最初に一錠のむだけで、以降は薬を飲む必要は全くない、看護婦さんから水をもらってその場で一錠飲むだけで、ハイ治療終わり、である。これは患者も、投与する側も簡単になって非常に素晴らしいことだ。夏子がかかった医院ではリレンザを処方してもらったが、患者によって使い分けるのだろうか。
 
 でも人間と言うものは、時間時間で薬を飲むという行為で、ああ、これで少しずつ治る方向に向かっているのだなと思う面があるので、たった一回薬を飲んだだけであとはもういい、と言うのも、「病は気から」部分が無いようでなんとなく心もとない気もする、人間と言うものはなかなか我が儘な生き物である。あとは症状に応じて咳止めだとか、熱冷ましを対症療法的にのむだけで、基本的は飲まなくてもいい薬である。
 
 普段太郎は母親とベットを並べて寝ているが、古閑医院から帰ってきて、カミさんに移るといけないので、もう手遅れかもしれないが、すぐに寝床を二階の夏子の部屋に移した、幸いにベットが二台入っているので空いているベットに寝かせた、さすがにちょっと苦しくなってきたようだ。
 
 夏子もA型だったし、この型はすぐに変異するそうだが、昨日の今日だ、まだ同じタイプでしばらくはもう夏子に移る心配がない(だろう)、今はここが一番妥当な病室ということになるのだろう、だた小生の部屋とすぐ隣だから小生が感染するリスクはさらに高まったといういうことだ。
 
 小生はマスクは全くしていない、家の中でマスクなんて全く意味がないと思っているからである、24時間生活を共にしていてマスクでウイルスなんか絶対に遮断なんか出来っこないと思っているからである。あとはウイルスと体力の闘いで、体力が勝ればウイルスが暴れるのを抑えられるだけで、体の中にはウイルスはとうの昔に入っているのである。でも今年はインフルには耐える自信はちょっと無いな。

 午後になって学校から太郎のクラス2年3組が学級閉鎖になったというメールが入った。今週いっぱい(今度の日曜日まで)である。今はメールと言う連絡手段が出来て、一人一人電話で連絡をしなくて済むのだから便利な世の中になったものだ。

 夕方、夏子がかかった松見さんに行って、学校からもらってくるようにと言われた罹患証明書をもらってくる、これを学校に提出することで、「病欠」にはならないそうである、考えたら変な制度だ。誰かがインフルにかかって学級閉鎖になった場合、健康な子も強制的に休ませられるわけだから、欠席扱いにはならないというのであればわかるが、インフルに罹った子も欠席にならないというのだから、考えてみたらちょっとおかしい気もするが、もっともその子も誰かから移ったわけだから、どこに発生源があるかということになると、これはもう誰にも分らないから、一律にそうするのだろう。また病気を押して無理して出てくると他の子どもに移すことになるから、欠席扱いにはしないからゆっくり治療しなさいということでもあるのだろう。
 
 ところで太郎のやつ、医院から帰ってきてちょっとの間キツそうだが、夕方になって、それほどでもなくなってきて、お腹が空いたと言っておやつを食べて、いつものこどもの時間のテレビも見ると言って起きてみていた。夏子と大違いである、夏子は二日ほど完全に死んでいたのに。
 
 晩飯。シチュー、太郎も食べた
 
 
平成31年 1月21日 (月)

 晴れ。(写真1写真2)
    最低気温 -1.7℃ (07:44)、最高気温 6.1℃ (14:29)

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7・写真8・写真9・写真10)。

 今日も外での作業はしなかったので分からなかったが、朝のうちは風がなかったが、日中は冷たい風が吹いていた。

 窓の外を見ると、日章旗が変な垂れ方をしているので出てみるとロープが切れて落ちて途中で引っかかっていた。よく見ると、ロープが切れたのではなくて、プーリー(滑車)がポールのてっぺんから外れて落ちているのが分かった。勝手知ったるであるが、用心のために安全帯をして屋根に上って、ポールを外した。ポールのてっぺんに取り付けてあったプーリが摩耗して外れてしまったのだ。さっそく替えのプーリーを買ってきた、折を見て交換をすることにした。

 夕方そろそろ太郎を迎えに行こうかと思っているところに、学童から電話。赤い顔をしているので熱を測ったら38℃以上あります、とのこと。さっそく迎えに行って古閑さんに連れて行った。本人は別にだるくも無ければ頭も関節も喉も痛くない!と言う。この段階で、検査キットは反応しない、クラスでもすでに太郎が言うには10人くらい発症しているという(もしそうならとっくに学級閉鎖になっているはずだが、太郎の言うことはあまりアテにならない)。それ以外でも今はインフルだらけだ、そもそも我が家にもインフル患者がいる。おそらく間違いないとは思うが、先生と相談をして一晩様子を見ることにして、とりあえず、咳止めシロップと熱冷ましの頓服をもらってきた。
 
 一難去ってまた一難か、先生に年寄りの方がインフル罹りませんねと言ったら、とんでもない、年寄りもどんどん掛かっていて、年寄りの方が体力がないから肺炎になったりで大変ですよと脅された。狭い家の中で家族は生活してるのだから、移らない方が不思議と言うものだ、やれやれ。なんだか気分的に頭が痛くなってきたが、ここのところ夜になると頭の芯が痛いので、もしかしたと思っていると翌朝には治っている。こうなるともう時間の問題だと思うがあとは竹ヤリ精神で頑張るしかないな。

 夕飯、支度をするヒマもないから、レトルトのオデンを食べた。この出汁は美味いなあ。太郎は帰ってから安静にしておれ、と言った夕食も食べずにらさっさと布団をかぶって寝てしまった、寝るときにキツイのかと訊いたらキツクないと言ってたが。


平成31年 1月20日 (日)

 雨のち、午後から上がる。
     最低気温 5.1℃ (17:59)、最高気温 11.6℃ (04:43)

 本日予定の坂梨新春駅伝大会、雨のために中止になる。太郎も参加することになっていたが、中止になって残念そうだった、去年も確か中止だったはずだと思って調べてみたら去年は1月28日だったが、雪のために中止になっていた。
 
 豆札区の初寄り、村の年に一度の総会が行われた。近隣の各地域でも年が明けると、それぞれ都合のいい日時を決めてこの初寄りを開催をして役員決めやその年にあらかじめ計画をするようなことがあればその場で決めることになる。

 当豆札村では今年は役員改選は無い年だ。小生は市の健康推進員だが、この健康推進活動は一面では市が財政負担となっている国民健康保険の医療財政負担改善が目的となっているので、小生のように後期高齢者がその任に当たるのはどうかと思うので、この三月で委員を辞めることにして後任を決めてもらった。因みに後期高齢者の医療財政は県の管轄になるのである。

 また、昨年の初寄りの際に、今後、初寄りは毎年一月の第三日曜日に開催すると決めたにもかかわらず、今年開催してみて、第三日曜日と言うのはあまりにも正月から日が経ちすぎているということで、改めて来年から、毎年第二日曜日開催と言うことに変更した。去年結構もめて決めた日程があっさりとまた変更になった、どういうこっちゃ。昼前に始めた初寄りは議事終了後に恒例の懇親会があった。(写真1写真2写真3写真4
 
 公民館に初寄りの出席のために家を出たら、近くで選挙カーがさかんに候補者名前を連呼しながら走っているのが聞こえた。ああ、市議会選挙がはじまったのか、ということは昨日立候補の受付があったのかと思ったら、今日が立候補受付日だったようで、受付が済んだ候補者から順次選挙カーが繰り出したということか。小生は日曜日だからお役所は休みで、立候補受付事務はてっきり昨日だとばかり思っていた、選挙の場合は日曜日でも選挙事務をやるのか。市議会選挙なんてその程度の関心事なのである。

 ところで、事前の噂では、定員丁度の20人の立候補で、無投票になるだろうと聞いていたが、定員以上の立候補があったということだろうか、それとも、立候補の受付は今日いっぱいあるので、それまでは無投票になるか分からないから、とりあえず選挙運動が始まったのだろうか、市議会選挙は市という狭い範囲なので、今日一日中、次から次に選挙カーが連呼しながら流して行った、今週いっぱいはウルサイ日が続くというわけか、それとも、夕方になって、無投票が決まって、一日だけのから騒ぎで終わるのか。
 
 と、ここまでは、夕方風呂に行く前に書いておいた。そして五時が過ぎてから風呂に行った、ところがあれほど煩かった選挙カーの音が全く聞こえない、すれ違った選挙カーも何も音を出していない、選挙活動は確か8時くらいまでだろう、ははあ、5時で無投票当選が決まったのだなと思っていたら、午後7時前になって市選管からの放送で想像通り全員無投票当選の旨放送があった。最初から無投票選挙になることが決まっていれば準備もいらないだろうが、それは直前まで分からないので、選挙カーなど一式の準備はしてあったので、無投票になるだろうということがわかってからも、せっかく用意したのだからと、普段大ぴらに街中を街宣車で走る機会は無い、景気づけだと、一日だけ走り回ったのだろう、祭りの時の神輿の繰り出しのようなものだったのだろう。
 
 夏子、昨日までは大変だったようだが、今日はもう熱も引いたということで、予定通り快方にむかっているようだ、熱が完全に引いてから二日間は休まななければならないようで、ということは、月、火とあと二日休むことになるのだろう、インフルの発症から治癒までの標準日数のとおりだろう。


平成31年 1月19日 (土)

 晴れ。キリリと気持ち良く冷え込む。阿蘇谷は冷凍庫の壁面のようにどこも白くなっていた。(写真1写真2
      最低気温 -5.4℃ (07:39)、最高気温 9.6C℃ (13:18)

 登校風景。今日は土曜授業で通常登校。ただ、土曜授業は平日のような教科書中心の勉強というよりは、イベント的要素が多く、オープン授業で保護者も参加して凧を作って運動場で揚げたそうだ、母親が参加した。登校時に上級生の姿が見えないので、どうしたの?と下級生に訊いたら、5・6年生は今日の土曜授業は坂梨地区の探訪だか、調査だかで、坂梨小学校に集合だから今日は登校班にいません、とのことであった。たまたま坂梨校区の登校班だから坂梨小集合で、他の校区のこどもたちはそれぞれの校区の探訪だったのだろうか。
 (写真1写真2写真3写真4)。
 
 あまりいい天気で朝、まだ太陽は上がっていない時間でも逆光で古閑の滝の様子が遠くからではわからないので、登校見守が終わって回り道をして近くまで行ってみたが、冷え込みは十分だったが、風がないのであまり氷っていなかった。(写真1写真2
 
 夏子、今日も完全にグロッキーで終日、死んだように寝ていた。
 
 小生は午後からいっぱい、薪作りで体を動かした。薪作りというよりは、乾いている薪を小屋に運んだり、まだ切っていない木を雨に濡れないように横持ちをしてシートをかけたりの重労働、いい運動になった。


平成31年 1月18日 (金)

 快晴 (写真1写真2)
     最低気温 -3.4℃ (07:28)、最高気温 9.6℃ (14:51)

 登校風景 久しぶりに日の出を見た、ちょうど7時55分、少しは早くなっただろうか。
  (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8)。

 本日、イプシロンロケット4号機の打上げ、当然のごとく成功した。過去にも見えたので阿蘇からも見えることは分かっていたが時間的に太陽が昇ったばかりでちょっと逆光気味、空は文句なく晴れ渡っていてが、それが少し心配だった。我が家の庭から(シャックから)でも見えるが、どうせならと、いつも定点撮影をしている毎朝子供たちを見送る場所に行ってみた。午前9時50分を過ぎてすぐ、根子岳と高岳のちょうど中間地点、日の尾峠の上あたりにロケットの白い「航跡」が見えた、ロケット本体まで見えたかどうかわからなかったが噴出口からの白い煙が斜め上方にまっすぐグングン伸びていくのが見えた。1号機の時(H25.9.14)、打ち上げ見物に内之浦まで行ったことがあるが結構な距離だった、それがここからでもはっきり見えるのだからいかにも不思議である。阿蘇からでも見えることあまり知られていないのではないだろうか、学校なんかこれほどいい生きた教材は無いと思う、グランドから見えるのだから。こんど、機会があったら先生方に教えて差し上げよう。

 イプシロンの打ち上げを見て帰って気分良くコーヒーなどを飲んでいると娘の学校の先生から電話。具合が悪いと保健室で体温を計ったら38.8℃あったそうで、保健婦さんは、おそらくインフルだと思います、とのこと。さっそく迎えに行って松見さんに連れて行って診てもらう。やはりインフルのA型だそうだ。リレンザを処方してもらって帰ってくる。そういえば昨夕から咳が出ると言っていた、ただ、熱も無いし、食欲もある、普通の風邪だと思うと言って、今朝も登校していったのだった。小生と夏子は二階で隣同士の部屋で寝ていて、今日なんかも制服だとか身に着けているものも大分持たされた、多分小生もウイルスだらけになっていることだろう。ここだけでなく、今、全国的に爆発的に流行期に入っているようだ。

 今まではタミフルしか見たことがなかったが、リレンザを初めて見た。 リボルバー拳銃のような装置付きで、一つの弾倉に4回分の薬剤が封入されていて、吸引するたびに弾倉を回してその袋に穴をあけるようになっている。上の空で説明を聞いていたので実際に飲ませる段になって、「弾込め」の仕方がわからなくてちょっと焦った。

 今日はバタバタしていたが、ちょっとの時間の合間に録画サーバーの構築を進めた。今回はエラーが起きても、原因を見つけて、解決できるように少し進歩しているようで、進捗は遅いが確実に進んでいる。(写真1写真2
 
 昼飯に、小生としては珍しいことに、黒亭のラーメンを作って食べた。黒亭とは熊本を代表するラーメン屋のひとつで、小生が熊本に移住早々に一度食べに行ったことがある、熊本駅のそばにある有名店で芸能人などがよく行く店だということを聞いたことがある。熊本ラーメンの元祖と言われる「こむらさき」があっさり系だとすると、こちらはこってり系だろうか、ラーメンには詳しくないが。この店のラーメンが持ち帰り用として売っていて、それがスーパーにもある。娘の分も作ったが、食べたくないというので、小生が二人分やっつけた(寺さん、チャーシューは別だからね)。

 晩飯。夏子が発熱して寝込んだのでお腹に優しいものを、と急遽予定変更(というほどのことでもないが)。かゆ、鰈と豆腐の煮つけ、だし巻き玉子、みそ汁を作って隔離病室まで運んでやった。
 
 太郎もカミさんも同じメニューだが、小生は別仕立て。と言うのも、賄い方を担当したことがない人間には分からないことだが、スーパーで数切れ単位でパックしてある肉や魚などの食材を買うときに、家族の人数にあうようなパックだといいのだが、三切れしか入っていないパックは二つ買うと無駄が出て、一つだと一切れ足りないということになる、いつもこのことで悩むのだが、今日は一人分足りないパックだったので、小生は、牡蠣を買ってソテーを作って、小生一人で食べた
 
 カミさんは牡蠣でアナフラキシーを起こすし、子供たちはカキフライは大好きなのに、ちょっと洒落た料理になるとダメで食べないのだ、そういわけで小生だけ別メニューで美味しい思いをさせてもらった。牡蠣のソテーは白ワインのベースに塩コショーそれにバターだけの味付けだが、牡蠣から出る汁でそれは美味しい料理になる、牡蠣とネギとほうれん草、レモンをちょっと垂らして・・・小生は飲んべではないのにこういった料理が好きなのである。


平成31年 1月17日 (木)

 曇り。なのに朝は冷え込む、これは放射冷却ではないだろう。朝はともかくも夕方買い出しに出かけるまでわからなかったが、今日は非常に冷たい風が吹いていた。
      最低気温 -3.4℃ (07:15)、最高気温 4.8℃ (15:21)

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5)。

 「死ぬまでにもうひとつモノにするプロジェクト」の「お勉強」をしながら、Linux録画サーバー構築の続きをした。昨日までにどうしても解決できなかったトラブル、ようやく原因が分かった。
 
 結論は、B-CASカードをつないでいなかったことによる。小生は完全に勘違いしていて、構築途中でカードリーダーでB-CASカードを読み込んで設定すれば以後は不要だとばかり思いこんでいたのだ。確か昔説明文を読んだときにそう書いてあったと思っていたが勘違いだったのだろう。じゃあ、今回構築作業を再開してずっと順調に進んでいたのは何だったのだ、ということになるが、今回作業をしていた部分はB-CASカードの作用と関係がない箇所の作業だったのであって、その作業が済んで、さて、録画テストをしようかと言う段になってエラーが起きたので、録画には当然B-CASカードが必要になるわけで、それをつながないでやっていたので、いくらやってもエラーが起きたということだろう。二日ほど足踏みをしてしまったようだ。
 
 ということで、しっかりとB-CASカードをつないでテスト録画をしたところ、successと出たので、一安心した。このテスト録画ファイルを見るための再生ソフトがまだ入っていないので、一旦、メモリカードにコピーして、別のPCで録画再生をしたが、バッチリ素晴らしい映像が再生できた。ニ三年前にやった時に、やみくもにやって、どこに何があるか分からない状態で、放り出していたので、今日、二つのファイルがみつかったので、その二つを再生してみた。一つはTSファイルで、もう一つはmp4ファイルである。TSファイルの方には夏のニ三年前の高校野球のシーンが、そして今日作ったmp4ファイルにはテニスの試合の様子が映っていた。この映像ファイルは一旦TSファイルで録画をしてそれをmp4ファイルに自動的に変換をする手順なっているのだが、以前にやった時はそこまで行かずに放り出したようだ。大体めどがついてきた。

 夏子ピアノレッスン。小生が風呂から帰るころ教室が終わるので、今日も拾ってやる。

 晩飯。豚肉の味噌漬け、だし巻き玉子、ほうれん草のみそ汁。もう一品予定していたがヤメタ。太郎は何かで不貞腐れて部屋に引っ込んでしまって食卓には不在(ふくれ太郎)。


平成31年 1月16日 (水)

 今日も北日本の冬のようにどんよりとした一日だった
    最低気温 0.1℃ (但し20:12時点、さらに降下中)、最高気温 5.1℃ (15:52)

 登校風景  (写真1写真2写真3写真4写真5)  
 
 今日も自儘に過ごす。
 
 なんとか和製横綱を、と見ていて気恥ずかしくなるほど日本中で肩入れしてきたけど、勝負の世界、プロの世界、土俵際・・でなくて往生際が悪かったね、往生際の悪さで歴史に残る横綱になってしまった。敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花・・・花は桜木、人は武士・・・なんのために太刀持ちを従えているのか、散り際が肝心。なんと言っても江戸時代から数えて横綱はまだ70数人しか出ていない、片や総理大臣なんか歴史的にもっと短いにもかかわらず、もう90数代だ、それだけ重い地位なんだ。
 
 たまたま太郎を迎えに行ったアゼリアで夜7時のNHKニュースを見た、トップニュースとして延々と一代記のような構成で引退ニュースを流していた、他のニュースを抑えて流すほどのことなのか世の中そんなに平穏なのか、そんなものスポーツニュースでやれよ。
 
 太郎水泳教室。夏子は今朝母親の車に便乗して登校したので、帰りは歩かなければならない、ところが、小生が太郎を迎えに行く時間に合わせて校門前で同乗してきて、アゼリアに一緒に行って、休憩室で勉強をしながら、小生が風呂から出てくるのを待って、教室が終わった太郎と三人で帰ってきた。
 
 晩飯、カレー


平成31年 1月15日 (火)

 朝は晴れていたが、その後曇り、あまりいい天気じゃなかったなあ。
     最低気温 1.1℃ (01:13)、最高気温 8.6℃ (11:19)

 昨夜は実によく寝た、いつもは真夜中に必ずトイレに行くので、目が覚めた時いつもの時間だろと思ってトイレに行きがてら枕もとの時計を見ると、針が5時半近くを指していた、一度も目が覚めなかったのだ、珍しいことである。

 登校風景。いつもお兄ちゃんのK君と一緒に通っている妹のSちゃんの姿が見えないので、どうしたの?と尋ねたら、インフルエンザ、ということだった、阿蘇もインフルの流行期に入っているようだ。うんと昔、流行性感冒(流感)と言っていたやつが今のインフルなのかなあ、昔は難しい言葉を使っていたものだ。 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 ちょっと時間が出来ると、思い出したようにLinuxで録画サーバーを作っているが、これが難物で往生している、なかなか一筋縄ではいきそうもない。録画するテストで、試験的に録画をしようとしても、エラーがでる、トラブルシュートをしているとあっという間に時間が経ってしまって、そのうちに、ああ、面倒だ、とまたしばらくペンディングになるのだ。

 夕方、メシの支度や薪の取り込みや風呂行きの準備で忙しく立ち回っているところへ、村のT男さんから電話。パソコンがウイルスに感染したと警告がでている。ははあ、またかと思ったので、それは詐欺のような警告で気にすることは無いから、さっさと切っていいですよ、と言ったところ、終了しようにもできない、画面を消そうと思っても消えない、と言う。小生も出かける時間がないので、じゃあ強制的に電源を切ってもいいですよ、と言ったものの、万一のことがあるといけないので、お宅に行ってみたところ、なんと、音声入りの警告アナウンス付きだ、繰り返し繰り返し画面の文言をアナウンスしている、こういったやつは初めてなので驚いた、普通だとだれでもこんな警告をされたら言われた通りにするだろう。この警告文の画面を動かそうとしても貼りついたように動かない、この下にどういう画像があるのか分からないが、みたところ、どうみてもマイクロソフト社からの警告だと思ってしまう。全く悪質な商法である。
 
 タスクマネージャーを起動して、このwebを終了してから、ウイルスソフトは入っているのかと訊いたところ、入っていたけど期限切れで更新契約はしていないという。じゃあ、マイクロソフトの無料のソフトを入れておいてあげますよと言って、Windows7だったので、Microsoft Security Essentialsをダウンロード、インストールして、終わったら結果を電話くださいと言って、スキャンをかけて帰ってきた。氏は個人事業主で見積書や請求書を作るためにPCを使っていて、他の目的ではほとんど使わないそうだ、仕事で使えないと困るところだったようだ。後から電話が来て無事だったということであった。
 
 晩飯。炊き込みご飯、刺身、だし巻き玉子、ジャガイモとキャベツのみそ汁
。太郎は、今晩残るであろう、刺身で明朝、マグ茶を食べるのを楽しみにしている。最近、ボクの好きなもののトップテンのほとんど首位近くに、このマグ茶がランクアップしているのだ。そういえば、ハムカツが同じく上位に上がってきている。夏子も太郎もどこで食べたのか知らないが、ハムカツがおいしいから作ってくれと言う。小生に言わせたら、ハムカツは肉が買えないやつが作るものだと言って、お父さんの料理人としての沽券にかかわるからハムカツなんか揚げん、食べたければお母さんに頼めと言ってやったところ、カミさんに作ってもらて食べていた。昔、学食だとか安食堂なんかのメニューにあったやつだ。


平成31年 1月14日 (月)  成人の日

 放射冷却で冷え込んで、朝のうち霧が出たが、今日は穏やかで暖かい素晴らしい天気になった。
     最低気温 -2.2℃ (07:40)、最高気温 11.5℃ (15:45)

 さすがに今日は我が家の三人組、でかけることもなく、家でそれぞれに時間を過ごしていた。夏子はまた近くテストでもあるのだろうか、宿題だろうか、終日机にしがみついていた。太郎は母親に叱られ叱られスイッチをやっていた、カミさんは部屋の片づけをしていた、小生は道楽三昧だった。今の時期、誰も来なく、特に何も用事がないので、本来の田舎でノンビリ隠居生活が楽しめている。

 今日は成人式をおこなった自治体が多かったのだろう、昨日やったところもあったようだ、ここは今日だったのだろうか。近いうちに18歳で成人になることになっている。夏子が19歳の時に法律が発効するようで、その時には18歳と19歳と20歳の成人が一度に誕生することになるのだろうか。日記を書いている時点ではまだニュースを覗ていないので、バカ成人のニュースは入ってこないが、今年はどうだったのだろう。

 Lineで娘と連絡をするときに、「用」という漢字が欲しかったので、「よう」を漢字変換しようとして打ったところ最初に出てきた漢字の候補が目的とする「用」で、一発で変換できたつもりだったが、後からみると、見たこともない漢字が一番に上がっていた。その文字が「甩」という漢字だった。まさかこんな文字が最初に出てくるとは思っていなかったので確認もしなかったが、どうしてこんな漢字がでてきたのだろうか。そもそもこの漢字は日本語じゃないだろう、文化侵略だろう。ちなみにPCに入っているLineで同じようなことをやったら、ちゃんと最初に「用」と漢字が出てきて、いくらスクロールしても、「甩」という漢字は出てこなかった。そういえば小生のスマホはChina製の格安スマホだ、使う言語を日本語に設定してもこんな間違いが起こるのか。
 
 更に、念のためにもう一台別のPCで打ってみたところ、一番最初ではないが、それでも上のほうに機種依存文字とことわってあるが「甩」という字がでてきた、どうしてこんな漢字を使う機会があるのだろうか。UTF-8だったかの文字コードを使っているからだろうか。

 最近、日本列島各地で結構地震が起きているような気がする、今日も北関東でちょとした地震があった、そういった時にこのような記事は普段でも結構目にするがやはり気になるものである。不気味だなあとは思っても、どうしようもないから、まだ大丈夫だろうと皆思うようにしているのだろう。

 JA6JLZが Raspberry Pi を使ってとうとうアマチュア無線のAPRSのI-Gate局を作り上げた、大分苦労したみたいだが完成した。APRS-fiにもちゃんと表示されている、素晴らしい!本来はI-Gateはインターネット網を経由して車の位置情報やメッセージを送受信するのだが、送信には無線機が必要になる。無線機の電気代がバカにならないので、送信はやめて受信だけに特化すると、無線機はいらず、ラズパイにSDRというソフトでラジオ電波を受信する小さな装置を付けて運用することで、電気代がほとんどかからずに、移動局からの電波を受信してインターネットに流すことが出来る、これで十分だと思っている。小生も今の無線機を使ったI-Gate局からラズパイを使った受信専用のI-Gate局に変更しようと思って、とりあえず材料は全部そろえてあるが、まだ手が付かない。JLZが先にやってくれたので、後からついていくのは楽である、そのうちにとりかかろうと思っている。



平成31年 1月13日 (日) 

 今日もぐずついた一日だった。
     最低気温 5.3℃ (06:38)、最高気温 8.8℃ (14:16)

 太郎と母親、朝早く昨日に続いてテニススクールに行く。三連休なので今日はオマケに娘まで一緒に出掛けていた、これじゃあ鉄砲玉でもそうとう遠くまで飛ぶ鉄砲玉だ、帰ってくるわけない。散々遊びまわって帰ってくるのだろう(と日記を書いている19時時点でもまだ帰ってきていない、よくもまあそんなに外で時間をつぶせるものだと感心する、小生には絶対にマネの出来ない芸当だ)。
 
 先日、壊れた地デジチューナーのリモコンを京都女子駅伝を見ながら直した。直したと言っても、外付けで電池ボックスを付けてそこから電源を取るようにしただけだが。

 最近DIYの動画などを見ていると、特に海外の動画だが、ピストル状の工具の先端からドロッとした液体を出してモノとモノを接着するシーンがある、へえ、こんな接着剤があるのかと思っていたら、日本でも結構普通に使われているのだろう、百均でも売っていた(これは100円ではなかったと思うが)ので最近よく使う。以前ならボンドを使っていたが、これは簡単でしかも短時間で接着できるから便利である。グルーガンと言ったか。

 今日もノンビリ過ごす。


平成31年 1月12日 (土)

 終日ぐずつく。東京では初雪が降ったと言っていた、ここは暖かかった。
    最低気温 4.0℃ (04:32)、最高気温 7.9℃ (16:05)

 朝早く、太郎と母親はテニスレッスンに出かけた。ところが昼には帰ってきた。どこか体でも壊したか?と訊くと、明日もあるから、今日はすぐに帰ってきた。のだそうだ。そういえば、いつもは日曜日だった。どうして二日連続なのか、多分、先週だか、一回分抜けたのだろう、その穴埋めで二日連続で行くのだろう。ということは明日は鉄砲玉だろう。
 
 今日も道楽三昧。
 
 午後から大学ラグビーの決勝戦があったので、テレビ観戦をした。ところが地デジチューナーのリモコンが壊れていてチャンネルが替えられない、リモコンでしかチャンネルが替えられないやつだ。電池ボックスの電池のプラス・マイナスを支える金属片が錆びてボロボロになっている。たまたま子供が週一回見るテレビのチャンネルに固定されていて、それ以外の番組は見ないので、リモコンが壊れていても支障がなかったのだ。今までは接触が悪いやつを騙し騙し動かしていたが、とうとうダメになった。止む無く、ケースを分解して外付けで電源をつないで、NHKに替えて観戦した。さっさと録画サーバーを作ってしまえばいいのだが、テレビだとどうしても力が入らない。 
 
 明治大学と天理大学の決勝戦。面白かった。天理大学は最後のほうになってエンジンがかかってきたが、もっと早ければもっと面白かったろう。
 
 明治大学と言えば昔、北島監督という名物監督がいたが、もう二十年以上昔になるだろう、「前へ」だったなあ。ラグビーは総合格闘技だ、小生はサッカーよりも好きである。サッカーはゴールした選手だけが脚光を浴びて、また、ゴールした後の選手のパフォーマンスがあまり好きでない、サポーターもサッカーは今の若者向けでどうも年寄りには合わない。ラグビーはトライしてもサッカーほど派手な喜び方はしない、15人全員で得点したのだからだ。それからラグビーは審判に対しても極めて謙虚である。こういったところ、ラグビーは日本人向けだと思うが、サッカーほどの人気がないのはなぜだろう。ルールがちょっとわかりにくいこともあるのだろう、選手自身も冗談半分に分からない時があるというくらいだ。試合終了のノーサイドという言葉も好きだ、この言葉はもともと外国から来た言葉のようだが、いまでは日本だけで通用する言葉になっているようだ、海外ではfull timeと言うそうだ。来年にはワールドカップが日本で開かれる、ああ、もう今年だった、熊本でも試合があるそうだ、ラグビーブームはやってくるだろうか。


平成31年 1月11日 (金)

 今日も終日全天雲に覆われる。日が全くささず。(写真1写真2)
     最低気温 1.6℃ (06:31)、最高気温 8.9℃ (15:09)

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 今日も一日、道楽自己啓発、農閑期の今の時期、農業をやっていなくても時間に余裕がある。

 晩飯。チキンカツを揚げる。それに今日は鏡開きだ、デザートにお汁粉をつけて子供たちに鏡開きのことを教えた。
 太郎、たまたま今日、給食時に、先生から一人ひとり箸の持ち方のチェックがあったようなことを言っていた。おっ上手いねと言われたと言っていた、グッドタイミング。

 一龍齋貞鳳さんが亡くなったという今朝の新聞を見て一瞬読み違いかと思ってもう一度読んで、へえ間違いないのかと驚いた。失礼な言い方だが、まだご存命だったのか、とっくに歴史上の人物かと思っていた。講談師と言うよりは、子供のころ「お笑い三人組」というNHKの番組でよく見ていた。小生もかなりの年齢になっているので、昔見ていた番組の登場人物なんかとっくに故人だと思っていたのだが、もう一人、先日、亡くなった兼高かおるさんだ。「兼高かおる世界の旅」、これももう大昔の番組だろう。ということはお二人ともうんと若いときからテレビに登場していたということか。

 こんどの韓国のレーダー照射事件、こんな重大事件、野党は何か言っているのか、一向に聞こえてこないぞ、モリソバだとかカケソバだとかは延々とやっておきながら、おまけに長期有給休暇までとって、その野党は今回はダンマリなのか?どこの国でも普段は政権に対してボロクソの野党やマスコミも、こと国益にかかわる事件の時は一枚岩になるのだが、日本はいつもそうじゃない、これじゃあ反日野党と言われても仕方がないな。


平成31年 1月10日 (木)

 曇りのち、夕方になって細かな霧のような雨が降っていた、日記を書いている時点では雨量計には記録が出ないほどのわずかな雨である。珍しく東京方面で氷点下になったと言って騒いでした、ここは高めだった。(写真1写真2
     最低気温 1.1℃ (00:00)、最高気温 8.1℃ (12:24)

 登校風景  (写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 空一面雲で覆われ、その雲は非常に高い場所にあったので、雨にはならないだろうという自信があったが、日の射さない空模様ではなんとなく外で作業をしようという気にならず、また、昨日目いっぱい働いたので今日は勝手に休養日にした。

 特に何をということもないのだが、好きなことをやっているとあっと言う間に一日が過ぎる。
 
 夏子、ピアノレッスン。もう大分前からになるが、昔のように、今は宮地の教室で習っている。夕方丁度練習に行く頃に細かな雨がり始めていたが、自転車で行った。帰るころもし雨が強くなったら、小生が風呂帰りに寄って、自転車を荷台に積んで帰ってこようと思って連絡をしたら、大した雨ではないので、自転車で大丈夫だと言って帰ってきた。

 晩飯。麻婆豆腐、エビチリ、みそ汁


平成31年 1月 9日 (水)

 朝のうちは青空が見ていたが、その後終日、空全体が雲に覆われ、太陽は全く見えなくなった。 (写真1写真2写真3写真4)
     最低気温 -0.8℃ (07:45)、最高気温 7.7℃ (13:58)
     
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 そろそろ天気が下り坂なので、一日みっちりと薪作りをした、今日は全くPCの前に座る時間がなかった、ヘトヘトである。

 太郎、今年最初の水泳教室

 晩飯。ハヤシライス、コールスロー (小生は残り物のおじや・・・小生はこちらのほうがいい))


平成31年 1月 8日 (火)

 曇り。日が照ることもなく終日雲が多かった。(写真1写真2
     最低気温 -1.2℃ (03:08)、最高気温 7.7℃ (12:58)

 冬至を過ぎると日の出が早くなると思っていたが、今朝のラジオによると、まだしばらく日の出の時間は遅くなるのだそうだ、理由は言わなかった。

 登校風景 小中学校は今日から第三学期が始まった。夏子の高校はまだである。
     (写真1写真2写真3写真4写真5
 
 道楽で過ごす。
 
 晩飯。ロールキャベツ。もう一品サラダをつける意欲がわかなかた。最近ちょっと料理が面倒になってきている、理由は、自分自身が食べたいものがここのところ無いからだろう、正月でちょと飽食したからだろうか。


平成31年 1月 7日 (月)

 穏やかな天気が続く
    最低気温 -4.1℃ (07:38)、最高気温 8.8℃ (14:27)

 天気がいいので薪を作ろうかと思ったがまだしばらく天気は良さそうなので、薪つくりは先にして、先日からの燃やし残しの廃材を一日かけて燃やした。水分を含んでいるので燃えが悪かったが、それでも夕方にはほぼ全部燃え尽きた。あとは太い玉切りした木を薪にするつもりである。

 今日は七草、晩飯は当然七草がゆを作った。と言っても、有り合わせの野菜と餅を入れた我が家定番の味噌仕立ての「おじや」である、家族皆大好きである。ところが今回カミさんがスーパーで七草セットというものを買ってきたので、ついでにこれも入れたので、十数草かゆになった。
 
 スーパーの七草セット、取り出してチェックしたところ、ちゃんと古式に則って七草が入っていた。粥に入れる七草と言っても、人様が食べる草はセリ、スズナ(蕪)、スズシロ(大根)くらいなものだろう。これだけで作る粥なんて、どうなんだろう、美味いのかなあ。このなかのホトケノザは春先に咲く野草で我が家の庭先にもたくさん咲くがホトケノザという花があるがこれとは別物である。

 ところで、このスズシロ、つまり、大根のことであるが、(今、暇を見つけて「坂梨村是」の文字起こしをしている (原本(の写し)の活字が潰れていて読めないからである。どうしても一部読めない字があるがもうほとんど終わっている。)この中に、坂梨村の農産品の一つに大根がでてくる。
 ところが、大根という文字はどこにも使っていない。大根は「蘿蔔」という字を使っている。最初のころはこの文字の判読に苦労した。そして、この文字をスズシロと読み、漢名でラフと読むことが分かった。ついでに「胡蘿蔔」はコラフと読んでニンジンのことである。で、当時の、つまり明治35年ころの坂梨の人たちはみんな大根のことをラフ、ニンジンのことをコラフと読んでいたのだろうか、おそらく大根はダイコン、人参はニンジンと呼んでいたと思う、話し言葉と書き言葉の違いで、しかも「お役所」が作る資料だから、当時はまだまだ漢籍が幅を利かせていた時代だから、役所の資料として漢名を使ったのではないだろうか、全くの小生の想像であるが。
 
 これはオマケであるが、この資料には蜂蜜も産品として載っていて、たぶん兼業だと思うが、一軒だけが採っていたようである。生産量は三貫とある、一貫は3.75キロだから、11.25キロになる、小生の子供のころはまだ尺貫法を使っていたので、すぐに換算できる、ついでに肉なんか100匁(め)下さいといって買いに行っていた。

 閑話休題。蜂蜜の比重は1.4くらいだそうだから、11.25÷1.4≒8リットルになる、四升ちょっとである、この量だからまだ二ホンミツバチの時代だろう、宮崎のじっちゃいの先輩格で道楽で飼っていたのだろうか。
 
 ほかにも面白い話のネタはいくつか載っているが、これはまた別の機会にでも書くことにするが、坂梨村是が編されたのは江戸時代が終わって40年足らずの時代である、江戸時代の歴史資料はあまり残されていないが、この坂梨村是をよく読むと、江戸時代から明治にかけての坂梨の生活史がリアルによく分かって、興味が尽きない、あの時代の風景や人々が目に浮かんでくるようである。

 この坂梨村是(「豊後街道坂梨宿」の資料室にコピーがある)は高木義臣さんが見つけ出してきたものだが、高木さんとは別ルートになるが、この資料が東京国立(くにたち)の一橋大学のマイクロフイルムセンターにもある、おそらく原本(の写し)は一冊ではないと思うので、もしかしたら、ここに行けば活字が潰れていない資料があるかなとは思っているのだが、まだ確認の行動は起こしていない、近くに住む友人の尻を叩いているのだが、そのうちに本気のムチを入れさせてもらおうと思っている。



平成31年 1月 6日 (日)


 曇り。
     最低気温 -0.6℃ (02:14)、最高気温 9.1℃ (14:37)

 太郎と母親は今年最初のテニスレッスンで一日留守にする。夏子は冬休みが終わるとすぐにテストがあるらしくて珍しく一日机にかじりついていた。小生は、自己啓発という道楽で自儘に過ごした。子供たちは明日もまだ冬休みだが、さぞかし大方の勤労者諸氏は今晩は憂鬱な時を過ごすのだろう、そんな気分が懐かしい。


平成31年 1月 5日 (土) 
 
 曇り。昨夜はほとんど降らずに終わったようだ、降雨記録も無い。寒さも緩み温かい一日だった。
     最低気温 4.4℃ (00:05)、最高気温 9.6℃ (13:50)

 小生は早々と寝たので分からないが多分昨夜遅くまでおしゃべりをしたであろう夏子と友達、今日もベットでゴロゴロしながら、茶菓子を食べてはおしゃべりの続きをしたようだ、昼近くになって解散した。太郎は書道教室に書初めに行ってきた。小生、今日も何事もなく過ぎた。
 
 年頭の抱負ではないが、「死ぬまでにマスターしたいもの」のストックが、だんだん無くなってきつつあるので、改めてもう一つ追加した、一年くらい掛るだろうか、また途中で投げ出すだろうか、「秘するが花」、これは成った時に発表しよう。まあ引っ込みがつかなくった時の「逃げ道」である。「秘するが花」とは種明かしをすればたいしたことでは無い、という意味である。


平成31年 1月 4日 (金)

 美晴。ただ、夜に入って少し雨が落ちてき始めた。
       最低気温 -6.2℃ (06:33)、最高気温 10.6℃ (14:25)

 今日から仕事始めのところが多いが、今日まで休んで、月曜日から仕事という会社も結構あるようだ。アゼリアの風呂もまだ帰省客で混んでいた。お役所ながら今日4日を実質的に休みにしたところもあるというようなことをニュースで聞いた、なかなか柔軟性があって結構なことだ。
 
 我が家は、カミさんは今日から仕事、太郎も今日から学童、小生と夏子は休み、尤も小生は今日に限らないことだが。

 皆が働くから、ということではないが、小生も今日は一日薪作りをした。長い間地中に埋もれていてもう薪にはならないだろうと掘り起こしてそのままにしてあった木、これは杉だが、いつまでもこのまま置いておくわけにはいかないので、太い木は薪にできるならそうしよう、とにかく長いままだとどうにもならないので、ストーブに入る長さに玉切りをしておいた。表面は腐っているが中は全く問題ない木は、乾かして薪として全うさせてやろう。細い木はわざわざ切ることもないだろうと今日燃やした。かなり水分を含んでいるので燃えは悪かったがそれでも大分燃えてかなりすっきりしてきた。もう少しこの作業を続けよう。
 
 それとは別に、ちゃんとした木で薪を作った

 晩飯。豚肉のムニエル
 
 夜、夏子の中学時代の友達が泊まりに来た、双方の保護者了解済みである(と書いたのは、学校では外泊する場合は事前に許可をとらなければならないそうだ、だが、今回の場合は、その時間がないうえに、その必要のない種類の外泊だろうと解釈している)。、歩いて20分くらいのところに住んでいて、学校も同じなのだが、専攻が違うので普段学校でもなかなか会う機会が少ないようで、要はぺちゃぺちゃ話すために泊まりにくるようなものである。


平成31年 1月 3日 (木)

 風もなく穏やかな三が日だった。と収めようと思っていたら、午後6時10分ころ、一瞬下から突き上げるようにぐらっとちょっと大きな奴が来てヒヤッとしたが一回限りで収まった、和水町で震度6弱だったそうだが、ここは3(乃至4)くらいだったろう、熊本地震で大きな揺れを経験しているので、この程度なら慌てることは無いということが経験上分かる。熊本地震でもうガス抜きは終わったと思っていたが、今回のはなんなんだ、前回同様もっと大きな奴が来る前震でないことを願う、たぶんみんなの頭の中にもそのことがあるだろうが、今回はおそらく震源地付近でも大したこと無かったと思う、羹に懲りてというやつで、NHKはちょっと騒ぎすぎだろう、役場に問い合わせでも特に大きな被害は無かったと言っているのにいつまでも延々とやっている、我が家ではもうだれも聞いていない(おそらく地元でもそうだろう)、政府も、何かというと対応の遅さなどですぐに非難されるので、大げさすぎるほどの対応ぶりだ(来るべき南海トラフ地震の予行練習のつもりもあるのだろうか、それならいいけど)。
 
 明日から仕事はじめのところが多いのだろう、さあ、明日から・・・・、も小生は引き続きノンビリさせてもらおうか。
      
 晴れ。今朝も冷え込んだ、朝起きて寒暖計を見てそれを知る。見なければ外が寒いことは分からない、24時間暖房、ありがたいことである、尤もそのためには小生の不断の薪作りがあるからなのだが。昔、母が生前、阿蘇の冬は暖かいといつも言っていた、外に出なかったからだ、昔からの大きなお屋敷に住んでいるお宅では仏壇の水が氷るそうだ、子供のころ、下界に住んでいながらも夜寝る段になって布団に入ると布団が冷たくて温かくなるように足をバタバタ動かしたことを思い出す、今の時代はどこでもそのようなことは無いのだろうが、あの時代の住宅事情だったのだろうか。
      最低気温 -6.3℃ (05:59)、最高気温 8.3℃ (15:00)

 朝のスタート時から午後2時頃まで、大学箱根駅伝をずっとではないが長時間みていたので、久しぶりのテレビ鑑賞に頭がボーっとしている。100km以上走るのだから、5分や10分の差なんて誤差のうちだろうと思うが事故でもない限りトップチームの選手の力量は皆そんなに違わないから挽回するのは本当に至難の業なんだな。それに昔見ていた頃と強いチームが随分と変わっている。昔強かったチームがシード権も取れずに下位にかたまっている、栄枯盛衰有為転変だ。

 夏子が阿蘇神社の奉仕作業(アルバイトなんだが、神社は客商売ではないのでアルバイトだとか仕事などという言葉は使わないそうだ)を今日で終わった。


平成31年 1月 2日 (水)

  今日も少し雲があったが、穏やかに明けて穏やかに暮れた。
     最低気温 0.7℃ (07:54)、最高気温 4.8℃ (15:18)

 毎年、中旬の坂梨の駅伝のころ応援に出たついでに気が付いて田の畦のフキノトウを見つけるが、まだ駅伝までは日があるが、今日何気なく畦をみたところ、もう柔らかな丸い形をしたフキノトウが顔を出していた

 今日と明日、JARLの新年QSOパーティが行われている。去年2回目の12支を達成して、その余勢を駆って今年から3回目に挑戦しようかと思っていたが、結局参戦を取りやめることにした。途切れることなく12年続けるということは非常にプレッシャーになるもので、駅伝の襷リレーのようなものだ。この先12年続けることが出来るかどうかはそれは神のみぞ知ることで、それを気にしてやめるのではないが、とにかく欠かしてはいけないという心理的な重圧がこれが結構つらいものがある。ということで、今年は無線機のスイッチを入れずに、部屋の隅に置いてあったテレビに通電してじっくりと箱根駅伝を楽しんだ、駅伝を楽しむのは何年ぶりだろう。
 
 駅伝は、ただ淡々と走り続ける競技ながら途中ハプニングや色々なドラマがあり、長丁場ながら飽きないもので、結局ほとんどのチームが箱根にゴールするまで見てしまった、その後で、何気なくチャンネルを替えたところ、NHKで大学ラグビー選手権の準決勝の早明戦をやっていたので見て、続いて行われた第二試合の帝京天理の試合まで見てしまった、テレビもこの手の放送を見るのはたまにはいいものだ、駅伝では優勝候補青学が往路大失速、ラグビーでは常勝帝京が敗退した。
 
 夏子は阿蘇神社の巫女奉仕の二日目、朝7時半から夕方6時まで務めて帰ってきた。太郎は昨日買ってもらったスイッチを母親に時間管理をされながら熱中してやっていた。そんなのんびりした正月二日目だった。


平成31年 1月 1日 (火) 元日

 夜が明けた時には晴天を予感させていたのだが(写真)、日の出直前、ちょっと微妙な天気になったが、子供たちをいつも見送っている定点観測地点「門の町橋」に行ってみた。高岳の頂上や大観峰にはもう日が当たっているが(写真1写真2写真3、山越えで日が昇ってくる古閑の滝付近の外輪上には雲がかかっていて、どうも怪しい、ダメかなと思っているところに雲が少しずつ移動して、ピカッーと本当にわずかな雲の隙間から朝日が射した。8時少し前だったと思う、来たーっと思った瞬間、あっという間に雲に隠れてしまった、ところが、これは天の憎い演出だったようで、さらに雲が移動して薄い雲をフィルターにして、直視ではとても眩くて見ることが出来ない大きな太陽がちょうど日食の時に煤で黒くしたガラスを通して見るように大きく丸い形で姿を見せてくれた。そして、そのあとで完璧な初日の出を迎えることが出来た、今年も我が家的には良い年になりそうだぞ。と思って家に帰ってきたところ、そのころにはもう既に空全体に雲がかかって太陽の存在すら全く分からないほどの曇り空になってしまった。朝には見えていた阿蘇の山も雲の中に消えてしまった。結局、晴れたのはその時だけで、初日の出のための束の間の晴れ間だったのだろうか。今日は寒々とした一日だった。
      最低気温 -3.7℃ (02:44)、最高気温 3.1℃ (11:46)

 新聞の配達はいつも早いが、今朝などはさらに早く3時頃には来ていたとカミさんが言っていた。それに、今年は年賀状の配達まで異常に早くて、朝の7時半ころにはもう配達されていたそうだ。

 夏子はカミさんが迎えに行って午前3時過ぎに阿蘇神社から帰ってきた(ようだ)、そして、朝7時半にはまたカミさんが送ってご奉仕に出かけて行った。そんなわけで、我が家ではいつもの正月の祝い膳を囲む風景は見られなかった、これもまた一つの思い出として残るだろう。太郎のやつ一日で箸使いはマスターしたようだ、こんなことならもっと早くやらせておくのだった。
 
 この村では毎年、元日の朝に村の人が集会所に集まって短い時間ではあるが賀詞交換会をするが、住民の高齢化も進み、また、大晦日に遅くまで起きていて、元旦に集まるのも大変だろうということもあって今年から中止になった。
 
 昼前に、カミさんと太郎、夏子の様子を見がてら初詣に行った、小生は、手が離せないことがあり、明日にでも行くつもりだった。ところが、太郎とカミさんは、昼から、太郎のお年玉、ゲーム機のスイッチを買うために山を下りて行って、夏子の巫女奉仕が終わるころまでに戻れるかどうか分からないので小生に迎えに行ってくれという。
 
 そういうことなら、夏子を迎えに行きがてら、初詣をしてこようかと、5時半ころに阿蘇神社に出かけて、お参りをして、夏子が終わるまでまって一緒に帰ってきた。夏子は御守りの授与所で奉仕をしていた。時間が時間だったので参拝客の数はそれほどでもなかった。(写真1写真2
 
 太郎たちが帰ってくるのとほとんど同時に家に帰り着いた。夏子はようやく「年越した蕎麦」を食べた。ずっと立ちっぱなしで寒くて足が棒のように疲れたそうだ。太郎は待望のスイッチを買ってもらって大満足の顔をしていた
 
 平成最後の元日の一日はこのようにして終わった。年頭にあたっての抱負、書くの忘れたなあ。



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