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平成30戊戌(2018)年11月の記録 (新しい日付けの順)
平成30年11月30日 (金)
晴れ。ちょっと冷え込む。近くの菜園のタカナに霜が降りていた。ガードレールの下の露が凍って小さなツララが出来ていた。雲海にはちょっと足りない霧も湧いていた(写真1・写真2)。
最低気温 -0.1℃ (06:59)、最高気温 14.7℃ (14:28)
登校風景(写真1・写真2.写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
今日も一日、机に座ってPCをいじくっていた。ubuntu16がどうもエラーが起きて、正常に動いている時はいいのだが、とにかくLinux駆け出しはトラブルシュートが全く出来ない、もういちど初めからインストールをしようかと思ったが、どうせなら、この際、最新バージョンにアップグレードして、それで具合が悪ければ、インストールし直せばいいか、と最新バージョンのubuntu18を入れた。このubuntu18は小生がインストールしているPCのスペックをなんとかクリアするそうで、それより枯れていて長期メンテ保証をしてくれているubuntu16を使い続けようと思っていたが、エラーが起きるのであれば、ダメ元だとアップグレードをした。まだ完全に調整は済んでいないが、結構これで良さそうである。
毎日 1分ずつ日が昇るのが遅くなっている、今朝は山を越えて小生が毎朝立っている場所に日が射したのは7時35分だったが、日没の写真を撮ったのはそこから数百メートル東寄りだったが、午後4時55分だった。
晩飯。ポトフ、あ、載せるのやめたんだった、でも、備忘録として残しておいたほうがいいな、まあ、時々載せることにしようか。
平成30年11月29日 (木)
今朝は久しぶりに抜けるような青空が広がった(写真1・写真2)、風も全くなく、ここ数日の暖かい朝に比べると気温は低かったが、それでも凍るほどではなく決して寒くなんかは無かったのだが、それでいて指先は軍手をしていてもジンジンするほどだった、気温の感じ方というものは不思議なものである。
最低気温 3.3℃ (07:17)、最高気温 15.0℃ (15:21)
登校風景(写真1・写真2.写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
今日もPCの前に座って過ごした。Linuxも馴染んでくるとだんだん楽しくなる、要は、シェルとエディタとスプリクトとインタプリタの区別、境目がよく分かっていなかったのだ、分かってしまえばどうということはない、、というほどは、もちろん本当は全然分かっていないのだが、だんだんそういう気になってきた。
カミさんが今日からまた二三日東京出張で朝早く出かけていった、待ってましたとばかりに夜はカキフライを作って三人でたらふく食った。カミさんはカキが大好きだったのに、十数年前のある日突然カキを食べてアナフィラキシーで七転八倒して以来、カミさんが家にいる時はカキが食べられないのだ。普段食が細い太郎のやつもカキフライともなると大人の分量を食べる。晩飯の写真は載せないことにしたのだったが、今日は特別だ。
平成30年11月28日 (水)
今日も終日雨だった。
最低気温 10.2℃ (但し19:49現在)、最高気温 12.7℃ (10:56)
この歳になると、他人様はいざ知らず、普段は眠りが浅くて、夜中に二度くらい目が覚める、尿意をもよおして目が覚めるのか、覚めた時に尿意をもよおすのかわからないが。そんな日常だが、今日も、いつものように夜中に目が覚めて、尿意も感じなかったので、ああ、まだ寝てからあまり時間が経っていないのなだな、でもとりあえずトイレに行っておこうかと思って枕元の時計をみると4時半を指していた。昨夜は一度も目覚めること無く熟睡していたのだ、珍しいことである。多分、毎日の睡眠時間が短いのでその不足部分を自動的に補ってくれたのだろう、不眠症で眠れないからと言って睡眠薬に頼る人がいるが、人間は眠らないでは生きていけないのだから、小生の様に自儘に生きている人間は、眠れなければ起きていればいい、そのうちに自然と帳尻を合わせてくれるのだから。
登校風景(写真1・写真2.写真3・写真4・写真5・写真6)
夏子は試験週間で昼には帰ってきた。
九州には特に思い入れが強い?K5さん、最近刊行された「空から見た九州の街と鉄道駅」という1960~70年代の写真集を入手されたついでに小生が今熊本に住んでおり、そして、昔、福岡県に住んでいたので懐かしかろうということで、わざわざ小生用にともう一冊、別に送ってくださった。その写真集に添付して、5頁にわたる、K5さんご自身の過去3度の九州の旅の思い出と写真を結びつけた手記を添付してくださったが、これが面白い。写真からだけでは伝わらない当時の様子が非常によく分かる。それにしても小生より確か2年先輩のK5さんの驚異的な記憶力には驚嘆するばかりである。この手記も全部掲載したいところだが、写真と一緒であれば内容がよく分かるが写真がないとちょっとそれも難しい。小生たちはずっとこの時代を実際に生きてきて、当然其の風景の中で暮らしてきたわけだが、今から思うと、歴史を見るような大昔のことのように思える。「記録」というものは本当に貴重なものである。
K5さんや他のインターネットで繋がりを持った皆さん、昔からの友人は別にして、そもそもどういう因縁で交流が始まったのだろうかと思い出すが、ほとんどすべての皆さんについて、思い出せない。どうやって始めは遣り取りが始まったのかなあ。
K5さんご一家にはH18年(2006)10月14日(15日)に九州旅行のついでにわざわざお立ち寄りいただいた事があるが、そもそもはそれより更に一年ほど前だったようだ。その昔、K5さんが新婚旅行で阿蘇においでになった時のお二人の写真が掲示板で披露されたことがあったが、いつだったか探したけど分からなかった。
太郎、水泳教室。今までは、太郎の水泳教室が終わって、裸で出てきたところを待っていて一緒に風呂に入って帰ってきていたが、太郎がもう風呂は家で入ると言って、先日アゼリアの年間会員の更新をやめたので、今日から、小生が先に風呂を済ませて太郎がプールが終わって出てくるのを待って帰ってくるというふうに変更になった。
平成30年11月27日 (火)
弱いながら終日ほぼ雨。
最低気温 8.9℃ (03:26)、最高気温 12.5℃ (16:19)
登校風景(写真1・写真2.写真3・写真4)
雨のせいで、今日の登校班はこの一群だけ、おかげで立つ時間が短くて済んだ。
昨日の段階で、薪を作った際、今週はずっと晴れなくても雨は降らないという天気予報だったので、ちょっと心配ではあったが、作った薪を小屋に入れたり、シートをかけたりしないで寝たところ、朝起きたところ雨が降っている、何だ話が違うではないか、結局今日一日中、そして明日も雨だという、バカヤローである、ちゃんと予報しろ。まあ、数日分のストックはあるが、せっかく乾かした薪、元の木阿弥だ。
今日も、これと言ったことはしなかった、日記が楽でいい。ああ、そうだ、夏子が今週は試験週間で早く帰ってきたので、インフルエンザワクチンの注射に連れて行った、太郎のときと同じ様に記録写真を撮ろうとしたら、今日は女医さんで写真は駄目です、と言われた。
平成30年11月26日 (月)
降ることはなかったが終日雲がかかっていた。
最低気温 2.6℃ (04:00)、最高気温 13.6℃ (14:21)
登校風景(写真1・写真2.写真3・写真4・写真5)
今日は半日、薪作りをした。此の冬、このくらいの「山」で足りるだろうか。
今日はアゼリアの全館休館日、4時前に温泉センター(近くの人は古城温泉と言っている)に行ってきた。
夕方、太郎を少し早めに学童に迎えに行って、そのまま松見さんにインフルの二回目の注射に連れて行った。偶然にも保育園のちゆき先生も予防接種に見えていた、ずいぶん久しぶりである、太郎は覚えているのかいないのかちょっと頼りない感じだったが、小生は嬉しかった(ファンだから)。これで注射が終わったのは、小生と太郎の二人である。残る二人はまだ行っていない。娘の年齢だと二回接種かなと思ったら、12歳までが二回接種で、それより上は一回接種だそうだ、今年はワクチン潤沢にあると聞いていたが。
平成30年11月25日 (日)
今日は曇りがちの一日だった。今日は暖かい一日だった。
最低気温 2.4℃ (04:36)、最高気温 15.2℃ (13:47)
太郎、母親と今日も朝早くから熊本までテニススクールに行った。昨日行ったばかりだろう?昨日は前回の分、今日は今週の分、だと。
表面的にヘッドラインニュースの見出し程度しか読んでいないが、逮捕されたカルロス・ゴーン氏、巨額の報酬を貰っていたらしいが、不思議なのは、他にも経営陣が何人もいたのだろうに彼等が束になってかかっても敵わないほどの能力者だったのか、そんな事ないだろう、他の経営陣はいったい何をしていたのか、そんな無能な人たちが経営陣になっていたのか、そちらのほうがよほど問題だろう。今回のこと、他の経営陣は恥ずかしい限りだろう、全員腹を切らないとね。
大阪が2025年の万博に決まったそうだ。理由は全く無いが何故だか東京オリンピックよりは応援したくなる。その昔、大阪万博があったが、小生は行く機会がなかった、今度も年齢的に行く機会はないだろう、行けても行かないと思うけど。そういえば愛地球博というのもあったな、筑波で科学博というのもあったが、どれも行ったことがない。博覧会はワサモンとしては好きな方だから行きたくなかったからではなくなんとなく行く機会が無かっただけだ。前の大阪万博は1970年だった、三波春夫の♪こんにちはこんにちは世界の国から・・・・1970年のこんにちは・・・♪このインパクトのある泥臭い歌は不思議と今でも耳に残っている。歴史年表を覚えるように此の歌で1970年だったということを覚えている。芸術は爆発だ!の岡本太郎の「太陽の塔」も印象深い、こんどの大阪博はどんな博覧会になるのだろう。
三連休、とうとう外仕事は全然しなかった、薪を作らなければならないが皆んなが休んでいるときには同じ様に働きたくないものである。天気が続くので、延ばしてもいいのだ。そして・・・
机周りを整理していてこんなものが出てきた、なんなのか最初のうちは全く思い出せなかった。USBドングルには違いないが、何に使うやつだろう、蓋を開けるとSIMスロットがある、ということは通信関係だなあ。筐体のどこをみても何も書いていない。と思ってよく見ると、あったあった、小さくL-03Dとある。それをもとにDOCOMO
L-03Bを検索してみた。・・・・docomoの通信モデムだったのだ。
これどうしてあったのかなあと必死で記憶を呼び起こした。ようやくなんとなく思い出してきた。これ通信環境がない場所でノートPCに挿してインターネットをするために買ったのだった(のだろう)。そういえば使ったような気もする、使ったかなあ。じゃあ、これはモバイルWiFiルーターとどう違うのだ。仕様を見るとLTE通信ができる、過去のものではなくて、現役バリバリのツールではないか。
結論としては、これはPCのUSBポートに直接挿して使う、だから、この使い方しか出来ない。一方、モバイルWiFiルーターはそれを経由してスマホなども使うことができる、の違いだろう。またこのモデムはPCから直接電源を取るがモバイルルーターは電源は別だ。
ノートPCだけ使うのであれば、格安SIMを買えばこれがあれば、全く問題が無いということか、先日、格安のモバイルWiFiルーターを買ってしまった、買わなきゃよかった。でもこれ何時買ったのかなあ・・・・
どうもスッキリしないので、日記を検索して調べた。日記にはL-03Dという文字は使っていなかったとみえて、それをキーワードに検索しても引っかからない、そして、ようやく見つかった。平成26年3月27日 (木)の日記にあった。そしてこの時は本体だけで10,000円くらいしたことが別の記録にあった。
当時は小生はスマホを使う気が全く無くて、PCを外で使うための手段として格安SIMに行き着いて、そのためにこの通信モデムを買ったのだ、ほどなくスマホを使うようになって、そのスマホに通信モデムに使っていた格安SIMを転用したので、この通信モデムがお蔵入りしたのか・・・なんとなく思い出してきた(ちょっとボケが始まったのかな)。
昔の日記を読み返して見ると、へえ~(あたりまえだが)子どもたち、小さかったのだあ。
平成30年11月24日 (土)
快晴。少し天気が下り坂ということが気圧の状態でわかる。
最低気温 -4.0℃ (07:19)、最高気温 12.4℃ (14:55)
早めの朝食後、南阿蘇余生場牧場オープンセサミに馬の世話に行ってきた。(写真1・写真2.写真3・写真4・写真5・写真6)
我が家の観測装置の記録が氷点下4℃だったので、箱石峠越えはもっと低かったろう。ただ、道路はカラカラに乾燥していたのでスリップの心配は無かった。
而、本日が11月最後の土曜日につき、小生が餌遣り南阿蘇行きは本日を以て、二月末迄休業に入ることとす、厳冬期は道路が凍結してスリップ事故の危険が或るから用心の為なり。なんだか村是風になってきた。
往復の道はもう完全に冬の景色になっていた。(写真1・写真2)
南阿蘇から帰ってくると、坂梨交差点を馬場方面に入ったところで「わ」ナンバーが停まってチカチカしている。ははあ、道がわからないなと、またお節介心でその車の前に入って停めて、近寄っていくと、ウインドーを開けて、何か失礼ありました?と先方の女性ドライバーが問うてきた、どうも小生のスクランブルの仕方が、先日もそうだったが相手に警戒心を与えるようだ。いや、道にお迷いでしたらお手伝いできるかなと思って、と言うと。そうなんですよ、やまなみ道路を通って由布院に行きたいのですが、このカーナビが何処を指しているのかさっぱり分からなくて・・・・。
そうですか、本当なら、バックしてあの交差点を右折して行くのですが、このまま進んで、ショートカットする道をお教えしますからついてきて来てくださいと言って、我が家近くまで案内してから、そこから田圃の中を通って本道に出る道を教えてあげた。
ついでに、どちらからですかと訊くと、神奈川からです、そうですか小生も十数年前に茅ヶ崎から来ました。えっ!後ろの席の娘の主人が茅ヶ崎駅前で美容室をやっています(か、勤めていますか、のどちらかだったが)、お互いにへえ、そうですか、と妙な接点に驚いた。後になってホームページを教えておけばよかったと思った。
最近ブラックフライデーなる言葉を時々「目」にする、関係がないと思っているから全部パスしてきたが、そういえば昨日娘が母親とブラックフライデーで混むといけないから早く行こう、と言っていたのを「耳」にした。そこで今日になってオモムロにネットで調べて意味がわかった。そして娘にどうしてそんな言葉知っているのかと訊いたところ、最近新聞の折り込み広告なんかで良く載っているという。小生は折り込み広告は全く見ないので知らなかった。でも、日本でなんでThanksgiving Day なんだ、勤労感謝の日か?ちょっと違うだろう、ハロウインの次は感謝祭か?日本はなんでもアメリカの真似をしたがる。
今日は太郎は母親とこの前は学習発表会でつぶれたからと朝早くからテニススクールに出かけていった、そして、例のごとくどこを遊び回ったか夜になって帰ってきた。娘は試験間近だとかで、家でおとなしく勉強をしていた(ようである)。
小生はずっとPCの前に座っていた。
平成30年11月23日 (金) 勤労感謝の日 (新嘗祭)
快晴、高気圧にすっぽり覆われている。朝の気温がまた一段と下がってきた。明日の予報は氷点下5℃だ(絶対そんなには下がりっこない)。
最低気温 -2.4℃ (07:16)、最高気温 10.3℃ (13:36)
今日は「勤労感謝の日」、戦前は「新嘗祭」と言った。明治35年編「坂梨村是」に、「休業日ノ數並ニ習慣」という項があって、当時の休業日のことが載っている。
「本村ハ農業ニ從事スルモノ多數ナルヲ以テ大抵農業者ニ準シ三大節ハ一般ニ休業シ他ノ國祭日ニ至テハ休業スルモノ稀ナリ其余ハ舊慣ニ從ヒ盆、正月、五節句、風祭、阿蘇神社、村社、菅原神社ノ諸祭日等年中概子三十ヶ日休業スルヲ例トス」
ここで云う「三大節」とは四方拝、紀元節、天長節のことで「他ノ國祭日」は元始祭、孝明天皇祭、神武天皇祭、神嘗祭、新嘗祭、春季皇霊祭、秋季皇霊祭である。だから当時は新嘗祭にあたる今日は仕事を休むことはあまりなかったと見える。現在でも、当地は業種に因って休日は原則日曜日だけで、祭日は通常通り働いているところが結構見られる。
ついでに、「五節句」とは、人日(正月7日)・上巳(3月3日)・端午(5月5日)・七夕(7月7日)・重陽(9月9日)を言う。陰の数字が「縁起がよい」とされる陰陽五行説によるものだが、正月は四方拝と重なるからだろうか1月1日でなくて七草の日である、また同じ陰の数字の重なる11月が節句に入っていないのも面白い。
このくらい気温が下がると、古閑の滝、もしかしたら凍っているかなと遠望したが、天気が良いとここからは逆光でよく見えない。よし!今シーズン最初の古閑の滝の氷結をモノにしようとわざわざ古閑集落の滝の麓まで出かけてみた。見事に空振り、滝が凍る条件は、気温だけでなく、冷たい西風が外輪の壁に吹き付けて滝の水が細かく飛び散って、それが凍るのである。今朝は無風状態、全く凍る気配も見えなかった、残念!
今日から小生にとってはあまり嬉しくない三連休が始まった、珍しく今日は三人共家でゴロゴロしていた。
小生は終日PCの前に座っていた。
ローカルニュース 仙酔峡ロープウェイ、ロープ撤去記事
平成30年11月22日 (木)
夜中に降っていた雨、朝には上がる。
最低気温 3.3℃ (但し21:00尚降下中)、最高気温 12.1℃ (14:25)
登校風景 (写真1・写真2.写真3・写真4・写真5)
登校班の一人、太郎のクラスメート、まとめ君が転校することになり今日が最後の通学だった。
今日は阿蘇文化調査研究会で矢部(山都町)に阿蘇氏の歴史探訪に出かけた。
中世時代、肥後中部に勢力を誇った阿蘇氏が、阿蘇(の南郷谷)より拠点を上益城郡山都町に移し、浜の館と呼ばれる城館を築き長らく居館とした、その史蹟を訪ねたのである。又、今は通潤橋がある場所に昔、岩尾城と呼ばれる城を築いたそうで、通潤橋脇の小高い丘が、その本丸、二の丸の址だということを今回初めて知った。又、何代かにわたる墓所も何か所かに点在している。ここは以前は矢部町と言っていたが平成の大合併で、山都町(やまとちょう)になったが、昔から交通、文化の要衝だったので、九州山塊にある都という意味で付けた町名、なるほどと思わせる町の雰囲気だった。現地の教育委員会の係の方がずっと案内してくださった。フィールドワークは知らない所に連れて行ってもらえるので嬉しい(通潤橋は何度か行っていながら、阿蘇氏にまつわる歴史の足跡は知らなかった)
阿蘇氏の由緒を山都町(矢部)に訪ねて 連続写真(1/5)
阿蘇氏の由緒を山都町(矢部)に訪ねて 連続写真(2/5)
阿蘇氏の由緒を山都町(矢部)に訪ねて 連続写真(3/5)
阿蘇氏の由緒を山都町(矢部)に訪ねて 連続写真(4/5)
阿蘇氏の由緒を山都町(矢部)に訪ねて 連続写真(5/5)
片道70Km弱 1時間半の旅程 軌跡(残念ながら、高森から南、APRSのI-GATE局が無いと見えて電波が捉えられておらず、「中抜き」の軌跡になってしまった)
平成30年11月21日 (水)
今朝とうとう氷点下になって薄氷が張った。寒くはなかったがさすがに素手でいると手がかじかんで手袋(軍手)をしたがそれでも指先がジンジンした。気温が低かった割には終日曇りがちで空にはずっと薄く雲がかかっていた。
最低気温 -1.1℃ (06:00)、最高気温 13.4℃ (14:51)
青々としていた穭(ひつじ)の広がりもそろそろ枯れ始めている。以前から疑問に思っていながらいまだに調べていないが、この穭が成長して、もし、水管理肥、肥料管理、温度管理などをちゃんとやればどんどん成長していくのだろうか。稲刈り後、単に伸び残りが伸びているだけだと思っていたら、ちゃんと出穂もしている、これがなんとも不思議なのだ。
これまではもうストーブを焚いていながらも、まだ秋だな、秋の終わり頃だな、という気分でいたが、今朝くらいの気温まで下がると、ああとうとう冬が来たなという気分になる。
この秋と冬の境目について、余談。
坂梨村是は明治三十五年に編纂されているので、その頃は当然太陽暦が使われているが、一年を四季に分ける場合、現在は気象学上、三~五月を「春」、六~八月を「夏」、九~十一月を「秋」、そして十二~ニ月を「冬」としているが、坂梨村是では、春はニ~四月、夏は五~七月、秋は八~十月、冬は十一~一月となっている、(これは旧暦の区分けでもない)当時の分け方はこうだったのだろう。
なんでこういう事を書いているかというと、同じ村是の中に、労働の内容や労働時間などに関する記述があって、そのなかで季節によって労働時間が違っており、「・・・労働ノ時間ハ春秋ハ十時間ニシテ冬期及孟春ノ季節ハ九時内外・・・・」とあり、この「孟春ノ季節」とはなんだろうと思って調べたところ、「孟春」とは春の始めの頃、又は春の最初の一月のことを指すそうである。
つまり、坂梨村是にある「冬期及孟春ノ季節」とは十一、十二、一月に加えて春の最初の月である二月となるのである。もし坂梨村是の別項に、季節の区分けが載っていなければ現代風に十ニ、一、ニ月と三月と解釈するところだった。
登校風景 (写真1・写真2.写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
今日は太郎が通う一の宮小学校の持久走大会があった。9時過ぎから、約一時間ずつ、一ニ年生、三四年生、五六年生が時間を開けて実施して午前中いっぱいかかって終わった。小生は太郎が走る時間帯にだけ応援に出るつもりが結局全学年の走りを見た。走ることが得意な子、不得手な子様々で、明らかに不得意そうな子も学校を休むこと無く堂々と出場して走っていた。昨今は嫌なことからはすぐに逃げる時代、これには感心した、出場しただけでアッパレである。太郎は2年生で12位だったそうだ、出来たら10位以内に入りたかったそうだが、長距離の苦手な小生から見ると素晴らしい成績だ。
持久走大会 記録写真 (1/2)
持久走大会 記録写真 (2/2)(撮った写真は100枚近くあったが削りに削った)
太郎、水泳教室。太郎のアゼリアの年会員の期限は明日までである。最近は家の風呂がいいと言って小生と風呂に行かないので、今回の年度更新は見合わせることにした。水泳教室は別建てなので、水泳教室のあとは、いままでは一緒に風呂に入って帰ってきたが、今後は小生だけが先に風呂を済ませて太郎が終わってでてくるのを待つことになる。
平成30年11月20日 (火)
晴れ。朝、ほぼ 0℃近くまで気温が下がったが、山附は霧が出ていたので車のウィンドウはガチガチになるほどは凍らなかったし、寒くもなかった。結局「寒い」、「寒くない」は偏に風があるか無いかによるようである。
最低気温 0.3℃ (07:00)、最高気温 12.7℃ (15:01)
登校風景 (写真1・写真2.写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
噴火の火山礫でカボスの木の一本が枯れて、残りの一本にカボスの実がたくさん生って、それを秋口に親戚に送って、まだ少し残っているなとは分かっていたが、カボスが黄色くなって、葉と区別ができるようになって、まだ思った以上にたくさん残っていることがわかったので、今日ほとんど摘み取って親戚に送っておいた。そのままにしておくと、最後は厳冬期にカボスの中まで凍ってしまってグズグズになるので、そうなる前に使ってくれる所に送ったという次第である。
昼前に、阿蘇文化調査研究会のメンバーの川添さんがひょっこりご入来。円通寺に用があっての帰りだとのこと(座禅に使う七つ道具の一つの取り寄せをお寺を介して頼んであったらしい)、しばし歓談。
夜ならわかるが、昼日中、我が家の敷地内をタヌキのやつがノンビリ歩いていた。最近では都会でもタヌキはあまり珍しくも無いようだが、さすが、ソンである。カメラを構えて近づいたら、トットコ逃げていった。
夕方、軽トラに続いて立て続けに出しておいた軽四輪の車検が上がってきた。ふだんほとんど乗らないので、もう廃車にしようかと思っていたが、イザとなると、まだ十分に走れる事がわかっていて廃車にするのはなんだか不憫であるし、また、急に必要になることもあるかも知れないと、無駄だとは分かっているがもう一回車検を取ることに方針転換をしたのである。単純計算では、必要な時にレンタカーを借りたほうが安いに決まっているが、急に必要になった時にレンタカーだとすぐに手配できないからやむを得ないところか。
以前、カミさんが通勤に使っていて、新しく乗り換えたので、さて、どうしようか、車検は取ったばかりだしという時にじゃあ車検が切れるまで置いておこうかと言っていた車で、その車検がとうとう今月来てしまったとういわけである。
もともと中古車で、しかもカミさんが当時熊本市まで毎日通勤に使っていたので、その時にも既に相当走っていたのに今回積算メーターを見ると21万キロを越えていた。それでも、小生が乗る車と違って、前の所有者もカミさんも大事にに使っていたので綺麗な車で、これを廃車にするのは忍びなかったのである。車検に出す前は、マフラーに穴が開いると見えて、ボロボロというレースカーのような音がしていたし、今回の整備でわかったことだが、右前のブレーキのキャリパーのピストンが固着してブレーキの効きが非常に悪かったリで、孝臣さんがカネを掛けずにマフラーの穴は溶接で穴埋めをしてくれたり、キャリパーも分解して、交換しないで済むようにしてくれて、見違えるようにパワーアップして戻ってきた。今後は軽トラックとこの軽四輪を交互に使っていくことにしようと思う。
平成30年11月19日 (月)
深夜2時前には目が覚めてしまって寝床のなかで本などを読んで夜明けを待った。夜中中降っていた雨も夜が明けるころにはほとんど止んでいた。
最低気温 7.6℃ (19:44)、最高気温 13.6℃ (15:06)
本日の登校風景(写真1・写真2.写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
夏子は今日は文化祭の振替で学校は休み、珍しく階下で一日中勉強をしていた(ようである)。小生は今日は外仕事は無し、机に座って、Linuxの勉強やら、「坂梨村是」の解読などをしていた。この下りの解読に難渋して、ようやく解明できたときは嬉しかった。この資料は活字が潰れていて、漢字が読み取れないので、自分の持っている知識を総動員して大体の「あたり」をつけて漢字を探していくのであるが、関連性があるその前部分の文の意味がわからないとそれも出来ない、それでも今はインターネットがあるのでいくつかの条件を帰納的に絞っていくことでなんとか見つけ出すことができる場合がある。古文(というほど、古くはないが、まあ、現代からすると古文だろう)というものは読んでいくと実に興味深く面白いものである。
4時半を過ぎた頃だったろうか、先に今晩の夕食の材料を買ってから太郎を学童に迎えに行こうとミヤハラに行ったのだが、駐車場のスペースに、決して言い訳にはならないが、駐車場内に臨時で出店がでていて、大回りが出来ずに、ちょっと窮屈な状態で車を乗り入れようとして、隣に停めてあった車の側面をガリガリとやってしまった。これは高齢者ゆえの事故では決してなく、あくまでも小生の不注意によるもので、夕方の忙しい時に、相手の方に本当に迷惑をおかけしてしまった。すぐに保険会社に事故報告の電話して必要事項のやりとりをしているうちになんとこんな日に限って免許証を持ってくるのを忘れていることに気がついた(事故が無ければ財布と免許証は一緒なので店に入って支払の時に気がつくことになるのだが)。警察の事故処理で免許証、車検証が必要になるのに免許証不携帯とは・・・と、相手の方にちょっと免許証を取りに戻ってきますからと断って急いで家に取って返して、免許証を持って戻った。そのときにはもう警察官が臨場していて調書を作成ちゅうだったが、免許証を取りに行ったことについては改めて咎められるようなことは無かった(まあ、現行犯でないからだろう)、結局小一時間ほど処理すべてが終わるのに時間を要してしまって、相手の方はお子さんとの遣り取りで、今晩はおかずを作るのはやめて、なにかほかのものを食べようねと言っているのが耳に入って本当に申し訳なかった。
写真を撮っておこうかと思ったが、加害者がそんな時に写真を撮るのは不謹慎だと叱られそうなので、撮らなかった。それにしても、相手によって、事後処理が非常に面倒になることがあると聞いたことがあるが、今回は、腹の中では大いにお怒りだったと思うが非常に紳士的に穏やかに(今日の場合は淑女的に、と言うべきか)対応していただいて有難かった。ついでに、同乗のお子さんのうちの二三歳くらいだろうか名前が我が家と同じ太郎くんとのことだったので、キラキラネーム全盛の今、めぐり合わせは悪かったが近くに太郎という名の男の子がいることがわかって妙に嬉しくなった。
免許取得以来50年以上無事故無違反で通してきて、初めて経験する事故にあたふたとして、保険証券を車から見つけ出すのにも一苦労だった、これが人身事故だったらどんなに動転しただろうかと思う、物損事故だから免許証に影響は無いが、気持ちの問題として一生無事故無違反でいこうと思っていたので忸怩たる想いである。
平成30年11月18日 (日)
晴れ。朝、気温が1℃台まで下ったので、車のウインドウはガチガチだろうと薪を取り込みに外に出たついでに見たところ、霧が出ていて、そのせいなんだろうか、全く凍っておらず、水滴が覆っていただけだった、全く寒さも感じなかった、このくらいまで気温が下がると必ずウインドウは凍るのに観測装置の数値だけではわからないものである。
最低気温 1.2℃ (06:07)、最高気温 15.7℃ (12:46)
太郎はテニスのレッスンで母親と6時過ぎにはあたふたと出かけていった。今日は夏子の高校の文化祭の二日目、会場が清峰校舎に移るため、小生が送り届けた。送るだけで、中には入らなかった。太郎と母親はテニスレッスンが終わってから昼過ぎに文化祭に行ったそうである。
小生はずっと薪作りをしていた。太い木ばかりを切るので動かすのに結構体力を使うが、ストーブが大きいので、太いままで放り込むことが出来て薪を縦にいくつかに割る細かい作業が無いのでその分は楽である。だから普通は切った薪を綺麗に並べて積み上げるようだが、我が家では切って放り込んでおくだけでいい。今晩は一雨来そうだからブルーシートで雨が降り込まないようにしておいた。
やはり今回薪小屋を作ってから、これはオーバースペックだったと改めて思った。雨の時はこのようにブルーシートを掛けておけばいいのであって、ブルーシートを掛けたり剥いだりが面倒なら四隅に柱を立ててテントのようにしておけばいいのだ。
平成30年11月17日 (土)
晴れ。朝には雨も上がっていた。
最低気温 6.6℃ (07:39)、最高気温 16.1℃ (15:24)
午前中、南阿蘇に馬の世話に行く。往復路、いよいよ秋がゆくんだ冬がくる。(写真1・写真2)
今日は娘の高校の文化祭、今日と明日の二日間にわたって行われることになっていて、今日はステージ発表などがあり、明日は模擬店が出るということのようである。
夜にはカミさんと太郎、なにかこども会関係の飲み会で出かける、子どもがいて飲み会というのも変か、まあ夕食会なんだろう。
小生は今日は特にこれと言った作業はしなかった、Linux関係でパソコンの前に座っている事が多かった。
平成30年11月16日 (金)
朝のうち晴れ、のち、曇り、午後三時ころから雨が降り始めた、大体予報通りだった、大した降りではない。
最低気温 1.1℃ (06:36)、最高気温 11.3℃ (13:26)
登校風景(写真1・写真2.写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
二年生はジャージーの上下とリュックサック姿だった、遠足(というと太郎は怒る、社会見学だそうだ)でファームランドへ行ったそうだ。
今日の予報では午後辺りから雨になるということだったが、このあたりは大体予報よりも早く降り始めることが多い。今日の予定は、薪小屋の壁張りの仕上げをしようと思っていたが、早く雨りだすことを考えて、晴天続きでせっかく乾燥している薪を雨になる前に前からある薪小屋に入れてから薪小屋作りをしようと、まず、裏に積んである薪の山から軽トラックに積んで表の食堂下の薪小屋にいれようとしていると、胸の携帯のアラームが鳴り始めた、なにか予定があったかなと見ると、今日は宇治歯科で歯の定期メンテをシてもらう日だった。
慌てて、軽トラックに積んだ薪を小屋に投げ込んで、9時からの歯科の予約に間に合った。歯科から帰ってから、製作中の薪小屋の波板張りをした。今日の作業で、とりあえず、小屋の三面の波板張りが終わった、午後三時頃、作業の最後のあたりで雨が降り始めてちょっと濡れたが、予定通り波板張りが完了した。薪小屋だから、少しでも太陽光が当ったほうが、薪が乾燥しやすいと思って、全面透明の波板にしたが、そのためにいろいろと施工の不味さが丸見えである。
このあと、残る一面は薪を投げ込んだり、取り出したりする側だが、一面全部は少し広すぎるな、これだともろに雨が降り込む、少し考えよう。
昨日車検で出した軽トラック、夕方には終わって石田オートさんが届けてくれた、新人が入ったようだ。続いて軽四輪を持っていった。軽四輪はもう殆ど乗らないから、今回で廃車しようと思っていたが、やっぱりイザという時にあったほうがいい、イザがどれくらいあるかわからないが、踏ん切りがつかず、結局今回もまた車検を取ることにした。考えたらほんと乗らないような乗り方をしないで、交互に乗ればいいのである(なんだかヘンな理屈のような気もするが)
ふと思い出した、今のようにインターネットが普及して書類でも写真でもなんでもインターネットで送受する時代になる少し前になるだろうか、「STARFAX」というFaxソフトがあってPCからFaxの送受信をしていた、そういえば最近聞かなくなった、広告も見なくなったなあ、もう無くなったのかなと思って調べてみたら健在だった、でも結構高額なソフトだ、今でも使っている人がいるんだなあ、結局FAXしか使わない(使えない)商売相手と取引をする場合、自分は要らなくても、FAXの送受信をせざるを得ないのだろう、猫も杓子も使うソフトではないので、売れず数が知れていていその分、値段が高いのだろうか、今どき「FAX」が大手を振って歩いているのはなんでも日本くらいらしい。サイバーセキュリティー担当大臣というのがいて、この人はパソコンは使ったことがないそうだ、この大臣は多分FAXは使えるのだろう、たまたまこの大臣がやり玉に上がっただけで、国会議員の多くはPCを触ったことがないと思う、日本は不思議な国だ。
晩飯、と、つい習慣で書いてしまう、晩飯の記録は毎日写真を撮って残しているが、日記には載せないのだった。
平成30年11月15日 (木)
晴れ。田畑は霜で真っ白、軽トラックに置いてあるコンテナーの上に出来た水滴は完全に凍りついていた。でも不思議なもので、こんな朝は全く寒くない。
最低気温 1.9℃ (07:25)、最高気温 15.0℃ (15:13)
登校風景(写真1・写真2.写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
志賀昭久さんの葬儀が午前11時から執り行われた。昨日のお通夜もそうだったが、阿蘇では一番広い斎場だと思うが、会葬者でいっぱいだった(最前列が少し空いてたが)。昭久さんの普段のお付き合いの広さがよく分かる。農業関係の人たちも多かったのだろうが、昭久さんは秋の刈り入れも終わり皆さんも一段落した時期を選んで逝かれたのではとふと思った。(写真1・写真2)
午後から、薪小屋の製作を続ける。短時間だったが、壁の波板を少し張る。片面の波板の横幅に余裕が無かったがもう一方の面は少し余裕があるので、余った方の波板を角を包むように余裕のない方にかぶせて雨仕舞をしっかりとした。
OPTIPLEX755の増設メモリーが届いた、二枚で数百円也。これで3GBになった、このPCは全部で4GBまで増設できるようだ、もう一枚挿せる、またオークションで探そう。
横綱とは実にいい商売だ、特に日本人横綱は。長期休場中も、もともと復活出来るなどとは思っていなかった、いつ引退するのかとずっと思っていた(本当の体調は本人が一番よくわかっているはずだ)、そしてようやく再出場した途端また休場か、大相撲は上に行くほど「甘え」が強くなるようだ。大関にしてもそうだ、負け越して陥落したら、そこで潔く腹を切るべきところ、恋々と下の番付で相撲を取り続けている、横綱、大関とはもっと重たい地位だろうが。NHKなんか決して大相撲を批判しない、相撲ファンと言われる連中もそういことも含めてファンなんだろうが、今の大相撲界はまさにユルフンそのものだ。
平成30年11月14日 (水)
晴れ。仙酔峡の上の方の山肌のくぼみがここから見ると白くなっている、これなんだろうか、昨日あのあたり雪が降ったのだろうか。
最低気温 3.1℃ (07:38)、最高気温 15.7℃ (14:01)
登校風景 (写真1・写真2.写真3・写真4・写真5・写真6)
薪小屋の製作、横桟を取り付けて、とりあえず波板三枚だけ張る。安価な7尺の波板の欲しいサイズがわずかばかりしか在庫がなくてやむなくちょっと短い6尺もので足りない分を間に合わせたが、空いた隙間をどう埋めるか。お店の人に尋ねたら、大阪方面の地震で建材などが全部関西の方に行って、こちらに回ってこないとのことだった。
横桟木とパイプとの交差部分、構造上、垂木クランプで留めることが出来ない箇所があってクランプを使う代わりに番線で絞って取り付けた。番線をもっと効果的に使うと、クランプを使う場所でもクランプをあまり使わずに済ますことも出来るのだが。
我が家の周辺の田の農家、志賀昭久さんが昨日亡くなられて、今晩がお通夜だった。午後6時から市民斎場で通夜式が営まれて小生も参列した。ここ一二年体調が思わしくなくて田んぼでお姿をお見かけすることも少なくなって、今年の田植えもご子息やご親戚の皆さんで米作りをされていたので気になっていた。
謹んで日の丸を半分下げておいた。享年83、小生と近い年齢の人が次々に逝ってしまわれる・・・・
太郎の水泳教室とお通夜と時間が重なって、お通夜が終わって急いで帰って、アゼリアに迎えに行って、太郎がプールから上がってくるのと小生がアゼリアに到着するのと1分も違わず、ギリギリセーフだった。お通夜に出かける前に、ハヤシを作っておいたので帰ってすぐに夕食にすることが出来た。
平成30年11月13日 (火)
曇り。雨は昨日のうちに完全に上がっていたが、今日はすっきりしない一日が続いた。
最低気温 9.4℃ (20:11)、最高気温 15.5℃ (13:47)
登校風景 (写真1・写真2.写真3・写真4・写真5・写真6 )
年に一度、11月に浄化槽の汲み取りがある。浄化槽は24時間365日、モーターで空気を送って曝気していてかなりが浄化されて水となって外に排出されるが、分解しきれない排泄物等が浄化槽内に澱として沈殿していてそれを年に一度バキュームカーで汲み取っていくのである。大体一年で3立米くらいの量を汲み取っていくのであるが、突然、話題が飛ぶようだが、例えば命日だとか誕生日だとか、年度替わりだとか正月だとかで、一年経った事を、ああもう一年かと時の経過を早く感じる場合と、まだ一年かと一年を長く感じる場合とがあるが、不思議なことに小生は、今日のこの浄化槽の汲み取りほど一年の経過を早く感じることはない。
午前中、まだ天気がすっきりしないので、破れ穴の補修が終わったジーパンの両脇を縫って、5本完成させた。これでまたしばらくは穿き続けることが出来る、別にジーパンが好きだということではない、たまたまジーズを穿いた生活をしてきたので単なる惰性である。今回ジーパンが途切れたので、チノパンツというのか、綿のズボンを見つけ出して穿いているが、これでもいい、これをしばらく履き続けようか、要はなんでもいいのである。
午後から、物置小屋の製作の続きをした、今日もエンジンがかからず、桟木を打ったが材料が無くなったので、残りは後日。
今日から定期設備点検で一週間余り休んでいたアゼリアが営業再開した。一の宮温泉センターのお湯も捨てがたいが、今日からまたアゼリア通いが始まった。、
今晩はカミさん飲み会だったかで、晩飯は要らなかったので、今シーズン始めてカキフライをたっぷり揚げて食べた(カミさんは牡蠣アナフィラキシーで食べると七転八倒する)。晩飯のことを日記に書くのはやめたはずだったが、季節の節目節目のことだから一言記録に残すことにした。
平成30年11月12日 (月)
今日は強くはなかったが終日雨降りの一日だった。
最低気温 6.4℃ (02:42)、最高気温 11.9℃ (14:19)
太郎は今日は昨日の学習発表会の代休だ、朝、学童に送っていった。姉のほうも今日は代休だと言って休んでいる。なんで代休なんだと尋ねると、今度の土曜日に文化祭があるから、その振替なんだそうだ。なんでも今度の土日の二日間文化祭なので、普通に考えたら、土日の続きの月・火が振替になりそうなのだが、振替はその週の内でケリをつけなければならないそうで、今週末の土曜日は今週中に、そして次週になる日曜日の振替は翌日の月曜日になるのだそうだ。小中学校もそうだが、もっと融通を効かせればいいものを。
その太郎、学童を少し早く切り上げて母親が山の下の耳鼻科に定期通院で出かけていって8時ころ帰ってきた。
今日は終日、ジーパンの補修をした。全部で5本だ。補修を重ねるほど次の補修が難しくなって、まるで重要文化財の織物の補修をするくらい大変になってくる。雨だと外での作業が無いので迷わずにこのような作業ができる、「晴工雨繕」である。ようやく破れ部分を塞ぎ終わった、後は両サイドを縫えば完成だ。
それから「坂梨村是」の原文起こしを少しやった、少しずつ、少しずつ。
夕方近く、晩飯の材料を買って帰ってくると、「阿蘇の四季」付近で前を徐行するように走っていた車が、左折して阿蘇の四季の駐車場に入るのかなと思っていたら、そのまま通り過ぎて旧道の宿場通りの方に入っていってそのすぐ先でウインカーを出して停まった、「わ」ナンバーの車だったから、道がわからないのだろうと(小生はいつも積極的にお節介に声を掛ける)、その車の前に軽トラックを突っ込んで停めて、助けてあげようと車に近づくと、慌ててバックする気配だったので、手振りでちょっと待って、ちょっと待ってと合図をしたら、車のウインドーを開けて、若いカップルが怯えたように、あまり流暢ではない話っしぷりで確かWe are foreignerと叫ぶ、小生が車の鼻先にしかもライトを点灯して斜めに突っ込んで停めたので強盗かなにかと思ったのだろう、中国系のカップルだった。日本の旅行者とばかり思っていた小生のほうが少々面食らった。慌ててWhere are you going?と尋ねたら、助手席の女性が、Taiwanと言う。No Where are you going now? と再度尋ねたら、男性の方が、Four seasons Hotel ムニャムニャ、ここでUターンをしようと思って停まったという、なるほど、「阿蘇の四季」ねと合点した。道路をはさんで宿の反対側にある駐車場でなくて、宿側の駐車場に入れるつもりだったのだろう。いい旅をネ、と言って別れたが、そうか、レンタカー、今や日本人とは限らないのだなあ(でもTaiwanでよかった・・・)。
今年はカメムシが多いなあ、一日に何匹もとっ捕まえては水葬にしている、カメムシは見逃さい、臭くなければ放っておくのだが。
平成30年11月11日 (日) (めでたい奇数の数が重なる月だが11月はそういった節句ではないようだ)
晴れ。田畑には霜が降りて、車のフロントもガチガチに凍っていて、旗振りに出かける時にちょっと慌てた。登校路のガードレールの下を子どもたちた指で触れている、「つららが・・・」確かに、触れるとすぐに解けてしまうようなつららもどきが付いていた、そんな朝だった、でも全く寒くなかった。(写真1・写真2・写真3 )
最低気温 1.1℃ (05:53)、最高気温 20.8℃ (13:27)
今日は日曜日ながら、太郎の小学校、学習発表会があり通常通りの登校だった(明日が代休になる)。
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9 )
太郎たちは、朝のうち普通に授業をしてから、その後で、体育館で全校児童により学習発表会があり、そのなかで、坂梨の虎舞も披露をしたそうである。太郎自身の学習発表は、マット運動の「後転」だったそうだ、家でもベッドの上で転がって練習をしていたが、今日の本番はどうだったのだろうと帰ってから訊いたら、「うまくいった!」と言っていた。学習発表会には母親が出かけていった。
小生は、薪小屋の制作の続き、今日は波板を打つための桟木を取り付ける作業をしたが、あまり捗らなかった。桟木を打つためにはパイプの数をもっと増やさなければならない、次から次に材料不足が出てきて、そのたびに調達に走るので、ずいぶんと高価な建築物になりそうだ。
今回の物置小屋、それからその前の「秘密基地」、パイプを固定する「クランプ」を山程使う、それに、パイプの縦横同士の組み合わせも構造上、必ず重なるようになる、結構「無駄」である。そこで、天の声・・・オマエは溶接をするんだろう?どうして溶接で鉄骨をつないで作らないのか、そのほうが余程安価で見栄えの良い小屋が出来るだろうに・・・
確かにそうなのである、作りながら小生もそれを良く考える、この程度の構造ならヘボ溶接でもそれほど問題にはならないだろう。何故だろうか。一つには、丸いパイプ同士の溶接は難しい。じゃあ、角パイプで作ればいいじゃないかとなるが、結局の所は、行き当たりばったりで組んだり取り外したりできる安易さになるのではないだろうかと思うのである。もし溶接で作るなら、設計段階でしっかり寸法などを決めてから取り掛からないと出来ないからである、それが、そういう段取りが小生は最も苦とするところなんだろう。もし余裕があればCADソフトで設計からやってみたいという気も無いではないが、そんな時間がとてもではないが無い。
今日は日達聖人第34回追考報恩会があったのだった、ご案内を頂戴していて、朝のうち覚えていて、その後うっかり忘れしまった・・・・南無(写真1・写真2)
平成30年11月10日 (土)
快晴
最低気温 4.8℃ (06:42)、最高気温 20.0℃ (14:33)
朝、南阿蘇余生馬牧場オープンセサミに馬の餌やりに行った。今日は文句なしの快晴で、秋の風景を満喫して往復してきた。普段よりは車やツーリングバイクの数が多めだったが、それでも大都会地の行楽地に比べたら無人のような場所だ、それに澄みきった空気が本当に心地良い。どうせ同じ空気を吸うのならきれいな空気のほうがいいだろう。
( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
間もなく、冬がやってくる、去年は真冬もボランティアに行ったが、今シーズンは12月から2月の冬季の期間はボランティアを休業することにして今日届けておいた。去年もスリップしてヒヤリとしたことがあったが、冬の朝の峠越え、時として危険な場合があるので用心のためこの冬は休むことにした。
戻ってから、薪小屋の設計「変更」(敗けて逃げることを転進という言い方もある、そういったようなものである)で一部パイプの組み換えをした。縦方向のパイプを横方向のパイプの内側にするか外側に持ってくるかである、これ以降の作業で、縦方向のパイプは外にあったほうが都合がいい事がわかって、組み換えをした。組み換えてもあまり影響が無い場所のパイプの組み換えだとどうということはないが、いわば大黒柱的存在の縦方向のパイプ、そう簡単にはいかず、もう一本補助のパイプを並行して取り付けて上からの重量をそちらで受けて、取り外して移動する、これを4箇所やったので、結局これだけで、午後半日たっぷり時間がかかてしまった。
今日は阿蘇市体育館で市の「こども芸術祭」があり、坂梨虎舞も参加したが、小生はそんな事情もあって行かなかった。
虎舞に関しては、こどもたちの保護者などで作っているLINEのグループがあって、そこで練習日などのスケジュール管理をやっている、完全に無貢献の小生も最近参加させてもらったのだが、そこにはこの夏にあった東京での演舞や馬場八幡祭の奉納演舞や、今日あった「子ども芸術祭」での演舞の写真などが沢山載っている、小生は最近のSNS事情といったものに全く疎くてわからないのだが、一般公開用のFacebookだとか最近はインスタなんとかというのもあるそうだが、そういった情報発信手段はあるのだろうか、LINEですらようやく使っている始末だ、今度聞いてみよう。
今日も3時半ころには一の宮温泉センターに行ってきた。すっかりここの温泉ファンになってしまった、本当に良い泉質だ。
平成30年11月 9日 (金)
昨夜来の小さな低気圧、朝には既に通過して子どもたちが登校する頃にはもうほとんど雨は上がっていた。
最低気温 12.6℃ (但し20:33現在、夜に入ってから少し下がっている)
最高気温 17.9℃ (00:00)
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
上がったばかりの天気では外作業は無理なので今日は屋内作業で過ごした。
その1 PCのCPU交換。10/19に手元の古いPC(尤も小生のは全部古いが)、Celeronが入っているDELLのOPTIPLEX755のWindoes XPを削除してLinuxのubuntu16.04LTSを入れたが、このシングルコアのPCにdual coreのCPUが入るということを知って、オークションで、中古を1,480円で買っておいた(Intel Core 2 Quad Q6600 2.40GHz LGA775)。それを今日交換した。
本当に動くのかなとおもっていたが、CPUの交換だけで他には全く何もせずに、何事もなかったように動いた。ただ、メモリが1GBとしか入っていないので、CPUを交換してもちっとも全く早くならない。そこで今度はメモリを最大4GBまで増設できるそうだから、又、オークション探しだ。これでうまく言ったら、最新バージョンのubuntuの18を入れることができそうである。
屋内作業その2 破れジーパンの補修。もうこれが最後、これが最後と言いながら破れを繕ってきたが、まだもう少し行けそうなので、補修をすることにした。今日はその準備作業だけである。
玄米30キロ、ご近所から購ってコイン精米所に。ようやく新米が食べられる、なんとなく最近米の消費量が多いなあという気がしていたが、考えてみたら、高校生はもう給食がないので毎日弁当持ちだった。
太郎、明日、子ども芸術祭で虎舞を演舞するそうで、今日は夕方から会場になる内牧の阿蘇市体育館でリハーサルがあるとかで、送っていった。帰りは仕事が終わったカミさんが迎えに行った。
平成30年11月 8日 (木)
曇りがちの一日。(写真1・写真2・写真3)
最低気温 11.5℃ (00:11)、最高気温 21.7℃ (12:53)
夕方あたりから風が出てきて、暗くなってから一層風が強くなっているのが室内にいてもわかるのだが、観測装置の風速計が全く動いていない。以前にもそういう事があって、調べたら、クルクル回るカップが飛んで無くなっていたことがあったので、今回もまたかと思って、真っ暗な中、ライトを持って調べに行ったところ、カップはちゃんと付いているけど、回っていない。よく見ると、蜘蛛の巣だろうか絡まっていてそのせいで回転していなかった。棒切でひっかかりをとってやったところ勢い良く回り始めた。数日間の記録を見ると、ずっと風速がゼロのママだった。蜘蛛の巣のせいで回らなかったこともあるのだろうか、風速計のカップが回っていたらクモも巣を掛けなかっただろうから、それだけ無風の日が続いたということなのだろう。ついでに揚げっ放しの日章旗も暗い中で降ろしておいた、すごい勢いではためいていたので、降ろしておいて正解だったろう。今晩はこの低気圧が通過するのだろう。
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4)
薪小屋の屋根葺きまで終わる。ちょっと設計ミスと施工ミスがあって一時間ほど無駄な時間を取ってしまった。屋根は出来たが、周りの壁がまだだから、今夜はひと荒れありそうだか、屋根だけの小屋では全く役立たずだろう。実はこの物置小屋、もしかしたら場所を移動するかもしれない、あるいはしないかもしれない、万一移動させる場合を考えて、パイプは深く打ち込んでいない、タイヤを付ければ、移動できるようにしてある、いわばトレーラー薪小屋である。
太郎、虎舞の練習、今晩は一の宮小学校体育館。送迎とも小生が担当する。今度の土日、市の「こども芸術祭」と小学校の学習発表会で演舞をするそうである。
平成30年11月 7日 (水)
立冬だそうだが、こどもたちの見守りで橋のたもとに立っていると風もなく穏やかに夜が明けてやわらかな朝日が本当に気持ちが良かった。ここ数日、最低気温も最高気温も右肩上がりで推移している、暖かい日が続いている。
最低気温 7.9℃ (01:54)、最高気温 22.7℃ (14:05)
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
先日もあったのだが、PCの前に座ってキーボードを叩いていると、まくりあげた腕のあたりがもぞもぞする、みると小さなムカデが腕の上を這っている、前回も同じ右腕の上だった、机の上に振り落として捕まえようとしたが、今回もまた取り逃がしてしまった、小さなムカデだからまあ、いいか。でもどうやって腕の上に乗ったのだろうか、家に居たやつだろうか、外でセーターなんかに着いたやつが部屋に入ってから動き出したのだろうか、もしこれがこどもたちだったら大騒ぎになるところだった。
国道57号線の滝室坂トンネルの西側の口の本工事が間もなく始まろうとしているが、今は工事用道路であまり大した量の(と言っても相当な量だが)土砂は出ないので一般道路を使って搬出しているが、本工事が始まると、一日に延100台だとか200台だとかのダンプが行き来するようになり、生活道路を使うわけにいかなくなるので、土砂運搬専用道路を作る事になっていて、多分、その工事なんだろう、少し前からそれらしき工事が始まっている。このバイパス(と称しているが)は写真の右側の低いところから左側の川の高い土手を跨いで作られるようになっていて、普段遠くからは分からないので今日ちょっと近くまで行ってみたところ、これが臨時の道路か?と驚くほどの大工事になっている、さすが国家プロジェクトである、高い土手を跨ぐための高架橋でも作るのだろうか本格的な基礎打ちまでやっているようだ。恒久的な道路でないにしても、このくらいの規模のトンネル工事ともなるとその準備だけでも大変なようである。因みに我が家は、写真奥の右手前に突き出した小山を向こう側に回ったところにある。
薪置き場からオーバースペックで薪小屋に昇格した制作工事、今日は屋根組まで終わらせた。本当は下で波板一切を張ってから上げたいところだが、重くて上がらないので、とりあえず屋根の骨組みだけ組んでおいた、明日には屋根張りまでは終わるだろう、壁をどうするかまだ考えていない、いきたりばったりである。
夕方早めに四時前に一の宮温泉センターに行く、少し時間が早かったので、先客が一人いただけだった。昔利用していた時ににはあまり気にしていなかったが、ここの温泉は、本当にああ、温泉だなあという肌ざわりがする、柔らかくて滑らかで肌にしっとりまとわりついて、いつもカラスの行水の小生が上がるのが勿体無いと思うくらいでゆっくりと浸かってきた。上がっても肌がすべすべする。
太郎、虎舞の練習、今晩は坂梨体育館で、今日も小生が送り迎えをした。坂梨小学校体育館だとか旧坂梨小学校体育館などと、枕詞を付けなくても、今は坂梨体育館と呼ばれているようである。
平成30年11月 6日 (火)
晴れ。今年は台風もなく、晩秋に入ってもほんとうに穏やかな日々が続く。
最低気温 4.4℃ (06:56)、最高気温 21.8℃ (13:10)
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
薪小屋、結局材料を買わざるを得ず、結構大きな出費になってしまった。そして、ほぼ骨組み完成、ただ単なる薪小屋にこれほど手をかけることも無かったのにどうもオーバースペックになってしまったようだ、薪小屋には勿体無い、第二秘密基地にしたくなる。
今日は一の宮温泉センターの定期休業日だった。
虎舞の練習、坂梨小学校の体育館は他の利用者で塞がっているそうで、今日は一の宮小学校体育館で練習があった。カミさんは仕事が遅くなるので、7時の送りと8時半の迎えも小生が担当。
平成30年11月 5日 (月)
晴れ。朝、霧が出た。日中は冬の下着では暑いくらいだった。
最低気温 2.8℃ (06:38)、最高気温 21.3℃ (15:00)
登校風景。 こどもたちがやってくるより少し前に定位置に到着した時にちょうど朝日が昇ってきた、もう少しすると、こどもたちは日の出前に登校することになる。今日は霧で見えなかったが、1キロ近く離れているところを歩いてくる子どもたちの元気な声が刈り取りが終わった田を渡ってくる、静かなのだ。
( 写真1・写真2・写真3・写真4)
今日はあまり労働意欲が湧かず、掘り起こした古い材木を半分に切って、乾燥しやすいように広げて転がすくらいしかやらなかった。
今日からアゼリアは毎年恒例の設備点検とやらで一週間の全館休館になる。「とやら」、と書いたのは、いつも休んだ後に結構大きな故障をしているので、本当に点検整備のための休みなのかと疑っているからである。そんなわけで、その間、家の風呂に入らなければならないのだが、ここにはもう一軒、公営の温泉センターがある。その昔、家を新築中のコンテナハウス住まいの時には毎日通っていたが、もう十数年行ったことがない。特に、古城のふもとにあって、数年前の豪雨災害で大きな被害を受けて、大改修をしているから昔の造りからは大きく変わっているはずである。
実は、阿蘇市では70歳以上の高齢者には、この一の宮温泉センターの無料入場券が年間20枚もらえるのである、その制度があることは知っていたが、わざわざ行くこともないだろうと今までもらったことがなかったが、昨日アゼリの風呂仲間で、その話が出たので、じゃあ小生も一度行ってみるかと、今日出かけてみた。太郎は最近は風呂に行きたがらずに家の風呂に入っているので、小生の心配だけをすればいいのだ。
受付で自己申告して20枚の無料入場券をもらって入ったところ、普段行かない人間が行って、混雑して常連さんが迷惑するといけないと、気を遣って少し早めに(4時ころ)行ったところ、洗い場が6人位の狭い温泉だが、ほとんどがアゼリアのお風呂仲間だった。みんな、気を使って早めに行ったのだろう。
でもしみじみ考えてみると、日本は高齢者が少し優遇されすぎていると思う。やれシニア割だとか、シニアシートだとか、やれ無料ご招待だとか、高齢者ばかりの日本、今の若者世代は高齢者の年金負担を「おんぶ」して大変だろうに。
晩飯・・・あそうだ、今日から載せるのはやめたのだった。突然、ふと、偶々、思い立って今日から晩飯の献立の開陳をやめることにした、特にこれという理由はないのだが。日記についても少しずつスリム化を図ることにして、なるべく簡単に済ませる方向に持っていこう。と思っている。まあ、これもある種「終活」になるのかもしれない。尤も気が変わってまたダラダラと長い日記に戻るかもしれないが、とりあえず。(写真だけは撮っておこう)。とか言いていながら、結局長々と書いてしまった。目指すところは一行日記だ。
平成30年11月 4日 (日)
晴れ。本当にいい天気が続く、この天気いつまで続くのだろうか。
最低気温 4.8℃ (06:28)、最高気温 19.0℃ (13:25)
普段、PCの前に座って、BGM的(音楽とは限らないから「的」をつけた)にNHKのAMラジオを流していることが多い。そう書きながら不思議とFM放送は聴かないなと思ったら、そうだったFM放送は入らないのだった。阿蘇谷でもここは電界強度が弱くて専用アンテナをつけないとロクに聞こえないのだ。そんなわけで常にAM放送を聞いている。最近はインターネットででもラジオを聞くことができるがそんなにまでして聞こうとは思わない、あくまで「BGM的」な存在なのだから。
そのNHKの放送で毎日曜日、朝8時からの「音楽の泉」という番組があるが考えてみると不思議な番組である、多分もう半世紀以上続いているのではないだろうか、放送開始時にはFM放送なんか無かったろうからわかるが、今はFM放送という高音質の放送が聴けるというのにいまだにAM放送でやっている、テーマ曲も小生の記憶にある限りずっと昔からシューベルトの「楽興の時第三番」である。解説者の皆川達夫ももう何十年もやっているのではないだろうか。素っ気ないというかあまり放送的な声ではない解説、限られた時間に収めるため、長い曲になるとロクに解説もしないですぐに音楽に入る場合もある。まさに、のんびりした日曜日の不変の番組、このテーマ曲と解説に始まる放送を聞くとなんとなく心が落ち着いて安心するから不思議である。はたして全国でこの放送をどのくらいの人が聴いているのだろうか、そしてこのあともまだ何年も続くのだろうか、小生が死んだ後もずっと淡々と続いているかもしれないと思わせるそんな不思議な番組である。
そして余談になるが、その後に続く「日曜討論」になると即消す!馬鹿な政治家どもの愚にもつかない掛け合いのための掛け合いを聞くと不愉快になるからである、本当に馬鹿な奴らだ。
太郎はテニスのレッスンで母親と6時過ぎには出かけていった、そして4時ころまで遊び回って帰ってきた。夏子は珍しくずっと部屋で勉強をしていたそうだ(小生はずっと外に居たので本当のことはわからないが)。
今日も薪置き場の制作をする。まだ少し朝露で濡れいる枯れ草などを燃やして、大体、何処に設置しようかとパイプを置いて考えていたが、草を燃やしている場所にかかるために焚き火の場所を少しずらした。
ところが煙が、設置場所方向に流れてきて煙たくて作業ができない。そこで、ブロアーを持ち出して、ぼんぼん高温にして燃やして、なんとか煙がでないようにしたが、それでもしばらくは煙たかった。そういえば南西の風が吹くと言っていた。
今のところは材料はすべてストックで間に合っている、クランプの個数も大丈夫だった。夕方にはなんとか形になったが、ちょっと大きすぎたか?二三日このままにして、この場所でいいかどうか様子を見てから、しっかりと打ち込むことにしようか、どうせ今回は壁を張ったりはせずに、なるべく簡単に、ブルーシート掛けなどで済ませるつもりである。
平成30年11月 3日 (土) 文化の日(明治節)
快晴(今日は晴れの特異日だそうだ)
最低気温 2.6℃ (06:50)、最高気温 18.7℃ (14:42)
土曜日のルーチンワーク。箱石峠を越えて南阿蘇に馬の世話に行く。先週、林道が交通止だったので、今朝も様子がわからないので高森町中心部経由で行く。もう根子岳などの高い山の紅葉は盛りを過ぎていた、あっという間の秋だ。(
写真1・写真2・写真3・写真4)
午後から、薪置き場の場所の整備をした。山ほどある古い木をどうしたものか、とりあえず一箇所に集めようとして、鳶口で引っ掛けて回しながら移動させようとしたが、重くてどうしたものか。そうだ、クレーンだと、軽トラックのクレーンを持ってきて、ズルズル引っ張って一箇所に集めた。結構な量だ、これだけのものが、半分埋まっていたのだ。乾燥させて少しずつ焚き火で使うしか無いだろう。(写真1・写真2)
平成30年11月 2日 (金)
晴れ。最低気温一段と下がる、今朝は霜を確認した(写真1・写真2)、風が全く無いので寒さは感ぜず。寒いか否かは偏に風があるか無いかに依るものだという気がする。明朝は0℃の予報がでている。
最低気温 2.4℃ (03:17)、最高気温 17.1℃ (13:44)
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
なんの脈絡もないことだが、いつかは記録に残しておこうと思いながら、そのきっかけ、が無くてずっとそのままにしてあったが、実は小生の「イビキ」が治っているのである。二年前の入院の頃までは、そのイビキの大きさに、「隔離」されるほどだった、家でも階下で寝ていてもお父さんのイビキは聞こえるくらい大きいと家族に言われていた。自分自身でも、例えば椅子に寄りかかってウトウトしかかると自ずと発する自分のイビキに思わず驚いて目が醒めることもあった。それがいつのまにかイビキをかかなくなっているのである。原因は全く分からない。太っているとイビキをかくというが、それほど太っていたわけでもなく、その後、それほど痩せたわけでもない。それが不思議と完全にイビキをかかなくなってしまった。ドア一枚隔てたところで勉強している娘も(小生のほうが早く寝ることが多く、そういうシチュエーションになるのだが)、お父さん全然イビキかかなくなったねという。これは果たしていいことなのだろうか、イビキをかく体力まで無くなってきたということだろうか、なにかの悪い前触れだろうか・・・・・・
薪置き場を作るための縄張りのため、昨日切った薪をもう一箇所ある薪小屋に運んで空地の整理をした。整理をしたところで、向かい側にあるもう少し広い場所に作ろうかと、そちらの整地を始めたが、これが出てくるわ、出てくるわ、地中に半分埋もれてた巨木が次々に出てくる。忘れてしまったが、数年前に薪材として運びこんで、その後、これより都合のいい木が入ってきたのだろう、後回しにしているうちに三内丸山古墳化してしまったのだ、あ、もっと近場があった、吉野ケ里化だ。こんなにたくさんの木、実に勿体無いことをした。もうかなり腐っていて、あるいは水分を十分すぎるくらい蓄えてしまった木を今更薪には出来ないだろう。これをどうするか、こんな時にユンボが欲しい。ユンボがあれば、大きな穴を掘ってその中に全部埋めてしまえるのだが。(写真1・写真2)
さて、どちら側に薪置き場を作るか、それと、設置方向だ。日当たりが良い方を開口部にしたほうがいいに決まっているが、逆にそちら側は雨が降り込む方向でもある、さてどうしたものか。。
太郎、松見内科でインフルのワクチンを打ってもらう。小生は済んだが、残り三人組は同じ日に打ちたかったようだが、それぞれスケジュールが合わずに、太郎だけ今日連れて行った。あいつは臆病で注射を非常に嫌がる。待っている間、震えるほど怖いと言う、去年は泣いたと思うが、さすがに二年生ともなると泣けないだろう。お父さんは注射針を刺すところは見ないよ、見ないと針が刺さる、刺さるとドキドキしなくて済むよ、と言ってやったら、顔を反対側に向ければいいものを、手で顔を覆って注射をしてもらった。その時々で違いがあるのだろうが、今日は全然痛くなかったと言っていた。小生は一度打てばいいが、三人は二度打つのだろう。
太郎、今月(のいつだったか)、市の子ども芸術祭があるので、今日からまた虎舞の練習が始まった。7時からの坂梨小体育館での練習開始に合わせて、今日はカレーを作って早めに食べさせて送っていった、迎えはカミさんだ。
平成30年11月 1日 (木)
晴れ。少し雲があった。今朝は予報のように1℃までは下がらなかった。観測装置とは数値が違うが、地表近くの朝の気温(写真1・写真2)。ちょっと見た限りでは霜も降りていなかったような気がする。朝、今シーズン初めてダウンジャケットを着た、それから、強いて要らなかったけど手袋もしたがまだ寒いというほどではなかった。この気温、下界ではもう真冬の寒さ、なんだろうが、この地の人間はまだそれほどにも感じていない、慣れなんだろうな。
最低気温 3.3℃ (03:38)、最高気温 15.9℃ (12:12)
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
午前10時、Jアラートで訓練緊急地震速報の放送が入った、例のシェイクアウトというやつだ、小生は毎年書いているが、これには賛同していないので「無視」である。日本には「防災の日」に合わせて「総合防災訓練」を行い防災意識の高揚と訓練をする日がある、どうして、自然災害先進国の日本が一アメリカの団体が主唱するパフォーマンスに追随する必要があるのか、なんでもアメリカの真似をすればいいというものでもないだろう、逆に日本には防災の日があります、それに合わせて是非御国でもやってください、と言って向こうはやるか?やらないだろう、国それぞれの国状に合わせてやればいいのだ。日本では凡そ自治体などが音頭をとってやるところが多いようだがコストを考えたらどうなんだ。参加数を見ると年々減少しているぞ。(ついでだが、昨夜のハロウィンにしたってそうだ、日本がどうハロウィンと関係があるのだ、軽薄日本の若者たちよ、これは子ども行事だぞ)。
朝起きて子どもたちがストーブ!と言うので、今から燃やしてもオマエたちが出かける頃まで暖まらないからナシ!ストーブが欲しいならギリギリまで寝ていないでもっと早く起きてこい!と言って連中が出かけた後、まだ本当に必要ではないが、あればあったで暖かいのでストーブを点けた。
薪ストーブの上に置いて、熱を利用して回るファンを置いた。これは熱気球のように上昇気流でファンを回すのではない、ゼーベック効果、ペルチェ素子、スターリングサイクル、熱電変換素子などといったあたりのキーワードに説明があるだろう、つまり温度差を利用することで発電してファンを回すのだ。
ファンの構造を見ると、ストーブの熱が直接伝わる金属部分と発電素子をサンドイッチ様に挟んでファンが付いている。この上の部分が低い温度側なのだろう、空気が流れる空洞があって、その内側にも空気に触れる面が多いように刻みが入っている。この発電素子の両側の温度差で発電をしてモーターを回すのだろう。でも、温度が低かるべくある方の金属もストーブの熱で触れないほどの温度になっている、これで、発電出来るほどの温度差を保つことが出来るのだろうか、だんだん発電効率は落ちてくるのだろうな。
この商品の値段はピンキリ、小生は当然、CHINA製(だろう)の一番やすいやつを買った。顔に当たるほどの風力は感じられないが勢いよく回っている、ちょうど窓方向に向けて置いておくと窓のあたりの寒気を少しくらい和やらげるかなと思って置いたが、まあ、アクセサリーだな。
久しぶりに、と言うか、今シーズン初めてか?肩慣らし的に薪を作った。考えてみたら、ストーブの準備は出来ていたが、薪をまだ作っていなかった。去年の分が少し残っているだけだ。ずっと天気が続いているので、欲しい時に作ればそのまますぐに使えるが、この先天気が崩れるとそうはいかなくなる、そうはいかなくなる期間のほうが長くなるだろう。それに、今年は今まで使っていた薪小屋が秘密基地になったので、新たに薪のストック場を急いで作らなければならない。作ろうかという場所に、去年から細い枝を主にした木が置いてあるので今日はとりあえずその細い木を切った。細い木はもっと寒くなって24時間休まず運転しだすと、要らないが、しばらくの間は点けたり消したりで、点けるときの「焚き木」が必要になるので、今日の薪作りはその意味ではちょうど良かった。それに、同じ場所にずっと杉材が置きっぱなしなっていたので、これもついでに薪にしておいた。どちらかと言うと落葉樹のほうがいいのでどうしても杉は後回しになってしまうので、この薪を先に使うことにしよう。
晩飯。炊き込みご飯、秋刀魚塩焼きなど・・・・
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