世の中、定年後、何をしたらいいのか・・・そういった人がたくさんいると聞く、これがわからないのだ、小生はやりたいことが多すぎて時間が足りないくらいだ。

 これは、道楽というか、次から次にやって面白いと思っていることの一覧だろうか(レベルや練達度はこの際、措いておく)。

<順不同>

● 【■■■■■■】平成31年、年頭にあたって、今年の抱負と言うほどでもないが、「死ぬまでにモノにしたい」と思っているものの在庫が無くなりつつあるので、ここで新たに一つ追加した。これも過去何度も挑戦して、放り投げたものの一つだが、今回はなんとなくモノになりそうな感触を得ている。目標期限は一応年末ということにしているが、多分もっと早くなりそうな気がする。その時にこの■欄を埋めたいと思っている。モノにならなかったら、いつの間にかこの項目は姿を消していることだろう。(2019.1月)

    この■■■■■■は実は「和文モールス」の修得だったのだ。この■■■■■■には特に意味はない、単なる点々であってモールス符号ではない。今年いっぱいという予定を早めて海軍記念日に公表することにした、もともとこの日に目標を定めていた。この日はゴールではなくて、あくまで通過点である、詳細は(2019)令和元年5月27日の日記にある。

Linuxのこと
 死ぬまでにモノにしたいものひとつにLinuxがある。そのLinux、PICアセンブラに続いて、かすかな光明が見えてきた。ずっと長い間Linuxは難しいと思ってきたが、それは、「Linuxの何が分からないのか、どこが分からないのかが全く分からない」状態だったが、ここにきてようやく「何が分からないかが分かってきた」状態になってきた。

 なんと欲張りに、REHL系のCentOSとDebian系のUbuntuとおまけにRaspbianまで並行して、というか、ごっちゃまぜにして本を読んだりネット検索をしたりしている。だんだん頭の中で整理できるようになってきた、このあたりは小生レベルではほとんど共通だ。Raspbberyもやるのだ。

 30年10月あたりの日記からLinuxに関する記述が出始めている、12月にはWindows10のSWLを利用してUbuntuをインストールした、便利になった。HP ProliantMicroServerとPT3で録画サーバー構築再挑戦中、基本的にはヤンク&プット作業ばかりなのだが、これがなかなか手ごわい。

● PICアセンブラ  ようやくPICアセンブラが分かった、判った、解った、なんとか死ぬまでにわかりたいと思っていたが間に合った。何十年越しだろうか、ちょっと大げさか、いやそれでも、茅ヶ崎にいた頃からだから、かれこれ20年近くにはなるだろう。

 ただ、茅ヶ崎時代からずっとPICアセンブラに挑戦し続けたわけではなく、ちょっとやっては躓いてやめて、またちょっとやっては解らなくて放り投げての繰り返しだった。それでもそのたびに自分にはわからなくても何かしらの蓄積があったのだろう、それが今回の理解につながったのだろう。判るとなんともあっけないもので、なんでこんなことに長い年月がかかったのだろうと不思議である。わかったと言ってもまだまだ「トバクチ」で、これから技術の蓄積になっていくのだろうが、それでも今までと違って非常にスッキリと理解ができると思う。ここに至るまでに一体どのくらいの資料をネット検索でプリントアウトしただろう、本はどのくらい買っただろう。結局はこれ!という本や資料が無かったのである。いくら入門書と謳ってあっても、ある程度の下地がなければ決してわからない、本当の入門書なんてどこにも無かった。今の小生が入門書を書くならば、いや、入門書の入門書になるが、おそらく誰が読んでもわかる本が書けるだろう。

 でもようやく分かったと思ったら、PICはもう既にちょっと時代遅れの感もある、ワンチップマイコンにはいろいろな種類やプログラム言語がある。最近ではどこかの小学校では既にプログラムの勉強、マイコンの授業が始まっているらしい。でもアセンブリ言語はプログラム言語の基本中の基本だ。
 
 マイコンと農業をつなぐ・・・これができたら大きな可能性が生まれる。
 死ぬまでにもう一つ・・・・Linuxをモノにしたい。
                                (H30.7.16日記抜粋)

● 「乗馬」・・・・、いやちょっと違うな、「家に馬のいる日常」を目指して、馬を飼う計画を立てている、それで馬に乗って、車のように普通に家の周辺で動き回りたいのだ。 (H29.10月4日あたりから「馬」のことが日記に頻繁に出てくる。)


トランペット 昔からやりたかったが、環境が許さずに、その気持がずっと長い間頭の隅に置き忘れられていた、そして地中深く埋もれていた不発弾がたまたま地表現れて、信管を抜き損なって爆発してしまった。(もう少し詳しく

カーバイトランプ 昔、もう60年以上も前になる、子供の頃、鍛冶屋の店先に捨てられていた使い残しのカーバイトを拾ってきて火をつけて遊んだ。そして、今のようにバッテリーやエンジン発電機が普及する前には、カーバイトランプは縁日などの夜店では必ず照明に使われていた。この灯りに郷愁を誘われて、カーバイトランプを集め始めた。ロウソクより遥かに明るい照明、カーバイトと水を反応させて発生するアセチレンガスの独特の臭い・・・・・・・・(もう少し詳しく


アマチュア無線 JA6LGV (ex JL1MUF) HF・VHF・UHF各バンド、APRSのI-Gate局も運用。実力は全く伴っていないがどういうわけか一応「第一級アマチュア無線技士」である、これがかえってプレッシャーになる、今は「NOCODE HAM 」と言われないように電信を努めてやるようにしている、電信は面白い。もう10年くらい前から畑に横倒しになったままのクランクアップ・タワーを建てようと思いながらいまだに実行できずにいる、今年こそは・・・

パーソナルコンピューター 組み立て、リペアなど カミさんはお金持ちで次々に新しいものを買っているようだが小生は年金暮らしでプロレタリアート(古いな)なので古いPCをもらってきては再生して使っている。

ホームページ主宰(日々の記録と掲示板、ライブカメラ、気象観測装置運用など) つまりここのことだが、今の所に住み始めるころから、生きてるぞー(生存証明)の意味で始めてもう15年になるがほぼ毎日の記録をつけている。そして自宅サーバーを運用している。インターネットは知識・情報の宝庫だなあ、なんでもインターネットで調べることが出来る、草深い山奥に住んでいてこれほど有り難いものはない。

アーク手棒溶接  自給自足精神で何でも自分で作ろうと思って・・最近は大分腕が上がってきたと自分では思っている。

ガス溶断  酸素・アセチレンで鉄を切る、溶接にしてもガス切りにしてもこれはオトコの遊びだなあ。

計算尺  今はこれが一番面白い・・かな。宮崎アニメの「風立ちぬ」でちょっと話題になったようだが、それと小生のとは関係がない(観ていない)、また単に集めてニンマリするコレクターではない、あくまで道具として使うために持っている、この素晴らしいテクノロジーが消滅するのが惜しくて常に肌身離さず胸のポケットにも携帯型を入れている。計算尺にもなるべく沢山の機能があるものの方が都合がいいので、いつの間にか数が増えていく、世界に冠たる日本の計算尺、HEMMIが有名だが、ドイツのFaber-Castellでは在庫品ながら今でも新品を売っている、 2/83N, 62/83Nは計算尺として最高のものだろう、機能もさることながらとにかく美しい、見ていて惚れ惚れする。計算尺は数学の知識があったほうがより面白ので、つられて数学が面白くなった、対数(Log)がこの歳になって面白いとは思いもしなかった。対数を出発点としていろいろな「数学」に手を出している。

タイガー計算器(計算機でなくて計算器と書く) 電卓が出るまで大活躍をした手回しの加減乗除が出来る計算器である、ルート計算だって出来る。計算尺とタイガー計算器で戦艦大和もゼロ戦も作った、昭和30年台になっても計算尺で(設計構造計算をして)東京タワーも作ったそうだ(電卓はまだ無かった)。それから同じくナチスの強制収容所で生まれた手動計算機の珠玉の逸品、クルタ計算機

ソーイングマシン、つまりミシン、つまり繕い物、最近始めた、これも自給自足のためだが、面白ね、小生の普段着・外出着でもあるGパン。穴の開いた奴が10枚ほど溜まったので自分で補修することにした。

料理・・・好きというより必要に迫られての主夫業、それでもこどもたちが喜ぶとついつい張り切ってしまう。では嫌いなのかと問われたら好きと答える、根が食いしん坊なのだ、それに料理も溶接も物を作るという点では同じだ、創造の喜びなんだろう。

チェンソーで薪つくりとメンテナンス(道楽というよりもこれも生活そのもの、最近は分解してメンテナンスをする面白さを知った)

蕎麦打ち 友人が蕎麦屋を始めたので自分で打つより食べに行ったほうが楽なこともあってリクエストでもあれば別だが最近ではほとんど打たなくなった、それでも年越しそばだけは打つようにしている。

畑仕事  、トラクターまで持っていながら、最近は畑が荒野になっている、畑仕事は好きだが、やりたいことが多すぎて手が回らない、ここに来るまでは、農作物は種さえ蒔けば後は収穫を待つだけ、と思っていたが、トンデモナイ、土作り、途中の管理がいかに大切か、それに、草との戦いではとても敵わない、シーズンの始めには、今年こそはと思っていながら、毎年すぐに敗けてしまって、我家はヤブに埋もれる。あれもこれもやりながら畑仕事は無理である。

ニホンミツバチの飼育  と書いていながらもうここ数年蜂ウトは空家状態が続いている、今年こそ入ってくれよ。
 H28.5.21ニホンミツバチがとうとう来てくれた。・・・・H29.7月また居なくなった・・・・・・・・・・そして、R01.10.09、2年ぶりにまた入ってくれた。
R02.05.07 分蜂

●油絵、と書くには少々後ろめたさを覚えるが学生時代に下手ながら描いていて、また描きたいとこちらにきて道具まで揃えなおしてそのままになっている、時々無性に描きたいと思うことがあるが、優先順位からいうとずっと下の方で、そのまえにもっとやりたいことがあって白い画布がいつの間にか埃を被って灰色になっている。

●遅れてやってきた男・・・・小生はアマチュア無線を始めたのが遅かった、もう真空管の時代は終わっていた、だから真空管のことについては知らなかった。最近、何がきっかけだったろう、真空管に目覚めて、5球スーパーを組み立てようとしている、真空管の資料を読み漁っている、これはまた面白いヒマつぶしネタが出来た(ヒマは無いのだけれど)H28.5。
H28.6.4 5球スーパー完成、引き続きAS-350のレストアにとりかかる。

 まだまだいろいろなるなあ、本を読むのも道楽だなあ、映画、音楽も好きだなあ、PICもLinuxも中途半端だなあ。日記にこれらのことをその折々に書いているが検索機能を付けていないので何処に何を書いたかわからなくなった、テーマ別にまとめていたらよかったが15年も経つと量が多すぎて今更もう無理である、キーワード検索機能を追加して過去の日記から探しせるようにしようと思っているがそれもいつの事になるやら。考えてみたら、「人口」が多いゴルフと酒は小生には全く無縁のものだなあ。それから釣りは昔は海辺に住んでいたので結構やったが今はやらなくなったな、山も登らないなあ、ということはアウトドアはあまりしないということだろうか。

 いつも読んでくださっている皆さんには知っていただいている事が多いが、他人の日記なんて時間をかけてわざわざ読むヒマ人なんてそんなにいない、一体この日記はどんなことが書いてあるのだろうと思われる人に道楽に絞って思いつくまま列挙した、共通の道楽をお持ちの方、どうぞ掲示板をお訪ねください。

恐惶謹言 風師庵

2020年 5月  Rev10