風師庵日記目次へ
平成30戊戌(2018)年 7月の記録 (新しい日付けの順)
平成30年 7月31日 (火)
今日も時々通り雨が降る。下界では相変わらず猛暑が続いているようだが、台風がやってきて以来ここ阿蘇は少し肌寒さを覚えるくらいの低めの気温が続いていて、ひところの猛烈の暑さがちょっと恋しくなるほどのこの涼しさ、もう秋が来るのかなあと勘違いしそうだが今日まではまだ7月だ。
最低気温 22.3℃ (05:22)、最高気温 27.3℃ (14:55)
その台風12号、一向に消滅せずに、「台風の定義」の勢力を保っているのだろう、今日は夕方一時ちょっと風が強かったが午後7時ころにはその風ももう吹いていない、台風12号、左旋回でぐるりと一周しそうだ、風の吹き方もそれによって変わってきているのだろう。
ラジオ体操 細かな霧雨が降っていたので、太郎一人とRオジサン参戦
軽い気持ちで「私本太平記」を読み始めたのだが、他のことが手につかなくなった、とにかく長い、全13巻、長いからちょっと読んでは、少し置いてまた読もうと思っていながらついつい読み続けてしまう。長編は読み始めると最後まで一気に読んでしまおうとするのでどうもいけない、ほかのことが手に付かない。鎌倉、北条執権、足利幕府、南朝北朝、楠木正成、千早城、児島高徳・・・断片的は知っていても一つの流れとしては理解していなかったがそれが分かって非常に面白い、まだまだ読み終わるまで時間がかかりそうだ。
太郎、虎舞練習日。
晩飯、豚肉の味噌漬け、だし巻き卵、豆腐味噌汁、トマト
平成30年 7月30日 (月)
台風12号、まだ九州の南のほうでウロウロしているようだが、往生際の悪い台風だ。台風のやつ、ぐるぐる廻っているうちに海面の温かい空気を取り込んでまた大きな台風に発達するようなことは無いのだろうか。
今日はそのせいで、大気が不安定で、時々驟雨が通り過ぎていった、気温も低めで、どちらかと言うと天気ははっきりしなかったものの涼しくて気持ちのいい一日だった。
最低気温 21.9℃ (02:05)、最高気温 26.5℃ (12:59)
ラジオ体操 今朝はちょっと霧雨模様だったので隣村のRクンは自宅で体操、太郎ひとりだったが、村のRオジサンが参加してくれて一緒に体操をした。
現在阿蘇市では今の時期、約一ヶ月をかけて住民健診が各地域で行われている、表を見ると二十数箇所の会場で日を替えて行われている。そして健診をスムースに行うために、地域ごとをさらにいくつかに区切って時間指定がしてある。今回は小生の住む豆札区などは受付時間が一番で午前7時30分から午前7時50分までとなっていた。今日はカミさんも健康診断日で、彼女は職域の健康診断で、熊本市の指定病院まで出かけるので、早々と出かけていったが小生は太郎を学童保育に送ってから行ったので、旧坂梨小学校の体育館に指定時間の最後に滑り込んだ。
フルコースだと結構の科目の受診になって時間が掛かるが、小生は基本健診(血液採取と尿の提出、血圧測定、身長・体重)と前立腺の検査(血液採取)だけ。バリウムだとかX線検査だとかエコーだとか便の潜血検査だとかのオプションは、三ヶ月ごとに高野病院で定期チェクを受けているので今回は無し。非常に短時間で終わった。
ちょっと話しが逸れるが、便の潜血検査を漢字変換していて、ウンコの便・・あれ?風の便りのビンと同じだったっけか?普段あまり気にせずに間違いなく使っているが、唐突にちょっと迷った。同じなんだなあ、どうしてなんだろう・・・
閑話休題言帰正伝。今行われている健康診断の主眼は「国民健康保険」の被保険者の病気を減らそう、つまりは保険者である市町村の財政を圧迫している医療費負担を少しでも減らそう、そのために病気になる前に自分の健康に気をつけて貰おうというところにあるようだが(と小生は理解をしているのだが)、表立っては言わないがどうも後期高齢者は正直言って市区町村が保険者ではないので、そいうことではどうでもいいという感じのようで、ここまでお生きになったのだから、この先も自由にお生きくださいということなのだろう、検査項目もいくつか減っている。
心電図は無かった。それに身長・体重は測ったが、腹回りの、つまりメタボ健診も無かった。腹回りは測らないのですか?と訊いたところ、ええ、後期高齢者はもう測りませんとのこと、なんだ小生は4月からこの腹回りの測定も念頭に置いてウエイコントロールをしてきたのでなんだか肩透かしをくらった感じである。メタボ判定は腹回りだけでなく、血液検査などのデータを元に総合的に判断するようになっていて、今までメタボと診断されたことはなかったが、それでも腹回りだけはいつも境界線上にあったので今年こそはと思っていたのだ。今は血液の検査だけで体の具合がほとんど分かるので非常に便利になった、ウエイトコントロールの結果も腹回り測定はしなかったが、血液検査の各数値に現れてくるのだろう、一ヶ月先の検査結果が楽しみといえば楽しみであるが興味がある。
そういった主催者側の意図は意図として、どうせなら健康で暮らせたほうがいいに決まっている、同じ高齢者でも元氣でいられるのと、そうでないのとでは同じ生きていても全然違うだろう。そういう意味で、普段から気をつければ罹らないで済む生活習慣病にならないためにこういった健康診断は大いに有効である。
太郎、少し前に漢字検定の試験を受けに行ったが今日その判定結果が送られてきた。一番下のクラスだが、漢字検定10級に合格していた、まあ、一年生終了レベルだそうだから出来て当たり前だが、一問だけ間違っていたようだ。
朝、健診で食事を抜いたので夜はトンカツを揚げてポテトサラダを作った。
食事といえば、太郎はオカズをバランスよく順番に食べずに、一皿ずつ食べてご飯もそうする傾向にあるので、口中調味を教えてバランスよく食べろと言っているのだが、なかなか直らない、そんなところに、今日見つけた記事(PDFファイル)、かわりばんこに食べるのを「三角食べ」、一品ばっかり食べるのを「ばっかり食べ」というようだが、最近は太郎の食べ方の「ばっかり食べ」が理由があって増えているようである、世の中、わからないものである。
平成30年 7月29日 (日)
今朝、窓を開けて布団をかけないで寝ていて寒くて目が覚めた。そして今日一日も半袖シャツだと薄ら寒くて窓を全部閉めて過ごした、おいおいまだ7月だぞ。
最低気温 21.7℃ (04:20)、最高気温 24.4℃ (12:15)
台風12号、実にへんてこなコースで来たものだ(まだ現在進行型であるが)、回り回って結局この付近までやって来るようだ。もっとももう台風と言えないほど小さくなっていて(これでもまだ台風って言うの?)、雨も、今の所、降るぞ降るぞと言っていたほど降っていない。ただここまで来て極端に台風の速度が遅くなってちょっと停滞するとのことなので、それに伴って雨が降り続けるかもしれない。今度はまったく逆コースでやってきたので、気象庁もNHKも手探り状態だったような気もする、明日になってみなければ最終的にどうなるかわからないけど。それでいつも思うのだが、やれ転んで怪我をしたとか指を切ったとか一人や二人の大したことない怪我をこと細かに放送しているが、そんなもの必要あるか?
ちょっと前に戻る。昨夕、食事が終わった頃、突然近くでバリバリ・ドーンという大きな音が。娘が、花火だ!というので、今日花火があるのか?御田祭関係か?と訊くと、なんでも、阿蘇にある企業の夏祭りかなんかだそうだ。花火が上がった場所は我が家から数百メートルのところにある普段は水がない遊水地だそうで、目と鼻の先、ここは一等席である、一企業の花火だからすぐに終わるだろうと思って家族全員外に出て見ていたら、これがっけこう大規模の花火大会で、かなり長い間、たくさんの打ち上げ花火が次々に打ち上がって夏の夜空を彩った。
先日、肺炎球菌ワクチンの注射をしたが、今後5年間は再接種はできないからと、接種をしたことを忘れないようにカードだとか備忘シールをくれたが、このようなことは個人に任せないで医療機関で全国共通で管理をすればいいではないかと思っていたところ、肺炎球菌ワクチンに関してということでなくて、医療機関での診療記録などの医療情報を全国一律に共有するが仕組みが導入されることになったそうである。この情報の仕入先は実にヘンなルートだが、「朝鮮日報」の日本語版記事で「朝日新聞デジタル」の情報転載という経緯で知った。そこで朝日新聞デジタルを開いたところ、記事の一部だけ公開で全部読むには有料会員登録が必要だそうで、なんだケチと思ったが、一日一記事だけは登録すれば無料で読むことができるとあったので、小生の個人情報を朝日如きに教えるのは業腹だが、敵を知り己を知れば・・・・で無料登録をしてこの記事全部を読んだ。ここに転載にあたっては、道義的にその部分を載せるわけにはいかないだろうから、そこはボカシを入れておいたが、今まで医療情報の共有がされていないことは、予々、その無駄不効率が指摘されていたことだが健康保険証の個人番号化でようやくその緒についたということだろうか。
夏子のピアノ教室グループの発表会があった。熊本圏でいくつかの会場で何週かに分かれて実施されていて、今日は夏子が習っているエリアの発表会が菊陽町図書館ホールというところで開催されて我が家の三人組は出かけていった。去年はベートーベンのピアノ・ソナタの「悲愴」の第1楽章だった(かな)が、今年は同じく「月光」の第2楽章を弾いたそうだ。聞いたところ、プログラムの最後の出演で、お!トリか?と言ったところ、年齢順でいくと高校生は私一人なので必然的にそうなる、イヤだなあと言っていた。素養として習うのは大体ほとんど中学校までのようだ。まあ、そんなに熱心に練習をしているわけではないが、10年以上もやっていると、ピアノ・ソナタくらいは弾けるようになるから大したものである。夏子の話によると、ピアノのソロ演奏では暗譜がルールのようで、途中忘れても譜面がないので立ち往生するかもしれないと言っていたが、帰ってから首尾を聞くとちょっとつかえたけど全部弾き終えたと言ってた。太郎も、お姉ちゃんちゃんと弾いたバイ、と言っていた。ネットで検索をしたところ確かにどの動画も譜面を置いていない。そして、事実、今日も「出だし」で躓いて、どうしても進むことが出来ずに、そのままリタイアした発表者がいたそうである、こういう時は頭が真っ白になるのだろうな。
平成30年 7月28日 (土)
晴れ。今日も風があってしのぎやすかった。台風12号が関東東海方面から日本に上陸しそうで、本来西から東に進む台風が今回は東から西に向かって進んでいる。ここはまだはっきりしないが直撃はギリギリ避けられそうだがまだわからない、やってくるのは明後日(30日)の昼くらいになるのだろうか。西に進路を変えてからスピードがうんと遅くなるようだ。
気象庁 ・ JTWC
最低気温 24.1℃ (04:43)、最高気温 32.7℃ (14:25)
午前中、というか、もう9時頃には戻っていたが、南阿蘇のオープンセサミにオカラを届けてついでに馬の餌やりをしてきた。いつものように木村豆腐店にオカラをもらいに行くと、今日はまだあと30分くらいかかるというので、一旦家にもどったが、考えたら小生が少し早く行き過ぎたようだ。箱石峠は窓を開けて走るとちょっと寒かったので窓を締めて走った。
(写真1・写真2・写真3)
家に戻ると、入れ替わるように太郎は母親と「地トウキビ」植えのイベントに行った、これだろう。(PDFファイル約5MB)、そして更にその後、夏子は学校のクラス全員で熊本大学(だったかな)のオープンスクールに参加すべく出かけていった。
午後一時過ぎに、短い間だったが停電した、たとえ短くてもコンピューターシステムはダウンするのだ、夜になっても原因は調査中となっている、気をつけろ。
もうずっと機能不全に陥っていた気象観測のグラフ表示がようやく直った。何年かぶりに触るソフトなので以前どうやって設定したか完全に忘れていてどうにか修正するするのにほぼ一日かかってしまった。もっと早くやればよかったが、一つには最近インターネットによる情報発信のモチベーションがさがっていたこともある。
でもやっぱりグラフのほうが一定期間の増減の変化、傾向がわかっていい、そしてやはりデジタル表示よりアナログ表示のほうががいい、グラフ表示は、一日ごと、三日ごと、一週間ごと、一ヶ月ごとなど、いくつかのパターンが選択できるが、同時に複数パターンの表示ができないので、とりあえず一週間ごとの表示設定をしておいた。台風12号接近で確かに気圧が下がっている、天気図と併せてみるとそれがよく分かる。
平成30年 7月27日 (金)
昨夜寝る頃まで、阿蘇山ライブカメラが朝からずっと止まっていたのに気が付かなかった、みるとサーバーの画面、window10のバージョンアップだかなんだか知らないが、そのメッセージが出ていて本来のカメラが強制的に停止していた、誰も頼んでいないのに大きなお世話だ勝手なことをしやがってマイクロソフトめ。
晴れ。今日も気持ちのいい風が吹いて家にいる限り外の暑さは苦にならなかった、屋外も作業をするのでなければどうということのない夏の暑さだった。
最低気温 23.2℃ (02:09)、最高気温 32.2℃ (13:46)
台風12号の進路予想、なんだか小生が最初に予想したとおりになってきた、沖縄地方の人たち、今回限りは穏やかな気持で台風を見られるだろう、こういったことは珍しいのだろう、こんな今までと逆のコースの場合は、どんな台風対策をとったらいいのだろうか、まずは風向きだなあ、それと雨の降り込み具合。
ラジオ体操 写真1・写真2・写真3・写真4
だご汁屋と併せて観光ブルーベリー園もやっている「なごみ野」のオヤジがブルーベリーを持ってきてくれた、いつも摘みに来いというのだが、面倒だからいいよと言うとじゃあ摘んで持っていってやると言ってわざわざ摘んで届けてくれた。立派なブルーベリーが一キロあった、早速ジャムを作った、煮沸した瓶に詰めたが我が家の連中、ヨーグルトに入れて喜んで食べるのですぐに無くなる。いつもペクチンの量がいい加減でアバウトに入れるのでだいたい固くなりすぎるが、今回はどうだろう、冷めてからまだ見ていないが。
夏子、一泊での合宿勉強会が終わって午後に帰ってきたが、夕方からボランティア(これも学校行事だと思うが)で大津にある多分、老健施設かなんかだろう、出かけていった、ただ、公共交通機関がないので結局保護者が連れて行って連れて帰らなければならない、母親が乗せていったが、これじゃあボランティアにならないだろう、おい!f-JR九州、大津〜阿蘇間の代替バスを走らせろ、公共交通機関としての自覚を持て、社会的な責任を果たせ!
夕方、プールにクーリングに出かけて1,000m泳いで風呂に入ってきた、太郎も今日はちょっと行きたそうな素振りだったが、家で風呂に入れと言って一人で行ってきた。
晩飯。娘のボランティアで母娘がいなかったので、オムライスを作って食べさせた。
平成30年 7月26日 (木)
晴れ。気持ちのいい風が室内を吹き抜けてしのぎやすい一日だった、今日は夕立は無かった。
最低気温 23.8℃ (01:23)、最高気温 32.8℃ (15:14)
台風12号は経験上、絶対に関東地方直撃は無いと小生は見ている、なんとなれば、そんなに今の予報技術は確立されていないからである。今指しているということはこれ以降必ず右か左にブレると思って間違いないと思っている。そう書いているうちにもうかなり西の方に曲がってきている、内心、下手をするとこちらに来るんじゃないかとさえ思うくらいだ。まあ、来てみなければわからない、そして実際に来たらその時に覚悟を決めたらいいのだ、と最近ようやく悟った。
ラジオ体操 写真1・写真2・写真3・写真4
阿蘇文化調査研究会の例会があった。今日は阿蘇草原保全活動センターで「阿蘇の自然を愛護する会」の事務局長・岩下俊自氏から「阿蘇希少植物」について解説とスライド映写会があった。その後でセンター裏で育てている希少山野草の鑑賞をした。最近小生が日記にヤブカンゾウのことを書いたが、このヤブカンゾウに似たノカンゾウというは花があり、見たところ、ヤブカンゾウは八重でノカンゾウは一重くらいの違いしか無いが、ヤブカンゾウはどこにでもあるが「ノカンゾウ」は阿蘇でも僅かな生息地しか無いそうである。小生のように花の名前を知らない人間からみても阿蘇は山野草の宝庫で、また悪いやつがその希少山野草を盗掘しに来るそうである。そうやって失われていく草花もあれば、一見雑草にしか見えないために間違って切られてしまう貴重な草花もたくさんあるようで、広く知らしめるべきか秘すべきかその兼ね合いが難しいのだろう。以前は咲いていたそういった山野草が杉などの植林で日陰になって無くなってしまったが、計画的に以前繁殖していたところの杉などを伐採して以前の状態に戻したところ、地中に眠っていた種から芽がでてまた復活した山野草もあるそうである。
阿蘇文化調査研究会7月例会 阿蘇の希少山野草 連続写真
今日の例会の会場の阿蘇草原保全活動センターというところ、数年前に内牧の「はな阿蘇美」の向かい方に出来た施設で、まだ新しいせいもあって素晴らしい施設である。そこにおいてある阿蘇のジオラマが素晴らしいこれ、家に欲しい(尤も大きすぎて入らないが)。(写真1・写真2・写真3)
夕方、「学童」から帰って太郎にプールに行くかと言うと、太郎は「学童」で終日エアコンの効いた部屋にいて、しかも昨日、認定ストが終わったばかりだからだろうか、泳ぎたいという気分ではなかったようで、今日は行かん、というので、小生一人でプールに行ってクーリングをしてから風呂に入って帰ってきた。やはりプールの冷たい水はきもちがいい。夏休みだが、夕方も6時前になるともうガラガラでゆっくり1,000m泳いできた。
今晩はお姉ちゃんが学校の泊りがけの学習勉強会でいないので、太郎のリクエストで「とろろ汁」を作った。お姉ちゃんはとろろ汁はあまり好きでないのだ。
平成30年 7月25日 (水)
晴れ。今日も定期便のように午後に入って、にわか雨と雷鳴、雨も雷もすこしここからは外れていたが、それでも雷の一つが近くに(馬場集落あたりだったろうか)バリバリと落ちる音がした。
最低気温 24.3℃ (04:33)、最高気温 34.3℃ (13:47)
台風12号が発生した。今の所は関東地方に向かうコースを取っているが、この先の予報円を見ると非常に大きい、去年なんか、当初の予想では関東方面に向かっていた台風5号、その後、大きくコース変更してこちらの方にやってきた、ことほどさように先のことはまだわからない。
ラジオ体操 写真1・写真2
散歩が終わって、今日も裏の畑の草刈りを、今日は約一時間ほどやった。
太郎、水泳教室、そして今日は認定日、今日は小生はプールに入らずにロビーで待っていると、認定証を持って上がってきた。一級昇級して12級になった。特訓の成果か?今日は楽勝だったそうだ。
晩飯。アンコール、ナスの豚バラ巻き、春雨サラダ、など。
平成30年 7月24日 (火)
晴れ。今日も昨日と同じ頃に昨日と同じように夕立と雷があったが、少しずれていて昨日ほどではなかった、ただ夜に入っても遠雷が轟いて空が時々明るくなっていた。
最低気温 23.7℃ (05:22)、最高気温 31.5℃ (14:23)
ラジオ体操 (写真1・写真2)
ちょっと休みが続いたが、朝のうちに30分だけ裏の畑の草刈りをした。
後期高齢者になったの機に肺炎球菌ワクチンを打ってきた。先日、この掲示板でちょっと話題になって、忘れていたのを思い出して、また忘れないうちにと昼前に古閑医院に行ってきた。M看護師にシャッターを押してもらった。
随分前になるが、小生の母が生前に肺炎球菌ワクチンを打ってもらった時には一度しか接種できないと聞いた記憶があるが、その後、変更されたのか小生の聞き間違いだったのか、接種後五年を経過するとまた打てるようだ、五年間は免疫効果が持続するし、五年以内に再度打つと副作用が出るとかである。補助制度も小生の聞き違いだったのか、75歳までだと思っていたが、65歳から100歳までは五年刻みで補助があるそうである。個人負担は2,000円だった。接種後、接種済みのカードや、接種済み手帳、それに、忘れないように、あちらこちらに貼るシールまでくれた。次回もし打つなら五年後、まあ、このあたりになると正直ちょっとわからないな。
今日は虎舞の練習日であまり時間の余裕がなかったが、学童から帰って二人で急いでプールに行って風呂に入って、帰って夕食を食べさせて仕事から戻ってきたカミさんが7時の練習開始に間に合うようバタバタと出かけていった。カミさんは打ち合わせがあるために練習終了後小生が迎えに行く。その前に、娘の用件で夜の市役所に娘の送り迎えをした。
晩飯。カレー、コールスローなど
平成30年 7月23日 (月)
晴れ、午後にわか雨、日本各地の暑さにくらべたら大したことない。
最低気温 23.1℃ (05:17)、最高気温 31.4℃ (13:49)
夏休みで今日からラジオ体操が始まった。ここのラジオ体操班は太郎と隣村のRクンの二人だけである。隣村からわざわざ来るのは大変だから、それぞれの家で体操をしたらと小生が言ったのだが、一緒にやることになって、豆札公民館で二人だけのラジオ体操が始まった。
Rクンは四年生で太郎は二年生、Rクンが班長で「出席印押し」担当、太郎はラジオ担当だそうだ。で結局小生が、登校見守り隊が休みになった代わりにラジオ体操の主催をせざるを得なくなって、放送設備一式を持って行った。そして、二人とも特に太郎はまだロクにラジオ体操を習得していないので小生が「体操のお兄さん」役で二人の前に立って演技指導。
出来ることなら村の人達も交流を兼ねて出てくればいいなと思って、大音量で放送を流すべく去年だったかJLZからもらった本格的な構内放送用の設備を持って行った。でも今日は初日ということもあって誰の参加も無かった。近年特に体を壊す村人が多いのでこういった時に健康増進のためにこどもたちと一緒にラジオ体操をしたらいいと思うのだがなかなかそうは行かないようだ。
今日から太郎は夏休み学童保育、弁当持ちで出かけていった、夏子は夏季講習で学校へ。そして小生は、薪取りに出かけた。
先日、風呂で、中川さんから坂梨小学校の校門脇の創立100周年記念の石碑の裏に欅が倒してあるから薪に持っていっていいよと言われていたのだ。切ったばかりの木ではなくてかなりビンテージ化しているのが、欅は重いので、チェンソーを持っていったが、できるだけ体力を使わずに、とクレーンで積むことにした。それで帰ってから確認したところ、気温は30℃にも行っていなかったのに、炎天下での作業、クラクラして息苦しくなってきたので、一台分だけ積んで今日はやめることにした、もう一台分は後日ということで。
阿蘇でも今年の暑さは格別のようで、本来なら海辺で活躍するビーチパラソルがこんな使われ方をしていた。この程度の気候でこのありさまだから、下界の外作業はたまらんだろうあ。そういえば今日どこかで日本の観測史上はじめての最高気温が出たと伝えていた。
この連日の暑さで、1120ころ8エリア(の函館)から2メーターFMでCQがでていた、Eスポがでたのだろう(普段はこのバンドでは絶対に北海道からは届かない、真夏なんかに電離層のいたずらで時として通信ができる場合がある)。
午後二時ころ、大粒の雨が落ち始めて、雷も鳴り出した。近くには落ちなかったので心配もしていなかったが、その後、スーパー「みやはら」に買い出しに行った際にレジのモニターがおかしくなっているので訊いたところ、雷か何かで一瞬だったけど停電したのでそのせいでしょうとのことであった、また夕方太郎を学童に迎えに行った帰りに、太郎が今日ちょとだけ停電をしたと言っていたので、ああ、みやはらと「学童」は近くだからなあ、我が家はちょっと離れていたので大丈夫だったなあと夜に入って日記をつけるまで気が付かなかったが、ライブカメラ関係のサーバーなどが止まっていた、気がつかなかったがその時にこのあたりもちょっとだけ停電をしたようだ、メインシステムなどはUPSに繋いでいるから停電をしたのを気がつかなかったのだろう。
今日はアゼリアは阿蘇市の学童水泳記録会で貸し切りのため一般開放は午後5時からだった。「学童」から帰える途中、太郎が今日は泳ぎたいというので風呂に行きがてら二人で泳いできた。今日は夕方からプールの営業開始をしたせいで、プールはガラガラ、面白いことに、坂梨小時代のH先生、M先生、それから中川さんと我々という知った者同士の貸し切り状態だった。
プールに入るなり、太郎はいきなり、これから50m泳ぐ!と言う、先日一度泳げたがその後、泳げなくなっていたので、いきなりで大丈夫か?とそれでもいくつかの注意を与えたあと泳ぎ始めたが、なんなく50mを泳ぎきった、それを見て、小生も太郎を置いて自分だけで二往復して戻ると、太郎が行って、戻っている、泳ぎ終わって訊いたら、100m泳いだ、ちゃんとキックターンして足をつかなかったバイと言う。先日とりあえずキックターンの仕方を教えてあったのだが、まさか今日一気に100mを泳ぐとは思っていなかったので驚いた。そして、更にもう100m泳ぐ!と言って、宣言どおり100m、そんなに苦しそうでもなく泳ぎきった。水泳は要は息継ぎのなのだ。この息継ぎのコツさえ覚えたら、ゆっくりであれば、いくらでも泳げるということを学んだようだ。小生は名伯楽だなあ。
晩飯。豚肉の照り焼き、春雨のサラダなど。売っている生姜焼きのタレや焼き肉のタレはどうも好きになれないので小生のオリジナルでいった、春雨のサラダもオリジナルだ、こどもたち美味しい美味しいと言って食べていた、そうならもっとたくさん作るのだった。
平成30年 7月22日 (日)
昨夜(もう今日になっていたのかも)夢うつつで雨音を聞いていたが、朝起きると外は濡れれいた、ひとしきり降ったようだ。今日は朝から雲が厚く太陽もその雲がフィルターになってぼんやりと霞んでいた。
最低気温 24.0℃ (04:28)、最高気温 29.7℃ (15:48)
先日、風師庵気象観測装置の線を切断して観測が停止したの修理をしたが、昨日、見ると、風速計が全く動いていない。ハテと思って、行ってみると、なんとなんと大きなクモが巣を張ってその一方の糸で回転カップを回らないように引っ張っていた、このカップの回転を抑えるくらいだから相当強い糸の力である。このくらい大きくカラフルなクモともなると、小生はまだ手で触る勇気は無い、木の枝に移らせて遠くの木に持っていって放してやった。
我が家の三人組、夏子が卒業した中学校の吹部の熊本県のコンクールがあるのでOGとして友人と一緒に応援に県劇まで出かけていった(夏子は友人母親の車で別行動)。
用があって阿蘇に登ってきたJLZが午前中、立ち寄ってくれた、苦労して組み上げたSDRのHF無線機を持って。
この無線機に関してはいろいろな記事がある。
例えば、 https://ja2nkd.blogspot.com/2018/02/mchf-sdr-transceiver.html
http://jl1vnq.blogspot.com/2017/03/mchfqrp.html
イギリスのハムが開発したオールバンド・オールモードのsdr HF無線機、非常に小型で驚くばかりである。基本は全部自分で組み立てなければならず、ケースは無いので、パクリ専門のCHINAから取り寄せる、このケースがまたいい加減な造りで、本体基盤を組み立てるより大変だったそうだ。従来の無線機と構造が全く違っており、中身はコンピュータでソフトを使って動かす、とにかく小さくて軽くて素晴らしい。筐体の中には送信部もあるが、まだ受信部だけの完成だそうだがノイズの少ない綺麗な音を聞かせてくれた。全部で50kくらいするのだろうか、小生にはちょっと敷居が高そうだ、相当な根気が必要で他にやることが多すぎてここまで細かな作業をする時間がない、それにスキルも多分伴わないだろう。
先日アマゾンがお得意様感謝デーAmazon PrimeDayで、電子書籍リーダー Kindleが40%引きで売っていたのでうっかり魔が差したと言うか買ってしまった。この電子書籍は以前から興味があって何度か買おうかどうしようかと迷ったことがあったがやっぱり本は紙でなくちゃと思って買わずに来たものだ。----Kindle Paperwhite 13,280円が7,980円 ---
で、結論としては買ってよかった。ただ、このハードに合うのは文庫本だと思う、文庫本に限ると思う、大きさもそのくらいで、これが非常に読みやすい(活字の大きさも自由に変えられる)、日中の明るい場所でも灯りを消した真っ暗な部屋ででも非常に読みやすい。文庫本を読む限り、文庫本を実際に読むより読みやすい。ただ、このKindleで読む電子書籍は紙で売っている本と比べてほとんど値段が変わらないので、この本を電子書籍で買うのはメリットはそういう意味ではあまり無い、それに電子書籍に「古本」が無い。ただ、昔の無料の本もあるし、古い本では非常に安い値段で売っている。
アマゾンの会員だと無料で観られるビデオがあるが同様にここには無料で読める書籍もたくさんある。ただ、人間の一日の持ち時間は決まっているので、あれもこれもといろいろなものに手を出すことはそうそう出来ない。
電子書籍リーダーは読みにくいかと思ったが全然そんなことはない、本を読むことに目的が徹しているので、小生が買ったものはモノクロだが、カラー図版を見るのでなければ目に優しくてこれはいい。このKindleの電子書籍リーダーはPC用のソフトにもあって、PC画面でも読むことが出来るし、タブレットを持っていれば、ちょっと重いかもしないがKindleを持って読むような読み方もできる。小生のモノクロタイプと違ってPC版だとフルカラーで読めるので、大きなカラー図版などがある本の場合は使い分けるが出来る。
ということで、十数巻の吉川英治の「新・平家物語」と「私本太平記」がそれぞれ、全巻合わせて各99円で売っていたので、今それを買って読んでいる(実を言うと私本太平記は無料の青空文庫でも読めるらしい)。私本太平記は大昔に読んで今でも我が家の書架に文庫本があるが、昔読んだことは全く覚えておらず新たにまた読み始めているが、これがとても面白い。現代文と古文がうまい具合に混ざっていて、吉川英治の豊かな高い文才に驚く、とにかく語彙が豊富で、吉川英治の作品はどちらかといえば大衆文学で新聞小説などで発表されたりしていたので、当時の大人たちはこれを普通に読んでいたのだろう、すごい人である。
平成30年 7月21日 (土)
朝のうち少し降る、その後、曇り、下界では相変わらず猛暑猛暑と騒いでいるようだが、今日は涼しかった。
最低気温 23.0℃ (04:57)、最高気温 28.5℃ (15:28)
今朝は散歩の時、雲がかかっていて風もあったので半袖シャツだとちょっと肌寒いくらいだった。
ちょっと天気が怪しかったので早めに朝食を済ませて、木村豆腐屋に寄ってオカラをもらって南阿蘇余生馬牧場オープンセンサミに出かけた。
台風の余波なのか九州の南の方は雨が降り、真ん中あたりの熊本は、まあ、夕方から夜にかけて降るかもしれないけど、降らないかもしれないという予報だったが、カルデラも五岳の向こう側は既に山になんとなく雨雲がかかっていて、牧場に着いて餌やりを始めたころには霧のような雨が降り始めた。
雨具を持って行こうかどうしようかと考えて、まあ、大丈夫だろうと持たなくて行ったので、これでずぶ濡れになるとあとが大変だと、急いでいくつかの囲いに別れた20頭近くの馬たちに餌と水を補給して、終わる頃には本格的な雨になってきたので滑り込みセーフだった。9時前には帰途についた。
山を越えて戻ってくると、こちら側も少し降った跡があったが、そのうちにその雨も上がって、朝の雨は一過性の雨だったのだろう、山間部の天気は難しい。
牧場から戻ると家族三人出かけたあと、確か何週かに分かれて娘のピアノ教室グループの発表会が行われ、今日は娘の出る週ではないが知り合いが発表するということで確か宇土まで応援に出かけると言っていた。帰ってから聞くと、発表会のあと耳鼻科に寄って子どもたち二人の薬をもらってきたそうだ。
小生は今日は休養日、本を読んで過ごした。そして、夕方、ひとりで風呂に行きがてらひと泳ぎしてきた。夏休み入ってさぞや混雑していると思ったが、夕方も6時ちかくなるともう泳いでいる人もほとんど無く、今日も1,000m泳いできた、この時間でもこんなに空いているわけはなく、夏休みに入ったばかりでまだ皆のエンジンがかかっていないのだろう、だんだん混雑をし始めるだろう。
今日は不思議と写真を一枚も撮らなかった(そうだ、牧場で馬の写真を撮って茅ヶ崎のグループにLINEで送った)。
平成30年 7月20日 (金) 一学期終了日
晴れ。終日涼しい風が部屋の中を通り抜けていた、これぞ本来の阿蘇の夏だ。
最低気温 21.9℃ (05:12)、最高気温 30.7℃ (12:57)
登校風景。今日は小中高の一学期最後の日で、この先しばらく登校見守り仕事も休みになる。
写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7
朝、いつものように30分、草刈りをした。
坂本棟梁が、今小学校近くで建てている家の現場の行き帰りに我が家の前を通っていて、小生が秘密基地を作っているのを見ていたらしくて、現場で余ったサイディングがあるけど、合板の上にこれを張ると完璧だぞ、使うか、と言ってわざわざトラックで持ってきてくれた。色合いも非常にいいサイディングで大喜びで頂戴した。
太郎のやつ、昨日、毎日プールに行かんといかんと?と言うので、当たり前だ、せっかく泳げるようになたのだから完全に自分のものになるまでしっかり泳げ、と気合を入れておいたが、今日果たして行くかどうかわからないので、とりあえず小生だけ昼間一人で泳ぎに行ってきた。ちょうど昼食時にかかる時間だったので、保育園児が終わって上がろうとしていたくらいで、ほとんど貸切状態、でも明日から夏休みがはじまるから、この静けさも今日までだろう。
随分久しぶりに、何年ぶりだろう、1,000mノンストップで泳いだ、もちろん後期高齢者になって初めてである。全く疲れもせず楽に泳げて、泳ぎ終わって息ひとつ乱れていなかった。でもタイムは大分遅くなった。もっと力を入れてフウフウ言うくらいで泳がなければ駄目なんだろうか、体に全く負荷がかかっていなのだろうか、でも、60キロ台の体重を浮力があるとはいえ、1,000m、つまり1Km移動させるのだから物理の法則から言ってもエネルギーは使っているはずなんだが。
夕方、学童に太郎を迎えに行って、その帰り道、お前が今日プールに行かんと言っていたからお父さん昼間一人で1,000m泳いできたぞ、と言うと、えっ1,000m?じゃあボクも行く!ということで、今日二度目のプールと風呂に行ってきた。太郎、昨日ほどの調子が出ないようで、今日は50mノンストップは出来なかった。
晩飯。炊き込みご飯、ナスの豚バラ巻きなど。今隣近所からジギュウりやナスをたくさんいただくので、ナスを使った料理をいろいろ作っている。
記録写真(説明無し)
平成30年 7月19日 (木)
最低気温 21.6℃ (05:52)、最高気温 33.2℃ (14:38)
別に暑いとは感じなかった。
この時期、朝はどうしてもガスる。霧というのか靄というのか霞というのか、またその区別も知らないが、思うに、夜露で湿った大地が朝の強い太陽で一気に蒸発するからだろうと風師庵気象予報士は思うのであるがどうだろうか。
登校風景 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5
よく最後に歩いてくる小柄なSちゃん、スタートは一緒なんだろうけど途中で遅れて皆んなからものすごく遅れてやってくる、今日も皆んなが通り過ぎて随分しばらくたって小生の目の前を最後尾でトボトボヨロヨロ気味に通過していく、普段なら通り過ぎるとすぐに撤収するのだが、今朝のトボトボは普段のトボトボなのかそれとも暑さによるものなのかここのところのマスコミ報道でちょっと気になったので、ずっと彼女が学校の脇まで無事に到達するまでカメラの望遠で看ていた、小生は安全の確保が「仕事」(それも民法で言う事務管理だが)で、安全上問題があると思った時には手を貸すが、遅れてやって来る子を車に乗せて送るなどということは決してしないようにしている。遅い子は徹底して遅れてくるが、それをずっと立っているのは大変なんだからもっと早く家を出てこい、だとかもっと早く歩いてこいとは決して言わない、たとえ腹の中で思っても、それは小生の都合であって、子どもたちには関係がないことだからである、こどもたちが小生に立つように頼んだわけでもないからである、小生が勝手にやっていることだからである。
小生が毎朝たもとに立っている角野町橋のことだが、不思議なことに気がついた。よく見ると上流側の欄干が下向きの弧状に橋の中央部が凹んでいて、一方の下流側の欄干は逆に上向き弧状に中央部が盛り上がっている。更には基台部分までそうだ、これはなんなんだろう、いい加減な工事の結果だろうか、それともちゃんとした理由があるのだろうか。
今朝なんかどこだったか、高校生だったと思うが、早朝の28℃台の環境で部活動中の数人が熱中症の症状で救急搬送されたというニュースが流れていた、ほかにもいくつか同じようなニュースがあった。これなんか小生に言わせたら完全に多感な年代にありがちな集団ヒステリーだと思う、まるで熱中症が恐ろしい伝染病かのごとくマスコミが大騒ぎをする結果だと小生は断じる(おいおいそんなに断じていいのか?)、人間そんなに簡単には熱中症になんかになってたまるものか。ヘッドラインニュースでちょっと読んだが、今回の愛知県の事故、保護者が完全に正義で学校側が完全に悪というスタンスでニュースが出来上がっている、これじゃあ学校はたまらんだろう。
このように率先して騒ぐマスコミの代表格、朝日新聞が真夏の一番暑い時期に開催する甲子園の高校野球はこれはどうなんだ、甲子園に出たいがために今全国各地で何十校だか何百校だかの、え!数千校?の予選がこのクソ暑い最中に繰り広げられている、この選手生徒たち、それに加えて、保護者、応援団、観客、これらはどうするのだ、高校野球は構わないのか、中止すべきだとは言わないのか、おいどうなんだ朝日新聞、ついでに定時番組を潰して地方予選から放送しているNHK。高校野球は別だ、それだけ普段から体を鍛えている、か?それじゃあ、「命にかかわるほど危険」だから暑いさなかは外に出るな、教室にエアコンを設置しろ、と言う前にもっと子どもたちに普段から体を鍛えるようにという報道スタンスをとったらどうなんだ。もっとも朝日新聞のダブルスタンダードはなにも今に始まったことではないが。ついでに言っておくが、保護者観客は体を鍛えてなんかいないぞ。
確かに命に関わるような虚弱の人、病弱の人はいる、気をつけなければならない人はいる、でも大部分(率で言うならほぼ100%)の人はこの程度の気温でなんか死ぬものではない、それより、熱中症で死ぬ人より遥かに多い人がいろいろな病気事故で死んでいるのだ、それをマスコミはいちいち取り上げて騒ぐか、騒がないだろう、夏は暑いに決まっているのだ、いい加減にしろと言いたくもなる。暑い暑いと夏から逃げているからそうなるのだ。夏は暑くてあたりまえ、どんとこいと真正面から受け止めたらどうだ。
明日の終業式にあたって、太郎の学校で各人が育てているミニトマトを夏休み期間中は世話ができないので保護者が持ち帰ることになっていて、今日、取りにってきた。一年生の時はアサガオだったが二年生はミニトマトだ。太郎に三年生以上は何も育てないのかと訊くと、二年生までだ、どうしてだ?一二年生は一階に教室があってベランダがあるから育てられるけど、三年生からは二階になってベランダが無いから、だそうだ。本当か?なんとなく説得力があるなあ。
我が家にはテレビは無い、いや無いことはないが、昔のアナログテレビのモニターに地デジチューナーをつけてそれで見ることがあるが、そのチューナーのリモコンが長い間壊れていて、地上波もBSも見えるのに地上波しか見られない(切り替えはリモコンでしかできない)、見られないにもかかわらず、ずっとBSの受信料も払っている。せめてBSはやめようと思うのだが、NHKはなんだかんだと理由をつけてなかなか解約に応じないと聞いていて面倒なのでずっと払い続けている。
そこでリモコンが壊れているなら修理をしようかと、リモコンを分解して、接触不良かもしれないとプリント基板を洗浄したが駄目である。赤外線LEDが点灯しないことが分かった。LED単体が壊れているのかもしれないと、LEDだけでテストしたらやはりLEDが切れている。型番がわからないが、こういったところに使う赤外線LEDは汎用の製品を使っているのだろうと、赤外線LEDを取り寄せて、電流制限抵抗を繋いで点灯試験をしたところ、新品だから当然点灯する、(この目に見えない赤外線LEDは結構知られているがスマホのカメラ越しに見ると、点灯しているのがわかる)。壊れているLEDを取り外して新品のLEDを付けて、これで光るだろうと思ったが光らない、そうなると、振り出しに戻る、である。最近の部品はあまりに小さくて、よく見えない、あまり複雑なプリント基板ではないが、面倒だなあ。
5月に発行されたばかりの後期高齢者医療保険の保険証がもう更新だそうでまた送られてきた、青色から黄色になった、以降一年ごとの更新のようだ、青、黄ときていよいよ今度は赤色になるのか?
今日も風呂に入る前に太郎を連れてプールに行った。太郎、今日はとうとう50mをノンストップで泳ぎきった、見ていて、呼吸の仕方がちょっと不自然で、顔を水面に上げてから息を吐いて吸って、をやるから間に合わずに、息を吐ききる前に慌てて吸うものだから酸素が不足してすぐに苦しくなる。だから顔を水から上げる直前に吐ききれば、口を水面に出した時に吸うばかりだから沢山酸素を取り込めるからと教えたら、それだけで呼吸が楽になったようで、まだぎこちない泳ぎ方ながら見事50mを泳ぎきったのである。明日も来るぞ、と言ったら、えっ、明日も?と抜かすので、あたりまえだ、明日もだと言ってやった。
晩飯。風呂から帰ってチキンカツを揚げた。
平成30年 7月18日 (水)
ラジオで、今日どこかで40℃を越えたというニュースを伝えてしたが、ここは数字ほどでではなく凌ぎやすかった、風があったからだろうか。日本列島がどっかりと高気圧に囲まれているおかげで台風が近づけずに大陸方面に行く、これは猛暑様々だ。
最低気温 22.2℃ (05:43)、最高気温 31.4℃ (12:32)
本日の登校風景 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6
今朝も裏の畑の草刈りを30分だけやる。
愛知県の小学校の郊外授業で一年生が熱中症で死んだそうだが、言い方はちょっと乱暴かもしれないが、あの程度の熱中症で人間はそんなにあっけなく死ぬものなのだろうか、最近では高齢者も夜中に寝ていて熱中症で死ぬらしいが。昔はこんな事なかったのにどうしてなんだろうか。死んだ児童は気の毒だとは思うけど、今回の不幸な事故、マスコミが大騒ぎするけど、これなんか特異例なんじゃないのかなあ、今回のことで担任の先生も校長先生も学校も大変だなあ、小生なんか先生方だって気の毒に思う、これではますます先生は腰が引けてくるなあ。こういった突っ込み方はマスコミはしないのか。
今日、早速小学校から保護者あてにメールが入り、水筒を持参させて下校時に水分補給をするようにという連絡があった。このことについては、以前より自主的に水筒を持参している子もいたが、太郎も喉が渇くだろうから持っていくかと訊いたところ、持っていっても学校で飲んじゃいかん、飲むと先生に叱られる。じゃあ、持っていく意味ないじゃないかと言うと、学校では水道の水を飲めと先生は言っている。なんだかヘンな学校だなと家族で話してしたら、今日のメールで、学校で飲んでしまうと肝心の下校時に水筒の水がなくなるから、学校では下校時の水の確保のために学校にいる間は水筒の水は使わせないようにしている、ということで、それで納得した。子供はそこまでの説明を親にしないので学校の意図が伝わらなかった、コミュニケーションはほんとうに難しい。あえて言わせてもらうなら、たとえ学校で飲んでも、帰る時にまた水道でいっぱいにしてから下校すればいいじゃないかと思うが、それでは、児童は一人二人ではないのだから、全員について学校はまた新たにその確認作業が出来るので大変なんだろう。
今回のことで全国の学校が必要以上に神経質になって、結局どのラインにそういった基準を設けるかということになるが、下界の学校は小中高、教室にエアコンがあるところが多いのだろうか。我が家のこどもたちの学校はもちろんエアコンなんかない、扇風機すら特別な場所しか無いようだ。子どもたちは暑い暑いと言っているが、昔の学校は今よりはるかにすし詰めだったがエアコンは当然、扇風機さえも無かった、今と昔は違うだろうが、暑い!暑い!と言って夏を過ごせばいいと思うのだがそうもいかないのだろうか。
確かに昨今の暑さは異常なのかもしれないが、今回の事故とは一応切り離して言うのだが、現代の人間、総じて軟弱になっていることは間違いがないと思う、なにごとにおいても「過保護」の結果だろうと思うのだがなあ(でも熱中症で寝ていて死ぬ高齢者は昔の人間か・・・・)。これは学校というよりは家庭の育て方の責任だろう、それに例によってマスコミが暑い、暑いとあまり大騒ぎしすぎるから国民皆が集団催眠にかかるのだ、マスコミは少し静かにしたらどうなんだ、ちょっと前に大阪で起きた地震でブロック塀が倒れて小学生が犠牲になったときもそうだ、それっとばかりに一斉にブロック塀の取り壊しを始めた、どうして日本人はというより、やはりマスコミの責任になるが情緒的過ぎるのだろう。日本にはすぐにでもやらなければならないものは他にももっと沢山あるぞ。
ここ阿蘇も連日30℃をかるく越えているが、この暑さ、小生は一応みなさんに付き合って暑いですね、暑い、暑いと言っているが、実は小生自身はそれほど暑いとは思っていない、もっとも、暑い日中外で肉体作業をするわけではないからである(高齢者はこのあたりの神経が鈍くなっているとも言うが)。家にいても、壊れたので交換用の網戸を買っていながらまだ取り付けていない、ベランダに通じるドア部分を開放すると風が通って非常に気持ちがいいのは去年までの経験から分かっているが、まだそれをするまでに至っていない、もしかしたら、このまま取付工事をしないまま夏が終わってしまうかもしれない、まあ自由気ままな後期高齢者バンザイである。
太郎、水泳教室。小生は迎えに行きがてらプールでひと泳ぎして太郎のレッスンの終わりに合わせて二人で風呂に入って帰ってきた。どうだった?昨日教えたとおりに出来たか?と訊くと、出来なかった、と言っていた。明日からも毎日、風呂に入るまえに二人でひと泳ぎすることにしよう。
晩飯、餃子。
平成30年 7月17日 (火)
晴れ。朝のうち霧が出て、山が見えなかった。もう暑いのは当たり前だから今後書かないことにしようか。
最低気温 21.6℃ (05:09)、最高気温 33.2℃ (14:23)
今朝の登校風景 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6
散歩の後、裏の畑の草刈りを30分だけする。そういえば昨日のことだった。草刈りをしようと前掛けをつけようとしたところ、前掛けの裏側でなにか動く気配がしたので、見ると、アシダカグモだろう、へばりついていた。以前の小生であればすぐに潰していたところだが、最近はクモと友好関係を深めようと努力しているので、どこへ放とうか、よく見ると、クモの生態はしらないが、大きな卵の袋を抱えているようにも見えるので、そっと秘密基地の中に運んで窓際に放してやった。最近はこういったモノトーンのクモなら指先で突くくらいまでは出来るようになった、小生にしたら大きな成長である。
ローカルでしか報道されないだろう、阿蘇火山というと必ず登場していた火山学者の須藤靖明氏が亡くなった。小生と同じ生年だったが、誕生日前だったのだろう、後期高齢者直前の訃報になる、合掌
今日は特にこれということはしなかった。
太郎の虎前の練習日。その前に、二人でプールと風呂に行って、早めの夕食を摂らせて送り出す。カミさんが連れて行って、練習後カミさんは打ち合わせがあるので小生が迎えに行った。
プールでは、30分くらいの時間だったが、今日はしっかりと練習させた、来週は認定日だ。ゴーグルを忘れやがったので目をつぶっての泳ぎだったが、コツをしっかりと教えたので、25メートルは泳げるようになった。目をつむっているので不安だということと曲がって真っ直ぐ泳げなかったようで、来週までに50mを泳げるように仕上げよう。
夕食はカレーを作った。
平成30年 7月17日 (火)
晴れ。朝のうち霧が出て、山が見えなかった。もう暑いのは当たり前だから今後書かないことにしようか。
最低気温 21.6℃ (05:09)、最高気温 33.2℃ (14:23)
今朝の登校風景 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
散歩の後、裏の畑の草刈りを30分だけする。
ローカルでしか報道されないだろう、阿蘇火山というと必ず登場していた火山学者の須藤靖明氏が亡くなったそうだ。小生と同じ生年だったが、誕生日前だったのだろう、後期高齢者直前の訃報になる、合掌
今日は特にこれということはしなかった。
太郎の虎前の練習日。その前に、二人でプールと風呂に行って、早めの夕食を摂らせて送り出す。カミさんが連れて行って、練習後カミさんは打ち合わせがあるので小生が迎えに行った。
プールでは、30分くらいの時間だったが、今日はしっかりと練習させた、来週は認定日だ。ゴーグルを忘れやがったので目をつぶっての泳ぎだったが、コツをしっかりと教えたので、25メートルは泳げるようになった。目をつむっているので不安だということと曲がって真っ直ぐ泳げなかったようで、来週までに50mを泳げるように仕上げよう。
夕食はカレーを作った。
平成30年 7月16日 (月) 海の日
最低気温 22.8℃ (04:45)、最高気温 33.8℃ (14:40)
今日も気温が高かった、もうこの暑さ、何日続いているのだろうか。今日の日中の気温を見て昨日の観測装置周りの植栽の刈り取りは効果がかったかと思って気象庁のデータを調べたら、アメダスポイントの阿蘇乙姫とほとんど同じだった、この値で正しかったのだ。しかし、家にいても暑いには暑かったが、そんなに言うほどの暑さは感じなかった。
今日も日があまり高く上がらないうちに30分位、裏の畑の草刈りをした、少しその効果が現れて刈り取った場所とまだの場所が遠くから見てわかるようになってきた。
夕方、風呂に入る前にプールに行った、この時期のプールは気持ちがいい、でも随分とブランクがあるので以前ほど距離を稼ぐことができなくなった。太郎は、小生が教えようとするのに嫌なようで今日は行かなかった、安易に流れていると上手くならないぞ、というのだが、あいつはどうもチャランポランなところがある。
ようやくPICアセンブラが分かった、判った、解った、なんとか死ぬまでにわかりたいと思っていたが間に合った。何十年越しだろうか、ちょっと大げさか、いやそれでも、茅ヶ崎にいた頃からだから、かれこれ20年近くにはなるだろう。
その茅ヶ崎から、先日、寺さんがやってきた時に向こうの無線仲間とLINEのやりとりをしていたので、小生はこのクラブ局には入っていなかったが、みんな知った連中で、茅ヶ崎のhotな写真なんかが載っていたので、「元」茅ヶ崎ということで入れてくれと頼んだところ加入が認められて本日LINEでデビューした。
話がちょっと横にそれた、茅ヶ崎時代からずっとPICアセンブラに挑戦し続けたわけではなく、ちょっとやっては躓いてやめて、またちょっとやっては解らなくて放り投げての繰り返しだった。それでもそのたびに自分にはわからなくても何かしらの蓄積があったのだろう、それが今回の理解につながったのだろう。判るとなんともあっけないもので、なんでこんなことに長い年月がかかったのだろうと不思議である。わかったと言ってもまだまだトバクチ」で、これから技術の蓄積になっていくのだろうが、それでも今までと違って非常にスッキリと理解ができると思う。ここに至るまでに一体どのくらいの資料をネット検索でプリントアウトしただろう、本はどのくらい買っただろう。結局はこれ!という本や資料が無かったのである。いくら入門書と謳ってあっても、ある程度の下地がなければ決してわからない、本当の入門書なんてどこにも無かった。今の小生が入門書を書くならば、いや、入門書の入門書になるが、おそらく誰が読んでもわかる本が書けるだろう。
以前からプログラマーは持っていて、やろうと思えばアセンブルや書き込みは出来たのだが、意味もわからないのにやってもしかたがないとずっとやらなかったが、これで、晴れて書き込みができる、でもその間に、MPLABもライターも古くなって、ライターなんかは今どきRS232Cポートを持ったPCなんか無い、USB変換コードを使っても電圧が確保出来ないので使えないようだ。で結局、ライターはpickit3の互換品を約3Kで買った。
ようやく分かったと思ったら、PICはもうすでにちょっと時代遅れの感もある、ワンチップマイコンにはいろいろな種類やプログラム言語がある。最近読んだ記事では、どこかの(名門校だろうが)小学校から既にプログラムの勉強、マイコンの授業が始まっているらしい。
そこで思うのだが、これは過去にも何度か書いているが、阿蘇のような山間の田舎で人口減少、経済の衰退の解決方法に何があるか、観光・農業以外にナントカの一つ覚えではないが、工場誘致でもあるまい、こんなところに工場誘致をして何を作ろうというのか、物理的に交通インフラでハンデがあるところにどこの企業が来ると言うのだ、いくら空き家を利用しろと言ってもどういう利用ができるというのだ。
小生はその解決方法は「インターネット」に尽きると思うである(唯一無二とまでは言わないが)。港湾があるわけでもなし、山間部の鉄道や道路の物理的は距離の不利は如何ともし難い、しかし、インターネット回線の速度は全国どこでも同じなのだ、都会であれ田舎であれ、五分と五分なのだ、ただし高速インターネット回線があっての話だが。徳島のある田舎町(神山町なのだが)がこのインターネットの高速化にとりくみ、その高速回線を目当てにIT企業集まっていて町が大いに活性化している。阿蘇にだって九州を横断する高速基幹回線はある(と思う)、ただ、ペイしないので阿蘇を素通りしているだけだ。阿蘇でも全国区の企業が何社かあるが、ここは多分阿蘇のテレワークセンターの光ではなくてNTTの光が入っているのではないだろうか(と想像する)。
それに、今でもだが、この先、コンピューター技術者は絶対的に不足する、このことは前々から分かっている。そこで教育だが、阿蘇の高校には清峰高校の流れを汲む農畜産関係のノウハウの蓄積はあるのだから、もう一つの柱としてコンピュータ技術の教育に力を入れて、これを阿蘇の高校の「売り」としてはどうか、ところが今の高校には、農畜産のプロはいても、コンピューター関係の専門家はいないだろう、阿蘇の政治にしてもそうだ、これでは、いつまで経ってもコンピューター関係の人材は育たない。
コンピューターに無縁の人はコンピューターは難しいと端から思い込んでいるが、今や小学生から習う時代だ、後期高齢者がやっているのだ、要はそれを高校教育にどれだけ本気に取り入れるかである。極端に言えばコンピューターを製造すのではない、人を育てるのだからそんなにカネはかからない、「農畜産」と「コンピューター」、阿蘇の高校の二本柱に育てるのだ、やる気があればちっとも難しいことではないのだ、そのうちにどこでもやりだす、やるなら今のうちだ、一歩でも二歩でもリードできるのは。コンピュータ立市だと阿蘇の美しい環境も汚さない、美しい風景ときれいな空気と水、素晴らしいではないか、こどもたちの通学流出も減る、過疎化による農業の担い手の減少に代わる機械化にコンピュータの力を使う、これこそ、農業とコンピュータのモデル地区に相応しいではないか、ついでにみんなで馬に乗る、これは冗談だが。これを読む人の中に市の将来のビジョンに関わっている人、市役所の人(市長のことだぞ)、市議会の人がいたら、この提言、真剣に考えてほしいものである。
平成30年 7月15日 (日)
東京なんか今、お盆なんだな、7月のお盆なんて全国でどのくらいやっているのだろうか、東京でさえ地方出身者ばかりだ、果たして7月にやるのだろうか、お盆はやはり8月だろう。それに考えてみたら昨日から三連休なんだなあ、でも夏休み前だからか、あまり県外車の列も見られず、明日も我が家の三人休みだということでそれに気がついた。
今日も暑かった、連日猛暑が続いている。それも今日は少しは風があったか。
最低気温 21.1℃ (04:35)、最高気温 34.3℃ (13:37)
今日も日中、いやに気温が高いなと思って周辺の気象庁のデータをみると、我が観測装置の数値がちょっと高い。なぜだろうと装置を見やると、「風見鶏」部分は上にでているが、温度センサーが入っている「百葉箱」が伸びた植栽に埋もれている。いつも風見鶏だけを見ていたので、気にしていなかった、そのために繁茂した植栽が空気の流れを阻害しているのだろうと、ざっとだが観測装置の周辺の植栽を刈り取ったところ、30分もしないうちに温度が2℃近く下がった、一番熱い時間帯で、気温そのものが下がったわけではなく、装置の空気の流れが直ったから気温が下がったのだろう、これが本来の気温なのだ。最近日本で一番暑い町と言ってそれを売り物にしているところが関東地方だったかにあったが、その町の観測装置もコンクリートに囲まれた場所にあって、「フェア」じゃないとクレームがついたニュースがあったが、これと同じで、ちょっとしたことで数値は変わる、観測は周囲は開けた場所でしないといけないと言うことだろう。
昨日は区役で草刈りをしたので休んだが、今朝も涼しいうちに(と言ってもとっくに日は上がっていたが)30分強裏の畑の草刈りをした。
太郎は母親と光の森に「ポケモン」の映画を見に行った、お姉ちゃんは後輩の吹部のコンクールの直前強化練習が旧中通り小学校体育館であるとかで、友達と練習の応援に行った。小生は技術書を読んで楽しんだ。
夕方風呂に行く前に、太郎にプールに行ってから風呂に入ろうかと誘うと、「行く行く!」と喜び勇んで付いてきた。夕方なのでプールもかなり空いていた。太郎は最近、水泳教室でクロールと背泳ぎの練習に入っているので、しかも競泳プールで練習をしているので、以前だと子供用のプールで見張っていなければならず、一緒に行っても小生が泳ぐ時間がなかったが、もう一緒に競泳プールに入ることができるようになったので、小生も泳ぐことが出来た。小生、もう何ヶ月、いや何年ぶりだろうか、プールに行ったのは、気持ちが良かった。これから夏休みになるとプールは混雑するが、夕方ならそうでもないようだから、これからも機会を作って泳ぐことにしよう。で、太郎だが、一応息継ぎの形は出来ているが、まだ完全に息を吐いてから吸うことができていないので、息の補充がままならず、すぐに苦しくなって止まってします。これも練習で直ってくるだろう。あとどのくらいで小生が敵わなくなるだろうか、まだまだしばらくは大丈夫だろう。
平成30年 7月14日 (土)
連日の猛暑、当観測所は熊本市と同じ最高気温を記録した、乙姫のアメダスポイントより高かった、たまにはそ言うこともあるのだろう。暑いと言っても我慢できない暑さではない、都会の暑さとはまたちょっと違った暑さだ。
最低気温 22.7℃ (01:05)、最高気温 35.8℃ (14:30)
今日は村の天神祭があり、小生の班の当番なので朝から社の草刈りがあった。開始時間が8時で、実際は皆さんそれより早く始めるので、今日の馬の餌やりは出来ない、昨日のうちに連絡をしておいて、オカラだけ早く行って届けて、草刈りに間に合うように帰ってきた。帰りの箱石峠、雲海が出ていた。
村のご当主たち、高齢化や病で参加者が少なかった、だんだんそういう傾向が顕著になってくる、体を壊して酒が飲めなくなった人も多く村のアルコールの消費量も最近はめっきり減ってきた。
天神祭 連続写真
平成30年 7月13日 (金)
晴れ。朝のうち少し霧が出る。連日猛暑が続く。暑くても日中は外で活動をしないのであまり応えない。不思議と今日は夕立や雷が無かった。
最低気温 22.9℃ (00:45)、最高気温 32.3℃ (16:57)
本日の登校風景 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5
朝のうちに草刈りをする、今日も30分ほどで終わる。これで、「遊んでばかり」の幾ばくかの罪悪感を禊ぐ事ができる、あとは道楽三昧である。
晩飯。豚肉の味噌漬け、冷ややっこ、ナスの味噌炒め、きんぴらゴボウ、トマト、地キュウリ塩もみ、味噌汁。
明日は村の天神祭だ。
平成30年 7月12日 (木)
晴れ。言うまいと思えど、である、暑かった。
最低気温 23.7℃ (01:38)、最高気温 31.6℃ (12:49)
本日の登校風景
涼しいうちに、とボンの散歩から帰ってすぐに裏の畑の草刈りをした。もうそろそろ一時間くらいやったかなと思って時計を見たらまだ30分くらいしかやっていなかった、それでももう滝のような汗が出ている、今日はもうヤメタ!30分やればゼロではない、30分分の草は確実に刈られているのだから、これから涼しいうちに少しずつやれば良いのだ。正直若干の罪悪感もこれで消える。そのうちに全部刈り終わるだろう、でも刈り終わる頃には山の手線のレール交換ではないが、一周するころにはもう最初に換えたレールの次の交換が待っている状態になっているのだろうか。
阿蘇地方を襲った7.12豪雨災害、今日6年目を迎えた。この6年目とは忌日のように発生した年を勘定に入るのか入らないのか、ちょっと迷ったので、発生年月日を調べた所、平成24年7月12日だったので、まる6年ということになる。この村でも山が崩れて、家が二三軒潰されて一人が亡くなって一人が大怪我で入院して大変だった。我が家もしばらく避難をした、太郎は発熱して避難所で寝ていたことが新聞記事になった、いろいろと思い出す。でもその災害のあとにまた大きな地震にも見舞われて、これまた大変だった、いろいろあったなあ。
最近、似たような豪雨災害が多いので、娘が「阿蘇の豪雨災害の時は1,000年に一度くらいの豪雨だったんだよね」というので、まさか大げさな、と思って改めて調べたら、確かに「1,000年に一度」の大雨だったようだ、当時は小生もその言葉を聞いていたはずだが、時間が経ってそれだけもう風化して来ているのだ、ということは被害の大きさは別にして、雨量自体は最近の甚大な被害をもたらした大雨よりももっと雨量が多かったということなのだろうか。その大雨の時、家族は階下に寝ていたにもかかわらず雨の降り方のあまりもの激しさに皆起きてしまったが雨音がより聞こえる二階に寝ていた小生は全く知らずに寝ていた、今の小生は眠りが浅いが当時は眠りこけていたのだろうか、覚えていないのだ。
広島や岡山地方の今回の大水害、まだかなりライフラインの復旧が遅れていて麻痺状態が続いているようだ、避難している人もこの暑さの中たいへんだろう、実際に経験してみなければわからないことだ、世間は水害がすぎるとすぐに関心も記憶もどんどん薄れていく、これからが大変なんだろうな、暑いだろうな。
今朝9時ころ、阿蘇地方を襲った7.12豪雨災害の慰霊鎮魂のサイレンが鳴ったので豆札の土砂崩れ現場を向いて黙とうした。夏子も太郎も学校で黙とうをしたそうだ。
昨秋の免田のコメの収穫量が少なくて我が家の今年の在庫が無くなったので、ご近所から定期的に分けてもらうことにした。そしてその免田自体が滝室坂のトンネル工事で作れなくなったので、今年のみならず今後はすべて外部調達になる。我が家の非常に狭い休耕田で一部でもコメを作るといいのだが、水の便が都合がつきにくいこともあってちょっと無理だな。
夏子、英検の準二級に合格したそうである、筆記は合格していて、先日実技というのか会話の試験があったが、筆記はともかくも実技は無理だろうと自分自身が納得していたのに、何を間違ったか合格したそうである、こうしてみると、小生が普段彼女の英語力を知っているだけに、英検の二級なんて大したレベルでないことが分かる。せめて高校では二級あたりをとらないと駄目なんだろう。
まだ夕立には間がある、確か昼を過ぎてまもなくだったろう(二時だった)、すごいにわか雨が来て、買い物から帰って車を降りて玄関までの数歩でずぶ濡れになった。家を出る時になんとなくそんな予感がしたので用心のため天窓だけは閉めて出たが、窓は開けっ放しだったので、東側の窓から雨が降り込んでかなり床がびしょびしょになった。極めて狭い範囲の雨だったようだ。
小生自身、久しぶりにトンカツが食べたくなったので、太郎に、チキンカツとトンカツどちらがいい?と尋ねたら、トンカツ!やっぱり肉の旨味からいくとトンカツになるかなあ、チキンも美味いけど淡白だからなあ。太郎もそのへんは分かっているようだ。リクエストに応じてトンカツを揚げて、それとポテトサラダを作った。
平成30年 7月11日 (水)
晴れ。
今日は一気に暑くなった、乙姫のアメダスポイントよりもうんと高くなった。さすがにこのくらい気温が上がると家にいても屋根が熱せられて暑かった、それに昨日ほどの風もなかった。
夕方ザーッときたので、レーダーをみると阿蘇の上空だけ雨雲がポツリ、間もなく雨も上がったがその後も小さな雲ができたり消えたりで、ちょっと不安定な空だった。
最低気温 20.8℃ (05:27)、最高気温 33.9℃ (13:37)
本日の登校風景 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7
秘密基地の仕上げ、ジャガイモ掘り、そして、まあ、草刈りもか、やることはたくさんあるが、どうもエンジンが掛からない、特に今日のようなバカ暑さの時はなおさらである。トマト農家のハウスの中はおそらく地獄のような暑さだろう。
いろいろやらなければならない仕事のことを頭の中で列挙しているうちに、ストーブの煙突掃除のことが思い浮かんだ。本来であれば冬が終わって夏がくる前に煙突掃除もしなければならないのだが、小生は毎年、次のシーズンが始まる時に慌ててやる。
そのストーブの煙突とスズメの話につながる。去年辺りから我が家の周辺でもスズメの数が減っている。「でも」と書いたのは、これはどうも世界的な傾向らしい。以前は初夏になるとスズメが巣を作るために我が家の煙突に入り込んで、そのまま下にストンと落ちてストーブの中でバタバタ騒いで、それを外に出してやるために部屋を真っ暗にして、一箇所だけ開けておくと、ストーブから飛び出たスズメがその空間を目指して飛び出していく、これが1シーズンに何度かあった。だから、煙突に網を被せようかと考えたことがあったが、去年あたりからそれがなくなり、今年は全く無かった。都会では巣を作る場所が無くなったからなどといったことを聞いたことがあるが、田舎ではそのようなことは全く無い、近年はドッカンドッカンの爆音機も使わないのでスズメの天国であるはずだがいなくなった、どうしてなんだろう。
ここのところ外作業をせずに、ある「技術書」(かっこつきである)を読んでいる。過去大袈裟に言うと何十年と挫折して放り投げてきたことが、今になって目からウロコが落ちるがごとくどんどん理解でき始めている、これは嬉しい、どうしてなんだろうか。因みに、「目からウロコ」は旧約か新約かも知らないがなんでも聖書に載っているそうである。
太郎、水泳教室。
晩飯。キジ焼き丼。
平成30年 7月10日 (火)
晴れ。気温が上がったが、梅雨が明けたばかりでまだ大気が暖められておらず、風も結構あったので屋内は非常に涼しかった。
最低気温 22.2℃ (05:24)、最高気温 29.7℃ (13:33)
本日の登校風景 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5
梅雨明けを待っていたかのように沢山のトンボが飛んでいた。多分・・・だが・・・羽が濡れて飛べなくなるので雨が続く間は羽化しなかったのだろう。と思う。
今日も外で何かをしようと言う気になれず、そこが「余生」のいいところ、別に今日やらなければならないものは無いので室内で道楽をして過ごした。
畑も草茫々なのだが、草茫々だったらイカンと?(いけないの?)である、我が家を出た所、お向かいのお婆ちゃん、長期不在で畑の手入れがままならず、ここも草茫々(当方は住人がいながら草茫々でそのあたりがちょっと違うが)、おかげで、山道に分け入らなくてもヤブカンゾウが集団で咲いている(写真1・写真2)、いままではこんな風景は見られなかった、これも自然のままのおかげだ,、これが本来の姿だ、何か交通の妨げになるとか、物騒だとかでなければ自然でいいのじゃないの?である。草刈りのために人は生きているのじゃないんだから。と、やらない理由はいくらでも探せるのだ。
なごみ野のオヤジは畑で最近フウフウ言っている、今日もトラクターを借りにきた、そうだ働け働け。
夜になって、日記などを書いていると、そのPCとは別の自宅サーバーが自然にシャットダウンする、チラリとエラーメッセージを見た所、どうもオーバーヒートをして自動的にシャットダウンをしているようだ。奥の方に置いてあるサーバーをやおら引っ張り出して見た所、ひゃー、である、綿埃がこれ以上入らないほどいっぱいに詰まっている。エアーコンプレッサーで全部吹き飛ばした復旧した、その後はちゃんと動いている。
坂梨のこどもたちが郷土芸能「虎舞」で8月に東京で開催される「ぼくたち、わたしたちのニッポンの祭り2018」に出演することになった、全国で8団体だそうだ。出演児童、保護者にはある程度の旅費の援助があるのだと思うが、基本的に足りないようで、今、寄付金を募っている、遠隔地に出かけるなど考えたことがなかったので寄付金を募るという発想は小生には全く無かったが、こうしてみると甲子園出場校が町をあげて寄付金集めに奔走することを聞くが分かるような気がする、こういった場合、地方はいつでも割を食うことになるのだなあ、全く役には立たないだろうが、小生のホームページでも寄付を仰ぐことにした。
今晩はその虎舞の練習日、夕食がいつもの時間だと練習に間に合わないから早く食べさせてくれと言われていたので、太郎だけ早く食べさせた。今晩はカレーである。
「西日本を中心とした豪雨災害で土砂災害が相次いだ広島県呉市は、周辺市町とつながる主要道路の大半や鉄道網が寸断され、中核市の市全体が「孤立状態」となる異常事態に陥っている。市では10日も真夏日が予想されている。給水や物流が滞っており、約23万人の市民生活を脅かしている。」某新聞の記事より。道路・鉄道網が機能しなくなると、(あえて)わずか23万人にしてこれである、これも「他山の石だ」
平成30年 7月 9日 (月)
朝、久しぶりの燦々の太陽、生え揃った稲田を渡ってくる風が如何にも心地よい、子どもたちとの間でかけあう「おはようございます」の声も弾んでいる、ああ、間違いなくこれで梅雨明けだなと実感する。
最低気温 20.8℃ (00:20)、最高気温 29.6℃ (15:26)
そして少し遅れて昼前に、実際に気象庁から「熊本を含む九州北部、中国、近畿、東海、北陸が梅雨明けしたとみられる」と発表された。妙なもので、南から順次梅雨明けをするものでもないのだ。
最悪になってしまった今回の西日本の大水害、「大雨特別警報」に従って避難準備をしていた人も多かったのだろうが、それを遥かに超える自然の猛威だったのだろうか、また、大雨特別警報を聞いていながら、大丈夫だろうと思っていたいた人も少なからずいたのではないだろうか、これを大きな教訓にするしかない。
どうして最後に大雨が来ないと梅雨が明けないのだろうか、不思議である。
本日の登校風景 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6
小生が最近毎朝立っている場所から一つ学校寄りの辻に教頭先生がいつも立っておいでなので、旗振りが終わってから、先日の「デジカメ不審者」のことを行ってお尋ねしたところ、やはりそれは阿蘇神社脇でのことで小生のことでは全く無い、広報メールにはあまり詳しくは書けなかったので・・・・とのことで恐縮しておいでだった。前に上級生の一人に訊いた時もそのようであったが、太郎に訊いた時は、先生は場所までは言わなかったと言っていたので、確認のために教頭先生にお尋ねしたのだ。全校集めての訓示だったろうから太郎も聞いていたはずだが、低学年ではそこまでは記憶になかったのだろう。
ということで晴れて小生の完全無実が改めて証明されたわけで、坂梨地区の保護者の皆さん恐らく全員が小生のことだと思っておいでだったろう、この場を借りて(ここは小生の場だから何も借りることもないか)、そういうことでしたから。
今日は朝から家の窓という窓を一箇所を除いて全部開け放ち、湿った空気を追い出して爽やかな風を入れた。その一箇所というのは二階のデッキに通じるドアで、網戸が破れて、張り替えようと網戸一式を取り寄せていながら涼しい日が続いていたので、そのうち、そのうちと延び延びになってまだ取り付けていない。
今日はヒンヤリとした気持ちのいい風が吹き込んで、こんな日は労働をするものではない、とゆったりと風に吹かれて「技術書」などを読んで過ごした、したがって、本日何もせず。
晩飯。豚大根、揚げ出し豆腐、出汁巻玉子など
平成30年 7月 8日 (日)
最低気温 20.8℃ (00:53)、最高気温 26.1℃ (14:56)
大雨に注意が向いて台風8号のことに目が行かなかったが、この台風8号は非常に大きい、沖縄先島地方が大変だが、本土に来ないで済みそうで、よかった。
昨日一旦解除された阿蘇地方の大雨に関する警報など、今朝、5時ころだったろうか、Jアラートが鳴って再び大雨警報が発令された。そして一旦南に下った梅雨前線がまた少しずつ北上していてここまでやってくるのはもう時間の問題、この梅雨前線がひとしきり大雨を降らせて、更に北上したあと梅雨明けにつながるのではないだろうか、これが最後の大雨になるのだろうか。と思って待ち構えていたが一向に雨が降り始めない・・・・レーダーを見ると、その雨雲がだんだん薄れて無くなってきている。なんだ、降らないのか、これでいよいよ梅雨明けになるのだろうか、そういった気配が感じられる。
雨が上がるのを待っていたかのように夕方、ヒグラシが鳴き始めた、今年初めて聞いたような気がする。
今回の大雨、小生は映像で見ていなかったので、そして被害地域が広く分散していてあまりピンと来なかったが百数十名の死者・行方不明者が出ている、それまであちらこちらに「大雨特別警報」が出されていたので、なんとなく警報の安売りだなと思っていたが、それだけ重い警報だったのだ。
今日も外作業にはちょっと適しておらず、小説も読む気にならず、手近な所に乱雑に積んである技術資料をランダムに引っ張り出して読んでいた。技術資料と言うが、要は小説ではない、と言う程度のもので、しばらく放ってあったジャンルのものを読んで過ごした。そしてこの方面、またちょっとやる気が起きて来ている、なんとか死ぬまでにある程度モノにしたいと思っているもののひとつで、じっくりやる時間も小生にはもうそうそう残っていないのだ、解らなくて以前投げ出したものも、時間をおいて見直せば分かってくるものもある。またアイツこんなものをやっているのか、となるので、このあたりはボカして書いておくことにしよう。
非常に珍しいことだが家族が全員、外出することもなく一日家にいた。小生はいつも家にいるので要は三人という意味だが。
平成30年 7月 7日 (土) 七夕
最低気温 21.2℃ (06:14)、最高気温 26.5℃ (13:26)
一晩中降っていたような気がするが、朝には雨も上がって、線状降水帯も南に下っていた。昨日の時点では今日の天気がどうなるかわからないので、今日の牧場行きとオカラ届けは昨日のうちに牧場と豆腐店に中止の連絡をしておいたが、結果論になるが、中止することもなかったような気もするが仕方がない。
阿蘇地域に発表されていた警報などは一夜明けて解除され、空には明るさが戻ってきたが、まだ線状降水帯がかかっている九州から東海にかけての各地で記録的な大雨で多くの死者行方不明者がでていて洪水や土砂災害も起きているようだ。ここも一旦上がった雨もまた今夜から明日にかけて降るとのことである。
我が家の連中は昼前に、夏子の定期耳鼻科受診で山を下りていった。小生は今日はなんとなく脱力状態で、ゴロゴロして過ごした。
ボンにフィラリア予防薬を投与した、本当は昨日やる日だったが忘れていた(2/5回)。
平成30年 7月 6日 (金)
雨。強い雨が断続的に降っていた、長崎、佐賀、福岡など線状降水帯にあたる各地は大雨だそうで、極めて稀にしか出されない大雨特別警報が出されて緊張が高まっている。ここ阿蘇も、線状降水帯から少し外れているが雨が降り続いており、夕方には、大雨警報が出され、阿蘇市全域に避難準備・高齢者等避難開始が発令された。この線状降水帯は徐々にだが南下していて、阿蘇地域もそう遠くないうちにその帯の中に入ることだろう。
最低気温 22.3℃ (04:44)、最高気温 23.7℃ (12:33)
台風8号、上海に向かっているが本当だろうか。
本日の登校風景 写真1・写真2・写真3
昨日は雨で登校班のこどもたちが通らなかったので確認できなかったが、今朝歩いてきた上級生の一人に、「不審者」について訊いてい見たところ、どうもその「不審者」は阿蘇神社前のガソリンスタンドのところにいた人のことのようで小生ではなかったようである、それにしてもなんでもかんでも不審者視するのは如何かと思う。
寺さん帰る、空港まで送る。途中、昔茅ヶ崎の職場で一緒だった人で今は退職して合志市に住んでいる昔の仲間の家を住所をあてに前触れも無しで訪ねたが、あいにく不在だったので、手土産にメモを添えてきた(後から電話があり、今晩はうちに泊まれと言われたがもう搭乗直前だったので再会を約して電話を切ったそうである)。
それから、空港のすぐ近くにある、治水の名人加藤清正の事業、「鼻ぐり井出」にちょっと寄った。(写真1・写真2・写真3) http://www.town.kikuyo.lg.jp/soshiki/19/babagusuidenohanaguri.html
午後二時のフライトで、空港で二人で昼食を食って、小生はそこで別れた(夕方、折返し便のために30分遅れたそうだが、無事に茅ヶ崎に帰り着いたという電話を貰った)。
今日は太郎の8歳の誕生日である。カミさんも仕事を早く切り上げて戻って家族で太郎のお祝いの膳を囲んだ。千葉のおじいちゃんからも毎年プレゼントが忘れられず送られてくる(お父ちゃんは何もしない、お母ちゃんの担当である)。太郎「てらうちのおじさん、今日も泊まれば太郎たちと一緒にケーキ食べられたのにね」と言っていた。(写真1・写真2・写真3)
かの男は、とにかく味にうるさい男なので、賄い方として結構それがプレッシャーになってろくなものしか作れなかった、許されたい。一つには行動を一緒にして夕方近く帰ってきて台所に立つので時間が無かったせいもあったが。
寺さんは我が家は二度目である、最初は、まだ家を作っている最中に訪ねてくれて、飯場で使うコンテナーハウスに泊まってくれたことがあった(H13年10月31日、それと目次「その他」中の阿蘇訪問記)。それ以来だから十数年振りということになる、運良く二人共大過なく生きてきたものである。
今回の訪問、梅雨の真っ只中で殆ど雨ばかりだったが、本人曰く「オレは日頃の行いが良いから」というように不思議と雨に降られることが少なかった。まず、雨の予報だったのに、到着した日は非常にいい天気になった。翌朝は結構強い雨が降っていて、やっぱり日頃の行いはよくなかったのだろうと思っていたら、出かける際には、走っている時は降っていても、到着して車を降りる時には雨が上がる、その繰り返しだった。今日の離熊についても、空港までの途中は強い雨だったが、空港に着いた時には雨が上がり傘不要でターミナルビルに入ることが出来て、入った途端に強い雨になり、寺さんはもう外に出ることはないのに帰る小生は車まで傘が要ることになる。途中の昔の仲間の家を訪ったときも車を降り時には雨が止んでいた。そして、最後は、阿蘇地方に避難準備情報が出されるころはもう、熊本を離れて帰り着いているという風である。「朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや」mni
tnx cu
平成30年 7月 5日 (木)
予報では「終日雨」だったと思うが、朝のうち、強い雨、その後、GMMと熊本城に外出先の熊本市ではほとんど雨に合わず。
帰宅後も阿蘇は強い雨は無かったが、日本列島を東西に横たわる線状降水帯の上では非常に強い雨が降り続いて、各地に避難勧告・避難指示が出されていた。いつもはすぐに出される警報が今回はこの阿蘇には全然出されない、幸いなことに帯状の雲から外れていた。
本日の登校風景。 雨で子どもたちの徒歩通学は無かった、太郎には歩けと言って、太郎だけが通過していくのを見送った。(ああ、ボクは親は選べないからなあと内心ブツブツ言いながらかどうかわからないが)太郎が小生の立っているところを通過して去っていく後ろ姿をしばらく見ていたら、太郎の仲の良いクラスメートのりょうじくんがお父さんの車でやってきて、太郎の所で停まったので、太郎は拾われるのかなと思ってみていると、歩く方を選択してくれて、りょうじくんもそこで降りて二人で歩いていったのでなんだかホッとした、歩かなくちゃあ。
写真1・写真2・写真3・写真4・写真5
今日はJG1GMM(寺さん)を熊本城に案内する。映像・画像では何度も見ているが小生も実際に熊本城の被害・損傷状態を見るのは初めてであるが、リアリティが全く違う、伝わり方が違う、熊本地震の猛威にはただただ胸が痛んだ。なんども来ているが、熊本城はとにかく大きい、今回の地震で石垣が崩れたところが随所にみられるが、とにかくデカイ。ろくな重機・工具が無かった昔の石工たちが積に上げた石垣が見事に続いている、なんと言っても熊本城郭は天下一である。今、本丸を再建修理中だが、今回大きく損傷を受けた本丸も、戦後近代建築で建てられた早い話が「ビル」だった、当時の資料はあるのだろうから今回の地震を奇貨としてどうせなら木造で昔の威容を復元したららいいのにと思うのだが、建築基準法などといったハードルなどもあるのだろうが、結局また「ビル」で建てているようである、少しでも早く観光の目玉にしたいこともあるのだろうが、もっとゆっくりやればいいのに、何も急ぐこともないだろうに。
時分時を大きく過ぎていたが上通にある熊本ラーメンの発祥の店「こむらさき」で遅い昼食を摂って帰ってきた。ラーメンにうるさい寺さんも満足したようだった。
晩飯、カミさん今日も間に合わず、今晩も小生が適当に・・・
「賓客」今日の一日 連続写真
平成30年 7月 4日 (水)
昨日日記を書き終えるまでは台風7号の風は殆ど吹かなかったが、その後の吹き返しが結構強かった。
一夜明けて今日一日予報に反して台風一過のいい天気になった。
最低気温 22.3℃ (04:39)、最高気温 27.9℃ (15:02)
本日の登校風景 写真1・写真2・写真3
ボン、今朝の散歩の時によろけて、何度も立ち上がろうとするがすぐにまたよろけて立ち上がれない、いよいよ駄目か、車を取りに行って乗せて帰ろうかと思っていたらどうにか立ち上がって、その後は、あまり勢いよくではなかったが、普通通り歩いて家に帰ることが出来た、その後は平常にもどったが、いよいよ歩くことができなくなりつつあるのだろうか。
朋あり遠方より来る、JG1GMM来る。寺内さんがはるばる茅ヶ崎からやってきてくれた。毎日のようにラインでコミュニケーションをとっているので、久しぶりという気はあまりしないが、やはり実際に会うのは嬉しいものである。
特に阿蘇見物が目的というわけではないので、今回は天気が悪くても、あまりアチラコチラ走り回らなくても構わないということであったが、今日は予報に反して非常にいい天気になって、空港付近は非常に暑かった。それでも阿蘇に入ってくると風はヒンヤリとしていて、阿蘇の涼しさには驚いていた。
今回は、観光地巡りでなくて、熊本地震の爪痕を見てもらおうと、長陽大橋経由で、大崩落をして阿蘇大橋を飲み込んだ山崩れ現場に案内した。国道57号線の阿蘇方面、立野病院の先まで行って白川右岸側から阿蘇大橋崩落現場を見ようと思ったがが、通行止めで先まで行かせてもらえなかったので、長陽大橋を渡って、栃の木の交差点から、大橋の跡を左岸側から見ようと走っていくと、そこも交通度止めで先に進ませてもらえなかったので、別の抜け道を通って、現場まで行った(別にこのルートは進入禁止でない)。何度見ても地震のエネルギーの大きさには驚かされる。(あっ!この下りを書いていて、すぐ近くの立野ダムの工事現場に案内するのを忘れた。)
そこから我が家にはカルデラを反時計回りで南阿蘇を走って箱石峠越えで向かったが、途中、オープンセサミに寄って馬に挨拶をして、昼飯になごみ野に寄った。
今日は太郎の水泳教室の日、太郎がレッスンを終わる頃を見計らって迎えがてら寺さんと一緒にアゼリアに風呂に入りに行った。
晩飯。味にうるさい寺さんに何を食わせるか悩んで、結局適当に作って食べてもらった。
「賓客」御来訪 連続写真 (但し、賓客はカッコ付きである)
「阿蘇安心安全ネットワーク」
●「7月4日(水)朝、宮地地区で見知らぬ人より、登校中の児童の様子をデジカメで撮影する事案がありました。本日の一斉下校時に全児童に、不審者には十分注意すること、一人で外出はしないこと、外出時には防犯ベルの所持すること、見知らぬ人から声かけ等があったら、その場からにげること等について話をしました。ご家庭でも子どもたちへのご指導をよろしくお願いします。」
ー続報ー
●「先ほど、児童の登校の様子を写真撮影していた情報をお知らせしましたが、阿蘇警察署に寄せられた情報をもとに確認された結果、不審者ではないとの連絡がありましたのでお知らせします。」
「阿蘇安心安全ネットワーク」という情報システムがあって、登録をしておくと保護者あてに学校からいろいろな情報がメールで届く。カミさんがこれアナタのことじゃないのか、と言われてメールチェックをした、それが上記の内容である。
今日配信されたそのメールの不審者情報。これ確かに小生のことだろう、状況から見て小生以外考えられない、一体小生のどこが不審者なのだ、通報をした人、よく見てから警察に電話をしてくれよ。確かに最近、立ち位置を坂梨地区から少し宮地寄りに場所に移動して宮地地区ではニューフェースだがどうみても不審者には見えないだろう。最近時々小生が立っている場所にパトカーが赤灯を点滅させながら廻ってきて、ご苦労さまと言って通過していく、まさか、小生を牽制するためではなかろう。最近は人を見たらドロボーと思え的なギスギスした世の中になりつつある、用心をすることは確かに必要だが、なんでもかんでも不審者という見方、決して子供に対していい影響は与えないと思う、もっとおおらかにいきたいものである。
平成30年 7月 3日 (火)
台風7号、九州の西側を通って対馬海峡方面に・・・・
最低気温 観測装置不具合により観測できず
最高気温
朝6時過ぎに小学校からメールが入った、「平常通り」ただし、給食を食べて一斉下校。てっきり休校だと思っていたのでちょっと意外だったが賢明は判断だろう、台風がやって来るのは午後から夕方にかけてだろうから、しかも直撃ではないのだから。太郎は当然休みになると思っていたようで、宿題もしていなかった(今日学校ですることになるのだろう、バカタレ)、母親も休みのつもりで寝ていた。
朝のうちはいつもより少し雨と風が(雨は大したことはなかった)強い程度で、台風などと言わなければどうということはないのに、下手に台風台風と騒ぐものだから皆大騒ぎをする。
太郎にも歩いて登校するようにと言いおいて旗振りにでかけた。そういう事情なので、今朝は全く徒歩通学の姿は見えず、ただ、はるか向こうから太郎が一人で歩いてくるのが見えたので、太郎が小生の前を通過して、学校に到着するまで看ていようかと思っていたら、後から母親が車で追いかけてきて太郎を拾って学校に乗せていった。車を止めて、どうして歩かせないのかと言うと、可愛そうだから。お前のような○○親がいるから軟弱な子ばかり育つのだと怒ったが、乗ったものをまた降ろすわけには行かずそのまま見送った。ちゃんと安全なように見守っていたのに、そして本人はその気で歩いていたのに本当に○○な母親だ。遠くを見ると宮地の登校班、ちゃんと歩いているではないか。
我が家の裏方向(豆札集落の中心部方向)に向いているライブカメラ、最近、竹が生茂って見通しが悪くなっていた。家と少し距離があるので、直接建物にあたることはないが、竹が風で暴れると見ているだけで不安感を覚えるので、それに外部の情報も欲しいこともあった、雨の中、切り倒した。「台風が来てから竹を切り倒す」、「泥棒を捕らえて縄を綯う」、これ、同義語である。
風師庵測候所の気象観測装置が動いていないのに気がついた、いつから動いていなかったのだろうか。公開はしていないが室内のデータはちゃんと出ている、ということは外の観測機器の多分給電関係だろうと思って、外に出て、電源ラインを追っていったところ、草むらの中で切断していた。これ、草刈りをしたときかなあ、昨日はここはやっていないので、その前の、草刈りのときかなあ、その時、ここやったかなあ、ああ、最後に燃料がちょっと残っていたのでオマケでやったところだなあ、ということは6/29日かあ?そんなに長く故障していたのか。よくみると二三箇所完全に切断していたり、半分切れていたり。草刈りのたびに毎回毎回このようなドジを踏んでいる。早速切れたところを繋いで復旧させておいた、肝心な時のデータがとれなかった。
で、結局今回の台風7号はいったい何だったのだ、いつものNHKの「来るぞ、来るぞ」は分かっていたつもりだったが、それにてもあまりにも予想が外れた。風は時々思い出したようにちょっと強い風が、雨も、九州山塊が盾になって大分宮崎側からの雨が脊梁を超えて来ずにあまり強い雨は降らなかった、結局は独り相撲ということだったのか。もうこれ以上強い雨風は無いと思っている。
台風7号の後にまた新手の台風が来るぞ、こちらのほうか直撃臭いかも。動画
平成30年 7月 2日 (月)
曇り、時々パラつく。台風7号のスピードが当初の予想より遅くなっている、ここに来るのは明日の昼ころだろうか、夜間でなくて良かった、まあ、そんなに大きな台風でもないだろう・・・・・・・でもないか、なんだどんどん大きくなっているではないか、それにどんどんこちらに寄ってきている。
最低気温 22.2℃ (02:44)、最高気温 23.1℃ (00:00)
本日の登校風景 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5
娘が通っている高校は台風接近により明日の休校を決めて連絡メールが入ったが、太郎の小学校は明朝に判断するという、休校を期待している太郎はちょっと不満そうである。小生の想像であるが、小中学校は義務教育なので高校のようにあまり自由裁量が利かないのだろうか。
午前中、畑の一部の草刈りをした。少ししか出来なかった。お客様を迎えるのでもっときれいにしておきたかったが出来なかった、まあ、そんなに気を使わなければならい間柄でもないから、いいか。そのかわり、トランペットの掃除をしておいた。畑の草刈りとトランペットの掃除、ちょっと脈絡が無いが、まあそれはおいおい。
それから、台風に備えて、家に接するように伸びている竹を何本か切り倒しておいた、風が強いと竹が90°近く曲がって建物にあたって傷つける恐れがあるからである。
古野まほろの「パダム・パダム」を読み終わった、前回借りた同じく古野まほろの「命に三つの鐘が鳴る」を返却に行った際に、その続刊のこの本があったので続いて借りてきたのだ。
「パダム・パダム」も非常に面白かった。この作者は実際にキャリア警察官だったひとで、それだけ警察組織の内情に詳しくて、しかも、推理小説として非常に優れていると思う、読み始めはちょっと取っ付きにくさがあるが、読み始めるといわゆる「ハマって」しまう面白い小説である。
本を読み終わったので返却がてら次の本を借りようと思って図書館に行ったら、6/29〜7/10まで蔵書整理のためにまた休館だそうだ。おそらく日本で一番休館日の多い図書館だろう、そう頻繁に蔵書チェックをしなければならないほど大量の本があるわけでなし、全くの小生の想像だが、人件費抑制のための休館だろうと思う、市の財政がそれだけ苦しいのだろう。それならそれでいいのだ、考えてみたら何も毎日開ける必要も無いのだから、でもそれならちゃんとそう言って休館にすればいいのに。
ついでに、これは全くの噂だが、阿蘇駅前にある市経営の温泉施設、「夢の湯」、天井が落ちて、休館状態が続いてる、どうも修理はしないということを聞いた、ということは廃館なのか、でも「入るを量りて出ずるを為す」でなくて、「入るを図る」算段をしなければジリ貧になるばかりだ。
晩飯。肉ジャガ、出汁巻玉子、冷ややっこ、ナスとタマネギの味噌汁、トマト、アスパラガスなど
平成30年 7月 1 (日)
曇り、時々、パラパラと雨が落ちてきた。
最低気温 22.2℃ (03:34)、最高気温 27.8℃ (11:12)
九州の西側を通る台風、過去の経験から殆どすべて、当初の予想コースから必ず右にブレる。今回の台風7号もどうもそのような気配である、最初からそうなら腹を括りもするが、途中から曲がってくると腹が立ってくる、過去の実績から学べよ気象庁。
今日は夏子の英検の試験や、大学のオープンスクールがあるということで母親と二人して出かけていった。ということで、太郎は家で留守番、昼飯にリクエストでそうめんを食べさせた。
台風が来そうだから、秘密基地の補強やまだ済んでいなかった小さな穴を塞いだり、終日基地内で過ごした、太郎も一生懸命なにかを作っていた。今日はそんな一日だった。
よく墓に行く山道でこの花に出くわす、ユリ系の花で山に咲いているので小生はかってにヤマユリと呼んでいたが、改めてネットで調べたところ全く違うことを知った、この花はヤブカンゾウ(またの名をワスレグサ)と言うらしい、小生は本当に植物の名前に疎い。このヤブカンゾウ、もう盛りを過ぎているが我が家の敷地内に咲いていた、この先、お盆前に草刈りに山に登るといつもたくさん咲いているから花の時期は長いのだろう。
このページ先頭へ 風師庵日記目次へ