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平成30戊戌(2018)年10月の記録 (新しい日付けの順)
平成30年10月31日 (水)
今朝の気温予報は大ハズレだった、気温の予報だけは概ね正確だと思っていたが、こんなこともあるようだ。明日は1℃だと言うが、雲が多かったので多分そんなに下がらないと思う。
最低気温 7.7℃ (06:32)、最高気温 12.7℃ (12:43)
いつもより早く着いて子どもたちがやって来るまで少し時間があったので立つ場所から少し南に登って写真を撮った、高城址の小山の先を回ると馬場集落のところに57号線滝室坂トンネルの工事現場がある、まだ工事用道路の建設中だが、まもなく本工事が始まる。( 写真1・写真2・写真3)
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
今日も隣村福原に欅材を積みに行った。今日は二台分で午前中に終わった。これでここの現場は終わりである。一昨日・昨日と今日で都合5台分、一月分・・・は無いだろうが薪材がたくさん入ると心が豊かになる。
午後からコンピューターの「お勉強」をして過ごした。
先日ストーブの煙突掃除だけ済まして、本体の掃除などはしていなかったので、まあ、それでも燃えないことなど決して無いが、明日の朝の低温予報も出ているので、とりあえず点火して燃え具合を見てみた、まあ、これが今シーズンの燃やしはじめになるのだろう、寒くなかったのに中途半端に燃やしたため部屋の中が暑かった。
太郎、水泳教室。
晩飯、ハヤシライス。
平成30年10月30日 (火)
曇りがちの一日。明朝は3℃の予報が出ている。
最低気温 8.4℃ (01:58)、最高気温 15.9℃ (13:59)
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
阿蘇に熊が・・・太郎も、夏子も、学校で高森町にクマが出たから登下校時に気をつけるようにという注意があったそうだ。オマケにかみさんまで夜帰ってくるなり、職場でその話を聞いてきたと話していた、なんでも母熊と子熊三匹だったとか。ニュース源はどこだろかと思ったが、高森町のフェイスブックにちらりと載っている。まだ「ニュース」としては流れていない。今回のことが本当かどうかは別にして、小生は別ルートで阿蘇に熊がいるということは大分前から知っていたが、それと今回のことが結びつくのかは分からない。もし絶滅していなかったのなら嬉しい話だ。
今日も午前中、福原集落の田んぼに欅を積みに行ってきた。きょうのやつは一番下の方に土台的に置いてあったやつで、太いものばかりだったのでクレーンで引き揚げて、チェンソーで切って運んできた。今日でひと山片付いた、昨日二台で今日一台だった。今日は重労働だったので、午前中の一回で切り上げた。残りの一山は明日以降だ。
晩飯。豚肉のムニエル。
平成30年10月29日 (月)
曇のち晴れ。
最低気温 9.6℃ (00:00)、最高気温 18.5℃ (13:05)
台風26号、今回は100%来ないと思っていたが、どうもそうとも言っていられない雰囲気だ。
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
隣村の福原集落の慎雄さんの田んぼに置いてあった欅を積み込みに行く。田植え前に枝払いをして田んぼの脇に積んであったやつだが、行き先は決まっていないということだったので小生が貰い受けることにして、稲が植わって間は軽トラックが入らないので、稲刈りが終わるまで待っていた。
午前中、二往復したが、まだあと三台分くらい残っている、二台で体がボキボキ言っているので今日はやめにして日を改めて出直すことにした。薪材を降ろす時に気がついた、いつのまにか庭のモミジが真っ赤になっていた。
最近「ポケトーク」というハンディタイプの通訳機が話題になっている。今は20k以上しているようだが、うっすらとした記憶では発売当時はもっと安くて、えっ?こんなに小さくてこんな安い値段でこんな自然な通訳をしてくれるのか、と驚いたものである、使うアテはさしあたってはなかったがワサモンとしてはこの程度の値段で買えるのだから欲しいと思ったくらいだから、安かったと思うのだが。
最近になってAlexなどのAIのお喋りツールがどんどん流行りだしているが、このポケトークも早い話がこのジャンルの商品で、要は、インターネット環境で機能するものだということが分かって、ガッテンした。
あんなに小さくて高機能なのは、インターネットの向こう側で巨大システム(翻訳エンジン)が働いていて、重要部分は全部向こう側で処理して、その結果をネットを通じてやり取りしているだけだから、あんなに小型で安価になるということが分かった。
小型の筐体のなかに高機能な仕組みが収まっていると思っていたので、そうでないことが分かって急に熱が冷めてしまった、とすると今の価格は高すぎるね。スマホのアプリでも無料で同じような事ができるらしい。
今や何でもインターネットの時代なのだということを改めて知らされた。それからすると、下界はネット環境がどんどん整っているのに、ここは相変わらずのADSL。NTTはひかり化には見向きもしない、それに市が運用する「ひかり」もお粗末で、どんどん世の中から置いていかれるネット過疎地帯になっている。オイ!市の「ひかり」、お粗末だぞ、カネが無いことはわかるけど、それ以前に市の経営者がそういった認識があるかないか、これが重要なのだ。「我が市にも今は光回線が出来た、満足満足」なのか「ひかりは通ったけど、これではまだまだ不十分だな」なのか、だ。
地球温暖化をもたらす温室効果ガスの観測衛星「いぶき2号」が29日午後1時8分、H2Aロケット40号機で鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられた。こんなもの観測する必要はないが、ロケットは当然のごとく無事に打ち上がった、ニュースを調べたらずっと下の方にあった、もう成功するのは珍しくもなんとも無くなったのだ。
晩飯。チキン南蛮。
夏子の部活が終わって帰ってくるのが8時ころになる、田圃道は真っ暗なのでLINEで軌跡を見ていて、途中まで車で行って自転車を待ち受け安全を確保する。
平成30年10月29日 (月)
晴れ。
最低気温 9.6℃ (00:00)、最高気温 18.5℃ (13:05)
台風26号、今回は100%来ないと思っていたが、どうもそうとも言っていられない雰囲気だ。
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
隣村の福原集落の慎雄さんの田んぼに置いてあった欅を積み込みに行く。田植え前に枝払いをして田んぼの脇に積んであったやつだが、行き先は決まっていないということだったので小生が貰い受けることにして、稲が植わって間は軽トラックが入らないので、稲刈りが終わるまで待っていた。
午前中、二往復したが、まだあと三台分くらい残っている、二台で体がボキボキ言っているので今日はやめにして日を改めて出直すことにした。
最近「ポケトーク」というハンディタイプの通訳機が話題になっている。今は20k以上しているようだが、うっすらとした記憶では発売当時はもっと安くて、えっ?こんなに小さくてこんな安い値段でこんな自然な通訳をしてくれるのか、と驚いたものである、使うアテはさしあたってはなかったがワサモンとしてはこの程度の値段で買えるのだから欲しいと思ったくらいだから、安かったと思うのだが。
最近になってAlexなどのAIのお喋りツールがどんどん流行りだしているが、このポケトークも早い話がこのジャンルの商品で、要は、インターネット環境で機能するものだということが分かって、ガッテンした。
あんなに小さくて高機能なのは、インターネットの向こう側で巨大システム(翻訳エンジン)が働いていて、重要部分は全部向こう側で処理して、その結果をネットを通じてやり取りしているだけだから、あんなに小型で安価になるということが分かった。
小型の筐体のなかに高機能な仕組みが収まっていると思っていたので、そうでないことが分かって急に熱が冷めてしまった、とすると今の価格は高すぎるね。スマホのアプリでも無料で同じような事ができるらしい。
今や何でもインターネットの時代なのだということを改めて知らされた。それからすると、下界はネット環境がどんどん整っているのに、ここは相変わらずのADSL。NTTはひかり化には見向きもしない、それに市が運用する「ひかり」もお粗末で、どんどん世の中から置いていかれるネット過疎地帯になっている。オイ!市の「ひかり」、お粗末だぞ、カネが無いことはわかるけど、それ以前に市の経営者がそういった認識があるかないか、これが重要なのだ。「我が市にも今は光回線が出来た、満足満足」なのか「ひかりは通ったけど、これではまだまだ不十分だな」なのか、だ。
地球温暖化をもたらす温室効果ガスの観測衛星「いぶき2号」が29日午後1時8分、H2Aロケット40号機で鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられた。こんなもの観測する必要はないが、ロケットは当然のごとく無事に打ち上がった、ニュースを調べたらずっと下の方にあった、もう成功するのは珍しくもなんとも無くなったのだ。
晩飯。チキン南蛮。
夏子の部活が終わって帰ってくるのが8時ころになる、田圃道は真っ暗なのでLINEで軌跡を見ていて、途中まで車で行って自転車を待ち受け安全を確保する。
平成30年10月28日 (日)
晴れ。
最低気温 7.6℃ (06:38)、最高気温 14.8℃ (13:58)
予め予定が決まっていて、それに追われている時と違って、さあ、今日は何をやろうかなと起きてからのんびりとその日の行動を決めるの日は気持ちに余裕が持てていい。今日はそんな日だった。今日はのんびりデー。
今日は太郎のテニスレッスン日、朝早くから母親と二人で出かけていった、その後で、仕事がらみで他に回るそうなので、昼飯は夏子と二人だった(結局夜7時ころ帰ってきた)。
何食べようか、「しんちゃんうどん」に行ってみるか?ウンそうしよ。ということで中通りにある「しんちゃんうどん」に出かけた。このうどん屋さん、田んぼの真中の民家である、別にあまり宣伝をしているわけでもないのに、どうしてだかいつも満員の店である。http://aso-zen.com/aso-hyakuzen/186/
今日も昼前に行ったがほぼ満員状態。話には聞いていたが小生は初めてである、夏子は先日、行ったようだ(それを聞いていたから、思いついたわけだが)。普通の民家の座敷に幾組かのテーブルが置いてある作りで、雰囲気を写真に撮ろうかと思ったが、お客でいっぱいでお客さんの姿を写真に収めるわけにはいかないので、室内の撮影を遠慮した。
気取りもなにもないおいしいうどん、うどんの定食を二人で取って食べてきた(小生は天ぷらうどん定食、夏子はキムチ豆乳入うどん定食)。このへんてこな名前のキムチ・・・小生はキムチと聞いただけで金輪際食べたいとは思わないが、結構これが美味しいらしくて、他の人も注文していた。夜7時までやっているので、不味いファミレスに行くならこちらのほうがずっといい。
ここの座敷の欄間にたくさんの能面が飾ってある、これはそれなりの面打ち師の作品なんだろうと思ったが帰って調べたら、ここのご亭主の作らしい、ホンモノである。
またぞろ渋谷などでハロウィンとかでバカモノたちが騒いでいる、成人式で暴れるバカモノたちた同じだろう、世間はどうしてこんな奴らを甘やかすのだ(小生なんか腹の中で死刑にしろ!と叫んでいる、たった20分くらい廊下に座らせたくらいでもう「虐待」になる世の中、本当に、どうかしているゼ)。
Raspberry Piを使って何しようか、さしあたって一つはAlexaをやってみたい。それからもう一つはAPRSのI-Gate局をRaspberry Piに置き換えたい。ここから波は出さなくていい、電波を拾ってインターネット網に流す受信専門局でいいのだから、今のノートPCと無線機とTNCを使う運用は24時間運用ともなると結構電気代が馬鹿にならないと思う。これをRaspberry Piに置き換えると電気代が非常に少なくて済む。Raspberry PiとRTL-SDRドングルがあればいい、それもpython(Linux)でプログラミングするのだ。
そういった記事を読んでいて、そういえばRTL-SDRドングル、家にあったなあ、これなんで買ったのだったろうか、確か、数年前に国内では使えない海外規格のワンセグチューナーを1,000円くらいだったろうか、で入手してこれでそれ用のドライバーを入れて日本のFM放送を聞こうということだったなあ。あの時は環境整備は出来たけど、ここは肝心なFM放送の電波が微弱電波並に弱くて、専用のFM放送アンテナが無いと聞こえなかったから、そこでやめて放置してあったはずだ、と改めて探したら、あった、あった。ところでRTLって何の頭文字なんだろうか。
このRTL-SDRドングルは数十MHzから数百MHzまでの電波が受信できるはずなので、広帯域受信機になる。APRSで使う2mアマチュアバンドなら楽勝なはずだと、環境設定をして受信をしてみた(写真1・写真2)。OK、OK大丈夫だ、これでI-GATE局が出来るな、と言ってもまだRaspberry Pi買っていないけど。
時間がある時に少しずつ、合略仮名も旧字もそのままに、「坂梨村是」を原文通り忠実に活字で起こし始めているが解読出来ない文字が出てくる、おそらくマイクロフィルムの原画段階で既に潰れいるのだろう。今この二文字で引っかかっている、なんて書いてあるのだろうか。最近は理数に加えて古文(というほど古くはないが)まで小生の道楽勉強に加わってきた。
平成30年10月27日 (土)
晴れ。
最低気温 9.4℃ (19:18)、最高気温 16.0℃ (00:00)
朝、南阿蘇オープンセサミの馬共の世話に行く。265線を折れていつも林道を進むと途中で通行止めになっていたので、引き返して高森中心部を経由して反対側から牧場に行った。秋色愈々深まる、である。(写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
牧場が終わって帰ると、我が家の三人組が居ない。LINEが入って夏子の耳鼻科受診で出かけるとのこと。確か太郎と夏子の耳鼻科受診は日程を合わせるようにしてあったと思ったが、前回夏子は学校行事か何かで行けなかったの今日になったようである。
連中が留守の間に、つくしの里に用があって大津まで来た従兄の滉兄が足を伸ばして寄ってれた。
平成30年10月26日 (金)
晴れ。朝霧が出る。予報より少し早いが午後三時ころから雨が降り始めた。
最低気温 5.1℃ (06:39)、最高気温 19.9℃ (13:18)
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
阿蘇文化調査研究会というサークルがある。小生も末席を汚させてもらっている。今月は、坂梨の探訪ということで、じゃあオマエがやれということで、小生が案内役を仰せつかった。
坂梨探訪と言っても、皆さん阿蘇の人なので宿場通りの史跡類はよくご存じである、そんなところに持ってきて小生が今更どういう案内をすればいいか悩んだ。とにかく基本資料としては坂梨宿場会編集の地図があり、裏面にはびっしりとその解説が載っている。史跡などはテーマパークのアトラクションと違って、以前も今もその内容には変わりようがない、しかも地図裏の解説で必要かつ十分の内容である。じゃあ、小生は一体何をすれば良いのだろうと、考えて、同じ宿場通りでもちょっと切り口を変えてみようかと、「坂梨村是」を利用することにした。坂梨村是については、「豊後街道坂梨宿」のホームページの資料室にそのコピーがある。この村是の成立の背景と村是の中身について掘り下げて、解説を試みることにした。
この村是の成立の背景に前田正名という人物がいることがわかって、その人物のことを少し調べた。それから、村是の内容について、原本自体が活字が潰れていて、しかも画像が小さいので、改めて約60頁、全ページわたってA4の用紙にプリントアウトして、その解読に取り掛かった。
数字データ部分はとりあえず、置いておいて、文章部分をじっくりと読んでみた。ところが潰れた字、旧字、文語体のこの文章が難解ながら実に面白いのである。この村是が出来たのが明治35年で、鉄道が通ったのが大正7年になるので、この時点ではまだ豊後街道は昔通りの宿場街道だったわけで、明治維新からそれほど時が経っていないので、昔の豊後街道坂梨宿の雰囲気が十分に読み取れるのである。
全員に全ページのコピーを配るわけもいかないので、面白そうなところ数ページの縮小版にプリントして、それをもとに、探訪に出発する前に坂梨公民館前で立ったまま即席の「座学」をして、読みにくいので小生が大きな声で音読して皆さんに聞いていただいた。
ここで興が乗って、会員の持ってきた資料も合わせて、立ったままの勉強会で時間を結構とってしまった、ああ、これじゃあ、事前に勉強をしてから実際に歩いたほうが良かったねという感想もあった、この村是だけでもまたじっくり勉強したら面白そうだねという声もあった。(写真1・写真2・写真3)
また、もともと宿場通りを全部回ると二時間ではとても回りきれないので、以前、北坂梨方面に行ってみたいという要望も一部あったので、今日は何処を回るか、その場で皆さんの希望を聞いてから決めることにしてあったが、一応、「高城」についての資料を作っておいたところ、やはり、とりあえず坂梨方面に言ってみようかということになって、御茶屋を外から眺めてから先に進むことにした。
というのは御茶屋は代々、阿蘇氏の重臣の坂梨家が三つに別れて、その一つの市原家が代々御茶屋の番を勤めており、その先祖の坂梨家が代々高城の城主であったために、出発点を御茶屋にしたわけである。
途中圓通寺に寄って、本堂に安置してある仏像を拝んでから、美味しいお手製の紫蘇ジュースを頂戴して一休みしてから高城址に向かった。この圓通寺には高城主だった坂梨家の墓があるというようなことを聞いたことがあるが、今日は、先年の豪雨災害で流れた坂梨家代々の霊位が祀ってあったという北坂梨龍泉寺にあった仏像が泥の中から掘り出されて円通寺に安置してあるということだったのでその仏様も拝ませてもらった。
昔は、坂梨から北坂梨方面と行き来する場合は今のような我が家の前を走る県道はなくて、馬場集落から小さな山を登って尾根伝いに鬼塚に行く道しかなかったそうで、その外輪の下に独立したようにある小山がその高城址そのものなである。
馬場から登っていく道のちょうど下で滝室坂のトンネルが掘られるべく今、本掘削準備中だが、その昔からある鬼塚に通じる道は、確保されていて、登り口付近は綺麗に整備されているが、ちょっと登ると、その先は水害や幾度かの台風で竹木が倒れて道路が水で流されて波を打っており、簡単には縦走できそうもない。
だから、高城址に登るには我が家の前を通って、反対側の鬼塚に抜けてそこから車で急坂を登ることになる。先日小生一人で、事前調査で登って、途中までは車で行けそうでその後は歩きだなということが分かっていたので、今日もそのように皆さんを案内した。軽トラックの車高だと大丈夫だが普通乗用車だと腹を擦ったようであるが、軽トラックの後ろに乗用車二台に分乗した皆さんを頂上まで案内した。
頂上には城の遺構などは無いが、後世になって建てられた鬼塚地区の産土神である高城八幡があり、更にもっと昔の古墳時代の石棺の一部などを見ることが出来た。宿場通りについては皆さんご存知だが、さすがこの険しい山の頂上にあるお堂はほとんどの人がご存じなかったようだ。ついでにこの高城がその昔、平安時代末期に源為朝(鎮西八郎為朝)が阿蘇家の姫を娶り、このあたりで活躍した際の居城だと言われているといったこと、配流先の伊豆大島で死んだはずの為朝が琉球に渡ってその子が琉球王朝の初代の国王になったという琉球王朝の正史「中山世鑑」のことなどの資料も皆さんに配って説明をした。
この高城址の探訪が終わって坂梨公民館に戻って閉会の挨拶と同時に正午を知らせるチャイムが鳴った、ピッタリ二時間だった。二時間という時間はあまりに短くて、またこの先何度か坂梨について探訪を計画しようよということで、無事に散会した。小生の案内、不評ではなかったと思っている、自画自賛だが結構良かったのじゃないか?
今回のことで、改めて、合略仮名も使って原文に忠実に坂梨村是の文章化をしようと思っている。帰ってから、小生が案内役だったので写真を撮っているヒマがなかったなあ、ほとんど写真がないなあということに気がついた。
晩飯。ポトフ。
平成30年10月25日 (木)
晴れ。一日の温度差が大きくて朝は冷え込んだが日中は暖かく、ヒートテックの下着を着っぱなしだったが脱ぐのが面倒なので暑いのを我慢して過ごした。
最低気温 4.6℃ (07:11)、最高気温 23.3℃ (14:37)
登校風景 日が昇るのがだんだん遅くなって、子どもたちが通学する頃はちょうど真逆光になってきた。夕方も日が沈むのが早くなって、今日は5時半には山の向こうに沈んでいった。
( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
今日もアブラムシがたくさん飛んでいたが例年に比べると少ないような気がする、天気が良かったので、卵を産み付ける湿地が少なかったからだろうか、そもそも、産卵は乾燥した場所を避けるかどうかもわからないが。
昨日の日記のヘビの画像を開いて思わず鳥肌が立ったわよ、と久しぶりでスーパーで出会ったたづ子姐さんに叱られた、ハイ、さっそく「閲覧注意}を追加しておきました。
明日、阿蘇文化調査研究会の坂梨探訪がある、なんとか泥縄で資料を作り上げた。まあ、皆さん小生よりは詳しい人ばかりだろう、単なる道案内で済みそうな感じである。
晩飯。豚肉の味噌漬けなど。
平成30年10月24日 (水)
今日は・・・・・・晴れだったな、あまり覚えていないが、うん、晴れだった。少しずつ屋内の空気が冷えてきており、外はそれほどでもないのに、室内でジッとしていると少し寒く感じるようになってきた。
最低気温 10.5℃ (07:06)、最高気温 21.1℃ (14:56)
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
B4サイズの資料をスキャンしたいのだが、我が家のスキャナはA4までしかスキャンしない。となると、原稿を半分に折って二回に分けてスキャンして、後から二つの画像を貼り合わすしか無い。でも面倒だし、原稿に折り目がついてしまう。仕方がない、コンビニのコピー機には縮小機能があるだろうからそれでA4にダウンサイズでもしようか。と考えているうちに、最近のコピー機は進んでいるのでもしかしたら、メディアに直接落とすことも出来るのではないだろうかと思って、USBメモリを持っていって、説明を見ると、出来る、やはり、今の機械は出来るのだ。そうやってUSBに落として家で、紙に合わせてプリントすれば良いのだ。
今日も坂梨に関する資料作りで一日が終わった。あと一日だ、なんとか間に合いそうか。
中学校脇のやまなみ道路に抜ける道、狭くて離合が難しい、前々から拡張の要望が出ていたが、財政難でずっと手付かずだったが、ようやく拡幅工事が始まったようだ。小生は川部分を覆って暗渠にするのかと思っていたら、川筋自体を変えるようだ、こちらのほうが、工事費が安いのだろうか。
夕方近く、太郎が、お父さんヘビ!と叫ぶ、ボンの近くの草むらを我が家方向に動いている。小さなヘビである。それでも捕まえようとうすると鎌首をもたげて口を開けて飛びかかって来ようとする、ヤマカガシだろうか、捕まえて、家からちょっと離れた草むらに離してやったが(閲覧注意)
小さい蛇なのに腕に巻き付く力は結構強かった。太郎触るか?いやイイ。
太郎、水泳教室。
晩飯。麻婆豆腐、餃子、中華スープ。
平成30年10月23日 (火)
曇り。夕方近くに雨が降り、その後、上がる。昨夜も夢うつつに雨の音が聞こえていた記憶があるが、朝起きて観測装置の記録を見ると、昨夜日付が変わってからは降っていない、連続雨量もゼロだったので、昨夜のうちに降って、そのあと一定時間が経って降っていなかったのでリセットされて、両方共にゼロだったのだろう。
最低気温 13.2℃ (但し19:15現在)、最高気温 20.4℃ (12:36)
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10)
夏子は今日も風邪で休む。自転車がなかったのでてっきり登校したものと思っていたら、昼過ぎに、お父さん・・・と呼ぶ声が聞こえたので、なんだもう帰ってきたのかと言うと、今日は休んでずっと寝ていたという、家にいたのに全く気が付かなくてびっくりした。当然小生は家に一人だと思っていたので、なにか不都合なことを口走ったりしなかっただろうかとちょっと慌てた。
今日もずっと資料作りをして過ごした。
晩飯。鍋。・・・・・が合う季節になってきた、簡単だし・・・・
平成30年10月22日 (月)
一気に朝の気温が下がった。でも我が家から見た限りでは霜は見られなかった、少し霧が出ていた。室内にいる限り、まだ空気が冷えていないので、ストーブは全く必要ないが、それでもじっと座っていると多分じんわりと冷えてくるだろうと思って迷わずヒートテックの下着を着た、後期高齢者だ、とにかく無理をしない、やせ我慢をしない、である。今日の旗振り、まだ手袋と言うほどでなかったが手が冷たかった。(写真1・写真2・写真3・写真4)
最低気温 4.2℃ (06:31)、最高気温 20.8℃ (15:08)
夏子、とうとう、今日は体調不良で学校を休んだ、喉が腫れているようで、絶対に皆勤賞を取るんだと言っていたのに早くもリタイアだ。
本日の登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
昨日区役の草刈りが行われていた(小生は最近は参加をしていない)。近年は人口減少で草を刈る人員が確保できなくなって昔のように綺麗には刈られることが少ない。その中で、それでも子どもたちが通る道路は綺麗に刈ってあった、最近、見通しが悪くて気になっていたので有難かった。
今年もまたアブラムシの大群が飛び始めた、雪国ではこの虫を「雪虫」と言う、冬の前触れの風景である。目も口も開けていられないほどたくさんの虫が飛び交う、ほんの二三日のことだが、毎年冬前になると発生する。
そんなわけで、今年は早々と古閑医院でインフルエンザのワクチン接種を済ませてきた。去年はワクチンの在庫不足で大変だったが、今年は潤沢なようである。行政の補助があり本人負担は1,200円也。
今日は阿蘇文化調査研究会の例会で坂梨宿を探訪することになっていて小生がその当番を仰せつかったので終日泥縄で資料を作っているが、もうすぐだ、間に合うかなあ。
晩飯。カレイの煮付け。
ローカルニュース 阿蘇山ロープウェイ解体撤去の記事 ホテル角萬取り壊しの記事
平成30年10月21日 (日)
晴れ。
最低気温 5.8℃ (04:50)、最高気温 20.7℃ (14:02)
台風26号が発生したようだ、でも、これは大丈夫だろう。
午前中ちょっと買い物に出かけて帰り道、高岳を見ると盛大に煙が上がってる、帰ってからカメラで見ると炎も見える、もう野焼きをやっているのか、少し早いなあとは思ったが、あれだけ燃えるのならそれもありか、それでは我が家もとお付き合いで枯れ草を燃やした。
高岳の「野焼き」の煙が上がってからずいぶん経ってから、防災無線で泉牧野で火災発生、消防団は出場するようにという放送が入った。でも、ここから見ていて、あんなところ消防車も入らなければ消防団員も行けないだろうと思って様子をみていると、どこからも消防車のサイレンが聞こえてこない。それはそうだろう、数年前にも、どこだったろうか、谷筋で林野火災があったときに、皆死ぬ思いをしたと言っていた。相互に連絡が取れず、防災ヘリの消火水も頭の上に降ってきて、一日駆けずり回ったのに飲料水の補給もなかったと言っていた記憶がある(間違っていたらごめんね)。どうせ山頂に向かって燃えているだから放っておけば自然に消えるだろうと思っていた。消防ヘリだと思うが、別に散水バケツをぶら下げることもなく、数回、飛んできていたが、延焼の恐れがないか見ていただけだろう。そのうちに鎮火報が入ったので、多分思ったとおり自然鎮火したのだろう。
以上、昔なら消防無線で逐次情報が入ったのだが、今はデジタル化されて、情報が入ってこないので、ここから見ていての全くの想像である。( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
太郎は今日はテニスの練習日、早朝に母親と出かける。夏子は、熊本県(だろうか)の高校の研究発表のコンペが崇城大学で行われ、先日来、数年前の豪雨災害の被害の分析とその防災対策などをまとめた研究発表を高校の科学部でするのだと言って、これも朝早く出かけていった(太郎と一緒だったろうか、別行動だったろうか)。
そして、夕方、これは三人一緒に帰ってきた。本来なら夏子はもっと遅くまで居る予定だったのだが、体調不良で、発表が終わってから残ることなく早退してきたそうである。昨日あたりから喉が腫れていて、今朝も声があまり出ないと言っていたが、どうやら絶不調だったようだ。
小生は、先日来の枯れ草を燃やして、あとはPC作業で一日が暮れた。一旦ハマるとそこを解決するのが大変で、今日は終日そんなことばかりをやっていた。分からなくなるとインターネットで検索をすると、何かしらの解決方法が載っている、便利な世の中になったものである。WindowsPCを起こさずに、メインマシンがだんだんとLinuxに移りつつある。
今朝、散歩に行こうと犬小屋の中で寝ているボンに、オイ!と言って呼んだところ、トットコトットコと離れた小生のところまで歩いてくる、また鎖が切れていたようだ、鎖がなくても自分の小屋で寝ていたのだ。
またアルミスリーブで圧着して継ごうかと思ったが、これから厳冬期に入るので、弱くなったワイヤーはまた切れやすくなるだろうと、新しいワイヤーを買ってきてつないでやった。
平成30年10月20日 (土)
快晴。乾燥注意報がだされた、刈り取った草もカラカラに乾いている、明日燃やそうと思っている。
最低気温 6.6℃ (05:57)、最高気温 20.1℃ (13:47) (装置が停まっていてこの日の観測無し)
土曜日の「ルーチン」、南阿蘇に馬の世話に行く。どんどん秋が深まっている、一週間前に比べたら、阿蘇の山も一気に紅葉が進んでいる。遠くからわざわざこういう自然を求めて人がやってくるのだから、日常にある環境は贅沢といえば贅沢なんだろうな。
( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
明日も天気が続くようなので、今日も屋外作業はしないでPC作業をした。
ようやくubuntu16.04LTSのアップデート作業が終わった、どうやって終わったか再現不可能である、とにかく無事に終わった。hostsファイルの設定もできたから、このLinuxPC/OPTIPLEX755から宅内のサーバーにアクセスすることが出来るようになった。 $
sudo vi/etc/hosts でIPアドレスとホスト名を追加すればいいだけだ、これはWindowsのhostsファイル設定と同じだ。ただ、CentOS7で、この設定方法が分からない。・・・・・で、終わらせようと思ったが、これも解決できた。
CentOS7の場合のhostsファイルはWindowsやubuntuの場合と違って
127.0.0.1 localhost localhost.localdomain localhost4 localhost4.localdomain4
::1 localhost localhost.localdomain localhost6 localhost6.localdomain6
このように表記されている。
この場合でも、Windowsやubuntuの場合と同じように
127.0.0.1 localhost localhost.localdomain localhost4 localhost4.localdomain4
の次の行に IPアドレスとホスト名を書いてやれば良いようである。
尚、「::1」 はIPV6でローカルホストを表すときのアドレスで、IPV6になると、IPアドレスはIPV4の時が32bitに対して、128bitになって、ゼロをたくさん続けて書くのが大変だから、::で省略できるそうである。
(備忘録)
今回のubuntuのインストールにあたって、最初に、BIOSでインターネット接続環境をOnにしないままで、インストールをしたのだが、事前にインターネットに繋いでインストールをすると、「依存性」の解決を自動的にやりながらインストールをしてくれるのだが、それをしないままで古いファイルのままインストールをした。それでもインストール後追加指令でそれができるのであるが、その追加処理のなかにバグがあったようで、うまくインストールできない。ネットで調べてその解決策を知ったのだが、シェルが文字化けして、その処理ができない。それが昨日までの状態だった。
そして、今日は、BIOSの設定でネット環境をOnにしてから、改めてクリーンインストールをし直して、インストールをしながら自動的に依存関係を解決して、なんとかインストールが終わった、それでもまだ何かしらの不具合らしきものがあったのだが、いろいろとやってどうやら無事に、インストールができたようである。
二つのLinuxを比べてみて、デスクトップマシンとして使うにはCentOSよりもubuntuのほうが使いやすいようである。まあ、小生の頭の中はまだ、ほとんど白紙の状態だから、両方共ほとんど分からないなりに受け入れることが出来る。それに、どのディストリビューションを選ぼうかということがLinuxを始めるときに一番悩むところだが、それもあまり気にするほどのことでも無いなということが分かってきた。
平成30年10月19日 (金)
朝のうちちょっと降った気配が残っていたが、その後晴れる。なんだ今日の天気予報、こんな予報なら小生だって出来る。
最低気温 6.6℃ (05:57)、最高気温 20.1℃ (13:47) (装置が停まっていてこの日の観測無し)
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
朝、旗振りに出かけるのにちょっと寒かったので厚手のセーターを着て出て、帰ってからもずっとそのままでいたが全然苦にならなかった、ということは気温がセーター着用に適していたということか、それほど低はなかったと思うが、年をとると喉の渇きが分からなくなるのと同じで、気温の変化にも鈍くなるのだろうか。
夏子、ここのところ文化祭の準備で帰りが遅くなって、真っ暗なところを帰ってくる。街灯などない田んぼ道がしばらくあって、文字通り真っ暗で、明かりがなければ大げさでなく、全く何も見えない、道がどう続いているかさえも分からない。都会では想像ができない真っ暗闇である。小生も最近は無いが昔、飲み方等がある場合は懐中電灯は必携だった。懐中電灯が無いと全く歩けない。そんな中を夏子は帰ってくるのだが、自転車のライトはタイヤの前方の非常に狭い範囲しか照らさないので、道の真中を走っているのか、端っこを走っているのかわからないと言うので。ハンドルに取り付ける非常に明るいライトを買ってやった。今は安い値段で売っている。それだと、遠くから見るとまるで自動車のライトのように明るい。今度はあまり遠くまで見えすぎて逆に怖いと言う。だから、安全のためにこれから帰るという連絡が入ると、スマホで位置情報を確認して、田んぼの中ほどまで車で出かけていって、伴走して帰ってくる。そんな毎日がここ数日続いている。
今朝は夜のうちにちょっと降ったのか、路面が濡れていて、乾かしていた刈った草もまた濡れてしまった。そういうこともあって、今日は外での作業はしなかった。そういうこと「も」あってだから、それは主たる理由ではない。パソコンをやっていて、ハマってしまって、それが理由で外作業をしなかったのである。
DELLのOPTIPLEX755という古いパソコンがある、何処から来たのか忘れたが、WindowsXPが入っている。調べるとCeleron 430というシングルコアのCPUである。小生はこれにLinuxのubuntuを入れたいと思って調べたが、ubuntuの最新バーションは、シングルコアのCPUは無理だと何処かに書いてある。更に調べたら、このマザーボードのソケットにはdual coreのCPUが使えると言う。ペン4やceleronの最後のモデルはその後のdual coreと同じピン数なんだそうで、ピンアサインも同じなんだそうだ(755ピン)。で、今や1000円程度で売っているCPUの中古を交換すれば、ubuntuの最新バージョンの18が入りそうである。でもその前に、CPUを交換しなくても、ubuntuの16は使えるとあるので、現状のままで、入れてみることにした。この16は16.04LTSと言って、少し古いが、2021年4月までの長期サポートがされることになっているそうで、いわゆる枯れたバージョン何だそうである。
というようなことを一日中かけてやっていたのである。まだもう少し時間がかかりそうである。
( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
小生はCentOSを齧っているが、デスクトップマシンとしてはubuntuのほうが使いやすいような記事があったので、二本立てでいくことにした。今は小生、Linuxは怖くなくなったのだ、まだ良くわからない、怖いもの知らずだ。さあ、どんどんMicrosoftと決別をしつつあるのだ。
晩飯。秋刀魚の塩焼き。
平成30年10月18日 (木)
今日も穏やかに晴れる、このような静かな日々が続くと時には荒れる天気があることが想像できないほどだ。今年はどこの田も風による稲の倒伏がなく見事に黄金色に染まった稲穂が続いていた。今朝は放射冷却のせいなのだろう、空気の層があってそこから上には煙が上がることなく、静かに横に流ていた。
最低気温 6.6℃ (05:57)、最高気温 20.1℃ (13:47)
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
今日は二箇所で竹や草を燃やした(写真1・写真2)。本当はここを一番燃やしたかったのだが、乾燥が足りなくて燃えなかった。
太郎、午後5時から宇治歯科、虫歯治療の最終日で今日は歯磨き指導があった。歯を真っ赤に染めて磨き残しのチェクを受けてから実際に歯ブラシの当て方を教わっていた。
晩飯。カレー。
平成30年10月17日 (水)
穏やかに晴れる、好天が続き、田んぼの後始末の藁のロール巻きが今年はとても順調のようだ。
最低気温 10.3℃ (06:26)、最高気温 19.9℃ (15:18)
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
散歩に出ようと玄関のドアを開けた途端にボンが飛びかかってきた、また鎖が切れたのかと思って見たところ、首輪の留め金が壊れていた。ボンのやつは自由の身になっても外には出ていかないので安心である。早速新しい首輪を買ってきて取り替えてやった(別に嬉しくなんかないだろうが)。
今日も薪小屋もどき作成作業の下準備、整地の続き。以前からどうしても抜けなかったアンカー。これは宅内に電線やアンテナ線を引き込むためのポールを引っ張っていたステーが数年前の台風で倒れた際に、切れて、その後はそのステーを使わない方法に変更して、ずっと地面から出ていた。何度か引き抜こうとしたがビクともしない。いよいよとなったらガスで切るかなあと思いながら、今日は軽トラのクレーンで引っ張ってみたが、全く抜けない。最大限のパワーで引っ張っても抜けない。どうしてかなともう少し掘ってみたところ、途中でボルトで継いであるのがわかったからボルトを抜いて、ようやく地表に出ている部分は撤去できた。
続いて近くにあった、昔からそこにあったのだろう、加工した石もちょっと邪魔なので、移動させた、このくらいの石は軽々と上がるのだが、アンカーは一体地中にどのくらい大きなものが埋まっているのだろうか。因みにこの石は40×40×30cm 石の比重は2.5くらいだとすると、120Kgくらいか、そんなものだろう。
太郎、水泳教室。今日は認定日だったが、太郎のクラスは全員昇級できなかったそうだ、背泳ぎがネック担っているそうだ。
晩飯。カツオのたたき、出汁巻玉子、冷奴、ワンカップグラタン。豆腐となめこの味噌汁。
平成30年10月16日 (火)
朝のうち少し雲が多かったが、その後、概ね晴れる。屋外で作業をすると、暑くはないが汗ばむほどだった。
最低気温 10.3℃ (00:00)、最高気温 20.6℃ (13:00)
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8)
薪小屋を潰して秘密基地を作ったので、このあたりに単管パイプを使って簡単な囲いを作って雨が振り込まない程度の薪の保管場所を作ことにしてほぼ一日かけて庭先を整理した。草を刈ったところ、思っていた以上の埋蔵金(単管パイプ)が出てきた。それに、先日いくら探しても見つからなかった三つ鍬も出てきた。
晩飯。ジンギスカン。
平成30年10月15日 (月)
晴れ。少し曇りがちだったか。気圧が下がり気味だ。
最低気温 12.4℃ (06:53)、最高気温 21.8℃ (15:29)
登校班( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9)
午前中と午後にかけて、そろそろ活動の場所が薪つくりの方に動くので、草に埋もれてマヤ文明状態になっていた薪材の山を発掘して、ざっとだが作業環境作りをした。
村の節子さんから新里芋を頂戴したところに、ちょうどスーパーでイカも売っていたので、急遽サトイモとイカの煮物を作った。今日はもともと、ひき肉のナスのはさみ揚げを作るつもりだったので、二種類作った。たっぷり作ったので二三日分はあるな。
カミさんは今日から二三日の予定であそこは関東地方(になるのかな、いや甲信地方か)へ、同僚と二人で出張に行った、よくはわからないけど遊びのようなものだろう。
平成30年10月14日 (日)
晴れ。今朝も更に気温が下がったが、実感としてはそう感じなかった、だんだん体が慣れてきているのだろうか。
最低気温 6.3℃ (06:43)、最高気温 20.9℃ (14:12)
ボンのフィラリア予防薬投与、本当は6日が投与日だったが、その日はいろいろあって忘れて、今朝になって思い出して、与えた。夏の蚊のシーズンだけ月一度飲む薬なので、今回が5回目で今シーズン最終になる(5/5回)。
母子して今朝6時半には出かけていった。今日の母子の「子」は太郎の方である。今度はテニスを始めるのだそうだ、実際に始めるのか、単なる体験なのか知らないが、熊本まで出かけていった。サッカーもやりたい、野球もやりたい、テニスもやりたい、全部アニメの影響だろうか、いろいろなスポーツに興味をもっていて、とりあえずなのか、絶対になのかか、テニスになったようだ。
連中が出かけた後に娘に聞いた所、(これもアニメの影響なのだろう)硬式テニスをやりたいのだそうだが、阿蘇には硬式のテニススクールが無いので熊本まで通うことにしたらしい、体験入部は先週だか先々週に終わっていて、毎週土曜日の8時からスクールが始まるようで、今日はその初日、真っ直ぐ行って真っ直ぐ帰ってくれば午前中で済むので、時間は取れるのだろう、が連中、真っ直ぐ帰ってくるわけがない、どこでどうしていたのか、夕方になってようやく帰ってきやがった。いずれにしても小生は一切ノータッチで行く、毎週なんだろうゴクロウサン。
村の仁美さんのご親戚のお宅で木を切ったからという連絡をもらったので、坂梨にある旧家I原家に積み込みに行ってきた。午前と午後、二往復して梅の木などをもらってきた。久しぶりの肉体労働、くたびれた。
帰って薪材を降ろし終わったところにDIさんが御入来。前々から話してあった終活整理品を明日にでも取りに来て欲しいとのこと、ちょうど軽トラックが空になったところだったので、そのまますぐに伺って、頂戴してきた。単管パイプ3mを2本、脚立式のハシゴ(結構大きい)、それから430MHzの15エレ八木のスタック、2mの携帯3エレシングル八木など、百聞は一見に如かずだが、写真を撮り損なったので文字記録として残しておく。
平成30年10月13日 (土)
快晴。今朝も気温が低かった、全国的なようである。明日は更に下がるそうだ。(写真1・写真2・写真3)
最低気温 06.9℃ (06:31)、最高気温 20.5℃ (14:29)
朝、いつもの土曜日の行動。オープンセサミに馬の世話に行く。
子どもたち、太郎は、今日は予定がたくさんあるとかで、早朝にまず、山を下りて耳鼻咽喉科に副鼻腔炎の薬を貰いに行く。昼前に帰ってきて、昼飯を掻き込んで、虎舞の練習にでかけた、と思っていたら、帰ってから聞いてみると、内牧の老健施設に「慰問公演」に行ったらしい。そして、夕方には母親と整髪に、床屋ではなくて、美容室に行った。
夏子は高校の研究発表(だと思うが、このあたりはいい加減に聞いているので正確ではないかもしれないが)のための現場実験で、阿蘇市内の数箇所の数年前の土砂災害現場に行って、現地で実際に小さなモデルを作って水を流してみて、傾斜や土質から起きる土砂災害の調査をしに行った。
多分クラブ活動の部員が多ければ生徒たちだけで出来るのだろうが、部員数が少ないため、先生の力を借りて、というより先生が力仕事一切も受け持って、水の入ったポリタンクをいくつも持っていって、険しい山道を登って実験をしたようである(今日は特に、生徒は夏子一人だったようだ)。
最後には我が豆札の災害現場で実験をして、最初の予定では午前中に終わるつもりが、午後もかなりずれ込んで今日の日程は終わったようなので、先生に我が家に上がっていただいて一休みして頂いた。
M先生は夏子のクラス担任でもあり、物理専攻の先生だそうで、小生には物理と聞いただけで、これはもう畏れ多い存在である。記念に我が家でのスナップを一枚撮って日記に載せようと思ったが、怒られるといけないので、遠慮した。高校にも新学期に家庭訪問があるが、高校の場合は、学校で三者面談という形で保護者と面談をして、いわゆる家庭訪問の代わりにすることもあるようで、夏子の場合も母親が学校に出向いたので、先生に我が家を訪問いただくのは今日が初めてなので、まあ、家庭訪問のようなものになった。我が家でのスナップの代わりに豆札の現場での実験準備のシーンを遠方から。
平成30年10月12日 (金)
晴れ。今朝はグンと冷え込んだ。セーターを着込んで旗振りにでかけた。でもまだストーブを入れる気温ではない、明朝はもっと下がるらしい。
最低気温 8.1℃ (06:13)、最高気温 16.4℃ (13:42)
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
小生の天敵(向こうは歯牙にもかけないだろうが)の朝日新聞から封筒が届いた。ある新聞記事をネットで見て、もっと鮮明な記事の写しが欲しかったから、コピーサービスを申し込んだのだ。もちろん有料だがそれは当然としても、この時代、メール添付で画像を送れないのかと問うた所、郵送だけだだそうだ(支払いも郵便振替)、それに加えて今やコピー用紙はA版の時代なのに、旧官庁規格のB版の用紙ときた。(ついでにFAXが実社会でいまだに大手を振ってまかり通っているのはガラパコス日本くらいだとか、もはや世界的にはFAXは産業遺産なのだ)。いつも新聞は偉そうなことを言っているが、これじゃあ情報戦争にどんどん置いていかれるのは当たり前だ。
阿蘇文化調査研究会で行くかどうかまだ分からないが、買い出しのついでに、北坂梨にある塩井神社の様子を見に行ってきたが、数年前の土砂災害の影響だろうか、湧き水が「売り」なのに、かなり荒れ果てていた。更に、戻る途中に鬼塚の高城八幡にも行ってみたが、これも同じく土砂災害の影響だろうか、道が荒れ果てていて、上まで車で登るのが怖かったので途中で車を置いて歩いて登ったが、ここも、あまり手入れがされていなかった。一つには、人口減少があるのだろう。それでもここは探訪可能だ。ここから尾根伝いに馬場まで道があるのだが、この道も荒れ果てていて、歩いて行けるかどうか、一人ではちょっと怖くて駄目だな。
晩飯。キジ焼き丼。
太郎、今晩も虎舞の練習。近々開催予定の、昨日、文化祭と書いたが、子ども芸術祭に向けての練習である。
今Linuxの勉強に使っているHP ProLiant Microserver N54LというPC、もともとサーバー用のPCでビデオドライバーに力を入れていないようで、あまり高解像度の画面にならず、それが不満だったが、ネットで調べた所、AMDのビデオドライバーを入れると高解像度化出来るような感じ。失敗してにっちもさっちも行かなくなったらまた最初からOSを入れ直せばいいのだからと思って、挑戦してみた。
(再現出来るかどうか分からないので備忘録としてとりあえず書き留めておく)
AMDのサイトからMobility Radeon HD4200というドライバを見つけ出して、
https://www.amd.com/ja/support/graphics/amd-radeon-hd/ati-mobility-radeon-hd-4000-series/ati-mobility-radeon-hd-4200
amd-driver-installer-catalyst-13.1-legacy-linux-x86.x86_64.zipをダウンロードしてくる。
解凍するとamd-driver-installer-catalyst-13.1-legacy-linux-x86.x86_64.runというrunという拡張子のついたファイルが出てきて、Linuxの場合、これをクリックしただけではインストールできないようだ、調べた所、ターミナルを起動して、
cd /home/ユーザー名/ダウンロード(解凍)したディレクトリ
chmod +x amd-driver-installer-catalyst-13.1-legacy-linux-x86.x86_64.run
sudo ./amd-driver-installer-catalyst-13.1-legacy-linux-x86.x86_64.run
とやるとインストールが出来るらしい。
ということでビデオドライバーが無事に入ったようで高解像度の画面になった。ただ、ちょっと横長になるのが直らないなあ・・・
「chmod +x 」が今日覚えたコマンドだ。今まではこういった作業は見ただけで拒絶反応が出ていたが、だんだん、それがなくなりつつある、結構、結構。
平成30年10月11日 (木)
朝から弱い雨が降ったり止んだり、午後に入って回復傾向。気温が朝よりも午後に入って下がってきた。
なんでも明日の朝は6℃だそうだ。
最低気温 10.8℃ 18:46現在、なお降下中)、最高気温 15.7℃ (01:28)
登校風景 ( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5)
本日も特記事項なし
夜、太郎、虎舞の練習、一通りの行事は終わったはずだと思っていたら、市の文化祭があるのだそうだ。
晩飯。クリームシチュー。
平成30年10月10日 (水)
曇り。所によって雨になると言っていたが、ここは所によらなかった。気温差もあまりなく、暑からず寒からずの一日だった。我が家の前の山ももう紅葉が始まっている。( 写真1・写真2・写真3)
最低気温 16.9℃ (19:53)、最高気温 20.2℃ (12:52)
登校風景( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
小生は日記を書く下書き用にエディターを使っている、ワープロのいろいろな機能を取り去った文章だけを書くソフトである、もともとはプログラムのソースを書くためにものであるが、小生はワープロ代わりとして使っていたので普通に文章が書ければいいので特に拘らずにフリーソフトのマイナーなエディターを使っていたが、ここにきて、いろいろとプログラミングの勉強を始めたので、ちゃんとしたエディターを使うことにして、今日はそれをインストールした。Linuxで標準的なエディターはVimというエディターだが、それをWindows環境でGUI機能ついているgVimというエディターを使うことにしてインストールした。マウスは使わずに可能な限りキー操作だけで処理をしたいと思っているが、キー操作だけだと慣れないのでなかなか難しい、しばらくはGUI併用となる。
軽い喘息が出ているので太郎、今日のプール教室を休む。お姉ちゃんはもう卒業したようだが、太郎の小児喘息の卒業はまだ先のようだ。
晩飯。秋刀魚、がめ煮。子どもたちはサンマが好きだ、最近サンマはオーブンで焼いているが、レンジのグリルで焼くと狭くて大変だが、オーブンは煙もでず、均等に綺麗に焼けて便利である。
平成30年10月 9日 (火)
快晴。今朝は久しぶりに気温が下がった。
最低気温 11.2℃ (06:30)、最高気温 25.4℃ (15:30)
登校風景 ( 写真1・写真2・写真3・写真4)
今朝、気温が下がって、薄い掛け布団にくるまりながら、よし!今日は煙突掃除をやろうと決めた。煙突掃除自体は簡単なのだが、段取りが大変で大半の時間は段取りである。家が建った当初は屋根材(コロニアル)に凸凹があり、抵抗があったので素手で何とか登ることができたが、いつのころからか滑ってどうしても駄目になった、靴の底に滑り止めの工夫をしたり地下足袋を履いても絶対に登ることができなくなって、ロープを張って、それに掴まって登らなければならなくなった。煙突の中のススとストーブの天井に溜まった灰取り除いたので、基本的にはもういつでも焚ける、後は、扉のシール貼りがあるが、これはまあ強いてやらなくてもいい。そうか、薪小屋を作らにゃあならんなあ。( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
久しぶりに屋根に登るとやはり景色が違う。屋根上に自作展望台・・・・作ろうかなあ・・・
( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)旭日旗も揚げようかなあ・・・・
晩生の「姫ごのみ」ができたと連絡があったので、早速親戚二軒に送っておいた。
晩飯。筑前煮。娘が筑前煮が食べたいというので、お安い御用とばかりに、大量に作っておいた、数日分になるだろう。博多では筑前煮のことは「がめ煮」という、小生は「がめ煮」で育った。
平成30年10月 8日 (月) 体育の日
今日はどうして休日なんだと調べないと分からない。休むためにある祝祭日か、祝祭日だから休むのか・・・現役時代は前者だったが、立場替わって勤め人でなくなった今、日曜日につながるようにその時々で一部祝祭日を移動させるいまのやりかた、祝祭日を決めた本来の主旨から外れてしまっていると思うようになった。
快晴。今日も気温が高かった、例年の今ころの季節はどうだったろうか、あまり油断をしていると急に寒くなって冬支度ができてきていないことに慌てることになるのだろう。
最低気温 14.5℃ (05:13)、最高気温 25.6℃ (14:48)
今日は珍しく家族全員でかけることもなく家にいた。世間では三連休、行楽客で道路は渋滞したのだろうか、ここに居る限り全く分からない。
小生、今日も、日記を長々と書く必要もなく、ありがたい一日だった。
今月予定の阿蘇文化調査研究会の例会当番で、今、坂梨宿のことをちょっと切り口を変えて調べている、面白が時間が足りない・・・・泥縄になるな。
新平家物語がこれまた私本太平記に負けず劣らず面白い、こういった大長編小説は電子ブックで読むに限る。歴史は教科書的に覚えるのではなくて、ストーリーで読むと、歴史のポイント、ポイントがその時代の人たちと時系列的に実によく頭に入ってくる。
平成30年10月 7日 (日)
晴れ。今日も気温が高め、窓を開け放つ。
最低気温 18.3℃ (04:21)、最高気温 24.1℃ (14:40)
我が家の三人組は朝早く何事かの用件で熊本市内にでかけて午後早いうち帰ってきた。
小生は、留守番をして自儘に過ごす。
今日は日記ネタは特に無い、こんな日は楽でいい。
平成30年10月 6日 (土)
最高気温 26.3℃ (10:02)、最低気温 20.9℃(但し、17:48現在)台風の影響で南から温かい空気が入って気温が高い。
瞬間最高風速 15.2 m/s (08:55)
最低気圧 1002.1 hPa (04:44)
夜中にトイレに起きて、観測装置が壊れているのかと思った、出るべく数字が出ていない、風もなければ雨も降っていない、気圧もほとんど下がっていない、でも装置はちゃんと動いているようだ。4時半ころになって台風情報を見ると台風は済州島にある、もう通過したのだろう、ここには全く影響のない台風だったなあと思った。
台風25号は小生の予想に反して珍しくもこちらに曲がらずに真っ直ぐ行った、「お赤飯もの」だ、よかった、よかった。夜が明けて穏やかに終わったなあと思っていたら、台風が去って朝鮮半島に達してからの吹き返しの風が急に強くなって、更に台風が朝鮮半島を横断して日本海側に抜けて強風域を外れたにもかかわらず日が落ちても強い風がずっと吹いていた。なんともヘンな台風だった。同じ台風と言っても実際に来てみないと本当にわからないものだ。
それにしても、ラジオを聞いていて、いつも思うのだが、これは気象庁の意を受けてなのだろが、 NHKは「非常に強い」、「非常に激しい」、「非常に大きな」とか、とにかく「非常に」を乱発しすぎる、もしNHKが放送した用語の検索が出来るなら、恐らく「非常に」がダントツだろう。
土曜日の行事、朝、木村豆腐店でオカラをもらってオープンセサミに馬の世話に行く。被害も全く無く、もう台風も去って五岳も姿を見せていた。阿蘇の山はもう秋の装いが始まっている。
前の台風24号は先週小生が馬の世話に行った翌日にやってきたので、その時の被害の状況は知らなかっが、ここはなんとも無かったのに結構被害があったようで、囲いの中に植わっているクヌギが強風で二三本倒れていた、まだ処理されずに倒れたままで残っていた、チェンソーを持っていって薪に持ってこようか。
帰る途中の道路脇に「谷人たちの美術館」の幟が・・・もう殆ど高森との境だ。行く時に気がついていたが、こんなところにも展示ブースがあったのかと、普段は通り過ぎる脇道を入ると別荘地帯で、すぐのところのお宅の前でご主人が落ち葉を掃いておいでだったので、何の展示ですかと伺うと、私の写真と家内の絵の展示です、とのこと。絵ですか、小生も絵は好きなので拝見したいなと、時間前だったが入れていただいた。部屋いっぱいに素晴らしいご主人の写真と奥様の絵が沢山展示してあった。記念に写真を撮らせていただいた。(写真1・写真2)
平成30年10月 5日 (金)
雨模様の一日。ただ、台風をとりまく雨雲が今回、今の所非常に少なくて、九州は朝も夕方も夜に入ってもほとんど一日じゅう、こんな按配だった。
最低気温 18.3℃ (00:13)、最高気温 24.4℃ (13:01)
登校風景 ( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
台風25号予想、今回はどうやら九州の方に急旋回をしないで済みそうだ。
気象庁に対していつもボロクソに言っているが、現在の気圧や風向きなどのいろいろな気象データをもとに台風の大きさ、進路を割り出す技術、スゴイと言えばスゴイ。でもここまでやるのなら、もう少しサービス精神が欲しいものである、一つにはJTWCの予想コースが滑らかなのに、我が気象庁の予想図は木で鼻を括ったように実に不親切である、そこまでの技術があるのならどうしてももう少し気配りをしてくれないのだろうか、どうせコンピュータでやっているのだから、やる気だけの問題だろう。ついでにもうひとつ、時間を追って最新の予想コースを立ててくれるのはいいが、現在時点の暴風圏が、予想コース通りに進んだ場合その場その場でどこまで及ぶのか、図だけ見ていたのでは、画像の錯覚の問題があるので、よくわからないのだ、ついでに、赤い暴風圏がどう動いていくのかまで表示してほしいものである、どうせコンピューター処理なんだから、簡単だろうに。
やむなく、自分で切り貼りしてやってみた、やる前は、暴風圏までかなり近いという感じであったが、実際にやってみると結構離れていることが分かった、このくらい昔死ぬほど怖い台風に遭ったところとしてはナーバスになっているのだ。
切り貼りしていて、そんなに言うのなら自分で画像処理をしてみればいいじゃないかと天の声が聞こえたように気がしたので、画像処理は非常に苦手なのだが、慣れないことをやってみた、こんなふうにやればいいのだろが、お粗末極まりない。昼前に見たときより暴風圏が少し広がったのかな、結構近いなあ、旗を降ろした程度で、他は全くなにも片付けていないぞ、通過は夜だなあ・・・・・。
今日も特に何もしなかったがあっという間に一日が終わってしまった。
晩飯。つばめグリル風ハンバーグ。
平成30年10月 4日 (木)
昨日の予報では今日は朝から一日、しかも強い雨が降るということだったが、予報は外れて殆ど雨は降らなかった、夜に入ってかなり降り始めている、もう台風の雨雲だ。
最低気温 13.9℃ (00:51)、最高気温 18.8℃ (13:57)
台風25号、当初非常に強いと言っていたが、24号よりは少しだけだが弱いようだ、本当かどうだかわからないが、24号が海水をかき回して海水の表面温度が下がったからと気象予報士は言っていた。今回の台風は九州の西の方を通るし、暴風域が大きいので、果たしてどのくらいの風あたりになるか、とにかく少しでも右に曲がらないようにと日本国民は祈っている。
本日の登校風景 ( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6)
米が底をついて、慌てて一袋手配して、朝一番でコイン精米機でゴリゴリしてきた。今の品種は晩生の姫ごのみなので、新米はもう少し先になる。
今日もノンびりさせてもらった。
阿蘇文化研究会の坂梨探訪を小生がやることになって、どこを案内しようかと思案中、北坂梨方面を知りたいと言う希望があったが、歴史的な遺産はあまり無いように思える。しかし、我が家の前の山は昔、高城があったところと言われていていろいろ歴史的に面白い材料がありそうなので、行くかどうかわからないがとりあえず、下見だけはしておこうと、馬場から登ったが、道が非常に荒れていて、軽トラックでも不安になったので、途中で引き返してきた、鬼塚側から登れるだろうか、高城八幡まで行けるかどうか改めて登ってみよう。馬場のその道の途中から下の覗くと、工事用道路が終わって滝室坂の西側のトンネルの本工事着工がまもなくのようで、今日、紅白の幔幕が張られて安全祈願祭が行われていた。
さてさて、これをどうやってやっつけるか・・・・ シュールストレミング(世界一危険で臭い食べ物・・ニシンの塩漬けの缶詰)
晩飯。炊き込みご飯、カマスの塩焼き、揚げ出し豆腐、味噌汁。秋刀魚だとかカマスなどの長い魚、他所の家ではどんな皿に載せるのだろうか長すぎて大変だ。
平成30年10月 3日 (水)
今朝は風がなく気温が少し下がって霧が出た、多分、雲海になっていただろう。子どもたちの通学時間帯もまだ霧が残っていて、濃くなったり薄くなったりで子どもたちの姿を隠していた。日が上がるとまもなく霧も消えて青空が広がった。
(写真1・写真2)
最低気温 9.1℃ (06:20)、最高気温 24.0℃ (14:35)
登校風景 ( 写真1・写真2・写真3・写真4)
台風25号の予想進路。大体のところは朝鮮海峡あたりを通過するようになっているが・・・・・
台風24号の被害で静岡県で大規模停電が続いている、日本ほど台風被害の多い国は他にないだろう、地震・台風など世界に”冠たる”自然災害列島の日本では何よりも先に無電柱化をすべき所、随分前から言われていながら全く進められていない、電力会社にやる気が無いからだという。電力料金は損をしない仕組みになっていて、無電柱化なんかやらなくても競争がないから困らない、確か停電で発生する損害にも責任を負わなくていいことになっていると聞いたことがある、国民はもっと怒るべきだ。オイ!F電力会社。野党やマスコミも騒ぐならこういうことで騒げ。
世界の都市の無電柱化率
ロンドン 100% パリ 100%
ハンブルク 100% 香港 95%
台北 95% シンガポール 93%
ニューヨーク 83%
-------------------------------------------
ソウル 46% ジャカルタ 35%
東京23区 8% 大阪 6%
午前中、DIさんがひょっこり御入来。話題のなかで、今南阿蘇で「谷人たちの美術館」をやっていて、昨日行ってきたが知っているかとのこと。
この「谷人たちの美術館」というのは、南阿蘇全体を一つの美術館に見立てて、南阿蘇に入植した人がご自分の趣味で制作したもの、物作りを仕事にしている人などがそれぞれの自宅を展示ブースにして行う催しである。ある意味過去の歴史に縛られる阿蘇谷と違って、南阿蘇はいろいろな人が外から入ってきて自由に活動できる雰囲気のあるところで、芸術家や物作りをする人が結構多いところである。小生も過去なんどか行ったことがあるが、最近はご無沙汰していた。ひとつには手芸関係の展示が多くて小生の興味を引くブースが少ないからである。
そのなかの一つに、鉄道模型などを、これはご趣味で作って展示をしてある「下野蜩寓」という展示ブースがある。
ブログ 阿蘇ひぐらし通信
DIさんもこの「下野ひぐらし寓」に興味があっていつもおいでになるそうで、今年は、ロボットが声をだしたり、ススメ、やトマレの音声を聞いて電車が動いたり止まったりする仕掛けがあるぞ、(DIさんは真空管の大家だが、AI関係はあまりご興味がない)、小生が多分興味があるだろうからそれを教えるために来たとのこと。小生、ははーん、あれだな、ラズパイだな、開催期間中のいつか行ってみようと思ったがしばらく天気が悪そうなので、急に思い立って、昼前にひとっ走りして行ってきた、我が家から30分ほどの距離である。想像したとおり、Raspberry
Piを数台使っていろいろな事をおやりで、大いに刺激を受けて帰ってきた。(写真はその一部で、他にもいろいろが展示があった)。訪ねる前は他にも二三回ってみようかと思っていたが、結局ここ一軒だけで帰ってきた。
太郎、虫歯治療の続きのため、学童を少し早く切り上げて、4時から宇治歯科につれていく。そのあと、水泳教室である。
晩飯。じっくり作っている時間がないので、ハヤシライスを手っ取り早く作った。
平成30年10月 2日 (火)
晴れ。いよいよ朝の気温が10℃を切った・・・・・・煙突掃除やストーブのメンテ、それに、薪小屋を潰して秘密基地作ってしまったので、雨除けの薪小屋(のようなもの)も作らんといかんなあ。と言いながらもまだ尻に火がつく状況では無いので今日もノンビリ。
最低気温 9.2℃ (06:36)、最高気温 20.2℃ (13:21)
登校風景。 ( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
台風25号、昨日の段階で済州島方向に進む予想がでていたが、このコース、ちょっと前にも同じような台風があって大いに期待させておきながら、モトイ、安心させておきながら、、直前で右旋回してこちらにやってきたことがあった、このコースは必ず右旋回する、間違いない、今から安心しないほうがいい、と思っていたら、ホラホラ、言ったとおりだ、もっと右に曲がるぞ。気象庁も、どこに線を引こうかと迷った時には、日本にとって最悪のコースを引いておいて、万一それで外れたら、同じ文句を言われるのなら、いい方に外れるほうがいいだろう。(気象庁 ・ JTWC)
台風一過、台風24号通過後の首都圏の交通機関大混乱、起こるべくして起きた混乱、わざわざ住む必要がない人間まで東京に集まっている結果だ、この上に更に東京でオリンピック?馬鹿じゃん、である。復興期の日本ならいざ知らず、また地方創生が叫ばれている今、どうして東京なんだ。ボランティアが11万人要る?学徒動員勤労動員をかけるようだが、誰が東京オリンピックの開催を喜んでいるだ、スポーツ界は間違いないだろう、それからゼネコンもだろう、ほかにはどんなところが喜んでいるのだろうね。地震や台風などの自然災害がいくつも警報を出してくれているのに、さあ、どうする東京。
今日は台所にいた時間が、いや、厨房にいた時間が長った。昨日の残ったクリを茹でたり、なごみ野のオヤジがカライモを持ってきてくれたのでスイートポテトを作ったり。スイートポテト自体は別に難しくないが、何が大変と言って、裏ごしがとにかく大変である。ネットでもっと楽な方法は無いかと思って調べたけど、だれも裏ごしには苦労しているようだ。一時間以上裏ごし作業をやっていた。
ノートPCでインターネットをするには、少し前まではLANケーブルを挿して使っていたが、最近のほとんどのノートPCには最初から無線LANが内蔵されている。そこで勘違いしていた。外出先でも公衆無線LANでネットに繋いでいたので、どこででもつながると思い込んでいたが、考えてみたら、無線LAN環境のないところでは使えないのだ。寺さんが仕事の出先で客先に資料を提示するためにタブレットが欲しいと言っていたので、ノートPCがあるんだから客先で無線LANを借りたらいいじゃないかと言った所、客先にはそういった環境のないところもある、そんな時に、タブレットだと携帯電話網につなげるけど、ノートの場合、無線LANが使えても、携帯電話網にはつながらないということを聞いて、そうか、と初めて気がついたわけである、いままでそういった必要性が無かったので気が付かなかった。そうなんだ、普通、無線LANは内蔵していても携帯電話網のSIMは入っていない。調べてみると最近SIMモジュールを内蔵したノートも売っているようだが、まだそれほど一般的でもなさそうだ。それに今あるノートでは使えない。
調べてみるとUSB接続のSIMモジュールが売っている、他にもあるのかもしれないが、この外付けのモジュールは結構大きくて場所を取る、それに安くない。そうなると、次はモバイルルーターになるかと思って、調べたらこれも結構の値段だ。
ところが、一機種だけ非常に安価なモバイルルーターがあったので、(生産終了品かもしれないので)とりあえず買っておいた、これに格安SIMを入れたらいいのだから。まあ、小生の生活環境で必要になるかどうかわからないが、「とりあえず買っておいた」という価格(3,800円也・・・・今日見たら3,500円になっていた、オイ!)だ、停電しても携帯電話網が生きているときには出番はありそうだそ、と言っても果たしてそんな場面があるかどうかわからないが。
スマホにはデザリング機能があってモバイルルーターを使わなくても、ノートPCでネット環境につなげることはできるが、どうもこのデザリングはスマホ単体でネットに繋ぐよりデータの消費量が多くなるのでないかと使っていて感じる、データの消費量は両者同じだが、そうやって使うとどうしても使うデータ量がスマホの時より多くなりがちだからデザリング経由だと多くなると勘違いしているのだろうか、そのあたりがどうもよくわからない、ただ、言えるのはスマホのバッテリーの消費量は単体で使うよりはかなり多くなることは間違いが無いようである。
晩飯。豚肉の味噌漬け、油揚げと小松菜の煮びたし、春雨サラダ、など
平成30年10月 1日 (月)
晴れ。
今朝は風があったからだろうか寒かった、子どもたちももう殆ど冬の装い。小生も長袖のシャツを着ていたが寒かったのでトラックに積んであったレインウェアを羽織って旗振りをした。東京では30度越えの真夏日だったとか、信じられん。
最低気温 13.5℃ (06:16)、最高気温 19.7℃ (14:28)
登校風景 ( 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7)
木のてっぺんでなく電線に止って百舌鳥が啼いていた。もう三月(みつき)もすれば「お正月」だ。
今朝起きて昨夜の台風のことが気になってネットを見てみたが、あの強い台風にしてはそれほどの被害でも無かったようだ。昨夜は、伊勢湾台風をしのぐ高潮がどうのこうのと言っていたが、伊勢湾台風では確か5000人以上の犠牲者があったはずだが、それに比べたら今回の台風被害、言っては悪いが無いに等しいくらいの被害だったようだ。昔に比べて家の造りもしっかりしているし、河川の治水工事も行われているからだろうか、まあ、大きな被害が出なくてよかったと言うべきだろう。
ここも全くと言っていいほど被害は無かったが、通学路で街路灯が一本倒れていた、背景の稲はなんともないので、これ台風の風だったのだろうか、台風の風は非常に不規則な吹き方をするので、もしかしたそうだったのかもしれない。
さて次は台風25号の進路が気になる、いろいろなコースが考えられるようだ、まだ全くわからないのだろう。
今日は家でのんびりコンピューターの勉強をして過ごした。それに、「ハトと少年」なんとか全部吹けるようになった、なんとか、だが。これは上の「ラ」が吹けないと吹けない。のだ。
子どもたちのリクエストで栗ご飯を炊いた。クリを約500グラム(剥いて300グラム)、剥くのに一時間以上かかったぞ。
栗ご飯、秋刀魚の塩焼き、出汁巻玉子、ダイコンのなます、味噌汁。
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