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平成29丁酉(2017)年 1月の記録(新しい日付けの順)


平成29年 1月31日(火)

 晴れ、穏やかな一日だった(記録ではちょっと風があったようだが、小生は気が付かなかった)。日没前、風向きと太陽の光線の関係だろうが、いつもの噴煙がとても派手に見えていた。
       最低気温 -1.0℃ (05:49)、最高気温 8.6℃ (14:58)

 あっという間に1月が終わった、太郎に、あと11ヶ月もするとお正月だぞと言うと、目を白黒させていた。

 先日、隣村の鬼塚の侍龍君のおばあちゃんが通りすがりに、家の前で木を切ったから取りにおいでなさいと声をかけてくださったので、まだ体がちょっと重かったが今日出掛けてきた。少しだけかなと思っていたら軽トラック5台分はありそうなケヤキが綺麗に切り揃ろえて積んである。だれの仕事ですかと尋ねたところ、九州電力が切ってくれたとのこと、電力会社は多分どこでも同じだろうが、電線に掛かる木は無償で切ってくれる。根本から切り倒す場合と、電線に障る部分だけ切る場合と、(芯止め、と言ったかな)一定以上は上に伸びないように切る場合と、色々な方法があるようで相談で希望に添ってくれる。我が家でも以前切ってもらったことがある。
 今回は相当大きなケヤキで根本から全部切り倒したようである。体調がまだどうも回復しきれていないのでちょっとやるだけで息が切れた。道路から少し下がった所で軽トラックを乗り入れることが出来ないので、クレーンをフルに使って作業をしたが今日は二回運んだだけでギブアップ、残りは明日以降にする。(写真1写真2写真3写真4
 
 先週の木曜日に行って以来、5日ぶりに風呂に行った。
 
 今日も晩飯はカミさんが早く帰ってきて作った。 

 今新聞で、熊本地震後の阿蘇の道路の確保や維持に関して何回かのシリーズものが載っている。既に今日の分で5回目だ。4回目の記事はライブカメラのことで、小生が前々から関心があったので、残してあった。それ以前は確か除雪の話があったが、それ以外は読まなかったのか、記憶にない。そして今日の5回目、57号線迂回路のミルクロードの数カ所に設置してあるトイレの清掃についての記事だった。小生、時々市の観光行政は一体何をしとるのかと批判めいたことを書いているが、やるところではやっているんだなあ、今日のこの記事のように改めて光を当てなければ一般の人には伝わりにくいことだ、この清掃、最初の頃は市だけでやっていて現在は国と県と三自治体でやっているようだが、読んでみると本当に阿蘇市はカネがないんだなあ。
 ネットなどで見ていると、近隣国から日本にやってくる観光客は日本の道路にはゴミがない、トイレが綺麗だと感心するとあるが、こういったところを見ると決してそうでもないようだ、確かに公衆便所は汚いところが多い、どうしてもっと綺麗に使わないのだろう。
 新聞には今回のシリーズの次には、f-JR九州の「運転見合わせ」のことも取り上げて欲しいところだ。


平成29年 1月30日(月)

 曇り。日本海の低気圧通過で南から吹き込んでいた暖かい強い風で昨日から今朝にかけて高かった気温も、西高東低の冬型に気圧配置が変わってきて夜に向けて気温が下がってきている。
    最低気温 1.7℃ (但し19:56現在、なお下降中)、最高気温 13.2℃ (01:03)

 もう風邪の方はほとんどいいのだが、特に「喫緊に」やることもなく、サボり癖がついてしまって寝っ転がっている方がらくなので今日も一日ゴロゴロして過ごした。太郎の保育園もカミさんが送っていった。夕方は小生が迎えに行った。

 あ、そうそう、ボンの餌が切れていたので散歩の後で買ってきたこと、それからミツバチの給餌をしたこと、これくらいか今日やったことは。


平成29年 1月29日(日)

 天気予報では今日は雨になるようなことを言っていたが午前中の駅伝大会の時間帯は素晴らしい天気で絶好のコンディションだった。今日は暖かかったんだなあ。午後に入ってから風が猛烈に吹いていた。夜に入っても雨まじりの猛烈な風が吹いている(13.9 m/s at 18:49)
      最低気温 0.6℃ (02:37)、最高気温 18.1℃ (14:50)

 風邪の方、まあ、概ね回復基調かというところだが、今日もほとんど布団の中で過ごした。そして昨日借りてきたミステリー小説一気に読んでしまった。

 坂梨地区の駅伝大会が開催された。昨年までは、「坂梨校区」だったが、坂梨小学校が無くなったので「坂梨地区」と名称が変更された。坂梨小学校がなくなって、小学校の先生チームも無くなり、しかも少子化が進み、今年は参加チームが減るのではと心配したが、一中の陸上部が特別参加をしてくれたようだ。駅伝では小学生などの走る短い区間もあるので、中継地点ごとに一中の陸上部が選手交代をすると勝負にならないので、一中の陸上部は一人で4区間走ったそうだ(娘の談)。小生は体調不良で、例年だとスタート・ゴール地点を始め、あちらこちら走り回って写真を撮るところだが、家の前の中継地点での写真撮影になった。どこか優勝したのだろうか。

 坂梨地区新春駅伝大会 第5中継所 風景 連続写真

 しまった、ボンの散歩、忘れた、許せ。



平成29年 1月28日(土)

 今日は霧が深くてほぼ昼近くまで視界が悪かった、車の運転でも非常に神経を使った。
     最低気温 -3.1℃ (07:21)、 最高気温 13.1℃ (16:02)

 いやあ、風邪を引いた、多分インフルではないと思うが、タダひたすら布団に入って過ごした、熱は無いと思うが喉が痛くて咳をして痰を吐くドロっとした黄色い痰が出て来る、小生は風邪はすぐに治るので明日には多分治っているのではと思うが。

 先日、寺さんが、「癌消滅の○○」と言う本が面白いらしいよ、とLINEで言ってきた。題名の○○の部分は寺さんも忘れたか何かで○○だったのだが、小生は、癌治療の本かなにかだと思ったので、今しばらくは「癌」はもういいやと返答して調べた所、「癌消滅の罠」というミステリーで2017年・第15回『このミステリーがすごい!大賞』大賞受賞作だと言うことがわかった。寺さん曰く、阿蘇は都会と比べたら人口が少ないから図書館でも直ぐに手に入るんじゃないの?それもそうだなあ、と早速図書館に出掛けて、ありますか?尋ねたところ、今ちょうど発注しているところですということで、そうか、そうなるとその本をリクエストした人が先ず読んで、その後に読むことができるかなと思っていたところ、昨日、リクエストの本が入りましたというメールが来た。えっ?いやに早いなあ、でも先にリクエストした人がいるからその人が優先だろうと思って、図書館に行ったところ、一の宮図書館と阿蘇図書館と二冊注文したので大丈夫ですよ、と一番で借りることが出来た。内容は全く知らない、どういうふうに話が展開していくのだろうか、楽しみである。阿蘇市の図書館はどちらで借りてもいいのである。早速読むことにしようかね、寺さん。都市部では注目本なんか予約して順番が回ってくるのに半年くらい掛かるらしい、やはり住むなら田舎だね。

 カミさんは保育園の新年会で夕方から出かける、小生がちょっと料理をする気力がないのでお姉ちゃんが生姜焼きを作って太郎に食べさせていた、いいね、これから頼もうかね。そういうわけで今週はピアノのレッスンは休みだった。


平成29年 1月27日(金)

 晴れ、一時小雨。
   最低気温 -4.3℃ (03:37)、最高気温 9.7℃ (15:33)

 今日の天気予報、「晴れ」だが、もしかしたら日中に少しは、という程度だったので、大丈夫だろうと昨日切った薪、今日取り込むつもりでそのままにしていたら、こんな時に限って降りやがった、僅かな雨だからいいけど。雨雲レーダーを見ると阿蘇上空にほんの少しだけ薄い雲がかかっている、こいつが降らせたのか
 
 今日は南からの風が吹き込んで暖かくなると言う予報だった、たしかに数字を見ると気温が高かった、会う人も今日は暖かかったですねえ、と言っていた。しかし、小生は全然暖かく感じなかった、ちょっと風邪気味だからだろうか、踏ん張りどころだな。

 坂本棟梁から今、扱っている現場で木を切るけどいるかという電話があったので、モチロンモチロンということで貰いに行ってきた。阿蘇乙姫神社の近くのH田さんというお宅だ、縁は異なものとはよく言ったものだ。ここのご当主の息子さんのお嫁さんは太郎が以前保育園でお世話になった先生だ、そしてご当主は小生がよく風呂やプールでご一緒するH田さんの弟さんだということがわかった、どうしてわかったかと言うと、少し前に新聞に熊本地震の特集で、田んぼが割れて今年は田植えができなかったという農家の談話が写真入りで載っていて、その人が今回の薪を頂戴したお宅だった、その写真で小生がプールで知っているH田さんとそっくりだったので、兄弟だと言うことがわかったのである。やいや世間は狭い。(写真1写真2)
 
 そこから一番近い外輪山、改めて見ると地震の大きさが改めて分かる、がけ崩れというよりは山崩れだ。

 軽トラックで三往復して、ようやく4時過ぎに帰ってきて、晩飯の支度にギリギリ間に合った、今日は殆ど家で座る時間もなかった、当然プールは休み、ボンの散歩も時間がなくて今日は無しだった、ボンの散歩を休むのは余程のことだ、一年365日のうち5日と休まないだろう、雨の日も降りが弱まった頃を見計らって必ず行くくらいだから。

 。今日もらった薪はもう来シーズン用だな 。

 晩飯。ハヤシライス、大根サラダ


平成29年 1月26日(木)

 快晴、今朝も冷え込む、その分、日中は穏やかに晴れた、こういう冬のスタイルが一番いい。
    最低気温 -6.8℃ (07:18)、最高気温 7.9℃ (15:46)

 朝の気温が低くても、日中は晴れて空気も乾燥するので、今日も薪作りをした。午前中一働きして、間にプールを挟んで午後からまた作った。
 
 今日のプール、午前中の薪作りで少し腕に疲労を感じたので、距離が伸びずに、今日は1,000mで手を打った。

 外気温があまり上がらなくても日光の力は偉大である、陽だまりは20℃近くまで上がる、ハチは真冬でもちゃんと世代交代を続けていて、午後になると新兵さんの飛行訓練、「時騒ぎ」をしている、このシーンを見ると、わざわざ巣の中を確認する必要もない。(写真1写真2写真3)

 晩飯。八宝菜、水餃子、杏仁豆腐


平成29年 1月25日(水)

 しっかりと冷え込んだ、それだけ気持ちの良い一日だった(写真1写真2)。今朝の冷え込み、今季一番の冷え込みで、同時に恐らくこの先も含めてこれがこの冬一番の冷え込みということになるのではないだろうか。(写真1写真2
     最低気温 -8.6℃ (07:17)、最高気温 5.4℃ (15:07)
 
 真っ青の空に噴煙が勢い良く上がっていた、今日はすごいなあと思って見ていたが、普段でもこれくらいの噴煙は上がっていて今日はたまたま風がなかったので真っ直ぐ上がっただけでいつもは風に流されて火口から南方向に流れていてこちらから見えないだけだったのだろう。火山なんだからこれくらいの噴煙がいつも上がっていなくちゃなあ。 
 
 小生は最近階下の北側の寝室に一人で寝ている。夏場はいいが、冬場は酷寒の部屋になるので、家族のみんなは二階で寝ている。小生は一人でのんびり寝たいので寒さを我慢してして階下で寝ている。最近の寒さは、布団に入ってしまえがどうということはないのだが、それでも本を読んでいると出している手が凍えてくる。そこにもってきて、昨夜は氷点下10℃の予報が出ていたので、これはちょっとヤバイかなと思って、ヤマダ電機に行って電気毛布を買ってきた。余談だが、阿蘇市にはベスト電器とヤマダ電気がある、その他にも家電を量販する店はある、こんな過疎地帯でやっていけるのかなと大きなお世話だと思うが心配している。電気毛布の話に戻る、結構するのかなと思ったら、もう冬物の棚ざらえなのか、税込みで1.5Kしなかった。当然あちら製だと思うが、生産国は確認しなかった、危ないから朝起きるたびにコンセントはこまめに抜けばいい。それで一晩過ごしてみた、いや、暖かい、これはいい、もっと外気温が下がっても平気である。明日の朝もまた冷え込みそうだ。

 朝、起きぬけに、窓から外を見ていた太郎が、「おとうさん!ボンそっくりの犬が外におるバイ!」と言う、見てみると、なんのことはない、ボンがワイヤーを切って屋敷内をウロウロしていたのだ。呼ぶとすぐに飛んできた。応急処置をして、散歩から帰って、ワイヤーの修理をした。犬の鎖、このワイヤー方式はキンクすると切れやすい。もう何度も買い替えている。今回もまた買わなければならないかと思ったがなんとも勿体無いなあと思って、ふと、そうだ、昔、ワイヤーをかしめる道具を買ったことがあったのだと思いだした、いろいろな工具を買ってはその時に使っただけで忘れてしまう事が結構ある。このかしめ工具は買ってもう10年以上になるだろう。最近、小生の入院中におじいちゃんが倉庫を整理してくれた際に、目に見えるところに置いておいてくれたので、思い出したのだ(結構な値段したんだなあ)。(写真1写真2

 ボンのワイヤーの径が3mmで、手持ちのアルミスリーブも3mm用だったので、ちょうどよかった、これで無事修理が成って無駄な出費をしなくて済んだ。
 
 ワイヤーのスプライス加工は難しくて出来ない、他にも溶接という手もあったんだ。

 昼前にプールに行く、魔がさして、ノンストップで2,000m泳いでしまった。明日からこれが基準になると困るのであくまで今日は特別ということにしておく。1,000mの場合は全く泳いだという気がしないが、2,000m泳ぐとさすがに腕などに適度な気だるい疲労感が残る。以前は遅いなりに、1,000mを20分くらい、後の1000mを25分くらいで泳いでいたが、今や1,000mに30分かかってしまう、加齢のせいか、ブランクのせいか。泳いでいると小生の隣のコースをどんどん追い越していく人もいれば、逆に小生に追い越される人もいる、まあ、マイペースでいいのだ。なにも2,000でなくても1,200でも1,500でも良いと思うが、どうも人間は「キリ」ということにこだわるらしい。計算尺と対数に興味を覚えて、「人間の五感は対数に変換されている」ということを知った、ウェーバー・フェヒナーの法則だったか、ということはこれもそうなるのかな。

 今回の大腸癌の手術の前に、夫婦揃っての院長との面談があって、その時に、手術後、柿とタケノコを絶対に食べないようにという注意があった。手術後ずっとなのかしばらくの間なのかはっきり聞かなかったが、へえ、そういうものか、あまり関係があるとは思えない食べ物を二つわざわざ挙げる以上、固有の何かが体に悪影響を起こすのかなあと、まだ手術前の事もあって、それ以上深いことは確認しなかった。その後、手術が終わって、退院に際して、退院後の食事について、栄養士から指導があったなかに、繊維質が多いので、避けたほうが良い食品の中に、この柿とタケノコがあったが、この二つを特に気をつけろということではなかった、手術の後、しばらくの間は、腸を縫い合わせた縫い目のところに食物の繊維が絡まってそれが原因となって腸閉塞を起こしやすいということであった。そういうわけで、院長先生がこの二つの食べ物をわざわざ挙げた根拠というものは今だに分からないが、おそらく繊維質の食べ物には気をつけろということだろうと解釈している。というわけで、まだ注意をしなければならない期間であるが、敢えてこれを逆手に取って、今日はタケノコをたっぷり使った料理とオマケにわざわざデザートに干し柿を添えた、トコトン臍曲がりである。
 
 というわけで、晩飯。チンジャオロース、シウマイ、中華スープ、干し柿


平成29年 1月24日(火)

 今朝もしっかりと冷え込んだ。でも放射冷却で、風もなく気持ちのいい朝だった、山肌キラキラと光っていた。日中も、数字的にはほとんど2℃くらいだったが、これは観測ルールに従った方法によるもので、実際には太陽を浴びると全く体感の温度は違ってくる、今日も陽だまりでは15℃以上あって全く寒くなかった。よく見ると、梅の小さな蕾がもう出ている。でもなんと明朝はマイナス10℃の予報が出ている、これは大変だ。
    最低気温 -6.0℃ (03:44)、最高気温 2.2℃ (14:41)

 午前中、薪を作って、一旦中断して、プールに行って、また昼から薪を作った。今日のプール、1,000mを泳ぎきってもほとんど息があがらなかったので、このまま2,000行こうかと思ったが、午後からも薪をつくる予定をしていたので、1,000mでやめた。
 
 防衛省の通信衛星「きらめき2号」を搭載したH2Aロケット32号機の打ち上げをネットで見た、国防上の大事な衛星だ、当然成功したが、結構早いうちからカウントダウンをするのを聞いているとだんだんと緊張してきた、関係者は大丈夫だと分かっていても胃が痛かったろう、種子島だからさすがにここからは見えなかった、じっちゃいのところからは煙が見えてるなあ。

 晩飯、餅おじや


平成29年 1月23日(月)

 今日も寒い一日だったなあ、終日氷点下の真冬日だった、それでも夕方になってようやく青空が見えてきた、明日は晴れるのだろうか。
      最低気温 -3.5℃ (05:08)、最高気温 -0.5℃ (16:11)

 コイン精米所で精米する。腹を切ると重いものがしばらく持てなくなるので、入院直前に精米に行って、それ以来である。今日、米袋を担いでそのことを思い出した、縫い目が元に戻るのに三ヶ月くらいかかるのでその間は重いものを持たないようにと言われていたのを忘れていた、まだ一月ちょっとしか経っていない、玄米一袋は30キロある、昔の米の一俵は60キロだから、今の米袋はその半分である。30キロの袋、掴みどころが無いのでこれが結構重い、それでも、縫い目が裂けることは無かった(ようだ)。

 新年早々行われたJARL(日本アマチュア無線連盟)主催の新年QSOパーティの今年の「酉」のステッカーが届いた。これで11年埋まったぞ、あと残すところ来年の「戌」だけだ、それで十二支完成、満願になる、なんとか行けそうだ。

 晩飯、ロールキャベツ
 
 今日はアゼリアは全館休業日だった。


平成29年 1月22日(日)

 予報では、さかんに九州北部、熊本山間地に大雪が降るようなことを言っていたが、殆ど降らなかった、気温もそれほど低くはなかったが、雲が垂れ込めて時々みぞれや雪が舞うようなこんな天気の日が一番体感的には寒さを感じる、そんな一日だった。
   最低気温 -1.4℃ (但し18:46現在、夜に向かって気温が下がっている)、最高気温 2.2℃ (07:39)

 娘は、クラスメートと一緒にクラスメートの保護者に二重峠越えで熊本県劇に吹奏楽の演奏会に連れて行ってもらった。
 
 頼んであった太郎のランドセルが届いた、太郎の希望で選んだ色だそうだが、青が基調で背の部分、調べた所これを冠(かぶせ)と言うらしいが銀色である、ランドセルは高いのだろうなあ。昔も今もほとんどデザインは変わらないんだなあ、これをこれから6年間背負って通学するのか(写真1写真2)。

 今日も図書館に本を返しに行ってまた借りてきた、読書三昧の毎日である、ここのところ冬ごもり状態で、日記ネタが無くて日記が短いので、寺さんが体調でも悪いのかと心配して訊いてきたが至って快調である。


平成29年 1月21日(土)

 朝起きると、積雪量は少なかったが窓の外は真っ白になっていた、放射冷却で、青空が広がり気持ちが良かった。
    最低気温 -4.7℃ (07:10)、最高気温 4.0℃ (14:58)

 国道57号線迂回路のミルクロードに沢山のライブカメラが設置されて、渋滞状況がよくわかるようになったが、今までカメラがどちら方向を撮っているのかがよくわからなかった、それが画面下の方に赤字で表示されるようになって非常に分かりやすくなった。この件については、地元民の小生ですらパッと見ただけではわかりにくくて、改善の提言をしてあったが、それも少しはあったのだろうか、見やすく改善してくれて助かる。
 
 今回の一連の国道事務所とのやり取りで分かったことだが、この写真で言うと、画面の上左部分に「4K52 上」という文字があるが、この「上」という文字が意味するところは、カメラの設置場所が「上り」車線に設置してあるカメラという意味である。「4K52」はキロポストで起点から4キロ520メートルという意味である。つまり起点から4キロ520メートルの場所にある上り車線に設置してあるカメラということになる。ここでいちばん重要なのは、上りと下りがどっち方向かということで、これを取り違えると全く逆方向になる。鉄道の豊肥線の場合は熊本方面が上りなので、普通に考えると、国道も阿蘇から熊本に向かう車線が上り車線であるとおそらく殆どの人は考えると思うが、国道57号線の場合は、これが逆で、大分が起点だそうで、熊本から大分方面が上り車線になるのである、従って、キロポストの4キロ520メートルとは阿蘇側のミルクロードの起点である赤水の交差点からの(下り方向の)距離ということになる。混乱の最大の原因は鉄道と国道の上り下りの決め方が同じではないということであろう、だから今回赤字で表示してくれたことは非常にわかりやすい方法だと感じた。(旧臘28日の日記参)
 
 今日も終日読書をして過ごした、冬ごもりの季節である。
 
 今日は道路の凍結が心配なのでピアノのレッスンは休みだそうだ。


平成29年 1月20日(金)

 今日は時々横殴りの吹雪であっという間に周囲は真っ白になったが、雪雲の分布がまだらで、降ったり止んだりを何度か繰り返していた、路面の雪は直ぐに消えたが、山は真っ白になっていた。とにかく風が強くて体感温度が非常に低かった、寒かった。
 最低体感温度 -6.7℃ (15:43)。

 朝は凍るほどの気温では無かったが、夕方にかけて気温が下がってきて、娘が部活を終えて帰る時に自転車が凍っていて、友だちの分と一緒に先生がお湯をかけて融かしてくれたそうだ。
   最低気温 -1.0℃ (但し16:49現在、今後さらに下がる見込み)、最高気温 4.6℃ (04:01)

 太郎は今日は保育園の行事で親子クッキングでのために一の宮就業改善センターの調理室で保護者と一緒にハンバーグなどを作って食べたそうだ、カミさんが出席した。

 昼を挟んでプールへ。@1,000m×1。

 晩飯、ポトフ。


平成29年 1月19日(木)

 曇り。スッキリという晴れではなかったが穏やかな一日だった、天気が下り坂である。
    最低気温 -0.5℃ (04:20)、最高気温 8.7℃ (13:25)

 昼を挟んでプールへ。@1,000m×1。
 昼から薪を作る。
 ミツバチの給餌をする。
   今の時期はこれらがルーチンか。

 晩飯。鶏すき、出し巻き玉子、ホウレンソウの味噌汁。もうハッサクが売っていた、ハッサクは八朔だろうから毎年夏のミカンだと思っているといつも早々と春先には売っている、どうもピンとこない。


平成29年 1月18日(水)

 晴れ、少し雲があった。
   最低気温 -3.1℃ (05:23)、最高気温 8.7℃ (15:14)

 今朝も氷点下になったがとりあえず今回の寒波はこれで一段落だろうか、娘、昨日も自転車を玄関に入れていたが、この程度では凍らないだろうと思っていたが、念のためだったのだろう。

 「死児の齢を数える」という諺があるが、「死婆の齢・・・・」は無いな。今日は亡き婆様の生誕・・何年だったろう、確か昨年100年だったと記憶しているが、とにかくPCのスケジュール表に出ていたので、小豆ご飯を炊いた、まあ、ちょっとした気まぐれで深い意味はない。子どもたちは大喜びだ。それにしてもオヤジの誕生日や命日が一向に日記に登場しない、別に不仲であったわけでは全くないが、こういった場合、男親はなんとなく損をする存在なのかもしれない、それにもうはるか昔のことでもあるしな。

 昼を挟んでプールへ。@1,000m×1、あまりきつくなかったので2,000mいけそうだったがやめた。一旦レベルを上げると、それが基準になって下げられなくなるからだ、別に一旦上げたハードルにこだわることもないと思うのだがどうしても、その数字が以降の基準になってしまう、単純に行ったり来たりがツライのだ、頭のなかで回数を忘れないようにしながらの繰り返しが面倒なのだ、入院時のリハビリで病棟の廊下を黙々と往復したことを思い出す。
 
 晩飯。チキン南蛮。


平成29年 1月17日(火)

 晴れ。放射冷却で日中は気持ちが良かった。夕方にも明日の晴れを予想される空が広がっていた
    最低気温 -5.1C℃ (05:36)、最高気温 7.8℃ (14:18)

 いくら寒くても、、たとえ新暦であれ、年が改まってしっかりと春が巡ってきている、もうフキノトウが顔を出している
 
 いくら寒くても、少しでも陽だまりが出来ると、ハチはしっかりと今でも「時騒ぎ」を起こしている。(写真1写真2)

 昼を挟んでプールに行く、淡々と1,000mをノンストップで泳ぐ、淡々と。

 晩飯、豚肉のムニエル


平成29年 1月16日(月)

    最低気温 -6.9℃ (02:58)、最高気温 5.7℃ (14:12)

 さすがに今朝くらいの低温になると、氷の張り方もいつもと違う、蹲(つくばい)の氷も「御神渡り」もどきになっていた(写真1写真2)。今朝の冷え込みも放射冷却だそうだが、最低気温も明け方でなく丑四時に記録している。夏子は、先日低温で自転車の車輪がガチガチに凍って自転車登校ができなかったのに懲りて、昨夜は用心のために自転車を玄関内に入れておいて、今朝それを引き出して登校していった。小生の年代はごく普通に「自転車」と言うが、娘達はごく自然に「チャリ」と言ってるが、これ、現代ではこれが普通の言い方なのか、それとも行儀の悪い言い方なのだろうか、小生はこの言い方はどうも好きになれない、なんとなくウリジナル臭い。

 日中も気温は上がらなかったが、風がなくて日がさしていたので寒さは感じなかった、またこの先寒波が来そうな気配なので、昼から一時間ほど薪作りをした、これで二三日分のストックは出来ただろう、この冬は義父たちのお陰で薪の消費、自転車操業ではないので余裕がある、今日作った薪もすぐに使うわけではない。
 
 太郎は今保育園年長組で、まもなく小学生になる、保育園では昼食後は昼寝の時間があるが、小学校に入ると昼寝の時間など無くなるので、今から慣れておこうと今日からその昼寝が無くなった(でもいきなりだと体が付いていけないといけないので、用心のために今まで通り布団は持って行っている)。太郎のクラスは年長と年中の複式クラスのために、年中のこどもたちは昼寝のときは一つ下のクラスに移動して、太郎たちはその時間は、小学生活の準備で字の練習などをするようである。その太郎、今日は身体測定があったそうだ
 
 晩飯。カキフライ
 
  
平成29年 1月15日(日)

 日本列島大寒波襲来のようで本州では大雪になっているようだ、ここも今朝は薄っすらと雪景色が広がっていた。このあたりの昔からあるお屋敷はみな自宅で慶弔ごとを行ってきたので構造上広間など広くてとってあって気密性に欠ける嫌いがあるの冬場は本当に寒いらしい、その点、我が家はそういった広間は無いうえに、狭いし、一応断熱気密性を考慮して作ってあって、さらに、24時間、バンバン薪を燃やしているので外気温がいくら低くなってもあまり影響がなくて済む(その分、薪作りが大変だが)。亡くなった婆様なんか、阿蘇の冬は暖かいねといつも言っていた。最近はストーブのメンテも手を抜いていて、ガスケットも剥がれているので空気のコントロールもあまり効かずに、いい気になって燃やしているとストーブの温度計がいっぱいに振り切ったままになって、今日なんか室内はシャツ一枚でも暑いくらいだった。
    最低気温 -6.2℃ (06:07)、最低気温 2.0℃ (15:17)
 明日は氷点下8℃の予報が出ている。

 こんな天気の日、太郎は前から約束していてい今日が最終日だとかで、母親に山越えで光の森の映画館に戦隊ヒーローものを観に連れて行ってもらった、小生と夏子は留守番をした。ライブカメラを見るとミルクロードはさすが幹線道路なので除雪もしっかりしてあって普通タイヤでOKだったようで、渋滞もなく車が行き来していた。

 こんな気温が低い日、ハチは大丈夫だろうかと覗いてみたら、たしかに数は減っているようだが元気で、下の覗き扉を開けたところ元気に攻撃態勢で一斉に飛び出してきた。
 
 こんな日は大威張りで読書三昧、先日借りた本を図書館に返しに行ってまた借りてきた、本が一番である。
 
 今日は内之浦から小型ロケット(SS520)の打ち上げがあった、上手く打ち上がったように見えたが、その後失敗したようだ、失敗は成功のもとだ。(写真1写真2


平成29年 1月14日(土)

 今日も寒い一日だった。日本列島各地で大雪になっているようだが、九州は降らなかった。明日の朝も低温注意報が出されてる。
今日は寒いのは昨日から分かっていたので、ボンの散歩と風呂に行く他は外に出ること無く屋内でぬくぬくと読書三昧で過ごした。
   最低気温 -0.9℃ (07:36)、最高気温 2.8℃ (15:16)

  なんでも『日本海側を中心に大雪が続いたのは、日本列島上空に数年に1度の強烈な寒気が入り込んだことに加え、中国大陸から吹き込む風が日本海上で合流する「日本海寒帯気団収束帯」(JPCZ)が大量の雪雲を生み出したのが要因とみられる。』言うことだそうだが、また新しい言葉が出てきた。


平成29年 1月13日(金)

 昨日までに比べて気温が緩んで、風もあまりなく、寒さは和らいだ。
      最低気温 1.1℃ (06:29)、最高気温 5.2℃ (13:56)

 さかんに週末は日本の広い範囲で大雪になるので気をつけろ、車で出るなという文字がやたらと目につく、でも九州は全く関係がないようだ。それでも夜に入って少し雪がちらついてきた、明日は気温が上がらない寒い一日になりそうである。

 ここでは大雪の心配は無いと思うが、それでももし雪が降るようなことがあると、その後が面倒なので、今日は薪を作った。午前と午後夕方近くまでたっぷりと作った。特に腹の縫い目には響かなかった。
 
 午前中の薪作りの後、昼頃、プールに行く。今日も500mをノンストップで泳いだ、まだ、最後の方は息が切れる。午前午後とみっちり薪つくりをして、そして泳いで、沢山の運動をした。
 
 今日は太郎を夕方風呂に連れて行って、結局プールの後と夕方と二回入ったことになる。ここのところ太郎は母親と姉と一緒に夕食後に行っていたが、太郎は今までよく「女風呂はスカン、お父さんと行く」と言っていた、詳しく理由を聞いたことがなかったが、ただ、「そうかお父さんは女風呂に行きたいけど入れないんだぞ」と言うと、すかさず娘が、「お父さん、お年寄りばっかりよ」と言っていた。それで今日太郎にその理由を聞いてみたところ、男風呂と女風呂は向かい合わせにあるので浴槽なんかの配置がシンメトリになっていて男風呂に慣れているとどうも勝手が違うようで、それでスカンと言っていたことが分かった。なるほど、これは両方の風呂に入った者でなければわからないことなんだ。
 
 晩飯。鍋、寒い日はこれに限る、何より考えなくていい


平成29年 1月12日(木)

 朝もこの冬一番の寒さではなかったが、放射冷却による低温ではなかったのでスカッとは晴れず、日中もほとんど気温が上がらなかった。夕方には綺麗な日没が見られた、まだ冬至から一月経っていないのに大分沈む位置が北の方に移ってきた。
    最低気温 -3.4℃ (04:04)、最高気温 3.4℃ (13:24)

 夏子の自転車が前輪も後輪も凍結して全く動かず、霜取りスプレーも役に立たず、ドライヤーで融かすにはギリギリに家を出るために時間が足りず、結局カミさんに送ってもらって登校していった(その後、小生が自転車を学校に届けた)。いままでもっと気温が低いことはいくらでもあったが自転車が凍って走らなかったのは今回が初めてである、考えてみたが、小学校時代は徒歩通学だし、中学校に上がってからももっと低い気温のときはあったと思うが、その時は登校日ではなかったのだろうか。自転車も寒冷地仕様の自転車が必要になるな。

 太郎、昨日、保育園で今朝の低温を予想してみんなで「実験」と称して氷を作ろうと容器に水を張っておいたが、見事にガチガチの氷ができて大喜びだった
 
 畑の霜柱も大きく育っていた。

 昼を挟んでプールに行く。アゼリアは毎日10時にオープンする、オープンを待ちかねたように最初の客がプールに入る、その後もぼちぼち客が入って、決まっているわけではないが、大体2時間経って昼頃が自然と一応の入れ替え時になる、それに時分時に重なることもあって、昼前にプールはほとんど空く。空くと言っても、ここのプールは都会のプールに比べたらいつも大体ガラガラなので、そのガラガラに慣れてしまって、一人で一レーンを独占状態で使うのが当たり前になっている。もちろんひとつのレーンに複数人が入っても一向にかまわないのだが、平日はなんとなくそういう感じになっている、それだけ余裕があるのである。その余裕のあるプールも、昼頃には更にほとんど無人状態になる、そこを狙って小生は行くのである。屋内プール施設全体を一人でゆったりと泳ぐ、考えてみたら極めて贅沢なものである。

 で、昨日から随分久しぶりに水泳を再開して、体がまだ馴染んでいないかなと思ったが、今日はもう、500mをノンストップで泳いだ、最後はちょっと息が切れたが、それでも特にどうということはなかった。これをしばらく続けて、だんだんと距離を伸ばしていくことにする。考えてみたら、まだ退院から一月経っていないのだ。66.7

 プールから帰って昼食を摂って、さあ薪でも作るかと思って外に出たら、日も射さずにやたらと寒い、寒暖計を見ると3℃しか無い、これではちょっと寒すぎる、今日はやめにした。結局その日が寒いか寒くないかは朝の最低気温でなくて日中の気温で決まるのである。
 
 「ご注意!!OFFICEのプロダクトキーが不正コピーされています。」というタイトルで、
 セキュリティ警告!!
お使いになっているオフィスソフトの授権が終了されてしまう可能性があります!!
日本マイクロソフトセキュリティチームはお使いのオフィスソフトのプロダクトキーが違法コピーをされた可能性があることを発見しています。
攻撃者はお使いのオフィスソフトのプロダクトキーを利用して他のオフィスソフトを起動しようと試みています。ご本人の操作なのかどうかが確定できないため、お手数ですが、直ちに検証作業をしてくださいますようお願いします。
(以下省略)

 というメールが来た、最近は悪辣な詐欺の手法もだんだんと手が込んできて、うっかりすると騙されそうになる、実際に騙される人間も多いのだろうな。

 晩飯。麻婆豆腐、エビチリ。


 今、天皇陛下の「譲位(退位)」についていろいろと論じられているようだが、小生はそういった記事は敢えて見ないようにしているので、もしそれらを読めばまた違った考えが起きるかもしれないが、小生は天皇陛下はご存命中はそれが終わるまで天皇陛下であられるべきだと思っている。国事行為だとか色々な行事ご出席だとかはそれは瑣末な問題で、ご出席が大変であれば名代を立てれば済む問題だと思っている、つまり摂政である、それでも足りなければ皇族が沢山おいでになるので、その力をお借りすれば済む問題であって、もし公務が大変だから、高齢だから譲位を認める、というのであれば、それは本末が転倒していると考える、天皇は役職ではないのである。天皇陛下は表に出られようが御簾の奥にあって姿をお見せになることが無かろうが、ご高齢であろうが、ご不例で病床に伏せておいでになろうが、「おいでになる」、これが総てだと思っている。昔は今よりはずっと神秘的な存在で、戦後、「人間宣言」をされて以来外に出られる機会が増えた、増えすぎたのである。もともと天皇は政治や権力とは距離を置いて国家と国民の安寧と繁栄を祈って祭祀を斎行される存在であると思うのである。並べて論じるのはどちらに対しても不敬になるかもしれないが、弘法大師は入定後1200年近くたった今も瞑想を続けているとされて、奥の院には毎日食事が届けられている。天皇もそのくらいの神秘性があっていいと思うのである。小生は民進党や共産党が聞いたらひっくり返るような考えを持っているのである。


平成29年 1月11日(水)

 晴れ。
     最低気温 -1.7℃ (05:17)、最高気温 5.2℃ (14:09)

 今朝、内之浦から小型ロケット「SS520」4号機が打ち上げのはずだったが、直前になって中止になった。今日は雲が多くて、ロケットが小型なのでここから視認はむりだろうと思っていたが、どうせなら放射冷却のスッキリした空の時に打ち上げてほしいものである。

 中岳の噴煙が相変わらず活発である、夜なんか火映現象が見られるし、日中も噴煙が多い、これで警戒レベル2なんだなあ。

 明日の朝は氷点下5℃の予報が出ていて、夕方太郎を保育園に迎えに行ったとき、こどもたちが先生と一緒に思い思いの容器に水を入れて庭に並べて、明日の朝、氷を作るんだと張り切っていた。ここのところ予報よりも実際の気温が下がらないので、明日の朝はしっかりと下がって氷が出来るといいね。

 今日からアゼリアで水泳を再開した。何ヶ月ぶりだろう、いや何年ぶりだろう。腹を切って、腹筋も切ったのだろう、スタミナが無くなったので、リハビリを兼ねて体の鍛錬のために水泳をまた始めたのだ。
 
 改めて考えてみると、泳ぐことに無縁な人にとってはどうということは無いだろうが、すぐ近くに年間を通じて泳ぐことが出来る温水プールがあるということはこれは大変贅沢な環境なのである。連休や夏季冬季の休みともなると九州各地あるいは山口県あたりからも合宿やスイミングスクールのバスがはるばる泳ぎにやってくる、それだけ、泳げる環境というのが少ないのだろう。惜しむらくは、プールの水深が正式な競泳プールのように深くないのでせっかくの50mプールでありながら公式競技には使えないことである。
 
 今日は昼前に100mを5本やって上がってきた。久しぶりなので100m泳ぐのがまあ精一杯(というほどでもないが)だった。これは体力の問題ではなくてリズムの問題だと思うので、二三度通えばリズムを掴むことが出来てもう少し続けて泳げるようになるだろう。さしあたって500mノンストップを泳ぐことを目標にして、次に1000mノンストップに戻ろうと思う、リズムが戻れば泳ぎながら休んで、休みながら泳ぎ続ければいいのだから。でも2000mは加齢もあってもう無理だろうか。

 今日は夕方太郎を連れてまた風呂に行かんといかんかなあと思っていたら、太郎は今晩は後からお母さんたちと行くというので二度入らずに済んだ。

 晩飯。豆ご飯、鰤の塩焼き、揚げ出し豆腐、豆腐とナメコの味噌汁。昨日に続いての炊き込みご飯になったが、別に太郎が好きだからということではない。小生はグリーンピースが出ると豆ご飯を食べたくなって、去年なんか春先、毎日のようにスーパーの野菜売り場を注意して見ていたが、去年は不作だったのだろうか一度も目にすることがなかった。それが今年はもう野菜売り場に並んでいて、「鹿児島産、今が旬」と謳っている。ええ?こんなに早くかあ?もっと先だろうと思っていたがこんなに早い時期だったのか、だから去年はシーズンが終わった後になって一生懸命探していたということだったのだろうか、それにしても早すぎると思うのだがなあ。他の炊き込みご飯は醤油などが入るが、豆ご飯は酒と塩だけの味付けで小生は普通の炊き込みご飯より好きである。
 
 夕食の後に、今日は鏡開きなので汁粉を食べた。


平成29年 1月10日(火)

 晴れ。
    最低気温 -0.9℃ (06:55)、最高気温 6.4℃ (13:00)

 12:00の予約で退院(12/18)以来初めて高野病院に検診に行く。下行結腸(SM)癌リンパ節郭清で切除したリンパ節の病理検査の結果を聞きに行ったのである。「全く転移はありませんでした」・・この言葉を聞いた時には非常に嬉しかった。待っている間、不思議な事だが、今日は、ガンの告知があった時よりも妙に緊張した。
 
 小生の大腸ガン(下行結腸癌)は、粘膜下層(SM)に少し浸潤していたので、その場合、患部を切除しても10%くらいの確率で、転移をしている恐れがあるので、予防的に患部の前後10センチほど、リンパ節ごと切除するように大腸癌研究会の治療ガイドラインでは決まっているそうで、それに添って小生の場合は切除したわけであるが、この転移という意味が最初のうちあまり良くわからなかった。
 
 転移というと、大腸ガンが肺に転移した、あるいは肝臓に転移したと聞くと、いきなり他の臓器に転移することを想像するが、実はその前段階の転移と言うものがある。それがリンパ節への転移である。リンパ節とは、体に入ってきた細菌やウイルスをくい止めるバリア、関所のようなもので網の目のように体中に張り巡らせてあるらしい。そしてこの臓器はこのリンパ節が、こちらの臓器はこちらのリンパ節がというようにリンパ節の守備範囲がおおまか決まっているようで、同じ大腸についても上行、横行、下行、S字といくつかに分かれていて、大腸部分の下行結腸のさらにこの部分はこのリンパ節が守っているという風に分かれているらしい。だから闇雲にいきなり他の臓器に癌が転移するものではなく、ある臓器を守備するリンパ節に転移した癌細胞がある程度進行してそれが別のリンパ節に転移することによってそのリンパ節が守っている臓器に癌が転移するというステップを踏むらしい。そこで大腸に出来た癌細胞がある程度進むとその大腸を守備しているリンパ節に転移して、やがてそれが他のリンパ節に転移してそのリンパ節が守っている他の臓器に癌が出来ることになるので、いっそのこと他のリンパ節に転移する前にリンパ節ごと取ってしまえということで、切除するのであるが、切除して病理検査をして、それでリンパ節に転移していたら、やっぱり転移していたんだね、だから切除したからこれで他のリンパ節に転移をしないで済んだね、でとりあえず一件落着するわけである。それでも、その段階になるとある確率で既に他のリンパ節に転移している可能性があるそうで、それは癌の進行具合によって違ってくるらしい。疑いが残る大腸の一部切り取るのは分かるにしてもそんな大事なリンパ節まで取ってしまって大丈夫なの?という心配が出てくるが、そのリンパ節が護る臓器がもう無いのだから、そのリンパ節は要らないことになるのでその心配は無いということらしい。以上小生の聞きかじりのいい加減な知識だから間違っているかもしれない。
 
 それで小生の場合は、癌が出来た大腸部分の前後合計で30センチをリンパ節ごと取ってしまって、これを病理検査をした結果、リンパ節には全く転移がなかったということで、ということはこれはあくまでも結果論になるが、最初に内視鏡で癌部分を切除した段階で実は癌退治は終わっていたわけで、その後、予防的に腹腔鏡下で切除した大腸30センチとリンパ節は本来は切り取る必要が無かったことになるのだろう。これは切り取って病理検査をするしか確かめようがなかったので、転移していなくて本当に良かった、無駄な手術だったのかもしれないけど、この無駄は本当に有り難い無駄だったんだね、ということになるのだろう。

 ということで、小生の今回の癌騒動はこれにて一件落着、ということになる。・・・・・ということであるが、実はそれでも1%くらいの確率で転移をする場合があるということである。であるが、これはもう無いと思っていいと思っているのだが。
 
 とにかく癌は早期発見に優るものは無い!これを読んでくださる方にもし少しでも不安のある方は迷わずに検査をしてもらうことである、早期発見に優るものは無い!である。

 入院期間中の日記の清書がまだだなあ・・・

 予約を入れていても混んでいて、病院を出てさあ昼飯を食って帰るかと言う頃は既に2時近かったので本当はトンカツを食って帰りたかったのだが、夕食の時間に障ることにもなるので、次回の検診までお預けにすることにして、チャンポンを食って帰ってきた。
 
 晩飯。炊き込みご飯、ぶりの刺し身、太郎と小生は鯨の刺身、だし巻き卵、ホウレンソウの味噌汁。太郎は本当に炊き込みご飯が好きである、炊いている湯気の臭いで、あっ炊き込みご飯だね、とウキウキしていた。


平成29年 1月 9日(月) 成人の日

 気温が上がらず風もあって寒い一日だった。
   最低気温 5.7℃ (17:52)、最高気温 8.1℃ (11:30)

 馬場と豆札合同の「どんどや」が妙法寺下の田んぼで行われた。昨日からの雨で、そして今朝も少し雨が残っていたのでやるのかなあと思っていたが予定通り組み立が行われていた。そして午後一時ころ、火が入った時点では子どもたちもお母さんがたの姿もほとんど見えなかった、豚汁やお汁粉をつくるために別のところに居たのだろう。小生は、寒かったので、今年は最初の火を入れるところだけ写真を撮って、引き上げてきた、その後、風も止んだようで、我が家の三人組は日が落ちるまでみんなと「どんどや」を楽しんだようである。
(写真1写真2写真3写真4
 
  今日またミツバチの給餌をする、しっかりとなめているようである。

 今日が「成人の日」だが繰り上げで昨日式典を実施した自治体も多い、ニュースなどを見ていると相も変わらず「バカ成人」どもがいる、日本の社会はどうしてこういった「バカ成人」どもを甘やかすのか、徹底的に取り締まればいいのに、死刑にしろ!である。
 
 これとは直接関係がないことだが、どこかの市長がまた懲りもせずに若者に迎合してパフォーマンスをやらかしている。このパフォーマンスをマスターするのに多分とても一夜漬けでは出来ないだろう、おそらく何日も練習したのだだろう、そんな時間があったらもっとやることがあるだろう。と思う。これで得られる支持と失う支持、どちらが多いだろうね。もっとも無投票再選になるのだろうけどね。
 
 ここ阿蘇では、熊本地震以来、ずっと鉄道は熊本方面に関して完全に陸の孤島化している。これに対して行政は一体どれだけの手を打っているのか、孤立を解消しようとする努力をどれだけやっているのか。土日 休日に豊肥線の不通区間の代替バスが終日一本も、一本もだぞ、運行されていないというこの異状な状態に誰も何も言わない。いや言っているけどそれが一つの声としてまとまらない、この声を一つにするのは一体だれの仕事だ。
 
 いままで何度も日記に書いているが、f-JR九州の公共交通機関としての社会的責任放棄によって阿蘇に入ろうとする、あるいは出ようとする、交通弱者や特に外国の少人数の観光客がその交通手段がなくて、あるいは、f-JR九州に代わる唯一の都市間バスのサービスの悪さに怒りを覚えてそして困っている現状を知っているのか、これは一度や二度のことではないぞ、おそらく常態化しているだろう。そういった報告は上がってこないのか、そういったところに行政はアンテナは張っていないのか、そういったことで阿蘇観光の最前線で阿蘇の評価を著しく落としている現実を知らないのか。
 
 県よ、市よ、そして観光業者よ、とくに海外からの少人数で来る観光客の手によって発信される、こういった阿蘇で受けたサービスの悪さ、今の時代、インターネットで何倍にもなって拡散するぞ。

 当社も地震の被害者ですと言って公共交通機関として責任を放棄して被害者ヅラのみをしているf-JR九州、一時間に一本でもそれもマイクロバスでいいのだ、走らせようという気持ちは無いのか。
 
 県が市が、観光立県、立市を謳うのであれば、f-JR九州と県と市とそれに加えて観光業に従事する事業者とが一体となって費用負担も含めてこの異常事態をどうにかしたらどうなのだ。観光協会や温泉旅館組合よ、自分のところに来る客だけに目を向けないで、そう沢山バス停があるわけじゃないんだ、そう多くの便があるわけじゃないんだ、積み残しが起きるのはせいぜい赤水あたりだけだろう、交替で積み残しの観光客のチェックくらいして、そういった場合は車で送るくらいのことをしたらどうなんだ、駅と自分の旅館の間は無料送迎をするのだろう、それいをちょっと足を伸ばして、せっかく阿蘇に来てくれたんだ気持ちよく帰ってもらったらどうなんだ、それが本当の「おもてなし」だろう。バスの運転手が外国語が出来ないのなら幾通りかの刷り物を用意しておいてそれを示すようにしたらいいだろう、それが「おもてなし」だろう。パフォーマンスに時間を費やすのなら、こういったことに時間を使ったらどうだ、といつも小生は腹を立てているのだ。(関連日記 8/10,8/11,10/8,10/23,10/31)



平成29年 1月 8日(日)

 雨、夕方になってようやく上がる。
    最低気温 7.9℃ (09:33)、最高気温 10.1℃ (13:20)

 村の初寄りがあった。
 
 MQY局、随分久しぶりに御入来。


平成29年 1月 7日(土)

 予報通り、曇り後、夕方近くから雨になる。
      最低気温 -1.9℃ (05:17)、最高気温 11.2℃ (14:10)
 
 明日は村の初寄りがある、小生は会計担当なので明日皆さんに配る会計報告書類を作った。
 
 子どもたちは、というより夏子はクラスメートと三井グリーンランドに行く事になっていたのだが、この遊園地は熊本北部、福岡県に接する荒尾市にある大型の遊園地で、ここからは遠くてとても二人で行ける距離ではないので、カミさんが二人を、ついでに太郎も乗せて出掛けていった。カミさんは前夜は泊りがけの新年会で小国に泊まったので朝帰ってきてみんなを乗せて出掛けていった。
 
 そして夕方7時前に戻ってきて、折り返して、すぐにまたピアノのレッスンに出掛けていった。ピアノのレッスン場は泗水にあるので、わざわざ一旦戻って来なくても、遊園地から直接ピアノレッスンに向かえば良いものを、夏子の友だちを夜遅くまで付き合わせるわけにはいかないと一旦戻ってすぐ折り返してまた同じ方向に出掛けていったのだ、ゴクロウサンである。太郎もまた一緒に行くと言ったが、オマエはもう行くなと留守番をさせた。

 太郎に、くたびれただろうから早く寝ろと言ったところ、風呂に入りたいと言う。一日くらい我慢しろと言ったのだが、入りたいと言う。じゃあ家のフロで良いかと言うと、アゼリアがいい、仕方がないので小生は二度目だが付き合ってやった。

 小生あてに、入学通知書が届いた、なにか自己啓発で申し込んであったかなと一瞬考えたが違った、太郎の小学校入学通知書だった、そうか、こんな形で案内が来るのか、もう三月もしないうちに小学生になるんだなあ。

 さすがに堪忍袋の緒も切れようというものだ、小生なんかもうとっくに切れているけどね。と日記に書いて、後になって、ん?何のことだったろうと思うだろう。それにつけてもデイブレイクは相も変わらず空虚な社説しか書かないね。



平成29年 1月 6日(金)

 薄曇り。当初の予報では晴れるはずだったが、雲が多かった、そして今日も風があり数字よりも寒かった。
     最低気温 2.4℃ (07:08)、最高気温 10.4℃ (15:08)

 今日も特に書き残すようなことは無かった。
 
 晩飯、七草粥。本当は明日なのだが、明日はまた我が家の連中は色々とスケジュールがあるようで、ゆっくり食事をしているヒマが無さそうなので、一日早く今晩食べた。本来の七草のうち、使ったのはダイコンだけで、その他に、里芋、ニンジン、ゴボウ、白菜、ネギ、小松菜の七草ですべて我が家にあったものばかり、今日はスーパーに行かずに済んだ。味噌仕立てで餅も入れて、それにバターたっぷり。子どもたちはこれが大好きである。カミさんは職場の新年会だとかで不在だった。



平成29年 1月 5日(木) 小寒

 少し雲があった。風があり寒く感じた。
   最低気温 0.9℃ (02:02)、最高気温 8.9℃ (12:35)

 午前中、神経を抜いた奥歯の治療に行く、まだしばらく治療が続きそうだ。
 宇治歯科からの帰途、正月休みに借りていた本を返しに行ってまた借りてきた。映画もいいけど、やはり本のほうがいいな。
 
 夏子は今日から部活の始まり、カミさんも太郎もそれぞれの持場に出掛けたので久しぶりに一人になった。

 高齢者は75歳から、という提言がでたそうだ、異議なし。
 
 晩飯。ハヤシライス


平成29年 1月 4日(水)

 晴れ。ずっと晴れ続きだ。
    最低気温 -3.9℃ (06:20)、最高気温 13.7℃ (14:37)

 昨夜はしぶんぎ座流星群が見頃だということだった、今朝、4時頃目が覚めて思い出して外に出てみたが、見られなかった。空は冴え渡っていて「星の数ほど」沢山の星がきらめいていた、考えてみたらこの星が全部、そして見えない星もたくさんあって広い宇宙に散らばっているんだなあと今更ながら馬鹿みたいに感心した。

 今日は大方のところは仕事始めだろう、カミさんも太郎も今日からまた日常が始まった。夏子はまだ冬休みだ、宿題を一生懸命にやっていた。
 
 昼メシは天ぷらうどんを作ってやった。晩飯は豚ダイコンにした。
 
 今日は今度の日曜日にある「初寄り」の会計資料を作って過ごした。
 
 「24」は途中だけどもう見るのはやめた、その代わりに、ということでもないが、日本映画「柘榴坂の仇討ち」を見た、後味の良い作品だった。


平成29年 1月 3日(火)

 今日も穏やかな天気だった。穏やかな三が日だった。大方のところは明日が仕事始めだろう、もうUターンラッシュが始まっているのだろうか、ピークは過ぎたのだろうか、ここにいる限りはそんなことは全くわからない、57号線迂回路のライブカメラを見ても渋滞している様子はない。
      最低気温 2.4℃ (00:49)、最高気温 11.7℃ (14:37)

 近年は田舎でも物騒なことが起きる時代で、地域でこどもたちの安全を護るためにいろいろなことが行われている、このステッカーもその一つで、子供が登下校時などに通りそうな道路に面した家の前に貼ってもらってイザという時に子どもたちが駆け込めるようにしている。まあ実際にそのような事例は無いと思うが、不審者・不心得者に対する一種の示威の意味があるのではと思う。我が家にも二月ほど前に掲示の依頼があったのだが、なんとなくそのままにしてあって、今日思い出して家の入り口のところに取り付けておいた。考えてみたら太郎が徒歩通学を始めるのももうすぐなのだ。

 先日ミツバチの給餌のために砂糖水をウトの中に入れておいたが、翌日見ても全然減っているようには見えなかった、濃度の問題だろうかと、とりあえずそのままにしておいたが、今日見るとスッカラカン、全く残っていなかった、やっぱり舐めていたのだ、今日また新しく作って入れておいた
 
 ここの所天気が良くて木がよく乾いているので、おじいちゃんが切り残しておいてあった薪材を切った、おじいちゃんとおばあちゃんが沢山薪をつくってくれてあったので、ある程度まとまって薪を作ったのは腹を切ってから初めてになる、まあ、どうということはなかった。
 
 QSOパーティのログとサマリーシートを今日もう投函しておいた。最初の日だけ無線機にかじりついていただけなので、二日目の今日は随分久しぶりで箱根駅伝の復路のテレビ中継を観た。寺さんは昨日と今日茅ヶ崎海岸で応援したそうで、写真を送ってきた。(写真1写真2写真3

 またまたバス会社の不誠実さについて。
2017.01.03 火曜日mqy局から
13:18「今日は乙姫ペンション前で座席残り1席で危うくセーフ、所がアーデンホテル前で7名、赤水駅前で4名の乗客がいました、全員が欧米人を含む外国人、大分交通の運転手さん、言葉がわからなくて「ダメ」「満員」と言うばかりで手で×印をして乗降口のドアーを閉めてしまいました。外国人の皆さん、乗車拒否と取ったのでしょう、大変怒っていました。次のバスは乙姫1時間半後で、1時間半後でも満席かも知れません。観光立国を標榜するには日本人として恥ずかしいと言うか、このあたりがダメだなと思います。JR九州の責任もあると思います。大津駅で降車するとき、補助席のあるバスにしたらどうかと言うこと、満席の際の英語等での案内を予め用意しおいたらどうかと、アドバイスしましたが、できないことの言い訳ばかりで、この点は産交バスと似ています。その点、西鉄バスは言葉使いから態度など不愉快に思ったことはありません。 大変恐れ入りますが、申し訳ありません。など繋ぎ言葉やクッション言葉を使えばいいのに、ストレートに「乗れません」「空いてません」の表現でムッとさせるのでしょう。朴訥とか純朴などサービス業では通用しないんですけどね。」
 小生も滅多に乗らないのに乗る度に不愉快なことにぶつかる、MQY局も乗る度にそういったシーンに遭遇する、これはもうたまたまということではない、f-JRが使えない今(JRが一番悪いのだが)、このバスは乗用車を別にすると阿蘇観光の最前線だ、このバスの接客具合が阿蘇市の評判に直接つながる、もう見て見ぬふりは出来ない、ここのところずっと日記に書いてきたことをまとめて、行動を起こすことにした。


平成29年 1月 2日(月)

 天気が少し下り坂のようだ、薄い雲がかかってきている。
     最低気温 -1.8℃ (03:07)、最高気温 12.0℃ (12:19)

 今年も日本アマチュア無線連盟(JARL)主催の新年QSOパーティがやって来た。今年は音声での交信は一切申請しないことにして、最初から7MHzの電信で開始した。普段聴く方はまあ、やっているが、送る方はほとんどしていない、ほぼ一年ぶりのぶっつけ本番だ。
 
 危なっかしいオペレーションながら、それでもとりあえず、昼過ぎには規定の20局は完成したので、期限は明日まであるので、後は遊びがてら余裕でやることにする。最初はストレートキーだけでやろうと思っていたが、どうも時々音切れがする、普段からあまりメンテナンスをしていなから理由がわからない、途中からマニピュレータに切り替えてやった。ただ無線機の調整がうまく行っているのかどうか分からないが、小生のnameが時々上手く取ってもらえない、数局でそういうことがあった、今までそういうことがなかったので、単なるキーイングの問題ではないと思うがよくわからない。
 
 この「新年QSOパーティ」というのは、今日と明日の正月の二日間で、最低20局の無線局と交信をした記録を提出することで、その年の干支のシールをもらって台紙に貼っていって、十二年で完成させるという根気のいるアワードである。途中一回でも抜けると、その年の干支の欄に貼るシールは次の干支が回ってくる12年先まで待たないともらえないことになる、要は何より「継続」が大変なのである。

 昔一度完成させたことがあるが、前のコールサインのもので、こちらに来て数年ブランクがあったが、まだ年齢定期にダイジョブだろうと今のコールサインで二回目に挑戦を始めて、今年でようやく11年連続で参加するすることが出来た、あと残るは来年の干支の「戌」でめでたく完成ということになる、まあ、多分大丈夫だと思うが。
 
 毎年、箱根駅伝とぶつかって、駅伝の中継は上の空でほとんど見ることもなく過ごしてきたが、今年は特に最初から全く放送を聞かなかった、今日終われば明日の復路は見ることが出来るが、向うに居たときは近くを通るので茅ヶ崎海岸に応援に出たりしていたものの、遠くに来てしまって、箱根駅伝そのものに対する思い入れも無くなっていることも確かだ。
 
 アメリカのテレビドラマの「24」、だんだんイライラしてきた、ストーリーは24時間の間に起きた物語だが、細切れで見ているととても24時間という短い時間に起きている事件だという気がしなくなる、数日間にわたっての出来事・事件のような気になってくる。24回分の放送にするべく、やたらとダラダラと次々に徒に話をくっつけている、このシーズン1も、もう全部見なくてもいいかという気になって来た。



平成29年 1月 1日(日) 元日

 新年にふさわしい気持ちのいい朝を迎えた、周囲は霜で真っ白である、清浄である。日中は暖かく陽だまりでミツバチも気持ちよさそうに日向ぼっこをしていた。
    最低気温 -2.7℃ (07:28)、最高気温 12.8℃ (16:05)
 
 8時から村の天神様に初詣をして村の賀詞交歓会に出る。他の集落では新しい年が始まると、間もなく日を決めて「初寄り」という総会的な集まりがあるが、我が集落ではその初寄りとは別に元旦に皆さん集まって賀詞交換をする、おそらく昔、各戸を回って年始の挨拶をする無駄を省くために考えられた習慣だと思われるが、軽くお神酒を酌み交わして少し雑談をして散開をする、そして別の日に改めて村の総会である「初寄り」を開く。今年はその日が8日に決まった。
 
 終わって、「ぼっち」の元旦の祝い膳を調える。ざっとこんなもんである、黒豆だとか田作りだとか栗きんとんだとか伊達巻だとか買ってあったようだが小生は自分流の祝い膳を作った。
 
 今年届いた年賀状、第一印象、娘への賀状が急に増えた、小生より多いかもしれない、成長につれて娘の付き合いがそれだけ増えてきたのだろう、結構なことだ、老兵は消え去るのみ・・・か
 
 子どもたちは朝6時過ぎに千葉の家を出て8時半の飛行機に乗って、あそ熊本空港に10時半前には到着した。リアルタイムの運行サイトhttps://www.flightradar24.com/32.79,130.74/7を見ていて、この上を通るなと思って、カメラを手に急いで外に出たがいつもなら真上を通るのに通らない、後から記録を見ると、阿蘇山上空を通過して降りていったようだ。それにしても今の時代、いろいろなものがリアルタイムで分かって面白い、それにしても空は飛行機だらけだ。
 
 折角順調だったのに空港に駐めてあった車、バッテリーが上がったそうでJAFに来てくれるよう連絡したとLINEで送ってきたので、小生が想像するにこういったケースはおそらくたくさんあるはずだから料金所に相談したら直ぐに対応してくれるはずだと言ったがもう電話をしてしまったからと30分ほど待ったそうだ、もっと頭を使え!頭は生きているうちに使え!
 
 室内灯を点けっぱなしにしてあったかで完全放電をしていたそうだ、午後一時過ぎに三人は無事に我が家に帰り着いた、そしてまた騒々しい日常が戻ってきた、かくして新しい一年が始まった、今年はどんな年になるのだろうか。



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