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平成30戊戌(2018)年 9月の記録 (新しい日付けの順)

平成30年 9月30日 (日)

   最低気温 16.8℃ (05:22)、最高気温 19.1℃ (14:44)
   最低気圧   980.6 hPa (12:59)
   最大瞬間風速 12.1 m/s (15:24)
   本日の雨量 89.7 mm(午後6時現在)

 台風24号、午後にはギリギリ暴風圏にかかることもなく、九州沖を東に去っていった。正直なもので気圧が上がっていくのがちゃんと観測に表れている。毎度のことだが、このあたりは外輪が盾になってくれて東側を通る台風の時はあまり風が強くならない。今回の台風は非常に強い台風だから過去の経験が通用するかなと思っていたが、やはり風は殆ど吹かなかった。最大風速は12m程度だった。普段はもっと強い風が吹くこともあるので、大したことは無かったのだが、それでも、東風はいつも吹く方向と逆で、そのためか普段は見られない木々や葉の狼藉が道路上に見られた。田も早生の稲は殆ど刈り終わっており、これからの稲も、全く台風による倒伏は見られなかった。

 今回の台風24号、本当は今夜が日本列島の本番で、各地ではこれから緊張の夜を迎えることになるのだが、小生のなかではもう台風は終わった、各地の被害が最小限で済むことを願っている。大丈夫だとは分かっていながらそれでも一日台風の様子をモニターしていたので、知らず知らずに筋肉がこわばっていたようだ、夕方ボンの散歩の後、風呂に行って小生にしてはゆっくり長湯してこわばった筋肉をほぐしてきた。
 
 さあ、一難去ってまた一難、つぎなるはこのあとすぐに続く台風25号だ、どうなるのかまだあまり予想は出ていなさそうだ。 


平成30年 9月29日 (土)

 強くはなかったが台風の影響だろう、終日雨だった。
     最低気温 17.1℃ (03:40)、最高気温 18.8℃ (14:16)

 台風24号、日本列島全域で緊張するようなとてつもなく大きな台風のようだ、とにかく被害が最小で済むように祈るしか無いのだろう。そしてまたこれでもかという風にすぐその後に台風25号が発生している、これがどのくらいの勢力になるのだろうか。

 当地は一応は直撃のコースから外れていて、しかも外輪の東側を通るので経験的にはそんなでもなのではと、特に家回りの片付けは今日のところはしていないが、今までにないような強い台風なので果たして過去の経験が役に立つかどうか、500mmくらい雨が降るとも言っているし、直撃ではないと言ってもほとんど直撃のような気もするし、明日の朝になって、状況を見て対策を講じることにして、今日は、掲揚しっぱなしの国旗を降ろして、万一に備えて予備のガソリンだけ買っておいた。台風接近が明るい時間帯というのが唯一の救いだろうか。
 
 毎土曜日のルーチンワーク、午前中、南阿蘇に馬の世話に行ってきた。今日は雨の中の世話だった。 

 我が家の三人組は光の森に映画を観に行った。「プーと大人になった僕」だそうだ。向こうの映画はたとえ子ども向きの映画でも日本映画と違ってしっかり作ってあって大人の鑑賞にも十分に耐えられるが、この映画は小生の趣味ではない、クマのプーさんは子どもたちにとっては小さい頃から馴染みがあるが小生のこどものころには無かったし、それに基本的に小生はぬいぐるみなんて好きじゃないからだ。太郎にとっても、どちらかと言えば今のプーさんの時代の年齢だから、大人になったプーさんはよく分からなかったのではないだろうか、と思って帰ってから訊こうと思っていたが、連中、鉄砲玉のように出たらなかなか帰ってこない、日記を書いている午後7時半過ぎ、まだ帰ってこない、ショッピングセンターなんかでよくそんなに時間を潰せるものだと、小生には全く想像ができない。


平成30年 9月28日 (金)

 晴れ。夕方になって曇ってきた。
   最低気温 13.2℃ (00:05)、最高気温 22.4℃ (11:24)

 さすがに今回の台風24号、いよいよだ、緊張する、怖いと思う。気象庁 ・ JTWC  これはなんだ、またその後から来るのか

 登校風景 今日は馬場八幡の祭礼に参加する子は体操着で通学していった。
      ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 今日は馬場八幡宮の秋季例大祭の日だ、神幸行列がある日だ。でもよくよく考えるとこの祭、一体誰のための祭礼なのだろう、決して地域の人たちのための祭礼とは言えないだろう、だって、今日は平日で小学校も中学校も高校も普通に授業をしている、勤め人だって仕事がある日だ。そういった若い人たちは祭に参加できないのだから。
 
 小学校は今日は平常授業だが伝統行事だからと坂梨地区の祭に参加する子たちは、学校が正式に参加を認めているわけではないので、集団早退というかたちをとっての参加をとる、我が家でも平日なんだから太郎に普通通り学校に行けと言ったのだが、子供会として参加することになっていて、そうはいかないと、母子して参加すると言うのでそうか、それじゃあ、勝手にしなさいと小生は一切ノータッチでいくことにした、どう考えてもこんな形は不自然、不健全だろう。 
 
 近年、町から人が去り、特に若い人がいなくなっていて、祭の担い手が減ってきて参加者も減ってきているので、祭礼の日を休日に変更しようという話が何年も何年もでてはいつの間にかウヤムヤになっている。反対しているのは多分一部の長老達だろう、「伝統」「しきたり」にこだわって祭礼の日を頑として28日から動かそうとしないのだろう。
 
 「伝統」「しきたり」も大事だが、そう言って変更に反対をする人たちは人口が減って若い人たちがいなくなる町の現状をそして将来をどう考えているのだろうか、そこまで責任を持っての反対なのか、気がついたときには誰もしなくなっていた、にならないことを祈るばかりである。

 数から言えばそう言って反対する人は決して多くなくて、もし多数決で決めるなら間違いなく、変更しようという票が多いはずだがこれが不思議とそうはならないのだ。
 
 ついでに言えば、小学校までは子ども会という組織があって、子どもたちを把握できるが、中学校、高校、そして社会に出た若い人たちになると全くそういった仕組みがない、保育園小学校のグループ、と年寄りたちのグループ、肝心のその間若い人たちをまとめる仕組みが無いのだ、このあたりを、地域の長老たちは一体どう考えているのだろうか。こういった時を利用して、住民が一体となって祭礼を行ってまとまるのにいい機会ではないのだろうか。

 そのためには、祭礼は休日開催に変更するしか存続の手立ては無いだろう、全国の大きな祭礼でも休日開催に日程変更をしているところはいくつもある、それで神様が祟るのようであるのなら、そんな神様をお祀るするのは願い下げだ、考えてみたらわかるだろう、地元の守り神が、地域の人が困って日程を変更するのに怒って祟るわけ無いだろう。伝統行事だと言うのなら、無理をして学校を休んで仕事を休んで参加するより、休日に全員で参加するほうが神様だって喜ぶだろう。
 
 かって祭礼日を変更した年に非常に強い台風で大きな被害が出たことがあった、神の祟りだと言って、祭礼日をもとに戻したことがあったが、それを神様のせいにしてはいけない、神は祈るものであって、祟ったり、何かをしてくれる存在ではない、もしそうなら小生なんかもう何度も億万長者になっている。神様の責任にするのは失礼というものだ。

 そんなことを考えているうちに、その程度の祭りに何も参加する必要もないな、と急に祭に対する情熱や思い入れが無くなって、今年から小生は一切の参加も写真撮影もやめた、確実に言えることはこのようにして間違いなく参加者が一人減ったということである。地域の人達との交流は前夜祭でやったのでもういい、この前夜祭だって、もともと祭礼日が平日のことが多くて、若者たち地域の人達が一同に会することができないからと言って地元の若い有志たちが考えた催しだろう、どうせのことなら、祭礼と前夜祭を一体となって運営したほうがなんぼかいいだろう、もし神の霊験があるとすれば、そういうことだ。

 ということで今日は小生は二重峠を越えて映画を観に行ってきた。

 葉室麟原作の映画「散り椿」を観た、たまたま今日が公開初日だった。初日でも平日だからだろうか、ガラガラだった。
 原作は読んでいないので映画としての「散り椿」である。なかなかいい映画だった。画面は全体的に落ち着いた「日本の色」でまとめられていて、観ていて、これはやはりハリウッドでは無理で日本でなければ出せない色だろうと思った。でも、竹林や木々や雪や古い日本家屋などが織りなす色は今の小生の周囲に普通にある色だなあとも思った。派手さはなく静かな映画だが最後にはちゃんと見せ場が作ってあって、面白かった。
 
 最近の藤沢周平などの映画にしてもそうだが、役者のメーキャップが素顔に近く、髷が自毛やそれに近い結い方で自然なのがいい、昔の東映映画のようなでなくて、実際にあの時代はきっとそうだったのだろうという自然感があってよかった。確かに小生が子供の頃尋ねた今の地の祖母がいた頃の家はまさに昔の建物で軒が低い書院作り数寄屋造りで天井が網代天井で台所に竃があって、便所も時代を感じさせる構造だった、刀も床の間に幾振りか残されていたのを覚えているので、映画シーンにも全く違和感が無かった。いまからたかだか100年ちょっと前のことなのだ。
 
 それに、小生にとっては、中心的な役者達は顔はなんとなく知っていても名前も知らないし、日常的にテレビなどの媒体にどういう形で登場しているのかも知らないので配役として素直に受け入れられて、ああタレントの誰だ、アイドルの誰だという違和感がなく観られたのが何よりであった。(主役の俳優もアイドルグループの一員らしいが幸いにして知らない、確か「永遠のゼロ」に出ていた、観ていないが、「海賊と呼ばれた男」にもでていたようだ)。



平成30年 9月27日 (木)

 晴れ。
 今朝もまた一段と朝の気温が下がった、でも寒くはなかった、なんとなれば、もう半袖姿では無いからである。長袖のシャツを着ていればまだこの気温ではどうということはない、多分10℃を切るあたりから寒さを感じるのではないだろうか。
     最低気温 14.2℃ (06:46)、最高気温 22.1℃ (13:36)

 台風24号、気持ち、コースが右の方に曲がってきているが、これはまた次の段階では反対方向に振れるということでもある、まだ分からない。振れるならもっと大きく右に振れてほしいところだが、これは神頼みが。気象庁 ・ JTWC

 登校風景 ( 写真1写真2写真3写真4写真5

 阿蘇文化調査研究会の9月例会が、今月はフィールドワークで波野の遊雀(ゆうじゃく)地区探訪だった。波野という地は滝室坂を大分方面に上った外輪上にある。今は合併して阿蘇市になったが、以前は波野村であった。波野というところは誰でも言うが、何度走っても、わからないところだという。道が曲がりくねっていて、目印がなくて、集落が非常に広範囲に分散しているからである。遊雀という地区は小生も名前は知っていたし、多分、走り抜けたことはあるはずだが、しみじみと止まって眺めたのは初めてである。いろいろ歴史的に面白いところで、村の長老で郷土史家の岩下平助さんのお宅で、いろいろと興味深い話を伺って、予定の時間があっという間に過ぎて話し足らず、聞きたらずで、また是非、パート2を、と皆でお願いして帰ってきた。

 阿蘇文化調査研究会 波野遊雀地区探訪 連続写真

 そして家に帰ってから、ちょっとした遣り取りを思い出して、岩下平助さんは多分小生が存じ上げている方の父上では無いかと内心思い至ったのだが、それはまたこの先、はっきりすることだろうと思っている。

 明日は馬場八幡の秋季例大祭があり、夕方から、子供神輿などの飾り付けがあって太郎と母親は夕方から日没まででで神社で飾り付けをして帰ってきた。

 晩飯。マツタケご飯。と言っても、材料がパックされているやつで、それを炊き込むだけだが、それでもちゃんと、マツタケがそれなりに入っていた。本物のマツタケを食べたのは何年前だろうか。


平成30年 9月26日 (水)

 曇り、いつの頃からか雨になっていた。今日は定期試験だとかで昼過ぎに帰ってきた娘が、勉強机に座っているときに、天窓を見上げて、雨が降ってきた・・・とつぶやいていたのでその頃だったのかもしれない。その後もずっと弱い雨が降っていたようないなかったような。そんな按配の天気だった。
     最低気温 16.2℃ (04:15)、最高気温 19.8℃ (12:49)


 台風24号、気象庁もJTWCも同じような予想だが、どうして気象庁の「絵」はギクシャクしているのだろう、大コマ落とし、日本のアニメそのものだ、同じコースなら、スムースな線を描くJTWCのほうが、見ていて信頼が持てるというものだ、もう少し考えたらどうなんだ。

 台風の予想進路を見るときは、正直自分のことしか考えていない、他に行け!と思っているというのではない(もちろんそれもあるが)、自分を目指している場合、自分のところを通ってその先の延長線上にある各地でも、ああ、自分のところに向かっているとな同じように考えているのだろうな、とコースを見ながら今更ながら思うのである。

 登校風景 ( 写真1写真2写真3写真4写真5

 親戚筋から頼まれていた米を送る作業をした。もう高齢で精米所まで行けないので、精米してから送ってほしいというリクエストがあったので、ご近所から新米をわけてもらってコイン精米所で三袋精米して郵便局まで持っていった。ゆうパックは周りをダンボールなどで梱包しなくても、袋のままで受け付けてくれて、30キロまで引き受けてくれるので、米の場合はゆうパックを使うが、このゆうパックいつの間にかかなり値上がりしていた。窓口でその事を言うと、最近は重量物を担いで上がって留守で届け直すなど、大変なので・・・というようなことであった。確か25キロ以上が特別に高くなるようなことだったと思う。
 
 家を建て替えるご近所の様子、一部の建物を残して周囲の母屋や倉庫や塀などを取り壊してすっかり印象が変わってしまった。

 太郎、水泳教室。
 
 娘が、NHK「昼のいこい」の音楽を聞くと、何故だか親子丼を連想するから今晩は親子丼が食べたいと、昼に帰ってきてラジオを聞いて言ったので、今晩は親子丼を作った


平成30年 9月25日 (火)

 今朝は(と言うにはちょっと早すぎるが)三時前には目が覚めてしまった、無理して眠ろうとしても寝られないので、そのまま起きてしまった、ある種不眠症なのかもしれない、このようなときは日中、本などを読んでいると必ず眠たくなるので、しばらくウツラウツラすることが多いが今日は全く眠たくならなかった。そんなわけで早朝からPCの前に座っていると、寒いので、とうとうベストを引っ張り出して着た。観測装置が壊れたままなので外気温がどのくらいあるのかサッパリわからない。以前は寒暖計がいくつもそのあたりに転がっていたのだが、使わなくなっていつの間にか見当たらなくなってしまった。
     最低気温(観測装置故障で記録無し)、最高気温 23.5℃ (14:08)

 台風24号、いろいろなコースが予想されている、が、これなんか一番歓迎したくないコースだ

 登校風景 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 ようやく気象観測が復旧した。天気が良くなったので観測装置のケーブルの点検をしようと思いたって、設置場所までケーブルを辿って行こうとしたが、草が覆っていて、行けない、足先で少しずつラッセルして進もうとしたが、身の丈ほど伸びた棘のある草でむき出しの腕なんかが傷だらけ、一旦戻って刈払機を持ち出して、歩く幅だけざっと刈って道を付けてから装置まで行って、少しずつ自宅方向にケーブルを点検しながら戻ってきた。
 
 特に切断しているところもないが、おそらく、先日の草刈りで、明らかな切断は無かったものの、刈払機の回転板にケーブルが絡まってぐるぐる巻きになった際に、外皮の中で芯線が伸び切って断裂してしまったのではないかと推量して、一定区間を切り取って、つなぎ直すことにした。でもその前に、ちょっと待て、もう一度、念のために室内のコンソールを確認してから、と戻ってみると、なんと作業開始前には動いていなかったのに、どういうわけだか復旧していた
 
 多分、ケーブルを引っ張ったりしごいたりしているうちに、接触不良の芯線がつながったのかもしれないが、いやいや確認してよかった、切らなくてよかった。なるべく面倒なことは避けたい。とりあえず、今度また動かなくなるまで様子を見ることにした。
 
 日記は基本的には寝る前に書くが、その日の時々の活動を、備忘録的に、時間があればその時に書いておいて、夜になって文章をつなげることをやる。だから上のような文章を書いておいたのだが、つまりは、そこで観測装置の修理の話は終わるところだったのだが、その後、約一時間ほどしてモニターを見るとまた停まっていて、結局、線をつなぎ直さないと駄目かと、改めて、やり直した。

 普段あるべきものがないということは不便で落ち着かないものである、直ってホッとした。久しぶりにの気象観測、約一週間、データが飛んでいる、観測ユニットが室内にあって今回の故障とは関係がない気圧だけはずっと記録されていた。でも、もう草共も夏場の勢いは全く無いな、ある程度伸びた状態で成長がほぼ停まっている、後は枯れるだけだろう。

 USB変換のサウンドカードが届いた、昨日の夕方注文して、ちょうど24時間で届いたことになる、これは九州の基地局に在庫があるやつだろう。東京の方からだとこんなに早くは届かないと思う。無事に音が出た、昔は大きなボードをマザーボードのスロットに挿したものだが、今はUSBポートで何でも出来るんだなあ。
 
 今日もLinuxマシンを本を読みながら勉強した、環境変数を引き継いで管理者権限で操作する、引き継がないで操作する、どうもこのあたりの理解が出来ていない、その違いが、何か影響があるのだろうか・・・・

 今日も太郎の虎舞の練習があるので、午後7時に間に合うように連れて行った。送りだけかと思っていたら、カミさんまだ仕事が終わらないから、と小生がまた迎えに行った。

 晩飯。チキンカツを揚げて、ポテトサラダを作った



平成30年 9月24日 (月) 振替休日

 朝6時半ころだったろうか、ボンの散歩に出たときには降ったあとがあり道路が少し濡れていたが、そのときにはもう雨は降っていなかった。その後、7時半ころ、頭の上の天窓を打つ雨音にブラインドを上げてみるとガラス面に盛んに雨が落ちているのが見えた。それからは弱いながらもずっと降っていたような気がする。室内にいても半袖だとちょっと肌寒い一日だった、観測装置が壊れていて外気温が分からない。
 
 台風24号、進路がちょっと右に曲がり始めている、この先のことはまだ全然わからない。(気象庁 ・ JTWC)
 とは言いながら、大丈夫だろうと、一応念の為に・・・・・・・・マッポスじゃが・・・・

 我が家の三人は一日家にいてそれぞれ自分のことをやっていた。
 小生は、今日も一日パソコンの前に座っていた。
 
 CentOS7にはブラウザーにFirefoxが標準で搭載されているが、普段使い慣れているGoogleChromeは自分で入れなければならない、このブラウザーをダウンロードしてインストールした、Windowsほどの簡単さは無かったが無事に入った(写真1写真2写真3)、それから、メーラーを入れようと思ってみたら、Evolutionというメーラーがこれも標準で入っていたので、使えるように設定をした。これにはちょっと手間取った。外見はMicrosoftのOutlookと非常に似ていて、小生はこのOutlookを使っているので、他のメーラーは使わずにこれを使うことにしたが、ちょっと手こずった。というのは、知らないままに、「暗号化をする」というところにチェックが入っていたようで、たくさんのメールをどんどん受信しているのに、一向に表示されない。あちらこちら触って、ようやく、原因がこれだろうと、暗号化のチェックを解除して受信したメールが表示されるようになった。
 
 それから、日本語表示のホルダー名、キーボード入力の時に日本語切り替えが面倒なので、オリジナルの英語表記に変更した。
 
 まだ最低限やっておかなければならないことが二三残っている。pythonの3を入れること、hostsの設定で、自宅サーバーをLan内からアクセス出来るようにすること、プリンターの設定も残っている。

 今回HP Proliant Micro ServerをLinuxの勉強用のクライアントマシンとして使い始めたが、もともとサーバー用のPCなので、サウンドボードは入っておらず、一つだけあるスロットもリモートアクセスカード(RAC)でふさがっている。今まではそれでも構わなかったのだが、クライアント機として使うには音が出たほうが良いので、USBタイプの外付けのサウンドカードを買った、数百円だった。届いたので、挿そうとしたら、アレアレ全然合わない。ロクに確認しなかったが見るとUSBのtype-Cという新しい規格のものだ。そうだった、最近そういうものがあるということは、今年遊びに来た寺さんが持っていたあれは何だったろう、それがそうだった、その時に初めて知ったのだった、世の中知らないうちにどんどん変わっている。結局このままでは使えないので変換コネクターを追加注文しておいた。


平成30年 9月23日 (日) 秋分の日(秋季皇霊祭)

 まあまあ晴れ。穏やかな一日だった。
 
 台風24号、今の所日本にはやってこないように見える

 じっちゃいのブログで「こうのとり」の打ち上げがあるのを知って、午前3時少し前に起きて(もともとそろそろ起きる時間だが念のために目覚ましをかけておいた)、南の空を眺めたが、流石に種子島ともなるとまったくらしき光跡も見えなかった、内之浦のときは見えたが距離が全然違う、それに、月明かりで阿蘇五岳は見えていたが空には薄っすらと雲があった。あ、改めて成功したとも書かなかったが、もう当たり前のことなので。

 今月の28日に馬場八幡宮の秋季例大祭がある、その(実際には前夜ではないが)前夜祭が今日坂梨公民館前広場で行われた。太郎は坂梨子ども会で、虎舞を演舞した。東京での演舞では、お盆を手のひらに載せて、軽業のように落とさないように回すお膳舞などをやったが、今日は、初めて低学年も入れてもらって「虎舞」を演舞した、指導者の考えで、こういった肩の凝らない地元での和気あいあいの集まりで下手くそでも構わないからという後継者育成の意味で演舞をさせたようである、お姉ちゃんも「昔取った杵柄」、OG参加で、ぶっつけで、「牡丹に唐獅子竹に虎・・・」の伴奏を三味線を弾いていた。子供会を卒業した中学生も舞台でお膳舞を演舞していた、皆、ぶっつけ本番だが、ちゃんと覚えているものである。
 
 普段、ほとんど人通りのない坂梨の町にこんなに人がいるのかというくらいたくさんの人が集まった。普段お会いする機会のない人たち、たくさんと久しぶりにお会いして懐かしかった。
 
 小生は途中で切り上げて帰ってきたが、子どもたちは結局最後まで残って、後から母親が迎えに行った。母親は、本祭のときの神輿などに飾り付ける飾りを家でずっと作っていた。
 
 写真は帰るまでの分で、このあと、ヨサコイや岡田バンドなどの出し物があったのだと思う。

 馬場八幡宮秋季例大祭 前夜祭 連続写真 (1/8)
 馬場八幡宮秋季例大祭 前夜祭 連続写真 (2/8)
 馬場八幡宮秋季例大祭 前夜祭 連続写真 (3/8)
 馬場八幡宮秋季例大祭 前夜祭 連続写真 (4/8)
 馬場八幡宮秋季例大祭 前夜祭 連続写真 (5/8)
 馬場八幡宮秋季例大祭 前夜祭 連続写真 (6/8)
 馬場八幡宮秋季例大祭 前夜祭 連続写真 (7/8)
 馬場八幡宮秋季例大祭 前夜祭 連続写真 (8/8)


---以下は、リナックス等に興味のない人には全くおもしろくもなんともない記述になる--------

 毎日、Linux(リナックス)を楽しみながら悪戦苦闘している。そして、Raspberry Pi(ラズベリー・パイ)という非常に小さなワンボードマイコンがある、今、世の中で注目を浴びていて、それに関する記事や書籍などがたくさん出ている。この最小の構成のものは600円くらいで売っていて、これを組み込んでいろいろな機械などをコントロールできる、また一番高いものでも6,000円くらいだろうか、モニターやキーボードは別だが、たかだかこの程度の金額でありながら高機能なPCである。小生が持っているPCよりはるかに高機能のCPUを持っている。今巷ではこのRaspberry Piを使っていろいろなことをやらせることが流行っている。このRaspberry Piも基本はLinuxマシンだが、Windows10を入れて使うという記事もあったような記憶がある。
 
 いずれにしても、ここでもLinuxが重要なOSである(AndroidもGoogleも、そして、いろいろな家庭電気製品の制御回路もリナックスが使われている・・理由はMicrosoftと違ってタダだからである、と思う)、このRaspberry Piを使って小生は、今、あることをやりたいのだが、それはRaspberry PiでAlexaをやりたいのだ。

 ただやるだけなら、教科書通りにやれば出来ると思うのだが、やる以上はしっかり理解をしてやりたいと思うので、そういう意味でも、少し後回しにしてLinuxの理解に努めている。
 
 Raspberry PiのPi はプログラム言語のPython(パイソン)のパイと関係がある。小生はRaspberry Piで使うためのプログラム言語だからPythonという名前を付けたと思っていたが、実際は逆で、時系列的にはPythonのほうが先のようで、Raspberry PiがこのPythonを基本的なプログラム言語として採用したから、Raspberryに Piを付けたということのようである。因みに、Pythonは昔外国のテレビに「空飛ぶモンキー・パイソン」という番組があったそうだが、それから来ているとかいないとか。
 
 Pythonというプログラム言語は調べてみると、「いいとこだらけ」のプログラム言語で、これからやるなら、Pythonだという気になる(CentOSにもこのPythonというプログラム言語が標準で入っている)。
 
 「非エンジニアのWindows派がPythonを始めるメリットをこれでもかと説明します」という小生にピッタリの説明があった。(PDFファイル
サイトならここ→ https://tonari-it.com/python-start/
 
 ただ、プログラム言語というものは世の中にゴマンとあって、人間にとって使いやすいプログラムになればなるほど、CPUとの関わりがどんどんブラックボックス化して、一体この奥の方でどういうことが行われているのだろうかということが全くわからなくなってくる、幼児用のグラフィカルなパーツをモニター画面で繋いでプログラミングをするプログラミング言語のScratchにしてもそうだ(Raspberry PiのOS Raspbianには標準装備されている)。実際には奥底の仕組みなんか分からなくて、やりたいことをプログラミングできればそれで良いのだろうが、最終的にはCPUとの間で0か1の信号をやり取りしているだけなのだが、ハード的にも興味がある小生にはちょっと物足りない、そういう意味では一番(か二番かはわからないが)CPUに近いところにいてそのやり取りに直接かかわるアセンブリー言語をほんの少しだけだが理解できたことは非常に気分的な安心感がある。
 
 本来子供向けの教育機器として生まれたRaspberry Piだが、今やいろいろな事に使われている、それがどうして普通のPCで出来ないのだろうかと思って調べたら、ちゃんと普通のWindowsマシンででもRaspberry Piをエミュレート出来る方法があるようである。でもたかだか一台数千円で買えるパソコンだ、どうせなら買ってトコトンやったほうが良いという気がする。
 
 小生、書きながら、OSとプログラム言語をごっちゃに書いている部分も無きにしもあらずだと思っているが、このPythonというプログラム言語は、MicrosoftWindowsの上でも使える。
 
 Raspberry PiのOSは、Debian系のLinuxのRaspbianである、小生が悪戦苦闘しているCentOSはRedHat系でちょっと系統が違うようだが、小生がかじっている範囲では、もともと核がLinuxなので、コマンドなんかほとんど同じだ、気にしないでやっている。
 
 ただ、出てくる言葉、出てくる言葉、初めてのものばかりなので、ちょっと読んでは分からずにそのたびにインターネットで検索をして、画面で読むだけでは理解できないので、次々にプリントアウトして読んでいるので、一シメ500枚くらいのコピー用紙があっという間に無くなるほどだ。
 
 CentOS7に標準装備してある、プログラミング言語、pythonはバージョンが2xで最近の3xよりも古い、そしてこの両者には互換性があまりないようなので、CentOS7に追加でpython3を入れようと思っているが、これがなかなか手強い。普通はこういったアプリケーションは一発で入る仕組みがあるのだが、このpython3はまだ探してきて手動で入れなければならない、超初心者の小生としては、これがまた大事で立ち往生状態だ。


平成30年 9月22日 (土)

 朝のうち、まだ少し雨が残っていたが、その後、晴れてきて午後は青空が広がった。
 
 いつものように午前中、南阿蘇のオープンセサミに、もらったオカラを持って行きがてら、餌やりをしてきた、雨は上がっていた。

 今日も昼からCentOS7のインストールをずっとやっていた、いわゆるwindowのデスクトップ画面、にタスクバーが全然表示されない、だから、(shutdownのスイチが表示されないので)shutdownが出来ない、で、どうするかと言うと、ターミナルを立ち上げて(これはデスクトップ上のアイコンで出来る)、そこでCLIでshutdownをして終わる始末。どうしてモニターにタスクバーが表示されないのか、ずいぶんと悩んだ。大きなモニターをつなぐと、表示される、いろいろ試してみて、モニターのスイッチをいろいろ触っていたら、画面設定がオートになっていなかったので、オートに設定した所、ようやく画面全体がモニターに収まるようになった
 
 それから、ネットに繋いであるプリンターをなんとかLinuxマシンでも動かしたくて、苦労して、一日かかってほぼ設定は出来ているのだが、最後の最後、印刷にかからない、MicrosoftWindowsと違って、Linuxはまだ一発でプリンターを設定することが難しい。
 
 少しずつLinuxのクライアント機を整備して、Microsoftから離れようと思っている。GUIとCUIを適当に切り替えながら学習をしていこうと思っている。

 ここのところ、Linux独特の用語やコマンドなどが少し馴染んできて、わからないなりに大分Linuxが分かってきて、怖くなくなってきている。やれRedHat系だDebian系だと騒ぐことはない、Linuxは大本(カーネル)は同じなんだから、小生あたりが勉強するコマンドはどれもこれもほぼ共通だ、ビビることはないことが分かった、Raspberry Piだって、他のLinuxマシンと殆ど同じだ、習うより慣れろで行けばいいのだ。
 
 今晩も太郎、虎舞の練習、送りはカミさん、(カミさんは残って打ち合わせがあるとかで)迎えは小生。明日馬場八幡の前夜祭で演舞をするそうである、前夜祭と言いながら祭礼の本番は28日で平日である。
 
 
平成30年 9月21日 (金)

 雨、ほとんどずっと一日中雨、雨、雨。
 観測装置が故障しているので非常に不便に感じている、いつも数字で見る癖がついているので無いと落ち着かない。

 明け方、浅い眠りに強い雨音が聞こえていた、深夜も同じように降っていたのかはその間意識が無かったので分からない。そして、夜が明けて、子どもたちの登校時間帯にはほとんど雨が上がっていた(写真1写真2)。ところが、いつもの場所に行って見渡したが今朝も昨日に続いて「魚影」全く無し、遥か向こうの宮地の通学区に登校の子がチラホラ(こちらは坂梨地区よりも学校に近いので大勢が通るのはもっと後)、それから中学生が・・・基本的には対象外だが「坊主」なのは面白くないので、シャッターを押して、そろそろ「納竿」するかと車に戻りかけた所、向こうの方から一人歩いてくる・・・・うちのセガレだ、今日は車では無かったらしい、結局今日の坂梨地区の登校児童は太郎だけだった。明け方の強い雨で早々と徒歩通学は中止にしたようである。

 午前中はそんな風に時々は降らない時間があったが、午後からはほとんどずっと降りっぱなしで夜に入っても屋根を打つ雨音が大きい。
 
 今日は終日、LinuxのCentOS7をインストールする作業していたが、元ファイルが壊れているのかどうもうまくいかない。
 CentOS6を削除してCentOS7のDVD用のisoファイルをUSB用に書き換えて、インストールしたがどうも不完全でどこかに欠陥がある。そこでDVDに焼き直してインストールしたが、それでも、うまくない。ということは4GB以上あるシステムファイルが正しくダウンロード出来なかったのかもしれない。なんとなくビデオドライバーの設定あたりに問題がありそうだ、ま、これも道楽だ、楽しみながらやるとするか。
 
 晩飯。秋刀魚、なめこおろし和え、きんぴらゴボウ、味噌汁などなど。子どもたちは魚はあまり好きじゃないのではと思っていたが、そうでも無いようで、特に秋刀魚は大好きだ。昔から秋刀魚というと七輪で煙もうもうというのが風景だが、オーブンで焼くとキレイに焼けて煙も出ないのでいい。230℃予熱、15分でキレイに焼ける。
 
 毎度秋刀魚を食べるたびに佐藤春夫の詩を思い出す。昔、小生の亡父がやはり秋刀魚を食べる時にこの詩を口ずさんでいた(だから小生も知ったのだろう)。
  あはれ秋風よ情あらば伝へてよ・・・・・・・さんま、さんまさんま苦いか塩つぱいか。そが上に熱き涙をしたたらせてさんまを食ふはいづこの里のならひぞや。・・・・・


平成30年 9月20日 (木)

 終日ほとんど雨。
 観測装置故障のため、観測できず。

 登校風景。雨のために、待っていたが徒歩通学児童皆無。セガレも〇〇な母親が車で送っていった、たいした雨でも無かったのに。アメニモマケテ、カゼニモマケテ・・・

 Linuxのシステムの入れ替えをしたが、ファイルが大きすぎて、我が家のネット環境では、特にここのところ調子が悪くて、ダウンロードが進まず、時間がかかりすぎて完了せず。CentOS7がCentOS6 から大きくバージョンアップしていて入れ替えることにした。なんと言ってもLinuxはOSからアプリケーションまで全部タダだからいい。完全にWindowsをやめることは出来ないが、可能な限りMicrosoftとは縁を切りたいと思っているのだ、見ていろよ。

 太郎は昨日が水泳教室の日だったが、虎舞の練習が入ったので、今日に振り替えてもらって、送迎バスは無いので小生が送っていって、畳の敷いてある休憩室でゴロゴロ本を読んだりして練習が終わるのを待って一緒に風呂に入って帰ってきた。

 晩飯。サトイモとイカとダイコン、ニンジンの煮物。サトイモが美味しい季節、これが大好きなのだ。


平成30年 9月19日 (水)

 今日も穏やかに晴れる。
 観測装置に障害が起きている・・・・・もしかしたら・・・

 登校風景 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 
 今朝起きた時に、よし!今日は朝まず草刈りをしようと実に自然にそう思った、こんなことは極めて珍しいことだ。小生はいつもその日の行動は、何か義務的に決まっているもの以外は、朝起きてから決める、これぞ隠居の特権だ、それでも、草刈りをしようなどとはまず考えない。草刈りはいよいよやらんといかんかなあと切羽詰まった時くらいしかしなのだが、今日はごくごく自然にそういう気持ちになった。

 ライブカメラでいつも映像を送っている庭先だが、ネットで見ている人がいたら、なんとまあこの家は草茫々なんだろう、と呆れていると思うのだが、当人は全くそんなことは思っていないのだ。それでも今日はここを刈ることにした。それで今日は十分に気をつけてやったつもりだが、また、ライブカメラや気象乾燥装置のケーブルを刈払機の刃でやってしまったかあ?気象観測装置の数字が出ていない、明日チェックするとしよう。とにかくこの部分だけは一応きれいになった。
 
 その後で、Y部さんのお宅に今日も薪材を積みに行った。昼飯を挟んで二往復した、最近体が鈍っているので、くたびれた。今日は朝から肉体労働の一日だった。
 
 午後4時から太郎の虫歯治療に付き合って、午後6時から虎舞の練習に連れて行って、カミさんが風邪を引いて頭も体も痛いので迎えも行ってくれというので、午後8時にまた迎えに行った。カミさんにインフルじゃないのかと言ったが、医者に見てもらって夏風邪だろうということで帰ってきたが、オイ!風邪なんかひくな、緊張感が足りないからだ。
 
 晩飯、昨日の残りと出汁巻玉子と、キヌカツギを作った。


平成30年 9月18日 (火)

 今日も穏やかな一日だった、ここのところ、少しずつ気温の上昇傾向が見られ、今日もかなり気温が上がったが、それでも一時の勢いはもう全く無い。
        最低気温 19.7℃ (05:03)、最高気温 28.8℃ (14:38)

 登校風景 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 収穫が遅かったうえに、さらに、そのまま放置してあったジャガイモをようやく親戚に送った、送るために作ったのだが、ずっと気になっていた今年の我が家の唯一の農産物だ。他にすることが多くてなかなか手が回らず、耕作者の気持ちが伝わるようで、今年もあまりいい出来ではなかった。やはり農作物は心を込めて作らないと、野菜たちもそれに応えてくれないようだ。

 我が家の(距離がちょっとあるが)筋向かいのお宅が家を建て替えることになって、いま、古い倉庫や家屋を取り壊してるが、その建物がなくなったので、村の公民館が我が家の窓から直接見えるようになった。だからどうだと言うことではないが、いままでと少し風景が変わった。

 太郎は、今月の下旬に予定されている馬場八幡宮の秋祭りで坂梨子供会で演舞することになっており、担当演目が少し変わるようで、今日からまた虎舞の練習が始まった。6時から練習開始だとのことだったので、急いで晩飯を食べさせて坂梨小学校の体育館に送り届けた、帰りはカミさんが迎えに行った。

 晩飯。里芋が出てきたので、野菜をたくさん入れて牛肉もたくさん入れて味噌仕立ての、東北で言う「芋煮」にあたるのだろうか、、我が家では「薩摩汁」と言っているが、薩摩汁は普通豚肉をつかうのだろうが、我が家では昔から牛肉を入れる。新しいサトイモは皮が剥きやすくて、食べると柔らかくて、本当に美味しい。サトイモ、ダイコン、ニンジン、ゴボウ、ネギ、インゲン、シイタケ、シメジ、コンニャク。(完成品の写真を撮り忘れた


平成30年 9月17日 (月) 敬老の日

 穏やかに晴れる。本当に初秋の穏やかな一日だった。
     最低気温 18.4℃ (06:14)、最高気温 27.3℃ (12:31)

 朝一息入れている時に上村さんから木を切るよという連絡が入ったので、作業服に着替えて出かけた。今日はテラサワの前のY部さんのお宅の柿の木。隣家に影を作り葉が落ちるので切るということだった。大きな柿の実が熟して落ちていたので、そっと食べてみたら甘かった。甘柿だった。(写真1写真2
 
 久しぶりの肉体仕事、柿の木は重いので、積む時にクレーンを使ったが、それでもトラックの近くまで動かしたりする時に力を使うので結構疲れた。それにここのところ一時低かった気温がまた少し上昇気味だったので、暑かった。
 
 午前中いっぱいかかって、一台分の柿の木を積んで帰ってきた
 
 今日は稲刈り日和で、我が家に隣接する昭久さんの田でも稲刈りがあった。昭久さんは高齢でもう、引退だろうか、ご家族とご親戚の里美さんもコンバインを動かしていた。昔は田植えから収穫まで大勢の人が何日もかかって田に張り付いていたが、今は機械であっと言う間に終わってしまう、まさにあっという間だ。機械化がこれだけ進んだ農業は米つくり以外に無いだろう。

 今年は台風もなく大豊作だろうと思ったが、先日村の人に尋ねたら、今年は暑すぎたからまりよくないとのことであった、寒くても駄目、あまり暑くても駄目なんだろうか。

 今日も我が家の三人組は出かけることもなくおとなしく家で過ごしていた。


平成30年 9月16日 (日)

 穏やかに晴れる。今日は雨の心配もなく、あちらこちらで稲刈りが本格化してきた。
   最低気温 20.8℃ (05:52)、最高気温 27.2℃ (14:08)

 台風22号・・・・・もういいか。

 村の行事の一つに「天神祭」がある、学問の神様、菅原道真公を祀る祭礼である、だいたいどこの村にもある、ここ豆札での祭礼日は年に二回、7月14日と9月14日である。村を二つの班に分けて毎年交替でこの祭を主催する。以前はこの日は阿蘇神社から神官を招いて神事を斎行してそのあとで直会を行っていたが過疎化などの理由でいつの頃からか、実際に神事を斎行するのは7月のみになった、それでも天神社の草刈りは9月にも行うようにしている。今年は小生の班だが、今年の9月14日は平日で、会社勤めの人もいるので日程を繰り下げて、今日日曜日は他にも村の行事もあり、集まりやすいだろうからと今朝7時に集まって天神社の草刈りをした。7月に刈ったばかりだから、すぐに終わった。

 その今日の村の行事。暦で今年の「敬老の日」は明日だが、ここ豆札(集落)では今日、その「敬老の集い」がひらかれた(はず)。小生も今年から後期高齢者になったので、この集いの「招待される側」になったのだが、謹んで辞退した。個人差があるが、今の時代、75歳を老人とするのは早すぎる、昔は60歳だったが、今では75歳、それでも早い、まだまだ若輩者、未熟者だ、とても皆さんからお祝いを受けるなどおこがましい限り、仕事は無いがまだ現役バリバリだ。だから、もし、生きていればの話だが、80歳になったら、その時から老人扱いをしてもらうことにして、それまでは、敬老の集いは遠慮することにした。出来ることならば、80歳になった時にも「まだ早い」と言いたいものである。
 
 そんなわけで、この歳になっても小生、まだまだ進化中だ、最近になって、宿年の目標だったプログラム言語のアセンブラがようやくわかった、そして、今また、Linuxもわかったぞ。今年は小生にとって、IT、ICT、IoTの「ビックバン」だ。もしかしたら、バンでも破局噴火のbangかもしれない、あまりに急になんでも分かってしまった、小生はこの二つは死ぬまでになんとモノにしたいと言っていたので、もしかしたら、これはちょっと「ヤバイ」かもしれない。
 
 でも、分かったと言っても、奥義を極めたという意味では全く無い。ちょっと言い方がヘンだが、今までは「何が分からないのかが分からなかった」が、ようやく「どこが分からないかが分かった」という分かり方である。でもこの違いは大きい、だからこれからは分からないところを一つづつ分かっていけばいいだけである。

 太郎は、今日は御船町(みふね)にある、恐竜博物館に母親と出かけた。夏子は、鹿児島の高校に行っている友達がこの連休で帰ってきているので、カラオケだろうか、出かけていった。この町は手近なところで若者が楽しむ商業施設は皆無だ、せいぜいカラオケくらいだろう。


平成30年 9月15日 (土)

 曇のち一時雨、のち上がる。
     最低気温 20.9℃ (03:46)、最高気温 27.0℃ (11:38)

 台風22号
 
 登校風景 今日は運動会だ、みんな体操服で登校していった。
 ( 写真1写真2写真3 )

 太郎の小学校の運動会があるために、ちょっとは顔を出さなければと、馬の餌やりは、今日はオカラ届けだけにして子どもたちを見送った足ですぐに出かけてとんぼ返りで戻ってきた。事前に連絡済みだったので、小生が牧場に行ったときにはもう馬は餌を食べていた
 
 季節はもう明らかに秋で、早くも紅葉が始まっている、我が家の入り口に咲く彼岸花はまだ蕾気味だが、他ではも満開のところもある。箱石峠越えから見る風景、今日はなんとか晴れそうだなと期待させてくれた。

 坂梨小学校時代と違って、校庭が広くて、子供の数も多くて、太郎がどこに居るのかさっぱり分からない、選抜リレーにでるというので、そのシーンだけは確実に写真を撮ろうと思って、待ち構えていたが、リレーは2レースあり、太郎はBチームで出場と聞いていたので、最初の競争を飛ばして次の競争を撮ろうと思っていた所、太郎に似た子が前を走っていった、後から、Bチームが先発したと聞いて、写真を撮り損なった。太郎を撮ることができたのはリレーの集合と、昼飯時だけだった。そういう理由で、新しい小学校の運動会は写真の焦点も絞りにくく全く愛着が持てず、自ずと小生の参観もおろそかになりがちである。(写真1写真2写真3写真4
 
 午前の部が終わり、昼食がそろそろ終わろうかというころになってにわかに空が曇り始めて、レーダーを見ると大きな雨雲がすぐ近くまでやってきている。小生は昼飯が終わったら退散するつもりだったので、急いで、駐車場に向かったが、間に合わずに雨が降り始めてずぶ濡れになってしまった。
 
 それでも家に帰り着く頃には雨も殆ど上がって、会場の夏子に連絡をすると、天気が怪しいので、重要な種目を変更して先にやっているとのことだったが、最終的には雨も上がって全種目無事に競技を終えたということであった、よかった、よかった。カミさんは体育委員をしていて今日は朝早くから会場整理などにあたっていた。


平成30年 9月14日 (金)

 ほぼ終日ずっと曇っていたが、それでもあまり雨の心配をしなくてもいいような雲の広がり方だった。風もなく、そして暑からず寒からず、気温のことも気にならなかった、そんな一日だった。普段なら一斉に稲刈りが行われる頃だがそういったわけで、いつ降り始めるか分からないので、ところどころでコンバインが動いてる程度、それでも天気が回復したらすぐに稲刈りが出来るようにとコンバインが入る場所だけ手で刈る、「枕刈り」をする風景が見られた。明日は太郎の運動会だが、天気はどうだろうか、ちょっと怪しい。
     最低気温 20.4℃ (05:26)、最高気温 26.1℃(13:37)

 台風22号

 本日の登校風景。( 写真1写真2写真3写真4写真5

 今日も一日尻に根が生えたかのようにずっと座り放しだった、わからんし、難しいし、面白いし、エコノミークラス症候群になりそうだ。

 今日はカミさんが早く帰ってきたので、烹炊担当は無し。


平成30年 9月13日 (木)

 曇り。どうやら雨が降らずに済んだ。昨日天気が良くなくて延期された小学校の運動会の総合予行演習も今日昼前に通りかかった時に無事に行われていた。
      最低気温 20.5℃ (00:30)、最高気温 25.4℃ (12:25)

 台風22号、非常に大きな台風だが、日本に影響がないので、報道はしているのだろうか、一向に耳に入ってこない、これが日本に向かう台風だと今頃大騒ぎをしている頃だろうに。

 本日の登校風景( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 ここのところ、トマトの値段がやたらと高い気がする、その上スーパーにはロクなトマトが売っていない。ここは有数のトマト産地だから、ハウスではまだまだたくさん採れているようだが、スーパーなどは仕入れルートが決まっていて小回りが利かないのだろう、だから地産の野菜類が並ぶ「四季彩」に買いにゆくが、ここはだから、まだ手頃な値段で売っている、でもこういった販売所は爺ちゃん婆ちゃんが半分道楽で作った産品を売るところなので、朝納品したものが売り切れたらそれでオシマイである、皆、ここがスーパーより安いのを知っているので午前中に行かないとあっという間に無くなってしまう。いままでこういう事あったかなあ、今年が特に高いのだろうか。今年は我が家ではトマトを作らなかったが、来年はまた作るかなあ。

 Windows7( 7だけではないと思うが)の、「ユーザー」というホルダー内に、最初に登録した際のユーザー名のホルダーがある、小生はいろいろなPCを再生して使っているが、そのなかの一台にカミさんが以前使っていて、廃棄したのノートPCのCPUを交換して、更にOSもXPから7にアップして使っているが、新規インストールでなかったので従前のファイル構成がそのまま残っている。だからユーザー名のホルダーもそのままである。管理権限者の名前を変更しても、この最初に登録したユーザー名のホルダーの変更が出来ないことが分かった。
 
 今このノートPCを使っていて、PICアセンブラーのソースをビルドしようとして、どうしても途中でエラーがでるので、なぜだろうと思って、調べているうちに、このユーザー名の登録方法(ローマ字だが姓と名の間にスペースがある)に問題があるのかもしれないと思って変更しようとしてわかったのだ。
 
 ネットで調べると、出来ないことはないが、結構面倒で、レジストリもいじらなければならないようだ、いま、急いでやることでもないので、これはそのうちに、やってみようと思っている。
 
 とにかく、それが原因かどうかわからないが、とりあえず別のところに専用のホルダーを作って、そこで作業をした所、今度はうまくいって、オブジェクトファイルを作ることが出来た
 
 さあ、これで書き込めるぞと思ったが、またまたそこでストップ、どうしても、MPLABがPICKIT3を認識しない、いろいろ設定をかえてみたがうまくいかない、そのうちに気がついた、PICKITの三個あるインジケーターが最初から全部点灯しっぱなしで、パワースイッチも全く利かない、ということはこれ故障じゃないのか、純正品でなくて、もどき品で、しかもCHINA製である、値段も安かったし別に腹も立たない、ということで、この先は新しいPICKITが来てからにして、この作業は一応、ここまでにして、次なる計画に移ることにする。これがちょっと楽しみである。
 
 その前に、もうひとつ試してみることにした。以前使おうとして買ってあって時間が経ちすぎて、ちょっと時代遅れのプログラマーがある。秋月のオリジナルのプログラマーで、電源が15V、インターフェースがRS232Cで今時のパソコンにはつながらない、なんでも今やUSBポートの時代である。電源もない、RS232CのPCも無い、で、前回諦めて、PICKIT3を買ったのだが、この際、もう一度これでやってみようかと思っている。その後、実験工作用に安定化電源を買ったから、そして今日、探してUSBシリアル変換コードが出てきたからである。
 
 このUSBシリアル変換コードというやつ、外見はどれも同じようだが、単に結線を変更してあるだけでなくて、中に小さな基板が入っているようで、それぞれ独自の方法で変換をしているらしい、だから昔のケーブルはつないでも素直には認識してくれず、ドライバーを探して、ようやく通じるようになった。後は、電源をつないで、書き込めるかどうかだが、どうもPICKIT2準拠のようだが、MPLABがPICKIT3から対応しているようだから、果たして書き込みができるかどうかである。
 
 夕方カミさんが小学校の運動会の準備で早く帰ってきてテントの手配なんかで出かけていった。小生は「高齢者」なので学校関係はすべて母親担当である。
 
 晩飯。麻婆豆腐、えびチリ、など


平成30年 9月12日 (水)

 予報では午後から夕方には雨になるということであったが、すでに子どもたちを見送るころには空が暗くて今にも雨が落ちて来そうな空模様だった。そして事実、旗振りが終わってボンの散歩に出ようとしたら雨が落ち始めた。今日は天気が悪くなることはあっても良くなることは無いようだが、それでも多分この雨は通り雨だろう、雨がやんでから散歩に行こうかとも思ったが、一旦家に上がるとまた出るのが億劫になるので、傘をさして散歩を済ませた。思ったとおり、帰ってくる頃には雨が上がっていた。
  最低気温 19.6℃ (08:04)、最高気温 22.4℃ (14:05)

 台風22号予想進路。

 登校風景 ( 写真1写真2写真3

 今日は太郎の小学校、土曜日開催予定の運動会の総合リハーサルの予定だったが天気がはっきりしないからと明日に延期になったそうだ、結果論だが、結局朝のうちちょっと降っただけで今日は夕方まで雨はふらず、朝のうちの、明日は晴れるという予報が少し変わってきてかえって明日のほうが雨になりそうな気配である。

 今日は、PICアセンブラーの習得に一段落をつけて、次の目的に進もうと思ったが、そうは問屋が卸さなかった。
 
 特に何かテーマがあってそのために具体的にPICマイコンにプログラムを組み込もうとしていたわけではなく、というより具体的なテーマなんて無いので、練習課題として必ず登場するLEDのチカチカをやって、それでひとまずアセンブラに一区切りさせるつもりでいた。ソースプログラムを書いて、それをアセンブルして、チャチャッとPICに焼いてブレッドボードに挿せばそれで終わりだ(EPROMではないので、焼くという言葉は相応しくないか)、書き込めばそれで終わりだ。と思っていたのだが、プログラマーのソフトとハードの使い方がこれがまたサッパリで、一日家事をやりながらそれをやって終わった。プログラマーのハードはPICKIT3というが、これは特に問題がないが、ソフトのMPLABがよくわからない。なんでMPLABにIPEとIDEがあるのだ。ネットで検索して使い方を読んでやったが、しっかり読まないのでのでいい加減で、先に進めずに、今日はとりあえず、作業を終わった。

 太郎、水絵教室。
 
 晩飯、カレー


平成30年 9月11日 (火)

 晴れ。朝の気温がぐんと下がった、今朝はとうとう長袖シャツで、旗振りに立った。
    最低気温 16.0℃ (00:00)、最高気温 24.4℃ (14:09)

 台風22号、予想進路
 
 もう早世の稲の借り入れ時になっているが、ここのところの雨で、ちょっと出鼻をくじかれているようにも見える。強い風でなくても、穂の重さで倒れると、ドミノのように続いて倒れる、肥料のやりすぎだとか、天候の関係だとかで、いろいろな原因があるようで、倒伏しないように育てるのは難しいようだ。それでもこの程度の倒伏は今のコンバインは全然困らない。それでも倒れるよりは倒れないほうがいいに決まっている、はやく稲刈りにかかりたいところだろう。

 登校風景 写真1写真2

 ああ今日もまた怠惰に過ごして「遊んで」しまった・・・・・・よしラズパイを買おう。いやちょっと待て待て、まだ一つ二つやることがある、その後にしろ。
 
 ご近所が、家を建て替えることになって、今、壊す家の整理をしていて、こんなものが出てきたけど要るかと言って持ってきてくれた、計算尺である(ルート10切断だ、と言っても一般にはわからないだろうが)、昔父君が仕事で使っていたものらしい、大喜びで頂戴した。(写真1写真2

 晩飯。ロールキャベツ。を考えつくほどの気候になった、娘も、同じようなことを言っていた。暑い時期には考えつかない献立だ。


平成30年 9月10日 (月)

 ここ二三日雨を降らせていた前線が東に移動して九州は晴天域にはいったようで、今日は朝からいい天気になった。今日は胃と大腸の検診で山を下りたが、熊本平野部は暑かった、そして、検査が終わって帰ってくると、二重峠あたりまでくると急に空気がヒンヤリしてきた。阿蘇と下界との温度差はあまり変わらないこともあるが、今日なんか実にはっきりとその温度差が出ていた。
 最低気温 18.0℃ (02:06)、最高気温 23.8℃ (14:30)

 台風22号、どうやら中華民国とフィリピンあたりを通ってChinaに進みそうである。
 
 太郎、運動会振替休日で、母親が弁当をもたせて学童保育に連れて行った。

 下行結腸リンパ節郭清からほぼ2年(正確には12月だが)になるので、高野病院で胃と大腸の内視鏡カメラの検査を受けた。朝7時半ころ来いと言われていたが、家を出るのが早くて、6時半前に着いて、表玄関が閉まっているので守衛さんに言って裏からはいって待った。帯山にあったころの検査室は知っていたが、新しくなっての検査センターは二階にあって初めてである。小生のように内視鏡検査を受ける人が大勢来ていて、検査前にお腹な中を空っぽにするために、老いも若きも、男も女も全員が約2リットルの下剤と、1リットルの水を、少し時間をかけて、交互に何回かに分けて飲む、そして早く効果がでるようにとそのあたりをぐるぐる動き回る。下剤が効き始めると、何度もトイレに行って、最終的に排泄液が透明になるのを看護師さんに確認してもらってようやくOKがでて、検査に進むのであるが、小生は今回はなかなか排泄液が透明にならずに、普通は2リットルの下剤を1.5リットルでやめて様子を見るのだが、小生はとうとう2リットル全部を飲んでようやくOKが出た。朝からの第一グループの最終走者になってしまった。女性や高齢者はこの量の下剤と水とを飲むのが非常に苦痛なようで苦しそうに飲んでいた。
 
 みていると他の人は大腸だけの検査のようだったが、小生は胃と大腸、事前に説明を読むと、胃の検査が終わってから大腸検査にかかるとあったので、時と場所を変えて二回に分けて検査をするのかと思ったら、胃の検査の時に、麻酔をかけて、その麻酔が効いているうちに大腸もやりますからということで一度でいいのだと分かった。

 カメラが通りやすくするために喉に軽い麻酔スプレーをかけて、腕の点滴チューブから鎮静麻酔剤を入れると、あっという間に分からくなって、気がついたら終わっているという非常に楽な検査である。今日は胃カメラの時は全く記憶が飛んでいて、気がついたとき肛門からつっこんだ大腸カメラをグリグ医師が動かしながら、あ、ここにウンコが残っている、これ、邪魔だなあなどと話が聞こえた、小生もモニターを見ていた。

 検査が終わって、しばらく横になったあと、主治医の話があった。もちろん、今回の検査は何事もなかった、あるはずがないからまったく心配していなかった。こういった検査のときは帰りは危ないので車を運転して来るなと書いてあるが、もし帰る時にふらつくようだったら、朝からの検査で夕方まで時間がたっぷりあるので、ふらつきが無くなるまで休んで帰ればいいんだからと、車で行った。そして会計が終わってまだ少しふらつくような気がしたのでどうしようかと思ったが、この程度なら大丈夫だろうと思って、慎重に運転して帰ってきた。これもJRが満足に通っていないからだ。
 
 おい!f-JR九州、大津〜阿蘇間の代替バスを走らせろ、公共交通機関としての自覚を持て、社会的な責任を果たせ!

 今日は結構疲れた。下剤と水を3リットルも飲んで無理やり出すのだから、これだけで肉体的に結構疲労するものである。昨日から満足食べておらず、今朝も朝飯抜きだったから、帰る途中「浜勝」でトンカツを食べて帰ってきた。
 
 晩飯。豚肉の味噌漬けなど。


平成30年 9月 9日 (日)

 雨のち曇り。朝からというより多分前の晩からずっと、雨が降り続いていたが、昼過ぎに一旦雨雲が途切れた。このまま上がるか、また夜になったら降るのかと思っていたが外では虫が鳴いている、上がったのだろう。下界はまだ暑い日が続いているのだろうか。
     最低気温 18.8℃ (00:13)、最高気温 21.2℃ (13:53) 

 台風22号、今年最強になりそうだ、今の所は各機関とも西に進む予報を立てているがまだわからないとのこと。

 下行結腸リンパ節郭清からほぼ2年(正確には12月だが)になるので、スケジュールに従って、明日、胃と大腸の内視鏡検査を受けることになっている。ということで、今日は朝からそれに備えて食事制限が始まった。朝食はパンなどの軽いものを任意に食べて、昼からは、検査食と言って非常に消化の良い食べ物を少しだけ食べて、明日の検査に臨むことになる。
 
 明日は朝一番の検査だから、5時起きかなあ、というより、普段でももっとずっと前から起きているので、出発がそのくらいになるだろか、だから明日の旗振りは中止だ。でもいつも立っている爺様が立っていないと、子どもたちが訝しく思うか、じゃあ、カミさんを立たせるかなどと考えていたら、明日は小学校は今度の土曜日の運動会の振替で休みだった。
 
 本来、この振替休日、疲れたろうから休養のために休むというのが主旨なんだろうが、どうして、今度の土曜日にやる運動会の振替休日を事前に取るのだろうと昔疑義を呈したところ、確か、振替休日はその週内でケリをつけなければならないというルールがあるようで、だから、土曜日に運動会をすると、日曜日の翌日の月曜日には回せない、ということだったと記憶している。じゃあ、もし土曜日が雨で運動会が日曜日に順延された場合は、どうなるんだという理屈になるが、そこまでは考えていないようだ。休養無しで新しい週が始まるということだろう、いかにもお役所的だ(教育委員会が決めるのだろうから)。

 カミさんは太郎を連れて朝早くから、菊陽にある免許センターに免許更新に出かけて行って、昼過ぎに帰ってきた。連中が出かけている間に、「ゴールドかな」と言うと、娘が講習が一時間くらいあるって聞いたけど。ということは、ゴールドじゃないだろう。


  Raspberry PiでAlexaができるな、記事を読むとLinuxをかじり始めているのでソースを見ても全然抵抗がない、特に難しくない「感じ」だな。例えば https://blog.ko31.com/201803/raspi-alexa/ など

 日常生活の中で、合間合間に読んできた、吉川英治の「私本太平記」全13巻のKindle版、ようやく読み終わった超長大河ドラマだった。いやいや面白かった。漠然と鎌倉幕府、北条氏、それを倒した足利尊氏、後醍醐天皇の南朝、楠木正成の生涯、断片的にしか知らなかったが、系統だって小説として読んだのは初めて(になるのか、昔読んだ気がするが全く覚えていない)だが、あの時代の事がよくわかった、

 隠岐の島流罪だけではなかった後醍醐天皇の波乱万丈の生涯、足利尊氏は北条氏を倒して一代ですんなりと足利幕府を開いたと思っていたが、全く違って、武家に翻弄されて皇統が南北に別れた後も、何度かその京の主が入れ替わり、同族同士でなんども裏切ったり裏切られたり、勝ったり敗けたり、そして殺したり殺されたりしてそのたびに京の都が灰燼に帰し、民が苦しめられる、そういった非常に混乱していた時代だったのだ。
 
 歴史小説というものはたくさんの歴史的事実という「点」と「点」を虚実を織り交ぜた「線」でつないで肉をつけ血を通わせていくものだが、これが小説家の腕の見せ所で、さすが吉川英治、並の作家ではない。実在では無いだろう、何組かの市井の男女が繰り広げる優しさ悲しさを織り交ぜて、また、あの兼好法師がこれまた舞台回し的に登場するのだが、「徒然草」が出来た時代背景がよく分かる。

 電子書籍Kindleは思っていた以上に便利な読みやすい道具だ。これを実際の本で読むとあまり長編で巻数が多くて、それだけでちょっと躊躇するが、電子書籍一枚あれば、同じペースで読み続けることが出来て非常に便利なものである。これは何も専用の電子書籍でなくてもPCでもタブレットでもまたスマホでもKindleのアプリがあるので、こういう方法で本を読むのもまたいいものである。
 
 順序でいうと逆になるが、次は少し時代をさかのぼって同じ吉川英治の「新・平家物語」を読むことにしよう、これは16巻だ、私本太平記よりも長い、もうKindleに入れてある、楽しみである。


平成30年 9月 8日 (土)

 前線が日本列島に横たわっているようで、終日雨が降ったりやんだり、それに、今日は寒かったなあ、室内で半袖シャツでいると寒いので長袖シャツを出して着た。また素足でいると足が冷えるので、靴下を履いた。小生特に素足でいると足が冷えやすいのだ。
     最低気温 16.7℃ (06:06)、最高気温 20.1℃ (10:53)

 台風22号・・・・・か。この先、どう進むのだろうか。
 
 午前中は、南阿蘇のオープンセサミに馬の世話に行く、今日は朝からずっと雨だったので、覚悟をして雨合羽に身を固め、牧場に行ったが、世話をしている途中から雨が上がって、ずぶ濡れにならずに済んだ。(写真)

 夏子はテストだと言って昼過ぎまで学校に行っていた。太郎は午後かなり過ぎてから母親に連れられて、山を下って、耳鼻科に定期通院(どこにあるのだろうか、菊陽あたりだと思ったが)、夕方には帰ってきた。
 
 小生は、午後から、プログラムの「お勉強」などをして、それから家庭科。と言っても今日はカミさんがいて烹炊当番ではなく、「お裁縫」だ。
 
 何度となく破れては補修して、また破れては補修してきたジーパン、一時は結構の数があったがもう補修が効かないほど破れてしまって廃棄するものばかりになった、そのなかでまだ一二本はなんとかなりそうなので、休み明けから穿くやつがないので、今日午後から急遽一本だけ補修しておいた(洗濯をしてから縫えば良かったのだが、洗濯機にかけると傷口が広くなりそうなので、汚れたままで補修をした)。(写真1写真2
 
 「Linux from Scratch」の Scratch は、子供向けのプログラム言語の Scratch(スクラッチ)とは別物なんだろうな。
 from Scratch には「ゼロからの」という意味があるからゼロからのLinuxという意味なんだろうか、Linuxを使ったOSをソースコードから生成する、という説明を読むとそういう感じがする・・・・・・


平成30年 9月 7日 (金) もう一週間経ったのか・・・

 晴れ。夕方近くからひとしきり雨が降る。その後一旦上がったがしばらくは天気が悪い日が続くようだ。
    最低気温 22.2℃ (01:11)、最高気温 27.3℃ (11:39)

 本日の登校風景( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7
 
 集団検診の結果が戻ってきた。後期高齢者になると、検査データのフィードバックが、去年までくれていたデータに比べて、もう高齢者なんだからいいでしょうとでも言うようにきめ細かさがなくなり雑になる。HbA1cは期待していたほど下がらなかった、もっと前からウエイトコントロールをしなければならないのだろうか。
 
 今日は、何をしたかなあ・・・・・・今日もパソコン、コンピューター、読書・・・・・だったかな。01の並びだけの機械語、規則性があるので、機械語だけで何がかいてるあるかわかるものなんだあ。あ、それから家庭科(sound)

 晩飯。ナスの豚バラ巻き、甘酢あんかけ仕立て。


平成30年 9月 6日 (木)

 晴れ。明け方の気温が更に下がった。
   最低気温 16.4℃ (02:03)、最高気温 28.8℃ (12:58)

 本日の登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 今朝は2時過ぎにはもう目が覚めていた、ちょっと早すぎるなと寝床のなかで目をつむっていたところ、突然枕元のスマホからアラームがなったので、強い雨でも近づいているのかなと思ってスマホを開くと北海道で震度6強の地震、という文字が目に飛び込んできた(平成30年 北海道胆振東部地震)。何だ今度は地震か、自然災害大国・・・我が日本国は災害列島なんだなあ、時と場所を選ばずに次から次に自然災害が起きている、世界を見渡してこんな国は他にあるのだろうか。

 断片的にしか情報がわからないが(見ないからだが)、震源近くの大規模な崖崩れ・・・たくさんの家屋が無残にも潰されている、先年の阿蘇の豪雨災害や熊本地震の光景を思い出させるが、人というのはどうしても、こういった山の裾野部分に集まって家を作る傾向にあるのだなと思った。
 
 北海道全域が停電しているという、これまたタイヘンなことだ。電気の需要と供給のバランスが崩れると周波数が狂って・・・などと停電の説明をしていたが、ほとんどが電気に依存している現代社会というのはいかにも脆弱なものだなと感じた。近年立て続けに起きている大きな災害のひとつひとつが今後の予想される更に大きな災害に対する防災の計画や対策に生かされなければならないのだろうがどれもこれもあまりに課題が大きすぎる。

 小生が以前、自家発電(ソーラー)を導入しようとして直前でやめたのは、イザというときの我が家の電力確保が主な目的だったのだが、電力網が停電をした場合、自宅の発電装置装置から電力網につながる回路がシャットダウンするそうで、そうなると、宅内だけで使う電力もそれに伴ってほんの少しの電気しか使えいないようになっているとのことだったからだ。それじゃあ非常時使うための自家発電の意味がないと思って工事を中止した。だから北海道でもソーラーパネルで発電をしてい余剰電力の売電をしている家庭でも、この停電後はほんの少しの電気しか使えないのではないだろうか、停電してそれを初めて知った家庭も多いのではないだろうか、それとも今は以前とは仕組みが変わっているのだろうか。
 
 小生は昔、石油タンクなどを作る会社にいたので、震源のすぐ近くにある苫小牧の苫東国家石油備蓄基地は大丈夫だったろうかと気になった。油のタンクはタライのようなもので中で石油が揺れだすとその揺れが増幅してタンクの外に溢れ出す恐れがある、それに火でも点くと大事になる、苫東には巨大なタンクがたくさんならんでいるので気になったが、東日本震災などを経験して、いろいろと対策がとられているようで、今回も大きなトラブルは起きていないとのことを聞いた、安心した。。
 
 ところで地震のエネルギーの大きさの違いで、マグニチュードが1違うと約32倍、2違うと約1,000倍という説明が一般的だが、これは間違いで約1,000倍でなくて、ピタリ1,000倍なのだが、これは32^2=1,024になるから約1,000倍というのだろうが、そもそもこの32^2と計算するからおかしくなるのだ。
 
 (途中の説明をうんと省いて・・・)10^1.5=31.622・・・だからマグニチュードが1違うとこれは約32倍でいいが、マグニチュードが2違うと、10^3になるから約1,000倍でなくて、ピタリ1,000倍なのだ、対数が分かれば簡単なことなのだが。
 
 以上は、二つの地震の大きさの比較であって、大きさそのものの説明ではない。その地震の大きさ、地震のエネルギーについてだが、非常に面白い記事がある。(PDFファイル・・直接アクセスするなら以下)
 http://www.saturn.sannet.ne.jp/okku/ShiftingSeas/mass_energy.html
 
 結局、今日一日、ラジオはほぼ完全に地震報道で終始した、もし、今回の地震が「甲子園」の時に起きたら、NHKは困っただろうな、どうしただろうか。ちょっと前に起きたブロック塀が倒れて子供た下敷きになったあの大阪府北部地震、それから二三日前の台風21号、まだホットな災害なのに完全に吹っ飛んでしまった。

 今朝の会話、夏子が朝食を食べながら、「あ〜あ(この「あ〜あ」の意味はわからないが)今日の時間割は、英語、数学・・・ナントカカントカ」と言っているのを聞いて、横から太郎が「ボクは国語算数・・・」。そこでお父さん、「お父さんの今日はね、パソコン、パソコン、無線、読書・・・・」と言うと、太郎「お父さんはいいなあ」。娘がそこに「お父さんはそれに家庭科ね」と言う。「ああそうだ、家庭科があった、みんなのご飯作りね」、今日も結局「農業実習」は無かったなあ。

 今日はカミさんの誕生日だ。仕方がないので中村さんにケーキを注文して、今日の「家庭科」は「つばグリル風ハンバーグ」にした、カミさんのためと言うより子どもたちが好きだからで、しかも見た目、なんとなく豪華に見えるではないか。カミさんの年齢を間違って、貰ってくるケーキに立てるローソクの数を間違った。(写真1写真2
 
 その他・・・ボンにフィラリア予防薬投与(4/5回)


平成30年 9月 5日 (水)

 晴れ。もう直射日光下でもそれほどの暑さは感じない、日差しが柔らかい、完全に秋になった。我が家の周辺でボツボツ稲刈りが始まった。
    最低気温 20.0℃ (05:12)、最高気温 26.6℃ (14:21)

 登校風景 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 プログラム言語に関して日がな一日あちらこちら食い散らかしている。Raspberry Pi・・・これは面白い、アセンブリをやったりLinuxをやったりしながら、Raspberry Piに寄り道したり、頭が混乱してくるが、飽きない、外作業がどんどん疎かになる。
 
 ちょっと己が頭のレベルで整理すると、Raspberry PiのOSがRaspbianで、そのなかにRaspberry Piの代表的なプログラム言語であるPythonも入っている。RaspbianというOSはいわゆるwindows形式(xWindows)でも動かすことができれば、CUIでも動かすことが出来る。CUIでRaspberry Piを設定する画面をみると、まさにLinuxだ、Raspberry Piで使うLinuxはdebian系のLinuxだから、Raspbianと言うのだろう。そのテキストモードの画面をみると、今習得中のLinuxの長々とした(以前だとそれを見ただけで頭が痛くなっていた)プロンプトや打ち込むコマンドなどが抵抗なく目に飛び込んでくる。
 
 PICマイコンはもうわかったから卒業だ、いや、もちろん並行して習得中だが大体分かった。数ある入門書というものはどれもこれも入門者が読んでも分からない、ある程度解ってから読むと、どれもこれもよく分かる、入門書とはそういうものである、どうだ蓋し名言、だろう。そして、プログラミングが解っても実際にはそれをどう実用に結びつけるか、実はこちらのほうが難しいことも。
 
 それから、Raspberry PiのGPIO(入出力ピン)につないでPICも焼けるようだ。そのほか、カメラユニットをつないで防犯カメラや、デジカメを自作したり、いろいろな計測機器をつないだりと・・・ネットでいろいろ検索をして見ているが、これは楽しい。やはりLinuxと直接CPUにかかわる低級言語のアセンブラ、この二つをものにすれば鬼に金棒だ。

 昨日の関西空港の連絡橋のタンカー衝突事故。外側からしか見ていないが、ぶつかったタンカーも馬鹿だが、時系列的は知らんが、大きな台風が来ているのに、あれだけ注意しろ注意しろと繰り返して放送などで呼びかけているのに、あの時間帯にどうしてあんなに大勢の人が空港にいたのか、台風を舐めていたのか、近代施設を信頼していたのか。陸地と結ぶ唯一の連絡橋が破壊され、外部との連絡を完全に絶たれて海上で孤立した空港・・・まるでブルース・ウイリス登場のダイ・ハード的ハリウッド映画のような舞台設定だ、悪いけど大変だったなあという同情心は起きない。
 
 太郎、水泳教室
 
 晩飯。豚肉のムニエル。


平成30年 9月 4日 (火)

最低気温 22.3℃ (06:53)、最高気温 26.8℃ (13:38)
最大瞬間風速 9.8 m/s(14:51)(18:40現在)
最低気圧(海面換算)990.4 hPa(13:29)
本日の雨量 1.8 mm (18:40現在)

 台風21号、夕方時点で日本海側をなお北上中である。ここは一番近くを通った時点でも強風域から外れていて、風もほとんど無く、雨もほとんど降らなかった。却って夕方、日本海に抜けてからのほうが、時々強い風が吹いていた。

 テレビを見ないのであまり情報は無いが、それにまだ完全に終わったわけではないが、もちろん強い台風だから被害が結構出ているようだが、それでも、事前に心配されていたほどでは無かったのではという印象である。それでも怖かったろうなあ。昔と違って防災対策が進んでいるのか、事前の避難などがが功を奏したのか・・・台風というものはいつも思うのだが、どうも数字だけでは分からないところがある、実際に来てみなければ分からない。それでも起こさなくて済んだ事故、関空に通じる連絡橋にタンカーがぶつかったライブカメラを見た。普通の家屋などで逃げようがなくて風に飛ばされるのはこれは避けようもないが、このタンカーはお粗末だろう、人災だろう、起こさなくていい事故を起こしてそのために空港は孤立、大勢の人が取り残されているようだ。

 台風の中継、いつも、どこそこに「上陸」したと言う、まるでゴジラのような「怪獣」のように言うが、上陸したということに何か特別な意味があるのだろうか、上陸した場合としなかった場合と違いがあるのだろうか、近くを通過して上陸しなかった場合、ああ、上陸しなくて良かった、というほどの違いがあるのだろうか、今回の場合、普通に徳島南部付近を北東方向に進行中です、で良いと思うのだが、どうしてだろうか。
 
 本日の登校風景 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 
 ボンの散歩から帰ってきた時に、家の入口の田んぼの電気柵が無くなっていた。もうそろそろ稲刈りだし、今年はトンネル工事の重機やトラックなどの音に警戒してイノ公たち近寄らないかもしれないからと撤去したようだ。夕方風呂で里美さんに会ったので訊いたら、そのとおりだた。

 朝のルーチンワークを終わって、PCの前にドッカと腰を落としながら、さあ、今日は何をしようか、そうだ、床屋に行ってこようと、座り込むのをやめて松岡さんのところに行ってきた。小生としては前回(いつだったか忘れたが)の散髪から、今回はかなり短いと思う。理由は最近とみに毛が細くなってきており、密度もかなり薄くなっている、鏡におのが姿を映すと、頭皮が見えるくらいだ。だから、以前なら、かなり髪が伸びても髪の重量そのもので頭が膨らむことはなかったが、最近は特に小生は全く整髪料を使っていないので、放っておくと頭髪が児雷也のように膨れ上がる。これがなんともみっともなく、またむさ苦しく見える。だから、間隔が短いが散髪をしてきた。
 
 出かけたのが8時半過ぎ、帰ってきたのが9時過ぎ、行けばあっという間に終わるのだが、どうも床屋に行く時間がもったいなくて普段なかなか出かけない。

 帰宅後は台風が気になりながら、道楽である。Linuxを覚えよう、マスターしようとずっと思っていながら、未だに出来ていないのだが、そもそもなんでLinuxを覚えようとしているのか、これをしみじみ考えたことが今まで無かった。これについては日を改めてまた書こう。
 
 太郎に虫歯が出来たらしくて、カミさんが予約してあるから連れて行ってくれと言うので、学童を少し早く切り上げて宇治歯科に連れて行った。周囲には太郎と同じ年頃の子の中には虫歯で歯がボロボロの子もいる、でも、太郎は今まで1本も虫歯が無かったのだが、とうとう出来たようだ。先生の話を聞くと、小さな穴が開きかけていて、白い詰め物にするか、金属を被せるか、ちょうど境目の状態。だそうだ。一応白い詰め物で様子を見ましょうということで、埋めてもらって帰ってきた。これ永久歯ですかと尋ねたら、いやまだ乳歯です、とのこと、乳歯でもちゃんと治療をしないといけないようだ。



平成30年 9月 3日 (月)

 晴れ。(写真1写真2写真3
 登校の旗振りで出かける時、日向に出るまでは、今朝など半袖シャツだと寒く感じた、毎日の記録を見ていると徐々に最低気温が下がってきているのがわかる。
   最低気温 19.3℃ (03:47)、最高気温 27.5℃ (14:03)

 台風21号、いよいよ日本に迫ってきた・・・・  

 登校風景 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 
 屋外作業の締めくくりがもうひとつ残っているが、誘惑に負けて、道楽の資料読みなどで一日過ごした。Linuxをなんとかものにしたいと思っていて、以前、山程プリントアウトして、あちらこちらに散らばっている資料を集めては読んだり、関連事項をネット検索したりした。今、結構興味があるラズパイのプログラム言語のPythonなんか眺めていると、PICアセンブリがわかるようになってきて、なんとなく理解が出来る、そう思って他のC言語なんかを見ても、大体想像ができる、そのほかのいろいろな言語を見ても大体想像ができる、高級言語はみんな基本的には同じだ、偏にアセンブリ言語がわかったからだ、だからLinuxも行けそうに感じてきた。

 晩飯。餃子。大きな声では言えないが、昼一人で餃子を焼いて食べた時に、そうか今晩もそうしようと密かに決めたのだ、小生は連チャンでもかまわない。


平成30年 9月 2日 (日)

 素晴らしい秋空が広がった、気温も低めでひんやりとした気持ちが良かったが、午後から雲が出てきて、夕方にはかなりまとまった雨になった。天気が崩れる予報だったか?と天気予報を見たところ、確かにな・・でもこんな予報はどうとでもとれるなあ、阿蘇地方と限定しているのだから、このくらい「所」によらなくても予報してくれよ。
       最低気温 19.6℃ (06:22)、最高気温 28.4℃ (14:47)

 いつもなら、台風が接近しているときには、そんなに短時間では変わらないのが分かっていても、気になってしょっちゅう台風情報を開いてはドキドキしているが、ありがたいことに今回もあまり台風情報を気にしないで済んでいる、この気持、従来と比べると、天と地ほどの開きがある。予想進路にある各地は今、重苦しい気分になっているのだろう、少しでも勢力が弱まるのに期待する他無い。でも、いつも予報が正確でないと、馬鹿だのアホだの言っているが、現代の気象予報技術、気圧配置を始めとするいろいろの気象データで台風のコースを予想してそう大きく外すことがないのだから凄いと言えば凄い。

 阿蘇市主催の「大阿蘇元氣ウォーク」の第二日目が開催された。
 確か我が家の前を通る本日の20キロコースは8時30分スタートの予定。そして8時50分過ぎにそのウォーキング人たちがやってくるのが見えた。先頭集団はまるで競歩のように脇目もふらずに駈けるように通過していく人たちが多かったが、ひとしきりそういう固まりが通過後はゆっくり談笑しながら歩いている人たちが続いた。

 最後尾近くでは、曽祖父の旧居跡の看板(拭いておいてよかった)をじっくり読んでいたご夫婦(だろう)に、「タイムレースじゃないんだからお二人のように阿蘇の風景をのんびり眺めながら歩くといいんですよね」、と言ったところ、「全くそのとおりですよね、よく仰っしゃっていただきました」と言いながらも、この先の道が全くわからないのでせめて前を歩く人が見えるところまで追いつかないと、と少し駆け足で通り過ぎていった。坂梨の浩太さんは、20キロ全部走るんだと言って走り抜けていった、彼の場合は走るのが目的で阿蘇の景色は関係ないからな。

 小生が想像していた以上にものすごく大勢の人たちが20キロコースを歩いていた。太郎よりも小さな子が歩いていたので、大丈夫かなと訊くと、お母さんが大丈夫よね、と代わりに答えていた。小生が話しかけた、たまたまた二つのグループ、両方共若い女性のグループだが(当然だが)、どこから参加かと訊いたら、二組とも北九州(それも門司や小倉)からだと言う(あとから見たら同じピンク色のシャツを着ていたので同じ団体だったのだろう)、主催者側で北九州方面に何かそういった働きかけがあったのかどうかわからないが、へえ、そうですか、としばし足止めをして、小生が門司で生まれて小倉で育ったこと、小生の名前が門司にある山に由来する話などをして相互に「へえ」の交換をした、あまりの長話をしてもなんだからと、今日の写真を掲載しますと、ホームページのことを教えておいた(もしご覧になったら、見たよ、と掲示板にでも・・・)。
 
 「大阿蘇元氣ウォーク」二日目、20キロコース 連続写真 (1/2)
 「大阿蘇元氣ウォーク」二日目、20キロコース 連続写真 (2/2)
  (誰も見ないだろうが、全員ではないが、敬意を表してできるだけ載せた)

 一方、我が家の太郎とお母ちゃん、昨日参加するつもりだったが、雨だったので、変更して今日のコースに参加をするために二人して出かけていった。帰ってから話を聞くと、中通り古墳群を巡る5キロコースを歩いたそうで、昼過ぎには帰ってきた、太郎、サービスで出るかき氷を4杯も食べたと嬉しそうに言っていた。行く前に、どうして天下の公道を歩くのに参加費を払わないいと歩けないの、べつに皆んなと一緒に歩けば良いのだから参加手続きなんかしなくてもいいわよね、と言っていたが、やはり参加証などが欲しかったのだろう、正規参加をしたようだ。

 昨日と違って、今日は空気もひんやりとして抜けるような青空が広がっていた、久しぶりに素晴らしいウォーキング日和になって良かった。



平成30年 9月 1日 (土)

 さあ今日から9月だ(SeptemberSong約2MB)。朝起きた時に見た雨雲レーダー、強い雨雲が南下してきている・・・

 「さっぶー」と言いたくなるほどの気温である。まだ完全に夏スタイルなので今日のような気温では窓を完全に閉めていても寒く感じた。8月の下旬にはもう暑い暑いと言っても、空気は既に秋を感じさせるものがあった。南阿蘇に行く途中、早くも少し紅葉が始まっていた、これからはここは冬に向けて一気に季節が変わっていくことだろう、阿蘇ではしみじみ秋を楽しむ時間はあまりない。そろそろストーブの準備も始めなければ。
     最低気温 20.6℃ (15:20)、最高気温 25.3℃ (13:16)

 台風21号、当初の「猛烈な台風」から日本にやってくるころには少しは勢力が弱まっていると思うがそれにしても強い。今回も運良く九州にはやって来ないで済みそうだ、今はただホッとするだけである。

 午前中も早いうちに毎土曜日のルーチン、箱石峠を越えて南阿蘇に馬の世話に行った。雨が降っていたので、普段は全部ではないが地面に撒く餌が多いが、今日は地面がグズグズになっているので、小屋の中に撒いてやった。近くで雷も鳴っていたが、中途半端にやめるわけにはいかないので、ママよ、落ちたら落ちたときだと腹を決めて作業を続けた、直撃したら本人はそんなことは全く分からずに瞬間的に逝ってしまうのだから、それを考えたらどうということは無いのだ、最近、いろいろなシーンでそういう風に思うようになった。悟り・・・だな。

 今日は防災の日か・・・近年あまりに大きな災害が多くて、それが却って「防災の日」という日の印象を薄くしている。それで思い出した。ニュースによると、最近の水害などで、「特別警報」が何度か出されて、その警報を聞いて、特別警報のことは知っていたが、実際に避難行動をとったという人は、調査対象の1%未満、それもはるかに下の方の数字だったそうだ。これは日頃の気象庁・NHKの「オオカミが来たぞ」の結果ではないのだろうか、詳細な情報を発信することと、いたずらに不安を煽るのとは違うんだぞ。

 今日はシマ(異名コラッ2世)の命日だ、身罷ったのは1日の深夜日付が変わる前で、気がついたのは2日の朝だった(H28.9.2)、もう三回忌か。そういえばボンのやつ、今頃になって毛が抜け始めて夏毛に変わりかけている、もう秋だぞ、例年は夏にかかるころ抜けるのだが、老化で代謝機能が狂っているのだろうか。
 
 本日と明日の二日、市主催のイベント「大阿蘇元氣ウオーク」。ずっと見ているが、この日が天気が良かったということは殆ど無かったような気がする。この催しの前身は、町村合併前に行われていた町民対象の健康ウォーキングだが、町村が合併した後、しばらく経ってこのイベントの対象が住民というより、対外向けのイベントと化してしまった。要するに観光化、金儲け主義にである。と小生は解釈している。それはそれで良いのだろうが、小生は住民の健康増進、地域住民の親睦といった本来の主旨から離れてしまったと感じたのでその時以来、参加しなくなった。それまでは、毎年、家族で、時には千葉のじいちゃんばあちゃんも一緒にまだ娘が幼くて、乳母車で参加したこともあった、地域の保育園幼稚園も一緒に参加していた。昨日までずっと天気が良かったのに開催日の今日はまた雨になってしまった、それも時間帯によっては非常に強い雨だった、参加者たち、無事に歩けたのだろうか。夕方には雨も上がって山が見えだした、明日もあるが明日は天気が回復するといいが。
 
 今日も家族全員出かけることもなく家にいた。

 Linux、なんとなく分かってきたぞ、考えてみたら、MS-DOSをやってきた世代だから、コマンドは似ていて、そんなに抵抗はないのだ、MicrosoftWindowsと基本的なファイル構成が違うことが混乱の元になっているのだな、よしよし、死ぬまでになんとかものにしようではないか。今日も、Raspberry Pi(エミュレータ)をいじったりして遊んで過ごした、Raspberry Piは小なりとは言え、パソコンだ、ちゃんとインターネットにもつながる、つながるからと言ってそんなことに使う意味はないが。それにこのRaspberry Piは一番安いモデルはなんと35ドル(100円とすれば3,500円だ)、最高モデルでも5,000円くらいだろう(もちろん本体部分だけだが)。PICアセンブラはもうマスターした(気でいる)。もちろん皆んな相通じるものがあるのだが。



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